FTBJ北の国から2012 流氷 with 丹頂

♪ア~ア~、ア ア ア ア ア~♪

じゅん、じゃなかったマサよ~ォ、君は気まぐれな流氷に振り回された挙句にお蔵入りになった過去のFTBツアーの無念を晴らすべく、懲りずに道東に舞い戻ったことがあるか!?

ということで、FTBJでは過去2002年(http://www.geocities.jp/takeofukuda/2002ryuhyo.html)と2003年(http://www.geocities.jp/takeofukuda/ryuhyo2.html)に流氷ツアーを遂行したことがあるのだが、流氷がなかったり、流氷が厚すぎて船が航行出来なかったりと満足のいくツアーが催行出来なかったわけで・・・

その後リベンジのために何度か道東を訪れたのだが、流氷がなく、いずれのツアーも不発に終わり、FTBレポートもお蔵入りを余儀なくされたわけで・・・

今回は勤め人という現世を離れた自由人として日々更新される海氷速報をチェックしながら確実に流氷を捕らえることが出来る予定を組み、流氷がない場合は流氷待ちによる延長も辞さないという覚悟で望むこととなったわけで・・・

2012年3月4日(日)

ANAの株主優待割引券が余っていたのでマサであれば¥44,770かかるところを私は半額で購入でき、しかもANAご利用券(eクーポン)を充当したためにただで搭乗したANA845便は定刻通り11:20に羽田空港を離陸した。飛行機は津波の被害から1年経つ東北地方沿岸部を眼下に北上し、北海道に入ると雪を被った大雪山を視界におさめながらオホーツク海を目指した。

オホーツクに近づくと飛行機は降下を開始し、機長のアナウンスにより左手に流氷が見え始めた。機内の右手窓際に座っていた私には機上から流氷は拝めないのかとあきらめかけた瞬間に機長の貴重な計らいにより当機はUターンして右手の乗客にも無事に流氷の鳥瞰をお届けすることが出来たのだった。

流氷の町として名高いオホーツク紋別空港に午後1時過ぎに無事着陸すると空港の外にさらされている流氷のサンプル等を一瞥して-4℃の冷気の中をバスで紋別市街地に向かった。

バスがオホーツク海洋交流館(ガリンコ号ステーション)に到着すると期待に胸を膨らませて颯爽とチケット売り場に向かったのだが、そこで目にしたご案内は「sorry, no ice today」という鈍氷で後頭部を殴られたようなショッキングなものであった。それでもツアーで来ているお客様は表情に無念を滲ませて青海航海へと乗り出して行ったのだが、いくら割引になっているとはいえ、¥2,500もの大金を出して寒風に吹かれるのは忍びなかったのでガリンコ号でガチンコ勝負することは断念した。

ガリンコ号で流氷体験が出来なかった時の負けパターンは付属のファシリティである氷海展望台オホーツクタワーでクリオネに敗戦の弁を語ることであるのだが、今回は味噌ラーメンで体温を維持してむなしく撤収することにした。

今日宿泊する紋別セントラルホテルは光明石温泉を沸かしていたので、疲れてもいないのに温泉で傷ついた心を癒し、旬であるはずのホタテづくし定食を食って早々と不貞寝を決め込むことにした。

3月5日(月)

早朝ホテルをチェックアウトすると足早にガリンコ号ステーションに向かって行った。ホテルの部屋から見下ろすオホーツク海の状況を見て期待していなかったものの、今日も白海航海は望むべくもなく、閑散としたチケット売り場には昨日と同じ案内がむなしく掲げられていたのだった。

ここで紋別にしばらく滞在して流氷待ちをするか流氷を求めて他の場所へと流れるべきかを決めなければならなかったのだが、今年の海氷データを検証し、紋別への流氷着岸状況が芳しくなかったので紋別に別れを告げることにした。オホーツク沿岸部は交通の便がよろしいわけではなかったのだが、バスで少し内陸に入った遠軽町まで移動し、そこからJR北海道が運行する特急列車オホーツク号に乗って網走を目指すことにした。

午後1時前には網走駅に到着出来たので駅から市バスに乗り換えて道の駅「流氷街道網走」へと急いだ。この道の駅は網走流氷観光砕氷船おーろらの発着ターミナルになっており、しかも「おーろら」と「おーろら2」という定員400名の大型砕氷船を2隻要する一大流氷クルーズ拠点になっている。とりあえずフードコート「キネマ館」で高倉健に見守られながらわずか¥500という安値で供されるカニ丼で腹ごしらえをして午後2時出航の4便に乗り込むこととなった。尚、おーろらの料金は沖合航路(流氷あり)の場合は¥3,300、能取岬航路(流氷なし)の場合は¥2,500という高値に設定されている。

好天に恵まれ、寒さをさほど感じないおーろら2の屋外展望デッキは団体ツアーを含む多くの乗客でごったがえしており、船は汽笛を鳴らすことなく、帽子岩に見守られながら静かに出港した。港内にわずかに残されている流氷のかけらの上ではカモメが羽を休め、船上のお天気カメラはNHKに油断無くお天気情報を送るために静かに海上を見据えていた。

船が外洋に出ると雪を被った知床連山の絶景が姿を現した。さらに目の前に止まって動こうとしないカモメが見守るはるか前方に白い水平線のような流氷帯が浮かんでいた。

おーろら2は大きな揺れを起こすことも無く流氷帯に突入すると乗客はデッキの手すりを乗り越えんばかりに眼下の流氷に見入っていた。流氷上では様々な野生動物が姿を現すのだが、今日は天然記念物のオオワシがその鋭く黄色い口ばしを尖らせており、船上のカモメとの格の違いを見せ付けていた。

¥3,300の料金がお得だと感じられる航海が終了するとその余韻を楽しむためにキネマ館で流氷水で作った発泡酒「流氷ドラフト」を鯨飲して祝杯をあげるのを忘れなかった。

3月6日(火)

早朝agodaのポイントを使って安く泊まった網走グリーンホテルをチェックアウトすると目の前の網走駅から釧網本線の快速列車に乗り、オホーツク海沿岸部に沿って東に向かっていた。今日も網走沿岸部には流氷は着岸していなかったので流氷ノロッコ号というトロッコ列車(臨時列車)に乗車するまでもなく、速やかに知床斜里駅まで移動すると知床半島の付け根の町である斜里をシャリシャリと雪を踏みしめながら見物することにした。

道の駅「しゃり」にもお約束の知床で水揚げされた流氷が積まれており、中ではクリオネが氷水槽の中でつばさをはためかせながらやるせない上下運動を繰り返していた。

駅前のバスターミナルから斜里バスに乗り、車窓を流れる流氷を横目に1時間かけて知床観光の拠点の町であるウトロに到着した。丁度昼飯時を迎えていたので道の駅「うとろ・シリエトク」で鹿肉バーガーを消費して知床におけるエゾシカ被害の削減に一役買っておいた。しかも意外と美味であったのだ。

吹きすさぶ吹雪の中をウトロ漁港に向かう道すがら、ゴジラの手湯でかじかんだ手を解凍するとゴジラ岩を見上げながらゴジラ松井にいち早く獲得球団が現れることを祈っておいた。尚、このゴジラ岩は崩落の危機にあるのだが、補強するとメカゴジラになってしまうので何とか現状維持で今の状態を保っているのだ。

押し寄せる流氷で結氷したウトロ漁港の奥には知床旅情の碑が寒風に耐えるように建っており、その姿を見て寒さに完封されそうになったので漁港を後にしてゴジラ岩観光でウトロ名物のとあるアクティビティの予約を入れることにした。今日は吹雪のためにそのアクティビティは催行されていなかったので楽天トラベルに予約させておいた世界自然遺産の宿しれとこ村つくだ荘に早々とエスケープすることとなった。

つくだ荘のウトロ温泉で肉体を常温に戻し、夕食に供された毛がにのトゲで怪我しないように注意しながら海の幸を十分に堪能させていただいた。

3月7日(水)

ほたるぅ、じゃなかった マサよ~ォ、君はしっかりとした防寒対策を施して流氷と触れ合った経験を持っているか!?

というわけで、私が昨日予約しておいたアクティビティとはドライスーツを着用して流氷の上を歩いたり、氷の海に落ちたりする流氷と遊ぶをコンセプトにした知床・流氷遊ウォーク(\5,000)であったわけで・・・

ゴジラ岩観光の事務所に午前10時前に集合すると参加者は防寒・防水性能に優れたドライスーツを私服の上に着込んで流氷に対峙する準備を着々と整えていた。マイクロバスに乗り込み2分程で流氷ウォークポイントに到着すると堤防を乗り越えて氷と雪で埋め尽くされた氷原の海へと果敢に突き進んでいった。

このアクティビティには知床の海を熟知したガイドが2名同行し、最初に薄い氷の上でジャンプして氷海へ正しく落ちる方法を伝授してくれた。ドライスーツに浮力があるとはいえ、変な落ち方をすると頭まで水に浸かってしまい、しかも首元や袖から冷たい水が入り込んで凍るような思いをする危険性もはらんでいるのだ。

流氷遊ウォーク参加者はそれぞれ流氷の山に上がったり、氷の海に浮いたりしながらガイドに記念写真を撮ってもらっていた。流氷の海にはクリオネも生息しているということだったのでしばしクリオネ探しに興じていたのだが、発見出来なかったので1時間程度のウォークで流氷地帯から撤収することとなった。グループで参加している若者は互いに雪玉をぶつけたり海の中で暴れたりと戯れが過ぎていたので冷水を浴びる等の罰が当たることをひそかに期待していたのだが、足元の氷が崩壊して頭まで氷海に没してしまう不運に見舞われたのは体重が3桁に達する巨漢のガイドであったのだった。

流氷を制覇した満足感を胸にゴジラ岩観光オフィスから退出し、オロンコ岩に見守られながらウトロを後にした。酋長の家に隣接するRESTAURANT&CAFEを守っている番犬コロにも別れを告げると午後2時10分発のバスで斜里に戻ることにした。

JR北海道にはいろいろなイベント列車があるらしく、摩周&川湯温泉足湯めぐり号という1両列車がたまたまやってきたので、それに乗りこんで釧路を目指すことにした。残念ながら列車内には足湯はなかったのだが、途中の川湯温泉駅で14分、摩周駅で21分の停車時間が取られており、乗客はあわただしく足湯を楽しむことが出来るように配慮されているのだ。

3月8日(木)

agodaのポイントを使って安く泊まることが出来たルートイン釧路駅前をチェックアウトすると駅前バスターミナルから阿寒バスに乗り込み単調な道東の旅のフィナーレを飾るにふさわしい地に向かっていた。

釧路湿原国立公園は丹頂鶴の営巣地になっており、タンチョウの里鶴居村では官民あげてのタンチョウの保護活動が行われ着実に生息数を増やしている。多くの観光客が集まる鶴見台は食べ物が少なくなる冬場に餌付けをしているために格好のタンチョウ観察スポットになっているのだ。

中国人を含む多くの観光客が観光バスやレンタカーで鶴見台に乗りつけ、短時間で去っていくのを横目に私は西田敏行扮する池中玄太より学んだ鶴の生態を元に2時間程タンチョウの観察に勤しんだ。タンチョウは2羽~4羽のグループで鶴見台に飛来し、たまにけたたましい泣き声をあげたり羽を広げて優雅なダンスを踊って絶好のシャッターチャンスを提供していたのだった。

鶴見台を後にすべく阿寒バスに乗り込み、特に悪寒を感じることもなかったので適当なバス停で下車して12kmの道のりを徒歩で釧路空港を目指した。冬毛のポニーに見送られてタンチョウで町興しをやっているたんちょう釧路空港に辿り着くと17:10発ANA744便で春まだ遠い東京へ帰って行ったわけで・・・

FTBサマリー

総飛行機代 ただ

総宿泊費 ¥15,033

総JR北海道代 ¥7,710

総バス代 ¥6,500

協力 ANA、楽天トラベル、agoda、道東観光開発株式会社、ゴジラ岩観光、第一管区海上保安本部海氷情報センター

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