FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 対馬

♪ポルトガル人がっ、ながさきへ~~~ カステラ (カステラ) カステラ (カステラ) めいげつど~の カステラ~~♪

というわけで、長崎県玄界灘の沖合、韓国との国境に浮かんでいる対馬はポルトガルではなく韓国がその領有権を主張していると言われており、高速フェリーの運航により実際に多くの韓国人が対馬に観光に来ているニダ。今回は実際に対馬で日韓の友好関係が機能しているのか、はたまた敵対関係のために緊張感が島を支配し、ヤマネコを絶滅の危機に追いやっていないか、その実態を確認するために上陸しなければならなくなったのだニダ。

2010年9月18日(土)

対馬へのアクセスは福岡または長崎からの空路、もしくは博多港からフェリーとジェットフォイルが運航されとるんやけど、今回は午前10時発ANA4933便で福岡からわずか30分で飛んでくることにしたんよ。

ヤマネコが島を支配しちょるごとある交通の要衝の対馬やまねこ空港に到着すると対馬交通が転がしとる島内バスに乗り、島で最も栄えちょる厳原に向こうたんよ。交流センターと呼ばれとるスーパーや飲食店、ショップの複合施設でちょっとくつろいだ後、島の歴史を予習せんといけんと思ったけ、県立対馬歴史民俗資料館に行くことにしたっちゃ。

島内の文化財、考古歴史資料、民族資料とかヘチマとかを収録展示しとる対馬歴史民俗資料館には対馬固有の動物の剥製もおいてあったんやけど、天然記念物に指定ばされとるツシマテンを見よったら、目がテンになったけん、ここから撤収することにしたんよ。

江戸時代の対馬藩主であった宗家の墓所になっとる万松院(¥300)が厳原の代表的観光地の割にはひっそりと佇んどるごとあったけんその幻想的な雰囲気ば感じるために見物することにしたっちゃ。万松院は宗家20代義成が、父義智の冥福を祈って1615年に建立された由緒正しい菩提寺なんよ。ここにはなんか知らんけど徳川歴代将軍の位牌が祀られるとるんやけど、裏手には百雁木と呼ばれちょる100段以上の石段が幽玄な雰囲気を醸し出しちょるごとあり、樹齢1000年の大杉まで立ちはだかっとったんよ。

対馬の海の交通の要衝となっとる厳原港に停泊しとるフェリーを遠巻きに眺めながら歴史情緒あるれる厳原地区を軽く散策した。今日の宿が空港の近くやったけ、バスで空港まで戻り、その辺をぶらぶらしよったら、ネコ科の動物が寛ぎよったけん、「君はヤマネコか!?」と聞いたところ、「いえ、猫です!!」と答えよったごとあったけん、そいつば適当に転がしてお茶ば濁しとった。

長距離ば歩いてくたくたになったけん、楽天トラベルに釣られて予約しとった民宿つりの家にしけこんだ。この民宿はつりの家の名に恥じんごと食堂には魚拓がようけ飾られており、宿泊料¥7,000の割にはアワビ、サザエ、鯛等の豪華料理が食卓を賑わしよるごとあった。

9月19日(日)

つりの家ば引き払い、空港のジャパレンでホンダのフィットをレンタルすると今日は島の北部ば散策してみることにした。島内を車で流しとったらいたるところにヤマネコ注意の看板が掲げられとるごとあり、ここでは学童よりもヤマネコの飛び出しに注意せんといけんごとあった。

対馬北部の上県町、棹崎公園の一角に対馬野生生物保護センターが、ツシマヤマネコ等の絶滅のおそれのある野生生物の生態や現状について解説し、野生生物保護への理解や関心を深めていただくための普及啓発活動や、希少な野生生物の保護増殖事業、調査研究を総合的に実施するための拠点施設として1997年にオープンしているので見学ばさせていただくことにしたんよ。

ここでの最大の見どころは言うまでもなく一般公開ばされちょる生きたヤマネコである。保護センターの一角には三代目となる福馬と命名されやがったヤマネコが慎ましく暮らしており、お気に入りであるはずの止り木にちょこんと正座して見物客の好奇の目に晒されとったんや。しかし、見物客はフラッシュを焚いたりガラスを叩いてヤマネコを刺激すると係員にクラされるけ、おとなしく見守らんといけんのよ。

今日は運ばよかったことにヤマネコの餌付けの日になっとったと。飼育員がネコ小屋に近付くとヤマネコも心得たものでドアに向かってまっしぐらに突進して行きよった。白ネズミの遺体を飼育員が見物客の見やすい位置に放り投げよったら、ヤマネコは一気に食らいつき2週間ぶりの食事をおいしそうに堪能しよるごとあった。

対馬の食物連鎖の頂点に立つはずの肉食系のヤマネコの恐ろしさを十分に思い知ったところで年々生息数が減少し、今では80~110頭と推定されとるヤマネコを危機に至らしめちょる脅威について学習もしとかんといけんと思いよったんよ。ツシマヤマネコの減少原因は交通事故、生息地の減少、犬による咬傷、とらばさみ等多々あるんやけど、♪ぼくには~ ゆめ~がある、希望がある、そして~ 持病がある~♪と歌っとる家猫からの感染症も多いみたいやった。ばってん、アフラックの保険はどうもきかんごとあったけ、泣く泣く撤収するしかなかったんよ。

マサよ、君は日本の国土におるのにNTTドコモを出し抜いて韓国の携帯基地の電波に接続支配されてしまったという屈辱ば味わったことがあるんかニカ!?

ということで、保護センターからほど近い「異国の見える丘展望台」で49.5km離れた対岸の釜山港を見ようとしよったら、いきなりブラックベリーが反応し、韓国の携帯電話のキャリアであるKTFに繋がり、私は携帯電話上では海外におることにされてしまいよったとや。ちなみに展望台からの景色は何の変哲もなか、曇った水平線の光景やったとよ。

対馬の北岸が電波上で韓国の植民地になっとる実態ば思い知らされたけ、もうひとつの展望台の韓国展望所に移動したニダ。ここでは観光バスで訪れとるごとある韓国人観光客がビールで酒盛りばしとっただけで電波はNTTドコモに戻りよったけ、Jinroで祝杯でもあげようかと思いよったんやけど酔って拉致されたらいけんけ、とっとと撤収することにことにしたんよ。

電波ジャックの問題が自然消滅せんかったら、大砲でもぶちかまさんと納得せんやろうと思いよったけ、豊砲台跡を見物することにしたんよ。豊砲台は昭和9年3月に完成し、戦艦の主砲をこの砲台にすえたんやけど、結局実戦に参加することなく「まぼろしの砲台」として朽ち果てて行きよったそうや。

豊砲台跡の見物が不発で、飲み屋で加藤あいを指名したはずなのに出てきたのは阿藤快だったときのような屈辱を覚えたけ、対馬北部の主要港である比田勝港で伊藤英明も乗船したことがあるはずの海上保安庁の船に海猿野郎!と暴言を吐いた後、日本の渚・百選に認定されている三宇田海水浴場に向かったんよ。

さすがに日本の渚・百選のビーチだけあり、天然白浜とエメラルドグリーンの遠浅の海のコントラストはマサに沖縄の海をほうふつさせるごと見事なもんやった。また、ビーチには上対馬温泉 渚の湯(¥500)が隣接しており紺碧の海に広がる水平線を眺めながらゆったりとくつろがせてもらったんよ。

9月20日(月)

厳原の繁華街に位置するビジネスホテルである柳屋ホテルをチェックアウトすると近辺で移動の足を確保出来んかったけ、バスで空港まで行って、トヨタレンタリースでダイハツのムーブばレンタルした。その名のとおりの移動手段を使こうて今日は島の南部の散策に乗り出すことにしたと。

厳原町のほぼ中心に位置する鮎もどし自然公園に鮎も泳いどるはずの清流と瀬川にかかる清流橋が♪いのち くれ~ない♪というような瀬川瑛子のリズムを刻んどるごとあったけん軽く見物し、さらに島南西部に突き出ている豆酘崎で海に浮かぶ白亜の灯台を遠目に眺めながら、朝鮮海峡と対馬海峡の境界の水路の厳しさを思い知りよった。

標高がそげん高くない割には険しか山道を運転しとったら内山峠ちゅうアカハラダ言う渡り鳥を観察出来るごとある展望所に到着した。内山峠には内山田洋とクール・ファイブとほぼ同年齢に見える律儀な渡り鳥観察老人達がたむろしており、今年は例年に比べて渡りの数が少ないごとあると嘆いちょった。

山間でしいたけを栽培しとるファシリティをちら見しながら車ば転がしとると、思わず「これなんやね?」と口走ってしまうごとある奇妙な屋根を持っとる古か倉庫群に行きあたりよった。これらは厳原町西海岸にわずかに残っちょる石屋根で、対馬で産出される板状の石で屋根を葺いとる高床式の建物で風に強い倉庫として慣らしとるゆうことやった。

対馬の中部は日本の代表的なリアス式海岸・浅茅湾が広がっとるごとあり、箱庭のような絶景ば提供しとるんやけど、あまり見て回る時間が残っとらんかったけん、軽く車で流した後、空港に戻り、福岡経由で東京に帰って行ったとやった。

役に立つごとあるワンポイント九州語講座

・ヘチマ

これがホントに九州語かどうか確信は持てんのやけど、27年前に北九州予備校で英語の教師をしよった馬淵先生が好んで使いよったことばやったとよ。意味としては・・・など、等々、etc.で多少ネガティブなトーンを持った状況で使われよるごとあった。財務省にも財務大臣とか、事務次官とかマサとかヘチマとかようけ偉い人がおるごとあるが、景気がいっちょんよくならんのはどういうこっちゃ、一回クラされんとわからんのやろ!という具合に使われるんよ。

FTBサマリー

総飛行機代 ただ

総宿泊費 ¥7,000(2食付き)、¥6,000(朝食付き)

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 ¥3,508

総バス代 ¥1,840

協力 ANA、楽天トラベル、対馬交通、ジャパレン、トヨタレンタリース

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