NHK大河ドラマ「龍馬伝」に便乗し、龍馬ゆかりの各地域では龍馬にちなんだ長期イベントが行われている。龍馬発祥の地高知県においても土佐・龍馬であい博が2010年1月16日から2011年1月10日まで開催されている。おびただしい数の観光客を集めたであろうゴールデン・ウィークも過ぎ、観光地が落ち着いた頃を見計らって脱藩のテクノロジーを伝授させていただくためにとっさに土佐を訪問しなければならなくなったのだ。
5月15日(土)
土佐藩主であるにもかかわらず、空港のネーミングライツを得られなかった山内容堂の動揺を反映させたかのようにANA1601便ボンバルディア機は激しく高知龍馬空港に午前8時前にタッチダウンした。早速ニッポンレンタカーでホンダのフィットをレンタルすると愛媛県との県境に近い山間部に向かってひた走った。
津野町の風車の駅で山頂に立ち並ぶ風車群にクリーンエネルギーの真髄を見た後、これぞ日本の典型的な田舎の風景を思わせる清らかな川と段々畑を見渡していくうちに段々と脱藩の機運が高まっていったぜよ。
龍馬脱藩ゆかりの地の津野山街道のとある道の駅で脱藩前の腹ごしらえをすることにしたのだが、食い物屋で一串百円の巨大こんにゃくを食っているとみょうがが入っちゅうスーパー味噌汁が無料で振る舞われたので何と気前がいいことかと思われたき。
近くに天狗のオブジェをあしらった巨大すべり台が設置されていたので大人気もなくすべることにしたのだが、摩擦係数ミューが高すぎたために私の下半身に風力発電に匹敵するはずの静電気を発生させてしまい、早くも脱藩の火花を散らすこととなってしまったぜよ。
5年前にシマンテックを脱藩した怨念のためか、最近期限切れ間近のノートン・インターネット・セキュリティを自動更新させ、更新料をクレジットカードから勝手に引き落とすぜ!という強迫メールを何度も受け取る羽目に陥ってしまっていた。その邪悪な怨念を清めるためにシマンテック発祥の地であってほしい四万十川の源流に行かなければならなくなっていた。
カリフォルニア州クパチーノを源とするSymantec Corporation本社を彷彿とさせる四万十川の源流までには山道に設置されているご丁寧な道案内の看板を辿って行けるのだが、源流点と定義されている地点のさらに上流からも水が昏々と流れ出ているため、ガンブラーさえ検出出来ない、いい加減な定義ではないかと懸念されもした。しかしながら、高知県知事であらせられた橋本大二郎氏により建立された四万十川源流の碑は改竄されることなく、その地に君臨していたのでとりあえず信じてやることにした。
いち早く土佐藩を抜け出し、坂本龍馬に脱藩を勧めた吉村虎太郎の銅像からどうぞ~脱藩して下さいとのインスピレーションを受けた後、土佐龍馬であい博のサテライト会場になっている梼原(ゆすはら)維新の道社中(¥200)に立ち寄ることにしたき。脱藩の道中では脱糞も付きものだと思われたのでまずは厠に行くことにした。腸内をすっきりさせた後、手抜うどんの看板に引き寄せらるようにうどんをすするとその勢いを駆って天守閣に攻め入ることにしたのだが、そこで待っていたものは維新の門であった。
津野山郷が輩出した六志士に龍馬、沢村惣之丞を加えた8人のダイナミックで躍動感あるれる銅像の製作費は8,500万と記されており、時代が時代であったなら、蓮舫による事業仕分けの餌食になっていたのではないかと懸念されもした。
いよいよ脱藩のクライマックスである土佐と伊予の国境に位置する韮ヶ峠に来てしまった。案内役の那須信吾はここで引き返したのだが、坂本龍馬と沢村惣之丞は「我ら再び生きて故国土洲の土を踏まず!!」という捨て台詞を吐いて土佐藩士から日本人へと変わっていったのだった。
脱藩のノウハウを身に付けることに成功したので山中から下界に降りて高知黒潮ホテルにチェックインし、地下1300mから汲み上げられている天然温泉龍馬の湯に浸かりながらちっくと販売本数ナンバー1のウイルスバスターに乗り換えられないかと画策していたのだった。
5月16日(日)
高知黒潮ホテルを出て、土佐湾沿岸を南東に走ると青い空と海に癒される室戸岬に到着した。ここに立ちはだかちゅうは龍馬と並ぶ幕末のヒーローで陸援隊隊長であらせられる中岡慎太郎像であった。慎太郎が見下ろす室戸岬は奇岩が立ち並ぶダイナミックな風景を展開しており、弘法大師が灌頂の会式をした浜で今なおその清さをたたえている灌頂ヶ浜にはタービダイト層によって形成された奇岩や珍しい地質の宝庫となっちゅうき。
あこうという木の根にからめとられそうな恐怖を覚えたので、高台にある四国霊場第24番札所である最御先寺をスルーして室戸岬灯台まで這い上がってきた。ここにおわす白亜の灯台は明治32年の建立以来、100年余り太平洋を航行する船の安全を見守り続けて来ちゅうろう。
室戸岬から土佐湾沿いの道を引き返し、阪神タイガースのキャンプ地としてテントを貸してやっているはずの安芸市に志を求めてやって来た。田舎道を車で転がしていると不意に「やったろう!」という気概に包まれた気がしたと思ったら三菱グループの創始者である岩崎弥太郎の生家に紛れ込んでいた。幼いころから志を胸に秘めていた弥太郎は庭石を日本列島の形に並べてその身分の低い劣等感を克服しようとしていた様子がこの実家には今もありありと残っているのだった。
土佐龍馬であい博のサテライト会場になっている安芸・岩崎弥太郎こころざし社中(¥200)を訪問し、私のメインバンクになっている三菱東京UFJ銀行の預金金利が上がることを祈念した後、とある公園に立ちふさがっている俳優香川照之にそっくりな大男の銅像に龍馬伝の視聴率の回復を約束し、川に向かって柏手を打っているとたむろしている鯉が勝手に集まってきたのでそそくさと退散することにした。
高知市内に戻り土佐龍馬であい博のメイン会場となっている高知・龍馬ろまん社中(¥500)に侵入した。これまで調査してきた各会場に展示されている龍馬伝出演者のサインの盗まれ状況から龍馬ブームの福山雅(マサ!)治に対する依存度を再確認し、雨上がり決死隊の宮迫が切腹して「アメトーーク」に専念しても視聴率には影響しないことを思い知らされたのだった。
マサよ、君は坂本龍馬生誕地が福山雅治の侵略を逃れている唯一の聖地になっている事実を知っているか!?
というわけで、これまで数多くの幕末および坂本龍馬ゆかりの地を見て回って来たわけであるが、どの観光地もNHKの受信料未払い分の損失を埋めるかのように龍馬伝の広報的な役割を果たすために福山雅治のポスターが起用されていた。今回のツアーのクライマックスに坂本龍馬誕生地に立ち寄り、ついに福山雅治の幻影を振り払うに至ったわけである。
龍馬生誕地のすぐ近くに高知市立龍馬の生まれたまち記念館が開館していた。チケット売り場にJAFのマークが見えたのでマサであれば¥300かかるところを私は¥270の支払で入館することに成功した。展示コーナーの入口で龍馬少年が「まっことよう来たねえ ゆっくり見とうせ」と迎えてくれたので龍馬を育んだ人と町、家族、坂本家の離れをイメージした空間等を心おきなくゆっくり見とうすことが出来、まっことここは癒し系の記念館である実態が確認されたので納得して帰路に着くことにしたぜよ。
FTBサマリー
総飛行機代 ただ
総宿泊費 ¥7,000
総レンタカー代 ¥12,180
総ガソリン代 ¥3,044
協力
ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、JAF