発進FTB2.2 南紀勝浦温泉周辺、世界遺産三冠王ツアー

前略 ボンよ、FTBも20年目に差し掛かり、新装オープンのためのテスト運用を数ヶ月前から行っていたのだが、このたび正式にFTB2.2のリリースとなりました。その第一弾として厳選された行き先は南海トラフ地震の脅威にさらされながら、地味に観光客を集めている南紀勝浦温泉周辺とあいなった次第である。

2018年10月13日(土)
午前10時羽田発ANA019便は定刻より早く伊丹空港に到着し、毎週のようにお世話になっているニッポンレンタカーでダイハツの軽自動車をレンタルすると大阪空港に直結しているインターから高速に乗り、阪神高速、阪和自動車道を疾走し、南紀田辺インターで降りると道の駅すさみで休憩を取ることにした。陽光が燦燦と降り注ぐ南紀の海を背景にしてブタかイノシシかどっちなん?と思いながら記念写真を撮っている旅行者を横目にソフトクリームを舐めまわしていた。

大阪を出発して4時間近くが経過した頃、やっとの思いで南紀勝浦の地に到着し、本日宿泊予定のホテル浦島の駐車場に車を停めるとホテルのシャトルバスに乗って勝浦港へと向かった。観光桟橋からさらに送迎ボートに乗り込み、運転疲れのためにぼ~としていると暴徒と化したチコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねえよ!」という声援を送られるのではないかと恐怖に打ち震えているうちにホテル浦島の桟橋に到着した。

勝浦湾と熊野灘に挟まれた半島の地形を巧みに利用して建て増していったホテル浦島はマサに竜宮城のようであり、日本でも最高レベルの温泉リゾートとして君臨し、大阪から4時間かけても来る価値があるということがホテルの敷地に一歩足を踏み入れた瞬間から感じられた。

収容人員1528名を誇る巨大ホテルの温泉浴場は7ヵ所に及びスタンプラリー形式で3つ以上の浴場に入浴すると粗品が進呈されるのだが、まず手始めに浦島を代表する大洞窟温泉「忘帰洞」に身を委ねることにした。洗い場のカランを腐食させるほどの白濁硫黄泉をたたえた巨大な浴槽の向こうに洞窟の出口がぽっかりと空いており、熊野灘から押し寄せる白波が絶えず目の前の岩礁に打ちつけられ、国内外から訪れている入浴客は野趣と癒しのハーモニーに包まれ、「忘帰洞」の名に違わぬほど帰るのを忘れてしまっているのだった。

首尾よく「帰る」のを思い出すことが出来たので、ウォーターフロントの本館から高台の山上館を結ぶ連絡エスカレーターである「スペースウォーカー」で天上界を目指すことにした。全長154m、高低差77m、傾斜角度30度、階段数428段、所要時間5分45秒(30m/分)を誇るスペースウォーカーは高所恐怖症の輩にはウォッカを浴びるほどの恐怖感を与えるものかもしれないが、行き着く先の山上館はホテル浦島随一の高級宿泊施設となっている。その少し下に狼煙山半島につながる遊歩道への入り口があったので軽く風呂上りの散策と洒落込んだ。展望台からはたそがれ時の勝浦港の全景が眺められるのだが、狼煙山の由来は昔、漁師の見張り番が鯨を見つけたときや、幕末に熊野灘を航行する黒船を発見したときにのろしを上げて急を告げたことが由来になっているそうだ。

ホテル浦島のもうひとつの売りはマグロの解体ライブであり、バイキングレストラン会場となっている「龍宮」で日夜マグロの生贄が捧げられている。予約した7時半の30分前に会場入りし、豊富な海の幸を中心とした地元料理で腹を膨らませると待望の解体ショーの幕が切って落とされた。

重さ26kgを誇る新鮮なキハダマグロは豊洲市場に持っていけば高値で落札されることは間違いないはずであるが、今夜はしゃべりの切れはよくないが切れ味鋭い出刃包丁を巧みにさばく目付きの鋭い大将の手にかかることになったのだった。日ごろ冷凍マグロしか食ったことのない宿泊客は一様に生マグロの新鮮さと柔らかな口当たりに驚きを隠せない様子で、やはり魚は水揚げされた産地で食することが一番だという認識を新たにしたのであった。

10月14日(日)
すばらしいホテルで南紀勝浦温泉をじっくり堪能し、玉手箱を空けてしまった浦島太郎のように腑抜けになった感覚を覚えながら現実社会への帰路についた。勝浦港に戻り、気がつくと目の前に世界遺産が迫っていたので、この機会に熊野詣の一端を垣間見ることにした。

熊野詣とは熊野信仰に基づき、熊野三山に参詣することであるが、後白河上皇にいたっては34回もの御行を数えている。熊野三山とは本宮、新宮、那智のことであるが、今回は時間の都合もあり、熊野那智大社にゴールを決めることにした。大門坂入口の無料駐車場に車を停めると黄金のサッカーボールをトラップした黒い鳥のモニュメントに出迎えられた。この鳥は「八咫烏(ヤタガラス)」という熊野の神の使いで神武天皇が九州の日向の国よりこの地に上陸して三本足の烏に案内されて奈良まで行き、大和の国を建設したと伝えられている。八咫烏はサッカー日本代表チームのシンボルマークになっており、サムライブルーのジャージにもその黒いシルエットが刻まれているのである。

熊野古道は日本三大古道のひとつで、大門坂は熊野詣で栄えた当時の面影を特に美しく残している。熊野那智大社へと続く全長約640m、高低差100mの石畳の両脇は情緒あふれる杉並木となっており、参道の入り口には樹齢800年と言われている夫婦杉がある。

入り口近くの大門坂茶屋で平安衣装の貸し出しを高値で行っており、自らの記念写真のみならず、道行く観光客の絶好の生贄的被写体になることさえ出来るのであるが、大門未知子のように「いたしません!」とはもはや言えない状況を背負わなければならないのだ。

大門坂を上りきり、那智山のバスターミナル兼休憩所で一息入れた後、さらに400段以上の階段を登って那智大社を目指す道すがら植村花菜のおばあちゃんが信仰しているはずのトイレの神様に遭遇し、芳根京子のようなべっぴんさんになるためにはトイレをぴかぴかに磨かなくてはならないという思いを新たにした。

念願の熊野那智大社の鳥居をくぐったのはよかったのだが、礼殿は創建1700年の改修工事中で来年の3月迄その雄姿を拝むことが出来ないという残念な状況であった。しかしその脇にはサッカー日本代表の西野監督や澤穂希選手のサインが奉納されている様子が垣間見え、FTBもいち早く熊野三山である本宮、新宮、那智のハットトリックを達成しなければならないというプレッシャーにさらされることとなった。

那智大社に隣接する那智山青岸渡寺は西国三十三所第一番札所になっている太閤・秀吉も愛した壮麗なる寺院である。本堂後方には、那智の滝との調和が美しい朱色の三重塔がそびえており、絶好の記念写真ポイントになってはいるのだが、有料写真撮影サービスが営業しているベストポイントには記念写真撮影用のスタンドが設置されているので何となく近づくことが憚られてしまうのだ。

那智山から下山し、迷いカマキリを安全な場所に避難させた後、古式捕鯨発祥の地である太地町に向かった。道の駅「たいじ」で昨今では貴重なものとなった鯨肉を貪り食った後、鯨よりも大物が君臨している穴場スポットに向かった。

熊野灘の雄大な自然に抱かれた南紀太地町に「落合博満野球記念館」が1993年にオープンしており、いつかはいかなければならないと思い続けていたのだが、満を持して今回のツアーのついでに立ち寄ることにした。記念館への参拝客はFTBご一行のみであったためか、館内を短時間で見て回ることが出来たのだが、少ない入場者数でも採算が合うように入場料は¥2000と高値に設定されている。

館長の落合博満氏が滞在するのは正月等の限られた時期のみだそうだが、館内展示物撮影禁止の中にあって、唯一落合博満裸像と一緒に記念写真を撮ることがこの記念館の最大の売りになっているので、落合氏の現役時代のユニフォームとミズノプロのバットを借用して¥2000分の元を取らせていただいたのだった。

かつては鯨の肉も魚屋で売られており、「魚屋のおっさんに今何時」と聞くと「9時ら」と答えてくれたのだが、なつかしい思いを胸にこの町のシンボルである空飛ぶ鯨像を拝んで太地町に別れを告げた。

本州の最南端、南紀串本に橋杭岩という景勝地が君臨し、約850mの列を成す大小40余りの岩柱がそそり立つ様を拝むことが出来る。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩群には、その昔、弘法大師と天邪鬼が一晩で橋を架ける賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっている。

橋杭岩を後にすると、一目散に伊丹空港に戻り、8時20分発ANA040便に飛び乗って東京へと帰って行った。次回南紀ツアーの開催時には復活した関空を使う方が時間的に有利であると反省しながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥25,280
総宿泊費 ¥23,760(2食付、2名分)
総レンタカー代 ¥9,976
総ガソリン代 ¥3,585
総高速代 ¥6,110

協力 ANA、楽天トラベル、ニッポンレンタカー

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