究極のリゾート「セイシェルの夕陽」ツアー

1983年6月にリリースされた松田聖子のアルバム「ユートピア」に収録されている「セイシェルの夕陽」を聴いて以来、いつかはこの地で夕陽を拝まなければならないと考え続けてきたのだが、30年以上の歳月を経てついに念願のセイシェルツアーが敢行されることになったのだ。

9月1日(月)
10:05成田発NH909便香港行きに乗り込み、4時間超のフライト中ほとんどの時間を機内プログラムで放映されている半沢直樹に見入りながら倍返しのノウハウを身に着けようとしているうちに猛暑の香港に到着した。香港市内で数時間をやり過ごした後、air seychellesが運行する19:10発HM87便に搭乗すると7時間以上のフライトで深夜でも酷暑のアブダビに着陸した。

9月2日(火)
アブダビ空港でしばし免税品店のウインドウショッピングを楽しんだ後、午前2時に同じ飛行機に乗り、さらに4時間以上のフライトでセイシェルのマヘ空港に到着したのは夜も明けた午前7時過ぎであったろう。空港で客待ちをしているタクシーと交渉してEUR45の支払いで車に乗り込むと迫りくる花崗岩を樹木でコーティングした山々と透き通る海のコントラストを横目に今回のツアーの最初の宿泊地であるHilton Seychelles Northholme Resort & Spaに向かった。

インド洋に110以上の島を散りばめたセイシェル諸島で最大のマヘ島の北部に造成されたヒルトンリゾートの客室はすべて木造のヴィラになっており、金持ち観光客が遠慮なく札ビラを切れるように多くの諸施設が充実しているのだ。

早朝の到着にもかかわらず、景観のすばらしいレストランで朝食をご馳走になった後、すぐ部屋に案内されるほどのホスピタリティを発揮したヒルトン従業員がオーシャンビューのヴィラのドアを開け放つとそこに広がっていたのはマサにユートピアと言っても過言ではないほどのすばらしい居住空間であった。とりあえず備え付けのジャグジーで身を清めると「ゆーとぴあ」直伝のゴムパッチンに興じる暇もなく、ヒルトンを飛び出して町に繰り出してみることにした。

マヘ島随一と言われる北岸のボー・バロン・ビーチの眩いほどの白砂で目慣らしをすると島内をくまなく運行する路線バス(SCR5)に乗車してセイシェルの首都であるビクトリアを目指した。インドの財閥タタ・モーターズの青バスであふれかえったバスターミナルで下車すると人口9万人を誇るインド洋の島国の中枢を垣間見ることにした。日本人旅行客は少ないセイシェルであるが、そこには松下幸之助の精神が今も息づく明るいナショナルの看板も掲げられており、首都といっても素朴な雰囲気に包まれていたのだ。

イギリスの統治時代の1903年にビッグ・ベンを模倣して造られた町のシンボルである時計塔で時間を確認すると庶民の食生活の鏡であるサー・セルウィン・クラーク・マーケットを覗いてみることにした。さすがに昼下がりの市場はすでに活気を失っており、売れ残った淋しい熱帯魚がウインクする代わりにむなしく口を開けて横たわっているだけであった。

ヒルトンに戻り、西向きの部屋のバルコニーから夕陽が沈むのを待ち構えていたのだが、昼過ぎから西の空は雲に覆われ、絶景を目にするのは翌日以降に持ち越しになってしまったのだ。

9月3日(水)
マサよ、君は真っ赤なインクを海に流しているような美しい夕焼けを目に焼き付けたことがあるか!?

ということで、セイシェルの高級ホテルではその敷地内でリゾートを完結することができるので、今日はヒルトンでセレブ気分を擬似体験させていただくことにした。まずは日本円で5000円以上はするシャンペン付の高級朝食ビュッフェで養分を吸収したのだが、この料金の半分以上はレストランからの眺望代と言っても過言ではないほどのエメラルドグリーンの海とさわやかな風と鳥の声を聞きながら優雅な雰囲気を味わった。

食後にプライベートビーチに繰り出し、無料で貸し出しているスノーケリングセットで海中探索をした後、プールで体の表面の塩分を抜きながら午後からのセレブ体験に備えていた。尚、セイシェルは年間を通して気温が25℃くらいなので紫外線さえケアーすれば長時間外に滞在しても苦にならないのである。

パリス・ヒルトンのような高級セレブがリゾートに行くと必ず受けるはずのSPAのトリートメントをあらかじめ予約しておいたので昼下がりにDUNIYE SPAでヒーリング効果を高めることにした。肉体にどす緑色の海洋的泥物体をなすりつけられ、ビニールに出し巻き状にされると暖かさと清涼感が交互に現れるような不思議な感覚に包まれ、その後手のひらでプレッシャーをかけられると体の奥底に眠っていた精気がみるみるとよみがえってくる感覚を覚えたのだ。

昨日とは打って変わって雲の少ない西の空がみるみるうちにたそがれ色に染まっていった。松田聖子や作詞家の松本隆も見たことがあるはずの世界のどんな場所で見るよりも美しい夕焼けを実際に目の当たりにしながら30年来の郷愁を存分に味わうことに成功したのだった。

9月4日(木)
2泊の滞在で高級リゾートのお作法を身に着けるために散財したヒルトンをチェックアウトするとタクシーで空港に移動し、12:30発HM3124便でセイシェルで2番目に大きな島であるプララン島に向かった。リゾート観光客を乗せた19人乗りのプロペラ機がマヘ空港を飛び立つと15分ほどで美しいラグーンに面したのどかな空港に着陸した。空港でタクシー運転手に捕まったのでそのまま車に乗り込み、この島での宿泊地となっているVillage du Pecheurを目指した。

このホテルはヒルトンほどではないが、マヘ島よりものどかな雰囲気のプララン島にマッチしており、目の前のアンス・ヴォルベールのビーチは象牙色の砂とエメラルドグリーンの海がどこまでも広がっていたのであった。

プララン島もマヘ島と同様に路線バス網が発達しているので、坂道を登るパワー不足が露呈しているバスに乗ってあてもなく流れてみることにした。なぜか再び空港に戻ってきたので近辺のビーチと黒真珠を養殖しているファシリティを遠巻きに眺めた後、アンス・ヴォルベールのビーチに舞い戻ってきた。

近辺の砂地にはクリームコロッケの材料に最適なはずの赤蟹が無数の穴をこじ開けており、スーパーマーケットの前にはパンくず待ちのカラフルなすずめ系の鳥が餌の取り合いに勤しんでいたのだった。

9月5日(金)
早朝朝日を浴びながら、藁の屋根のバンガローを横目に長いビーチを裸足で走ってトレーニングをかました後、バスに乗って神秘的であやしいヤシの木が生い茂っている国立公園を訪問し、ジャングルに踏み込むことにした。

世界遺産に登録されているヴァレ・ド・メ国立公園(SCR360)は伝説の果実ココ・ド・メールで有名なヴァレ・ド・メの森で構成されている。ココ・ド・メールとは昔昔インド洋の国々に流れ着いていた双子ヤシの実のことである。ココ・ド・メールは殻が取れると女性の腰の形をした実が現れるのだが、この植物の木には雌株と雄株があり、臀部の形をした実がなっているほうが雌株で雄株の花房は細長い棒状になっている。そのため、昔から女性と男性のシンボルとしてさまざまな神話のネタになっていたのだが、なるほど臀部にはケツ毛までも生えているほどの念の入れようなのである。

国立公園内にはいくつかのトレイルが形成されており、一歩足を踏み入れると太古の昔にタイムスリップしたかのようにヤシの巨木と巨大な葉っぱに圧倒されるのだ。

ココ・ド・メールは成長過程が非常に遅く、発芽してから実をつけ始め、その実が大きくなるまでには15~40年かかり、寿命は200~400年程度と言われているが、長いものでは樹齢800年を越すものも確認されているのだ。

ココ・ド・メールがなる森に入り、ここでメールを打つことが難しいと考えたのでヴァレ・ド・メ国立公園から撤退してバスで島の北西に位置するアンス・ラジオという美しいビーチに向かった。浜辺でSeyBrewという地ビールを飲みながらクレオール料理に舌鼓を打っていたのだが、ラジオからのミュージックの変わりにハエが飛び交うブーン音が響いてきたので早めに食事を切り上げて周囲を散策しているとココ・ド・メールよりもふた周りほど大きい楕円形の物体が目に飛び込んできた。

近づいてよく見るとそれは浦島太郎を搬送できるほどの巨大なリクガメであり、やつらは自力で餌を食べることができるにもかかわらず、観光客が差し出す葉っぱをしきりに求めていたのであった。

9月6日(土)
リゾートホテルにもかかわらず午前10時にチェックアウトさせられたのでしばらくホテルやビーチ近辺を散策していると大型ホテルの広場で何がしかのフェスティバル系の催し物の準備が着々と進んでいるようだったので冷やかしに覗いてみることにした。会場には歌謡ショーが行われそうなステージやフラワーアレンジメント、ココナッツジュースのスタンド等があったのだが、とあるテントではココ・ド・メールの直売まで行われていたのだった。

プララン島を後にすべく空港からHM3131便で飛び立った。マヘ島の上空近辺ではエデン・アイランドと呼ばれる高級住宅島を埋め尽くす赤い屋根が見受けられ、ヨーロッパの金持ちがこぞってプライベートリゾートに訪れる様が目に浮かぶようだった。

マヘ空港に着くとタクシー往復よりも安上がりであるはずのSixTレンタカーでKIAの小型車をレンタルすると島の南部に位置する今日の宿泊地であるDoubleTree Resort & Spa by Hilton Hotel Seychelles – Allamandaに向かった。当ホテルはヒルトン本家ほどの規模感はないものの、ビーチに面した部屋のベランダにはお湯の出が良くないジャグジーが据え付けられており、階下のプールと相まって十分なリゾート気分を満喫するに足るファシリティを誇っているのである。

9月7日(日)
東向きの窓から差し込む朝日で目覚めると昨日よりも海の透明度が増していたので朝からビーチを散策することにした。

この近辺のビーチは砂地と岩礁がミックスされているので絶好のスノーケリングエリアになっており、原住民が魚を捕まえようと躍起になっている様子も見受けられるのだが、海底の石にはウニ系黒いとげ物体も付着
しているのだ。

セイシェルを出るまでにしばらく時間があったのでマヘ島の南部から西部を車で流してみることにした。マヘ島には900m以上の山もあり、高台からの眺望もすばらしく、さわやかに吹き抜ける風を利用した風力発電所やエデン・アイランドの様子も遠巻きに眺めることが出来るのだ。

6日間の滞在で十分にリゾートの極意を身につけることが出来たので、15:55発HM86便で行きと同じくアブダビ経由で香港への帰路へとつくことになった。

9月8日(月)
午前10時前に香港に到着すると香港観光にうつつを抜かす体力も残っていなかったので14:30発NH1172便にて羽田まで羽を伸ばし、半沢の倍返しが10倍返しにアップグレードされた回を見ながら流れ解散となった。

FTBサマリー
総飛行機代 ANA = \80,850, air seychelles = EUR733.87
総宿泊費 SCR12,577.17 (SCR1 = \8.5), \51,796
総タクシー代 EUR45, SCR1,400
総バス代 SCR 45
総レンタカー代 EUR47.25
総ガソリン代 SCR441

協力 ANA, air seychelles, HiltonHhonors, agoda, SixT rent a car

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です