昨今緊迫した日中関係、中国人観光客による爆買い、中国株式市場の暴落、人民元の切下げ等、中国に関する大きなニュースがちまたに溢れているのだが、今年は特に終戦70年、中国側からは抗日戦争勝利70周年という大きな節目の年を迎えている。
最近支持率の凋落が著しい安倍総理も起死回生を狙っているはずの日中首脳会談を行うべく、訪中する予定らしいが、それに先立ってFTBが中国人民の民意を探るために観光地を巡るツアーが敢行されることとなったのだ。
2015年8月12日(水)
今回はAir Chinaの利用にもかかわらず、同じスターアライアンスのよしみでANAマイレージクラブダイヤモンドメンバーの私にANA SUITEラウンジの使用が許可されたため、フライトまでの時間を優雅に過ごさせていただいた。
午後7時発CA168便は定刻通りに出発し、4時間弱のフライトで1時間の時差を超えて北京首都空港に午後10時前に到着した。入国審査、税関を順調に通過したものの、空港のタクシー関係者が今夜の宿泊先であるHoliday Inn Express:Beijing Airport Zoneを明記した英語の案内文や地図を理解しなかったため、ホテル到着までかなり手間取ってしまった。
IHG InterContinental Hotels Groupのポイントが余っていたのでマサであれば425元くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHoliday Inn Expressの1室でくつろいでいるとNHK Worldのニュースで大爆発により火の海と化した天津市の様子が生々しく伝えられ、今回のツアーが前途多難であることを予感させられたのだった。
8月13日(木)
早朝4時のモーニングコールでたたき起こされ、5時にタクシーに飛び乗ると朝飯を食う間もなく6時半発CA1119便で大同市へと飛んだ。7時半過ぎに大同空港に到着し、価格交渉により60元のタクシー代で大同での宿泊先である花園大飯店まで送ってもらうと早速ビュッフェ式豪華朝食に舌鼓を打たせていただいた。
およそ中国国内とは思えない待遇の良さが売りのフロントスタッフの計らいで朝食後すぐに部屋へ入ることが出来たのだが、一息つくまもなくすぐに観光地へと足を延ばすことにした。山西省の北部に位置する大同は地方都市だが、世界遺産のある都市として毎年多くの観光客をおびき寄せている。1,000m以上の高地で砂漠性の気候のため、夏はカラッと暑く、冬は異様に冷え込み、強風にさらされるのでこの時期が観光のベストシーズンとなっている。
城壁に囲まれた町の中心の鼓楼でタクシーを拾い、数キロ離れた大同バスターミナルに移動するとそこから埃っぽい山道を1時間半ほど中距離バスに揺られ、さらにタクシーを捕まえて到着した場所はマサに崖っぷちの様相を呈していたのだった。
北魏の末期(6世紀)に建立された仏教寺院である懸空寺は空に懸かっているというより切り立った岩山の岸壁の中腹にしがみついており、見るからに壮観で珍しい景観を提供している。
チケット売り場で観覧券(120元)を入手し、峡谷を切り裂くように流れているミルクコーヒー色の川沿いを歩き、参観を待つ長蛇の列の最後尾に並んだ。階段を上り、寺院の門をくぐるとそこには極楽浄土と滑落の危険が背中合わせになった今までに経験したこともないような空間が広がっていた。
崖沿いを這うように連なる細い桟道は、これまた心細い数本の丸太で支えられており、その上におびただしい数の観光客が背筋に冷たいものを走らせながら行き来している。欄干の位置は腰よりも低いので体勢を崩すと容赦なく崖下に向かってまっしぐらになってしまうのだ。
建物は10棟ほどあるのだが、その中には全部で80体もの仏像が祀られており、どれも柔和な顔つきで崖っぷちにいる恐怖を軽減させようと努めているかのようだった。
懸空寺から下山し、観光客待ちのタクシーを探していると首尾よく相乗りで安く大同まで帰れることとなった。大同市区の中心部を散策していると華厳寺という華厳宗の寺院の前の広場がやけに賑わっているのが気になった。
寺の門前に掲げられている看板をよく見るとそこには「紀年抗日戦争勝利70周年」の文字が踊っており、大音響での歌や踊りで大いに盛り上がっていたので、私も敗戦国を代表して袋叩きにでもされて人民の溜飲を下げさせてやろうかと一瞬思ったのだが、その役割は後日訪中する安倍首相にまかせるべきだと考え直し、控えておいたのだった。
敗戦の鬱憤を晴らすにはやけ食いが最適だと考えたので花園大飯店が198元で提供するビュッフェレストランに駆け込んだ。前菜として美味なオードブルや海老、蟹、アワビで体内のプリン体を増加させるとメインとなっているブラジルスタイルのシュラスコという多くの種類の串刺し肉が次から次に回ってきて私のお皿に薄切りにされて供され、思わぬコストパフォーマンスの高いディナーを楽しむことが出来たのだ。
8月14日(金)
マサよ、君は敗戦の鬱屈をぶつけるべくは巨大な石窟であることを実践したことがあるか!?
ということで、ホテルを出て市バスに乗り、大同駅で軽く用を足すと首尾よく雲崗(うんこう)行きのバスが運行されているのが確認出来たので、大腸の下流、肛門の手前で邪悪な物体が蠢いている感覚を引きずりながら世界遺産である雲崗石窟に向かった。
世界に名だたる芸術宝庫のひとつである雲崗石窟(125元)は大同観光のハイライトであり、私も学生時代に社会の教科書で雲崗石窟像の存在を知って以来、この地を訪れることが宿命づけられていたのであるがついに実現を見ることとなった。
チケット売り場から石窟に辿り着くまでには数多くの前座的な寺院の門や仏像、仏画の鑑賞を余儀なくされたのだが、それを慈悲の心で乗り切った者のみが待望の石窟像たちとの謁見を許される仕組みとなっている。
武周山断崖の砂岩を切り開いて築かれた石窟は、東西1kmにも渡っており、主な洞窟は53窟あり、彫像は高さ数cmのものから17mのものまで5万1000体にもおよんでいると言われている。
石窟は460年(北魏の和平元年)から開削され、494年(北魏の太和18年)の洛陽遷都の前には大部分が完成したそうだ。その後も造営が続けられ、遼金時代に最大規模になったという。
律儀に第1窟から順番に見ていたのだが、第5窟には、雲崗石窟最大の高さ17mを誇る仏像が穏やかに鎮座していた。第5窟内は非常にカラフルに装飾されており、石仏も豪華に色づけされているためか、名目上写真撮影禁止となっているのだが、観光客は管理人の目の届かないところで平気で写真を撮り、見つかったものだけが怒号を浴びせられていたのだった。
保護が重要と思われるいくつかの石窟の全面には立派な門が増築されているのだが、第7窟~第13窟は脱落、汚染等を修復するためのメンテが行われているため入場出来なかったので芸術的レベルの高いと言われている多くの仏像を見ることはかなわなかったのだ。
雲崗石窟の中でも最も早く彫り始められたのが、第16窟~第20窟で曇曜五窟と呼ばれ、世界的に有名であるのだが、特に第20窟の巨大な仏像は雲崗石窟のシンボルとなっており、多くの観光用パンフレットや教科書の写真のモデルとなっている代物である。
石窟を一通り見終わると、石窟通りの外れに雲崗石窟博物館なるものが開業していたので入って見ることにした。巨大な箱物は広々としたスペースを誇っており、出土した展示物は端っこにひっそりと展示されている一方で、中央部は吹き抜けとなっており、数多くの背もたれなしソファーの上では石窟に圧倒されて疲れたはずの観光客が寝転びくつろいでいたのだった。
出口から退出するとそこは観光地化されたエリアとなっており、多くの土産物屋や食堂で賑わっていた。中でも当地の名物である刀削麺はチープなロボットが削っており、花園大飯店の朝食で供された熟練シェフの削り方とは一線を画していたのである。
バスを乗り継いで大同新南公路バスターミナルに移動し、明日の北京行きのチケットを入手した後ホテルに帰ると夕飯時の頃合いになったので、今日はホテル内の中華レストランで本格中華を賞味させていただくことにした。青島ビールで喉を潤すと、ふわふわ魚団子のスープ、あっさり味のプリプリ海老炒め、白身魚1匹丸ごと蒸し、デザートの紅芋クリームふわふわ丸めものを低価格で楽しむことが出来たのだった。
8月15日(土)
北京行のバスの時間が13時発のため、午前中の時間を有効活用すべく、大同中心部の見所を軽く巡ってみることにした。中国三九龍壁というもののひとつが大同にあるのだが、そもそも九龍壁とは中国で吉祥の数とされる九にちなんで九匹の龍を配した目隠しのための障壁である。入口で10元支払うと児童の集団と一緒に長さ45.5m、高さ8m、厚さ2mの中国に現存する九龍壁の中では最も大きい明代に建立された巨大な遺物としばし向き合わさせていただいた。
華厳寺広場は一昨日の抗日戦争勝利70周年パーティの喧騒は跡形もなく消え去っており、日常の観光地の様相と青空市場の賑わいをたたえていたので安心して闊歩することが出来たのだが、何故か大通りに面したとある商店の前では商売繁盛を願ってか、多くの小太鼓が打ち鳴らされていた。
長距離バスに乗るために時間の余裕を見て大同新南公路バスターミナルに到着したのだが、とある中国人民が大声で周囲の人に難癖を付けていてセキュリティ係りの集団にマークされていた。その光景を横目に北京行の自称「豪華バス」に乗り込むと定刻通りに大同を後にすることとなった。
5時間以上かけて北京の六里橋長距離バスターミナルに到着すると皆身分証明書を提示していたので私もパスポートを見せてターミナルから脱出すると地下鉄に乗り換えて北京中心部へ向かった。道に少し迷ったもののHoliday Inn Express: Beijing Temple of Heavenにチェックインを果たすと、フロントの女性の紹介で近辺の中華料理屋で最後の晩餐を楽しむことにした。
北京くんだりまで来て北京ダックを食わなければ、拗ねたアヒル唇で帰国しなければならなくなることを恐れて168元もの大金を支払って注文することにした。薄いクレープ皮に甘ダレを擦り付けてパリパリの皮と野菜を包んで口に放り込むとやはり北京に来る最大の目的はこれに尽きると痛感させられたのだった。
8月16日(日)
セキュリティの厳しい中国では飛行機の搭乗のみならず、長距離バスや地下鉄に乗るときさえもX線による荷物検査が行わるのでコインロッカーなどもっての外らしく、荷物を預けるのはホテルのフロントか大きな駅の手荷物預かり所になってしまうので、ホテルをチェックアウトすると地下鉄で北京駅まで移動し、そのまま駅で荷物を預かってもらうことにした。
北京駅は御多分に漏れず、おびただしい数の人民による人間模様が繰り広げられており、特別な用がなければここに来たことを後悔させられる場所である。出口はさほどではなかったものの狭い地下鉄への入り口には長蛇の列が出来ていたため、乗車を断念して繁華街の方へと歩いて行った。
中国の物価としては非常に高い30元を支払ってアイスコーヒーで体を冷却すると、北京駅から離れた地下鉄乗り場で乗車して天安門で下車するとここも人民で溢れかえっていたのであった。午前中にさくっと世界遺産の故宮と天安門の見学を済ませて帰国するという目論見があっさりはずれてしまったため、工事中らしき天安門と故宮に入場しようと躍起になっている観光客をチラ見して退散を決め込むことにした。尚、FTBでは両観光地とも2003年の訪中時に制覇済みとなっている(http://www.geocities.jp/takeofukuda/beijin.html)。
天安門の近くに王府井という北京一の繁華街があり、中国人はそこでも爆買いしているのかと思っていたのだが、土産物屋がことのほかすいていたのでありきたりの中国菓子を買って北京を後にしたのだった。
午後5時10分発CA183便は定刻通り出発し、9時半頃羽田空港に到着した。中国人は日本では爆買いするが、本場中国では天津が爆発するという恐怖を引きずったまま流れ解散とさせていただいた。
FTBサマリー
総飛行機代 \109,230
総宿泊費 RMB1,202.52(朝食付き)
総タクシー代 RMB315
総バス代 RMB188
総地下鉄代 RMB16
協力 Air China、IHG