♪ア~ア~、ア ア ア ア ア~♪
じゅん、じゃなかったマサよ~ォ、君は白が溶けさった北の国が紫の芳香に包まれる季節にふらっと富良野にやってきたことがあるか!?
というわけで、富良野のラベンダー畑が紫色に染まるのはほんの7月の短い季節だけなので、この絶景を堪能するために日本だけでなく世界各国から観光客が押し寄せてくるわけで・・・
道央の気候は猛暑が続く本州とは違って過ごしやすく、さわやかな風が吹き抜けて、熱中症を患ってフラフラになることもないわけで・・・
2013年7月13日(土)
午前8時発ANA53便B747-400ポケモンジェットは少年少女の夢を乗せて大空へと翼を広げ、9時半過ぎには新千歳空港に到着した。早速トヨタレンタカーでパッソをレンタルすると2時間半もの時間をかけて道央の富良野にやってきた。マサに富良野地域に入ろうとするその直前にハイランドふらのというファシリティに遭遇し、ラベンダーのうみと名乗る花畑を垣間見たのだが、紫があざやかでなかったのでもしかしたらラベンダーの季節をはずしてしまったのではないかとの不安に苛まれてしまった。
旭川ラーメンをすすって気持ちを落ち着けると中富良野町にある町営ラベンダー園へと急いだ。冬はスキー場としてゲレンデが溶ける程の恋を集めるはずの斜面は色とりどりの花々で飾られており、¥300を支払ってリフトに乗ると眼下に紫色のラベンダー畑が広がったのだ。
色鮮やかなラベンダーは蝶やミツバチなどの格好の餌場となっており、快晴の空の青さや白い雲、十勝連峰のギザギザした稜線を背景にくっきりとその存在感を示していた。
熱き心を持つはずの小林旭が跨ると絵になるはずの♪燃えるおと~この赤いトラクタ~♪が待ち構えている「とみたメロンハウス」でメロンソフトを食った後、日本のラベンダーの歴史とともに歩んできた名門ファーム富田に足を踏み入れた。
ラベンダーの開花が最盛期を迎えたファーム富田にはラベンダー畑だけでなく紫式部のように艶やかに彩られた花畑もあり、観光客は思い思いの場所で記念写真を取りながらいい気になっていた。
一口でラベンダーと言っても様々な種類があり、富良野で見られるラベンダーはようてい、はなもいわ、濃紫、おかむらさきの4種類に渡っており、早咲きと遅咲きの品種があるので花見が出来る期間は数週間にもおよんでいるのである。
ファーム富田を語る上でその原点となった「トラディショナルラベンダー畑」の物語を欠かすことは出来ない。今でこそ紫の絨毯は多くの観光客で埋め尽くされているが、1975年には経営不振からラベンダー畑を潰す決心でトラクターを畑に乗り入れたのだが、小林旭のような熱き心の声が苦しみを乗り越えよと叫んだ時から躍進の芽が出始め、北の国からのブームの後押しもあり、今では紫皇帝のように道央の経済界を牛耳っているのである。
富良野はマサに北海道の中心に位置しているため、7月下旬に北海へそ祭りが開かれるのだが、そのポスターを見て「へ~そ~」と思いながら、富良野駅前の倉庫に押し込められている北の国から資料館(\500)に押し入ることにした。この資料館は日本を代表する農業俳優である田中邦衛の足跡を辿る貴重な資料で埋め尽くされているのだが、出演者一覧の写真集の中には黒い喪章で飾られた名優のかつての勇姿も見受けられたのだ。
田中邦衛の遺言を旨に富良野を後にすると美瑛町ののどかな丘の上に建つ白金温泉ホテルパークヒルズに駆け上がり、源泉かけ流しの温泉と地元産の食材を取り入れた和洋中バイキング料理で英気を養いながら涼をとった。
7月14日(日)
農業王国美瑛町の最大の見所として早朝から多くの観光バスを停泊させている四季彩の丘がこのベストシーズンにどのような彩られ方をしているのかが気になって仕方がなかったので立ち寄って見ることにした。
四季彩の丘のゆるキャラであるロール君とロールちゃんの周りは丁寧に植え付けられた花々で贅沢に彩られており、トラクター牽引トラムで花畑をめぐる老若観光客も満面の笑みをたたえながらトラクターが巻き上げるマイルドな砂埃を物ともせずに往年の熱き心を燃やしているようだった。
美瑛町から旭川を抜け、北見方面に車を走らせていると標高1050mの石北峠に差し掛かった。峠の土産物屋ではヒグマのファミリーが客引きをやっていたのでその熱意にほだされて思わず生乳製ではないソフトクリームを買ってしまった。
ほたるぅ、じゃなかったマサよ~ォ、君はヒグマには遭遇したくないがヒグマを見たい輩のために創作されたはずの海上アクティビティに参加してかろうじてその成果の報酬にありついたことがあるか!?
ということで、石北峠からさらに300km程度車を飛ばして知床半島の西岸のウトロに着いたころには目もウツロになってしまっていたわけで・・・
ウトロ名物ゴジラ岩の麓で店を開いているゴジラ岩観光は夏季限定で知床半島ウトロクルーズを催行している。トヨタレンタカーからるるぶの割引券をもらっていたのでマサであれば¥5,000かかるところを私¥4,600の支払いで15:30発のヒグマウォッチングクルーズに参加させていただくことにした。早速カムイワッカ88号と名乗る高級クルーザーに乗船すると世界自然遺産の知床半島の絶壁を右手に見ながら野生を求めての航海の幕が切って落とされた。
この時期の知床ではカラフトマスを漁獲するための定置網が至ることろに仕掛けられているので船が魚と一緒に網に掛かって釣り上げられるのを防ぐために要所要所で迂回をしなければならなかった。
絶壁には幾筋もの滝が流れており、クルーザーはその機動性を利用していくつかの滝に接近して観光客を喜ばせていた。厳冬期の流氷に削られた知床の壁は穴をこじ開けられたり、オーバーハングしたり、象の形に造形されたものまで鎮座していた。
クルーザーの名付け親である温泉滝、カムイワッカの滝を過ぎるとヒグマのメッカと言われるルシャ湾に差し掛かった。カラフトマスやサケが遡上する季節にはルシャ湾はヒグマ祭りの会場と化し、イクラがいくらでも食い放題の様相を呈するのだが、今日は気温が高くて暑いということでヒグマも散歩を控えているようだった。
例年ヒグマウォッチングツアーでは驚異の100%近いヒグマ目撃率を誇っているのだが、今年はすでに2回程外しているとのことで今回も空振りに終わるのかと思われた瞬間に船長の高性能双眼鏡がビーチを歩くヒグマのシルエットを捉えた!単身で歩いているヒグマは大型犬よりも多少大きいくらいのサイズであったが紛れもなく野生の猛獣でマサと相撲を取っても簡単に寄り切ってしまうほどの迫力をたたえていた。尚、ルシャ湾の先に14番番屋という漁師の小屋があり、ここにも容赦なくヒグマが姿を現すのだが、そこを取り仕切っているオヤジはヒグマを怒鳴りつけて退散させることで有名人となっているのだ。
約2時間のクルーズが終了し、辛くもヒグマに遭遇出来た実績によりゴジラ岩から「いいね!」をもらうと世界自然遺産の宿 しれとこ村つくだ荘の温泉で汗を流し、北海名物のご馳走に舌鼓を打ちながらサケが遡上する秋のリベンジツアーを見据えていた。
7月15日(月)
早朝つくだ荘を引き払うとほぼ満車状態の知床五湖駐車場に車を止め、ヒグマも恐れる高圧電流の流れる電線に守られた木道が整備されている一湖を見学させていただいた。尚、前回の知床ツアー(http://www.geocities.jp/takeofukuda/2006shiretoko.html)では自由に行き来することが出来た二湖から五湖は認定ガイドと歩くネイチャーツアーに参加することが一般的となっており、ヒグマの生態を熟知してない輩は木道に留まることを余儀なくされるのだ。
知床峠の駐車場では何故か巨大な望遠レンズを三脚にセットしたにわか写真屋が数多くたむろしていた。カメラの向かう方向は鈴木宗男も喉からでが出るほど返して欲しい北方領土が鎮座しており、北方領土の人気をあらためて思い知らされるに至ったのである。
峠を下ると知床半島東岸の羅臼に到着した。海沿いの道を半島の奥地に向かって車を走らせているとついに日本最北東突端地で行き詰まってしまった。そこのラーメン屋に掲げられた看板には「馬鹿ラーメン」の文字が踊っており、ヒグマに遭遇するリスクまで犯して僻地くんだりまで来る輩はマサにバカに違いないと思われたわけで・・・
北海道には熊だけでなく馬も鹿も多いと納得しながら根室中標津空港まで車を走らせると14:25発ANA840便に搭乗し、猛暑の東京に帰って行った。羽田空港の遥か先には東京スカイツリーが尖っており、ここで馬鹿ラーメンを販売すると「おととい来やがれ!」と罵声を浴びて電波状況の悪さの憂さ晴らしをされることは間違いないわけで・・・
FTBサマリー
総飛行機代 ただ
総宿泊費 ¥25,700
総レンタカー代 ¥28,770
総ガソリン代 ¥
4,961
協力 ANA、楽天トラベル、トヨタレンタカー、ゴジラ岩観光(http://kamuiwakka.jp/)