♪くちぶえはなっぜ~♪
中略
♪おしぃえて おじいさん♪
ということで、前回2002年の1月に敢行されたスイスアルプスツアーではおじいさんならぬ過去の歴史から多くのことを学んだが、いかんせん真冬のツアーということで行動範囲が大きく制限されてしまっていた。スイス人の誇りとするアルプの森の真髄を極めるためには盛夏に山中を行幸しなければならないため、航空運賃が最高騰するお盆の時期に待ったなしでマッターホルン地域に足を踏み入れるツアーが開催されたのだ。
2019年8月10日(土)
FTBにおきましては時間はかかるがハイシーズンにヨーロッパに安値で到達可能な方法を開発したので早速実践に移すことにした。日本からの直行便は回避し、キャセイパシフィック航空が運行する14:45成田発香港行きCX527便に搭乗すると3時間強のフライトで19:00前には世界のハブとして名高い香港国際空港に到着した。つつがなく入国手続きを終え、税関を通過し、香港への門戸が開かれると眼前には毒蛇に出会ったような衝撃的な光景が広がっていた。
黒装束を身にまとった多数のデモ集団がライブで香港への入境客を歓迎し、観光客のSNS映えに貢献するようなプラカードを掲げながら様々な種類、言語のビラを配り歩いていた。
デモの喧騒を横目に耐え切れぬ空腹につられて飲茶レストランに入り、かろうじてワンタンメンをすすり上げた後、香港から出境し、タイ国際航空のラウンジでトムヤムスープのマイルドな辛さとともにデモ集団の要求する香港の自由が守られるよう、陰ながら祈っていた。
ルフトハンザ航空が運航する23:15発LH797便は定刻どおりに出発したものの、たくさんの巨体ドイツ人が搭乗する割にはエコノミークラスの前後のピッチが異様に狭いシート配置のため膝がピチピチになるのをこらえながら意識を飛ばすことに集中していた。
8月11日(日)
約11時間のフライトでフランクフルト国際空港に到着したのは夜明け前の5:30くらいで約1時間の乗り継ぎ時間を経てLH1182便にてチューリッヒへと転送させられた。定刻7:35にスイスの空の玄関チューリッヒ空港に到着すると空港駅のスイス鉄道(SBB)のカウンターで有効期間1ヶ月のスイスハーフフェアカードを120スイスフラン(CHF)で購入し、同時にツェルマットまでのチケットも定価の半額で入手することに成功した。
スイスウォッチのような正確な時間管理で運行するSBBの進行方向2階席を確保すると約1時間後には首都ベルンを過ぎ、さらに1時間後にフィスプという駅に到着した。ここでMGB (Matterhorn Gotthard Bahn)という登山鉄道に乗り換えると広々とした窓越しにアルプスの絶景が広がった。
合計約3時間半をかけて念願のツェルマットに到着したのは正午過ぎであった。晴れ渡ったツェルマットに一歩足を踏み出すとさわやかな空気に包まれた感覚を覚えたのだが、ここでは厳格な排ガス規制が敷かれ、町行くタクシーや送迎車はすべて四角い電気自動車であった。
標高1605m、狭いマッター谷のどんづまりにあるツェルマットのメインストリートであるバーンホフ通りを颯爽と通り抜け、Hotels.comに予約させておいた当地での宿泊先である☆☆☆☆ホテルのモンテ・ローザにチェックインする運びとなった。由緒あるこのホテルの壁にはマッターホルン初登頂を果たしたウィンバーのレリーフがはめ込まれており、彼の定宿として長い歴史を歩んできた伝統と格式が刻まれている。一見様のFTBには最上階である6階の上部屋ではあるもののマッターホルンビューではない部屋があてがわれたのだが、木の息吹を感じさせる上質な作りと季節の花をあしらったベランダからの絶景はツェルマットでの滞在をワンランク上げてくれるものとなっている。
チェックインの際にコンシェルジュ・レディーから今日はFolklore Festivalというお祭りの日でホテルの前がパレードの通り道になっているということだったので時差ぼけの眠気を押さえ込んでパレードフロントの道端に陣取った。
Festivalを彩る各パレードチームの扮装はマサにスイスアルプスの文化、歴史、暮らしそのものであり、幼い子供たちから草刈正男の雰囲気を持つおしえておじいさんまで一様に笑顔で目抜き通りを練り歩いていた。
パレードの終焉を見届け、狭いツェルマットの町を一通り歩き回っている際に黄色い表紙のガイドブックを携えた多くのアジア人に遭遇したのだが、その多くは日本語をしゃべっていた。夕食には地元で醸造されているツェルマットビールとお約束のチーズフォンデュを発注した。チーズの臭いにつられて飛び回るハエを振り払いながら中鍋になみなみと溶かされたホットチーズに一口大のパンを絡めてひたすら口に運ぶ作業を繰り返したのだが、単調さに耐え切れず完食には至らなかった。どの観光客もおそらくスイス滞在時の最初で最後のチーズフォンデュになるはずであろうが、食べ残されたチーズの行く末を案じながらスイス初日の夜は更けていった。
8月12日(月)
マッターホルンに憧れてツェルマットにやってきた観光客の大敵は天候である。今日は早朝から雨と霧の洗礼を受け、マッターホルンロスの中での観光のモデルケースの確立を迫られたのだが、座して天候の回復を待つのが常套手段であろう。
当地に日本人が多い理由のひとつにツェルマットと京都、富士河口湖、妙高高原との姉妹都市の締結があげられよう。町中には友好を示すレリーフが飾られており、妙高という日本食屋が通りの一等地に巨大な店を構えていた。
教会で雨宿りをしながらマッターホルン博物館(CHF10)がオープンする午前11時を猫と一緒に待っていた。マッターホルンの形状をかたどった透明な入り口から館内に入ると地下の展示場に続く階段をこの地方独特の家屋の表情を見ながら下って行った。展示物はマッターホルンが初登頂された時代の苦難と栄光、暮らしぶりを如実にあらわしており、ここに鎮座する人物が生き生きと当時の模様を物語ってくれた。
古き良きツェルマットの特徴がよく残っている路地にネズミ返しのある古い穀倉倉庫が並んでいる。いくつかの倉庫はいまだ現役らしく入り口は季節の花で彩られている。
行動が制限される雨の日は食事で気を紛らわすしかないのだが、昼食にはスイスのソウルフードであるはずのとろける熱々チーズのラクレット、夕食時には肉食獣に成り代わり、ソーセージと噛みごたえのある牛肉で来たるべくハイキングに備えて歯を食いしばっていた。
8月13日(火)
起き抜けにテラスに出て天候を確認すると雨は上がっているものの上空は微妙な曇り空であった。ツェルマットでは余裕のある滞在期間を取っていたのだが、これ以上足止めを食うわけにはいかないので天空の視界がどうなっていようと登山鉄道でスイス随一の展望台を目指すことにした。
ツェルマット駅の斜め前に位置するゴルナーグラート鉄道はアルプス登山ブーム全盛時の1898年に開通したアプト式登山鉄道である。トップシーズンのこの時期は約24分おきの運行となっているのだが、始発の7:00からほぼ満席状態で観光客を空気の薄い世界へと運んでいる。
いくつかの駅で停車しながら、約33分で標高3090mの終点ゴルナーグラートに到着した。雲の流れにさえぎられマッターホルンへの謁見は許されなかったが、展望台からはアルプス山脈第2の高峰モンテ・ローザ(4634m)や山脈を長い時間かけて切り裂いている氷河の迫力を存分に味わうことが出来た。
ゴルナーグラートには高級山岳ホテルであるクルムホテルが君臨し、展望台で冷え切った観光客は大挙してレストランに乱入し、ホットドリンクを口にして一様にほっとした表情を浮かべていた。
モンテ・ローザを源とするゴルナー氷河に別れを告げるとその足でスイスを代表するハイキングコースへ踏み出すこととなった。行程は当然のことながら全コース下りで雲に邪魔されているとはいえ、絶景を見ながらの進行となる。
逆さマッターホルンで有名なリッフェルゼーで足を止めたのだが、鏡の役割を果たす泉は無地のキャンバスに成り下がっていた。しばらく近辺に佇み、祈るように雲の流れを見つめていたのだが、マッターホルンはかろうじてその先端のマウスピース相当部を公開してくれたに過ぎなかったのだ。
標高が下がってくると大地はガレ場からアルプに変貌し、ウールで着膨れした羊が整然と草を食んでいる様子も風景の一部となった。リッフェルベルク駅(2583m)の隣のホテル・リッフェルベルクでビュッフェ形式の昼食を取ってパワーアップすると頻繁に行き来するゴンドラを横目に片側が崖になっている急な下り斜面を慎重に下って行った。
短角牛が草を食む牧場を過ぎると森林地帯に突入し、いくつかの山小屋食堂の奇抜な装飾に恐れおののきながらも長い道のりを淡々と下って行った。
さらに郷ひろみのデビュー曲の合いの手のように♪ゴーゴー♪とアルプスの雪解け水が流れる峡谷でマイナスイオンをチャージし、ひざがガクガクになりながらも何とか総延長約11kmのコースを完走した。
ツェルマットの町中に戻ってくるとアルプスの少年が先導するヤギの集団に遭遇したのだが、カランコロン系の鈴と一緒に首輪に管理用のシリアルナンバーが記されたタグが取り付けられていた。
ホテルに戻って一息ついた後、教会近くのベンチに佇み、緞帳のようにマッターホルンを覆い隠す雲の流れを見つめていた。日没も迫ってきたので一緒に空を見上げていたアジア人観光客は私に「Good luck」と言い残して撤収していったのだが、マッターホルン博物館前でアルプホルンの演奏が始まるとその音色に乗って雲の流れが速くなり、ついにこの地で見るべき景色とのご対面となったのだった。
8月14日(水)
ツェルマット滞在最終日の朝をむかえ、夜明けとともに目を覚ますとテラス越しに見上げた空が西条秀樹をほうふつとさせる最上のブルースカイブルーだったので取るものもとりあえず教会前のマッターホルンビューポイントへ走っていった。まぶしすぎた空を背景に朝日を浴びたマッターホルンは薄化粧の雪と岩肌の筋をあらわにして黄金色に輝いていたのだった。
散々じらされた挙句の真打登場により、感動もひとしおとなったのだが、4478mの巨体で村に覆いかぶさるその勇姿はマサにスイスの巨人そのものであった。
貴重な好天が約束された本日のアクティビティは非常に忙しく、午前中はロープウエイを乗り継いでヨーロッパ最高地点の展望台を目指すことにした。
アルプスの王者スイス、世界でトップクラスの山岳観光の醍醐味を提供するために最新の技術を駆使して至る所にロープウエイを張り巡らせている。ツェルマットの村の南端の乗り場に到着すると次から次にやってくるゴンドラはグループ毎の貸切状態での運行となり、他の観光客に気兼ねすることなく空中遊泳を楽しむことが出来るのだ。
マッターホルンは常に視界にあるのだが、見る角度によって異なった趣を示し、♪さわるものみな傷つけた♪ギザギザハートのとがった少年やうつむきがちの考える人、そのまんまピラミッド等、見るものを決して飽きさせず、常に観光客の視線をひとりじめしているようである。
いくつかの駅でロープウエイを乗り継いだもののわずか40分程度で標高3817mのマッターホルン・グレイシャー・パラダイスに到着した。ちょっと長めのトンネルを歩くと視界が開け、そこは夏なのにスキーに興じるウィンタースポーツフリークで賑わっていた。低酸素と低体温状態になる準備をするためにショップ兼レストランの建物でカフェインを吸収すると満を持してヨーロッパ最高地点の展望台を目指すことにした。
トンネル道を戻り、エレベーターに乗り、最後の力を振り絞って階段を上って到達した展望台で見た絵のような天空世界の光景は凍りつくようにクールであった。展望台の標高は3883mでシャモニ・モンブランのエギーユ・ミディより41m、ユングフラウヨッホのスフィンクス・テラスより311m高くなっている。
キリスト十字架の向こうにあぐらをかいているよう鎮座しているマッターホルンの姿は崩れ正三角形のピラミッドでツェルマット村から見上げたものとは似ても似つかない形状である。高い運賃を支払い、寒さに震えながらでも見に来る価値は十分あり、晴れていればおつりがくるほどの迫力で迫ってくるのだ。
次から次に上ってくる観光客の数と展望台およびその他施設の収容能力のバランスを考慮してマッターホルン・グレイシャー・パラダイスを後にすることにした。帰りは乗り継ぎ駅のトロッケナー・シュテーク駅の展望台での景色を楽しんだが、その後は素直にロープウエイに戻り、ツェルマットへと帰還した。
昨日のハイキングで多少すねが痛んでいたのだが、さらなるハイキングコースを求めて村から3分で到着出来る展望台であるスネガに行くことにした。2013年にリニューアルされたばかりの地下ケーブルカーに乗り込み、標高差683mという急勾配のトンネルで一気に標高2288mに到達すると稜線までくっきり見える貴婦人のようなマッターホルンに出迎えられた。
丁度昼食時でもあり、ビュッフェレストランで軽食とビールを調達し、マッターホルンに向かって杯を上げた。食べ物のクオリティはさておき、マッターホルンに見守られた青空ビアガーデンでのひと時は至福以外の何ものでもないのである。
スネガ→ツェルマットのハイキングコースは初級コースで常にマッターホルンを正面にしてゆるやかな坂を下って行った。途中トイレ休憩で立ち寄った山小屋ホテルからの景色と雰囲気も非常によく、次回この地に戻ってくる機会があれば是非このスタイルのホテルで静かに過ごしてみたいと思いながらツェルマットへ帰っていった。
終日マッターホルン三昧のアクティビティを満喫し、疲れた足を引きずって列車に乗り込み鉄路をベルンへと引き返して行った。ベルン駅でタクシーを捕まえ、ポイントを使ってただで泊ることが出来るHoliday Inn Bern Westsideにチェックインするとひたすら体を休めることに専念した。
8月15日(木)
スイス連邦の首府ベルンは世界遺産に登録されている「中世の町並み」で有名である。アルプスから離れ、今日は旧市街を存分に散策する予定であったが、疲労の抜けが悪かったため、観光は断念し、駅地下で存在感を出している当地にゆかりのある偉人アインシュタインの二頭身像に「アイ~~ン」を決めてベルンから撤収となった。
ベルンから列車に乗り、約1時間でチューリッヒ中央駅に到着後タクシーでポイントを使ってただで泊ることが出来るCrowne Plaza Zurichに移動した。今夜はホテルに新設されたイタリアンレストランでビフテキを貪り食って体調の維持回復に努めることにした。
8月16日(金)
ホテル近くの市電の停留所で24時間有効のチケット(CHF8.8)を購入し、チューリッヒ中央駅へ移動した。駅の切符売り場の自動販売機で係りの女性の援助でサルガンス行きのチケットを入手すると列車に乗り込み車窓を流れる牧歌的な景色を眺めながら1時間程の鉄道の旅を楽しんだ。
思えば失業手当で生計を立てていた8年前にHILTIというリヒテンシュタインの会社の面接を受け、見事不採用となった苦い経験からいつかはリヒテンシュタインに行かなければならないとの思いを胸にいだき続けていたのだが、今日ついにその日が訪れることとなった。
サルガンス駅を出て隣接するバス乗り場に向かい、リヒテンシュタインバス11番の2階席に乗り込むといつのまにか国境を越え、約30分でリヒテンシュタインの首都ファドゥーツの郵便局前に到着した。スイスとオーストリアに挟まれたヨーロッパ第4の小国であるリヒテンシュタイン入国の証を立てるためにまずは観光案内所に立ち寄ることにした。普通の国に入国する場合にはパスポートにただでスタンプを押していただけるのだが、リヒテンシュタインでは記念スタンプというプレミアム感をだしにして観光客からCHF3を巻き上げて希望者のパスポートに押印するシステムになっているのでこの機をとらえてパスポートの差し支えのないページに何の変哲もないスタンプを押していただいた。
リヒテンシュタインは切手とは切っても切れない関係にあるようで切手製作の長い歴史とかつての栄光の時代を今に伝える入場料無料の切手博物館に入場することにした。館内に展示されている切手は普通の郵便切手とは一線を画し、どれも芸術性の高いデザインを誇っている。数ある記念切手の中でも♪カ~モン ベーベー♪アメリカのアポロ計画との関連性は深いようで展示スペースーの主要な一角はアポロ一色となっていた。また館内で記念切手の販売も行っており、多くの中国語スピーカーが爆買体制に入っていた。
ファドゥーツの中心地はいくつかの博物館とたくさんのオブジェで彩られているのだが、先述のHILTIも美術に対する造詣も深く、Art Foundationで会社の利益を還元しているようだったので8年前の不採用の一件は水に流すのが筋だろうと考えることにした。
ファドゥーツ市街地を見下ろす高台にファドゥーツ城がそびえているので上ってみることにした。城のデザイン性には特に印象的なものはなく、入場も出来ないので高台からの景色を軽く眺めてリヒテンシュタインから出国した。
チューリッヒに戻り、フライトまでしばらく時間があったので軽く町歩きと洒落込んだ。中央駅の南側チューリッヒ湖に続くリマト川の川岸には鋭く尖った教会が立ち並んでおり、また旧市街はチューリッヒの歴史が凝縮されたスポットになっているのだが、金融センターはマネーロンダリングの温床になっているのではないかという疑問を拭うことは出来なかった。
散歩の途中で公園の便所を使用させていただいたのだが、個室には使用済み注射器を破棄するための穴があり、薬物問題は犯罪行為ではなく、健康や公衆衛生の問題と捉えているスイス独自の考え方の一旦を垣間見ることが出来た。
帰りのフライトはチューリッヒからスイス航空が運航する22:40発LX138便に乗り、香港への帰路に着いた。
8月17日(土)
午後4時過ぎに香港国際空港に到着。スイス滞在中に見たニュースで香港空港でのデモが原因で多数の便が欠航になったことを知らされていたが、香港に入境するとすでにデモ隊は解散させられている様子で逆にいつもより静かな空港模様となっていた。
8月18日(日)
0:55発CX524便成田行きは乗り継ぎ便の乗客待ちで1時間程度の遅れを出したものの、香港国際空港のハブ機能が正常に回り始めた結果であると捉え、心のバランスを取っていた。成田空港には早朝7時くらいに到着したのだが、その時間はスカイライナーの運行もなく、モーニングライナーも丁度良い時間帯のものがなかったので接続の悪い特急でのんびりと東京の西のはずれに帰っていった。
FTBサマリー
総飛行機代 キャセイパシフィック= ¥62,230, ルフトハンザ = HKD9,277
総宿泊費 CHF903
総スイスハーフフェアカード代 CHF120
総鉄道代 CHF315.5
総バス代 CHF16
総タクシー代 CHF77.8
協力 キャセイパシフィック航空、ルフトハンザドイツ航空、スイス航空、Hotels.com、IHG、SBB