1い1い9く2につくろう鎌倉幕府
ということで、日本史の年号暗記の紀元とも言える鎌倉幕府の成立は1192年のことであった。2022年の現在における自身を顧みると、受診料の売り上げに貢献しているだけならまだしも、ざわつく金曜日以外はおはようからおやすみまでNHKが提供するコンテンツであるニュース、ドラマ、紅白歌合戦、大谷MLB中継の中毒となっており、マサにちむどんどんする公共放送の犬と化してしまっている。
NHKとの間に結ばれてしまった主従関係はいみじくも鎌倉殿と御家人のようで、なぜそのような関係性になってしまったのかを解明するためにいざ鎌倉まで馬の代わりに車を飛ばすツアーが開催されることとなった。
2022年6月19日(土)
正午過ぎに正直不動産の心根を持つはずの住宅メーカーに建築を依頼した住居を後にすると、大泉頼朝に仁義を切るためにいざ鎌倉に直行すべきところを何故か伊豆方面に車を走らせていた。西湘バイパスリニューアル工事の影響で小田原ICで高速を下りると地獄渋滞に巻き込まれてしまったものの、午後2時過ぎにはイタリアのアマルフィ海岸を彷彿とさせる熱海市の中心部に差し掛かった。
熱海市街から少し離れた山の中腹部に位置する熱海駅からほど近い場所に伊豆山が鎮座している。伊豆山は、走るが如き温泉が湧き出し海に注いでいたので走湯山とも呼ばれていた。伊豆山神社は、古来、伊豆大権現、走湯大権現として歴代鎌倉将軍の庇護により隆盛を極め、関八州総鎮護として崇められてきたという。
熱海湾を見下ろし、境内に入る前に手指を消毒するために手水舎に立ち寄るといきなり大晦日のNHKの使者ではないかと見まがうほどの紅白の龍に出迎えられた。紅白ではなく、赤白二龍は御祭神 天忍穂耳尊の随神であり、赤は火を表し、白は水を表す、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す温泉の守護神としてこの地を取り仕切っている。
今回いざ鎌倉詣でに先立ち、伊豆山神社に参拝した理由はここがいいくに鎌倉の紀元であるからに他ならない。この地はマサに今から845年前に源頼朝と北条政子が結ばれた聖地であり、彼らの♪秘密にならない二人の秘め事♪の名残が随所に残されている。
頼朝・政子腰掛石という一見すると何の変哲もない背もたれ付きの石が鎮座している。その説明によると、伊豆の蛭ヶ小島に配流されていた頼朝は伊豆山神社を崇敬していた。当時頼朝と政子が恋のから騒ぎをしていたのがこの境内であり、当社で二人は結ばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せたとのことであった。
今や恋愛のパワースポットと言っても過言ではない伊豆山であるが、そのパワーは走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山より道祖神とともに来た神様の降り立つ光り石にも授けられており、肛門から十分におすそ分けいただくことが出来た。
熱海市立伊豆山郷土資料館(¥180)がこじんまりながらも大河ドラマの威を借りて開業していたので入ってみることにした。写真撮影禁止の館内には鎌倉時代から伝わる貴重な品々が展示されていたのだが、中でも頭髪梵字曼荼羅という北条政子が頼朝の1周忌に自らの髪の毛を除髪してこれを刺繍し、伊豆山権現の法華堂の本尊として阿字一幅を奉納したと言われている曼荼羅のレプリカに♪純情・愛情・過剰に異常♪であったはずの尼将軍の情念を感じるとともに自身のあまちゃんぶりを思い知らされた。
ヤマトナデシコが七変化する様は大河のお決まりのストーリーであるとの認識を新たに帰路に立つ朱色の鳥居をくぐろうとした瞬間に燃えるようなバーニングプロの圧力を感じた。なんとその鳥居の奉納者としてNHKの40周年特番が大反響を呼んだ小泉今日子の名が刻まれていたのだった。
♪あなたに会えてよかった♪という感覚を引きずりながら熱海を後にし、一路本日の宿泊先である「海のある伊豆高原 オーベルジュ ピーコック ヒル」へと急いだ。チェックイン後、早速貸し切り露天風呂(天然温泉)で情念を洗い流すと待望の夕食時間となった。
こだわり素材のフルコースはオマール海老、あわび、渡り蟹、金目鯛等の高級食材を駆使した料理がデーブルを彩り、純情と愛情で煮込まれたはずのビーフシチューがメインを飾っていたのであった。
6月20日(日)
昨夕は雨が降っていたので高原から海を見下ろすことは出来なかったのが、今朝は朝風呂から初島が見渡せるほど晴れ上がっていた。
オーベルジュ ピーコック ヒルを出立する際に玄関脇にある天使の鐘を鳴らしてみた。3回鳴らすと天使が舞い降りるとの説明があるのだが、2回目の打撃が芯に当たらなかったのでエンゼルスの大谷には是非その無念を晴らしてほしいと祈りながら伊豆高原を後にした。
今日も西湘バイパスリニューアル工事の影響でシーサイドの道が大渋滞を起こすことを読み取ったカーナビは鎌倉までの道のりに箱根越えを選択した。その影響で伊豆高原から鎌倉市内までは2時間半もの時間を要したが、正午過ぎに江ノ島電鉄鎌倉高校前駅にほど近い聖テレジア病院のタイムズ駐車場に車を滑り込ませた。
偏差値66を誇る名門「鎌倉高校前」駅の踏切はSLAM DUNK等数々の作品の聖地巡礼スポットとなっており、予習復習をきっちりこなすはずの多くのインスタ映えハンターで賑わっていた。
鎌倉高校前駅のプラットフォームに立つと目の前には江の島が迫っており、波打ち際では稲村ジェーンは期待出来ないとわかっているはずのサーファーたちが波と戯れていた。サーフボードを小脇に抱えた多くのサーファーとすれ違うのだが、1985年9月にリリースされたKAMAKURAの1曲目に収録されている外で遊べないと言われた♪Computer Chridren♪の年代ではないかと思われた。
休日の江ノ島電鉄は都内のラッシュアワーの様相を呈していたのだが、乗車した鎌倉高校前から4駅先までつつがなく移動することが出来た。数多くの乗客が下車した長谷駅は鎌倉大仏と長谷寺の最寄り駅となっており、紫陽花が見ごろを迎えていることもあってか、多くの人の足は長谷寺に向かっていた。
鎌倉長谷寺は正式には海光山慈照院長谷寺と号します。往古より「長谷観音」の名で親しまれる当山は、奈良時代の天平7年(736年)開創を伝え、寺伝に曰く、聖武天皇の御代より勅願所と定められた、鎌倉有数の古刹であります。
なお、観音山のすそのから中腹にかけて広がる境内は、四季を通じて花木が鮮やかな彩りを添え、また、遠く相模湾を見渡すことのできる眺望は、鎌倉随一とも賞されるとのことであり、特に紫陽花の時季には多くの参拝客を集め、コロナの余波を引きずっている今年は有料の鑑賞券の配布で入場制限をかけているため、カムカムエヴリバディとはいかず、昼過ぎにのこのこやってきた輩が目にするものはむなしい当日券受付終了の手慣れた立て看板であったのだが、それにもめげず長谷寺の実態を解明すべく、入山させていただく事にした。
多くのキャッシュレスによる支払いに対応した受付で¥400の拝観料を支払うと、金魚の糞のごとく入場者の背中を追って階段を昇って行った。
階段を昇り切るといきなりアントニオ猪木の必殺技で卍に固められたような戦慄を覚えた。その正体は卍を模った卍池に浮かべられた紫陽花ブルーにより、酷暑の中で体感温度が急激に下がった感覚であったろう。
卍池の紫陽花で背筋をしゃんと伸ばした後、千体地蔵に向き合った。千体地蔵とは、各家の先祖供養や水子の供養のために奉納されるお地蔵さまで、数年おまつりしたお地蔵さまは、浄化供養のお焚き上げをすることにより人数調整が出来るシステムになっている。
観音堂との異名を持つ本堂に祀られているご本尊の十一面観音菩薩像は像高9.18mにも及ぶ本邦最大級の木彫仏である。当山の伝えによれば、721年に大和(奈良県)長谷寺の開山である徳道上人の本願に基づき、2人の仏師により楠の巨大な霊木から二体の観音像が三日三晩にして造顕されたという。そのうちの一体は大和長谷寺の本尊となり、残る一体は海中へ奉じられ、736年に相模国に忽然と姿を顕し、その後鎌倉へ遷座され、当山開創の礎となったという。
ご本尊に対する写真撮影は控えなければならなかったのだが、観音堂に隣接する観音ミュージアム(¥300)は観音菩薩の御心に触れ、そのご利益を体感出来る場所とのことだったので入場してみることにした。
ここでの最大の見どころは観音三十三応現身像であり、様々なポーズや表情をした多くの仏像と面談出来るのであるが、最も私の心を揺さぶったのはあたかも手もみをしているかのようなポーズで赤ら笑顔を浮かべているカーネーション好きのほっしゃん像であった。
思わず「まさかや!」と叫んでしまいそうなほっしゃんのすべらない話に背中を押されてミュージアムを後にすると入場出来ないとわかっていながら「あじさい路」の看板に引き寄せられるように観音山方面に足が進んで行った。
散策路に足を踏み入れることはかなわなかったので「あじさい路」の景色がどれほどすばらしいかは御仏の眼力に委ねるしかなかったのだが、少なくとも日本有数の観光地の旬な時季の一旦は垣間見ることが出来たのであった。
帰りの江ノ島電鉄の吊り広告で藤岡弘から後ろ指をさされてはっと気づいたのだが、NHKに対する依存度の増加はマサに自身が保守的になっている証であり、まだまだ「グレートトラバース」のような冒険を続けていかないと衰退してしまうと胆に銘じながら流れ解散となった。
FTBサマリー
総高速代 ¥3,210
総宿泊費 ¥22,620(2人分、2食付)
総ガソリン代 ¥3,376
総駐車場代 ¥1,980
協力 楽天トラベル、NHK