振り返ると私の人生前半は西日本の大都市である門司と下関を急流で隔てる関門海峡で流されないように突っ張って生きてきた。古くは源平合戦、大谷翔平よりはるか以前に二刀流で実績を残した宮本武蔵が佐々木小次郎にサヨナラ勝ちをおさめた巌流島の戦い、さらには1987年10月には故アントニオ猪木がマサ!斎藤との死闘で新日本プロレスを人気凋落の危機から救った近代巌流島の戦い、1995年の門司港レトロのグランドオープン等、海峡は様々な戦いの舞台となってきた。
2020年初頭より猛威を振るい、人類の活動を停滞させた新型コロナウイルスもアップデートを繰り返しながら今日まで生き延びてきたが、アントニオ猪木亡き後のアントキの猪木、アントニオ小猪木のように徐々にその存在感も薄くなってきた。
今回裏の仕事の会社が解禁したカンファレンスを有効活用させていただく形となったものの、世界有数の海峡に参上し、「元気があれば何でも出来る!」ことを今一度思い起こさせるツアーが開催されることとなったのだ。
2022年11月5日(土)
午後3時過ぎに成田空港に到着し、つつがなくチェックイン、出国の手続きを済ませ、ANA SUITE LOUNGEに向かう道すがらですれ違った人々の多くは外国人で思わずここは欧米か!?と思った次第であった。
17:25発NH815便は定刻通りに出発し、約7時間のフライト時間をコロナの犠牲になった志村けんに代わって主役を務めた沢田研二の名演技が光る「キネマの神様」を見ながらやり過ごしていた。
11月6日(日)
日付の変わった午前零時過ぎにクアラルンプール国際空港に到着すると、ここでもつつがなく入国、税関を通過するとHotels.comでたまたま見つけた空港に内蔵されているサマサマ ホテル KL インターナショナル エアポートにしけこむことに成功した。
6時間程度惰眠を貪り、午前8時半頃に起床し、朝食会場で腹ごしらえをする際にマレーシアのコロナ対策をつぶさに観察したのだが、マスク着用ルールも含めてほぼ日本並みの対策が施されていることが確認出来たので今から始まるマレーシア生活への大きな自信となった。
11時過ぎに様々な不安を打ち消してくれたサマサマホテルをチェックアウトすると空港の到着ロビーに戻り、マラッカへの交通手段となるタクシーを物色した。とあるタクシーカウンターでRM 180でのディールが成立したのでマレーシアの国産車タクシーに乗り込むと2時間弱でHoliday Inn Melakaに到着した。
IHGのDiamond会員である私に用意された部屋は19階という上階のスイートルームで広めの窓からは関門海峡とは比べ物にならないほど広いマラッカ海峡とそれに続く湿地帯の絶景を見下ろすことが出来た。
部屋を出てエレベーターホールに向かうと海峡とは反対の窓の向こうに整然としたマラッカの街並みが広がっていた。マラッカは2008年に「マラッカ海峡の歴史都市群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されているのだが、その東アジア、東南アジアにおいて類をみないユニークな建築様式、文化的な街並みに浸るために下界に下りることにした。
ビルの隙間からマラッカタワーが手招きをしているように見えたのでその方向に向かって歩を進めていると土産物店が並ぶ広場やのどかな公園の先には鮮やかな赤色の歴史的建造物群が姿を現した。
高台へと続く階段を上がっていくと日本人にもなじみのある宣教師のシルエットが近づいてきた。マラッカがポルトガルに支配されていた頃、この地は西洋の宣教師達の活動拠点であり、その威光の名残としてフランシスコ・ザビエル像が「チョッ~ト イイデスカ!」という布教のポーズで観光客を勧誘しているのだ。
ザビエルが案内するセントポールの丘はマラッカの街を見渡せるベストビューポイントとなっており、海峡を行き来する巨大な船舶による刻一刻と移り変わる風景で観光客の旅情を揺さぶっている。
ポルトガル支配の頃、キリスト教布教の拠点として建てられたセントポール教会は今や廃墟と化しているのだが、1552年12月に中国にて46歳でこの世を去ったザビエルの遺骨が1553年2月にマラッカに移送され、約9ヶ月間この場所に安置されていたという由緒正しい聖地である故、多くの観光客が巡礼に訪れているのだ。
1650年に当時マラッカを支配していたオランダの総督府として建てられ、現在は歴史博物館(RM 20)となっているスタダイス(The Stadthuys)にて歴史の勉強をさせていただくことにした。
当博物館はマラッカ王国誕生からオランダ、ポルトガル、イギリスといった欧州列強および第二次大戦中の日本軍の占領時代を経て、マレー連邦として独立するまでのマラッカの歴史が包み隠さず展示されている正直なファシリティで、マラッカのシンボル的存在として君臨している。
また、歴史のみならず近代マラッカの風俗や暮らしの展示物も豊富で、ここを見学させていただくと即座にマレーシアに溶け込めるような構成となっている。
スタダイスでの歴史探訪終了後、けたたましい音響付きで観光案内するトライシクル(サイドカー付きオートバイのオートバイを自転車にすり替えた代物)の駐車場をスルーしてオランダ広場に向かった。
ここはマラッカ観光の中心地とも言える場所で赤を基調とした建物や噴水等オランダ統治時代の箱物が並んでおり、オランダとは交易を持っても統治された実績のない日本のハウステンボスとは一線を画す景観となっている。
土産物屋通りを抜け、オランダ広場の裏手に回ると「つまらない住宅地」の様相を呈する古い団地が立ち並んでおり、観光地と庶民の暮らしの密着度も垣間見えていた。
裏手の方から再び観光地に戻るとマラッカ川沿いの遊歩道を歩いてみた。風光明媚な川沿いに立ち並ぶ飲食店には閑古鳥が鳴いており、アフターコロナと言えども全盛期には年間400万人もの観光客を集めていた賑わいとは程遠く、東京海上もどう保証してあげればよいのか判断出来ないほどさびれているようだった。
どこからともなく「虎だ虎だお前は虎になるんだ」という心の声に促され、伊達直人がタァ~と飛び降りるタイガーマスクのオープニングのような感覚を覚え、ふと上方に目をやるとチャイナタウンはマサに虎の穴と化しているようだった。
今日は長旅の疲れもあり、虎の穴に入ることは遠慮して、マラッカ川のクルーズ船や海洋博物館のオブジェ等を横目にホテルに引き上げることにした。
Holiday InnではExecutive Loungeに招待されていたので、そこでそそくさと夕食を済ませマラッカ海峡を見渡せるプールを横目に部屋に戻った。このホテルではNHKの主要番組がリアルタイムで視聴出来るように取り図られているので、「鎌倉殿の13人」を見て御家人の勢力争いでの勝ち上がり方を学習し、海峡を行きかう船を数えながら就寝させていただいた。
11月7日(月)
朝ドラを見て舞い上がった後、さくっと朝食をすませると再びマラッカの歴史都市群を見て回ることにした。
ビルに描かれた壁画を一瞥し、マラッカ川沿いの海の博物館前を素通りして昨日はあえて侵入せずにとっておいた虎の穴に入場させていただくことにした。
チャイナタウンの正門から裏門迄の距離は大したことはないもののエキゾチックな商店や土産物屋が軒を連ねており、少ないながらも観光客の行き来する様子が見受けられた。虎の穴の入門手続きはどうすればよいのか模索していたのだが、悪役レスラーに対抗するためのボディビルのジムが金ぴかに輝いていたので恐らくここであろうと自分を納得させて引き下がった。ちなみに虎の穴のマネージャーはミスターXであったが、日本ではドクターXの方が認知度が高くなっている今日この頃である。
チャイナタウンに軒を連ねる独特の家並みはマラッカの象徴的風景と言われているのだが、観光客はむしろ白亜の豪邸の方に気を取られているようであった。
1646年に中国から運んできた資材で建てられたマレーシア最古の中国寺院である青雲亭寺院に充満する線香の香りで心を落ち着かせようとしていたところ、「虎鉄聖徳自白反依」の文字で説明されているはずの親子虎の姿が目に飛び込んできたのでここが本当の虎の穴であることを確信した。
チャイナタウンを後にして昨日歩いたマラッカ川の遊歩道の対岸を歩いて気が付いたのだが、マラッカの建物に描かれている壁画は見事であり、歴史都市群の光景に違和感なくなじんでいるのであった。
赤いオランダ教会と横付けされている青いポルシェのコントラストは♪緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ♪に匹敵する光景だと感心しながら、昨日見たセントポール教会方面にプレイバックしてみることにした。
ザビエルから♪いったい何を教わってきたの♪と思いながら廃墟となった教会を通り抜け、丘の麓に君臨する強固な砦跡であるサンチャゴ砦を見に行った。
ここは1511年にオランダとの戦いに備えるため、ポルトガル軍によって造られた大砲を備えた砦なのだが、私的にはジュリアナ扇子をほうふつとさせる南国の木の方が気になってしょうがなかったのである。
1912年創建の洋風建築である独立宣言記念館を見て「独立自尊」の重要さを再認識し、ドン・キホーテを思い起こさせる探検型のショッピングセンターを抜けて正午前にはHoliday Innに帰還した。
ホテルでタクシーを手配してもらい数キロ離れたセントラルバスターミナルまでRM 30の明朗会計で送ってもらい、13:30発のデラックスバスでクアラルンプールへの車中の人となった。2時間後にTBSという日本のテレビ局ではない巨大なバスターミナルで下車してBandar Taslk Selatanという駅に向かった。駅の改札前では猫が我が物顔で闊歩しており、ふとKIOSKに目をやるともう一匹の猫が店でくつろいでいる様子だったので売店のおばちゃんと目を合わせるとみなしごの猫を世話してあげなければならないとのことで、ここはさながらタイガーマスクに登場するみなしご施設の「ちびっこハウス」ではないかと思われ、将来この猫たちも伊達直人扮するタイガーマスクのように強くなることが保証されているはずであろう。
KLセントラルという中心駅に向かうためにKLIAトランジットという高速列車の切符を求めて歩いていると巨大な爬虫類がガニ股で歩いているのを発見した。その傍らでは大柄の猫が成仏されているようで、もしかすると戦った後ではないのかとも訝られ、この体長1mにも達する肉食のミズオオトカゲ(マレーシアオオトカゲ)も裏切者のタイガーを追う虎の穴の刺客に見えてしまうのであった。
その後KLセントラルから近郊線でBukit Nanasという駅で下車し、高層ビル群が立ちはだかるクアラルンプールの中心街を1時間以上さまよった末に何とかThe Ritz Carlton Kuala Lumpurに辿り着き、沢口靖子とリッツパーティを楽しむこともなく、一気に裏の仕事モードに突入したのであった。
11月8日(火)
裏の仕事のWork ShopでThe Ritz Carlton隣接のJW Marriot Kuala LumpurのBayu Ballroomに軟禁状態となり、キンキンにクーラーの効いた部屋で寒さに耐え忍んで過ごしていた。
11月9日(水)
クーラーの温度調節が多少改善されてきたようだった。重役のプレゼンテーション後の質問コーナーで意地悪な質問で虎の尾を踏んでやろうかと思ったが、踏みとどまった。
11月10日(木)
午前中のThe Ritz CaltonのCarlton 6 Conference roomでのセミナー後、午後は独立を勝ち取ることとなり、本業に戻ることが可能となった。目まぐるしく近代化が進んでいるクアラルンプール市内で私の興味を引く観光地は限られているのだが、まずはモノレールと近郊線を乗りついでマスジッド・ジャメを目指してみた。
1909年建立の古いモスクであるマスジッド・ジャメはイギリス人建築家によるデザインとなっている。日本武道館ほどの大きな玉ねぎではないものの、新玉ねぎのような白いドームが特徴的で、礼拝のない時間帯は原住民の絶好の昼寝スポットとなっている。
世界一の高さ約100mを誇るフラッグポールにマレーシア国旗がはためいていたのでその方向を目指して歩を進めていた。
マレーシアは1957年にイギリスからの独立を宣言し、マレーシアの国旗が初めて掲げられたのがムルデカ・スクエア(独立広場)である。広場内の噴水は化け物がゲロを吐いているような装飾となっているものの、自ら勝ち取った独立の威厳を感じさせる空気が漂っていた。
広場周辺にはアラビアンナイト風のエキゾチックな建物がいくつかあり、スルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)は絶好の映えスポットになっている。
1888年開業のセントラルマーケットを買う気もないまま散策することにした。マレーシアの民芸品店等いくつか見るべき店もあったのだが、店員がアグレッシブさに欠けていたのですべて素通りしてマーケットを後にした。
近郊線、モノレールを乗り継いでチョウキットという駅で下車してみた。この近辺は高層ビルが立ち並ぶエリアとは一線を画しているようで古き良き時代の雰囲気が残っている様子が見て取れた。
行く手にはペトロナスツインタワーが雨季の雲を突き破る勢いで尖っていたので、スコールをものともせずその方向を目指していた。
トンネルをくぐるとそこは大都会で川沿いの高速道路で分断されている左右の街はまるで別世界のようであった。
世界一高いビルの称号はとうに奪われてしまったものの、いまだに世界一高いツインタワーとしての地位を維持しているペトロナスツインタワーの内部に侵入し、頂点を目指したいと思っていたのだが、あいにくチケットは売り切れでおとといきやがれとのサインが出ていたのであえなく撤収し、雨の中ライトアップされたシルエットを恨めしく見上げていた。
11月11日(金)
午前10時半にホテルをチェックアウトし、モノレール、KLIA Transitを乗り継いで空港に向かった。
14:15発NH886便は定刻通り出発し、約6時間のフライトで午後10時過ぎに羽田空港に着陸した。入国前の検疫で時間を取られることがわかっていたので今日は羽田近辺の宿を押さえていた。おかえり東京キャンペーンで安く泊まれる上に買い物クーポンまでもらえる「変なほてる」のチェックインカウンターはロボットと恐竜が受付を担当しており、やはりTOKIOは世界有数のテクノポリスの地位を譲ってはいけないという意気込みを感じながら流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代:ただ
総宿泊費:ただ
総タクシー代:RM 210 (RM1 = ¥31)
総バス代: RM 14.4
総MLRT代: RM 12.5
総KLIA Express代:RM 61.5
協力:ANA、 Advanced Energy Inc.、Hotels.com、IHG、ナビスコ、楽天トラベル