第二回FTBSEAべトコンツアー in ハノイ

2004年9月下旬にホーチミンを歴訪した実績


があるFTBであるが、当時はベトナム戦争でアメリカに黒星をつけ、戦後ドイモイ政策により急激な経済発展を遂げたベトナムの一面を垣間見ることが出来たのだが、今回は首都ハノイに繰り出し、古き良き時代のベトナムと数多くの奇岩を形成した自然の驚異を満喫することにした。

2008年9月12日(金)
JALのマイレージが余っていたので、マサであれば14~15万くらいかかるところを私は燃油代と税金の支払いのみで搭乗出来るJL751便に乗り込むと午後6時15分に出発したB767-300機は5時間程度のフライトで2時間の時差を越えて午後10時前にハノイのノイバイ国際空港に到着した。

入国後手持ちの$40を両替所でベトナムドンへの両替を試みるとVND656,000もの大金になってド~ンと返ってきたので欽ちゃんのど~んとやってみようで言うところの「ばかうけ」の気分を味わうことに成功した。大金を手にして空港タクシーに乗り込み30km程離れた市街地にあるニッコーホテルに移動すると定額料金のVND250,000に対してつり銭がないためにVND300,000を支払ってあげたため、「どっちらけ」の感覚に成り下がってホテルへのチェックインを余儀なくされたのだった。

9月13日(土)
早朝ニッコーホテルをチェックアウトし、もやにより日光が遮られているにもかかわらず30℃を越す猛暑の様相を呈したハノイ市街に繰り出すことになった。ハノイには単線の鉄道が通っており、線路沿いに進めば目的地に到着出来ると思っていたのだが、いつの間にか線路を見失ってしまい原チャリのクラクションでめまいがしそうな旧市街を2時間余り彷徨うこととなってしまった。

今日の予定はベトナムきっての景勝地であるハロン湾までバスで移動することであったのだが、世界最強レベルの旅行ガイドブックである「地球の歩き方 ベトナム’04~’05」の掲載情報が古かったせいかハロン湾行きのバスが出るターミナルに到着するまでいくつかのバスターミナルをはしごするはめになってしまった。とあるバスターミナルの案内所で原住民から目的地を確認すると市内バスとタクシーを乗り継いで何とか目的のミニバスに搭乗することに成功した。

バスターミナルを出発した韓国製払い下げミニバスは乗車率150%くらいになるまで道行く途中で乗客を勧誘しながら走ったため、4時間くらいかかってハロン湾の観光の拠点であるバイチャイ・バスターミナルに午後6時頃到着したのだった。そこから本日の宿泊予定地である楽天トラベルに予約させておいたハロン・プラザホテルへの道筋がわからなかったため、適当に湾沿いを目指してバイチャイ市街を歩いていると市バスが運行していることが確認出来たのでバスに乗り込み、言葉の通じない切符売りのおね~ちゃんとバス代がいくらであるかという仁義無きやりとりを繰り広げ、しかも野次馬風情のおっさん乗客が笑い転げているという状況の中で何とかホテルに到着することが出来たのであった。

9月14日(日)
マサよ、君は世界遺産として君臨しているハロン湾に比べてローカルな日本三景に甘んじている松島の現実に地団駄を踏んで悔しがっている松嶋菜々子を想像したことがあるか!?

ということで、昨晩のビュッフェで生ガキをはじめとする地元の海の幸を満喫することが出来たハロン・プラザホテルをチェックアウトするとハロン湾クルーズの船が出港しているクルーズ船乗り場を目指して海沿いを2km以上練り歩いた。

船乗り場のチケット売り場でハロン湾入域料(VND40,000)を支払い客引き風情の原住民に訳もわからずとある木造クルーズ船に連行されると午前8時過ぎにハロン湾クルーズ4時間コース($30)がスタートしてしまった。おびただしいほどの数の停泊しているクルーズ船を横目に私と何人かのベトナム人家族を乗せた船はエメラルドグリーンの海をすべるように航行していった。

船から海面を見渡すとそこには大小2,000もの奇岩がニョキニョキと生えておりマサに幻想的な光景を演出しているのだった。船は30分ほどでダウゴー島という大き目の島に到着し、そこで観光客は下船すると皆一様に島の散策に乗り出した。ティエンクン洞という高さ20m、幅数十mの鍾乳洞は内部がブルーやグリーンでライトアップされており、整備された遊歩道を歩いていると幻想的な気分と湿気によるだくだくの汗でやさしく包まれることになる。

ダウゴー洞はさらに大きな鍾乳洞であるが、観光時間の制限により通常は見学を省略されてしまうのだが、コウモリには格好の居住地となっていることが確認出来た。船に戻り、ダウゴー島を後にするとクルーズ船は島々の間を抜け、船上生活者の生活模様を垣間見ながらいくつかの特徴的な岩に遭遇した。

闘鶏島という2羽の鶏が闘っているように見える島がいわゆるひとつのハイライトのような様相を呈しており、どのクルーズ船も島の目の前に停泊して観光客に記念写真を撮らせながらご機嫌取りをしていたのだ。

4時間の予定のクルーズが2時間半程で終わってしまったのでそそくさとバスでハノイに戻り、数多くのシクロが客待ちをしているハノイ大教会を見上げ、パリのオペラ座を模して建築された市劇場の隣に位置するマサであれば$160くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るヒルトン・ハノイ・オペラに日中の暑さを避けるために早々とチェックインし、そのまま夜を迎えることとなった。

9月15日(月)
文廟(VND2,000)という1070年に孔子を祭るために建立された廟を訪問した。この敷地内にはさまざまな時代の建物が混在しており、中でも大学施設として使用されていた奎文閣はハノイの象徴となっている。また、ファシリティ内で民族音楽の演奏が行われており、観光客はチップを強要され、VND2,000程度でお茶を濁そうとしても$1以上を強奪されるシステムになっていることが確認された。

ベトナム独立の祖として崇められているホー・チ・ミンの遺体がガラスケースに入れられて安置されているホー・チ・ミン廟を遠巻きにチラ見し、月曜日が休館となっているホー・チ・ミン博物館の建物の立派さを思い知った後、一柱寺というハノイのシンボル的仏教寺院を見学した。一柱寺は李朝の太宗が1049年に創建した延祐寺の楼閣で、一本の柱の上に仏堂を乗せたユニークな形からこの名で呼び親しまれているのだ。

一柱寺で不安定感を満喫出来たのでその勢いを買ってロンビエン橋というパリのエッフェル塔を設計したギュスターブ・エッフェルによって設計され、1902年に完成した1700mの鉄橋で錆びた雰囲気を味わい、ドンスアン市場とハンザ市場というハノイの代表的な市場をはしごしてベトナム人の生活感と活気を感じながらハノイ駅に紛れ込んだ。駅ではルンペン風の若者にここで買う必要も無い靴の中敷の押し売り攻撃に遭ったものの何とかかわすことが出来たのだった。

マサよ、君は捕虜収容所として常に満室だった裏のハノイ・ヒルトンが市内のど真ん中に取り残されているおぞましい事実を知っているか!?

というわけで、ホアロー収容所(VND5,000)という19世紀末にフランスによって造られた監獄に収容されに行ってきた。1953年の満室時には2000人以上を収容した実績のあるホアロー収容所の内部には拷問の道具やその様子を描いたレリーフ、処刑に使われたギロチン台等が残されており、ベトナム戦争時に収容された鬼畜米兵から皮肉を込めて「ハノイ・ヒルトン」と呼ばれていたそうだ。

ハノイ市街の中心に位置し、市民の憩いの場となっているホアンキエム湖上のゴッソン島に玉山祠(VND2,000)が夕涼みの観光客を集めていたので郷ひろみ系の眉をした虎に挨拶をして参拝させていただくことにした。尚、ホアンキエム湖には大亀の伝説があり、実際祠内には1968年に捕獲された体長2mの大亀の剥製が鎮座しているのだ。

ハノイを代表するエンターテイメントとして水上人形劇が有名であり、近くの劇場が夕方から公演を行っていたのでセカンドクラス(VND40,000)のチケットを買って見物することにした。水面を舞台にして繰り広げられる人形劇はベトナム伝統楽器の音色に沿って人形が繊細でコミカルな動きで観客を魅了し、民話や民族的な話が繰り広げられていくのだが、最後の舞台挨拶では操り人形師まで出て来やがるのである。

ハノイ市内の観光を十分すぎるほど満喫出来たのでミニバス(VND35,000)でノイバイ国際空港に戻り、乗客よりも圧倒的に数が多い見送り客の間をすり抜けてチェックインを果たすと午後11時55分発のJL752便に乗り込み機上の人となる。

9月16日(火)
機内で相武紗季とはタイプの違うものの相武紗季に匹敵するほどの美人スチュワーデスに思わずもっていかれそうになったところを何とか踏みとどまり、午前6時45分に小雨で涼しい成田に到着し、そのまま流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥25,200 (燃油代、税金のみ)
総宿泊費 $173.25、¥9,529
総タクシー代 VND340,000 ($1 = VND16,400)
総バス代 VND136,000

協力 JAL、HiltonHHonors、楽天トラベル

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です