♪ツン・つくつくつくツン ツン・つくつくつくツン♪
♪ヒヤ~ ヒ~ヤ ヒ~ヤ ヒ~♪
♪ベンベらベンベらベンベらベンベら ベン(ベン) ベン(ベン) ベン(ベン) ベラん♪
というわけで、感染者増減の一喜一憂はさておいてコロナ明けましておめでたく、今年は新年より活動を開始させていただくことをお慶び申し上げます。
ところで、なぜ年初の訪問先として晴れてベトナムが選ばれたのか?
それは飛行機代が一番安かったからだ!!
2023年1月1日(日)
ANAクラウンプラザ成田に隣接している緑色がまぶしいSUN PARKINGに自家用車を預けると空港まで送迎いただき、そそくさと「ANA SUITE CHECK-IN」カウンターに向かった。幸先よく、一番安いチケットからビジネスクラスへのアップグレードを果たしたものの、係員よりフィリピンのマニラで航空機の管制トラブル発生のため、搭乗予定であるハノイ行きの便の大幅な遅延もしくは欠航の可能性があることが示唆されたもののそれでも結構だと思ってチェックインした。
「ANA SUITE LOUNGE」での長期滞在を覚悟し、体内のアルコール度数を高めていったのだが、意外にもフライトは定刻通りの決行となったので、18:20発NH897便に乗り込むと約6時間半のフライトで2時間の時差分の時計を巻き戻し、午後11時にハノイのノイバイ国際空港の第2ターミナルに到着となった。
ベトナムはコロナ関連の制限はすでに撤廃しているので入国審査も検疫も短時間で突破してシャトルバスで第2ターミナルから第1ターミナルに移動した。次のフライトは翌日の早朝に設定されているため、ノイバイ空港に内蔵されているVATC SleepPod Terminal 1と名乗るカプセルホテルにチェックインすると4時間程ベッドの上で体を休ませていただいた。
1月2日(月)
早朝5時前にカプセルを抜け出し、チェックアウトを果たすとエレベーターに乗って約1分でベトナム航空のチェックインカウンターに到着した。つつがなくチェックイン、セキュリティを突破してSONG HONG BUSINESSラウンジにしけこみ朝食を取らせていただいた。ベトナム入国後の食事はレーザーラモンHG系の麺類であるはずの♪フォー!♪がメインになることが約束されているので早速牛肉入りのフォーであるフォー・ボーを召し上がって腹ごしらえをした。
6:55発のVN157便は定刻通りに出発し、8:25にベトナム第3の都市であるダナンに到着するとArrivalロビーのATMで紙幣に大量のゼロを持つベトナムドンを出金し、一気にVND2,000,000の金持ち気分になった。その勢いをかってタクシー乗り場で正直そうな緑タクシーに乗り込み、一気に本日の宿泊地を目指した。
雨季の中部ベトナムはマサにべとべとした雰囲気で天気同様にどんよりした空気感を醸し出している。車はダナンの都市部を通過すると海岸沿いのビーチリゾートを抜けて緑まぶしいソンチャー半島に入っていった。約30分程度のドライブで美しい自然に囲まれたアジア随一の高級ラグジュアリーリゾートととして名高いインターコンチネンタル・ダナン・サン・ペニンシュラ・リゾートに早くも到着する運びとなった。
当ホテルのチェックインの時間は午後3時であるが、ANAマイレージクラブの会員ランクに連動しているため、インターコンチネンタルホテルズグループ(IHG)においてもダイヤモンドエリートメンバーに成りあがっているFTBに気を使ってしきりに時間稼ぎの有償朝食を勧めていただいたのでビーチにほど近い「Barefoot」というレストランで空港ラウンジに続いて2回目の朝食を取ることとなったのだった。レストランのトイレを拝借すると便器の形状は小用、大用ともスタイリッシュなものであったのだが、空港ラウンジのトイレには設置されていたウォッシュレットは装備されてなかったのだ。
それでもホテルの特別な計らいで午前10時には部屋を用意いただけたのでバギーと名乗る電動カートに乗って部屋まで送っていただいた。当ホテルの従業員のホスピタリティは申し分なく行き届いているものの、従業員の数以上に野生のサルが生息しており、対宿泊客であっても遺憾なく不逞の輩ぶりを発揮してくるので細心の注意を払ってホテルライフをエンジョイしなければならないのだ。
部屋の方はというと、内装にはベトナム伝統デザインが施され、湿気によるダメージを受けにくい木と石が調和した飽きのこない造りとなっている。ベランダから見える海は沖縄のようなサンゴの白砂による透明なビーチというわけにはいかないものの、打ち寄せる波の音が独特なハーモニーを奏でている。
雨季だとウキウキした気分にならず、日がな一日部屋で過ごさなければならないことは想定ずみだったので夕食の時間までベトナムビールで口を濁しながらのんびり過ごさせていただいた。
ディナーはミシュラン・スターシェフによる本格フレンチ、鉄板シーフード、ベトナム料理等、バラエティに富んでいるのだが、一番手軽そうな「Citron」というベトナム料理のレストランに予約なしで入店することが出来た。サービスメニューはビュッフェのみということだったが、ベトナムに限らず、ありとあらゆる食材を使った料理を効率的に摂取させていただいたのだ。
1月3日(火)
今日もどんよりとした天気である。「Citron」で朝食を済ませるとハイシーズンに備えての下見のつもりでリゾートの敷地内をぶらぶらさせていただくことにした。
山の斜面に形成されたリゾートは「HEAVEN LEVEL」、「SKY LEVEL」、「EARTH LEVEL」、「SEA LEVEL」の4層構造になっており、それぞれのレベルにはケーブルカーでアクセス出来るようになっている。
曇天模様でビーチパラソルの花は咲かなかったのだが、天気が良ければ海沿いの2つのプールと合わせて華やかなリゾート気分が満開になるであろうことは容易に想像できるのだが、今回はハートに穴が開いた気分でも致し方なしとした。
滞在中にあらゆる種類のサルのオブジェにお目にかかったのだが、現役のサルは一向に姿を現さないままチェックアウトの時間を迎えた。ベルマンが部屋に荷物を取りに来てくれたので外に出るとそこで見送ってくれたのは日本でもよく見かける変哲のない種のサルだったのだ。
つつがなく下見を終えることが出来たインターコンチネンタル・ダナン・サン・ペニンシュラ・リゾートを退出するとタクシーでダナン中心部に位置する正統派ホテルであるヒルトン・ダナンに移動した。高層階の部屋からハン川の向こうに広がるリゾートエリアを一瞥した後、ロビーでコンシェルジュに世界遺産のノスタルジックタウンであるホイアンへのツアーの相談をさせていただいた。
ショートノーティスにもかかわらずダナンの南東30km先のホイアンへの往復送迎車がVND1,000,000で手配出来たので、迎えに来た三菱SUV車に乗り込むと午後3時過ぎにホイアンへのツアーの幕が切って落とされた。ドライバーはホイアンまでほいほいと単純に乗せて行ってくれるだけの送り人かと思ったのだが、道中あらゆる手段でのコミュニケーションが模索され、スマホに面倒な翻訳機能付き会話アプリであるカカオトークなるもののインストールを促された。目力が弱っている私では揺れる車内での文字のインプットは困難でメールアドレスのco.jpをco.joと打ち込んでしまった時点でこの試みは強制終了となった。
仕方なく、他のアプリで翻訳会話を試みたのだが、なぜかベトナム語から韓国語への翻訳で、日本のトラベラーのプレゼンスが地に落ちてしまっている現状を思い知ることとなった。何とか会話は成立し、午後4時にホイアンに到着となり、3時間後の午後7時にピックアップに来るということで話はまとまったのだ。
1999年に古い町並みがユネスコ世界遺産に登録されているホイアンは古くからアジアとヨーロッパの交易の中心地として繁栄し、16~17世紀頃には日本人町まで造られていた。
ホイアン旧市街への入り口のソンホアイ広場には朱印船の模型が恭しく展示され、かつての日本との関係の深さを物語っている。ちなみに朱印船貿易とは、16世紀後半、海禁政策がとられていた中国(明)に代わる貿易相手を東南アジアに求めた日本において、倭寇や密貿易と区別するため、幕府等の権威者が許可した正式な貿易船であることを示す「朱印状」を携えた貿易である。
1593年に造られた橋は来遠橋であるが、通称「日本橋」と呼ばれている。本場お江戸の日本橋は首都高という好ましくない屋根がつけられてしまったが、ホイアンの日本橋の木製の屋根は作成当時のおもかげをそのまま残しており、ベトナムを代表する観光名所のひとつとなっているだけでなく、紙幣のデザインにも採用されている。
橋の中には小さな寺も造られ、橋の両側はユニークな猿と犬の像が守っている。これは申の年に着工し、戌の年に竣工した事実を物語っているからに他ならない。
この橋を造った人たちは、インドからホイアン、さらに日本まで達する大ナマズがいると信じていた。そして、この大ナマズが暴れると地震や大洪水に見舞われると考え、大ナマズを鎮めるために、この地に橋を建て、橋内に寺を造ったという伝説さえ残されている。
旧市街のメインストリートには木造の古い家屋や華僑の建てた中華会館などの中国建築も並んでいるのだが、かつての繁栄当時の雰囲気が色濃く残っており、中世にタイムスリップした観光客はあてもなく歩いたり、シクロ(ベトナム人力車)に乗って決められた観光コースを回っていた。
ホイアンでは日本橋三越のような大型百貨店 はないものの、2階建てのホイアン市場が日用品や食料品の販売を担っており、日本の小売業者とは異なり楽天やamazonの台頭による業績低下の影響を受けずに脈々とその営業体制が今日まで保たれており、多くの観光客で賑わいを見せている。
黄昏時を過ぎたホイアン旧市街は漆黒の夜に向かってさらに輝きを増し始めている。多くの土産物屋の中でひときわ異彩をはなっているRocketman Tシャツは誰が買い求めるのかという疑問はさておき、灯篭流しと手漕ぎボート、ランタンの光に導かれるように街中を徘徊した。
輝きの中心に位置するアンホイ橋は最強の映えスポットとなっており、多くの観光客が光の揺れるトゥボン川を背景にSNS写真撮影に興じている。
ホイアン観光も終盤に差し掛かったころ、黙々と木に向かってノミを打ち付けているおばちゃんの姿にくぎ付けになった。こちらの興味を感じ取ったおばちゃんの説明によるとそれぞれの木彫り人形は表情によってLucky, Happy等の意味を表しているという。当初買う気はなかったのだが、その出来栄えに感銘を受けたので一つの人形を手に取り、価格を聞くとVND250,000ということだった。近辺のほぼすべての土産物屋の物品には値札はなく、すべて交渉で値段が決まるはずなのでVND200,000で価格交渉をしたのだが、最終的にはVND220,000で落札させていただくこととなった。
定刻7時にドライバーが迎えに来たのでサリーの弟のカブのように後ろ髪を引かれる思いでホイアンを後にした。帰りの道中も翻訳ソフトによる執拗な営業攻勢でDX(デジタルトランスフォーメンション)の浸透を思い知ったものの何とか無事にヒルトンに帰還することが出来たのであった。
1月4日(水)
ヒルトン・ダナンの朝食ビュッフェで炒め物のもち米添え等で腹を膨らませるとホテル周辺の散歩と洒落こんだ。ハン川沿いの遊歩道は野外彫刻博物館の様相を呈しており、どの1品も丁寧に作りこまれている印象を受けた。
遠目に見える黄色のロン橋はダナンのシンボルでロンは麻雀の殺し文句ではなく、ベトナム語で龍を意味するという。マサに龍が水面を泳ぐさまがデザインされているのだが、夜は当然のようにライトアップされ、土日祝日には火や水まで吐くパフォーマーともなるそうだ。
ピンク色の外観がまぶしいダナン大聖堂はフランス統治時代の1923年に建立されたゴシック様式のカトリック教会なのだが、今ではVietnumBankの資金力をバックに繁栄を続けているようにお見受けした。
正午前にヒルトンをチェックアウトし、タクシーで2㎞程先のダナン駅に向かった。インドシナ半島をハノイからサイゴンにかけて縦断するベトナム統一鉄道は1日に4往復の寝台列車を走らせている。ダナンから次の目的地のフエまでは約100kmで3時間程かかるのだが、あらかじめチケットはウエブサイトで購入済みだったのだ。
12:28発SE4列車の3号車は3層構造の寝台車になっており、上階に行くほど運賃が下がるのとは裏腹にスペースが狭くなってしまうのだ。
ダナンとフエの間にはハイヴァン峠が君臨しており、列車は海外線を走るため、眼下の絶景を終始寝転びながら堪能することが出来たのだった。
車窓の景色は断崖を経て農村部に移行し、コメ本位制を維持しているかのようなのどかな田んぼの風景を経てフエの都市部に入っていった。
1993年にベトナム初の世界遺産に登録されたフエに到着すると待ち構えていたタクシーの勧誘を断り切れずに相場より高いはずの金額を支払って本日の宿泊先であるホテル・サイゴン・モリンに向かった。Booking.comでお得な価格で予約出来たスイートルームにチェックインすると白を基調としたコロニアル調の内装や洋風の調度品に囲まれて外の喧騒とは切り離された空間を堪能させていただいた。
部屋のカードキーの動作不良というトラブルに見舞われたものの、日没後に雨模様のフエの旧市街を散策してみることにした。ホテルが林立する新市街からフーン川に架かるチューンティエン橋を渡り、旧市街に入るとライトアップされた建造物がいにしえの世界に誘ってくれるようだった。
夕食は手軽にホテルで取ることにしたのだが、選択は店員の判断に委ねることにした。気を良くした店員が選択したメニューは「黒ひげ危機一髪」をモチーフにしてあるはずの串刺し揚げ春巻きのくり抜きパイナップル生け花やパクチー香草牛肉等日本人の味覚の深層にも訴えるはずの美味な料理であった。
1月5日(木)
朝食ビュッフェは宿泊料に含まれているのでスイカアートが目を引くレストランで腹ごしらえを済ませると、1901年創業のフエで最も歴史のあるホテル内を散策することにした。
今日もあいにく朝からの雨であったのだが、中庭の風情は悪天候を逆手に取るほどしっとりと落ち着いていた。
ローシーズンのためか、ガーデンカフェにはひと気がなかったのだが、バーテンダー風のリスが健気に店番をしている様子が印象的だった。しかし残念ながらチップであるはずのピーナツを与えるまでには至らなかったのだ。
天候の改善を祈りながら正午のチェックアウト時間近くまでホテルで過ごさせていただいたのだが、埒が明かなかったので観光を決行することにした。フエの世界遺産の代名詞はグエン朝王宮に他ならないのでここを見逃すわけにはいかないのである。
街中に出て魚醤と香草の香りがプーンと漂うフーン川の橋を渡り、旧市街に侵入するとランドマークであるフラッグ・タワーを目指して歩を進めた。1807年に建てられた旗台は塔のてっぺんまで入れると29.52mにもなり、新市街からもその旗めきを拝むことが出来るのだ。
王宮を死守しているとされる9つの大砲を見てグエン朝の強力打線に思いを馳せると、王宮門にあるチケット売り場 (VND200,000)でE-TICKETを購入しバーコードをかざすと雨にもかかわらず、はれて王宮への入門を果たした。
1802年~1945年の間、13代もの長期にわたって政権を握ったグエン朝の王宮は東西642m、南北568mの広さを誇り、高さ6mの城壁に囲まれた別世界であるが、中国の紫禁城を模して建立されたといわれている。内部には多くの「殿」、「廟」、「宮」が建てられているのだが、紫禁城ほどの建物密度にはなっていないので全般的に開放感のある造りとなっている。
王宮の正殿であるタイホア殿(太和殿)のみ修復中であったが、あとは自由に見て回ることが出来るものの、とても1日で見学出来るような広さでなく、体力温存のために電気カーを使っても2日くらいは見ておく必要があると思われた。
建物の色調や装飾は概ね中国風で龍や獅子をアレンジしたものが多く、どれも圧倒する目力を誇っている。
かつで武官の詰所であった「ヒューヴ―」は皇帝の衣装を着ての記念撮影所と化しており、玉座に座って記念写真が撮れる映えスポットとなっている。
広大な王宮内にはいくつかの茶店が営業しているので歩き疲れた観光客は風光明媚な庭を眺めながらアフタヌーン・ティーを楽しめるように取り図られている。
日本庭園を模して造られた庭園には多くの盆栽もあり、中国だけでなく、日本の影響も少なからず残っている様子が見て取れた。
展示されている公式文書には様々な種類の金印の玉璽が押印されているのだが、王宮の要の位置に配置されている巨大な龍の金印がその頂点に立つものだと見受けられた。
王宮門の2階が観光客に開放されていたので登ってみることにした。あらためて見ると門口は5つあり、中央の門が皇帝専用で、左右が文官と武官、さらに外側の門が兵士やゾウ、馬が使用していたそうだ。建設当時は木造の建物にはすべて金箔が貼られていたと伝えられているが、現在はその面影は残っていないのだ。
王宮出口の近くに文化スペースがあり、ベトナム工芸品の実演販売を行っていた。針と糸を巧みに操る職人の手際につられてベトナム笠購入に食指が動いたのだが、手荷物として持ち込んだ機内で原型を維持出来るかという不安がよぎったため、財布の紐を開くことが出来なかった。
午後3時半にホテル・サイゴン・モリン内蔵のコーヒーショップのベトナムコーヒーで糖分を補充し、さいごんの力を振り絞ってタクシーでフーバイ空港へ向かった。
18:40発VN1546便ハノイ行きは定刻通りに出発し、20:00にハノイ・ノイバイ空港に到着した。来た時とは逆に第1ターミナルから第2ターミナルに移動し、NH898便のチェックインまで時間を持て余していたので空港レストランで最後のベトナム晩餐を楽しませていただいた。
1月6日(金)
ANAのアップグレードポイントを持て余していたのでビジネスクラスにアップグレードさせていただいたNH898便は定刻0:25に出発し、機内サービスより睡眠を重視したため短い飛行時間ではあったが、ほとんどフルフラットの体制で過ごしていた。定刻7:00前に成田に到着するとANAのArrival Loungeの開業時間が14時であることに軽いショックを受けながら流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥142,230
総宿泊費 VND20,566,085、¥6,281
総タクシー代 VND2,100,000
総ベトナム統一鉄道代 VND177,000
¥1 = 約VND170
協力 ANA、IHG、HiltonHhnors、Booking.com、Hotels.com、SUN PARKING