圧倒的な招き力と猫力を背景に絶対的な猫派を自認するFTBではあるが、今回はひょんなことから犬派の牙城であるはずの犬山に入城し、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」的アクティビティに従事することとなったのだが、さてどうするものか!?
2023年11月12日(日)
午前10時過ぎに八王子市の自宅を出発し、圏央道から東名を経由して新東名に入り、浜松サービスエリアで昼食休憩を取ることにした。出世の街である浜松は家康公ゆかりの地ということで私もその縁起にあやかるべく家康公グルメの中からしぞ~かおでんを選んで食し、ホトトギスが鳴くまでどのような試練にも耐えうる忍耐力の醸成に勤しんだ。
新東名から再び東名に舵を切り、愛知県に侵入すると岡崎ICで高速を降りるとそのまま家康公の息吹を感じる岡崎公園に向かった。
岡崎公園は家康公が生誕した岡崎城を有する自然豊かな歴史公園で大河ドラマフィーバーの流れに乗り、「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」をオープンさせ、戦国武将好きの観光客の取り込みに躍起になっている。
公園に入ってまず私の目を奪ったものは犬のような忠誠心を持つと言われている徳川四天王パフェの看板で、「どうする?」と問われても「高い!」という印象が「映え」への欲望を凌駕するには至らなかった。
岡崎城の隣に鎮座し、家康公を祭神とする龍城神社は神君生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという「昇龍伝説」が残るパワースポットである故か、多くの七五三まいりの参拝客で賑わっていた。
竹千代(家康公の幼名)が生を受けた岡崎城の周囲を半周すると「家康公・竹千代像ベンチ」が格好の記念撮影スポットとして君臨していたのだが、順番待ちの観光客に気を使って肩を並べることは遠慮しておいた。
¥890の支払いで「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」と岡崎城の共通入場券を購入し、松本の潤んだ目力に引き寄せられるように各展示コーナーを徘徊させていただいた。
このドラマは演出上BL(Boys Love)の要素をふんだんに取り入れて視聴率アップを画策していただのが、ご時世がらそのようなものは一切排除され、すべて硬派にまとめあげた展示が印象的であった。
岡崎城に入城するころには日も西に傾きかけていたのだが、歴史的建造物の外観とはうらはらに3層5階建ての天守の内部はモダンな歴史資料館となっており、5階の展望室からの岡崎市内の景観は圧巻であった。、
岡崎城を下城し、出世街道かどうか定かではない道を1時間ほど西進すると歩いているときにふと棒にあたったような感覚を覚えた。気づけば愛知県犬山市の中心部に紛れ込んでおり、名鉄犬山駅前をスルーして木曽川沿いにそびえる犬山城を見上げているうちに本日の宿泊地に到着した。
インターコンチネンタルやホリデーインを展開するIHGグループの中ではインディーズ系であるはずのホテルインディゴ犬山有楽苑は犬神家の一族の有名な殺害現場を彷彿とさせるほどの旅行需要のV字回復により国内外からの多くの旅行者で賑わっていた。
IHGのダイヤモンドメンバーの私に対してご用意いただいた部屋は3階の国宝犬山城正面ビューの上室で戦国時代からの犬の遠吠えが聞こえてきそうなほど非日常感が演出されていた。
天然温泉「白帝の湯」に浸かり、一介の戦国武将から帝王にまで出世した家康公に思いを馳せていたのだが、竹の生い茂る中庭はむしろ人質時代の竹千代の生い立ちとうまくシンクロしているようであった。
11月13日(月)
早朝より白帝の湯で体を清め、部屋から犬山城を見上げると天守の周りを鳥が旋回していたので警備の点も万全ではないかと思われた
9時開城の犬山城の天守にはすでに人影が見られていたので満を持して10時過ぎに出向くことにした。犬山城へと続く道は急な坂道となっており、ショートカットするためには犬猿の仲であるはずの猿田彦神社を経由しなければならなかったので参拝することを忘れなかった。
チケット売り場で¥550を支払い、晴れて国宝犬山城(別名 白帝城)の敷地内に潜入した。犬山城の築城は1537年であるが、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの際には緒戦で羽柴秀吉方の急襲を受け、羽柴軍と織田信雄、徳川家康連合軍が尾張に集結するきっかけとなったという日本史的にも重要な遺産である。
早速内見する運びとなったのだが、外観3重、内部4階の城内を隈なく見て回るためにはきわめて急な階段を上り下りしなければならず、これが思いのほか重労働となった。
内部に展示されてある遺品は物言わぬ歴史の証人には変わりないのだが、私の心に一番訴えかけてきたものはオードリー春日のネタになったはずの「鬼瓦」であった。
最上階はぐるりと周囲を見渡せる展望所になっているのだが、木曽川を望む立地が最強の防御網を形成している様子が見て取れる。防御の固い犬山城を落城させるための作戦を考えると正攻法では太刀打ち困難なのは明白なので大量の飼い猫を送り込み、どう猛な武将にすりすりして骨抜きにする平和的解決が最も望ましいはずだと考えていた。
下城して敷地内の土産物屋を物色していると芦屋雁之助似のいかつい男の写真が恭しく展示されている様子が目に飛び込んできた。彼は「裸の大将」でならしている山下清画伯であるのだが、大将が服を着ているというだけでここがいかに格調高い国宝であることの証明になるはずであろう。
犬山城のふもとで見た犬山市の公式キャラクターが「わんまる君」であることに猫派への友好性を感じることが出来たので安心してホテルへの帰路に着いた。
ホテルインディゴ犬山有楽苑が醸し出す幽玄はどこから来ているのだろうかという問いに答えるためにホテル専属の庭園という役割を果たしている有楽苑に立ち入ることとなった。一般入苑料は¥1200となっている一方でホテルの宿泊客にはルームキーの提示のみで入苑出来るのだが、有楽苑を見ない代わりに¥1200を宿泊費から引いてくれという要求には応えられないはずであろう。
織田信長の実弟である織田有楽斎は茶の湯の創成期に尾張国が生んだ大茶匠であり、彼にゆかりのある「如庵」という茶室は紆余曲折を経て有楽の生まれ故郷である犬山に腰を据えて今日まで国宝としての地味な輝きを放っている。
秋桜と書いてコスモスと読ませる強引な当て字はさだまさしと山口百恵の楽曲により世の中に定着し、今日に至っているのだが、正真正銘の秋に咲き誇る桜が豊田市山間部の「小原四季桜まつり」として活況を呈しているようなので足を延ばしてみることにした。会場は5ヵ所あるのだが、最初に本部のある「小原ふれあい公園}に駐車料金¥1000の支払いで車を停め、百花繚乱の四季桜と紅葉の競演を期待したのだが、桜はほんの2分咲きで、紅葉の色づきも思ったより進行していなかった。
小原ふれあい公園から徒歩10分の森の中のしなびた神社に「家康の腰掛石」が祀られていたので立身出世、運気UPのご利益を求めて腰を掛けることにした。今から400年ほど前の江戸時代に徳川家康公が小原一円の様子を視察に来たときに床几として石の上に座ったと伝 えられているそうだ。小原町の賀茂原神社に大人で一抱えほどもある石(150㎏)のそばに『御腰掛け石」と刻まれた標柱が 建っており、「力石」とも言われているのだが、「あしたのジョー」のライバルかどうかは定かではなかったのだ。
♪ひ~とはみな一人では生きてゆけないものだから~♪と口ずさみながらふれあい(中村雅俊)公園を後にすると小原で一番四季桜が多く、約1200本の四季桜と紅葉の絶景がご覧になれるとの謳い文句に引き寄せられて「川見四季桜の里」に移動した。
四季桜の開花状況はふれあい公園より進んでいるもののまだまだ満開には時間がかかる様子であったが、所々で四季桜と紅葉の競演が見られ、四季桜まつりの名に恥じない景色には違いないと納得して八王子への帰路に着いたのだった。
FTBサマリー
総宿泊費 ¥27,936
総高速代 ¥12,630
総ガソリン代 ¥5,660
協力 IHG HOTELS & RESORTS