シン・FTB第7次MLBツアー ♪ニューヨーク・ニューヨーク♪

ニュ~ヨ~~クへ行きたいかぁ~!
ウォ~~~~!!!

という福留功男日テレアナウンサー(当時)の掛け声と参加者の地響きアンサーにより幕を開ける「アメリカ横断ウルトラクイズ」は当時学生だった私の野望と好奇心を常に駆り立てる名作であった。また、1980年7月にリリースされた「パープルタウン」は八神純子により♪愛する気持ちを呼び覚ます都会(まち)ね Ne~w Yo~rk♪と歌いあげられ、当時の若者の心に大いなる刺激を与える名曲であった。

私が初めてニューヨークに足を踏み入れたのはパープルタウン発売7周年記念の1987年7月のことであり、その後長らくのブランクを経てイチローやゴジラ松井がニューヨークでセンセーションを巻き起こし始めた2000年代からしばしばこの地に通うようになっていた。とはいえ、田中マー君がヤンキースタジアムでデビューを果たした2014年を最後にビッグアップルの摩天楼から遠ざかっていたのだが、ついにその大きな谷を埋めるべくイベントがニューヨークで発生することとなったので嬉々としてNYで入浴する気持ちが芽生えてきたのであった。

6月7日(金)
羽田空港第二ターミナル発着の11:00発NH110便は定刻通りに出発すると手持ちのアップグレードポイントを使い果たしてしけ込むことに成功したB777-300機のビジネスクラスTHE ROOMに腰を落ち着けたのだが、座席が前後の向きを組み合わせて配列されており、私の席は進行方向に背を向けていたため、離陸時の重力に違和感を感じながらのスタートとなった。

約13時間のフライトでJFK国際空港に到着したのは午前11時過ぎで軽く米国への入国審査を通過するとAir Train ($8.5)、地下鉄($2.9)を乗り継いでまずは本日の宿泊先に向かうことにした。ところでNY市の地下鉄は長らくMetroCardで入場するシステムになっていたのだが、昨年よりOMNY(One Metro New York)が導入され、非接触型決済システムに対応したクレジットカードが使えるようになり、MetroCardもその役割を終える予定になっているのだが、カードを持たないはずのホームレスの皆様方にとっては地下鉄が益々ハードルの高い乗り物となっているようだ。

地下鉄で到着したペンステーションでNJ Transitという列車のチケットを購入すべき自動販売機の操作をしている最中にはしきりに$2をせびってくる輩につきまとわれたのだが、これこそマサにNY旅行の醍醐味であり、このようなアナログ無心行動が残っている現状に少し安心感を覚えたのだった。

ニュージャージー州を抜けてペンシルバニア州に向かうNJ Transitの運行もアナログそのもので乗車する列車のプラットホームが決まる直前まで乗客は駅の構内でなすすべもなく待たされるシステムになっていた。何はともあれダイヤの乱れが日常になっている様子のNJ Transit列車に乗り込むと約50分程でNewark Liberty International Airport駅に到着した。そこからさらに運賃無料のAir Trainに乗り換え、Parking 4駅で下車し、Hotel Shuttleの待ち合わせエリアでHOLIDAY INN NEWARK INTERNATIONAL AIRPORTのバスを待っていた。

30分程の待ち時間はあったものの無事にシャトルバスに乗車し、ホテルにチェックインすることが出来たのでベッドの上でしばし旅の疲れを取らせていただいた。
午後4時前にはホテルを出ると来た時と逆の手順でペンステーションに戻り、さらに地下鉄に乗って10年ぶりの帰還となるヤンキースタジアムを目指した。乗り換えが必要であったが、ヤンキースのユニフォームを着ている集団の背中を追っていると次第に人口密度の多い方へと誘われ、ついにスタジアム前の喧騒の中の一部と化すこととなった。

2016年以来のヤンキースタジアムでのカードとなる対ロサンゼルス・ドジャース戦は大谷人気も相まって日本人ファン率の高さに圧倒されながら流されるように入場ゲートを通過し、角度的には左打席の大谷フロントではあるが、ターゲットからは程遠い最上階の固いシートに腰を下ろしてプレーボールの瞬間を今か今かと待っていた。

グラウンドに目を向けるとドジャースの先発ピッチャーである山本由伸が独特のやり投げフォームで投げやりにウォーミングアップに精を出しており、勢い余った遠投の投球がキャッチボール相手の頭上を越えてスタンドに突き刺さる様子も垣間見られた。

48,000人以上の観客を集めて午後7時5分にプレーボールとなったゲームは1回表ドジャーズの攻撃で2番打者の大谷を迎えたところで早くも盛り上がりのピークとなった。ヤンキースファンのブーイングとドジャースファンの歓声が入り混じる中3-2のフルカウントからセカンドゴロに倒れ、続くフリーマンは自由人よろしくフォアボールを選んだものの4番打者のスミスのセカンドゴロで攻撃終了となり、淡々と進行するゲームのスタートとなった。

ハイサイおじさんを彷彿とさせる沖縄出身のデーブ・ロバーツ監督により自信をもってマウンドに送り出された日本最高峰投手である山本由伸がブロンクス・ボンバーズとの異名を取る強力ヤンキース打線とついに対峙することとなった。

1番、2番打者を簡単に打ち取り、次に打席に向かうのは大谷も見上げるほどの巨漢のホームラン打者であった。通算755号のホームランを打ち、世界の王貞治に抜かれるまでは世界一であった伝説のハンク・アーロンと同じ名前を持つアーロン・ジャッジに対し、カウント2-2から投じられたフォークボールに黒いバットが一閃すると打球はあっという間にレフト頭上を越える2塁打となってしまった。次打者スタントンもジャッジに匹敵するホームラン打者であったが、あっさり三球三振に打ち取られ1回裏の攻撃は事も無げに終了した。

ゲームはその後両チーム無得点のまま淡々と進んで行った。好投を続ける山本由伸の投法は足を高く上げないスライドステップで一部の野球通から「あっち向いてホイ」投法と揶揄されているが、これまでの試合では前後左右に振られる指の動きと相手の首の向きが合ったときに打たれていたような印象であったが、今日のピッチングはバッターの狙いが合った時でも力でねじ伏せられるほどの制圧振りであった。スピードガンによる直球の計測速度も自己最高の98マイルとなり、最終的には106球を投げてヤンキース打線を7三振の無得点に抑えきってマウンドを後にしたのだった。

試合はそのまま延長戦に突入し、タイブレークで無死2塁からの開始となるのだが、前の回に凡退した大谷は11回表には2塁ランナーとして復活し、フリーマン四球、スミスがセンターライナーに倒れた後、5番のテオスカー・ヘルナンデスが2塁打を放ちドジャースに2点をもたらせた。その裏の攻撃をジャッジのタイムリーヒットによる1点に凌いだドジャースが3連戦の初戦をものにするとハイタッチを交わすドジャース選手を祝福するようにフランク・シナトラの♪ニューヨーク ニューヨーク♪の歌声が高らかに響いていたのだった。尚、本日の大谷は5打数無安打と不発に終わり、日本人ファンの期待に応えるには至らなかったのだ。

試合終了後、数万人の観客が一気に流れてくる地下鉄駅に蟻の歩みのようにゆっくりと進んでいくと改札のところで腰位置からの前方圧力で回転するバーを飛び越えて入場している輩も多く見受けられたのだが、なるほどこの方法だとMetroCardやクレジットカードがなくても地下鉄に乗ることが出来るのであえて管理を甘くしてホームレスへの救済策として機能しているのではないかと感心させられたのだった。

6月8日(土)
地下鉄でペンステーションに到着したころにはすでに日付が変わってしまっていた。NJ Transitは相変わらず遅れを出しているようだったが、ヤンキースタジアムから流れてきた乗客は気にする素振りもなく、車内はマシンガントークの嵐で活気づいていた。結局ニューアークのホリデーインに帰って来れたのは丑三つ時を過ぎた時間であったろうが、時差ボケの影響もあったのであまり気にすることなく意識を失うことのみに専念しながら過ごしていた。

午前9時半頃覚醒すると昨夜入浴していないことに気づいたもののここはニューヨークではなくニュージャージーなので仕方がないことだと思いつつ、浅いバスタブに斜めに身を沈めて体内時計の調整を図っていた。ホテルのアメリカンブレックファストのスクランブルエッグはすでに固くなっていたのだが、胃袋の容積を満たすのには十分だったので腹八分目まで詰め込んだ後、昼寝と洒落こむことにした。

ホテルの客人にも3時間の時差を超えて飛行機を飛ばしてやってきたドジャースファンが多数いたのでユニフォーム姿の彼らとともに午後4時くらいにホテルを出ると昨日と同じ手順でヤンキースタジアムを目指した。今日の試合は昨日より30分遅い午後7時35分開始となる予定で夕食のポップコーンを買って席に着こうと思っていたころに始球式が始まった。

モニターを見上げるとヤンキースの背番号55番のユニフォームに身を包んだ日本人顔がマウンドから全力投球したものの投球は大きく右にそれる大暴投となってしまった。驚きはこれだけにとどまらず、始球式の主はヤンキースの共同オーナーとして君臨しているビズリーチの社長であり、暴投の原因はこの転職サイトを使わずに、60歳を直前にしてすでに転職先を決めてしまっている私への当てつけでないかと勘繰られもした。

今日のゲーム展開は昨日の試合であっち向いてホイに幻惑させられたブロンクスボンバーズの強力打線は鳴りを潜める一方でドジャースはテオスカー・ヘルナンデスの2本のホームランなどで大差が付けられていた。

私の席の斜め右前方に観戦マナーの悪いヤンキースファントリオがゲームが始まっても着席せずにはしゃいでいたのだが、いつの間にか彼らの声援はトーンダウンし、ついには周辺のドジャースファンに見送られて退散となってしまった。

食べても減らないポップコーンで口中の水分をすっかり奪われてしまったのでビール売りから$17のジャイアント缶ビールを調達したのだが、ビズリーチの社長が始球式後にビズリーチ女優がやっているような人差し指を立てるポーズを決めることが出来なかった憂さを晴らすようにそのデザインは「いいね!」の太い指を模したガチョウが「がちょ~ん」
と叫んでいるかのような図柄であった。

今日の大谷とジャッジの動向であるが、テオスカーに主役の座を奪われた大谷も3回表にきっちりレフト前にタイムリーヒットを放ち、4打数1安打でかろうじて存在を示していた。ジャッジの方は大差の負けゲームであっても彼のモチベーションは落ちることなく、2本の本塁打を放ち、ホームランキングの独走態勢に入って行ったのだった。

結局試合は11対3でドジャースが連勝し、このカードの勝ち越しを早々と決めてしまった。♪ニューヨーク ニューヨーク♪のメロディーに見送られ、ヤンキースタジアムのトイレで見た後ろ姿は松井の亡霊であったのか、また、ペンステーション近くで見上げたエンパイヤ―ステートビルは近隣のビルに反射してあたかも双子のビルに見えたのもニューヨークの幻かと思いながらホテルへの遠い道のりを引き上げていった。

6月9日(日)
午前中に2日間お世話になったHOLIDAY INN NEWARK INTERNATIONAL AIRPORTを引き払うとようやくマンハッタンへと拠点を移すこととなった。そもそも週末のマンハッタンのホテル代が異常に高かったのでやむなく郊外のホテルに投宿していたのだが、日曜になって価格も落ち着いたのでロウアーマンハッタンのウォールストリートに程近いHotel Indigo NYC Financial Districtへと颯爽とやってきたのだ。

最上階の部屋からウォール街のシンボルであるトリニティ教会を見下ろした後、ブランチのチーズバーガーで腹をこなすとお金の匂いにつられるように金融街へと流されていった。

世界の代表的な株価指数であるNYダウ、NASDAQとも史上最高値を更新している昨今であるが、関連ニュースで必ず目にするモ~モ~が「チャージング・ブル」というウォール街のシンボルである。この牛の銅像は1987年の株式大暴落、いわゆるブラックマンデーを受けて「アメリカのパワーの象徴」を意味して作られたそうだが、ゲリラ・アートとして1989年12月15日にロウワー・マンハッタンのニューヨーク証券取引所の向かいのブロード・ストリートの中央にある60フィート (18 m)のクリスマスツリーの下に突然設置されたというではないか。当初警察はこの銅像を押収しこの銅像は拘置されたが、人々の激しい抗議によりニューヨーク市公園・保養局がこの銅像を証券取引所から2つ南のボウリング・グリーンの広場に正式に設置することを決めたそうだ。大人気のこのモ~モ~はも~勘弁してくれと言わんばかりの長蛇の列の観光客の撮影スポットになっているのだが、A面の顔面だけでなく、なぜかB面のケツの下も執拗にマークされているようであった。

LAD v.s. NYY3連戦の最後の日は少し早めにスタジアムに繰り出した。「Pregame Glimpse of Greatness: A Peek Inside Yankee Stadium」というゲーム開始前のヤンキースタジアム内の見学チケットを買っていたのでツアーが始まる4時35分前には入場ゲート前に並んでいた。ヤンキースタジアムにはバックスクリーンの手前が防球網に守られたモニュメントパークになっており、そこにはヤンキースで活躍し、永久欠番としてその名を刻んだ名選手たちの伝説が奉られている。

27回のワールドシリーズ制覇を誇るこの球団の歴史を彩る名選手の中でも野球の神様ベーブ・ルースの存在感は群を抜いており、近年の大谷選手の二刀流の活躍でさらに脚光を浴びているのだが、このモニュメントパーク内を一周するとここの主が誰であるか一目瞭然となっている。

ヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーはぶれない強引さと傲慢さで常勝軍団を作り上げ、その栄光の証として掲げられた最大のモニュメントは名選手たちに囲まれたセンターに君臨しているのである。

グランドの中では試合前のバッティング練習が行われていたのだが、大谷の姿はそこになく、今年からショートを守っているムーキー・ベッツがむきになって守備練習を繰り返している姿にプロフェッショナルとしての生き様を感じた。

今日の試合はヤンキース有利の展開で6回裏終了時のグラウンド整備員による♪YMCA♪も連敗による♪ゆううつなど 吹き飛ばして 君も元気出せよ♪と日本語で言わんばかりの諸手の上がりようだった。

試合のハイライトは4打数3安打2打点と大暴れのジャッジの活躍であったが、最大の見どころは8回の表と裏の攻防であった。8回の表は大谷の左翼線打ち損ないの2塁打から始まりフリーマンの自由に打てる状況だが、チームバッティングの内野ゴロで大谷は3塁に進んだ。続くスミスはライト定位置にフライを打ち上げ、そこには強肩のジャッジが手ぐすねを引いて待ち構えていた。捕球後タッチアップのスタート切った俊足の大谷と150㎞以上のジャッジの送球の一騎打ちとなったのだが、間一髪のタイミングで滑り込んだ大谷の右足がいち早くホームベースの一角をとらえたのであった。

このシリーズの主役は誰であるかというジャッジが下されたのは8回裏のヤンキースの攻撃であった。それはLADのテオスカーでもShow Timeでもなく、この回の先頭打者として登場し、飛距離434フィートの特大弾をレフトスタンドに叩き込み、NYYの勝利を確信付けたジャッジ自身であったのだ。

6対4で勝利したヤンキースナインを祝福する♪ニューヨーク ニューヨーク♪のリズムは格別で多くのファンは最高の気分でスタジアムを後にした。スタジアムを出たところの路上でジャッジのTシャツと大谷Tシャツが並んで売られていたので迷わず$10の支払いで大谷シャツを購入し、今回のシリーズの締めくくりとさせていただいた。

6月10日(月)
ニューヨーク滞在最終日はウォールストリートの宿泊地を拠点に終日マンハッタンの名所観光に励むことにした。1987年7月当時のロウアーマンハッタンのランドマークはワールドトレードセンターのツインタワーであった。

2001年の9.11後、いつしかその地はグランドゼロと呼ばれていたのだが、今日ではワールドトレードセンタービルもその数を7棟まで増殖させている。さらにその中心部には不死鳥のごとく翼を広げた建造物がマサに羽ばたこうとしており、内部空間はショッピングセンター、複数路線の地下鉄駅が交差する貿易の殿堂としてもはや誰もグランドゼロとは呼ばず、力強い一歩を踏み出しているのだ。

体力の充電がてらバッテリーパークをぐるっと歩いて再びWTCエリアに戻り、さらにマンハッタンからブルックリンへの架け橋であるブルックリンブリッジに向かった。

この橋は交通の要衝であるだけでなく、中央部の木道は人道になっているので多くの観光客が行き来する人気スポットとなっている。

橋の上からの絶景に気を取られながら歩いていると前方に巨大な幸福の黄色いマフラーを巻かれていい気になっている若人の姿が飛び込んできた。よく見るとそれはエリマキトカゲでもなく、同じ爬虫類でもヘビー級のヘビで観光客のインスタ映えに一役買っており、NYの燃える商魂の一端を垣間見た気がした。

多くの観光客は橋を渡ってブルックリンに到着するとタッチ&ゴーでマンハッタンに引き返すルートを取っているので私もそれに倣うことにした。マンハッタンに向かう景色は林立する摩天楼に圧倒される絶景のオンパレードで、大学生の時分に投資の大部分を無駄にしたはずの英会話学校の講師から学んだ自由の女神を英語でSatue of Libertyと言う記憶を噛みしめながら自由の女神像を遠巻きに眺めていた。

黄色いヘビが出没するスポットに戻ってきたのだが、記念撮影の列はヘビー・ローテーションにはなっていない様子で放置状態のニシキヘビはブルックリンブリッジに錦は飾れていないように見受けられた。

地下鉄で北上し、ミッドタウンで地上に出るとそこにはアメリカ横断ウルトラクイズの決勝の地がそびえていた。MetLifeビルはかつてPANAMビルとして栄華を極め、その大手航空会社は大相撲のスポンサーもつとめており、「ヒョ~ショ~ジョ~!」という高らかな声を響かせて人気を博したデービッド・ジョーンズ氏が輪島や北の湖等に表彰状とともに巨大な地球儀状のトロフィーを渡していた光景が昨日の出来事のように浮かんでくるのである。

♪マリーという娘♪がいたはずの5番街を歩いているとババが抜かれたり、「七」が並べられたりする感覚を覚えたのでふと斜め前方を見上げるとそこにそびえていたのは有名なトランプタワーであった。

内部に侵入すると彼が45代大統領を務めあげた実績を刻むモニュメントもちゃっかりスペースを取っており、土産物の品数も多いのだが、何といっても常駐しているトランプが観光客と一緒にポーズを取ってくれるシステムが確立されていたのだった。

来る大統領選で切られるカードに思いを馳せながら数ブロック北上するとそこは憩いのセントラルパークで鉛筆状の細いビルを見上げながらトランプをシャッフルするように気持ちを落ち着けた。

今後いかなる高さのビルが建立されようとも摩天楼のシンボルの地位は揺るぎないエンパイアステートビルの展望台行きを所望する観光客の集団を横目に地下鉄でロウア―マンハッタンへ帰って行った。

暮れなずむウォールストリートであったが観光客の姿は絶えず、突き当りのトリニティ教会まで多くの人出で賑わっていた。尚、1987年7月時のトリニティ教会は漆黒でカラスの教会との異名を取っていた記憶があるのだが、その後紆余曲折を経て現色まで褪せていったのであろうか?

1987年7月当時、大学4年生の私はすでに大和証券への就職を決めていたため、興味本位でニューヨーク証券取引所の見学さえぶちかましていた。取引所の威光は今も変わらないのだが、それを見上げる「恐れを知らぬ少女」像なる自信家の登場は2018年まで待たなければならなかったそうだ。

トランプタワーならぬ、トランプビルまで見てモ~十分観光のフルコースは堪能したのだが、ふと強気のモ~モ~の股間に目を移すと金の玉々をしっかりと抱き抱える観光客の笑顔に仰天させられた。お金の神様であるはずのこのチャージング・ブルが自由の女神を抜いてNYの人気観光スポットの第一位に躍り出るのも遠い未来ではないことを予感させられた。

6月11日(火)
午前2時発NH159便は定刻通りに出発し、すぐに入眠したものの14時間余りのフライトを睡眠だけで消化するのは無理があった。色々考えを巡らせているうちにドジャースの選手がヒットを打って塁上で決めているポーズのことが気になった。ドジャースの選手であるキケ・ヘルナンデスに起源を発するため「キケ・ポーズ」と言い、両手を上げ、上体を傾けながら左足を上げるポーズであるが、ドジャーズ開幕戦が日本で開催される際には赤塚不二夫先生に敬意を表しておそ松ながら「シェ~」のポーズにマイナーチェンジしなければならないはずだと考えていた。

6月12日(水)
公共交通機関も稼働していない早朝5時前に羽田空港に到着し、朝日を浴びて体内時計をリセットしつつ流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥319,440(内ANA SKYコイン使用 ¥199,100)
総宿泊費 $508.34
総Air Train代 $17
総地下鉄代 $31.9
総NY Transit代 $96

協力 ANA、IHG、MLB.com

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