シンFTB米国中部縦断MLBツアー2026

それが起こったのは4月15日(水)会社からの帰宅途中に暗雲から雨がしたたり落ち始めた黄昏時であった。
とある住宅街に隣接する小学校の正門前の狭いT字路で歩道から別の歩道に移るために細い車道を横切ろうとした私の右側から突然郵便配達のバイクが突っ込んできた。元々グルコサミンやコンドロイチン不足で痛みを抱えている左ひざを庇いながらゆっくり歩いていたのだが、抜群の反射神経で急所を外したとはいえ、右前腕と右ひざに強い衝撃を受け不覚にも道路に転がされてしまったのだが、幸いにもバイクは無傷であったのだ。

事故発生時のマニュアルをたたきこまれているはずの郵便配達員は即座に警察と自分が所属する郵便局に電話を入れ、さらに救急車を呼ぼうとしたのだが、切手を貼っていない私を病院に配達させるわけにはいかなかったので、現場検証が終わると左ひざと右ひざの二足流のダメージを負ってしまった体を引きずりながらその日は帰宅したのだった。

翌朝自宅近くのやぶ整形外科の映し出すレントゲン写真がひざ周りの骨格や靭帯のしぶとい強さを証明してくれたので後は歩行時に発生する激痛をマネージメントすれば生きていけるはずなので杖をついている歩行者に抜かれて心が折れそうになっても事前に立てていた計画を死守するために飛行機を飛ばしてアメリカのセンターまで飛躍する決断が下されたのだ。

2026年4月30日(木)
両ひざの痛みは一進一退が続いているものの整体師の電気針で電流火花を体に走らせてきたおかげで♪スイッチ・オン ワン・ツー・スリー♪のキカイダーとまではいかないものの肉体は確実にチェンジしているはずである。

10:40発NH112便は定刻通り羽田を出発し、約11時間のフライトで同日午前8時半にシカゴオヘア空港に到着した。入国審査や通関をつつがなく通過すると10:30発UA5405便に乗り換えるためにターミナルを移動した。同便は機材のコンピューターの不具合で1時間の遅れを出したものの大勢に影響なく午後1時過ぎにはミネアポリス・セントポール国際空港に到着した。空港からはMETRO Blue Line ($2)にさくっと乗ると30分もかからずにミネアポリスのダウンタウンにたどり着くことが出来たのだ。

終点のTarget Field駅でMETROを下車したのだが、あたりは閑散とした様子だったのでその足で今日の宿泊地でHilton Honorsのポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るHampton Inn & Suites Minneapolis/Downtownにチェックインして体制を整えていた。

今回はレンタカーは使わずに公共交通機関を軸にした移動となるわけだが、浮いたお金でセグウエイやローラスルーゴーゴー等をレンタルして足の負担を減らすべきかと考えたのだが、手配の仕方がわからなかったので不自由な足を効率的に使うしかないと割り切った。

Midwestと言われる保守的なアメリカ中西部の一角を形成するミネソタ州は大河ミシシッピの源流を持ち、その川の流れが大きな経済圏を形成しているのだが、カナダに隣接する北部州ゆえ、4月末であっても冬の寒さの名残が残っている。思えば前回この地を訪れたのは2001年9月に発生した米国同時多発テロ直後の厳戒態勢のさなかであり、ミネソタ・ツインズの本拠地はヒュ‐バート・H・ハンフリー メトロドームという後に東京ドームを施工した竹中工務店にその技術が引き継がれたエアードームであった。

メトロドームは老朽化のためにすでにしぼんで跡形もなくなっているのだが、その後継として2009年にミネアポリスのダウンタウンの中心部に天然芝の屋外球場をオープンさせ、地元の小売企業であるターゲット・コーポレーションが命名権を取得してターゲット・フィールドとして君臨しているのだ。その後、西岡剛なる日本人が2011年に鳴り物入りでロッテからツインズに入団したのだが、2年も持たずにあえなく首になり、阪神に逆輸入されたという黒歴史が残っている。

何はともあれ、今日は岡本率いるトロント・ブルージェイズが多くのカナダ人ファンを引き連れてターゲット・フィールドを席巻するはずで、6時40分の試合開始時間を岡本フロントの1塁側ベンチ上の最前席で今か今かと待っていた。客席には今年こそワールドチャンピオンになることを信じる多くのブルージェイズファンが詰めかけていたのだが、隣のおじさんの解説によると今夜はミネソタのアイスホッケーとバスケットボールチームのプレーオフの試合が同時開催されているため、ターゲット・フィールドくんだりまで来る地元のファンは少ないのだと申し訳なさそうに語っていた。

試合の方は、ブルージェイズの4番を任されている岡本のバットからは快音は聞かれずに淡々と進み、気が付けば7対1で地元のツインズが勝利を収め、公称入場者数16,985人とは思えない数の観客が控えめに歓喜の声を上げていた。皮肉なことに勝利の控えめの歓喜が大きな歓声に変わったのはスクリーンに映し出されたミネソタのアイスホッケーチームが勝利をつかみ取った瞬間だったのだ。

今日はフィールドレベルの上席に陣取っていたのだが、途中から寒さに耐えきれずにヒーター直下の屋根の下にそそくさと移動し、試合時間の大半をそこで過ごしていた。やはり寒冷地の野球場は屋根付きエアコン付きの室内スポーツ仕様に限るのではないかとあらためて思い知らされた次第であった。

5月1日(金)
人通りが少なく肌寒いミネアポリスのダウンタウンを練り歩き、METRO駅から空港へと退散した。12:50発DELTA3870便は予定通りに出発し、1時間ちょっとのフライトでミズーリ州のセントルイス・ランバード空港に着陸した。

♪いますぐ~Kiss me, wow wow ゴ アゥェ~ I miss you、だ~い好きだ~よと笑ァ~てよ~♪

というわけで、セントルイス・ランバード空港は1927年に大西洋(ニューヨーク→パリ)単独無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグにちなんだ空港で、ここでは到着ロビーでTHE SPIRIT OF ST.LOUIS号のレプリカ機で迎えられることを期待していたのだが、その面影を目にすることはかなわず、わずかに残っていた痕跡はLindbergh Conference Roomという看板のみであった。

空港のTerminal 1からMETROに飛び乗ると30分もかからずにセントルイスのダウンタウンに到着した。早速本日の宿泊地でありIHGのポイントが余っていたのでただで宿泊できるHotel Indigo St. Louis – Downtownにチェックインをかまして20年ぶりにセントルイスを訪問した感慨にふけっていた。

ノスタルジックなダウンタウンは多くの古いビルを残しており、古き良きアメリカの雰囲気が色濃く漂っているのだが、感傷に浸っている間もなく喧噪の世界に足を踏み入れることになった。セントルイスに本社を置く世界第三位のビール生産量を誇るアンハイザー・ブッシュの名を冠したブッシュ・スタジアムは解体した旧ブッシュ・スタジアムの隣に2006年に開業し、さらにビールの売り上げを伸ばす野望のためか、球場の脇にはSaint Louis Ballpark Villageというファシリティまで立ち上げ、試合開始前からイベントの盛り上げに一役買っている。

チケット売り場で比較的手頃な価格の席のチケットを入手すると入場ゲートでCardinals Short-Sleeve Hoodieという半袖のパーカーのようなシャツが配られていたので図らずもそれが今日の戦利品となった。

今日から始まるカージナルス対ドジャースの3連戦の初戦は7時15分開始となり、プレーボール直後にクライマックスを迎える大谷の1打席目であったが、あえなくレフトフライに終わってしまった。

山本由伸を師範と仰いでいるはずのシーハンがドジャースの先発投手であったが、初回に早くも3点を先制され、その後ドジャースの反撃も及ばず7対2でカージナルスが初戦をものにした。大谷も5打数無安打に終わり、NHK BSで解説を務めているはずのカージナルスOBの田口壮も内心喜んでいたのではないかと思われたのだが、ブッシュスタジアムに詰めかけた28,308人の観衆も今いち盛り上がりに欠けているようであった。

5月2日(土)
昨夜大谷がブッシュスタジアムにアーチをかけることが出来なかった腹いせにセントルイスのシンボルとして君臨しているGateway Archまで痛む足を引きずりながらも上を向いて歩いて行った。

ミズーリ州とイリノイ州の州境を流れる大河ミシシッピの河岸に立つGateway Archはマサにこの地から始まった西部開拓のランドマークとして1965年に竣工し、アーチの高さは192m、最大幅192mを誇るセントルイスで最も高い建造物である。

アーチの頂点に到達する交通機関は窮屈トラムであるが、1999年の訪問時にすでに乗車し、昇天してしまっているので今回は狭いトラム内で折りたたむであろう膝へのダメージを考慮して断念したのだった。

Gateway Archの直下には西部開拓博物館なる地下組織が君臨しており、セントルイスのミシシッピ河岸や西部開拓の歴史を事細かく学習できるように配慮されている。

Gateway Archにまたがれた形の写真写りとして有名な旧裁判所はゲートウエイアーチ国立公園の一角をなしており、高さ58.5mを誇る銅を吹き付けられた鉄製のドームが印象的である。旧裁判所は歴史的な2つの裁判で有名で一つは黒人奴隷が身の自由を求めて引き起こした裁判でもう一つは女性参政権の付与を巡っての裁判であったという。

METROでUnion Station駅まで移動し、Union Stationはもはや駅ではなく、ホテルや水族館等のアミューズメント施設に変貌している有様を横目に今日の宿泊地に移動した。Marriott Bonboyポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るCourtyard by Marriott St Louis Downtown Westにチェックインするととんぼ返りの勢いでブッシュ・スタジアムへと急いだ。

今日の試合開始時間は昨日よりも1時間早い6時15分からなので早めに球場に到着したのだが、入場ゲートの前はすでに長蛇の列となっていた。それもそのはず今日のイベントはカージナルスのゴールドグラブ賞受賞実績を持つMasyn WinnのBobblehead人形が先着15,000人限定で配布されることになっており、私も何とかその恩恵に預かることが出来たのだった。

試合開始まで十分な時間があったのでバランス栄養食であるナッチョを食ってマッチョになろうと思ったのだが、考えてみると膝の悪い野球選手は清原和博にしても松井秀喜にしてもマッチョだったことを思い出したのだが、気にせずバドワイザーで体内に流し込んだ。

場内ではドジャースのバッティング練習が執り行われていたのだが、ふとレフト後方のフェンス際に目を移すと大谷翔平が軽いキャッチボールながらもその剛腕をふるっていたのだった。

試合開始が近づくと今日の先発投手である佐々木朗希が颯爽と姿を現し、ウォーミングアップのダッシュもそこそこにフィールドでキャッチボールを開始した。その後ブルペンに移動し、試合前の投球練習を終えると通訳の豆坊等の一行を従えて3塁側のベンチに帰って行った。

試合の方は昨日に引き続き大谷の登場で幕を明けた。しかし残念ながら今日も大谷のバットからは快音が聞かれず2三振を含む4打数無安打に終わってしまったのだった。

善戦したのは佐々木朗希の方であった。とあるテレビ番組の取材でドジャースのキャンプを見に来ていた桑田真澄からアドバイスされたグラブを持つ左手の使い方を守ろうと意識しながらの投球でファストボールも最速96マイル程度であったが、それでも1回、2回はランナーをためながらもゼロに抑えていた。

3回にツーベース2本とホームランで3点を取られはしたものの4回、5回、6回を3者凡退で切り抜けてクオリティスタートとし、次回登板へと期待を持たせながらマウンドを降りたのだった。

一方ドジャース打線は相変わらず湿りがちで大谷の後を打つフリーマンもその地主に相当するはずの名前を持つフリーランドも1本づつヒットを打ったものの得点にはつながらなかった。

「レッツ ゴ~ ド~ジャ~ス、チャッ・チャッ、チャッ・チャッ・チャッ」の歓声が一際大きくなったのは2点を返し、なおも2死ランナー1,2塁で代打のラッシングを迎えた場面であったが、空振り三振でナッシングと期し、ドジャースは2連敗を喫したのだった。

5月3日(日)
カージナルス対ドジャース3連戦の最終戦は午後1時15分開始予定のため、早めにホテルをチェックアウトし、Baseball Villageへと急いだ。試合開始までの時間を利用してMLBの名門カージナルスの伝統と格式を伝えるためにCardinals Hall of Fame and Museumが開業していたのでわずか$12の支払で入場してみることにした。

FTBがこのMuseumで確認したかった痕跡はいくつかあった。一つ目は1998年にMLBの最多本塁打記録を更新し、その数字を70本まで伸ばし一躍全米のヒーローとなったMarc McGwireの処遇である。その後2000年を過ぎるとドーピングの問題が大きくクローズアップされるようになり、McGwireも私の治療に使われている電気針の代わりに注射針によって筋肉増強剤を使用していたと自白したこともあり、本塁打記録の価値が大きく下落したのだった。その結果現在このMuseumで展示されているMcGire関連資料は首振り人形のみに抑えられていた。

二つ目はイチローの背中を負って渡米し、2002年にカージナルス初の日本人選手となった田口壮が残した爪痕である。マイナーリーグから這い上がってきた田口は外野のレギューラー獲得には至らなかったものの、ユーティリティープレイヤーとしてのいぶし銀のような献身的プレーが野球通の多いカージナルスファンに高く評価され、その活躍のハイライトは2006年のポストシーズンからワールドシリーズ制覇に集約されている。大事な試合で代打で登場し、起死回生の本塁打を放ったその魂は田口より寄贈された帽子やMIZUNO PROのバットの中に静かに封印されていたのだった。

三つ目であるが、カージナルスの存在を最も日本で有名にしたはずのアームストロング・オズマに関することであった。フィクションとは言え、少年期に貧しい母親からカージナルスに身売りされ、圧倒的な身体能力を科学的なトレーニングで開花させ、野球ロボットとして星飛雄馬の前に現れた物語は「巨人の星」読者以外にもインパクトを与えたはずであったが、残念ながらここにはアームストロング・オズマもDJ OZMAも門前払いされている様子であった。

ついでに、1982年にインディアンコントで「お笑いスター誕生」にエントリーし、ストレートで8週連続で勝ち抜いたカージナルスというお笑いコンビがいたのだが、命名したのはその師匠筋の漫才コンビである星セントルイスであったそうだ。カージナルスを構成するガダルカナル・タカとつまみ枝豆はその後「たけし軍団」に吸収合併されたのだが、ここセントルイスのMuseumに唯一残っているたけし軍団の痕跡は「ダンカン」のみであったのだ!

DUNCANの背中を見て万感の思いに浸ることが出来なかったのでMuseumから撤収してStajiumに移動した。入場ゲートで早速今日の戦利品であるCardinals Blade-Collar Shirtを受け取ると球場内のTEAM SHOPに移動し、私がお世話になっている整体師へのお土産を物色していたのだが、故障者リスト入りのために今回のツアーではその雄姿を拝むことの出来ないNOOTBAARのユニフォームを見ながら、彼に良い整体師が見つかるように祈っておいた。

今日も残念ながら大谷のバットからは快音が聞かれなかったものの、それでも相手投手から四球と死球が支給されたので何とか出塁率を保っているようであった。

取り放題の野菜をふんだんに盛り付けてバランス栄養食としたホットドッグをバドワイザーを肴に頬張って野球観戦の醍醐味を味わっているとドジャースの先発投手のロブレスキーが持ち球のスライダーをスキーのようにすべらせてカージナルス打線を牛耳ってしまい、最終的には4対1でドジャースが一矢報いる様子を見守った。

今日の観客数は36,323人という発表だったが、意外なことに「TAGUCHI」の名を冠したユニフォームを身にまとったファンが約1名存命しており、田口壮ではなく、♪涙そうそう♪の思いを胸に球場を後にしたのだった。

荷物を預けていたホテルに戻る途中でUnion Stationの敷地を通るのだが、アーケードの下の巨大な池はKoi Pondと命名されており、おびただしい数の鯉が無造作に飼育されていたのだが、緑地の方に目を向けると野生のうさぎが我が物顔で闊歩していた。

明日のフライトが早朝のため、今日の宿泊地はIHGのポイントが余っていたのでただで宿泊できるCrowne Plaza St. Louis Airportを予約していた。セントルイス・ランバート空港からシャトルバスが出ているのだが、MarriottやHiltonのバスがヘビーローテーションで運行しているのにCrowne Plazaバスは待てど暮らせどやって来ない状況を冷静に受け止めていた。
何はともあれ夜の7時過ぎにはチェックインを果たすことが出来たので屋内プールの青少年少女たちの嬌声を聞きながら短い夜を過ごしていた。

5月4日(月)
早朝4時過ぎにホテルをチェックアウトし、シャトルバスでランバート空港へ移動した。かつて存在したリンドバーグの飛行機のレプリカがどうしても見当たらなかったので少し空港の歴史を紐解いてみると何と2011年にセントルイスを襲った竜巻でこの空港が甚大な被害を被った歴史が記されていた。察するにリンドバーグの飛行機も♪ド~キィ、ド~キィすること、や~め~ら~れッ な~いィ~、オ~イェ~♪という断末魔のリズムとともにどこかに飛び去ってしまったのだと自分に言い聞かせるより他になかったのだ。

6:00発UA1371便は定刻通りに出発したのだが、早朝のフライトだったので飛行機がヒュ~と飛び立つとストンと眠りに落ち、気が付くとヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港に午前8時前に到着していた。朝飯がまだだったのでPRIORITY PASSという会員特権を利用して入場可能なエアーポートラウンジを物色するとKLMオランダ航空のラウンジに行き当たり、受付でArrivalだがラウンジに入っていいかと質問すると1時間だけ入場してよいとの返事をいただいたので中でベーグルに大量に擦り付けたアボガド等を貪って腹の足しにした。

空港のターミナルEからヒューストンのダウンタウンに向かうMETROと名乗るバスが運行していたので乗車すると40分程度でダウンタウンンのConventionセンターに到着した。そこから徒歩で今日の宿泊先であり、Marriott Bonboyポイントが余っていたのでただで宿泊できるAloft Houston Downtownに移動すると首尾よくアーリーチェックインの運びとなった。屋上にプールがあったので立ち寄ってみたのだが、何故か先約グループの女性が泣いていたのでそそくさと退散し、しばし部屋で睡眠不足を補うこととした。

野球観戦前の腹ごしらえのためにレストランを物色していたのだが、テキサスくんだりまで来て肉を食わないとカウボーイに申し訳がたたないはずなのでSALTGRASSというステーキハウスで牛の胸像からのプレッシャーを受けながらビーフと海老のコンボをご馳走になった。

ヒューストン・アストロズの本拠地は今年ダイキンが多額の代金を支払って命名権を獲得し、DAIKIN PARKとして新たな風を吹かせているのだが、私の自宅もダイキンのエアコンを4台使わせていただいているという義理もあるので早速DAIKIN PARKで野球見物と洒落こむことにした。

FTBが同球場を訪れたのは9.11明けの2001年9月に遡るのだが、当時はエンロン・フィールドと名乗っていた。エンロン社はかつてヒューストンに存在した総合エネルギー取引とITビジネスを行っていた全米でも有数の大企業であったのだが、粉飾決算が発覚し、2001年12月に破綻へと追い込まれたという血塗られた歴史に彩られている。

球場の外観と内装と蒸気機関車は当時と変わらない様子であるが、空調関係は明らかにアップグレードされているはずであろう。球場内には至る所にチームショップが開業しており、アストロズ所属の唯一の日本人である今井の調子がいまいちであってもその痕跡は日本人観光客に忖度するかのように猛威をふるっている。

チームショップで今井と大谷が肩を並べたTシャツが$40の高値で売られていたので格差社会の教訓とするために1枚購入しておいた。

グラウンドでは丁度ドジャースが打撃練習を行っており、早出の観客はスタンドでホームランボールの争奪戦に勤しんでいたのだが、手負いの私はそれに参戦することもなく静かに打球の行く末を見守っていた。

昨年の大活躍に敬意を表して大谷から世界一の投手との称号を得た山本由伸がその貫禄と共に3塁側ベンチからレフトフィールドに姿を現した。しきりにウォーミングアップの遠投を行っていたのだが、以前見た糸を引くような球筋と比較して少し山なりになっているのが気になった。その後ブルペンでの投球練習を終えると通訳の豆坊と一緒に支度のためにベンチへと帰って行った。

7時10分に開始となった試合は1回表に大谷が初球を打ってサードゴロに終わったものの後続の連打によりドジャースが幸先よく1点を先行した。しかしその裏のアストロズの攻撃では山本も本調子ではないらしく、タイムリーヒットとワイルドピッチで2点を取られ早くも逆転されてしまったのだ。

山本が登板するとドジャース打線は湿りがちになるのが定番であったが、今日のドジャース打線は活発で2回表に2点を取り早くも逆転に成功した。3回表には今年ドジャース打線の新戦力として加入したタッカーのホームランで加点し、大型契約で高っか~と言われる給料の見返りとなったのだが、以前中心選手として所属していたアストロズのファンからはタッカーらかにブーイングを浴びていた。

山本は6回を3失点で乗り切り、クォリティスタートとして何とかエースの面目を保っていた。8回からマウンドに上がったドジャースのトライネンは日本語訳で「やったるネン!」と言わんばかりにアストロズを抑え込み、9回の裏のマウンドは左腕ドライヤーに託された。1本ヒットを浴びたもののエアコンと同様に暖かい風を送る機能を持つはずのドライヤーは最後の打者を空振り三振に打ち取りヒートアップしたアストロズファンをクールダウンし、マサにDAIKIN PARKにふさわしい形で試合を締めくくったのだ。

大谷の方は3打数無安打だったものの2つの四球で2得点を上げ、チームの勝利に貢献し、山本は今シーズンの3勝目を飾った。尚、この試合で2回に逆転のホームランを放ったフリーランドであったが、2打点を挙げたフリーマンとともにドジャース打線をけん引していた。今後打線強化のためにあらたにフリーランスなる選手の派遣選手としての採用も検討すべきではなかろうかと考えながら帰路に着いた。

5月5日(火)
昨夜熱戦が繰り広げられたDAIKIN PARKに隣接するConvention CenterからMETROバスに乗り、空港へと移動した。11:35発NH113便は定刻通りに出発し、機内映画の「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」等を見ながらアメリカの大統領はババ抜きで決められるべきではないかと考えていた。

5月6日(水)
14時間弱のフライトで午後3時半過ぎに羽田空港に到着するとフライト後の生まれたての小鹿のような足取りで電流火花の待つ整骨院へと自らの肉体を輸送し、流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥515,142
総宿泊費 ただ
総METRO代 $24.5

協力 ANA, United Airlines, Delta Airlines, Hilton Honors, IHG, Marriott Bonvoy、たすく整骨院

シン・FTBタマシイレボリューションツアー in Arizona

令和6年の本厄、7年の後厄と立て続けの災難を華麗に取り除くことは出来たものの齢60を超えた加齢というものが日々心身を蝕んでいる今日この頃であろう。あと4~5年は働き続けることを余儀なくされるばかりか、重責が年々重く感じられる状況を打開するために何か手を打ちたいところであるが、今回はアメリカのパワースポットでANAのSuper Flyerである総統が♪戦いの歌、未知の世界へ タマシイレボリューション♪のサウンドと共に魂を磨き直すツアーを開催することにしたのだ。

12月27日(土)
安値が定着した感のある円安のご時世にもかかわらず年末の成田空港行の交通網はどれも混雑している様子で、あやうく飛行機に乗り遅れそうになったものの何とか17:00発NH006便の1A最前席に滑り込むと10時間弱のフライトで大谷、山本、佐々木、菊池といった野球人の常空港になっているロサンゼルス国際空港に午前10時前に到着した。

ANA Travellersに予約させておいたHertzレンタカーで手続きをかますために空港からレンタカーシャトルバスでLAX空港付属の大Hertzサービスセンターに移動し、しばし長い行列で順番待ちをした後、待望の自分の番が巡ってきて颯爽とカウンターの担当者に予約情報を渡したまではよかったが、私の予約分のレンタカーの配車がここではなく、Marriott HotelのHertzであるという衝撃の事実に直面し、しかも今日はMarriottのHertzは正午で閉まるというではないか!? 時すでに11時半に迫ろうかというタイミングであったが、スーツケースをトップギアに入れて高速で転がして15分程度で所定のカウンターに到着することに成功した。

ここまで来れば一安心かと思いきや、MarriottのHertzカウンターでも不安と不満げな表情を浮かべた数組の旅行者が手続きの順番待ちをしていたのであった。英会話のリスニングのブラッシュアップが進行中の私の耳に入ってきた会話の内容は予約していた旅行者であっても車はすべて売り切れになってしまったのであきらめて帰ってくれというトランプ大統領でもここまで言わないはずの理不尽なものであった。

私の予約分は何とか無事に都合が着いたものの、走行距離140,000 Mile以上のトヨタカムリ車は燃料半分の状態での貸し出しであったのだった。たとえ酷使されているとはいえ、日本車への安心感がオーバーツーリズムのロサンゼルスに繰り出す勇気を与え、いくつかの渋滞を切り抜けながら午後4時過ぎには本日の宿泊先であるThe Westin Mission Hills Resort Villas, Palm Springsに到着と相成った。

素敵なバケーション・ライフスタイルを謳うMarriott Vacation Club(MVC)の施設のチェックインの時間は午後4時であるが、フロントで時間を過ぎているにもかかわらず部屋の準備が出来ていないという不運な通達に見舞われながらも何とか気持ちをバケーションモードに切り替えることに専心した。ここPalm Dessertという町はカリフォルニア州の東部の乾いた砂漠地帯であるが、温暖な気候ゆえに冬でもアウトドアのプールで王道のバケーションスタイルを満喫している輩を目にすることが出来るのだ。

広大な敷地には2つのThe Westinの宿泊施設が連結しており、散歩がてらで辿り着いたホテルのイタリアン・レストランで甲殻類系のリゾットを頬張りながらリゾートの肩代わりに勤しんでいたのだった。

12月28日(日)
施設併設であるがジャンボ尾崎も草葉の陰から物足りないと思っているはずのゴルフ場を横目に鳥類とともにさわやかな朝の散歩と洒落こんだ。

チェックアウト時間の午前10時にはPalm Dessertを後にし、短い滞在時間におかんむりになることもなく、さらに乾いた土地であるはずのネバダ州に向かってカムリを走らせた。高速道路I-10を東に進みアリゾナ州との州境になっているコロラド川の手前でUS-95に侵入し、♪コトコトコットン コトコトコットン ファミレドシドレミファ♪というリズムに乗り、綿花畑を横目に北上した。

Needlesという町で高速から一般道に下りるとそこにはHISTRIC ROUTE66のしなびたオールドタウンが広がっており、高速に戻るのに難儀してもヒステリックになることなくさらに北上を続けた。

ネバダ州に入り、Boulder Cityあたりまでくると徐々にギャンブルの匂いが濃くなってくるのを感じた。荒涼な台地に敷き詰められた太陽光パネル地帯を抜け、ゆるやかな坂道の頂点に到達すると眼下にはラスベガスの平地が虎視眈々と夜に向けて輝きを放つ準備をしているかのように広がっていた。

今日の宿泊先であるMVCのMarriott’s Grand Chateauはラスベガスの目抜き通りの中心地に君臨しており、マサにお城のごとく豪華な施設の車寄せのValet Parkingの担当者にカムリを預けるとつつがなくチェックインの手続きを終了させ、高層階の部屋へと引き払って行った。

乾いた大地に夜のとばりが訪れるとラスベガスの欲望が覚醒していくような感覚を覚えたので約15年ぶりにきらめきの世界に身を委ねてみることにした。欲望の渦は時に狂気にまで発展し、この町の黒歴史となった2017年のラスベガス・ストリップ銃乱射事件の痕跡は消え失せているものの、いつ何時起こるとも限らないハジキによる攻撃を警戒しながら自身がはじけることなく慎重に歩を進めていた。

大通りであるストリップは今なお変わらない景色とリニューアルが巧みにミックスされ、特に米国人の主食になりあがったスターバックスの店舗の増殖は甚だしいものがあった。圧倒的な火力で旅行者を魅了したTresure Islandの海賊ショーはすでに廃船のみが夢の跡となっている一方で、クリーンエネルギーであるはずの水力を使用するベラッジオの噴水ショーは刃のような水の呼吸を奏でていた。

オンラインカジノにマーケットを奪われているとはいえ、ここでは生カジノも依然健在のようである。その理由は♪Sta~y wi~th me~♪というリズムで接近する堂本(胴元?)兄弟のような輩が硝子の少年をほうふつとさせるギャンブル初心者から金を巻き上げるような裏カジノの方程式に染まっていないからであろう。

折角なので私も顔に縫い目のある無免許だが腕のいい医師になったつもりでカードゲームでひと稼ぎしようという欲望に駆られはしたものの♪破片が胸へと突き刺さる♪ような衝撃を覚えたので♪歩道の空き缶蹴とば♪すような勢いでギャンブル設備のないMarriott’s Grand Chateauまでの帰路を急ぐことにした。

12月29日(月)
夜の魔力から解放されたラスベガスを午前中に後にするとその煌びやかなネオンを水力発電により作っているフーバーダム方面に南下した。厳格なセキュリティ対応が生み出す渋滞に巻き込まれたくなかったのでフーバーダム観光は遠慮させていただき、その巨大なコンクリートアーチに堰き止められたミード湖の青さを遠巻きに眺めるだけに留めておいた。

ラスベガスからアリゾナ州の中心部までをぶち抜くように通っているUS-93沿いの荒涼とした景色を横目に5時間程度のドライブで今日の目的地であるフェニックスに不死鳥のように到着した。

今日の宿泊地であり、フェニックスの北東部に位置するMarriott’s Canyon Villasに到着した頃には日暮れも迫っていたのでチェックイン後に施設の軽い見学のみかましていたのだが、幸いにも鈍サボテンで後頭部を殴られるようなサプライズはなかった。

さすがにMLBの春季キャンプが行われる土地柄だけに冬とはいえ温暖で日が沈むまで屋外プールからの歓声が途切れることはなかったのだった。

12月30日(火)
サボテンの見本市のような宿泊施設であったが、サボテグロンのようなショッカーの改造人間にとげのある対応をされることなくMarriott’s Canyon Villasを後にすると魂を赤く染めるほどのパワーを持っているはずのセドナを目指してひた走った。

フェニックスからグランドキャニオンのゲートシティになっているフラッグスタッフまでを結ぶI-17を北上し、途中地方道の179号線に入ってしばらくするとRed Rock Countyのビジターセンターに到着した。

緑の帽子でアクセントをつけられたRed Rockを見渡す展望台では多くの風景画家が手慣れたタッチで絶景の模写に勤しんでいた。

ビジターセンターではお約束のこの地に居住する生物などの説明が剥製、パネル、人体オブジェを駆使してなされているのだが、やはり♪ガラガラヘビがやってくる お腹を空かせてやってくる あいつらはグルメじゃない なんでもペロリ♪というとんねるずのリズムに乗って徘徊している毒生物には最新の注意が必要なのだ。

セドナの中心部を目指してさらにカムリを走らせると予想通り年末にスピリチュアルな体験を求める観光客の車で大渋滞の様相を呈していたのだが、おかげで次々と現れる奇岩群を車の中からじっくりと眺めることが出来たのだ。

セドナは、約50平方キロメートルの広さの土地の真ん中にオーククリークという名の川が流れ、その周りを、様々な形をした赤い砂岩の岩山が囲んでおり、中心部にカフェやショップ、ツアーデスクや観光局が並ぶにぎやかな「アップタウンセドナ」、 人気のレストランやこだわりのショップ、スーパーマーケットのある「ウエストセドナ」、 アートギャラリーやインテリアショップの並ぶ、「ギャラリー・ロー」、ベルロックやヒルトンホテルのある「ビレッジ・オブ・オーククリーク」という4つのエリアに大きく分かれているのだが、まずは今日の宿泊地であるRidge on Sedona, a Hilton Vacation Clubにチェックインさせていただいた。

Hilton Vacation Clubは見慣れたプールとゴルフ場がメインのファシリティで特に見所もなかったので夕暮れが迫る時間を見計らってパワースポットに繰り出すことにした。

セドナでは4大ボルテックスと言われるパワースポットが有名であるが、早速そのうちの一つであるベルロックのトレイルでみなぎる力のベルを鳴らすことが出来るかどうか確認させていただくことにした。

整った遊歩道に沿ったハイキングは爽快で夕日に照らされた赤い岩の上で座禅を組んでパワーを取り入れようとする旅行者の姿が散見された。

尚、ボルテックスとは大地から湧き上がるエネルギーが強く、渦巻きの形状が見られる場所なのだが、私が体験したスピリチュアルな現象は腸内で邪悪な老廃物が不意に渦を巻き始め、暮れなずむトレイルで下腹に力を入れながら死角を探すことを余儀なくされてしまったことに他ならなかったのだ。

12月31日(水)
昨夜仕入れておいたかっぱえびせんHot Garlic味でキリっと気付けをすると、夜明け前に2つ目のパワースポットに向かって車を走らせた。

標高4,500フィート (約1,370メートル) に位置しているセドナの冬の朝は凛とした寒さに包まれているものの、あけぼののSedona Airportを目指して多くの車が集結していた。気が付けば♪別れようとする魂と 出会おうとする魂と あゝ心より体の方が 確かめらるというのか~?♪というメロディーに脳内が支配されており、マサにエアポートは魂の交錯するスポットであることを思い知らされた

4大ボルテックスの一つであるエアポートメサは活力を与えるレッドロックと言われ、中心街からもアクセスしやすく、多くの観光客が訪れる場所である。名前の通りエアポートの近くにあり、セドナを一望できるので、すばらしい朝日と夕日が見られる場所として人気を誇っているのだ。

展望台からセドナの街並みを見渡すとなるほど多くの魂が浮遊している光景を目にすることが出来るのだが、この魂たちは高値を払って参加しているはずの気球ツアーに他ならなかったのだ。

♪生まれようとする魂と 老いぼれていく魂と あゝ人間のはしくれに 生まれてきたというのに~♪という思いを引きずりながらエアポートメサを後にすると一旦Hiltonに戻り、チェックアウト後に最後のパワーチャージスポットを求めてさまよった。

辿り着いた先はBALDWIN TRAILHEADの駐車場で、本来目指していた場所ではなかったもののとりあえずトレイルを歩いてみることにした。

このトレイルからは4大ボルテックスの一つであるカセドラルロックの遠景を眺めることが出来るのだが、そのパワーの強大さは明らかで再び腸内で巻き起こった渦が背中を押すように歩を進めさせ、高速でトレイルを1周した後、駐車場のぼっとんトイレへと突進させたのだった。

今回のツアーでは最もパワーが強いと言われるボイントンキャニオンに行く時間がなかったのだが、そのパワーの洗礼を受けるためには紙おむつの装着が必要なのは間違いないはずであろう。

お昼過ぎにはパワーの磁力に後ろ髪を引かれるようにセドナを後にすると600㎞以上の道のりをロサンゼルス国際空港目指してひた走った。夜8時過ぎに酷使したカムリを返却するとMarriottホテルのシャトルバスで空港へと戻って行った。

1月1日(木)
ANAのチェックインカウンターに慎ましく飾られた鏡餅を見て遅れてきた正月気分を味わい、0:05発NH105便の4K窓際席に滑り込むと約11時間半もの間セドナで注入されたパワーを持て余すこととなった。

1月2日(金)
深夜便のフライトだったので長い間ふて寝を決め込んでいたのだが、夢の中で岸田智史よろしく♪モ~ニン モ~ニン 君の朝だよ♪というモーニングコールに魂を揺さぶられた感覚を覚えると同時にキャビンアテンダントに朝の到来を告げられ、朝食の時間と相成った。

飛行機は早朝の5時前に羽田空港に到着したので公共交通機関の始発までしばし空港で待機していたのだが、不思議と疲れは感じず、むしろ♪かわろうとする魂と よどんでしまう魂と あゝ体中輝きながら 旅立ってゆけ~ 朝に~♪という爽快感に包まれていた。

今日から新年を迎えた東京での日々が始まるのだが、♪群衆を飲み込んだ まちの悲しみの渦の中に コーヒー一杯分のやさしさを そそぎこむぼくの唄よ~♪のリズムで磨かれた魂で喧噪へと戻って行った。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥293,270
総宿泊費 $175.63
総レンタカー代 ¥80,198
総ガソリン代 $172.58

協力 ANA, ANA Travellers, Herzレンタカー, Marriott Vacation Club, Hilton Honors, Superfly, 岸田智史

FTBJ西九州甘茶でかっぽれ温泉ツアー

それが始まりよったんは今年の5月に佐賀に工場を持っちょる株式会社SUMCOを訪問し、品質問題の打ち合わせが寒かった腹いせに帰りの佐賀空港で水出し嬉野茶を買った頃であったろう。

当時猛暑を迎えようとする中で何故かそれがFTBで大ヒット商品となったけん、なんべんも発注をかけないけんごとなったんやが、いっそのことそれがどけんして作られよるんかを思い知るために百聞は一見に如かず系のツアーが開催されるごとなったんよ。

10月3日(金)
13:05発ANA453便は羽田を定刻通りに出発し、15時過ぎには国際空港の看板を掲げちょる九州佐賀国際空港に到着した。楽天トラベル経由で予約したオリックスレンタカーのコンパクトカーが何か知らんけどスバルのハイブリッド普通車に格上げされちょったけん、気分よう佐賀平野の干拓地に繰り出すことが出来たんよ。

約1時間程車を転がし、栄光の名であるはずの武雄温泉をスルーしてついに嬉野温泉街へと滑り込んだんは5時過ぎくらいやったろうか?創業90年以上で嬉野川沿いに佇む和モダンの隠れ宿である吉田屋にチェックインを果たすと早速嬉野茶の香りが鼻孔をくすぐりよった。それもそのはず吉田屋の宿泊者限定のメニューとしてすでに「お茶体験」がスタートしており、フロントで生茶葉を受け取りよった客人は嬉野茶を自分で炒ってお茶の香りを楽しみながらお茶づくりを体験出来るごとなっちょるんよ。

腹が減っちょたけ、夕飯の時間を6時にしてもらい、勇んで食事処の席に着いて佐賀牛をメインに据えた地元料理を嬉野茶と共に堪能ばさせてもらったんよ。

日本三大美肌の湯を貸し切り風呂で全身にその成分を行き渡らせた後、吉田屋が「よもぎ蒸し」をアレンジして開発した「温泉お茶蒸し」を高値で体験することになったんよ。よもぎの代わりに、リラックス効果のあるラベンダーと爽快感のあるレモングラスをオリジナルブレンドした茶葉を使用し、さらに美肌効果で知られる嬉野温泉の源泉を蒸気に使用して、マントに梱包された人体の下半身から当てられよると粘膜が嬉し涙を流しよるごと爽快な気分やったんよ。

10月4日(土)
朝飯に出てきよった湯豆腐をええ塩梅で堪能し、嬉野温泉公式キャラクター「ゆっつらくん」に見送られて吉田屋を後にするとJR嬉野温泉駅前に君臨する道の駅 うれしの まるくに向かうことにしたんよ。まるくでは特に爆買い衝動は起きんかったけん、適当にお茶を買うてまるく収めたんよ。

嬉野茶の正体ば明かさないけんと思ったけ、茶を知るために嬉野市うれしの茶交流館チャオシル (https://chaoshiru.com/)にお邪魔させていただくことにした。受付の横には過去チャオシルを訪問した実績のある一流芸能人のサインが掲げられちょったんやが、佐賀をおちょくった歌でスターダムにのし上がったはなわやラップ芸人ジョイマンの色紙が一際輝きを放ちよるごとあった。

茶を知るためにはその製法のみならず歴史まで遡らないけんち思いよったけん、嬉野茶の名声がどげんして作られたかを大浦慶の「うれしの茶」貿易から学び取ることにした。イギリス人オルトからお慶に60トンの日本茶が発注され、気軽におっけいと返事したもののオルトがおるところにお茶を届けなならんくなってしもたので九州各地から茶を集めまくって海外へ送りよったというではないか。同時に佐賀藩がうれしの茶をパリ万博に出品したところ大屋根リングやミャクミャクのような思いもかけん人気となり、日本茶が急速に世界に浸透していき、昨今の抹茶ブームも真っ青やったらしいんよ。

♪I Wanna Dance Do You Like 茶、茶、茶♪のノリで一気に展示コーナーを見て回り、のどの渇きを覚えよったけん、喫茶コーナーでブルーマウンテンを発注しようしたが、ばちかぶるといけんけん代わりに蒸製玉緑茶と釜炒り茶と紅茶を発注し、レシピに忠実に従って飲み比べをして溜飲を下げよった。

うれしの茶発祥の地とされる嬉野市不動山地区には多くのキリシタン史跡が残っており、キリシタンとのつながりを契機にローマ法王にうれしの茶を贈りつけるならわしが確立されちょるごとあり、お茶を一服した法王が思わず「ほ~お~」と感心したところから法王名義で感謝状まで送られてきた実績を胸にチャオシルを後にしたんよ。

チャオシルでの座学にあきたらんかったけん、うれしの茶発祥の地と言われる「大茶樹」まで足を運び、フィールドワークをこなすことにした。国の天然記念物に指定されちょる大茶樹の推定樹齢は350年で嬉野のシンボルのひとつとなっちょるんやが、丁度白色五弁のきれいな花が咲いており、スズメバチのブーンサウンドに最新の注意を払いながらも生茶の香りを慈しむことが出来たんよ。

チャオシルから大茶樹に向かう道すがらに栄光の名を関した製茶工場が目についたので覗いて見ることにした。今後FTBの定茶屋になれるかどうかを見極めるために店舗に入店してあえて茶をごちそうになり、そのお礼にカラフルな茶筒と銘茶を購入してその実力ば吟味せなならんと思たんよ。

気が付けば長崎との県境が迫っちょたんで甘茶でかっぽれした勢いをかってそのまま長崎の宿を目指してひた走った。島原半島に突入し、キリシタン大名の優等生の一人である千々石ミゲルの名を冠した千々石展望台で「絶景かな!」と見得を切った後、生ビールでそうめんでも流し込もうという衝動に駆られたんやが踏みとどまって先へ進むことにした。

今日の宿泊地である小浜温泉街に入るとあたりにはも~も~とした湯気と温泉の臭気が立ち込めよった。その臭気を宿名に冠した「ゆのか」はオーシャンビューの室内から見る橘湾を借景とした部屋付き源泉かけ流し温泉が売りになっちょるごとあった。

チェックイン後、屋上の展望露天風呂の貸切まで時間があったけん、軽く温泉街を練り歩くことにしたっちゃ。海岸の人工島から高温の湯が噴出する噴泉塔が名所になっちょるようでその横に作られとる日本一の長さの足湯施設「ほっとふっと105」では多くの人々が白癬菌のシェアをしながら足だけ♪ばばんばバンバンバン、アビバのんのん♪をたのしみよるごとあった。

源泉温度105℃、放熱量(湧出量x湯温)日本一を誇る小浜温泉は名実ともにパワースポットであり、その蒸気は蒸し窯として天然の調理器具になっており、お約束の温泉たまごを買ったまではよかったが、高熱の卵の殻がなかなか冷めんかったんで旅館の部屋に戻り、高適温になった卵を貪りながらその固ゆで感を堪能させてもろたんよ。

屋上の貸切露天風呂で頭の位置を低くしてインフィニティ感を堪能すると待望の夕食時間と相成ったんよ。朝獲れの新鮮な海の幸から当地の名物料理である「温泉蒸し」はマサに小浜でしか味わえん逸品で是非米国の大統領やノッチも味わうべきやと思いながら静かな夜を過ごしよった。

10月5日(日)
早朝より屋上貸切露天風呂から小浜マリンパーク方面を見下ろしていた。Perfumeのようなアミューズ感を持つ浴衣後ろ姿の3人組ギャルが堤防の上で仰向けふて寝を決め込んでいたのだが、ふいに覚醒するとおもむろにラジオ体操をおっぱじめ、しかもそれはラジオ体操第二の最後の深呼吸まで息抜くことなく続けられ、それはまるで♪繰り返す このポリリズム♪んごとあったんよ。

小ぶりではあるが、風光明媚な小浜マリンパークをワイキキに見立てて開催されるイベントである「フラっとHAWAIIAN in 小浜温泉 2025」が本日の11時から開催されよるのでチラッと見させていただくことにした。

総勢約50組の素人フラダンスチームが季節外れの猛暑の中をフラフラになるまで踊り倒すということで11時の開園前から会場は熱気に包まれとった。

イベントを盛り上げるためか最初のプログラムは餅まきが予定されちょったんやが、何と餅が届いちょらんという不具合が判明したんやが、すでに体内のアルコール度数を上げている輩もくだをまくこともなく次のフラダンスのプログラムへとしれっと移行しよったんよ。

近年急激なリノベーションが進んどるごとある小浜温泉やが、温泉街の裏側に回ってみると古き良きしなびた遺物が残とった。店内で♪ききわけのない女の頬を ひとつふたつはりたおして♪といった当時は鬼畜ではなくダンディな所業や♪抱きしめるといつも君は洗った髪の香りがした♪といった哀愁のカサブランカが沢田研二や郷ひろみのリズムに乗って日夜繰り広げられちょったはずのスナックはもとより、さらに時代をさかのぼった旧小浜神社がその代表格であろう。

♪ボォギ~ ボォギ~♪とゴルフのスコアのようなリズムに乗って向かった先の山間にはモ~モ~とした蒸気が立ち昇っちょたんやが、そこの立派な門構えに小浜歴史資料館 (¥100) と記してあったので入ってみることにしたんよ。

温故知新系であるはずのこのファシリティは2つの建物から成っており、まずは1844年に建立された本多湯太夫邸にお邪魔させていただくことにした。広い縁側に囲まれた豪邸で庭を見つつ事務所で発注したアイスコーヒーを飲みながら過ごす時間はマサに至福であるんやが、取れたてのヒラメをさばいてヒレの付け根にある筋肉の部分を縁側で食すこともおつなものに違いなかろうと考えよった。

もう一つは歴史資料展示館なる建物でバラク・オバマをほうふつとさせるバラック系の温泉宿が立ち並ぶのどかな温泉街の様子がなつかしい看板達で彩られちょったんよ。

長い歴史を誇る小浜温泉やが、町に30か所ほどある源泉のメンテナンスは重労働で配管に詰まった炭酸カルシウムを定期的に砕き落とさなならんそうでマサに行楽地の光と影が反映されちょるごとあった。

15:40発ANA456便に搭乗するために佐賀空港への帰路を急いだんやが、到着直前になってANAから出発が40分遅れるという通知が舞い込んできやがったんよ。小浜で小浜ちゃんぽんを食いそびれてしもたんでこれを機に空港のレストランに駆け込んで伊万里牛の入った佐賀ちゃんぽんを佐賀ペールエールビールで流し込んで流れ解散とさせてもらったちゃ。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥19,500.- / passenger
総宿泊費 ¥90,420(二名様、二食付き)
総レンタカー代 ¥9,200
総ガソリン代 ¥2,340
総高速代 ¥670

協力 ANA、楽天トラベル、オリックスレンタカー

シン・FTB 栄光のイチローマイルストーン完結編

昨今のMLB業界は大谷翔平の二刀流復活の話題で持ちきりであるが、大谷がアメリカ野球を粉砕するはるか以前にMLBを切り裂いていた「The Wizard」との異名を持つ痩せっぽちの野球選手がいた。ステロイドで強化された改造人間の群れにユンケル1本で立ち向かうその男の孤高のプレースタイルは非常に中毒性が高く、気が付けば2001年のMLBデビューから先日の殿堂入りまで何回もシアトルまで足を運ばなければならなくなっていたのだった。

2025年8月8日(金)
午前中でさくっと業務を切り上げると、たけし軍団きっての論客の水道橋博士が住んでいるとは限らない水道橋駅まで総武線で移動し、♪闘魂こめて♪の発車メロディーに見送られてイチロ東京ドーム方面へと歩を進めた。東京ドームに内蔵される形で公益財団法人野球殿堂博物館(¥800)がひっそりと開業していたので「殿堂」とはいかに格調高いものであるのかを予習するために入場してみることにした。

奇しくもここでは2025年野球殿堂入り顕彰者にまつわる展示品がクローズアップされており、ささやかではあるが、イチローの栄光の歴史にも触れることが出来るようになっている。

もう一つの特別コーナーは言うまでもなくその魂を野球の神様まで昇華させた長嶋茂雄氏の追悼展示であり、そのダイナミックな生き様が来場者を釘付けにし、「野球は人生そのもの」であることをあらためて思い知らせていた。

サードゴロをさばいて送球後に手をひらひらさせる感覚で流れるように羽田空港第3ターミナルに移動すると21:15発NH118便は定刻通りに出発し、約8時間のフライトで午後2時半過ぎにシアトル・タコマ空港に到着した。富士山より標高の高い独立峰であるマウントレーニアの雄姿を横目に空港からの移動手段であるLink Light railの駅まで移動し、券売機でチケットを買おうとしていたときに係りのおばちゃんから私の目的地であればバスに乗った方が良いとのアドバイスをいただいたので素直に従うことにした。

SOUNDTRANSITが運航する560番のバスが来たので現金で$3支払うとシアトルからワシントン湖を隔てた東側にあるイーストサイドと呼ばれる地域の中核都市であるBellevueに向かった。40分程でBellevue Transit Centerにバスが滑り込むとそこから本日の宿泊先であるInterContinental Seattle Bellevueまで徒歩で移動した。さくっとチェックイン手続きを済ませると日本の夏とは段違いの快適な気候につられて街の散策がてらスポーツバー的なこじゃれたバーのカウンターに腰を下ろし、ビーフとすしのマリアージュを楽しみながら日の長い短い夜を飛び越えていた。

8月9日(土)
Yahoo Japan依存症の弊害がここに来て突発的に発生してしまった。

Yahoo! JAPAN IDは、不正利用や規約違反の可能性があると判断された場合、利用が停止(エラーF001, F004, F006)または一時的に制限(エラーF003)されます。また、ログイン方法の再設定が必要な場合もあります(エラーF007)。

私に襲い掛かってきたのはエラー番号:F003でそのメッセージは「利用規約違反または第三者による不正アクセスの可能性が確認されたため、現在このIDは一時的にログインを制限されています。しばらく時間をおいてから再度ログインをお試しください。」というものでログイン制限が解除されるまでの時間は公開していないとのことであった。

そのインパクトは端的に言うと私の私的なコミュニケーションの基盤となっているYahoo!メールが使えなくなってしまうという悪夢で今回のケースでは頻繁にパスワード変更を要求し、そのためのパスコードの送信先をYahoo!メールにしているTicketmasterからオンラインチケットを引き出し携帯の画面に表示させることが出来ない、すなわち試合が見れないリスクが高まってしまうことに他ならない。

血眼になって色々な情報を精査したところ、ログイン制限解除の時間はまちまちで通常は6~8時間、場合によっては数日のケースもあるとのことであった。今日の試合の球場のゲートオープンの時間から逆算して何時までに解除されなければ悲劇になるというデッドラインを割り出し、Yahoo JapanヘルプセンターのAIに問題解決させようとする安易なスタンスの背後に埋もれているメールアドレスに苦情と救済を申し入れ、同時にTicketmasterで新しいアカウント立ち上げ、チケットを買いなおす等のバックアッププランさえ浮上し始めていた。

心の平穏を取り戻すためにBellevueの街中を練り歩き、湖上のウォーターアクテビティを横目に無為に時間をやり過ごしていた。私の陳情が功を奏したのかどうかわからないが、午後3時過ぎにログイン制限は解除されたのでイチロBellevue Transit Centerのバス乗り場で51の背中を追って550番のバスに乗り、ワシントン湖にかかる浮橋を渡ってシアトルのダウンタウンに入っていった。

King Station近辺でバスを降りるとシアトル・マリナーズの本拠地であるT-MOBILE PARKに通じる道筋はマサにイチロードと化しているかのごとく51団体の行進で埋め尽くされていた。球場の正面入口前には殿堂入りの先輩であるKen Griffy Jr.とEdgar Martinezの銅像が立ち並び、選手時代の最も美しいシルエットが躍動感と共に永久フリーズされている様を確認した。

今夜は「Ichiro Number Retirement Ceremony Night」という名のイベントが試合開始に先立って開催されるため、早めに入場ゲートが開放されたので観客は堰を切って場内に流れ込んで行った。まずは腹ごしらえのためのジャンクフードを物色したところSUMODOGというイチローの体系に反比例する看板が目についたのでメニューを見たところ値段が横綱級だったので断念し、ビールとピーナツのダイエットセットに落ち着いた。

セレモニー開始前に場内のコンコースを一周し、イチローがすでにマリナーズ球団の殿堂入りしている様子をしかと確認し、Team ShopでイチローのHall of Fame入りを祝福するTシャツやグッズを物色したのだが、トランプ関税の影響なのかTシャツの価格はどれも$40を超える高値になっており、イチローどころかイチ大事の様相を呈していた。

イチロー人気を反映するように高騰したこの日のチケット代であったが、$166という高値の支払いにもかかわらず私の座席はライトポール近くの最上段に近いリモート地帯だったのでセレモニー開始前に何とかバックネット裏の最上段通路の壁を背にする好位置に体をねじ込ませ、そこからICHI-METERによる開始までのカウントダウンをマウンド後方のユンケルメーカーのsatoのロゴと共に静かに見守っていた。

SHOW TIMEの合図が告げられ、センターのゲートがオープンするとスーツ姿のイチローが出現し、センターフィールドに刻まれた巨大なエリア「51」を颯爽と通り抜け、球団のVIPやマリナーズのレジェンドが参列するステージに厳かに進んで行った。

参列者ひとりひとりとハグを交わした後、定位置の演台につくと左中間スタンド後方の永久欠番の除幕式が華々しく執り行われた。

場内の盛り上がりメーターがレッドゾーンを振り切ると待望のイチロー氏の演説の火蓋が切って落とされた。推敲に推敲を重ねたはずの原稿を流暢な英語で読み上げ、時折ユーモアを交えたコメントの後には場内には爆笑の嵐も吹き荒れ、後半には弓子夫人をはじめとする支援者への感謝の辞が述べられたのだが、チチローこと鈴木宣之氏に対する謝辞は含まれていなかったのだ。

健全な大人のたしなみである「飲む!打つ!買う!」ための資金を息子の打撃の基礎技術構築のためのバッティングセンターでの「打つ!}につぎ込んできたチチローにとってはまさかのスルーの仕打ちであり、地元の名古屋で涙の味噌煮込みうどんをすすってはいないかという余計な心配をよそにセレモニーは喝采とともに終了し、速やかにゲーム開始へと流れて行った。

アメリカン・リーグ西地区の首位争いを展開しているマリナーズとタンパベイの3連戦の2ゲーム目は7時前にプレーボールとなったのだが、イチローのHall of Fameに展示される殿堂の額が特別に来場者に公開されるということで多くのファンは試合そっちのけで展示コーナーまで長蛇の列を作っていた。

体感的に1時間くらい並んだ後、待望の額との記念写真の瞬間が訪れたのだが、撮影係りの人が私のソニー製のコンデジの使い方に疎いためかメモリーにその記録は残っておらず、今夜のマリナーズの勝利とは裏腹に涙を飲む結果となってしまったのだった!ちなみに今夜の観客数は45,249人と発表されたのだが、そのほとんどはイチローの生演説が目的であったろう。

8月10日(日)
昨夜のセレモニーの祝辞でマリナーズの球団社長が2026年にイチロー氏の銅像を建立する計画を発表したのだが、その色合いもユンケルのパッケージと似たものが予想されるため、バットを立ててど~ぞ~よろしくとピッチャーを見据えるその美しいシルエットがマサにシアトルの黄帝として君臨したあかつきにはまたシアトルに来なければならないと考えながら時差ボケ明けのの朝を迎えた。

今日は早めに球場に赴かなければならない理由により午前9時過ぎにはホテルをチェックアウトし、昨日と同じ手順でT-MOBILE PARKに向かった。開門前の球場周辺には既に長蛇の列が出来ていたのだが、その目的は「Ichiro Hall of Fame Plaque Day」と称するイベントで先着2万人のファンに無償提供されるイチロー氏の殿堂入りの額のレプリカを命がけでゲットすることに他ならない。

今日は昨夜のような記念写真が撮れていないというしくじりもなく、首尾よくレプリカを入手出来たので気楽に安い席での試合観戦に臨むこととなったのだが、この時期シアトルで一番多忙なイチロー氏は今日も球場に駆け付け「会長付特別補佐兼インストラクター」という日常業務を遂行する傍らで始球式にも登場することとなっていた。

今日の始球式は新旧51番の競演で新51番のイチロー氏がキャッチャーに扮装した剛球左腕投手の旧51番ランディ・ジョンソン氏にレーザービームをお見舞いするという趣向で、来年にはマリナーズの51番はイチロー氏だけでなく、ジョンソン氏との連名の永久欠番となることが確定しているのだ。

レーザービーム球が無事にジョンソン氏のミットに収まると漫才師のオール阪神巨人をほうふつとさせる身長差を気にすることなく笑顔で記念撮影に応じ、この日のメインイベントは無事終了となったのだ。

おまけの試合の方は午後1時過ぎにプレーボールとなり、ヤンキースのアーロン・ジャッジや大谷を凌ぐホームランの量産体制を誇っている重労働キャッチャーでスイッチヒッターのカル・ローリーの3試合連続45号本塁打で見事マリナーズが3連勝を飾り、イチローお祝い週間に花を添えたのだった。ちなみのこの日の観客数がわずか37,434人で伸び悩んだのはIchiro Hall of Fame Plaqueが2万人限定での配布にとどまったからであろう。

地元シアトルでのIchiro Weekの連戦を見事な6連勝で飾ったマリナーズファンの熱狂も冷めやらぬ中、軽く祝杯でも挙げるためにパイクプレイスマーケットに向かった。お馴染みのスターバックス1号店は相変わらず聖地巡礼の賑わいで近寄りがたかったので数軒先のカジュアルなシーフードレストランでフィッシュアンドチップスを肴にクラフト系のビールで乾杯した。

シアトルダウンタウンからバスでBellevueに戻り、ホテルで荷物をピックアップして560番のバスでシアトル・タコマ空港に移動した。23:40発UA2019便は定刻通りに出発し、約5時間余りを移動手段兼宿泊設備となった機内で過ごしていた。

8月11日(月)
午前7時過ぎにワシントン・ダラス空港に着陸すると流れるようにUA2295便に乗り換え、9時半前にニューアーク・リバティー国際空港に到着した。早速NJ Transit列車でマンハッタンのPenn Stationに移動し、昼前にはニューヨークでの宿泊地であるMarriott Vacation Club (MVC), New York Cityにたどり着いた。タイムズスクエアに程近いMVCは外装工事中でエンパイアステートビルを眺望出来る部屋を予約したにもかかわらず、工事の足場に妨害されていたのでビジネスホテルと同等の広さを持つ部屋の中ではサイレン等の騒音を子守歌に静かに過ごすしかなかったのだ。

ニューヨークで入浴出来ないシャワータイプの部屋だったが、昨夜の睡眠不足を補うことが出来たのでミッドタウンからセントラルパーク付近までぶら散歩をかますことにした。関税戦争でババを引くのは誰なのかと考えていると目の前にTRUMP TOWERが出現したので1年ぶりに入ってみることにした。45代大統領であることを誇示するコーナーは昨年と変わらず賑わっていたのだが、47代に関してはまだ準備が出来ていないようでアパレル土産の前面にわずかに47の文字が確認出来るにとどまっていたのだった。

8月12日(火)
わざわざシアトルから飛行機を飛ばし、大陸を横断してニューヨークくんだりまで来た目的を実現するために午前7時にMVCに程近いHerzレンタカーのマンハッタン営業所に向かった。その目的とはマサに殿堂入りすることであったのだが、私に与えられた車は電動車ではなくフォルクスワーゲンジェッダというガソリン車であった。

大都会マンハッタンを北上後、ニューヨーク州の郊外を抜け、さらに州都のアルバニーから西に進路を取ると4時間程度のドライブで片田舎のクーパーズタウンに到着した。早速パーキングメーター式の無造作な駐車場に車をねじ込むとイチローの看板を頼りに
「National BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM」(https://baseballhall.org/)にたどり着いた。

初めてここを訪れたのは23年前の2002年1月で当時の入館料は$9.5だったのだが、今では大人は$30を支払わないと入ることが出来ないのだ。

館内はHALL OF FAMEとMUSEUMの2つのゾーンに分かれているのでまずは年代別に殿堂入り者の額が分けて展示されている殿堂地帯からじっくり見ていくことにした。殿堂は1936年から始まったものでベーブ・ルースやタイ・カッブ等の初年度の対象者はThe First Classとして別格の扱いを受けている (https://www.baseball-reference.com/awards/hof.shtml)。

一通り殿堂者の額を見て回った後、MUSEUM地帯に分け入ったのだが、2025年殿堂入り者に対しては特別の展示コーナーが設けられ、イチロー氏の歴史は愛工大名電まで遡られていたのだ。

また、期間限定で日本のYAKYUとアメリカのBASEBALLの交流の歴史が掘り下げられており、文化の違いを超えて技術や選手を輸入/逆輸入し、切磋琢磨してきた様子に多くの米国人が感銘を受けている様子であった。中でも呪い好きの米国人にとって欠かせないネタとして「KFCの呪い」が紹介されていたのだが、彼らにとってはアメリカの鳥王であるカーネル・サンダースを道頓堀どぶ川に沈める行為など大統領の暗殺に匹敵する愚行にしか思えないはずであろう。

MUSIUMの一般展示エリアには様々な記録を彩る遺品が数多く展示してあった。中でも私の目を引いたのはイチロー氏のシーズン最多安打の目撃証人である純正ICHIMETERや一時連続試合出場の世界記録を持っていた広島カープの衣笠のスパイク、Ricky Hendersonがシーズン最多盗塁の記録を打ち立てたときに履いていたMIZUNO製のスパイク等であった。

素晴らしい記録を打ち立てながら殿堂入りが許されない名選手にも多少のスポットライトが当てられている様子で、ドーピングによりショッカーの専売特許である改造人間認定されたはずのサミー・ソーサやマーク・マグワイアのグッズも反面教師的な役割を果たしていた。

昼飯時に一度退館し、チーズバーガーで腹ごしらえした後、「野球誕生の地」と呼ばれるのどかな田舎のクーパーズタウンの野球インフラの様子を垣間見ることにした。DOUBLEDAY FIELDは簡素な草野球場の様相を呈してはいるが、MLBの奉納試合も開催される野球の神様があらせられる聖地のはずである。その傍らには日本のバッティングセンターに匹敵するBATTING RANGEが開業しており、木製バットの工房ではイチローが現役時代一度も型を変えることがなかった篠塚モデルの削り出しも可能であろうと思われた。

街と野球が抱き合わせとなっているクーパーズタウンのメインストリートを一通り見物した後、HALL OF FAMEに再入館し、あらためて野球の名士が居並ぶ殿堂の額の展示場をじっくりと見て回った。先週シアトルのT-MOBILE PARKに出張していたイチロー氏の額も無事所定の位置に収められていたので落ち着いてその殿堂入りの説明文と向き合った。そこには並外れた自己管理と比類なきバットコントロールといった美辞麗句が並んでいたのだが、ユンケルパッケージ色に彩色されたその表情は元楽天監督の今江と見まがうほどで、きっと前世では双子の兄弟であったろうと思ったのは多くの見学者の中で私だけのはずである。

午後3時過ぎには自らゲームセットを宣言してクーパーズタウンから退場するとイチロ、マンハッタンへの帰路を急いでいた。往路と同様4時間くらいかけて帰還し、レンタカーを返却してMVCに戻ってきた。部屋からはエンパイアステートビルの美しい眺望は望めないので最上階のバーで高値のビールを飲みながら今後はここを定宿にして見慣れた景色にするべきかどうか考えていた。

8月13日(水)
昨日のクーパーズタウンへの遠征で全精力を使い果たしていたのだが、せっかく♪わ!ニュ~~ヨ~~ク♪にいるのでお上り観光もかましてみることにした。

午前11時にMVCをチェックアウトして地下鉄でロウアー・マンハッタンに向かった。お金の匂いがする方に歩いていくと匂いの元は猛牛のGolden Ballsのようで成金を目指す輩はそのお宝を掴んで玉のような笑顔を浮かべていた。

ウォール街にあるニューヨーク証券取引所ビルの向かいに設置されている「恐れを知らぬ少女」は最高値を更新したダウ平均株価を背景により一層その存在感を高めているようだった。

もはやグランドゼロとは呼ばれないワールドトレードセンターを抜けてブルックリン・ブリッジから自由の女神の遠景をカメラに収め、チャイナタウンとリトルイタリーのビルの構造がどれも典型的な非常階段をファサードに設置していることに何となくノスタルジックな感情を覚えると再び地下にもぐってミッドタウンに向かった。

地上に出た目の前には「アメリカ横断ウルトラクイズ」の聖地であるMetLifeビル(旧PANAMビル)が立ちふさがり、思わず55歳で保険金を払い終えたメットライフアリコの終身保険の保険金受取額と解約払戻金の比較シミュレーションが走馬灯のように脳内を駆け巡った。

♪君はロックなんか聴かないと思いながら♪ロックフェラーセンターをスルーして地下鉄で向かった先はニューヨーク・メッツの本拠地であるciti FIELDであった。おばけフォークでバッターに呪いをかけ、エースへと大化けした千賀の登板予定は明日だったので今日は一番安い$10そこらのチケットを手にスタジアムに入って行った。

千賀は♪ロックなんか聴かないと思うけれども♪彼の登板の際にはHiromi Goの全盛期の楽曲である♪お化けのロックンロール♪で♪イヒッヒ ヒーヒヒ イヒ イヒ♪と盛り上げようと思っていたので残念な日程であった。

午後7時の試合開始1時間前からスタジアムは雷雨に見舞われ試合開始時間が未定となったため、泣く泣くスタジアムを後にした。チケット代$10が無駄になったと思いきや、入場時にメッツのマスコットとして君臨しているミスター・メッツの配偶者であるはずのミセス・メッツの首振り人形をもらっていたので転んでもただで起きない状況ではあったのだった。ちなみにメッツ夫妻は気づいていないかもしれないが、日本には彼らの子供に相当するはずのミスター・チルドレンがinocent worldでシーソーゲームにうつつをぬかしているのだ。

一旦荷物引取りにMVCに戻った頃には雨は上がっていたが、帰りの便に間に合わせるためにそそくさと地下鉄でJFK空港へと急いでいた。

8月14日(木)
深夜のラウンジで夕食を掻き込み、アルコール濃度を上げた状態で搭乗すると丑三つ時の2:00発NH159便は定刻通りに出発し、チチローにしてみれば孝行息子のイチローはすでにsatoに養子に出したものと割り切っているのではないかと考えながら14時間余りを機内で過ごすこととなった。

8月15日(金)
鈴木一朗という何の変哲もない名前が唯一無二のカタカナのイチローになった感慨を胸に流れ解散といきたいところだが、午前5時に羽田に到着するとイチロ会社に出社し、イチローが頑なに守っていたルーティン生活に戻って行ったのだった。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥347,120
総宿泊費 $663.17
総バス代 $15
総NJ Tranjit代 $17
総地下鉄代 $14.5
総 JFK AirTrain代 $8.5
総レンタカー代 ¥13,270
総ガソリン代 $52.17
総高速代 &52.58
総走行距離 441マイル

協力 ANA、ANA Travelers、Hertz、IHG、Marriott Vacation Club、Ticketmaster.com

シンFTB驚異の日本人出稼ぎMLBリーガーとスモーキーツアー in 米国南部

♪エブリバディ サムライ スシ ゲイシャ ビューティフォー フジヤマ HA HA HA♪

というわけで、円安バーゲンオーバーツーリズムで沸き返る日本の観光地ではもはやFUNK FUJIYAMAの歌詞は過去の物となっているはずなのに今年の3月に来日したドジャースとカブスの一行の中には♪ワタシハ NIHON ハジメテデス♪の輩も多かったと聞いている。日本のコスパの高さをあらためて世に知らしめる機会となったのは間違いないが、それと反比例するように日本人の旅行意欲は減退し、GWに海外で羽を伸ばそうという気もなかなか起こらないようである。そんな状況下でもアメリカに出稼ぎに行っている日本人メジャーリーガーの活躍は目覚ましく、飛行機を飛ばしてまで見る価値があるのは間違いないはずなのではるばるアトランタまで足を延ばすツアーの開催と相成ったのだ。

2025年5月1日(木)
空港ビル内に垂れ下がっている大谷翔平の看板に見送られつつ、10:40発NH112便は予定通り羽田空港を出発し、アトランタを舞台にした長編名作映画「風と共に去りぬ」を遠ざかる意識の中で見ながら12時間以上の浪漫飛行でシカゴオヘア空港に到着したのは同日の午前8時半過ぎであった。米国入国に必要なESTAの取得がぎりぎりになってしまっていたのでImmigrationでオヘア空港の別のオヘヤに連行される妄想を抱きながらも無事入国を果たし、乗継便の10:35発UA1848便に滑り込むと午後2時前にはハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港に到着することに成功した。

世界最大級の航空会社であるデルタ航空のハブ空港であり、2000年より発着数及び利用者数において世界中で一番忙しい空港内でレンタカーセンターを探すのは至難の業であったが、何とかスカイトレインに乗ってたどり着くとANA Traveler’sに予約させておいたThrifftyでヒュンダイの小型RV車をレンタルすると風と共に大都会アトランタの喧噪の世界に飛び出した。

米国に入国してからiPhoneのデータ通信が出来ない不具合に見舞われており、地図アプリも使えない状況なので自らの動物的勘を頼りにアトランタの町をさまよっていた。ジョージア州を縦断して北に向かうI-75に入りダウンタウンを突っ切ろうとしたものの片道7車線すべてが渋滞しているというモータリゼーションの負の遺産を目の当たりにしながらアトランタオリンピックの聖火台に火を灯した実績のあるモハメッド蟻のように進んで行った。

いつしか渋滞は解消し、テネシー州のチャタヌーガという都市を抜けてグレートスモーキーマウンテンズの方角を目指してひた走った。途中で2回ほど地元住民に道を確認させていただき、今日の宿泊先であるStaybridge Suites Pigeon Forge – Smoky Mtnsに命からがら
辿り着いた時間は午後10時頃であったろうか? 昼食も夕食も抜いていた状態だったのでホテルの売店で買ったチップスをオレンジジュースで流し込みながらKDDIのサポートに電話してデータ通信のトラブルシューティングに勤しんでいたのであった。

5月2日(金)
ホテルの粗雑なアメリカンブレックファストでも息を吹き返すことが出来たので昨日の夜に見た街並みの不思議な光景の正体を見極めるためにピジョンフォージの町をしばし車で流すことにした。

グレートスモーキーマウンテンズのベッドタウンであり、チープなリゾートの様相を呈するピジョンフォージには多くのファンキーな建造物が君臨しているのだが、倒壊ビルやタイタニックのミュージアムは形あるものは壊れるといった諸行無常のコンセプトを表してさえいるのであろうか?

アパラチア山脈の南端、テネシー州とノースカロライナ州にまたがるグレートスモーキーマウンテンズ国立公園は、アメリカで最も入園者数の多い国立公園で、どのような集計方法かは不明だが、年間約1134万人でグランドキャニオンの2倍以上と言われているそうだ。ピジョンフォージを出て園内のリゾートタウンであるギャトリンバーグのWelcome Centerで熊の歓迎を受けた後、入園料を徴収されることもなく、すみやかに国立公園に滑り込んで行った。

♪パープルタウン♪であるニューヨークは♪紫に煙る夜明け♪であるが、グレートスモーキーの上空には厚い雲が燻っており、カールスモーキーのような胡散臭さが漂っていた。

まずはSugarlands Visitor Centerでこの公園が世界遺産に登録された理由となった生物学の多様性を学習させていただくことにした。多くの剝製コレクションの中で特に気になったのはやはり赤いきつねと緑でないたぬきのコンビであった。しかし残念なことに石井竜也の映画監督デビュー作である「河童」はここにはいないようで入園記念に黄桜辛口一献で祝杯を挙げるわけにもいかなかった。

ビジターセンターからはトレイルが伸びており、♪Shake Hip!♪のリズムで辿り着いた新緑まぶしいCataract Fallsは家族連れの憩いの場所になっていた。

ブラックベアを始めとする野生動物との遭遇を期待してケーズコーブという草原を取り囲む1周約11マイルの舗装道路に侵入した。乗馬用に導入されている馬がいる駐馬場を過ぎ、アメリカではバーボンウイスキーであるはずのワイルドターキーを遠目に見ながら道は徐々に渋滞していった。

観光客が一斉にカメラを向けているその先には灰色の鼻先がスモーキーなブラックベアが単身で草原の中をさまよっていたのだった!

熊の出現により思いのほか足止めをくらい、公園を出るのが午後3時過ぎになってしまったのだが、とにもかくにもアトランタへの帰路を高速で疾走した。アトランタ・ブレーブスの本拠地であるTruist Park近辺に予約していた駐車場に6時半過ぎに車を滑り込ませると野球ファンの流れに身を任せて入場ゲートへの道筋を急いだ。iPhoneのデータ通信の復旧により首尾よく電子チケットのダウンロードに成功した勢いをかってこの球場内で一番多い数字であるはずの「17」を追いながらドジャース側の3塁側席奥地に腰を下ろした。

アトランタの地における日本人シリーズと言っても過言ではない一戦は大谷の登場で幕を明けると同時にブレーブスも最大のピンチを迎えたのだが、大谷はあえなく三振に切って取られてしまった。

今日のゲームのハイライトは何といってもドジャースのエース山本由伸の快投である。独特の「あっち向いてホイ!」投法はさらに磨きがかけられており、最初はグーと言いながらも相手がついチョキを出してしまうほどの圧倒的な威圧感で投球する前からすでに勝負は決まっているようであった。結局山本は6回を投げて1安打無失点でブレーブス打線の勇気を最後まで封じ込め、ブレーブス球場のチャンスの時に一体となって炸裂するトマホークチョップもフリーズしたままであった。

山本降板後に雨が降り、数10分間の中断を余儀なくされたものの試合は2三振を喫した大谷の不発にもかかわらずドジャースが2対1で辛くも初戦をものにしたのだった。

昨夜の宿もIHGポイントを使っての無料宿泊であったが、今夜もHoliday Inn Atlanta-Northlakeに無料でしけこむと首尾よく数時間の寝床を確保するに至ったのだ。

5月3日(土)
Holiday Innで朝食が提供されなかったという不測の事態はあったものの、チェックアウト後にダウンタウンまで足を運びガソリンスタンドのチョコレートとドーナツで人体への燃料補給を行った。

アトランタくんだりまで来てマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの足跡を辿らないとアトランタまで来た意味がないはずなのでダウンタウンの中心部に位置するその国立歴史公園を訪問させていただくことにした。首尾よくVisitor Parkingの空きを見つけ車を駐車することが出来たのでまずはNational Park Service Visitor Centerに入ってみることにした。

キング牧師が非暴力不服従という点でお手本としたインドのマハトマ・ガンジーの銅像に迎えられて中に入るとそこに広がっている世界はマサに「I have a dream !」そのもので、公民権運動の闘争と勝利、そしてマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの平等と正義に対するビジョンの持続的な影響を深く理解するための展示品の数々であった。私が生まれた1964年にキング牧師は史上最年少の35歳でノーベル平和賞を受賞したものの、1968年4月4日にはテネシー州メンフィスで暗殺されてしまっている。その後多くの議論を経て彼の誕生日である1月15日(1月の第三月曜日)はキング牧師記念日として国民の休日となったのだが、日本における人物関係の休日が天皇誕生日のみであることを考えると自由の国を標榜するアメリカがいかに不自由に関して敏感であることが理解出来るのである。

キング牧師とその妻の墓はVisitor Centerの目の前のThe King Centerに恭しく奉られ、訪問者が後を絶たないのだが、彼の生家は一時的に閉鎖状態で内見不可となっていたのでその暮らしぶりをうかがい知ることが出来なかったのが残念であった。

キング牧師の聖地から2㎞以内の場所にジョージア州議事堂がそびえている。この建物はアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されているのだが、今日は休日のため遠巻きにしか眺めることが出来なかった。

日本で天下分け目の戦いと言えば関ケ原であるが、1861年に勃発した南北戦争はマサにアメリカ版関ケ原の戦いと言っても過言ではなく、激戦地の一つであるアトランタではKennesaw Mountain National Battlefield Park, Mariettaにてその様子が今に伝えられているので「風と共に去りぬ博物館」の見学を断念してまで入場させていただくことにした。

Visitor Centerに入館すると会議室で何らかのデモンストレーションが行われており、プレゼンターのおね~さんに執拗に入室を促されたので渋々話を聞いてみることにした。ここでは当時の戦闘服に身を包んだ兵士が銃を携えて一連の攻撃の流れを身を挺して説明してくれたのだが、実際の戦闘の時間よりも訓練や待機の時間の方が圧倒的に長かったので戦意を維持することがいかに大変かを思い知らされた。

近隣のアメリカ的なファミリーレストランでサクっと昼食を済ませ、Marriott Bonvoyポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るCourtyard Atlanta Northlakeまで車を飛ばしてチェックインすると野球観戦モードにギアを切り替えることにした。

今日は余裕をもって野球場に到着出来たので2017年に建立されたTruist Park周辺をぐるっと回ってみることにした。ブレーブスのレジェンド選手の銅像のそばには子供用の小さなフィールドがあり、将来のメジャーリーガーを育んでいる様子がしかと見て取れたのだが、やはりアメリカではベースボールが生活の一部になっていることは疑いようのない事実であろう。

試合開始予定が7時15分なのでその前にジャンクフードを掻き込み、巨大スクリーンでの選手紹介とアメリカ国歌の斉唱も終わり今か今かとプレーボールのコールを待ちわびていた。しかしながら、一向に試合が始まる気配はなく、選手がグランドに姿を現す代わりに上空には厚い雷雲が垂れ込め始めたのだ。グランドキーパー陣がフィールドに巨大なシートをかぶせるとほどなくして雷鳴がとどろき始め大粒の雨が地面を打ち付ける展開となり、ここから松山千春よろしく♪長い夜♪の始まりとなった。

遅延が1時間以上経過した頃、おもむろにアルコール以外のドリンクとフードを40%値引きするという場内アナウンスがあり、たとえ試合が出来なくてもフードロスの影響を最小限に抑える配慮なのかと思ったのだが、2時間以上経過後に雨が止まなくても♪おま~えだけにこの愛を誓う♪といった律儀な野球ファンは球場を後にしたりすることはなく、ついに3時間遅れの10時15分試合開始というアナウンスがなされ場内は大きな歓声に包まれたのだ。

長い遅延時間を利用して球場内の散策と洒落こんでいたのだが、チームの歴史と栄光を展示しているモニュメントには世界の王貞治に抜かれるまでその755本という本塁打数は世界一であったハンク・アーロンのコーナーがひときわ目を引くものとなっていた。

試合開始直前にレフトスタンド最前列ドジャースブルペンフロントの自席に戻ると満を持して今日の先発投手の佐々木朗希が通訳を伴ってウォーミングアップのためにベンチから飛び出してきた。

槍投げ省エネ投法の山本由伸と違って佐々木朗希はその贅沢な手足の長さゆえにスピードは出るが肉体に脆弱な部分があればそこに応力が集中して故障につながってしまうリスクを抱えている。

ブルペンに入ると球筋までは見えなかったもののキャッチャーミットから発せられる音でその威力は十分に感じられ、フェンスの上から見下ろすその先にははっきりとフォークボールの握りが見えたのであった。

ブルペンからベンチに戻る際の右腕を気にする佐々木の様子が気になったものの、試合は通常では終了している時間であるはずの10時15分に開始となった。初回いきなり大谷のセンター前ヒットで観客の目を覚まさせたのだが、後続が続かず無得点に終わってしまった。

立ち上がりの佐々木はヒットと四球でランナーを2人出したものの5番打者のマーフィーを三振に切って取り、上々の滑り出しとなった。しかし2回の表ドジャース1点先行の後にはすぐにタイムリーヒットで追いつかれてしまった。

試合は早くも3回の表に最大の山場を迎えた。この回の先頭打者の大谷のバットが一閃すると打球は大きな放物線を描いてセンター左の観覧席に着弾した。ドジャースブルペンに陣取っている投手陣の盛り上がりとひまわり種シャワーの余韻に浸る暇もなく、後続打者の出塁とタイムリーヒットによって佐々木に3点目の援護がもたらされた。

さらに4回表のドジャースは二死から大谷のこの日3本目のヒットを皮切りに4点を追加したのだが、その裏のブレーブスの攻撃で佐々木は2点を奪われたのでこの回で降板となるのではないかと懸念された。

しかし、佐々木は何とか5回裏のブレーブスの攻撃を三者凡退で切り抜け、勝ち投手の権利を持ったまま降板となった。試合はその後8回の表にブレーブス在籍時の2020年にMVPを取った実績のある自由人フリーマンのスリーランホームランがダメ押しとなり、10対3でドジャースの佐々木に念願のメジャー初勝利がもたらされたのであった。

5月4日(日)
日付はすでに代わっており、♪長い夜♪の主役のヒーローインタビューは当然大谷の務めであったが、今回のシリーズの心残りは300年前の東京からタイムスリップしてやってきたような気風の良さを誇るドジャースのユーティリティプレイヤー トミー・エドマンの故障による欠場であったろう。日本名で江戸富男と名乗るかどうかは定かではないが、横浜の「べらぼう」に匹敵する逸材であることは確かである。

ここ2日の試合観戦で見たいシーンはすべて見尽くした満足感を胸にホテルに帰還すると時刻は優に丑三つ時を回っていた頃合いであったろう。睡眠時間もそこそこにホテルをチェックアウトすると再びスモーキーを目指してアクセルを踏みしめていた。

グレートスモーキーマウンテンズ国立公園のノースカロライナ側の入り口にあるチェロキーという小さな町の地ビールレストランでハンバーガーを片手にブランチを楽しむとOconaluftee Visitor Centerでチェロキー族の歴史と暮らしぶりを学習させていただいた。

公園の中心部を縦断するUS-441号線を一気に駆け上がり、ニューファウンドギャップという標高1,529mの峠の駐車場に車を止め、ノースカロライナとテネシーの州境に股をかけた。

ニューファウンドギャップの近くから脇道の舗装道路が伸びていたので約20分程車を走らせるとドン付きの駐車場に行き当たった。そこから徒歩で急な登坂を800m程上ると人工的な展望台が姿を現した。

ここは標高2,025mの園内最高峰でクリングマンズドームと言われ、360度のパノラマを背景にカールスモーキー石井が誇るレコ大受賞曲の♪君がいるだけで♪を熱唱しようかと思ったのだが、通信カラオケの電波が届かないようなので断念せざるを得なかった。

観光客を軽~く煙に巻くような景色に別れを告げ、アパラチアントレイルというアパラチア山脈を縦断する長大なトレイルを横目に一気に来た道を駆け下りチェロキーまで舞い戻ってきた。

「エルクにもプライバシーが必要だ!」という看板文句とは裏腹に発信機を付けられた鹿を見て仕方ないとは思いつつ、後ろ髪を引かれるようにスモーキーの地を後にしたのだった。

Marriott Bonvoyポイントがさらに余っていたので私はただで宿泊出来るThe Westin Atlanta Airportに夕暮れ時にチェックインし、テレビを付けるとそこには一昨日、昨日と二夜連続で目にしたブレーブスとドジャースの死闘が繰り広げられていた。画面越しには現地の熱狂は中々伝わりにくいのは当然だが、今日の試合は特に見せ場はなく地元ブレーブスが3連戦の最終戦で勝利をものにし、何とかアトランタのファンの溜飲を下げることが出来たのであった。

5月5日(月)
9:25発UA632は定刻通りに出発し、約1時間半のフライトでワシントンダラス空港に到着するとラウンジで一息入れる暇もなく12:15発NH101便に乗り継ぎ、13時間以上機上の人となっていた。

5月6日(火)
♪浪漫飛行♪中の機内のエンターテイメントプログラムを見ながら、日本の米騒動の原因はカールスモーキーの陰謀で備蓄米の放出とともに米米CLUBも復活するのではないかと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥388,770
総宿泊費 ただ
総レンタカー代 ¥32,909 + $149.81
総ガソリン代 $100.69
総駐車場代 $101.37
総走行距離 1,072マイル

協力 ANA、ANA Travelers、Thrityレンタカー、IHG、Marriott Bonvoy、KDDI

シン・FTB新春準弾丸ツアー コオリナ・リゾート in オアフ島

アロハ ボンよ ハワイ湯!?

というわけで、年末年始は猫も杓子もハワイに繰り出すため、飛行機代やホテル代が暴騰し、ワイキキビーチから湯気が出るほどの賑わいを見せるわけだが、ハワイ通のFTBはあえてその喧噪を避け、3連休を有効活用して夢の跡となっているはずの静かなリゾートでオーバーツーリズム対策を実践することにしたのだ。

1月10日(金)
21:15発NH182便A380フライングホヌ機は定刻より少し遅れて成田空港を出発したものの7時間弱のフライトで午前9時過ぎにはおなじみのダニエル・K・イノウエ国際空港に到着した。入国審査、税関をほぼ顔パスでスルーするとANA Travelersに予約させておいたSiXTレンタカーのカウンターに向かった。当初は手配済みのコンパクトカーをサクッとピックアップしてお出かけするつもりであったが、車に乗る前にレンタカー嬢のアロハスピリッツ的な口車に乗せられ、高値でBMWへのアップグレードを売りつけられたもののドイツ車に慣れておく必要があったのでその出費も必然であると自分に言い聞かせながら空港を後にした。

エレガントな乗り心地を背中に感じながら空港からH-1高速道路に入り、リメンバーPearl Harborを横目にオアフ島西部を目指してひた走った。ほどなくしてH-1の終点から地方道に入るとKo Olinaの看板を頼りにコオリナ・リゾートへの侵入を果たし、今回のツアーでの滞在先であり、今後のオアフ島での定宿になるはずのマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブに首尾よくしけこむことに成功した。

コオリナとはハワイ語で「歓喜の結晶」という意味であるが、元々は風が吹けば♪ざわわ♪のリズムを奏でるのどかなサトウキビ畑だったはずである。そこにバブル期のジャパンマネーの流入等により一流リゾートへと華麗なる転身を遂げていった経緯から「バブルの結晶」と言っても過言ではないかも知れない。

何はともあれBMWをエントランスの車寄せに颯爽と横付けし、チェックインの手続きを済ませたのだが、応対していただいた八王子に居住実績を持っているが、地元の饅頭の話題がかみ合わなかったアカネ嬢の案内によると部屋の準備に時間がかかるということだったので横付けしたBMWを再起動して無料のSelf Parkingへと引き払った。時間的には小腹がすいてくる11時過ぎに差し掛かったのでリゾート内のLonghi’s Restaurantでビールを片手にブランチ兼時間つぶしと洒落こんだ。

程よく体内に循環したビールのアルコールがマイルドな時差ボケと相まって突然の睡魔を誘い、気が付くとロビーのソファーの上で意識を無くしてしまっていた。意識が回復した頃合いを見計らってかどうかは定かではないが、アカネ嬢から部屋の準備完了を告げる電話がかかってきたので部屋番号を確認し、鍵があかね~というトラブルもなく晴れてOne room suiteへと入室し、ビーチクラブの住人の一員として名乗りを上げることとなったのだ。

住人として必要な物資を調達するために「かっぽれ かっぽれ 甘茶でカポレイ!」と念仏を唱えながらコオリナに程近いオアフ島第二の都市のカポレイに向かった。とあるショッピングセンター内にウォルマートがあったので衣類売り場のへび年Tシャツを見ながらここにもヘビーローテーションで来ることになるだろうと考えながら韓国製のスナック等を買い込んでいた。

リゾートに帰還した時にはすでにサンセットを迎えていたので他のオーナーと一緒にしばしオレンジ色に煌めく西の空をながめていた。

ジャグジーの泡でバブルが弾けた瞬間を体感しながら体をリフレッシュさせた後、再びLonghi’s Restaurantに舞い戻り、地元食材が高値で提供されるディナーにもかかわらず、コオリナの物価に凍り付くこともなく平然と夜風に吹かれていたのだった。

1月11日(土)
マリオット・コオリナ・ビーチ・クラブでは、ここで休暇を過ごすオーナーのために豊富な日替わりアクティビティのプログラムが用意されている。朝9時過ぎの中庭の芝生上では運動に対する日ごろの意識が高くない人向けだと思われる負荷を抑えたビリーズブートキャンプ的なエクササイズが執り行われていたので朝食時の暇つぶしにその光景を眺めていた。

腹も適度に膨れたのでBMWのエンジン音をBGMにウエスト・コーストを北上してみることにした。点在するすばらしい純白ビーチとは対照的にカラフルなホームレスのテントが軒を連ね、とあるショッピングセンター内のスタバのトイレが暗証番号で管理されている事実が当地の治安を雄弁に物語っているような気がした。

ウエスト・コーストでも比較的治安が良いと言われているマカハ・ビーチパークで何某かのサーフィンイベントが行われているようだったのでしばしその技術を息をのんで見守っていた。尚、このあたりの海岸はサーファーの間ではロングボードの聖地としても有名なのだそうだ。

さらに西海岸線を北上するとカエナ・ポイント州立公園に差し掛かったので適当にBMWを停めて周囲の美しい光景に見入っていた。

ふと♪見つめあうと素直におしゃべりできない♪感覚を覚えたので青空に溶け合った青い看板に目をやるとここは紛れもない津波警戒地域であり、遊泳などもってのほかで浜辺から指を加えて海を眺めるアクティビティが推奨されているようだった。

時間の都合でウエスト・コーストの奥地に踏み込み、マネーの虎が住んでいそうな名前を持つカネアナ洞窟を経てカエナ岬まで到達することは出来なかったが、それは次回の宿題として一旦マリオットに帰還することにした。

人気物件のマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブの予約を取るのは至難の業で、今回2泊分を抑えたものの、2泊目でStudioという狭い部屋に移らなければならなかったのだが、早めに部屋が準備出来たおかげで荷物を移動した後、じっくりとラグーン沿いの敷地を散策させていただくことにした。

熊谷組によって施工された4つのラグーンにはそれぞれハワイ語の名前が付けられており、当時のゼネコン技術の粋を集めて絶妙に配置された防波岩礁によりラグーン内には荒波が入ってくることはないので小さなお子様でも安心な入門リゾートとなっているが、工事期間中は熊の手も借りたいほど忙しかったことであろう。

昨日のチェックイン時にアカネ嬢から別のカウンターに立ち寄るように指示されていたのだが、そこでオカネではなく$125分のバウチャーと引き換えにツアーという名のセールスプロモーションに参加する段取りになっていたので飛んで火にいる夏の虫の気分で約束の午後2時半に指定場所のコナタワーの14階に上がっていった。

FTBがMarriott Vacation Clubデビューを果たしたのは2023年の9月で当時はセールスエグゼクティブのレディの売り込みに気を良くし、最後はどうでも♪ケセラセラ♪というリズムで契約に至ったのだが、今回応対に当たったのは男性だったのが意外だった。マリオットという看板から男性営業もMrs. GREEN APPLE系の優男を取り揃えているのかと思いきや私の前に姿を現したのは♪青いリンゴ♪をヒットさせた実績を持つ野口五郎が年を重ねていったような正統派紳士であった。

当初はすでに使ってしまった$125のバウチャーをまんまとせしめるための茶番リスナーに徹するつもりであったのだが、Higaと名乗るLiLiCo系のセールス・ディレクターの参戦により購買意欲に火が付いてしまっている自分がいた。契約の決め手になったのはHigaが何気なく発した一言で彼が野口五郎由来ではなくKEIO Boyだという事実であったが、もしかすると♪私鉄沿線♪の仮面を被った京王電鉄かも知れないという一抹の不安は残っていた。

契約担当者の業務が立て込んでいたので午後6時の再会を約束して一旦解散となった。帰り際の窓辺からマリオットの隣の敷地がまだ空き地のままである様子が見て取れるのだが、ここでは1999年にハワイでデビューを飾った嵐の15周年記念ライブが2014年9月に「ARASHI BLAST in Hawaii」という名のもとに執り行われた実績があるため決して荒らしてはいけない聖地になっているかのようであった。

ワールドカップバレーボールを私物化したフジテレビがイメージキャラクターとしてジャニーズ事務所にV6を立ち上げさせ、波に乗ったその4年後にデビューした嵐がその任を引き継いだ形になったのだが、その後大物アイドルグループとして成長した一方でフジテレビが破綻寸前に陥ってしまっている現状はマサに青天の霹靂と言えるのではないだろうか?

きらめく夕日をバックに奏でられるハワイアンを肴に早めのディナーを堪能した後、多くの契約書にサインするためにコナタワーの14階に戻って来た。私と同じ年齢だが、大学では1年先輩にあたるセールスエグゼクティブに勧められたポイント買い増しプランは今では運命に導かれたものであるという認識で契約書に剣よりも強いペンを走らせていたのだった。

1月12日(日)
12:30発NH181便フライングホヌ機は定刻通りに出発し、程なく挨拶に来たキャビンアテンダントにお帰りなさいと言われ、9時間以上のフライトを行きと同じクルーとともに機上の人となったのはマサに弾丸ツアーの醍醐味のひとつであろう。

1月13日(月)
午後4時半過ぎに成田空港に到着し、次にマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブに帰ってくるときにはアカネ嬢に八王子のソウルフードであるみやこ饅頭を買っていかねばならないと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥103,740 / Passenger
総レンタカー代 ¥38,019
総宿泊費 $31.68(税金のみ)

協力 ANA, ANA Travelers, SiXT, Marriott Vacation Club

シン・FTBハワイ島ボルケーノリゾートツアー

アロハ ボンよ ハワイ湯!?

というわけで、昨年のオアフ島を皮切りに、年初にはカウアイ島を訪問し、ハワイのネイバーアイランドの旅も二週目に突入しているわけだが、今回は2002年12月以来のハワイ島に上陸し、今なお活動を続ける活火山に活を入れていただき、翌週から始まる新しい仕事へのエネルギーとさせていただくべくボルケーノツアーを敢行することと相成った。

2024年7月13日(土)
20:10発NH184便A380フライングホヌ3号機は定刻通りに出発すると約7時間のフライトで翌朝ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港に到着した。引き続き11:10発HA232便は少し遅れを出したものの最後部座席のエンジンフロントの窓からかすかに見えるなだらかな台地の稜線を横目にハワイ島のヒロ国際空港に滑り降りた。

哀愁を含んだメロディーであるはずの「つのだ☆ひろ」の♪メリー・ジェーン♪のリズムに迎えられることもなく、淡々と荷物を受け取りANA Travelersに予約させておいたアラモレンタカーのカウンターではあらも~コンパクトカーがなくなったということで日産の中型車かジープのどちらかを選んでよいと言われたので迷わずジープを選択してボルケーノツアーの幕が切って落とされた。

四国の半分の大きさを誇るハワイ島の台地の息吹を初日から感じるべく、ヒロから11号線を南西に走りハワイ火山国立公園(世界遺産)を目指した。入口で車1台につき$30の入園料を払う際に,前回来た時には$10だったことが脳内をかすめるといやがおうでも長い時が溶岩のように流れさってしまったことに感慨を覚えた。

今日のアクティビティは何もしないことがメインになるので早速事前予約しておいた火口淵に立つ歴史あるホテルである「ボルケーノ・ハウス」にしけこませていただいた。

1846年創業のハワイ火山国立公園内に立つ超有名なこのホテルの部屋はスタンダードとボルケーノクレータービューの2タイプに分かれており、九州弁で「ぼるけの~」と言われて高い金を払わされてもクレータービューには価値があると思ったので神様がくれ~た~はずの眺望を見渡せる部屋にチェックインした。

部屋からは雄大なキラウエア・カルデラが見渡せるのだが、幸か不幸かキラウエア火山は2023年の噴火以来沈静化している様子で悪魔のような赤い溶岩の流れや阿蘇中岳のような噴煙は見られなかった。

ボルケーノ・ハウス内にはギフトショップやレストラン、バーもあるので昼間の時間は宿泊しない多くの観光客で賑わっている。

ウエルカムドリンクが体内に浸透した頃を見計らって軽く近隣の散策に繰り出すことにした。クレーターも見る位置を変えると一層その輪郭が際立って見え、まるで隕石が落下した痕跡のようなきれいなえぐられようであった。

火山噴火後、長い時間をかけて生態系が回復していくわけであるが、名も知れぬ花や大ぶりのアジサイ、カウアイ島ほど数は多くないニワトリが数羽いた程度であったろうか。

ハワイ火山の予備知識を吸収するためにキラウエア・ビジターセンターにお邪魔させていただいた。ここでは記録映画による火山の成り立ちの説明だけでなく、外来生物により固有種が蹂躙されている様子も野生の豚等のはく製を使って効果的に表現されている。

何といってもここでの最大の見所はキラウエアに在住の火の女神「ペレ」の肖像画であろう。一部のサッカー通の間ではペレと言えば、ブラジルを優勝に導いたハナ 肇似のワールドカップのレジェンドのことを思い浮かべるのであろうが、ハワイの人々は、火山が爆発するたびにペレが怒ったといってその怒りを鎮めるための儀式が執り行われているという。

夕暮れ時にボルケーノ・ハウスに戻ると昼間かかっていた雲はすっかり風と共に去りぬ状態で台地を思わせるなだらかな稜線のみが地平線と化していた。

ボルケーノ・ハウス内にあるザ・リム(The Rim)というレストランを19:30に予約していたので赤く染まる夕日を肴に地産地消の料理を楽しませていただいた。メインで注文したチキンは数時間前に遭遇した中の一羽ではないかと疑う隙も与えないほど料理の質は洗練されたものであったのだ。

7月14日(日)
ハワイとは言え、標高1200mの標高ともなると朝はしっかり冷え込むのだが、凛とした空気にクレーターの輪郭が冴えていた。

ボルケーノ・ハウスをチェックアウトするとCrater Rim Drive Westに沿ってジープを走らせ、キラウエア展望台に到着した。ここからのキラウエア火口の眺望もさることながら、荒野に繁茂する大木を彩る赤い花が目に留まった。

観光客グループを取り仕切っていたガイドの説明によるとその植物はオヒア(OHI’A)というもので火山噴火後の生態回復の過程で一番早く根ざすものだそうだ。

その木はオヒアレフアとも呼ばれているようで、ハワイの伝説で、火山の神ペレが青年オヒアに恋したが、オヒアにはすでにレフアと呼ばれる恋人がいたので拒絶したところ、ペレは怒ってオヒアを醜い木に変えたので、他の神々がレフアを憐れんでこの木に咲く美しい花にしたという伝説さえ残っているのだ。

Crater Rim Driveから分岐したChain of Craters Roadは溶岩台地を切り裂き海まで下るダイナミックなドライブコースで過去に噴火したクレーターが次々と姿をあらわしてくれ~たのだったが、前回来た時には黒い溶岩も舗装したてのアスファルトのように焼きたて新鮮で何よりも海に溶岩が流れ込み噴煙を上げている姿が印象的だったのだが、今回はペレも溶岩流のシュートを海に向かって放ってないようだったので落ち着いて見学にいそしむことが出来たのだった。

一方で、岸壁に打ち付ける波と風は荒々しく、もろい海岸線には穴が開けられ、最終的にははかなくも崩れ去っていくのであろう。

Chain of Craters Roadからの帰りの上り道のビューポイントのいくつかで車を止めて外に出てみると溶岩を突き破って繁茂しようとする生命の力強さを感じることが出来る。これがマサに再生というものが目の前で展開されている景色である。

Lava Tubeなる溶岩が通り抜けた夢の跡系のトンネルが口を開けていたので通り抜けてみることにした。ここは約500年以上前に起こったキラウエア火山の噴火によって開口されたもので格好のトレッキングスポットとして整備されている。また周辺の熱帯雨林とのコラボレーションも見ものである。

キラウエア・カルデラの隣にキラウエア・イキ火口が平坦なトレッキングコースを提供しており、非日常空間を楽しみたいはずの粋な観光客がさっそうと闊歩している姿が目に入ったのだが、このアクティビティは次回に回すことにした。

ハワイ火山国立公園を退場し、ヒロまで戻り、島を横断する200号線に入ろうかと思ったのだが、ヒロの広さに翻弄されて道に迷ったので急がば回れで海岸線ルートを取り、西海岸のコハラ・コーストに向かった。

今日の宿泊先であるHilton Grand Vacations Club Ocean Tower Waikoloa Villageは前回宿泊したHilton Waikoloa Village内の敷地の奥座敷に位置しており、安定的な高値で観光客をおびき寄せている夢のリゾートである。

到着した時間が遅めだったもののサンセットには何とか間に合うことが出来たので絶景を胸に刻み、プールでのクールダウンも含めて次回訪問時の演習とさせていただいた。

7月15日(月)
今日は日がな一日ワイコロア・ビーチ・リゾート内にとどまることとなった。

ワイコロア・ビーチ・リゾートの核となっているのは言うまでもなくHilton Wikoloa Villageという巨大テーマパークリゾートである。

敷地内にはメイン・ロビーを中心にトラム(モノレール)とボートの交通手段が張り巡らされているのだが、トラムのスピードは歩いている人に抜かれる程度でスーツケースの運搬には便利である。ボートの方は運航していない様子でボート基地にぼ~と留まっていたのだ。

敷地内の動物の種類は豊富であり、ショップの店番として猫の手を貸している輩や害獣駆除のために導入され、その後野生化したマングースや多くの魚類はその辺の水のあるところで元気に泳いでいた。

この地の動物の王者として君臨しているのはDolphin Quest Villageに幽閉されている数頭のイルカで、イルカと触れ合うプログラムは高値だが、大変な人気を博しているようだ。城みちるのような♪イルカにのった少年♪体験程度のものであればそんなのいるか!と拒否されるかも知れないが、少なくともイルカのトレーナー気分は味わえるのではないだろうか?

トラムの路線と並行するように長い回廊が伸びているのだが、そこはオープン美術館と呼べるほどの美術工芸品が立ち並んでいる。

ハワイアン、ポリネシアンだけでなく、ヒルトングループの総力を結集して東洋からかき集めたはずの仏像や陶芸品はリゾートに疲れたバカンス野郎に心の平穏を取り戻させるための一服の清涼剤になっているのだ。

喧噪のヒルトンを後にしてワイコロア・ビーチ・リゾートを平行移動するようにMarriott’s Waikoloa Ocean Clubに移動した。昨年オーナーになったMarriott Vacation Clubを最大限に活用すべく2泊のみ予約が取れたのでここに来たのは必然の成り行きだった。

さすがにVacation Clubの立地だけに徒歩圏内に2つの便利なショッピングセンターがあり、ここでは気取らずにゆっくり過ごせる配慮がなされているように感じられた。

早速横断歩道を渡って目の前の規模は小さいキングス・ショップスをぶら散歩することにした。昼飯を食っていなかったのでハワイで人気のアイランド・ヴィンテージ・コーヒーに入店し、マイルドなスムージーをベースにしたアサイーボウルと匂いを嗅いだだけでそれだと分かるコナ・コーヒーを吟味させていただいた。

近くのスーパーまで足を延ばすとさすがにコナ・コーヒーの聖地だけあり、様々なパッケージを着飾ったものが高値で売られていた。中でもレオナルド・ダヴィンチもその出現を予想できなかったはずのKONA LISA COFFEEの微笑みに魅了されたものの買い付けは後日の楽しみに残しておいた。

マリオットに戻り、敷地内を散策したのだが非日常感を演出する奇抜なヒルトンとは異なり、ここではFish Pondやワイルドな溶岩台地が目の前に迫っており、より自然との一体感が楽しめるようになっている。

古代ハワイアンの遺跡を抜けてPublic Beachに向かう途中に野良猫の公認たまり場があるのだが、ここでは管理された餌場を巡って猫とマングースが共存兼仁義なき戦いを繰り広げているのである。

燃えるサンセットの移ろいは同時にルアウ(ハワイ語で宴会)の時間でもあり、ハワイ島西海岸のリゾートを彩るお約束の光景となっているのだった。

7月16日(火)
部屋にはバスタブは無かったが、昨夜の長ジャグジーで疲れを水疱と化していたので、早朝から猫の見守り等、施設内を散策することが出来た。また、昨夜の内に大型ショッピングモールのクィーンズ・マーケットプレイスで食材を買いあさっていたので朝食のネタには事欠かなかった。

今日はボルケーノツアーを締めくくるべく、マウナ・ケアでパワーチャージをしなければならなかった。

ハワイ島のツイン・ピークは言うまでもなく標高4,205mのマウナ・ケアと4,169mのマウナ・ロアであるが、その間を縫うようにして馬の鞍のようなサドルロードが通っている。ワイコロア方面からサドルロードには入れたのだが、マウナ・ケアへの分岐道を見誤って時間のロスとともにガソリンを食ってしまったので給油のために一気に東海岸のヒロまで突っ切ることにした。

つのだ☆ひろの♪メリー・ジェーン♪よりも♪メリーアン♪の方に共感する時代を過ごしてきたため、ヒロでは給油と給水のみですぐにサドルロードに引き返し、夜には♪星空のディスタンス♪が近くなるはずのマウナ・ケアに向かってジープのアクセルを踏み込んだ。

首尾よくマウナ・ケアへの分岐道が見つかったので標高2,804mのオニヅカ・ビジターセンターまで一気に駆け上がることにした。尚、オニヅカとは1986年に起きたスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故で命を落としたオニヅカ大佐にちなむものだ。

ビジターセンター内には望遠鏡の模型やポスターが展示され、「すばる」という大型光学赤外線望遠鏡を要する日本が国際共同利用観測所の中心的役割を果たしていることが一目で分かるようになっている。

土産物のラインナップも豊富でマウナ・ケアのTシャツを購入する際に売店のおね~ちゃんから頂上まで足を延ばすのかいと聞かれたときに通常であれば谷村新司よろしく♪わ~れも行く♪と啖呵を切るところであったろうが、あいにく車がスバルの四駆ではなかったので今回は断念を決め込んでいた。

ビジターセンター周辺を散策するとそこはマサに不思議の国でまるでそこに生きる「アリス」になったような気分を味わった。

なるほど♪昴♪を要するマウナ・ケアは谷村新司の山であり、逆方向のマウナ・ロアは♪君のひとみは10000ボルト♪を誇る女神ペレが住むことから堀内孝雄の山と解釈することも出来るだろう。

マウナ・ケアへの山頂までは「サンセット・星空ツアー」に参加するのが王道であるが、異常な円安で見送っていたので次回は♪心の命ずるままに~♪行動することを誓いながら下山することとなったのだった。

早めの時間にワイコロア・ビーチ・リゾートに帰って来れたのでキングス・ショップス内のエーベイズ・アイランド・グリルでハッピーアワーを堪能させていただいた。タップから注がれるコナビール ロングボードアイランド ラガーで肉類を中心としたハワイ・リージョナル・キュイジーヌを流し込みカジュアルな気分で最後の晩餐を楽しませていただいた。

今日はルアウはなかったものの夕日の色は相変わらず鮮やかで日が落ちた後もなかなか抜けないオレンジ色が漆黒へと変貌するまで西の空から目を離すことが出来なかったのだ。

7月17日(水)
早朝4時過ぎに起床し、すでにリゾートのメンテナンスのためにかいがいしく働いている従業員を横目に帰国の準備を整えていた。丁度コーヒーショップ等の店が開店する6時にマリオットをチェックアウトすると昨日予習しておいたサドルロードを抜けてヒロへの帰路を急いでいた。

ヒロ国際空港には7時半過ぎに到着したのだが、朝食を取るべく店舗も少なかったのですみやかに9:30発HA161便の機上の人となった。ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港のANA Suite Loungeでモーニングビールとカレーで華麗なブランチを済ませると
12:20発NH181便は来た時と同じA380フライングホヌ3号機であることに気づかされた。

7月18日(木)
アルフィーは♪た~とえ500マイル離れぇても~♪という歌詞で長いディスタンスを表現しているが、ホノルル・成田間の区間マイルと比較すると果たして500マイルは遠いのかと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥104,670 / passenger
総宿泊費 $750.16
総レンタカー代 ¥75,761
総走行距離 434マイル
総ガソリン代 $73.17

協力 ANA、ハワイアン航空、ANA Travelers、アラモレンタカー、HILTONHHONORS、Marriott Vacation Club

シン・FTB第7次MLBツアー ♪ニューヨーク・ニューヨーク♪

ニュ~ヨ~~クへ行きたいかぁ~!
ウォ~~~~!!!

という福留功男日テレアナウンサー(当時)の掛け声と参加者の地響きアンサーにより幕を開ける「アメリカ横断ウルトラクイズ」は当時学生だった私の野望と好奇心を常に駆り立てる名作であった。また、1980年7月にリリースされた「パープルタウン」は八神純子により♪愛する気持ちを呼び覚ます都会(まち)ね Ne~w Yo~rk♪と歌いあげられ、当時の若者の心に大いなる刺激を与える名曲であった。

私が初めてニューヨークに足を踏み入れたのはパープルタウン発売7周年記念の1987年7月のことであり、その後長らくのブランクを経てイチローやゴジラ松井がニューヨークでセンセーションを巻き起こし始めた2000年代からしばしばこの地に通うようになっていた。とはいえ、田中マー君がヤンキースタジアムでデビューを果たした2014年を最後にビッグアップルの摩天楼から遠ざかっていたのだが、ついにその大きな谷を埋めるべくイベントがニューヨークで発生することとなったので嬉々としてNYで入浴する気持ちが芽生えてきたのであった。

6月7日(金)
羽田空港第二ターミナル発着の11:00発NH110便は定刻通りに出発すると手持ちのアップグレードポイントを使い果たしてしけ込むことに成功したB777-300機のビジネスクラスTHE ROOMに腰を落ち着けたのだが、座席が前後の向きを組み合わせて配列されており、私の席は進行方向に背を向けていたため、離陸時の重力に違和感を感じながらのスタートとなった。

約13時間のフライトでJFK国際空港に到着したのは午前11時過ぎで軽く米国への入国審査を通過するとAir Train ($8.5)、地下鉄($2.9)を乗り継いでまずは本日の宿泊先に向かうことにした。ところでNY市の地下鉄は長らくMetroCardで入場するシステムになっていたのだが、昨年よりOMNY(One Metro New York)が導入され、非接触型決済システムに対応したクレジットカードが使えるようになり、MetroCardもその役割を終える予定になっているのだが、カードを持たないはずのホームレスの皆様方にとっては地下鉄が益々ハードルの高い乗り物となっているようだ。

地下鉄で到着したペンステーションでNJ Transitという列車のチケットを購入すべき自動販売機の操作をしている最中にはしきりに$2をせびってくる輩につきまとわれたのだが、これこそマサにNY旅行の醍醐味であり、このようなアナログ無心行動が残っている現状に少し安心感を覚えたのだった。

ニュージャージー州を抜けてペンシルバニア州に向かうNJ Transitの運行もアナログそのもので乗車する列車のプラットホームが決まる直前まで乗客は駅の構内でなすすべもなく待たされるシステムになっていた。何はともあれダイヤの乱れが日常になっている様子のNJ Transit列車に乗り込むと約50分程でNewark Liberty International Airport駅に到着した。そこからさらに運賃無料のAir Trainに乗り換え、Parking 4駅で下車し、Hotel Shuttleの待ち合わせエリアでHOLIDAY INN NEWARK INTERNATIONAL AIRPORTのバスを待っていた。

30分程の待ち時間はあったものの無事にシャトルバスに乗車し、ホテルにチェックインすることが出来たのでベッドの上でしばし旅の疲れを取らせていただいた。
午後4時前にはホテルを出ると来た時と逆の手順でペンステーションに戻り、さらに地下鉄に乗って10年ぶりの帰還となるヤンキースタジアムを目指した。乗り換えが必要であったが、ヤンキースのユニフォームを着ている集団の背中を追っていると次第に人口密度の多い方へと誘われ、ついにスタジアム前の喧騒の中の一部と化すこととなった。

2016年以来のヤンキースタジアムでのカードとなる対ロサンゼルス・ドジャース戦は大谷人気も相まって日本人ファン率の高さに圧倒されながら流されるように入場ゲートを通過し、角度的には左打席の大谷フロントではあるが、ターゲットからは程遠い最上階の固いシートに腰を下ろしてプレーボールの瞬間を今か今かと待っていた。

グラウンドに目を向けるとドジャースの先発ピッチャーである山本由伸が独特のやり投げフォームで投げやりにウォーミングアップに精を出しており、勢い余った遠投の投球がキャッチボール相手の頭上を越えてスタンドに突き刺さる様子も垣間見られた。

48,000人以上の観客を集めて午後7時5分にプレーボールとなったゲームは1回表ドジャーズの攻撃で2番打者の大谷を迎えたところで早くも盛り上がりのピークとなった。ヤンキースファンのブーイングとドジャースファンの歓声が入り混じる中3-2のフルカウントからセカンドゴロに倒れ、続くフリーマンは自由人よろしくフォアボールを選んだものの4番打者のスミスのセカンドゴロで攻撃終了となり、淡々と進行するゲームのスタートとなった。

ハイサイおじさんを彷彿とさせる沖縄出身のデーブ・ロバーツ監督により自信をもってマウンドに送り出された日本最高峰投手である山本由伸がブロンクス・ボンバーズとの異名を取る強力ヤンキース打線とついに対峙することとなった。

1番、2番打者を簡単に打ち取り、次に打席に向かうのは大谷も見上げるほどの巨漢のホームラン打者であった。通算755号のホームランを打ち、世界の王貞治に抜かれるまでは世界一であった伝説のハンク・アーロンと同じ名前を持つアーロン・ジャッジに対し、カウント2-2から投じられたフォークボールに黒いバットが一閃すると打球はあっという間にレフト頭上を越える2塁打となってしまった。次打者スタントンもジャッジに匹敵するホームラン打者であったが、あっさり三球三振に打ち取られ1回裏の攻撃は事も無げに終了した。

ゲームはその後両チーム無得点のまま淡々と進んで行った。好投を続ける山本由伸の投法は足を高く上げないスライドステップで一部の野球通から「あっち向いてホイ」投法と揶揄されているが、これまでの試合では前後左右に振られる指の動きと相手の首の向きが合ったときに打たれていたような印象であったが、今日のピッチングはバッターの狙いが合った時でも力でねじ伏せられるほどの制圧振りであった。スピードガンによる直球の計測速度も自己最高の98マイルとなり、最終的には106球を投げてヤンキース打線を7三振の無得点に抑えきってマウンドを後にしたのだった。

試合はそのまま延長戦に突入し、タイブレークで無死2塁からの開始となるのだが、前の回に凡退した大谷は11回表には2塁ランナーとして復活し、フリーマン四球、スミスがセンターライナーに倒れた後、5番のテオスカー・ヘルナンデスが2塁打を放ちドジャースに2点をもたらせた。その裏の攻撃をジャッジのタイムリーヒットによる1点に凌いだドジャースが3連戦の初戦をものにするとハイタッチを交わすドジャース選手を祝福するようにフランク・シナトラの♪ニューヨーク ニューヨーク♪の歌声が高らかに響いていたのだった。尚、本日の大谷は5打数無安打と不発に終わり、日本人ファンの期待に応えるには至らなかったのだ。

試合終了後、数万人の観客が一気に流れてくる地下鉄駅に蟻の歩みのようにゆっくりと進んでいくと改札のところで腰位置からの前方圧力で回転するバーを飛び越えて入場している輩も多く見受けられたのだが、なるほどこの方法だとMetroCardやクレジットカードがなくても地下鉄に乗ることが出来るのであえて管理を甘くしてホームレスへの救済策として機能しているのではないかと感心させられたのだった。

6月8日(土)
地下鉄でペンステーションに到着したころにはすでに日付が変わってしまっていた。NJ Transitは相変わらず遅れを出しているようだったが、ヤンキースタジアムから流れてきた乗客は気にする素振りもなく、車内はマシンガントークの嵐で活気づいていた。結局ニューアークのホリデーインに帰って来れたのは丑三つ時を過ぎた時間であったろうが、時差ボケの影響もあったのであまり気にすることなく意識を失うことのみに専念しながら過ごしていた。

午前9時半頃覚醒すると昨夜入浴していないことに気づいたもののここはニューヨークではなくニュージャージーなので仕方がないことだと思いつつ、浅いバスタブに斜めに身を沈めて体内時計の調整を図っていた。ホテルのアメリカンブレックファストのスクランブルエッグはすでに固くなっていたのだが、胃袋の容積を満たすのには十分だったので腹八分目まで詰め込んだ後、昼寝と洒落こむことにした。

ホテルの客人にも3時間の時差を超えて飛行機を飛ばしてやってきたドジャースファンが多数いたのでユニフォーム姿の彼らとともに午後4時くらいにホテルを出ると昨日と同じ手順でヤンキースタジアムを目指した。今日の試合は昨日より30分遅い午後7時35分開始となる予定で夕食のポップコーンを買って席に着こうと思っていたころに始球式が始まった。

モニターを見上げるとヤンキースの背番号55番のユニフォームに身を包んだ日本人顔がマウンドから全力投球したものの投球は大きく右にそれる大暴投となってしまった。驚きはこれだけにとどまらず、始球式の主はヤンキースの共同オーナーとして君臨しているビズリーチの社長であり、暴投の原因はこの転職サイトを使わずに、60歳を直前にしてすでに転職先を決めてしまっている私への当てつけでないかと勘繰られもした。

今日のゲーム展開は昨日の試合であっち向いてホイに幻惑させられたブロンクスボンバーズの強力打線は鳴りを潜める一方でドジャースはテオスカー・ヘルナンデスの2本のホームランなどで大差が付けられていた。

私の席の斜め右前方に観戦マナーの悪いヤンキースファントリオがゲームが始まっても着席せずにはしゃいでいたのだが、いつの間にか彼らの声援はトーンダウンし、ついには周辺のドジャースファンに見送られて退散となってしまった。

食べても減らないポップコーンで口中の水分をすっかり奪われてしまったのでビール売りから$17のジャイアント缶ビールを調達したのだが、ビズリーチの社長が始球式後にビズリーチ女優がやっているような人差し指を立てるポーズを決めることが出来なかった憂さを晴らすようにそのデザインは「いいね!」の太い指を模したガチョウが「がちょ~ん」
と叫んでいるかのような図柄であった。

今日の大谷とジャッジの動向であるが、テオスカーに主役の座を奪われた大谷も3回表にきっちりレフト前にタイムリーヒットを放ち、4打数1安打でかろうじて存在を示していた。ジャッジの方は大差の負けゲームであっても彼のモチベーションは落ちることなく、2本の本塁打を放ち、ホームランキングの独走態勢に入って行ったのだった。

結局試合は11対3でドジャースが連勝し、このカードの勝ち越しを早々と決めてしまった。♪ニューヨーク ニューヨーク♪のメロディーに見送られ、ヤンキースタジアムのトイレで見た後ろ姿は松井の亡霊であったのか、また、ペンステーション近くで見上げたエンパイヤ―ステートビルは近隣のビルに反射してあたかも双子のビルに見えたのもニューヨークの幻かと思いながらホテルへの遠い道のりを引き上げていった。

6月9日(日)
午前中に2日間お世話になったHOLIDAY INN NEWARK INTERNATIONAL AIRPORTを引き払うとようやくマンハッタンへと拠点を移すこととなった。そもそも週末のマンハッタンのホテル代が異常に高かったのでやむなく郊外のホテルに投宿していたのだが、日曜になって価格も落ち着いたのでロウアーマンハッタンのウォールストリートに程近いHotel Indigo NYC Financial Districtへと颯爽とやってきたのだ。

最上階の部屋からウォール街のシンボルであるトリニティ教会を見下ろした後、ブランチのチーズバーガーで腹をこなすとお金の匂いにつられるように金融街へと流されていった。

世界の代表的な株価指数であるNYダウ、NASDAQとも史上最高値を更新している昨今であるが、関連ニュースで必ず目にするモ~モ~が「チャージング・ブル」というウォール街のシンボルである。この牛の銅像は1987年の株式大暴落、いわゆるブラックマンデーを受けて「アメリカのパワーの象徴」を意味して作られたそうだが、ゲリラ・アートとして1989年12月15日にロウワー・マンハッタンのニューヨーク証券取引所の向かいのブロード・ストリートの中央にある60フィート (18 m)のクリスマスツリーの下に突然設置されたというではないか。当初警察はこの銅像を押収しこの銅像は拘置されたが、人々の激しい抗議によりニューヨーク市公園・保養局がこの銅像を証券取引所から2つ南のボウリング・グリーンの広場に正式に設置することを決めたそうだ。大人気のこのモ~モ~はも~勘弁してくれと言わんばかりの長蛇の列の観光客の撮影スポットになっているのだが、A面の顔面だけでなく、なぜかB面のケツの下も執拗にマークされているようであった。

LAD v.s. NYY3連戦の最後の日は少し早めにスタジアムに繰り出した。「Pregame Glimpse of Greatness: A Peek Inside Yankee Stadium」というゲーム開始前のヤンキースタジアム内の見学チケットを買っていたのでツアーが始まる4時35分前には入場ゲート前に並んでいた。ヤンキースタジアムにはバックスクリーンの手前が防球網に守られたモニュメントパークになっており、そこにはヤンキースで活躍し、永久欠番としてその名を刻んだ名選手たちの伝説が奉られている。

27回のワールドシリーズ制覇を誇るこの球団の歴史を彩る名選手の中でも野球の神様ベーブ・ルースの存在感は群を抜いており、近年の大谷選手の二刀流の活躍でさらに脚光を浴びているのだが、このモニュメントパーク内を一周するとここの主が誰であるか一目瞭然となっている。

ヤンキースのオーナーであるジョージ・スタインブレナーはぶれない強引さと傲慢さで常勝軍団を作り上げ、その栄光の証として掲げられた最大のモニュメントは名選手たちに囲まれたセンターに君臨しているのである。

グランドの中では試合前のバッティング練習が行われていたのだが、大谷の姿はそこになく、今年からショートを守っているムーキー・ベッツがむきになって守備練習を繰り返している姿にプロフェッショナルとしての生き様を感じた。

今日の試合はヤンキース有利の展開で6回裏終了時のグラウンド整備員による♪YMCA♪も連敗による♪ゆううつなど 吹き飛ばして 君も元気出せよ♪と日本語で言わんばかりの諸手の上がりようだった。

試合のハイライトは4打数3安打2打点と大暴れのジャッジの活躍であったが、最大の見どころは8回の表と裏の攻防であった。8回の表は大谷の左翼線打ち損ないの2塁打から始まりフリーマンの自由に打てる状況だが、チームバッティングの内野ゴロで大谷は3塁に進んだ。続くスミスはライト定位置にフライを打ち上げ、そこには強肩のジャッジが手ぐすねを引いて待ち構えていた。捕球後タッチアップのスタート切った俊足の大谷と150㎞以上のジャッジの送球の一騎打ちとなったのだが、間一髪のタイミングで滑り込んだ大谷の右足がいち早くホームベースの一角をとらえたのであった。

このシリーズの主役は誰であるかというジャッジが下されたのは8回裏のヤンキースの攻撃であった。それはLADのテオスカーでもShow Timeでもなく、この回の先頭打者として登場し、飛距離434フィートの特大弾をレフトスタンドに叩き込み、NYYの勝利を確信付けたジャッジ自身であったのだ。

6対4で勝利したヤンキースナインを祝福する♪ニューヨーク ニューヨーク♪のリズムは格別で多くのファンは最高の気分でスタジアムを後にした。スタジアムを出たところの路上でジャッジのTシャツと大谷Tシャツが並んで売られていたので迷わず$10の支払いで大谷シャツを購入し、今回のシリーズの締めくくりとさせていただいた。

6月10日(月)
ニューヨーク滞在最終日はウォールストリートの宿泊地を拠点に終日マンハッタンの名所観光に励むことにした。1987年7月当時のロウアーマンハッタンのランドマークはワールドトレードセンターのツインタワーであった。

2001年の9.11後、いつしかその地はグランドゼロと呼ばれていたのだが、今日ではワールドトレードセンタービルもその数を7棟まで増殖させている。さらにその中心部には不死鳥のごとく翼を広げた建造物がマサに羽ばたこうとしており、内部空間はショッピングセンター、複数路線の地下鉄駅が交差する貿易の殿堂としてもはや誰もグランドゼロとは呼ばず、力強い一歩を踏み出しているのだ。

体力の充電がてらバッテリーパークをぐるっと歩いて再びWTCエリアに戻り、さらにマンハッタンからブルックリンへの架け橋であるブルックリンブリッジに向かった。

この橋は交通の要衝であるだけでなく、中央部の木道は人道になっているので多くの観光客が行き来する人気スポットとなっている。

橋の上からの絶景に気を取られながら歩いていると前方に巨大な幸福の黄色いマフラーを巻かれていい気になっている若人の姿が飛び込んできた。よく見るとそれはエリマキトカゲでもなく、同じ爬虫類でもヘビー級のヘビで観光客のインスタ映えに一役買っており、NYの燃える商魂の一端を垣間見た気がした。

多くの観光客は橋を渡ってブルックリンに到着するとタッチ&ゴーでマンハッタンに引き返すルートを取っているので私もそれに倣うことにした。マンハッタンに向かう景色は林立する摩天楼に圧倒される絶景のオンパレードで、大学生の時分に投資の大部分を無駄にしたはずの英会話学校の講師から学んだ自由の女神を英語でSatue of Libertyと言う記憶を噛みしめながら自由の女神像を遠巻きに眺めていた。

黄色いヘビが出没するスポットに戻ってきたのだが、記念撮影の列はヘビー・ローテーションにはなっていない様子で放置状態のニシキヘビはブルックリンブリッジに錦は飾れていないように見受けられた。

地下鉄で北上し、ミッドタウンで地上に出るとそこにはアメリカ横断ウルトラクイズの決勝の地がそびえていた。MetLifeビルはかつてPANAMビルとして栄華を極め、その大手航空会社は大相撲のスポンサーもつとめており、「ヒョ~ショ~ジョ~!」という高らかな声を響かせて人気を博したデービッド・ジョーンズ氏が輪島や北の湖等に表彰状とともに巨大な地球儀状のトロフィーを渡していた光景が昨日の出来事のように浮かんでくるのである。

♪マリーという娘♪がいたはずの5番街を歩いているとババが抜かれたり、「七」が並べられたりする感覚を覚えたのでふと斜め前方を見上げるとそこにそびえていたのは有名なトランプタワーであった。

内部に侵入すると彼が45代大統領を務めあげた実績を刻むモニュメントもちゃっかりスペースを取っており、土産物の品数も多いのだが、何といっても常駐しているトランプが観光客と一緒にポーズを取ってくれるシステムが確立されていたのだった。

来る大統領選で切られるカードに思いを馳せながら数ブロック北上するとそこは憩いのセントラルパークで鉛筆状の細いビルを見上げながらトランプをシャッフルするように気持ちを落ち着けた。

今後いかなる高さのビルが建立されようとも摩天楼のシンボルの地位は揺るぎないエンパイアステートビルの展望台行きを所望する観光客の集団を横目に地下鉄でロウア―マンハッタンへ帰って行った。

暮れなずむウォールストリートであったが観光客の姿は絶えず、突き当りのトリニティ教会まで多くの人出で賑わっていた。尚、1987年7月時のトリニティ教会は漆黒でカラスの教会との異名を取っていた記憶があるのだが、その後紆余曲折を経て現色まで褪せていったのであろうか?

1987年7月当時、大学4年生の私はすでに大和証券への就職を決めていたため、興味本位でニューヨーク証券取引所の見学さえぶちかましていた。取引所の威光は今も変わらないのだが、それを見上げる「恐れを知らぬ少女」像なる自信家の登場は2018年まで待たなければならなかったそうだ。

トランプタワーならぬ、トランプビルまで見てモ~十分観光のフルコースは堪能したのだが、ふと強気のモ~モ~の股間に目を移すと金の玉々をしっかりと抱き抱える観光客の笑顔に仰天させられた。お金の神様であるはずのこのチャージング・ブルが自由の女神を抜いてNYの人気観光スポットの第一位に躍り出るのも遠い未来ではないことを予感させられた。

6月11日(火)
午前2時発NH159便は定刻通りに出発し、すぐに入眠したものの14時間余りのフライトを睡眠だけで消化するのは無理があった。色々考えを巡らせているうちにドジャースの選手がヒットを打って塁上で決めているポーズのことが気になった。ドジャースの選手であるキケ・ヘルナンデスに起源を発するため「キケ・ポーズ」と言い、両手を上げ、上体を傾けながら左足を上げるポーズであるが、ドジャーズ開幕戦が日本で開催される際には赤塚不二夫先生に敬意を表しておそ松ながら「シェ~」のポーズにマイナーチェンジしなければならないはずだと考えていた。

6月12日(水)
公共交通機関も稼働していない早朝5時前に羽田空港に到着し、朝日を浴びて体内時計をリセットしつつ流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥319,440(内ANA SKYコイン使用 ¥199,100)
総宿泊費 $508.34
総Air Train代 $17
総地下鉄代 $31.9
総NY Transit代 $96

協力 ANA、IHG、MLB.com

シン・FTBヒューストン経由コスメル島天国と地獄インターコンチネンタルツアー

メキシコ最強の観光地、ユカタン半島の東端に位置するカンクンを拠点にいくつかのマヤ遺跡を散策したのは今から19年前の2005年2月のことであった。

当時心残りであったのはバスで立ち寄ったプラヤ・デル・カルメンという町からフェリーに乗って世界で一番透明度の高い海を持つコスメル島に上陸出来なかったことに他ならず、再訪を期してユカタン半島を後にしたのだった。その後ユカタン半島に戻るどころかスカタンな人生を過ごしてきたわけだが、ドロンジョ様のスカポンタンにも背中を押され、ついにコスメル島を目指すツアーが遂行されることとなったのだ。

2024年5月1日(水)
成田空港17:00発NH6便は定刻通りに出発すると日付変更線を越えて同日の午前11時前にはロサンゼルス空港に到着となった。すでに米国入国の定連となっているためあらためて指紋を採取されることもなく入国審査を顔パスで切り抜けるとUnited Clubラウンジで乗り継ぎまでの時間をさしておいしくないケータリングの飲食物を口にしながらやり過ごしていた。

16:22発UA1497便は定刻通りに出発し、2時間の時差を超えて22時前にはヒューストン・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港に到着した。広い空港内にはSky TrainやSubwayが行き来しているのだが、早速Subwayに乗り込んで本日の宿泊先で空港内蔵ホテルのヒューストン・エアポート・マリオット・アット・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタルにつつがなく到着したのだった。

5月2日(木)
午前10時過ぎのフライトに備えて8時前にはホテルをチェックアウトしたのだが、外気はむっとするような湿気を含んでおり、暗雲漂う中Subwayでターミナルへと向かった。すでに常ラウンジと化しているUnited Clubで朝食を済ますと搭乗時刻前には所定のゲートに到着したのだが、ゲート前の行き先を告げる画面にはすでに混乱の兆候が見え始めていた。

早朝よりUnitedから本日搭乗予定の便はOn timeとのメールによる通知を受けていたのだが、目の前の状況が刻々と悪化している様子が見て取れた。窓越しに駐機している飛行機の背後に広がる空の様子を眺めると、分厚い雷雲を引き裂くように雷鳴が鳴り響き、あたかも夜のとばりが下りて来てしまったかのような暗さであった。

ゲートのアナウンスに耳を傾けると搭乗予定の便は燃える闘魂サン・アントニオから来る予定なのだが、悪天候のため離陸が出来ず、そもそも前の便が出発出来ずにゲートにとどまっているため、必然的な卍固め状態となってしまっていたのだ。この時あたりからUnitedからのメールの本数が一気に増え始め、真綿でスリーパーホールドを決められたような遅延地獄に陥ってしまったため、やむなくFTBの対策本部に格上げされたUnited Clubに引き上げることとなった。

今日の午後にはコスメル島に到着出来るというヒュ〜という盛り上がりの気持ちがいきなりストンを落とされたのはマサにヒューストンのラウンジにいる時であった!

直近のメールによるとUA1919便は16:31までさらなる遅延のアナウンスがあったものの19時前には何とかコスメルに到着する算段であったのだが、14時過ぎに届いた立て続けのメールには何とフライトがキャンセルされ、新たに明日の便が予約されたとのショッキングな知らせであり、いくら暴風雨の嵐のためとはいえ、長期休養したリーダーの大野君が復帰する時にはすでにジャニーズ事務所が無くなっているくらいの衝撃を受けてしまった。

通常であれば膝から愕然と崩れ落ちるところであるが、約10分で正気を取り戻すと早速本日から宿泊する予定であったPRESIDENTE INTERCONTINENTAL COZUMEL RESORT & SPAにメールを投げ込み到着が1日遅延する旨を伝えると即座に了解したとの返事をいただいた。立て続けにMarriottのウエブサイトにアクセスすると今朝チェックアウトしたばかりの同じホテルを予約し、何とか本日の宿を確保出来たかのように思われた。

United Club内のカウンターには長蛇の列が出来ていたのだが、チェックイン済みの荷物を取り戻す必要があったので担当者にその旨を伝えると1〜2時間くらいで荷物の引き取りは可能だろうとの返答をいただいた。

空港内の土産物屋の多数の招き猫に見送られ、彼らが招いたのは嵐であり、♪体中に風を集めて 巻き起こせ A・RA・SHI A・RA・SHI♪のメロディーとともにやけ気味にBaggage Claimへと重い足を運んで行った。

Baggage Serviceのカウンターを先頭に見たこともないような長蛇の列が形成されていたのだが、ひるまずに列の最後尾に並ぶと1時間以上は経ったであろう時間にやっとFTBの順番が巡ってきた。すでに多数のクレームを受けて正常な判断機能が麻痺しているであろう担当者から告げられた言葉は、明日の便に振り替え予約されているのであれば荷物を引き戻す必要はなく、どうしても今日荷物が欲しければ6時間以上待てという非情な物質(ものじち)との引き換え系の暴言であった。

一旦は引き下がったものの再考の上、身代金を払ってでも荷物を救出しなければならないとの決断に至ったのでさらに長くなった列の最後尾に再び並び直すことにした。気の遠くなるような時間を立ち尽くしたまま過ごし、何とかBaggage Serviceのカウンターが視界に入ったころ、「Mr. FUKUDA!」と呼ぶ天の声的アナウンスが場内に響き渡った。指定された場所に足早に向かうと何とかそこで危害を加えられていない荷物との再会を無事に果たすことが出来たのであった。

数時間前に依頼したUnited Clubの差し金とはいえ、何とか荷物を奪還したものの試練はそれだけにとどまらなかった。なんと先程Marriottのウエブサイトで予約したホテルのチェックインの日付が明日になっていることが判明し、泣く泣く高額のキャンセル料を支払ってキャンセルし、あらためて今晩の宿を探さなければならなくなっていたのであった。

なすすべもなく向かった先はいわくつきとなったエアポート・マリオット・アット・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタルであったが、当然当日予約の部屋は空いているはずもなく、近隣のホテルのリストを渡され、一軒一軒自力で探すほかない状況であった。

携帯の電波の状態が良くなかったのでホテルロビー出口の外気の当たるところで電話をかけようとしているといかにも白タク系の雰囲気を装っているが紳士の心根を持つはずのナイスガイが車で近隣のホテルを当たってあげると申し出てくれたので藁にもすがる思いで彼の車にかけることにした。Hampton Innをはじめ数件のホテルで満室Sold outの洗礼を受け、次に向かった先はSheratonであったのだが、ここでもSold outを告げられ空振り三振で空港に戻るべきかと思った瞬間にマネージャー面した男性が女性クラークを制し、実は部屋は空いているという助け舟を出してくれた。嬉々として白タク系の紳士の元へ戻り、感謝を込めて彼の言い値より高い$60を握らせ、「いいね!」のポーズで別れを告げると遅れてきたMarriott Bonvoy会員のゴールドメンバーの威光とともに何とかチェックインを果たしたのであった。

5月3日(金)
ゴールドメンバーの特典である朝食をさくっと済ますと空港までの無料送迎シャトルに乗り込み、憂鬱な空の色を眺めながら粛々と昨日と同様の手順を踏んでいた。午前中の強雨は昨日よりもましであったものの10:03出発予定であったUA1919便はまたもや遅れを出し、それでも11時前には晴れてヒューストンを離れることが出来たのであった。

離陸しさえすればこっちのもので、約2時間ちょっとのフライトで念願のコスメルに到着すると抜けるような青空に迎えられた。つつがなくメキシコへの入国を果たすと一人当たり$14の支払で乗り合いバンに乗り込み、コスメルでの宿泊先に向かうこととなった。

20分程度のドライブでPRESIDENTE INTERCONTINENTAL COZUMEL RESORT & SPAに到着し、チェックインデスクでウエルカムドリンクを飲みながら、やっとの思いでヒューストンのインターコンチネンタルからコスメルのINTERCONTINENTALへの引継ぎを完了させることが出来たことを実感した。

IHGダイヤモンド兼アンバサダー会員の威光により2段階アップグレードされたオーシャンビューの部屋に案内されると窓越しに広がる雄大な景色はいかなる高級コスメティックスにも劣らないはずの透明感あふえるコスメルの海であった!

昼飯を食いそびれていたのでホテル内の散策がてらLe Cap Beach Clubという地中海系料理を供するレストランに突入し、シーフードや牛肉タコスを肴に吸い込まれそうな透明な海をひたすら眺めながら、ヒューストンでの悪夢を消し去るのに躍起になっていた。

思いのほかの疲労とマルガリータのテキーラが体の節々に行き渡った影響からか部屋に戻ると不覚にも意識を失ってしまい、気が付くとサンセットの時間を迎えていた。

太陽が完全に水平線に吸い込まれた後のマジックアワーは想像以上の長続きで漆黒の闇が訪れるまで身動き出来ないままでいたのだった。

広々とした高級ルームであったが、バスタブの設置までは気が回ってなかったので代わりにインフィニティプール後方のジャグジーの泡に揉まれながら体内に残留しているアルコールをバブルとともに排出し、明日への鋭気を養うべき長時間のリセットモードを満喫させていただいた。

5月4日(土)
想像だにしなかったアクシデントにより3泊の予定が2泊になってしまったため、島内観光は断念し、ひたすらホテルの敷地内での籠城を決め込むことにした。

毎日コスメルに入港するクルーズ船の雄姿を横目に海辺の朝食会場となっているCarbeno Restaurantに入場した。建物を吹き抜ける爽やかなそよ風とともに野鳥が館内を縦横無尽に飛び交い、ちょっとしたバードウォッチング気分が味わえるのかと思ったのも束の間、野鳥の目的は人類の隙をついて食べ物を略取することであり、マサに仁義なき共生の光景が展開されているのだった。

マサと言えば、前回のユカタン半島ツアーでとうもろこしの粉に水を加えて生地にしたものがマサであること(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5)を
解明していた。マヤの聖地を巡りながらほんまやと納得しながらありがたく食すようになったのだが、このホテル内のレストランの主食もタコスやナチョスになっているようで外資の入ったリゾートホテルとはいえ、メキシコのアミーゴプライドは決して損なわれてはいないのだ。

世界一の透明度の海に囲まれたコスメルは言うまでもなくダイビングの聖地であり、早朝よりホテル内の桟橋から多数のダイビングボートが出航する。ダイビングをしない輩はその光景をぼ〜と眺めるだけであるが、ホテル敷地内でもその透明度は十分に堪能可能である。

レストラン裏のScuba Du Dive Centerでスノーケリングセットを借りて安全な場所で波に体をゆだねるのも良いのだが、それがなくても砂地に足が付いた場所で魚ウォッチングが可能なほど豊かな水産資源が身近に迫っているのだ。

この地の陸の王者であるはずのイグアナを横目にホテル敷地内を隈なく散策し、途中シーフードのランチで一休みして十分にコスメルでの休日を堪能させていただいた。

日が傾きかけてきた頃合いを見計らってインフィニティプールに繰り出し、ジャグジーでの温浴効果を高めていると早くもサンセットの時間を迎えてしまった。

水際から真っ赤に燃える西の空を見上げながら、永遠に続いて欲しい瞬間とはマサにこのことであろうと考えながら自らも水の中に体を沈めていくのであった。

5月5日(日)
今朝は昨日よりも少し早い時間に朝食会場に繰り出した。相変わらずダイビングボートはせわしなく出航の準備に取り掛かっていた。

まだお客さんの数も少なく、料理の食べ残しがテーブルに散在していなかったのでバードウォッチをするほどの野鳥の飛来も見られなかったのであろう。しかし野鳥の少ない原因はそれだけではなく、今朝は手乗り猛禽を操っている鷹匠が威嚇兼パトロールの任に着いており、野鳥のさえずりも心なしか警戒モードの調べを含んでいた。

チェックアウトまでのしばしの時間であったが、名残を惜しむように徘徊し、コスメルの絶景を目に焼き付けるのに余念がなかった。

気が付くとメールボックスには見慣れたUnitedの文字が躍っており、ヒューストンへのフライトが遅れるとの再度の嵐を予見させる通知であった!

予定していたチェックアウト時間を1時間程遅らせて正午過ぎにタクシーを呼んでもらい、来る時よりもかなり割安の$20の支払いでコスメル空港に帰ってきた。元々のフライトの予定時間は13:27で、それが13:50になるとの通知はまだ序の口で空港に着いてからもUnitedからのスパムメールは止まらずに出発時間が14:30, 15:20, 16:00, 16:20と小刻みに後ろ倒しになって行った。United航空のハブ空港であるヒューストンであれば、即座に一人当たり$15のMeal Couponが発行されて搭乗予定客の溜飲を下げるのに一役買っていたのだが、ここコスメル空港ではUnitedの威光は届かない様子で「許しテキーラ!」というお詫びの一言もなかったのだ!

搭乗することになっているヒューストンからの飛行機が到着した時間はすでに16時を回っており、結局UA1867便ヒューストン行きが出発出来たのは16:50であった。

約2時間のフライトでヒューストンまで帰ってこれたのだが、さらなる難題はロサンゼルスまでの乗り継ぎ便には間に合わないという事実である。幸い米国入国審査がすいていたのでそそくさと荷物をピックアップしてUnitedの乗り継ぎカウンターに向かい、首尾よくロスへの最終便にねじ込んでもらったのだが、その便自体もすでに遅れの兆候を示していた。

常ラウンジのUnited Clubの飲食物で胃袋の容積を満たすと22時前には搭乗ゲートに向かい、遅ればせながら出発出来ると高をくくっていた。ところが待てど暮らせど出発する気配がないのでついには腹をくくらなければならない状況になっていた。機長のアナウンスによると遅れの理由はワシントンDCからのケータリングを待っているとのことで狭い機内に閉じ込められた乗客を希望者のみ一旦降機させるとの措置さえ取られていた。

トイレ近くの機内後方に陣取っていたFTB一行であったが、かわるがわる用を足しに来る乗客の中でひときわ長い時間トイレに籠城している輩がいるようであった。すると突然うめくような嘔吐サウンドがトイレ周辺にこだまし、付近の乗客が眉をひそめている様子が見て取れた。しばらくして出てきたのは小太りの黒人女性であり、当然のことながらそのトイレは使用禁止の烙印が押されてしまった。

それだけならまだしも汚染されたトイレを除染しなければ出発出来ないという安全規定により、吸引機を持った防護服姿の整備士が乗り込んでくる事態となり、機長の甘い作業時間の見通しもあいまって乗客の苛立ちはピークを迎えつつあった。一方、汚染の張本人は悪びれることなく機内を徘徊し、解説者のような振る舞いで遅れの原因説明に勤しんでいたのだった。

5月6日(月)
結局UA2000便が出発出来たのは日付の変わった0:20でロサンゼルスに着いたのは午前2時くらいの時間であったろう。幸いなことにホテルへのシャトルバスは24時間運行なのでホテルまでの足は確保されていたのだが、予約していたウェスティン・ロサンゼルスエアポートに到着した時間の記憶はすでに飛んでいた。ホテルの従業員は深夜シフト体制に入っていたためか、ここでもチェックインまで長時間を要してしまい、結局ベッドに体を横たえることが出来たのは4時を回った時間になっていたであろうか?

幸い日本へのフライト時間が午後であったので多少睡眠時間は確保出来たのだが、それでも午前10時過ぎにはチェックアウトしてそそくさと空港へ向かって行った。United航空の束縛を逃れて搭乗したNH5便は定刻通りに出発し、定刻のありがたさを噛みしめつつ、機内映画のゴジラ-1.0の主役である着ぐるみに破壊的衝動の発散を肩代わりしていただいた。

5月7日(火)
午後4時半頃成田空港に到着し、ヒューストン経由で旅行するときにはホイットニーを警護したケビン・コスナー扮するボディーガードのような強いメンタルが必要であることを肝に銘じつつ流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = ¥135,350 / passenger、United Airlines = ¥86,530 / passenger
総宿泊費 $1,440.25
総宿泊キャンセル料 $221.13
総タクシー代 $108

協力 ANA、United Airlines、IHG、Marriott Bonvoy

FTBJ 20世紀少年よ桂離宮にいらっしゃ~い!ツアー

昨今ショッキングなニュースが世界中を駆け巡っている。太陽のような存在の日本人二刀流リーガーの財産が悪の「ともだち」に支配されてしまったというではないか。まるで大きな谷の底でもがくように人間不信と葛藤する心情は察するに余りあるので日本人の心のふるさとであるはずの古都を訪問し、いかにして人間性を取り戻すべきかを検証するツアーが急遽催行されることとなったのだ。

2024年4月13日(土)

13:20発ANA991便は定刻通りに羽田空港を出発すると定刻より少し遅れて午後3時前に関西国際空港に到着した。早速ニッポンレンタカーでマツダの普通車をレンタルすると、とある夢の跡に向かって車を走らせた。

♪こんにちわ~♪ (こんにちわ~)♪西のくにから~♪

というわけで、大阪府の北摂に君臨する1970年に開催された日本万国博覧会の広大な敷地は今は万博記念公園(¥260)として今なお大阪府民だけでなく日本国民の憩いの場所として賑わっているので、桜の時期を逃したとはいえ、訪問しないわけにはいかなかった。

奇しくも今日は2025年4月13日に開幕するEXPO 2025 大阪・関西万博のちょうど1年前ということで20世紀少年が21世紀老年にバトンを渡すにはうってつけのタイミングだったのだ。

閉園前30分の午後4時半に滑り込みで入園を果たすと眼前に諸手を上げて立ちふさがっていたのは三波春夫ではなく、芸術を爆発させた成果物であるはずの太陽の塔であった。

人間に二面性があるように太陽の塔も赤を基調としたA面とは裏腹に、B面は皆既日食のように太陽の財産を蝕んでいるかのようなダークサイドが見事に表現されていた。


奇しくも園内に内蔵されている国立民族博物館では「日本の仮面」というみんぱく創設50周年記念特別展が開催されており、入館するまでもなく、仮面の下に隠されている人間の本性について考えさせられたのであった。

トーテムポールを見上げて姿勢を正し、イチゴソフトで乾杯して気を取り直すとわずか30分程の滞在時間の間に21世紀老年への坂道をいかに緩やかに下っていくかの指針が少しではあるが見えてきたような気がした。

今日の宿泊先は楽天トラベルに予約させておいた洛西・竹の郷にある、ホテル京都エミナースで、心の疲れを癒す2種類の天然温泉を堪能しながら雅の世界へと舵を切って行った。

4月14日(日)

宮内庁御用達の観光地である「桂離宮」はWEBでの参観申し込みが必須で、予約していた時間を念頭に阪急桂駅へ向かった。駅前のコインパーキングに車を預け、15分程歩くと桂離宮表門に着いたのだが、そこでは何故か当日券も販売されていたのだった。

参観はすべて宮内庁御用達のガイドによる案内で遂行されるのだが、日本人観光客をしのぐ人数で乗り込んで来た外国人観光客への説明は通訳ではなくオーディオガイドがその役目を果たしている。また、桂離宮の説明用の資料には「このパンフレットは、宝くじの社会貢献広報事業として助成を受け作成されたものです。」との説明が明記されており、決して「違法スポーツ賭博」からの資金援助は受けていないので負けを取り戻すための掛け金を上げることなく安心して観光に励むことが出来るのだ。

桂離宮は、17世紀初頭に創建された宮家の別荘で当初は「桂山荘」と称していたのだが、明治16年に宮内省所管となり、桂離宮と称されることになったのだが、創建以来永きにわたり火災に遭うこともなく、ほとんど完全に創建当時の姿を今日に伝えている。

桂三枝の「いらっしゃ〜い!」という挨拶もなく、午前11時過ぎに待望の参観の火ぶたが切って落とされることとなった。

最初に案内されたのは御幸門であるが、正門である表門に向かう道筋は徐々に狭くなっており、遠近法により限られたスペースが広く見えるような工夫が施されている。

切石と自然石を巧みに配した飛石を伝って外腰掛という待合い腰掛でしばしガイドの説明に耳を傾けると一行は参観コースに従って粛々と進んでいった。

桂離宮の中央には複雑に入り組む汀線を持つ池があり、大小五つの中島に土橋、板橋、石橋を渡し、書院や茶室に寄せて船着きを構えている。緑の池には亀や泥魚だけでなく、水の原をただようシロサギの姿も見受けられ、甘い話には裏があることを暗に示しているかのようだった。

黒く扁平な石が敷き詰められ池に突き出している場所は洲浜と呼ばれ、先端に灯篭を据えて岬の灯台に見立てて海を演出している。また、その先の中島と石橋のつながりは天橋立を模しているとのことである。

寛文2年(1662年)頃までには在来の建物や庭園に巧みに調和させた中書院、さらに新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒等が新増築されており、それらを一軒一軒丹念に見て回ると心の中のわびさびが自然に刺激され、すさんだ心が浄化されていくのであった。

桂離宮では月を雅に鑑賞するための仕掛けがここかしこに施されているのだが、特に月波楼は池辺の高みに立つ茶亭で、月見はいうまでもなく、苑内の主要な景観が一望でき、納涼の設備の役目も果たしているのだ。

全行程約1km、1時間程度の参観が無事終了するころには腹も減ってきていたので明星カップ焼きそばの「一平ちゃん」でも食ってみようかと思ったのだが、何とか踏みとどまった。やはり人生の岐路に立たされた場合は拳に顎をついて考えてみることが最も重要ではなかろうか?

関西国際空港に帰還し、15:40発ANA992便で羽田行の機中の人となり、飛行機は都心部の上空で高度を徐々に下げていった。スカイツリーや東京タワーの頂点を見下ろしながら、あらためて「驕る平家は久しからず」と肝に銘じながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥17,050 per passenger
総宿泊費 ¥35,244(2名分、2食付き)
総レンタカー代 ¥10,336(ガソリン代込み)
総高速代 ¥5,970
総駐車場代 ¥1,500
総走行距離 237KM

協力 ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、宮内庁京都事務