FTBSEAアンコールにおこたえしなくてもワット驚くアンコールツアー in カンボジア

ついに戦争が始まってしまった。戦争で悲劇を被るのはいつも善良な一般市民である。今回の戦争により、イラクでは新たな難民を生み出すことになり、これは大きな国際問題となって我々の前に立ちふさがる。今回FTBが厳選した目的地は難民問題解決途上でありながら、観光都市として復興を遂げようとしているカンボジアのアンコールワットを中心とした遺跡群であり、ここから貧しいながらも賢明に生きる力を学び取ることが目的であった。

2003年3月20日(木)

米・英連合軍がイラクへの攻撃を開始した当日とは思えないほど、成田空港第二ターミナルでは平然とした雰囲気で日常業務が遂行されていた。ANA915便バンコク行きB747-400は何事も無く、定刻17時25分に出発した。今年の4月より2年連続2回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員として活躍することが約束されている私に与えられた席は通常のエコノミークラスよりグレードの高いプレミアムエコノミーという席でいっちょまえにフットレストと電源プラグが据え付けられていた。

いつものように客室乗務員の責任者が私のところに挨拶に来たら適当に相手をしてやならければならないと思っていたが、今回はキムタクドラマのGood LuckでANAのスチュワーデスを演じている黒木瞳を彷彿とさせる女優系のレィディが来るかも知れないと期待に胸を膨らませていた。もし彼女が「御用があれば何なりとおっしゃって下さい」と社交辞令を投げかけてきたら、「こちらこそ、私に出来ることがあれば何なりとおっしゃってやって下さい。何だったら、財務省に私の舎弟のマサという者がおり、そいつをどやしつけて財務省の出張をすべてANA便に切り替えさせてあげましょう」と言うところであったが、挨拶に来やがったのは通常のスチュワーデス顔のチーフパーサーだったので座席TVで上映される「ハリー・ポッター秘密の部屋」に集中しているふりをしてかわしておいた。

タイのバンコク国際空港に夜の10時半ごろ到着するといきなり気温31℃の猛暑に見舞われた。今日は着いた時間が遅かったのでおとなしくComfort Inn Airport($39.-)にチェックインし、そのまま寝苦しい夜を過ごすことと成った。

3月21日(金)

タイ-カンボジア路線を中心に運航しているバンコクエアウエイズのPG930便、B717-200機は午前8時にバンコク国際空港を出発し、50分程度のフライトでアンコールワットへのゲートウエイシティになっているシェムリアップ国際空港に到着した。入国審査を済ませ、空港の外へ出るとおびただしい数の客引き系の人種が目を血走らせながら金持ちの客を物色していた。その中で何も頼んでいないのにTAKEO FUKUDAという栄光の私の名前のボードを掲げている若者が居座っていた。そ~か、カンボジアではすでに私は有名人なのかと一瞬勘違いさせられそうになったが、よく考えて見るとAngkor HotelをWEBで予約していたのでホテルの関係者がわざわざ出迎えに上がっている様子であった。

多少英語を話すペーンと名乗る若者が転がすトヨタカムリに同乗すると早速シェムリアップ市内のホテルを目指して走り始めた。車窓から眺めるシェムリアップの町並みは典型的な開発途上国の様相を呈していたもののアンコールワットの人気にあやかり、たくさんのホテルが建設中であった。車中でペーンが簡単に町並みの紹介をしてくれていたのだが、同時に彼の車を1日あたり$25でチャーター出来るので是非観光に使ってくれとしつこく営業をしかけてきたので最後には根負けして承諾させられてしまった。

朝の9時ごろシェムリアップでは高級ホテルの部類に属しているAngkor Hotelにチェックインすると色黒のおね~ちゃんからホテルのロゴ入りのクロマーというカンボジア式スカーフを首に掛けられてしまった。1時間後にペーンを待たせてあるロビーに戻り、早速アンコール遺跡群の調査を開始することにした。まず最初に訪れたのはアンコール遺跡で2番目に人気のあるバイヨンという寺院である。バイヨンは王と神の都市と言われているアンコール・トムの中心に位置しており、ピラミッド形式に積み上げられた石の表面に刻まれたデバダーという女神が印象的な寺院である。また、周囲を取り巻く回廊に施されているレリーフが美しく、レリーフ近辺には決して触らないようにとの注意書きの立て看板が立っていた。私もレリーフを触ってバイヨン寺院の仏像の鼻がもげたりしたらヤバイヨンと思ったので注意して見物することにした。また、寺院内には観光客の身を守ってくれる警察官が見回りをしていたのだが、アンコール・トムとはいっても小柳トムのような警察官の制服を着ているわけではなく、かといってバブルガムブラザーズのブラザートムのようにファンキーでもなかったのだ。

午後から待望のアンコールワットを訪問することになった。ユネスコの世界遺産として君臨しているアンコールワットはクメール建築の最終形と位置付けられ、12世紀前半に建立された宮殿である。幾重にも重なっている門をくぐって最終的にたどり着いた中央祠堂に登るためには人々を寄せ付けないような急な階段を登る必要があり、登っている最中にワッと驚かせば観光客は落ちてくるのではないかと思われた。

アンコールワットの敷地内のとある一角に多数の売店が出店しており、冷たいジュース等を$1で売りつけようと営業に励んでいる原住民にあっという間に取り囲まれてしまうような環境の中で私の目にとまったものは水生昆虫である巨大なタガメの姿煮であった。原産地は目の前の聖池であると思われ、腹部を噛むといかにもプシューと液が出てきそうな雰囲気を漂わせていやがった。

3月22日(土)

昨日ひょんなことからチャーターするはめになってしまったトヨタカムリを操るペーンの粘りにより、今日も彼を雇うことになり、午前9時に観光を開始することになった。シェムリアップの北部40kmの地点にバンテアイ・スレイという非常に美しい彫刻が施された遺跡があるということだったので車を飛ばして見に行くことにした。「女の砦」の意味を持つこの寺院には東洋のモナリザと称される優美なレリーフが名声を博している。ここでは建築物や彫刻の美しさよりも地雷を踏んだと思われ、片足の無い人が物乞いをしている姿が脳裏に焼き付いてしまった。

午後から炎天下の中、東メボン、ニャック・ポアンという遺跡を立て続けに見学することになった。東メボンは今では干上がってしまった貯水池の中心部に952年に建立され、四隅の象の石像を配したピラミッド式の寺院である。ニャック・ポアンは「からみあう蛇(ナーガ)」という意味を持つ治水に対する信仰と技術を象徴する寺院である。

マサよ、君はカンボジアのジャングルの中にギリシャ建築の名残を見たことがあるか!?

私は・・・見た。

というわけで、ニャック・ポアンと同時期に造営されたプリア・カンという遺跡は「聖なる剣」の意味を持ち、創建者のシャバルマン七世がチャンバ軍との戦いに勝ったことを記念して立てた寺院である。プリア・カンの中央祠堂周辺は迷路のように回廊が巡らされており、その北東に立つ建造物はまるでギリシャ建築を思わせるような石柱二層構造になっている。

アンコールワットを中心とする遺跡群の中でサンセットスポットとして人気ナンバー1に輝いているプノン・バケンは高さ60mの丘陵の上に祠堂を配しており、そこから南東の方向に樹海の中に浮かび上がるようにそびえているアンコールワットを見下ろすことが出来る。プノン・バケンに登るには急な斜面を徒歩で登るか、なだらかな坂を象に乗ってゆっくり歩く(上り$15.-、下り$20.-)かを選択することが出来るようになっている。

私がプノン・バケンに到着したのは3時半頃で日はまだ高く、なおかつ敷き詰められている石畳が熱せられた状態で石焼ビビンバの具のような気持ちでサンセットを待っていた。しかしこの日は残念ながら、西の空に雲がかかった状態だったのでクメールの大地に沈む燃えるような夕日を拝むことが出来なかったので仕方なくサンセットを待たずに撤収を決め込んだ。ちなみに象に乗って来た人は100%の確率で象と記念写真を撮っており、それを見てゾ~とした寒気を感じたので何とか石畳の暑さに対処することが出来たのではないかと思われた。

3月23日(日)

昨日の観光でペーンに$40もの大金を払い、彼もいい気になっていたので今日は彼を首にして別の観光手段を検討することにした。まず、朝一にシェムリアップのダウンタウンの中心にあるオールド・マーケットを散策することにした。このマーケットは原住民の生活と非常に密着した市場で生鮮食料品や干物等がところ狭しとならんでおり、エスニックな雰囲気と異臭を漂わせていた。

カンボジアの主要交通手段としてバイクタクシーという乗り物がある。この国ではバイクを転がすのに特に免許は必要なく、バイクタクシーの営業もホンダの原チャリ等を下取りしたオンボロバイクさえ持っていれば誰でも出来るのである。とあるコミュニケーションが苦手そうな少年がしきりに私に対して乗って行かないかと営業をしかけてきた。それじゃ~ここから10kmくらい離れたタ・プロ-ムまで$1でどうだと交渉したが、彼は$2と言いやがったので他をあたろうとした。お金に困ってそうなその少年はしきりに私の後を追いかけてきて結局$1でいいと妥協したので彼の後ろに乗っかることにした。

タ・プロ-ムはアンコールワット、バイヨンに続いて日本人に人気のある遺跡でスポアンという木の根が蛇のように石にからみつき、いやがおうでも自然の驚異を感じさせられる寺院である。この遺跡の状態はわび・さびを美徳とする日本人の心を打つようで今でも仙人が住んでいるような魅力を持っているのだ。

遺跡の調査を終えてタ・プロ-ムから出てくると私を上客だと判断した少年が待っていやがった。別に彼をチャーターする気もなかったのだが、そのけなげな態度を見てさらに$1払って近場のタ・ケウという遺跡まで案内させてやった。「クリスタルの古老」という意味を持つタ・ケウ寺院は、アンコールワット造営の試金石とされている。寺院建築の依頼主であるシャバルマン五世の突然の死により、石材を積み上げた状態で未完成のまま放置されているこの建物からはピラミッド式寺院という新しい造形への挑戦が見て取れるのだ!

少年のバイクのケツにまたがってバイヨンに再び向かいながら、もしここで転んで怪我でもしたら保険効かないからヤバイヨンと思っていた。バイヨンでは相変わらず地元の少年少女などが無邪気に観光客に対して愛想を振り撒いていたが彼らは一応人畜無害であった。別にアンコールにお答えするわけでもないが、最後はやはりアンコールワットで締めたいと思っていたので再びアンコールワットを見物することにした。アンコールワットの敷地内に寺院があり、橙色の袈裟を着た僧侶が行き来しており、彼らは出家した身にもかかわらずタバコを吸ったりするなまぐさ坊主である。また、その寺院は孤児院も兼ねているらしく、小さな少年少女が愛想よく挨拶を交わしてくれるシステムになっていた。

私が宿泊しているHotel Angkorの対面にバイヨンマッサージというマッサージ屋が開業していたので旅の疲れを取るために受けてみることにした($9.-/1.5H)。シェムリアップのマッサージ屋は目の不自由な人の自立をサポートするための仕事となっているので非常に料金が安く設定されているのだ。

3月24日(月)

定刻通り、朝7時10分頃帰国。途中で自宅により、風呂でカンボジアの汗を流して会社に出社。

カンボジア情報はナンボジァ(強引か・・・)特集!

*アンコール遺跡へ入場するためのチケットは高めに設定されており、それで遺跡の修復等を行なっている。料金は1日券=$20.-、3日券=$40.-、7日券=$60.-という設定で長くいるほどお徳だぜ。

*シェムリアップにゲストハウス「タケオ」という宿があり、私の許可も得ずにソ~ト~安い宿泊料で日本人に人気を博しているそうだ。マサよ、財務省から圧力をかけて必ずマージンを取ってくれ!

*主要な遺跡スポットには必ず飲み物屋とお土産屋が出店している。そこで私が耳にした言葉はツノもないのに「オニさん、オニさん」という原住民の営業文句である。詳しく説明すると「オニ(お兄)さん、オニ(お兄)さん、ツ・メ・タ・イ・オ・ノ・ミ・モ・ノ・ハ・イ・カ・ガ・デ・ス」と言っているのだが、おばちゃんもつぶらな瞳の子供も同じトーンで同じ言葉を喋っており、まったく応用の効かない奴らだと思われた。

*カンボジアの主要通貨はアメリカドルであり、補助通貨として現地のリエルが使われている。さらにカンボジア人は日本語でドルのことをダロだと言うものと思っており、日本人は皆心の中でそれは勘違いダロと思っているのだ。

FTBSEAスペシャルドキュメント「悲しきカンボジア少年物語」

これはわたしがバイヨン寺院に隣接するバプーオンという遺跡を見物していたときに起こった実話である。遺跡をゆっくりと歩きながら見ているとふいに少年が近づいてくる気配を感じた。みすぼらしい身なりの中にアグレッシブな雰囲気をたたえたその少年は頼んでもいないのにいきなり観光ガイドよろしく遺跡の説明を始めてしまった。特に話を聞く気のないふりをしながら歩いていたスキのない私に対して完全にロックオンをしてしまった少年はあくまでもマイペースで解説を続けていた。その間私の心の中ではどうやってこの少年を振り切るかもしくはいくらの支払いでケリをつけるべきかといった壮絶な心理戦が展開されていた。

巧みな英語を操る少年が言うことには彼は午前7時から10時まで学校に通っており、週$40の学費を稼ぐために自主的に観光ガイドをしている。また、彼の父親は地雷を踏んで死んでしまったので生活に苦労しているという話を巧みに織り交ぜてきた。日本有数の家なき子である安達裕美が取り入れたと言われている伝家の宝刀「同情するなら金をくれ!」作戦を少年が展開する前に何とか彼を振り切らなければならないと考えていた私に突然チャンスが訪れた。とある崩壊した遺跡を前にして少年が始めた解説はこの遺跡はカンボジアのある過激派組織が破壊したものだと言った瞬間に松田聖子よろしくブリッ子調で♪ピュアピュアリップス♪と歌い上げ、「それはロックンルージュや!君の言いたいのはクメール・ルージュやろ!」と関西伝統の一人ボケつっこみをかまして少年が動揺している隙に走り去る作戦を実行しようと思った矢先に少年の口からクメール・ルージュの言葉が出てしまったのでこの作戦は失敗に終わってしまった。

少年を振り切ることが出来ないまま、いくばくかの時間が過ぎてしまい、ついには少年の口からこの奥に僕の仲間がいるから一緒に来ないかい?との誘い文句まで出てしまった。しかし、驚いたことに少年がその文句を言い終えるか終えないかの瞬間に彼がいきなり林の中に走り去るのと同時にいくつかの人影が鋭く四方八方に分散する気配を感じた。何事かと後ろを振り向くとそこには現地の警察官の姿があった。警察登場のおかげで安心して遺跡見物が継続出来るようになり、非常に感謝していたのだが、結局警察の目を眩ませて先回りしていた少年に再度捕まってしまった。少年はここぞとばかりに学費を払うために$5ほどカンパしてくれよ!と言い寄って来た。私もその頃には少年の粘り強さに心を打たれていたので$5程度だったらと思い、めぐんでやることにした。ここで気をよくした少年はさらに$10を要求してきやがった。冷たく断ると「お兄~さんはバンコクから来たんだったら、タイバーツが余ってるだろ、それをくれよ!」とさらに食い下がって来たので、さすがに私も黒柳徹子のような度量の広さを示すことが出来なくなり、とっとと撤収することにした。

しかし、警察の出現なしに少年の案内する場所に連れて行かれてたら今ごろの私はどうなっていたのだろうかと思うと非常に不思議な気持ちである。(総)

FTBサマリー

総飛行機代 \77,820.-, THB11,700.- (THB 1 = \3.27)

総宿泊費 $203.8

総車チャーター代 $65.-

総バイクタクシー代 $7.-

総遺跡チケット代 $40.-

総カンボジアビザ取得費用 \3,000.-

総バンコク国際空港使用料 THB500.-

総シェムリアップ空港使用料 $15.-

今後の活動予定: 慶良間諸島、徳之島、ゴジラ等盛りだくさんです。

協力 ANA, Bankok Airways

第二回ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし!リベンジ編)

前回までのあらすじ

西暦2002年3月2日(土)構想5年の歳月をかけて実行に移されたFTB念願の流氷ながれ旅であったが、網走では強風のため、オーロラ号が欠航になり、翌日の紋別でのガリンコ号においては船は出航したものの航路上に流氷が無いため、単なる寒い海のクルーズに甘んじてしまったというこれ以上ない屈辱を味わってしまった。その日を境にFTBはリベンジの炎と化し、FTBの総力を結集して1年後に必ず雪辱を果たすべく、オホーツク流氷科学センターや北海道大学流氷施設とタイアップして物理的/化学的な観点から流氷のながれの綿密な調査を実施し、今回記念すべき瞬間を迎えるに至ったのである。

3月15日(土)

ノースウエストのマイレージが余っていたので、マサであれば¥6万くらいかかるところを私はただで日本エアシステムが運航する羽田-女満別の往復航空券を入手していた。JAS183便、エアバスA600-B2機にて午後1時過ぎに女満別空港に到着するとニッポンレンタカーでレンタルしたホンダのフィットが妙に体にフィットした感覚を覚えながら一目散に網走の海に向かって車を走らせていた。流氷レーダーで日々の流氷の動きをつぶさに観察していたものの去年の悪夢がトラウマになっていたため、実際に海の状況をこの目で見ないと不安で仕方がなかったのだ!

高鳴る鼓動と不安を胸に車が沿岸部に近づいて来ると思わず「何か知らね~けど、海がやけに白くね~か?」と叫んでしまった。そう、網走沿岸部は白くて分厚い氷で一面覆われていやがったのだ!とりあえず、海の状況を見て安心したのか、急に昼飯を食っていないことに気が付き、網走のとあるラーメン屋でガチンコラーメン道の佐野さんを彷彿とさせる親父が作っているみそチャーシュー・ワンタン麺(\950)を食って腹ごなしをした。

最大旅客定員450名を誇る流氷観光砕氷船オーロラ号が網走で営業しており、この船に乗らなければ網走に来たことにはならないと言われているのであらかじめ1ヶ月前から予約をしておいた。オーロラ号の砕氷の仕組みは傾斜角30度を持った船首の下に流氷を誘導し、船底方面で流氷を叩き潰すような技術を用いており、最大で80cm厚の流氷に対応出来るとパンフレットに誇らしげにうたってあった。しかしながら、今日、オーロラ号の受付カウンターで流氷が厚くて沖合いに出られないのでクルーズ時間を1時間から30分に短縮し、港内をちまちま航行するという事実に直面して愕然とさせられてしまった。その代わりに通常¥3,000の乗船料を¥1,500に値引きして観光客の機嫌を損ねないように営業努力している姿勢を買ってクルーズに参加してやることにした。

船が岸から離れるとあたりは一面氷に覆われた白い世界に囲まれてしまった。時おり巨大な流氷にぶちあたると491トンのオーロラ号であっても船は傾き、デッキは観光客の歓喜と恐怖と怒号に包まれていた。上空には渡辺真知子が放し飼いにしていると噂されるカモメが飛びかい、観光客がデッキから投げているかっぱえびせんの奪い合いが展開されていた。

ということで、今日は流氷クルージングの練習が十分に出来たので、夕方オホーツク沿岸を100km程度北上し、ガリンコ号が待つオホーツク紋別へと向かった。途中、サロマ湖の近辺で日が沈んできたのでかの有名なサロマ湖の夕日を見物しようと思ったが、残念ながらシャッターチャンスを提供出来るスポットに駐車することが出来なかったので断念せざるを得なかった。

3月16日(日)

FTBの常宿に認定された天然温泉付き、紋別プリンスホテルをチェックアウトすると予約していた9:30の便に乗船するためにガリンコ号ステーションに向かった。1987年に就航開始した初代ガリンコ号をさらにパワーアップして1997年から営業開始したガリンコ号IIは網走のオーロラ号よりも船体は小さいもののオーロラ号には装備されていない流氷を粉砕するためのドリルが船首についており、どんなに強力な流氷にもガチンコ勝負を挑むことが出来るものと信じていた。

ところがやはりここでも分厚い流氷の集団が行く手を阻んでいるため、船はあまり奥へは進めないと受付のおね~ちゃんにドリルの代わりに釘を刺されてしまった。しかもガリンコ号のプライドにより、一切のチケットのディスカウントは提供されなかったのだ!何はともあれ出航の時間になり、船は港を離れていった。デッキから流氷で覆われた海面を見下ろすと天然記念物であるオジロワシが流氷の上で羽休めをしながら観光客の挙動を観察している光景が目に飛び込んでくる。また、船上でアクセス出来る最前部からガリンコ号IIが誇る2基のドリルが流氷をガリガリする光景に多くの観光客の目は釘付けになっていた。尚、このドリルはガリガリするだけでなく、回転する方向や速度を変えることによって船の舵取りが出来る仕組みになっていた。

ガリンコ号IIは乗船場に戻ってくる前にオホーツクタワーに寄港し、ガリンコ号とオホーツクタワー見学のセットチケット(別々に買えば¥4、200だが、セットでは¥3,600)を購入している乗客はここで下船することになっている。オホーツク流氷科学研究所の拠点となっているオホーツクタワーは地上にある観測展示室や展望室に加え、海底階には海底自然観測室が設置されており、流氷の下でさまざまな生命を育むオホーツク海の知られざる状況を垣間見ることが出来るようになっている。また、ここでは生きたクリオネが水槽の中で飼育されており、オホーツクの天使といわれるその美しい姿を目を凝らしながら観察することが可能になっているのだ!

オホーツクタワー内の掲示板に紋別市内の流氷岬に数年ぶりに流氷山脈が出現したので見に行かないと損するぜ!といった内容が掲げられていたので見に行って来た。流氷山脈とは流氷移動の圧力により、波打ち際に打ち上げられた形になっている流氷群が山のように重なり合っている代物で立ち入り禁止区域に指定されているにもかかわらず、多くの命知らずの親子連れ等が流氷登山をエンジョイしていた。

ということで今年は例年になく、流氷の当たり年のようで昨シーズンにガリンコ号が公式発表した流氷体験率60数%を大きく上回る実績を残すものと思われる。尚、流氷クルージングは4月6日までが運航期間となっているので早く行くことをお勧めいたします。

FTBサマリー

総飛行機代 ただ

総宿泊費 ¥5,460

総レンタカー代 ¥8,400

総ガソリン代 ¥1,577

総流氷観光砕氷船代 ¥4,500

協力 ノースウエスト航空、日本エアシステム、ニッポンレンタカー、オホーツク流氷科学センター

   北海道大学流氷施設

http://www.ohotuku26.or.jp/organization/center/bunpu/radar.htm
http://www.hokudai.ac.jp/lowtemp/sirl/shome.html

次回はFTBSEAアンコールにおこたえしなくてもワット驚くアンコールツアー in カンボジアをおおくり

します。マサよ、放浪中のベトナムから国境を越えて私のところへ必ず挨拶に来いよ!

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 久米島(出来るだけニュースです!)

ザ・ベストテンから久米宏を引き抜き、1985年10月7日に鳴り物入りでスタートしたニュースステーションも18年目を迎え、そろそろ方向転換を余儀なくされていることと予想される。マンネリ化を打開するために「世界の車窓から」にFTBネタを取り入れた特集を毎週月曜日にお送りするプランをテレビ朝日に売り込むために久米宏にゆかりのあると思われる久米島を訪問することにした。

2003年3月8日(土)

6:55発ANA991便那覇行きに搭乗すべくいつものように朝4:00過ぎに起床し、電車を乗り継いで羽田空港に向かった。10時前に那覇に到着し、乗り継ぎまで2時間半程度の時間を持て余していたので「いこうよ、おいでよ沖縄」キャンペーンが主催し、空港のみやげ物売り場近くの広場でとり行なわれている琉球伝統芸能を見物させていただいた。数ある演目の1つに獅子舞の乱舞があり、2人がかりで獅子舞をあやつり、一糸乱れぬ呼吸でかぶりつきで見物していたギャルの前に転がり込み、渡辺真理系のギャルを恐怖のどん底に落とし入れている様子にしばらくの間見入っていた。

JALの子会社であるJTAが運航するNU211便に乗り込み、久米島に到着したのは午後1時を過ぎた時間だった。空港バスで久米島を代表するイーフビーチに移動し、全日空ホテルズが誇るリゾートホテルである久米島イーフビーチホテルにチェックインした。このホテルは社会人野球チームや大学野球のスプリングキャンプによく使用されるホテルらしく、この日も中央学院大学硬式野球部に歓迎の意を表した垂れ幕が誇らしげに垂れ下がっていた。また、ホテルの敷地内にはANAのロゴが入ったエアードームが設置され、雨の日でも厳しい練習が出来るように配慮されていた。

ホテルの部屋はすべてビーチに面しており、松田聖子も推薦する渚のバルコニーが各部屋に設置されていた。バルコニーからは♪ラベンダーの夜明けの海♪は見えないものの、七色に変化する美しい遠浅の海を目にすることが出来る。海を眺めつつこのまま昼寝の体制に入りたいと一瞬思ったのだが、今回は久米宏以上に出来るだけニュースをお伝えする使命を負わされていたので仕方なく取材に繰り出すことにした。

潮風にさらされて醜く錆びてしまっているママチャリをレンタル(¥1,000/2h)すると早速、奥武島海岸に向かった。マサよ、君は畳石という奇岩を目にしたことがあるか!? 畳石とは県指定天然記念物に指定されている奇岩群で火山の奇跡により、5角形や6角形の石、約1,000個がたたみかけるように白い砂浜に敷き詰められている世界的にめずらしい岩石群である。

ウミガメをサカナにして海洋汚染に対する警告を発している久米島ウミガメ館(\300)が畳石の近くでひっそりと開業していたので入館することにした。正面玄関の自動ドアが開くといきなり館長の大役を仰せつかっている浦島太郎ロボットが九州弁で「裏閉まっとったろう?」と言う代わりにここでの見所を簡単に紹介してくれる仕掛けになっていた。太郎曰く世界の海には8種類のウミガメが生息しており、そのうちの6種類が日本に上陸して産卵をしているそうなので決していじめたりしないでくれと申していた。ここではアオウミガメやアカウミガメやタイマイの小亀や親亀が水槽の中で飼育されており、中でもタイマイは甲羅の美しさからベッコウに加工され、大枚はたいて売りさばかれてきたという忌まわしい歴史を持っているそうだ。

3月9日(日)

お天気です。昨日は一日曇り空で気温は17度までしか上がりませんでしたが、今日も雲が多く、時折晴れ間が覗く程度ですっきりしない天気でしょう。

続いてスポーツです。数多くの陸上短距離オリンピック選手を輩出した東海大学陸上部は裏腿のハムストリング筋を鍛えるために砂浜での裸足のダッシュを推奨しておりますが、今日は朝からそのトレーニングをイーフビーチの白砂浜上で実践いたしました。イーフビーチは日本の渚百選にも選ばれている砂浜で波打ち際にはサンゴのかけらや貝殻も多く含まれているものの波の届かない場所では木目の細かい砂の上を走り回ることが出来ました。

出来るだけニュースです。

*今日午後12時頃、久米島で最も恐ろしい観光スポットであるおばけ坂を訪問しました。おばけ坂は一見登りのように見える坂が実は空き缶やタイヤのホイールを置いていると自分が意図する方向とは逆方向に転がってしまうということであたりにはおびただしい数の空き缶が散在しており、また、実験用と思われる車のホイールが無造作に転がっていました。尚、「桜坂」で多額の印税を手にした福山雅(マサ!)治が新曲「おばけ坂」で2匹目のどじょうを狙っているのではないかと地元の人は戦々恐々としている模様です。

*子宝に恵まれない女性が拝むとご利益がある女性の神様であるミーフガーが島北部に君臨しています。久米島ではこのミーフガーに相対するガラサー山という男性のシンボルの形を持った小島もあり、そんじょそこらの大人のおもちゃ屋では太刀打ち出来ない自然の造形美を醸しだしています。

*国指定重要文化財に指定されている五枝の松は高さ4mの琉球松でありますが、3本の枝が地を這うように伸びている様はマサに自然が造り出した盆栽と言えるでしょう。

*ヤジャ・ガマという久米島唯一の鍾乳洞(¥800)に入ろうとすると入り口近くで壺に入った人骨をライブで見ることが出来、恐怖で背中が凍りつく感覚を覚えます。これは風葬の名残だそうで決して未解決の殺人事件ではありません。

*イーフビーチの次ぎに有名なアーラ浜は干潮になるとアーラ不思議!さんご礁が海面から出現し、七色の浜を形成します。

次週の特集は第2回ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし!リベンジ編)を網走、

紋別からお送りする予定です。

最後に為替と株価をご覧いただきながらお別れします。日本経済は財務省の失政のために立ち直れない状態なのでマサを生贄として供える必要が出てくるでしょう。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥11,000

総ホテル代 ¥ただ(ANAご利用券利用)

総バス代 ¥540

総レンタカー代 ¥9,760(ガソリン代込み)

総レンタサイクル代 ¥1,000

協力 ANA、JAL/JTA、全日空ホテルズ

FTBJこいのからさわぎ in 山陰

マサよ、君は長州力を筆頭にした新日本プロレス維新軍団であるラッシャー木村、キラーカーン、アニマル浜口、マサ!斉藤を知っているか?

ということで昭和50年代後半に新日本の主流派であったアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳らに対して革命を起こそうと蜂起した軍団が存在し、リング上でからさわぎしながらワールドプロレスリングの主役となっていった。今回のFTBJはからさわぎと維新の精神を辿るためにわざわざ冬の山陰地方をさまようことになったのである。

2003年2月22日(土)

ANK575便、B737-500機にて昼過ぎに島根県石見空港に到着すると早速ニッポンレンタカーでマツダのデミオをレンタルした。小雨がそぼ降る中、国道9号線を1時間ほど西南西に走ると1時間ほどで津和野という観光地に到着した。津和野は周囲を山に囲まれ、白壁と赤瓦のコントラストが美しい城下町であり、掘割という側溝におびただしい数の鯉がからさわぎをしながら悠然と泳いでいる様子をライブで見ることが出来ることで有名である。

しかしながら、20数年ぶりに訪れた津和野は鯉の数がかなり減少している様で、地元の郷土料理屋でも鯉こくや鯉の洗いなどの鯉料理をふるまうところもかなり少なくなっているようだった。昼飯時にとある茶屋で津和野定食(¥1,500)を発注したところ盆の上にはこんにゃくの刺身と川魚の煮付けや普通の魚の刺身等が並んでいた。この光景を見たマサであれば、土曜の夜11時でもないのに強引に「こいのからさわぎ」を発注しようとして店員に「うちではさんまはあつかってまへん!」と断られ、説教部屋に連れていかれてピコピコハンマーでぼこぼこにされていたことであったろう。

あがん祭という地元の食い物を誇らしげに展示する催場が無料で開放されていたのでそこに侵入してにごり酒等の地酒や源氏巻というお菓子やがん茶を賞味することに成功した。ちなみに「あがんさい」とは地元の言葉で「あがりなさい」つまり「召しあがりなさい」という意味だそうだ。

2月23日(日)

昨日から降り続いていた雨もなんとかあがり曇り空の中を早朝より太鼓谷稲成神社を参拝して遅めの初詣を実施した。この神社は日本5大稲荷神社の1つに数えられるほどの大手であり、270段の階段を登って到達する山間の神殿から津和野の景色を一望することが出来る。

国内旅行のツアーパッケージでは津和野と必ずセットになっているのが山口県の萩である。ということでからさわぎの喧騒もさめやらぬ津和野を後にすると50kmの道のりを西北西に向かい、一路萩を目指した。1時間ほど車を走らせると心なしか長州力の入場テーマが聞こえると同時にさそり固めをかけられた時のような激痛が腰部を襲ったような感覚に見舞われた時に長州の藩府であった萩に入ったことを実感させられた。

萩の市街地に毛利家ゆかりの萩城跡(¥210)が君臨していたので早速入城することにした。関が原の戦い4周年記念の1604年に着工し、1608年に竣工した萩城は1863年に第13代藩主毛利敬親が藩府を山口に移転するまでの260年間政治の中心であったそうだが、明治7年には天守閣、居館が解体されて今に至っているのだ。

萩城の隣の萩資料館(¥500)に入館し、数多くの幕末の志士達を生み出した長州の歴史を学習し、多くの若者が日本の夜明けを目指して散っていった様子を垣間見て首筋にリキラリアートを食らったような衝撃を味わった。そのままロープに飛ばされるような勢いで向かった先は吉田松陰を奉ってある松陰神社であった。境内に吉田松陰歴史館(¥650)というファシリティがあったので早速入場し、蝋人形を駆使した松陰の生涯のダイジェスト版を胸に刻み付けることに成功した。また、長州藩の藩校である明倫館に入ることが出来なかった子弟を教育した松下村塾が当時の面影そのままで残されている光景が大変印象的であった。

北長門国定公園内の笠山で萩つばき祭りが行なわれていたので立ち寄り、そのまま石見空港への帰路を走っていると「全国道の駅発祥の駅阿武町」という看板を目撃してしまった。現在日本には無数の道の駅が君臨しているが、なんとその元祖はここにあったことを思い知らされた。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥800

総宿泊費 ¥6,825

総レンタカー代 ¥9,975

総ガソリン代 ¥1,521

次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 久米島(出来るだけニュースを・・・)をお送りします。

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in マウイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!!

ということで昨年末にハワイ島を制覇し、カメハメハ大王にもその実力を認められつつあるFTBであるが、今年はさらに近隣諸島を制覇すべく活動を開始した今日この頃である。ところで丸井の立地条件は駅のそばというのが定番であるが、マウイはハワイ島のそばに位置している。ところがマウイ島はマルイ島ではなく、火山活動により2つの島がくっついて形成されたひょっこりひょうたん島なのである。

2003年2月7日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば6~7万かかるところを私はただで成田-ホノルルの往復航空チケットを手に入れていた。トロピカルなリゾッチャ紋様を機体にあしらったB747-SR/LR機、JL074便は定刻21時45分に離陸すると6時間程度のフライトで午前9時半頃にホノルル空港に到着した。約2時間後にアロハ航空マウイ島カフルイ空港行きの島内便に乗り換えると正午過ぎには念願のマウイ島に上陸することが出来た。

JCBトラベルに次いでFTBの子会社として認定されつつあるパシフィックリゾートに日本で予約させておいたハーツレンタカーを空港でピックアップすると早速島の内陸部に向かって闇雲に車を走らせることにした。気が付くとSouth Mauiと呼ばれる沿岸部を走っており、マウイ島の新しいリゾート地帯であるワイレアから再び北上してビーチやゴルフ場、ホテル、コンドミニアムが連なるキヘイに到着した。

今回の宿泊地であるパシフィックリゾートに予約させておいたキヘイの入り口近くにあるMaui LUというリゾートホテルにチェックインし、2,3時間意識を失った後にWest Maui方面へのドライブに出発した。West Mauiの沿岸部には古き良き時代をしのばせるラハイナという町や史上最強のリゾート地であると言われているカアナパリ等のビーチリゾートが連なるように続いている。ところがリゾート地帯を抜けるとあたりは一変して土砂崩れの起こりそうな崖と海沿いの狭いクネクネ道が待っていた。しかし、熱帯雨林と青い海、青い空のハーモニーは絶景であり、これぞマウイ島の大自然の醍醐味であると思い知らされたのだ。

2月8日(土)

税金を使ってサンフランシスコに在住していた当時、ヨセミテを5回ほど見物したことがあるマサよ、君は太平洋にもヨセミテに匹敵する渓谷が存在することを知っているか!?ということで、文豪マーク・トウェインにして太平洋のヨセミテと言わしめたイオア渓谷州立公園に朝も早よから足を運ぶことにした。West Mauiの内陸部には古代からの火山活動と雨や風による浸食により、深く入り組んだ渓谷が形成されている。特にイオア渓谷の中でもイオア・ニードルと命名されている針のような尖峰は熱帯雨林の深い緑と青い空にマッチしており、神秘的な雰囲気を醸しだし、観光客を惹き付けてやまないオブジェとして君臨しているのだ。

お昼時にラハイナに立ち寄り、ノスタルジックなオールドタウンを散策することにした。ラハイナはカメハメハ大王の時代にはハワイの都だった町でその後は捕鯨基地として賑わい、捕鯨ブームが去った後はサトウキビのプランテーションで栄えた町であり、今では国立歴史保護地区の指定を受けて手厚い保護を受けているそうだ。

マウイ島観光のハイライトとしてハレアカラ・クレーターが君臨しているので午後から、ハレアカラ国立公園($10.-/car)に向かうことにした。ハレアカラとはハワイ語で太陽の家という意味で、標高3,030m、周囲約34kmのクレーターを持つ世界最大の休火山である。頂上まではレンタカーでもアクセス出来るので多くの観光客が寒さをこらえながら神秘的な色合いのクレーターとマウイ島全景の眺望を楽しんでいた。頂上からは80マイル南に位置するBig Island(ハワイ島)のツインピークスであるマウナケアとマウナロアが雲の上に突き出ている様子も垣間見ることが出来る。

また、頂上には天体観測のファシリティもあり、数多くの巨大天体望遠鏡が設置されていた。さすがに太陽の家にふさわしく頂上からのサンセットは神々しいおももちであり、天体観測とセットになった現地ツアーの参加者が皆同じ色の防寒具を着て涙(鼻水?)ながらにオレンジ色に輝く水平線の光景を目に焼き付けていた。

2月9日(日)

昨夕のハレアカラのサンセットの光景が目に焼き付いて離れないので今日は朝5時半に起床して再びハレアカラの頂上を目指すことにした。ハレアカラへの道は距離にしてわずか40マイル弱であるが、378号線あたりから勾配がきつくなり、急カーブの連続となるわけであるが、昨日のドライブの実績により、推定到着時刻を分刻みで計算していた私はサンライズの1分前にはクレーターの展望所に到着する予定になっていたのだ。しかしながら時差ぼけで体内時計が狂っていたせいか、私が到着した時間はなんとサンライズ後1分ほどの時間帯であり、丁度観光客が太陽光線からクルッと背を向けたタイミングであったのだ。しかしながら、朝日に照らされたクレーターを見るとここが「2001年宇宙の旅」のロケ地であったことも十分に納得させられた気がしたわけである。

なかば失意の内に下山を余儀なくされたわけであるが、日頃の行いが良いFTBには救いの神が待っていたのである。マウイ島は沿岸部のリゾート開発により数多くの観光客で日夜賑わっている島であるのだが、険しい地形ゆえ開発を阻まれた天国のようなビレッジが東海岸に存在している。

Heavenly Hana(天国のようなハナ)とはよく言ったものでここはカフルイ空港からわずか50マイルほどの目とハナの先の距離であるのだが、ここに到達するまでの道のりは617ものカーブと車が一台しか通れない56の橋を豊かな熱帯雨林と崖下に広がる太平洋を眼下にしながら長い時間をかけてドライブしなければならないのだ。アイルトン・タケオと言われるほどのドライビングテクニックを持ち、峠やシケインを猛スピードで通過することが出来る私であっても今回は3時間かけてはるばるハナまでやって来た。

ハナ湾の黒砂のビーチで地元の子供達が海水浴に興じている様子を見物した後、ハセガワ・ジェネラルストアという有名なよろず屋に立ち寄り、ハナ肇を銅像として着色することが出来る緑のペンキを買おうと思っていたのだが、すでに他界してかくし芸大会にも出れなくなっていたのでしょうがなく、ヤシの実で作ったお椀を購入してお茶を濁すことにした。

午後から再び3時間程度の時間をかけてハナからの道を引き返すことにした。途中島北部のカハナといううビーチパークで透き通るような海の上で強風を受けながらウインドサーフィンに興じている海の男(女)を見物することが出来た。ここはサーファーの聖地であるオアフ島のノースビーチに匹敵するほどのウインドサーファーにとっては重要なポイントだと言われている。

夕暮れ時に「究極のリゾート」「奇跡のリゾート」と言われている世界的に有名なカアナパリに到着した。カアナパリの中心地であるホエラーズ・ビレッジに車を止めると早速ビーチに乗り出すことにした。ここのビーチは砂は普通の砂場色の砂であるが、波は強く打ち寄せるため、波打ち際には25℃程の急角度が形成されていた。ここは芋を洗うほどの込み具合を見せているホノルルビーチよりも広く、人も少ないため、人々は余裕を持ってマリンスポーツにいそしんでいた。

カアナパリからラナイ島の後方に沈む幻想的な夕日を堪能した後、ホエラーズ・ビレッジ・ショッピングセンターを散策することにした。さすがに世界有数のリゾート地だけあり、多くのブランド物屋が軒を連ね、多くの金持ちそうな輩が買う気も無いくせにウインドショッピングに興じている様子だった。センターの3階はホエラーズ・ビレッジのミュージアムになっている。番場蛮の父親である土佐の漁師は自ら鯨の腹に入って腹破りをして鯨を捕獲していたのだが、ここではハワイ式の伝統的な鯨漁の手法を無償で学習することが出来るようになっている。

また、ビレッジには数件のレストランが出店しており、ハワイアンを聞きながら食事を楽しむことも出来る。尚、レストランの受付で予約を担当している女性は皆ハワイ出身の早見優を彷彿とさせる夏色のナンシー系のギャルであった。http://www.hayamiyu.com/J-bio.html

2月10日(月)

早朝6時55分の飛行機でマウイ島からホノルルに移動し、JAL075便にて帰国。リゾッチャビンゴの通算成績は0勝3敗と依然低迷状態である。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥19,330

総宿泊費 ¥45,916

総レンタカー代 ¥18,105 + $31.68

総ガソリン代 $34.12

総走行距離 571マイル

次回はFTBJ「こいのからさわぎ」をお送りする予定です。マサよ必ず来いよ!もし来なかったら説教部屋!!

FTB炎の離島デスマッチ in グアム

新年が明けてプロ野球も自主トレの季節に入ってきた。今年も数々の過酷なツアーをこなしていかなければならないFTBも長い1年を乗り切るための体力作りをしておかなければならないということでグアム島でミニキャンプを張ることになった。ちなみにグアム島とキャンプの関係は新人の原辰徳を用し、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチのトロイカ体制を敷いたジャイアンツが1980年にはじめてこの地でスプリングキャンプを行い、その年は見事に日本一になったという実績を持っているのだ。

2003年1月10日(金)

12月8日にグアム島を襲ったスーパー台風ポングソナの影響で観光客が激減しているため、午後10時発のANA923便の機内はガラガラではないかと思っていたのだが、少なくとも半分以上の席は埋まっている様子だった。

1月11日(土)

1時間の時差を越えてグアム国際空港に到着したのは午前2時半頃であった。ところで私がひいきにしてやっているハーツレンタカーは台風の影響で1月中は営業を停止しているということで予約を拒否されてしまっていたので今回は飛び込みで空港のエイビスレンタカーのカウンターを訪れることになった。何とかコンパクトカーの空きを見つけることが出来たので、今夜は車中泊を決め込み、車でグアムの繁華街方面に向かった。

とあるホテルの駐車場で夜を明かした後、午前9時頃から早速島内観光を開始することにした。アサンの海岸沿いに面したところに太平洋戦争国立歴史公園アサンビーチという公園があり、そこで太平洋戦争の歴史を学習していたときのことであった。体格が良く、ケツのでかい数人の若人が上半身裸、下は短パンのいでたちで芝生の上でランニングを始めていた。若人が持ってきたと思われるバッグが車の近くに無造作に置かれており、そこにはTigers 27という刺繍が入っていたので彼らは阪神の山田捕手を中心とする若虎たちであり、暖かいグアムの地に自主トレをしに来ていることが確認出来た。星野監督の目が届かないとはいえ、随分とタラタラとした練習ぶりだったので今年もBクラスは間違いないものと思われた。「仙一参上!」と書いたポストイットをバッグにでも貼っといてやろうかと思ったが、今回は見逃してやることにした。

マサよ、君は日本を代表するサバイバーである横井庄一を知っているか?

島の南東部タロフォフォという地域のタロフォフォフォールズリゾートパーク($20.-)の内部に横井ケーブという洞窟がある。これは元日本兵の横井庄一が28年間に渡って潜伏生活をおくっていた洞窟のレプリカであり、日本人としてここに来なければグアムに来た意味がないと言われている重要な歴史を証言するスポットである。1972年2月に原住民によって発見されるまで横井庄一は魚やエビを取ったりしながらこの穴でサバイバル生活を送っていたとのことで園内には当時の状況をしのぶ博物館や穴の断面図等が展示されており、ここに来ればジャングルでのサバイバル生活のノウハウを身に付けることが出来るのだ。

当時大蔵官僚であった独身時代のマサが居住していたのは京阪京橋駅徒歩5分のホテルオークラ館寮であったのだが、グアム島のホテルオークラは今は全日空ホテルズによって経営されている。ANAマイレ-ジクラブダイヤモンド会員の私は全日空ホテルズの無料宿泊券を2枚持っていたので今日と明日はホテルオークラに無料で宿泊することになっていたのだ。ホテルの部屋は当然のことながら海に面しており、広さは45平米と非常にゆったりしており,伊達に税金を浪費して造ったものではないことが確認出来た。

マサよ~、君はいつの間に指圧の免許を取得していたのか!?

ホテルオークラの部屋に設置されている机の上にとあるマッサージ屋のチラシが据え付けられていた。そこで私が目にしたものは何と「マサ指圧院」という文字であり、これはマサにマサが天下りする時の就職先として確保されていたものだと確信した次第であった。

夕暮れ時にジャイアンツがキャンプを張った実績のあるパセオ球場を見に行ったのだが、ここにも台風の被害が顕著に見られており、2基の照明塔が無残にも倒壊していたのだ。

1月12日(日)

グアムで最も有名な観光スポットとして恋人岬($3.-)が君臨しているので話の種に見に行って来ることにした。一般人はタモンビーチのホテル街から車やシャトルバスでアクセスするのだが、私はトレーニングがてらに歩いて向かっていた。すると4WDトラックに乗っているおっさんがいきなり私の前で車を止めて逆ヒッチハイクされてしまったのでその車に乗り込みいろいろと話をしたところ、やはり台風ポングソナは原住民のおっさんが今まで経験した中でも最大の台風だったと恐怖の色を浮かべながら語っていた。

恋人岬の伝説は無理やりスペイン人兵士との結婚を決められていた娘が原住民の恋人と駆け落ちしようとしたところ追っ手に見つかり海に身を投げて心中したという呪われた伝説のはずなのになぜかハッピーなカップルが目白押しのスポットなのである。おまけに隣に挙式が可能な教会まであり、ここで式を挙げたカップルはモニュメントらしき壁にネームプレートが貼られるのだ!ちなみに岬からの眺めは聞きしにまさる美しさで100m以上の高さからタモンビーチの全貌を見下ろすことが出来るのだ。

グアムは熱帯に属しており、日中は日本の7倍ほどの紫外線を浴びてしまうので夕方の涼しい時間帯にタモンビーチの海に入り海中トレーニング行なうことにした。ABCストアで購入したコーラルリーフの上を歩ける靴($16.9)をはいて遠浅の海に入り、エメラルドグリーンの海水に身を任せながら、岩礁に接近するとカラフルな熱帯魚がゆらゆらと揺れるすね毛に対して攻撃を加えてきた。遠浅の海の向こうには世界最深のマリアナ海溝が控えているのでうっかりすると5年くらい浮かび上がって来れなくなる危険性もはらんでいるのだ。

アンダーウォーターワールドというグアムを代表する水族館($20.-)が夜10時迄営業しているので話の種に見物することにした。長さ100mのトンネル状の水槽のなかには数種類のサメやいかりや長介系の下唇を持った魚や、西川きよし系の目玉を持った魚や六輔系のエイ等が元気に泳ぎ回っている姿を自然環境に近い形で観察することが出来るように設計されているのだ。

1月13日(月)

ホテルオークラのチェックアウトの時間が12時だったので午前中は海中トレーニングに専念することが出来た。午後からパシフィックリゾートという会社に日本で予約させておいたホリディプラザというホテルに移動すると夕方は再び海でのトレーニングに明け暮れることにした。

夜は買い物タイムということでDFSで必要な物品を調達してとっとと引き上げることにした。

1月14日(火)

午前5時25分のANA便にて帰国。日本に着いたのが午前8時だったため、不本意ながら午後から会社に来てしまったのだ。

コストパフォーマンスの高いリゾート地グアム島情報

*グアムの平均気温は27~28℃であり、日本の猛暑のように30℃を越える日が少ないので日本の夏よりも過ごし易いといえよう。

*タモンビーチの形状はハワイのワイキキを模しているようでオンザビーチの高級ホテルが数多く建ち並び、高台にある恋人岬はあたかもダイヤモンドヘッドのようにそびえているのだ。

*通称ホテルロードといわれるタモンの繁華街にはおびただしいほどの実弾射撃場と足裏マッサージ、ストリップ等が出展しており、前を通ると原住民のバイト野郎がチラシを配布しているのだが、彼ら決して強引な客引きはしない紳士である。

*フジタタモンビーチホテルのフジタとは日本の球団として始めてキャンプを行なった藤田監督から拝借した名前であるのは日本全国の巨人ファンで知らない奴はいないであろう。

*グアムはフリーポートなので税金が全くかからないマサに買い物天国である。

*大型台風の影響でいまだに電力の復旧率は50%程度であり、信号機はほとんど停止していたので軍人が交通整理を行なっていた。また、昼間はWESTINだったはずの高級ホテルが夜はVEST Nホテルに見事に変貌を遂げていた。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥58,640

総宿泊費  ¥7,835

総レンタカー代 $102.57

総ガソリン代 $7.-

協力 全日空ホテルズ、パシフィックリゾート

今後の活動予定:マウイ島

尾形大作推薦FTB無錫旅情

♪上海、蘇州と汽ィ車ァに乗ォり~ 太湖(たいこ)のほとりィ 無錫(むしゃく)の街へ~♪

Happy New マサよ!

ということで21世紀はアジアの世紀と呼ばれているが、その中心的な存在が中華人民共和国である。今回FTBが厳選した訪問先は中国の起点となる上海とその周辺であるが、この選定理由は決して他の地域への航空券が取れなかったためではないことをあらかじめ申し上げておかなければならないだろう。

ところで、演歌通のマサであれば知っていると思うが、1986年~1987年にかけて尾形大作という若手演歌歌手が「無錫旅情」という曲をヒットさせ、紅白歌合戦にも白組の貴重な戦力として出場している。当時はバブル時代を謳歌している中年オヤジのカラオケの定番ソングとなっており、そのカラオケビデオには尾形大作自身も出演してプロモーションに一役買っていた。そのカラオケビデオを一目見た瞬間、私も必ず無錫旅情を実現しなければならないと思っていたのだが、苦節15年目にしてこの野望をかなえることに成功した。

2003年1月1日(水)

ボーイング社が誇る最新鋭ジェット旅客機B777-200を就航させているANA919便にて上海が誇る最新鋭のインテリジェント空港である浦東国際空港に12時過ぎに到着すると入国審査を済ませ、そそくさと空港の銀行で円を元に両替して、バスで上海駅に向かうことにした。バスの窓越しに景色を見渡すと開発が進んでいる浦東地区を抜け、高層ビルが立ち並ぶ上海の市内を一望することが出来た。

今日は汽車で南京まで移動しなければならないので切符を入手するために上海駅周辺をうろうろしていると今まで経験したこともないような人間模様に遭遇してしまった。道行く人民は信号機があるにもかかわらず信号を無視して道を横断し、車は絶え間なくクラクションを鳴らしながら走行し、たまに人民や自転車やバイクに接触したりもしていたのだ。また、人民の中には道端で手鼻をかむ者もおり、器用に鼻水を道路に撒き散らしていた。駅周辺の店先ではおばちゃんが道行く人民に中華まんを売りつけようと盛んに手招きをしていた。

集票所と呼ばれるチケット売り場でスキがあれば横入りをしたり押しのけようとしたりする人民と格闘した末、何とか南京行きの片道切符を入手すると駅の待合室にたどり着くことが出来た。ところで中国の汽車の切符の種類であるが、硬座とよばれる普通席と軟座というグリーン席系のものと硬臥という2等寝台、軟臥という1等寝台、さらには席が無い者のために無座という切符が存在しているのだ。

上海から南京までは快特という一番早い列車でも3時間はかかり、今日は観光が出来ないため、FTB世界の車窓からをお送りすることにしよう。硬座の指定席に座り、発車の時間を待っていると次々に人民が車両に乗り込んできた。人民の中には巨大なズタ袋を抱えた者や重そうなダンボールを2人がかりで運んでいる者等がおり、さまざまないでたちをした輩が車内を我が物顔で闊歩していた。汽車は上海駅を出ると車窓から住宅地帯を抜け、田園地帯を走る様子を見ているうちに日が暮れてきた。その間に車内では様々な出来事が起こっていた。汽車が発車するとまもなく新聞売りのおばちゃんがぎゃ~ぎゃ~言いながら歩み寄ってきた。おばちゃんの攻撃をさけると次はワゴンの物売りが無座客を押しのけながらワゴン車を転がしていく。汽車が蘇州に停車すると巨大な布製かばんを背負ったおっさんとダンボール2人がかり運搬野郎がいきなりケンカをおっぱじめて、乗客が罵声を浴びせながらも止めに入っていた。

南京駅に到着したのは夜の7時過ぎになっていた。駅を出るとおびただしい数のホテルか何かの客引きと思われる連中が私にとっては意味をなさない勧誘トークを投げかけていた。今日は南京のヒルトンホテルを予約しておいたので路線バスに乗ってホテル方面に向かうことにした。

日中外交史に詳しいと思われるマサであれば知っていると思うが、南京では日本人は非常に嫌われていると言われている。私もホテルに到着すると南京たますだれで仕切られた、南京虫のいる狭い部屋に軟禁していただけるのではないかと期待していたのだが、以外にもヒルトンは部屋とサービスをアップグレードするなど私に対して最高レベルのホスピタリティを提供してくれたのだった。

1月2日(木)

南京の主要観光スポットとして中山陵(25元)が君臨しているので早朝より散策に向かった。ここには革命の父と言われ三民主義を唱えた孫文の陵墓が設置されている。孫文の遺体は中山陵の一番上の祭堂の中の大理石で作られた棺桶の中に安置されていた。また、中山陵の敷地内の中山記念館(10元)には孫文の銅像と孫文直筆の書が数多く展示されていた。

中山陵の隣に明孝陵(15元)という明王朝を築いた朱元璋の陵墓があったのでついでに見学しておいたのだが、敷地内に紫霞湖という池程度の大きさの湖があり、そこには「禁止遊泳」という看板が掲げられていた。湖の周辺ではおっさんから初老にかけての年代の人民がしきりに何かの準備運動をしていたかと思うとおもむろに服を脱ぎ捨ていきなり寒中水泳をおっぱじめやがった。しかも泳法はなぜか皆バタフライであった。

その後、南京博物院(10元)で見知らぬ中国人の山水画の個展らしきものを見物した後、南京訪問の最大の目的である侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館(10元)を訪れた。1937年12月、日本軍は南京に侵攻し、南京城を占領した。そのときに人民に対して無差別大虐殺を行なったというのが中国側の定説で、日本軍の残虐行為を後世に伝えるために造られたのがこの紀念館である。紀念館は残虐行為のオブジェ等が展示されてある庭園風のオープンスペースと生存者の証言や写真、旧日本軍の武器などが展示されてある建物から成っている。敷地内では尺八系の不気味な音楽が絶え間なく流れており、見物人は否が応でも憂鬱な気分を満喫することが出来るのだ。万人抗という1998年に発掘された遺跡が館内にあり、そこにはおびただしい数の虐殺された人民の人骨が横たわっていた。人骨は幼年者から老人にまでいたり、剣で刺された跡や弾丸の跡など非常に生々しい殺戮現場の様子を伝えていた。この紀念館発表の数字によると南京大虐殺で殺された人民の数は30万人に達しており、当時は揚子江は死体の山で埋め尽くされていたとのことであった。この紀念館を訪れた日本の要人は村山富一や土井たか子など社会党系の政治家が多いのであるが、税金を使って行く財務省の慰安旅行や教科書問題の対応を誤っている文部科学賞の官僚の研修地としてこの場所を推薦したいと思った今日この頃である。

南京一の繁華街であると思われる夫子廟は、明清時代の風格ある建物が並んでいるところであり、多くの観光客で賑わっていた。ここで少しは気分を紛らわそうと思っていたのだが、どうしてもムシャクシャした気分が晴れなかったのでそのまま汽車に乗って無錫に向かうことにした。無錫ではJHC Co.LTDという旅行会社に日本で予約させておいたHoliday Inn系のホテルに宿泊することになっていたので今日はそのまま撤収することにした。

1月3日(金)

早朝より市内中央部の錫恵公園内を散歩することにした。園内では老若男女が太極拳等の中国古武術の型をしきりに繰り返していた。私も大阪在住のマサをリモートで倒すために気功の奥義を聞こうと思っていたのだが、まだ中国語は餃子の王将で習った「コーテル イーガ(訳:焼餃子1個)」しかマスターしていなかったので断念せざるを得なかった。錫恵公園は錫山と恵山で構成される公園で園内では動物園や池、橋、回廊が見事に調和している名園等を見学出来る。ちなみに無錫という地名の由来であるが、昔この地では錫(すず)が大量に取れたのだが、漢の時代に取り尽くされてしまったため、無錫と呼ばれるようになったという。

午後から「無錫旅情」のハイライトであり、尾形大作も強く推薦する鼈頭渚(げんとうしょ)公園にタクシーで向かうことにした。入り口で観光用のパッケージになっているような入場券(60元)を購入すると早速尾形大作に成りすまして無錫旅情を実践することにした。中国で4番目に大きくまた、琵琶湖の3倍の広さを持つ太湖(たいこ)のほとりに位置する鼈頭渚公園は太湖から突き出ている半島がスッポンの頭に似ていることが名前の由来になっているそうだ。ここでのハイライトは遊覧船に乗って♪は~るか小島は三山(さんざん)か~♪と歌われている太湖仙島(三山島)に上陸することである。三山は遠目に見ると独立した3つの島のように見えるのだが、実際はそれぞれが陸続きになっているのだ。ここでの最大の見所は大覚湾石窟といわれる数多くの石仏群と巨大な孟子像等の宗教的遺物である。

三山から船で元の船着場に戻りさらに園内を散策していると湖岸に「無錫旅情の碑」が建てられているのを発見してしまった。碑には無錫旅情の1番の歌詞である

♪君の知らない異~国の街でェ

 君を想~えば泣~けてくるゥ

 俺などォ忘れてェ幸せつかめとォ~

 チャ~イナの旅路を行ゥく俺さァ~

 上海ィ蘇州とォ汽ィ車ァに乗ォりィ~

 太湖のほとりィ無錫の街へ~♪

という意味であるはずのことばが見事な漢文で彫られており、あらためて尾形大作の無錫名誉市民という実力を思い知らされた気がした。

今日は大陸からの寒気の影響で気温が氷点下を切るという厳しい環境の中で観光に励んでいたのだが、最後は気力を振り絞って園内の最高地点である鹿頂山(92m)に登ることにした。ここの頂上にじょ天閣という三層の塔があり、そこに登って持参しているはずのカラオケセットで♪鹿頂山(ろくちょうざん)から~太湖を望めばァ~ 心の中ァまでェ広くなるゥ~♪と歌い上げて恍惚感に浸ろうと思っていたのだが、銭湯に空桶を忘れてきてしまっていることに気づき、私の無錫旅情はあえなく終了となったのであった。

1月4日(土)

昨夜のうちに汽車で上海に戻り、ローソンで購入したビールを片手にヒルトン上海の29階から凍った窓越しに夜景を堪能するなどの優雅な夜を明かした後、今日は再び蘇州に向かうことにした。

♪上海ィ(フッフ~!)、蘇州とォ~(フッフ~!)、汽ィ車ァに乗ォり~♪ 「注:この(フッフ~!)は私が大学時代に野球を引退してからバイトをしていた六本木の飲み屋のママやフロアレディがおっさん達が歌っているときに挿入していた合いの手で歌詞とは無関係」というリズムを繰り返しながら、汽車が蘇州の駅に到着したのは午前11時くらいであった。

水の都と呼ばれる蘇州は太湖や揚子江に囲まれた水郷の街でいたるところに水路が形成され、マルコ・ポーロにして東洋のベニスと言わしめた中国有数の観光地である。蘇州を世界的観光地たらしめているものは世界遺産に認定されている美しい庭園群であるのでそれらは観光コースからはずすことは出来なのだ。今回は蘇州四大名園である浪漫亭、獅子林、拙政園、留園とさらに総師園、虎丘を訪問した。尚、虎丘、拙政園、留園、獅子林、総師園の入園券はパッケージ販売(70元)されており、個別訪問するよりも多少お徳になっているのだ。これらの庭園群には例外なく太湖でしか取れない太湖石(穴がいっぱい空いていていろいろな形状の物がある)を配置しており、松尾芭蕉も仰天するほどのわび、さびの世界を醸し出し、日本が誇る兼六園、偕楽園、後楽園(今は東京ドームか?)等が束になってかかってきても敵わないほどその美しさは群を抜いている。

蘇州市内から北西へ5kmほど行ったところにある虎丘の上には高さ47m、8角7層の斜塔がある。これは蘇州で最も古い塔で400年前から地盤沈下により傾きはじめ、今では15度傾いている様子が遠目からでもはっきり確認することが出来た。

今日は蘇州観光に没頭したため、上海に戻ってきたのは夜になってからだった。気が付けば今回は上海に来た筈なのに全く上海の観光をしていなかったのでとりあえず上海で最も有名なバンドという地域に足を向けることにした。上海は1840年のアヘン戦争後に欧米列強と日本の租開地になっていた歴史的背景を持っており、このバンドには数多くの洋風のビルが立ち並んでいる。また、河をはさんだ向こう岸は開発が進んでいる浦東地区であり、数々の高層ビルによってライトアップされている。ここは上海で最もおしゃれなエリアであると聞いていたのでチャイナドレスに身を包んだジュディ・オングやマダム・ヤン系の美女が♪Wind is blowing from the Egeo(訳:エーゲ海から風が吹いてくるよ)おんなは海ィ~♪と孔雀の羽を広げながら歌っている光景を期待していたのだが、たむろしているのは一般の観光客と彼らを餌食にする写真屋ばかりであった。

1月5日(日)

午前10時過ぎの東京行きの便に搭乗すべく、ANAのチェックインカウンターで並んでいたところ、中国人どうしがすごい剣幕でケンカしている様子を目撃してしまった。中国人はいつでもどこでもケンカをしているのでケンカがひとつの文化となっているようだった。

ところでマサよ、財務省の新年会では必ず「無錫旅情」を熱唱しろよ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥120,060

総宿泊費 2,742元(1元=約¥15)、¥6、000

総交通費 274元(汽車 115元、バス 59元、タクシー 95元、地下鉄 5元)

総中国ビザ取得費用 ¥4,500

総空港使用料 90元

協力 ANA、尾形大作、ポニーキャニオンレコード、Hilton Hotels

次回はFTB炎の離島デスマッチ第?弾 in グアム島をお送りします。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 八丈島

祝 水曜スペシャル復活記念!

FTBスペシャル 東京都最後の秘境八丈島の奥地に原始哺乳類八丈島のキョンは実在した!!

マサよ、君はあの伝説の探検隊が復活したことをしっているか!?

ということで川口浩隊長の遺志を引き継いで武道の達人である藤岡弘が立ち上がり、アマゾンの奥地に猿人ジュンマの探索を行なった模様が12月25日(水)に放映されていた。番組は当時の音響と映像テクニックを再現しており、ナレーターの田中信夫も当時と同じであった。尚、藤岡弘は仮面ライダー当時の癖が抜けてないらしく、番組中に「トォー!トォー!」と叫びながら日本刀を振り回していた。

というわけで、FTBも水曜スペシャル復活を記念し、今回緊急特集ということで急遽八丈島に探検隊を派遣することになった!

日本のアイドル史を振り返ってみるとホリプロに深キョンが出現する以前にバーニングプロにキョンキョンがいた。しかしそれより遡ること数年前に八丈島のキョンが一世を風靡していたことを知っている輩は今では少なくなっていることは確かであろう。

2002年12月29日(日)

八丈島は伊豆七島でもっとも南に位置しており、同じ東京都とはいえ、丸の内線や総武線では決して行くことが出来ない東京都最後の秘境と言われている。エアーニッポンが誇るB737-400型機アイランドドルフィンANK821便に搭乗すると290kmをわずか35分のフライトで八丈島空港に到着することが出来た。

空港からあらかじめ予約しておいたモービルレンタカーのバンに乗り、景色を見渡して見るとあたりにあやしいヤシの木が生い茂っている光景を確認出来た。八丈島は高知県の室戸岬と同じ北緯33度に位置している南国で亜熱帯性や熱帯性の樹木が数多く繁茂しているのだ。

ホンダが誇る低燃費軽自動車であるトゥデーをレンタルすると探検隊は早速八丈島のキョンの探索を開始した。空港に程近い場所に八丈植物公園というファシリティがあったので聞き込みを開始しようと思い、園内を散策していると突然園内を案内するボードに「キョン」という文字を発見した。ボードが指し示す方向に急いで向かってみるとそこにはおびただしい数のキョンがキョンキョン飛び跳ねていやがった。これはまずいことになってしまった!まだ底なし沼にはまったり、ヘビやさそりのような毒動物の襲撃というような数々の困難を受けないうちに簡単に見つけてしまっては番組が持たなくなってしまうと咄嗟に考えた隊長はこの光景は見なかったことにしてそそくさとその場を後にすることにした。

八丈植物公園内のビジターセンターで島の情報を入手すると気を取り直してキョンの捜索に向かうことにした。まず、手始めにキョンが温泉に入っているかも知れないということで島南部の裏見ヶ滝温泉に入ってみることにした。この温泉は滝を見下ろすことが出来る無料の公衆露天温泉であり、しかも混浴のため、入湯者は水着を着用しなければならない。水着を持参していた隊長は温泉の内部から森の中や海に続く崖の方向をくまなく捜索したが、結局キョンの姿を見つけることは出来なかった。

八丈島は2つの火山が爆発して形成された火山島であり、西山と呼ばれている八丈富士(854.3m)と東山と呼ばれている三原山(700.9m)から成っている。三原山への登山道は車で無線中継所というところまで行って、そこからは徒歩で頂上を目指さなければ成らない。果てしなく続く階段と険しい登山道を登ると30分程度で三原山の頂上に到着した。頂上近くにはNHKのテレビ塔が設置されていたので受信料をまじめに支払っている隊長はそこでキョンの目撃情報が入手出来ないものかと期待していたのだが、紅白歌合戦とゆく年くる年の準備で急がしいためか職員は誰もいなかった。

厳しい登山で疲れ果てた体を癒すため、また原住民との接触を図るために末吉温泉みはらしの湯(¥500)へ向かうことにした。みはらしの湯は太平洋を眼下に見下ろす露天風呂が売り物であるのであるが、入湯客は外部からスキューバダイビングをしに来ている観光客が多く、有力な情報を得ることが出来なかった。ということで日も暮れかかってきたので今日のベースキャンプとなっている国民宿舎サンマリーナに引き払い、体制を立て直すことにした。

12月30日(月)

日本一の山である富士山を彷彿とさせる裾野の広がりを持つ八丈富士の原生林にキョンが潜んでいるかも知れないと思ったので早朝より八丈富士への登山を開始することにした。登山道入り口から続く登りの階段を一気に駆け上がると八丈富士の噴火口に到着した。ここから噴火口の周りに沿って御鉢めぐりの道なき道を強風と足場の悪い中を強引に進んでいるとしばらくして三角点という山の頂上に到達した。太平洋から吹いてくる容赦の無い強い風により、体感温度は下がり探検隊員の体力は奪われていった。頂上から島の全景や隣接する八丈小島の景色を楽しむ余裕もないまま30分ほどで御鉢めぐりのスタート地点に戻ってきた。そこからジャングルをかき分けながら火口の方に下っていくと赤間神社に到着したのでそこで無事にキョンが発見出来るように願をかけておいた。

太平洋からの潮風を受けて冷え切った体に生気を取り戻すために中之郷温泉やすらぎの湯(¥300)に入湯することにした。温泉に到着すると原住民と思われる老婦人達が受付をやっていたのだが、彼女らは何とかこちらの言葉を理解することが出来、また、こちらも相手の言葉を理解することが出来たので入浴券を無事入手することに成功した。浴槽にヒノキをしつらえてあるやすらぎの湯は窓越しに太平洋をながめることが出来る癒し系の温泉でここで登山の疲れを十分に取ることに成功した。

そば屋で名物のあしたば天ざるうどんを食った後、島の歴史を調査するために八丈島歴史民族資料館(¥360)を訪れた。ここには島で発見された縄文時代の石器や土器から島の民族や自然に関するものが数多く展示されているのだが、中でもいちばん人目をひいているのは流人コーナーである。この島は江戸時代には島流しで送られてきた流人が数多く暮らしていたのだが、その暮らし振りは受刑者のそれではなく原住民と一緒に普通に暮らしていたことが確認出来た。また、水汲み女といわれる現地妻もいたということで結構いい暮らしをしていやがったようだ。

歴史民族資料館で島の歴史を目の当たりにして背筋も凍る思いをしたので再び温泉に入ることにした。樫立向里温泉ふれあいの湯(¥300)は八丈島の杉、ヒノキを使用した建物の中に総ヒノキ造りの大浴槽と露天風呂を備えている。この温泉は毎日利用する原住民にも「自分の家の風呂には入れないよ」と言わしめるほど人気があると言われている。

帰りの飛行機の時間が刻々と迫ってきており、そろそろ番組の終了も近づいてきた。今回の探検で数々の苦難と試練を切り抜けてきた探検隊は気が付くと八丈植物公園内をさまよっていた。隊員達の体力と気力はもはや限界に近づき、このまま何の成果も得られるままこの島を後にしなければならないのかと思われた瞬間に今まで見たこともないような四足歩行動物が目の前に姿を現した。立ち止まる時に必ず一本の足を上げてポーズをとるその姿は「がきデカ」で一世を風靡した幻の八丈島のキョンの姿であった。

・・・・・ここでロッキーの音楽とナレーターの能書きで番組終了・・・・・

釣とダイビングと流刑者の島、八丈島情報

*マサよ、君は人捨穴を知っているか!?

 昔八丈島では50歳を過ぎた老人を人捨穴という姥捨て山系のファシリティに置き去りにして餓死させるという風習があったそうだ。三原山の麓に人捨穴入り口という看板を目にした探検隊はその穴に接近してみることにした。ぽっかりと口をあけた穴の入り口には供養物セットと賽銭が置かれていた。ところで穴の中で樹木希林 系のおば~ちゃんが「ジュリー~」と叫んでいたらどういうリアクションをとるべきかと考えていたのだが、そのときは私は♪TOKIO♪は歌わない、何故ならTAKEOだからだと言い切るしかないと思われた。

*八丈島には日本最長レベルの溶岩洞窟があり、旧日本軍が防空壕として利用していたそうだ。

*おびただしいほどの釣道具を抱えた釣人達がフェリーや飛行機でこの島を訪れている。釣れる魚はシマアジやカンパチ等の大型魚であるらしいが、大学時代につりが得意だった私は激しい運動をした後、寝ている最中によく足を釣ってのたうちまわっていたものだ。

*東京電力が誇る地熱発電所と風力発電所がこの島の電力の一部をまかなっており、八丈島地熱館で発電の仕組みを学習することに成功した。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥1,400

総宿泊代 ¥7,350

総レンタカー代 ¥9,000

総ガソリン代 ¥1,539

次回はFTBSEA無錫旅情をお送りします。

FTB炎の離島デスマッチ第?弾(海外編) in ハワイ島

アロハ マサよ、ハワイ湯!

ということで何かとしがらみの多いこのシーズンであるが、日本にいるとクリスチャンでもないのにクリスマスの喧騒にうっかり流されてしまいがちになってしまうことであろう。また、今週末から来週にかけて日本列島は寒波に見舞われることが予想され、南国育ちの私には絶えがたい状況となることは間違いない。そこで今回はFTBが誇る人気シリーズ「炎の離島デスマッチ」を海外にまで展開し、今回はハワイ島で開催することに相成ったのだ。

2002年12月20日(金)

20:50に出発が予定されているJAL070便コナ行きに搭乗すべく、成田空港のJALチェックインカウンターで19:00ごろチェックインをしようとしていたところ、いきなり飛行機の出発時刻が22:20に変更されてしまった。しかしながら、JALは開業50周年のノウハウを十分に駆使し、搭乗客に¥1,500相当のお食事券をばらまいてカスタマーサティスファクションに勤め、偽装牛肉を販売してお客に代金を返金していた西友とは一味違った対応を取っていた。

航空業界で最も美しい機体を誇るといわれるマクダネル・ダグラス社製DC-10に搭乗すると6時間程度でハワイの上空に差し掛かった。上空からは高層ビルの林立するホノルルのワイキキビーチやダイヤモンドヘッド、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島の美しい景色をパノラマのように堪能することが出来た。

午前10時前にコナ国際空港に到着すると入国審査をとっとと済ませ、空港のハーツでレンタカーをピックアップすることにした。これはハワイ島に到着してから判明したことだが、ここには一切の公共交通機関がなく、観光客は現地のツアーかタクシーかレンタカーを使用しなければならないのだ。レンタカーの予約を明日からにしておいた私はここでクイックディシジョンを行い、ハーツのカウンターで交渉して何とか予約を前倒しにすることに成功し、しかも通常のコンパクトカーではなく今回は赤いジープをせしめることに成功した。

コナ国際空港から海沿いを北に向かってジープを走らせるとあたり一面黒い溶岩に覆われた景色が目に飛び込んでくるため、この島が世界有数の火山島であることを容易に体感することが出来る。今日の宿泊先はハワイ島西海岸のワイコロアビーチリゾートに君臨するヒルトンワイコロアビレッジを予約しておいたので早速そこに向かうことにした。ヒルトンワイコロアビレッジはヒルトンホテルズのリゾートテクノロジーの総力を結集し、総工費3億6千万ドルをかけて25.5ヘクタールの溶岩台地を切り開いて作られたスーパーメガリゾートなのだ。ヒルトンHオーナーズのシルバー会員として活躍している私はマサであれば$469.-かかるところをただで1泊できる権利を有していたので今日は日がな一日ここでくつろがせていただくことにした。

ちなみにこのホテルのファシリティであるが、敷地内には鉄道が敷かれ、運河が流れているため、ロビーから客室が入っている各種タワーまではトラムか船か徒歩で行くことが出来るようになっている。また、3箇所のプールでは親子連れが戯れ、プライベートビーチを見下ろす海辺にはデッキチェアやハンモックが掛かっており、多くのリゾート野朗が波の音と鳥のさえずりをBGMに昼寝や読書をしながら贅沢な時間を過ごしていた。

ホテルの敷地の中央に海水を引き込んだイルカ用のプールがあった。ライフジャケットを身にまとった子供達や親子連れがインストラクターとともに何かを始めようとしているようだった。プールの中には数頭のイルカが手ぐずねを引いており、てっきりイルカと一緒に「なごり雪」の大合唱でもおっぱじめるのかと思っていたのだが、このアクティビティは当ホテルが誇るドルフィンクエストという単なるイルカとの戯れの機会提供にすぎなかった。

ホテル内のいたるところにはなぜか仏像等のオリエンタル美術品が配置されており、ブッダポイントと呼ばれる太平洋を見下ろす風光明媚な場所には大型の仏陀が鎮座していた。ホテルの夜の催し物としてお約束のハワイアンソングとフラダンスや危険な火炎バトン振り回しショーがしめやかに執り行われ、更けゆくハワイの夜を彩っていた。

12月21日(土)

朝起き抜けにビーチ沿いの椰子の木に掛けられているハンモックに寝そべりうだうだとした時間を過ごした後、ホテルをチェックアウトするとハワイ島西海岸最大の繁華街であるカイルア・コナに向かった。カイルア・コナはハワイ王朝初期には都があったところであり、カメハメハ大王が晩年を過ごした街として有名である。街の雰囲気はギラギラしたホノルルとは異なり、小ぢんまりとしかものんびりとした港町の風情を醸し出しているのでリゾート気分に浸らなければならないという強迫観念にとらわれずにゆったりと観光に励むことが出来るのだ。

今日は到着2日目ということもあり、Wrangler Jeepもそろそろそのポテンシャルを発揮したがっていたので午後からハワイ島を一周することにした。ハワイ島はBig Islandと呼ばれ、他のハワイの島々の合計よりも広い面積を誇り、大きさは四国の半分程の島である。コナ方面から海岸沿いに南向きに進路を取り、島の最南部を抜け、北東部方面に向かい始めたところで島の雰囲気が一変したことに気がついた。ハワイ島中心部北から南には4000m級の山が2峰連なっており、それぞれマウナケア山(4205m)、マウナロア山(4170m)と呼ばれている。この連山を境に西と東では気候が全く違っており、雨が少なくコーヒーの栽培に最適な砂漠性気候の西と異なり、東海岸は世界有数の多雨地帯として熱帯植物が繁茂しているのだ。

日本に君臨している大王は「つけめん大王」であるが、ハワイの大王といえば誰に聞いてもカメハメハ大王である。ということで、夕暮れ時に島の最北部のカパアウという街にカメハメハ大王像を見に行ってきた。この大王の銅像といえばホノルルのダウンタウンにあるものが最も有名であるが、実はオリジナルは大王生誕の地であるここカパアウに設置されてあるものだそうだ。1883年にイタリアのフィレンツェに発注して作成された象は、ハワイに運ばれる途中で海に沈んでしまい、そのためもう一度発注し直したのがホノルルにある大王像だそうだ。その後、海の底から引き上げられた像が王の生誕地であるここに落ち着いたというわけである。

今日の宿泊地は島北部のハワイ島で3番目に大きな都市であるワイメアのKamuela Innというところを予約したおいた。ワイメアはマウナケア山麓の高原都市であり、夜になるとホシ伊東とハッピーアンドブルーが歌う「星降る街角」が出現する空気のきれいな街である。ところでマウナケア山頂は、安定した気流と澄み切った空気、光害の無さなど、好条件がそろった最高の天体観測場所として有名で、世界各国からの天文台が集まっている。日本がはじめて海外に建設した世界最大級の望遠鏡「すばる」もここに設置されている。ところでStargazing Tourといってマウナケア山頂にジープで登って星空を探索するツアーが人気となっているらしいのだが、このツアーに参加するためにはツアーデスクで谷村新司よろしく♪わ~れもゆく♪といえば誰でも参加出来ることが確認出来た。

12月22日(日)

昨日チェックインしたKamuela Innはモーテルではなく、実はB&Bだったので朝食としてもみじ饅頭でも出てくるのかと期待していたのだが、用意されていたのは普通のコンチネンタルブレックファストだった。朝7時半ごろKamuela Innを出て島を東周りに2/5周ほどすると世界でもっともエキサイティングな活火山として有名な世界遺産にも認定されているハワイ火山国立公園($10.-/Car)に9時半頃到着した。まず、園内のビジターセンターでキラウエア山の噴火の歴史を軽く学習したあと、早速キラウエアカルデラの周辺を走るクレーターリムドライブを走り、さらに海側に向かってのびるチェーンオブクレーターロードを下ることにした。このロードは標高1200mから数多くの連なるように存在しているクレーターを横目に一気に太平洋岸まで下りることの出来る22マイルにも渡る風光明媚な道である。道の終点は今年の9月に流れ出た溶岩でさえぎられ、そこから徒歩で溶岩が太平洋に流れ落ちている様子を見学出来る地点までコールタール状に不気味にに黒光りする溶岩の上を進んで行かなければならない。

溶岩が海に流れ落ちている地点からは不気味な水蒸気がもくもくと上がっており、風に乗って舞い上がっている海水と火山灰は容赦なく観光客に降り注ぎ、また、有毒な火山性ガスにより、まともに目を開けているのが難しい状態でこの地球上の営みを観察しなければならない。

今日のところは午前中でハワイ火山国立公園を後にすることにして、午後から再び西海岸にあるプウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園($5.-/Car)を訪問することにした。ここは古代ハワイアンの暮らしぶりを再現した公園で園内には魔よけと思われるオブジェやトーテムポール、アウトリガーと呼ばれるカヌー状の船等さまざまなハワイアンの小道具が展示されていた。また、Green Turtleと呼ばれる海亀が砂浜で昼寝をしているので決してこの亀をいじめたり、背中に乗って竜宮城まで案内させてはいけないことになっていた。

再び島をぐるっと回って東海岸に帰ってきた。心なしか♪メリージェ-ン♪のようなノスタルジックな感傷をおぼえたころハワイ州第二の都市であるヒロの都心部に入り込んでいることに気づかされた。ヒロはツノダヒロのような日系人(日系人かこいつは・・・??)が作った街でいたるところに日本語を連想させるファシリティが存在している。日本の築地魚市場に相当するSUISANという市場では毎朝セリが行なわれ、そのとなりのジャパニーズレストランは「日本」という名前で営業活動に励んでいた。

今日の宿泊地であるビーチ沿いのヒロハワイアンホテルにチェックインするとホテルのレストランは日本からの団体旅行客でごった返しており、私もひとやまいくら?程度の扱いを受けそうだったのでとなりのUncle BillyというSeafood & Steakレストランにエスケープすることにした。このレストランで提供されるCatch of the Dayという魚のメニューは当然SUISAN直送であるため新鮮さが保証されている。しかもレストランの内部にはステージが設置されてあり、午後8時からハワイアンソングのライブと腰を高速で動かすことが出来るフラダンスを目の前で堪能することが出来るのだ。

12月23日(月)

ヒロは雨の都という異名を持ち、年間降雨量3400mmを誇っている。昨晩から今朝にかけても雨が降り続いており、ハワイ火山国立公園に到着した午前8時過ぎになっても雨は止んでくれなかった。仕方なくビジターセンターで各種の火山系の展示物を見たり、Auditoriumで噴火の映像を見ながら時間をつぶし、ついには車の中でうとうとしていたところ、太陽の光により午前10時過ぎに目を開けさせられた。

今日はキラウエア火口を取り巻くクレイターリムの細部を観察することに午前中の時間を費やしていた。キラウエアが最近噴火したのは1982年に遡るのだが、それ以前にも何度か大噴火を経験している。クレイターリムには噴出した溶岩の歴史が年次別に示されており、火口内部は未だに活動を続けている様子で異様な臭いがする硫黄ガスや小刻みに噴煙を上げているポイントを数多く観察することが出来る。

午後から、昨日に引き続き、チェーンオブクレーターロードを南下して溶岩が海に流れ出る様子を見に行って来た。この地点は火山の活動状況により、真っ赤に流れ出る溶岩を目の前で観察出来る世界でも唯一のスポットであるのだが、今回は残念ながらすでに黒くなっているコールタール状の溶岩や牛の糞のような形状の枯れた溶岩しか見ることが出来なかった。

また、この地点の上空には高値で観光客を拾ってきた多くのヘリコプターやセスナ機が旋回を繰り返していた。

12月24日(火)

ヒロ市内から車を飛ばしてコナ空港に帰る道すがら、プウコホラ・ヘイアウ・ナショナルヒストリック・サイトに立ち寄り、おびただしい数の石垣で構成されている古代ハワイアンの寺院跡を見学させていただき、カメハメハ王朝の栄華の一端を垣間見ることに成功した。

ホノルルよりすばらしいハワイ島情報

*ハワイ島で自由に動き回るためにはレンタカーを借りるしか方法がなく、非常に不便な島なのだが、それがかえってホノルルのようなミーハー観光客を少なくしている要因になっているのだ。

*日本語のハワイ島観光パンフレットに「マサシの世界遺産真っ赤な溶岩トロトロツアー」というツアーが誇らしげに掲載されていた。このツアーはガイドであるマサシ・(ツカモト)ナカタ=合衆国連邦航空局飛行教官(CFI)がキラウエア火山の溶岩ツアーを日本語で安全に案内するという溶岩が流れているときの限定ツアーである。このツアーに対抗するためには「マサの財務省人間関係ドロドロツアー」を塩爺が流されるとき限定で行なうしかないものと思われた。

*ハワイ島コナ地方の特産品であるコナコーヒーはインスタントコーヒーのように粉っぽいのかと思ってたのだが、何のことはない普通のアメリカンコーヒーだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥110,610

総宿泊費 $277.44

総レンタカー代  $440.07

総ガソリン代  $94.30

総走行距離  1,271マイル

次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 八丈島のキョンをお送りする予定です。

FTBJ龍馬がゆくin 高知

マサよ、君は日本で一番インパクトのある方言をしゃべる地方はどこか知っちゅうがかや!?

それは私がはじめて東京に出てきた18年前のことであったのだが、私が入部した某大学某体育会野球部に土佐高校出身と名乗る2人の若者が姿をあらわした。2人のかけ合いを聞いていると彼らはうちゅうではなくシチューの彼方からやって来た異星人であるかのような言葉をしゃべっていやがった。なぜなら、彼らの会話の端々には「~~シチューき!」「~~シチューがや!」といったおおくのシチューがふんだんに盛り込まれていたからだ。

というわけでシチュー王国高知県は坂本龍馬や板垣退助等幕末から明治維新にかけて多くの偉人を輩出した県として有名であるが、近代においてもなお、番場蛮(侍ジャイアンツ)や二代目スケバン刑事(デカ)麻宮サキ(Acted by南野陽子)や広末涼子等を生み出し続けているのだ。

2002年12月14日(土)

ANA561便にて高知空港に到着すると早速ニッポンレンタカーで日産マーチをレンタルすると5年ぶりに高知の町並みに繰り出すことにした。高知大学の受験に失敗して仕方なく福岡教育大学に進学してしまった武田鉄矢と同様に坂本龍馬を敬愛している私は5年前に訪れることが出来なかった龍馬歴史館を目指すことにした。空港から近いにもかかわらず交通の便が悪い龍馬歴史館(¥1,050)は日本の歴史を揺り動かしたひとりの自由人、坂本龍馬の足跡をダイジェストで辿ることが出来る貴重なファシリティである。館内には26の場面が設けられており、龍馬本人と龍馬にまつわる人物と歴史上重要な出来事を180体の蝋人形を駆使して表現しており、デーモン小暮率いる聖飢魔IIが誇る「蝋人形の館」でさえも太刀打ち出来ないほどおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。

龍馬歴史館を後にすると南国市、高知市内を抜けて桂浜方面に車を走らせた。桂浜に面し、太平洋を見下ろす高台に国民宿舎桂浜荘とともに高知県立坂本龍馬記念館(¥400)が青い大海原に乗り出すように建てられているので5~6年ぶりに様子を見に行ってみた。坂本龍馬記念館は坂本龍馬生誕150年を記念して昭和60年に建設しようという意見がまとまり、数々の募金活動や建築様式のコンペ等を経て平成3年10月に竣工した新しいファシリティである。建築様式はハーフミラーの鏡張りになっており、8度の勾配を持った海に突き出した展示室はつり橋構造を取り入れ、高床式になっているため、強い風に吹かれると揺れを感じることもあるそうだ。

ところで館内の展示物であるが、龍馬が姉乙女等に送った手紙の数々や愛用していたピストル2丁、武田鉄矢垂涎の品である、龍馬直筆の「海援隊規約」、龍馬が暗殺されたときに血痕のついた掛け軸等が所狭しと並んでおり、マサに日本史を生で学習するには持って来いの場所だと思われた。結局館内には昼の2時過ぎから閉館の5時まで居座ってしまったのだ。

ANA超割ワンモアホテルを利用して予約しておいた空港近くの高知黒潮ホテルにチェックインすると早速1300mの地下からくみ上げている温泉である龍馬の湯に入湯した。龍馬の湯は数多くのミネラルが含まれており、四国で最高の19種類くらいの効能があるとの能書きが看板に誇らしげに書かれてあったのが印象的だった。

12月15日(日)

高知市内には土(佐)電という路面電車が走っており、高知城下のかみまち1丁目電停の目の前に「坂本龍馬生誕の地」という記念碑が奉られているので見物に行って来た。この記念碑はビルの谷間にひっそりと建てられているので車でボケ~と走っていると見過ごしてしまう危険性があるので細心の注意でわき見運転に専念しなければならないのだ。

日曜日の高知市内の繁華街にはたくさんの日曜市が出展しており、新鮮な野菜や魚やそれらをさばく鋭い刃物等が売られていた。繁華街を見下ろす高台に重要文化財の高知城がそびえている光景を目の当たりにしたのでこの機会に入城(¥400)してみることにした。高知城は1603年に竣工すると同時に当時の藩主であった山内一豊が入城したのであったが、1727年には城下町の大火で天守閣をはじめ城郭のほとんどが焼失し、1748年に復興したという歴史をもっている。また、城へ続く石段の最下部には昔百円札として一世を風靡した板垣退助像が誇らしげに立ちはだかっていた。

♪土佐の高知のはりまや橋♪がよさこい節の風情で君臨していたのでとりあえず見物しようとした時に通りに設置されている時計の針がいきなり1時を指してしまった。すると平時は普通の柱時計の装いだったものがけたたましいよさこい節のメロディとともに左右からはりまや橋とチンドン屋風情が姿を現し、多くの通行人の度肝を抜いていた。平井堅が童謡から強奪した大きなノッポの古時計も太刀打ち出来ないこのからくり時計のパフォーマンスを見ると死んだおじいさんも死にきれなかった心境になったことであろう。

高知市内を後にし、車で横浪黒潮ラインを流すことにした。太平洋と土佐湾のながめが美しい横浪黒潮ラインは全長18.8kmのダイナミックなドライブロードで起伏の激しいコースであるがゆえ、多くの走り屋たちが腕を競っていた。

マサよ、君は高知県で一番の景勝地である桂浜でしばし物思いにふけったことがあるか!?ということで今回のツアーの締めとして再び桂浜に波の音を聞きにいった。桂浜で最も有名なものは太平洋をながめるように建てられている巨大な坂本龍馬像である。この銅像は建立されてからすでに60年以上経っており、還暦時には「龍馬がゆく」の作者である司馬遼太郎も「銅像の龍馬さん、おめでとう!」とのメッセージを寄せているのだ。ちなみに桂浜は砂浜ではなく角の取れた小石の粒で形成されているため、波がよせると独特な音と旋律を奏でる癒し系の浜である。また、桂浜には観光客をおびき寄せるための多くのファシリティが存在している。中でも私が6年前くらいに訪問したことのある土佐闘犬センターには数々の歴戦により闘犬の汗が染み込み異様な臭気を発している土俵の上で土佐犬の命がけのデスマッチを見物することが出来、動物愛護協会の関係者は出入り禁止になっている場所なのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥400

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 ¥846

総宿泊費 ¥5,750

次回はFTB炎の離島デスマッチ第?弾 in ハワイ島をお送りする予定です。