2018年8月にタヒチへの初上陸を果たしたFTBであるが、その際FTBがモーレア島で撮影した奇跡の1枚が「Air Tahiti Nui 20 year anniversary game」なるフォトコンテストで見事、最優秀賞に選ばれ、タヒチへの往復ペア航空チケットが授与されるという悪運を掴んでいた。2019年が明けると早速Air Tahiti Nuiのマーケティングにコンタクトし、チケット予約担当と渡航スケジュールを調整した結果、日本の海の日がからむ3連休を軸にした日程で有給を取り、再びタヒチで羽を伸ばすツアーが敢行されることとなったのだ。
2019年7月13日(土)
17:40発TN77便は機体のバランスをとるという名目で搭乗客を手荷物ごとヘルスメーターで測りにかけるという珍しい対応に時間を要したものの、定刻どおりの出発は維持され、約11時間のフライトでフランス領ポリネシアの首都パペーテのファアア国際空港に午前10時ごろ到着した。入国審査エリアに通じる小ステージでは恒例のウクレレの演奏で観光客のリゾート気分を盛り上げると徐々に財布の紐が緩んでいくような感覚に襲われた。両替所で当座の現金として¥10,000をタヒチの通貨であるフレンチ・パシフィック・フラン(CFP)に良くないレートで交換していただくとその足で隣の国内線の搭乗カウンターへ移動した。
AIR TAHITIが運行する11:55発VT407便は定刻どおりの出発というわけにはいかず、約1時間の遅れで行き先が同じ次の便と重なり合うように出発となった。AIR TAHITIは座席指定が出来ないため、景色の良い左側席を確保するためには早めに並ばなければならなかったのだが、乳酸が溜まって硬くなったふくらはぎと引き換えに最前列左側の非常口シートの確保に成功し、約45分の遊覧飛行がスタートとなった。
近隣のモーレア島を過ぎ、ボラボラ島に近づくと眼下にはその代名詞となるブルーラグーンのグラデーションが広がり、ひとめでその美しさの虜となってしまったのだが、無常にも飛行機は機体をよじるように旋回し、ボラボラの外輪島の空港へとソフトランディングを果たしたのだった。
到着後、早速空港の建屋に入り、荷物を確保すると居並ぶ高級リゾートホテルのカウンターからリゾートブルーのインターコンチネンタルのロゴを見つけ、名乗りを上げるとリゾートでは欠かすことの出来ないはずの花のレイで歓迎していただいた。空港の桟橋から各ホテルへはそれぞれのシャトルボートでの送迎となっているので宿泊客の人数がそろうまでしばし海を見下ろしているとボラかと見まがえるような魚の大群までが歓迎ムードで透明感を出していた。
ボラボラ島はボラれる島と呼ばれているかどうかは定かではないが、約20分程かかるホテルへの送迎ボートの代金は1人あたり片道¥7,000程度となっているのだが、他に移動の選択肢がないため、必然的に送迎代がホテル料金に組み込まれるという効率的なシステムになっている。それにしても青いラグーンを疾走する航海は快適で送迎代の高さなどその瞬間は微塵も気にならず、後でクレジットカードの請求を見て後悔すれば良いのである。
ボートがInterContinental Hotels Bora Bora Resort Thalasso Spaの桟橋に近づくと高らかなほら貝の音色とともに酋長兼荷物持ちの係りの現地人が宿泊客を出迎えてくれるシステムになっているのだが、彼の人件費も送迎代に含まれているかどうかは定かではなかったのだ。
桟橋まで電動カートを乗り付けて迎えにきたKozueと名乗る日本人コンシェルジュの隙の無い挨拶を受け、一通り敷地内の施設の案内をしていただくとIHG Club Memberのチェックイン場所に案内され、地元特産のバニラで香り付けされた冷紅茶で一息つくことが出来た。さらにボラボラ島のシンボルであるオテヌマ山を背景に半強制的に記念写真を撮られた後、待望の水上ヴィラへの案内の時間となったのだ。
部屋はすべて水上ヴィラなのだが、いくつかのグレードに分かれているようでプライベートプール付の部屋までラインアップされている。ANAの陰謀でIHGの最高級会員ランクであるスパイアエリートにプロモーションで成り上がっているFTB一行にはアップグレードされているはずのオテヌマ山ビューの上部屋があてがわれた。大きな窓とガラステーブル越しにエメラルドグリーンのラグーンが一望でき、簡易シャワー付の広々としたテラスからは水深1.65mのラグーンにエントリー可能な極楽の作りとなっている。
ところで水上ヴィラの構造で一番気になるポイントは上水の供給と下水の処理であるが、生理的な欲求により排泄される汚物等は桟橋の下に張り巡らされているパイプで処理・回収されているようで、決して海に垂れ流しにされることはないということを断言しておこう。
すでに財布の紐がゆるんでしまっていたのだが、フレンチポリネシアでここだけというタラソテラピーを体験出来るディープ・オーシャンスパからの案内はとりあえず無視してホテルの敷地内をゆっくりと散策させていただいた。初日の時差ぼけの影響を受けないようにただひたすら美しい景色に見入ったり、ハンモックでむくんだ背中に網目模様を作ったりしながら高級リゾートを味わいつくそうと躍起になっているうちに夕暮れ時が迫ってきた。
夕食はいくつかあるレストランから一番カジュアルな「サンズ」というビーチフロントのレストランに席を取った。高値のプライムリブステーキを噛み締めながらビーチ方面に目をやるとホテルの従業員のような軽いフットワークでテーブルサーフィンしている子猫と目が合ってしまったので、高い肉の分け前を与えながらボラボラ島初日は更けていったのだった。
7月14日(日)
高級リゾートでは何もしない贅沢を満喫するのが鉄則のはずなので高値で供されるホテルのウォーターアクティビティはとりあえずスルーして今日ものんびり過ごすこととした。
グルメレストラン「リーフ」で朝食のブッフェを満喫すると運動不足が気になったのでカヤックでラグーンに漕ぎ出した。ハネムーンナーやアクティビティをプロカメラマンが撮影していい気になるフォトセッションを横目に見ながら海水がしみこんだパンツが飽和状態になった頃を見計らって陸へと戻ってきた。
昼下がりのラグーンに人だかりが出来ていたので近寄って見るとエイひれを翼のようにはためかせて旋回している多数のエイが観光客に何かをおねだりするかのようにすりすりしていたのでついついその輪に加わることとなった。
当ホテルでは午後2時からエイの餌付けを行っているとの説明をすでにコンシェルジュから受けていたのだが、律儀なエイは毎日30分前には餌場に集合し、観光客と戯れるのが恒例になっているようだった。すねからふくらはぎにかけてエイひれのぬめっとした感触が新鮮さを保っているうちにいきもの係であるはずの屈強な海パン野郎が魚の切り身が入ったバケツを持って姿を現した。6匹ほどのエイに囲まれ、絶大な人気を誇っているいきもの係はこのエイの集団はファミリーで父親、母親、子供らのメンバー紹介をしてくれたのだが、末の子供の名前を
六輔と呼ぶかどうかは常に日本人観光客の判断に委ねられているのだ。
エイ六輔からパワーをもらい、その代表作である♪上を向いて歩こう♪という意識付けがなされた一方で、リゾート地滞在での脳みその流出と時差ぼけとのブレンド効果により、その後のアクティビティはあまり記憶に残っていないのだが、プールサイドでヒナノの黒ビールを飲んだり、スノーケリングのマスクがブカブカで海塩水を飲んだりしながら夕暮れまでの時間をのんびり過ごしていたようだった。
ディナーはフォーマルなフレンチレストランの選択も考えたのだが、昨晩高級牛肉をごちそうしてやった子猫におびき寄せられるように再び「サンズ」レストランに席を取った。今夜は魚系を中心としたアラカルトメニューを発注したのだが、その半分くらいは食べ盛りの子猫の胃袋に吸収されてしまったのだった。ちなみに後で分かったことだが、その猫はホテル専属ではなく、ごく普通の野良の流し猫ということであった。
7月15日(月)
ボラボラ島随一の人気ホテルで宿泊客の回転率が良いためか、スパイアエリートと言えども滞在時間の延長は許されず、午前11時のチェックアウト時間は厳守しなければならなかったのでぎりぎりまで敷地内の絶景を目に焼き付けておくことにした。
10時45分に律儀なポーターが部屋まで荷物をピックアップに来てくれたので後ろ髪を引かれるように水上ヴィラを後にした。チェックアウトカウンターではついさっきまで財布の紐を緩めていた宿泊客が殺気だったように明細の内容に間違えがないかどうかのチェックに余念がなく、1組1組の対応にかなりの時間を要していた。
チェックアウト後、出発までの時間がある上客にはデイルームというシャワー付の小部屋が与えられるのだが、特に海水を洗浄するようなアクティビティは行わなかったのでテーブルでバニラ紅茶を飲みながら夢の続きを楽しんでいた。
ボラボラ島には2件のIntercontinental Hotelがしのぎを削っており、宿泊客向けの有料シャトルボートで結ばれているので12時15分のボートに乗り、外輪島に位置するResort Thalasso Spaからボラボラ本島最南端のBora Bora Le Moana Resortに移動した。
Moana ResortはThalasso Spaに比べてアットホームな雰囲気でレートもリーゾナブルに設定されている。ここでは日本人コンシェルジュの代わりにベイと名乗るモントリオール出身のカナダ人若ギャルが名古屋国際大学で学んだ日本語を駆使して案内をしてくれた。部屋が準備出来るまでの時間を利用して通常であればWelcome Letterでしかその存在を認識出来ないGeneral Managerの生挨拶を受けることとなった。妙齢の女性GMはたどたどしいながらも棒読みで正確な日本語で歓迎の意を表し、その場で快適な滞在が保証されたのであった。
Moana Resortに隣接するように広がる浅瀬のラグーンはタヒチで最もきれいな海といわれているマティラ・ビーチでボラボラ島では唯一のパブリックビーチとなっている。特に海水浴客が大挙して押し寄せてくる雰囲気でもないので、心を空にして澄んだ海と向き合うのには最適な場所であろう。
Moana Resortの客室は大きく分けて水上バンガローとビーチバンガローで構成されているのだが、今回はThalasso Spaで散財し、JCBが1ヵ月後くらいに危機に陥れるはずの財政状態を考慮して安価なビーチバンガローを予約しておいた。とはいえ、部屋代は他のリゾートのレートよりは圧倒的に高いのでここでも相当な出費は覚悟しておかなければならないのだ。
ビーチ&プールサイドのバーでビールを流し込んで昼食の代わりとすると目の前に広がる透明な海に身を委ねることにした。泳いでも歩いても水深はへその位置を越えることは無く、水底に転がるウニと戯れながらセラピー効果を高めていた。
夕暮れ時に戻ってきたマティラ・ビーチはサンセットビューポイントとしても有名で海浴びをして戯れながら西日を見送る原住民の姿は太古から変わらぬ営みそのものであったのだ。
7月16日(火)
ボラボラ島上陸後、丸々3日間はホテル敷地内のビーチやラグーンの美しさに魅せられてホテルにへばりつくような過ごし方に終始したのだが、高い部屋代も常識的レベルの高さに落ち着き、もはや元を取るのに躍起になる必要はなくなったので今日は島を一周するアクティビティに参加することにした。
昨日のチェックインの段階でコンシェルジュのベイに相談してVauvau Adventuresが催行する4×4ジープサファリツアーの午後の部を常識的な値段で予約していたのでピックアップ指定時間の午後1時半にロビーで待っていた。何らかの不手際で30分程遅れてやってきたのはイタリアのスーパーカーであるマセラティ・ボーラ(Bora)ではなくボロボロ系の4WDであった。
FTB一行の他、米国からの観光客2組を荷台シートに乗せてツアーの火蓋は切って落とされたのだが、ビューポイントの高台に向かうべく、オフロードの急坂をビーストモードに切り替えて駆け上がる時にV型8気筒320馬力を誇るマセラティ・ボーラでも4WDジープには太刀打ち出来ないことがすぐに理解出来た。
このツアーは単に景色の良い見所を巡るだけでなく、島の成り立ちや地理、歴史、文化の説明もふんだんに含まれる教育的側面も持っている。ボラボラ島は火山活動で形成され、ラグーンを囲むように珊瑚礁の外輪島が点在しているのだが、この大きなカルデラは阿蘇の外輪山と中央の阿蘇五岳の関係に近いものがある。本島の中央には標高727mのオテヌマと661mのパヒアがそびえ、オテヌマは東の外輪島に位置するInterContinental Hotels Bora Bora Resort Thalasso Spaの方角からは「いいね!」に見えるが、島の南から見るとぬりかべにとして立ちふさがってしまうのだ。
高台からリーフの方向に目をやると世界中の色々な青をこの場所に集約させたようなグラデーションが美しく、この景色を目の当たりにすることがジープサファリツアーの最大の醍醐味であることは間違いないであろう。ちなみにボラボラの海は自然に出来たものだけでなく、人工的に形成された場所もあるとのことであったのだが、1941年12月8日に日本が真珠湾を奇襲した後、米軍は太平洋の覇権を守るために新たな軍事拠点が必要となり、ここボラボラ島に軍艦が入港できる港を造成する目的でダイナマイト爆破により水深を稼いだ暗い過去も忘れてはならない歴史の一部である。
自然のグラデーションの感動もさめやらぬうちに高台から撤収し、家内制手工業が展開する人工的なグラデーションを作るパレオ工房の見学へと移行した。出迎えてくれた猫店長の背後には植物等の自然由来の染料で染められたカラフルなパレオが風にたなびいていた。
見学者接待用のカットフルーツをほおばりながら、柄付けのデモンストレーションを行っていただいたのだが、出迎え時に作業台に上っていた猫店長はその後、少年から折檻を受けて足蹴にされ、見送りをすることなく引きこもってしまったのだ。
海沿いの遺跡のような石垣のような石壁の名残と亀の象形文字が刻まれているマラエ(野外宗教施設)でしばし歴史の授業が開かれた。ここにあった石造りの祭祀場ではかつて自然災害対策として少年少女の島民がいけにえとして捧げられる風習が長らく続けられていたが、、西洋人の侵略による文明開化ですべてキリスト教の神のご加護へと転身させられたとのことであった。
次の高台のビューポイントへは舗装路から轍路を通って到着し、ジャングルっぽい場所で車を降りた。近くの岩の表面の多くの穴はダイナマイト充填用に空けられたもので見渡しの良いこの場所には米軍の7インチ砲が数キロ先の標的をロックオンしていた。この大砲は軍艦から移設したものを岩の台座に固定したもので、結局太平洋の覇権獲得に失敗した日本軍の侵攻の脅威がないまま、その咆哮は封印され、野ざらし歴史遺産への道を辿っているのである。
周囲40kmあまりのボラボラ島をほぼ一周し、最終ポイントとなる南東の高台に上がった。ここからはタヒチ発祥の地として歴史的に重要なライアテア島とその姉妹島のタハア島の遠景を拝むことが出来る。東南アジア(フィリピンか?)から流れてきたポリネシア人の祖先達が一番最初に漂着したのがライアテア島で、その時彼らはこの地こそ伝説に伝えられる「ハバイイ」(魂の故郷でもある聖なる地の意味)だと確信したという。
ライアテア島はその後、ポリネシアの王族や信仰の発祥の地として長い間すべての中心として存在した。さらにポリネシア人はこの島からハワイ、ニュージーランド、イースター島へとカヌーでわたり、ポリネシアン・トライアングルという一大文化圏を作っていったのだった。
夕暮れ前にホテルに戻り、近隣のスーパーで買ってきたヒナノアンバー缶ビールと日本製スナックで水分と塩分を補給しながら部屋のテラスでクールダウンさせていただいた。
今夜はビュッフェ料理を肴に地元ダンサーによるタヒチアン・ダンス・ショーが開催されるということなので中庭のステージフロントの特等席を予約していただいた。お約束のダンスが一通り終わるとダンサーに指名された観客がステージまでエスコートされ、一緒に腰振りダンスを強制させられるシステムになっているのだが、ピンクレディーの♪ペッパー警部♪を彷彿とさせる大股開きの振り付けを習得するには滞在期間が短すぎるのだった。ショーが終了し、♪夢からうつつに戻された♪客にはダンサー達との記念撮影が待っており、皆一様に「ボラボラ!」との掛け声とともにポーズを取っていた。
7月17日(水)
高級リゾートに4泊して財政状態をボロボロにしたはずのボラボラ島から撤収する朝を迎えた。
早朝のマティラビーチには人影は無く、朝日に照らされた椰子の木の影が透明な水面に映し出され、これから進むべき方向を示唆しているかのようであった。
10時40分発のシャトルボートに乗るべく桟橋に向かうと異例のGeneral Managerの見送りとともに加山雄三曲のレパートリーを持つウクレレ従業員が浮かれた気分が盛り下がらないように配慮してくれたので彼らとの再会を約束してボートに乗り込んだ。
ラグーンを疾走するボートは名残を惜しむまもなく空港へと元宿泊客を送り届け、12:15発VT435便で地上最強の楽園であるはずのボラボラ島からTake Offとなった。
景色の良い席の確保に失敗したため、ふぁ~ぁ~とあくびを決め込んでいるといつの間にかファアア国際空港に到着していたので、タクシーを捕まえて一路フェリー乗り場に移動した。首尾よく午後2時発のテレバウ社の高速フェリーに乗船出来たので2時半にはモーレア島へ上陸することが出来たのだった。フェリー乗り場の目の前に出店しているAVISレンタカーで手続きをしながらフランス領ゆえ、ゴーンが風とともに去った後のルノー車が割り当てられると思ったのだが、中国製のBYD車のレンタルとなったため、ガーンとなった気分を振り払うこともままならず左ハンドル5速マニュアル車のウインカーを操作したつもりがワイパーを動かしながら海沿いの道路を走り出した。
島を半周し、約40分程でポイントを使ってただで泊まることが出来るIntercontinental Moorea Resort & Spaに到着した。このホテルには約1年ぶりの帰還となったのだが、ドルフィンセンターのイルカや保護センターの海亀は変わることなく景色の一部となっていた。
今夜はビーチのビュッフェレストランで伝統舞踊のショーが行われるということだったのだが、昨晩ボラボラでフィーバーしたばかりだったので違うレストランにエスケープして創作シーフードを発注した。舟盛の魚介類を食べ進めるうちに味がくどいと思いながらもビーチの喧騒に聞き耳を立て、モーレアのアットホームな雰囲気を懐かしんでいた。
7月18日(木)
たとえ中国製とは言え、車があるということは観光の自由度が大きく広がるというメリットを享受出来るので早速BYD車をぶん回して近くのショッピングセンターへとしけこんだ。ボラボラ島で猫店長率いるパレオの工房を見学して是非とも土産に買って帰らなければならないとの義務感にかられていたので「ナチュラル・ミスティック」というギャラリー兼ショップに足を運んだ。量産品ではない一点ものが並ぶ数多くのデザインの中から気に入った色合いのものを空港やホテルのショップで買うよりもお得な値段で入手出来たので意気揚々とホテルに戻ってきた。
一流画家ゴーギャンにして「古城のようだ」と言わしめたモーレア島のパノラマを堪能出来る高台まで車を走らせる道すがらぽつんと一頭馬と出会ったので軽くご機嫌取りをしてやった。
ベルベデールという展望台の駐車場はほぼ満車状態で4輪駆動のバギーに乗って島のオフロードを走るクアッドツアーの一団も遠慮がちに道路わきのポジションを確保して、モーレア島のシンボル的存在である標高880mのモウアロア山やふたつの湾の間にそびえる標高899mのロツイ山等の絵葉書のような絶景に見入っていた。
Late Check outの午後2時までしばらく時間があったのでホテルに戻り、ビーチバーで薄いわりに値段の高いアイスコーヒーとNachosをほおばっていると将来は有望な卵製造機やチキンソテーになることが約束されているはずのひよこ集団が首を前後に振りながらおすそ分けを求めてきたので施しを与えなければならなかった。
昨日のモーレア島の上陸以来すでに島を半周していたのだが、残りの半周はマサに輝く景色の連続であった。入り江に停泊するクルーズ船を見送り、マウヴァビーチの透明感で心を潤した後、トアテア展望台という高台に到着した。この場所はソフィテルホテルが仕切っている「水上バンガローとラグーン」の絶景ビューポイントで眼下にはモーレア島で一番美しいビーチといわれる「「テマエのパブリックビーチ」が広がっており、その先にある海と空の隙間にはタヒチ島が腰をおろしているのである。
この景色を目にしていつかソフィテルの水上バンガローを制覇しなければならないと心に誓いながらフェリーでモーレア島を脱出し、帰国準備のためにタヒチ島のIntercontinental Tahiti Resort & Spaに移動した。チェックイン手続き後、屈強な原住ポーターに荷物を運んでいただくとWelcome Drink券を握り締めてオーシャンフロントプールのバーに向かった。
テキーラのカクテルと夕日のカクテル光線のコラボレーションで最後のマリン・アクティビティを締めると晩餐の席では鹿肉のソテーと一緒に幻想のようなツアーの思い出を噛み締めていた。
7月19日(金)
夜明け前の早朝5時に迎えに来たタクシーに乗り込み、恒例のふぁ~ぁ~というあくびが収まらないうちにファアア国際空港に到着した。7:15発TN78便は定刻どおりに出発となり、「モアナと伝説の海」という漫画映画を見ながらはからずも今回学習したタヒチの伝説のおさらいをすることとなったのだ。
7月20日(土)
♪夢からうつつに戻された♪午後2時過ぎに成田空港に到着。♪カーモン ベ~ベ~ アメリカ♪というリズムとともに車を預けていたUSAパーキングで洗車済みの車を受け取り、そのまま流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 AIR TAHITI NUI = ¥0、AIR TAHITI = ¥47618
総宿泊代 CFP365,805 (CFP 1 = ¥1.04)
総タクシー代 CFP6,300
総インターコンチネンタルホテル送迎フェリー代 CFP36,116
総4WDツアー代 CFP8,500
総レンタカー代 ¥9,693
総ガソリン代 CFP700
総フェリー代 CFP2,320
協力 AIR TAHITI NUI、AIR TAHITI、IHG、AVISレンタカー、Vauvau Adventures