メキシコ最強の観光地、ユカタン半島の東端に位置するカンクンを拠点にいくつかのマヤ遺跡を散策したのは今から19年前の2005年2月のことであった。
当時心残りであったのはバスで立ち寄ったプラヤ・デル・カルメンという町からフェリーに乗って世界で一番透明度の高い海を持つコスメル島に上陸出来なかったことに他ならず、再訪を期してユカタン半島を後にしたのだった。その後ユカタン半島に戻るどころかスカタンな人生を過ごしてきたわけだが、ドロンジョ様のスカポンタンにも背中を押され、ついにコスメル島を目指すツアーが遂行されることとなったのだ。
2024年5月1日(水)
成田空港17:00発NH6便は定刻通りに出発すると日付変更線を越えて同日の午前11時前にはロサンゼルス空港に到着となった。すでに米国入国の定連となっているためあらためて指紋を採取されることもなく入国審査を顔パスで切り抜けるとUnited Clubラウンジで乗り継ぎまでの時間をさしておいしくないケータリングの飲食物を口にしながらやり過ごしていた。
16:22発UA1497便は定刻通りに出発し、2時間の時差を超えて22時前にはヒューストン・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港に到着した。広い空港内にはSky TrainやSubwayが行き来しているのだが、早速Subwayに乗り込んで本日の宿泊先で空港内蔵ホテルのヒューストン・エアポート・マリオット・アット・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタルにつつがなく到着したのだった。
5月2日(木)
午前10時過ぎのフライトに備えて8時前にはホテルをチェックアウトしたのだが、外気はむっとするような湿気を含んでおり、暗雲漂う中Subwayでターミナルへと向かった。すでに常ラウンジと化しているUnited Clubで朝食を済ますと搭乗時刻前には所定のゲートに到着したのだが、ゲート前の行き先を告げる画面にはすでに混乱の兆候が見え始めていた。
早朝よりUnitedから本日搭乗予定の便はOn timeとのメールによる通知を受けていたのだが、目の前の状況が刻々と悪化している様子が見て取れた。窓越しに駐機している飛行機の背後に広がる空の様子を眺めると、分厚い雷雲を引き裂くように雷鳴が鳴り響き、あたかも夜のとばりが下りて来てしまったかのような暗さであった。
ゲートのアナウンスに耳を傾けると搭乗予定の便は燃える闘魂サン・アントニオから来る予定なのだが、悪天候のため離陸が出来ず、そもそも前の便が出発出来ずにゲートにとどまっているため、必然的な卍固め状態となってしまっていたのだ。この時あたりからUnitedからのメールの本数が一気に増え始め、真綿でスリーパーホールドを決められたような遅延地獄に陥ってしまったため、やむなくFTBの対策本部に格上げされたUnited Clubに引き上げることとなった。
今日の午後にはコスメル島に到着出来るというヒュ〜という盛り上がりの気持ちがいきなりストンを落とされたのはマサにヒューストンのラウンジにいる時であった!
直近のメールによるとUA1919便は16:31までさらなる遅延のアナウンスがあったものの19時前には何とかコスメルに到着する算段であったのだが、14時過ぎに届いた立て続けのメールには何とフライトがキャンセルされ、新たに明日の便が予約されたとのショッキングな知らせであり、いくら暴風雨の嵐のためとはいえ、長期休養したリーダーの大野君が復帰する時にはすでにジャニーズ事務所が無くなっているくらいの衝撃を受けてしまった。
通常であれば膝から愕然と崩れ落ちるところであるが、約10分で正気を取り戻すと早速本日から宿泊する予定であったPRESIDENTE INTERCONTINENTAL COZUMEL RESORT & SPAにメールを投げ込み到着が1日遅延する旨を伝えると即座に了解したとの返事をいただいた。立て続けにMarriottのウエブサイトにアクセスすると今朝チェックアウトしたばかりの同じホテルを予約し、何とか本日の宿を確保出来たかのように思われた。
United Club内のカウンターには長蛇の列が出来ていたのだが、チェックイン済みの荷物を取り戻す必要があったので担当者にその旨を伝えると1〜2時間くらいで荷物の引き取りは可能だろうとの返答をいただいた。
空港内の土産物屋の多数の招き猫に見送られ、彼らが招いたのは嵐であり、♪体中に風を集めて 巻き起こせ A・RA・SHI A・RA・SHI♪のメロディーとともにやけ気味にBaggage Claimへと重い足を運んで行った。
Baggage Serviceのカウンターを先頭に見たこともないような長蛇の列が形成されていたのだが、ひるまずに列の最後尾に並ぶと1時間以上は経ったであろう時間にやっとFTBの順番が巡ってきた。すでに多数のクレームを受けて正常な判断機能が麻痺しているであろう担当者から告げられた言葉は、明日の便に振り替え予約されているのであれば荷物を引き戻す必要はなく、どうしても今日荷物が欲しければ6時間以上待てという非情な物質(ものじち)との引き換え系の暴言であった。
一旦は引き下がったものの再考の上、身代金を払ってでも荷物を救出しなければならないとの決断に至ったのでさらに長くなった列の最後尾に再び並び直すことにした。気の遠くなるような時間を立ち尽くしたまま過ごし、何とかBaggage Serviceのカウンターが視界に入ったころ、「Mr. FUKUDA!」と呼ぶ天の声的アナウンスが場内に響き渡った。指定された場所に足早に向かうと何とかそこで危害を加えられていない荷物との再会を無事に果たすことが出来たのであった。
数時間前に依頼したUnited Clubの差し金とはいえ、何とか荷物を奪還したものの試練はそれだけにとどまらなかった。なんと先程Marriottのウエブサイトで予約したホテルのチェックインの日付が明日になっていることが判明し、泣く泣く高額のキャンセル料を支払ってキャンセルし、あらためて今晩の宿を探さなければならなくなっていたのであった。
なすすべもなく向かった先はいわくつきとなったエアポート・マリオット・アット・ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタルであったが、当然当日予約の部屋は空いているはずもなく、近隣のホテルのリストを渡され、一軒一軒自力で探すほかない状況であった。
携帯の電波の状態が良くなかったのでホテルロビー出口の外気の当たるところで電話をかけようとしているといかにも白タク系の雰囲気を装っているが紳士の心根を持つはずのナイスガイが車で近隣のホテルを当たってあげると申し出てくれたので藁にもすがる思いで彼の車にかけることにした。Hampton Innをはじめ数件のホテルで満室Sold outの洗礼を受け、次に向かった先はSheratonであったのだが、ここでもSold outを告げられ空振り三振で空港に戻るべきかと思った瞬間にマネージャー面した男性が女性クラークを制し、実は部屋は空いているという助け舟を出してくれた。嬉々として白タク系の紳士の元へ戻り、感謝を込めて彼の言い値より高い$60を握らせ、「いいね!」のポーズで別れを告げると遅れてきたMarriott Bonvoy会員のゴールドメンバーの威光とともに何とかチェックインを果たしたのであった。
5月3日(金)
ゴールドメンバーの特典である朝食をさくっと済ますと空港までの無料送迎シャトルに乗り込み、憂鬱な空の色を眺めながら粛々と昨日と同様の手順を踏んでいた。午前中の強雨は昨日よりもましであったものの10:03出発予定であったUA1919便はまたもや遅れを出し、それでも11時前には晴れてヒューストンを離れることが出来たのであった。
離陸しさえすればこっちのもので、約2時間ちょっとのフライトで念願のコスメルに到着すると抜けるような青空に迎えられた。つつがなくメキシコへの入国を果たすと一人当たり$14の支払で乗り合いバンに乗り込み、コスメルでの宿泊先に向かうこととなった。
20分程度のドライブでPRESIDENTE INTERCONTINENTAL COZUMEL RESORT & SPAに到着し、チェックインデスクでウエルカムドリンクを飲みながら、やっとの思いでヒューストンのインターコンチネンタルからコスメルのINTERCONTINENTALへの引継ぎを完了させることが出来たことを実感した。
IHGダイヤモンド兼アンバサダー会員の威光により2段階アップグレードされたオーシャンビューの部屋に案内されると窓越しに広がる雄大な景色はいかなる高級コスメティックスにも劣らないはずの透明感あふえるコスメルの海であった!
昼飯を食いそびれていたのでホテル内の散策がてらLe Cap Beach Clubという地中海系料理を供するレストランに突入し、シーフードや牛肉タコスを肴に吸い込まれそうな透明な海をひたすら眺めながら、ヒューストンでの悪夢を消し去るのに躍起になっていた。
思いのほかの疲労とマルガリータのテキーラが体の節々に行き渡った影響からか部屋に戻ると不覚にも意識を失ってしまい、気が付くとサンセットの時間を迎えていた。
太陽が完全に水平線に吸い込まれた後のマジックアワーは想像以上の長続きで漆黒の闇が訪れるまで身動き出来ないままでいたのだった。
広々とした高級ルームであったが、バスタブの設置までは気が回ってなかったので代わりにインフィニティプール後方のジャグジーの泡に揉まれながら体内に残留しているアルコールをバブルとともに排出し、明日への鋭気を養うべき長時間のリセットモードを満喫させていただいた。
5月4日(土)
想像だにしなかったアクシデントにより3泊の予定が2泊になってしまったため、島内観光は断念し、ひたすらホテルの敷地内での籠城を決め込むことにした。
毎日コスメルに入港するクルーズ船の雄姿を横目に海辺の朝食会場となっているCarbeno Restaurantに入場した。建物を吹き抜ける爽やかなそよ風とともに野鳥が館内を縦横無尽に飛び交い、ちょっとしたバードウォッチング気分が味わえるのかと思ったのも束の間、野鳥の目的は人類の隙をついて食べ物を略取することであり、マサに仁義なき共生の光景が展開されているのだった。
マサと言えば、前回のユカタン半島ツアーでとうもろこしの粉に水を加えて生地にしたものがマサであること(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B5)を
解明していた。マヤの聖地を巡りながらほんまやと納得しながらありがたく食すようになったのだが、このホテル内のレストランの主食もタコスやナチョスになっているようで外資の入ったリゾートホテルとはいえ、メキシコのアミーゴプライドは決して損なわれてはいないのだ。
世界一の透明度の海に囲まれたコスメルは言うまでもなくダイビングの聖地であり、早朝よりホテル内の桟橋から多数のダイビングボートが出航する。ダイビングをしない輩はその光景をぼ〜と眺めるだけであるが、ホテル敷地内でもその透明度は十分に堪能可能である。
レストラン裏のScuba Du Dive Centerでスノーケリングセットを借りて安全な場所で波に体をゆだねるのも良いのだが、それがなくても砂地に足が付いた場所で魚ウォッチングが可能なほど豊かな水産資源が身近に迫っているのだ。
この地の陸の王者であるはずのイグアナを横目にホテル敷地内を隈なく散策し、途中シーフードのランチで一休みして十分にコスメルでの休日を堪能させていただいた。
日が傾きかけてきた頃合いを見計らってインフィニティプールに繰り出し、ジャグジーでの温浴効果を高めていると早くもサンセットの時間を迎えてしまった。
水際から真っ赤に燃える西の空を見上げながら、永遠に続いて欲しい瞬間とはマサにこのことであろうと考えながら自らも水の中に体を沈めていくのであった。
5月5日(日)
今朝は昨日よりも少し早い時間に朝食会場に繰り出した。相変わらずダイビングボートはせわしなく出航の準備に取り掛かっていた。
まだお客さんの数も少なく、料理の食べ残しがテーブルに散在していなかったのでバードウォッチをするほどの野鳥の飛来も見られなかったのであろう。しかし野鳥の少ない原因はそれだけではなく、今朝は手乗り猛禽を操っている鷹匠が威嚇兼パトロールの任に着いており、野鳥のさえずりも心なしか警戒モードの調べを含んでいた。
チェックアウトまでのしばしの時間であったが、名残を惜しむように徘徊し、コスメルの絶景を目に焼き付けるのに余念がなかった。
気が付くとメールボックスには見慣れたUnitedの文字が躍っており、ヒューストンへのフライトが遅れるとの再度の嵐を予見させる通知であった!
予定していたチェックアウト時間を1時間程遅らせて正午過ぎにタクシーを呼んでもらい、来る時よりもかなり割安の$20の支払いでコスメル空港に帰ってきた。元々のフライトの予定時間は13:27で、それが13:50になるとの通知はまだ序の口で空港に着いてからもUnitedからのスパムメールは止まらずに出発時間が14:30, 15:20, 16:00, 16:20と小刻みに後ろ倒しになって行った。United航空のハブ空港であるヒューストンであれば、即座に一人当たり$15のMeal Couponが発行されて搭乗予定客の溜飲を下げるのに一役買っていたのだが、ここコスメル空港ではUnitedの威光は届かない様子で「許しテキーラ!」というお詫びの一言もなかったのだ!
搭乗することになっているヒューストンからの飛行機が到着した時間はすでに16時を回っており、結局UA1867便ヒューストン行きが出発出来たのは16:50であった。
約2時間のフライトでヒューストンまで帰ってこれたのだが、さらなる難題はロサンゼルスまでの乗り継ぎ便には間に合わないという事実である。幸い米国入国審査がすいていたのでそそくさと荷物をピックアップしてUnitedの乗り継ぎカウンターに向かい、首尾よくロスへの最終便にねじ込んでもらったのだが、その便自体もすでに遅れの兆候を示していた。
常ラウンジのUnited Clubの飲食物で胃袋の容積を満たすと22時前には搭乗ゲートに向かい、遅ればせながら出発出来ると高をくくっていた。ところが待てど暮らせど出発する気配がないのでついには腹をくくらなければならない状況になっていた。機長のアナウンスによると遅れの理由はワシントンDCからのケータリングを待っているとのことで狭い機内に閉じ込められた乗客を希望者のみ一旦降機させるとの措置さえ取られていた。
トイレ近くの機内後方に陣取っていたFTB一行であったが、かわるがわる用を足しに来る乗客の中でひときわ長い時間トイレに籠城している輩がいるようであった。すると突然うめくような嘔吐サウンドがトイレ周辺にこだまし、付近の乗客が眉をひそめている様子が見て取れた。しばらくして出てきたのは小太りの黒人女性であり、当然のことながらそのトイレは使用禁止の烙印が押されてしまった。
それだけならまだしも汚染されたトイレを除染しなければ出発出来ないという安全規定により、吸引機を持った防護服姿の整備士が乗り込んでくる事態となり、機長の甘い作業時間の見通しもあいまって乗客の苛立ちはピークを迎えつつあった。一方、汚染の張本人は悪びれることなく機内を徘徊し、解説者のような振る舞いで遅れの原因説明に勤しんでいたのだった。
5月6日(月)
結局UA2000便が出発出来たのは日付の変わった0:20でロサンゼルスに着いたのは午前2時くらいの時間であったろう。幸いなことにホテルへのシャトルバスは24時間運行なのでホテルまでの足は確保されていたのだが、予約していたウェスティン・ロサンゼルスエアポートに到着した時間の記憶はすでに飛んでいた。ホテルの従業員は深夜シフト体制に入っていたためか、ここでもチェックインまで長時間を要してしまい、結局ベッドに体を横たえることが出来たのは4時を回った時間になっていたであろうか?
幸い日本へのフライト時間が午後であったので多少睡眠時間は確保出来たのだが、それでも午前10時過ぎにはチェックアウトしてそそくさと空港へ向かって行った。United航空の束縛を逃れて搭乗したNH5便は定刻通りに出発し、定刻のありがたさを噛みしめつつ、機内映画のゴジラ-1.0の主役である着ぐるみに破壊的衝動の発散を肩代わりしていただいた。
5月7日(火)
午後4時半頃成田空港に到着し、ヒューストン経由で旅行するときにはホイットニーを警護したケビン・コスナー扮するボディーガードのような強いメンタルが必要であることを肝に銘じつつ流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥135,350 / passenger、United Airlines = ¥86,530 / passenger
総宿泊費 $1,440.25
総宿泊キャンセル料 $221.13
総タクシー代 $108
協力 ANA、United Airlines、IHG、Marriott Bonvoy