シン・FTBハワイ島ボルケーノリゾートツアー

アロハ ボンよ ハワイ湯!?

というわけで、昨年のオアフ島を皮切りに、年初にはカウアイ島を訪問し、ハワイのネイバーアイランドの旅も二週目に突入しているわけだが、今回は2002年12月以来のハワイ島に上陸し、今なお活動を続ける活火山に活を入れていただき、翌週から始まる新しい仕事へのエネルギーとさせていただくべくボルケーノツアーを敢行することと相成った。

2024年7月13日(土)
20:10発NH184便A380フライングホヌ3号機は定刻通りに出発すると約7時間のフライトで翌朝ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港に到着した。引き続き11:10発HA232便は少し遅れを出したものの最後部座席のエンジンフロントの窓からかすかに見えるなだらかな台地の稜線を横目にハワイ島のヒロ国際空港に滑り降りた。

哀愁を含んだメロディーであるはずの「つのだ☆ひろ」の♪メリー・ジェーン♪のリズムに迎えられることもなく、淡々と荷物を受け取りANA Travelersに予約させておいたアラモレンタカーのカウンターではあらも~コンパクトカーがなくなったということで日産の中型車かジープのどちらかを選んでよいと言われたので迷わずジープを選択してボルケーノツアーの幕が切って落とされた。

四国の半分の大きさを誇るハワイ島の台地の息吹を初日から感じるべく、ヒロから11号線を南西に走りハワイ火山国立公園(世界遺産)を目指した。入口で車1台につき$30の入園料を払う際に,前回来た時には$10だったことが脳内をかすめるといやがおうでも長い時が溶岩のように流れさってしまったことに感慨を覚えた。

今日のアクティビティは何もしないことがメインになるので早速事前予約しておいた火口淵に立つ歴史あるホテルである「ボルケーノ・ハウス」にしけこませていただいた。

1846年創業のハワイ火山国立公園内に立つ超有名なこのホテルの部屋はスタンダードとボルケーノクレータービューの2タイプに分かれており、九州弁で「ぼるけの~」と言われて高い金を払わされてもクレータービューには価値があると思ったので神様がくれ~た~はずの眺望を見渡せる部屋にチェックインした。

部屋からは雄大なキラウエア・カルデラが見渡せるのだが、幸か不幸かキラウエア火山は2023年の噴火以来沈静化している様子で悪魔のような赤い溶岩の流れや阿蘇中岳のような噴煙は見られなかった。

ボルケーノ・ハウス内にはギフトショップやレストラン、バーもあるので昼間の時間は宿泊しない多くの観光客で賑わっている。

ウエルカムドリンクが体内に浸透した頃を見計らって軽く近隣の散策に繰り出すことにした。クレーターも見る位置を変えると一層その輪郭が際立って見え、まるで隕石が落下した痕跡のようなきれいなえぐられようであった。

火山噴火後、長い時間をかけて生態系が回復していくわけであるが、名も知れぬ花や大ぶりのアジサイ、カウアイ島ほど数は多くないニワトリが数羽いた程度であったろうか。

ハワイ火山の予備知識を吸収するためにキラウエア・ビジターセンターにお邪魔させていただいた。ここでは記録映画による火山の成り立ちの説明だけでなく、外来生物により固有種が蹂躙されている様子も野生の豚等のはく製を使って効果的に表現されている。

何といってもここでの最大の見所はキラウエアに在住の火の女神「ペレ」の肖像画であろう。一部のサッカー通の間ではペレと言えば、ブラジルを優勝に導いたハナ 肇似のワールドカップのレジェンドのことを思い浮かべるのであろうが、ハワイの人々は、火山が爆発するたびにペレが怒ったといってその怒りを鎮めるための儀式が執り行われているという。

夕暮れ時にボルケーノ・ハウスに戻ると昼間かかっていた雲はすっかり風と共に去りぬ状態で台地を思わせるなだらかな稜線のみが地平線と化していた。

ボルケーノ・ハウス内にあるザ・リム(The Rim)というレストランを19:30に予約していたので赤く染まる夕日を肴に地産地消の料理を楽しませていただいた。メインで注文したチキンは数時間前に遭遇した中の一羽ではないかと疑う隙も与えないほど料理の質は洗練されたものであったのだ。

7月14日(日)
ハワイとは言え、標高1200mの標高ともなると朝はしっかり冷え込むのだが、凛とした空気にクレーターの輪郭が冴えていた。

ボルケーノ・ハウスをチェックアウトするとCrater Rim Drive Westに沿ってジープを走らせ、キラウエア展望台に到着した。ここからのキラウエア火口の眺望もさることながら、荒野に繁茂する大木を彩る赤い花が目に留まった。

観光客グループを取り仕切っていたガイドの説明によるとその植物はオヒア(OHI’A)というもので火山噴火後の生態回復の過程で一番早く根ざすものだそうだ。

その木はオヒアレフアとも呼ばれているようで、ハワイの伝説で、火山の神ペレが青年オヒアに恋したが、オヒアにはすでにレフアと呼ばれる恋人がいたので拒絶したところ、ペレは怒ってオヒアを醜い木に変えたので、他の神々がレフアを憐れんでこの木に咲く美しい花にしたという伝説さえ残っているのだ。

Crater Rim Driveから分岐したChain of Craters Roadは溶岩台地を切り裂き海まで下るダイナミックなドライブコースで過去に噴火したクレーターが次々と姿をあらわしてくれ~たのだったが、前回来た時には黒い溶岩も舗装したてのアスファルトのように焼きたて新鮮で何よりも海に溶岩が流れ込み噴煙を上げている姿が印象的だったのだが、今回はペレも溶岩流のシュートを海に向かって放ってないようだったので落ち着いて見学にいそしむことが出来たのだった。

一方で、岸壁に打ち付ける波と風は荒々しく、もろい海岸線には穴が開けられ、最終的にははかなくも崩れ去っていくのであろう。

Chain of Craters Roadからの帰りの上り道のビューポイントのいくつかで車を止めて外に出てみると溶岩を突き破って繁茂しようとする生命の力強さを感じることが出来る。これがマサに再生というものが目の前で展開されている景色である。

Lava Tubeなる溶岩が通り抜けた夢の跡系のトンネルが口を開けていたので通り抜けてみることにした。ここは約500年以上前に起こったキラウエア火山の噴火によって開口されたもので格好のトレッキングスポットとして整備されている。また周辺の熱帯雨林とのコラボレーションも見ものである。

キラウエア・カルデラの隣にキラウエア・イキ火口が平坦なトレッキングコースを提供しており、非日常空間を楽しみたいはずの粋な観光客がさっそうと闊歩している姿が目に入ったのだが、このアクティビティは次回に回すことにした。

ハワイ火山国立公園を退場し、ヒロまで戻り、島を横断する200号線に入ろうかと思ったのだが、ヒロの広さに翻弄されて道に迷ったので急がば回れで海岸線ルートを取り、西海岸のコハラ・コーストに向かった。

今日の宿泊先であるHilton Grand Vacations Club Ocean Tower Waikoloa Villageは前回宿泊したHilton Waikoloa Village内の敷地の奥座敷に位置しており、安定的な高値で観光客をおびき寄せている夢のリゾートである。

到着した時間が遅めだったもののサンセットには何とか間に合うことが出来たので絶景を胸に刻み、プールでのクールダウンも含めて次回訪問時の演習とさせていただいた。

7月15日(月)
今日は日がな一日ワイコロア・ビーチ・リゾート内にとどまることとなった。

ワイコロア・ビーチ・リゾートの核となっているのは言うまでもなくHilton Wikoloa Villageという巨大テーマパークリゾートである。

敷地内にはメイン・ロビーを中心にトラム(モノレール)とボートの交通手段が張り巡らされているのだが、トラムのスピードは歩いている人に抜かれる程度でスーツケースの運搬には便利である。ボートの方は運航していない様子でボート基地にぼ~と留まっていたのだ。

敷地内の動物の種類は豊富であり、ショップの店番として猫の手を貸している輩や害獣駆除のために導入され、その後野生化したマングースや多くの魚類はその辺の水のあるところで元気に泳いでいた。

この地の動物の王者として君臨しているのはDolphin Quest Villageに幽閉されている数頭のイルカで、イルカと触れ合うプログラムは高値だが、大変な人気を博しているようだ。城みちるのような♪イルカにのった少年♪体験程度のものであればそんなのいるか!と拒否されるかも知れないが、少なくともイルカのトレーナー気分は味わえるのではないだろうか?

トラムの路線と並行するように長い回廊が伸びているのだが、そこはオープン美術館と呼べるほどの美術工芸品が立ち並んでいる。

ハワイアン、ポリネシアンだけでなく、ヒルトングループの総力を結集して東洋からかき集めたはずの仏像や陶芸品はリゾートに疲れたバカンス野郎に心の平穏を取り戻させるための一服の清涼剤になっているのだ。

喧噪のヒルトンを後にしてワイコロア・ビーチ・リゾートを平行移動するようにMarriott’s Waikoloa Ocean Clubに移動した。昨年オーナーになったMarriott Vacation Clubを最大限に活用すべく2泊のみ予約が取れたのでここに来たのは必然の成り行きだった。

さすがにVacation Clubの立地だけに徒歩圏内に2つの便利なショッピングセンターがあり、ここでは気取らずにゆっくり過ごせる配慮がなされているように感じられた。

早速横断歩道を渡って目の前の規模は小さいキングス・ショップスをぶら散歩することにした。昼飯を食っていなかったのでハワイで人気のアイランド・ヴィンテージ・コーヒーに入店し、マイルドなスムージーをベースにしたアサイーボウルと匂いを嗅いだだけでそれだと分かるコナ・コーヒーを吟味させていただいた。

近くのスーパーまで足を延ばすとさすがにコナ・コーヒーの聖地だけあり、様々なパッケージを着飾ったものが高値で売られていた。中でもレオナルド・ダヴィンチもその出現を予想できなかったはずのKONA LISA COFFEEの微笑みに魅了されたものの買い付けは後日の楽しみに残しておいた。

マリオットに戻り、敷地内を散策したのだが非日常感を演出する奇抜なヒルトンとは異なり、ここではFish Pondやワイルドな溶岩台地が目の前に迫っており、より自然との一体感が楽しめるようになっている。

古代ハワイアンの遺跡を抜けてPublic Beachに向かう途中に野良猫の公認たまり場があるのだが、ここでは管理された餌場を巡って猫とマングースが共存兼仁義なき戦いを繰り広げているのである。

燃えるサンセットの移ろいは同時にルアウ(ハワイ語で宴会)の時間でもあり、ハワイ島西海岸のリゾートを彩るお約束の光景となっているのだった。

7月16日(火)
部屋にはバスタブは無かったが、昨夜の長ジャグジーで疲れを水疱と化していたので、早朝から猫の見守り等、施設内を散策することが出来た。また、昨夜の内に大型ショッピングモールのクィーンズ・マーケットプレイスで食材を買いあさっていたので朝食のネタには事欠かなかった。

今日はボルケーノツアーを締めくくるべく、マウナ・ケアでパワーチャージをしなければならなかった。

ハワイ島のツイン・ピークは言うまでもなく標高4,205mのマウナ・ケアと4,169mのマウナ・ロアであるが、その間を縫うようにして馬の鞍のようなサドルロードが通っている。ワイコロア方面からサドルロードには入れたのだが、マウナ・ケアへの分岐道を見誤って時間のロスとともにガソリンを食ってしまったので給油のために一気に東海岸のヒロまで突っ切ることにした。

つのだ☆ひろの♪メリー・ジェーン♪よりも♪メリーアン♪の方に共感する時代を過ごしてきたため、ヒロでは給油と給水のみですぐにサドルロードに引き返し、夜には♪星空のディスタンス♪が近くなるはずのマウナ・ケアに向かってジープのアクセルを踏み込んだ。

首尾よくマウナ・ケアへの分岐道が見つかったので標高2,804mのオニヅカ・ビジターセンターまで一気に駆け上がることにした。尚、オニヅカとは1986年に起きたスペースシャトル「チャレンジャー号」の事故で命を落としたオニヅカ大佐にちなむものだ。

ビジターセンター内には望遠鏡の模型やポスターが展示され、「すばる」という大型光学赤外線望遠鏡を要する日本が国際共同利用観測所の中心的役割を果たしていることが一目で分かるようになっている。

土産物のラインナップも豊富でマウナ・ケアのTシャツを購入する際に売店のおね~ちゃんから頂上まで足を延ばすのかいと聞かれたときに通常であれば谷村新司よろしく♪わ~れも行く♪と啖呵を切るところであったろうが、あいにく車がスバルの四駆ではなかったので今回は断念を決め込んでいた。

ビジターセンター周辺を散策するとそこはマサに不思議の国でまるでそこに生きる「アリス」になったような気分を味わった。

なるほど♪昴♪を要するマウナ・ケアは谷村新司の山であり、逆方向のマウナ・ロアは♪君のひとみは10000ボルト♪を誇る女神ペレが住むことから堀内孝雄の山と解釈することも出来るだろう。

マウナ・ケアへの山頂までは「サンセット・星空ツアー」に参加するのが王道であるが、異常な円安で見送っていたので次回は♪心の命ずるままに~♪行動することを誓いながら下山することとなったのだった。

早めの時間にワイコロア・ビーチ・リゾートに帰って来れたのでキングス・ショップス内のエーベイズ・アイランド・グリルでハッピーアワーを堪能させていただいた。タップから注がれるコナビール ロングボードアイランド ラガーで肉類を中心としたハワイ・リージョナル・キュイジーヌを流し込みカジュアルな気分で最後の晩餐を楽しませていただいた。

今日はルアウはなかったものの夕日の色は相変わらず鮮やかで日が落ちた後もなかなか抜けないオレンジ色が漆黒へと変貌するまで西の空から目を離すことが出来なかったのだ。

7月17日(水)
早朝4時過ぎに起床し、すでにリゾートのメンテナンスのためにかいがいしく働いている従業員を横目に帰国の準備を整えていた。丁度コーヒーショップ等の店が開店する6時にマリオットをチェックアウトすると昨日予習しておいたサドルロードを抜けてヒロへの帰路を急いでいた。

ヒロ国際空港には7時半過ぎに到着したのだが、朝食を取るべく店舗も少なかったのですみやかに9:30発HA161便の機上の人となった。ホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港のANA Suite Loungeでモーニングビールとカレーで華麗なブランチを済ませると
12:20発NH181便は来た時と同じA380フライングホヌ3号機であることに気づかされた。

7月18日(木)
アルフィーは♪た~とえ500マイル離れぇても~♪という歌詞で長いディスタンスを表現しているが、ホノルル・成田間の区間マイルと比較すると果たして500マイルは遠いのかと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥104,670 / passenger
総宿泊費 $750.16
総レンタカー代 ¥75,761
総走行距離 434マイル
総ガソリン代 $73.17

協力 ANA、ハワイアン航空、ANA Travelers、アラモレンタカー、HILTONHHONORS、Marriott Vacation Club

シンFTB魅惑のガーデンアイランドツアー in カウアイ島

アロハ ボンよ ハワイ湯!

というわけで、昨年9月に催行したハワイ オアフ島ツアーの最中、♪仮面舞踏会♪のリズムに後押しされてMarriott Vacation Clubに入会してしまったので今回早速そのエンターテインメントの実力を確認するために再びハワイに戻ってくることと相成った。尚、訪問先がカウアイ島になったのはClubとの契約の地であるオアフ島のMarriott Ko Olina Beach Clubの予約が取れなかったためではなく、2004年以来20年ぶりに訪問するカウアイ島がどのような変貌を遂げているのかを確認する使命のために他ならない。

2024年1月3日(水)
20:35成田発NH184便A-380-800機、機体に海亀文様をあしらったFlying Honuは定刻通りに出発した。機内映画の「ミステリと言う勿れ」を見ながら頭が爆発している自らの苦悩を整えていると6時間弱のフライトでホノルルのダニエル・K・イノウエ国際空港に午前9時過ぎに到着した。

アロハ航空の廃業により、ホノルルからのネイバーアイランドへの運航を独占している感のあるハワイアン航空が運航する正午発HA273便に搭乗すると30分程度のフライトでカウアイ島のリフエ空港に着陸した。早速ハーツレンタカーでコンパクトカーの予約にもかかわらず4WDのシボレートラバースSUV車をあてがわれたので遠慮なくレンタルさせていただくとイチロ今回のツアーの宿泊先であるMarriott’s Kauai Beach Clubに向かった。

空港からわずか10分程度で到着したMarriott’s Kauai Beach ClubはROYAL SONESTA KAUAI RESORTという高級ホテルと同居する形で運営されており、深く切れ込んだ入江に位置し、島で屈指の美しい海浜公園であるカラパキ・ビーチ沿いに展開されている。

今回アサインされた8階のオーシャンビューの部屋からはくっきりとした視力検査のマーク状の湾の形状が一望でき、晴れてBeach Clubの一員になった実感がじわじわと湧いてきた。

ビーチを散策するとちらほらとマリンスポーツを楽しんでいる輩もいるのだが、波も比較的静かなのでどちらかというとのんびり海を眺めて過ごすのにうってつけのリゾートであるとお見受けした。

KAUAI WEAHER STATIONなる看板で島のお天気情報を学習させていただいたのだが、唯一の気象予報士はヤシの実になっているようでヤシの実が「風と共に去りぬ」の状態になっているときの天候はハリケーンであるとのことであった。

今日は時差ボケのきつい初日ということで特に観光することもなく、車で近隣のスーパー等を巡り、いち早く現地の生活のペースに溶け込む活動に終始した。

1月4日(木)
日の出とともに目を覚まし、カーテンを開けてオーシャンの方向を一瞥すると巨大なマンションが迫ってくるような威圧感を感じた。

後の調査で判明したことだが、その巨大な物体の正体はホノルルから出港し、ハワイ4島を周遊する豪華客船PRIDE OF AMERICAでアメリカの総力とプライドをかけて安全運航を約束しているはずのクルーズツアーの1ページがマサに垣間見えた瞬間だったのだ。

Vacation Clubのようなタイムシェアの別荘を借りているという生活スタイルになじむために食事は現地調達したものを部屋で食したほうがよいだろうということで昨夜と今朝の栄養補給は必然的に質素倹約となっていた。

日本からハワイへは短時間で旅行出来る一方で、時差が大きいことから時差ボケが長引くことが難点で短期の旅程では頭の中のフラダンス状態が抜けきれないまま生活を送ることになる。それでも何とかアロハスピリットに後押しされ、島内の見物に繰り出すことにした。

カウアイ島最大の見どころを目指すために島西部のワイメア・タウン方面に車を走らせた。ワイメアは1778年にイギリスの海洋探検家であるキャプテン・クックが上陸した地であり、当時の現地人は一行をハワイの神「ロノ」の再来と信じて♪ようこそここへクッククック♪と歓待したそうだが、桜田淳子の幻影もすでに遠い過去のものとなっているため、クックの銅像に挨拶することもなく食料調達のためにイシハラ・マーケットに向かった。

1934年オープンで生鮮食料品を扱うイシハラ・マーケットであったが、日本における石原軍団の凋落の写し鏡のようにすでに廃業となっていた。ここを再びザワつかせるためには石原軍団の末裔であるはずの石原良純が一肌脱いで長嶋一茂あたりから資本提供を受けて事業を立て直す必要があるのであろう。

生鮮食品のゲットはならなかったが、別のスーパーで乾き食品を調達した後、車はワイメア・タウンから550号線に入り、一気に山道を駆け上がると外気温は見る見るうちに低下していった。とりあえず550号線のドン付きまで走り切ろうと思ったのだが、途中トイレ休憩が必要となったのでコケエ州立公園のビジターセンター駐車場に車を滑り込ませた。コケエ州立公園では多くのコケエコッコと観光客が戯れており、カウアイ島がニワトリファーストで成り立っている現状を見せつけられた。

コケエコッコの鳴き声に後押しされてコケエ博物館に入場することにした。入場料は無料だが、一人$3ドルの寄付を求められているので手持ちの$1を奉納し、展示物を見学させていただくことにした。狭い館内なので多くの展示物はなく、観光客はここでトレッキングのコースを確認したりしているのだが、ご本尊であるはずの野生の豚がその様子に目を光らせていた。

550号線の終点にはカララウ展望台が君臨し、カウアイ島最難関のトレッキングコースであるカララウ・トレイルのナ・パリ・コーストの海岸線やギザギザハートに削られた山肌の絶景を見下ろすことが出来たのだ。

カララウ展望台から来た道を引き返して南下する途中のプウ・ヒナヒナ展望台で長い年月により創り出された自然の芸術に圧倒されるとその勢いでワイメア渓谷州立公園のメインの展望台の駐車場に突入した。

$20の入場料をクレジットカード限定の支払いで乗り切ると足早に展望台を目指して行った。展望台ではいきなり古代の現地人風の裸の王様が長椅子ステージの上で演説している様子が目に飛び込んできた。

裸王の演説内容は当然のことながらワイメア渓谷、カウアイ島、さらにはハワイ全体の観光ガイド的な説明であるのだが、その戦士たる出で立ちは多くの観光客の興味を引き付け、最後には拍手喝采だけでなくSNS映えのための写真撮影のシャッター音とチップの嵐を浴びていたのだった。

裸王の説明によるとギネスブックで世界一の降水量を誇る標高1569mのワイアレアレ山の山頂は通常雲に覆われて見えないのだが、今日はその全貌がくっきりと見えるとのことであったが、マサにわ~い アレ(優勝)アレ(優勝)が示唆しているものは岡田監督の連覇ではないかと期待と不安が一つになったような感覚を覚えた。

展望台から見下ろす光景は「太平洋のグランドキャニオン」の異名にふさわしく、ここは本物のグランドキャニオンまで足を運ぶことの出来ない輩がグランドキャニオンの写真撮影を行うための最適なスポットであることが再確認されたのであった。

ワイメアを後にして海岸沿いを走っていると歴史遺産的な看板が目に入ったので立ち寄ってみることにした。ここはハワイ州歴史的建造物に指定されているロシアン・フォート・エリザベスという廃墟で特に目を引くものはなかったが、かつてカウアイ島を統治していたカウムアリイ王の雄姿だけは写真に収めておいた。

一旦Marriott’s Kauai Beach Clubに戻り、夕暮れ時にカラパキ・ビーチ周辺を散策し、リゾーターのアクティビティを遠巻きに眺めながらのんびりと過ごしていた。

今日のディナーはコンシュルジェの推奨リストに上がっていた近隣のThe Plantation house by Gaylordsを予約していたので日もとっぷり暮れた7時半に入店した。


1880年代に建てられたプランテーションのオーナー、ウィルコックス一家の豪華な邸宅をそのまま使用したガーデンレストランで猫の挨拶もそこそこに中庭の上席に案内され、メニューを手渡された。地産地消の割には高値で提供されている料理の中からマーケットプライスのものを避けて発注したものは伝統的なハワイ料理であるAhi Poke(マグロの刺身に醤油ベースのタレや香味野菜で和えたもの)を皮切りに海老や地魚をいい具合にアレンジした日本人の味覚を喜ばせる一品たちで、必然的にクレジットカードに多大な負担をかけさせることとなったのだ。

1月5日(金)
カラパキ・ビーチはサンセットもサンライズも直接見ることは出来ないロケーションであるが、夜明けの空には毎日♪パープルタウン♪すなわち♪むらさきにけむる夜明け♪が現出する。

♪すばらしい朝にHu Hu Hu♪から始まったこの日はリフエの町にほど近い双子の滝から活動をスタートさせた。ハワイ語でふたつの水という意味を持つワイルア滝がBeach Clubから車で20分程度の場所に流れているので見に行ってみた。古代ハワイの男たちが、上から滝つぼへ飛び下り、男を上げていたという高飛び込み伝説が残っているワイルアの滝ではあったものの滝つぼの見えるフォトジェニックなポイントへのアクセスが不可能だったので観光客の平均滞在時間がわずか数分であったことが心残りである。

ワイルア滝からの帰路の生鮮食料品店でPokeやタコのマリネ等の食料品を買い込んでBeach Clubでの昼食用に供すると、午後1時からのアポイントに備えてしばしくつろいでいた。

Beach Clubにチェックインした初日にコンシュルジェから施設に関する情報提供を受ける段取りになっているのだが、その折にツアーなるものに参加すればポイントの積み立てで無償宿泊の特典がもらえるマリオットボンボイポイントの30,000ポイントの進呈を受けることが出来るという口車に乗せられていたのだった。

約束の時間に1階のSales Officeの受付で来意を告げると中の打ち合わせテーブルでしばし担当者を待つこととなった。FTBの担当として名乗りを上げたSales Executiveの案内で最上階である12階に誘われ、絶景を前に営業活動が繰り広げられたのだが、何とか追加の投資をせずに持ちこたえられたのでまんまと30,000ポイントをせしめることに成功したのだった。

Sales Executiveから伝導された営業熱を冷ますために施設内のハワイでも有数の規模を誇るプールに入ることにした。プール内でもプールサイドでも少々行き過ぎたクールダウンを感じたのでジャグジーに入りたかったのだが、稼働している3ヵ所のジャグジーはリゾートファミリーに占拠され、割って入るほどの勇気がなかったので断念して部屋に引き返した。

夕暮れ時にプールサイドに舞い戻り、2日間カウアイ島に寄港していたクルーズ船を見送ると今晩はプール脇のレストランでの軽食による散財で施設への義理を果たしていた。

1月6日(土)
カウアイ島では曜日ごとに各所でファーマーズマーケットが開催されているのだが、土曜日の今日はノースショアで市が立っているので物色してみることにした。こじんまりとした印象ではあったものの確立された地産地消システムが提供する地元の野菜、フルーツ、スイーツ、コスメティックス等を見て回ると次第にテンションが上がってきたので思わず生はちみつとリップクリームを衝動買いして地元経済に貢献させていただいた。

1830年代から受け継がれてきた文化を感じられるレトロ・タウンであるハナレイに差し掛かった。チン・ヤン・ビレッジ・ショッピングセンター内を買う気もないのに練り歩いているとサーフスクールやサーフショップが目に付いた。ここはビーチエリアにほど近く、大波が来る冬場には熟練サーファーが日々波に揉まれながら腕を磨いているそうである。

狭いカウアイ島であるが、車で島内を一周するまでの道路整備はされておらず、ノースショアのカララウで終点を迎えることになる。そこから最高のキャンプを味わえるカララウ・トレイルが伸びているのだが、登録制のアクティビティは常に売り切れ状態になっており、ナ・パリ・コースト州立公園の満車の駐車場であえなくUターンとなってしまった。

カララウからの帰路でトイレの個室を求めていると首尾よくハナレイコロニーリゾートの水回り設備が使えそうだったのでレストランの入り口脇のトイレに痕跡を残し、そのお礼にカフェでモカフラペチーノ系の飲み物を牛飲した。レストラン裏手の景色は透明度の高い海のグラデーションで彩られており、ここでやっと落ち着いてノースショアの海岸の景色を堪能することが出来たのであった。

英語でタロイモのことをTaroというが、Taroはハワイの名産品の一つになっており、ハナレイ渓谷展望台からはタロイモ水田を中心とした湿地の保護区であるハナレイ・ナショナル・ワイルドライフ・レフュージを見下ろすことが出来る。霧のかかったワイアレアレ山を背景にした碁盤の目はマサに自然と人類の共同作業の賜物であり、訪れる人を古き良き時代に誘う癒しそのものである。

今日からMarriott’s Kauai Beach Clubでの広い部屋を予約していたので、部屋の準備完了とともにi Phoneにテキストメッセージが入ったのでそそくさと戻ることにした。今日から2日間過ごす部屋は最上階である12階角部屋のビーチ&プールフロント、広々ベランダ付きだったのだが、部屋に長居することなく、太陽に愛される町ポイプに繰り出すことにした。

ポイプで最も印象に残るはずの景勝地である潮吹き穴で伝説に彩られた自然の驚異を感じることにした。ここで目にする現象もさることながら、ハワイ先住民の言い伝えによるとカイカブという大きなトカゲの魔物がポイプの海岸線を守っているとカイカブった人々は、この地域で魚を取ったり泳いだりすると魔物に食べられると恐れていた。東尾という苗字を持つかどうかは定かではないが、ある日リコという利口な少年が海に入ると石田純一のようなカイカブが襲い掛かってきたのだが、リコはゴルフクラブのような鋭い棒を純一(魔物)の口に突き刺して溶岩棚の下に入り込み、小さな穴を通って地上に逃げおおせたという。

リコを追っかけた魔物は溶岩洞の中で引っかかり、その後潮吹き穴から噴き出す音は魔物の叫び声、潮しぶきは魔物の吐息だと言われるようになり今日にいたっているそうだ。

潮吹き穴から噴出された潮をカブって我に返ると夕暮れ時が迫ってきたころ合いを見計らってポイプ・ビーチパークに移動し潮吹きの景色を遠目に見ながらサンセットを満喫することにした。

FTBも世界各地で美しい夕日を鑑賞してきたのだが、ビーチを練り歩くニワトリ映えのするサンセットは世界でも類を見ない光景であるはずでマサにカウアイ島ならではの奇景ではないかと感心しながら見入っていた。

1月7日(日)
カウアイ島の有名な聖地のひとつであるシダの洞窟でかつてのハワイの王族や貴族の儀式をしのんでパワーをいただくつもりであったのだが、遊覧船ツアーが休止になっているようだったので次回訪問時に繰り越すことにした。

シダの洞窟を要するワイレア周辺は遺跡や伝説がたくさん残る地なので、まずは約20mの高さからふた筋に流れ落ちるオパエカア滝を眺めてリモートで体を清め、ワイルア川で邪念を流し去った。

カウアイ島最大の川であるワイルア川周辺は遠くポリネシアの島々からカヌーでやってきた人々が安住の地とした場所であり、当時は王や貴族がこの一帯を厳しく治めていた。そのためこの地域には歴史的にも興味深い遺跡や言い伝えが多く残っているのだ。

「陸の王者」の遺伝子を受け継いでいる私であるが、ワイルア川沿いには多くの聖地が点在しており、かつて「王者の道」と呼ばれ、王族や貴族階級、また、彼らの招待を受けた者しか通ることが許されなかったそうだ。

オパエカア滝の展望台を少し下った所にあるポリアフ・ヘイアウは高さ1m50cm、幅90cm程の石垣で囲まれ、島の先住民であるメネフネによって造られたと伝えられている。その目的はいまだに定かではないが、月に一度の夜、神々がここに集まりどんちゃん騒ぎをしていたのではないかと言われている。

ワイルア川にほど近いホロ・ホロ・ク・ヘイアウはカウアイ最古のヘイアウ(古代のハワイ人が建設した聖域のこと)で、ハワイでは珍しく、供え物は人類を犠牲として神に捧げていたと伝えられている。なるほどここから少し登った高台が墓地になっているのもそういう理由からであったのだろうか?

王者の道から普通の道に出て車を走らせ東海岸の遊歩道を歩きながら潮風を感じていると昨日訪れたハナレイから離れ(い)られない体になっていることに気づいたので再びノースショアに向かって行った。

道行く車中でこれぞガーデンアイランドという山紫水明を見出だし、容赦なく写真撮影を行いながら到着した場所はプリンスヴィルという高級リゾートタウンであったが、気軽に車を停められる雰囲気ではなかったのでそそくさと退散した。

ハナレイの広場にはいくつかのキッチンカーがいずれもきちんとした店構えで出店している。そういえば名産品のタロイモを食していなかったことを不意に思い出したのでTaroスムージーを高値で発注してみることにした。太いストローから直撃した冷媒による頭キーン状態で考えたことは日本にも古くから鬼のライバルであるPeach Taro,、海亀の自動運転で城に招待されたBack Island Taro、 マサカリをかついで熊を運転したGold Taro、ひと粒の米には7人の神様が宿っていると信じるドカベンYamada Taro、父親の目線がシュールなGe・Ge・Ge Goblin Taroが活躍していたことであった。

ハナレイにフィッシュマーケットが地味に営業していたので入ってみると、ここが米に海苔をまとった巻物の宝庫であることがわかったので高値で数本買って帰ることにした。切れ味鋭い包丁で食べやすい幅に切られた巻きずしをしつこいほどのラップでさらに巻き上げたものを手にBeach Clubへの帰路についた。

早速ベランダでスパイシーツナやホタテの太巻きをワサビを醤油に溶かしたソースと称するものに付けて食してみるとこれが想像以上の美味であったのだが、地元民が毎日食べるとなるとそれ相当のエンゲル係数は覚悟しなければならないはずである。

エンゲルを凌駕する「KAUA‘I‘ SPIRIT」に背中を押され、今日もポイプまで足を延ばした。

カウアイでも最高のビーチといわれるポイプ・ビーチパークはブギーボードやボディーサーフィンのメッカとして知られており、カウアイ島ではここの波打ち際が最も人口密度の高いエリアであることを示していたのだった。

1月8日(月)
同じ場所に5泊という滞在型リゾートの醍醐味を十分に味わうことが出来たMarriott’s Kauai Beach Clubを携帯のテキストメッセージの一言でチェックアウトするとリフエ空港のスターバックスでコーヒータイムを楽しんだ。飲んだコーヒーはハウスブレンド系の何の変哲もないものだったのだが、店を出る際に少し粉っぽさを感じてその方向に目をやるとそこにはコーヒーの王者であるはずのコナコーヒーがスターバックスのパッケージで鎮座していたのだが、カウアイコーヒーだったら買うわいと思っていたのでコナコーヒーを手に取ることはなかったのだった。

9:34発HA164便でホノルルに戻り、空港のANAラウンジでブランチを済ますと12:30発NH181便で成田への帰路についた。

1月9日(火)
午後4時過ぎに成田空港に到着し、車を預けたサンパーキングに電話を入れた後、即座に携帯の設定を機内モードに戻していた。世間は3連休明けの平日なのだが、仕事関係の電話を受けられるほど爆発した脳みそは回復していないだろうと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥138,300.- / passenger、ハワイアン航空 = ¥25,270.- / passenger
総宿泊費 $74.77 (TAXのみ)
総レンタカー代 $389.65
総ガソリン代 $61.21

協力 ANA、ハワイアン航空、ハーツレンタカー、Marriott Vacation Club

シン・FTB王道バカンス ハワイ オアフ島ツアー

アロハ ボンよ、ハワイ湯!?

というわけで、アフターコロナにもかかわらず、円安の定着により海外渡航客の戻り足が鈍く、航空会社もこぞってキャンペーンによる需要喚起に励んでいる今日この頃であるが、憧れのハワイ航路が♪ウエイクアップ デ・ザイヤ―♪を呼び起こす起爆剤になりうるかどうかを確認するためにオアフ島ツアーを開催することにした。

8月30日(水)
21:30発NH182便B700-300機は定刻通りに成田空港を出発した。機内映画のトップガン マーヴェリックを見ながらまだまだ若い者には負けられないという気概をあらたにしていると間もなくしてダニエル・K・イノウエ国際空港(旧名称ホノルル国際空港)に到着した。飛行時間はわずか7時間弱であった。

ハワイのさわやかな朝日を浴び、メラトニンを増やして時差ぼけを解消すると空港でタクシーを拾ってワイキキ方面に向かった。最初の宿泊先であるヒルトン・ハワイアン・ビレッジまでの道のりはわずか10km程度であったろうが、$50のタクシー代が重くのしかかってくるように感じられた。

12時半に追加料金を払ってアーリーチェックインをさせていただくとダイヤモンドヘッド・タワー上階のオーシャンビューの部屋のベランダに陣取り、おだやかな海に浮かぶヨットやボートをぼ~と眺めていた。

リゾートの敷地内にはヒルトン・ハワイアン・ビレッジの歴史を物語る年表や銅像も数多く設置されているのだが、1961年には映画「ブルーハワイ」の撮影でエルビス・プレスリーが宿泊した事実が大きな金字塔となっているようである。

約15年振りのハワイの雰囲気に酔いしれ、気が付くと昼飯を食いそびれていたので近場のアラモアナショッピングセンターに買う気もないのに足を運んでみることにした。

フードコートで高値のバーガー系のランチで胃袋を落ち着かせたのは良いのだが、ちょっとした日用品の購入の後、財布の中身を見てみると「アラ モぁ ナくなった」というセリフが思わず口をつくようにハワイで使うお金には羽が生えていることが実感された。

日も西に傾いてきた頃にヒルトン・リゾートの目の前に広がるデューク・カハナモク・ビーチを散策させていただいた。このビーチは国際的に有名な沿岸生態学者であるスティーブン・レザーマン博士(通称ドクタービーチ)が毎年選出する全米ベストビーチ・リストで、2014年にはアメリカのベストビーチに選ばれている由緒正しい砂浜である。

ビーチの内側には最新の水循環装置を備えた5エーカーの海水ラグーン、デューク・カハナモク・ラグーンが君臨し、サーフィンやカヌー等のアクテビティとは一味違う静かなひと時を過ごせる憩いの場となっている。

夕日に照らされるダイヤモンド・ヘッドを見送った後、予約なしで着席できたビーチフロントのトロピックス・バー&グリルにしけこんでディナータイムとなった。ハワイアンシーフードメドレーと和牛ブリスケを食させていただいたのだが、和牛にかかっている自家製バーベキューソースが市販品のA1ステーキソースと大差ない味である以外は非常にゴージャスな気分を味わうことが出来たのであった。

8月31日(木)
午前中の涼しげな気候につられて、おもむろにヒルトンを飛び出すとワイキキ・ビーチ方面に向かって歩を進めた。ビーチにはすでにリゾート客が繰り出しており、皆それぞれの出で立ちで小麦色のマーメイドを目指していた。

ワイキキのセンターとして不動の地位を確立しているロイヤルハワイアンセンターの数あるダイニングからアイランド・ヴィンテージ・ワインバーを選択し、ハワイアン系のプレートを発注して遅めの朝食を取ることにした。クレジットカード支払いによるチップは15%, 18%, 20%, 22%の言い値系選択制になっているもののハズキルーペの力を借りなければ細かい数字の確認が出来ないため、どうしても真ん中あたりに狙いを定めて☑マークを記入することになってしまうのだ。

ワイキキのメインストリートは巨大なショッピングセンターとしてブランド店の見本市と化しているので買う気がない私であっても購買意欲をそそられないようにANAが運営しているマハロラウンジにエスケープした。ANAのテリトリーということで心を許してくつろいでいたのだが、巨大ホテルブランドであるマリオットの回し者に$100をやる代わりにマリオットバケーションクラブ見学説明会への参加を勧められたので一本釣りされてみることにした。

マリオットとのアポ確定後、ヒルトンに戻ってプールサイドでくつろごうかと思ったのだが、どのプールや設備も芋洗い場と化しているようだったのでかろうじてアイスクリームを食すと一旦部屋に引き払い、体制を立て直して夕暮れ時に再びワイキキに舞い戻ってきた。

プーチンの影におびえることなく、カメハメハ大王と人気を二分するはずのデューク・カハナモク像にハワイへの帰還を告げるとしばしザ・ベンチャーズが奏でる電気ギターのテケテケサウンドの幻聴とともに波乗りジョニーや波乗りパイレーツを傍観した。

地元の画家の作品を数多く展示するギャラリーで絵になる男であるはずの長嶋一茂の幻影を一瞥し、エンタメディナーの鉄板となっているはずの鉄板焼き屋である「田中オブ東京」に入店した。先にマリオットから$100のバウチャーを授与されていたので夕食代にあてるべくANAトラベルに予約させておいたのだ。

ハワイカクテルの主流派であるはずのブルーハワイやマイタイで気分を高めると「田中」より技術を引き継いだはずの地元シェフによる鉄板用調理器具であるコテを使ったこてこてのパフォーマンスの幕が切って落とされた。ジャグリングの際にコテを落とした時は単なる小手先のパフォーマーかと思ったのだが、鉄板上での失敗にもテンパることなく見事に客のハートに火を灯したのだった。

9月1日(金)
チェックアウト時間ギリギリの11時までヒルトンで過ごした後、タクシーで空港まで移動し、ハーツレンタカーでKIAの普通車をレンタルした。ハワイは1年中温暖な気候でいつ来ても気軽にバカンスが楽しめるのだが、ワイキキ周辺の喧騒には辟易とさせられるので比較的人口密度の低いノースショアに移住するプランをあらかじめ組んでおいたのだ。

ノースショアのオールドタウンであるハレイワに到着すると、あたかも翼が生えたような♪バンザ~イ 君に会えてよかった♪的なテンションの高まりを感じた。そこにはウルフルズの代わりにBANZAI BOWLSの看板が掲げられており、朝のいい気分のうちに食すると思わず諸手を上げてしまうはずのメニューであるアサイー・ボウルがメインになっているので高値で発注してみることにした。

けたたましいミキサーサウンドですり潰したアサイースムージーの上には各種フルーツやナッツが盛り付けられており、カロリー消費量が激しいはずのサーファーの美容と健康にはうってつけの栄養食である。

ノースショアの海岸沿いの国道83号線の道路状況はスムージーとは程遠く、数回の地獄渋滞を乗り越えて今日から2日間お世話になるコートヤード バイ マリオットオアフ ノース ショアに到着した。ワイキキのリゾートホテルではないのにリゾートホテル並みの宿泊料と1日$20の駐車場代の支払いはFTBの財政を圧迫したもののこのマリオットグループでの宿泊が後日大きな恩恵をもたらせてくれたのだった。

ホテルの隣の広大な敷地でポリネシア・カルチャー・センターが圧倒的な存在感を誇っていたのだが、入場せずに軽く周囲を見学するにとどめておいた。それよりも近隣のスーパーやダイニングでの物品の相場の確認に余念がなかったのだ。

ビッグウエーブが押し寄せるサーフィンの聖地ノースショアは夏はベタ凪になると聞いていたのだが、ビーチにはそれなりの波がうねっており、地元住民の夕飯前の最適なエクササイズ環境が提供されていたのであった。

9月2日(土)
早朝よりローカルフードを提供してくれるはずの近隣のダイニングに寄ってみたのだが、人が並んでいるようだったので断念して再びハレイワに向かった。特に渋滞にも遭遇せずスムーズなドライブに気を良くしてBANZAI BOWLSでアサイースムージーを流し込んで朝食とした。

金銭出納には常に気を付けているつもりであるが、今回のツアーでは思わぬ物価高に見舞われ多額の出費を余儀なくされている中で、今後収支バランスを保っていく術を身につけさせていただくためにとあるパワースポットに向かった。

カイアカ・ベイ・ビーチ・パークと言う海に面した公園の中で車を停めるとおもむろにパックマンの強い引力に引き寄せられてしまった。

現地語でポハクラナイと呼ばれる伝説の岩は直訳すると「岩のベランダ」であるが、洗濯物も干せそうにないので通称バランスロックと呼ばれている。

この代物はハワイ先住民の故郷であるタヒチから流れてきて、霊力のある岩という言い伝えがあるので、不思議な力を有しているはずであろうことから投打のバランスにおいてはすでに伝説となっている大谷翔平選手も訪れ、パワーチャージした実績があるそうだ。

ちなみにハンバーガーの具になった心境を共有するためにマクドやモスの社員研修ツアーのコースになっているかどうかは定かではない。

パワーバランスの一端を垣間見た後、車は南に進路を取り、真珠湾を思い出すPearl CItyから西に切り込み、KO OLINAビーチを目指した。目的はむろんマリオットバケーションクラブ見学説明会に参加するためであった。

Valletパーキングに車を預けると颯爽と会場のコナタワーの14階に向かった。そこで出迎えてくれたセールスエグゼクティブのレディは勧誘ノルマを抱えているはずで♪きっとお前も悩めるマドンナ♪に違いないと警戒心が湧き上がった。

マドンナの説明によると目の前のラグーンは熊谷組が設計し、どんな嵐が起こってもビーチに高波が押し寄せることはないとのことであった。また、マリオットの敷地のとなりは広大な空き地となっており、ここで2014年に嵐15周年の野外公演が開催された実績まで誇っているという。

アイドルの所属事務所に嵐が吹き荒れている状況はさておき、マドンナが繰り出す条件は特にシャイな言い訳を仮面で隠している様子もなく、勧誘もさほど強引ではなかったのでいつしか前向きな検討段階に入っていった。通常であればマドンナの上司であるシニア・ディレクター登場による締めの特典をもって合意となるのだが、その前の段階、すなわち今回マリオットグループで宿泊している旅行者には無条件で1000ポイント贈呈するという殺し文句ですでにダイヤモンドヘッドのある東の山の方から♪いぃっそ エクスタシーィ♪ ♪強っく♪ ♪強っく♪というクライマックスの声が下りてきたような感覚を覚えていたのであった。

無事に契約書にサインを済ますと今日はリゾートの設備を自由に使ってもよいとのことだったので早速ロッカーで水着に着替え、ネズミ駆除のために放たれているマングースによって♪時を止めた楽園♪に導かれた。

♪とけて 魔性のリズム♪に体が支配されはじめたころリゾートを後にして帰路についたのだが、今後KO OLINAビーチがハワイにおける別荘の役割を果たすかどうかはFTBの匙加減にかかっているはずであろう。

ホテルへ帰る道すがらで海亀渋滞を引き起こすビーチに立ち寄ってみた。ハワイでは海亀をホヌと呼び、ノースショアのラニアケア・ビーチ付近はホヌが上がってくるため、その見学のために慢性的な渋滞が発生するとのことであった。幸か不幸かホヌは不在でその代わりにサーファーが波に上がっている姿を見て留飲を下げることが出来たのだった。

9月3日(日)
今回のツアーにてヒルトンからマリオットへの華麗なる転身を土産に空港へと向かった。空港で待っていたのは生身の海亀ではなく、フライングホヌと呼ばれる海亀文様をあしらった大型機であった。途中ハワイ出身の名野球選手であるウォーリー与那嶺のメモリアルで、お金を使いすぎた罪はDo not ウォーリーで問題ないとの啓示を受けたのでそのまま13:00発NH181便A380機に乗り込み帰国の途に着いた。

9月4日(月)
機内のオーディオプログラムで70~80年代の楽曲を聴きつつ、近年では仮面舞踏会は記者会見と同義語になってきていないかと訝りながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥106,180 / passenger
総宿泊費 $1,796.95
総タクシー代 $110
総レンタカー代 $127.8
総ガソリン代 $22.46

協力 ANA、ANAトラベル、Hiltonhhonors、MARRIOTT VACATION CLUB、ハーツレンタカー

FTB炎の離島デスマッチ 第?弾 in ラナイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!!

ということで、2004年8月にモロカイ島に上陸以来ハワイから遠ざかっていたのだが、ハワイ諸島にはまだFTBが足を踏み入れたことのない最後のパラダイスであるはずのラナイ島が残っていたので新型インフルエンザの脅威をものともせずに乗り込むことにした。

2009年5月21日(木)

午後8時50分発のNH1052便に乗り込むと機内エンターテイメントの映画で上映されている「感染列島」が厚生労働省の陰謀により上映中止に追い込まれていることを確認するまでもなく、酒をかっくらって不貞寝を決め込んでいると主演の妻夫木聡がつまはじきにされている感覚を気にすることなく午前9時過ぎホノルル空港に到着した。

空港で離島への飛行ルートと出発時間を確認した後、ハワイ唯一の公共交通機関であるThe Busに乗り込んだのだが、料金が前回来た時の$1.5から$2に値上げされている事実に愕然としてしまった。約40分程The Busに揺られてワイキキビーチに到着した。これぞハワイと思わせる抜けるような青空の下、観光客がバカンスに興じているビーチの砂浜に足を取られながらワイキキを仕切っているサーフィンの神様、デューク・カハナモク像にお参りをするとワイキキオンザビーチのシェラトン・プリンセス・カイラウニにしけ込んだ。

24歳という若さで早死にした薄幸のカイウラニ王女を偲んで建立されたシェラトン・プリンセス・カイウラニホテルを根城にしてワイキキエリアをさまよっているとお約束のハワイアンソングとフラダンスのショーに遭遇した。将来は優秀なアグネス・ラムになれる資質を持っているはずのダンサーの踊りは一曲ごとのスローソングの間の休憩を交えながら道行く観光客の目を釘付けにするほど優雅に展開されていた。

夕暮れ時のワイキキビーチは、沈みゆく太陽とサンセットサーファーやクルーズ船のシルエットで幻想的な雰囲気を醸し出し、ホノルルの夜の誘惑の前のひと時が華麗に彩られているのだった。

5月22日(金)

昨晩インターネットでラナイシティ行きのチケットを購入したIsland Airのプロペラ機は午前10時25分にホノルル空港を飛び立ち、30分後には切り立つ断崖絶壁を超えてラナイ空港に到着した。ホテルからの送迎を断り、3マイル程の道のりをラナイシティに向かって歩いていると5台程の車に逆ヒッチハイクの声をかけられ、この島のアロハスピリッツを十二分に感じることが出来た。

ラナイ島は別名「パイナップル・アイランド」と呼ばれているようにかつては広大なパイナップル畑が広がっていたのだが、その名残は随所に残っている。ノーフォーク松の並木が美しいラナイシティにドール・パークがあるのだが、これはパイナップル・プランテーションにより島を開発しやがったジム・ドールにちなんだものだ。

ハワイ最後のパラダイスの異名を持つ素朴な島であるラナイ島にはリゾートはいラナイと考えられてきたのだが、今ではFOUR SEASONS RESORTが沿岸部と内陸部に2軒のリゾートホテルを高値で展開している。そのうちのひとつであるFOUR SEASONS RESORT LANAI THE LODGE AT KOELEに12時過ぎにチェックインすると今日は島の探索には繰り出さずにホテルの敷地内でリゾート気分を満喫させていただくことにした。

ホテルのロビーには暖炉と高級家具調度品が並び、一歩庭園に踏み出すと眩いばかりの緑の芝と鯉が人恋しそうに寄ってくる池や東洋風のオブジェがバランスよく配されている。また、近くの森から鹿の群れが舞い込んできて1頭の小鹿が植物を保護している網の中に迷い込んでしまい、脱出しようとその抜群の跳躍力を駆使してもがいた挙句とうとう網の隙間から逃げ出す現場を目撃してしまった。

5月23日(土)

今日はホテルでマウンテンバイクをレンタルし、満を持して島の探索に乗り出すことにした。ホテルの近くの牧場を抜け、舗装されていない赤土道をケツの痛みをこらえながら10kmほど進むと次第に神々しい雰囲気に包まれることになる。神々の庭園と呼ばれる幻想的な場所はマサに静寂に支配された神が舞い降りる空間で赤土の台地に大小さまざまな巨石が転がっている。庭園はもはや水平線の見分けが付かないほどの青い海まで続き、その先にはマウイ島がぽっかりと浮かんでいる絶景に誰もが時間の感覚をすっかり無くして見入ってしまうのだ。

神々しいほどの静寂を打ち破るように鹿の群れが突然姿を現すと人間を避けるかのようにあっと言う間に遠ざかっていったのを見て現実に引き戻されるとそれがラナイシティへの帰還の合図となった。赤土道を引き返し、一端ラナイシティに立ち寄るとさらにマウンテンバイクを転がして島南部のマネレ・ベイを目指すことにした。

マネレ・ベイに向かう道はほぼ下りのため、5マイルもの長距離をカエルが干からびる程の炎天下にもかかわらず短時間でFOUR SEASONS RESORT MANELE BAYまでは到着することが出来たのだが、急勾配の帰路を考えると海辺のマリーナまで行くことは命取りになりかねないため、そこから渋々引き返すことにした。高台から真っ青な海を脳裏に焼き付けた後、ケツの痛みが限界を超えているためチャリを押して果てし無く続く登り坂を歩くことにした。体中の水分を全部出し切ったにもかかわらず脱水症状を回避出来る能力を持つ私は何台かの逆ヒッチハイクのオファーを受けることを潔しとしなかったのだ。

勾配がピークを過ぎ、ケツの痛みも和らいできたので再びチャリにまたがり、午後4時前には何とか生きながらえてラナイシティに帰還することが出来た。島内で唯一のガソリンスタンドのマーケットにてゲータレードでの水分とイオンの給油により人間性を取り戻すことに成功したのでホテルに帰り、空港行きのシャトルが来るまでホテルの従業猫と一緒にしばし風に吹かれてくつろいでいた。

午後7時30分発のIsland Airプロペラ機でラナイ島を後にし、30分後にはホノルルに到着した。The Busに乗ってワイキキに戻り、定宿のシェラトン・プリンセス・カイラウニにチェックイン出来たのは午後9時を回っていたため、カラカウア・アべニューのストリートパフォーマンスが午後10時に終了しなければならない現実を確認した後、ホテルの26階の部屋に引き上がり、しばしホノルルの夜景見物と洒落込みながらホノルルでのラストナイトを満喫した。

5月24日(日)

早朝窓から差し込んでくる朝日でさわやかな目覚めを迎えるとベランダからワイキキビーチの朝の営みを見下ろしていた。カラカウア・アべニューではジョギングする人々が行き交い、海上ではモーニングサーファーが渋滞していない波の上で存分に技術を磨いていたのだった。

The Busでホノルル空港まで戻り、免税店をスルーして午前10時35分発NH1051便の機上の人になる。機内で「ダーティー・ハリー」をはじめ洋画3本を見たのだが、最後に「感染列島」の行く末が気になってのでチャンネルを合わせてみると問題なく上映されている事実が確認出来たので新インフルエンザに対してはもはやナーバスになる必要はないと感じられた。

機内で配布された検疫質問票の「最近北米に行ったことがあるか」と言う質問に対して「No」と回答させられたことからハワイは北米ではないことに気づかされた。

5月25日(月)

午後2時過ぎに成田空港に到着。検疫で2秒くらい足止めを食らった後、流れ解散。

総飛行機代  ANA = ¥29,510, Island Air = $148.10

総宿泊費  $551.37

総The Bus代  $6.-

総タクシー代  $35.-

協力 ANA、Island Air、Starwood

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in サイパン

ハファダイ マサよ!

ということで、2月のサイパンの風物詩となった大阪近鉄バッファーローズが誇るいてまえ打線の打撃音は合併球団オリックス・バッファローズの誕生によりもう響かなくなってしまう。猛牛中村紀洋は遠く大リーグに渡ることになり、大阪芸人のタフィー・ローズはすでにジャイアンツの軍門に下ってしまい、いてまえ打線もどっかにいってまえと在阪野球ファンの断末魔の叫びが聞こえてきそうな今日この頃である。このような状況を鑑みて日本からわずか3時間のフライトで常夏気分を満喫することが出来るサイパンの実力を再確認し、楽天野球団のキャンプ地として売り込むためにわざわざ調査に乗り出すことにした。

12月9日(木)

ノースウエストのマイレージが余っていたのでマサであっても3~4万くらいしかかからないところを私はただで入手していたサイパン行き往復E-Ticketを手に成田空港第一ターミナルに乗り込んだ。ANAやスターアライアンスの便であれば三顧の礼のVIP待遇で迎えられる私もノースウエストでは凡人に成り下がっている手前、通常のエコノミーカウンターで軽くチェックインすると早速午前10時35分発のNW76便、B747-200機に登場し、機内でスパイダーマン2を見ながら、一路サイパン国際空港を目指していた。

午後3時前にサイパン国際空港に到着し、入国、通関を済ませて外に出ると12月の東京とは打って変わっていきなり28℃の熱気に包まれてしまった。北マリアナ諸島特有の熱帯性熱帯気候に体をなじませるためにタクシーで$30くらいかかるホテルまでの道のりを徒歩で向かうことにした。島の南部に位置する空港からサンホセという海辺の町に出るとそこから海岸沿いに美しいビーチロードの遊歩道が続いていた。ここから見るサイパンの海は遠浅のエメラルドグリーンでそのむこうにある深い海には大型の船舶が何隻か停泊しているのが確認された。

わずか12~13kmの距離を2時間ほど歩いて午後5時過ぎにはガラパンというサイパン最大の繁華街に足を踏み入れることになり、思わず自分のパンツのガラを確認しないではいられなくなってしまいながらも何とか予約しておいたハファダイビーチホテルにしけこむことに成功した。現地語で「こんにちわ」を意味する「ハファダイ」という言葉をホテルの冠名にしているこのホテルはサイパン最大の規模を誇り、白砂のマイクロビーチのオンザビーチにありながら、玄関前にはDFSギャラリアが構えているという絶好のロケーションを持つ総合レジャーリゾートである。部屋はすべてビーチに面していたので、今夕は7階の部屋から水平線に沈む太陽を眺めながら郷愁に浸らせていただくことにした。

12月10日(金)

早朝よりホテルの前に広がる白砂のマイクロビーチを散歩していると原住民系のビーチレジャー客引きが「今日は何するの?」と次々に声をかけてくる。軽く彼らをかわしながら同じビーチサイドに建つ第一ホテル、ハイアット・リージェンシーホテルのプライベートビーチを抜けてアメリカ記念公園に紛れ込んだ。この公園には第二次世界大戦における、アメリカ軍の犠牲者の慰霊碑のモニュメントが建立されており、緑豊かなビーチ沿いでは散歩やバーベキュー等を楽しむことが出来るようになっている。

ガラパンのダウンタウンのはずれに北マリアナ諸島歴史・文化博物館($3)がかつての日本病院跡の立地にひっそりとオープンしていたのでサイパンの秘められた歴史を解明するために入場してみることにした。ここには約400年にわたって北マリアナ諸島で生活する人々の遺物が数多くの展示品として公開されていた。特に1638年に沈没したスペインのガレオン船コンセプシオン号から引き揚げられた、金、陶器、貴金属装飾品は高い評価を受けている収蔵品である。また、第一次世界大戦後、日本の統治時代が長いこともあり、砂糖王として原住民から尊敬されている松江春次に関する資料やビデオも放映されているのであった。

その砂糖王を記念する公園が博物館の向かいにその名もSugar King Parkとして君臨していたので見物させていただくことにした。南洋興発(株)を率いてサトウキビ栽培と精糖を北マリアナ諸島の一大産業に育て上げた松江春次の銅像は太平洋戦争時にこの地に上陸したジェネラル・マッカーサーにして「松江の銅像は倒すな!」と命令されたほど威厳の高いものであったそうだ。

砂糖王が醸し出した甘い余韻に浸りながら午後のひとときを海をボ~と眺めながら過ごした後、ホテルのビーチ沿いで煙を出している鉄板焼きレストランパラパラでステーキ&ロブスタースペシャル($35)を夕食の肴として心地よい南国の夜をふかしていった。

12月11日(土)

韓国人系で日本語を話すレンタバイク屋で250ccのスクーターをレンタルすると景勝地の多い島の北部へ乗り出すことにした。緑豊かなマッピ山の崖下にバナデロという戦跡地が通称「ラスト・コマンド・ポスト」という名称で多くの観光バスを集めていたので立ち寄って見た。ここにある洞窟状のくぼみをコンクリートで補強したトーチカは日本軍最後の司令部であり、生々しい砲台の跡や破壊された戦車等が残っており、それらの遺品は当時の戦況の激しさを静かに物語っていた。

サイパンのワン・オブ・ザ・ベストの景勝地としてイスレタ・マイゴ・ファハンと呼ばれるバードアイランドの展望所がある。海鳥たちのサンクチュアリとなっているバードアイランドの周辺の海の色はサファイアブルー、ネイヴィーブルーがブレンドされた美しいハーモニーを醸し出しており、中国人団体観光客の一大記念撮影スポットとなっていた。

標高249mのマッピ山の北側は切り立った断崖となっており、通称スーサイド・クリフと呼ばれている。現在平和を祈る観音様を祭ってあるこの地は戦争当時はアメリカ兵の投降の呼びかけに応じることを潔しとしない多くの日本人が身を投げた悲しい場所なのであった。

美しい海に囲まれたサイパンには多くのダイビングスポットがあるのだが、その中でも人気ナンバーワンスポットとしてグロットが君臨している。リアス式海岸状に削られた島北部のマドック岬の崖下の駐車場にバイクを止め、さらに急斜面の階段を100段ほど下るとアーチ状の天井を持つ洞窟に到着する。ここは天然のプールになっており、水中では3ヶ所の横穴で外洋とつながっている。外洋から横穴に差し込む光が水面に反射し、洞窟の奥には神秘的なブルーの空間が広がっている。ここには重たいボンベを抱えたダイバー達が次々と降りてきて海の中に消えていったのであるが、アワビやウニやサザエを取るときしか潜らないことにしている私はなすすべもなく見守るしかなかったのであった。

12月12日(日)

マサよ、君はバンザイ・クリフという断崖から「天皇陛下バンザイ」と叫びながら身を投げた婦女子や老人たちに思いを馳せてむせび泣いたことがあるか!?

ということで、サイパン北部でくしくも日本に一番近いサパネタ岬とラグア・カタン岬の間の断崖は通称バンザイ・クリフと呼ばれており、1944年7月7日に決行された日本軍最後の玉砕突撃の翌日に追い詰められた弱者が米兵の制止の声を振り切って次々と80m下の太平洋の荒波に身を投げた場所である。この場所には戦没者の霊を慰める白亜の太平洋の塔と観音像がひっそりと建っており、おもわず手を合わせずにはいられない観光スポットとなっているのだ。

午後4時55分発NW75便にて帰国、定刻より早い午後7時前に成田に到着し、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 \2,310(税金のみ)

総レンタスクーター代 $25

総タクシー代 $30

総宿泊費 \23,700

*サイパンだ!観光情報

  サイとパンダをかけあわせたサイパンダという動物がサイパンで幅を利かせていやがっている。観光バスにさえ、フロントに角を生やしたサイパンダバスが多くの無邪気な観光客を観光スポットに送り込んでいる様が目撃された。当然DFSギャラリアにもサイパンダコーナーが一席設けられており、ぬいぐるみ等のグッズが高値で取引されていた。

次回はドゥオ~モFTBEUイタリア~ノが発生する予定です。

協力: ノースウエスト航空、サイパンのレンタバイク屋

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in モロカイ島

アロハ マサよ ハワイ湯!?

ということで、裏の仕事の出張の移動の隙間を利用してFTBはハワイの島々の中でも「根っからのハワイ」と言われているモロカイ島の探索に乗り出す機会を得ることになったのだ。

2004年8月6日(金)

♪Love is the mistery わたしをよ~ぶの~、愛はミステリー~、不思議なち~から~で~~~~~♪と中森明菜よろしく成田空港第一ターミナルの北ウイングから午後7時55分発UA866便に搭乗すると7時間20分程度のフライトでホノルル国際空港に到着した。順調に入国を果たすと空港内の離れのビルに位置しているアイランドエアーのターミナルに移動し、午前10時10分発のモロカイ島行きの便への搭乗に備えていた。アグネス・ラム系の地元添乗員が笑顔で迎えるDHC-8型プロペラ機に乗り込むと30分程度のフライトでモロカイ空港に到着することに成功した。

アロハスピリッツに溢れたホスピタリティで対応するダラーレンタカーの空港窓口でクライスラーのネオンをレンタルすると早速島内の散策に乗り出すことにした。ハワイの原風景と言われている開発がなされていない原野を抜け、島の東部にフラダンス発祥の地と言われているモロカイランチという牧場系ロッジファシリティがある地域を軽く車で流し、その後今回の宿泊地に指定された島の南部のリゾート地であるMarc Molokai Shoresにチェックインを果たすことにした。3階建てのリゾートコンドミニアムの様相を呈したMolokai Shoresの3階最上階に入室すると設備は自炊系のファシリティの他に部屋の中の階段を上がると2つのベッドが設えられている屋根裏部屋もあり、楽に4人が宿泊出来るような体制が取られていた。さらにオーシャンビューのベランダからはラナイ島の姿もクッキリと目にすることが出来るのだ。

夕暮れ時に島の北部にあるカラウパパ展望台から隣の秘境カラウパパ半島を眺め、さらに軽く林状のトレイルを歩くとファリック・ロックという高さ2mほどの男根系奇岩が出現した。子供に恵まれない女性が触れると希望通り子宝を授かるという伝説を持つこの石はマサに少子化社会には朗報となる代物であろう。

モロカイ島唯一の町であるカウナカカイにあるフレンドリー・マーケットというスーパーで食料品を買い込み、部屋の電子レンジで夕飯の支度をするとなぜかハワイで放映されている巨人・阪神戦とキカイダー・ゼロワンを見ながら暑い夜を更かしていったのであった。

8月7日(土)

冷房がないため、扇風機をぶん回しながら暑い夜を明かした後、テラスから美しい海とラナイ島の景色を眺め、ながら早朝の優雅なひと時を過ごしていた。室内のソファーでまどろんでいるとどこかしら水が流れる音が聞こえてきた。この宿泊地のファシリティでは決まった時間にスプリンクラーが作動するので多分どこかで放水しているのだろうと別に気にもとめずに1時間ほどうとうとしていたのだが、その水の音はやけに近くに聞こえ、なかなか止まらないのでおかしいと思い、音源に近づいてみるとなんと水洗トイレのタンクの下部にクラックが入りそこから止めどもなく水が流れており、フロアが水浸しになってしまっていたのであった!早速フロントに殴りこみ、メンテナンスの業者を来させるということになったのだが、浮世よりもゆっくりと時間が流れるラナイ島では業者が来るのに2時間を要してしまったのであった!!

タンクが取り替えられて、水漏れの恐怖を克服すると気を取り直して島の西部の秘境ハワラ渓谷までドライブすることにした。Molokai Shoresからハワラ渓谷への道はすばらしいドライブコースが展開されており、きれいな海を眺めながら進んでいるうちに道はいつしか車が一台しか通れないほど狭くなっていた。さらにいくつかの急カーブを通過すると不意に美しい湾やビーチの絶景が広がってきた。ハワラ湾に下り立つとそこは原住民がサーフィンやボディボードと戯れており、その後ろにそそり立つ崖は北海岸に沿って続き、モロカイ島のダイナミックな景観を造り上げ、マサに秘境と呼ぶにふさわしい眺めを提供していたのだ。

島の東北部の沿岸にカルアコイ・リゾートというマリン・リゾートやゴルフ場が展開されているリゾート地が君臨していたので後学のために見物に行って来た。土曜日の午後ということもあってか、ビーチ沿いのピクニックエリアでは原住民がのんびりと海水浴や日光浴、飲食を楽しんでいた。

8月8日(日)

午前9時15分のフライトでモロカイ島からホノルルに帰ってくると早速ダラーで先ほど返したばかりのネオンをレンタルし、ハワイで最も優秀な学生が集まると言われているハワイ大学に行ってみることにした。夏休みのため、キャンパス内は人気も少なく、見るべきものがなかったため、適当にハワイ大学をスルーしてダイヤモンドヘッド州自然記念公園($1)に向かうことにした。ダイヤモンドヘッド山頂に到着するためには山道入り口から山頂までの距離にして1.1kmの過酷な岩山と暗いトンネル、急な階段を猛暑の中徒歩で進まなければならない。しかし、その過酷な山道を制覇した先にあるものはこの世のものとは思えないほどすばらしいワイキキビーチの遠景とダイヤモンドヘッドクレーターの全貌等の景色であったので足腰の弱い日本人観光客も息を切らし、汗だくになりながらも何とか頂上にたどり着こうと必死にもがいていた。

ダイヤモンドヘッドを下山し、車の中で水からお湯に変貌を遂げている液体を飲み干すと島の東海岸沿いのすばらしい景色を眺めながらドライブと洒落こむことにした。ブルーハワイの象徴と言われている島東部のハナウマ湾は駐車場の交通規制のために入ることが出来なかったため、その先のView Pointに車を停めて東海岸を見渡して見るとやはりこのあたりがハワイで一番海が美しいところであると再確認させられた。

さらに車を転がし、サーフィンのメッカであるノースショアからサンセットビーチに向かったもののシーズンは9月半ばから始まり、それまでは高い波も来ないため、北部沿岸は普通の静かな海水浴場に成り下がっているだけであった。その後島の南部に下り、今日の宿泊先である空港近くのベストウエスタンホテルにチェックインすると夕暮れ時のワイキキに繰り出すことにした。夏休みのワイキキはおびただしいほどの日本人観光客で多少湘南海岸化現象を起こしているもののマリオットホテルの前では華やかなフラショーが繰り広げられており、やはりここは世界最高レベルのリゾート地であることを否が応でも思い知らされたのであった。

8月9日(月)

午前7時発UA58便にてサンフランシスコへ向かい、不本意ながらここから裏の仕事モードへ・・・・

FTBサマリー

総飛行機  ¥19,760

総宿泊費  $359.85

総レンタカー代  $223.02

総ガソリン代  $13.21

次回は待望の第2回カンガルーといっしょに地球環境問題をカンガェルーツアー in オーストラリアをお届けする予定です。

協力 ユナイテッド航空、ダラーレンタカー, Symantec Corp.

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in カウアイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!?

ということで、すっかりおなじみとなったフレーズで始まるFTBハワイシリーズも今回で早くも4回目を迎え、オアフ島、ハワイ島、マウイ島に続き、今回はカウアイ島に上陸する運びとなった。

2004年5月27日(木)

午後8時45分発ANA1052便に搭乗すべくチェックインカウンターに到着すると受付のおね~ちゃんに無条件アップグレードを告げられ、平然と「あ~そうですか?」と答えていたのだが、心の中ではガッツポーズとともに日本バレーボールナショナルチームを応援するジャーニーズ事務所のNEWSの歌とともに「ニッポン、チャ、チャ、チャ」コールが渦巻いていたのを誰も知る由はなかったであろう。

7時間少々のフライトでホノルル空港に到着するとInter Islandのアロハ航空のカウンターにすばやく移動して午前11時発カウアイ島リフエ空港行きのB737機に乗り込み、25分程度のフライトを経て晴れてカウアイ島に上陸することに成功した。空港で真紅のポンティアック2ドア小型車をレンタルすると早速リフエ市内にあるカウアイ博物館($7)に向かい、まず最初にロマンあふれるカウアイ島の研究を行うことにした。カウアイ島はハワイ8島のうち、最初の火山活動で出来た島であり、数多くの歴史と伝統が残されているのだが、この博物館には6000年前から19世紀までの島の歴史がわかる科学的な資料が展示されているのだ。

カウアイ博物館で島の歴史と全貌をインプットした後、ポンティアック車は島の西部に向けて進路を取った。島のほぼ中央にそびえる標高1569mのワイアレアレ山を中心として起伏の激しい地形が織り成す山々の峰を眺めながら快適にドライブしていると車は西海岸のどんつきにあたってしまったのでそこから引き返して今回の宿泊先であるシェラトンカウアイリゾートに向かうことにした。カウアイを代表するリゾートコストであるポイプ海岸は島の南部に位置しており、気候も安定しているので数多くのリゾートホテルが軒を連ねている。1992年にカウアイ島を襲ったハリケーン・イ二キによる壊滅的なダメージから長らく営業を中止し、97年12月にリニューアルオープンしたシェラトンカウアイリゾートはポイプ海岸のほぼ中心地をプライベートビーチとしておさえており、朝日も夕日も鑑賞出来る絶好のロケーションで観光客はビーチリゾートを満喫出来るような構造になっている。また、毎日夕方5時~6時にかけてサンセット・マイタイ・パンチ・アワーと称してハワイアンソングとフラダンスのライブを見ながらハワイのトロピカルカクテルであるマイタイが無償で振舞われ、リゾート客は夢のようなひと時を過ごさせていただくことが出来るのだ。また、後半の時間はリクエスト可能になっており、財務官僚OBが民間人より高い年金をもらっている事実を一般人から攻められているはずのマサであれば日本が誇るウクレレシンガーである牧信二の♪あ~あ、あ、やんなっちゃたぁ、あ~あん、あ、おどろいた♪をリクエストしていたはずであったろう。

5月28日(金)

マサよ、君は太平洋にグランドキャニオンが存在することを知っているか!?

島の西海岸にあるワイメアはキャプテン・クックがハワイを発見し、最初に上陸した地として有名である。恐る恐る上陸したクック一行は以外にも桜田淳子の歌のように♪よ~こそここへクック、クック♪と大歓迎を受けたそうだが、その理由は何本もマストのある船が原住民の予言書に出てくる「高い木のある動く島」に似ていたためだったそうだ。

ワイメア町から550号線の山道を7~8kmほど上るとワイメア渓谷展望台に到着した。マーク・トウェインが「太平洋のグランドキャニオン」と名づけたこの光景は風雨や流水で削られたさまざまな色や形の山肌が織り成す大地の彫刻と呼ぶにふさわしい代物であった。ワイメア渓谷展望台からさらに上り、550号線の終点のカララウ展望台の標高1200mの展望台からカウアイ島の優雅な山並みと太平洋のハーモニーを堪能した後、コケエ州立公園のコケエ博物館の周辺の芝生でコケエコッコと放し飼いにされているニワトリを追い回しながらゆったりとした時を過ごしていた。

島の西部のワイメア州立公園を思う存分堪能させていただいた後、今度は一転して東部に位置するワイルア州立公園まで移動することにした。島の東海岸に注ぐワイルア川周辺は、太平洋を渡ってきた人々が最初に住みついた場所でハワイ先住民のふるさとと言える。「王者の道」と呼ばれる580号線を上るとオパエカア滝という約20mの高さから流れ落ちる滝の眺望も目にすることが出来る。

5月29日(土)

シェラトンカウアイリゾートをチェックアウトするとポイプビーチの西のはずれにある潮吹き穴に向かった。ここは溶岩のトンネルに波が流れ込んで、岩場の穴から潮水を吹き上げると同時に、別の穴から空気を押し上げ、「シュー」という豪快な音をたてて観光客を喜ばすスポットである。

その後ポンティアック車は海岸線東回りの56号線でノースショアを目指した。島の最北部のハエナというところから車は通行できなくなってしまったので、適当に車を止めてあたりの散策に乗り出すことにした。そこはマサに隠れ家的な美しい白浜のビーチになっているはずが、駐車しきれないほどの車と海水浴客で賑わっていた。白浜から山を見上げると断崖絶壁の岩山沿いに北部の奥地に存在する数々の秘密のビーチにアクセス出来るトレイルが延びていたので1時間ほど歩いてみることにした。眼下に展開されるエメラルドグリーンの海はマサに未開発のオーシャンであり、ボ~っ波の音を聞きながら海を眺めているだけでも蓄積された疲労が癒されていくのが実感されるのだ。

カララウ展望台という南国のエデンの園のようなタロ芋畑を見下ろすことが出来るスポットからただただ美しい眺望を見物した後、プリンスビルというリッチなリゾート地域に紛れ込むことにした。ここにはアメリカの雑誌「ゴルフマガジン」でハワイ州No.1のコースと評されたプリンスコースがあり、総大理石作りのレセプションホールもまぶしいプリンスビルホテルには世界各国から金持ちのリゾート野郎が集まって散財していく人間模様を目の当たりにすることが出来る場所となっている。

キラウエアポイント国立野生動物保護区($3)というキラウエア灯台を中心とした崖っぷちに広がる海鳥たちの営巣地およびイルカや鯨等の海洋動物を双眼鏡で見学出来るファシリティから渡辺真知子系の口びるの大きい♪かもめがとんだ♪瞬間を見上げていると誰かがイルカを発見したらしいので早速双眼鏡を借りて眺めていたのだが、当然のことながら背中に城みちるは乗っていなかった。

ということで、アロハ航空の最終便にてハワイでもっとも景観の美しいカウアイ島を後にし、夜8時半頃ホノルル空港に着陸し、そこからThe Bus($2)にてワイキキ方面に向かった。ワイキキの入り口のDoubleTree Hotelに到着するとちょうど小腹が空いたのでワイキキビーチの近くで営業している「めちゃんこ亭」というラーメン屋でとんこつラーメンを発注したのだが、なんとここでは「笑点」にてさんざんまずいと宣伝されている喜久蔵ラーメンがOEM供給されていることが確認された。

5月30日(日)

早朝よりワイキキビーチの散歩と洒落込み、朝日に照らされるダイヤモンドヘッドと波に飲まれている朝練サーファーを見物した後、The Busにてホノルル空港に帰っていった。ANAのカウンターにてチェックインを試みると何と単にたくさん乗っていただいているという理由でまたもアップグレードされてしまったので軽く「ありがとう」と言いながらも心の中では♪ノース! イースト! サウス! ウエスト♪とNEWSの歌のリズムが軽快に刻まれていた!

天国に近い島カウアイ島

*ニワトリ天国カウアイ島

カウアイ島ではいたるところでニワトリが放し飼いにされており、人間がえさを与えるそぶりを見せると何と数10m先から羽を広げて飛んでくる光景も珍しくない。マサにニワトリ天国と呼ぶにふさわしい島なのだが、実際に車に轢かれて天国に直行しているニワトリも後をたたないのである。

*ヤシの木天国カウアイ島

カウアイ島では4階より高い建物の建立が禁止されている。それは成長したヤシの木の高さがビルの4階と同じくらいの高さになるからだ。

*リゾート天国カウアイ島

STARWOODのWEBサイトで予約したシェラトンカウアイリゾートであったが、チェックアウト時のBillの中に1泊につき$23ほどのリゾートチャージなるものがおどっていたので今後は心してリゾートに励もうと誓った次第であった。

*映画撮影天国カウアイ島

カウアイ島北部は数々の美しい風景を持っているため、絶好の映画撮影のロケーションとなっている。これまでにも「ジュラシックパーク」や「ジュラシックパーク2」等の幅広いジャンルの映画のロケ地となった実績を持っているのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 \62,300

総宿泊費 $612.77

総レンタカー代 $114.37

総ガソリン代 $31.25

総走行距離 402マイル

総The Bus代 $4

協力 ANA、アロハ航空、ハーツレンタカー

筆者プロフィール(総統の部屋)

好きな食べ物: たこ焼き、ソフトクリーム

好きな歌手: 桜田淳子(統一教会に入る前)

好きなスポーツイベント: バレーボール国際大会(ジャニーズ事務所の新人の前説付き)

好きな官公庁: 財務省

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in マウイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!!

ということで昨年末にハワイ島を制覇し、カメハメハ大王にもその実力を認められつつあるFTBであるが、今年はさらに近隣諸島を制覇すべく活動を開始した今日この頃である。ところで丸井の立地条件は駅のそばというのが定番であるが、マウイはハワイ島のそばに位置している。ところがマウイ島はマルイ島ではなく、火山活動により2つの島がくっついて形成されたひょっこりひょうたん島なのである。

2003年2月7日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば6~7万かかるところを私はただで成田-ホノルルの往復航空チケットを手に入れていた。トロピカルなリゾッチャ紋様を機体にあしらったB747-SR/LR機、JL074便は定刻21時45分に離陸すると6時間程度のフライトで午前9時半頃にホノルル空港に到着した。約2時間後にアロハ航空マウイ島カフルイ空港行きの島内便に乗り換えると正午過ぎには念願のマウイ島に上陸することが出来た。

JCBトラベルに次いでFTBの子会社として認定されつつあるパシフィックリゾートに日本で予約させておいたハーツレンタカーを空港でピックアップすると早速島の内陸部に向かって闇雲に車を走らせることにした。気が付くとSouth Mauiと呼ばれる沿岸部を走っており、マウイ島の新しいリゾート地帯であるワイレアから再び北上してビーチやゴルフ場、ホテル、コンドミニアムが連なるキヘイに到着した。

今回の宿泊地であるパシフィックリゾートに予約させておいたキヘイの入り口近くにあるMaui LUというリゾートホテルにチェックインし、2,3時間意識を失った後にWest Maui方面へのドライブに出発した。West Mauiの沿岸部には古き良き時代をしのばせるラハイナという町や史上最強のリゾート地であると言われているカアナパリ等のビーチリゾートが連なるように続いている。ところがリゾート地帯を抜けるとあたりは一変して土砂崩れの起こりそうな崖と海沿いの狭いクネクネ道が待っていた。しかし、熱帯雨林と青い海、青い空のハーモニーは絶景であり、これぞマウイ島の大自然の醍醐味であると思い知らされたのだ。

2月8日(土)

税金を使ってサンフランシスコに在住していた当時、ヨセミテを5回ほど見物したことがあるマサよ、君は太平洋にもヨセミテに匹敵する渓谷が存在することを知っているか!?ということで、文豪マーク・トウェインにして太平洋のヨセミテと言わしめたイオア渓谷州立公園に朝も早よから足を運ぶことにした。West Mauiの内陸部には古代からの火山活動と雨や風による浸食により、深く入り組んだ渓谷が形成されている。特にイオア渓谷の中でもイオア・ニードルと命名されている針のような尖峰は熱帯雨林の深い緑と青い空にマッチしており、神秘的な雰囲気を醸しだし、観光客を惹き付けてやまないオブジェとして君臨しているのだ。

お昼時にラハイナに立ち寄り、ノスタルジックなオールドタウンを散策することにした。ラハイナはカメハメハ大王の時代にはハワイの都だった町でその後は捕鯨基地として賑わい、捕鯨ブームが去った後はサトウキビのプランテーションで栄えた町であり、今では国立歴史保護地区の指定を受けて手厚い保護を受けているそうだ。

マウイ島観光のハイライトとしてハレアカラ・クレーターが君臨しているので午後から、ハレアカラ国立公園($10.-/car)に向かうことにした。ハレアカラとはハワイ語で太陽の家という意味で、標高3,030m、周囲約34kmのクレーターを持つ世界最大の休火山である。頂上まではレンタカーでもアクセス出来るので多くの観光客が寒さをこらえながら神秘的な色合いのクレーターとマウイ島全景の眺望を楽しんでいた。頂上からは80マイル南に位置するBig Island(ハワイ島)のツインピークスであるマウナケアとマウナロアが雲の上に突き出ている様子も垣間見ることが出来る。

また、頂上には天体観測のファシリティもあり、数多くの巨大天体望遠鏡が設置されていた。さすがに太陽の家にふさわしく頂上からのサンセットは神々しいおももちであり、天体観測とセットになった現地ツアーの参加者が皆同じ色の防寒具を着て涙(鼻水?)ながらにオレンジ色に輝く水平線の光景を目に焼き付けていた。

2月9日(日)

昨夕のハレアカラのサンセットの光景が目に焼き付いて離れないので今日は朝5時半に起床して再びハレアカラの頂上を目指すことにした。ハレアカラへの道は距離にしてわずか40マイル弱であるが、378号線あたりから勾配がきつくなり、急カーブの連続となるわけであるが、昨日のドライブの実績により、推定到着時刻を分刻みで計算していた私はサンライズの1分前にはクレーターの展望所に到着する予定になっていたのだ。しかしながら時差ぼけで体内時計が狂っていたせいか、私が到着した時間はなんとサンライズ後1分ほどの時間帯であり、丁度観光客が太陽光線からクルッと背を向けたタイミングであったのだ。しかしながら、朝日に照らされたクレーターを見るとここが「2001年宇宙の旅」のロケ地であったことも十分に納得させられた気がしたわけである。

なかば失意の内に下山を余儀なくされたわけであるが、日頃の行いが良いFTBには救いの神が待っていたのである。マウイ島は沿岸部のリゾート開発により数多くの観光客で日夜賑わっている島であるのだが、険しい地形ゆえ開発を阻まれた天国のようなビレッジが東海岸に存在している。

Heavenly Hana(天国のようなハナ)とはよく言ったものでここはカフルイ空港からわずか50マイルほどの目とハナの先の距離であるのだが、ここに到達するまでの道のりは617ものカーブと車が一台しか通れない56の橋を豊かな熱帯雨林と崖下に広がる太平洋を眼下にしながら長い時間をかけてドライブしなければならないのだ。アイルトン・タケオと言われるほどのドライビングテクニックを持ち、峠やシケインを猛スピードで通過することが出来る私であっても今回は3時間かけてはるばるハナまでやって来た。

ハナ湾の黒砂のビーチで地元の子供達が海水浴に興じている様子を見物した後、ハセガワ・ジェネラルストアという有名なよろず屋に立ち寄り、ハナ肇を銅像として着色することが出来る緑のペンキを買おうと思っていたのだが、すでに他界してかくし芸大会にも出れなくなっていたのでしょうがなく、ヤシの実で作ったお椀を購入してお茶を濁すことにした。

午後から再び3時間程度の時間をかけてハナからの道を引き返すことにした。途中島北部のカハナといううビーチパークで透き通るような海の上で強風を受けながらウインドサーフィンに興じている海の男(女)を見物することが出来た。ここはサーファーの聖地であるオアフ島のノースビーチに匹敵するほどのウインドサーファーにとっては重要なポイントだと言われている。

夕暮れ時に「究極のリゾート」「奇跡のリゾート」と言われている世界的に有名なカアナパリに到着した。カアナパリの中心地であるホエラーズ・ビレッジに車を止めると早速ビーチに乗り出すことにした。ここのビーチは砂は普通の砂場色の砂であるが、波は強く打ち寄せるため、波打ち際には25℃程の急角度が形成されていた。ここは芋を洗うほどの込み具合を見せているホノルルビーチよりも広く、人も少ないため、人々は余裕を持ってマリンスポーツにいそしんでいた。

カアナパリからラナイ島の後方に沈む幻想的な夕日を堪能した後、ホエラーズ・ビレッジ・ショッピングセンターを散策することにした。さすがに世界有数のリゾート地だけあり、多くのブランド物屋が軒を連ね、多くの金持ちそうな輩が買う気も無いくせにウインドショッピングに興じている様子だった。センターの3階はホエラーズ・ビレッジのミュージアムになっている。番場蛮の父親である土佐の漁師は自ら鯨の腹に入って腹破りをして鯨を捕獲していたのだが、ここではハワイ式の伝統的な鯨漁の手法を無償で学習することが出来るようになっている。

また、ビレッジには数件のレストランが出店しており、ハワイアンを聞きながら食事を楽しむことも出来る。尚、レストランの受付で予約を担当している女性は皆ハワイ出身の早見優を彷彿とさせる夏色のナンシー系のギャルであった。http://www.hayamiyu.com/J-bio.html

2月10日(月)

早朝6時55分の飛行機でマウイ島からホノルルに移動し、JAL075便にて帰国。リゾッチャビンゴの通算成績は0勝3敗と依然低迷状態である。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥19,330

総宿泊費 ¥45,916

総レンタカー代 ¥18,105 + $31.68

総ガソリン代 $34.12

総走行距離 571マイル

次回はFTBJ「こいのからさわぎ」をお送りする予定です。マサよ必ず来いよ!もし来なかったら説教部屋!!

FTB炎の離島デスマッチ in グアム

新年が明けてプロ野球も自主トレの季節に入ってきた。今年も数々の過酷なツアーをこなしていかなければならないFTBも長い1年を乗り切るための体力作りをしておかなければならないということでグアム島でミニキャンプを張ることになった。ちなみにグアム島とキャンプの関係は新人の原辰徳を用し、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチのトロイカ体制を敷いたジャイアンツが1980年にはじめてこの地でスプリングキャンプを行い、その年は見事に日本一になったという実績を持っているのだ。

1月10日(金)

12月8日にグアム島を襲ったスーパー台風ポングソナの影響で観光客が激減しているため、午後10時発のANA923便の機内はガラガラではないかと思っていたのだが、少なくとも半分以上の席は埋まっている様子だった。

1月11日(土)

1時間の時差を越えてグアム国際空港に到着したのは午前2時半頃であった。ところで私がひいきにしてやっているハーツレンタカーは台風の影響で1月中は営業を停止しているということで予約を拒否されてしまっていたので今回は飛び込みで空港のエイビスレンタカーのカウンターを訪れることになった。何とかコンパクトカーの空きを見つけることが出来たので、今夜は車中泊を決め込み、車でグアムの繁華街方面に向かった。

とあるホテルの駐車場で夜を明かした後、午前9時頃から早速島内観光を開始することにした。アサンの海岸沿いに面したところに太平洋戦争国立歴史公園アサンビーチという公園があり、そこで太平洋戦争の歴史を学習していたときのことであった。体格が良く、ケツのでかい数人の若人が上半身裸、下は短パンのいでたちで芝生の上でランニングを始めていた。若人が持ってきたと思われるバッグが車の近くに無造作に置かれており、そこにはTigers 27という刺繍が入っていたので彼らは阪神の山田捕手を中心とする若虎たちであり、暖かいグアムの地に自主トレをしに来ていることが確認出来た。星野監督の目が届かないとはいえ、随分とタラタラとした練習ぶりだったので今年もBクラスは間違いないものと思われた。「仙一参上!」と書いたポストイットをバッグにでも貼っといてやろうかと思ったが、今回は見逃してやることにした。

マサよ、君は日本を代表するサバイバーである横井庄一を知っているか?

島の南東部タロフォフォという地域のタロフォフォフォールズリゾートパーク($20.-)の内部に横井ケーブという洞窟がある。これは元日本兵の横井庄一が28年間に渡って潜伏生活をおくっていた洞窟のレプリカであり、日本人としてここに来なければグアムに来た意味がないと言われている重要な歴史を証言するスポットである。1972年2月に原住民によって発見されるまで横井庄一は魚やエビを取ったりしながらこの穴でサバイバル生活を送っていたとのことで園内には当時の状況をしのぶ博物館や穴の断面図等が展示されており、ここに来ればジャングルでのサバイバル生活のノウハウを身に付けることが出来るのだ。

当時大蔵官僚であった独身時代のマサが居住していたのは京阪京橋駅徒歩5分のホテルオークラ館寮であったのだが、グアム島のホテルオークラは今は全日空ホテルズによって経営されている。ANAマイレ-ジクラブダイヤモンド会員の私は全日空ホテルズの無料宿泊券を2枚持っていたので今日と明日はホテルオークラに無料で宿泊することになっていたのだ。ホテルの部屋は当然のことながら海に面しており、広さは45平米と非常にゆったりしており,伊達に税金を浪費して造ったものではないことが確認出来た。

マサよ~、君はいつの間に指圧の免許を取得していたのか!?

ホテルオークラの部屋に設置されている机の上にとあるマッサージ屋のチラシが据え付けられていた。そこで私が目にしたものは何と「マサ指圧院」という文字であり、これはマサにマサが天下りする時の就職先として確保されていたものだと確信した次第であった。

夕暮れ時にジャイアンツがキャンプを張った実績のあるパセオ球場を見に行ったのだが、ここにも台風の被害が顕著に見られており、2基の照明塔が無残にも倒壊していたのだ。

1月12日(日)

グアムで最も有名な観光スポットとして恋人岬($3.-)が君臨しているので話の種に見に行って来ることにした。一般人はタモンビーチのホテル街から車やシャトルバスでアクセスするのだが、私はトレーニングがてらに歩いて向かっていた。すると4WDトラックに乗っているおっさんがいきなり私の前で車を止めて逆ヒッチハイクされてしまったのでその車に乗り込みいろいろと話をしたところ、やはり台風ポングソナは原住民のおっさんが今まで経験した中でも最大の台風だったと恐怖の色を浮かべながら語っていた。

恋人岬の伝説は無理やりスペイン人兵士との結婚を決められていた娘が原住民の恋人と駆け落ちしようとしたところ追っ手に見つかり海に身を投げて心中したという呪われた伝説のはずなのになぜかハッピーなカップルが目白押しのスポットなのである。おまけに隣に挙式が可能な教会まであり、ここで式を挙げたカップルはモニュメントらしき壁にネームプレートが貼られるのだ!ちなみに岬からの眺めは聞きしにまさる美しさで100m以上の高さからタモンビーチの全貌を見下ろすことが出来るのだ。

グアムは熱帯に属しており、日中は日本の7倍ほどの紫外線を浴びてしまうので夕方の涼しい時間帯にタモンビーチの海に入り海中トレーニング行なうことにした。ABCストアで購入したコーラルリーフの上を歩ける靴($16.9)をはいて遠浅の海に入り、エメラルドグリーンの海水に身を任せながら、岩礁に接近するとカラフルな熱帯魚がゆらゆらと揺れるすね毛に対して攻撃を加えてきた。遠浅の海の向こうには世界最深のマリアナ海溝が控えているのでうっかりすると5年くらい浮かび上がって来れなくなる危険性もはらんでいるのだ。

アンダーウォーターワールドというグアムを代表する水族館($20.-)が夜10時迄営業しているので話の種に見物することにした。長さ100mのトンネル状の水槽のなかには数種類のサメやいかりや長介系の下唇を持った魚や、西川きよし系の目玉を持った魚や六輔系のエイ等が元気に泳ぎ回っている姿を自然環境に近い形で観察することが出来るように設計されているのだ。

1月13日(月)

ホテルオークラのチェックアウトの時間が12時だったので午前中は海中トレーニングに専念することが出来た。午後からパシフィックリゾートという会社に日本で予約させておいたホリディプラザというホテルに移動すると夕方は再び海でのトレーニングに明け暮れることにした。

夜は買い物タイムということでDFSで必要な物品を調達してとっとと引き上げることにした。

1月14日(火)

午前5時25分のANA便にて帰国。日本に着いたのが午前8時だったため、不本意ながら午後から会社に来てしまったのだ。

コストパフォーマンスの高いリゾート地グアム島情報

*グアムの平均気温は27~28℃であり、日本の猛暑のように30℃を越える日が少ないので日本の夏よりも過ごし易いといえよう。

*タモンビーチの形状はハワイのワイキキを模しているようでオンザビーチの高級ホテルが数多く建ち並び、高台にある恋人岬はあたかもダイヤモンドヘッドのようにそびえているのだ。

*通称ホテルロードといわれるタモンの繁華街にはおびただしいほどの実弾射撃場と足裏マッサージ、ストリップ等が出展しており、前を通ると原住民のバイト野郎がチラシを配布しているのだが、彼ら決して強引な客引きはしない紳士である。

*フジタタモンビーチホテルのフジタとは日本の球団として始めてキャンプを行なった藤田監督から拝借した名前であるのは日本全国の巨人ファンで知らない奴はいないであろう。

*グアムはフリーポートなので税金が全くかからないマサに買い物天国である。

*大型台風の影響でいまだに電力の復旧率は50%程度であり、信号機はほとんど停止していたので軍人が交通整理を行なっていた。また、昼間はWESTINだったはずの高級ホテルが夜はVEST Nホテルに見事に変貌を遂げていた。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥58,640

総宿泊費  \7,835

総レンタカー代 $102.57

総ガソリン代 $7.-

協力 全日空ホテルズ、パシフィックリゾート

今後の活動予定:マウイ島

FTB炎の離島デスマッチ第?弾(海外編) in ハワイ島

アロハ マサよ、ハワイ湯!

ということで何かとしがらみの多いこのシーズンであるが、日本にいるとクリスチャンでもないのにクリスマスの喧騒にうっかり流されてしまいがちになってしまうことであろう。また、今週末から来週にかけて日本列島は寒波に見舞われることが予想され、南国育ちの私には絶えがたい状況となることは間違いない。そこで今回はFTBが誇る人気シリーズ「炎の離島デスマッチ」を海外にまで展開し、今回はハワイ島で開催することに相成ったのだ。

2002年12月20日(金)

20:50に出発が予定されているJAL070便コナ行きに搭乗すべく、成田空港のJALチェックインカウンターで19:00ごろチェックインをしようとしていたところ、いきなり飛行機の出発時刻が22:20に変更されてしまった。しかしながら、JALは開業50周年のノウハウを十分に駆使し、搭乗客に¥1,500相当のお食事券をばらまいてカスタマーサティスファクションに勤め、偽装牛肉を販売してお客に代金を返金していた西友とは一味違った対応を取っていた。

航空業界で最も美しい機体を誇るといわれるマクダネル・ダグラス社製DC-10に搭乗すると6時間程度でハワイの上空に差し掛かった。上空からは高層ビルの林立するホノルルのワイキキビーチやダイヤモンドヘッド、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島の美しい景色をパノラマのように堪能することが出来た。

午前10時前にコナ国際空港に到着すると入国審査をとっとと済ませ、空港のハーツでレンタカーをピックアップすることにした。これはハワイ島に到着してから判明したことだが、ここには一切の公共交通機関がなく、観光客は現地のツアーかタクシーかレンタカーを使用しなければならないのだ。レンタカーの予約を明日からにしておいた私はここでクイックディシジョンを行い、ハーツのカウンターで交渉して何とか予約を前倒しにすることに成功し、しかも通常のコンパクトカーではなく今回は赤いジープをせしめることに成功した。

コナ国際空港から海沿いを北に向かってジープを走らせるとあたり一面黒い溶岩に覆われた景色が目に飛び込んでくるため、この島が世界有数の火山島であることを容易に体感することが出来る。今日の宿泊先はハワイ島西海岸のワイコロアビーチリゾートに君臨するヒルトンワイコロアビレッジを予約しておいたので早速そこに向かうことにした。ヒルトンワイコロアビレッジはヒルトンホテルズのリゾートテクノロジーの総力を結集し、総工費3億6千万ドルをかけて25.5ヘクタールの溶岩台地を切り開いて作られたスーパーメガリゾートなのだ。ヒルトンHオーナーズのシルバー会員として活躍している私はマサであれば$469.-かかるところをただで1泊できる権利を有していたので今日は日がな一日ここでくつろがせていただくことにした。

ちなみにこのホテルのファシリティであるが、敷地内には鉄道が敷かれ、運河が流れているため、ロビーから客室が入っている各種タワーまではトラムか船か徒歩で行くことが出来るようになっている。また、3箇所のプールでは親子連れが戯れ、プライベートビーチを見下ろす海辺にはデッキチェアやハンモックが掛かっており、多くのリゾート野朗が波の音と鳥のさえずりをBGMに昼寝や読書をしながら贅沢な時間を過ごしていた。

ホテルの敷地の中央に海水を引き込んだイルカ用のプールがあった。ライフジャケットを身にまとった子供達や親子連れがインストラクターとともに何かを始めようとしているようだった。プールの中には数頭のイルカが手ぐずねを引いており、てっきりイルカと一緒に「なごり雪」の大合唱でもおっぱじめるのかと思っていたのだが、このアクティビティは当ホテルが誇るドルフィンクエストという単なるイルカとの戯れの機会提供にすぎなかった。

ホテル内のいたるところにはなぜか仏像等のオリエンタル美術品が配置されており、ブッダポイントと呼ばれる太平洋を見下ろす風光明媚な場所には大型の仏陀が鎮座していた。ホテルの夜の催し物としてお約束のハワイアンソングとフラダンスや危険な火炎バトン振り回しショーがしめやかに執り行われ、更けゆくハワイの夜を彩っていた。

12月21日(土)

朝起き抜けにビーチ沿いの椰子の木に掛けられているハンモックに寝そべりうだうだとした時間を過ごした後、ホテルをチェックアウトするとハワイ島西海岸最大の繁華街であるカイルア・コナに向かった。カイルア・コナはハワイ王朝初期には都があったところであり、カメハメハ大王が晩年を過ごした街として有名である。街の雰囲気はギラギラしたホノルルとは異なり、小ぢんまりとしかものんびりとした港町の風情を醸し出しているのでリゾート気分に浸らなければならないという強迫観念にとらわれずにゆったりと観光に励むことが出来るのだ。

今日は到着2日目ということもあり、Wrangler Jeepもそろそろそのポテンシャルを発揮したがっていたので午後からハワイ島を一周することにした。ハワイ島はBig Islandと呼ばれ、他のハワイの島々の合計よりも広い面積を誇り、大きさは四国の半分程の島である。コナ方面から海岸沿いに南向きに進路を取り、島の最南部を抜け、北東部方面に向かい始めたところで島の雰囲気が一変したことに気がついた。ハワイ島中心部北から南には4000m級の山が2峰連なっており、それぞれマウナケア山(4205m)、マウナロア山(4170m)と呼ばれている。この連山を境に西と東では気候が全く違っており、雨が少なくコーヒーの栽培に最適な砂漠性気候の西と異なり、東海岸は世界有数の多雨地帯として熱帯植物が繁茂しているのだ。

日本に君臨している大王は「つけめん大王」であるが、ハワイの大王といえば誰に聞いてもカメハメハ大王である。ということで、夕暮れ時に島の最北部のカパアウという街にカメハメハ大王像を見に行ってきた。この大王の銅像といえばホノルルのダウンタウンにあるものが最も有名であるが、実はオリジナルは大王生誕の地であるここカパアウに設置されてあるものだそうだ。1883年にイタリアのフィレンツェに発注して作成された象は、ハワイに運ばれる途中で海に沈んでしまい、そのためもう一度発注し直したのがホノルルにある大王像だそうだ。その後、海の底から引き上げられた像が王の生誕地であるここに落ち着いたというわけである。

今日の宿泊地は島北部のハワイ島で3番目に大きな都市であるワイメアのKamuela Innというところを予約したおいた。ワイメアはマウナケア山麓の高原都市であり、夜になるとホシ伊東とハッピーアンドブルーが歌う「星降る街角」が出現する空気のきれいな街である。ところでマウナケア山頂は、安定した気流と澄み切った空気、光害の無さなど、好条件がそろった最高の天体観測場所として有名で、世界各国からの天文台が集まっている。日本がはじめて海外に建設した世界最大級の望遠鏡「すばる」もここに設置されている。ところでStargazing Tourといってマウナケア山頂にジープで登って星空を探索するツアーが人気となっているらしいのだが、このツアーに参加するためにはツアーデスクで谷村新司よろしく♪わ~れもゆく♪といえば誰でも参加出来ることが確認出来た。

12月22日(日)

昨日チェックインしたKamuela Innはモーテルではなく、実はB&Bだったので朝食としてもみじ饅頭でも出てくるのかと期待していたのだが、用意されていたのは普通のコンチネンタルブレックファストだった。朝7時半ごろKamuela Innを出て島を東周りに2/5周ほどすると世界でもっともエキサイティングな活火山として有名な世界遺産にも認定されているハワイ火山国立公園($10.-/Car)に9時半頃到着した。まず、園内のビジターセンターでキラウエア山の噴火の歴史を軽く学習したあと、早速キラウエアカルデラの周辺を走るクレーターリムドライブを走り、さらに海側に向かってのびるチェーンオブクレーターロードを下ることにした。このロードは標高1200mから数多くの連なるように存在しているクレーターを横目に一気に太平洋岸まで下りることの出来る22マイルにも渡る風光明媚な道である。道の終点は今年の9月に流れ出た溶岩でさえぎられ、そこから徒歩で溶岩が太平洋に流れ落ちている様子を見学出来る地点までコールタール状に不気味にに黒光りする溶岩の上を進んで行かなければならない。

溶岩が海に流れ落ちている地点からは不気味な水蒸気がもくもくと上がっており、風に乗って舞い上がっている海水と火山灰は容赦なく観光客に降り注ぎ、また、有毒な火山性ガスにより、まともに目を開けているのが難しい状態でこの地球上の営みを観察しなければならない。

今日のところは午前中でハワイ火山国立公園を後にすることにして、午後から再び西海岸にあるプウホヌア・オ・ホナウナウ国立歴史公園($5.-/Car)を訪問することにした。ここは古代ハワイアンの暮らしぶりを再現した公園で園内には魔よけと思われるオブジェやトーテムポール、アウトリガーと呼ばれるカヌー状の船等さまざまなハワイアンの小道具が展示されていた。また、Green Turtleと呼ばれる海亀が砂浜で昼寝をしているので決してこの亀をいじめたり、背中に乗って竜宮城まで案内させてはいけないことになっていた。

再び島をぐるっと回って東海岸に帰ってきた。心なしか♪メリージェ-ン♪のようなノスタルジックな感傷をおぼえたころハワイ州第二の都市であるヒロの都心部に入り込んでいることに気づかされた。ヒロはツノダヒロのような日系人(日系人かこいつは・・・??)が作った街でいたるところに日本語を連想させるファシリティが存在している。日本の築地魚市場に相当するSUISANという市場では毎朝セリが行なわれ、そのとなりのジャパニーズレストランは「日本」という名前で営業活動に励んでいた。

今日の宿泊地であるビーチ沿いのヒロハワイアンホテルにチェックインするとホテルのレストランは日本からの団体旅行客でごった返しており、私もひとやまいくら?程度の扱いを受けそうだったのでとなりのUncle BillyというSeafood & Steakレストランにエスケープすることにした。このレストランで提供されるCatch of the Dayという魚のメニューは当然SUISAN直送であるため新鮮さが保証されている。しかもレストランの内部にはステージが設置されてあり、午後8時からハワイアンソングのライブと腰を高速で動かすことが出来るフラダンスを目の前で堪能することが出来るのだ。

12月23日(月)

ヒロは雨の都という異名を持ち、年間降雨量3400mmを誇っている。昨晩から今朝にかけても雨が降り続いており、ハワイ火山国立公園に到着した午前8時過ぎになっても雨は止んでくれなかった。仕方なくビジターセンターで各種の火山系の展示物を見たり、Auditoriumで噴火の映像を見ながら時間をつぶし、ついには車の中でうとうとしていたところ、太陽の光により午前10時過ぎに目を開けさせられた。

今日はキラウエア火口を取り巻くクレイターリムの細部を観察することに午前中の時間を費やしていた。キラウエアが最近噴火したのは1982年に遡るのだが、それ以前にも何度か大噴火を経験している。クレイターリムには噴出した溶岩の歴史が年次別に示されており、火口内部は未だに活動を続けている様子で異様な臭いがする硫黄ガスや小刻みに噴煙を上げているポイントを数多く観察することが出来る。

午後から、昨日に引き続き、チェーンオブクレーターロードを南下して溶岩が海に流れ出る様子を見に行って来た。この地点は火山の活動状況により、真っ赤に流れ出る溶岩を目の前で観察出来る世界でも唯一のスポットであるのだが、今回は残念ながらすでに黒くなっているコールタール状の溶岩や牛の糞のような形状の枯れた溶岩しか見ることが出来なかった。

また、この地点の上空には高値で観光客を拾ってきた多くのヘリコプターやセスナ機が旋回を繰り返していた。

12月24日(火)

ヒロ市内から車を飛ばしてコナ空港に帰る道すがら、プウコホラ・ヘイアウ・ナショナルヒストリック・サイトに立ち寄り、おびただしい数の石垣で構成されている古代ハワイアンの寺院跡を見学させていただき、カメハメハ王朝の栄華の一端を垣間見ることに成功した。

ホノルルよりすばらしいハワイ島情報

*ハワイ島で自由に動き回るためにはレンタカーを借りるしか方法がなく、非常に不便な島なのだが、それがかえってホノルルのようなミーハー観光客を少なくしている要因になっているのだ。

*日本語のハワイ島観光パンフレットに「マサシの世界遺産真っ赤な溶岩トロトロツアー」というツアーが誇らしげに掲載されていた。このツアーはガイドであるマサシ・(ツカモト)ナカタ=合衆国連邦航空局飛行教官(CFI)がキラウエア火山の溶岩ツアーを日本語で安全に案内するという溶岩が流れているときの限定ツアーである。このツアーに対抗するためには「マサの財務省人間関係ドロドロツアー」を塩爺が流されるとき限定で行なうしかないものと思われた。

*ハワイ島コナ地方の特産品であるコナコーヒーはインスタントコーヒーのように粉っぽいのかと思ってたのだが、何のことはない普通のアメリカンコーヒーだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥110,610

総宿泊費 $277.44

総レンタカー代  $440.07

総ガソリン代  $94.30

総走行距離  1,271マイル

次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 八丈島のキョンをお送りする予定です。