FTBJ 20世紀少年よ桂離宮にいらっしゃ~い!ツアー

昨今ショッキングなニュースが世界中を駆け巡っている。太陽のような存在の日本人二刀流リーガーの財産が悪の「ともだち」に支配されてしまったというではないか。まるで大きな谷の底でもがくように人間不信と葛藤する心情は察するに余りあるので日本人の心のふるさとであるはずの古都を訪問し、いかにして人間性を取り戻すべきかを検証するツアーが急遽催行されることとなったのだ。

2024年4月13日(土)

13:20発ANA991便は定刻通りに羽田空港を出発すると定刻より少し遅れて午後3時前に関西国際空港に到着した。早速ニッポンレンタカーでマツダの普通車をレンタルすると、とある夢の跡に向かって車を走らせた。

♪こんにちわ~♪ (こんにちわ~)♪西のくにから~♪

というわけで、大阪府の北摂に君臨する1970年に開催された日本万国博覧会の広大な敷地は今は万博記念公園(¥260)として今なお大阪府民だけでなく日本国民の憩いの場所として賑わっているので、桜の時期を逃したとはいえ、訪問しないわけにはいかなかった。

奇しくも今日は2025年4月13日に開幕するEXPO 2025 大阪・関西万博のちょうど1年前ということで20世紀少年が21世紀老年にバトンを渡すにはうってつけのタイミングだったのだ。

閉園前30分の午後4時半に滑り込みで入園を果たすと眼前に諸手を上げて立ちふさがっていたのは三波春夫ではなく、芸術を爆発させた成果物であるはずの太陽の塔であった。

人間に二面性があるように太陽の塔も赤を基調としたA面とは裏腹に、B面は皆既日食のように太陽の財産を蝕んでいるかのようなダークサイドが見事に表現されていた。


奇しくも園内に内蔵されている国立民族博物館では「日本の仮面」というみんぱく創設50周年記念特別展が開催されており、入館するまでもなく、仮面の下に隠されている人間の本性について考えさせられたのであった。

トーテムポールを見上げて姿勢を正し、イチゴソフトで乾杯して気を取り直すとわずか30分程の滞在時間の間に21世紀老年への坂道をいかに緩やかに下っていくかの指針が少しではあるが見えてきたような気がした。

今日の宿泊先は楽天トラベルに予約させておいた洛西・竹の郷にある、ホテル京都エミナースで、心の疲れを癒す2種類の天然温泉を堪能しながら雅の世界へと舵を切って行った。

4月14日(日)

宮内庁御用達の観光地である「桂離宮」はWEBでの参観申し込みが必須で、予約していた時間を念頭に阪急桂駅へ向かった。駅前のコインパーキングに車を預け、15分程歩くと桂離宮表門に着いたのだが、そこでは何故か当日券も販売されていたのだった。

参観はすべて宮内庁御用達のガイドによる案内で遂行されるのだが、日本人観光客をしのぐ人数で乗り込んで来た外国人観光客への説明は通訳ではなくオーディオガイドがその役目を果たしている。また、桂離宮の説明用の資料には「このパンフレットは、宝くじの社会貢献広報事業として助成を受け作成されたものです。」との説明が明記されており、決して「違法スポーツ賭博」からの資金援助は受けていないので負けを取り戻すための掛け金を上げることなく安心して観光に励むことが出来るのだ。

桂離宮は、17世紀初頭に創建された宮家の別荘で当初は「桂山荘」と称していたのだが、明治16年に宮内省所管となり、桂離宮と称されることになったのだが、創建以来永きにわたり火災に遭うこともなく、ほとんど完全に創建当時の姿を今日に伝えている。

桂三枝の「いらっしゃ〜い!」という挨拶もなく、午前11時過ぎに待望の参観の火ぶたが切って落とされることとなった。

最初に案内されたのは御幸門であるが、正門である表門に向かう道筋は徐々に狭くなっており、遠近法により限られたスペースが広く見えるような工夫が施されている。

切石と自然石を巧みに配した飛石を伝って外腰掛という待合い腰掛でしばしガイドの説明に耳を傾けると一行は参観コースに従って粛々と進んでいった。

桂離宮の中央には複雑に入り組む汀線を持つ池があり、大小五つの中島に土橋、板橋、石橋を渡し、書院や茶室に寄せて船着きを構えている。緑の池には亀や泥魚だけでなく、水の原をただようシロサギの姿も見受けられ、甘い話には裏があることを暗に示しているかのようだった。

黒く扁平な石が敷き詰められ池に突き出している場所は洲浜と呼ばれ、先端に灯篭を据えて岬の灯台に見立てて海を演出している。また、その先の中島と石橋のつながりは天橋立を模しているとのことである。

寛文2年(1662年)頃までには在来の建物や庭園に巧みに調和させた中書院、さらに新御殿、月波楼、松琴亭、賞花亭、笑意軒等が新増築されており、それらを一軒一軒丹念に見て回ると心の中のわびさびが自然に刺激され、すさんだ心が浄化されていくのであった。

桂離宮では月を雅に鑑賞するための仕掛けがここかしこに施されているのだが、特に月波楼は池辺の高みに立つ茶亭で、月見はいうまでもなく、苑内の主要な景観が一望でき、納涼の設備の役目も果たしているのだ。

全行程約1km、1時間程度の参観が無事終了するころには腹も減ってきていたので明星カップ焼きそばの「一平ちゃん」でも食ってみようかと思ったのだが、何とか踏みとどまった。やはり人生の岐路に立たされた場合は拳に顎をついて考えてみることが最も重要ではなかろうか?

関西国際空港に帰還し、15:40発ANA992便で羽田行の機中の人となり、飛行機は都心部の上空で高度を徐々に下げていった。スカイツリーや東京タワーの頂点を見下ろしながら、あらためて「驕る平家は久しからず」と肝に銘じながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥17,050 per passenger
総宿泊費 ¥35,244(2名分、2食付き)
総レンタカー代 ¥10,336(ガソリン代込み)
総高速代 ¥5,970
総駐車場代 ¥1,500
総走行距離 237KM

協力 ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、宮内庁京都事務

FTBJ犬山城でどうする!

圧倒的な招き力と猫力を背景に絶対的な猫派を自認するFTBではあるが、今回はひょんなことから犬派の牙城であるはずの犬山に入城し、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」的アクティビティに従事することとなったのだが、さてどうするものか!?

2023年11月12日(日)
午前10時過ぎに八王子市の自宅を出発し、圏央道から東名を経由して新東名に入り、浜松サービスエリアで昼食休憩を取ることにした。出世の街である浜松は家康公ゆかりの地ということで私もその縁起にあやかるべく家康公グルメの中からしぞ~かおでんを選んで食し、ホトトギスが鳴くまでどのような試練にも耐えうる忍耐力の醸成に勤しんだ。

新東名から再び東名に舵を切り、愛知県に侵入すると岡崎ICで高速を降りるとそのまま家康公の息吹を感じる岡崎公園に向かった。

岡崎公園は家康公が生誕した岡崎城を有する自然豊かな歴史公園で大河ドラマフィーバーの流れに乗り、「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」をオープンさせ、戦国武将好きの観光客の取り込みに躍起になっている。

公園に入ってまず私の目を奪ったものは犬のような忠誠心を持つと言われている徳川四天王パフェの看板で、「どうする?」と問われても「高い!」という印象が「映え」への欲望を凌駕するには至らなかった。

岡崎城の隣に鎮座し、家康公を祭神とする龍城神社は神君生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという「昇龍伝説」が残るパワースポットである故か、多くの七五三まいりの参拝客で賑わっていた。

竹千代(家康公の幼名)が生を受けた岡崎城の周囲を半周すると「家康公・竹千代像ベンチ」が格好の記念撮影スポットとして君臨していたのだが、順番待ちの観光客に気を使って肩を並べることは遠慮しておいた。

¥890の支払いで「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」と岡崎城の共通入場券を購入し、松本の潤んだ目力に引き寄せられるように各展示コーナーを徘徊させていただいた。

このドラマは演出上BL(Boys Love)の要素をふんだんに取り入れて視聴率アップを画策していただのが、ご時世がらそのようなものは一切排除され、すべて硬派にまとめあげた展示が印象的であった。

岡崎城に入城するころには日も西に傾きかけていたのだが、歴史的建造物の外観とはうらはらに3層5階建ての天守の内部はモダンな歴史資料館となっており、5階の展望室からの岡崎市内の景観は圧巻であった。、

岡崎城を下城し、出世街道かどうか定かではない道を1時間ほど西進すると歩いているときにふと棒にあたったような感覚を覚えた。気づけば愛知県犬山市の中心部に紛れ込んでおり、名鉄犬山駅前をスルーして木曽川沿いにそびえる犬山城を見上げているうちに本日の宿泊地に到着した。

インターコンチネンタルやホリデーインを展開するIHGグループの中ではインディーズ系であるはずのホテルインディゴ犬山有楽苑は犬神家の一族の有名な殺害現場を彷彿とさせるほどの旅行需要のV字回復により国内外からの多くの旅行者で賑わっていた。

IHGのダイヤモンドメンバーの私に対してご用意いただいた部屋は3階の国宝犬山城正面ビューの上室で戦国時代からの犬の遠吠えが聞こえてきそうなほど非日常感が演出されていた。

天然温泉「白帝の湯」に浸かり、一介の戦国武将から帝王にまで出世した家康公に思いを馳せていたのだが、竹の生い茂る中庭はむしろ人質時代の竹千代の生い立ちとうまくシンクロしているようであった。

11月13日(月)
早朝より白帝の湯で体を清め、部屋から犬山城を見上げると天守の周りを鳥が旋回していたので警備の点も万全ではないかと思われた

9時開城の犬山城の天守にはすでに人影が見られていたので満を持して10時過ぎに出向くことにした。犬山城へと続く道は急な坂道となっており、ショートカットするためには犬猿の仲であるはずの猿田彦神社を経由しなければならなかったので参拝することを忘れなかった。

チケット売り場で¥550を支払い、晴れて国宝犬山城(別名 白帝城)の敷地内に潜入した。犬山城の築城は1537年であるが、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの際には緒戦で羽柴秀吉方の急襲を受け、羽柴軍と織田信雄、徳川家康連合軍が尾張に集結するきっかけとなったという日本史的にも重要な遺産である。

早速内見する運びとなったのだが、外観3重、内部4階の城内を隈なく見て回るためにはきわめて急な階段を上り下りしなければならず、これが思いのほか重労働となった。

内部に展示されてある遺品は物言わぬ歴史の証人には変わりないのだが、私の心に一番訴えかけてきたものはオードリー春日のネタになったはずの「鬼瓦」であった。

最上階はぐるりと周囲を見渡せる展望所になっているのだが、木曽川を望む立地が最強の防御網を形成している様子が見て取れる。防御の固い犬山城を落城させるための作戦を考えると正攻法では太刀打ち困難なのは明白なので大量の飼い猫を送り込み、どう猛な武将にすりすりして骨抜きにする平和的解決が最も望ましいはずだと考えていた。

下城して敷地内の土産物屋を物色していると芦屋雁之助似のいかつい男の写真が恭しく展示されている様子が目に飛び込んできた。彼は「裸の大将」でならしている山下清画伯であるのだが、大将が服を着ているというだけでここがいかに格調高い国宝であることの証明になるはずであろう。

犬山城のふもとで見た犬山市の公式キャラクターが「わんまる君」であることに猫派への友好性を感じることが出来たので安心してホテルへの帰路に着いた。

ホテルインディゴ犬山有楽苑が醸し出す幽玄はどこから来ているのだろうかという問いに答えるためにホテル専属の庭園という役割を果たしている有楽苑に立ち入ることとなった。一般入苑料は¥1200となっている一方でホテルの宿泊客にはルームキーの提示のみで入苑出来るのだが、有楽苑を見ない代わりに¥1200を宿泊費から引いてくれという要求には応えられないはずであろう。

織田信長の実弟である織田有楽斎は茶の湯の創成期に尾張国が生んだ大茶匠であり、彼にゆかりのある「如庵」という茶室は紆余曲折を経て有楽の生まれ故郷である犬山に腰を据えて今日まで国宝としての地味な輝きを放っている。

秋桜と書いてコスモスと読ませる強引な当て字はさだまさしと山口百恵の楽曲により世の中に定着し、今日に至っているのだが、正真正銘の秋に咲き誇る桜が豊田市山間部の「小原四季桜まつり」として活況を呈しているようなので足を延ばしてみることにした。会場は5ヵ所あるのだが、最初に本部のある「小原ふれあい公園}に駐車料金¥1000の支払いで車を停め、百花繚乱の四季桜と紅葉の競演を期待したのだが、桜はほんの2分咲きで、紅葉の色づきも思ったより進行していなかった。

小原ふれあい公園から徒歩10分の森の中のしなびた神社に「家康の腰掛石」が祀られていたので立身出世、運気UPのご利益を求めて腰を掛けることにした。今から400年ほど前の江戸時代に徳川家康公が小原一円の様子を視察に来たときに床几として石の上に座ったと伝 えられているそうだ。小原町の賀茂原神社に大人で一抱えほどもある石(150㎏)のそばに『御腰掛け石」と刻まれた標柱が 建っており、「力石」とも言われているのだが、「あしたのジョー」のライバルかどうかは定かではなかったのだ。

♪ひ~とはみな一人では生きてゆけないものだから~♪と口ずさみながらふれあい(中村雅俊)公園を後にすると小原で一番四季桜が多く、約1200本の四季桜と紅葉の絶景がご覧になれるとの謳い文句に引き寄せられて「川見四季桜の里」に移動した。

四季桜の開花状況はふれあい公園より進んでいるもののまだまだ満開には時間がかかる様子であったが、所々で四季桜と紅葉の競演が見られ、四季桜まつりの名に恥じない景色には違いないと納得して八王子への帰路に着いたのだった。

FTBサマリー
総宿泊費 ¥27,936
総高速代 ¥12,630
総ガソリン代 ¥5,660

協力 IHG HOTELS & RESORTS

FTBサミット夢跡ツアー in 厳島神社

先月開催されたG7広島サミットの成果としてウクライナに平穏な日々が訪れ、核軍縮は実行されるのであろうか?
この疑問に対する答えを求め、今回のツアーの目的地として厳島神社が選定されたわけだが、コロナ明けの人気観光地も人手不足で猫の手も借りたいはずなので事前に猫集会を開いて対応を協議しておくことも忘れなかった。

2023年6月10日(土)
12:30羽田発予定であったANA635便岩国行は羽田空港A滑走路近くの誘導路で、台湾のエバー航空とタイ国際航空の旅客機2機が接触した影響で1時間以上の遅れを出したため、山口県東部の岩国錦帯橋空港に到着したころにはすでに午後3時を回っていた。

早速ニッポンレンタカーでトヨタのヤリスをレンタルしたのだが、錦帯橋を世界遺産に推しているポスターを見ていささかやりすぎではないかと感じながらヤリスを転がしていた。約15分程のドライブで山梨県大月市の猿橋、徳島県三好市の祖谷のかずら橋とともに日本三奇橋として君臨している錦帯橋に到着した。

1673年に岩国第三代藩主の吉川広嘉によって架けられた錦帯橋であったが、残念ながら政治家の情報漏洩よろしくすぐに流失してしまったそうだ。しかし改良を加えて翌年再建された錦帯橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまで276年の間、架替えを繰り返しながら威容を保ったという。

流失後、鉄筋コンクリートで再建という意見もあったそうだが、市民の強い要望により、1953年に再度、木造の錦帯橋として再建され、現在に至っている。平成13年度(2001)から平成15年度(2004)にかけて、劣化した木造部分を架け替える「平成の架替事業」を行い2004年3月、装いを新たに完成し、訪れる人を魅了し続けているのだ。

橋の形状であるが、5連のうち3連がアーチという木造橋は世界にも類を見ないもので、夏季には鵜飼いも楽しめるようでそれに関連するかどうかわからない釣り人も数人散見された。

錦帯橋への入橋は¥310の支払いで往復可能となっていたので町側から山側に向かって橋を渡らせていただいたのだが、セット券販売されているロープウエイによる岩国城への入城は時間の都合で断念せざるを得なかった。次回は屋形舟に乗って伝統的な鵜飼による夜の鮎漁を観賞しながらライトアップされた錦帯橋を愛でつつ地元北九州の若戸大橋や関門橋といった海峡をまたぐ吊り橋にも思いを馳せなければならないことであろう。

錦帯橋の勤怠管理システムにより営業時間が決まっているはずなので余裕をもって退勤させていただき、広島方面に車を走らせた。広島東洋カープの練習場と寮に隣接している安芸グランドホテルに首尾よくチェックインを果たし、「やっぱ広島じゃ割」クーポンをゲットして気を良くするとフロントで深々と頭を下げている銅像と目が合ってしまった。それはあたかもオリラジ中田率いるパフォーマーがG7首脳というパーフェクトヒューマン達が一堂に会した広島サミットを讃えているかのようでもあったのだ。

8階の部屋から名物牡蠣の養殖棚が並ぶ瀬戸内海を見下ろし、宮浜温泉を引き入れた内風呂「平安の湯」で旅の疲れを体の中からほぐした後、懐石系の夕食で舌鼓のメロディーを奏でていた。

瀬戸内海を挟んでいるが宮島フロントに君臨している安芸グランドホテルの桟橋から世界遺産ナイトクルージング(¥2,000)なるものが運航されているのでチェックインの際にすでに9時20分発の便の予約をかましておいた。

中島みゆきよろしく銀の龍の背に乗るような感覚で船は静かに出向し、一路厳島方面に向かって行った。夜の厳島神社では大鳥居がライトアップされ、光と影がとけあって、とても神秘的な時間が流れているようであった。小雨そぼ降る中、観光客はその様子をカメラと心に刻みつけながら、30分のクルージングに酔いしれていた。

6月11日(日)
大物芸人にも決して物怖じしないはずの♪I am a perfect human♪に別れを告げ、ホテルをチェックアウトするとあっちゃんの言動はいくら何でもやりすぎではないかと思いながらヤリスを転がして宮島口に向かっていた。

宮島口に宮島観光協会が開業していたので中に入ってみると「けん玉発祥の地」という輝かしい称号とともに宮島の干潮・満潮時刻を表示したしゃもじが目に飛び込んできた。宮島は日本一の木製しゃもじの産地だけでなく、しゃもじの発祥の地として有名で広島出身の岸田首相がウクライナ電撃訪問の折にゼレンスキー大統領に宮島のしゃもじを献上して「敵を召し取れ」と檄を飛ばしたそうであるが、広島サミットでの会談の際には支援物資のおかわりについて議論されたようである。

宮島口から10分おきに運航されているJR西日本宮島フェリーに乗り、10分ほどの航海で宮島フェリーターミナルに到着した。

みちのくの松島、京都の天橋立とともに日本三景の一角を担っている宮島であるが、厳島神社へ向かう道すがらおびただしい数の人なれした野生の鹿に遭遇するのだが、奈良公園における鹿せんべいのような餌付けはされていないので観光客の隙をついて食べ物を強奪する光景が散見された。

朝食での牡蠣グラタンの摂取が腸内環境に影響を及ぼしたためか、便所に立て籠もる回数が増えてしまったものの無事厳島神社の観光コースに乗っかることが出来た。

ここでの最大の見どころは何といっても潮の満ち引きの塩梅による大鳥居との大捕り物であるのだが、歩いて行けるタイミングと神社が海に浮かんで見えるタイミングを逃さないためには終日宮島にいなければならないはずであろう。

さらに厳島神社を慈しむために¥300という世界遺産としては破格の安さの拝観料を支払ってお参りさせていただくことにした。

拝殿、本社本殿等、威厳のある建造物には圧倒された一方で境内の中の御手洗の存在は観光客に安心感を与えるのだが、御手洗川には決して排出してはならぬことを肝に銘じて見学させていただいた。

ところで、厳島神社と言えばその造営者である平清盛の存在を忘れてしまっては困るのであるが、平家は清盛から代々篤くこの神社を信仰してきた。一方宮島の人々も清盛に深い愛着を持っており、清盛没後770年にあたる1945年には、「清盛を祀る社を」という宮島の人々の思いから清盛神社が創建され、見事その愛が結実されたのであった。

宮島にはびこる「馬と鹿」を目にした米津玄師も思わず♪これが、愛じゃなければ何と呼ぶのか僕はしらなかったぁ~♪と口ずさんでしまったことであろう。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥16,740 / passenger
総フェリー代 ¥360 / passenger
総宿泊費 ¥39,100(2食付き、2名様)
総レンタカー代 ¥6,710
総ガソリン代 ¥493
総高速代 ¥430

協力 ANA、楽天トラベル、ニッポンレンタカー

天照大FTBツアー in 伊勢志摩

暖春の影響で日本列島の桜前線の進行が異常に速かったのだが、辛くも山梨の桃源郷とともに富士桜と五重塔のマリアージュを堪能することが出来たものの何か物足りないような力不足を感じていた。

例年1月に参拝させていただく邦人の心のふるさと伊勢神宮であるが、今年は内宮の駐車場への道筋の尋常ならざる混雑により途中でのドロップアウトを余儀なくされ、後日のリベンジ参拝を誓いながら一旦お伊勢参りを強制中断させていた。

花見シーズンの喧騒が去るのを待ち、春風に乗ってやってきたインバウンド観光客の大群を横目に日本有数のパワースポットへと満を持して舞い戻るツアーの火蓋が今ここに切って落とされたのだ。

2023年4月7日(金)
午後1時過ぎにミナミノ~ゼと言われる八王子みなみ野の自宅を出ると高尾山ICから圏央道に入り、新東名、伊勢湾道路を経て渋滞ノイローゼに苛まれることなく順調に自家用車を走らせると5時過ぎに本日の宿泊地であり、お伊勢参りの定宿に指定されている榊原温泉湯元榊原館に到着した。

全国旅行支援制度の活用による宿泊費の割引のみならず「おいでよ三重旅キャンペーン」の¥2,000クーポン2枚を握りしめてチェックインを果たすと早速夕食会場に向かった。榊原館では美と健康をテーマに献立作成しており、「温泉野菜蒸し」という旬の野菜を効能の高い温泉で蒸しあげたものが定番となっているのだが、今回はそれに加えて地物一番「特選松阪牛」が食卓を彩った。

ワールドベースボールクラシックで頂点に舞い戻ったサムライジャパンの活躍は記憶に新しいところだが、第1回、第2回のWBCで連続MVPを獲得したレジェンド松坂大輔が解説者の仕事に飽き足らずに準決勝の始球式に登場した時の対松坂桃李比2倍に膨れ上がった横幅を誇る堂々たる体躯に衝撃を覚えた視聴者も多かったことであろう。夕食の松阪牛のラインアップにイチボが並んでいるのを見て、高卒でデビューした平成の怪物がイチローから連続三振を奪った後のヒーローインタビュー時に発せられた「自信が確信に変わった」という流行語が脳内でリフレーンされながら松阪牛をレアで堪能させていただいたのだった。

「お伊勢さん湯ごりの地」としてその名を轟かせている榊原温泉の歴史は古く、約2000年前、伊勢の地に天照大神が鎮座され、皇女・斎王が神宮を祀ってきた。伊勢神宮の参拝前には、天皇たりとも身を清めなければならない。奈良の都から伊賀を抜け、布引山(青山高原)を越えた榊原が伊勢の入口にあたり、ここに湧く温泉で「湯ごり」をして身を清めることが、当時の正式な参拝方法であった。

また、七栗の湯との異名をとる榊原温泉であるが、平安時代の才女、清少納言の随筆「枕草子」の第百十七段に、「湯は七栗の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節がある。七栗の湯は京の都で温泉の代名詞となり、特に恋の病を癒すいで湯として、鎌倉時代から室町時代にかけて多くの歌人に詠われた。

現代ではまろみ源泉としてそのパワーは衰えることなく、温泉宿・ホテル総選挙でうる肌部門全国エリアランキング第1位の座を長年防衛している様子が見て取れた。

館内には源泉神社が祀られ、その源泉温度31.2℃は飲用にも適しており、その強力な温泉力により体の内外からデトックス効果を高めることが出来るため、神宮と対峙するころには完全に毒抜きされた状態となっているはずである。

4月8日(土)
早朝から榊原温泉での湯ごりをゴリゴリと満喫すると腹が減ったので食事会場のダイニング厨草子で健美食を完食したのだが、温泉の効能も相まって呼吸が「全集中」に高められていることに気づかされた。なるほど、そこには米俵とともにそれを炊き上げる竈門が奉られており、炭治郎紋様を彷彿とさせるはんてんに身を包むと「鬼滅の刃」のような研ぎ澄まされた感覚も身に付くのであった。

さらなるパワーアップを求めて木へんに神の字が示すように神と人との境界を表す榊原の地を探索することにした。この地は自生する榊枝を井に浸し伊勢神宮に献上されたことから、榊原と呼ばれるようになったとのことだが、その井が射山神社鳥居の正面にある長命水である。

また、本殿手前にあるのが、大国主命の別名大黒様が打ち出の小槌を持った像で、ピンク色ののぼりの間に鳥居があるのだが、ここが縁結びの強力パワースポットとなっている。マサに恋柱 甘露寺蜜璃に匹敵するパワーを持っている聖地と言えるであろう。

射山神社の境内には驚くほどの高木や古木が立ち、歴史の長さを感じることが出来るのだが、神社の前の道沿いにも生命力の塊のような古木の巨大な根が顔を出しているのだ。

榊原の地を後にしたものの、いざお伊勢参りという気分をさらに高めるために、伊勢神宮外宮の参道に鎮座している「柄杓童子」のひしゃくでケツをたたかれながら道を切り開くことにした。

伊勢神宮内宮の近隣に位置しているものの伊勢神宮とは一線を画しているような存在感で多くの参拝者が訪れる伊勢屈指のパワースポットである「猿田彦神社」に立ち寄ってみた。ここは天孫降臨の案内役を担った、物事を良い方向へ導いてくれる道開きの神「猿田彦大神」を祀る由緒正しい神社であり、境内には、芸事の神様を祀り、著名人からの信仰もあつい佐瑠女神社があり、恋みくじやお守りも人気を博している。尚、個人情報保護法の観点から、願かけ絵馬に貼るためのラベルも常備されているのでどんなに恥ずかしい願い事も気兼ねすることなく記入出来るのだ。

本殿の目の前に方位石(古殿地)が鎮座しているのだが、これは「みちひらき」の御神徳を表す八角形の石柱で、かつて御神座のあった神聖な場所に位置しており、触ると願いが叶うかも知れない霊験あらたかな代物である。

たから石は形が宝船に似ていることから名付けられたもので、白蛇が石の上に乗っているように見える縁起のいい石で参拝者に金運を与えてくれる可能性を秘めたお宝である。

神社の裏手にひっそりと水が張られているのは「御神田」で毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御田祭」が執り行われることになっている。

御神田を見守る猿の像に別れを告げ、猿田彦神社から去る決心をしたものの、次の訪問先はなお伊勢神宮ではなく二見興玉神社とさせていただいた。

荒海に面するこの神社は御祭神に猿田彦大神を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある場所とされている。参拝者を出むかえるのは要所要所に配置されたカエルのオブジェであり、それらは恭しくも猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)として重要な役割を果たしている。

風光明媚な境内には「さざれ石」、「天の岩屋」といった見どころもあるのだが、私が気になったのは初穂料300円で参戦出来る輪投げに他ならず、私が放れば大谷投手よりも大きな変化のスライダーとなって神様の腰さえ引かせてしまう恐れがあるので遠慮しておいた。

ここでの最大の見どころは夫婦のように寄り添って顔を出す大小の岩で普通に「夫婦岩」と命名されているのだが、野球ファンの感覚からするとそれらはあくまでも「オール阪神・巨人」のシルエットに他ならないのである。

禊橋を渡って先に頭に浮かんでしまった戯言を祓い清め、本日投宿する予定の志摩方面に車を走らせた。

今日は思いのほか気温が低く、海風で体が冷えていたので午後3時前には宿泊先であるセラビーリゾート伊勢志摩に到着した。ここでのセラピーは♪出来るだけ嘘はないように~♪水平線を眺めながらの露天温泉の貸し切り入浴であるのだが、伊勢海老やアワビといった豪華海鮮料理のエキスを体内に吸収して満を持して神宮に対峙する準備を整えることが出来るのだ。

4月9日(日)
温泉、食事に次ぐここでの第3のセラピーは午前5時30分に上り始める太陽とのご対面である。この場所で日の出の絶景を目にすると♪水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ち♪るような悲劇は決して起きないと断言出来るのではなかろうか?

当館の社長が作った多品種健康朝食でセラピーを仕上げると宿にほど近い安乗岬を散策することにした。ここは的矢湾入口の岬で、江戸時代にはすでに幕府直営の灯明台があったそうだ。風光明媚な岬の先は断崖と荒磯で、海女の漁場となっている一方で、灯台に至るまでの道のりにはイベント広場やおしゃれなカフェもあるので天気のいい日には日がな一日いても飽きない場所であろう。

「古事記」の中に出てくる有名な神話で、天照大神が須佐之男命の悪事を戒めるために岩戸の中に隠れてしまわれた伝説にちなんだ洞窟を「天の岩戸」と呼び、この伝説の地は日本各地にあるのだが、伊勢神宮内宮の南東側に位置し、周囲は杉の大木がうっそうと茂り、凛とした霊気に包まれている恵利原の水穴はこれぞマサに「天の岩戸」と呼ぶにふさわしい聖地であろう。

名水百選に選定されている清らかな水は飲用だけでなく、滝行にも供せられており、それ用の更衣室さえ整備されている念の入れようであった。

「天の岩戸」のさらに奥地には「風穴」も口を開けており、何とかここまでは参拝出来たのだが、あまりのパワーに大腸が刺激されすぎたため「便の個室」へ早く駆け込む必要が生じたため、「猿田彦の祠」にはたどり着くことが出来なかったのだった。

腸内環境が落ち着いた頃を見計らって今回のツアーのメインイベントであるお伊勢参りに馳せ参じることとなった。あらためて説明するまでもあるまいが、伊勢神宮は日本人の心のふるさとといわれ、「お伊勢さん」「大神宮さま」とも呼ばれ、親しまれており、明治神宮とは一線を画している。神宮球場を本拠地とする東京ヤクルトスワローズも伊勢打撃コーチを招くなどして本家の大神宮さまに近づこうとしたようであるが、いせ~(威勢)のいい結果とはならなかったようだ。

野球場は持っていないが、伊勢神宮の正式名称は「神宮」であり、宇治の五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)と、山田原にある豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社があり、「神宮」はこれら125の宮社の総称でもあるのだ。

参拝のしきたりであるが、「外宮先祭」という言葉があり、参拝に限らず行事ごとに関しても外宮から行うことが習わしとなっているので外宮の無料駐車場に車を止めてまずは天照大御神のお食事を司る神の豊受大御神に謁見させていただくことにした。

式年遷宮の資料館であるせんぐう館を横目に大鳥居をくぐり、亀石の頭を踏まないように注意しつつ、例年の参拝通り、「風宮」、「多賀宮」、「土宮」、「正宮」をすべて網羅させていただいた。

今年の1月には外宮のみの参拝で強制終了となってしまっていたのだが、これは「片参り」と呼ばれ、よくないこととする説もあるそうだ、外宮から内宮へと向かう車の通行量も落ち着いていたので念願の五十鈴川沿いの有料駐車場に車を止めて鯉のぼりに見送られながら内宮へと歩を進めた。

神様の通る道を避けながら右側通行の宇治橋を渡り、何らかのイベントの名残であるはずの弓道会場を横目に五十鈴川の御手洗場に向かった。このあたりには小魚と小銭が同居しているのだが、手水舎がない時代のみならず、いまだにこの川で手をすすいでいる人も数多くいるのでここでの賽銭は慎むべき行為であるはずだ。

神宮に自生する木々一本一本からすさまじいパワーを感じながら、滝祭神、風日祈宮、荒祭神、正宮と順に参拝させていただき、先の「片参り」を解消して肩の荷を降ろすことに成功した。

インバウンド観光客であっても日本の神社では「二礼二拍手一礼」の作法が頑なに守られるのであるが、私も大谷のバックナンバーである17を思い浮かべながら♪どんなときも優しくあれるように♪という願い事でプーチン率いるロシアをけん制しておいたのだ。

伊勢神宮の御神札(お札)を総称して「神宮大麻」というのだが、今年も大角祓(授与大麻)をいただいて運勢のアップデートをさせていただいたつもりになった。尚、神宮大麻は全国の神社を通して頒布されるものでもあるのだが、FTBでは必ず内宮でいただくことが習わしとなっているのだ。

宇治橋を支える木組みの造形美を胸に刻み伊勢神宮を後にして内宮参道に差し掛かったのだが、ここでは常に人いきれで辟易とさせられる。

人込みをかき分けてたどり着いた先で肉付きのよさげな牛と目が合ってしまったので運命の糸に引かれるように松阪まるよしに入店し、すかさず牛鍋丼を牛食して遅まきながらWBC優勝の祝勝会をさせていただき、伊勢うどんも赤福もスルーして流れ解散となった。

FTBサマリー
総高速代 ¥18,790
総ガソリン代 ¥10,206
総宿泊費 ¥78,300(2泊分、2人分、2食付き)

協力 楽天トラベル

斑鳩のFTB! 柿食へば鐘がなるんか虎の穴の巻

♪斑鳩を旅するのなら春よりも秋がいい あなたが言ってた通りです♪(旅愁~斑鳩にて~ Song by 布施明)

ということで、今年も残すところひと月を切り、♪シクラメンのかほり♪も強くなってきた今日この頃だが、私の心の中にはレコード大賞受賞曲よりも旅情を揺さぶる地味な曲が染みこんでいるようだ。今回は奈良、斑鳩を代表する神社仏閣にお布施をしなければならないと思い立ったのだが、何とか紅葉シーズンが終了する前に古都に滑り込むツアーが敢行されることになったのだ。

2022年12月10日(土)
コロナの第8波を横目に師走の喧騒を取り戻した羽田空港に到着すると13:00発ANA025便に乗り込み、約1時間ちょっとでコロナの痛みを忘れているかのような大阪伊丹空港に到着した。早速ニッポンレンタカーでダイハツムーブを調達すると、途中私の本籍地に立ち寄った後、生駒山の長いトンネルを潜り抜け、奈良盆地に侵入した。さらに信貴フラワーロードの坂道を駆け上がるとほどなくして本日の宿泊地である信貴山観光ホテルに到着した。

夕方6時から供される夕食までの時間を利用して信貴山唯一の天然温泉大浴場で温泉基準に適合した主成分のメタケイ酸を体内に取り込み、心と体を整えることにした。ロビーの虎のはく製と「せんとくん」には敬意を示したものの、「館内でのマスク着用にご協力お願いします」という看板の割には土産物屋にタイガーマスクの販売がなされていないことに多少の不満を覚えざるを得なかった。

アワビの蒸し焼きをメインにした会席料理で奈良の旬の味覚をたしなむと、「夜の朝護孫子寺から天空へと向かう光が灯される、特別なライトアップ」に備えてしばし部屋でくつろぐことにした。

信貴山観光ホテルでは夜の8時から「夜のお散歩ナイトウォーク」という宿泊者向けのツアーを開催しているのだが、FTBはその時間に先立ち、すでにライトアップされた朝護孫子寺方面へと歩を進めていた。全長約106mの開運橋を渡り、鳥居をくぐるとそこはマサに幻想的な世界であった。

朝護孫子寺では新旧、大小取り交ぜた虎にお目にかかることになるのだが、信貴山と虎の因縁は、今から千四百余年前、日本の平和を乱す朝敵物部守屋を討伐するため、聖徳太子が、此の山に来たり、戦勝の祈願をされると、頭上に毘沙門天王が出現され必勝の秘法を授けられた。奇しくも、その日は寅年、寅の日、寅の刻であったのだ。

太子はその御加護で敵を滅ぼし、世治まりて後、自ら天王の御尊像を彫まれ、伽藍を創建して、信ずべき、貴ぶべき山「信貴山」となづけられた。

以来、信貴山の毘沙門天王は虎に縁りのある福の神として、寅年、寅の日を縁日と定め、大法要が行われているのだ。

奇しくも2022年は、36年に1度の周期で巡ってくる「五黄の寅」の年で干支と九星術の組み合わせの中でも最も運気が強いとされている。そのような虎のエキスを十分に吸収させていただくと同時に金運上昇、商売繁盛、厄除け開運まで面倒見ていただくことが出来、マサに至れり尽くせりの参拝となったのだった。

12月11日(日)
早朝6時より信貴山千手院で護摩焚きが行われているので信貴山観光ホテルの宿泊者は是非ご覧下さいとの案内があったので5時半に起床して信貴山に向かった。

毘沙門護摩は、信貴山千手院に代々伝わる秘法で、正統の真言密教が伝える、毘沙門天王のご祈祷の中で最も霊験あらたかなものなのだが、何を血迷ったのか、ホテルから徒歩10分の千手院に辿り着けずに意図しない山の方向にいざなわれてしまった。結局護摩焚きには参加できず、ごまかしのように大和平野の夜明けの絶景を堪能するだけとなってしまった。

気を取り直してホテルに戻り、温泉で身を清め、朝食を済ませると太陽光で白日の下にさらされているはずの虎の穴に参拝させていただくことにした。

昨夜渡った開運橋は日中の時間は開運バンジーという30mのジャンプ台が運用されており、時間があれば私も華麗なダイブを披露するところであったのだが、時間がないために断念した。

昨夜天空へと向かうビームライトに向かって遠吠えをしていた虎は「世界一福寅」でボブルヘッド人形のように電動式で首が動くような構造になっている。

ガビ~ン虎(と呼ばれているかどうかは定かではないが・・・)は「三寅の福」という胎内くぐりの出来るファシリティで 父寅、母寅、子寅が一体となっているトンネルを形成しており、ここをくぐれば三寅の福に与うることが出来ると言われている。

今回行くことは出来なかったのだが、信貴山頂の空鉢護法堂は白蛇様を祀っており、現役の白蛇数匹が恭しく飼育されている。前回幸運にもそのなまめかしい御姿を拝見させていただくことが出来ていたので、今回は登頂せずに体力を温存し、代わりに霊宝館(¥300)を見学させていただいた。

信貴山の寺宝を展示してある霊宝館の中で最大の見どころである国宝 信貴山縁起絵巻(レプリカ)は日本三大絵巻の一つに数えられる平安絵画の名品として知られている。現代の漫画のようなものだが、躍動感あふれる画面を見ていると作成当時は「鬼滅の刃」以上の人気を博したであろうことが容易に想像でき、マサに日本アニメの原点を見たような気がした。

信貴山の虎の穴には縞模様の張子の虎だけでなく、柱を彩る彫刻の寅や何千年も劣化することがないであろう石造りの虎や一億円の財産を咥えている金運の虎等が居住しているのだが、弘法大師でさえ、ここでは寅大師の異名を取らされているのだった。

信貴山を下り、わずか6㎞程の先には日本が誇る世界遺産、世界最古の木造建築を誇る法隆寺が君臨している。2008年の吉日に裏の仕事でJR法隆寺駅近辺に本社を構える客先に米国本社の外人と一緒にプレゼンテーションをする機会をいただき、その後主要顧客に発展させた実績を手土産に参拝して以来の訪問となった。

まずは中門の金剛力士像を見上げて外人との掛け合いの阿吽の呼吸を思い出すと¥1,500の拝観料を支払い、いざ西院伽藍へと突入した。

西院伽藍は五重塔が西に、金堂が東に並列する法隆寺式伽藍配置で、金堂、五重塔、中門と回廊部分は飛鳥時代の建築様式を伝える世界最古の木造建築であることは説明するまでもないであろう。

薬師三尊像をご本尊とする大講堂の中はさながら国宝仏像のオールスターである。名前だけでお布施の出来るはずの布施明ほどではないにしてもわずかながらの金額を瓦の寄進として供出すべく、ひら瓦に毛筆で名前を書付けさせていただいた。

世界最古の木造建築とは対照的に平成10年に建立された大宝蔵院は法隆寺の誇る国宝「百済観音像」を中心とした寺宝の数々を安置している近代建物で、当然のことながら内部の秘宝は撮影禁止の措置が取られている。

ちなみに小学生時代に切手収集に小遣いを投資していた私が保持している第1次国宝シリーズ第1集 法隆寺百済観音(1967年発行)の記念切手は額面は¥15なのだが、現在は¥50という高値で取引されているのだ。

修学旅行生の背中を見ながら東院伽藍までの移動の道すがら、引率の先生による次の奈良の大仏の見学までトイレに行けないのでここで用を足すようにとの助言に従い、トイレを済ませると法隆寺東院の中心建物である夢殿の周囲を旋回させていただいた。

東院の片隅に「法隆寺と紙幣」というコーナーがあり、夢殿の図柄もさることながら、聖徳太子の価格の上昇の歴史が見て取れた。1万円で頭打ちとなった後、福沢諭吉先生への世代交代を果たしたまでは良いのだが、今後渋沢栄一に馴染んで行けるかどうかは若者世代に託すことになるのであろう。

今回のツアーでは柿を食いながら鐘の音を聞くといった正岡子規的なアクティビティはなかったのだが、布施明の歌手としてのジャンルは演歌なのか歌謡曲なのかポップスなのかという疑問はまだ解消されていないはずだと思いながら流れ解散とさせていただいた。

FTBサマリー
総飛行機代 ただ(ANAスカイコイン使用)
総宿泊費 ¥26,480(2食付き、2名様)
総レンタカー代 ¥8,260
総ガソリン代 ¥957
総高速代 ¥3,740
総駐車場代 ¥500

協力 ANA、楽天トラベル、ニッポンレンタカー

犬HK大河スペシャル 鎌倉殿のFTB

1い1い9く2につくろう鎌倉幕府

ということで、日本史の年号暗記の紀元とも言える鎌倉幕府の成立は1192年のことであった。2022年の現在における自身を顧みると、受診料の売り上げに貢献しているだけならまだしも、ざわつく金曜日以外はおはようからおやすみまでNHKが提供するコンテンツであるニュース、ドラマ、紅白歌合戦、大谷MLB中継の中毒となっており、マサにちむどんどんする公共放送の犬と化してしまっている。

NHKとの間に結ばれてしまった主従関係はいみじくも鎌倉殿と御家人のようで、なぜそのような関係性になってしまったのかを解明するためにいざ鎌倉まで馬の代わりに車を飛ばすツアーが開催されることとなった。

2022年6月19日(土)
正午過ぎに正直不動産の心根を持つはずの住宅メーカーに建築を依頼した住居を後にすると、大泉頼朝に仁義を切るためにいざ鎌倉に直行すべきところを何故か伊豆方面に車を走らせていた。西湘バイパスリニューアル工事の影響で小田原ICで高速を下りると地獄渋滞に巻き込まれてしまったものの、午後2時過ぎにはイタリアのアマルフィ海岸を彷彿とさせる熱海市の中心部に差し掛かった。

熱海市街から少し離れた山の中腹部に位置する熱海駅からほど近い場所に伊豆山が鎮座している。伊豆山は、走るが如き温泉が湧き出し海に注いでいたので走湯山とも呼ばれていた。伊豆山神社は、古来、伊豆大権現、走湯大権現として歴代鎌倉将軍の庇護により隆盛を極め、関八州総鎮護として崇められてきたという。

熱海湾を見下ろし、境内に入る前に手指を消毒するために手水舎に立ち寄るといきなり大晦日のNHKの使者ではないかと見まがうほどの紅白の龍に出迎えられた。紅白ではなく、赤白二龍は御祭神 天忍穂耳尊の随神であり、赤は火を表し、白は水を表す、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す温泉の守護神としてこの地を取り仕切っている。

今回いざ鎌倉詣でに先立ち、伊豆山神社に参拝した理由はここがいいくに鎌倉の紀元であるからに他ならない。この地はマサに今から845年前に源頼朝と北条政子が結ばれた聖地であり、彼らの♪秘密にならない二人の秘め事♪の名残が随所に残されている。

頼朝・政子腰掛石という一見すると何の変哲もない背もたれ付きの石が鎮座している。その説明によると、伊豆の蛭ヶ小島に配流されていた頼朝は伊豆山神社を崇敬していた。当時頼朝と政子が恋のから騒ぎをしていたのがこの境内であり、当社で二人は結ばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せたとのことであった。

今や恋愛のパワースポットと言っても過言ではない伊豆山であるが、そのパワーは走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山より道祖神とともに来た神様の降り立つ光り石にも授けられており、肛門から十分におすそ分けいただくことが出来た。

熱海市立伊豆山郷土資料館(¥180)がこじんまりながらも大河ドラマの威を借りて開業していたので入ってみることにした。写真撮影禁止の館内には鎌倉時代から伝わる貴重な品々が展示されていたのだが、中でも頭髪梵字曼荼羅という北条政子が頼朝の1周忌に自らの髪の毛を除髪してこれを刺繍し、伊豆山権現の法華堂の本尊として阿字一幅を奉納したと言われている曼荼羅のレプリカに♪純情・愛情・過剰に異常♪であったはずの尼将軍の情念を感じるとともに自身のあまちゃんぶりを思い知らされた。

ヤマトナデシコが七変化する様は大河のお決まりのストーリーであるとの認識を新たに帰路に立つ朱色の鳥居をくぐろうとした瞬間に燃えるようなバーニングプロの圧力を感じた。なんとその鳥居の奉納者としてNHKの40周年特番が大反響を呼んだ小泉今日子の名が刻まれていたのだった。

♪あなたに会えてよかった♪という感覚を引きずりながら熱海を後にし、一路本日の宿泊先である「海のある伊豆高原 オーベルジュ ピーコック ヒル」へと急いだ。チェックイン後、早速貸し切り露天風呂(天然温泉)で情念を洗い流すと待望の夕食時間となった。

こだわり素材のフルコースはオマール海老、あわび、渡り蟹、金目鯛等の高級食材を駆使した料理がデーブルを彩り、純情と愛情で煮込まれたはずのビーフシチューがメインを飾っていたのであった。

6月20日(日)
昨夕は雨が降っていたので高原から海を見下ろすことは出来なかったのが、今朝は朝風呂から初島が見渡せるほど晴れ上がっていた。

オーベルジュ ピーコック ヒルを出立する際に玄関脇にある天使の鐘を鳴らしてみた。3回鳴らすと天使が舞い降りるとの説明があるのだが、2回目の打撃が芯に当たらなかったのでエンゼルスの大谷には是非その無念を晴らしてほしいと祈りながら伊豆高原を後にした。

今日も西湘バイパスリニューアル工事の影響でシーサイドの道が大渋滞を起こすことを読み取ったカーナビは鎌倉までの道のりに箱根越えを選択した。その影響で伊豆高原から鎌倉市内までは2時間半もの時間を要したが、正午過ぎに江ノ島電鉄鎌倉高校前駅にほど近い聖テレジア病院のタイムズ駐車場に車を滑り込ませた。

偏差値66を誇る名門「鎌倉高校前」駅の踏切はSLAM DUNK等数々の作品の聖地巡礼スポットとなっており、予習復習をきっちりこなすはずの多くのインスタ映えハンターで賑わっていた。

鎌倉高校前駅のプラットフォームに立つと目の前には江の島が迫っており、波打ち際では稲村ジェーンは期待出来ないとわかっているはずのサーファーたちが波と戯れていた。サーフボードを小脇に抱えた多くのサーファーとすれ違うのだが、1985年9月にリリースされたKAMAKURAの1曲目に収録されている外で遊べないと言われた♪Computer Chridren♪の年代ではないかと思われた。

休日の江ノ島電鉄は都内のラッシュアワーの様相を呈していたのだが、乗車した鎌倉高校前から4駅先までつつがなく移動することが出来た。数多くの乗客が下車した長谷駅は鎌倉大仏と長谷寺の最寄り駅となっており、紫陽花が見ごろを迎えていることもあってか、多くの人の足は長谷寺に向かっていた。

鎌倉長谷寺は正式には海光山慈照院長谷寺と号します。往古より「長谷観音」の名で親しまれる当山は、奈良時代の天平7年(736年)開創を伝え、寺伝に曰く、聖武天皇の御代より勅願所と定められた、鎌倉有数の古刹であります。

なお、観音山のすそのから中腹にかけて広がる境内は、四季を通じて花木が鮮やかな彩りを添え、また、遠く相模湾を見渡すことのできる眺望は、鎌倉随一とも賞されるとのことであり、特に紫陽花の時季には多くの参拝客を集め、コロナの余波を引きずっている今年は有料の鑑賞券の配布で入場制限をかけているため、カムカムエヴリバディとはいかず、昼過ぎにのこのこやってきた輩が目にするものはむなしい当日券受付終了の手慣れた立て看板であったのだが、それにもめげず長谷寺の実態を解明すべく、入山させていただく事にした。

多くのキャッシュレスによる支払いに対応した受付で¥400の拝観料を支払うと、金魚の糞のごとく入場者の背中を追って階段を昇って行った。

階段を昇り切るといきなりアントニオ猪木の必殺技で卍に固められたような戦慄を覚えた。その正体は卍を模った卍池に浮かべられた紫陽花ブルーにより、酷暑の中で体感温度が急激に下がった感覚であったろう。

卍池の紫陽花で背筋をしゃんと伸ばした後、千体地蔵に向き合った。千体地蔵とは、各家の先祖供養や水子の供養のために奉納されるお地蔵さまで、数年おまつりしたお地蔵さまは、浄化供養のお焚き上げをすることにより人数調整が出来るシステムになっている。

観音堂との異名を持つ本堂に祀られているご本尊の十一面観音菩薩像は像高9.18mにも及ぶ本邦最大級の木彫仏である。当山の伝えによれば、721年に大和(奈良県)長谷寺の開山である徳道上人の本願に基づき、2人の仏師により楠の巨大な霊木から二体の観音像が三日三晩にして造顕されたという。そのうちの一体は大和長谷寺の本尊となり、残る一体は海中へ奉じられ、736年に相模国に忽然と姿を顕し、その後鎌倉へ遷座され、当山開創の礎となったという。

ご本尊に対する写真撮影は控えなければならなかったのだが、観音堂に隣接する観音ミュージアム(¥300)は観音菩薩の御心に触れ、そのご利益を体感出来る場所とのことだったので入場してみることにした。

ここでの最大の見どころは観音三十三応現身像であり、様々なポーズや表情をした多くの仏像と面談出来るのであるが、最も私の心を揺さぶったのはあたかも手もみをしているかのようなポーズで赤ら笑顔を浮かべているカーネーション好きのほっしゃん像であった。

思わず「まさかや!」と叫んでしまいそうなほっしゃんのすべらない話に背中を押されてミュージアムを後にすると入場出来ないとわかっていながら「あじさい路」の看板に引き寄せられるように観音山方面に足が進んで行った。

散策路に足を踏み入れることはかなわなかったので「あじさい路」の景色がどれほどすばらしいかは御仏の眼力に委ねるしかなかったのだが、少なくとも日本有数の観光地の旬な時季の一旦は垣間見ることが出来たのであった。

帰りの江ノ島電鉄の吊り広告で藤岡弘から後ろ指をさされてはっと気づいたのだが、NHKに対する依存度の増加はマサに自身が保守的になっている証であり、まだまだ「グレートトラバース」のような冒険を続けていかないと衰退してしまうと胆に銘じながら流れ解散となった。

FTBサマリー
総高速代 ¥3,210
総宿泊費 ¥22,620(2人分、2食付)
総ガソリン代 ¥3,376
総駐車場代 ¥1,980

協力 楽天トラベル、NHK

FTB再起動記念 ミッキー吉野推薦 !? 観桜ゴダイゴツアー

♪そこ~にゆ~けば~♪ (出典:ガンダーラ by ゴダイゴ)
♪A long time ago~♪ (Source:Gandhara by GODIEGO)

ということで、オミクロン禍による蔓延防止法に気を使ってどこにも行く気が起こらず、猫守にうつつを抜かしてトラベラーの本能が失われてしまったかのような低迷期を脱するべく、神聖なひなたの道への帰還を目指してFTBを再起動させる運びとなった。

その第一弾としてキャスティングディレクターとしてにわかに脚光を浴びているはずの奈良橋陽子が多数の楽曲の作詞を手掛けたゴダイゴにゆかりのあるツアーが桜吹雪とともに開催されることとなったのだ。

2022年4月9日(土)
正午発ANA023便、B787-8機は出発の準備に時間を要し、多少の遅れを出したものの満席の乗客をつつがなく大阪伊丹空港まで送り届けてくれた。


早速551蓬莱に駆け込み、豚饅を片手にニッポンレンタカーでワゴンRをレンタルすると、へぎ板(敷き紙のこと)にくっついた饅頭の裏皮を歯でこそぎ落としながら味わい尽くし、いにしえの都方面に向かって車を走らせた。

大仏と満開の桜のマリアージュが楽しめるということでSNSでバズっている壷阪寺の住所をカーナビにセットし、順調に目的地に向かっていたのだが、午後3時過ぎに残り1.3kmという地点で地獄渋滞の最後尾で行く手を阻まれた。30分経過しても300m程しか進まなかったので途中Uターンする何台かの車に倣って回れ右をして壷阪寺観光未遂はゲームオーバーとなった。

気を取り直して、「世界遺産である大峯の山々に抱かれ修験道と共に奈良県の美しい自然と文化が残る村」というキャッチフレーズを誇る天川村を所在地とする本日の宿泊地である洞川(どろがわ)温泉へと急いだ。道中立ち寄った道の駅 吉野路 黒滝で満開の山桜が青い空と緑の木々に映えている光景を見て留飲を下げると夕暮れ前に何とか洞川温泉卿に辿り着き、花あかりの宿 柳屋に投宿した。

源泉かけ流しの単純温泉でシンプルに豚饅の香りをリセットすると、夕食時間の6時45分迄まだ時間があったので温泉街を探索させていただくことにした。


洞川温泉郷は大峯山から発し熊野川の源流ともなっている山上川のほとり、標高約835m余りの高地に位置する山里で、その冷涼な気候から関西の軽井沢とも呼ばれるところである。どことなくなつかしく、昭和の時代にタイムスリップした雰囲気を漂わせるまちなみには、旅館・民宿が20数軒、そのほかに土産物店や古来の生薬・胃腸薬である陀羅尼助丸を製造販売する店13軒や各種の商店が軒を連ねている。

温泉街の外れにある真言宗醍醐派大本山大峯山龍泉寺に湛えられている清らかな水に釣られて軽く参拝させていただくことにした。マサに♪ホーリーアンドブライト♪の世界を体現しているかのような雰囲気の中で私の興味を引いたものが2つあった。一つ目は柔道一直線の主役である一条直也が履いていた仕様のものより明らかに重そうな鉄の下駄なのに盗難防止のためか、ポールに鎖で繋がれていた光景を見にしたことと、2つ目は「なで石」と呼ばれる丸い石で、仕様書によると持ち上げる前になでると軽くなり、叩くと重くなるという万有引力を発見したニュートンに対する果敢なる挑戦であった。

お待ちかねの夕食タイムになった。配膳されているメニューに「ならジビエ」はなかったものの奈良県産の山の幸を中心とした美味で健康的で満足のいくものであった。

4月10日(日)
今回の宿泊先に家族連れはなく、♪今日も子供たちの歌声が世界を♪大きく包むような状況ではなかったので安眠してさわやかな朝を迎えることが出来た。
旅館から撤収する際に宿主から今日の吉野は桜も満開だが人も満開だよと警告されたのだが、1時間後にその実態を思い知ることになった。

近鉄吉野駅を目指してワゴンRを走らせ、桜満開の週末には吉野山にはマイカー規制が敷かれていることは周知の事実であったが、臨時のパークアンドバスライド用の駐車場も午前10時の段階ですべて満車となっており、途方に暮れながら国道169号線のむなしい往復に勤しんでいた。その間に開発したバックアッププランによると終点の吉野駅より数駅前の近鉄駅の近辺に車を乗り捨て電車で吉野山にすべりこむという秘策であった。

近鉄六田駅と越部駅の間にホームセンターのコメリが駐車場を構えていたので買う気もないのに車を止め、便所まで利用させていただいたという罪悪感を引きずりながら越部から電車に乗り、11分後に終点吉野駅に到着した。満員電車から降りて見た光景は全盛期のゴダイゴの武道館ライブに向かうような花見客の大行列であった。

山全体が世界遺産に登録されている吉野山は標高毎に下千本、中千本、上千本、奥千本に区分けされ、桜の時期にはその開花状況が吉野町のホームページでアップデートされる体制が確立されている。

吉野山は全国的に桜の名所としてその名をとどろかせており、4月上旬~中旬にかけて3万本ともいわれるシロヤマザクラが世界中の観光客をおびき寄せている。日本全国の多くの桜の名所では、近代になってから桜並木を整備したり、古くからある古木を大切に 保護したり、いわゆる「花見」のために桜を植栽・管理しているのだが、吉野の桜はそれらのものと は一線を画し、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきたのだ。

今日の花見客の行動は散り始めになっている下千本をスルーして満開になっている中千本にいち早く到着するために右往左往していた。中千本到達のためにはケーブルカーという名を借りたロープウエイに乗っていくのが最速のコースであるが、案の定乗り場には長蛇の列が出来ていたため、ケーブルカーの底面の「ようおこし」を見上げながら、急な遊歩道を駆け上がっていった。

中千本では土産物屋や飲食店で民衆がごった返していたのだが、桜吹雪舞う喫茶店で水分を補い、グリコ・森永事件で迷宮入りとなったはずのキツネ目の男が焼き栗をかき回しているのを尻目にやみくもに山の奥地に向かって行った。

ミッキー吉野という太ったリーダーがゴダイゴと命名し、その名をかたることで日の目を見ることとなったはずの後醍醐天皇の墓参りと♪ビューティフル・ネーム♪等の合唱(合掌)が今日ここにやってきた本来の目的であったので道標を頼りに向かうべき方向へと進んでいるはずであった。

しかし、山腹をピンクに染める壮大な景色に目を奪われているうちに、大和吉野で南朝政権を樹立し、室町幕府が擁立した北朝と争い、ついには吉野で崩御した後醍醐天皇陵に辿り着くことはかなわなかったのだった。

ゴダイゴが音楽プロデュースした1978年のテレビドラマ「西遊記」でも結局天竺に辿り着けなかったという落ちであったため、翌年の「西遊記II」への持ち越しとなったのだが、FTBにおいても当然吉野のリターンマッチは企画されることであろう。その時には猪八戒役が西田敏行から左とん平に変わったような大きなインパクトが与えられるはずだと負け惜しみながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ただ(すべてスカイコイン使用)
総レンタカー代 ¥9,460
総高速代 ¥4,040
総ガソリン代 ¥3,569
総近鉄代 ¥560
総宿泊費 ¥27,960

協力 ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、近畿日本鉄道、コメリハードアンドグリーン大淀店

Go To FTB 紅葉を見に行こ~ようツアー奥鬼怒&日光

都道府県魅力度ランキング2020で絶対王者の茨城県を抜いて見事最下位の座を獲得した栃木県であるが、U字工事の懸命なプロモーションにもかかわらず、その魅力が国民に浸透していない現状を憂い、山間の秘湯や世界遺産が最も輝きを放つ晩秋にGo toトラベルに便乗させていただくツアーを開催することにした。

2020年11月8日(日)
お昼前に自家用車で日野市の自宅を出発し、毎回飽きもせずあきる野インターから圏央道に乗り、東北道の宇都宮インターを経由して日光道に入り、日光インターで一般道に下りるとひたすら山道を霜降高原方面に走っていた。途中のドライブインで山菜の量が少ないのが気になった山菜そばで空腹を満たし、標高1,400m以上の峠を越えて奥鬼怒方面へ向かった。

奥鬼怒温泉への入口となっている日光市営バスの終点である女夫渕(めおとぶち)無料駐車場に着いたのは2時40分くらいで、そこで自家用車を乗り捨てて
ひたすら旅館の送迎バスが到着するのを寒空の下で待っていた。女夫渕より先の奥鬼怒温泉には4つの温泉宿があるのだが、一般車の通行は出来かねるとのことなので奥鬼怒歩道を1時間半かけてトレッキングするかクマに遭遇するリスクを避けるためにバスに揺られるかの選択肢を与えられていたので迷わずバスで行くことにした。

送迎時間の3時を少し過ぎて宿のバスがやってきたので宿泊客は各自出席を取られて乗り込んだのだが、日光市営バスに乗ってくるはずの最後の1組がバスの遅れで未着になっていたのでバスの運転手の決して責めないでやって欲しいとの助言を胸に刻み、コロナ対策用の半開窓から吹きすさぶ寒風に震えながら連帯責任を取っていた。

3時20分を過ぎてようやく出発となり、バスは山道を登って行ったのだが、運転手はとある法面の前でおもむろにバスを止め、斜面にへばりついている特別天然記念物のニホンカモシカの姿を指さした。カモシカフロントの窓に座っている乗客には絶好のシャッターチャンスが与えられたのだが、ブラインドサイドの乗客には千載一遇のチャンスをふいにしなければならない無念のみが刻みこまれたのだ。

劣化してガード不能なガードレール越しに見えるがけ下の景色を堪能すること約30分、ようやく神秘の森に包まれた関東最後の秘湯として名高い日光国立公園・奥鬼怒温泉郷の八丁湯(はっちょうのゆ)に到着した。

到着後、リピーターの宿泊客は速やかに部屋の鍵が渡されたのだが、八丁湯初心者たちは受け付けの脇に集められ、宿主による口八丁手八丁のオリエンテーションの洗礼を受けなければならなかった。ようやく鍵を受け取り、長い渡り廊下に染み付いたワックスの香りを吸い込みながら奥鬼怒の豊かな原生林に囲まれた安らぎのログハウスツインに入室した。部屋の中はWiFiの電波は受信出来るがテレビはなく、高い天井による広々とした空間は独特の音響効果を生み、壁1枚
隔てられた隣室からの隠微な音が一晩中こだまするとはこの時は思ってもみなかったのであった。

宿備え付けの茶菓子で血糖値を調整すると日が沈まないうちに100%自然湧出のかけ流し自家源泉を堪能させていただくことにした。昭和4年開業時の野天風呂
「雪見の湯」をはじめ、「滝見の湯」「石楠花の湯」の3つの混浴風呂でダイナミックな景観を楽しみながらしばしコロナの恐怖から心身を解き放した。

6時20分に食事処に向かうとそこには地の物をふんだんに味わう山の料理が用意されていた。魅力度ランキング最下位とはいえ、栃木の食材を活かした素朴で味わい深い郷土料理は松茸の土瓶蒸しやイノシシ鍋等、人気県でふるまわれる高級料理とそん色のないものであった。

11月9日(月)
北関東系と思われる隣室のヤンキーカップルに安眠を妨害されたものの、温泉効果により肉体には活力がみなぎっていたので朝ぶろの後、うっすらと降り積もった雪をものともせず看板犬の威嚇を軽くいなしていた。

食事処に場所を移すと玉手箱のような風呂敷包みが無造作に置かれているようであったが、結びを振りほどき三段重を展開すると素朴な山菜料理が姿を現すという趣向が凝らされた粋な朝食の演出であったのだ。

下野の国の山間に一足早い冬の訪れを実感した八丁湯を後にすべく送迎バスに乗り込み、道中の工事の影響で30分以上かけて女夫渕に戻ると自家用車で平家落人のひなびた寒村を疾走した。途中で観光百選「瀬戸合峡」という看板が目についたのでその実力の程を確かめてみることにしたのだが、鬼怒川の上流にかかる吊り橋を見て寒気を感じたのでそのまま退散した。

途中美しい紅葉に目を奪われながら峠を上り、下り、日光の市街地に差し掛かると突然車の列がせき止められてしまった。どの車も世界遺産「日光の社寺」方面に向かっているようで観光地の駐車場は平日とは思えないような賑わいであった。

何とか東照宮大駐車場に車をねじ込み、五重塔を一瞥して拝観受付所でセット料金(東照宮拝観券+宝物館入館券)チケット(¥2,100)を購入し、徳川家のお膝元の門をくぐることとなった。

平成31年3月31日まで続いた平成の大修理を経て新装開店なった日光東照宮は1617年に徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社であるが、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、1636年に造替されたものである。

国宝、重文がずらりと並ぶ社殿群の中で最初に参拝客をくぎ付けにするものは神厩舎の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻である。この教訓は一説によると農家の長男に嫁入りした娘の姑対策として要所要所で有効性を発揮するものであったろう。

日光東照宮の代名詞となっている日本を代表する美しい門は陽明門で宮中正門の名をいただいたと伝えられており、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。

ボンよ、君たちの仲間が普通にうたた寝をしている姿の彫刻が国宝に指定され、強い者が弱い者を虐げることのない共存共栄の平和な世の中を表現しているという事実を思い知ってくれないか!?

というわけで、伝説的な彫刻職人左甚五郎(ひだりじんごろう)の作品と伝承されている「眠り猫」であるが、その左とやらがなんぼのもんかよくわからない輩にとっては何の変哲もない猫の彫り物にしか見えないはずであろう。

猫を養っている坂下門は江戸時代には正式には将軍社参のときにしか開かれなかったそうであるが、いつからか全開されるようになり、人々は気軽に家康公の御墓所に続く奥参道を闊歩出来るようになったのである。

奥社宝塔(御墓所)は御祭神徳川家康公の墓所で、昭和40年、東照宮350年祭を機に公開されたという。参拝者はホトトギスが鳴くまでじっと待てるような忍耐力を身に着けるべくこの場に佇み、祈りを捧げているのだった。

本殿・石の間・拝殿からなる御本社は東照宮の最も重要なところで、参拝客は靴を脱いでお邪魔することが出来るのだが、写真撮影は禁止となっている。御本社を守る唐門は全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、その表面には非常に細かい彫刻が施されている。

東照宮で一番盛り上がる場所と言えば「鳴き龍」で有名な本地堂(薬師堂)であろう。薬師堂にはヒノキ板が34枚はめ込まれた鏡天井があり、狩野派によって
描かれた巨大な龍の水墨画風の絵を見上げることが出来る。その龍の顔の直下で拍子木をカーンと打つとあら不思議!音が共鳴し、鈴を転がしたような龍の鳴き声が聞こえるというが、本当は誰も龍の鳴き声がどんなものであるかは知らないはずである。

残念ながら「三猿」、「眠り猫」と並び称される日光三彫刻のひとつである「想像の象」は見逃してしまったので後日ガネーシャを見て想像しておくことにした。また、華道家の假屋崎省吾が個展をやっているという立て看板があったのだが、本仮屋ユイカではなかったので興味は引かれなかった。

宝物館の方は御祭神徳川家康公の遺愛品をはじめ、朝廷や将軍家・大名家からの奉納品、当宮の祭器具などを収蔵、展示公開しているのだが、刀剣類や甲冑、大工道具等のガテン系の物が多く、文系の書画や絵巻が少なかったことに合点がいかない輩は少ないと思われた。

夕暮れ近くになると参拝客の数に落ち着きが見え始めたので標高634mの紅葉を思う存分堪能し、持て余し気味の6000円分の地域共通クーポンの使い道を考えながら流れ解散とさせていただいた。

FTBサマリー
総宿泊費 ¥26,455 (二食付き、二人分)
総ガソリン代 ¥4,421
総高速代 ¥8,690

協力: 楽天トラベル、国土交通省観光庁

Go To FTB 紅葉を見に行こ~ようツアー北の国から

♪コロナの果て、緑の城、ぼくらのふるさと~♪

というわけで、1970年代の初頭、私が小学生として活躍していた頃に「トリプルファイター」という円谷プロの特撮テレビ番組が平日10分の枠で学校帰りの夕方にひっそりと放映されていた。内容は三位一体型のヒーローものであり、悪役側の社有車としてトヨタ・コロナの代わりにかのポンコツまめ車として名高い「スバル360」が大量動員されていた。

その話はともかく、経済と対策の両立に躍起になっている政府が始めたGo Toに乗っかるのは良いのだが、三本目の矢として何か一つ足りないような気がしたのでその答えを求めて錦秋まぶしい北の国をさまようトラベルが開催されることとなったのだ。

2020年10月18日(日)
午前11時発ANA061便に乗り込み、ロールスロイス製エンジンフロントの窓側席に陣取り、眼下に見える下北半島を眺めながら本州に別れを告げると広大な平野が広がる北の大地が迫ってきた。

定刻12時40分に新千歳空港に到着するとニッポンレンタカーで小型車をレンタルして早速近隣の千歳サーモンパークへと向かった。

「サーモンフェスタ」と名乗るご当地ピザで小腹を満たすとサケのふるさと「千歳水族館」で日本最大級の淡水魚水族館の全容を垣間見ることにした。支笏湖をフィーチャーした巨大水槽には青い背景に温泉宿で串を刺されて焼かれた状態でお目にかかるような魚の魚影が多数浮かび上がっていた。ふとシューベルトのピアノ五重奏曲のメロディーに耳をくすぐられたような感覚を覚えると目の前には虹色の♪マス♪が泳いでいたのだった。

♪め~ぐる季節の中で♪この水族館の最大の見どころは目の前を流れるちとせ川に直結した水中観察窓から見るサケの遡上である。まだまだピークを迎えていないとはいえ、三密を避けるようにソーシャルディスタンスを取りながら川を上るサケの姿は圧巻であった。また、途中産み落とされた卵を守るために窓辺で警護しているサケの姿を見ると傷つきながらも次世代へと夢を託す責任感が強く感じられた。

いきなり「バブー」という赤ちゃんセリフで我に返ると目の前の水槽にはふ化を控えたイクラちゃんが手厚く保護されていた。水族館を出ると目の前のちとせ川
には遡上するサケを一網打尽にするインディアン水車が仕掛けられており、その少し下流には上ることを躊躇しているように見えるサケが待機していたのだった。

都市空港近辺とはいえ大自然の驚異の一環を目の当たりにさせていただいたのでその勢いで内陸部へと遡上し、Go To 35%割引のの恩恵を受けるために札幌市南区にある景勝温泉街である定山渓に向かった。定山渓温泉街の中央に位置する老舗宿であるホテル鹿の湯にチェックインを果たすと目の前を流れる川を眺めながらナトリウム・塩化物泉で身を清めた。ブッフェ形式で供される夕食では鹿肉は出なかったものの北の大地の恵みを十分に堪能させていただいたのだった。

夜の温泉街を彩る「定山渓ネイチャールミナリエ2020」というイルミネーションが10月20日の千秋楽を迎える直前だったので支笏洞爺国立公園の内部に浮かぶ
ライティングパフォーマンスの粋を体感させていただくことにした。会場はホテル街の中心から徒歩数分の二見公園で参加者は自然に宿る生命の輝きが木々や岩石に花の様に咲き誇り眠れる森が目を覚ました様子にしばし寒さを忘れて凍り付いていたのであった。

10月19日(月)
北海道で紅葉を見に行こ~よ~となると定山渓エリアの「五大紅葉」が定番らしい。鹿の足跡さえ見つからなかった鹿の湯をチェックアウトすると昨夜の幻影の
正体を見るために再び二見公園を訪れた。かっぱの親子に見送られて川沿いを歩くとあたりは天地がひっくり返るほどのカラフルなモザイクで彩られていた。二見吊橋から峡谷を見下ろすと川面に映し出された天地のコントラストに再び言葉を失ってしまったのだった。

時間の都合で「五大紅葉」すべてを網羅するわけにはいかなかったのだが、定山渓温泉から車で15分で行くことのできる「豊平峡ダム」は押さえておくことにした。1972年10月に完成した豊平峡ダムは道内では一般見学ができる唯一のアーチ式コンクリートダムで札幌奥座敷の定山湖と千丈岩が織りなす自然豊かな景観美が多くの観光客を集めている。

すでにほぼ満車状態となっている駐車場に車を押し込み、ダムまで運行されているハイブリッド電気バス(往復\640)の長い列に並び、微妙なソーシャルディスタンスを保っているバスに乗り込むと10分程度で絶景エリアに辿り着いた。切り立った岩盤斜面に生える木々の色はマサに秋色であり、放流を眺めながら長らく放浪したいところであったが、次から次に訪れる観光客にも場所を譲りたく、絶景だけを脳裏に焼き付けて退散を決め込んだ。

昨今の感染拡大のニュースを見るにつけ、気持ちがくら~くなる輩も多いと思うが、大志を取り戻すためにさっぽろ羊ヶ丘展望台(¥530)へ立ち寄った。沈黙する羊と♪恋の町札幌♪の歌詞付き石原裕次郎顔面像を横目に展望台に急ぐとクラーク博士の指さす方向にはコロナの果ての緑の大地が広がっていたのだった!

新千歳空港に戻り、5時半発ANA074便に乗るまでのしばしの待ち時間に札幌で人気が出ているはずのエビの出汁が効いているスープカレーを掻き込みながら、子供の頃に「マグマ大使」から受け取ったはずの大志があればどんな困難も乗り越えられるはずだと信じることにした。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥76,040(二人分、内¥63,120分はANAスカイコイン使用)
総ANA株主優待券代 ¥6,000
総宿泊費 ¥11,310(二食付き、二人分)
総レンタカー代 ¥11,220
総ガソリン代 ¥2,019
総高速代 ¥3,090

協力: ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、国土交通省観光庁

FTBJ平成最後の流氷遊ウォークと知床残氷ツアー

ボンよ、日本政府とロシアとの北方領土返還交渉が暗礁に乗り上げている今日この頃だが、北方領土周辺を埋め尽くす流氷の動きを氷のような頭脳で日々分析し、満を持して北の国からのレポートをお届けする時期となったのだが、さて結果やいかに。

2019年3月9日(土)
AIR DOとの共同運航便であるANA4777便は定刻より約15分遅れた11時半頃の出発となり、約2時間のフライトで午後1時過ぎにロコ・ソラーレの本拠地であるはずの女満別空港に到着した。早速ニッポンレンタカーでワゴンR をレンタルすると「そだね~」の聖地である常呂町のカーリング場に向かう変わりに一路知床半島を目指してひた走った。

長時間運転が眠気を誘い、うとろうとろしそうな状態を何とか持ちこたえることに成功した午後3時前にウトロに到着すると早速ゴジラ岩の麓にオフィスを構えているゴジラ岩観光の駐車場にワゴンRを滑り込ませた。

海外からの団体と思われる観光客がドライスーツに身を包んで観光バスで出発するのを横目に装飾を施せばウルトラマンの気ぐるみにもなりうるスーツの圧迫感を全身に受けながらワゴン車に乗り込むとものの数分で流氷遊ウォーク(¥5,000)の舞台であるウトロ漁港に到着した。

海へと続く階段を降り、防波堤の内海がカチンコチン状態になっている安定した海面に着氷すると大海原を目指して歩を進めていった。オホーツク海から流れてきた流氷が密集し、外海との境界となっている岸壁に出口をふさがれると内海全体が分厚い氷に覆われるため、歩きにくいドライスーツであってもスムーズに前進することが出来るのだ。

今日は気温が比較的高めで行進中にドライスーツの内部が汗だくになる懸念が大きかったので適当な氷の割れ目を見つけて頻繁に涼を取ることも大事であった。氷の下は流氷の天使クリオネを育む冷海であるが、遊ウォークの参加者の中にはクリオネをすくって踊り食いをした異邦人もいるという衝撃の事実が同行ガイドから告げられた。

数メートル先の海面に不自然な渦が巻いているような光景がふいに目に飛び込んできた。北方の海から流氷サーフィンで流れ着いたアザラシがついに海上に姿を現すかと期待でうずうずしたのだが、まるでアザラシにあざむかれているかのような感情が胸の中に渦巻くだけだったのだ。

約1時間の遊ウォークがとどこおりなく終わりの時間をむかえ、氷平線に向かって進む次の団体グループと入れ替わるように帰路についた。途中新鮮な氷を拾ってかじってみたものの夜の晩酌の水割りには供すことが出来ないので氷の味見はあくまでもライブで実行しなければならないのである。

ゴジラ岩観光オフィスを後にして温泉民宿旅館「酋長の家」を仕切っている老犬「コロ」が現役でいることを確認し、ゴジラ岩のシルエットが年々「いいね!」の親指化している現象を憂いながらウトロ地区を一望する見晴橋へと急いだ。

西の空へ沈み行く夕日が氷の微笑を映し出す光景はマサに神秘的と呼ぶにふさわしくシャロン・ストーンのようにすとんと太陽が沈みきるまで寒風に身を削られながら身じろぎもせずに立ち尽くしていた。

ウトロでの定宿になっている世界遺産の宿しれとこ村つくだ荘にしけこむと早速源泉かけ流しの「熊の湯」で冬眠状態になった体を解凍すると毛蟹をはじめとする北の味覚を味わいつくし、長い夜をゆるりと過ごさせていただいた。

3月10日(日)
流氷レーダーによる観測結果を受けて海氷は知床半島の東側の羅臼周辺に回りこんでいるだろうとの仮説を元にウトロを後にして一路昆布の聖地羅臼に向かうことにした。知床半島の付け根からのびる海沿いの道から見える海面は氷に覆われた白海ではなく澄み切った青海で流氷クルーズの催行に一抹の不安を抱きながら正午前に道の駅知床らうすに到着した。羅臼の観光船乗り場から出発するクルーズ船は複数あるのだが、その一部はすでに欠航を決め込んでいることが確認されたので流氷遊ウォークでお世話になったゴジラ岩観光のオフィスに駆け込み流氷クルーズの可否を問うたのだが、むなしく欠航が告げられたため、鈍氷で後頭部を殴られたような衝撃を覚えてしまったのだった。

日曜日の午後にもかかわらず羅臼の町は閑散としており、羅臼昆布を観光客に売りさばくはずの土産物店はどこも閉店ガラガラだったので冬期間閉鎖中の知床峠に続く道の途中で見つけた羅臼町郷土資料館で知床の豊かな自然をダイジェストで学ばせていただき、ついでにそこで売られていた羅臼昆布の端くれを購入することに成功した。

土産物屋は開いてなかったが、かろうじて営業していた食堂に駆け込むと壁一面が実物大羅臼昆布で埋め尽くされていたので勢いで羅臼昆布ラーメンを発注してしまった。透明なスープから湧き立つ湯気の香りとレンゲですくった液体を少し口に含んだだけで雄大な羅臼昆布の世界が一気に脳内に膨らんだ。さらに窓越しに見える小さい流氷が風に乗って流されていくさまが北の食材に対する味覚をさらに磨いていくようにも思われた。

♪あ”~あ”~あ・あ・あ・あ・あ”~♪

ということで「まんぷく」になったおなかをかかえて車に乗り込むと北の国から2002遺言で内田有紀との愛をはぐくんだ純の番屋を素通りした。繁忙期には食堂としての機能を果たしているようで美術さんの努力なしにその外観が朽ち果てることなく17年も保たれているのだった。

流氷の大半は遠く水平線の向こうに流されてしまっていたのだが、岸に乗り上げている屹立した残氷がこの地域に押し寄せる流氷濃度のすさまじさを語っていた。

知床半島を脱出し、標津町からオホーツク海に向かってマジシャンのひげのように伸びている野付半島に向かった。冬季のこの地域はがっつり凍った内海の野付湾と流氷が押し寄せるオホーツク外海とが対照的な景色を織り成しており、エゾ鹿やキタキツネ等の野生の王国としての一面も見せている。

今回の流氷ツアーではクルーズ船には乗れなかったが、着岸した流氷が織り成す新たな造形美を負け惜しむことなく堪能出来たのではないだろうかと考えながら夕日に向かって走っていた。女満別空港で原形野菜が入ったスープカレーを食して北の旅への締めくくりとし、午後7時発のANA4780で羽田へと帰っていった。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥46,480
総宿泊費 ¥21,400(二食付き)
総レンタカー代 ¥10,044
総ガソリン代 ¥2,700

協力 ANA、AIR DO、楽天トラベル、ゴジラ岩観光