祝FTBJ47都道府県制覇!沖縄ツアー!!

ネ~バ エ~ン! ♪♪ ネ~バ エ~ン! ♪ わ~たしたちの未来は~♪♪

マサよ、君は12月中旬の日本でTシャツ1枚で過ごした経験はあるか??

私は・・・ある!!!

というわけでFTBJにとって日本47都道府県で唯一未開の地として残されていた沖縄を今回制覇することが出来た。12月9日(土)ANA991便に颯爽と乗り込み上空10,000mから高度を徐々に下げて那覇空港に近づくとコーラルブルー、コバルトブルー、エメラルドブルーに染まった東シナ海が眼下に飛び込んで来た。空港からニッポンレンタカーを借りて沖縄の市街に飛び出すといきなり摂氏25℃の陽気に包まれ、未だに残暑の厳しい亜熱帯の沖縄の実力を思い知らされた。

那覇市街を通り抜けて北に向かい、米軍嘉手納基地を右手に見ながら車を走らせ、まず最初に訪れたのは琉球村(入場料¥840)であった。ここは古き良き時代の琉球の歴史と伝統を伝えているファシリティで内部には200~300年前に建てられた家屋が移設され、家の中ではおばぁちゃんたちが沖縄民謡を教えたり、染物や泡盛、黒糖で作ったお菓子をしきりに観光客に高値で売りつけようと精を出していた。

琉球村で古き良き沖縄の生活を堪能した後、さらに北に進路を取り、万座ビーチに向かった。万座ビーチは数ある沖縄のビーチの中でもその美しさと広さから最高位に位置付けられており、ここに来なければ沖縄に来たことにはならないと言われているそうだ。万座ビーチを見下ろすように建てられているANAホテルは貝殻状の形状をしており、沖縄では最高級のホテルとして君臨している。中に入ると吹き抜けのロビーにはアメリカの国旗を模した装飾が施されており、何事かと思ったが、去る7月の沖縄サミット時になんとあのクリントン大統領と愛娘のチェルシーが宿泊したとのことであった。ホテル内のいたる所に当時の写真が飾られており、クリントンの生サインとともにまんざらでもないといった面持ちのクリントン大統領を囲んだ記念写真が展示されてあった。

米国の占領下にあった沖縄が日本に返還されたのは1972年の5月15日であり、その3年後の1975年には沖縄海洋博が開催された。その名残が海洋博公園として残されているので見物に行ってきた。海洋博公園の最大の見せ物は海洋博当時の25年前から現役で活躍しているバンドウイルカ主演のオキちゃん劇場である。オキちゃんと競演しているトッポちゃん、ゴンちゃんといったイルカたちはトレーナーのサインに合わせて様様な技を披露し、観光客の度肝を抜いていた。ここではイルカのショーのほかに海亀やマナティのような海洋生物も間近で見物出来、しかも入場料がただという大変お値打ちな観光地であった。

日もとっぷりと暮れたので那覇市に戻り、那覇市内のホテルがほとんど満室で予約出来なかった中でまあ~えっか!と思って予約しておいたエッカホテルに引き払い、荷物を置くと早速那覇市一の繁華街である国際通りに向かった。通り沿いのとある沖縄家庭料理の居酒屋で沖縄でシェア70%を誇る地ビールであるオリオンビールとゴーヤチャンプル等の地元料理を堪能した。しかし、大蔵省大阪支店の生活にすっかり慣れ親しんだマサであればおびただしい種類の泡盛をすべて飲み干して「新婚早々尻に敷かれてかなわんてやってられへんわ!ちょんわ、ちゃんわ、クェッ!」と愚痴をこぼしていたであろうと思われた。

翌日曜日は時間もあったので日本のダンスシーンをリードするTRFのサムも訪問した実績のある安室奈美恵の実家に乗り込むかもしくは天下り先を探しているマサをエイベックスグループからデビューさせる布石を打つために沖縄アクターズスクールの願書を取りに行こうと思っていたが場所がわからなかったので断念した。その代わりに最近ユネスコの世界遺産に登録された首里城を見学した。

琉球王朝の栄華と衰退に興味を持っている私は入場料¥800の大金を支払って首里城本殿と北殿の内部をくまなく見学した。今まで数回破壊と修復を繰り返して来たこの城は第二次大戦末期の沖縄決戦の時に米軍から壊滅させられ、1992年に復元して琉球王国のシンボルとして蘇っている。また、去る7月22日の沖縄サミット時の各国首脳晩餐会の会場として首里城の北殿が使用されたことはあまりにも有名である。

沖縄名物沖縄そばで軽く昼食を済ました後、琉球バスに乗って沖縄本島南部へと向かった。第二次大戦時に那覇市内を米軍に攻略されたあと日本軍および沖縄県民が最後まで抗戦した場所が他ならぬ沖縄南部である。ここではひめゆりの塔と付属のひめゆり平和資料館を見学した。その日の資料館は語り部の研修のために説明員がいなかったものの内部はおびただしい数の修学旅行生を含む観光客でごったがえしていた。若者たちは自分たちと同じ年頃の生徒が見舞われた悲劇を目の当たりにして言葉をなくしており、また老人たちは皆展示物を見て涙に暮れていた。

得々沖縄情報:

*沖縄には鉄道は無く移動手段は車かバス、レンタカーに限られるが現在那覇市の都心部では平成15年開通予定のモノレールを建設中である。

*かゆみを止めてくれるのは薬用メンソレータムであるが、ここ沖縄で「めんそーれ」というと歓迎を意味するのはあまりにも有名である。

*アメリカで生まれ沖縄で育ったブルーシールというアイスクリーム屋が街のあちこちで見受けられる。特に人気は地元の紅芋で作った紅芋ソフト(¥200)である。

次回はFTB21「投稿特報FTBオードリーもこお~どりするローマの休日ツアー」をお送りする予定です。

マサよ、必ず来いよ! もし来なければたのんでもない「泡盛漬け生ハブwithマングース」が10人前が着払いで届いても知らないよ・・・

祝!イチロー大リーグ挑戦記念FTB in シアトルツアー

というわけで、マサの結婚式の喧騒も覚めやらない今日この頃であるが、先日めでたい事にイチローとシアトルマリナーズの契約がまとまり、日本人初の野手の大リーガーが誕生する運びとなった。実は私も高校を卒業して大学に入学するまでの一年間イチローして活躍していた実績があるため、他人事のような感じがしなかった。そこでイチローがシアトルでの生活に困らないようにFTBの肝煎りで現地調査を決行する運びとなった。

11月22日(水)の夕方NH7030便にてボーイング社が誇る最新鋭のジャンボジェットであるB777‐200に乗り込んだ私はイチロニッサンではなくシアトルを目指した。同日午前中に2年ぶり3回目のシアトル到着後、早速ハーツでレンタカーを借りてイチロ、ボーイング社があるワシントン州エベレットを目指した。エベレットはシアトルのダウンタウンから30マイルほど北上した場所に位置し、ここでボーイング社が誇る最新鋭飛行機の製造工程ツアーを行っていることで有名である。日本でも有数の航空評論家である私に言わせるとここに来なければシアトルに来た意味が無い程重要な拠点である。

ツアーセンターで参加料$5(ボーイング社および航空会社の従業員はただ)を支払うと何とか午前10時のツアーにもぐりこむ事が出来た。ツアーはまず最初にシアターで一連のB747-400の製造工程の流れを見せられた後、いよいよバスで工場に向かうこととなった。ツアーの案内役は海軍かどっかからボ社に天下っている将来のマサを思わせるようなトニーというおっさんであった。トニー曰く、ここの航空機製造工場は工場建屋のボリュームでは世界一であり、ギネスにも載っているとのことで、シアトルマリナーズの本拠地セーフィコフィールドが11個分、またはディズニーランドがそっくりそのまま入ってしまうほどの大きさであるとのことであった。またこれから見学するB747-400は一機$180Mもするとのことで、もし見学者が壊しやがったら買い取ってもらうからそのつもりで見物に励んでくれと釘を刺しやがった。

工場の中に入るといきなり長さ1.5kmの長い廊下の出迎えを受け、エレベーターで上に上がるとB747-400の垂直尾翼が眼前に飛び込んできた。このジャンボはANAではテクノジャンボ、JALではスカイクルーザーという名称が与えられており、1968年に生産開始後累計1200機が製造され、現在1100機が現役で活躍しているそうだ。暗算の得意な私は「じゃ~、100機分はこの前の台北でのシンガポール航空のように墜落しておシャカになった分か?」と質問しようと思ったが、トニーのブーイングを恐れてこのことを話題にするのは控えておいた。我々の目の前ではルフトハンザ向け59号機が製造ラインに横たわっていた。製造ベイは目の前に7つあり、その裏側にさらに7機分、その奥にB767のライン、さらにその奥にB777のラインがあった。部品は世界40カ国、2500のベンダーからジャストインタイムで供給を受けており、この工場には一切部品のストックはしていないとのこと。また、ジェットエンジンはGEからの供給でB747とB767は同じエンジンを使用しており互換性があるとのことだった。

膨大な工場内を一通り見物したあと、再度バスに乗り込みエアーライン用にペイントされた飛行機が出荷を控えているサイトをグルリと案内された。再びトニーによるとこの工場はテストパイロット60名を抱えており、テスト飛行では片肺飛行(片方のエンジンをOFFにして飛行する)等の荒業も行っているとのことであった。

ツアーはこれにて終了し、私の一番興味のあったQAや耐久試験、加速試験等は見せてもらえなかったのが残念であった。しかしながら、これほどの規模を持つ工場は戦艦大和亡き今、日本では到底見物出来ないので大変貴重な体験をすることが出来た。

11月23日(木)

マウントレーニエの屈辱!!!

サンクスギビングデイ当日の今日は朝から雨だった。環太平洋火山帯の一部を形成し、標高4392mを誇るマウントレーニエの姿が今日は拝めないだろうと感じながらもマウントレーニエ国立公園に向かって車を走らせた。

ところでヤスよ!、AMJ成田の3階にあるカフェテリアの自動販売機のカフェラッテはマウントレーニエという名前であることに気づいているか??つまり、マウントレーニエは世界中のカフェラッテファンの憧れの地ということだ。また、マウントレーニエは広大な裾野を持つ休火山であることから地元の日本人の間ではタコマ富士という名称で親しまれてもいる。今日はシアトル方面の北口からマウントレーニエ国立公園にアクセスを試みたが、山道の途中で雪が深くなり、レンタカーのマツダ車では進行が不可能と判断したため不本意ながらギブアップせざるを得ない状態であった。

いったんタコマ市内に引き返した後、州都のオリンピアを経由してオリンピック半島に向かった。オリンピック半島北部のポートエンジェルスという港町に到着したのは日も暮れかかったころだったので今日はここに居座ることにした。近くにホテルレッドライオンがあったのでここのレストランで餌を食うことにした。今日は11月23日ということでサンクスギビングスペシャルディナーとしてターキーがお徳だとラブリーなウエイトレスがしきりに営業してきたのだが、丁重に断って牛を発注した。しかし、マサであればターキーを発注しておきながら納入されたターキーを見てワイルドターキー(バーボン)じゃないとボーリングで3回連続ストライクを取ったような勢いでいちゃもんをつけていたであろうと思われた。

11月24日(金)

ペナントレースを優先したためにシドニーオリンピックに出場出来なかったイチローの無念を推し量って,今日は1981年にユネスコの世界遺産に登録されているほどの実力を持つオリンピック国立公園を訪問した。オリンピック半島中央の大半を占めるこの国立公園は険しい山岳地帯、温帯雨林のジャングル、海岸地域と非常にバラエティに富んだ景観から成っており、1年のどの季節に来ても観光客を楽しませてくれるこの世の楽園である。

まずはポートエンジェルスから一気に1500mを車で駆け上ると山岳地帯のハリケーンリッジに到着した。当然のことながらあたり一面銀世界であり、そこから3000m級のオリンパス山や、デセプション山のすばらしい眺望を目にすることが出来た。その後下山してUS101沿いを西から南に抜け、レイク・クレセントという三日月型の湖の眺望を楽しんだ後,この公園のメイン観光地帯であるホーレインフォレストにやって来た。オリンピック国立公園の観光案内の写真に必ず出てくるホーレインフォレストは年間3000~4000mの降雨量を持つこの地域特有の気候に育まれた温帯雨林である。

中に入ると「ほ~!これはすごいジャングルだ!」と言わしめるほどたくさんの木が茂っていた。また、一番観光客を魅了するのは思わず「うっそ~!」と叫びたくなるほどのうっそうと茂ったコケ類である。ここからHall of Mosses(コケの殿堂)というトレイルが伸びているので早速歩いてみると数十メートルの高さを誇る木も倒れている木もみんなうす緑色のコケで覆われており、京都の西苔寺(通称こけ寺)の住職でもコケおろされるほどの迫力であった。

ホーレインフォレストでグリーンな気分を堪能したあと、太平洋側に抜けてビーチを歩いてみた。長い海岸線には太平洋の荒波に流されてきた流木がたくさん転がっており、材木店屋の店頭顔負けの様相を呈していた。また激しい波の音が観光客の旅情をいやがおうにも盛り上げているようだった。

11月25日(土)

先日マウントレーニエで屈辱を味わったので飛行機が出る前の午前中の時間を利用してリベンジに向かった。ルートを変えて南側からアクセスしたのでロングマイヤーを抜けて標高1647mのパラダイスまで到着することが出来た。あやうくシアトルくんだりまで来た意味を無くしてしまいそうだったFTBであったが、パラダイスから眺めるマウントレーニエの眺望はこの世のものとは思えないほどの神々しさを放っていた。尚ここまでのルートはきれいに除雪されており、年中通行可能であるので冬にもかかわらずたくさんの観光客が訪れており、イチローもシーズンオフを利用して山ごもりに来ることが出来るのだ。

マウントレーニエを後にして昼前にシアトル・タコマ空港に到着してゲートの近くでスターバックスのカフェラッテを召し上がった。コーヒー通のマサであれば当然知っていると思うがここシアトルはスターバックスの発祥の地であり、ここでコーヒーを飲まなければ日本のスターバックスで無邪気にバイトに励んでいる若者に対して優越感が持てないと言われている。ここで売られているコーヒーが入っているカップのデザインは日本のものより進化しており、2枚重ねになってはいないもののオプションでダンボール製の断熱材が備えられていた。

次回はFTBJ沖縄から沖縄サミットの残したものについて検証を行って来ます。また、FTBSEAに引き続き、FTBEUの立ち上げも検討中です。

FTBサマリー

総飛行機代: \8,190 

総レンタカー代: $292.15

総走行距離: 約1200マイル

総ガソリン代: $68.51

総宿泊費: $116.62

総スピード違反罰金代: $62.-

祝!マサ結婚記念!!FTB秋の祭典

このたびマサがまぐれで結婚することになり、11月12日に市谷のホテル大蔵で式を挙げる運びとなりました。

ということで何かお祝いをしなければならないことになり、急遽FTBはユタに特派員を派遣し、マサがシャブシャブ屋等で悪さをしないようにナバホの祈祷師に呪文をかけてもらいに行って来た。

11月3日(金)

UA852便でサンフラン経由ラスベガスに到着したFTBは早速マッカラン空港でおびただしい数のスロットマシンの歓迎を受けた。マサであれば持参した大量の500円玉を一気に空港のスロットマシンにつぎ込み、「大ピンチ!!」になった挙句ブラジルのジーコに電話してレイクエンジェルを呼んでもらったが、レイクの人文字の「イ」が出来ずに結局強制送還という憂き目にあっていただろうが良識のある私はそろっとスロットマシンエリアをスルーしてラスベガス市内に向かった。今日は到着した時間が遅かったので、とりあえずユタへの突入を何とか果たしCedar CityのMOTEL6($29.-)にとっとと引き払った。

11月4日(土)

朝起きて見ると車がカチンコチンに凍っていた。電子レンジを使わずに何とか解凍出来たので早速アーチズナショナルパークへの道を急いだ。ユタ州を縦断するI-15を走っているとあたりは一面銀世界であり、この地の冬の訪れのはやさを思い知らされた。

アーチズに到着したのは午前11時を少し回った時間だった。ゲートで入場料($10.-)を支払った後、ビジターセンターでスタンプを押し、最初のビューポイントであるパークアベニューへ向かった。パークアベニューと言えばニューヨークのマンハッタンの高層ビル街が連想されるが、アーチズのパークアベニューは両サイドを摩天楼のような高い岩山にはさまれたマサに自然界に君臨する高層ビル街であった。垂直の岩に何か生物が張り付いており、よく見ると若者が数人ロッククライミングでいい汗をかいていた。

マサよ、君はバランスロックという岩を知っているか?バランスロックとはひとつの巨大な岩の上にもうひとつの岩が今にも崩落しそうであるが、絶妙のバランスで乗っかっている岩のことである。しかしこの岩も大蔵省の地盤と同じく少し振動が与えられでもすれば即崩壊しそうな危うさをただよわせていた。

その後、主要ビューポイントであるNorth Window, South Window, Double Arch等を見物した後、アーチズの1500ものアーチの中でマサに真打と呼ぶにふさわしいデリケートアーチを見に行った。デリケートアーチはアーチズナショナルパークのみならず、ユタ州のシンボル的存在として君臨しており、その光景はユタ州の車のナンバープレートの図柄に採用されているほどである。

デリケートアーチに行くにはWalfe Ranchの駐車場で車を止め、片道2.4kmの山道を登らなければならなかった。道のりは砂道から途中で一枚岩の急な登りになり、岩の上にマイルストーンが置かれて道しるべとされていた。流れる汗を拭いもせず30分程歩いた後、やっとのことでデリケートアーチを拝むことが出来た。アーチは幅10m、高さ14m程で、エレガントなアーチ状の形状をしており、靖国神社に持っていけば立派に鳥居としての役割を果たしそうな荘厳さをたたえていた。私もマサが幸せな新婚生活を送れ、またその後、長銀や日債銀のようなすばらしい天下り先が見つかるようにと拍手を打っておいた。また通常私が提供している1万円の賽銭を入れようと思ったが賽銭箱が設置されていなかったので残念ながら断念した。

デリケートアーチは日没1時間前が見頃とされており、アーチ本体やその周辺を飾る岩々が夕日を浴びて時間とともに黄金色から赤色に変色して行く様はこの世のものとは思えない自然のスペクタクルであった。日没の景色を見終えると観光客は足早に帰路を急いでいた。なぜなら辺りは急激に暗くなり、帰り道がわからなくなるからだ。

11月5日(日)

今日は朝8時からアーチズの奥地のデビルスガーデンを起点としているトレイルからスタートした。片道3.2kmのトレイルにはトンネルアーチ、ナバホアーチ、パイントゥリーアーチ、ダブル・オー・アーチ等たくさんのアーチがあったのだが、やはり最大の見所は世界一長い(89m)といわれているランドスケープアーチであった。このトレイルは途中から道なき道を進むことになり、岩の上のがけっぷちに沿って登る道があったりと非常にスリル満載だった。岩の上から景色を一望するとそこはまるで原始時代のように感じられ、今にもギャートルズやドテチン、ヒネモグラ、マンモー、ガイコツ等が出て来そうな雰囲気だった。

アーチズを後にしたFTBは近隣に位置するキャニオンランズナショナルパークにも足を伸ばした。ここは一説によればグランドキャニオンを凌ぐ眺望であると言われており、実際にグランドビューポイントに行って景色を見てみたが確かに峡谷の幅は大手のグランドキャニオンよりも広かったが、谷底の深みや微妙な色合いに関してはやはりグランドキャニオンには及ばないと思った。

キャニオンランズにはモニュメントバレーを彷彿とさせるメサやビュートがたくさんあった。コロラド川に削られて出来たグランドキャニオンのような巨大な峡谷が数億年の年月をかけて侵食され、メサやビュートとしてその名残を残し、いつかは消えていくという歴史の流れをたどるのであるが、ここはマサに地球規模の歴史物語が日夜展開されている恐るべき観光地であった。

夕焼けの眩しいキャニオンランズを後にし、FTBは西に進路を取り、一路ザイオンナショナルパークへの道を目指した。結局ザイオンの園内に辿り着いたのは、夜10時を回った時間であり、道路のわき道を地元の鹿が活発に活動しているのが確認された。深夜に侵入したザイオンは一種異様な雰囲気を漂わせており、昼間見ればその大きさに圧倒されるであろう巨大な岩が不気味な程の静寂の中でどっしりと横たわっている気配を感じさせていた。

11月6日(月)

2年前にグランドキャニオンノースリムを訪れた際、その道すがらザイオン内部を通ったことがあり、その時に圧倒されるような景観を見て「ウォー!何じゃこりゃ~!」と叫んだ経験があり、ここには必ず戻って来て再度内部を探索しなければならないと考えていたが今日やっとのことで現実のものとすることが出来た。

昨夜はザイオンの隣町のスプリングスデールのモーテル($37.91)に滞在していたため、今日は朝9時前には園内に入ることが出来た。入場料が2年前の車一台あたり$10から$20に値上げされており、ここもついに大手の仲間入りをしたのかと感慨深いものがあった。しかしながら、値上げした代わりにビジターセンターは近代的に改装されており、また激増する観光客を裁くためにシャトルバスが運行されていた。

ザイオン観光でメインとなるのはビジネスセンターにほど近いザイオンキャニオンである。ここからの景観は滝はないものの総じてヨセミテバレーの谷底に非常に似かよっており、この地域からたくさんのトレイルが伸びている。本日まず最初にトライしたのはザイオンでもっとも過酷と言われているエンジェルスランディングだった。グロットというポイントで車を止めてトレイルを歩き始めたのだが、途中から坂が非常に急になり、つづら折状に登っている山道は容赦なく観光客の体力を奪っていく。しかしこの程度はまだ序の口で3.5kmまで登りきった地点からさらに先まで到着するためには岩に打ち付けてある支柱と鎖を頼りにロッククライミングばりの要領で残り800mを進行しなければならなかった。両サイドはマサに崖で落ちたら確実に命が無いことを覚悟しつつも命からがらゴールに辿り着くことが出来た。

頂上からの光景はマサに天使が舞い降りるところにふさわしい絶景であった。眼下にはザイオンキャニオンの全景を見晴らし、正面にはザイオンの顔であるグレートホワイトスローンを間近に拝むことが出来た。ところでこのグレートホワイトスローンは麓のバージン川からの高さ732mを誇る世界最大級のモノリス(一枚岩)でオーストラリアのエアーズロックの2倍、池袋のサンシャインビルの3倍の高さを誇っている。ちなみにエンジェルスランディングの麓からの標高差は450mでマサをバンジージャンプさせようにも途中でゴムが切れそうなくらいの高さであった。

頂上に30分くらい滞在して天使の気分を十分堪能した後、来た道を引き返すことにしたのだが、岩を飛び飛び下っているとひざからしたがおもしろくもないのにゲラゲラ笑い始めた。特にフラミンゴといわれた現役時代の王監督のように一本足の状態になるとガクガク状態が顕著であり、このトレイルの過酷さをあらためて思い知らされた。下から登ってくる善良な観光客も今にも死にそうな目つきながら必死に作り笑いを浮かべて挨拶をしてくるのだが、彼らはこの後本当の地獄が待っていることをこの時点では気づいていないようだった。

エンジェルスランディングを制覇した後、FTBが向かったのはザイオン観光のハイライトとして名高いナローズというところである。ナローズというとトミーズやドロンズのようにお笑い芸人を連想するかもしれないが面白さのレベルはナローズのほうが全然上だという話である。両サイドを巨大な崖にはさまれたバージン川を遡って行くと崖と崖の間の距離が次第に狭まって行き、最後には幅6m程度の広さを高さ300mの崖に挟まれてしまうという閉所恐怖症の人には最適な環境を提供する僻地だということだ。ここのトレイルは途中で行き止まりになり、その先は川の中をじゃぶじゃぶと進行しなければならない。季節柄水温が低かったので川への侵入は断念せざるを得なかったが、夏季にはたくさんの観光客が川の中を進んで行くという。しかし、川幅が狭いため、雨量が少しでも多くなると水位が極端に増し、非常に危険な状態になるとのことで2年前には2名の犠牲者を出したと言う話である。

ナローズの入り口の景色を堪能したあと、車に乗り込み、マウント・カーメル・ハイウエイを走り、ザイオンの岩肌が織り成す美しい景色を十分に堪能することが出来た。園内のアスファルトはすべて赤茶色に着色されており、周囲の景色と非常にマッチしているのが印象的だった。

11月7日(火)~11月11日(土)

11月7日~11月10日の午前中までラスベガスのフラミンゴヒルトンで私が率いているアクセント・テクノロジーズの会議が行われたのでその期間はおとなしく会議に参加しておいた。しかし、会議の終了した夕方からラスベガス歴訪4回の実績を誇る私のところにツアーの依頼が殺到したため、仕方なく人々に町を案内してやった。新宿の歌舞伎町のボッタクリのお兄さんが町の詳細を知り尽くしているのと同じくらいラスベガスの内部に詳しい私が案内した見所はBellagioの噴水ショー、ミラージュの火山活動、トレジャーアイランドの海賊船沈没ショー等のホテルの目玉のアトラクションからFremont Experienceの動くアーケードのパフォーマンス、ストラトフィアタワーの展望台と非常に多岐に渡った。また、ハードロックホテルではたくさんの有名人のギターを目の当たりにしたのだが、残念ながらジ・アルフィーの高見沢俊彦や高中正義等の日本を代表するギタリストのギターは目にすることが出来なかった。

マサよ、君はハーレーダビッドソンカフェに行ったことがあるか??

私は・・・行った。

ストリップの目抜き通りで巨大なハーレーが壁から飛び出ているのを目撃した観光客も多いと思うがそこが全米のハーレー愛好家がたむろするハーレーダビッドソンカフェである。中にはハーレーの1号機や様様なタイプのハーレーが所狭しと展示されており、またベルトコンベヤー状の鎖にぶら下ったハーレーが店内を何台も回っているさまはマサに世界一のハーレー見本市だと思われた。

会議の最終日は午前中で散会となったので午後はフーバーダムツアーと洒落込んだ。ラスベガスから30分ほど車を飛ばすとすぐにフーバーダムに着いたのだが、今回参加したフーバーダムレギュラーツアー($8)の案内のおっさんによるとフーバーダムの位置するボルダー市はネバダ州で唯一ギャンブルが禁止されているという。理由はフーバーダム建設中にこの地に出稼ぎに来ていた労働者に日銭をギャンブルで使い果たして丸裸にならないようにとのフーバー大統領の粋な計らいであったとか・・・

結局ラスベガスには4日間もの長期滞在をさせられてしまったわけだが、マサであれば毎日カジノで大金を使い果たし結婚資金も底を尽くという悲惨な結果に終わっていたであろうと思われた。

発進FTBSEA !

祝!FTBSEA(South East Asia)開店記念

ということで念願のFTBSEAのスタートを切ることが出来たわけであるがこれもひとえに総統である私の努力の賜物であるといえる。一回目の今回は灼熱のシンガポールツアーを企画し、見事成功させた。

ユナイテッド航空の電話予約でチケットを予約した際に、いいチケットを郵便で送ってくれると言われていたので楽しみにして待っていたのだが、eチケットというよくない席のチケットが送られてきやがった。何はともあれ10月6日(金)の午後5時半のUA853便で一路シンガポールへと向かった。世界のベストエアポートとして名高いチャンギ国際空港に到着したのは夜11時半を回った時間だったため、その日はタクシーでホテルに向かった。

10月7日(金)

朝からシンガポールの観光の名所であるマーライオンを見に行った。マーライオンとは顔がライオンで下半身が魚である8mほどの白色のオブジェでシンガポールのシンボルとして君臨しているものである。ま~ライオンと言えばライオンに見えなくもないが、何か人寄せのために無理やり作られたようなわざとらしさがあった。

その後チャイナタウン等を一通り見物したあと、アプライドマテリアルズシンガポールの優秀な営業マンであるコダマちゃんと昼飯を食う約束をしていたのでLei Gardenという高級中華レストランで落ち合った。コダマチャンは妻と2歳になる娘を連れて時価600万円というサニーに乗って颯爽と登場した。彼らは今までにマレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア等アジア各国を歴訪した実績を持っているとのことであったので密かに私がFTBSEAの責任者に任命しておいたのを彼はまだ気づいていないようであった。

コダマちゃんからシンガポールに来て足の裏マッサージを受けなければシンガポールに来た意味がないと言われたので早速KENKOというマッサージ屋に向かった。ぷっスマにおける「なぎすけ」コンビの天敵であるドクターフットみたいな陰険なマッサージ師が登場したらどうしようと恐怖におののいていたが、人のいいおばちゃんだったので痛みをこらえながらも安心してマッサージを受けることが出来た。

マッサージで黄金の足を取り戻した後、その足でナイトサファリに向かった。シンガポールに来てナイトサファリに行かないとシンガポールに来た意味が無いと言われているので話の種に行って見ることにした。入場料を支払ってトラムに乗り込みサファリツアーがスタートした。たくさんの草食動物やライオン、豹などが暗闇の熱帯雨林のジャングルの中で蠢いている様子はマサに世界のベストオブサファリにふさわしいと思われた。そのなかで特に目を引いたのはやはりマレーシアタイガーであったのだが、サーベルを持たせると獰猛なジェットシンに変身するのではないかと思われるほどの迫力を漂わせていやがった。

10月8日(土)

シンガポールは国土が淡路島ほどの広さしかなくその上はすぐマレーシアの国境が迫っている。ジョホール水道を越えて「岡ちゃん感激!野人岡野推薦ジョホールバルVゴールツアー」を決行すべく朝9時のバスに乗り込み, 税関を超えると計40分ほどでジョホールバルに到着した。マレーシアに入国するとすかさず現地の通貨リンギットを入手し、セブンイレブンでジュースとアイスクリームを買って食った。ここではサルタン王宮を見学したが、くそ熱くて、延長戦を戦った後にPK戦で敗れたくらいの疲労感を感じたので2時間ほど滞在してとっととシンガポールへ帰って行った。

午後から、バスに乗ってジュロンというところにあるレプタイルパークに向かった。ここは爬虫類専門の動物園という感じでおびただしい数のクロコダイルや独身のキングコブラ、ニシキヘビ等が飼育されている。見ものは何といっても放し飼いにしているイグアナであり、観光客は自由にイグアナを舐めたり、記念写真を撮ったりすることが出来る。

シンガポールは世界に冠たる中継貿易港であり、ハーバークルーズに参加しなければシンガポールに来た意味がないと船乗りの間でうわさになっているので参加することにした。FTBSEAが参加したのはトラディショナルジャンククルーズというディナークルーズである(s$32)。午後6時にクリフォード桟橋を出発し、高層ビルを尻目に船は沖の方へと向かっていった。海上には大小あわせて沢山の船が停泊しており、貿易立国シンガポールの実情を如実に物語っているようだった。

シンガポール耳寄り情報

1. シンガポールの市場を歩いていると異臭を感じることがあるが、それは果物の王様であるドリアンが放つものである。「叫ぶ詩人の会」を仕切っているのはドリアン助川であるが、ドリアンはここではわずか3~5S$で売られている。

2. マサよ、君はERPというものを知っているか?シンガポールは渋滞が無いことで有名であるが、それはこのERPという自動課金システムがダウンタウンに入ってくる車から自動で金を巻き上げているせいである。

3. シンガポールは熱帯雨林に属するにもかかわらず市内にはほとんど蚊がいない。それは毎週害虫駆除のための殺虫剤を撒いて害虫を皆殺しにしているからだ。

4. ラッフルズについて

  近代シンガポールの祖として有名なラッフルズの名前を冠したファシリティがここにはたくさんある。シンガポール一の高級ホテルはラッフルズホテルであり、最大のビジネスタウンはラッフルズプレースといった具合だ。

次回は祝マサ結婚記念!まぐれか?第4回ラスベガス征伐を現地からライブでお送ります。

Presented by FTB Co. LTD

代表 Masa

取締役運転手 Masa, acting

インターン Kazu

調達実施本部長 Masa, acting

総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)

スポンサー 大蔵省

特命リサーチ200FTB第2弾

9月2日(土)

マサよ、君は国際線仕様のポケモンジェットに乗ったことがあるか?

私は・・・ある!!

というわけでポケモンキャラクターを前面にあしらったB747-400テクノジャンボに乗り込んだ私はサンフランシスコを経由して一路デンバーに向かった。今回はANAマイレージクラブプラチナ会員兼スターアライアンスゴールドメンバーの私に対するチーフパーサーの挨拶の出足が悪かったもののとりあえず「JALに負けないよう, しっかりサービスするように。また、今後マサというものが格安チケットで搭乗してきても普通運賃の乗客と変わらぬサービスをするように・・・!」としっかり釘を刺しておいた。

サンフランからデンバー乗り継ぎで2時間くらい時間があったのでスターアライアンスのラウンジでテニスのUSオープンを見た。サンプラスが格下の相手をコテンパンにやっつけていたが、サンプラスより上の3++(3プラプラ)、または4-(4マイナス)の格付を得ている私の目から見るとまだまだストロークの切れが悪いように思えた。

午後4時過ぎに世界最大級、最新鋭と言われているデンバー国際空港に到着した。平均アメリカ人の何倍も車を乗り回されたAvisの陰謀でHertzの#1Club Goldのメンバーにさせられた私はカローラをレンタルして早速デンバー市内へと向かったが到着時間が遅かったため、今日はダウンタウンを1回りして引き上げることにした。

ホテルにチェックインして荷物を開けると日本から持って来たどん兵衛きつねうどんと天そばのカップがパンパンに膨らんでいた。「これはいったいどういうことなのか」と思ったが、デンバーはマイルハイシティと呼ばれ標高1600mのところに位置しているため下界との気圧の違いであると気づかされた。

9月3日(日)

今日は朝5時に起きて、早速ロッキーマウンテン国立公園へ向かった。エステスパークという公園入り口のリゾートタウンからアクセスしたわけであるが、ゲートを通過したのが午前7時前でレンジャーがいなかったのでただで入場することが出来た。今日はとりあえず下見ということで標高3500mのアルパイン・ビジターセンターまで行ってみた。山を登るにつれて外気温が下がっていくのがカローラの温度計で確認出来、最終的には5℃になっていた。

吉井という関西人がデンバーで野球をしており、今年は負けが込んでいるということで「これはいったいどういうことなのか」というリサーチ依頼がかけられていたので様子を見に行った。吉井率いるコロラド・ロッキーズは地元クアーズ・フィールドにミルウォーキー・ブルワーズを向かえ、エース吉井の先発で午後1時5分にプレーボールとなった。1回の裏に3点のリードをもらった吉井はソロホームラン3本を打たれながらも6回1死まで1点のリードを守りマウンドを降りた。しかし、リリーフが9回の表に同点にされ、結局延長戦の末破れ、吉井の6勝目は成らなかった。

今日の吉井は真直ぐが高めに浮き、スライダー、フォークボールも制球を欠き非常に苦しいピッチングであったが、何とかバックの好守でしのいでいた。吉井は去年までニューヨークに在住し、今年からデンバーに移ったわけであるが、ニューヨークには日本人がたくさん住んでおり、ボケをかましても誰かが突込んでくれる環境であったようだが、デンバーにはほとんど日本人を見かけなかったので仕方なく一人ボケ突込みを繰り返すうちに調子を落としたものと予想される。

ロッキーズにトッド・ヘルトンという4割を目指している強打者がいる。日本でいうと最近怪我でリタイアしてしまったイチローに匹敵する実力者である。窓際にいるのはトットちゃんであるが、このトッド君は窓際ではなく打線の中心に座っており、今日はヒットを1本打ったものの、後が続かず打率を.380台に落としてしまった。マサよ、もし彼が今年4割を打ったら必ず徹子の部屋に出演するように交渉しておいてくれ!

ところで球場入りする前に少し時間があったのでダウンタウンを徘徊させてもらった。街の中心に16th streetという目抜き通りがあり、ストリート自体が歩行者天国のショッピング・モールのようになっていた。またモールの端から端まで無料のバスが通っており、多くの買物客と浮浪者で賑わっていた。

9月4日(月)

デンバーからネブラスカ州、アイオワ州を経由してミズーリ州のカンザスシティまではるばるやって来た。距離にするとわずか600数10マイルであるが、ここはデンバーとの時差が1時間ある(ちなみにANA機内誌、翼の王国によれば東京、鹿児島間は601マイルである)。

カンザスシティはアメリカの地図を4つに折るとちょうど真中に位置するため、Heart ofAmericaと呼ばれており、ここに来なければアメリカに来た意味がないと言われている。ここで一番有名なところはカントリー・クラブ・プラザというダウンタウンから南に3マイルくらい下ったところで、ここには1922年に作られたアメリカで最も古いショッピング・センターがある。カンザスシティはCity of Fountain(噴水の町)といわれているほどいたるところに噴水や彫刻があり、岡本太郎が来れば必ず爆発するほど芸術家の魂を揺さぶられる町でもある。

マック鈴木という少年が高校を中退し、単身アメリカに乗り込んでから8年が経つが、今年はローテーションの軸になって活躍しているという話を聞いてはるばるカンザスシティくんだりまでやって来た。カンザスシティ・ロイヤルズの本拠地カウフマン・スタジアムは外野スタンド一帯が噴水で構成されており、私が今まで見た中で一番景観のすばらしい野球場である。常勝軍団ニューヨーク・ヤンキースと対したマックであったが、6回2/3を投げて4点を失い結果的に負け投手になってしまった。マックのストレートは常時90マイルを超えており、今日はスライダーとフォークで三振が取れなかったため、厳しいピッチングを強いられていた。

試合の方はヤンキースの切り札マリアーノ・リベラを引きずり出し、9回2死満塁まで攻めたてたが、10年前の私に似たボクサーのような無駄の無い体をバネのように使って96マイルの快速球を投じていたリベラに最終的には押さえ込まれてしまった。

試合が終わると花火大会が始まり、事前にもらっていた3Dのメガネをかけて見るとこの世のものとは思えない光と音のスペクタクルの世界が広がり、江戸川や隅田川の花火大会より、ぜんぜんすばらしい思いをすることが出来た。

9月5日(火)

カンザスシティを発ち、一路デンバーへの帰路を急いでいる途中にTopekaというカンザス州の州都を発見したので州議事堂によって写真を採ってきた。カンザス州では前後左右を地平線に囲まれながらひたすら真直ぐな道が続いていた。水平線の彼方から現れるのはイルカに乗った城みちるであるが、地平線から出てくるのは牛にまたがった田中義剛だろうかとぼんやり考えながらひたすらカローラのアクセルを踏んでいた。牛といえばここカンザスにはダイエーとの契約牧場があり、カンザスビーフが格安の価格で日本の消費者の手元に届くことになっている。ここでのんきに草を食ってやがる牛たちも近い将来は150g、380円のステーキとして店頭に並ぶことになり、売れ残りでもしたらおつとめ品としてさらに50円から100円引かれる運命になるだろう。

マーク・マグワイヤが怪我でリタイヤしている隙にサミー・ソーサがホームランダービーのトップを独走しており、今日はデンバーまでわざわざホームランを打ちにやってくるということだったのでクアーズ・フィールドに見に行った。結局ソーサは三遊間を破るヒット1本に終わってしまったが、試合の方はトッド・ヘルトンの先制ホームランなどでロッキーズが大勝し、観客の溜飲を下げていた。

9月6日(水)

シルベスター・スタローンのように起き抜けに生卵5個をコップで一気飲みしてロッキーへのドライブに繰出そうと思ったが、卵がなかったのでコーラを飲んで出発した。ロッキーマウンテン国立公園は総面積1000km2と非常に狭い公園であるが起伏の変化が激しく、4000m級の山々から湖や湿原、森といったさまざまな自然環境を育んでいる。

ここはロッキー刑事を殉職させるために「太陽にほえろ」が初の海外ロケを行った場所として有名である。毎週金曜日の夜8時に律儀に事件を起こす「太陽にほえろ」お抱え暴力団の竜神会とロッキー刑事(木之本亮)が銃撃戦を行った時に、シマリスをかばおうとして撃たれたロッキー刑事であったが、そのシマリスは現在も軽快なフットワークで森の中をうごめいていた。

トレイルリッジロードという世界でも有数の山岳道路(舗装道路の世界最高地点3713mを通る)があり、この道路に沿っていけば公園のビューポイントは大体網羅出来る。標高3600mのところにアルパイン・ビジターセンターという所があり、そこから100mくらい登った頂上からツンドラや氷河が見学出来た。頂上から「エイドリア~ンン!!」と叫ぶとリングの下から「ロッキ~~」というこだまが返ってくるかと思ったが返事がなかったので「インフォシーク」とささやいて雪崩でも起こしてやろうかと思ったが環境破壊の観点から断念した。

ビジターセンターにギフトショップがあり、高山病でふらふらした観光客が無意識のうちに大量の土産を買っていた。酸素不足のためにストレスホルモンであるノルアドレナリンの分泌が多くなり、イライラしてるかと予想された店員は笑顔で注文に応じていた。酒を飲むと人の3倍くらい赤くなるほど赤血球の多い私であったが、ついつい$50相当の物品を買い込んでしまった。

9月7日(木)

午前6時の飛行機に乗り、デンバーからFTB発祥の地であるサンフランシスコに移動した。ハーツでフォードのエスコートをレンタルした後、早速、スタンフォードへの道のりを目指した。Stanford University NetworkでおなじみのSUN Microsystems等を生み出したシリコンバレーの頭脳を育む環境がどのようなものか調査するのが目的であり、コンピューターサイエンスのクラスを聴講してマサに頼まれてもいない1000枚くらいのレポートwithウイルス付というやつを送りつけてやろうかと思ったが残念ながら夏休みの影響で講義は行われていないようだった。

1929年の世界大恐慌の最中に土木作業員たちのケツをたたいてフーバーダムを竣工させたハーバート・フーバー大統領を記念したインスティチュートがあったので見学させてもらった。ここにはフーバー大統領がスタンフォードを優秀な成績で卒業した実績を示す遺品がたくさん展示されていた。

ところでここのキャンパスであるが、レンガ造りの建造物が多い東のハーバードと違い、ギリシャ神殿をモチーフにしたような、カールルイスが全力疾走しても途中で息切れしてしまいそうなほど長い回廊やいつでも懺悔可能な教会や多くの

図書館があり、マサに研究活動に最適なファシリティがそろっていることが確認出来た。これまでUCLA、テキサス大学、ハーバード、MIT、北九州大学等、数々のキャンパスを見物してきたFTBであるが、スタンフォードはマサにキングオブキャンパスと呼ぶにふさわしい広さと設備を誇っていた。

午後からスタンフォードとのリファレンスをとるためにベイブリッジを渡ってUCバークレイに向かった。UCBは今まで20数名のノーベル賞受賞者を輩出している公立の名門であり、マサが登校拒否を起こし、バックレーそうになった状態を克服した挙句、優秀な成績でディプロマを取得したことで有名でもある。キャンパスのランドマークとしてセイザータワーがそびえており、$2払って登ることにした。タワーの頂上からはキャンパス全体が一望でき、遠くサンフランのダウンタウンやゴールデンゲートブリッジの眺望が楽しめた。

ところで大蔵省が税金を使ってマサに貸し与えた割にはチャチなアパートをFTBバークレイ支店として乗っ取っていたが、今はその面影さえも残していなかった。いずれにしてもUCBのExtensionがキャンパスツアーとしてUCB本校よりもスタンフォードを選んでいる事実から考えてみてもキャンパスのすばらしさという点ではスタンフォードに分があるのだろう。

サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地は今まで、外野席に陣取っていたマサが目の前に飛んできたボールを取り損ねた実績のあるキャンドルスティックポイントにあったスリーコムパークであった。しかし、強風と老朽化のために評判が悪かったので、今年からチャイナベイスンという市内でも比較的暖かい場所にパシフィックベルパークをオープンさせた。ここはダウンタウンから程近く、BARTでバ~とエンバカーデロまで来てそこからMUNIのストリートカーに乗り換えてすぐのところである。

ナリーグ西地区の首位を独走するジャイアンツはサンディエゴ・パドレスを迎え撃ち、試合の方は、スーパースター、バリー・ボンズの44号先制本塁打などで大量13点を奪ったジャイアンツが圧勝した。ところでパシフィックベルパークのライトスタンドのすぐ真後ろは海であり、大きなホームランが出ると海に飛び込む設計になっており、この現象をSplash Hitsと呼んでいた。今年はすでに5個のボールが海のもくずとなっていた。それらのボールは魚の餌にでもなるのかと思っていたが、実際はボートに乗ったおっさんたちがボールが飛んで来るのを今か今かと待っている様子が球場スクリーンに映し出されていた。

9月8日(金)

マサよ、君はビッグ・サーという場所を知っているか?「さ~?何のことだかわからね~ぜ!」と答える輩が多いと思われるが、ここビッグ・サー(Big Sur)はFTBが定期購読しているナショナルジオグラフィックス8月号にも紹介され、水曜スペシャルであれば「カリフォルニア最後の秘境」という最上級の格付けを与え、川口探検隊をトッププライオリティで派遣するほどのすばらしい場所である。

サンフランから南に下ったリゾート地モントレーからハイウエー1号線を10マイルほど南に下ったところは開発を阻む厳しい環境が待ち受けている秘境であった。ビッグ・サー州立公園($7)に進入した私は早速トレイルの山岳道を登ることにした。途中マウンテンライオン注意の看板があり、そこには「マウンテンライオンはめったなことでは姿を現さないが、かといってボサッとしていてガブッとやられても誰も責任は取ってやらへんで!」といったような能書きが書かれていた。「それはいったいどういうことなのか」と思った私はエージェントの伊達君や吉川さんに負けないようにマウンテンライオンを生捕りし、サンディエゴ動物園に高値で売りつけたというリサーチ結果を出し、EDという重病を患い、ファイザー製薬にお世話になっているにもかかわらず、ファーイーストリサーチインク社のチーフという激務をこなしている佐野史朗チーフに喜んでもらえるレポートを作成するための調査に乗り出した。

山道は急な斜面であったが、ロッキーでの高地トレーニングにより著しくヘモグロビンの数を増加させていた私にはわけないものであった。夜8時45分くらいの水曜スペシャルのクライマックスのように結局マウンテンライオンを発見するにはいたらなかったが、前人未到の洞窟に川口浩隊長よりも先に入るカメラマンや照明さん、洞窟に転がっている白骨をピカピカに磨く美術さん、川口浩が素手で払いのけるために上から、さそり、毒蜘蛛、毒蛇を落とす大道具さんといった選りすぐりのスタッフを抱える水曜スペシャルでも探すのは困難であると思われた。

ところでビッグ・サー近辺の自然環境であるが、強い潮風にもかかわらずおびただしく背の高いChina Redwood Treeを繁茂させている森や、波間に漂う大きな海藻ケルプを群生させている人の手の入っていない海がある。この海は油と若者の欲望にまみれた湘南の海と違い、エメラルドグリーンとコバルトブルーが鮮明に表現された世界有数のきれいな海であり、観光客もその光景に思わず見入ってしまっていた。

ちょうど2年前にヤスとマサを従えてNHK衛星第一放送への出演を果たした地オークランドへと帰って来た。オークランド・アスレチックスの本拠地は当時はアラメダカウンティコロシアムと名乗っていたが、今ではコンピューターウイルスのワクチンを作っている会社であるネットワークアソシエイツコロシアムと名前を変えていた。2年前にこのコロシアムで10数試合観戦したときには一番安い外野席のチケットを買っているにもかかわらず、試合の後半にはバックネット裏に陣取っていた私であったが、ワクチンソフトのテクノロジーを利用して不正侵入防止装置を設置して取締りを行われては敵わんと思い、今回はまじめにボックスシートのチケットを買って観戦した。

大魔人佐々木を要するシアトル・マリナーズに続き、アリーグ西地区の2位という好位置につけているA’sはタンパベイ・デビルレイズと対戦したが、2安打の完封負けを喫してしまった。

9月9日(土)

11時50分のフライトまでの時間を利用して地元サンフランの探索を行うことにした。ツインピークスからダウンタウンの景色を一望した後、松本人志よろしく野沢直子の住居に寄ってアメリカ人を笑わす極意を教えてもらおうかと思ったが無理そうだったのでLombardとHydeの一番景色のよいところを見納めにサンフランを後にした。

アップグレード券2枚をはたいてビジネスクラスにアップグレードをしてポケモンジェットではなかったANA008便に乗り込むとほどなくアッパーデッキの責任者と名乗るオネーチャンが挨拶に来た。「話せるアコム」の保健室の先生のように「何でも相談して下さい」とのありがたい言葉をいただいた私は「ペンキとスプレーは大蔵省の経費で何とかするのでチビッコたちのためにも今からでもポケモンジェットに改造出来ないか?」と依頼したが、ボーイング社のブーイングを恐れてか、それだけは勘弁してほしいと断られた。

今回のFTBサマリー

飛行機代:\130,320(早割りGET14プラスアップグレードを利用し、マサであれば\200,000くらいかかっていたであろう)

総宿泊代:$401.40

総ガソリン代:$84.79

総レンタカー代:$510.37

総走行距離:2,463マイル

今後の活動予定(FTB秋冬コレクション)

*FTBJ未開の地沖縄でハイセオジサンと泡盛を飲みながら沖縄民謡を歌おうツアー

*アグネスチャン杯争奪香港飲茶ツアー

*カンガルーと一緒に地球環境問題をカンガえルー・ツアーインオーストラリア

*網走発ガリンコ号で行くガチンコ流氷流れ旅ツアー(やらせなし)

FTB2周年記念:ライブアメリカ横断ウルトラFTB

「マサよ必ず来いよ!」と言い続けて早くも2年が経ってしまった。

その間総統である私の身の上にもさまざまな出来事が巻き起こった。今回私が率いているアクセント・テクノロジーズ社の好意により、長年の念願であったアメリカ横断ウルトラFTBを決行することが出来、非常に喜ばしく思っている今日この頃である。

8月6日(日)成田発ポートランド行きのデルタ52便に陣取った私は不本意にも夏休みのチビッコ旅行軍団を従えて、マクダネル・ダグラス社が誇るMD11機に乗り込んだ。隣の席に中国人夫婦と神童と呼ばれた私の幼少期を彷彿とさせるかわいい赤ちゃんが乗っており、離陸後必ず泣き叫ぶだろうと予想していたが、案の定飛行時間中の3分の2は泣き叫んでいやがった。

ガキの騒ぎ声と赤ん坊の泣き声を子守唄にしながらポートランドに到着したのは午前10時を回った頃だった。2時間くらいポートランド空港の見学を行った後、午後1時にソルトレークシティ行きの飛行機に乗り込んだ。午後4時にソルトレークシティに到着し、すぐさま高級スイートHamptonInnにチェックインした後、その足でグレートソルトレークに向かった。

ソルトレークの湖畔にSaltairというしなびた建物があり、そこから湖を見渡すことが出来るのだが、そこは2年前にきた時と変わらず異臭を放っており、湖の色もウーロン茶色に淀んでいた。それでも何人かの観光客はその中で水泳をやっており、浮力の強い塩水湖でのドザエモン状態を楽しんでいた。マサであればペットボトルになみなみと注いだ塩水を藤原紀香と同様にイチ・サン・プゥァァー!と一気飲みしていたことであろう。

というわけでついに始まってしまったアメリカ横断ウルトラFTBの今後の展開が大きく期待できるわけであるが、最近婚約を発表したマサよ、もし浮気調査が必要であれば私の子分にロンドンブーツ1号、2号というならずものがいるのでいつでもガサ入れの相談に乗ってやるぜ!

 8月7日(月)、8月8日(火)はユタ州のアメリカンフォークオフィスでまじめにミーティングを行った。高嶋兄のような切れのある打ち合わせの内容で「You win ステテコ君!」と同等の賛辞を浴びた総統は、8日の午後にユタ州を後にしてすべてのマサはマサチューセッツにつながるといわれているマサチューセッツ州のウォルサムへ向かった。

ボストン行きの飛行機では私の前の席にマヨネーズがよく似合うキューピー人形に似た赤ちゃんが乗っており、離陸後必ず泣くだろうと思っていたら案の定飛行中のほとんどの時間泣き叫んでいやがった。夜遅い時間にボストンのローガン国際空港に到着した。ローガンというだけあって目の悪い老人用のメガネがたくさん置いてあるかと思ったが、残念ながら目薬さえ置いてなかった。

ボストンのダウンタウンから10マイルほど西にあるアクセント社のウォルサムオフィスで夕方までミーティングを行い、ここでも「You win ステテコ君!」級の扱いを受けた後、時間が少し早かったのでボストンのダウンタウンまで足を伸ばした。まずはボストンコモンというダウンタウンのど真ん中にある公園の地下駐車場に車を止め、アメリカ独立のために討ち死にした英雄がぐっすり眠っているグレナリー墓地や尖塔がないキングスチャペルなどを見学した。その後ベイエリアに移動し、腹が減ったのでマリオットの高級レストランでディナーと洒落込んだ。ボストンに来てシーフードを食わなければボストンに来た意味がないと言われているので、会社の経費でとりあえずクラムチャウダーとオイスターとロブスターを発注した。

Rのつかない8月のせいかオイスターはサンフランで食ったものよりも3分の1くらいやせ細った貧弱なものだった。しかしロブスターはヒューストン産のクローフィッシュが100匹かかってもかなわないほど強そうな奴が運ばれてきた。しかも色は私が酒を飲んだ時よりも赤い紛れもないレッドロブスターであった。

明日は朝の便でワシントンDCに向かい、昼からミーティングの予定です。とりあえずマサよ、私のホテル当てに魚河岸の特上寿司2人前の出前を頼んでおいてくれないか?!

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 マサよ、君は携帯電話で話しをしながらマニュアルのシビックを運転する

ブラジル人女性の助手席に座ったことがあるか?? 私は・・・ある!!

ということで、8月10(木)午前10時過ぎににボストン空港を発ち、ワシントンDCロナルドレーガン国際空港に到着したのは正午を回った頃だった。アメリカではミディアムカーとして君臨しているカローラをレンタルしたあと、早速アクセント・テクノロジーズ社の本社があるワシントン近郊の都市ロックビルに向かった。本社では日本における実力者の私が来るということで非常に厚いおもてなしを受けた。午後から軽くミーティングをこなしたあと、私といつも仕事をしているリアナというブラジル人女性マーケティングマネージャーとその旦那のショーンとこれまたサリー?というマーケティングマネージャーと飯を食いにいくことになった。サリーは魔法も使えないし、友人によっちゃんもスミレちゃんもいなくまた弟のカブも見当たらなかったのでおかしいと思ったら本当はサニーという名前だった。

その日は会社の近くのカナダ系のステーキハウスで牛を食った後、おとなしく帰り、次の日のミーティングに備えた。8月11日(金)は朝からミーティングをした後、リアナとサニーとマットという男と昼飯を食いにいくことになった。リアナのシビックでバーべキュー屋に行くことになったのだが、サニーが私にしきりに助手席に座ることを薦めるのでとりあえず座ることにした。そこで見た光景はアイルトン・セナ譲りの恐るべきドライビングテクニックであった。シビックは1600ccのマニュアル車でリアナは携帯電話をかけながらハンドルとギアの操作を同時に行い、また、急速車線変更や急速割り込み等の荒業を存分に披露し、サニーとマットの度肝を抜いていた。リアナに「今まで警察に捕まったことがあるか?ちなみに私は2度ほどアメリカで捕まっているぜ!」という質問をしたところ、2回なんてまだまだケツが青いぜという表情を浮かべながら「あるぜ!」と答えていた。

午後から社長のブレット・ジャクソンと面会する機会があり、日本のビジネスの状況を尋ねられた。とりあえず「今は非常に厳しいが、見通しは明るい。いざとなれば大蔵省で遊んでいるマサという者を拉致して無償で24時間働かせキャッチアップさせよう!」と答えておいた。

8月12日(土)朝からワシントンの観光を行った。まずは前回のワシントンツアーで訪問出来なかったペンタゴンを訪れた。残念ながらその日は土曜日でツアーをやっていなかったのですかさずホロコーストミュージアムに移動した。このミュージアムは非常に人気があるようで入り口のところではおびただしい数の観光客が列をなしていた。入場待ちの人々は意気揚揚としている様子であったが退場してくる人々は皆神妙な顔つきで出てきていやがった。ここは第二次大戦中のナチスのアウシュビッツをはじめ、さまざまな大量殺戮の歴史が展示されており、入場者の涙を誘っていた。

お盆の時期ということもあり、スミソニアンに埋葬されているアプライドのP-5000の遺品にお参りにいこうかとも思ったがアキラをはじめ数々の浮かばれないサービスマンの魂が帰ってきているかも知れないと思ったのでやめておいた。その代わりに午後からジョージタウンというところに行った。ジョージという名前からみちのくのイメージが浮かんだが、そこはワシントンエリアでもっともポピュラーな繁華街であった。タウンのど真ん中に運河があり、ビジターセンターの近辺に観光船乗り場があった。その船は1時間ほどかけて運河を往復する観光船で1800年代の出で立ちをしたうら若いおね~ちゃんたちが運河の水門の開閉と船の操縦をつかさどっていた。運河の水位は水門の開閉により調節されており水の量を減らしたりすることによって橋の下をくぐったりしていた。

その後キャピタルヒルをグルッと回ってホテルに帰ったあとリアナとショーンとクリスティンという女性とボルチモアに食事に行く約束をしていたので行くことにした。リアナの家で待ち合わせをすることにしていたため、リアナが出かける準備をしている間にショーンから家の中を案内してもらえた。そこはロックビル近郊の高級住宅街?の一角で3階建ての1階はガレージになっており、自転車が8台ぶらさがっていた。2階はキッチンとリビングでバーベキュー可能なテラスが設置されていた。尚、3階には寝室と客用の寝室があった。

リアナん家に大きな黒猫が暮らしており、リビングの写真を見ている私のところに挨拶に来たのでかまってやった。黒猫は「口数の多い奴らと同じ屋根の下で暮らしているとストレス太りで大変だぜ!」と言っているような顔つきでしきりに後足で頭を掻いていた。

今回はショーンの運転するシビックでボストンにも決してひけをとらないシックな港町のボルチモアにたどり着いた。この日は土曜日ということもあり、港で何か分けのわからない催物が開催されていたため、非常に人出が多かった。とりあえず港の近辺のレストランで飯を食い、明日は私が4時に起きなければならないということもあり早々と午前1時頃にお開きとなった。

8月13日(日)7時5分の飛行機に乗るために早起きしてワシントンダレス空港へと車を飛ばした。ワシントンを発ちアトランタに到着したのは午前9時前で1時間ちょっと時間があったのでアトランタ空港の見学を行った。さすがにコカコーラの城下町ということもあり空港内にもコカコーラのショップがあり、スカッとさわやかな雰囲気を醸し出していた。

アトランタで10時20分発の成田行きの飛行機に乗った。今回は赤ちゃんは乗っていなかったものの中央5列席のとなりに黒人のお父さんと息子のマイケル(推定3歳)が乗っており、離陸後おそらく大変なことになるだろうと予想した。また後ろの席の方はオーランドから乗り継いできたディズニーワールドのツアー客で大変な賑わいを見せていた。

ところでマイケルはというと実は私の後ろの席に彼のお母さんと兄貴が座っており、席の間をせわしく動いていたために父親から耳をつねられて泣きそうになっていた。

というわけで今回1週間で長距離移動をこなし、マサであれば孫の代まで過労死するようなハードスケジュールであったが、何とか生きて帰ってくることが出来た。

次回は9月上旬にコロラドロッキー、シアトルから「特命リサーチ200FTB」か何かをお届けします。

FTBサマリー

成田 → ポートランド 4823マイル

ポートランド → ソルトレークシティ 630マイル

ソルトレークシティ → ボストン 2105マイル

ボストン → ワシントン 500マイル

ワシントン → アトランタ 534マイル

アトランタ → 成田 6850マイル

Presented by FTB Co. LTD

代表 Masa

取締役運転手 Masa, acting

インターン Kazu

調達実施本部長 Masa, acting

 総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)

スポンサー 大蔵省

協力 Hertzレンタカー、アクセント・テクノロジー株式会社

大FTB春の祭典 アメリカ東海岸編

というわけでFTB2000U.S.A第2弾として東海岸編をお送りします。

ANAマイレージクラブのプラチナ会員兼スターアライアンスのゴールドメンバーである私はGET特割ハッピーフライデーとプラチナ会員アップグレードを巧みに組み合わせてマサであれば\300,000くらいかかっているところを\74,000でニューヨークビジネスクラス往復でのFTBを挙行した。

ANAの成田→ニューヨーク便はポケモンジェットであるはずと信じていたのだが、実際は何の変哲も無いB747テクノジャンボだったため、ANAにクレームを付けようかと思ったが、まあ我慢して乗ることにして一路ニューヨークを目指した。ニューヨークへはサンフランシスコから「アメリカ横断ウルトラFTB」で陸路を使うことも考えたが、今回は費用対効果の関係で直行便を利用させてもらった。

4月21日(金)

午前10時30分にJFK空港に到着した。天気はあいにくの雨であった。早速Avisに向いレンタカーをピックアップしたのだが、今回はキャバリエではなくSuzukiのEsteemというしょぼいコンパクトカーを与えられた。その足でボストンへの道を北上したのだが、あまりにも雨がひどいのでコネチカットのモーテル6に早々と引き払った。

4月22日(土)

マサよ、君はアメリカ北東部の小さい州がごちゃごちゃ込み合っているところを渡り歩いたことがあるか? 私は…ある! というわけで朝からあいにくの雨にもかかわらず、コネチカット、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、メイン、バーモント州を渡り歩き、FTBはカナダのケベック州に入り、モントリオールを目指した。カナダとの国境を越えたとたん距離、スピード表示はマイルからkmにかわり看板はほとんどフランス語表示になった。

モントリオールは北米のパリと呼ばれるほどフランス文化が根づいており、英語よりもフランス語を話す人が圧倒的に多い。その日は1976年にオリンピックが開催されたオリンピック公園を訪れた。公園の中心部に金メダル獲得者の名前が刻まれた銅版のモニュメントがあり、その中でひときわ輝いていたのが女子体操の各種競技で10点を出しまくったナディア・コマネチの名前であった。その記念碑の前でビートたけし直伝のコマネチのポーズを決めようかと思ったが、人通りが多かったので断念した。その後、当時のオリンピックのメインスタジアムであり、現在はメジャーリーグモントリオールエクスポズの本拠地になっているオリンピックスタジアムを訪れた。そう、今日は日本が誇るヒキガエル伊良部の登板日である。

ミルウォーキー・ブリュワーズと対した伊良部は立ち上がりからホームランを打ちこまれるなど6回を4失点でノックアウトされた。しかしながら、スタジアムの場内放送はフランス語と英語であり、球場係員も貴賓のあるマダムやマドモアゼルが多く、野球場内であっても格調高いフランス文化を十分に堪能することが出来た。

4月23日(日)

モントリオールを後にしたFTBは西へ進路を取り、一路トロントを目指した。トロントはオンタリオ湖畔に位置するカナダ最大の都市であり、トロント・ブルージェィズの本拠地でもある。今日のブルージェィズはニューヨーク・ヤンキースをスカイドームに向かえ、1時15分にプレーボールが告げられた。スカイドームは世界で初めて開閉式屋根を採用した多目的スタジアムで後の福岡ドーム等にそのテクノロジーが引き継がれている。試合はというと両チームともホームランの打ち合いで最終的には10対7でヤンキースが勝利した。

CNタワーという世界一高いタワーがスカイドームの隣にあり、これに登らなければカナダに来た意味がないと言われているので登ることにした。もともとテレビやラジオ等の電波搭として建てられ、カナダ国鉄(Canadian National Railway)の頭文字を取って名づけられたCNタワーは553.33mの高さを誇りエンパイアステートビルを登り切ったキングコングでさえ登れないのではと思われるほど高い建造物である。展望台は346mの高さにあり、CAN$17.11を支払うとガラス張りのエレベーターでたった60秒で到着した。そこからトロント一の眺望を拝見したわけであるが、実はその上に447mのスカイ・ポッドという展望デッキがあるのだが、2時間待ちだったため断念した。

4月24日(月)

前日の夜にナイアガラフォールズエリアまで移動していたFTBは当然のようにナイアガラの滝を訪れた。ここでは昨年の8月に来たときに参加出来なかった滝裏ツアー(CAN$4.5)に参加した。そのツアーはエレベーターで50mほど降りてカナダ滝を裏側から見るというごく単純なツアーであり、世界で一番水が落ちてくる量が多いところで東京電力等が見るとよだれを垂らしそうな勢いを誇っていた。

3日間におよんだカナダ遠征を終了し、再び国境を越えて米国に帰っていった。

4月25日(火)

マサよ、アメリカ建国の地フィラデルフィアに来なければアメリカを語る資格がないと言われているのを知っているか? というわけで今日はニューヨークから2時間あまり離れたフィラデルフィアに行ってきた。まず最初に訪れたのはロッキー・バルボアことシルベスター・スタローンが打倒アポロ・クリードを誓った聖地であるフィラデルフィア美術館である。マサであれば階段を一気に駆け上がりガッツポーズをして「エイドリア~ン!」と叫んでいただろうと思われるほどすばらしい外観であったが時間の都合で中には入らなかった。その代わりにインディペンデンス国立歴史公園を十分堪能することが出来た。この公園は1776年にアメリカが独立宣言したときに由来するモニュメントや建物がたくさんあり、たくさんのガキや老人達と一緒にアメリカ建国の勉強をすることが出来た。

大リーグNo1左腕のアリゾナ・ダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンが登板するというのでフィラデルフィア・フィリーズの本拠地であるベテランズ・スタジアムに足を運んだ。ランディは初回から怪腕を披露し、6回2/3を投げて11三振を奪う力投でフィラデルフィアのファンの度肝を抜きやがった。

4月26日(水)

1987年の夏以来だからほぼ13年ぶりにニューヨークの中心部に戻って来たことになる。

まずはガラと治安の悪いブロンクスに位置するヤンキースタジアムでヤンキースとツインズの試合を見物した。試合は2発のホームランと勝利の方程式の継投でヤンキースが勝利を収め、平日のデーゲームにもかかわらずつめかけていた観客を大いに満足させた。試合後はお決まりの「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が流れここが世界の中心であるニューヨークだという雰囲気をいやがおうにも醸し出していた。

試合が終わるとロウアーマンハッタンへ移動し、バッテリーパークやウォール街を見物した。ウォール街にあるトリニティチャーチの色が黒から茶色に変わっているのを見て時の流れのはかなさを感じさせられた。13年前にお徳用パックで買ったトークンが3枚ほど余っていたので地下鉄に乗ろうとしたが、今はトークンは使えず、変わりにメトロカードというものが君臨していた。仕方がないので$10.-分購入し、ミッドタウンへ向った。長い物に巻かれやすいのは大蔵官僚のマサであるが、高いところに登りたがるくせのある私はキングコングが外壁の登頂に成功したニューヨークのシンボルであるエンパイアー・ステートビルの展望台に登った。ここの展望台は$100万する夜景をスーパーディスカウント価格の$7で見ることができることで有名である。まずは吹きさらしの86階(320m)の展望台で雨に打たれた後、その後30分くらい並ばされて102階の展望台に移動し、ニューヨークの夜景を十分に堪能する事が出来た。

4月27日(木)

昨日柄の悪いブロンクスのモーテルに宿を取り、緊張した夜を過ごしたFTBであったが、朝起きたら幸運にも生きていたので今日はクイーンズ方面に向った。クイーンズにはラガーディア空港があり、近辺のハイウエイからは飛行機の着陸シーンが数メートル単位で間近に見られ、成田在住の人であっても充分その迫力は堪能出来る。

ラガーディア空港の近隣にニューヨーク・メッツの本拠地シェィ・スタジアムがあり、シンシナチ・レッズを迎えてデーゲームが行われていたので見に行った。平日のデーゲームにもかかわらずスタジアムにはたくさんのニューヨーカーがつめかけていた。シンシナチ・レッズには今年移籍して来たケン・グリフィー・ジュニアがおり、我々の前で挨拶代わりのホームランを放ちメッツファンからブーイングを浴びていた。メッツの方はといえばピアザが欠場し、打線に迫力を欠き、結局1点差で試合を落としてしまった。

4月28日(金)

今日は大蔵省を中心とした日本の官僚主義を撤廃するための外圧をかけてもらうためにアメリカの首都ワシントンDCを訪問した。まずは将来マサが奇跡的に出世してホワイトハウスに招待されたときに迷子にならないようにホワイトハウス見学ツアーに参加しようとした。しかし9時半という早い時間にビジターセンターに行ったにもかかわらず整理券はすべて配布済で中に入る事が出来ず、結局外から白い建物しか見れない状況だった。

その後、ギャラリーフェイクとも呼ばれている私は無料で見物出来るスミソニアン系のミュージアムを何件か訪れた。そのなかで目を引いたのがアメリカの歴史博物館に展示されていたアプライドのP-5000の1号機であった。それはInformation Ageというセクションの中で半導体を製造するための重要な装置や!ということでさる然とした輝きを放っていた。また、見学者の間の噂話でアプライドの社員でここにおいてある遺品の装置にお参りに来なければ出世出来ないということであった。

DCを後にしたFTBは1時間ほど北上し、メリーランド州にあるボルチモアに向った。ボルチモア・オリオールズは本拠地オリオールパークアットカムデンヤードにテキサス・レンジャーズを迎え打ち、試合は延長戦をサヨナラ勝ちで制し、場内は歓喜の渦と化していた。

4月29日(土)

小金を持ったマサがぼったくりバーに入った状況は「カモネギ」であるが、カーネギーと言えばアメリカの鉄鋼王であり、工業都市ピッツバーグを連想させられる。というわけでペンシルバニア州の西、オハイオ川、アルゲイニー川、マノンガヘイラ川の3つの河川「スリーリバース」に囲まれたピッツバーグを訪問した。

ピッツバーグ・パイレーツは本拠地スリー・リバース・スタジアムにシンシナチ・レッズを迎えて午後1時35分からの試合開始であった。ところでパイレーツといえばチケットを買うときに「だっちゅ~の」のポーズをすると割引になるという噂がまことしやかにささやかれていたが今日それが迷信であることが証明された。試合の方はシーソーゲームで観客も多いに盛り上ったが、結局6対5でパイレーツが負けたっちゅ~の!

4月30日(日)

マサよ、君は目の前で野茂が三振と取るところを見たことがあるか? 私は…ある!

しかも9回も!

というわけで今日はデトロイトまで車を飛ばし、デトロイト・タイガースの本拠地であるコメリカ・パークでシカゴ・ホワイトソックスから野茂がバッタ、バッタと三振を取るシーンを見に行った。タイガースと言えば日本では最下位の常連のお荷物球団であるが、ここメジャーでも現在ダントツの最下位を快走している状況である。そういった環境でマウンドに立ったエース野茂であるが、7回2/3を投げ2失点、9奪三振の力投で勝ち投手にはなれなかったもののタイガースの勝利に貢献し、デトロイトのファンの期待に応えるとともに度肝まで抜いていた。

5月1日(月)

「笑ってもっとベイべェ~♪♪無邪気にオン・マイ・マイン♪♪」と鼻歌を歌いながらいとしのエリー湖の近くをドライブしながらFTBが向った先は京都と姉妹都市の関係にあるボストンである。

マサよ、君はグリーン・モンスターを知っているか?

フェンウエイ・パークは1912年に建立された現存する世界最古のメジャーリーグ球場でありレフトが極端に狭い変形球場としても有名でその狭さを補うために11mの高さを誇る通称グリーン・モンスターというフェンスが設置されている。ボストン・レッドソックスは地元にデトロイト・タイガースを迎え、7時5分の試合開始より壮絶な打ち合いが開始された。今日グリーン・モンスターを越えたホームランが3本あり、またグリーン・モンスターを直撃した長短打も数本あり、充分にそのモンスターぶりを見せてくれた。

5月2日(火)

アメリカの歴史にさる然とその1ページを残している事件にボストン茶会事件がある。そのなかの船の1隻ビーバー2世号がレプリカとして復元され、博物館になっているので見に行った($8)。船の中は事件の起きた1773年当時を復元しており、また当時の衣装を着けた人が事件の話をしてくれ、彼が「Dump the tea」と言うと観客は「Into the sea」、「No Tax」言えば「On tea」と無理矢理叫ばされ、そして船の甲板まで連れて来られ、実際に観客の1人がお茶を海に投げさせられるパフォーマンスを演じていた。当時海に投げ捨てられたお茶は$33,000(現在の価値で$1.7ミリオン)相当で近隣の海は紅茶色に染まったということであった。

独眼竜正宗、清水の次郎長の子分である大政、子政、しらけ鳥の小松政夫等マサと名の付くものがあこがれる場所がマサチューセッツ州の州都であるボストンの州議事堂であり、ここに来なければ1人前のマサになれないと言われている。州議事堂の中には初代州知事のジョン・ハンコックをはじめ歴代の州知事の肖像画が飾られたりしており、歴史的な雰囲気を醸し出していた。

チャールズ川を挟んでダウンタウンの対岸に位置するケンブリッジは学園都市として有名である。まず、クリントン大統領も卒業したハーバードを訪問しようとしたが、間違って大前研一の母校であるMITことマサチューセッツ工科大学に着いてしまったのでついでに見学した。キャンパスは日本の大学とは比べものにならないほど広大でマサが優秀な成績でディプロマを取得したUCバークレーよりも全然すばらしかった。その後ハーバードが見つかったので何か適当な授業を聴講し、マサに1000ページ相当のレポートを送りつけていやがらせをしてやろうかと思ったが、夕方だったため授業は終わっていたので代わりに生協でTシャツを買っておいた。ハーバードの建物はすべてレンガ造りであり、1636年創立のアメリカ最古の大学の重みを充分に感じさせてくれた。

5月3日(水)

ANA009便で帰国

FTBサマリー

総走行距離       約4300マイル(成田~シアトル間は4776マイル)

総ガソリン代     US$171.53, CAN$40.-

総宿泊代         US$735.02, CAN$55.-

訪問した州の数   US 13州(ニューヨーク、コネチカット、ロードアイランド、マサ     チューセッツ、メイン、ニューハンプシャー、リッチモンド、ペンシルバニア、ニュージャージー、メリーランド、デラウエア、オハイオ、ミシガン、CAN 2州(ケベック、オンタリオ)

特命リサーチ200FTB

「マサよ、これはいったいどういうことなのか!?」

というわけでY2K問題を無難に切り抜けたFTBは年明けの1月3日スターアライアンスメンバーのANA008便UAとのコードシェア便に乗りこみ、サンフランシスコ経由ラスベガスをめざした。ところでANAは年始早々西武の松坂を起用してハンバーガー計画をぶちあげているが残念ながら機内ではハンバーガーどころかポテトも出なかった。

1月3日(月)

ラスベガスのマッカラン国際空港ではいきなりおびただしい数のスロットマシンの出迎えを受け、世界最強のギャンブル都市の実力をいきなり見せ付けられた。Avisでキャバリエ似のフルサイズカーであるマリブをレンタルしてFTBはラスベガスの市内に向った。マサであれば早速カジノでバカラのテーブルに走り、日本から持ってきた京成電鉄等の販売機で使用できない不良500円玉を使い果たし、すってんてんになった後、「そんなバカラ!」と叫んでいるであろうが、ファーイーストリサーチインクの佐野史郎チーフから特命を受けている私はそのままフーバーダムへ向った。

フーバーダムは1929年の世界大恐慌の年に就任した第31代大統領ハーバート・フーバーとその土木作業員たちが1931年に着工し、1935年に竣功した世界最大のダムである。1931年といえば日本では満州事変が始まった年でその後敗戦へと長い道のりが続くわけであるが、日本が侵略にうつつを抜かしている間にアメリカでは清水、鹿島、大成建設、熊谷組、山口組等のゼネコン会社が束になってかかってもかなわないテクノロジーで治水、灌漑の大作業を行っていたわけである。

フーバーダムビジター駐車場で車を止め、早速Regular Tour($8)に参加した。ツアーはそのほかにHardhat Tour($25)というヘルメットを支給されて行くものもあるのだが今回はリサーチコストを下げるためにレギュラーにしておいた。エレベーターでダムの最深部に降り、発電機やトンネル等を見学した。下から見上げると高さ221.3m、幅379.2mのアーチが大魔神のように立ちつくしており、日本最大の黒部ダムであっても到底太刀打ち出来ないスケールの大きさが感じられた。キカイダーといえば人造人間であるが、このフーバーダムによって塞き止められた水はレイクミードという人造湖を造っており満面の青い水をたたえていた。そして「ケツの穴の小さいマサの細いウンコであれば45億年くらい流し続けてやるぜ!」と言っているように感じられた。

ところで今回のクライアントからのリサーチ依頼である「フーバーダム建設とポカリスエット開発の因果関係を追え!」はここで調べてもわからないので大塚製薬に聞いてくれとレポートをしておいた。

1月4日(火)

マサよ、君はFour Cornersという言葉を知っているか?… 私は今日知ってしまった!

Four Cornersとはアメリカで唯一4つの州の境界線が十字に交わっているコーナーでアリゾナ州、ユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州が一同に会する貴重なポイントでアメリカでは穴場といわれている観光スポットである。料金ゲートで入場料($1.5)を支払い、早速4州がクロスするモニュメントで記念写真を撮り、次の目的地へ向った。

シリコンバレー、ワインカントリーのナパバレー、熊川哲也のクラシックバレエ等、世の中にはさまざまなバレーがあるがその中で最高峰に位置するのはやはりモニュメントバレーであろう。モニュメントバレーはナバホ族の居留地で「Monument Valley Navajo Tribal Park」というのが正式名称である。アメリカの原風景ともいわれるモニュメントバレーはジョン・フォード監督の西部劇や多くのCMに登場する風景であるが実物は到底画面には収まりきれないほどの迫力と感動を与えてくれた。今日は到着した時間が遅かったためにとりあえずサンセットを堪能してメキシカンハットにあるモーテル($38.-)に引き払った。

1月5日(水)

今日は早起きしてモニュメントバレーのサンライズを見に行った。この世のものとは思えない眺望を堪能したあとメキシカンハットに引き返し、その地域の名前にもなっているメキシカンハットロックを見に行った。

午前中のうちにモニュメントバレーに戻り、入場料($3.-)を払い再びパークに入場した。車から出ると現地のツアーガイドがしきりに客引きをしていた。バレー内の未舗装道路にはジープでしか入れず、またパークの奥には現地のツアーガイド無しでは行けないことになっているので結局ツアーに参加することにした。

将来は立派なジェロニモに成長するであろうナバホ族のリチャードというおじさんに$40.-支払い、フェニックスと命名されたジープに乗り込みツアーが始まった。ツアーは観光コースでであるView Pointでストップし、MesaやButeと呼ばれる残丘を真近で見ることが出来た。中でも有名なのは「ジョン・フォードポイント」というView Pointだ。そこはマサのような大根役者がへたな演技をしたときにすかさずNGにするポイントではなく、ジョン・フォード監督がもっとも気に入っていた撮影ポイントでジョン・ウエイン等が馬に乗ってたそがれていると非常に絵になるところである。

ツアーはその後パークの奥に侵入して、ホーガンというナバホの住居(土で出来た円形のテントのようなもの)を見せてもらった。どれか1軒訪問させていただこうとも考えたが、中から超人ハルク・ホーガンのような人が出てきていきなりアックスボンバーを食らわされてはかなわないと思い断念せざるを得なかった。

またリチャードはツアー中さまざまなエンターテインメントを与えてくれた。平たい石を平野に投げて音楽を奏でるロックコンサートやバックトゥザフューチャーIIIの再現で石の回りを車でぐるぐる回って楽しませてくれたりした。その後パークの奥にあるトーテムポールというマサにFuck You!をするのに最適なランドマークに到着して写真に収めておいた。ツアーが終わり、パークを後にしてユタ州のグーズネック州立パークを訪れ、わずか90mの距離を4.5kmも蛇行して流れている川を見学し、大自然の脅威を感じた。

1月6日(木)

マサよ、君はグランドキャニオンのBright Angel Trailをハイキングしたことがあるか?

私は…ある!、しかも死にそうになった。

グランドキャニオンに来て谷底へのTrail Roadを歩かなければグランドキャニオンに来た意味がないとものの本に書かれてあったのでこの機会に挑戦した。Bright Angel Trailは最もポピュラーなTrailであり日帰りでは到底谷底までは行けないので途中のIndian Garden(往復14.6km)まで行くことにした。Trailを下っていくと多くの登ってくる人とすれちがったが、どの人もいちように北斗の拳に言わせると「お前はもう死んでいる!」といったような目をしていた。そのときはマサか自分がそういう目になるとは思ってもみなかったのだが…

歩き始めて約1時間半後にIndian Gardenに到着した。そこはただのキャンプ村でレンジャーのオフィスがあった。20分程度辺りの景色を堪能したあと、早速来た道を戻ることにした。下りと違って上り道はかなり急に感じられ、歩いても歩いても見上げればガケだらけという感じであった。道上にMule Tourのラバのウンコがたくさん落ちていたので疲れたからラバでもヒッチハイクするか?とも考えたが、残念ながら登ってくるラバ隊はいなかった。何とか半分以上を過ぎたあたりから足の調子がおかしくなり疲労と寒さのため、足中の筋肉がつりはじめてしまった。登るペースを落として何とか頂上に辿り着いたのは2時を少し回ったころだった。

その後ロッジのレストランで昼食をとり、グランドキャニオンツアーのクライマックスであるサンセットを堪能してラスベガスへの帰路に着いた。

1月7日(金)

世の中でレベルの低いバレーとして葛和ジャパン(女子)、寺廻ジャパン(男子)の惨敗も記憶にあたらしいワールドカップバレー等があるが、西半球で一番レベルの低いバレーはなんといってもデスバレーである。物知りのマサであれば当然知っていると思うが、デスバレーの最低地点は海抜-89mである。デスバレーの見所として、園内を一望出来るDante’s Viewや真っ白な塩が析出し、海抜-89mを誇るBad Water等があるが、やはり目玉になるのはDevil’s Golf Courseであろう。ここは塩の結晶と泥が混じりあってでこぼこの地形を形成しており、悪魔にしかプレーすることが出来ないということでDevil’s Golf Courseと命名されたそうだ。ところでマサよ、次回はFTB慰安旅行でここでゴルフコンペをやるので私のキャディーとして必ず参加してくれよ!

どちらかといえば玄人好みのNational Parkであったデスバレーを後にしてFTBはネオン輝くラスベガスに帰ってきた。DowntownでFremont Experienceというアーケードの屋根に画像を映し出すアトラクションを楽しんだ後、ストリップに下り、BellagioのFountain PerformanceやThe Mirageの火山等を堪能させてもらった次第である。

1月8日(土)

ANA008便UAとのコードシェア便で帰国

次回はミレ二アム特別記念として国定忠治杯争奪発掘あるあるFTB「赤城山に徳川の埋蔵金を追え、見ていろ糸井重里!」をお送りする予定です。マサよ、君のコネを使って小松製作所からパワーショベルとブルドーザーをチャーターし、つるはしを持って赤城山山麓に必ず集合してくれ!

山を飛び、谷を越え、夢と希望をAvisに託し、FTBは今日も地球をかけめぐる♪♪

Presented by FTB Co. LTD

代表 Masa

取締役運転手 Masa, acting

インターン Kazu

調達実施本部長 Masa, acting

総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)

スポンサー 大蔵省

協力Avisレンタカー