♪おっかのうえ、ひぃなげぇしぃの♪マサよ!
君は中国大陸南部珠江デルタに黄金のトライアングルが存在することを知っているか!?
12月28日(日)
ということで、ANA909便香港行きB777-200機は定刻通り午前9時50分に出発すると4時間程度のフライトで世界有数のインテリジェントな空港である香港チェクラップコップ空港に到着した。空港から高速鉄道(HK$90)でわずか18分で九龍に到着するとおもちゃ箱をひっくり返したような香港の繁華街を抜け、中城港にあるマカオ行き国際フェリー乗り場に向かった。新渡輪澳門(FIRST FERRY MACAU)が経営する高速フェリー(HK$141)の4:30発の便に空きがあったのでそそくさと出国手続きを終わらせて搭乗させていただくことにした。珠海を挟んで64kmの距離を1時間程度の航海でマカオに到着したころには夕闇が迫っていた。フェリーターミナルで入国手続きをすませた後、今日の宿泊先である☆☆☆☆☆ホテルの京澳酒店に向かった。チェックイン後、早速マカオの繁華街を練り歩くべく街に繰り出すとにした。
1999年に中国に返還されるまでポルトガルの行政下にあったマカオは東洋と西洋が融合した街並みを色濃く残しているものの香港のような妙なケバケバしさは無く、どことなく落ち着いた雰囲気を醸し出していた。マカオの繁華街の中心であるセナド広場はクリスマス風のデコレーションをいまだに残しており、多くの観光客がクリスマスツリーを背景にして記念写真を撮っていた。ところでマカオと言えば東洋一のギャンブル地帯として有名であるが、その中でも最高位に位置するホテルリスボアのカジノがおびただしいほどの観光客を集めていた。しかしながら、日本有数の勝負師である私に一人勝ちされるのを警戒してかどの賭場も立錐の余地の無いほどのさくら的ギャンブラーでブロックしていやがった。
12月29日(月)
マカオ南部の埋立地に2001年に建立された高さ338mのマカオタワー(HK$70)がそびえていたので登頂して見ることにした。一般観光客がアクセスする展望台は58階にある216mの室内展望台と61階にある233mの室外展望台になるのだが、冒険好きの輩用に空中漫歩や空中漫歩X版というアトラクションが用意されている。X版のほうは233mの高さのタワー外部の外周部のワッカの部分を命綱をつけて顔を引きつらせながら記念写真を撮り、一周するというものである。また、百歩登天というタワーの最高部である338m地点によじ登るツアーも存在するのだ。ちなみにこのタワーからはマカオだけでなく、中国本土や香港まで見渡すことが出来る。
マカオの歴史を学習するために海事博物館(HK$10)を訪問した。ここでは大航海時代からのポルトガルとマカオの関係の歴史や中国の航海史に関する展示の他、古いマカオの立体模型や数々の船の模型、はたまた1543年にポルトガルから種子島に伝わった火縄銃も展示されており、さらに地元の魚が泳いでいる水族館まで併設されているのだ。
海事博物館の向かいに媽閣廟という道教寺院が多くの参拝客を集めていたので覗いて見ることにした。ここはマカオの地名の発祥の地と言われ、ポルトガル人が最初に上陸した時「地名は?」と聞いたら阿媽閣(アマカオ)と寺の名前を言ってしまい、以来マカオと呼ばれるようになったという間抜けな言い伝えが残っているのだ。
フランシスコ・ザビエルが仕切っていたイエズス会の教会であるペンニャ教会がマカオ半島南部の高台にそびえている。この教会はもともと1622年にカトリック布教の中心として建立されたものであるが、現在のロココ調の石造りの建物は1935年に再建された何の変哲もないビルディングである。丘を降りて市の中心に向かう道すがら、おびただしい数の洗濯物がはためいている古いアパート群や商店街を通っているとやはりここは中国大陸のはずれに他ならないことを実感させられる。
17世紀初頭にイエズス会が建てた聖ポール天主堂が今は建物正面の壁面だけを残し、マカオのシンボルとして君臨しているのでお参りに伺ってきた。オードリーをこお~どり~させたローマのスペイン階段を彷彿とさせるような階段では多くの観光客が2B弾のようなパチパチ系の弾薬をしきりに足元に投げつけて快音を楽しんでいたのだが、その最上部には東洋一の壮大な美しさを持っていた面影を残す天主堂跡が仁王立ちするように立ちふさがっていた。1835年に起こった隣の学校からの火事の飛火により正面だけを残して焼け落ちてしまった天主堂であるが、壁面にはキリスト少年像、聖母マリア像、ザビエル像等の美しい彫刻を残しており、当時の威厳そのままに保たれた形で存在しているのだった。
天主堂の隣にとある高台があり、そこに22門の大砲が残されている。モンテの砦と言われる大砲台は1622年に攻めてきたオランダ軍を撃退したという戦果を誇っており、なぜか天主堂と秘密の地下道で結ばれていたと言われている。
カジノだけでなく、多くの観光地が存在しているマカオの見所をすべて見ることが出来なかったので後ろ髪を引かれるような思いで午後6時に香港行きのJet Foil(HK$161)に搭乗し、香港島の皇悦酒店の最上階に引きこもり英気を養うことにした。
12月30日(火)
マサよ、君は「食は広州にあり」ということわざを知っているか!?香港では飲茶の代わりにマックと吉野家くらいでしか飯を食えなかったので、アグネス・チャン(Ph.D)には悪いと思ったが、飲茶発祥の地であり、広東料理のメッカである中国広東省の広州まで足を伸ばすことにした。今年の9月から観光目的で30日以内の場合は中国へ入国するためのビザが必要なくなったため、比較的簡単に中国に入国できる利点を利用して九龍にあるホンハム駅から汽車(HK$190)に乗って広州東駅を目指すことにした。乗車、下車各駅で入出国の審査を行い、2時間弱の汽車の旅を経て華南最大の都市である広州に到着した。大都市広州には従来から君臨している広州駅と最近出来た広州東駅が存在するのだが、最近では発着列車が徐々に広州東駅にシフトしている。広州東駅からホテル近辺を目指すべく地下鉄に搭乗させていただいたのだが、出来たばかりの広州の地下鉄はICを組み込んでいると思われるプラスチックの円形のチップが切符となっており、それを改札口の特定の場所に接触させるだけでゲートが開くようになっている。また下車時にはチップは回収されるので再利用されているものと思われた。
広州五大酒店と言われる一流ホテルのなかでも最も近代的な設備を誇るマリオットホテルグループが展開する☆☆☆☆☆ホテルである中国大酒店に到着するとそこの1階は一大ブランド物ショッピングセンターと化していた。怪しい中国でのブランド物ということでシャネルがチャンネルになっていないか、ルイ・ヴィトンがルイ・ボタンになっていないか、はたまたグッチが祐三になっていないか確認して見たが、一見するとバッタ物ではないように思われた。
ホテルの近くに大きな越秀公園(5元)があり、その中の広州博物館(6元)に侵入することにした。まず、この博物館の建物である鎮海楼は1380年に建立された著名な古代建築であり、その西側には碑廊と大砲の台座が据え付けられている。館内は5階に分かれており、1階の漢代~元代をはじめとして清代から現代までの広州の歴史風俗をダイジェストで学習することが出来るようになっている。
越秀公園から北に進路を取り、広州駅を目指すことにした。広州ホンダの城下町としてモータリゼーションが進んでおり、北京、上海に匹敵するほどの大都市広州の道路は広く、近代的な街の風景が広がっているものの広州駅前の広場の光景はマサに中国という感じのズタ袋を抱えた旅人達の溜まり場となっていた。広州東駅でなく、ここ広州駅で列車に乗らなければならない場合は間違いなく仁義亡き戦いに巻き込まれることは必至であると思われた。
広州駅から地下鉄に乗って大河である珠江のほとりの沙面に向かった。珠江河岸にはおびただしいほどの水産会社が軒をつらねており、その辺の水族館よりも多くの魚や甲殻類を間近で見たり安価で購入することが出来るのだ。沙面から多少北に進むと上下九路という広州の昔からの繁華街に行きついた。午後7時を過ぎたこの辺の通りは歩行者天国となっており、そこいらで串焼き等の食い物が売られ、大変な賑わいを見せていた。またこの通りには広州三大酒家のひとつである広州酒家が「食在広州」のネオン看板もまぶしく営業していたので入ろうかと思ったのだが、なぜかスルーして同じ建物に入っている唐人街という中華食堂で唐人街炒飯と魚の唐揚を食ってお茶を濁しておいた。
12月31日(水)
中国大酒店には数多くのレストランがあるが、1階に食街という大衆的な中華があったのでここで朝から飲茶を堪能した後、観光に繰り出すことにした。広州駅前の大通りを東に1kmほど行ったところに環市東路という広州で最先端をゆく通りがある。ここは日本で言えば銀座のような場所で数多くの一流ホテルや企業や高級ブランドショップが軒を連ねている。
辛亥革命で有名な孫文(中山)を祈念して建立された講堂である中山祈念堂(5元)をチラッと見た後、陳氏書院(10元)を訪問することにした。ここは1890~1894年に当時の広州72県の陳姓の人々がお金を出し合って建立した族祠と書院であるが、「料理の鉄人」にて中華の鉄人とうそぶき、日本でボッタくりレストランを経営して暴利を貪っている陳健一が名を連ねているかどうかは定かではなかった。院は典型的な中国南方建築様式を採用しており、透かし彫りという高等技術を用いたレリーフが随所に見られる非常に美しい建築物である。
昨日訪問した広州博物館とは別に広東省立の広東省博物館(15元)なるものが市の中心に君臨しているので見物させていただくことにした。近代的な設備を誇るこの博物館には中国4000年の歴史を彩る青銅器をはじめとする数多くの歴史的に貴重な遺品の数々や中国南部に住む動物の剥製や陶器、水墨画等を目のあたりにすることが出来る。また、館内には旧中山大学の鐘楼を改造した魯迅博物館も併設されており、広州時代の魯迅の足跡を垣間見ることも可能になっているのだ。
広州一と言われる繁華街である北京路で広州市民の挙動を観察しながらぶらぶら歩いた後、広州の寺院巡りと洒落込むことにした。広州で語り継がれている伝説の5人の仙人を祀った祠である五仙観(5元)をのぞき、広州で最も古い九層の仏塔がある六榕寺(10元)で1400年以上の歴史の深さを垣間見、メインの大雄宝殿を大改装していたものの数多くの参拝客でごった返していた広州で最も規模が大きな仏教寺院である光孝禅寺(3元)をはしごした時に感じたのだが、人民の参拝の仕方が半端でないことだった。まずは日本寺院が使うちまちました線香とはレベルが違う巨大な線香の束を3元くらいで購入し、それを胸の前に携えて仏の前で何度も何度もおでこが膝に付くくらいの深さでお辞儀をし、さらには土下座をして額を地面にこすりつけんばかりにする輩もたくさんいる。ちなみに仏の前には必ず土下座用のクッションが設置されており、人民の膝に負担がかからないような配慮がなされていた。
今日は大晦日ということで早めに観光を切り上げ、ホテルの衛星放送で紅白歌合戦を視聴することにした。時差が1時間あるため、午後6時半にはじまった歌合戦はNHKの総力を上げて開発した海外向けの衛星放送プログラムであったため、映像よりも多少音声が遅れるという脆弱性を持っていた。従って、4時間あまり天然のいっこく堂ネタを食らってしまうはめになってしまったのだが、女子十二楽坊の演奏だけは何とか普通の状態で持ちこたえられたのではないかと思われた。
1月1日(木)
通常であれば新年明けましておめでたいところであるが、中国では春節(旧正月)を祝うため、元旦とはいうものの通常どおりの日常生活が繰り広げられていることが確認された。
早朝より昨日参拝した光孝禅寺と六榕寺の様子を見に行って昨日と同じ状態であることを確認した後、広州最強の見所であると思われる西漢南越王墓(15元)を見物することにした。秦の始皇帝が紀元前214年に現在の広東省一帯を占領して統治した。秦の崩壊後、秦の将軍であった趙佗が自ら王を名乗り、ここに南越国を建国し、現在の広州を都とした。1983年に前漢時代の南越国第二代王文帝の石室墓が発見された。この墓は2200年前のもので中から1000点以上もの埋葬品が出土した。この墓自体と出土品を展示しているのがこの博物館であるのだが、出土品の中で最も目を引くものは絲ろう玉衣と言われる埋葬された王の衣装であろう。また、発掘された墓自体はいくつかの部屋に分かれており、観光客のアクセスも可能となっているのであった。
中国大酒店からはマカオ行きと香港行きのバスが発着しているのだが、午前10時50分発の香港行きバス(105元)に乗ると一路香港への帰路を急いだ。香港との国境である深せんでは中国出国と香港入境のために2回もバスを降ろされて審査をされることになったのだが、3時間程度の快適なドライブを経てアグネス・チャン(Ph.D)の故郷である香港へ何とか帰ってくることが出来た。
尖沙咀にある皇悦酒店九龍にチェックインするとスターフェリー(HK$1.7)で香港島に渡り、香港唯一の観光地であるビクトリアピークに向かった。ピークトラム(往復HK$30)で頂上まで登るとお約束の夜景の時間と相成ったわけであるが、霞がかかり、しかも正月でビルの光が少なかったため、100万HK$の夜景も大幅ディスカウントされ10万HK$くらいの値打ちしかないように感じられた。
仕方なく、再度フェリーで九龍に戻ることにした。奇跡の1マイルと言われる尖沙咀の目抜き通りであるネイサンロード(Nathen Road)はその名の通りおね~系のギャルであふれていたものの「カオルーンで会いましょう」とばかりに長谷川京子を彷彿とさせるジャスミン系のギャル(通称シュガーレィディby河村隆一)はほんの0.5%くらいではないかと思われた。
1月2日(金)
午前中とあるローカルな土産物屋で電式自動腕振り黄金招き猫(HK$28)を購入した後、香港島からバス(HK$40)に乗り、香港国際空港を経由してANA911便にて帰国、そのまま流れ解散と相成った。
*香港最大の英雄アグネス・チャン(Ph.D)の情報は以下をご参照下さい。
尚、奴はマサでも持っていないスタンフォード大の博士号を持っているのだ!!http://www.agneschan.gr.jp/
次回はバンコクから万国共通の情報が届けられるかも知れまへん。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥65,340
総宿泊費 US$98.-、HK$1,582、1,100.04元
総高速フェリー代 HK$303
総九龍至広州東汽車代 HK$190(1HK$ = 約\15)
総広州至香港バス代 105元(1元 = 約\15)