ア~ア~、ア ア ア ア ア~(song by さだ マサ!し)
プーチン、じゃなかったマサよ~、君は北方領土返還のための身代官僚になる覚悟があるか!?
というわけで、これまで松山千春とともに♪めぐる季節の中で♪何度も北海道東部の沿岸部を歴訪し、鈴木宗雄よろしく「北方領土かえせ~!」と叫んできたが、ラチがあかなかったので今回はついに日本から北方領土を奪い去った国に上陸し、逆方向の観点から何とかならないかとりあえず検討してみることにした。
2006年7月15日(土)
スカンジナビア航空が誇る成田発コペンハーゲン行きSK984便、エアバスA340-300機に搭乗するといつものヨーロッパ便が飛行する新潟航路ではなく、稚内航路を飛行している様子がフライトマップに映されていた。これもひとえに悪の北の国から発射されたジョン・イルのへたくそなミサイルの脅威回避のためであるのだが、飛行機は定刻通りの午後4過ぎにコペンハーゲン空港に到着した。
今回のツアーではデンマークで北方地方での生活のための体を慣らすためにコペンハーゲン空港から列車(DKK27)でコペンハーゲン中央駅に向い、駅前のツーリストインフォメーションで情報を入手した後、再び列車に乗り、グロストラップという町で下車した。Hilton HHnonorsグループでスカンジナビア半島を仕切っているScandicというホテルがあるのだが、実は払い戻し不可の事前予約を一週間前の7月8日泊で設定してしまっていたため、丸々DKK485を損してしまったリベンジを果たすためにマサであればDKK485くらいかかるところをHilton HHonorsのポイントを使って私はただで宿泊することが出来るScandic Glostrupにチェックインすると白夜にもかかわらず早々と意識を失わさせていただいた。
7月16日(日)
早朝ホテルをチェックアウトするとSトレインというコペンハーゲン近郊を走る列車に乗り、空港に向った。午前10時25分発SK734便、MD81型機に乗り込むと2時間の時差を超えて午後3時前にモスクワのシェレメチェヴォII国際空港に到着した。
ということで、ついに念願のロシアに足を踏み入れることになったわけであるが、ロシアの巨漢ボクサー、イワン・ドラゴになぶり殺しにされた親友のアポロ・クリードのリベンジに向かうロッキーのような緊張感で入国審査を迎えることとなった。イミグレーションでガイド本を見なければ決して書き込むことが出来ない入出国カードに必要事項を記入すると入国を待つ客人達の最後尾に並び、厳かに自分の順番の来るのを待っていた。すると「FUKUDA」という私の名前の入ったサインボードを透明な壁越しにせわしげに掲げながら私の姿をさがしているおばちゃんに遭遇した。旅行会社を通してあらかじめ空港からホテルまでの送迎サービスを予約しておいたので関係者がすでにスタンバイしている状況が即座に確認されたのであった。
約1時間経過後、何とかロシアの入国を果たすと待ちきれなかったというそぶりのおばちゃんに即座に拉致され、そのまま税関で何も申告することなく旅行会社のカウンターに連れて行かれて無愛想なロシア人おじさんの運転手を紹介された。おじさんの運転するおんぼろ系のロシア製セダンは120km以上の猛スピードで前を走る車を次々に抜かしながら、腰を抜かしそうになる私を尻目に高速道路か一般道か区別がつかない道路を疾走した。途中ガス欠系かと思われる車両トラブルで路肩に車を止めて対応したもののつつがなく予約していたウクライナホテルに到着した。
モスクワ川右岸に位置するスターリン・クラシック様式の29階建て☆☆☆☆ホテルであるウクライナはモスクワ最大級の大きさを誇っている。早速Receptionでバウチャーを渡してチェックインするとレギストラツィアという滞在登録を行うために1時間ほどパスポートをフロントに預けなければならなかった。
今日は到着した時間も夕刻になってしまっていたので、ホテル周辺の軽い散策とU.S.ドルからロシアの通貨であるルーブル(P)への両替とホテル内レストランであるウクライナでボルシチと骨抜きにされた虹鱒の焼き物系のディナーを食ってとっとと休ませていただいた。
7月17日(月)
曇り空から滴り落ちる小雨模様にもかかわらず、早朝9時過ぎから念願のモスクワの散策に乗り出すことにした。ホテルを出てモスクワ川にかかる橋を渡り、目抜き通りのひとつである新アルバート通りを東に向かって20分ほど歩くとメトロの地下道に行き当たったのでそこをくぐるといきなり目の前に巨大な赤の城壁が現れた。この城壁の内部はいわずと知れたクレムリンであり、入り口には10時の開門を待つおびただしいほどの観光客が群れをなしていた。
とりあえずクレムリンの周辺を一周してみることにしたのだが、次々と目の前に現れる赤を基調とした建造物群に初めて来た観光客は一様に度肝を抜かれている様子であった。無名戦士の墓という第二次世界大戦でナチスドイツと戦い命を落とした兵士を奉っている記念碑の前には直立不動の衛兵が陣取り、写真を撮る観光客に対してもしきりに無関心を装い、前方をまっすぐ見据えたままであった。
ヴァスクレセンスキー門というスターリンの命により1931年に破壊され、ソ連崩壊後の1995年に再建された門をくぐるとかの有名な赤の広場に足を踏み入れることが出来た。赤の広場はクレムリンの北東の城壁と赤レンガ造りの国立歴史博物館、グム百貨店、ねぎ坊主が眩しい聖ワシリー聖堂に囲まれた広さ7万3000平方メートルを誇るロシアを代表する世界遺産広場である。一気に赤の広場を突っ切るとロブノエ・メストというかつてここから皇帝が全国に布令を読み上げ、重罪人の処刑を実行した石柵で囲った小さな円形の台をちらっと見やった後、聖ワシリー教会の前でオープン時間の午前11時が来るのを待っていた。
聖ワシリー聖堂(P100)の前には1612年にポーランド軍を撃退したミーニンとバジャルスキー像が英雄のポーズを決めており、豪華絢爛なねぎ坊主たちに彩りを添えている。1561年に竣工したこの聖堂を設計した建築家の二人は出来上がったものがあまりに美しかったため、2度とこんな美しい建造物が出来ないようにイワン雷帝の命により目をくり抜かれてしまうというとばっちりまで食らってしまったのだが、イワンこっちゃないと言われたかどうかは定かではない。
赤の広場を囲む一角にグム百貨店という日本橋三越本店に匹敵するデパートが君臨しているのでひやかしに入って見ることにした。店舗のほとんどは外資系ブランド物屋で占められているが、3階建ての中の構造は吹き抜けになっており、おしゃれな雰囲気を醸し出しながら観光客から外貨を稼ごうとしているかのようだった。
あざやかなレンガレッドで建造された国立歴史博物館(P150)が赤の広場の北側に陣取っているのでロシアの歴史を学習するために入場させていただくことにした。ここには革命以前のロシアの全歴史に関する資料が展示されており、特に「はじめ人間ギャートルズ」が暮らしていた時代に大掛かりな罠をしかけてマンモスを捕まえていた様子等が印象的であった。
赤の広場とその周辺のファシリティを十分堪能することに成功したのでモスクワ川沿いを下って救世主キリスト聖堂まで移動してみることにした。1883年に完成したこの聖堂は革命後の宗教弾圧によりスターリンの命によって爆破され、ソ連崩壊後の1999年に再建された新築であり、今では異様な存在感で川べりに立ちふさがっているのだ。
モスクワを代表する楽しい通りとして歩行者天国のアルバート通りを素通りしてみることにした。この通りにはおしゃれなカフェやレストラン、土産物屋が軒を連ねており、またおびただしい数の似顔絵書きが見た目よりもいい感じで観光客の容貌の特徴をとらえようと精を出していた。
7月18日(火)
マサよ、君はロシアの心臓部に侵入し、心臓が止まるほどの感動に打ち震えたことがあるか!?
というわけで早朝より地下鉄(P15)を転がして昨日じっくり下見しておいたクレムリン周辺部に満を持して繰り出すことにした。午前10時開園の直前に何とかクレムリン(世界遺産、P300)の入場チケットを入手することに成功するとかつてアメリカのホワイトハウスと勢力を二分していたソ連邦の中枢に侵入することと相成った。クレムリンの内部には観光客用の歩道が整備されており、観光客が少しでも歩道を反れるとカラシニコフで銃殺される代わりに笛で警告される仕組みを目の当たりにしながら、中心部に進んで行った。
クレムリンには当然のことながらクレムリン大会宮殿や大クレムリン宮殿等の観光客には公開されていない政治の中枢的なファシリティがあるのだが、観光客が見物を決め込むのはサボールナヤ広場にある聖堂群である。広場はウスペンスキー大聖堂、ブラゴヴェッシェンスキー聖堂、アルハンゲンスキー聖堂、十二使途教会等に囲まれ、それらの教会は15世紀~17世紀に建造されたいずれもロシア正教に由来する代物である。
また、クレムリン内部には色とりどりの花々が美しい庭園や「大砲の大帝」という世界最大の口径を誇った大砲でありながら、実は一発も発砲したことがない無用の長物や「鐘の大帝」という高さ6m、重さ200トンの世界最大の鐘にもかかわらず、鋳造中の火災によりあわてものの輩が鐘に水をぶっかけて鐘にひびが入り、一部が欠け落ちていまだに誰もその音色を聞いたことが無いという不遇な鐘が観光客の好奇の目にさらされながら余生を送っているのである。
というわけで、北方領土はさておき、ロシアに来てここに来なければロシアに来たことにならない観光名所を十分堪能することが出来たので、その足でクレムリンを退場し、ロシアのバレエ、オペラの聖地であるボリショイ劇場に向かうことにしたのだが、あいにく改装中で見る影も無かったので、メトロポールホテルでロシア革命議会が開かれたレーニンの面影をたどるにとどまってしまった。
クレムリンの南西にノヴォデヴィッチ修道院が1524年に建立された中世のいでたちで君臨しているのだが、休館日だったので外壁と塔の先端のみ垣間見てボリショイ・モスクワ国立サーカスのアリーナに向かった。残念ながら、サーカスのシーズンは9月下旬から始まるらしく、アリーナの周辺は閑散としていたため、日本に帰って安田大サーカスで我慢するしかないものと思われた。
ロシアでは超能力の研究が盛んであり、超能力を使った病気の診療システム等も発達しているのだが、その中枢にロシア最高学府のモスクワ大学が君臨しているのでバビル二世に匹敵する超能力を見につけるために校内に侵入したのだが、放課後だったため、仕方なくヴァラビョーヴィの丘からモスクワを一望することにした。ここからの眺めはすばらしく、私の常宿である巨大なウクライナホテルや遥かかなたにクレムリン等を見渡すことができる。また、隣にラージヒル、ノーマルヒルのスキーのジャンプ台があり、熱心なジャンパーが雪の無いジャンプ台から大空に舞い下がっている様子を垣間見ることが出来た。
7月19日(水)
マサよ、君は生レーニンの姿をこの目で凝視したことがあるか!?
私は・・・凝視してしまった!!!
ということで、すっかり赤の他人とは思えなくなってしまった赤の広場に3日連続で登場するとおびただしく長い行列の最後部に並んで見ることにした。その行列は赤の広場のクレムリンの城壁の中央にある小ピラミッドのようなオブジェに続いていたのだが、即座にそれがレーニン廟(無料)への入場を待ちわびる観光客の群れであることに気づかされた。1時間半ほどの入場待ちで20数秒間レーニンとの謁見を許されたのであるが、正装姿の彼はハリウッドの特殊メークさながらの遺体保存技術で数多くの衛兵に見守られながら安置されていた。また、レーニン廟に入るためには帽子を脱いで静粛にしなければならず、徳永英明であっても♪レイニーブルー♪を口ずさむことさえも許されないのである。
レーニンとの謁見を果たしながらも♪壊れかけのラジオ♪の雰囲気を引きずりながらレーニンの指導したロシア革命の資料も展示されている近代史博物館(P150)に乗り込んだ。ここには日露戦争で活躍した偉い日本人だちの資料や第二次世界大戦時のナチスとの戦いの歴史を学習するのに最適な生きた教材がふんだんに取り揃えられているのだ。
世界ではじめて宇宙に人を送り出した技術を自慢するための宇宙飛行士記念博物館を訪問したのだが、閉館日のようだったのでとりあえず天高く伸びるオベリスクの先端のロケットを見て首のストレッチをした後、トレチャコフ美術館(P240)に移動し、12世紀以降のロシア美術の名作と美術品見物に来ている人々の見物に精を出すことにした。さすがにロシアを代表する美術館だけあって貴重な絵画や彫刻が展示されているのだが、それらを見に来ている輩も八頭身、色白足長美女で美術館に彩りを添えているのだ。
7月20日(木)
早朝より散歩ついでにロシアのクトゥーゾフ将軍がロシアに侵入したナポレオン軍に戦勝した記念に建てられた凱旋門で凱旋した後、ボロディの戦闘パノラマ館の見学に乗り出すことにした。ここはマサにナポレオンのロシア遠征でロシア軍がナポレオン軍に大打撃を与えたボロディノの戦闘に捧げられた博物館であり、円筒形のドームの内部には戦闘の様子を詳細に模写した3D系のパノラマを味わうことが出来るファシリティである。
というわけで、ついに第一次ロシア遠征も終焉を迎えることとなり、ウクライナホテルにチャーターした送迎車に乗り込むと一路シェレメチェヴォII国際空港を目指し、イワン・ドラゴをKOして見事アポロ・クリードのリベンジを果たし、「数百万人が殺し合いをするよりも2人で殴り合いをするほうがましだ!」という演説をぶった勢いでコペンハーゲンに帰っていった。
7月21日(金)
既にコペンハーゲンにおけるFTBの定宿となったScandic Copenhagen Glostrupの最寄駅からSトレインに乗り、コペンハーゲン中央駅に繰り出した。小雨そぼ降る午前中の雨宿りも兼ねてまずは国立博物館に侵入して北欧の歴史をたどってみることにした。館内の展示物はデンマークの古代、氷河期から19世紀に至るまでの歴史的なコレクションのみならず、エジプト、ギリシャ、ローマ時代の遺物もカバーしており、特にヴァイキング時代の展示は食いしん坊も万歳するほど食べ放題の様相を呈しているぐらい充実していたのだ。
雨も上がったところで本格的なコペンハーゲン中心部の散策に乗り出すことにしたわけだが、まず、女王の居城であるアメリエンボー宮殿に参上し、親のすねをかじっている多くの甘えん坊とともに衛兵交代式を見学させていただいた。さらに沿岸部を北上するとコペンハーゲンのシンボル、アンデルセン童話で有名な人魚姫の像を見物し、松田聖子よろしく♪わたし はぁだしぃのマーメイド こぉむぎ 色なのォ♪系の色目を使いながら人魚姫に寄り添って記念写真を撮っている観光客を見下していた。
クリスチャンボー城という現在は国会議事堂として使用されているファシリティの城内見学ツアー(DKK60)に参加し、女王謁見の間とそれを取り巻く豪華な間や会議室に入り、以前日本の天皇もお邪魔したことがあると聞いてしきりに感心した後、観光客や原住民で賑わう大通りでソフトアイス(DKK20)を買い食いしながらダウンタウンの散策をしているとミュージアムエロチカ(http://www.museumerotica.dk/uk/index.htm )という夜の生活には欠かせない博物館が賑わいを見せている様子を横目にチボリ公園に向かった。
1843年に開園したチボリ公園(DKK75)はコペンハーゲン中央駅の目の前に位置しているという好立地条件もあり、また、開園期間が春~秋とクリスマスに限定されているため現在は多くの来園客で大変な賑わいを見せている。最近絶叫型ハードウエアのバージョンアップを行ったということで乗客のセキュリティを保証する一方でスループットも早くなったと言われているのでもはやIBMに買収される心配はないものと思われる。大人も子供も楽しめる複合型エンターテイメント空間のチボリが最大の真価を発揮するのは午後9時以降である。園内の劇場では華やかなモダンバレエのショーが繰り広げられ、また特設ステージではロックコンサートが開催され、立錐の余地もないほどの観客がほろ酔い気分で乗り乗りになってしまうのだ。また、園内には数多くのレストランがあり、そのうちのアジアン麺フードを提供するWAGAMAMAで飯を食うためにWAGAMAMA Noodleを発注したのだが、ウエイトレスの愛想の良さにもかかわらず、味はマサにわがままそのものだった。
7月22日(土)
早朝ホテルをチェックアウトし、コペンハーゲン中心部に繰り出すと緑多き植物園とデンマーク王室の住居であるローゼンボー宮殿を散策し、ロイヤル気分を満喫するとそのままダウンタウンでソフトアイス(DKK16)を食った後、空港迄戻り、午後3時発SK983便で東京へと帰っていった。
7月23日(日)
マサよ、君は生狩人が歌う生♪あずさ2号♪を聞いて信濃路に思いを馳せたことがあるか!?
私にとって今もまぶしいひとつの青春であるはずの狩人が八王子くんだりまで来て健康ランドで営業をぶちかますという話を風の噂で聞いていたので帰国後速攻で繰り出すことにした。八王子健康ランドふろっぴぃに午後4時ごろ到着すると早速垢すり場で「赤の広場」で積層されたはずの垢をすりおろしていただいた後、宴会場に陣取り狩人のステージが始まるのを今か今かと待ち構えていた。
午後6時に素人ナレーターの「常に獲物を狙うハンターのようであれと作曲家都倉俊一が命名した」という狩人の名前の由来に続き、狩人がステージに登場すると♪コスモス街道♪でステージの幕が上がった。約1時間あまりのステージは狩人のヒット曲が少ないため、途中兄弟漫談や物まね等を差し挟み最大の山場の♪あずさ2号♪に差し掛かると場内は最大の盛り上がりを見せた。しかしラストは引きが悪いということで♪世界でひとつだけの花♪という捨て台詞的歌で狩人は次の獲物を狙うべくハンターのように去って行ったのだった。
天声入語
先週裏の仕事で一週間ほど滞在したドイツの女性は方眼紙の一角に正確にサービスエースを決めるシュティフィ・グラフのような厳し系のギャルが圧倒的に多かったのだが、ここモスクワではFTBの統計によると23%はマリア・シャラポア系の妖精ギャルであることが確認された。付け乳首はないものの数多くのシャラポアギャルを見ながらニヤニヤして歩いていると街中にはびこる不良警察官から職務質問され、あげくの果てには賄賂を要求されるので注意しなければならない。従ってロシアの町を歩くときは伊達公子も恐れるシュティフィ・グラフの顔つきが要求されることになるのだ。(総)
ロシア・モスクワ旅行情報
*ビザ・招待状 – 社会主義から自由主義に移行したものの未だにロシア国内の自由旅行は許されていないのでロシア旅行を所望する輩はロシアの旅行社から招待状を入手しなければならない。今回FTBの子会社になるであろうJIC旅行センターを通じ、ロシアのVAO INTOURISTより招待状を入手し、何とか観光ビザの入手に成功したわけである。
*モスクワの地下鉄 – モスクワの地下鉄網は路線の多さもその色使いも東京メトロや都営線に匹敵するものを持っているのだが、深さはほとんど大江戸線並みの深度を誇っている。何でも要人の核シェルターにも転用可能であるとも言われているのだ。
*パスポートコントロール – ロシアの町並みにはおびただしいほどの警察官が目を光らせている。彼らは道行く観光客のパスポートをチェックし、ビザやレギストラツィア等の書類が不備であれば即座に罰金をふんだくろうと虎視眈々とカモを狙っているのだ。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥240,420
総宿泊費 ¥74,000 + DKK570(DKK1 = ¥20.1)
総無駄にした宿泊費 DKK485
総コペンハーゲンS鉄道代 DKK189
総モスクワ地下鉄代 P90(P1 = ¥4.4)
総送迎代 ¥13,400
総ロシアビザ取得手数料 ¥5,250
総ロシア旅行手配手数料 ¥4,200
協力 スカンジナビア航空、HiltonHHonors、ジェイアイシー旅行センター、VAO INTOURIST、八王子健康ランドふろっぴぃ、
狩人(http://www.karyudo.jp/ )