斑鳩のFTB! 柿食へば鐘がなるんか虎の穴の巻

♪斑鳩を旅するのなら春よりも秋がいい あなたが言ってた通りです♪(旅愁~斑鳩にて~ Song by 布施明)

ということで、今年も残すところひと月を切り、♪シクラメンのかほり♪も強くなってきた今日この頃だが、私の心の中にはレコード大賞受賞曲よりも旅情を揺さぶる地味な曲が染みこんでいるようだ。今回は奈良、斑鳩を代表する神社仏閣にお布施をしなければならないと思い立ったのだが、何とか紅葉シーズンが終了する前に古都に滑り込むツアーが敢行されることになったのだ。

2022年12月10日(土)
コロナの第8波を横目に師走の喧騒を取り戻した羽田空港に到着すると13:00発ANA025便に乗り込み、約1時間ちょっとでコロナの痛みを忘れているかのような大阪伊丹空港に到着した。早速ニッポンレンタカーでダイハツムーブを調達すると、途中私の本籍地に立ち寄った後、生駒山の長いトンネルを潜り抜け、奈良盆地に侵入した。さらに信貴フラワーロードの坂道を駆け上がるとほどなくして本日の宿泊地である信貴山観光ホテルに到着した。

夕方6時から供される夕食までの時間を利用して信貴山唯一の天然温泉大浴場で温泉基準に適合した主成分のメタケイ酸を体内に取り込み、心と体を整えることにした。ロビーの虎のはく製と「せんとくん」には敬意を示したものの、「館内でのマスク着用にご協力お願いします」という看板の割には土産物屋にタイガーマスクの販売がなされていないことに多少の不満を覚えざるを得なかった。

アワビの蒸し焼きをメインにした会席料理で奈良の旬の味覚をたしなむと、「夜の朝護孫子寺から天空へと向かう光が灯される、特別なライトアップ」に備えてしばし部屋でくつろぐことにした。

信貴山観光ホテルでは夜の8時から「夜のお散歩ナイトウォーク」という宿泊者向けのツアーを開催しているのだが、FTBはその時間に先立ち、すでにライトアップされた朝護孫子寺方面へと歩を進めていた。全長約106mの開運橋を渡り、鳥居をくぐるとそこはマサに幻想的な世界であった。

朝護孫子寺では新旧、大小取り交ぜた虎にお目にかかることになるのだが、信貴山と虎の因縁は、今から千四百余年前、日本の平和を乱す朝敵物部守屋を討伐するため、聖徳太子が、此の山に来たり、戦勝の祈願をされると、頭上に毘沙門天王が出現され必勝の秘法を授けられた。奇しくも、その日は寅年、寅の日、寅の刻であったのだ。

太子はその御加護で敵を滅ぼし、世治まりて後、自ら天王の御尊像を彫まれ、伽藍を創建して、信ずべき、貴ぶべき山「信貴山」となづけられた。

以来、信貴山の毘沙門天王は虎に縁りのある福の神として、寅年、寅の日を縁日と定め、大法要が行われているのだ。

奇しくも2022年は、36年に1度の周期で巡ってくる「五黄の寅」の年で干支と九星術の組み合わせの中でも最も運気が強いとされている。そのような虎のエキスを十分に吸収させていただくと同時に金運上昇、商売繁盛、厄除け開運まで面倒見ていただくことが出来、マサに至れり尽くせりの参拝となったのだった。

12月11日(日)
早朝6時より信貴山千手院で護摩焚きが行われているので信貴山観光ホテルの宿泊者は是非ご覧下さいとの案内があったので5時半に起床して信貴山に向かった。

毘沙門護摩は、信貴山千手院に代々伝わる秘法で、正統の真言密教が伝える、毘沙門天王のご祈祷の中で最も霊験あらたかなものなのだが、何を血迷ったのか、ホテルから徒歩10分の千手院に辿り着けずに意図しない山の方向にいざなわれてしまった。結局護摩焚きには参加できず、ごまかしのように大和平野の夜明けの絶景を堪能するだけとなってしまった。

気を取り直してホテルに戻り、温泉で身を清め、朝食を済ませると太陽光で白日の下にさらされているはずの虎の穴に参拝させていただくことにした。

昨夜渡った開運橋は日中の時間は開運バンジーという30mのジャンプ台が運用されており、時間があれば私も華麗なダイブを披露するところであったのだが、時間がないために断念した。

昨夜天空へと向かうビームライトに向かって遠吠えをしていた虎は「世界一福寅」でボブルヘッド人形のように電動式で首が動くような構造になっている。

ガビ~ン虎(と呼ばれているかどうかは定かではないが・・・)は「三寅の福」という胎内くぐりの出来るファシリティで 父寅、母寅、子寅が一体となっているトンネルを形成しており、ここをくぐれば三寅の福に与うることが出来ると言われている。

今回行くことは出来なかったのだが、信貴山頂の空鉢護法堂は白蛇様を祀っており、現役の白蛇数匹が恭しく飼育されている。前回幸運にもそのなまめかしい御姿を拝見させていただくことが出来ていたので、今回は登頂せずに体力を温存し、代わりに霊宝館(¥300)を見学させていただいた。

信貴山の寺宝を展示してある霊宝館の中で最大の見どころである国宝 信貴山縁起絵巻(レプリカ)は日本三大絵巻の一つに数えられる平安絵画の名品として知られている。現代の漫画のようなものだが、躍動感あふれる画面を見ていると作成当時は「鬼滅の刃」以上の人気を博したであろうことが容易に想像でき、マサに日本アニメの原点を見たような気がした。

信貴山の虎の穴には縞模様の張子の虎だけでなく、柱を彩る彫刻の寅や何千年も劣化することがないであろう石造りの虎や一億円の財産を咥えている金運の虎等が居住しているのだが、弘法大師でさえ、ここでは寅大師の異名を取らされているのだった。

信貴山を下り、わずか6㎞程の先には日本が誇る世界遺産、世界最古の木造建築を誇る法隆寺が君臨している。2008年の吉日に裏の仕事でJR法隆寺駅近辺に本社を構える客先に米国本社の外人と一緒にプレゼンテーションをする機会をいただき、その後主要顧客に発展させた実績を手土産に参拝して以来の訪問となった。

まずは中門の金剛力士像を見上げて外人との掛け合いの阿吽の呼吸を思い出すと¥1,500の拝観料を支払い、いざ西院伽藍へと突入した。

西院伽藍は五重塔が西に、金堂が東に並列する法隆寺式伽藍配置で、金堂、五重塔、中門と回廊部分は飛鳥時代の建築様式を伝える世界最古の木造建築であることは説明するまでもないであろう。

薬師三尊像をご本尊とする大講堂の中はさながら国宝仏像のオールスターである。名前だけでお布施の出来るはずの布施明ほどではないにしてもわずかながらの金額を瓦の寄進として供出すべく、ひら瓦に毛筆で名前を書付けさせていただいた。

世界最古の木造建築とは対照的に平成10年に建立された大宝蔵院は法隆寺の誇る国宝「百済観音像」を中心とした寺宝の数々を安置している近代建物で、当然のことながら内部の秘宝は撮影禁止の措置が取られている。

ちなみに小学生時代に切手収集に小遣いを投資していた私が保持している第1次国宝シリーズ第1集 法隆寺百済観音(1967年発行)の記念切手は額面は¥15なのだが、現在は¥50という高値で取引されているのだ。

修学旅行生の背中を見ながら東院伽藍までの移動の道すがら、引率の先生による次の奈良の大仏の見学までトイレに行けないのでここで用を足すようにとの助言に従い、トイレを済ませると法隆寺東院の中心建物である夢殿の周囲を旋回させていただいた。

東院の片隅に「法隆寺と紙幣」というコーナーがあり、夢殿の図柄もさることながら、聖徳太子の価格の上昇の歴史が見て取れた。1万円で頭打ちとなった後、福沢諭吉先生への世代交代を果たしたまでは良いのだが、今後渋沢栄一に馴染んで行けるかどうかは若者世代に託すことになるのであろう。

今回のツアーでは柿を食いながら鐘の音を聞くといった正岡子規的なアクティビティはなかったのだが、布施明の歌手としてのジャンルは演歌なのか歌謡曲なのかポップスなのかという疑問はまだ解消されていないはずだと思いながら流れ解散とさせていただいた。

FTBサマリー
総飛行機代 ただ(ANAスカイコイン使用)
総宿泊費 ¥26,480(2食付き、2名様)
総レンタカー代 ¥8,260
総ガソリン代 ¥957
総高速代 ¥3,740
総駐車場代 ¥500

協力 ANA、楽天トラベル、ニッポンレンタカー

シン・FTB海峡ドラマチック 海のシルクロード マラッカの旅

振り返ると私の人生前半は西日本の大都市である門司と下関を急流で隔てる関門海峡で流されないように突っ張って生きてきた。古くは源平合戦、大谷翔平よりはるか以前に二刀流で実績を残した宮本武蔵が佐々木小次郎にサヨナラ勝ちをおさめた巌流島の戦い、さらには1987年10月には故アントニオ猪木がマサ!斎藤との死闘で新日本プロレスを人気凋落の危機から救った近代巌流島の戦い、1995年の門司港レトロのグランドオープン等、海峡は様々な戦いの舞台となってきた。

2020年初頭より猛威を振るい、人類の活動を停滞させた新型コロナウイルスもアップデートを繰り返しながら今日まで生き延びてきたが、アントニオ猪木亡き後のアントキの猪木、アントニオ小猪木のように徐々にその存在感も薄くなってきた。

今回裏の仕事の会社が解禁したカンファレンスを有効活用させていただく形となったものの、世界有数の海峡に参上し、「元気があれば何でも出来る!」ことを今一度思い起こさせるツアーが開催されることとなったのだ。

2022年11月5日(土)
午後3時過ぎに成田空港に到着し、つつがなくチェックイン、出国の手続きを済ませ、ANA SUITE LOUNGEに向かう道すがらですれ違った人々の多くは外国人で思わずここは欧米か!?と思った次第であった。

17:25発NH815便は定刻通りに出発し、約7時間のフライト時間をコロナの犠牲になった志村けんに代わって主役を務めた沢田研二の名演技が光る「キネマの神様」を見ながらやり過ごしていた。

11月6日(日)
日付の変わった午前零時過ぎにクアラルンプール国際空港に到着すると、ここでもつつがなく入国、税関を通過するとHotels.comでたまたま見つけた空港に内蔵されているサマサマ ホテル KL インターナショナル エアポートにしけこむことに成功した。

6時間程度惰眠を貪り、午前8時半頃に起床し、朝食会場で腹ごしらえをする際にマレーシアのコロナ対策をつぶさに観察したのだが、マスク着用ルールも含めてほぼ日本並みの対策が施されていることが確認出来たので今から始まるマレーシア生活への大きな自信となった。

11時過ぎに様々な不安を打ち消してくれたサマサマホテルをチェックアウトすると空港の到着ロビーに戻り、マラッカへの交通手段となるタクシーを物色した。とあるタクシーカウンターでRM 180でのディールが成立したのでマレーシアの国産車タクシーに乗り込むと2時間弱でHoliday Inn Melakaに到着した。


IHGのDiamond会員である私に用意された部屋は19階という上階のスイートルームで広めの窓からは関門海峡とは比べ物にならないほど広いマラッカ海峡とそれに続く湿地帯の絶景を見下ろすことが出来た。

部屋を出てエレベーターホールに向かうと海峡とは反対の窓の向こうに整然としたマラッカの街並みが広がっていた。マラッカは2008年に「マラッカ海峡の歴史都市群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されているのだが、その東アジア、東南アジアにおいて類をみないユニークな建築様式、文化的な街並みに浸るために下界に下りることにした。

ビルの隙間からマラッカタワーが手招きをしているように見えたのでその方向に向かって歩を進めていると土産物店が並ぶ広場やのどかな公園の先には鮮やかな赤色の歴史的建造物群が姿を現した。

高台へと続く階段を上がっていくと日本人にもなじみのある宣教師のシルエットが近づいてきた。マラッカがポルトガルに支配されていた頃、この地は西洋の宣教師達の活動拠点であり、その威光の名残としてフランシスコ・ザビエル像が「チョッ~ト イイデスカ!」という布教のポーズで観光客を勧誘しているのだ。

ザビエルが案内するセントポールの丘はマラッカの街を見渡せるベストビューポイントとなっており、海峡を行き来する巨大な船舶による刻一刻と移り変わる風景で観光客の旅情を揺さぶっている。

ポルトガル支配の頃、キリスト教布教の拠点として建てられたセントポール教会は今や廃墟と化しているのだが、1552年12月に中国にて46歳でこの世を去ったザビエルの遺骨が1553年2月にマラッカに移送され、約9ヶ月間この場所に安置されていたという由緒正しい聖地である故、多くの観光客が巡礼に訪れているのだ。

1650年に当時マラッカを支配していたオランダの総督府として建てられ、現在は歴史博物館(RM 20)となっているスタダイス(The Stadthuys)にて歴史の勉強をさせていただくことにした。

当博物館はマラッカ王国誕生からオランダ、ポルトガル、イギリスといった欧州列強および第二次大戦中の日本軍の占領時代を経て、マレー連邦として独立するまでのマラッカの歴史が包み隠さず展示されている正直なファシリティで、マラッカのシンボル的存在として君臨している。

また、歴史のみならず近代マラッカの風俗や暮らしの展示物も豊富で、ここを見学させていただくと即座にマレーシアに溶け込めるような構成となっている。

スタダイスでの歴史探訪終了後、けたたましい音響付きで観光案内するトライシクル(サイドカー付きオートバイのオートバイを自転車にすり替えた代物)の駐車場をスルーしてオランダ広場に向かった。

ここはマラッカ観光の中心地とも言える場所で赤を基調とした建物や噴水等オランダ統治時代の箱物が並んでおり、オランダとは交易を持っても統治された実績のない日本のハウステンボスとは一線を画す景観となっている。

土産物屋通りを抜け、オランダ広場の裏手に回ると「つまらない住宅地」の様相を呈する古い団地が立ち並んでおり、観光地と庶民の暮らしの密着度も垣間見えていた。

裏手の方から再び観光地に戻るとマラッカ川沿いの遊歩道を歩いてみた。風光明媚な川沿いに立ち並ぶ飲食店には閑古鳥が鳴いており、アフターコロナと言えども全盛期には年間400万人もの観光客を集めていた賑わいとは程遠く、東京海上もどう保証してあげればよいのか判断出来ないほどさびれているようだった。

どこからともなく「虎だ虎だお前は虎になるんだ」という心の声に促され、伊達直人がタァ~と飛び降りるタイガーマスクのオープニングのような感覚を覚え、ふと上方に目をやるとチャイナタウンはマサに虎の穴と化しているようだった。

今日は長旅の疲れもあり、虎の穴に入ることは遠慮して、マラッカ川のクルーズ船や海洋博物館のオブジェ等を横目にホテルに引き上げることにした。

Holiday InnではExecutive Loungeに招待されていたので、そこでそそくさと夕食を済ませマラッカ海峡を見渡せるプールを横目に部屋に戻った。このホテルではNHKの主要番組がリアルタイムで視聴出来るように取り図られているので、「鎌倉殿の13人」を見て御家人の勢力争いでの勝ち上がり方を学習し、海峡を行きかう船を数えながら就寝させていただいた。

11月7日(月)
朝ドラを見て舞い上がった後、さくっと朝食をすませると再びマラッカの歴史都市群を見て回ることにした。

ビルに描かれた壁画を一瞥し、マラッカ川沿いの海の博物館前を素通りして昨日はあえて侵入せずにとっておいた虎の穴に入場させていただくことにした。

チャイナタウンの正門から裏門迄の距離は大したことはないもののエキゾチックな商店や土産物屋が軒を連ねており、少ないながらも観光客の行き来する様子が見受けられた。虎の穴の入門手続きはどうすればよいのか模索していたのだが、悪役レスラーに対抗するためのボディビルのジムが金ぴかに輝いていたので恐らくここであろうと自分を納得させて引き下がった。ちなみに虎の穴のマネージャーはミスターXであったが、日本ではドクターXの方が認知度が高くなっている今日この頃である。

チャイナタウンに軒を連ねる独特の家並みはマラッカの象徴的風景と言われているのだが、観光客はむしろ白亜の豪邸の方に気を取られているようであった。

1646年に中国から運んできた資材で建てられたマレーシア最古の中国寺院である青雲亭寺院に充満する線香の香りで心を落ち着かせようとしていたところ、「虎鉄聖徳自白反依」の文字で説明されているはずの親子虎の姿が目に飛び込んできたのでここが本当の虎の穴であることを確信した。

チャイナタウンを後にして昨日歩いたマラッカ川の遊歩道の対岸を歩いて気が付いたのだが、マラッカの建物に描かれている壁画は見事であり、歴史都市群の光景に違和感なくなじんでいるのであった。

赤いオランダ教会と横付けされている青いポルシェのコントラストは♪緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ♪に匹敵する光景だと感心しながら、昨日見たセントポール教会方面にプレイバックしてみることにした。

ザビエルから♪いったい何を教わってきたの♪と思いながら廃墟となった教会を通り抜け、丘の麓に君臨する強固な砦跡であるサンチャゴ砦を見に行った。

ここは1511年にオランダとの戦いに備えるため、ポルトガル軍によって造られた大砲を備えた砦なのだが、私的にはジュリアナ扇子をほうふつとさせる南国の木の方が気になってしょうがなかったのである。

1912年創建の洋風建築である独立宣言記念館を見て「独立自尊」の重要さを再認識し、ドン・キホーテを思い起こさせる探検型のショッピングセンターを抜けて正午前にはHoliday Innに帰還した。

ホテルでタクシーを手配してもらい数キロ離れたセントラルバスターミナルまでRM 30の明朗会計で送ってもらい、13:30発のデラックスバスでクアラルンプールへの車中の人となった。2時間後にTBSという日本のテレビ局ではない巨大なバスターミナルで下車してBandar Taslk Selatanという駅に向かった。駅の改札前では猫が我が物顔で闊歩しており、ふとKIOSKに目をやるともう一匹の猫が店でくつろいでいる様子だったので売店のおばちゃんと目を合わせるとみなしごの猫を世話してあげなければならないとのことで、ここはさながらタイガーマスクに登場するみなしご施設の「ちびっこハウス」ではないかと思われ、将来この猫たちも伊達直人扮するタイガーマスクのように強くなることが保証されているはずであろう。

KLセントラルという中心駅に向かうためにKLIAトランジットという高速列車の切符を求めて歩いていると巨大な爬虫類がガニ股で歩いているのを発見した。その傍らでは大柄の猫が成仏されているようで、もしかすると戦った後ではないのかとも訝られ、この体長1mにも達する肉食のミズオオトカゲ(マレーシアオオトカゲ)も裏切者のタイガーを追う虎の穴の刺客に見えてしまうのであった。

その後KLセントラルから近郊線でBukit Nanasという駅で下車し、高層ビル群が立ちはだかるクアラルンプールの中心街を1時間以上さまよった末に何とかThe Ritz Carlton Kuala Lumpurに辿り着き、沢口靖子とリッツパーティを楽しむこともなく、一気に裏の仕事モードに突入したのであった。

11月8日(火)
裏の仕事のWork ShopでThe Ritz Carlton隣接のJW Marriot Kuala LumpurのBayu Ballroomに軟禁状態となり、キンキンにクーラーの効いた部屋で寒さに耐え忍んで過ごしていた。

11月9日(水)
クーラーの温度調節が多少改善されてきたようだった。重役のプレゼンテーション後の質問コーナーで意地悪な質問で虎の尾を踏んでやろうかと思ったが、踏みとどまった。

11月10日(木)
午前中のThe Ritz CaltonのCarlton 6 Conference roomでのセミナー後、午後は独立を勝ち取ることとなり、本業に戻ることが可能となった。目まぐるしく近代化が進んでいるクアラルンプール市内で私の興味を引く観光地は限られているのだが、まずはモノレールと近郊線を乗りついでマスジッド・ジャメを目指してみた。

1909年建立の古いモスクであるマスジッド・ジャメはイギリス人建築家によるデザインとなっている。日本武道館ほどの大きな玉ねぎではないものの、新玉ねぎのような白いドームが特徴的で、礼拝のない時間帯は原住民の絶好の昼寝スポットとなっている。

世界一の高さ約100mを誇るフラッグポールにマレーシア国旗がはためいていたのでその方向を目指して歩を進めていた。

マレーシアは1957年にイギリスからの独立を宣言し、マレーシアの国旗が初めて掲げられたのがムルデカ・スクエア(独立広場)である。広場内の噴水は化け物がゲロを吐いているような装飾となっているものの、自ら勝ち取った独立の威厳を感じさせる空気が漂っていた。

広場周辺にはアラビアンナイト風のエキゾチックな建物がいくつかあり、スルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦事務局ビル)は絶好の映えスポットになっている。

1888年開業のセントラルマーケットを買う気もないまま散策することにした。マレーシアの民芸品店等いくつか見るべき店もあったのだが、店員がアグレッシブさに欠けていたのですべて素通りしてマーケットを後にした。

近郊線、モノレールを乗り継いでチョウキットという駅で下車してみた。この近辺は高層ビルが立ち並ぶエリアとは一線を画しているようで古き良き時代の雰囲気が残っている様子が見て取れた。

行く手にはペトロナスツインタワーが雨季の雲を突き破る勢いで尖っていたので、スコールをものともせずその方向を目指していた。

トンネルをくぐるとそこは大都会で川沿いの高速道路で分断されている左右の街はまるで別世界のようであった。

世界一高いビルの称号はとうに奪われてしまったものの、いまだに世界一高いツインタワーとしての地位を維持しているペトロナスツインタワーの内部に侵入し、頂点を目指したいと思っていたのだが、あいにくチケットは売り切れでおとといきやがれとのサインが出ていたのであえなく撤収し、雨の中ライトアップされたシルエットを恨めしく見上げていた。

11月11日(金)
午前10時半にホテルをチェックアウトし、モノレール、KLIA Transitを乗り継いで空港に向かった。

14:15発NH886便は定刻通り出発し、約6時間のフライトで午後10時過ぎに羽田空港に着陸した。入国前の検疫で時間を取られることがわかっていたので今日は羽田近辺の宿を押さえていた。おかえり東京キャンペーンで安く泊まれる上に買い物クーポンまでもらえる「変なほてる」のチェックインカウンターはロボットと恐竜が受付を担当しており、やはりTOKIOは世界有数のテクノポリスの地位を譲ってはいけないという意気込みを感じながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代:ただ
総宿泊費:ただ
総タクシー代:RM 210 (RM1 = ¥31)
総バス代: RM 14.4
総MLRT代: RM 12.5
総KLIA Express代:RM 61.5

協力:ANA、 Advanced Energy Inc.、Hotels.com、IHG、ナビスコ、楽天トラベル

犬HK大河スペシャル 鎌倉殿のFTB

1い1い9く2につくろう鎌倉幕府

ということで、日本史の年号暗記の紀元とも言える鎌倉幕府の成立は1192年のことであった。2022年の現在における自身を顧みると、受診料の売り上げに貢献しているだけならまだしも、ざわつく金曜日以外はおはようからおやすみまでNHKが提供するコンテンツであるニュース、ドラマ、紅白歌合戦、大谷MLB中継の中毒となっており、マサにちむどんどんする公共放送の犬と化してしまっている。

NHKとの間に結ばれてしまった主従関係はいみじくも鎌倉殿と御家人のようで、なぜそのような関係性になってしまったのかを解明するためにいざ鎌倉まで馬の代わりに車を飛ばすツアーが開催されることとなった。

2022年6月19日(土)
正午過ぎに正直不動産の心根を持つはずの住宅メーカーに建築を依頼した住居を後にすると、大泉頼朝に仁義を切るためにいざ鎌倉に直行すべきところを何故か伊豆方面に車を走らせていた。西湘バイパスリニューアル工事の影響で小田原ICで高速を下りると地獄渋滞に巻き込まれてしまったものの、午後2時過ぎにはイタリアのアマルフィ海岸を彷彿とさせる熱海市の中心部に差し掛かった。

熱海市街から少し離れた山の中腹部に位置する熱海駅からほど近い場所に伊豆山が鎮座している。伊豆山は、走るが如き温泉が湧き出し海に注いでいたので走湯山とも呼ばれていた。伊豆山神社は、古来、伊豆大権現、走湯大権現として歴代鎌倉将軍の庇護により隆盛を極め、関八州総鎮護として崇められてきたという。

熱海湾を見下ろし、境内に入る前に手指を消毒するために手水舎に立ち寄るといきなり大晦日のNHKの使者ではないかと見まがうほどの紅白の龍に出迎えられた。紅白ではなく、赤白二龍は御祭神 天忍穂耳尊の随神であり、赤は火を表し、白は水を表す、火と水の力でお湯(温泉)を生み出す温泉の守護神としてこの地を取り仕切っている。

今回いざ鎌倉詣でに先立ち、伊豆山神社に参拝した理由はここがいいくに鎌倉の紀元であるからに他ならない。この地はマサに今から845年前に源頼朝と北条政子が結ばれた聖地であり、彼らの♪秘密にならない二人の秘め事♪の名残が随所に残されている。

頼朝・政子腰掛石という一見すると何の変哲もない背もたれ付きの石が鎮座している。その説明によると、伊豆の蛭ヶ小島に配流されていた頼朝は伊豆山神社を崇敬していた。当時頼朝と政子が恋のから騒ぎをしていたのがこの境内であり、当社で二人は結ばれ、伊豆山の神様の力により鎌倉に幕府を開き篤い崇敬を当社に寄せたとのことであった。

今や恋愛のパワースポットと言っても過言ではない伊豆山であるが、そのパワーは走湯山縁起と吾妻鏡の大磯高麗山より道祖神とともに来た神様の降り立つ光り石にも授けられており、肛門から十分におすそ分けいただくことが出来た。

熱海市立伊豆山郷土資料館(¥180)がこじんまりながらも大河ドラマの威を借りて開業していたので入ってみることにした。写真撮影禁止の館内には鎌倉時代から伝わる貴重な品々が展示されていたのだが、中でも頭髪梵字曼荼羅という北条政子が頼朝の1周忌に自らの髪の毛を除髪してこれを刺繍し、伊豆山権現の法華堂の本尊として阿字一幅を奉納したと言われている曼荼羅のレプリカに♪純情・愛情・過剰に異常♪であったはずの尼将軍の情念を感じるとともに自身のあまちゃんぶりを思い知らされた。

ヤマトナデシコが七変化する様は大河のお決まりのストーリーであるとの認識を新たに帰路に立つ朱色の鳥居をくぐろうとした瞬間に燃えるようなバーニングプロの圧力を感じた。なんとその鳥居の奉納者としてNHKの40周年特番が大反響を呼んだ小泉今日子の名が刻まれていたのだった。

♪あなたに会えてよかった♪という感覚を引きずりながら熱海を後にし、一路本日の宿泊先である「海のある伊豆高原 オーベルジュ ピーコック ヒル」へと急いだ。チェックイン後、早速貸し切り露天風呂(天然温泉)で情念を洗い流すと待望の夕食時間となった。

こだわり素材のフルコースはオマール海老、あわび、渡り蟹、金目鯛等の高級食材を駆使した料理がデーブルを彩り、純情と愛情で煮込まれたはずのビーフシチューがメインを飾っていたのであった。

6月20日(日)
昨夕は雨が降っていたので高原から海を見下ろすことは出来なかったのが、今朝は朝風呂から初島が見渡せるほど晴れ上がっていた。

オーベルジュ ピーコック ヒルを出立する際に玄関脇にある天使の鐘を鳴らしてみた。3回鳴らすと天使が舞い降りるとの説明があるのだが、2回目の打撃が芯に当たらなかったのでエンゼルスの大谷には是非その無念を晴らしてほしいと祈りながら伊豆高原を後にした。

今日も西湘バイパスリニューアル工事の影響でシーサイドの道が大渋滞を起こすことを読み取ったカーナビは鎌倉までの道のりに箱根越えを選択した。その影響で伊豆高原から鎌倉市内までは2時間半もの時間を要したが、正午過ぎに江ノ島電鉄鎌倉高校前駅にほど近い聖テレジア病院のタイムズ駐車場に車を滑り込ませた。

偏差値66を誇る名門「鎌倉高校前」駅の踏切はSLAM DUNK等数々の作品の聖地巡礼スポットとなっており、予習復習をきっちりこなすはずの多くのインスタ映えハンターで賑わっていた。

鎌倉高校前駅のプラットフォームに立つと目の前には江の島が迫っており、波打ち際では稲村ジェーンは期待出来ないとわかっているはずのサーファーたちが波と戯れていた。サーフボードを小脇に抱えた多くのサーファーとすれ違うのだが、1985年9月にリリースされたKAMAKURAの1曲目に収録されている外で遊べないと言われた♪Computer Chridren♪の年代ではないかと思われた。

休日の江ノ島電鉄は都内のラッシュアワーの様相を呈していたのだが、乗車した鎌倉高校前から4駅先までつつがなく移動することが出来た。数多くの乗客が下車した長谷駅は鎌倉大仏と長谷寺の最寄り駅となっており、紫陽花が見ごろを迎えていることもあってか、多くの人の足は長谷寺に向かっていた。

鎌倉長谷寺は正式には海光山慈照院長谷寺と号します。往古より「長谷観音」の名で親しまれる当山は、奈良時代の天平7年(736年)開創を伝え、寺伝に曰く、聖武天皇の御代より勅願所と定められた、鎌倉有数の古刹であります。

なお、観音山のすそのから中腹にかけて広がる境内は、四季を通じて花木が鮮やかな彩りを添え、また、遠く相模湾を見渡すことのできる眺望は、鎌倉随一とも賞されるとのことであり、特に紫陽花の時季には多くの参拝客を集め、コロナの余波を引きずっている今年は有料の鑑賞券の配布で入場制限をかけているため、カムカムエヴリバディとはいかず、昼過ぎにのこのこやってきた輩が目にするものはむなしい当日券受付終了の手慣れた立て看板であったのだが、それにもめげず長谷寺の実態を解明すべく、入山させていただく事にした。

多くのキャッシュレスによる支払いに対応した受付で¥400の拝観料を支払うと、金魚の糞のごとく入場者の背中を追って階段を昇って行った。

階段を昇り切るといきなりアントニオ猪木の必殺技で卍に固められたような戦慄を覚えた。その正体は卍を模った卍池に浮かべられた紫陽花ブルーにより、酷暑の中で体感温度が急激に下がった感覚であったろう。

卍池の紫陽花で背筋をしゃんと伸ばした後、千体地蔵に向き合った。千体地蔵とは、各家の先祖供養や水子の供養のために奉納されるお地蔵さまで、数年おまつりしたお地蔵さまは、浄化供養のお焚き上げをすることにより人数調整が出来るシステムになっている。

観音堂との異名を持つ本堂に祀られているご本尊の十一面観音菩薩像は像高9.18mにも及ぶ本邦最大級の木彫仏である。当山の伝えによれば、721年に大和(奈良県)長谷寺の開山である徳道上人の本願に基づき、2人の仏師により楠の巨大な霊木から二体の観音像が三日三晩にして造顕されたという。そのうちの一体は大和長谷寺の本尊となり、残る一体は海中へ奉じられ、736年に相模国に忽然と姿を顕し、その後鎌倉へ遷座され、当山開創の礎となったという。

ご本尊に対する写真撮影は控えなければならなかったのだが、観音堂に隣接する観音ミュージアム(¥300)は観音菩薩の御心に触れ、そのご利益を体感出来る場所とのことだったので入場してみることにした。

ここでの最大の見どころは観音三十三応現身像であり、様々なポーズや表情をした多くの仏像と面談出来るのであるが、最も私の心を揺さぶったのはあたかも手もみをしているかのようなポーズで赤ら笑顔を浮かべているカーネーション好きのほっしゃん像であった。

思わず「まさかや!」と叫んでしまいそうなほっしゃんのすべらない話に背中を押されてミュージアムを後にすると入場出来ないとわかっていながら「あじさい路」の看板に引き寄せられるように観音山方面に足が進んで行った。

散策路に足を踏み入れることはかなわなかったので「あじさい路」の景色がどれほどすばらしいかは御仏の眼力に委ねるしかなかったのだが、少なくとも日本有数の観光地の旬な時季の一旦は垣間見ることが出来たのであった。

帰りの江ノ島電鉄の吊り広告で藤岡弘から後ろ指をさされてはっと気づいたのだが、NHKに対する依存度の増加はマサに自身が保守的になっている証であり、まだまだ「グレートトラバース」のような冒険を続けていかないと衰退してしまうと胆に銘じながら流れ解散となった。

FTBサマリー
総高速代 ¥3,210
総宿泊費 ¥22,620(2人分、2食付)
総ガソリン代 ¥3,376
総駐車場代 ¥1,980

協力 楽天トラベル、NHK

FTB再起動記念 ミッキー吉野推薦 !? 観桜ゴダイゴツアー

♪そこ~にゆ~けば~♪ (出典:ガンダーラ by ゴダイゴ)
♪A long time ago~♪ (Source:Gandhara by GODIEGO)

ということで、オミクロン禍による蔓延防止法に気を使ってどこにも行く気が起こらず、猫守にうつつを抜かしてトラベラーの本能が失われてしまったかのような低迷期を脱するべく、神聖なひなたの道への帰還を目指してFTBを再起動させる運びとなった。

その第一弾としてキャスティングディレクターとしてにわかに脚光を浴びているはずの奈良橋陽子が多数の楽曲の作詞を手掛けたゴダイゴにゆかりのあるツアーが桜吹雪とともに開催されることとなったのだ。

2022年4月9日(土)
正午発ANA023便、B787-8機は出発の準備に時間を要し、多少の遅れを出したものの満席の乗客をつつがなく大阪伊丹空港まで送り届けてくれた。


早速551蓬莱に駆け込み、豚饅を片手にニッポンレンタカーでワゴンRをレンタルすると、へぎ板(敷き紙のこと)にくっついた饅頭の裏皮を歯でこそぎ落としながら味わい尽くし、いにしえの都方面に向かって車を走らせた。

大仏と満開の桜のマリアージュが楽しめるということでSNSでバズっている壷阪寺の住所をカーナビにセットし、順調に目的地に向かっていたのだが、午後3時過ぎに残り1.3kmという地点で地獄渋滞の最後尾で行く手を阻まれた。30分経過しても300m程しか進まなかったので途中Uターンする何台かの車に倣って回れ右をして壷阪寺観光未遂はゲームオーバーとなった。

気を取り直して、「世界遺産である大峯の山々に抱かれ修験道と共に奈良県の美しい自然と文化が残る村」というキャッチフレーズを誇る天川村を所在地とする本日の宿泊地である洞川(どろがわ)温泉へと急いだ。道中立ち寄った道の駅 吉野路 黒滝で満開の山桜が青い空と緑の木々に映えている光景を見て留飲を下げると夕暮れ前に何とか洞川温泉卿に辿り着き、花あかりの宿 柳屋に投宿した。

源泉かけ流しの単純温泉でシンプルに豚饅の香りをリセットすると、夕食時間の6時45分迄まだ時間があったので温泉街を探索させていただくことにした。


洞川温泉郷は大峯山から発し熊野川の源流ともなっている山上川のほとり、標高約835m余りの高地に位置する山里で、その冷涼な気候から関西の軽井沢とも呼ばれるところである。どことなくなつかしく、昭和の時代にタイムスリップした雰囲気を漂わせるまちなみには、旅館・民宿が20数軒、そのほかに土産物店や古来の生薬・胃腸薬である陀羅尼助丸を製造販売する店13軒や各種の商店が軒を連ねている。

温泉街の外れにある真言宗醍醐派大本山大峯山龍泉寺に湛えられている清らかな水に釣られて軽く参拝させていただくことにした。マサに♪ホーリーアンドブライト♪の世界を体現しているかのような雰囲気の中で私の興味を引いたものが2つあった。一つ目は柔道一直線の主役である一条直也が履いていた仕様のものより明らかに重そうな鉄の下駄なのに盗難防止のためか、ポールに鎖で繋がれていた光景を見にしたことと、2つ目は「なで石」と呼ばれる丸い石で、仕様書によると持ち上げる前になでると軽くなり、叩くと重くなるという万有引力を発見したニュートンに対する果敢なる挑戦であった。

お待ちかねの夕食タイムになった。配膳されているメニューに「ならジビエ」はなかったものの奈良県産の山の幸を中心とした美味で健康的で満足のいくものであった。

4月10日(日)
今回の宿泊先に家族連れはなく、♪今日も子供たちの歌声が世界を♪大きく包むような状況ではなかったので安眠してさわやかな朝を迎えることが出来た。
旅館から撤収する際に宿主から今日の吉野は桜も満開だが人も満開だよと警告されたのだが、1時間後にその実態を思い知ることになった。

近鉄吉野駅を目指してワゴンRを走らせ、桜満開の週末には吉野山にはマイカー規制が敷かれていることは周知の事実であったが、臨時のパークアンドバスライド用の駐車場も午前10時の段階ですべて満車となっており、途方に暮れながら国道169号線のむなしい往復に勤しんでいた。その間に開発したバックアッププランによると終点の吉野駅より数駅前の近鉄駅の近辺に車を乗り捨て電車で吉野山にすべりこむという秘策であった。

近鉄六田駅と越部駅の間にホームセンターのコメリが駐車場を構えていたので買う気もないのに車を止め、便所まで利用させていただいたという罪悪感を引きずりながら越部から電車に乗り、11分後に終点吉野駅に到着した。満員電車から降りて見た光景は全盛期のゴダイゴの武道館ライブに向かうような花見客の大行列であった。

山全体が世界遺産に登録されている吉野山は標高毎に下千本、中千本、上千本、奥千本に区分けされ、桜の時期にはその開花状況が吉野町のホームページでアップデートされる体制が確立されている。

吉野山は全国的に桜の名所としてその名をとどろかせており、4月上旬~中旬にかけて3万本ともいわれるシロヤマザクラが世界中の観光客をおびき寄せている。日本全国の多くの桜の名所では、近代になってから桜並木を整備したり、古くからある古木を大切に 保護したり、いわゆる「花見」のために桜を植栽・管理しているのだが、吉野の桜はそれらのものと は一線を画し、「花見」のためではなく、山岳宗教と密接に結びついた信仰の桜として現在まで大切に保護されてきたのだ。

今日の花見客の行動は散り始めになっている下千本をスルーして満開になっている中千本にいち早く到着するために右往左往していた。中千本到達のためにはケーブルカーという名を借りたロープウエイに乗っていくのが最速のコースであるが、案の定乗り場には長蛇の列が出来ていたため、ケーブルカーの底面の「ようおこし」を見上げながら、急な遊歩道を駆け上がっていった。

中千本では土産物屋や飲食店で民衆がごった返していたのだが、桜吹雪舞う喫茶店で水分を補い、グリコ・森永事件で迷宮入りとなったはずのキツネ目の男が焼き栗をかき回しているのを尻目にやみくもに山の奥地に向かって行った。

ミッキー吉野という太ったリーダーがゴダイゴと命名し、その名をかたることで日の目を見ることとなったはずの後醍醐天皇の墓参りと♪ビューティフル・ネーム♪等の合唱(合掌)が今日ここにやってきた本来の目的であったので道標を頼りに向かうべき方向へと進んでいるはずであった。

しかし、山腹をピンクに染める壮大な景色に目を奪われているうちに、大和吉野で南朝政権を樹立し、室町幕府が擁立した北朝と争い、ついには吉野で崩御した後醍醐天皇陵に辿り着くことはかなわなかったのだった。

ゴダイゴが音楽プロデュースした1978年のテレビドラマ「西遊記」でも結局天竺に辿り着けなかったという落ちであったため、翌年の「西遊記II」への持ち越しとなったのだが、FTBにおいても当然吉野のリターンマッチは企画されることであろう。その時には猪八戒役が西田敏行から左とん平に変わったような大きなインパクトが与えられるはずだと負け惜しみながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ただ(すべてスカイコイン使用)
総レンタカー代 ¥9,460
総高速代 ¥4,040
総ガソリン代 ¥3,569
総近鉄代 ¥560
総宿泊費 ¥27,960

協力 ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、近畿日本鉄道、コメリハードアンドグリーン大淀店