♪斑鳩を旅するのなら春よりも秋がいい あなたが言ってた通りです♪(旅愁~斑鳩にて~ Song by 布施明)
ということで、今年も残すところひと月を切り、♪シクラメンのかほり♪も強くなってきた今日この頃だが、私の心の中にはレコード大賞受賞曲よりも旅情を揺さぶる地味な曲が染みこんでいるようだ。今回は奈良、斑鳩を代表する神社仏閣にお布施をしなければならないと思い立ったのだが、何とか紅葉シーズンが終了する前に古都に滑り込むツアーが敢行されることになったのだ。
2022年12月10日(土)
コロナの第8波を横目に師走の喧騒を取り戻した羽田空港に到着すると13:00発ANA025便に乗り込み、約1時間ちょっとでコロナの痛みを忘れているかのような大阪伊丹空港に到着した。早速ニッポンレンタカーでダイハツムーブを調達すると、途中私の本籍地に立ち寄った後、生駒山の長いトンネルを潜り抜け、奈良盆地に侵入した。さらに信貴フラワーロードの坂道を駆け上がるとほどなくして本日の宿泊地である信貴山観光ホテルに到着した。
夕方6時から供される夕食までの時間を利用して信貴山唯一の天然温泉大浴場で温泉基準に適合した主成分のメタケイ酸を体内に取り込み、心と体を整えることにした。ロビーの虎のはく製と「せんとくん」には敬意を示したものの、「館内でのマスク着用にご協力お願いします」という看板の割には土産物屋にタイガーマスクの販売がなされていないことに多少の不満を覚えざるを得なかった。
アワビの蒸し焼きをメインにした会席料理で奈良の旬の味覚をたしなむと、「夜の朝護孫子寺から天空へと向かう光が灯される、特別なライトアップ」に備えてしばし部屋でくつろぐことにした。
信貴山観光ホテルでは夜の8時から「夜のお散歩ナイトウォーク」という宿泊者向けのツアーを開催しているのだが、FTBはその時間に先立ち、すでにライトアップされた朝護孫子寺方面へと歩を進めていた。全長約106mの開運橋を渡り、鳥居をくぐるとそこはマサに幻想的な世界であった。
朝護孫子寺では新旧、大小取り交ぜた虎にお目にかかることになるのだが、信貴山と虎の因縁は、今から千四百余年前、日本の平和を乱す朝敵物部守屋を討伐するため、聖徳太子が、此の山に来たり、戦勝の祈願をされると、頭上に毘沙門天王が出現され必勝の秘法を授けられた。奇しくも、その日は寅年、寅の日、寅の刻であったのだ。
太子はその御加護で敵を滅ぼし、世治まりて後、自ら天王の御尊像を彫まれ、伽藍を創建して、信ずべき、貴ぶべき山「信貴山」となづけられた。
以来、信貴山の毘沙門天王は虎に縁りのある福の神として、寅年、寅の日を縁日と定め、大法要が行われているのだ。
奇しくも2022年は、36年に1度の周期で巡ってくる「五黄の寅」の年で干支と九星術の組み合わせの中でも最も運気が強いとされている。そのような虎のエキスを十分に吸収させていただくと同時に金運上昇、商売繁盛、厄除け開運まで面倒見ていただくことが出来、マサに至れり尽くせりの参拝となったのだった。
12月11日(日)
早朝6時より信貴山千手院で護摩焚きが行われているので信貴山観光ホテルの宿泊者は是非ご覧下さいとの案内があったので5時半に起床して信貴山に向かった。
毘沙門護摩は、信貴山千手院に代々伝わる秘法で、正統の真言密教が伝える、毘沙門天王のご祈祷の中で最も霊験あらたかなものなのだが、何を血迷ったのか、ホテルから徒歩10分の千手院に辿り着けずに意図しない山の方向にいざなわれてしまった。結局護摩焚きには参加できず、ごまかしのように大和平野の夜明けの絶景を堪能するだけとなってしまった。
気を取り直してホテルに戻り、温泉で身を清め、朝食を済ませると太陽光で白日の下にさらされているはずの虎の穴に参拝させていただくことにした。
昨夜渡った開運橋は日中の時間は開運バンジーという30mのジャンプ台が運用されており、時間があれば私も華麗なダイブを披露するところであったのだが、時間がないために断念した。
昨夜天空へと向かうビームライトに向かって遠吠えをしていた虎は「世界一福寅」でボブルヘッド人形のように電動式で首が動くような構造になっている。
ガビ~ン虎(と呼ばれているかどうかは定かではないが・・・)は「三寅の福」という胎内くぐりの出来るファシリティで 父寅、母寅、子寅が一体となっているトンネルを形成しており、ここをくぐれば三寅の福に与うることが出来ると言われている。
今回行くことは出来なかったのだが、信貴山頂の空鉢護法堂は白蛇様を祀っており、現役の白蛇数匹が恭しく飼育されている。前回幸運にもそのなまめかしい御姿を拝見させていただくことが出来ていたので、今回は登頂せずに体力を温存し、代わりに霊宝館(¥300)を見学させていただいた。
信貴山の寺宝を展示してある霊宝館の中で最大の見どころである国宝 信貴山縁起絵巻(レプリカ)は日本三大絵巻の一つに数えられる平安絵画の名品として知られている。現代の漫画のようなものだが、躍動感あふれる画面を見ていると作成当時は「鬼滅の刃」以上の人気を博したであろうことが容易に想像でき、マサに日本アニメの原点を見たような気がした。
信貴山の虎の穴には縞模様の張子の虎だけでなく、柱を彩る彫刻の寅や何千年も劣化することがないであろう石造りの虎や一億円の財産を咥えている金運の虎等が居住しているのだが、弘法大師でさえ、ここでは寅大師の異名を取らされているのだった。
信貴山を下り、わずか6㎞程の先には日本が誇る世界遺産、世界最古の木造建築を誇る法隆寺が君臨している。2008年の吉日に裏の仕事でJR法隆寺駅近辺に本社を構える客先に米国本社の外人と一緒にプレゼンテーションをする機会をいただき、その後主要顧客に発展させた実績を手土産に参拝して以来の訪問となった。
まずは中門の金剛力士像を見上げて外人との掛け合いの阿吽の呼吸を思い出すと¥1,500の拝観料を支払い、いざ西院伽藍へと突入した。
西院伽藍は五重塔が西に、金堂が東に並列する法隆寺式伽藍配置で、金堂、五重塔、中門と回廊部分は飛鳥時代の建築様式を伝える世界最古の木造建築であることは説明するまでもないであろう。
薬師三尊像をご本尊とする大講堂の中はさながら国宝仏像のオールスターである。名前だけでお布施の出来るはずの布施明ほどではないにしてもわずかながらの金額を瓦の寄進として供出すべく、ひら瓦に毛筆で名前を書付けさせていただいた。
世界最古の木造建築とは対照的に平成10年に建立された大宝蔵院は法隆寺の誇る国宝「百済観音像」を中心とした寺宝の数々を安置している近代建物で、当然のことながら内部の秘宝は撮影禁止の措置が取られている。
ちなみに小学生時代に切手収集に小遣いを投資していた私が保持している第1次国宝シリーズ第1集 法隆寺百済観音(1967年発行)の記念切手は額面は¥15なのだが、現在は¥50という高値で取引されているのだ。
修学旅行生の背中を見ながら東院伽藍までの移動の道すがら、引率の先生による次の奈良の大仏の見学までトイレに行けないのでここで用を足すようにとの助言に従い、トイレを済ませると法隆寺東院の中心建物である夢殿の周囲を旋回させていただいた。
東院の片隅に「法隆寺と紙幣」というコーナーがあり、夢殿の図柄もさることながら、聖徳太子の価格の上昇の歴史が見て取れた。1万円で頭打ちとなった後、福沢諭吉先生への世代交代を果たしたまでは良いのだが、今後渋沢栄一に馴染んで行けるかどうかは若者世代に託すことになるのであろう。
今回のツアーでは柿を食いながら鐘の音を聞くといった正岡子規的なアクティビティはなかったのだが、布施明の歌手としてのジャンルは演歌なのか歌謡曲なのかポップスなのかという疑問はまだ解消されていないはずだと思いながら流れ解散とさせていただいた。
FTBサマリー
総飛行機代 ただ(ANAスカイコイン使用)
総宿泊費 ¥26,480(2食付き、2名様)
総レンタカー代 ¥8,260
総ガソリン代 ¥957
総高速代 ¥3,740
総駐車場代 ¥500
協力 ANA、楽天トラベル、ニッポンレンタカー