FTBJ西九州甘茶でかっぽれ温泉ツアー

それが始まりよったんは今年の5月に佐賀に工場を持っちょる株式会社SUMCOを訪問し、品質問題の打ち合わせが寒かった腹いせに帰りの佐賀空港で水出し嬉野茶を買った頃であったろう。

当時猛暑を迎えようとする中で何故かそれがFTBで大ヒット商品となったけん、なんべんも発注をかけないけんごとなったんやが、いっそのことそれがどけんして作られよるんかを思い知るために百聞は一見に如かず系のツアーが開催されるごとなったんよ。

10月3日(金)
13:05発ANA453便は羽田を定刻通りに出発し、15時過ぎには国際空港の看板を掲げちょる九州佐賀国際空港に到着した。楽天トラベル経由で予約したオリックスレンタカーのコンパクトカーが何か知らんけどスバルのハイブリッド普通車に格上げされちょったけん、気分よう佐賀平野の干拓地に繰り出すことが出来たんよ。

約1時間程車を転がし、栄光の名であるはずの武雄温泉をスルーしてついに嬉野温泉街へと滑り込んだんは5時過ぎくらいやったろうか?創業90年以上で嬉野川沿いに佇む和モダンの隠れ宿である吉田屋にチェックインを果たすと早速嬉野茶の香りが鼻孔をくすぐりよった。それもそのはず吉田屋の宿泊者限定のメニューとしてすでに「お茶体験」がスタートしており、フロントで生茶葉を受け取りよった客人は嬉野茶を自分で炒ってお茶の香りを楽しみながらお茶づくりを体験出来るごとなっちょるんよ。

腹が減っちょたけ、夕飯の時間を6時にしてもらい、勇んで食事処の席に着いて佐賀牛をメインに据えた地元料理を嬉野茶と共に堪能ばさせてもらったんよ。

日本三大美肌の湯を貸し切り風呂で全身にその成分を行き渡らせた後、吉田屋が「よもぎ蒸し」をアレンジして開発した「温泉お茶蒸し」を高値で体験することになったんよ。よもぎの代わりに、リラックス効果のあるラベンダーと爽快感のあるレモングラスをオリジナルブレンドした茶葉を使用し、さらに美肌効果で知られる嬉野温泉の源泉を蒸気に使用して、マントに梱包された人体の下半身から当てられよると粘膜が嬉し涙を流しよるごと爽快な気分やったんよ。

10月4日(土)
朝飯に出てきよった湯豆腐をええ塩梅で堪能し、嬉野温泉公式キャラクター「ゆっつらくん」に見送られて吉田屋を後にするとJR嬉野温泉駅前に君臨する道の駅 うれしの まるくに向かうことにしたんよ。まるくでは特に爆買い衝動は起きんかったけん、適当にお茶を買うてまるく収めたんよ。

嬉野茶の正体ば明かさないけんと思ったけ、茶を知るために嬉野市うれしの茶交流館チャオシル (https://chaoshiru.com/)にお邪魔させていただくことにした。受付の横には過去チャオシルを訪問した実績のある一流芸能人のサインが掲げられちょったんやが、佐賀をおちょくった歌でスターダムにのし上がったはなわやラップ芸人ジョイマンの色紙が一際輝きを放ちよるごとあった。

茶を知るためにはその製法のみならず歴史まで遡らないけんち思いよったけん、嬉野茶の名声がどげんして作られたかを大浦慶の「うれしの茶」貿易から学び取ることにした。イギリス人オルトからお慶に60トンの日本茶が発注され、気軽におっけいと返事したもののオルトがおるところにお茶を届けなならんくなってしもたので九州各地から茶を集めまくって海外へ送りよったというではないか。同時に佐賀藩がうれしの茶をパリ万博に出品したところ大屋根リングやミャクミャクのような思いもかけん人気となり、日本茶が急速に世界に浸透していき、昨今の抹茶ブームも真っ青やったらしいんよ。

♪I Wanna Dance Do You Like 茶、茶、茶♪のノリで一気に展示コーナーを見て回り、のどの渇きを覚えよったけん、喫茶コーナーでブルーマウンテンを発注しようしたが、ばちかぶるといけんけん代わりに蒸製玉緑茶と釜炒り茶と紅茶を発注し、レシピに忠実に従って飲み比べをして溜飲を下げよった。

うれしの茶発祥の地とされる嬉野市不動山地区には多くのキリシタン史跡が残っており、キリシタンとのつながりを契機にローマ法王にうれしの茶を贈りつけるならわしが確立されちょるごとあり、お茶を一服した法王が思わず「ほ~お~」と感心したところから法王名義で感謝状まで送られてきた実績を胸にチャオシルを後にしたんよ。

チャオシルでの座学にあきたらんかったけん、うれしの茶発祥の地と言われる「大茶樹」まで足を運び、フィールドワークをこなすことにした。国の天然記念物に指定されちょる大茶樹の推定樹齢は350年で嬉野のシンボルのひとつとなっちょるんやが、丁度白色五弁のきれいな花が咲いており、スズメバチのブーンサウンドに最新の注意を払いながらも生茶の香りを慈しむことが出来たんよ。

チャオシルから大茶樹に向かう道すがらに栄光の名を関した製茶工場が目についたので覗いて見ることにした。今後FTBの定茶屋になれるかどうかを見極めるために店舗に入店してあえて茶をごちそうになり、そのお礼にカラフルな茶筒と銘茶を購入してその実力ば吟味せなならんと思たんよ。

気が付けば長崎との県境が迫っちょたんで甘茶でかっぽれした勢いをかってそのまま長崎の宿を目指してひた走った。島原半島に突入し、キリシタン大名の優等生の一人である千々石ミゲルの名を冠した千々石展望台で「絶景かな!」と見得を切った後、生ビールでそうめんでも流し込もうという衝動に駆られたんやが踏みとどまって先へ進むことにした。

今日の宿泊地である小浜温泉街に入るとあたりにはも~も~とした湯気と温泉の臭気が立ち込めよった。その臭気を宿名に冠した「ゆのか」はオーシャンビューの室内から見る橘湾を借景とした部屋付き源泉かけ流し温泉が売りになっちょるごとあった。

チェックイン後、屋上の展望露天風呂の貸切まで時間があったけん、軽く温泉街を練り歩くことにしたっちゃ。海岸の人工島から高温の湯が噴出する噴泉塔が名所になっちょるようでその横に作られとる日本一の長さの足湯施設「ほっとふっと105」では多くの人々が白癬菌のシェアをしながら足だけ♪ばばんばバンバンバン、アビバのんのん♪をたのしみよるごとあった。

源泉温度105℃、放熱量(湧出量x湯温)日本一を誇る小浜温泉は名実ともにパワースポットであり、その蒸気は蒸し窯として天然の調理器具になっており、お約束の温泉たまごを買ったまではよかったが、高熱の卵の殻がなかなか冷めんかったんで旅館の部屋に戻り、高適温になった卵を貪りながらその固ゆで感を堪能させてもろたんよ。

屋上の貸切露天風呂で頭の位置を低くしてインフィニティ感を堪能すると待望の夕食時間と相成ったんよ。朝獲れの新鮮な海の幸から当地の名物料理である「温泉蒸し」はマサに小浜でしか味わえん逸品で是非米国の大統領やノッチも味わうべきやと思いながら静かな夜を過ごしよった。

10月5日(日)
早朝より屋上貸切露天風呂から小浜マリンパーク方面を見下ろしていた。Perfumeのようなアミューズ感を持つ浴衣後ろ姿の3人組ギャルが堤防の上で仰向けふて寝を決め込んでいたのだが、ふいに覚醒するとおもむろにラジオ体操をおっぱじめ、しかもそれはラジオ体操第二の最後の深呼吸まで息抜くことなく続けられ、それはまるで♪繰り返す このポリリズム♪んごとあったんよ。

小ぶりではあるが、風光明媚な小浜マリンパークをワイキキに見立てて開催されるイベントである「フラっとHAWAIIAN in 小浜温泉 2025」が本日の11時から開催されよるのでチラッと見させていただくことにした。

総勢約50組の素人フラダンスチームが季節外れの猛暑の中をフラフラになるまで踊り倒すということで11時の開園前から会場は熱気に包まれとった。

イベントを盛り上げるためか最初のプログラムは餅まきが予定されちょったんやが、何と餅が届いちょらんという不具合が判明したんやが、すでに体内のアルコール度数を上げている輩もくだをまくこともなく次のフラダンスのプログラムへとしれっと移行しよったんよ。

近年急激なリノベーションが進んどるごとある小浜温泉やが、温泉街の裏側に回ってみると古き良きしなびた遺物が残とった。店内で♪ききわけのない女の頬を ひとつふたつはりたおして♪といった当時は鬼畜ではなくダンディな所業や♪抱きしめるといつも君は洗った髪の香りがした♪といった哀愁のカサブランカが沢田研二や郷ひろみのリズムに乗って日夜繰り広げられちょったはずのスナックはもとより、さらに時代をさかのぼった旧小浜神社がその代表格であろう。

♪ボォギ~ ボォギ~♪とゴルフのスコアのようなリズムに乗って向かった先の山間にはモ~モ~とした蒸気が立ち昇っちょたんやが、そこの立派な門構えに小浜歴史資料館 (¥100) と記してあったので入ってみることにしたんよ。

温故知新系であるはずのこのファシリティは2つの建物から成っており、まずは1844年に建立された本多湯太夫邸にお邪魔させていただくことにした。広い縁側に囲まれた豪邸で庭を見つつ事務所で発注したアイスコーヒーを飲みながら過ごす時間はマサに至福であるんやが、取れたてのヒラメをさばいてヒレの付け根にある筋肉の部分を縁側で食すこともおつなものに違いなかろうと考えよった。

もう一つは歴史資料展示館なる建物でバラク・オバマをほうふつとさせるバラック系の温泉宿が立ち並ぶのどかな温泉街の様子がなつかしい看板達で彩られちょったんよ。

長い歴史を誇る小浜温泉やが、町に30か所ほどある源泉のメンテナンスは重労働で配管に詰まった炭酸カルシウムを定期的に砕き落とさなならんそうでマサに行楽地の光と影が反映されちょるごとあった。

15:40発ANA456便に搭乗するために佐賀空港への帰路を急いだんやが、到着直前になってANAから出発が40分遅れるという通知が舞い込んできやがったんよ。小浜で小浜ちゃんぽんを食いそびれてしもたんでこれを機に空港のレストランに駆け込んで伊万里牛の入った佐賀ちゃんぽんを佐賀ペールエールビールで流し込んで流れ解散とさせてもらったちゃ。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥19,500.- / passenger
総宿泊費 ¥90,420(二名様、二食付き)
総レンタカー代 ¥9,200
総ガソリン代 ¥2,340
総高速代 ¥670

協力 ANA、楽天トラベル、オリックスレンタカー

シン・FTB 栄光のイチローマイルストーン完結編

昨今のMLB業界は大谷翔平の二刀流復活の話題で持ちきりであるが、大谷がアメリカ野球を粉砕するはるか以前にMLBを切り裂いていた「The Wizard」との異名を持つ痩せっぽちの野球選手がいた。ステロイドで強化された改造人間の群れにユンケル1本で立ち向かうその男の孤高のプレースタイルは非常に中毒性が高く、気が付けば2001年のMLBデビューから先日の殿堂入りまで何回もシアトルまで足を運ばなければならなくなっていたのだった。

2025年8月8日(金)
午前中でさくっと業務を切り上げると、たけし軍団きっての論客の水道橋博士が住んでいるとは限らない水道橋駅まで総武線で移動し、♪闘魂こめて♪の発車メロディーに見送られてイチロ東京ドーム方面へと歩を進めた。東京ドームに内蔵される形で公益財団法人野球殿堂博物館(¥800)がひっそりと開業していたので「殿堂」とはいかに格調高いものであるのかを予習するために入場してみることにした。

奇しくもここでは2025年野球殿堂入り顕彰者にまつわる展示品がクローズアップされており、ささやかではあるが、イチローの栄光の歴史にも触れることが出来るようになっている。

もう一つの特別コーナーは言うまでもなくその魂を野球の神様まで昇華させた長嶋茂雄氏の追悼展示であり、そのダイナミックな生き様が来場者を釘付けにし、「野球は人生そのもの」であることをあらためて思い知らせていた。

サードゴロをさばいて送球後に手をひらひらさせる感覚で流れるように羽田空港第3ターミナルに移動すると21:15発NH118便は定刻通りに出発し、約8時間のフライトで午後2時半過ぎにシアトル・タコマ空港に到着した。富士山より標高の高い独立峰であるマウントレーニアの雄姿を横目に空港からの移動手段であるLink Light railの駅まで移動し、券売機でチケットを買おうとしていたときに係りのおばちゃんから私の目的地であればバスに乗った方が良いとのアドバイスをいただいたので素直に従うことにした。

SOUNDTRANSITが運航する560番のバスが来たので現金で$3支払うとシアトルからワシントン湖を隔てた東側にあるイーストサイドと呼ばれる地域の中核都市であるBellevueに向かった。40分程でBellevue Transit Centerにバスが滑り込むとそこから本日の宿泊先であるInterContinental Seattle Bellevueまで徒歩で移動した。さくっとチェックイン手続きを済ませると日本の夏とは段違いの快適な気候につられて街の散策がてらスポーツバー的なこじゃれたバーのカウンターに腰を下ろし、ビーフとすしのマリアージュを楽しみながら日の長い短い夜を飛び越えていた。

8月9日(土)
Yahoo Japan依存症の弊害がここに来て突発的に発生してしまった。

Yahoo! JAPAN IDは、不正利用や規約違反の可能性があると判断された場合、利用が停止(エラーF001, F004, F006)または一時的に制限(エラーF003)されます。また、ログイン方法の再設定が必要な場合もあります(エラーF007)。

私に襲い掛かってきたのはエラー番号:F003でそのメッセージは「利用規約違反または第三者による不正アクセスの可能性が確認されたため、現在このIDは一時的にログインを制限されています。しばらく時間をおいてから再度ログインをお試しください。」というものでログイン制限が解除されるまでの時間は公開していないとのことであった。

そのインパクトは端的に言うと私の私的なコミュニケーションの基盤となっているYahoo!メールが使えなくなってしまうという悪夢で今回のケースでは頻繁にパスワード変更を要求し、そのためのパスコードの送信先をYahoo!メールにしているTicketmasterからオンラインチケットを引き出し携帯の画面に表示させることが出来ない、すなわち試合が見れないリスクが高まってしまうことに他ならない。

血眼になって色々な情報を精査したところ、ログイン制限解除の時間はまちまちで通常は6~8時間、場合によっては数日のケースもあるとのことであった。今日の試合の球場のゲートオープンの時間から逆算して何時までに解除されなければ悲劇になるというデッドラインを割り出し、Yahoo JapanヘルプセンターのAIに問題解決させようとする安易なスタンスの背後に埋もれているメールアドレスに苦情と救済を申し入れ、同時にTicketmasterで新しいアカウント立ち上げ、チケットを買いなおす等のバックアッププランさえ浮上し始めていた。

心の平穏を取り戻すためにBellevueの街中を練り歩き、湖上のウォーターアクテビティを横目に無為に時間をやり過ごしていた。私の陳情が功を奏したのかどうかわからないが、午後3時過ぎにログイン制限は解除されたのでイチロBellevue Transit Centerのバス乗り場で51の背中を追って550番のバスに乗り、ワシントン湖にかかる浮橋を渡ってシアトルのダウンタウンに入っていった。

King Station近辺でバスを降りるとシアトル・マリナーズの本拠地であるT-MOBILE PARKに通じる道筋はマサにイチロードと化しているかのごとく51団体の行進で埋め尽くされていた。球場の正面入口前には殿堂入りの先輩であるKen Griffy Jr.とEdgar Martinezの銅像が立ち並び、選手時代の最も美しいシルエットが躍動感と共に永久フリーズされている様を確認した。

今夜は「Ichiro Number Retirement Ceremony Night」という名のイベントが試合開始に先立って開催されるため、早めに入場ゲートが開放されたので観客は堰を切って場内に流れ込んで行った。まずは腹ごしらえのためのジャンクフードを物色したところSUMODOGというイチローの体系に反比例する看板が目についたのでメニューを見たところ値段が横綱級だったので断念し、ビールとピーナツのダイエットセットに落ち着いた。

セレモニー開始前に場内のコンコースを一周し、イチローがすでにマリナーズ球団の殿堂入りしている様子をしかと確認し、Team ShopでイチローのHall of Fame入りを祝福するTシャツやグッズを物色したのだが、トランプ関税の影響なのかTシャツの価格はどれも$40を超える高値になっており、イチローどころかイチ大事の様相を呈していた。

イチロー人気を反映するように高騰したこの日のチケット代であったが、$166という高値の支払いにもかかわらず私の座席はライトポール近くの最上段に近いリモート地帯だったのでセレモニー開始前に何とかバックネット裏の最上段通路の壁を背にする好位置に体をねじ込ませ、そこからICHI-METERによる開始までのカウントダウンをマウンド後方のユンケルメーカーのsatoのロゴと共に静かに見守っていた。

SHOW TIMEの合図が告げられ、センターのゲートがオープンするとスーツ姿のイチローが出現し、センターフィールドに刻まれた巨大なエリア「51」を颯爽と通り抜け、球団のVIPやマリナーズのレジェンドが参列するステージに厳かに進んで行った。

参列者ひとりひとりとハグを交わした後、定位置の演台につくと左中間スタンド後方の永久欠番の除幕式が華々しく執り行われた。

場内の盛り上がりメーターがレッドゾーンを振り切ると待望のイチロー氏の演説の火蓋が切って落とされた。推敲に推敲を重ねたはずの原稿を流暢な英語で読み上げ、時折ユーモアを交えたコメントの後には場内には爆笑の嵐も吹き荒れ、後半には弓子夫人をはじめとする支援者への感謝の辞が述べられたのだが、チチローこと鈴木宣之氏に対する謝辞は含まれていなかったのだ。

健全な大人のたしなみである「飲む!打つ!買う!」ための資金を息子の打撃の基礎技術構築のためのバッティングセンターでの「打つ!}につぎ込んできたチチローにとってはまさかのスルーの仕打ちであり、地元の名古屋で涙の味噌煮込みうどんをすすってはいないかという余計な心配をよそにセレモニーは喝采とともに終了し、速やかにゲーム開始へと流れて行った。

アメリカン・リーグ西地区の首位争いを展開しているマリナーズとタンパベイの3連戦の2ゲーム目は7時前にプレーボールとなったのだが、イチローのHall of Fameに展示される殿堂の額が特別に来場者に公開されるということで多くのファンは試合そっちのけで展示コーナーまで長蛇の列を作っていた。

体感的に1時間くらい並んだ後、待望の額との記念写真の瞬間が訪れたのだが、撮影係りの人が私のソニー製のコンデジの使い方に疎いためかメモリーにその記録は残っておらず、今夜のマリナーズの勝利とは裏腹に涙を飲む結果となってしまったのだった!ちなみに今夜の観客数は45,249人と発表されたのだが、そのほとんどはイチローの生演説が目的であったろう。

8月10日(日)
昨夜のセレモニーの祝辞でマリナーズの球団社長が2026年にイチロー氏の銅像を建立する計画を発表したのだが、その色合いもユンケルのパッケージと似たものが予想されるため、バットを立ててど~ぞ~よろしくとピッチャーを見据えるその美しいシルエットがマサにシアトルの黄帝として君臨したあかつきにはまたシアトルに来なければならないと考えながら時差ボケ明けのの朝を迎えた。

今日は早めに球場に赴かなければならない理由により午前9時過ぎにはホテルをチェックアウトし、昨日と同じ手順でT-MOBILE PARKに向かった。開門前の球場周辺には既に長蛇の列が出来ていたのだが、その目的は「Ichiro Hall of Fame Plaque Day」と称するイベントで先着2万人のファンに無償提供されるイチロー氏の殿堂入りの額のレプリカを命がけでゲットすることに他ならない。

今日は昨夜のような記念写真が撮れていないというしくじりもなく、首尾よくレプリカを入手出来たので気楽に安い席での試合観戦に臨むこととなったのだが、この時期シアトルで一番多忙なイチロー氏は今日も球場に駆け付け「会長付特別補佐兼インストラクター」という日常業務を遂行する傍らで始球式にも登場することとなっていた。

今日の始球式は新旧51番の競演で新51番のイチロー氏がキャッチャーに扮装した剛球左腕投手の旧51番ランディ・ジョンソン氏にレーザービームをお見舞いするという趣向で、来年にはマリナーズの51番はイチロー氏だけでなく、ジョンソン氏との連名の永久欠番となることが確定しているのだ。

レーザービーム球が無事にジョンソン氏のミットに収まると漫才師のオール阪神巨人をほうふつとさせる身長差を気にすることなく笑顔で記念撮影に応じ、この日のメインイベントは無事終了となったのだ。

おまけの試合の方は午後1時過ぎにプレーボールとなり、ヤンキースのアーロン・ジャッジや大谷を凌ぐホームランの量産体制を誇っている重労働キャッチャーでスイッチヒッターのカル・ローリーの3試合連続45号本塁打で見事マリナーズが3連勝を飾り、イチローお祝い週間に花を添えたのだった。ちなみのこの日の観客数がわずか37,434人で伸び悩んだのはIchiro Hall of Fame Plaqueが2万人限定での配布にとどまったからであろう。

地元シアトルでのIchiro Weekの連戦を見事な6連勝で飾ったマリナーズファンの熱狂も冷めやらぬ中、軽く祝杯でも挙げるためにパイクプレイスマーケットに向かった。お馴染みのスターバックス1号店は相変わらず聖地巡礼の賑わいで近寄りがたかったので数軒先のカジュアルなシーフードレストランでフィッシュアンドチップスを肴にクラフト系のビールで乾杯した。

シアトルダウンタウンからバスでBellevueに戻り、ホテルで荷物をピックアップして560番のバスでシアトル・タコマ空港に移動した。23:40発UA2019便は定刻通りに出発し、約5時間余りを移動手段兼宿泊設備となった機内で過ごしていた。

8月11日(月)
午前7時過ぎにワシントン・ダラス空港に着陸すると流れるようにUA2295便に乗り換え、9時半前にニューアーク・リバティー国際空港に到着した。早速NJ Transit列車でマンハッタンのPenn Stationに移動し、昼前にはニューヨークでの宿泊地であるMarriott Vacation Club (MVC), New York Cityにたどり着いた。タイムズスクエアに程近いMVCは外装工事中でエンパイアステートビルを眺望出来る部屋を予約したにもかかわらず、工事の足場に妨害されていたのでビジネスホテルと同等の広さを持つ部屋の中ではサイレン等の騒音を子守歌に静かに過ごすしかなかったのだ。

ニューヨークで入浴出来ないシャワータイプの部屋だったが、昨夜の睡眠不足を補うことが出来たのでミッドタウンからセントラルパーク付近までぶら散歩をかますことにした。関税戦争でババを引くのは誰なのかと考えていると目の前にTRUMP TOWERが出現したので1年ぶりに入ってみることにした。45代大統領であることを誇示するコーナーは昨年と変わらず賑わっていたのだが、47代に関してはまだ準備が出来ていないようでアパレル土産の前面にわずかに47の文字が確認出来るにとどまっていたのだった。

8月12日(火)
わざわざシアトルから飛行機を飛ばし、大陸を横断してニューヨークくんだりまで来た目的を実現するために午前7時にMVCに程近いHerzレンタカーのマンハッタン営業所に向かった。その目的とはマサに殿堂入りすることであったのだが、私に与えられた車は電動車ではなくフォルクスワーゲンジェッダというガソリン車であった。

大都会マンハッタンを北上後、ニューヨーク州の郊外を抜け、さらに州都のアルバニーから西に進路を取ると4時間程度のドライブで片田舎のクーパーズタウンに到着した。早速パーキングメーター式の無造作な駐車場に車をねじ込むとイチローの看板を頼りに
「National BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM」(https://baseballhall.org/)にたどり着いた。

初めてここを訪れたのは23年前の2002年1月で当時の入館料は$9.5だったのだが、今では大人は$30を支払わないと入ることが出来ないのだ。

館内はHALL OF FAMEとMUSEUMの2つのゾーンに分かれているのでまずは年代別に殿堂入り者の額が分けて展示されている殿堂地帯からじっくり見ていくことにした。殿堂は1936年から始まったものでベーブ・ルースやタイ・カッブ等の初年度の対象者はThe First Classとして別格の扱いを受けている (https://www.baseball-reference.com/awards/hof.shtml)。

一通り殿堂者の額を見て回った後、MUSEUM地帯に分け入ったのだが、2025年殿堂入り者に対しては特別の展示コーナーが設けられ、イチロー氏の歴史は愛工大名電まで遡られていたのだ。

また、期間限定で日本のYAKYUとアメリカのBASEBALLの交流の歴史が掘り下げられており、文化の違いを超えて技術や選手を輸入/逆輸入し、切磋琢磨してきた様子に多くの米国人が感銘を受けている様子であった。中でも呪い好きの米国人にとって欠かせないネタとして「KFCの呪い」が紹介されていたのだが、彼らにとってはアメリカの鳥王であるカーネル・サンダースを道頓堀どぶ川に沈める行為など大統領の暗殺に匹敵する愚行にしか思えないはずであろう。

MUSIUMの一般展示エリアには様々な記録を彩る遺品が数多く展示してあった。中でも私の目を引いたのはイチロー氏のシーズン最多安打の目撃証人である純正ICHIMETERや一時連続試合出場の世界記録を持っていた広島カープの衣笠のスパイク、Ricky Hendersonがシーズン最多盗塁の記録を打ち立てたときに履いていたMIZUNO製のスパイク等であった。

素晴らしい記録を打ち立てながら殿堂入りが許されない名選手にも多少のスポットライトが当てられている様子で、ドーピングによりショッカーの専売特許である改造人間認定されたはずのサミー・ソーサやマーク・マグワイアのグッズも反面教師的な役割を果たしていた。

昼飯時に一度退館し、チーズバーガーで腹ごしらえした後、「野球誕生の地」と呼ばれるのどかな田舎のクーパーズタウンの野球インフラの様子を垣間見ることにした。DOUBLEDAY FIELDは簡素な草野球場の様相を呈してはいるが、MLBの奉納試合も開催される野球の神様があらせられる聖地のはずである。その傍らには日本のバッティングセンターに匹敵するBATTING RANGEが開業しており、木製バットの工房ではイチローが現役時代一度も型を変えることがなかった篠塚モデルの削り出しも可能であろうと思われた。

街と野球が抱き合わせとなっているクーパーズタウンのメインストリートを一通り見物した後、HALL OF FAMEに再入館し、あらためて野球の名士が居並ぶ殿堂の額の展示場をじっくりと見て回った。先週シアトルのT-MOBILE PARKに出張していたイチロー氏の額も無事所定の位置に収められていたので落ち着いてその殿堂入りの説明文と向き合った。そこには並外れた自己管理と比類なきバットコントロールといった美辞麗句が並んでいたのだが、ユンケルパッケージ色に彩色されたその表情は元楽天監督の今江と見まがうほどで、きっと前世では双子の兄弟であったろうと思ったのは多くの見学者の中で私だけのはずである。

午後3時過ぎには自らゲームセットを宣言してクーパーズタウンから退場するとイチロ、マンハッタンへの帰路を急いでいた。往路と同様4時間くらいかけて帰還し、レンタカーを返却してMVCに戻ってきた。部屋からはエンパイアステートビルの美しい眺望は望めないので最上階のバーで高値のビールを飲みながら今後はここを定宿にして見慣れた景色にするべきかどうか考えていた。

8月13日(水)
昨日のクーパーズタウンへの遠征で全精力を使い果たしていたのだが、せっかく♪わ!ニュ~~ヨ~~ク♪にいるのでお上り観光もかましてみることにした。

午前11時にMVCをチェックアウトして地下鉄でロウアー・マンハッタンに向かった。お金の匂いがする方に歩いていくと匂いの元は猛牛のGolden Ballsのようで成金を目指す輩はそのお宝を掴んで玉のような笑顔を浮かべていた。

ウォール街にあるニューヨーク証券取引所ビルの向かいに設置されている「恐れを知らぬ少女」は最高値を更新したダウ平均株価を背景により一層その存在感を高めているようだった。

もはやグランドゼロとは呼ばれないワールドトレードセンターを抜けてブルックリン・ブリッジから自由の女神の遠景をカメラに収め、チャイナタウンとリトルイタリーのビルの構造がどれも典型的な非常階段をファサードに設置していることに何となくノスタルジックな感情を覚えると再び地下にもぐってミッドタウンに向かった。

地上に出た目の前には「アメリカ横断ウルトラクイズ」の聖地であるMetLifeビル(旧PANAMビル)が立ちふさがり、思わず55歳で保険金を払い終えたメットライフアリコの終身保険の保険金受取額と解約払戻金の比較シミュレーションが走馬灯のように脳内を駆け巡った。

♪君はロックなんか聴かないと思いながら♪ロックフェラーセンターをスルーして地下鉄で向かった先はニューヨーク・メッツの本拠地であるciti FIELDであった。おばけフォークでバッターに呪いをかけ、エースへと大化けした千賀の登板予定は明日だったので今日は一番安い$10そこらのチケットを手にスタジアムに入って行った。

千賀は♪ロックなんか聴かないと思うけれども♪彼の登板の際にはHiromi Goの全盛期の楽曲である♪お化けのロックンロール♪で♪イヒッヒ ヒーヒヒ イヒ イヒ♪と盛り上げようと思っていたので残念な日程であった。

午後7時の試合開始1時間前からスタジアムは雷雨に見舞われ試合開始時間が未定となったため、泣く泣くスタジアムを後にした。チケット代$10が無駄になったと思いきや、入場時にメッツのマスコットとして君臨しているミスター・メッツの配偶者であるはずのミセス・メッツの首振り人形をもらっていたので転んでもただで起きない状況ではあったのだった。ちなみにメッツ夫妻は気づいていないかもしれないが、日本には彼らの子供に相当するはずのミスター・チルドレンがinocent worldでシーソーゲームにうつつをぬかしているのだ。

一旦荷物引取りにMVCに戻った頃には雨は上がっていたが、帰りの便に間に合わせるためにそそくさと地下鉄でJFK空港へと急いでいた。

8月14日(木)
深夜のラウンジで夕食を掻き込み、アルコール濃度を上げた状態で搭乗すると丑三つ時の2:00発NH159便は定刻通りに出発し、チチローにしてみれば孝行息子のイチローはすでにsatoに養子に出したものと割り切っているのではないかと考えながら14時間余りを機内で過ごすこととなった。

8月15日(金)
鈴木一朗という何の変哲もない名前が唯一無二のカタカナのイチローになった感慨を胸に流れ解散といきたいところだが、午前5時に羽田に到着するとイチロ会社に出社し、イチローが頑なに守っていたルーティン生活に戻って行ったのだった。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥347,120
総宿泊費 $663.17
総バス代 $15
総NJ Tranjit代 $17
総地下鉄代 $14.5
総 JFK AirTrain代 $8.5
総レンタカー代 ¥13,270
総ガソリン代 $52.17
総高速代 &52.58
総走行距離 441マイル

協力 ANA、ANA Travelers、Hertz、IHG、Marriott Vacation Club、Ticketmaster.com

シンFTB驚異の日本人出稼ぎMLBリーガーとスモーキーツアー in 米国南部

♪エブリバディ サムライ スシ ゲイシャ ビューティフォー フジヤマ HA HA HA♪

というわけで、円安バーゲンオーバーツーリズムで沸き返る日本の観光地ではもはやFUNK FUJIYAMAの歌詞は過去の物となっているはずなのに今年の3月に来日したドジャースとカブスの一行の中には♪ワタシハ NIHON ハジメテデス♪の輩も多かったと聞いている。日本のコスパの高さをあらためて世に知らしめる機会となったのは間違いないが、それと反比例するように日本人の旅行意欲は減退し、GWに海外で羽を伸ばそうという気もなかなか起こらないようである。そんな状況下でもアメリカに出稼ぎに行っている日本人メジャーリーガーの活躍は目覚ましく、飛行機を飛ばしてまで見る価値があるのは間違いないはずなのではるばるアトランタまで足を延ばすツアーの開催と相成ったのだ。

2025年5月1日(木)
空港ビル内に垂れ下がっている大谷翔平の看板に見送られつつ、10:40発NH112便は予定通り羽田空港を出発し、アトランタを舞台にした長編名作映画「風と共に去りぬ」を遠ざかる意識の中で見ながら12時間以上の浪漫飛行でシカゴオヘア空港に到着したのは同日の午前8時半過ぎであった。米国入国に必要なESTAの取得がぎりぎりになってしまっていたのでImmigrationでオヘア空港の別のオヘヤに連行される妄想を抱きながらも無事入国を果たし、乗継便の10:35発UA1848便に滑り込むと午後2時前にはハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港に到着することに成功した。

世界最大級の航空会社であるデルタ航空のハブ空港であり、2000年より発着数及び利用者数において世界中で一番忙しい空港内でレンタカーセンターを探すのは至難の業であったが、何とかスカイトレインに乗ってたどり着くとANA Traveler’sに予約させておいたThrifftyでヒュンダイの小型RV車をレンタルすると風と共に大都会アトランタの喧噪の世界に飛び出した。

米国に入国してからiPhoneのデータ通信が出来ない不具合に見舞われており、地図アプリも使えない状況なので自らの動物的勘を頼りにアトランタの町をさまよっていた。ジョージア州を縦断して北に向かうI-75に入りダウンタウンを突っ切ろうとしたものの片道7車線すべてが渋滞しているというモータリゼーションの負の遺産を目の当たりにしながらアトランタオリンピックの聖火台に火を灯した実績のあるモハメッド蟻のように進んで行った。

いつしか渋滞は解消し、テネシー州のチャタヌーガという都市を抜けてグレートスモーキーマウンテンズの方角を目指してひた走った。途中で2回ほど地元住民に道を確認させていただき、今日の宿泊先であるStaybridge Suites Pigeon Forge – Smoky Mtnsに命からがら
辿り着いた時間は午後10時頃であったろうか? 昼食も夕食も抜いていた状態だったのでホテルの売店で買ったチップスをオレンジジュースで流し込みながらKDDIのサポートに電話してデータ通信のトラブルシューティングに勤しんでいたのであった。

5月2日(金)
ホテルの粗雑なアメリカンブレックファストでも息を吹き返すことが出来たので昨日の夜に見た街並みの不思議な光景の正体を見極めるためにピジョンフォージの町をしばし車で流すことにした。

グレートスモーキーマウンテンズのベッドタウンであり、チープなリゾートの様相を呈するピジョンフォージには多くのファンキーな建造物が君臨しているのだが、倒壊ビルやタイタニックのミュージアムは形あるものは壊れるといった諸行無常のコンセプトを表してさえいるのであろうか?

アパラチア山脈の南端、テネシー州とノースカロライナ州にまたがるグレートスモーキーマウンテンズ国立公園は、アメリカで最も入園者数の多い国立公園で、どのような集計方法かは不明だが、年間約1134万人でグランドキャニオンの2倍以上と言われているそうだ。ピジョンフォージを出て園内のリゾートタウンであるギャトリンバーグのWelcome Centerで熊の歓迎を受けた後、入園料を徴収されることもなく、すみやかに国立公園に滑り込んで行った。

♪パープルタウン♪であるニューヨークは♪紫に煙る夜明け♪であるが、グレートスモーキーの上空には厚い雲が燻っており、カールスモーキーのような胡散臭さが漂っていた。

まずはSugarlands Visitor Centerでこの公園が世界遺産に登録された理由となった生物学の多様性を学習させていただくことにした。多くの剝製コレクションの中で特に気になったのはやはり赤いきつねと緑でないたぬきのコンビであった。しかし残念なことに石井竜也の映画監督デビュー作である「河童」はここにはいないようで入園記念に黄桜辛口一献で祝杯を挙げるわけにもいかなかった。

ビジターセンターからはトレイルが伸びており、♪Shake Hip!♪のリズムで辿り着いた新緑まぶしいCataract Fallsは家族連れの憩いの場所になっていた。

ブラックベアを始めとする野生動物との遭遇を期待してケーズコーブという草原を取り囲む1周約11マイルの舗装道路に侵入した。乗馬用に導入されている馬がいる駐馬場を過ぎ、アメリカではバーボンウイスキーであるはずのワイルドターキーを遠目に見ながら道は徐々に渋滞していった。

観光客が一斉にカメラを向けているその先には灰色の鼻先がスモーキーなブラックベアが単身で草原の中をさまよっていたのだった!

熊の出現により思いのほか足止めをくらい、公園を出るのが午後3時過ぎになってしまったのだが、とにもかくにもアトランタへの帰路を高速で疾走した。アトランタ・ブレーブスの本拠地であるTruist Park近辺に予約していた駐車場に6時半過ぎに車を滑り込ませると野球ファンの流れに身を任せて入場ゲートへの道筋を急いだ。iPhoneのデータ通信の復旧により首尾よく電子チケットのダウンロードに成功した勢いをかってこの球場内で一番多い数字であるはずの「17」を追いながらドジャース側の3塁側席奥地に腰を下ろした。

アトランタの地における日本人シリーズと言っても過言ではない一戦は大谷の登場で幕を明けると同時にブレーブスも最大のピンチを迎えたのだが、大谷はあえなく三振に切って取られてしまった。

今日のゲームのハイライトは何といってもドジャースのエース山本由伸の快投である。独特の「あっち向いてホイ!」投法はさらに磨きがかけられており、最初はグーと言いながらも相手がついチョキを出してしまうほどの圧倒的な威圧感で投球する前からすでに勝負は決まっているようであった。結局山本は6回を投げて1安打無失点でブレーブス打線の勇気を最後まで封じ込め、ブレーブス球場のチャンスの時に一体となって炸裂するトマホークチョップもフリーズしたままであった。

山本降板後に雨が降り、数10分間の中断を余儀なくされたものの試合は2三振を喫した大谷の不発にもかかわらずドジャースが2対1で辛くも初戦をものにしたのだった。

昨夜の宿もIHGポイントを使っての無料宿泊であったが、今夜もHoliday Inn Atlanta-Northlakeに無料でしけこむと首尾よく数時間の寝床を確保するに至ったのだ。

5月3日(土)
Holiday Innで朝食が提供されなかったという不測の事態はあったものの、チェックアウト後にダウンタウンまで足を運びガソリンスタンドのチョコレートとドーナツで人体への燃料補給を行った。

アトランタくんだりまで来てマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの足跡を辿らないとアトランタまで来た意味がないはずなのでダウンタウンの中心部に位置するその国立歴史公園を訪問させていただくことにした。首尾よくVisitor Parkingの空きを見つけ車を駐車することが出来たのでまずはNational Park Service Visitor Centerに入ってみることにした。

キング牧師が非暴力不服従という点でお手本としたインドのマハトマ・ガンジーの銅像に迎えられて中に入るとそこに広がっている世界はマサに「I have a dream !」そのもので、公民権運動の闘争と勝利、そしてマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの平等と正義に対するビジョンの持続的な影響を深く理解するための展示品の数々であった。私が生まれた1964年にキング牧師は史上最年少の35歳でノーベル平和賞を受賞したものの、1968年4月4日にはテネシー州メンフィスで暗殺されてしまっている。その後多くの議論を経て彼の誕生日である1月15日(1月の第三月曜日)はキング牧師記念日として国民の休日となったのだが、日本における人物関係の休日が天皇誕生日のみであることを考えると自由の国を標榜するアメリカがいかに不自由に関して敏感であることが理解出来るのである。

キング牧師とその妻の墓はVisitor Centerの目の前のThe King Centerに恭しく奉られ、訪問者が後を絶たないのだが、彼の生家は一時的に閉鎖状態で内見不可となっていたのでその暮らしぶりをうかがい知ることが出来なかったのが残念であった。

キング牧師の聖地から2㎞以内の場所にジョージア州議事堂がそびえている。この建物はアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されているのだが、今日は休日のため遠巻きにしか眺めることが出来なかった。

日本で天下分け目の戦いと言えば関ケ原であるが、1861年に勃発した南北戦争はマサにアメリカ版関ケ原の戦いと言っても過言ではなく、激戦地の一つであるアトランタではKennesaw Mountain National Battlefield Park, Mariettaにてその様子が今に伝えられているので「風と共に去りぬ博物館」の見学を断念してまで入場させていただくことにした。

Visitor Centerに入館すると会議室で何らかのデモンストレーションが行われており、プレゼンターのおね~さんに執拗に入室を促されたので渋々話を聞いてみることにした。ここでは当時の戦闘服に身を包んだ兵士が銃を携えて一連の攻撃の流れを身を挺して説明してくれたのだが、実際の戦闘の時間よりも訓練や待機の時間の方が圧倒的に長かったので戦意を維持することがいかに大変かを思い知らされた。

近隣のアメリカ的なファミリーレストランでサクっと昼食を済ませ、Marriott Bonvoyポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るCourtyard Atlanta Northlakeまで車を飛ばしてチェックインすると野球観戦モードにギアを切り替えることにした。

今日は余裕をもって野球場に到着出来たので2017年に建立されたTruist Park周辺をぐるっと回ってみることにした。ブレーブスのレジェンド選手の銅像のそばには子供用の小さなフィールドがあり、将来のメジャーリーガーを育んでいる様子がしかと見て取れたのだが、やはりアメリカではベースボールが生活の一部になっていることは疑いようのない事実であろう。

試合開始予定が7時15分なのでその前にジャンクフードを掻き込み、巨大スクリーンでの選手紹介とアメリカ国歌の斉唱も終わり今か今かとプレーボールのコールを待ちわびていた。しかしながら、一向に試合が始まる気配はなく、選手がグランドに姿を現す代わりに上空には厚い雷雲が垂れ込め始めたのだ。グランドキーパー陣がフィールドに巨大なシートをかぶせるとほどなくして雷鳴がとどろき始め大粒の雨が地面を打ち付ける展開となり、ここから松山千春よろしく♪長い夜♪の始まりとなった。

遅延が1時間以上経過した頃、おもむろにアルコール以外のドリンクとフードを40%値引きするという場内アナウンスがあり、たとえ試合が出来なくてもフードロスの影響を最小限に抑える配慮なのかと思ったのだが、2時間以上経過後に雨が止まなくても♪おま~えだけにこの愛を誓う♪といった律儀な野球ファンは球場を後にしたりすることはなく、ついに3時間遅れの10時15分試合開始というアナウンスがなされ場内は大きな歓声に包まれたのだ。

長い遅延時間を利用して球場内の散策と洒落こんでいたのだが、チームの歴史と栄光を展示しているモニュメントには世界の王貞治に抜かれるまでその755本という本塁打数は世界一であったハンク・アーロンのコーナーがひときわ目を引くものとなっていた。

試合開始直前にレフトスタンド最前列ドジャースブルペンフロントの自席に戻ると満を持して今日の先発投手の佐々木朗希が通訳を伴ってウォーミングアップのためにベンチから飛び出してきた。

槍投げ省エネ投法の山本由伸と違って佐々木朗希はその贅沢な手足の長さゆえにスピードは出るが肉体に脆弱な部分があればそこに応力が集中して故障につながってしまうリスクを抱えている。

ブルペンに入ると球筋までは見えなかったもののキャッチャーミットから発せられる音でその威力は十分に感じられ、フェンスの上から見下ろすその先にははっきりとフォークボールの握りが見えたのであった。

ブルペンからベンチに戻る際の右腕を気にする佐々木の様子が気になったものの、試合は通常では終了している時間であるはずの10時15分に開始となった。初回いきなり大谷のセンター前ヒットで観客の目を覚まさせたのだが、後続が続かず無得点に終わってしまった。

立ち上がりの佐々木はヒットと四球でランナーを2人出したものの5番打者のマーフィーを三振に切って取り、上々の滑り出しとなった。しかし2回の表ドジャース1点先行の後にはすぐにタイムリーヒットで追いつかれてしまった。

試合は早くも3回の表に最大の山場を迎えた。この回の先頭打者の大谷のバットが一閃すると打球は大きな放物線を描いてセンター左の観覧席に着弾した。ドジャースブルペンに陣取っている投手陣の盛り上がりとひまわり種シャワーの余韻に浸る暇もなく、後続打者の出塁とタイムリーヒットによって佐々木に3点目の援護がもたらされた。

さらに4回表のドジャースは二死から大谷のこの日3本目のヒットを皮切りに4点を追加したのだが、その裏のブレーブスの攻撃で佐々木は2点を奪われたのでこの回で降板となるのではないかと懸念された。

しかし、佐々木は何とか5回裏のブレーブスの攻撃を三者凡退で切り抜け、勝ち投手の権利を持ったまま降板となった。試合はその後8回の表にブレーブス在籍時の2020年にMVPを取った実績のある自由人フリーマンのスリーランホームランがダメ押しとなり、10対3でドジャースの佐々木に念願のメジャー初勝利がもたらされたのであった。

5月4日(日)
日付はすでに代わっており、♪長い夜♪の主役のヒーローインタビューは当然大谷の務めであったが、今回のシリーズの心残りは300年前の東京からタイムスリップしてやってきたような気風の良さを誇るドジャースのユーティリティプレイヤー トミー・エドマンの故障による欠場であったろう。日本名で江戸富男と名乗るかどうかは定かではないが、横浜の「べらぼう」に匹敵する逸材であることは確かである。

ここ2日の試合観戦で見たいシーンはすべて見尽くした満足感を胸にホテルに帰還すると時刻は優に丑三つ時を回っていた頃合いであったろう。睡眠時間もそこそこにホテルをチェックアウトすると再びスモーキーを目指してアクセルを踏みしめていた。

グレートスモーキーマウンテンズ国立公園のノースカロライナ側の入り口にあるチェロキーという小さな町の地ビールレストランでハンバーガーを片手にブランチを楽しむとOconaluftee Visitor Centerでチェロキー族の歴史と暮らしぶりを学習させていただいた。

公園の中心部を縦断するUS-441号線を一気に駆け上がり、ニューファウンドギャップという標高1,529mの峠の駐車場に車を止め、ノースカロライナとテネシーの州境に股をかけた。

ニューファウンドギャップの近くから脇道の舗装道路が伸びていたので約20分程車を走らせるとドン付きの駐車場に行き当たった。そこから徒歩で急な登坂を800m程上ると人工的な展望台が姿を現した。

ここは標高2,025mの園内最高峰でクリングマンズドームと言われ、360度のパノラマを背景にカールスモーキー石井が誇るレコ大受賞曲の♪君がいるだけで♪を熱唱しようかと思ったのだが、通信カラオケの電波が届かないようなので断念せざるを得なかった。

観光客を軽~く煙に巻くような景色に別れを告げ、アパラチアントレイルというアパラチア山脈を縦断する長大なトレイルを横目に一気に来た道を駆け下りチェロキーまで舞い戻ってきた。

「エルクにもプライバシーが必要だ!」という看板文句とは裏腹に発信機を付けられた鹿を見て仕方ないとは思いつつ、後ろ髪を引かれるようにスモーキーの地を後にしたのだった。

Marriott Bonvoyポイントがさらに余っていたので私はただで宿泊出来るThe Westin Atlanta Airportに夕暮れ時にチェックインし、テレビを付けるとそこには一昨日、昨日と二夜連続で目にしたブレーブスとドジャースの死闘が繰り広げられていた。画面越しには現地の熱狂は中々伝わりにくいのは当然だが、今日の試合は特に見せ場はなく地元ブレーブスが3連戦の最終戦で勝利をものにし、何とかアトランタのファンの溜飲を下げることが出来たのであった。

5月5日(月)
9:25発UA632は定刻通りに出発し、約1時間半のフライトでワシントンダラス空港に到着するとラウンジで一息入れる暇もなく12:15発NH101便に乗り継ぎ、13時間以上機上の人となっていた。

5月6日(火)
♪浪漫飛行♪中の機内のエンターテイメントプログラムを見ながら、日本の米騒動の原因はカールスモーキーの陰謀で備蓄米の放出とともに米米CLUBも復活するのではないかと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥388,770
総宿泊費 ただ
総レンタカー代 ¥32,909 + $149.81
総ガソリン代 $100.69
総駐車場代 $101.37
総走行距離 1,072マイル

協力 ANA、ANA Travelers、Thrityレンタカー、IHG、Marriott Bonvoy、KDDI

シン・FTB新春準弾丸ツアー コオリナ・リゾート in オアフ島

アロハ ボンよ ハワイ湯!?

というわけで、年末年始は猫も杓子もハワイに繰り出すため、飛行機代やホテル代が暴騰し、ワイキキビーチから湯気が出るほどの賑わいを見せるわけだが、ハワイ通のFTBはあえてその喧噪を避け、3連休を有効活用して夢の跡となっているはずの静かなリゾートでオーバーツーリズム対策を実践することにしたのだ。

1月10日(金)
21:15発NH182便A380フライングホヌ機は定刻より少し遅れて成田空港を出発したものの7時間弱のフライトで午前9時過ぎにはおなじみのダニエル・K・イノウエ国際空港に到着した。入国審査、税関をほぼ顔パスでスルーするとANA Travelersに予約させておいたSiXTレンタカーのカウンターに向かった。当初は手配済みのコンパクトカーをサクッとピックアップしてお出かけするつもりであったが、車に乗る前にレンタカー嬢のアロハスピリッツ的な口車に乗せられ、高値でBMWへのアップグレードを売りつけられたもののドイツ車に慣れておく必要があったのでその出費も必然であると自分に言い聞かせながら空港を後にした。

エレガントな乗り心地を背中に感じながら空港からH-1高速道路に入り、リメンバーPearl Harborを横目にオアフ島西部を目指してひた走った。ほどなくしてH-1の終点から地方道に入るとKo Olinaの看板を頼りにコオリナ・リゾートへの侵入を果たし、今回のツアーでの滞在先であり、今後のオアフ島での定宿になるはずのマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブに首尾よくしけこむことに成功した。

コオリナとはハワイ語で「歓喜の結晶」という意味であるが、元々は風が吹けば♪ざわわ♪のリズムを奏でるのどかなサトウキビ畑だったはずである。そこにバブル期のジャパンマネーの流入等により一流リゾートへと華麗なる転身を遂げていった経緯から「バブルの結晶」と言っても過言ではないかも知れない。

何はともあれBMWをエントランスの車寄せに颯爽と横付けし、チェックインの手続きを済ませたのだが、応対していただいた八王子に居住実績を持っているが、地元の饅頭の話題がかみ合わなかったアカネ嬢の案内によると部屋の準備に時間がかかるということだったので横付けしたBMWを再起動して無料のSelf Parkingへと引き払った。時間的には小腹がすいてくる11時過ぎに差し掛かったのでリゾート内のLonghi’s Restaurantでビールを片手にブランチ兼時間つぶしと洒落こんだ。

程よく体内に循環したビールのアルコールがマイルドな時差ボケと相まって突然の睡魔を誘い、気が付くとロビーのソファーの上で意識を無くしてしまっていた。意識が回復した頃合いを見計らってかどうかは定かではないが、アカネ嬢から部屋の準備完了を告げる電話がかかってきたので部屋番号を確認し、鍵があかね~というトラブルもなく晴れてOne room suiteへと入室し、ビーチクラブの住人の一員として名乗りを上げることとなったのだ。

住人として必要な物資を調達するために「かっぽれ かっぽれ 甘茶でカポレイ!」と念仏を唱えながらコオリナに程近いオアフ島第二の都市のカポレイに向かった。とあるショッピングセンター内にウォルマートがあったので衣類売り場のへび年Tシャツを見ながらここにもヘビーローテーションで来ることになるだろうと考えながら韓国製のスナック等を買い込んでいた。

リゾートに帰還した時にはすでにサンセットを迎えていたので他のオーナーと一緒にしばしオレンジ色に煌めく西の空をながめていた。

ジャグジーの泡でバブルが弾けた瞬間を体感しながら体をリフレッシュさせた後、再びLonghi’s Restaurantに舞い戻り、地元食材が高値で提供されるディナーにもかかわらず、コオリナの物価に凍り付くこともなく平然と夜風に吹かれていたのだった。

1月11日(土)
マリオット・コオリナ・ビーチ・クラブでは、ここで休暇を過ごすオーナーのために豊富な日替わりアクティビティのプログラムが用意されている。朝9時過ぎの中庭の芝生上では運動に対する日ごろの意識が高くない人向けだと思われる負荷を抑えたビリーズブートキャンプ的なエクササイズが執り行われていたので朝食時の暇つぶしにその光景を眺めていた。

腹も適度に膨れたのでBMWのエンジン音をBGMにウエスト・コーストを北上してみることにした。点在するすばらしい純白ビーチとは対照的にカラフルなホームレスのテントが軒を連ね、とあるショッピングセンター内のスタバのトイレが暗証番号で管理されている事実が当地の治安を雄弁に物語っているような気がした。

ウエスト・コーストでも比較的治安が良いと言われているマカハ・ビーチパークで何某かのサーフィンイベントが行われているようだったのでしばしその技術を息をのんで見守っていた。尚、このあたりの海岸はサーファーの間ではロングボードの聖地としても有名なのだそうだ。

さらに西海岸線を北上するとカエナ・ポイント州立公園に差し掛かったので適当にBMWを停めて周囲の美しい光景に見入っていた。

ふと♪見つめあうと素直におしゃべりできない♪感覚を覚えたので青空に溶け合った青い看板に目をやるとここは紛れもない津波警戒地域であり、遊泳などもってのほかで浜辺から指を加えて海を眺めるアクティビティが推奨されているようだった。

時間の都合でウエスト・コーストの奥地に踏み込み、マネーの虎が住んでいそうな名前を持つカネアナ洞窟を経てカエナ岬まで到達することは出来なかったが、それは次回の宿題として一旦マリオットに帰還することにした。

人気物件のマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブの予約を取るのは至難の業で、今回2泊分を抑えたものの、2泊目でStudioという狭い部屋に移らなければならなかったのだが、早めに部屋が準備出来たおかげで荷物を移動した後、じっくりとラグーン沿いの敷地を散策させていただくことにした。

熊谷組によって施工された4つのラグーンにはそれぞれハワイ語の名前が付けられており、当時のゼネコン技術の粋を集めて絶妙に配置された防波岩礁によりラグーン内には荒波が入ってくることはないので小さなお子様でも安心な入門リゾートとなっているが、工事期間中は熊の手も借りたいほど忙しかったことであろう。

昨日のチェックイン時にアカネ嬢から別のカウンターに立ち寄るように指示されていたのだが、そこでオカネではなく$125分のバウチャーと引き換えにツアーという名のセールスプロモーションに参加する段取りになっていたので飛んで火にいる夏の虫の気分で約束の午後2時半に指定場所のコナタワーの14階に上がっていった。

FTBがMarriott Vacation Clubデビューを果たしたのは2023年の9月で当時はセールスエグゼクティブのレディの売り込みに気を良くし、最後はどうでも♪ケセラセラ♪というリズムで契約に至ったのだが、今回応対に当たったのは男性だったのが意外だった。マリオットという看板から男性営業もMrs. GREEN APPLE系の優男を取り揃えているのかと思いきや私の前に姿を現したのは♪青いリンゴ♪をヒットさせた実績を持つ野口五郎が年を重ねていったような正統派紳士であった。

当初はすでに使ってしまった$125のバウチャーをまんまとせしめるための茶番リスナーに徹するつもりであったのだが、Higaと名乗るLiLiCo系のセールス・ディレクターの参戦により購買意欲に火が付いてしまっている自分がいた。契約の決め手になったのはHigaが何気なく発した一言で彼が野口五郎由来ではなくKEIO Boyだという事実であったが、もしかすると♪私鉄沿線♪の仮面を被った京王電鉄かも知れないという一抹の不安は残っていた。

契約担当者の業務が立て込んでいたので午後6時の再会を約束して一旦解散となった。帰り際の窓辺からマリオットの隣の敷地がまだ空き地のままである様子が見て取れるのだが、ここでは1999年にハワイでデビューを飾った嵐の15周年記念ライブが2014年9月に「ARASHI BLAST in Hawaii」という名のもとに執り行われた実績があるため決して荒らしてはいけない聖地になっているかのようであった。

ワールドカップバレーボールを私物化したフジテレビがイメージキャラクターとしてジャニーズ事務所にV6を立ち上げさせ、波に乗ったその4年後にデビューした嵐がその任を引き継いだ形になったのだが、その後大物アイドルグループとして成長した一方でフジテレビが破綻寸前に陥ってしまっている現状はマサに青天の霹靂と言えるのではないだろうか?

きらめく夕日をバックに奏でられるハワイアンを肴に早めのディナーを堪能した後、多くの契約書にサインするためにコナタワーの14階に戻って来た。私と同じ年齢だが、大学では1年先輩にあたるセールスエグゼクティブに勧められたポイント買い増しプランは今では運命に導かれたものであるという認識で契約書に剣よりも強いペンを走らせていたのだった。

1月12日(日)
12:30発NH181便フライングホヌ機は定刻通りに出発し、程なく挨拶に来たキャビンアテンダントにお帰りなさいと言われ、9時間以上のフライトを行きと同じクルーとともに機上の人となったのはマサに弾丸ツアーの醍醐味のひとつであろう。

1月13日(月)
午後4時半過ぎに成田空港に到着し、次にマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブに帰ってくるときにはアカネ嬢に八王子のソウルフードであるみやこ饅頭を買っていかねばならないと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥103,740 / Passenger
総レンタカー代 ¥38,019
総宿泊費 $31.68(税金のみ)

協力 ANA, ANA Travelers, SiXT, Marriott Vacation Club