昨今のMLB業界は大谷翔平の二刀流復活の話題で持ちきりであるが、大谷がアメリカ野球を粉砕するはるか以前にMLBを切り裂いていた「The Wizard」との異名を持つ痩せっぽちの野球選手がいた。ステロイドで強化された改造人間の群れにユンケル1本で立ち向かうその男の孤高のプレースタイルは非常に中毒性が高く、気が付けば2001年のMLBデビューから先日の殿堂入りまで何回もシアトルまで足を運ばなければならなくなっていたのだった。

2025年8月8日(金)
午前中でさくっと業務を切り上げると、たけし軍団きっての論客の水道橋博士が住んでいるとは限らない水道橋駅まで総武線で移動し、♪闘魂こめて♪の発車メロディーに見送られてイチロ東京ドーム方面へと歩を進めた。東京ドームに内蔵される形で公益財団法人野球殿堂博物館(¥800)がひっそりと開業していたので「殿堂」とはいかに格調高いものであるのかを予習するために入場してみることにした。

奇しくもここでは2025年野球殿堂入り顕彰者にまつわる展示品がクローズアップされており、ささやかではあるが、イチローの栄光の歴史にも触れることが出来るようになっている。



もう一つの特別コーナーは言うまでもなくその魂を野球の神様まで昇華させた長嶋茂雄氏の追悼展示であり、そのダイナミックな生き様が来場者を釘付けにし、「野球は人生そのもの」であることをあらためて思い知らせていた。




サードゴロをさばいて送球後に手をひらひらさせる感覚で流れるように羽田空港第3ターミナルに移動すると21:15発NH118便は定刻通りに出発し、約8時間のフライトで午後2時半過ぎにシアトル・タコマ空港に到着した。富士山より標高の高い独立峰であるマウントレーニアの雄姿を横目に空港からの移動手段であるLink Light railの駅まで移動し、券売機でチケットを買おうとしていたときに係りのおばちゃんから私の目的地であればバスに乗った方が良いとのアドバイスをいただいたので素直に従うことにした。

SOUNDTRANSITが運航する560番のバスが来たので現金で$3支払うとシアトルからワシントン湖を隔てた東側にあるイーストサイドと呼ばれる地域の中核都市であるBellevueに向かった。40分程でBellevue Transit Centerにバスが滑り込むとそこから本日の宿泊先であるInterContinental Seattle Bellevueまで徒歩で移動した。さくっとチェックイン手続きを済ませると日本の夏とは段違いの快適な気候につられて街の散策がてらスポーツバー的なこじゃれたバーのカウンターに腰を下ろし、ビーフとすしのマリアージュを楽しみながら日の長い短い夜を飛び越えていた。


8月9日(土)
Yahoo Japan依存症の弊害がここに来て突発的に発生してしまった。
Yahoo! JAPAN IDは、不正利用や規約違反の可能性があると判断された場合、利用が停止(エラーF001, F004, F006)または一時的に制限(エラーF003)されます。また、ログイン方法の再設定が必要な場合もあります(エラーF007)。
私に襲い掛かってきたのはエラー番号:F003でそのメッセージは「利用規約違反または第三者による不正アクセスの可能性が確認されたため、現在このIDは一時的にログインを制限されています。しばらく時間をおいてから再度ログインをお試しください。」というものでログイン制限が解除されるまでの時間は公開していないとのことであった。
そのインパクトは端的に言うと私の私的なコミュニケーションの基盤となっているYahoo!メールが使えなくなってしまうという悪夢で今回のケースでは頻繁にパスワード変更を要求し、そのためのパスコードの送信先をYahoo!メールにしているTicketmasterからオンラインチケットを引き出し携帯の画面に表示させることが出来ない、すなわち試合が見れないリスクが高まってしまうことに他ならない。
血眼になって色々な情報を精査したところ、ログイン制限解除の時間はまちまちで通常は6~8時間、場合によっては数日のケースもあるとのことであった。今日の試合の球場のゲートオープンの時間から逆算して何時までに解除されなければ悲劇になるというデッドラインを割り出し、Yahoo JapanヘルプセンターのAIに問題解決させようとする安易なスタンスの背後に埋もれているメールアドレスに苦情と救済を申し入れ、同時にTicketmasterで新しいアカウント立ち上げ、チケットを買いなおす等のバックアッププランさえ浮上し始めていた。
心の平穏を取り戻すためにBellevueの街中を練り歩き、湖上のウォーターアクテビティを横目に無為に時間をやり過ごしていた。私の陳情が功を奏したのかどうかわからないが、午後3時過ぎにログイン制限は解除されたのでイチロBellevue Transit Centerのバス乗り場で51の背中を追って550番のバスに乗り、ワシントン湖にかかる浮橋を渡ってシアトルのダウンタウンに入っていった。



King Station近辺でバスを降りるとシアトル・マリナーズの本拠地であるT-MOBILE PARKに通じる道筋はマサにイチロードと化しているかのごとく51団体の行進で埋め尽くされていた。球場の正面入口前には殿堂入りの先輩であるKen Griffy Jr.とEdgar Martinezの銅像が立ち並び、選手時代の最も美しいシルエットが躍動感と共に永久フリーズされている様を確認した。




今夜は「Ichiro Number Retirement Ceremony Night」という名のイベントが試合開始に先立って開催されるため、早めに入場ゲートが開放されたので観客は堰を切って場内に流れ込んで行った。まずは腹ごしらえのためのジャンクフードを物色したところSUMODOGというイチローの体系に反比例する看板が目についたのでメニューを見たところ値段が横綱級だったので断念し、ビールとピーナツのダイエットセットに落ち着いた。

セレモニー開始前に場内のコンコースを一周し、イチローがすでにマリナーズ球団の殿堂入りしている様子をしかと確認し、Team ShopでイチローのHall of Fame入りを祝福するTシャツやグッズを物色したのだが、トランプ関税の影響なのかTシャツの価格はどれも$40を超える高値になっており、イチローどころかイチ大事の様相を呈していた。



イチロー人気を反映するように高騰したこの日のチケット代であったが、$166という高値の支払いにもかかわらず私の座席はライトポール近くの最上段に近いリモート地帯だったのでセレモニー開始前に何とかバックネット裏の最上段通路の壁を背にする好位置に体をねじ込ませ、そこからICHI-METERによる開始までのカウントダウンをマウンド後方のユンケルメーカーのsatoのロゴと共に静かに見守っていた。




SHOW TIMEの合図が告げられ、センターのゲートがオープンするとスーツ姿のイチローが出現し、センターフィールドに刻まれた巨大なエリア「51」を颯爽と通り抜け、球団のVIPやマリナーズのレジェンドが参列するステージに厳かに進んで行った。





参列者ひとりひとりとハグを交わした後、定位置の演台につくと左中間スタンド後方の永久欠番の除幕式が華々しく執り行われた。




場内の盛り上がりメーターがレッドゾーンを振り切ると待望のイチロー氏の演説の火蓋が切って落とされた。推敲に推敲を重ねたはずの原稿を流暢な英語で読み上げ、時折ユーモアを交えたコメントの後には場内には爆笑の嵐も吹き荒れ、後半には弓子夫人をはじめとする支援者への感謝の辞が述べられたのだが、チチローこと鈴木宣之氏に対する謝辞は含まれていなかったのだ。

健全な大人のたしなみである「飲む!打つ!買う!」ための資金を息子の打撃の基礎技術構築のためのバッティングセンターでの「打つ!}につぎ込んできたチチローにとってはまさかのスルーの仕打ちであり、地元の名古屋で涙の味噌煮込みうどんをすすってはいないかという余計な心配をよそにセレモニーは喝采とともに終了し、速やかにゲーム開始へと流れて行った。
アメリカン・リーグ西地区の首位争いを展開しているマリナーズとタンパベイの3連戦の2ゲーム目は7時前にプレーボールとなったのだが、イチローのHall of Fameに展示される殿堂の額が特別に来場者に公開されるということで多くのファンは試合そっちのけで展示コーナーまで長蛇の列を作っていた。



体感的に1時間くらい並んだ後、待望の額との記念写真の瞬間が訪れたのだが、撮影係りの人が私のソニー製のコンデジの使い方に疎いためかメモリーにその記録は残っておらず、今夜のマリナーズの勝利とは裏腹に涙を飲む結果となってしまったのだった!ちなみに今夜の観客数は45,249人と発表されたのだが、そのほとんどはイチローの生演説が目的であったろう。



8月10日(日)
昨夜のセレモニーの祝辞でマリナーズの球団社長が2026年にイチロー氏の銅像を建立する計画を発表したのだが、その色合いもユンケルのパッケージと似たものが予想されるため、バットを立ててど~ぞ~よろしくとピッチャーを見据えるその美しいシルエットがマサにシアトルの黄帝として君臨したあかつきにはまたシアトルに来なければならないと考えながら時差ボケ明けのの朝を迎えた。
今日は早めに球場に赴かなければならない理由により午前9時過ぎにはホテルをチェックアウトし、昨日と同じ手順でT-MOBILE PARKに向かった。開門前の球場周辺には既に長蛇の列が出来ていたのだが、その目的は「Ichiro Hall of Fame Plaque Day」と称するイベントで先着2万人のファンに無償提供されるイチロー氏の殿堂入りの額のレプリカを命がけでゲットすることに他ならない。


今日は昨夜のような記念写真が撮れていないというしくじりもなく、首尾よくレプリカを入手出来たので気楽に安い席での試合観戦に臨むこととなったのだが、この時期シアトルで一番多忙なイチロー氏は今日も球場に駆け付け「会長付特別補佐兼インストラクター」という日常業務を遂行する傍らで始球式にも登場することとなっていた。

今日の始球式は新旧51番の競演で新51番のイチロー氏がキャッチャーに扮装した剛球左腕投手の旧51番ランディ・ジョンソン氏にレーザービームをお見舞いするという趣向で、来年にはマリナーズの51番はイチロー氏だけでなく、ジョンソン氏との連名の永久欠番となることが確定しているのだ。

レーザービーム球が無事にジョンソン氏のミットに収まると漫才師のオール阪神巨人をほうふつとさせる身長差を気にすることなく笑顔で記念撮影に応じ、この日のメインイベントは無事終了となったのだ。


おまけの試合の方は午後1時過ぎにプレーボールとなり、ヤンキースのアーロン・ジャッジや大谷を凌ぐホームランの量産体制を誇っている重労働キャッチャーでスイッチヒッターのカル・ローリーの3試合連続45号本塁打で見事マリナーズが3連勝を飾り、イチローお祝い週間に花を添えたのだった。ちなみのこの日の観客数がわずか37,434人で伸び悩んだのはIchiro Hall of Fame Plaqueが2万人限定での配布にとどまったからであろう。




地元シアトルでのIchiro Weekの連戦を見事な6連勝で飾ったマリナーズファンの熱狂も冷めやらぬ中、軽く祝杯でも挙げるためにパイクプレイスマーケットに向かった。お馴染みのスターバックス1号店は相変わらず聖地巡礼の賑わいで近寄りがたかったので数軒先のカジュアルなシーフードレストランでフィッシュアンドチップスを肴にクラフト系のビールで乾杯した。




シアトルダウンタウンからバスでBellevueに戻り、ホテルで荷物をピックアップして560番のバスでシアトル・タコマ空港に移動した。23:40発UA2019便は定刻通りに出発し、約5時間余りを移動手段兼宿泊設備となった機内で過ごしていた。
8月11日(月)
午前7時過ぎにワシントン・ダラス空港に着陸すると流れるようにUA2295便に乗り換え、9時半前にニューアーク・リバティー国際空港に到着した。早速NJ Transit列車でマンハッタンのPenn Stationに移動し、昼前にはニューヨークでの宿泊地であるMarriott Vacation Club (MVC), New York Cityにたどり着いた。タイムズスクエアに程近いMVCは外装工事中でエンパイアステートビルを眺望出来る部屋を予約したにもかかわらず、工事の足場に妨害されていたのでビジネスホテルと同等の広さを持つ部屋の中ではサイレン等の騒音を子守歌に静かに過ごすしかなかったのだ。

ニューヨークで入浴出来ないシャワータイプの部屋だったが、昨夜の睡眠不足を補うことが出来たのでミッドタウンからセントラルパーク付近までぶら散歩をかますことにした。関税戦争でババを引くのは誰なのかと考えていると目の前にTRUMP TOWERが出現したので1年ぶりに入ってみることにした。45代大統領であることを誇示するコーナーは昨年と変わらず賑わっていたのだが、47代に関してはまだ準備が出来ていないようでアパレル土産の前面にわずかに47の文字が確認出来るにとどまっていたのだった。




8月12日(火)
わざわざシアトルから飛行機を飛ばし、大陸を横断してニューヨークくんだりまで来た目的を実現するために午前7時にMVCに程近いHerzレンタカーのマンハッタン営業所に向かった。その目的とはマサに殿堂入りすることであったのだが、私に与えられた車は電動車ではなくフォルクスワーゲンジェッダというガソリン車であった。
大都会マンハッタンを北上後、ニューヨーク州の郊外を抜け、さらに州都のアルバニーから西に進路を取ると4時間程度のドライブで片田舎のクーパーズタウンに到着した。早速パーキングメーター式の無造作な駐車場に車をねじ込むとイチローの看板を頼りに
「National BASEBALL HALL OF FAME AND MUSEUM」(https://baseballhall.org/)にたどり着いた。



初めてここを訪れたのは23年前の2002年1月で当時の入館料は$9.5だったのだが、今では大人は$30を支払わないと入ることが出来ないのだ。

館内はHALL OF FAMEとMUSEUMの2つのゾーンに分かれているのでまずは年代別に殿堂入り者の額が分けて展示されている殿堂地帯からじっくり見ていくことにした。殿堂は1936年から始まったものでベーブ・ルースやタイ・カッブ等の初年度の対象者はThe First Classとして別格の扱いを受けている (https://www.baseball-reference.com/awards/hof.shtml)。


一通り殿堂者の額を見て回った後、MUSEUM地帯に分け入ったのだが、2025年殿堂入り者に対しては特別の展示コーナーが設けられ、イチロー氏の歴史は愛工大名電まで遡られていたのだ。

また、期間限定で日本のYAKYUとアメリカのBASEBALLの交流の歴史が掘り下げられており、文化の違いを超えて技術や選手を輸入/逆輸入し、切磋琢磨してきた様子に多くの米国人が感銘を受けている様子であった。中でも呪い好きの米国人にとって欠かせないネタとして「KFCの呪い」が紹介されていたのだが、彼らにとってはアメリカの鳥王であるカーネル・サンダースを道頓堀どぶ川に沈める行為など大統領の暗殺に匹敵する愚行にしか思えないはずであろう。




MUSIUMの一般展示エリアには様々な記録を彩る遺品が数多く展示してあった。中でも私の目を引いたのはイチロー氏のシーズン最多安打の目撃証人である純正ICHIMETERや一時連続試合出場の世界記録を持っていた広島カープの衣笠のスパイク、Ricky Hendersonがシーズン最多盗塁の記録を打ち立てたときに履いていたMIZUNO製のスパイク等であった。




素晴らしい記録を打ち立てながら殿堂入りが許されない名選手にも多少のスポットライトが当てられている様子で、ドーピングによりショッカーの専売特許である改造人間認定されたはずのサミー・ソーサやマーク・マグワイアのグッズも反面教師的な役割を果たしていた。




昼飯時に一度退館し、チーズバーガーで腹ごしらえした後、「野球誕生の地」と呼ばれるのどかな田舎のクーパーズタウンの野球インフラの様子を垣間見ることにした。DOUBLEDAY FIELDは簡素な草野球場の様相を呈してはいるが、MLBの奉納試合も開催される野球の神様があらせられる聖地のはずである。その傍らには日本のバッティングセンターに匹敵するBATTING RANGEが開業しており、木製バットの工房ではイチローが現役時代一度も型を変えることがなかった篠塚モデルの削り出しも可能であろうと思われた。




街と野球が抱き合わせとなっているクーパーズタウンのメインストリートを一通り見物した後、HALL OF FAMEに再入館し、あらためて野球の名士が居並ぶ殿堂の額の展示場をじっくりと見て回った。先週シアトルのT-MOBILE PARKに出張していたイチロー氏の額も無事所定の位置に収められていたので落ち着いてその殿堂入りの説明文と向き合った。そこには並外れた自己管理と比類なきバットコントロールといった美辞麗句が並んでいたのだが、ユンケルパッケージ色に彩色されたその表情は元楽天監督の今江と見まがうほどで、きっと前世では双子の兄弟であったろうと思ったのは多くの見学者の中で私だけのはずである。



午後3時過ぎには自らゲームセットを宣言してクーパーズタウンから退場するとイチロ、マンハッタンへの帰路を急いでいた。往路と同様4時間くらいかけて帰還し、レンタカーを返却してMVCに戻ってきた。部屋からはエンパイアステートビルの美しい眺望は望めないので最上階のバーで高値のビールを飲みながら今後はここを定宿にして見慣れた景色にするべきかどうか考えていた。


8月13日(水)
昨日のクーパーズタウンへの遠征で全精力を使い果たしていたのだが、せっかく♪わ!ニュ~~ヨ~~ク♪にいるのでお上り観光もかましてみることにした。
午前11時にMVCをチェックアウトして地下鉄でロウアー・マンハッタンに向かった。お金の匂いがする方に歩いていくと匂いの元は猛牛のGolden Ballsのようで成金を目指す輩はそのお宝を掴んで玉のような笑顔を浮かべていた。


ウォール街にあるニューヨーク証券取引所ビルの向かいに設置されている「恐れを知らぬ少女」は最高値を更新したダウ平均株価を背景により一層その存在感を高めているようだった。




もはやグランドゼロとは呼ばれないワールドトレードセンターを抜けてブルックリン・ブリッジから自由の女神の遠景をカメラに収め、チャイナタウンとリトルイタリーのビルの構造がどれも典型的な非常階段をファサードに設置していることに何となくノスタルジックな感情を覚えると再び地下にもぐってミッドタウンに向かった。




地上に出た目の前には「アメリカ横断ウルトラクイズ」の聖地であるMetLifeビル(旧PANAMビル)が立ちふさがり、思わず55歳で保険金を払い終えたメットライフアリコの終身保険の保険金受取額と解約払戻金の比較シミュレーションが走馬灯のように脳内を駆け巡った。

♪君はロックなんか聴かないと思いながら♪ロックフェラーセンターをスルーして地下鉄で向かった先はニューヨーク・メッツの本拠地であるciti FIELDであった。おばけフォークでバッターに呪いをかけ、エースへと大化けした千賀の登板予定は明日だったので今日は一番安い$10そこらのチケットを手にスタジアムに入って行った。


千賀は♪ロックなんか聴かないと思うけれども♪彼の登板の際にはHiromi Goの全盛期の楽曲である♪お化けのロックンロール♪で♪イヒッヒ ヒーヒヒ イヒ イヒ♪と盛り上げようと思っていたので残念な日程であった。


午後7時の試合開始1時間前からスタジアムは雷雨に見舞われ試合開始時間が未定となったため、泣く泣くスタジアムを後にした。チケット代$10が無駄になったと思いきや、入場時にメッツのマスコットとして君臨しているミスター・メッツの配偶者であるはずのミセス・メッツの首振り人形をもらっていたので転んでもただで起きない状況ではあったのだった。ちなみにメッツ夫妻は気づいていないかもしれないが、日本には彼らの子供に相当するはずのミスター・チルドレンがinocent worldでシーソーゲームにうつつをぬかしているのだ。



一旦荷物引取りにMVCに戻った頃には雨は上がっていたが、帰りの便に間に合わせるためにそそくさと地下鉄でJFK空港へと急いでいた。
8月14日(木)
深夜のラウンジで夕食を掻き込み、アルコール濃度を上げた状態で搭乗すると丑三つ時の2:00発NH159便は定刻通りに出発し、チチローにしてみれば孝行息子のイチローはすでにsatoに養子に出したものと割り切っているのではないかと考えながら14時間余りを機内で過ごすこととなった。

8月15日(金)
鈴木一朗という何の変哲もない名前が唯一無二のカタカナのイチローになった感慨を胸に流れ解散といきたいところだが、午前5時に羽田に到着するとイチロ会社に出社し、イチローが頑なに守っていたルーティン生活に戻って行ったのだった。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥347,120
総宿泊費 $663.17
総バス代 $15
総NJ Tranjit代 $17
総地下鉄代 $14.5
総 JFK AirTrain代 $8.5
総レンタカー代 ¥13,270
総ガソリン代 $52.17
総高速代 &52.58
総走行距離 441マイル
協力 ANA、ANA Travelers、Hertz、IHG、Marriott Vacation Club、Ticketmaster.com






















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































