FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 軍艦島

♪ポルトガル人がっ、ながさきへ~~~ カステラ (カステラ) カステラ (カステラ) めいげつど~の カ・ス・テ・ラ~~♪
♪おおきく切って おおきく食べよう カステラは めいげつど~~~♪

ちゅうこって長崎へ行かないけん理由はカステラだけやのうて最近世界遺産になりよった長崎の産業革命遺産もよかごとあるけん気候もようなった10月に見物ばかますことにしたんよ。

2016年10月15日(土)
9:55発ANA3733便はソラシドエアとの共同運航便でソラシドいいよるわりには機内のオーディオ設備は整っとらんごとあった。仕方ないけ不貞寝ばしちょったら昼過ぎには長崎空港に着いっちょったんよ。早速ニッポンレンタカーでいっちゃん安いスズキのワゴンRをレンタルすると、とりあえず腹がへっちょたけ長崎市内へ乗り込むことにしたんよ。

新地中華街の宝来軒いう中華料理屋の店構えがよかごとあるけん特製ちゃんぽん(¥1600)ば食してみることにした。さすがに特製いうだけのことはあってちゃんぽんと言えどもちゃらんぽらんには作っとらんごとあった。

腹もそこそこ膨らんだごとあったけ、長崎市を出て「ねんりんピック」いう老齢者にむちば打たせるイベントが行われちょる諫早市を抜けて雲仙に向かうことにしたんよ。狭い山道をぐるぐる登りよったら卵の腐った臭いが段々きつくなりよるごとあった。雲仙温泉街をスルーして今晩のお宿になっちょる「ゆやど雲仙新湯」にチェックインすると、とるものもとりあえず周辺の調査に出ることにしたんよ。

雲仙温泉のメインスポットとして雲仙地獄が君臨しよるごとあるけ、それがどれほどの苦しみを与えちょるんかいっちょ見てやることにした。雲仙の古湯と新湯の間の白い土(温泉余土)におおわれた一帯が雲仙地獄なんやけど地獄の名にふさわしくキリシタンを弾圧した痕跡が残っちょるごとあった。

壮絶な運命に翻弄されたキリシタンの♪現在過去未来♪に思いを馳せながら地獄の迷い道をくねくね歩きよったら「真知子岩」いう石碑系のオブジェがあったんやけど渡辺真知子とは特に関係は持っちょらんごとあったけ、♪ブルー♪な気持ちでここを後にせんといけんかった。

湯煙舞い上がる木歩道を歩きよったら温泉神社に出くわしてしもたけん、パワースポットの夫婦柿で厄ば落としてホテルに帰り、地獄から天国モードに切り替えて温泉ば堪能させてもらったんよ。

夕食の御前にはビールは付けてもらったんやけど、メニュー表に書いちょった日本酒や焼酎の値段がやけに高かったけん、必然的に夜のちゃんぽんは避けられよったんよ。

10月16日(日)
雲仙温泉を後にして長崎市内に戻る道すがらに長崎カステラというのぼりに引き付けられるように旅の駅千々石展望台に寄らないけんごとなった。雲仙普賢岳を見上げる展望台からは龍馬も見たはずの絶景ば目にすることが出来たんよ。

土産物屋に入るとムツゴロウ水槽のその奥のカステラ工場が甘い匂いを漂わせ、試食でつまんだ蜂蜜カステラが美味やったんで思わず一番安いやつを買うことにしたんよ。さらにびっくりぽんやったんはTOKIOを中心とした鉄腕ダッシュのロケ隊がソーラーカー団吉の撮影でこのカステラ工場の仕事の邪魔をしに来とる様子が誇らしげに紹介されちょったことやった。

長崎の歴史を語るうえで避けて通れんのは戦争と平和の話になるんやけど、長崎市内に戻ると早速平和公園で祈りば捧げさせてもろたんよ。園内でまず目に付いたんはまるで♪憂鬱など吹き飛ばして♪と言うちょるかのようにYMCAの「C」のポーズを決めようとしちょるごとある平和記念像やった。

さらに長崎原爆資料館(¥200)に入館し、洋式便所の正しい使い方ば学習した後、長崎型原爆ファットマン等の展示物を直視しながら次回はもっと時間をかけて見学ばさせていかんと肝に銘じよったんよ。

石炭が”黒いダイヤ”と呼ばれていた頃、炭鉱はマサに命綱のごと日本の文明開化と高度経済成長を支えちょった。その歴史的遺産を「ブラックダイヤモンド」というクルーズ船で巡る軍艦島上陸クルーズにあらかじめ予約を入れちょったんで満を持して乗船させていただく運びとなった。

多くのねんりんピック流れの参加者を乗せたブラックダイヤモンドは定刻午後2時に元船桟橋を出航すると三菱重工の現役造船遺産が居並ぶ長崎港内を疾走した。世界遺産に登録されているジャイアント・カンチレバークレーン等のファシリティを横目に船は最初の寄港地である高島に向かって行った。

高島に上陸し、早速鬼瓦ヅラの三菱創業者である岩崎弥太郎に挨拶すると高島石炭資料館の前に設置されている軍艦島模型を使ってオリエンテーションが行われたんや。資料館自体にも貴重な品々が展示されちょるんやけど、特に純度の高い黒いダイヤや炭鉱夫が描いた炭鉱夫像の目が鋭い輝きを放ちよるごとあった。

30分程の滞在で高島を出航し、火葬場のなかった軍艦島の死者の魂を弔うための島を過ぎると目の前に「いかにも廃墟ばい」と主張しちょるごとある建物が迫ってきた。

軍艦島は長崎県長崎市高島町端島の俗称で戦艦「土佐」に似ちょることからそう呼ばれるようになったそうなんよ。クルーズ船はご丁寧にも島が戦艦の形に見える場所まで移動してじっくりと撮影するチャンスば与えてくれよった。

島をぐるっと一周しよる間に他のツアーグループの船が桟橋から離れるとブラックダイヤモンドが着岸する順番になりよった。かつて栄華を誇った帝国のような軍艦島に一歩足を踏み入れるとガイドの説明とともにこの島の現在過去未来の光景が早回しで流れていくごとあった。

上陸ツアールートは島の西側の一部に限られとるけん、迷い道をくねくねすることはないんやが、歩きスマホや歩き写真は禁止されとるごとあった。その理由は上陸客がようけ一斉に歩きよって写真撮りよる奴がつまづいて将棋倒しを起こした教訓からなんよ。

ところで、軍艦島は幅160m、長さ480m、周囲1.2kmで面積に至っては東京ドームのグラウンドおよそ5個分しかなく、最盛期にはその狭い空間に約5,200人もの人々がひしめきあい、当時世界一の人口密度を誇った東京の9倍の人口密度やったそうなんよ。しかしその中は当時の最先端の技術や流行で埋め尽くされており、鉄筋コンクリートの高層ビル、封切映画が上映される映画館、給料の高い炭鉱夫から金を巻き上げるためのパチンコ屋や娯楽場、さらに各家庭にはすでにテレビが導入されちょったんよ。

島の西側の見学地点からは大正5年に建立された日本初の鉄筋コンクリート造りの高層集合住宅も確認出来、このビルは日本コンクリート工学会の垂涎の的にもなっちょるそうや。しかし軍艦島周辺の海は波も荒く、周囲のビルは防波堤の役割も兼ねているため、建造物は自然荒廃しており、このままの姿で保存するんは日本が誇る最新の技術をもってしても困難やと言われちょるわけたい。

見学ルートに赤レンガの廃墟があるんやが、これは三菱石炭鉱業の事務所棟でその隣に階段が見えるんやが、雨が降るとこの階段が黒光りするそうなんよ。この階段は第二竪工入坑桟橋と言って炭鉱夫達は日々この階段を登って四角いリングのようなリフトに乗り、東京スカイツリーの高さを超える660mの距離を2分くらいで一気に降りてさらに1km以上先の坑道へと進んで行ったそうや。坑道内の温度は40℃、湿度は90%を越えたため、坑道に着いてまずせなならんかったんは炭鉱夫の健康チェックやったそうや。

前日の作業で怖い目にあった炭鉱夫は次の日に膝が震えて階段を登れんくなったそうで、隣の小学校から聞こえる子供の声を聞いて勇気を振り絞って作業に向かったそうなんよ。マサに家族のために命がけで仕事をしよったちゅうこっちゃ。

端島炭鉱は1974年1月15日に閉山となり、この年の4月20日にすべての島民が島から離れ、軍艦島は無人島となって今に至るんやけど、上陸ツアーのほとんどには元島民も参加しよるということで繁栄時の面影は今も人々の心の奥に残されとるちゅうことや。

ツアーも無事終了し、そそくさと長崎空港に戻ると空港にインストールされちょる牡丹という中華料理屋で名物皿うどんの固麺を喉に突き立てることなく完食すると18:55発ANA670便へ東京へと帰って行ったんよ。

FTBサマリー
総飛行機代 ANA = \44,180
総宿泊費 ¥31,320(2食付き)
総レンタカー代 ¥7,476
総高速代 ¥2,690
総ガソリン代 ¥1,275
総軍艦島上陸クルーズ代 ¥3,600

協力 ANA、ソラシドエア、ニッポンレンタカー、楽天トラベル、軍艦島クルーズ株式会社

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