2019年3月21日、46,451人の大観衆を呑み込んだ東京ドームは途中から異様な雰囲気に変わった。日本が誇るサムライメジャーリーガーのイチローが今日の試合をもって引退するという記事がネットで流れると球場内はにわかにざわつき始め、92,902個の目はイチローの一挙手一投足に釘付けとなった。やがて試合が終わり、選手たちがベンチ裏に引き上げた後も多くの観客が場内に残り、誰もがイチローが再びファンの前に姿を見せるであろうことを疑っていなかった。
感動の東京ドームセレモニーから6ヶ月の月日が流れ、マリナーズはアメリカン・リーグ西地区の最下位を独走し、イチローの思い描くマリナーズの復活とはならなかったが、Ichiroの長年の貢献に敬意を示すためにシアトルでIchiro Celebration Nightなるイベントが開催されることとなった。
FTBではIchiroがメジャーデビューした2001年以来その活躍を現地で見守ってきたのだが、今回最後のお披露目ということで急遽飛行機を飛ばしてシアトルまで弾丸ライナーツアーを敢行することとなった。
2019年9月13日(金)
今回のツアーでは東京ドームホテルでのイチロー会見から一夜明けた3月22日にイチローと弓子夫人を乗せたANA運行の成田→シアトル直行便(搭乗ゲートはANAの粋な計らいで51とされた)は使わずに21:55発NH116便羽田発バンクーバー行きに乗り込むと約8時間のフライトでバンクーバーに到着後、ワンバウンドではあるが、Air Canada運行のAC8093便プロペラ機に乗り換えてイチロ、シアトルに向かった。中秋のように肌寒いシアトルに20時前に到着すると空港に隣接されているCrowne Plaza Seattle Airportホテルにチェックインし、今晩の試合でマリナーズの投手陣を背負って立つはずの菊池雄星がノックアウトされた事実に愕然としながら床につくこととなってしまった。
9月14日(土)
正午前にホテルを出て目の前を走るT-LinkというLight Railでシアトルのダウンタウンに向かった。思えばFTBが初めてシアトルを訪れたのは1998年の7月で当時ニューヨーク・ヤンキースのエースであった故伊良部秀輝氏の快投を目の当たりにするために留学先のサンフランシスコからわざわざやって来たのだった。当時の球場The King Domeは密閉式ドーム球場で傾斜の急なアッパーデッキにへばり付いて伊良部が三振を取るたびに大きな声援を送っていたのが昨日のことのように思い出される。
ダウンタウン到着後、お約束のPike Place Marketで生鮮魚を見て気持ちを落ち着かせ、その足で長躯ダウンタウン南のT-MOBILE PARKに向かった。球場前のカフェで遅い昼食を取りながら、開門前のゲートに集まるファンの群れ具合を観察し、いい具合を見計らってHome Plate側のGateに回り込み、Ken Griffy JR.の銅像に拍手を打ち、行列の一部となった。
午後4時過ぎに待望の開門となり、先着2万名に配られるIchiro首振り人形を手にしたファンは宝物を抱えるようにして球場内に入っていった。首振り人形は今春の東京ドームでのイチローのファンへの別れをモチーフにしているのだが、白髪が目立つ本人の写真とは異なり、人形の方の短髪は黒く染められていたのであった。
5時45分開始のセレモニーまで時間を持て余していたので球場内スタンドの裏側をじっくりと見て回ることにした。チームの歴史を伝えるコーナーでは数多くのIchiroのBaseball Gearが展示され、ミズノやアシックスの宣伝に一役買っている。
自分の席に戻り、ライトスタンド方面に目を向けると筋金入りIchiroファンであるエイミーさん手作りのICHI-METERが最後のお勤めを果たすようにフルラインアップで展示されていた。
国歌斉唱が終わるとマウンドの前に重役用の椅子が並べられ、スーツ姿のマリナーズの役員の面々とScott Servais監督を先頭にユニフォーム組が続々と姿を現し整列した。バックスクリーン後方の巨大モニターにはIchiroのマリナーズ入団以来の活躍がダイジェスト版となって映し出されていた。2001年にIchiroがMLBという未知の世界に足を踏み入れた時にはメジャーで成績を残すことに関しては疑いを持たなかったが、それ以上にメジャーのスーパースター達をギャフンと言わせるほどのセンセーションが見たかった。それが現実となり、期待以上のパフォーマンスで引退までひた走った姿はちっぽけな国の国民栄誉賞程度では到底報いきれないものであろう。
シーズン終盤の消化試合ということもあり、全席Sold outというわけにはいかなかったが、Last Ichiroの勇姿を目に焼き付けておきたい日米の熱狂的ファンがIchiroフロントのLower Levelの内野席をすし詰め状態にしていた。ちなみにこの日の観客数は26,063であった。
大歓声とともに姿を現したIchiroはお馴染みの背番号51番のユニフォームを身にまとっており、球団関係者および来賓であるマリナーズのレジェンド、Ken Griffy Jr., Edgar Martinezと握手を交わしていた。やがてIchiroの名も彼らと並び称されるべく、この球場に永久に刻みつけられることが約束されているのだ。
固唾を呑んで見守る大観衆の前でFranchise Achievement Awardを受賞したIchiroの挨拶の時間となった。異様な雰囲気の中で脳内が白化し、話の内容が飛ばないように配慮したIchiroは事前準備していた原稿を前にして流暢な英語でシアトルおよび日米のファンへの感謝の意を表してくれた。
Ichiroの挨拶終了後はバタバタと記念写真撮影に移行し、その後ファンに惜しまれつつグラウンドを後にした。
ほどなくしておまけの試合が始まったのだが、今日はマリナーズのKingであるFelix Hernandezの登板日ということで所定のエリアに席を取っている観客は無償で配布される黄色いTシャツを着てしきりに黄色い声を上げていた。私服に着替えたIchiroも弓子夫人と一緒にスタンドに陣取り試合の行く末を見守っていたのだが、Ichiroの面子を潰さないように奮起したマリナーズは延長戦でサヨナラ勝ちを収め、お別れのメッセージに変えていたようであった。
9月15日(日)
Ichiroイベント週末の最終日である今日の試合は午後1時15分開始であり、本日の催しはIchiro Replica Jersey T-Shirt Dayと称し、先着1万5千人にTシャツが配られるということなので開門直前に球場に駆けつけた。今日はIchiroのお披露目はなしということで昨日ほどの行列ではなかったのだが、最終的には17,091人の観客で客席の約35%が埋め尽くされた。
場内に入場し、Tシャツを受け取ると早速どんなものか確認すべく広げて見るとそれはマサにユンケルの野望が刻まれたシャツだったのだ!ICHIROの名前の上にはスポンサーのSATOのロゴが目立つように配置され、一見すると鈴木一朗が佐藤一朗に成り代わったような印象さえ与える代物となっていた。この状況に納得できない私はすぐにチームショップに駆け込み、IchiroのTシャツを買いあさって溜飲を下げることにしたのだが、この反応もすべてSATOとマリナーズがグルになって仕組んだ陰謀の結果なのであろうかとさえ思われた。
グラウンドでは試合前にラテン系の民族衣装を着た踊り子によるダンスが繰り広げられ、試合の方は昨日に引き続きマリナーズがサヨナラ勝ちを収め、その瞬間は最高の盛り上がりとなった。佐藤製薬との競演を果たし、永久欠番が約束されたマリナーズの51番はIchiroとともに208cmの長身左腕ビッグユニットであるRandy Johnsonとの連名になるはずであろうが、Randy SATO Johnsonに成り下がることは避けられるであろうかと考えながらT-MOBILE PARKを後にした。
Ichiro引退後はシアトルに来る機会はなくなるかも知れないという郷愁の思いから、今日もPike Place Marketに足が向かった。栄光のスターバックス1号店でパイクプレースローストでも買って帰ろうかと思ったが、やはり帰国してから買うことにした。International Districtやスタジアム周辺はSODO(South of Downtown)と呼ばれている地区で相変わらずホームレスが多く、怪しげな雰囲気が醸し出されている。シアトルがお膝元となっているMicrosoft, F5 Networks, amazon.com, T-MobileとITやAI化が進み、Downtown北部は近代化が加速している一方で増加する失業者はレトロな雰囲気のSODOに押しやられ、ストリートライフを余儀なくさせられているという光と影を感じながらLast Ichiroシリーズは幕を閉じたのだった。
9月16日(月)
11:25発AC8092便でシアトルからバンクーバーに向かう空路は概ね晴天でシアトルがエメラルドシティと言われている所以を噛み締めながら別れを告げた。NH115便は定刻16:25に出発となり、一路羽田空港へと向かっていった。
9月17日(火)
飛行機が着陸態勢に入ると折りからの曇り空は虹色に変わった。Ichiroが今後、元カタカナのイチローと呼ばれるようになっても日米の架け橋として日本人メジャーリーガーのレジェンドとなった功績は決して忘れ去られることはないと思いながら流れ解散。
FTBサマリー
総飛行機代 ¥145,360
総宿泊費 $477.24
総T-Link代 $12
協力 ANA、Air Canada、IHG