それが起こったのは4月15日(水)会社からの帰宅途中に暗雲から雨がしたたり落ち始めた黄昏時であった。
とある住宅街に隣接する小学校の正門前の狭いT字路で歩道から別の歩道に移るために細い車道を横切ろうとした私の右側から突然郵便配達のバイクが突っ込んできた。元々グルコサミンやコンドロイチン不足で痛みを抱えている左ひざを庇いながらゆっくり歩いていたのだが、抜群の反射神経で急所を外したとはいえ、右前腕と右ひざに強い衝撃を受け不覚にも道路に転がされてしまったのだが、幸いにもバイクは無傷であったのだ。
事故発生時のマニュアルをたたきこまれているはずの郵便配達員は即座に警察と自分が所属する郵便局に電話を入れ、さらに救急車を呼ぼうとしたのだが、切手を貼っていない私を病院に配達させるわけにはいかなかったので、現場検証が終わると左ひざと右ひざの二足流のダメージを負ってしまった体を引きずりながらその日は帰宅したのだった。
翌朝自宅近くのやぶ整形外科の映し出すレントゲン写真がひざ周りの骨格や靭帯のしぶとい強さを証明してくれたので後は歩行時に発生する激痛をマネージメントすれば生きていけるはずなので杖をついている歩行者に抜かれて心が折れそうになっても事前に立てていた計画を死守するために飛行機を飛ばしてアメリカのセンターまで飛躍する決断が下されたのだ。
2026年4月30日(木)
両ひざの痛みは一進一退が続いているものの整体師の電気針で電流火花を体に走らせてきたおかげで♪スイッチ・オン ワン・ツー・スリー♪のキカイダーとまではいかないものの肉体は確実にチェンジしているはずである。

10:40発NH112便は定刻通り羽田を出発し、約11時間のフライトで同日午前8時半にシカゴオヘア空港に到着した。入国審査や通関をつつがなく通過すると10:30発UA5405便に乗り換えるためにターミナルを移動した。同便は機材のコンピューターの不具合で1時間の遅れを出したものの大勢に影響なく午後1時過ぎにはミネアポリス・セントポール国際空港に到着した。空港からはMETRO Blue Line ($2)にさくっと乗ると30分もかからずにミネアポリスのダウンタウンにたどり着くことが出来たのだ。
終点のTarget Field駅でMETROを下車したのだが、あたりは閑散とした様子だったのでその足で今日の宿泊地でHilton Honorsのポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るHampton Inn & Suites Minneapolis/Downtownにチェックインして体制を整えていた。




今回はレンタカーは使わずに公共交通機関を軸にした移動となるわけだが、浮いたお金でセグウエイやローラスルーゴーゴー等をレンタルして足の負担を減らすべきかと考えたのだが、手配の仕方がわからなかったので不自由な足を効率的に使うしかないと割り切った。

Midwestと言われる保守的なアメリカ中西部の一角を形成するミネソタ州は大河ミシシッピの源流を持ち、その川の流れが大きな経済圏を形成しているのだが、カナダに隣接する北部州ゆえ、4月末であっても冬の寒さの名残が残っている。思えば前回この地を訪れたのは2001年9月に発生した米国同時多発テロ直後の厳戒態勢のさなかであり、ミネソタ・ツインズの本拠地はヒュ‐バート・H・ハンフリー メトロドームという後に東京ドームを施工した竹中工務店にその技術が引き継がれたエアードームであった。

メトロドームは老朽化のためにすでにしぼんで跡形もなくなっているのだが、その後継として2009年にミネアポリスのダウンタウンの中心部に天然芝の屋外球場をオープンさせ、地元の小売企業であるターゲット・コーポレーションが命名権を取得してターゲット・フィールドとして君臨しているのだ。その後、西岡剛なる日本人が2011年に鳴り物入りでロッテからツインズに入団したのだが、2年も持たずにあえなく首になり、阪神に逆輸入されたという黒歴史が残っている。



何はともあれ、今日は岡本率いるトロント・ブルージェイズが多くのカナダ人ファンを引き連れてターゲット・フィールドを席巻するはずで、6時40分の試合開始時間を岡本フロントの1塁側ベンチ上の最前席で今か今かと待っていた。客席には今年こそワールドチャンピオンになることを信じる多くのブルージェイズファンが詰めかけていたのだが、隣のおじさんの解説によると今夜はミネソタのアイスホッケーとバスケットボールチームのプレーオフの試合が同時開催されているため、ターゲット・フィールドくんだりまで来る地元のファンは少ないのだと申し訳なさそうに語っていた。



試合の方は、ブルージェイズの4番を任されている岡本のバットからは快音は聞かれずに淡々と進み、気が付けば7対1で地元のツインズが勝利を収め、公称入場者数16,985人とは思えない数の観客が控えめに歓喜の声を上げていた。皮肉なことに勝利の控えめの歓喜が大きな歓声に変わったのはスクリーンに映し出されたミネソタのアイスホッケーチームが勝利をつかみ取った瞬間だったのだ。




今日はフィールドレベルの上席に陣取っていたのだが、途中から寒さに耐えきれずにヒーター直下の屋根の下にそそくさと移動し、試合時間の大半をそこで過ごしていた。やはり寒冷地の野球場は屋根付きエアコン付きの室内スポーツ仕様に限るのではないかとあらためて思い知らされた次第であった。




5月1日(金)
人通りが少なく肌寒いミネアポリスのダウンタウンを練り歩き、METRO駅から空港へと退散した。12:50発DELTA3870便は予定通りに出発し、1時間ちょっとのフライトでミズーリ州のセントルイス・ランバード空港に着陸した。

♪いますぐ~Kiss me, wow wow ゴ アゥェ~ I miss you、だ~い好きだ~よと笑ァ~てよ~♪
というわけで、セントルイス・ランバード空港は1927年に大西洋(ニューヨーク→パリ)単独無着陸飛行に成功したチャールズ・リンドバーグにちなんだ空港で、ここでは到着ロビーでTHE SPIRIT OF ST.LOUIS号のレプリカ機で迎えられることを期待していたのだが、その面影を目にすることはかなわず、わずかに残っていた痕跡はLindbergh Conference Roomという看板のみであった。


空港のTerminal 1からMETROに飛び乗ると30分もかからずにセントルイスのダウンタウンに到着した。早速本日の宿泊地でありIHGのポイントが余っていたのでただで宿泊できるHotel Indigo St. Louis – Downtownにチェックインをかまして20年ぶりにセントルイスを訪問した感慨にふけっていた。
ノスタルジックなダウンタウンは多くの古いビルを残しており、古き良きアメリカの雰囲気が色濃く漂っているのだが、感傷に浸っている間もなく喧噪の世界に足を踏み入れることになった。セントルイスに本社を置く世界第三位のビール生産量を誇るアンハイザー・ブッシュの名を冠したブッシュ・スタジアムは解体した旧ブッシュ・スタジアムの隣に2006年に開業し、さらにビールの売り上げを伸ばす野望のためか、球場の脇にはSaint Louis Ballpark Villageというファシリティまで立ち上げ、試合開始前からイベントの盛り上げに一役買っている。


チケット売り場で比較的手頃な価格の席のチケットを入手すると入場ゲートでCardinals Short-Sleeve Hoodieという半袖のパーカーのようなシャツが配られていたので図らずもそれが今日の戦利品となった。



今日から始まるカージナルス対ドジャースの3連戦の初戦は7時15分開始となり、プレーボール直後にクライマックスを迎える大谷の1打席目であったが、あえなくレフトフライに終わってしまった。



山本由伸を師範と仰いでいるはずのシーハンがドジャースの先発投手であったが、初回に早くも3点を先制され、その後ドジャースの反撃も及ばず7対2でカージナルスが初戦をものにした。大谷も5打数無安打に終わり、NHK BSで解説を務めているはずのカージナルスOBの田口壮も内心喜んでいたのではないかと思われたのだが、ブッシュスタジアムに詰めかけた28,308人の観衆も今いち盛り上がりに欠けているようであった。




5月2日(土)
昨夜大谷がブッシュスタジアムにアーチをかけることが出来なかった腹いせにセントルイスのシンボルとして君臨しているGateway Archまで痛む足を引きずりながらも上を向いて歩いて行った。

ミズーリ州とイリノイ州の州境を流れる大河ミシシッピの河岸に立つGateway Archはマサにこの地から始まった西部開拓のランドマークとして1965年に竣工し、アーチの高さは192m、最大幅192mを誇るセントルイスで最も高い建造物である。


アーチの頂点に到達する交通機関は窮屈トラムであるが、1999年の訪問時にすでに乗車し、昇天してしまっているので今回は狭いトラム内で折りたたむであろう膝へのダメージを考慮して断念したのだった。

Gateway Archの直下には西部開拓博物館なる地下組織が君臨しており、セントルイスのミシシッピ河岸や西部開拓の歴史を事細かく学習できるように配慮されている。



Gateway Archにまたがれた形の写真写りとして有名な旧裁判所はゲートウエイアーチ国立公園の一角をなしており、高さ58.5mを誇る銅を吹き付けられた鉄製のドームが印象的である。旧裁判所は歴史的な2つの裁判で有名で一つは黒人奴隷が身の自由を求めて引き起こした裁判でもう一つは女性参政権の付与を巡っての裁判であったという。




METROでUnion Station駅まで移動し、Union Stationはもはや駅ではなく、ホテルや水族館等のアミューズメント施設に変貌している有様を横目に今日の宿泊地に移動した。Marriott Bonboyポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るCourtyard by Marriott St Louis Downtown Westにチェックインするととんぼ返りの勢いでブッシュ・スタジアムへと急いだ。




今日の試合開始時間は昨日よりも1時間早い6時15分からなので早めに球場に到着したのだが、入場ゲートの前はすでに長蛇の列となっていた。それもそのはず今日のイベントはカージナルスのゴールドグラブ賞受賞実績を持つMasyn WinnのBobblehead人形が先着15,000人限定で配布されることになっており、私も何とかその恩恵に預かることが出来たのだった。


試合開始まで十分な時間があったのでバランス栄養食であるナッチョを食ってマッチョになろうと思ったのだが、考えてみると膝の悪い野球選手は清原和博にしても松井秀喜にしてもマッチョだったことを思い出したのだが、気にせずバドワイザーで体内に流し込んだ。




場内ではドジャースのバッティング練習が執り行われていたのだが、ふとレフト後方のフェンス際に目を移すと大谷翔平が軽いキャッチボールながらもその剛腕をふるっていたのだった。



試合開始が近づくと今日の先発投手である佐々木朗希が颯爽と姿を現し、ウォーミングアップのダッシュもそこそこにフィールドでキャッチボールを開始した。その後ブルペンに移動し、試合前の投球練習を終えると通訳の豆坊等の一行を従えて3塁側のベンチに帰って行った。





試合の方は昨日に引き続き大谷の登場で幕を明けた。しかし残念ながら今日も大谷のバットからは快音が聞かれず2三振を含む4打数無安打に終わってしまったのだった。



善戦したのは佐々木朗希の方であった。とあるテレビ番組の取材でドジャースのキャンプを見に来ていた桑田真澄からアドバイスされたグラブを持つ左手の使い方を守ろうと意識しながらの投球でファストボールも最速96マイル程度であったが、それでも1回、2回はランナーをためながらもゼロに抑えていた。



3回にツーベース2本とホームランで3点を取られはしたものの4回、5回、6回を3者凡退で切り抜けてクオリティスタートとし、次回登板へと期待を持たせながらマウンドを降りたのだった。

一方ドジャース打線は相変わらず湿りがちで大谷の後を打つフリーマンもその地主に相当するはずの名前を持つフリーランドも1本づつヒットを打ったものの得点にはつながらなかった。


「レッツ ゴ~ ド~ジャ~ス、チャッ・チャッ、チャッ・チャッ・チャッ」の歓声が一際大きくなったのは2点を返し、なおも2死ランナー1,2塁で代打のラッシングを迎えた場面であったが、空振り三振でナッシングと期し、ドジャースは2連敗を喫したのだった。



5月3日(日)
カージナルス対ドジャース3連戦の最終戦は午後1時15分開始予定のため、早めにホテルをチェックアウトし、Baseball Villageへと急いだ。試合開始までの時間を利用してMLBの名門カージナルスの伝統と格式を伝えるためにCardinals Hall of Fame and Museumが開業していたのでわずか$12の支払で入場してみることにした。


FTBがこのMuseumで確認したかった痕跡はいくつかあった。一つ目は1998年にMLBの最多本塁打記録を更新し、その数字を70本まで伸ばし一躍全米のヒーローとなったMarc McGwireの処遇である。その後2000年を過ぎるとドーピングの問題が大きくクローズアップされるようになり、McGwireも私の治療に使われている電気針の代わりに注射針によって筋肉増強剤を使用していたと自白したこともあり、本塁打記録の価値が大きく下落したのだった。その結果現在このMuseumで展示されているMcGire関連資料は首振り人形のみに抑えられていた。

二つ目はイチローの背中を負って渡米し、2002年にカージナルス初の日本人選手となった田口壮が残した爪痕である。マイナーリーグから這い上がってきた田口は外野のレギューラー獲得には至らなかったものの、ユーティリティープレイヤーとしてのいぶし銀のような献身的プレーが野球通の多いカージナルスファンに高く評価され、その活躍のハイライトは2006年のポストシーズンからワールドシリーズ制覇に集約されている。大事な試合で代打で登場し、起死回生の本塁打を放ったその魂は田口より寄贈された帽子やMIZUNO PROのバットの中に静かに封印されていたのだった。



三つ目であるが、カージナルスの存在を最も日本で有名にしたはずのアームストロング・オズマに関することであった。フィクションとは言え、少年期に貧しい母親からカージナルスに身売りされ、圧倒的な身体能力を科学的なトレーニングで開花させ、野球ロボットとして星飛雄馬の前に現れた物語は「巨人の星」読者以外にもインパクトを与えたはずであったが、残念ながらここにはアームストロング・オズマもDJ OZMAも門前払いされている様子であった。

ついでに、1982年にインディアンコントで「お笑いスター誕生」にエントリーし、ストレートで8週連続で勝ち抜いたカージナルスというお笑いコンビがいたのだが、命名したのはその師匠筋の漫才コンビである星セントルイスであったそうだ。カージナルスを構成するガダルカナル・タカとつまみ枝豆はその後「たけし軍団」に吸収合併されたのだが、ここセントルイスのMuseumに唯一残っているたけし軍団の痕跡は「ダンカン」のみであったのだ!

DUNCANの背中を見て万感の思いに浸ることが出来なかったのでMuseumから撤収してStajiumに移動した。入場ゲートで早速今日の戦利品であるCardinals Blade-Collar Shirtを受け取ると球場内のTEAM SHOPに移動し、私がお世話になっている整体師へのお土産を物色していたのだが、故障者リスト入りのために今回のツアーではその雄姿を拝むことの出来ないNOOTBAARのユニフォームを見ながら、彼に良い整体師が見つかるように祈っておいた。



今日も残念ながら大谷のバットからは快音が聞かれなかったものの、それでも相手投手から四球と死球が支給されたので何とか出塁率を保っているようであった。




取り放題の野菜をふんだんに盛り付けてバランス栄養食としたホットドッグをバドワイザーを肴に頬張って野球観戦の醍醐味を味わっているとドジャースの先発投手のロブレスキーが持ち球のスライダーをスキーのようにすべらせてカージナルス打線を牛耳ってしまい、最終的には4対1でドジャースが一矢報いる様子を見守った。


今日の観客数は36,323人という発表だったが、意外なことに「TAGUCHI」の名を冠したユニフォームを身にまとったファンが約1名存命しており、田口壮ではなく、♪涙そうそう♪の思いを胸に球場を後にしたのだった。

荷物を預けていたホテルに戻る途中でUnion Stationの敷地を通るのだが、アーケードの下の巨大な池はKoi Pondと命名されており、おびただしい数の鯉が無造作に飼育されていたのだが、緑地の方に目を向けると野生のうさぎが我が物顔で闊歩していた。




明日のフライトが早朝のため、今日の宿泊地はIHGのポイントが余っていたのでただで宿泊できるCrowne Plaza St. Louis Airportを予約していた。セントルイス・ランバート空港からシャトルバスが出ているのだが、MarriottやHiltonのバスがヘビーローテーションで運行しているのにCrowne Plazaバスは待てど暮らせどやって来ない状況を冷静に受け止めていた。
何はともあれ夜の7時過ぎにはチェックインを果たすことが出来たので屋内プールの青少年少女たちの嬌声を聞きながら短い夜を過ごしていた。
5月4日(月)
早朝4時過ぎにホテルをチェックアウトし、シャトルバスでランバート空港へ移動した。かつて存在したリンドバーグの飛行機のレプリカがどうしても見当たらなかったので少し空港の歴史を紐解いてみると何と2011年にセントルイスを襲った竜巻でこの空港が甚大な被害を被った歴史が記されていた。察するにリンドバーグの飛行機も♪ド~キィ、ド~キィすること、や~め~ら~れッ な~いィ~、オ~イェ~♪という断末魔のリズムとともにどこかに飛び去ってしまったのだと自分に言い聞かせるより他になかったのだ。
6:00発UA1371便は定刻通りに出発したのだが、早朝のフライトだったので飛行機がヒュ~と飛び立つとストンと眠りに落ち、気が付くとヒューストンのジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港に午前8時前に到着していた。朝飯がまだだったのでPRIORITY PASSという会員特権を利用して入場可能なエアーポートラウンジを物色するとKLMオランダ航空のラウンジに行き当たり、受付でArrivalだがラウンジに入っていいかと質問すると1時間だけ入場してよいとの返事をいただいたので中でベーグルに大量に擦り付けたアボガド等を貪って腹の足しにした。
空港のターミナルEからヒューストンのダウンタウンに向かうMETROと名乗るバスが運行していたので乗車すると40分程度でダウンタウンンのConventionセンターに到着した。そこから徒歩で今日の宿泊先であり、Marriott Bonboyポイントが余っていたのでただで宿泊できるAloft Houston Downtownに移動すると首尾よくアーリーチェックインの運びとなった。屋上にプールがあったので立ち寄ってみたのだが、何故か先約グループの女性が泣いていたのでそそくさと退散し、しばし部屋で睡眠不足を補うこととした。



野球観戦前の腹ごしらえのためにレストランを物色していたのだが、テキサスくんだりまで来て肉を食わないとカウボーイに申し訳がたたないはずなのでSALTGRASSというステーキハウスで牛の胸像からのプレッシャーを受けながらビーフと海老のコンボをご馳走になった。



ヒューストン・アストロズの本拠地は今年ダイキンが多額の代金を支払って命名権を獲得し、DAIKIN PARKとして新たな風を吹かせているのだが、私の自宅もダイキンのエアコンを4台使わせていただいているという義理もあるので早速DAIKIN PARKで野球見物と洒落こむことにした。


FTBが同球場を訪れたのは9.11明けの2001年9月に遡るのだが、当時はエンロン・フィールドと名乗っていた。エンロン社はかつてヒューストンに存在した総合エネルギー取引とITビジネスを行っていた全米でも有数の大企業であったのだが、粉飾決算が発覚し、2001年12月に破綻へと追い込まれたという血塗られた歴史に彩られている。


球場の外観と内装と蒸気機関車は当時と変わらない様子であるが、空調関係は明らかにアップグレードされているはずであろう。球場内には至る所にチームショップが開業しており、アストロズ所属の唯一の日本人である今井の調子がいまいちであってもその痕跡は日本人観光客に忖度するかのように猛威をふるっている。



チームショップで今井と大谷が肩を並べたTシャツが$40の高値で売られていたので格差社会の教訓とするために1枚購入しておいた。


グラウンドでは丁度ドジャースが打撃練習を行っており、早出の観客はスタンドでホームランボールの争奪戦に勤しんでいたのだが、手負いの私はそれに参戦することもなく静かに打球の行く末を見守っていた。

昨年の大活躍に敬意を表して大谷から世界一の投手との称号を得た山本由伸がその貫禄と共に3塁側ベンチからレフトフィールドに姿を現した。しきりにウォーミングアップの遠投を行っていたのだが、以前見た糸を引くような球筋と比較して少し山なりになっているのが気になった。その後ブルペンでの投球練習を終えると通訳の豆坊と一緒に支度のためにベンチへと帰って行った。




7時10分に開始となった試合は1回表に大谷が初球を打ってサードゴロに終わったものの後続の連打によりドジャースが幸先よく1点を先行した。しかしその裏のアストロズの攻撃では山本も本調子ではないらしく、タイムリーヒットとワイルドピッチで2点を取られ早くも逆転されてしまったのだ。


山本が登板するとドジャース打線は湿りがちになるのが定番であったが、今日のドジャース打線は活発で2回表に2点を取り早くも逆転に成功した。3回表には今年ドジャース打線の新戦力として加入したタッカーのホームランで加点し、大型契約で高っか~と言われる給料の見返りとなったのだが、以前中心選手として所属していたアストロズのファンからはタッカーらかにブーイングを浴びていた。



山本は6回を3失点で乗り切り、クォリティスタートとして何とかエースの面目を保っていた。8回からマウンドに上がったドジャースのトライネンは日本語訳で「やったるネン!」と言わんばかりにアストロズを抑え込み、9回の裏のマウンドは左腕ドライヤーに託された。1本ヒットを浴びたもののエアコンと同様に暖かい風を送る機能を持つはずのドライヤーは最後の打者を空振り三振に打ち取りヒートアップしたアストロズファンをクールダウンし、マサにDAIKIN PARKにふさわしい形で試合を締めくくったのだ。




大谷の方は3打数無安打だったものの2つの四球で2得点を上げ、チームの勝利に貢献し、山本は今シーズンの3勝目を飾った。尚、この試合で2回に逆転のホームランを放ったフリーランドであったが、2打点を挙げたフリーマンとともにドジャース打線をけん引していた。今後打線強化のためにあらたにフリーランスなる選手の派遣選手としての採用も検討すべきではなかろうかと考えながら帰路に着いた。




5月5日(火)
昨夜熱戦が繰り広げられたDAIKIN PARKに隣接するConvention CenterからMETROバスに乗り、空港へと移動した。11:35発NH113便は定刻通りに出発し、機内映画の「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」等を見ながらアメリカの大統領はババ抜きで決められるべきではないかと考えていた。
5月6日(水)
14時間弱のフライトで午後3時半過ぎに羽田空港に到着するとフライト後の生まれたての小鹿のような足取りで電流火花の待つ整骨院へと自らの肉体を輸送し、流れ解散。


FTBサマリー
総飛行機代 ¥515,142
総宿泊費 ただ
総METRO代 $24.5
協力 ANA, United Airlines, Delta Airlines, Hilton Honors, IHG, Marriott Bonvoy、たすく整骨院








































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































