宮崎駿引退記念 千と千尋と温泉ツアー in 台湾

豊臣秀吉に人生を翻弄された千利休に始まり、歌う不動産王と揶揄された千昌夫や神隠しにあった千と千尋のように千には波乱万丈のイメージがつきまとうのだが、高級烏龍茶と飲茶を求めて気軽に台湾を旅する日本人観光客は増加の一途をたどっている。今回は安倍首相の靖国参拝の喧騒をものともせず、宮崎アニメの影響により一躍一級観光地に成り上がったノスタルジックな町並みを脳裏に刻み込むために、一路沖縄県を飛び越えて台湾まで足を伸ばすことと相成ったのだ。

12月28日(土)
成田発と関空発のチケットで\10万以上の価格差が生じているのを目ざとく見つけることが出来たので関空までわざわざ足を運び、EVA航空が運行する午後5時35分発BR129便に乗り込むと約3時間のフライトで1時間の時差を超えて午後7時45分に台北の桃園国際空港に到着した。空港バスで1時間程の時間をかけて台北駅に移動するとさらにMRTに乗り換えて今日の宿泊地のあるとある駅に到着した。Hotels.comのWelcome Rewords無料宿泊特典を適用してマサであれば\13,000くらいかかるところを私はわずか¥1,326で泊まることが出来るパークシティホテルに投宿すると時差に体を慣らすために今夜はとっとと就寝することにしたのだ。

12月29日(日)
真冬の日本を離れ、温暖な環境を求めて南の島に逃避行したにもかかわらず、北から迫り来る寒気は遠く南の島にも及んでいた。小雨降りしきる寒空の下、気力を振り絞って台北の新興観光地まで足を運ぶことにした。台北世界貿易中心に竹のようにニョキニョキと天に向かって生えているビルが君臨している。高さ509.2mを誇る101階建ての超高層ビルは2004年に竣工した台北101でドバイのブルジュ・ハリファに抜かれるまでは世界一の高さを誇っていた。今日は天候が悪かったので91階の展望台に登ることは控えておいたのだが、地下5階から成るショッピングセンターで買う気もないのに高級ブランド品を物色することだけは忘れなかった。

MRTで忠孝復興駅まで移動し、1062番の路線バスに乗りこむと1時間程で九フンという町に到着した。バスを下りるとすぐに台湾のコンビニで圧倒的なシェアを誇っているセブンイレブンの隣に迷宮への入口が見受けられたので早速入って見ることにした。狭い通路の両脇にはびっしりと土産物屋が軒を連ね、台湾名物であるはずの駄菓子や惣菜の実演販売が行われていた。

想定外の寒さと人いきれで思いのほか体力を消耗してしまったので、とりあえず名物の芋園(芋ぜんざい)を召し上がって今日のところは九フンの下見だけにとどめておいてそそくさと退散することにした。

台北市内に戻ると日も暮れていい頃合になってきたので、台北二大夜市のひとつである士林夜市に繰り出すことにした。夜市の番を司っているかのようにとぐろを巻いているニシキヘビへの挨拶もそこそこに、大蛇の胴体ほどの太さのソーセージには目もくれずに臭豆腐臭に引き寄せられるように地下のB級食堂街になだれ込んだ。

さすがに島国だけあってB級シーフードのメニューは充実しており、台湾ビールの肴として蟹の揚げ物や小ぶりの牡蠣の茹でものなどを発注し、にんにくと生姜の効いた惣菜を食しながら冷えた体に活力を取り戻していたのだった。

12月30日(月)
今日もどんよりとした寒空の下、ホテルをチェックアウトするとMRTで台北駅に向かい、台湾高速鉄道に乗って一気に亜熱帯から熱帯地方に長距離移動することにした。日本企業が受注したはずの台湾新幹線はのぞみよりも望みが高い仕様で設計されているせいか騒音や振動もほとんどなく、快適な列車の旅を約束してくれる。台北駅から2時間で終点の左榮駅に到着するとそこからローカル線に乗り換えて台湾第二の都市である高雄駅に降り立つこととなった。高雄では期待通りの温暖な気候に恵まれていたので、早速agodaに予約させておいた福華大飯店にチェックインして荷物を置くと町の様子を見物しに出かけることにした。

高雄市内を流れ、高雄港に流入している愛河という川があるのだが、日本の統治時代に運河として開拓され、かつては「高雄運河」と呼ばれていたそうだ。橋から見下ろす愛河の景色はすばらしく、太陽電池で航行する遊覧船が観光客を満載して行き交っていたのであった。

埠頭から港を見渡すと対岸には高雄市のランドマークとなっている標高378mの東帝士85國際廣場大楼という高層ビルがそびえており、歴史的な風情と近代的な港町が絶妙にマッチした景観を醸し出していた。

12月31日(火)
高雄駅から列車で新左榮駅に移動し、しばらく歩いていると高雄の名物を販売しているはずの高雄物産館に行き当たった。これといって目ぼしい物産がなかったので目の前の風光明媚な池のほとりから線路を走行しない汽車に乗って左榮蓮池潭に向かった。

何がしかのパレードの様子を横目に伝統的なツインタワーの方向に目を移すとそこは阪神・中日戦の熱戦さながらに虎と龍が大きな口を開けていたのだった。

高橋ジョージよろしく♪何でもないよ~なことが幸せだったと思♪いながら龍の口から内部に侵入するとトンネル内部は仏教説話の壁画で埋め尽くされていたのだった。尚、台湾の人は十二支の中で「龍が最も良い動物で虎が最も悪い動物」と信じられているため、虎の口から入ってしまうと虎舞竜よろしくトラブルを引き起こす懸念があるので注意しなければならないのだ。

蓮池潭の周辺には龍虎塔の他にも龍鳳塔、春秋閣、孔子廟などの見所も多く、池周辺のロードは絶好の癒しの空間となっているのである。

蓮池潭で虎舞竜を充分堪能できたので、次は三船でも見物すべく高雄港まで戻ってきた。港には三船どころかおびただしい数の船が停泊していたので早速渡し舟に乗って対岸の旗津半島に上陸することにした。海岸公園のビーチに着くころには丁度サンセットが迫っていたのだが、ヤシの木の間に沈む太陽を眺めているとここがあたかも南国のビーチのような感覚さえ覚えてしまうのだった。

1月1日(水)
ハッピーニュー マサよ!

ということで、高雄で充分暖をとることができたので、新幹線に飛び乗って台北に戻り、暖から温に進化させるために台湾で最も有名な温泉地である新北投温泉まで北上することにした。MRTの新北投駅で下車すると頭でっかちの不思議なオブジェに出迎えられ、世界ふしぎ発見の期待が高まってくるのだが、実際に温泉地に踏み込んで見るとそこは日本の伝統的温泉リゾートのコピーでしかなかったのだ。

和服をお召になった従業員が立ち並び、おもてなしスタンスを貫いている日式の加賀屋を通り過ぎると、楽天トラベルに予約させておいた熱海大飯店になだれ込み、ババンババンバンバンもそこそこに周辺の見物をかましてみることにした。温泉の仕組みや歴史が一目でわかるはずの北投温泉博物館が閉まっていたので硫黄の臭気が立ち込める天然足湯川のほとりを上って源泉であるはずの地熱谷でもうもうとした気分を堪能して撤収することにした。

台湾の公共温泉は基本的に水着着用入浴が基本となるのだが、熱海大飯店のようなホテルの大浴場には治外法権がしかれている様子で、入浴者は皆フリチンで入ることが許されているのだった。

1月2日(木)
新北投温泉で日本の温泉地の実力を再認識することができたので、千と千尋が労働していた八百万の神々が集う湯屋・「油屋」の雰囲気を求めて再び九フンへと向かうことにした。前回の寒々とした訪問とは打って変わって今日は温暖な青空が九フンを包み込んでいたので緑と青のコントラストの絶景がひときわ輝いていたのだった。

猫街道を標榜する階段から九フンの中心部を目指して登っていると一際観光客が集まっているスポットで交通渋滞が発生しており、日本の一流番組で放送されたという看板の背後にある光景はマサに千と千尋が労働する建物の風景そのものだったのだ。

建物にはどことなくカオナシのような風情のお面も飾られているのだが、台湾ツアーとしてのメンツを保つために、千利休よろしく茶芸を堪能してみることにした。とある高級そうな茶屋に陣取り、高級であるはずの烏龍茶を高値で発注すると中国茶のバリスタであるはずの店員ギャルが茶器と茶葉を持ってきてお作法のデモをしていただける仕組みとなっている。お茶請けに黒ピーナツと抹茶チーズケーキをいただきながら本場の味を堪能するとどことなく、わびさびとは異なった中国5000年の伝統の雰囲気が漂ってくるのであった。

日が暮れると古き良き時代の建物に明かりが灯りはじめ、九フンの観光は佳境を迎えるのであるが、あまりの観光客の多さのために無事に台北まで帰れなくなることを懸念して早めに退散すべく、バス停で台北行きのバスを待っていた。バスは台北行きと近隣の町である基隆行きのものがあるのだが、長い行列を並んでやっと乗れると思った台北行きはすでに満席でその間に多くの基隆行きのバスが台湾人客を拾っていった。台北行きを待っているのはほとんど日本人観光客になり、彼らはすでに1時間以上もバス待ちをしているため、基隆行きのバスが来るたびにバスに向かって呪いの言葉を吐いていたのだった。

何とかその日のうちに台北に帰ってくることが出来たので、台北駅から新幹線で桃園に移動し、Priority Clubのポイントが余っていたのでマサであればNT$2,700くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHoliday Inn Express Taoyuanに引きこもると宮崎駿が九フンに来ると気が変わって間違いなく現役復帰するのではないかと考えていた。

1月3日(金)
タクシーで桃園空港に移動すると、EVA航空のラウンジで飲茶を堪能し、午前11時30分発BR130で関西空港に帰って行った。九フンでの観光客の喧騒を考えると何人か神隠しに遭ってしまうのも無理はないと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 \66,610
総宿泊費 \43,184
総列車代 NT$3,478
総MRT台 NT$455
総バス代 NT$525
総渡し船代 NT$30
総タクシー代 NT$700

協力 EVA航空、hotels.com、agoda、楽天トラベル、Priority Club

FTBJ北の国から2013 ラベンダー

♪ア~ア~、ア ア ア ア ア~♪

じゅん、じゃなかったマサよ~ォ、君は白が溶けさった北の国が紫の芳香に包まれる季節にふらっと富良野にやってきたことがあるか!?

というわけで、富良野のラベンダー畑が紫色に染まるのはほんの7月の短い季節だけなので、この絶景を堪能するために日本だけでなく世界各国から観光客が押し寄せてくるわけで・・・

道央の気候は猛暑が続く本州とは違って過ごしやすく、さわやかな風が吹き抜けて、熱中症を患ってフラフラになることもないわけで・・・

2013年7月13日(土)

午前8時発ANA53便B747-400ポケモンジェットは少年少女の夢を乗せて大空へと翼を広げ、9時半過ぎには新千歳空港に到着した。早速トヨタレンタカーでパッソをレンタルすると2時間半もの時間をかけて道央の富良野にやってきた。マサに富良野地域に入ろうとするその直前にハイランドふらのというファシリティに遭遇し、ラベンダーのうみと名乗る花畑を垣間見たのだが、紫があざやかでなかったのでもしかしたらラベンダーの季節をはずしてしまったのではないかとの不安に苛まれてしまった。

旭川ラーメンをすすって気持ちを落ち着けると中富良野町にある町営ラベンダー園へと急いだ。冬はスキー場としてゲレンデが溶ける程の恋を集めるはずの斜面は色とりどりの花々で飾られており、¥300を支払ってリフトに乗ると眼下に紫色のラベンダー畑が広がったのだ。

色鮮やかなラベンダーは蝶やミツバチなどの格好の餌場となっており、快晴の空の青さや白い雲、十勝連峰のギザギザした稜線を背景にくっきりとその存在感を示していた。

熱き心を持つはずの小林旭が跨ると絵になるはずの♪燃えるおと~この赤いトラクタ~♪が待ち構えている「とみたメロンハウス」でメロンソフトを食った後、日本のラベンダーの歴史とともに歩んできた名門ファーム富田に足を踏み入れた。

ラベンダーの開花が最盛期を迎えたファーム富田にはラベンダー畑だけでなく紫式部のように艶やかに彩られた花畑もあり、観光客は思い思いの場所で記念写真を取りながらいい気になっていた。

一口でラベンダーと言っても様々な種類があり、富良野で見られるラベンダーはようてい、はなもいわ、濃紫、おかむらさきの4種類に渡っており、早咲きと遅咲きの品種があるので花見が出来る期間は数週間にもおよんでいるのである。

ファーム富田を語る上でその原点となった「トラディショナルラベンダー畑」の物語を欠かすことは出来ない。今でこそ紫の絨毯は多くの観光客で埋め尽くされているが、1975年には経営不振からラベンダー畑を潰す決心でトラクターを畑に乗り入れたのだが、小林旭のような熱き心の声が苦しみを乗り越えよと叫んだ時から躍進の芽が出始め、北の国からのブームの後押しもあり、今では紫皇帝のように道央の経済界を牛耳っているのである。

富良野はマサに北海道の中心に位置しているため、7月下旬に北海へそ祭りが開かれるのだが、そのポスターを見て「へ~そ~」と思いながら、富良野駅前の倉庫に押し込められている北の国から資料館(\500)に押し入ることにした。この資料館は日本を代表する農業俳優である田中邦衛の足跡を辿る貴重な資料で埋め尽くされているのだが、出演者一覧の写真集の中には黒い喪章で飾られた名優のかつての勇姿も見受けられたのだ。

田中邦衛の遺言を旨に富良野を後にすると美瑛町ののどかな丘の上に建つ白金温泉ホテルパークヒルズに駆け上がり、源泉かけ流しの温泉と地元産の食材を取り入れた和洋中バイキング料理で英気を養いながら涼をとった。

7月14日(日)

農業王国美瑛町の最大の見所として早朝から多くの観光バスを停泊させている四季彩の丘がこのベストシーズンにどのような彩られ方をしているのかが気になって仕方がなかったので立ち寄って見ることにした。

四季彩の丘のゆるキャラであるロール君とロールちゃんの周りは丁寧に植え付けられた花々で贅沢に彩られており、トラクター牽引トラムで花畑をめぐる老若観光客も満面の笑みをたたえながらトラクターが巻き上げるマイルドな砂埃を物ともせずに往年の熱き心を燃やしているようだった。

美瑛町から旭川を抜け、北見方面に車を走らせていると標高1050mの石北峠に差し掛かった。峠の土産物屋ではヒグマのファミリーが客引きをやっていたのでその熱意にほだされて思わず生乳製ではないソフトクリームを買ってしまった。

ほたるぅ、じゃなかったマサよ~ォ、君はヒグマには遭遇したくないがヒグマを見たい輩のために創作されたはずの海上アクティビティに参加してかろうじてその成果の報酬にありついたことがあるか!?

ということで、石北峠からさらに300km程度車を飛ばして知床半島の西岸のウトロに着いたころには目もウツロになってしまっていたわけで・・・

ウトロ名物ゴジラ岩の麓で店を開いているゴジラ岩観光は夏季限定で知床半島ウトロクルーズを催行している。トヨタレンタカーからるるぶの割引券をもらっていたのでマサであれば¥5,000かかるところを私¥4,600の支払いで15:30発のヒグマウォッチングクルーズに参加させていただくことにした。早速カムイワッカ88号と名乗る高級クルーザーに乗船すると世界自然遺産の知床半島の絶壁を右手に見ながら野生を求めての航海の幕が切って落とされた。

この時期の知床ではカラフトマスを漁獲するための定置網が至ることろに仕掛けられているので船が魚と一緒に網に掛かって釣り上げられるのを防ぐために要所要所で迂回をしなければならなかった。

絶壁には幾筋もの滝が流れており、クルーザーはその機動性を利用していくつかの滝に接近して観光客を喜ばせていた。厳冬期の流氷に削られた知床の壁は穴をこじ開けられたり、オーバーハングしたり、象の形に造形されたものまで鎮座していた。

クルーザーの名付け親である温泉滝、カムイワッカの滝を過ぎるとヒグマのメッカと言われるルシャ湾に差し掛かった。カラフトマスやサケが遡上する季節にはルシャ湾はヒグマ祭りの会場と化し、イクラがいくらでも食い放題の様相を呈するのだが、今日は気温が高くて暑いということでヒグマも散歩を控えているようだった。

例年ヒグマウォッチングツアーでは驚異の100%近いヒグマ目撃率を誇っているのだが、今年はすでに2回程外しているとのことで今回も空振りに終わるのかと思われた瞬間に船長の高性能双眼鏡がビーチを歩くヒグマのシルエットを捉えた!単身で歩いているヒグマは大型犬よりも多少大きいくらいのサイズであったが紛れもなく野生の猛獣でマサと相撲を取っても簡単に寄り切ってしまうほどの迫力をたたえていた。尚、ルシャ湾の先に14番番屋という漁師の小屋があり、ここにも容赦なくヒグマが姿を現すのだが、そこを取り仕切っているオヤジはヒグマを怒鳴りつけて退散させることで有名人となっているのだ。

約2時間のクルーズが終了し、辛くもヒグマに遭遇出来た実績によりゴジラ岩から「いいね!」をもらうと世界自然遺産の宿 しれとこ村つくだ荘の温泉で汗を流し、北海名物のご馳走に舌鼓を打ちながらサケが遡上する秋のリベンジツアーを見据えていた。

7月15日(月)

早朝つくだ荘を引き払うとほぼ満車状態の知床五湖駐車場に車を止め、ヒグマも恐れる高圧電流の流れる電線に守られた木道が整備されている一湖を見学させていただいた。尚、前回の知床ツアー(http://www.geocities.jp/takeofukuda/2006shiretoko.html)では自由に行き来することが出来た二湖から五湖は認定ガイドと歩くネイチャーツアーに参加することが一般的となっており、ヒグマの生態を熟知してない輩は木道に留まることを余儀なくされるのだ。

知床峠の駐車場では何故か巨大な望遠レンズを三脚にセットしたにわか写真屋が数多くたむろしていた。カメラの向かう方向は鈴木宗男も喉からでが出るほど返して欲しい北方領土が鎮座しており、北方領土の人気をあらためて思い知らされるに至ったのである。

峠を下ると知床半島東岸の羅臼に到着した。海沿いの道を半島の奥地に向かって車を走らせているとついに日本最北東突端地で行き詰まってしまった。そこのラーメン屋に掲げられた看板には「馬鹿ラーメン」の文字が踊っており、ヒグマに遭遇するリスクまで犯して僻地くんだりまで来る輩はマサにバカに違いないと思われたわけで・・・

北海道には熊だけでなく馬も鹿も多いと納得しながら根室中標津空港まで車を走らせると14:25発ANA840便に搭乗し、猛暑の東京に帰って行った。羽田空港の遥か先には東京スカイツリーが尖っており、ここで馬鹿ラーメンを販売すると「おととい来やがれ!」と罵声を浴びて電波状況の悪さの憂さ晴らしをされることは間違いないわけで・・・

FTBサマリー

総飛行機代 ただ

総宿泊費 ¥25,700

総レンタカー代 ¥28,770

総ガソリン代 ¥

4,961

協力 ANA、楽天トラベル、トヨタレンタカー、ゴジラ岩観光(http://kamuiwakka.jp/)