シン・FTB ベトナム フーコックのかぜ

♪It’s so easy 走りだせよ! Easy to be happy. 風の青さを~ 抱きしめて 荒野へとまっすぐに オ~イエ~♪

というわけで1週間くらい前から♪かぜを感じて♪おり、発熱はしていないものの日々の筋トレ、体幹トレーニングで鍛えぬいた箇所に沿って筋肉痛が進行し、その後喉の奥底にからみつく緑黄色社会系のしつこい痰に悩まされていた。

症状も改善に向かっていたのでベトナム南部の離島で♪Easy to be happy 振り切って♪と歌えば完治するだろうと高をくくってかねてより計画しておいたフーコック島に向かうこととした。

2023年11月22日(水)
19:15成田発NH833便ホーチミン行きは定刻通りに出発し、7時間以上のフライトで2時間の時差を超えて日付が変わる前にはタンソンニャット国際空港に到着した。深夜にもかかわらず入国審査待ちの長蛇の列を見ながらここでも旺盛な旅行需要の回復の実態が見て取れた。

税関を通過して晴れてベトナムへの入国を果たし、イチロ到着エリアのATMに向かうとクレジットカードで百万ベトナムドン (VND) をド~んと出金し、一気にミリオネアへと成り上がった。

空港から今日の宿泊先であるHoliday Inn & Suites Saigon Airportへのタクシー代はVND 250,000という固定価格制になっているようだったので交渉の余地なく車上の人となり、約10分後にはチェックインを果たしていた。

11月23日(木)
モダンな外観のホテル上階のスイートルームから下界を見下ろすとマサにホーチミンの喧騒そのものが見て取れるのだが、空港近くという立地条件からか「放置民」と称されるはずのホームレスはいないようだった。

食欲不振のため、ホテルの各種ビュッフェメニューの中からかろうじて私の喉を越したものはレーザーラモンHG系の麺類であるはず「フォー!」で、その他流動食と合わせて何とか体力の維持に努めていた。

11時過ぎにはホテルをチェックアウトするとドアマンにタクシーを呼んでもらって空港に移動したのだが、タクシー代はVND 110,000で来るときの半額以下であった。
ベトナム航空運航の13:20発VN1827便はスモッグの曇り空を切り裂いて離陸し、インドシナ半島南部を西に進路を取り、タイランド湾に浮かぶ離島を目指して行った。眼下にベトナム最大の面積を誇るフーコック島の雄姿が確認出来るころには晴れ渡る空の下で視界を遮るものはなくなり、無事にフーコック空港に着陸することに成功した。

手付かずの自然が残る秘境のリゾートフーコック島は昨今欧米を中心に人気を集めるリゾートとして急速な発展を遂げている。島の大部分を山や丘、森、そして美しいビーチなどの大自然に覆われているのだが、伝統的なベトナムの魚醤・ニョクマムや胡椒の生産が主要産業となっている。

空港からフーコック島西海岸のリゾートエリアに位置するInterContinental Phu Quoc Long Beach Resortまでのタクシー代は定額のVND 200,000に設定されているようでわずか15分程度で現世の喧騒とはかけ離れたドリームランドに到着したのだった。

IHGのダイヤモンドエリートメンバー兼インターコンチネンタルのアンバサダーとしての地位を誇るFTBに対して用意いただいた部屋は数段階アップグレードされているはずの上階のサンセットビュー部屋であり、日が西に沈んで行くのを心待ちにしながらホテルライフをスタートさせることにした。

何はともあれホテルの中庭池の鯉を横目にプールサイドをスルーして早速ビーチに向かった。

ビーチの砂のキメ細かさが足裏に心地良い刺激を与えてくれるのと同時「キュッ、キュッ」というサウンドがマリンスポーツへの扉をこじ開けようとしていたのだが、さすがに今日の体調では水に浸ることは控えるべきだと考えたのでビーチサイドのカフェレストランSeaShackでビールをチビチビ飲みながらリゾート客のアクティビティを遠巻きに眺めていた。

体調の良し悪しにかかわらず燃えるようなサンセットは平等にやってくるので部屋のベランダからオレンジ色に輝く水平線を眺めてしばし旅情に浸らせていただいた。

夜になっても食欲は湧いてこなかったものの回復のための栄養素を吸収する必要があったのでホテル内のベトナム料理レストラン「Sora & Umi」に予約なしでしけこんだ。コロナビールでウイルスが上書きされることを期待しながら、ウエイターにおすすめの麺類を尋ねたところBun Cha (ブンチャ)を指名してきたので頼んでみることにした。ブンチャは焼いた豚肉とライスヌードルを用いたベトナム料理でサラダ素麺とも呼ばれている代物だ。グリルで焼いた豚肉の脂身(Cha)などを白いビーフン(Bun)にのせ、好みのハーブと甘酢っぱいつけだれに付けて食すのだが、その甘さが裏目に出てヌードルの完食には至らずもかろうじて葉っぱに巻いた焼肉で喉奥の痰を切り裂き肉食系の面目だけは保つことが出来たのだった。

11月24日(金)
朝9時半に朝食ビュッフェ会場に辿り着き、フォーや流動食で何とか胃袋を落ち着かせた。
今日は日がな一日浜田省吾よろしく♪ベッドでドン・ペリニヨン♪的活動に終始しながら♪いつかあいつの足元に BIG MONEY 叩きつけてやる♪というリベンジ妄想にふけるつもりであったが、リゾートの誘惑にはあらがえず、プールサイドに引き寄せられていった。

若いボーイが注文を取りに来たのでマルガリータを発注したものの、その数分後に先輩のボーイが飛んできてピザが焼かれそうであることを匂わせたのであわててクラシカル・マルガリータ、すなわち飲み物のマルガリータを頼んだのだと主張し、何とか事なきを得たのであった。

プールの水が少し冷たく感じる一方で遠浅のビーチの海水は病人には適温であるはずのぬるさだったのでここでタラソセラピーと洒落こむことにした。

透明というよりもエメラルドグリーンの海水は陸からの養分を豊富に含んでいるようであったが、特に魚類と遭遇することもなく、人類のレレレのレ~的アクティビティを横目にしばし緑茶を濁していた。

フーコックではサンセットは毎日見られる訳ではなく、今日は暑い雲に西方の視界を遮られていた。ディナーはいい具合に空いていたカフェレストランSeaShackで取ることにしたのだが、この度新メニューとしてシーフードの盛り合わせが松、竹、梅のランク付けでデビューしたようだったので景気づけに一番高いやつを発注した。スコップで運ばれてきたシーフードの盛り合わせは無造作にテーブル上のキッチンペーパーの上に流し出されたので早速食して見たのだが、甘辛いたれを絡ませた伊勢海老や普通の海老、ムール貝等はそれなりに美味であったのだが、付け合わせのパンまでは喉を通すことは出来なかったのだ。

11月25日(土)
今日も体調の回復がおもわしくなく、♪もうひとつの土曜日♪的なバラードの気分を引きずっていた。恩を仇で返すような♪友達に借りたおんぼろ車で♪と歌唱するほどやさぐれていなかったのだが、とりあえず♪海まで走ろう♪とは思っていた。

ビーチでは丁度パラセーリングがスタートする瞬間を目の当たりにしたのだが、数人がかりの力仕事の成果として晴れて沢田研二の♪TOKIO♪の気分を短時間だけ満喫出来ることが確認されたのだった。

パラセーリングが♪海に浮かんだ光の泡♪になったのを見届けるとさらにビーチの散策を進めることにした。忽然と目の前に姿を現したものは石垣の上に設えられた真珠貝のオブジェであり、MIKIOMOTOの気配はなくともこの島の主要産業が真珠の養殖であることを雄弁に物語っていた。

午後4時のレイトチェックアウトまでの時間をリゾートで満喫し、タクシーで空港へ帰ることになったのだが、ベトナムでは恒例となっているスマホの翻訳ソフトによるタクシー運転手の観光地への勧誘攻撃が始まった。彼は飛行機の出発まで時間があるので真珠の養殖場へ行かないかと誘ってきたのだが、体調の戻りが芳しくない私にとっては「豚に真珠」だと思えたので丁重にお断りし、速やかに空港へと向かわせた。

今日は昼食を抜いていたので空港でやたらとどんぶりサイズの大きい牛肉麺(フォー・ボー)を食した後、17:15発VN1828便でホーチミンへと帰って行った。

すでにホーチミンでの定宿に認定されたHoliday Inn & Suites Saigon Airportにチェックインし、ビールと生春巻きの完食でベトナム料理を締めさせていただくとあとはひたすらドン・ペリニヨンのないベッドで体力の回復に努めていた。

11月26日(日)
早朝4時過ぎに起床し、5時過ぎには寝ぼけタクシーで空港へと向かっていた。タンソンニャット国際空港で最後のフォーを流し込むと7:30発NH834便の機上の人となり、是枝裕和監督のカンヌ映画祭出品作品である「怪物」を見ながら、うちの怪物猫は切れの悪いうんこをしたときに床に肛門をなすりつける伝家の宝刀「うんこ切り」をマスターしているのだが、これも家に運が付く所業であると自分に言い聞かせながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥57,640.- / passenger、 ベトナム航空 = ¥10,570.- / passenger
総宿泊費 US$ 580.22
総タクシー代 VND 1,110,000.- (¥1,000 = VND 167,323)

協力 ANA、ベトナム航空、IHG HOTELS & RESORTS

FTBJ犬山城でどうする!

圧倒的な招き力と猫力を背景に絶対的な猫派を自認するFTBではあるが、今回はひょんなことから犬派の牙城であるはずの犬山に入城し、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」的アクティビティに従事することとなったのだが、さてどうするものか!?

2023年11月12日(日)
午前10時過ぎに八王子市の自宅を出発し、圏央道から東名を経由して新東名に入り、浜松サービスエリアで昼食休憩を取ることにした。出世の街である浜松は家康公ゆかりの地ということで私もその縁起にあやかるべく家康公グルメの中からしぞ~かおでんを選んで食し、ホトトギスが鳴くまでどのような試練にも耐えうる忍耐力の醸成に勤しんだ。

新東名から再び東名に舵を切り、愛知県に侵入すると岡崎ICで高速を降りるとそのまま家康公の息吹を感じる岡崎公園に向かった。

岡崎公園は家康公が生誕した岡崎城を有する自然豊かな歴史公園で大河ドラマフィーバーの流れに乗り、「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」をオープンさせ、戦国武将好きの観光客の取り込みに躍起になっている。

公園に入ってまず私の目を奪ったものは犬のような忠誠心を持つと言われている徳川四天王パフェの看板で、「どうする?」と問われても「高い!」という印象が「映え」への欲望を凌駕するには至らなかった。

岡崎城の隣に鎮座し、家康公を祭神とする龍城神社は神君生誕の朝、城楼上に雲を呼び風を招く金の龍が現れ、昇天したという「昇龍伝説」が残るパワースポットである故か、多くの七五三まいりの参拝客で賑わっていた。

竹千代(家康公の幼名)が生を受けた岡崎城の周囲を半周すると「家康公・竹千代像ベンチ」が格好の記念撮影スポットとして君臨していたのだが、順番待ちの観光客に気を使って肩を並べることは遠慮しておいた。

¥890の支払いで「どうする家康 岡崎 大河ドラマ館」と岡崎城の共通入場券を購入し、松本の潤んだ目力に引き寄せられるように各展示コーナーを徘徊させていただいた。

このドラマは演出上BL(Boys Love)の要素をふんだんに取り入れて視聴率アップを画策していただのが、ご時世がらそのようなものは一切排除され、すべて硬派にまとめあげた展示が印象的であった。

岡崎城に入城するころには日も西に傾きかけていたのだが、歴史的建造物の外観とはうらはらに3層5階建ての天守の内部はモダンな歴史資料館となっており、5階の展望室からの岡崎市内の景観は圧巻であった。、

岡崎城を下城し、出世街道かどうか定かではない道を1時間ほど西進すると歩いているときにふと棒にあたったような感覚を覚えた。気づけば愛知県犬山市の中心部に紛れ込んでおり、名鉄犬山駅前をスルーして木曽川沿いにそびえる犬山城を見上げているうちに本日の宿泊地に到着した。

インターコンチネンタルやホリデーインを展開するIHGグループの中ではインディーズ系であるはずのホテルインディゴ犬山有楽苑は犬神家の一族の有名な殺害現場を彷彿とさせるほどの旅行需要のV字回復により国内外からの多くの旅行者で賑わっていた。

IHGのダイヤモンドメンバーの私に対してご用意いただいた部屋は3階の国宝犬山城正面ビューの上室で戦国時代からの犬の遠吠えが聞こえてきそうなほど非日常感が演出されていた。

天然温泉「白帝の湯」に浸かり、一介の戦国武将から帝王にまで出世した家康公に思いを馳せていたのだが、竹の生い茂る中庭はむしろ人質時代の竹千代の生い立ちとうまくシンクロしているようであった。

11月13日(月)
早朝より白帝の湯で体を清め、部屋から犬山城を見上げると天守の周りを鳥が旋回していたので警備の点も万全ではないかと思われた

9時開城の犬山城の天守にはすでに人影が見られていたので満を持して10時過ぎに出向くことにした。犬山城へと続く道は急な坂道となっており、ショートカットするためには犬猿の仲であるはずの猿田彦神社を経由しなければならなかったので参拝することを忘れなかった。

チケット売り場で¥550を支払い、晴れて国宝犬山城(別名 白帝城)の敷地内に潜入した。犬山城の築城は1537年であるが、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いの際には緒戦で羽柴秀吉方の急襲を受け、羽柴軍と織田信雄、徳川家康連合軍が尾張に集結するきっかけとなったという日本史的にも重要な遺産である。

早速内見する運びとなったのだが、外観3重、内部4階の城内を隈なく見て回るためにはきわめて急な階段を上り下りしなければならず、これが思いのほか重労働となった。

内部に展示されてある遺品は物言わぬ歴史の証人には変わりないのだが、私の心に一番訴えかけてきたものはオードリー春日のネタになったはずの「鬼瓦」であった。

最上階はぐるりと周囲を見渡せる展望所になっているのだが、木曽川を望む立地が最強の防御網を形成している様子が見て取れる。防御の固い犬山城を落城させるための作戦を考えると正攻法では太刀打ち困難なのは明白なので大量の飼い猫を送り込み、どう猛な武将にすりすりして骨抜きにする平和的解決が最も望ましいはずだと考えていた。

下城して敷地内の土産物屋を物色していると芦屋雁之助似のいかつい男の写真が恭しく展示されている様子が目に飛び込んできた。彼は「裸の大将」でならしている山下清画伯であるのだが、大将が服を着ているというだけでここがいかに格調高い国宝であることの証明になるはずであろう。

犬山城のふもとで見た犬山市の公式キャラクターが「わんまる君」であることに猫派への友好性を感じることが出来たので安心してホテルへの帰路に着いた。

ホテルインディゴ犬山有楽苑が醸し出す幽玄はどこから来ているのだろうかという問いに答えるためにホテル専属の庭園という役割を果たしている有楽苑に立ち入ることとなった。一般入苑料は¥1200となっている一方でホテルの宿泊客にはルームキーの提示のみで入苑出来るのだが、有楽苑を見ない代わりに¥1200を宿泊費から引いてくれという要求には応えられないはずであろう。

織田信長の実弟である織田有楽斎は茶の湯の創成期に尾張国が生んだ大茶匠であり、彼にゆかりのある「如庵」という茶室は紆余曲折を経て有楽の生まれ故郷である犬山に腰を据えて今日まで国宝としての地味な輝きを放っている。

秋桜と書いてコスモスと読ませる強引な当て字はさだまさしと山口百恵の楽曲により世の中に定着し、今日に至っているのだが、正真正銘の秋に咲き誇る桜が豊田市山間部の「小原四季桜まつり」として活況を呈しているようなので足を延ばしてみることにした。会場は5ヵ所あるのだが、最初に本部のある「小原ふれあい公園}に駐車料金¥1000の支払いで車を停め、百花繚乱の四季桜と紅葉の競演を期待したのだが、桜はほんの2分咲きで、紅葉の色づきも思ったより進行していなかった。

小原ふれあい公園から徒歩10分の森の中のしなびた神社に「家康の腰掛石」が祀られていたので立身出世、運気UPのご利益を求めて腰を掛けることにした。今から400年ほど前の江戸時代に徳川家康公が小原一円の様子を視察に来たときに床几として石の上に座ったと伝 えられているそうだ。小原町の賀茂原神社に大人で一抱えほどもある石(150㎏)のそばに『御腰掛け石」と刻まれた標柱が 建っており、「力石」とも言われているのだが、「あしたのジョー」のライバルかどうかは定かではなかったのだ。

♪ひ~とはみな一人では生きてゆけないものだから~♪と口ずさみながらふれあい(中村雅俊)公園を後にすると小原で一番四季桜が多く、約1200本の四季桜と紅葉の絶景がご覧になれるとの謳い文句に引き寄せられて「川見四季桜の里」に移動した。

四季桜の開花状況はふれあい公園より進んでいるもののまだまだ満開には時間がかかる様子であったが、所々で四季桜と紅葉の競演が見られ、四季桜まつりの名に恥じない景色には違いないと納得して八王子への帰路に着いたのだった。

FTBサマリー
総宿泊費 ¥27,936
総高速代 ¥12,630
総ガソリン代 ¥5,660

協力 IHG HOTELS & RESORTS

シン・FTB王道バカンス ハワイ オアフ島ツアー

アロハ ボンよ、ハワイ湯!?

というわけで、アフターコロナにもかかわらず、円安の定着により海外渡航客の戻り足が鈍く、航空会社もこぞってキャンペーンによる需要喚起に励んでいる今日この頃であるが、憧れのハワイ航路が♪ウエイクアップ デ・ザイヤ―♪を呼び起こす起爆剤になりうるかどうかを確認するためにオアフ島ツアーを開催することにした。

8月30日(水)
21:30発NH182便B700-300機は定刻通りに成田空港を出発した。機内映画のトップガン マーヴェリックを見ながらまだまだ若い者には負けられないという気概をあらたにしていると間もなくしてダニエル・K・イノウエ国際空港(旧名称ホノルル国際空港)に到着した。飛行時間はわずか7時間弱であった。

ハワイのさわやかな朝日を浴び、メラトニンを増やして時差ぼけを解消すると空港でタクシーを拾ってワイキキ方面に向かった。最初の宿泊先であるヒルトン・ハワイアン・ビレッジまでの道のりはわずか10km程度であったろうが、$50のタクシー代が重くのしかかってくるように感じられた。

12時半に追加料金を払ってアーリーチェックインをさせていただくとダイヤモンドヘッド・タワー上階のオーシャンビューの部屋のベランダに陣取り、おだやかな海に浮かぶヨットやボートをぼ~と眺めていた。

リゾートの敷地内にはヒルトン・ハワイアン・ビレッジの歴史を物語る年表や銅像も数多く設置されているのだが、1961年には映画「ブルーハワイ」の撮影でエルビス・プレスリーが宿泊した事実が大きな金字塔となっているようである。

約15年振りのハワイの雰囲気に酔いしれ、気が付くと昼飯を食いそびれていたので近場のアラモアナショッピングセンターに買う気もないのに足を運んでみることにした。

フードコートで高値のバーガー系のランチで胃袋を落ち着かせたのは良いのだが、ちょっとした日用品の購入の後、財布の中身を見てみると「アラ モぁ ナくなった」というセリフが思わず口をつくようにハワイで使うお金には羽が生えていることが実感された。

日も西に傾いてきた頃にヒルトン・リゾートの目の前に広がるデューク・カハナモク・ビーチを散策させていただいた。このビーチは国際的に有名な沿岸生態学者であるスティーブン・レザーマン博士(通称ドクタービーチ)が毎年選出する全米ベストビーチ・リストで、2014年にはアメリカのベストビーチに選ばれている由緒正しい砂浜である。

ビーチの内側には最新の水循環装置を備えた5エーカーの海水ラグーン、デューク・カハナモク・ラグーンが君臨し、サーフィンやカヌー等のアクテビティとは一味違う静かなひと時を過ごせる憩いの場となっている。

夕日に照らされるダイヤモンド・ヘッドを見送った後、予約なしで着席できたビーチフロントのトロピックス・バー&グリルにしけこんでディナータイムとなった。ハワイアンシーフードメドレーと和牛ブリスケを食させていただいたのだが、和牛にかかっている自家製バーベキューソースが市販品のA1ステーキソースと大差ない味である以外は非常にゴージャスな気分を味わうことが出来たのであった。

8月31日(木)
午前中の涼しげな気候につられて、おもむろにヒルトンを飛び出すとワイキキ・ビーチ方面に向かって歩を進めた。ビーチにはすでにリゾート客が繰り出しており、皆それぞれの出で立ちで小麦色のマーメイドを目指していた。

ワイキキのセンターとして不動の地位を確立しているロイヤルハワイアンセンターの数あるダイニングからアイランド・ヴィンテージ・ワインバーを選択し、ハワイアン系のプレートを発注して遅めの朝食を取ることにした。クレジットカード支払いによるチップは15%, 18%, 20%, 22%の言い値系選択制になっているもののハズキルーペの力を借りなければ細かい数字の確認が出来ないため、どうしても真ん中あたりに狙いを定めて☑マークを記入することになってしまうのだ。

ワイキキのメインストリートは巨大なショッピングセンターとしてブランド店の見本市と化しているので買う気がない私であっても購買意欲をそそられないようにANAが運営しているマハロラウンジにエスケープした。ANAのテリトリーということで心を許してくつろいでいたのだが、巨大ホテルブランドであるマリオットの回し者に$100をやる代わりにマリオットバケーションクラブ見学説明会への参加を勧められたので一本釣りされてみることにした。

マリオットとのアポ確定後、ヒルトンに戻ってプールサイドでくつろごうかと思ったのだが、どのプールや設備も芋洗い場と化しているようだったのでかろうじてアイスクリームを食すと一旦部屋に引き払い、体制を立て直して夕暮れ時に再びワイキキに舞い戻ってきた。

プーチンの影におびえることなく、カメハメハ大王と人気を二分するはずのデューク・カハナモク像にハワイへの帰還を告げるとしばしザ・ベンチャーズが奏でる電気ギターのテケテケサウンドの幻聴とともに波乗りジョニーや波乗りパイレーツを傍観した。

地元の画家の作品を数多く展示するギャラリーで絵になる男であるはずの長嶋一茂の幻影を一瞥し、エンタメディナーの鉄板となっているはずの鉄板焼き屋である「田中オブ東京」に入店した。先にマリオットから$100のバウチャーを授与されていたので夕食代にあてるべくANAトラベルに予約させておいたのだ。

ハワイカクテルの主流派であるはずのブルーハワイやマイタイで気分を高めると「田中」より技術を引き継いだはずの地元シェフによる鉄板用調理器具であるコテを使ったこてこてのパフォーマンスの幕が切って落とされた。ジャグリングの際にコテを落とした時は単なる小手先のパフォーマーかと思ったのだが、鉄板上での失敗にもテンパることなく見事に客のハートに火を灯したのだった。

9月1日(金)
チェックアウト時間ギリギリの11時までヒルトンで過ごした後、タクシーで空港まで移動し、ハーツレンタカーでKIAの普通車をレンタルした。ハワイは1年中温暖な気候でいつ来ても気軽にバカンスが楽しめるのだが、ワイキキ周辺の喧騒には辟易とさせられるので比較的人口密度の低いノースショアに移住するプランをあらかじめ組んでおいたのだ。

ノースショアのオールドタウンであるハレイワに到着すると、あたかも翼が生えたような♪バンザ~イ 君に会えてよかった♪的なテンションの高まりを感じた。そこにはウルフルズの代わりにBANZAI BOWLSの看板が掲げられており、朝のいい気分のうちに食すると思わず諸手を上げてしまうはずのメニューであるアサイー・ボウルがメインになっているので高値で発注してみることにした。

けたたましいミキサーサウンドですり潰したアサイースムージーの上には各種フルーツやナッツが盛り付けられており、カロリー消費量が激しいはずのサーファーの美容と健康にはうってつけの栄養食である。

ノースショアの海岸沿いの国道83号線の道路状況はスムージーとは程遠く、数回の地獄渋滞を乗り越えて今日から2日間お世話になるコートヤード バイ マリオットオアフ ノース ショアに到着した。ワイキキのリゾートホテルではないのにリゾートホテル並みの宿泊料と1日$20の駐車場代の支払いはFTBの財政を圧迫したもののこのマリオットグループでの宿泊が後日大きな恩恵をもたらせてくれたのだった。

ホテルの隣の広大な敷地でポリネシア・カルチャー・センターが圧倒的な存在感を誇っていたのだが、入場せずに軽く周囲を見学するにとどめておいた。それよりも近隣のスーパーやダイニングでの物品の相場の確認に余念がなかったのだ。

ビッグウエーブが押し寄せるサーフィンの聖地ノースショアは夏はベタ凪になると聞いていたのだが、ビーチにはそれなりの波がうねっており、地元住民の夕飯前の最適なエクササイズ環境が提供されていたのであった。

9月2日(土)
早朝よりローカルフードを提供してくれるはずの近隣のダイニングに寄ってみたのだが、人が並んでいるようだったので断念して再びハレイワに向かった。特に渋滞にも遭遇せずスムーズなドライブに気を良くしてBANZAI BOWLSでアサイースムージーを流し込んで朝食とした。

金銭出納には常に気を付けているつもりであるが、今回のツアーでは思わぬ物価高に見舞われ多額の出費を余儀なくされている中で、今後収支バランスを保っていく術を身につけさせていただくためにとあるパワースポットに向かった。

カイアカ・ベイ・ビーチ・パークと言う海に面した公園の中で車を停めるとおもむろにパックマンの強い引力に引き寄せられてしまった。

現地語でポハクラナイと呼ばれる伝説の岩は直訳すると「岩のベランダ」であるが、洗濯物も干せそうにないので通称バランスロックと呼ばれている。

この代物はハワイ先住民の故郷であるタヒチから流れてきて、霊力のある岩という言い伝えがあるので、不思議な力を有しているはずであろうことから投打のバランスにおいてはすでに伝説となっている大谷翔平選手も訪れ、パワーチャージした実績があるそうだ。

ちなみにハンバーガーの具になった心境を共有するためにマクドやモスの社員研修ツアーのコースになっているかどうかは定かではない。

パワーバランスの一端を垣間見た後、車は南に進路を取り、真珠湾を思い出すPearl CItyから西に切り込み、KO OLINAビーチを目指した。目的はむろんマリオットバケーションクラブ見学説明会に参加するためであった。

Valletパーキングに車を預けると颯爽と会場のコナタワーの14階に向かった。そこで出迎えてくれたセールスエグゼクティブのレディは勧誘ノルマを抱えているはずで♪きっとお前も悩めるマドンナ♪に違いないと警戒心が湧き上がった。

マドンナの説明によると目の前のラグーンは熊谷組が設計し、どんな嵐が起こってもビーチに高波が押し寄せることはないとのことであった。また、マリオットの敷地のとなりは広大な空き地となっており、ここで2014年に嵐15周年の野外公演が開催された実績まで誇っているという。

アイドルの所属事務所に嵐が吹き荒れている状況はさておき、マドンナが繰り出す条件は特にシャイな言い訳を仮面で隠している様子もなく、勧誘もさほど強引ではなかったのでいつしか前向きな検討段階に入っていった。通常であればマドンナの上司であるシニア・ディレクター登場による締めの特典をもって合意となるのだが、その前の段階、すなわち今回マリオットグループで宿泊している旅行者には無条件で1000ポイント贈呈するという殺し文句ですでにダイヤモンドヘッドのある東の山の方から♪いぃっそ エクスタシーィ♪ ♪強っく♪ ♪強っく♪というクライマックスの声が下りてきたような感覚を覚えていたのであった。

無事に契約書にサインを済ますと今日はリゾートの設備を自由に使ってもよいとのことだったので早速ロッカーで水着に着替え、ネズミ駆除のために放たれているマングースによって♪時を止めた楽園♪に導かれた。

♪とけて 魔性のリズム♪に体が支配されはじめたころリゾートを後にして帰路についたのだが、今後KO OLINAビーチがハワイにおける別荘の役割を果たすかどうかはFTBの匙加減にかかっているはずであろう。

ホテルへ帰る道すがらで海亀渋滞を引き起こすビーチに立ち寄ってみた。ハワイでは海亀をホヌと呼び、ノースショアのラニアケア・ビーチ付近はホヌが上がってくるため、その見学のために慢性的な渋滞が発生するとのことであった。幸か不幸かホヌは不在でその代わりにサーファーが波に上がっている姿を見て留飲を下げることが出来たのだった。

9月3日(日)
今回のツアーにてヒルトンからマリオットへの華麗なる転身を土産に空港へと向かった。空港で待っていたのは生身の海亀ではなく、フライングホヌと呼ばれる海亀文様をあしらった大型機であった。途中ハワイ出身の名野球選手であるウォーリー与那嶺のメモリアルで、お金を使いすぎた罪はDo not ウォーリーで問題ないとの啓示を受けたのでそのまま13:00発NH181便A380機に乗り込み帰国の途に着いた。

9月4日(月)
機内のオーディオプログラムで70~80年代の楽曲を聴きつつ、近年では仮面舞踏会は記者会見と同義語になってきていないかと訝りながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥106,180 / passenger
総宿泊費 $1,796.95
総タクシー代 $110
総レンタカー代 $127.8
総ガソリン代 $22.46

協力 ANA、ANAトラベル、Hiltonhhonors、MARRIOTT VACATION CLUB、ハーツレンタカー

FTBサミット夢跡ツアー in 厳島神社

先月開催されたG7広島サミットの成果としてウクライナに平穏な日々が訪れ、核軍縮は実行されるのであろうか?
この疑問に対する答えを求め、今回のツアーの目的地として厳島神社が選定されたわけだが、コロナ明けの人気観光地も人手不足で猫の手も借りたいはずなので事前に猫集会を開いて対応を協議しておくことも忘れなかった。

2023年6月10日(土)
12:30羽田発予定であったANA635便岩国行は羽田空港A滑走路近くの誘導路で、台湾のエバー航空とタイ国際航空の旅客機2機が接触した影響で1時間以上の遅れを出したため、山口県東部の岩国錦帯橋空港に到着したころにはすでに午後3時を回っていた。

早速ニッポンレンタカーでトヨタのヤリスをレンタルしたのだが、錦帯橋を世界遺産に推しているポスターを見ていささかやりすぎではないかと感じながらヤリスを転がしていた。約15分程のドライブで山梨県大月市の猿橋、徳島県三好市の祖谷のかずら橋とともに日本三奇橋として君臨している錦帯橋に到着した。

1673年に岩国第三代藩主の吉川広嘉によって架けられた錦帯橋であったが、残念ながら政治家の情報漏洩よろしくすぐに流失してしまったそうだ。しかし改良を加えて翌年再建された錦帯橋は、1950年9月にキジア台風による洪水で流失するまで276年の間、架替えを繰り返しながら威容を保ったという。

流失後、鉄筋コンクリートで再建という意見もあったそうだが、市民の強い要望により、1953年に再度、木造の錦帯橋として再建され、現在に至っている。平成13年度(2001)から平成15年度(2004)にかけて、劣化した木造部分を架け替える「平成の架替事業」を行い2004年3月、装いを新たに完成し、訪れる人を魅了し続けているのだ。

橋の形状であるが、5連のうち3連がアーチという木造橋は世界にも類を見ないもので、夏季には鵜飼いも楽しめるようでそれに関連するかどうかわからない釣り人も数人散見された。

錦帯橋への入橋は¥310の支払いで往復可能となっていたので町側から山側に向かって橋を渡らせていただいたのだが、セット券販売されているロープウエイによる岩国城への入城は時間の都合で断念せざるを得なかった。次回は屋形舟に乗って伝統的な鵜飼による夜の鮎漁を観賞しながらライトアップされた錦帯橋を愛でつつ地元北九州の若戸大橋や関門橋といった海峡をまたぐ吊り橋にも思いを馳せなければならないことであろう。

錦帯橋の勤怠管理システムにより営業時間が決まっているはずなので余裕をもって退勤させていただき、広島方面に車を走らせた。広島東洋カープの練習場と寮に隣接している安芸グランドホテルに首尾よくチェックインを果たし、「やっぱ広島じゃ割」クーポンをゲットして気を良くするとフロントで深々と頭を下げている銅像と目が合ってしまった。それはあたかもオリラジ中田率いるパフォーマーがG7首脳というパーフェクトヒューマン達が一堂に会した広島サミットを讃えているかのようでもあったのだ。

8階の部屋から名物牡蠣の養殖棚が並ぶ瀬戸内海を見下ろし、宮浜温泉を引き入れた内風呂「平安の湯」で旅の疲れを体の中からほぐした後、懐石系の夕食で舌鼓のメロディーを奏でていた。

瀬戸内海を挟んでいるが宮島フロントに君臨している安芸グランドホテルの桟橋から世界遺産ナイトクルージング(¥2,000)なるものが運航されているのでチェックインの際にすでに9時20分発の便の予約をかましておいた。

中島みゆきよろしく銀の龍の背に乗るような感覚で船は静かに出向し、一路厳島方面に向かって行った。夜の厳島神社では大鳥居がライトアップされ、光と影がとけあって、とても神秘的な時間が流れているようであった。小雨そぼ降る中、観光客はその様子をカメラと心に刻みつけながら、30分のクルージングに酔いしれていた。

6月11日(日)
大物芸人にも決して物怖じしないはずの♪I am a perfect human♪に別れを告げ、ホテルをチェックアウトするとあっちゃんの言動はいくら何でもやりすぎではないかと思いながらヤリスを転がして宮島口に向かっていた。

宮島口に宮島観光協会が開業していたので中に入ってみると「けん玉発祥の地」という輝かしい称号とともに宮島の干潮・満潮時刻を表示したしゃもじが目に飛び込んできた。宮島は日本一の木製しゃもじの産地だけでなく、しゃもじの発祥の地として有名で広島出身の岸田首相がウクライナ電撃訪問の折にゼレンスキー大統領に宮島のしゃもじを献上して「敵を召し取れ」と檄を飛ばしたそうであるが、広島サミットでの会談の際には支援物資のおかわりについて議論されたようである。

宮島口から10分おきに運航されているJR西日本宮島フェリーに乗り、10分ほどの航海で宮島フェリーターミナルに到着した。

みちのくの松島、京都の天橋立とともに日本三景の一角を担っている宮島であるが、厳島神社へ向かう道すがらおびただしい数の人なれした野生の鹿に遭遇するのだが、奈良公園における鹿せんべいのような餌付けはされていないので観光客の隙をついて食べ物を強奪する光景が散見された。

朝食での牡蠣グラタンの摂取が腸内環境に影響を及ぼしたためか、便所に立て籠もる回数が増えてしまったものの無事厳島神社の観光コースに乗っかることが出来た。

ここでの最大の見どころは何といっても潮の満ち引きの塩梅による大鳥居との大捕り物であるのだが、歩いて行けるタイミングと神社が海に浮かんで見えるタイミングを逃さないためには終日宮島にいなければならないはずであろう。

さらに厳島神社を慈しむために¥300という世界遺産としては破格の安さの拝観料を支払ってお参りさせていただくことにした。

拝殿、本社本殿等、威厳のある建造物には圧倒された一方で境内の中の御手洗の存在は観光客に安心感を与えるのだが、御手洗川には決して排出してはならぬことを肝に銘じて見学させていただいた。

ところで、厳島神社と言えばその造営者である平清盛の存在を忘れてしまっては困るのであるが、平家は清盛から代々篤くこの神社を信仰してきた。一方宮島の人々も清盛に深い愛着を持っており、清盛没後770年にあたる1945年には、「清盛を祀る社を」という宮島の人々の思いから清盛神社が創建され、見事その愛が結実されたのであった。

宮島にはびこる「馬と鹿」を目にした米津玄師も思わず♪これが、愛じゃなければ何と呼ぶのか僕はしらなかったぁ~♪と口ずさんでしまったことであろう。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥16,740 / passenger
総フェリー代 ¥360 / passenger
総宿泊費 ¥39,100(2食付き、2名様)
総レンタカー代 ¥6,710
総ガソリン代 ¥493
総高速代 ¥430

協力 ANA、楽天トラベル、ニッポンレンタカー

シン・FTB Los x ロス = 二刀流Show Timeツアー

コロナ自粛中のGWはまるで猫が寝込んだようにおとなしく過ごさざるを得なかったのだが、待望のコロナ明けを迎えても円安に苦しむ日本人旅行者はコスト面で自主規制を余儀なくされている今日この頃である。

このたび運よくANAよりSuper Valueという破格の運賃による航空券をゲット出来たので、過去数年分の旅行ロスを取り戻すべくLos方面へのツアーが敢行されることとなったのだ。

2023年5月1日(月)、5月2日(火)
連休のはざまとなっている5月1日(月)の裏の仕事をさくっとこなした後、日の暮れるのを待って羽田空港第3ターミナルへとJR横浜線、京急羽田空港線を走らせた。おなじみのANAのSuite Loungeで夕食とアルコール入り飲料で体の調子を整えると日付の変わった0:30発NH106便に乗り込み、フライト時間の大半を無意識状態で過ごせるように狭いエコノミー席での体勢の調整に余念がなかった。

5月1日(月)
太平洋上の日付変更線を超えたことに気づかないまま、飛行機は前日の5月1日(月)午後5時頃ロサンゼルス国際空港トム・ブラッドレー国際線ターミナルへ到着した。米国入国の際にそれなりの時間がかかることは想定済みだったのでストレスなくイミグレーションとカスタムを通過すると上階に上がり空港周辺を巡回するHotel Shuttle Busに乗り込み、Holiday Inn Los Angeles – LAX Airportにしけこんだ。

これまでの裏の仕事のハードな出張による副産物としてIHGリワーズクラブのポイントをためこんでおり、宿泊料は無料の恩恵を受けたので、代わりにホテルのレストランに金を落とさなければならない義務感でビールとメキシカン料理で脂肪で覆われた小腹の隙間を埋めさせていただいた。

5月2日(火)
IHGダイヤモンド会員に無料で供される朝食の施しを断り、早朝6時にホテルを出発するShuttle Busに乗りこんだまでは良かったもののバスの運転手や同乗客から下車するべくターミナルを惑わされたため、目的のTerminal 7に辿り着くまでに余計な時間を要してしまっていた。

何とかUnited Clubで朝食を取れる時間が確保出来たのでアメリカンブレックファストで栄養補給を行うと8:26発UA1185便でメキシコのLos Cabosに向かった。ところで何故今回のツアーでLos Cabosが目的地に選定されたのかであるが、第一の理由は単純に行ったことがなかったからなのだが、第二の理由は私が昔勤めていた米国の故シマンテックという会社がITバブル華やかなりし頃、グローバルの多数の営業を引き連れてAchiver’s Tripという名目でLos Cabosで豪遊しやがったという行けなかった者からすると忌まわしい過去の怨念を払拭するためである。ちなみに私は営業ではなくマーケティングだったので最初からAchiverの土俵には乗っていなかったのだが・・・

いずれにしても2時間超のフライトで砂漠の大地を縦切り、バハカリフォルニア半島の最南端に位置するLos Cabos国際空港に到着する運びとなった。多くのアメリカ人バカンス客と一緒にメキシコへの入国を果たすと割高だが明朗会計の前払いとなっているエアーポートタクシーに乗り込み、まずは本日の宿泊予定地に向かった。車窓からはバハカリフォルニア半島の乾いた大地を賑わせているサボテンの姿が見受けられたのだが、前述のAchiver’s Tripの旅行者へのはなむけの言葉はマサに「サボってんじゃ~ね~!」がふさわしかったのではなかろうか?

ちなみにロス・カボスはメキシコの基礎自治体で半島南端のカボ・サンルーカスと東側のサンホセ・デル・カボの二つの主要都市のほか、いくつかの村を含んでいるという。二つの都市を結んでいるのは幹線道路の国道一号線でこの道路上に各種ホテルが軒を構えているのだが、今日はカジュアルなビジネスホテル系のHOLIDAY INN EXPRESS CABO SAN LUCASにIHGの24,000ポイントの支払いで宿泊することとなっている。

チェックイン後、とくにすることもなかったので小さなプールのあるホテルの敷地を散策し、停泊しているクルーズ船を眺めながら感染拡大の温床となったことはもはや過去の遺物だと言い聞かせていた。

国道一号線の主要都市間は市バスが頻繁に往来しているので紫外線が弱まってきた時間を見計らってバスでサンルーカス方面に向かった。初めての土地ゆえ、下車するべくバス停を無意識に通り越し、バスはどんどんダウンタウンの奥地に向かって行ったので適当なところで降りてスーパーマーケットでトイレ休憩をさせていただいた。生鮮食品売り場を見渡すと、さすがに海沿いの都市だけに提供される魚の種類は豊富であったのだが、とりあえず闇営業の仲介で吉本を首になったカラテカ入江をしのぶことが出来るはずのスナック菓子は購入しておいた。

慣れないスペイン語とメキシコペソ(M$)の現金払いの市バスの乗車に苦労を重ねながら、何とかサンルーカスの見どころが集まるマリーナ周辺まで漕ぎ付くことに成功した。

サンルーカスは観光用に整備された人工的な都市の印象は否めないが、街自体の装飾や演出が優れているので歩いているだけでリゾートの気分は自然に盛り上がっていくのである。

マリーナに係留されているおびただしい数のクルーザーを見てもわかる通り、ここでの主なアクティビティは加山雄三的な舟遊びであるのだが、今回は日程の都合で老人と海のように大海に乗り出すようなことはなかったのだが、天空を突き刺すカジキと地面から生えているサーフボードのオブジェだけで疑似マリンスポーツ体験を賄うことが出来たのであった。

夕食は多くの飲食店の中から雰囲気の良い音楽が流れているシーフードメキシカン系のレストランで取ることにした。メキシコでは乾杯の音頭はコロナビールで取るはずなのでそのしきたりには従うことにしたのだが、ビールのお供の柑橘類がライムであることに多少の不安を覚えざるを得なかった。その心は北部九州出身である私のような輩はこのような状況では大分県名産のかぼすを絞ると相場が決まっているのだが、ロス・カボス滞在中の間は「かぼすロス」に苛まれ続けることが確定したからである。

5月3日(水)
午前10時過ぎにはHOLIDAY INN EXPRESSをチェックアウトし、ホテルで手配したタクシーに乗り込むとリゾート気分による胸の高まりを抑えつつ、今日から泊まることになっているHilton Grand Vacations Club La Pacifica Los Cabosに向かった。完全プライベートリゾートであるがゆえにゲートで宿泊予定者名簿と名前を照らし合わせた後、晴れて敷地内への入場が許されたのでフロントでチェックインする運びとなった。

ウエルカムドリンクは、日本では高校球児の主要なヘアースタイルを模しているはずの丸刈り~タとレモネードが選べるのであるが、少しでも早くリゾート環境に適応するためにマルガリータを一気飲みしてフロントデスクで宿泊手続きを行った。デスクではサボテン並みのとげとげしい対応ではないもののチェックイン時間の午後3時までは部屋に入れないとのことだったのだが、ホテル内の施設は自由に使えるとのことだったので早速リゾート内の散策と洒落こんだ。

あいにくの曇り空ではあったもののプールやビーチを眺める限りではここロス・カボスがユカタン半島のカンクンとともにメキシコ最強クラスのリゾート地であることは疑いの余地はなく、松任谷由実が推薦するはずのアカプルコさえ霞んでしまうほどの絢爛ぶりが窺えた。

ビーチまで下りてみると今は亡き日通のペリカン便を偲んでいるかのような怪鳥が岩の上で魚待ちをしている姿を見てこの海の生態系の豊かさを感じ取った。

ビーチのアクティビティとして水上バイク、乗馬、小舟等があるようであったが、リゾート客はあまり関心を示していないようであった。

待望のチェックインを済ませると早速水着を着こんでプールバー方面に向かった。とはいえビリヤードの設備があるはずもないので皆アルコールを飲みながらそれぞれのスタイルで水平線に向かってくつろいでいたのだった。

夜のとばりがおりてもリゾート内は落ち着いた雰囲気をとどめており、浴びるほどの酒を飲みすぎて「許しテキーラ」と温情にすがろうとする者も♪シエリト・リンド♪を合唱するホセやサンチアゴのアミーゴ達も参上することはなかったのだ。

5月4日(木)
昨日の曇天とは打って変わって早朝より青空が広がり、いよいよリゾートがその実力を遺憾なく発揮出来る環境が整った。

リゾートのメインレストランであるTalaveraで高値で供されるビュッフェ朝食を軽快な流しのギターのメロディーとともにゆっくりと楽しんだ後、水着に着替えるとプール沿いの至る所に設置されている大判のタオルをわしづかみにするとコロナビールと一緒にデッキチェアに身を委ね、リゾート活動の定番となっているはずのプールサイド読書に勤しむことにした。

ハズキルーペを介した読書で目に疲労がたまってきた頃を見計らってプールにどぼんしてビーチで展開される人間模様にしばし目をなじませてピント調整を行った。

ビーチもプールも野性味に欠ける感は否めないのだが、突如姿を現したイグアナ越しに眺める海の青さは圧巻であり、これぞマサにメキシカンリゾートの神髄であると思い知らされた。

喉の渇きを覚えるとそのままカウンターでマルガリータを発注し、イグアナに乾杯したのだが、つまみのピザであるはずのマルゲリータがないのが唯一の難点といえよう。

結局日が西に傾きかける時間まで至福の時間を堪能したのだが、リゾート客が去った後のプールは鏡のように周囲のヤシの木を写し取っていた。

今回FTBが泊っている部屋はコスト面を配慮してプールフロント1階のパーシャルオーシャンビューであったのだが、後々ハウス猫のコンシュルジュ付きであることが判明した。奴はしなやかな肢体とともに突然姿を現し、心理的癒しのサービスを提供すると名作映画のように風と共に去って行ったのだった。

今日のディナーは予約が必要だと言われていたが、実際には予約しなくても入れたVelaというイタリアンレストランで取ることにした。

女性の妖怪人間系の名前を冠したはずのベラでは主にシーフード系の料理を召し上がったのだが、地元の食材を伝統的イタリアンにマッチさせた手法により、リゾート暮らしで脳みそを溶かし、人間性を失ってしまった観光客も思わず「早く人間になりた~い」とうなってしまうほど美味にアレンジされていた。

5月5日(金)
わずか二泊三日のリゾート滞在の最終日を迎えた。昨夜のディナータイムの静けさとは打って変わって朝食レストランのTalaveraは活況を呈しており、昨日着席したオープンテラスが満席だったので屋内のテーブルに席を取ったのだが、内と外では違う価格設定がされているようで、開放感に劣るが食べ物への距離が近い屋内は価格的にやや有利であり、ライブオムレツやサボテンをもすりつぶすことが出来るはずの強力ミキサーを要するスムージーバーにもスムーズにアクセス出来たのだった。

チェックアウト迄の貴重な時間はビーチで過ごし、海辺で繰り広げられる人間模様をボ~と眺めていた。

すでに日よけ用の帽子やアクセサリーを売りさばく商人たちも虎視眈々と商機をうかがっていたものの、決してリゾート客のプライベートスペースに土足で踏み込むような押し売り営業はしないので商品に興味のない客にとって彼らは単にビーチを彩る景色の一部でしかなかったのだ。

午前10時にホテルをチェックアウトし、タクシーで空港に向かった。カラフルなロス・カボス国際空港はメキシコ国内や米国主要都市からの様々な航空会社のフライトで賑わっており、そのアクセスの便利さからリピーターもかなり多いはずだとあらためて認識させられた。

12:25発UA547便は30分程遅れて出発し、ロサンゼルス国際空港トム・ブラッドレー国際線ターミナルへ到着したのは午後3時半を回った時間であった。さらに長い列の入国審査を突破するのもかなりの時間を要してしまった。何とか米国への再入国を果たすとHearz Rental Carのシャトルバスに乗り、Hertzの営業所に着いたのだが、ここでも長蛇の列の洗礼を受けてしまった。何とかTeslaのModel 3を入手して目的地に向かおうとしたが、モータリゼーションの申し子であるロサンゼルス名物の渋滞にはまってしまったのだ。

1998年の夏以来、25年ぶりに訪れたエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムであったが、$20の支払いで駐車場に滑り込んだ時にはすでに試合開始となっていた。巨大なエンゼル帽をあしらった球場正門の装飾は当時と変わらなかったのだが、そこに君臨するエンゼルスの主である二刀流使いにより新たな時代の息吹が感じられた。

ア・リーグ西地区首位を快走するテキサス・レンジャーズを迎え撃つエンゼルスは大谷を3番指名打者に据えて立ち向かったものの、序盤はレンジャーズに3点のリードを許し、大谷のバットからの快音も聞こえないまま試合は淡々と進んだ。

日本では「こどもの日」ということもあり、折り紙兜を被った日本人ファンの姿も見受けられたのだが、今日はエンゼルスの選手にホームランは出ず、ホームラン・セレブレーションで鹿児島の甲冑工房丸武産業製の兜を「パイルダー・オン」する兜甲児的なパフォーマンスは見ることが出来なかった。

今日のShow Timeは残念ながら野球のパフォーマンスではなく、巨大スクリーンに映し出されるコーセーによってあ~せい、こ~せ~と演技指導された姿のみであったのだが、通常は♪飛ばせ 鉄拳 ロケットパンチ♪によって放たれる外野センター奥の巨大な人工岩と滝まで架けられるアーチの軌道が期待されている。ちなみにその装飾はかつて親会社であったウォルト・ディズニー・カンパニーの時に大幅な改修に着手して出来たものの名残であり、エンゼルスの選手がホームランを打つと、約27メートルの高さまで火が勢いよく噴き、花火も打ち上がるアトラクションが提供されている。

メキシコでの思い出を胸に売店でタコスとブリトーを買って景気づけをすると逆転猿と和訳される「ラリー・モンキー」のラリッた姿に後押しされ、9回裏ツーアウトの土壇場からエンゼルスが同点に追いついてしまった。

試合は延長戦に突入し、ノーアウト2塁から始まるタイブレークの10回表のレンジャーズのスコアボードに首尾よくゼロが記された。10回裏のエンゼルスの攻撃は主砲トラウトからであったが、最近の試合で虹ますのようなアーチをかけずとも申告敬遠の憂き目に会い、切り身にされるような断腸の思いで一塁に向かって行った。

ノーアウト1塁、2塁のサヨナラの好機にShow Timeがお膳立てされたものの、大谷はセカンドゴロに倒れ一死1・3塁で大谷が一塁ベースコーチに反省の弁を述べたのも束の間、次打者アンソニー・レンドンへの初球はワイルドピッチとなり、期せずしてエンゼルスがサヨナラ勝ちを収め、球場内は歓喜の嵐に包まれたのであった。

5月6日(土)
IHGリワーズクラブのポイントがさらに余っていたので25000ポイントの支払いで宿泊したCandlewood Suites Anaheim – Resort Areaをチェックアウトするとディズニーランドの城下町であるアナハイム市内をModel 3で軽く流し、空港近くのサンタモニカまで足を延ばしたのだが、桜田淳子の♪来て 来て 来て 来て サンタモニカ♪という歌声に統一教会の幻影を感じたので車から降りることなくそのままHeartzの営業所に帰って行った。

17:15発NH125便は定刻通りロサンゼルス国際空港を出発し、機内映画の「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」を見ながら次のメキシコツアーの折にはヒューストン空港を経由することになるだろうと考えていた。

5月7日(日)
飛行機が日本に近づくにつれ、Losでの楽しい生活が走馬灯のように脳内を駆け巡りLosロスの感情が押し寄せてきた。マサにそれはロス・インディオスとシルビアが歌う♪別れても好きな人♪に通ずるものがあったのだが、その歌がヒットしている当時の六本木のスナックで歌われていた♪別れたら~ 次の人♪のように未来志向が重要ではないかと思いながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ANA = ¥134,540 / passenger、United航空 = ¥32,350 / passenger
総宿泊費 US$1,065.68
総レンタカー代 US$114.23
総タクシー代 US$115、M$1,000(M$1 = ¥7.8)
総バス代 M$104

協力 ANA、United航空、IHG、HILTONHHNORS, Heartz Rental Car

天照大FTBツアー in 伊勢志摩

暖春の影響で日本列島の桜前線の進行が異常に速かったのだが、辛くも山梨の桃源郷とともに富士桜と五重塔のマリアージュを堪能することが出来たものの何か物足りないような力不足を感じていた。

例年1月に参拝させていただく邦人の心のふるさと伊勢神宮であるが、今年は内宮の駐車場への道筋の尋常ならざる混雑により途中でのドロップアウトを余儀なくされ、後日のリベンジ参拝を誓いながら一旦お伊勢参りを強制中断させていた。

花見シーズンの喧騒が去るのを待ち、春風に乗ってやってきたインバウンド観光客の大群を横目に日本有数のパワースポットへと満を持して舞い戻るツアーの火蓋が今ここに切って落とされたのだ。

2023年4月7日(金)
午後1時過ぎにミナミノ~ゼと言われる八王子みなみ野の自宅を出ると高尾山ICから圏央道に入り、新東名、伊勢湾道路を経て渋滞ノイローゼに苛まれることなく順調に自家用車を走らせると5時過ぎに本日の宿泊地であり、お伊勢参りの定宿に指定されている榊原温泉湯元榊原館に到着した。

全国旅行支援制度の活用による宿泊費の割引のみならず「おいでよ三重旅キャンペーン」の¥2,000クーポン2枚を握りしめてチェックインを果たすと早速夕食会場に向かった。榊原館では美と健康をテーマに献立作成しており、「温泉野菜蒸し」という旬の野菜を効能の高い温泉で蒸しあげたものが定番となっているのだが、今回はそれに加えて地物一番「特選松阪牛」が食卓を彩った。

ワールドベースボールクラシックで頂点に舞い戻ったサムライジャパンの活躍は記憶に新しいところだが、第1回、第2回のWBCで連続MVPを獲得したレジェンド松坂大輔が解説者の仕事に飽き足らずに準決勝の始球式に登場した時の対松坂桃李比2倍に膨れ上がった横幅を誇る堂々たる体躯に衝撃を覚えた視聴者も多かったことであろう。夕食の松阪牛のラインアップにイチボが並んでいるのを見て、高卒でデビューした平成の怪物がイチローから連続三振を奪った後のヒーローインタビュー時に発せられた「自信が確信に変わった」という流行語が脳内でリフレーンされながら松阪牛をレアで堪能させていただいたのだった。

「お伊勢さん湯ごりの地」としてその名を轟かせている榊原温泉の歴史は古く、約2000年前、伊勢の地に天照大神が鎮座され、皇女・斎王が神宮を祀ってきた。伊勢神宮の参拝前には、天皇たりとも身を清めなければならない。奈良の都から伊賀を抜け、布引山(青山高原)を越えた榊原が伊勢の入口にあたり、ここに湧く温泉で「湯ごり」をして身を清めることが、当時の正式な参拝方法であった。

また、七栗の湯との異名をとる榊原温泉であるが、平安時代の才女、清少納言の随筆「枕草子」の第百十七段に、「湯は七栗の湯、有馬の湯、玉造の湯」という一節がある。七栗の湯は京の都で温泉の代名詞となり、特に恋の病を癒すいで湯として、鎌倉時代から室町時代にかけて多くの歌人に詠われた。

現代ではまろみ源泉としてそのパワーは衰えることなく、温泉宿・ホテル総選挙でうる肌部門全国エリアランキング第1位の座を長年防衛している様子が見て取れた。

館内には源泉神社が祀られ、その源泉温度31.2℃は飲用にも適しており、その強力な温泉力により体の内外からデトックス効果を高めることが出来るため、神宮と対峙するころには完全に毒抜きされた状態となっているはずである。

4月8日(土)
早朝から榊原温泉での湯ごりをゴリゴリと満喫すると腹が減ったので食事会場のダイニング厨草子で健美食を完食したのだが、温泉の効能も相まって呼吸が「全集中」に高められていることに気づかされた。なるほど、そこには米俵とともにそれを炊き上げる竈門が奉られており、炭治郎紋様を彷彿とさせるはんてんに身を包むと「鬼滅の刃」のような研ぎ澄まされた感覚も身に付くのであった。

さらなるパワーアップを求めて木へんに神の字が示すように神と人との境界を表す榊原の地を探索することにした。この地は自生する榊枝を井に浸し伊勢神宮に献上されたことから、榊原と呼ばれるようになったとのことだが、その井が射山神社鳥居の正面にある長命水である。

また、本殿手前にあるのが、大国主命の別名大黒様が打ち出の小槌を持った像で、ピンク色ののぼりの間に鳥居があるのだが、ここが縁結びの強力パワースポットとなっている。マサに恋柱 甘露寺蜜璃に匹敵するパワーを持っている聖地と言えるであろう。

射山神社の境内には驚くほどの高木や古木が立ち、歴史の長さを感じることが出来るのだが、神社の前の道沿いにも生命力の塊のような古木の巨大な根が顔を出しているのだ。

榊原の地を後にしたものの、いざお伊勢参りという気分をさらに高めるために、伊勢神宮外宮の参道に鎮座している「柄杓童子」のひしゃくでケツをたたかれながら道を切り開くことにした。

伊勢神宮内宮の近隣に位置しているものの伊勢神宮とは一線を画しているような存在感で多くの参拝者が訪れる伊勢屈指のパワースポットである「猿田彦神社」に立ち寄ってみた。ここは天孫降臨の案内役を担った、物事を良い方向へ導いてくれる道開きの神「猿田彦大神」を祀る由緒正しい神社であり、境内には、芸事の神様を祀り、著名人からの信仰もあつい佐瑠女神社があり、恋みくじやお守りも人気を博している。尚、個人情報保護法の観点から、願かけ絵馬に貼るためのラベルも常備されているのでどんなに恥ずかしい願い事も気兼ねすることなく記入出来るのだ。

本殿の目の前に方位石(古殿地)が鎮座しているのだが、これは「みちひらき」の御神徳を表す八角形の石柱で、かつて御神座のあった神聖な場所に位置しており、触ると願いが叶うかも知れない霊験あらたかな代物である。

たから石は形が宝船に似ていることから名付けられたもので、白蛇が石の上に乗っているように見える縁起のいい石で参拝者に金運を与えてくれる可能性を秘めたお宝である。

神社の裏手にひっそりと水が張られているのは「御神田」で毎年5月5日には豊作を祈って早苗を植えるお祭り「御田祭」が執り行われることになっている。

御神田を見守る猿の像に別れを告げ、猿田彦神社から去る決心をしたものの、次の訪問先はなお伊勢神宮ではなく二見興玉神社とさせていただいた。

荒海に面するこの神社は御祭神に猿田彦大神を祀り、縁結び・夫婦円満・交通安全などにご利益のある場所とされている。参拝者を出むかえるのは要所要所に配置されたカエルのオブジェであり、それらは恭しくも猿田彦大神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、貸したものがかえる)として重要な役割を果たしている。

風光明媚な境内には「さざれ石」、「天の岩屋」といった見どころもあるのだが、私が気になったのは初穂料300円で参戦出来る輪投げに他ならず、私が放れば大谷投手よりも大きな変化のスライダーとなって神様の腰さえ引かせてしまう恐れがあるので遠慮しておいた。

ここでの最大の見どころは夫婦のように寄り添って顔を出す大小の岩で普通に「夫婦岩」と命名されているのだが、野球ファンの感覚からするとそれらはあくまでも「オール阪神・巨人」のシルエットに他ならないのである。

禊橋を渡って先に頭に浮かんでしまった戯言を祓い清め、本日投宿する予定の志摩方面に車を走らせた。

今日は思いのほか気温が低く、海風で体が冷えていたので午後3時前には宿泊先であるセラビーリゾート伊勢志摩に到着した。ここでのセラピーは♪出来るだけ嘘はないように~♪水平線を眺めながらの露天温泉の貸し切り入浴であるのだが、伊勢海老やアワビといった豪華海鮮料理のエキスを体内に吸収して満を持して神宮に対峙する準備を整えることが出来るのだ。

4月9日(日)
温泉、食事に次ぐここでの第3のセラピーは午前5時30分に上り始める太陽とのご対面である。この場所で日の出の絶景を目にすると♪水平線が光る朝にあなたの希望が崩れ落ち♪るような悲劇は決して起きないと断言出来るのではなかろうか?

当館の社長が作った多品種健康朝食でセラピーを仕上げると宿にほど近い安乗岬を散策することにした。ここは的矢湾入口の岬で、江戸時代にはすでに幕府直営の灯明台があったそうだ。風光明媚な岬の先は断崖と荒磯で、海女の漁場となっている一方で、灯台に至るまでの道のりにはイベント広場やおしゃれなカフェもあるので天気のいい日には日がな一日いても飽きない場所であろう。

「古事記」の中に出てくる有名な神話で、天照大神が須佐之男命の悪事を戒めるために岩戸の中に隠れてしまわれた伝説にちなんだ洞窟を「天の岩戸」と呼び、この伝説の地は日本各地にあるのだが、伊勢神宮内宮の南東側に位置し、周囲は杉の大木がうっそうと茂り、凛とした霊気に包まれている恵利原の水穴はこれぞマサに「天の岩戸」と呼ぶにふさわしい聖地であろう。

名水百選に選定されている清らかな水は飲用だけでなく、滝行にも供せられており、それ用の更衣室さえ整備されている念の入れようであった。

「天の岩戸」のさらに奥地には「風穴」も口を開けており、何とかここまでは参拝出来たのだが、あまりのパワーに大腸が刺激されすぎたため「便の個室」へ早く駆け込む必要が生じたため、「猿田彦の祠」にはたどり着くことが出来なかったのだった。

腸内環境が落ち着いた頃を見計らって今回のツアーのメインイベントであるお伊勢参りに馳せ参じることとなった。あらためて説明するまでもあるまいが、伊勢神宮は日本人の心のふるさとといわれ、「お伊勢さん」「大神宮さま」とも呼ばれ、親しまれており、明治神宮とは一線を画している。神宮球場を本拠地とする東京ヤクルトスワローズも伊勢打撃コーチを招くなどして本家の大神宮さまに近づこうとしたようであるが、いせ~(威勢)のいい結果とはならなかったようだ。

野球場は持っていないが、伊勢神宮の正式名称は「神宮」であり、宇治の五十鈴の川上にある皇大神宮(内宮)と、山田原にある豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として、14所の別宮、43所の摂社、24所の末社、42所の所管社があり、「神宮」はこれら125の宮社の総称でもあるのだ。

参拝のしきたりであるが、「外宮先祭」という言葉があり、参拝に限らず行事ごとに関しても外宮から行うことが習わしとなっているので外宮の無料駐車場に車を止めてまずは天照大御神のお食事を司る神の豊受大御神に謁見させていただくことにした。

式年遷宮の資料館であるせんぐう館を横目に大鳥居をくぐり、亀石の頭を踏まないように注意しつつ、例年の参拝通り、「風宮」、「多賀宮」、「土宮」、「正宮」をすべて網羅させていただいた。

今年の1月には外宮のみの参拝で強制終了となってしまっていたのだが、これは「片参り」と呼ばれ、よくないこととする説もあるそうだ、外宮から内宮へと向かう車の通行量も落ち着いていたので念願の五十鈴川沿いの有料駐車場に車を止めて鯉のぼりに見送られながら内宮へと歩を進めた。

神様の通る道を避けながら右側通行の宇治橋を渡り、何らかのイベントの名残であるはずの弓道会場を横目に五十鈴川の御手洗場に向かった。このあたりには小魚と小銭が同居しているのだが、手水舎がない時代のみならず、いまだにこの川で手をすすいでいる人も数多くいるのでここでの賽銭は慎むべき行為であるはずだ。

神宮に自生する木々一本一本からすさまじいパワーを感じながら、滝祭神、風日祈宮、荒祭神、正宮と順に参拝させていただき、先の「片参り」を解消して肩の荷を降ろすことに成功した。

インバウンド観光客であっても日本の神社では「二礼二拍手一礼」の作法が頑なに守られるのであるが、私も大谷のバックナンバーである17を思い浮かべながら♪どんなときも優しくあれるように♪という願い事でプーチン率いるロシアをけん制しておいたのだ。

伊勢神宮の御神札(お札)を総称して「神宮大麻」というのだが、今年も大角祓(授与大麻)をいただいて運勢のアップデートをさせていただいたつもりになった。尚、神宮大麻は全国の神社を通して頒布されるものでもあるのだが、FTBでは必ず内宮でいただくことが習わしとなっているのだ。

宇治橋を支える木組みの造形美を胸に刻み伊勢神宮を後にして内宮参道に差し掛かったのだが、ここでは常に人いきれで辟易とさせられる。

人込みをかき分けてたどり着いた先で肉付きのよさげな牛と目が合ってしまったので運命の糸に引かれるように松阪まるよしに入店し、すかさず牛鍋丼を牛食して遅まきながらWBC優勝の祝勝会をさせていただき、伊勢うどんも赤福もスルーして流れ解散となった。

FTBサマリー
総高速代 ¥18,790
総ガソリン代 ¥10,206
総宿泊費 ¥78,300(2泊分、2人分、2食付き)

協力 楽天トラベル

シンFTB中部ベトナム世界遺産日本の爪痕ツアー

♪ツン・つくつくつくツン ツン・つくつくつくツン♪
♪ヒヤ~ ヒ~ヤ ヒ~ヤ ヒ~♪
♪ベンベらベンベらベンベらベンベら ベン(ベン) ベン(ベン) ベン(ベン) ベラん♪

というわけで、感染者増減の一喜一憂はさておいてコロナ明けましておめでたく、今年は新年より活動を開始させていただくことをお慶び申し上げます。
ところで、なぜ年初の訪問先として晴れてベトナムが選ばれたのか?

それは飛行機代が一番安かったからだ!!

2023年1月1日(日)
ANAクラウンプラザ成田に隣接している緑色がまぶしいSUN PARKINGに自家用車を預けると空港まで送迎いただき、そそくさと「ANA SUITE CHECK-IN」カウンターに向かった。幸先よく、一番安いチケットからビジネスクラスへのアップグレードを果たしたものの、係員よりフィリピンのマニラで航空機の管制トラブル発生のため、搭乗予定であるハノイ行きの便の大幅な遅延もしくは欠航の可能性があることが示唆されたもののそれでも結構だと思ってチェックインした。

「ANA SUITE LOUNGE」での長期滞在を覚悟し、体内のアルコール度数を高めていったのだが、意外にもフライトは定刻通りの決行となったので、18:20発NH897便に乗り込むと約6時間半のフライトで2時間の時差分の時計を巻き戻し、午後11時にハノイのノイバイ国際空港の第2ターミナルに到着となった。

ベトナムはコロナ関連の制限はすでに撤廃しているので入国審査も検疫も短時間で突破してシャトルバスで第2ターミナルから第1ターミナルに移動した。次のフライトは翌日の早朝に設定されているため、ノイバイ空港に内蔵されているVATC SleepPod Terminal 1と名乗るカプセルホテルにチェックインすると4時間程ベッドの上で体を休ませていただいた。

1月2日(月)
早朝5時前にカプセルを抜け出し、チェックアウトを果たすとエレベーターに乗って約1分でベトナム航空のチェックインカウンターに到着した。つつがなくチェックイン、セキュリティを突破してSONG HONG BUSINESSラウンジにしけこみ朝食を取らせていただいた。ベトナム入国後の食事はレーザーラモンHG系の麺類であるはずの♪フォー!♪がメインになることが約束されているので早速牛肉入りのフォーであるフォー・ボーを召し上がって腹ごしらえをした。

6:55発のVN157便は定刻通りに出発し、8:25にベトナム第3の都市であるダナンに到着するとArrivalロビーのATMで紙幣に大量のゼロを持つベトナムドンを出金し、一気にVND2,000,000の金持ち気分になった。その勢いをかってタクシー乗り場で正直そうな緑タクシーに乗り込み、一気に本日の宿泊地を目指した。

雨季の中部ベトナムはマサにべとべとした雰囲気で天気同様にどんよりした空気感を醸し出している。車はダナンの都市部を通過すると海岸沿いのビーチリゾートを抜けて緑まぶしいソンチャー半島に入っていった。約30分程度のドライブで美しい自然に囲まれたアジア随一の高級ラグジュアリーリゾートととして名高いインターコンチネンタル・ダナン・サン・ペニンシュラ・リゾートに早くも到着する運びとなった。

当ホテルのチェックインの時間は午後3時であるが、ANAマイレージクラブの会員ランクに連動しているため、インターコンチネンタルホテルズグループ(IHG)においてもダイヤモンドエリートメンバーに成りあがっているFTBに気を使ってしきりに時間稼ぎの有償朝食を勧めていただいたのでビーチにほど近い「Barefoot」というレストランで空港ラウンジに続いて2回目の朝食を取ることとなったのだった。レストランのトイレを拝借すると便器の形状は小用、大用ともスタイリッシュなものであったのだが、空港ラウンジのトイレには設置されていたウォッシュレットは装備されてなかったのだ。

それでもホテルの特別な計らいで午前10時には部屋を用意いただけたのでバギーと名乗る電動カートに乗って部屋まで送っていただいた。当ホテルの従業員のホスピタリティは申し分なく行き届いているものの、従業員の数以上に野生のサルが生息しており、対宿泊客であっても遺憾なく不逞の輩ぶりを発揮してくるので細心の注意を払ってホテルライフをエンジョイしなければならないのだ。

部屋の方はというと、内装にはベトナム伝統デザインが施され、湿気によるダメージを受けにくい木と石が調和した飽きのこない造りとなっている。ベランダから見える海は沖縄のようなサンゴの白砂による透明なビーチというわけにはいかないものの、打ち寄せる波の音が独特なハーモニーを奏でている。

雨季だとウキウキした気分にならず、日がな一日部屋で過ごさなければならないことは想定ずみだったので夕食の時間までベトナムビールで口を濁しながらのんびり過ごさせていただいた。

ディナーはミシュラン・スターシェフによる本格フレンチ、鉄板シーフード、ベトナム料理等、バラエティに富んでいるのだが、一番手軽そうな「Citron」というベトナム料理のレストランに予約なしで入店することが出来た。サービスメニューはビュッフェのみということだったが、ベトナムに限らず、ありとあらゆる食材を使った料理を効率的に摂取させていただいたのだ。

1月3日(火)
今日もどんよりとした天気である。「Citron」で朝食を済ませるとハイシーズンに備えての下見のつもりでリゾートの敷地内をぶらぶらさせていただくことにした。

山の斜面に形成されたリゾートは「HEAVEN LEVEL」、「SKY LEVEL」、「EARTH LEVEL」、「SEA LEVEL」の4層構造になっており、それぞれのレベルにはケーブルカーでアクセス出来るようになっている。

曇天模様でビーチパラソルの花は咲かなかったのだが、天気が良ければ海沿いの2つのプールと合わせて華やかなリゾート気分が満開になるであろうことは容易に想像できるのだが、今回はハートに穴が開いた気分でも致し方なしとした。

滞在中にあらゆる種類のサルのオブジェにお目にかかったのだが、現役のサルは一向に姿を現さないままチェックアウトの時間を迎えた。ベルマンが部屋に荷物を取りに来てくれたので外に出るとそこで見送ってくれたのは日本でもよく見かける変哲のない種のサルだったのだ。

つつがなく下見を終えることが出来たインターコンチネンタル・ダナン・サン・ペニンシュラ・リゾートを退出するとタクシーでダナン中心部に位置する正統派ホテルであるヒルトン・ダナンに移動した。高層階の部屋からハン川の向こうに広がるリゾートエリアを一瞥した後、ロビーでコンシェルジュに世界遺産のノスタルジックタウンであるホイアンへのツアーの相談をさせていただいた。

ショートノーティスにもかかわらずダナンの南東30km先のホイアンへの往復送迎車がVND1,000,000で手配出来たので、迎えに来た三菱SUV車に乗り込むと午後3時過ぎにホイアンへのツアーの幕が切って落とされた。ドライバーはホイアンまでほいほいと単純に乗せて行ってくれるだけの送り人かと思ったのだが、道中あらゆる手段でのコミュニケーションが模索され、スマホに面倒な翻訳機能付き会話アプリであるカカオトークなるもののインストールを促された。目力が弱っている私では揺れる車内での文字のインプットは困難でメールアドレスのco.jpをco.joと打ち込んでしまった時点でこの試みは強制終了となった。

仕方なく、他のアプリで翻訳会話を試みたのだが、なぜかベトナム語から韓国語への翻訳で、日本のトラベラーのプレゼンスが地に落ちてしまっている現状を思い知ることとなった。何とか会話は成立し、午後4時にホイアンに到着となり、3時間後の午後7時にピックアップに来るということで話はまとまったのだ。

1999年に古い町並みがユネスコ世界遺産に登録されているホイアンは古くからアジアとヨーロッパの交易の中心地として繁栄し、16~17世紀頃には日本人町まで造られていた。

ホイアン旧市街への入り口のソンホアイ広場には朱印船の模型が恭しく展示され、かつての日本との関係の深さを物語っている。ちなみに朱印船貿易とは、16世紀後半、海禁政策がとられていた中国(明)に代わる貿易相手を東南アジアに求めた日本において、倭寇や密貿易と区別するため、幕府等の権威者が許可した正式な貿易船であることを示す「朱印状」を携えた貿易である。

1593年に造られた橋は来遠橋であるが、通称「日本橋」と呼ばれている。本場お江戸の日本橋は首都高という好ましくない屋根がつけられてしまったが、ホイアンの日本橋の木製の屋根は作成当時のおもかげをそのまま残しており、ベトナムを代表する観光名所のひとつとなっているだけでなく、紙幣のデザインにも採用されている。

橋の中には小さな寺も造られ、橋の両側はユニークな猿と犬の像が守っている。これは申の年に着工し、戌の年に竣工した事実を物語っているからに他ならない。

この橋を造った人たちは、インドからホイアン、さらに日本まで達する大ナマズがいると信じていた。そして、この大ナマズが暴れると地震や大洪水に見舞われると考え、大ナマズを鎮めるために、この地に橋を建て、橋内に寺を造ったという伝説さえ残されている。

旧市街のメインストリートには木造の古い家屋や華僑の建てた中華会館などの中国建築も並んでいるのだが、かつての繁栄当時の雰囲気が色濃く残っており、中世にタイムスリップした観光客はあてもなく歩いたり、シクロ(ベトナム人力車)に乗って決められた観光コースを回っていた。

ホイアンでは日本橋三越のような大型百貨店 はないものの、2階建てのホイアン市場が日用品や食料品の販売を担っており、日本の小売業者とは異なり楽天やamazonの台頭による業績低下の影響を受けずに脈々とその営業体制が今日まで保たれており、多くの観光客で賑わいを見せている。

黄昏時を過ぎたホイアン旧市街は漆黒の夜に向かってさらに輝きを増し始めている。多くの土産物屋の中でひときわ異彩をはなっているRocketman Tシャツは誰が買い求めるのかという疑問はさておき、灯篭流しと手漕ぎボート、ランタンの光に導かれるように街中を徘徊した。

輝きの中心に位置するアンホイ橋は最強の映えスポットとなっており、多くの観光客が光の揺れるトゥボン川を背景にSNS写真撮影に興じている。

ホイアン観光も終盤に差し掛かったころ、黙々と木に向かってノミを打ち付けているおばちゃんの姿にくぎ付けになった。こちらの興味を感じ取ったおばちゃんの説明によるとそれぞれの木彫り人形は表情によってLucky, Happy等の意味を表しているという。当初買う気はなかったのだが、その出来栄えに感銘を受けたので一つの人形を手に取り、価格を聞くとVND250,000ということだった。近辺のほぼすべての土産物屋の物品には値札はなく、すべて交渉で値段が決まるはずなのでVND200,000で価格交渉をしたのだが、最終的にはVND220,000で落札させていただくこととなった。

定刻7時にドライバーが迎えに来たのでサリーの弟のカブのように後ろ髪を引かれる思いでホイアンを後にした。帰りの道中も翻訳ソフトによる執拗な営業攻勢でDX(デジタルトランスフォーメンション)の浸透を思い知ったものの何とか無事にヒルトンに帰還することが出来たのであった。

1月4日(水)
ヒルトン・ダナンの朝食ビュッフェで炒め物のもち米添え等で腹を膨らませるとホテル周辺の散歩と洒落こんだ。ハン川沿いの遊歩道は野外彫刻博物館の様相を呈しており、どの1品も丁寧に作りこまれている印象を受けた。

遠目に見える黄色のロン橋はダナンのシンボルでロンは麻雀の殺し文句ではなく、ベトナム語で龍を意味するという。マサに龍が水面を泳ぐさまがデザインされているのだが、夜は当然のようにライトアップされ、土日祝日には火や水まで吐くパフォーマーともなるそうだ。

ピンク色の外観がまぶしいダナン大聖堂はフランス統治時代の1923年に建立されたゴシック様式のカトリック教会なのだが、今ではVietnumBankの資金力をバックに繁栄を続けているようにお見受けした。

正午前にヒルトンをチェックアウトし、タクシーで2㎞程先のダナン駅に向かった。インドシナ半島をハノイからサイゴンにかけて縦断するベトナム統一鉄道は1日に4往復の寝台列車を走らせている。ダナンから次の目的地のフエまでは約100kmで3時間程かかるのだが、あらかじめチケットはウエブサイトで購入済みだったのだ。

12:28発SE4列車の3号車は3層構造の寝台車になっており、上階に行くほど運賃が下がるのとは裏腹にスペースが狭くなってしまうのだ。

ダナンとフエの間にはハイヴァン峠が君臨しており、列車は海外線を走るため、眼下の絶景を終始寝転びながら堪能することが出来たのだった。

車窓の景色は断崖を経て農村部に移行し、コメ本位制を維持しているかのようなのどかな田んぼの風景を経てフエの都市部に入っていった。

1993年にベトナム初の世界遺産に登録されたフエに到着すると待ち構えていたタクシーの勧誘を断り切れずに相場より高いはずの金額を支払って本日の宿泊先であるホテル・サイゴン・モリンに向かった。Booking.comでお得な価格で予約出来たスイートルームにチェックインすると白を基調としたコロニアル調の内装や洋風の調度品に囲まれて外の喧騒とは切り離された空間を堪能させていただいた。

部屋のカードキーの動作不良というトラブルに見舞われたものの、日没後に雨模様のフエの旧市街を散策してみることにした。ホテルが林立する新市街からフーン川に架かるチューンティエン橋を渡り、旧市街に入るとライトアップされた建造物がいにしえの世界に誘ってくれるようだった。

夕食は手軽にホテルで取ることにしたのだが、選択は店員の判断に委ねることにした。気を良くした店員が選択したメニューは「黒ひげ危機一髪」をモチーフにしてあるはずの串刺し揚げ春巻きのくり抜きパイナップル生け花やパクチー香草牛肉等日本人の味覚の深層にも訴えるはずの美味な料理であった。

1月5日(木)
朝食ビュッフェは宿泊料に含まれているのでスイカアートが目を引くレストランで腹ごしらえを済ませると、1901年創業のフエで最も歴史のあるホテル内を散策することにした。

今日もあいにく朝からの雨であったのだが、中庭の風情は悪天候を逆手に取るほどしっとりと落ち着いていた。

ローシーズンのためか、ガーデンカフェにはひと気がなかったのだが、バーテンダー風のリスが健気に店番をしている様子が印象的だった。しかし残念ながらチップであるはずのピーナツを与えるまでには至らなかったのだ。

天候の改善を祈りながら正午のチェックアウト時間近くまでホテルで過ごさせていただいたのだが、埒が明かなかったので観光を決行することにした。フエの世界遺産の代名詞はグエン朝王宮に他ならないのでここを見逃すわけにはいかないのである。

街中に出て魚醤と香草の香りがプーンと漂うフーン川の橋を渡り、旧市街に侵入するとランドマークであるフラッグ・タワーを目指して歩を進めた。1807年に建てられた旗台は塔のてっぺんまで入れると29.52mにもなり、新市街からもその旗めきを拝むことが出来るのだ。

王宮を死守しているとされる9つの大砲を見てグエン朝の強力打線に思いを馳せると、王宮門にあるチケット売り場 (VND200,000)でE-TICKETを購入しバーコードをかざすと雨にもかかわらず、はれて王宮への入門を果たした。

1802年~1945年の間、13代もの長期にわたって政権を握ったグエン朝の王宮は東西642m、南北568mの広さを誇り、高さ6mの城壁に囲まれた別世界であるが、中国の紫禁城を模して建立されたといわれている。内部には多くの「殿」、「廟」、「宮」が建てられているのだが、紫禁城ほどの建物密度にはなっていないので全般的に開放感のある造りとなっている。

王宮の正殿であるタイホア殿(太和殿)のみ修復中であったが、あとは自由に見て回ることが出来るものの、とても1日で見学出来るような広さでなく、体力温存のために電気カーを使っても2日くらいは見ておく必要があると思われた。

建物の色調や装飾は概ね中国風で龍や獅子をアレンジしたものが多く、どれも圧倒する目力を誇っている。

かつで武官の詰所であった「ヒューヴ―」は皇帝の衣装を着ての記念撮影所と化しており、玉座に座って記念写真が撮れる映えスポットとなっている。

広大な王宮内にはいくつかの茶店が営業しているので歩き疲れた観光客は風光明媚な庭を眺めながらアフタヌーン・ティーを楽しめるように取り図られている。

日本庭園を模して造られた庭園には多くの盆栽もあり、中国だけでなく、日本の影響も少なからず残っている様子が見て取れた。

展示されている公式文書には様々な種類の金印の玉璽が押印されているのだが、王宮の要の位置に配置されている巨大な龍の金印がその頂点に立つものだと見受けられた。

王宮門の2階が観光客に開放されていたので登ってみることにした。あらためて見ると門口は5つあり、中央の門が皇帝専用で、左右が文官と武官、さらに外側の門が兵士やゾウ、馬が使用していたそうだ。建設当時は木造の建物にはすべて金箔が貼られていたと伝えられているが、現在はその面影は残っていないのだ。

王宮出口の近くに文化スペースがあり、ベトナム工芸品の実演販売を行っていた。針と糸を巧みに操る職人の手際につられてベトナム笠購入に食指が動いたのだが、手荷物として持ち込んだ機内で原型を維持出来るかという不安がよぎったため、財布の紐を開くことが出来なかった。

午後3時半にホテル・サイゴン・モリン内蔵のコーヒーショップのベトナムコーヒーで糖分を補充し、さいごんの力を振り絞ってタクシーでフーバイ空港へ向かった。
18:40発VN1546便ハノイ行きは定刻通りに出発し、20:00にハノイ・ノイバイ空港に到着した。来た時とは逆に第1ターミナルから第2ターミナルに移動し、NH898便のチェックインまで時間を持て余していたので空港レストランで最後のベトナム晩餐を楽しませていただいた。

1月6日(金)
ANAのアップグレードポイントを持て余していたのでビジネスクラスにアップグレードさせていただいたNH898便は定刻0:25に出発し、機内サービスより睡眠を重視したため短い飛行時間ではあったが、ほとんどフルフラットの体制で過ごしていた。定刻7:00前に成田に到着するとANAのArrival Loungeの開業時間が14時であることに軽いショックを受けながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥142,230
総宿泊費 VND20,566,085、¥6,281
総タクシー代 VND2,100,000
総ベトナム統一鉄道代 VND177,000
¥1 = 約VND170

協力 ANA、IHG、HiltonHhnors、Booking.com、Hotels.com、SUN PARKING