シンFTB驚異の日本人出稼ぎMLBリーガーとスモーキーツアー in 米国南部

♪エブリバディ サムライ スシ ゲイシャ ビューティフォー フジヤマ HA HA HA♪

というわけで、円安バーゲンオーバーツーリズムで沸き返る日本の観光地ではもはやFUNK FUJIYAMAの歌詞は過去の物となっているはずなのに今年の3月に来日したドジャースとカブスの一行の中には♪ワタシハ NIHON ハジメテデス♪の輩も多かったと聞いている。日本のコスパの高さをあらためて世に知らしめる機会となったのは間違いないが、それと反比例するように日本人の旅行意欲は減退し、GWに海外で羽を伸ばそうという気もなかなか起こらないようである。そんな状況下でもアメリカに出稼ぎに行っている日本人メジャーリーガーの活躍は目覚ましく、飛行機を飛ばしてまで見る価値があるのは間違いないはずなのではるばるアトランタまで足を延ばすツアーの開催と相成ったのだ。

2025年5月1日(木)
空港ビル内に垂れ下がっている大谷翔平の看板に見送られつつ、10:40発NH112便は予定通り羽田空港を出発し、アトランタを舞台にした長編名作映画「風と共に去りぬ」を遠ざかる意識の中で見ながら12時間以上の浪漫飛行でシカゴオヘア空港に到着したのは同日の午前8時半過ぎであった。米国入国に必要なESTAの取得がぎりぎりになってしまっていたのでImmigrationでオヘア空港の別のオヘヤに連行される妄想を抱きながらも無事入国を果たし、乗継便の10:35発UA1848便に滑り込むと午後2時前にはハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港に到着することに成功した。

世界最大級の航空会社であるデルタ航空のハブ空港であり、2000年より発着数及び利用者数において世界中で一番忙しい空港内でレンタカーセンターを探すのは至難の業であったが、何とかスカイトレインに乗ってたどり着くとANA Traveler’sに予約させておいたThrifftyでヒュンダイの小型RV車をレンタルすると風と共に大都会アトランタの喧噪の世界に飛び出した。

米国に入国してからiPhoneのデータ通信が出来ない不具合に見舞われており、地図アプリも使えない状況なので自らの動物的勘を頼りにアトランタの町をさまよっていた。ジョージア州を縦断して北に向かうI-75に入りダウンタウンを突っ切ろうとしたものの片道7車線すべてが渋滞しているというモータリゼーションの負の遺産を目の当たりにしながらアトランタオリンピックの聖火台に火を灯した実績のあるモハメッド蟻のように進んで行った。

いつしか渋滞は解消し、テネシー州のチャタヌーガという都市を抜けてグレートスモーキーマウンテンズの方角を目指してひた走った。途中で2回ほど地元住民に道を確認させていただき、今日の宿泊先であるStaybridge Suites Pigeon Forge – Smoky Mtnsに命からがら
辿り着いた時間は午後10時頃であったろうか? 昼食も夕食も抜いていた状態だったのでホテルの売店で買ったチップスをオレンジジュースで流し込みながらKDDIのサポートに電話してデータ通信のトラブルシューティングに勤しんでいたのであった。

5月2日(金)
ホテルの粗雑なアメリカンブレックファストでも息を吹き返すことが出来たので昨日の夜に見た街並みの不思議な光景の正体を見極めるためにピジョンフォージの町をしばし車で流すことにした。

グレートスモーキーマウンテンズのベッドタウンであり、チープなリゾートの様相を呈するピジョンフォージには多くのファンキーな建造物が君臨しているのだが、倒壊ビルやタイタニックのミュージアムは形あるものは壊れるといった諸行無常のコンセプトを表してさえいるのであろうか?

アパラチア山脈の南端、テネシー州とノースカロライナ州にまたがるグレートスモーキーマウンテンズ国立公園は、アメリカで最も入園者数の多い国立公園で、どのような集計方法かは不明だが、年間約1134万人でグランドキャニオンの2倍以上と言われているそうだ。ピジョンフォージを出て園内のリゾートタウンであるギャトリンバーグのWelcome Centerで熊の歓迎を受けた後、入園料を徴収されることもなく、すみやかに国立公園に滑り込んで行った。

♪パープルタウン♪であるニューヨークは♪紫に煙る夜明け♪であるが、グレートスモーキーの上空には厚い雲が燻っており、カールスモーキーのような胡散臭さが漂っていた。

まずはSugarlands Visitor Centerでこの公園が世界遺産に登録された理由となった生物学の多様性を学習させていただくことにした。多くの剝製コレクションの中で特に気になったのはやはり赤いきつねと緑でないたぬきのコンビであった。しかし残念なことに石井竜也の映画監督デビュー作である「河童」はここにはいないようで入園記念に黄桜辛口一献で祝杯を挙げるわけにもいかなかった。

ビジターセンターからはトレイルが伸びており、♪Shake Hip!♪のリズムで辿り着いた新緑まぶしいCataract Fallsは家族連れの憩いの場所になっていた。

ブラックベアを始めとする野生動物との遭遇を期待してケーズコーブという草原を取り囲む1周約11マイルの舗装道路に侵入した。乗馬用に導入されている馬がいる駐馬場を過ぎ、アメリカではバーボンウイスキーであるはずのワイルドターキーを遠目に見ながら道は徐々に渋滞していった。

観光客が一斉にカメラを向けているその先には灰色の鼻先がスモーキーなブラックベアが単身で草原の中をさまよっていたのだった!

熊の出現により思いのほか足止めをくらい、公園を出るのが午後3時過ぎになってしまったのだが、とにもかくにもアトランタへの帰路を高速で疾走した。アトランタ・ブレーブスの本拠地であるTruist Park近辺に予約していた駐車場に6時半過ぎに車を滑り込ませると野球ファンの流れに身を任せて入場ゲートへの道筋を急いだ。iPhoneのデータ通信の復旧により首尾よく電子チケットのダウンロードに成功した勢いをかってこの球場内で一番多い数字であるはずの「17」を追いながらドジャース側の3塁側席奥地に腰を下ろした。

アトランタの地における日本人シリーズと言っても過言ではない一戦は大谷の登場で幕を明けると同時にブレーブスも最大のピンチを迎えたのだが、大谷はあえなく三振に切って取られてしまった。

今日のゲームのハイライトは何といってもドジャースのエース山本由伸の快投である。独特の「あっち向いてホイ!」投法はさらに磨きがかけられており、最初はグーと言いながらも相手がついチョキを出してしまうほどの圧倒的な威圧感で投球する前からすでに勝負は決まっているようであった。結局山本は6回を投げて1安打無失点でブレーブス打線の勇気を最後まで封じ込め、ブレーブス球場のチャンスの時に一体となって炸裂するトマホークチョップもフリーズしたままであった。

山本降板後に雨が降り、数10分間の中断を余儀なくされたものの試合は2三振を喫した大谷の不発にもかかわらずドジャースが2対1で辛くも初戦をものにしたのだった。

昨夜の宿もIHGポイントを使っての無料宿泊であったが、今夜もHoliday Inn Atlanta-Northlakeに無料でしけこむと首尾よく数時間の寝床を確保するに至ったのだ。

5月3日(土)
Holiday Innで朝食が提供されなかったという不測の事態はあったものの、チェックアウト後にダウンタウンまで足を運びガソリンスタンドのチョコレートとドーナツで人体への燃料補給を行った。

アトランタくんだりまで来てマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの足跡を辿らないとアトランタまで来た意味がないはずなのでダウンタウンの中心部に位置するその国立歴史公園を訪問させていただくことにした。首尾よくVisitor Parkingの空きを見つけ車を駐車することが出来たのでまずはNational Park Service Visitor Centerに入ってみることにした。

キング牧師が非暴力不服従という点でお手本としたインドのマハトマ・ガンジーの銅像に迎えられて中に入るとそこに広がっている世界はマサに「I have a dream !」そのもので、公民権運動の闘争と勝利、そしてマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの平等と正義に対するビジョンの持続的な影響を深く理解するための展示品の数々であった。私が生まれた1964年にキング牧師は史上最年少の35歳でノーベル平和賞を受賞したものの、1968年4月4日にはテネシー州メンフィスで暗殺されてしまっている。その後多くの議論を経て彼の誕生日である1月15日(1月の第三月曜日)はキング牧師記念日として国民の休日となったのだが、日本における人物関係の休日が天皇誕生日のみであることを考えると自由の国を標榜するアメリカがいかに不自由に関して敏感であることが理解出来るのである。

キング牧師とその妻の墓はVisitor Centerの目の前のThe King Centerに恭しく奉られ、訪問者が後を絶たないのだが、彼の生家は一時的に閉鎖状態で内見不可となっていたのでその暮らしぶりをうかがい知ることが出来なかったのが残念であった。

キング牧師の聖地から2㎞以内の場所にジョージア州議事堂がそびえている。この建物はアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されているのだが、今日は休日のため遠巻きにしか眺めることが出来なかった。

日本で天下分け目の戦いと言えば関ケ原であるが、1861年に勃発した南北戦争はマサにアメリカ版関ケ原の戦いと言っても過言ではなく、激戦地の一つであるアトランタではKennesaw Mountain National Battlefield Park, Mariettaにてその様子が今に伝えられているので「風と共に去りぬ博物館」の見学を断念してまで入場させていただくことにした。

Visitor Centerに入館すると会議室で何らかのデモンストレーションが行われており、プレゼンターのおね~さんに執拗に入室を促されたので渋々話を聞いてみることにした。ここでは当時の戦闘服に身を包んだ兵士が銃を携えて一連の攻撃の流れを身を挺して説明してくれたのだが、実際の戦闘の時間よりも訓練や待機の時間の方が圧倒的に長かったので戦意を維持することがいかに大変かを思い知らされた。

近隣のアメリカ的なファミリーレストランでサクっと昼食を済ませ、Marriott Bonvoyポイントが余っていたのでただで泊ることが出来るCourtyard Atlanta Northlakeまで車を飛ばしてチェックインすると野球観戦モードにギアを切り替えることにした。

今日は余裕をもって野球場に到着出来たので2017年に建立されたTruist Park周辺をぐるっと回ってみることにした。ブレーブスのレジェンド選手の銅像のそばには子供用の小さなフィールドがあり、将来のメジャーリーガーを育んでいる様子がしかと見て取れたのだが、やはりアメリカではベースボールが生活の一部になっていることは疑いようのない事実であろう。

試合開始予定が7時15分なのでその前にジャンクフードを掻き込み、巨大スクリーンでの選手紹介とアメリカ国歌の斉唱も終わり今か今かとプレーボールのコールを待ちわびていた。しかしながら、一向に試合が始まる気配はなく、選手がグランドに姿を現す代わりに上空には厚い雷雲が垂れ込め始めたのだ。グランドキーパー陣がフィールドに巨大なシートをかぶせるとほどなくして雷鳴がとどろき始め大粒の雨が地面を打ち付ける展開となり、ここから松山千春よろしく♪長い夜♪の始まりとなった。

遅延が1時間以上経過した頃、おもむろにアルコール以外のドリンクとフードを40%値引きするという場内アナウンスがあり、たとえ試合が出来なくてもフードロスの影響を最小限に抑える配慮なのかと思ったのだが、2時間以上経過後に雨が止まなくても♪おま~えだけにこの愛を誓う♪といった律儀な野球ファンは球場を後にしたりすることはなく、ついに3時間遅れの10時15分試合開始というアナウンスがなされ場内は大きな歓声に包まれたのだ。

長い遅延時間を利用して球場内の散策と洒落こんでいたのだが、チームの歴史と栄光を展示しているモニュメントには世界の王貞治に抜かれるまでその755本という本塁打数は世界一であったハンク・アーロンのコーナーがひときわ目を引くものとなっていた。

試合開始直前にレフトスタンド最前列ドジャースブルペンフロントの自席に戻ると満を持して今日の先発投手の佐々木朗希が通訳を伴ってウォーミングアップのためにベンチから飛び出してきた。

槍投げ省エネ投法の山本由伸と違って佐々木朗希はその贅沢な手足の長さゆえにスピードは出るが肉体に脆弱な部分があればそこに応力が集中して故障につながってしまうリスクを抱えている。

ブルペンに入ると球筋までは見えなかったもののキャッチャーミットから発せられる音でその威力は十分に感じられ、フェンスの上から見下ろすその先にははっきりとフォークボールの握りが見えたのであった。

ブルペンからベンチに戻る際の右腕を気にする佐々木の様子が気になったものの、試合は通常では終了している時間であるはずの10時15分に開始となった。初回いきなり大谷のセンター前ヒットで観客の目を覚まさせたのだが、後続が続かず無得点に終わってしまった。

立ち上がりの佐々木はヒットと四球でランナーを2人出したものの5番打者のマーフィーを三振に切って取り、上々の滑り出しとなった。しかし2回の表ドジャース1点先行の後にはすぐにタイムリーヒットで追いつかれてしまった。

試合は早くも3回の表に最大の山場を迎えた。この回の先頭打者の大谷のバットが一閃すると打球は大きな放物線を描いてセンター左の観覧席に着弾した。ドジャースブルペンに陣取っている投手陣の盛り上がりとひまわり種シャワーの余韻に浸る暇もなく、後続打者の出塁とタイムリーヒットによって佐々木に3点目の援護がもたらされた。

さらに4回表のドジャースは二死から大谷のこの日3本目のヒットを皮切りに4点を追加したのだが、その裏のブレーブスの攻撃で佐々木は2点を奪われたのでこの回で降板となるのではないかと懸念された。

しかし、佐々木は何とか5回裏のブレーブスの攻撃を三者凡退で切り抜け、勝ち投手の権利を持ったまま降板となった。試合はその後8回の表にブレーブス在籍時の2020年にMVPを取った実績のある自由人フリーマンのスリーランホームランがダメ押しとなり、10対3でドジャースの佐々木に念願のメジャー初勝利がもたらされたのであった。

5月4日(日)
日付はすでに代わっており、♪長い夜♪の主役のヒーローインタビューは当然大谷の務めであったが、今回のシリーズの心残りは300年前の東京からタイムスリップしてやってきたような気風の良さを誇るドジャースのユーティリティプレイヤー トミー・エドマンの故障による欠場であったろう。日本名で江戸富男と名乗るかどうかは定かではないが、横浜の「べらぼう」に匹敵する逸材であることは確かである。

ここ2日の試合観戦で見たいシーンはすべて見尽くした満足感を胸にホテルに帰還すると時刻は優に丑三つ時を回っていた頃合いであったろう。睡眠時間もそこそこにホテルをチェックアウトすると再びスモーキーを目指してアクセルを踏みしめていた。

グレートスモーキーマウンテンズ国立公園のノースカロライナ側の入り口にあるチェロキーという小さな町の地ビールレストランでハンバーガーを片手にブランチを楽しむとOconaluftee Visitor Centerでチェロキー族の歴史と暮らしぶりを学習させていただいた。

公園の中心部を縦断するUS-441号線を一気に駆け上がり、ニューファウンドギャップという標高1,529mの峠の駐車場に車を止め、ノースカロライナとテネシーの州境に股をかけた。

ニューファウンドギャップの近くから脇道の舗装道路が伸びていたので約20分程車を走らせるとドン付きの駐車場に行き当たった。そこから徒歩で急な登坂を800m程上ると人工的な展望台が姿を現した。

ここは標高2,025mの園内最高峰でクリングマンズドームと言われ、360度のパノラマを背景にカールスモーキー石井が誇るレコ大受賞曲の♪君がいるだけで♪を熱唱しようかと思ったのだが、通信カラオケの電波が届かないようなので断念せざるを得なかった。

観光客を軽~く煙に巻くような景色に別れを告げ、アパラチアントレイルというアパラチア山脈を縦断する長大なトレイルを横目に一気に来た道を駆け下りチェロキーまで舞い戻ってきた。

「エルクにもプライバシーが必要だ!」という看板文句とは裏腹に発信機を付けられた鹿を見て仕方ないとは思いつつ、後ろ髪を引かれるようにスモーキーの地を後にしたのだった。

Marriott Bonvoyポイントがさらに余っていたので私はただで宿泊出来るThe Westin Atlanta Airportに夕暮れ時にチェックインし、テレビを付けるとそこには一昨日、昨日と二夜連続で目にしたブレーブスとドジャースの死闘が繰り広げられていた。画面越しには現地の熱狂は中々伝わりにくいのは当然だが、今日の試合は特に見せ場はなく地元ブレーブスが3連戦の最終戦で勝利をものにし、何とかアトランタのファンの溜飲を下げることが出来たのであった。

5月5日(月)
9:25発UA632は定刻通りに出発し、約1時間半のフライトでワシントンダラス空港に到着するとラウンジで一息入れる暇もなく12:15発NH101便に乗り継ぎ、13時間以上機上の人となっていた。

5月6日(火)
♪浪漫飛行♪中の機内のエンターテイメントプログラムを見ながら、日本の米騒動の原因はカールスモーキーの陰謀で備蓄米の放出とともに米米CLUBも復活するのではないかと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥388,770
総宿泊費 ただ
総レンタカー代 ¥32,909 + $149.81
総ガソリン代 $100.69
総駐車場代 $101.37
総走行距離 1,072マイル

協力 ANA、ANA Travelers、Thrityレンタカー、IHG、Marriott Bonvoy、KDDI

シン・FTB新春準弾丸ツアー コオリナ・リゾート in オアフ島

アロハ ボンよ ハワイ湯!?

というわけで、年末年始は猫も杓子もハワイに繰り出すため、飛行機代やホテル代が暴騰し、ワイキキビーチから湯気が出るほどの賑わいを見せるわけだが、ハワイ通のFTBはあえてその喧噪を避け、3連休を有効活用して夢の跡となっているはずの静かなリゾートでオーバーツーリズム対策を実践することにしたのだ。

1月10日(金)
21:15発NH182便A380フライングホヌ機は定刻より少し遅れて成田空港を出発したものの7時間弱のフライトで午前9時過ぎにはおなじみのダニエル・K・イノウエ国際空港に到着した。入国審査、税関をほぼ顔パスでスルーするとANA Travelersに予約させておいたSiXTレンタカーのカウンターに向かった。当初は手配済みのコンパクトカーをサクッとピックアップしてお出かけするつもりであったが、車に乗る前にレンタカー嬢のアロハスピリッツ的な口車に乗せられ、高値でBMWへのアップグレードを売りつけられたもののドイツ車に慣れておく必要があったのでその出費も必然であると自分に言い聞かせながら空港を後にした。

エレガントな乗り心地を背中に感じながら空港からH-1高速道路に入り、リメンバーPearl Harborを横目にオアフ島西部を目指してひた走った。ほどなくしてH-1の終点から地方道に入るとKo Olinaの看板を頼りにコオリナ・リゾートへの侵入を果たし、今回のツアーでの滞在先であり、今後のオアフ島での定宿になるはずのマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブに首尾よくしけこむことに成功した。

コオリナとはハワイ語で「歓喜の結晶」という意味であるが、元々は風が吹けば♪ざわわ♪のリズムを奏でるのどかなサトウキビ畑だったはずである。そこにバブル期のジャパンマネーの流入等により一流リゾートへと華麗なる転身を遂げていった経緯から「バブルの結晶」と言っても過言ではないかも知れない。

何はともあれBMWをエントランスの車寄せに颯爽と横付けし、チェックインの手続きを済ませたのだが、応対していただいた八王子に居住実績を持っているが、地元の饅頭の話題がかみ合わなかったアカネ嬢の案内によると部屋の準備に時間がかかるということだったので横付けしたBMWを再起動して無料のSelf Parkingへと引き払った。時間的には小腹がすいてくる11時過ぎに差し掛かったのでリゾート内のLonghi’s Restaurantでビールを片手にブランチ兼時間つぶしと洒落こんだ。

程よく体内に循環したビールのアルコールがマイルドな時差ボケと相まって突然の睡魔を誘い、気が付くとロビーのソファーの上で意識を無くしてしまっていた。意識が回復した頃合いを見計らってかどうかは定かではないが、アカネ嬢から部屋の準備完了を告げる電話がかかってきたので部屋番号を確認し、鍵があかね~というトラブルもなく晴れてOne room suiteへと入室し、ビーチクラブの住人の一員として名乗りを上げることとなったのだ。

住人として必要な物資を調達するために「かっぽれ かっぽれ 甘茶でカポレイ!」と念仏を唱えながらコオリナに程近いオアフ島第二の都市のカポレイに向かった。とあるショッピングセンター内にウォルマートがあったので衣類売り場のへび年Tシャツを見ながらここにもヘビーローテーションで来ることになるだろうと考えながら韓国製のスナック等を買い込んでいた。

リゾートに帰還した時にはすでにサンセットを迎えていたので他のオーナーと一緒にしばしオレンジ色に煌めく西の空をながめていた。

ジャグジーの泡でバブルが弾けた瞬間を体感しながら体をリフレッシュさせた後、再びLonghi’s Restaurantに舞い戻り、地元食材が高値で提供されるディナーにもかかわらず、コオリナの物価に凍り付くこともなく平然と夜風に吹かれていたのだった。

1月11日(土)
マリオット・コオリナ・ビーチ・クラブでは、ここで休暇を過ごすオーナーのために豊富な日替わりアクティビティのプログラムが用意されている。朝9時過ぎの中庭の芝生上では運動に対する日ごろの意識が高くない人向けだと思われる負荷を抑えたビリーズブートキャンプ的なエクササイズが執り行われていたので朝食時の暇つぶしにその光景を眺めていた。

腹も適度に膨れたのでBMWのエンジン音をBGMにウエスト・コーストを北上してみることにした。点在するすばらしい純白ビーチとは対照的にカラフルなホームレスのテントが軒を連ね、とあるショッピングセンター内のスタバのトイレが暗証番号で管理されている事実が当地の治安を雄弁に物語っているような気がした。

ウエスト・コーストでも比較的治安が良いと言われているマカハ・ビーチパークで何某かのサーフィンイベントが行われているようだったのでしばしその技術を息をのんで見守っていた。尚、このあたりの海岸はサーファーの間ではロングボードの聖地としても有名なのだそうだ。

さらに西海岸線を北上するとカエナ・ポイント州立公園に差し掛かったので適当にBMWを停めて周囲の美しい光景に見入っていた。

ふと♪見つめあうと素直におしゃべりできない♪感覚を覚えたので青空に溶け合った青い看板に目をやるとここは紛れもない津波警戒地域であり、遊泳などもってのほかで浜辺から指を加えて海を眺めるアクティビティが推奨されているようだった。

時間の都合でウエスト・コーストの奥地に踏み込み、マネーの虎が住んでいそうな名前を持つカネアナ洞窟を経てカエナ岬まで到達することは出来なかったが、それは次回の宿題として一旦マリオットに帰還することにした。

人気物件のマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブの予約を取るのは至難の業で、今回2泊分を抑えたものの、2泊目でStudioという狭い部屋に移らなければならなかったのだが、早めに部屋が準備出来たおかげで荷物を移動した後、じっくりとラグーン沿いの敷地を散策させていただくことにした。

熊谷組によって施工された4つのラグーンにはそれぞれハワイ語の名前が付けられており、当時のゼネコン技術の粋を集めて絶妙に配置された防波岩礁によりラグーン内には荒波が入ってくることはないので小さなお子様でも安心な入門リゾートとなっているが、工事期間中は熊の手も借りたいほど忙しかったことであろう。

昨日のチェックイン時にアカネ嬢から別のカウンターに立ち寄るように指示されていたのだが、そこでオカネではなく$125分のバウチャーと引き換えにツアーという名のセールスプロモーションに参加する段取りになっていたので飛んで火にいる夏の虫の気分で約束の午後2時半に指定場所のコナタワーの14階に上がっていった。

FTBがMarriott Vacation Clubデビューを果たしたのは2023年の9月で当時はセールスエグゼクティブのレディの売り込みに気を良くし、最後はどうでも♪ケセラセラ♪というリズムで契約に至ったのだが、今回応対に当たったのは男性だったのが意外だった。マリオットという看板から男性営業もMrs. GREEN APPLE系の優男を取り揃えているのかと思いきや私の前に姿を現したのは♪青いリンゴ♪をヒットさせた実績を持つ野口五郎が年を重ねていったような正統派紳士であった。

当初はすでに使ってしまった$125のバウチャーをまんまとせしめるための茶番リスナーに徹するつもりであったのだが、Higaと名乗るLiLiCo系のセールス・ディレクターの参戦により購買意欲に火が付いてしまっている自分がいた。契約の決め手になったのはHigaが何気なく発した一言で彼が野口五郎由来ではなくKEIO Boyだという事実であったが、もしかすると♪私鉄沿線♪の仮面を被った京王電鉄かも知れないという一抹の不安は残っていた。

契約担当者の業務が立て込んでいたので午後6時の再会を約束して一旦解散となった。帰り際の窓辺からマリオットの隣の敷地がまだ空き地のままである様子が見て取れるのだが、ここでは1999年にハワイでデビューを飾った嵐の15周年記念ライブが2014年9月に「ARASHI BLAST in Hawaii」という名のもとに執り行われた実績があるため決して荒らしてはいけない聖地になっているかのようであった。

ワールドカップバレーボールを私物化したフジテレビがイメージキャラクターとしてジャニーズ事務所にV6を立ち上げさせ、波に乗ったその4年後にデビューした嵐がその任を引き継いだ形になったのだが、その後大物アイドルグループとして成長した一方でフジテレビが破綻寸前に陥ってしまっている現状はマサに青天の霹靂と言えるのではないだろうか?

きらめく夕日をバックに奏でられるハワイアンを肴に早めのディナーを堪能した後、多くの契約書にサインするためにコナタワーの14階に戻って来た。私と同じ年齢だが、大学では1年先輩にあたるセールスエグゼクティブに勧められたポイント買い増しプランは今では運命に導かれたものであるという認識で契約書に剣よりも強いペンを走らせていたのだった。

1月12日(日)
12:30発NH181便フライングホヌ機は定刻通りに出発し、程なく挨拶に来たキャビンアテンダントにお帰りなさいと言われ、9時間以上のフライトを行きと同じクルーとともに機上の人となったのはマサに弾丸ツアーの醍醐味のひとつであろう。

1月13日(月)
午後4時半過ぎに成田空港に到着し、次にマリオット・コオリナ・ビーチ・クラブに帰ってくるときにはアカネ嬢に八王子のソウルフードであるみやこ饅頭を買っていかねばならないと考えながら流れ解散。

FTBサマリー
総飛行機代 ¥103,740 / Passenger
総レンタカー代 ¥38,019
総宿泊費 $31.68(税金のみ)

協力 ANA, ANA Travelers, SiXT, Marriott Vacation Club