プロジェクトFTB マタギの森をまたげ!

♪風の中のマサよ~♪砂の上のマサよ~♪

ということで、日本列島にはユネスコ世界自然遺産に登録されている場所が2箇所ある。ひとつはすでにFTBJが縄文杉の解明に成功している屋久島であり、もうひとつは青森県と秋田県の県境に位置する秘境白神山地である。いずれもNHKエンタープライズが製作したドキュメント番組であるプロジェクトXに取り上げられた実績を持っているのだが、今回あらためてFTBの手によって白神山地のすばらしさが深く掘り下げられることとなった次第である。

6月19日(土)

早朝7時25分発ANA787便にて通称あきた北空港と呼ばれている大館能代空港に1時間ほどのフライトで到着したのだが、東北地方には前線が居座っており、降りしきる雨の中をニッポンレンタカーでレンタルしたミラを駆って早速現地調査に乗り出すことに相成った。空港から30分ほど走ると白神山地世界遺産センターというファシリティに行き着いたのでそこで軽く白神山地について学習した後、まだ舗装されていない山道をさらに奥地に進み、1時間ほど走って到着した場所は青森県西目屋村の暗門の滝という白神山地を代表するトレッキングスポットであった。ちょうど昼飯時に差し掛かっていたのでビジターセンターで名物マタギそばを食った後、早速暗門の滝の散策に繰り出すことにした。黄緑色がまぶしい広大なブナの原生林を分け入るようにして開かれている散策路を進むとふいに体に冷気を感じるポイントに差し掛かってしまい、何事かと山側を見上げると氷河の装いをした雪の塊のトンネルの中を吹き抜けていく風が冷却されて観光客に襲い掛かっているのだった。

暗門の滝は3段からなる滝であるが、今日は天候の関係で一番下に位置する第三の滝の見学にとどめておいたのだが、ブナや松などの大木が生い茂る急峻な岸壁から流れ落ちる滝はマサに世界遺産にふさわしい神秘的な雰囲気を醸し出していたのであった。

悪天候のため、今日は早々と予約しておいたブナの里白神館に引き払い、温泉リゾート気分と山菜を中心とした郷土料理に舌鼓を打ちながらいかにしてこの世界遺産を後世に伝えていくべきかを真剣に考えながら夜を更かすことにした。http://www.jomon.ne.jp/~misago/s_proX.html

6月20日(日)

早朝4時から野茂が松井にホームランを打たれる光景をテレビで見るなどしてくつろいだ後、ブナの里白神館が誇るしらかみの湯で殿様気分を味わい10時前には白神館を後にして雨の中を再び白神山地に乗り出すことにした。秋田と青森の県境に位置する白神山地世界遺産登録地をぐるっと囲むような山道はまだ舗装されていない砂利道が主流であるのだが、道路を取り囲む神秘の山々の緑がまぶしいほど車窓をすり抜けていく様は圧巻である。

気がつくと車は日本海側の国道101号線を走っており、とある地点で十二湖という観光地らしき看板を発見したので寄ってみることにした。十二湖は白神山地近辺の12もの単なる池状の湖が密集する総合癒し系自然観光ファシリティであるのだが、この地域の深い森の緑は非常に美しく、とある湖岸の宴会場系レストランでは拉致されたツキノワグマ2頭が不貞寝状態で飼育されていた。この近辺に日本キャニオンという日本を代表する峡谷が大きな口をあけて待っているという情報を入手したので散策してみることにした。広葉樹林の中に忽然と存在する日本キャニオンはグランドキャニオンをまだ見たことがない人にとっては最高のキャニオンではないかと思われた。

豊かな自然を満喫しながら白神のブナ林を実体験出来る森林科学館「八森ぶなっこランド」に軽く寄らせていただくことにした。ここで学ぶことに成功した最高の収穫は今回のテーマにもなっているマタギとは何かということである。マタギとはブナの森で熊や鹿などを捕らえる伝統的な狩猟民のことなのだが、「巻き狩り」という8~10人のマタギが熊を包囲し、指示するもの(ムカイマッテ)、追い出すもの(セコ)、射手(ブッパ)など、それぞれが役割を果たして仕留める狩猟法を駆使していたとされており、現在ではほとんど見られなくなっているそうである。

ということで番組も終了時間を迎えることになってしまったわけであるが、次回は天候を考慮して世界遺産の核心地域に侵入することを誓わざるを得ないほどすばらしい地域であることは間違いない!

♪ヘッドライト♪テールライト♪(Song by M. Nakajima)

FTBサマリー

総飛行機代 ¥600

総宿泊費 ¥7,500

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 ¥1,814

FTB2週間世界一周

裏の仕事の都合でアメリカとアイルランドの出張に赴くことになってしまったのだが、この機会を的確に捉えてFTBは短期間での世界一周を計画し、実行に移すことにした。

6月4日(金)

ANA006便にてロサンジェルスに到着し、そこからUA便に乗り換えて午後3時過ぎにフェニックスに到着した。空港から外に出るといきなり40℃以上の熱波に襲われてしまったのですかさずタクシーを捕まえて今日の宿泊先であるヒルトンフェニックスエアポートに向かった。ホテルでしばしくつろいだ後、路線バス($1.25)で適当に市内を彷徨い、ついにアリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地であるバンクワン・ボールパークに到着した。

午後7時過ぎにプレーボールになっているはずのアリゾナ・ダイヤモンドバックス v.s. ロサンジェルス・ドジャースの試合に到着したのは2回の表にドジャーズが逆転をした時間帯であったのだが、2回以降の石井のピッチングをしかとこの目に焼き付けることに成功した。相変わらず制球の定まらない石井であったものの勝ち投手の権利を取得する5回までを3点に抑えることに成功し、そのまま打撃好調のドジャーズの追加点により期せずして石井は今季7勝目を手にすることが出来た。

6月5日(土)

マサよ、君は世界最大のサボテンを見たことがあるか!?

ということで全米第6位の都市かつアリゾナ州の州都であるフェニックスを後にしたFTBはアリゾナ州の旧都であるツーソンにある砂漠博物館($9)に向かった。アリゾナ州からメキシコ北部に広がるソノラ砂漠の特徴やしくみを学習することが出来る砂漠博物館はおびただしいほどのサボテンと砂漠に居住する動植物を拉致して見世物にして暴利をむさぼっているファシリティである。ここでは高温乾燥地で元気に生活している毒蜘蛛、毒さそり、毒ガラガラヘビや毒のないマウンテンライオン、プレイリードッグ、ブラックベア等が夏バテして動けなくなっている状況を垣間見ることが出来る。

アリゾナというと即サボテンというイメージを思い起こさせてしまうのだが、実際にはアリゾナ州北部は高地なのでサボテンが密集している地域はアリゾナ州南部になる。ツーソン近郊にサワロ国立公園という世界最大の巨大サボテンがにょきにょき生えている地域がある。最大4~5mの高さにも達するサワロは生後70年になると腕が生え、いかにもガッツポーズをしているようないでたちでサワロに触ろうとする観光客を威嚇しているように公園のあちこちに群生している。また、1回の雨で一年分の水分を蓄えることが出来るサワロはキツツキ系の鳥に穴をこじ開けられ、その穴は最終的にはフクロウの快適な居住空間になったりしているのだ。

アリゾナ州中部にCasa Grande Ruins($5)という昔昔アメリカ原住民が暮らしていた遺跡があるので立ち寄って見ることにした。砂漠の中に忽然と出現する土を固めて建設された建物を中心にした遺跡は数百年もの間、アリゾナの過酷な気候に耐えてきた威厳を漂わせており、冷房の効いたビジターセンターの中では当時のアメリカ原住民の暮らしぶりが詳細に解説されているのだ。

6月6日(日)

フラッグスタッフというグランドキャニオンのゲートシティになっている都市のMotel6をチェックアウトすると2000年1月以来、約4年ぶりにグランドキャニオン国立公園($20.-/car)に立ち向かうことにした。

マサよ、君は数あるグランドキャニオンの展望ポイントの中で一番すばらしいポイントはどこか知っているか!?

ということで、南ゲートから侵入してしばらく山道を走るとマーサーポイントという誰もが初めてグランドキャニオンの圧倒される景色に遭遇し、人生観を変えられてしまうポイントに到着した。人々からよくグランドキャニオンで一番すばらしい景色はいつどこで見れるのかという質問を耳にするが、それは初めてグランドキャニオンを見た瞬間に他ならないのである。マーサーポイントの近くに4年前には存在しなかったインテリジェントなビジターセンターとブックショップが開業されており、ここでグランドキャニオンのすべての情報を一手に入手することが出来るようになっている。

グランドキャニオンビレッジに車を停めて園内のシャトルバスで公園の西側のビューポイントを巡りながら、終点のハーミッツ・レストに向かった。このルートにあるビューポイントからはコロラド川の眺望が堪能出来るのだが、前回見たウーロン茶色ではなく、今回は蛇行して流れる深いブルーのコロラド川をいろいろな角度から眺めることが出来た。グランドキャニオンサウスリムの東側の終点にデザートビューが君臨している。古いインディアンの壁画をあしらったウォッチタワーから東側に目を向けるとマサに砂漠のかなたの山々とキャニオンの起点を思わせるコロラド川の源流を見ることが出来るのだ。

夕暮れ時にマサとは比べ物にならないマーサーポイントに戻りサンセットを待っていた。西日がどんどん傾いていくに従ってキャニオンのグラデーションが深くなり、段々と鮮やかに赤みを増していく様子はこの世のものとは思えないほどすばらしい眺望であったため、世界中から参集した観光客たちはみんなため息まじりにシャッターを切りまくっていたのだった。

6月7日(月)

昨夜グランドキャニオンでサンセットを堪能した後、そそくさと車を飛ばして一路灼熱のラスベガスに到着したのは深夜になってしまっていたため、おとなしくMotel6に引き払い、今日はラスベガスからシカゴ経由ボストン行きの機中の人として一日を過ごすこととなった。

6月8日(火)~6月10日(木)

ボストン近郊のオフィスにて裏の仕事に精を出す毎日を送っていた。

6月11日(金)

マサよ、君はJFKの生家にお邪魔したことがあるか!?

ということで、地元のハーバード大学を優秀な成績で卒業した実績を持つJFKの生家($3)がNational Park Serviceの管理下でボストン近郊のBrooklineに一般家庭的ないでたちで保護されていたので見物に行ってきた。地上2階、地下1階建ての住宅はパークレンジャーのツアーでのみ案内されることになっており、この家で行われたJFKに対する英才教育の様子が垣間見れるようなダイニングルームや書斎、ベッドルーム、客室を巡りながら、観光客はJFKの生い立ちの秘密を暴くことが出来るようになっている。

ボストンダウンタウンのノースエンドからチャールズ川対岸のNavy Yardにかけての地域はBoston National HistricParkに指定されている歴史的地区でありBoston’s Freedom Trailという京都の哲学の道に匹敵する散歩道が展開されているのでぶらぶらしてみることにした。ここでの見所としてボストンの歴史を知る上での重要な資料が展示されているOld State House($5)や日本におけるキリンビールの祖として有名な樹木希林!?に匹敵するサミュエル・アダムス像が見守るQuincy Market等がある。

ボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウエイパークに野茂、石井率いるロサンジェルス・ドジャースがやって来たので$70の大枚をはたいていい席を確保することにした。午後7時過ぎに始まったゲームは投手戦の様相を呈し、淡々としたペースで進み、ボストンリードの1対0で迎えた9回の表のドジャーズの攻撃も2アウトランナー2塁と追い込まれていた。次打者の打球は高いレフトフライで試合終了かと思われた瞬間、マニー・ラミレス左翼手の落球により試合は1対1のタイスコアになってしまった。この落球のおかげで9回裏を迎えたボストンの執拗な攻撃により、レッドソックスは見事サヨナラ勝ちを収め、球場は歓喜の渦に包まれていた。

6月12日(土)

午前中にボストンからニューヨークに飛び、ラガーディア空港で真紅のマスタングをレンタルすると早速ロウアーマンハッタンに向かった。自由の女神行きのフェリーが就航しているバッテリーパークの中にキャッスル・クリントンという砦があるので軽く見学し、ウォールストリートを歩いて金儲けを誓った後、恒例のヤンキー・スタジアムに向かうことにした。午後4時という中途半端な時間にプレーボールとなったヤンキースとサンディエゴ・パドレス戦はゴジラの強打が爆発することもない平凡な試合で結局3対2でヤンキースがパドレスを下してしまったのだった。

昨日訪問したはずのJFKの生家から今日は気がつくとJFK空港でロンドン行きの飛行機を待っていた。JFK空港はいつのまにかモノレールシステムが発達しており、各ターミナル間を無人のモノレールが我が物顔で走り回っていた。午後9時35分発ロンドン行きのUA便は定刻どおりに出発し、一週間で横断してしまった北アメリカ大陸を後にしてついにヨーロッパに乗り出すこととなったのであった。

6月13日(日)

日付が変わって日曜日の午前中にロンドンヒースロー空港に到着した。ここからターミナル間を移動してブリティッシュミッドランド航空に乗り換えてアイルランドの首都ダブリンに向かった。午後2時半ごろダブリンに到着するとそのままタクシーで市の中心部であるCity Centerで最も格調高いウエスティンホテルにチェックインし、この日はダブリンの中心部であるテンプルバーを散策したりしてのんびりとしたひと時を過ごしていた。

6月16日(水)

月曜、火曜と適当に裏の仕事をこなした後、今日は午前中の内にダブリンを後にしてロンドンに向かった。ヒースロー空港から地下鉄でBritish Railwayのウォータールー駅を経由してグリニッジに向かった。

マサよ、君は世界標準時を刻む時計の目の前で西半球と東半球を跨いだことがあるか!?

ということでロンドンダウンタウン西わずか10kmほどのテムズ川沿岸のグリニッジパーク(世界遺産)はロンドンを代表する観光地の様相を呈しており、ここにはウイスキー系の船であるカティ・サークが陸揚げ状態で展示されていたり、National Maritime Musiumには7つの海を制覇した大英帝国の栄華をダイジェストで学習出来る数多くの展示品やネルソン提督にまつわるコーナーや♪ようこそここへ♪というようないでたちのキャプテン・クックのコーナー等が充実しているのだ。

ミュージアムからきれいに整備された芝生で覆われた公園の坂道を駆け上がるとRoyal Observatory Greenwichに到達する。そ~、ここがいわずと知れた世界標準時のお膝元であるグリニッジ展望台である。ここには東半球と西半球を分ける子午線がきっちりと引かれており、観光客はそのモニュメントの前で記念写真を撮りながら皆悦に入ることとなる。また、現在は使用されていない展望台は博物館になっており、正確に時を刻んでくれそうな数多くの振り子時計や各種測定器、高級望遠鏡等が所狭しと展示されている。

ANA202便にてロンドンより帰国

協力 Star Alliance, Motel6, ハーツレンタカー、Symantec Corporation

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in カウアイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!?

ということで、すっかりおなじみとなったフレーズで始まるFTBハワイシリーズも今回で早くも4回目を迎え、オアフ島、ハワイ島、マウイ島に続き、今回はカウアイ島に上陸する運びとなった。

2004年5月27日(木)

午後8時45分発ANA1052便に搭乗すべくチェックインカウンターに到着すると受付のおね~ちゃんに無条件アップグレードを告げられ、平然と「あ~そうですか?」と答えていたのだが、心の中ではガッツポーズとともに日本バレーボールナショナルチームを応援するジャーニーズ事務所のNEWSの歌とともに「ニッポン、チャ、チャ、チャ」コールが渦巻いていたのを誰も知る由はなかったであろう。

7時間少々のフライトでホノルル空港に到着するとInter Islandのアロハ航空のカウンターにすばやく移動して午前11時発カウアイ島リフエ空港行きのB737機に乗り込み、25分程度のフライトを経て晴れてカウアイ島に上陸することに成功した。空港で真紅のポンティアック2ドア小型車をレンタルすると早速リフエ市内にあるカウアイ博物館($7)に向かい、まず最初にロマンあふれるカウアイ島の研究を行うことにした。カウアイ島はハワイ8島のうち、最初の火山活動で出来た島であり、数多くの歴史と伝統が残されているのだが、この博物館には6000年前から19世紀までの島の歴史がわかる科学的な資料が展示されているのだ。

カウアイ博物館で島の歴史と全貌をインプットした後、ポンティアック車は島の西部に向けて進路を取った。島のほぼ中央にそびえる標高1569mのワイアレアレ山を中心として起伏の激しい地形が織り成す山々の峰を眺めながら快適にドライブしていると車は西海岸のどんつきにあたってしまったのでそこから引き返して今回の宿泊先であるシェラトンカウアイリゾートに向かうことにした。カウアイを代表するリゾートコストであるポイプ海岸は島の南部に位置しており、気候も安定しているので数多くのリゾートホテルが軒を連ねている。1992年にカウアイ島を襲ったハリケーン・イ二キによる壊滅的なダメージから長らく営業を中止し、97年12月にリニューアルオープンしたシェラトンカウアイリゾートはポイプ海岸のほぼ中心地をプライベートビーチとしておさえており、朝日も夕日も鑑賞出来る絶好のロケーションで観光客はビーチリゾートを満喫出来るような構造になっている。また、毎日夕方5時~6時にかけてサンセット・マイタイ・パンチ・アワーと称してハワイアンソングとフラダンスのライブを見ながらハワイのトロピカルカクテルであるマイタイが無償で振舞われ、リゾート客は夢のようなひと時を過ごさせていただくことが出来るのだ。また、後半の時間はリクエスト可能になっており、財務官僚OBが民間人より高い年金をもらっている事実を一般人から攻められているはずのマサであれば日本が誇るウクレレシンガーである牧信二の♪あ~あ、あ、やんなっちゃたぁ、あ~あん、あ、おどろいた♪をリクエストしていたはずであったろう。

5月28日(金)

マサよ、君は太平洋にグランドキャニオンが存在することを知っているか!?

島の西海岸にあるワイメアはキャプテン・クックがハワイを発見し、最初に上陸した地として有名である。恐る恐る上陸したクック一行は以外にも桜田淳子の歌のように♪よ~こそここへクック、クック♪と大歓迎を受けたそうだが、その理由は何本もマストのある船が原住民の予言書に出てくる「高い木のある動く島」に似ていたためだったそうだ。

ワイメア町から550号線の山道を7~8kmほど上るとワイメア渓谷展望台に到着した。マーク・トウェインが「太平洋のグランドキャニオン」と名づけたこの光景は風雨や流水で削られたさまざまな色や形の山肌が織り成す大地の彫刻と呼ぶにふさわしい代物であった。ワイメア渓谷展望台からさらに上り、550号線の終点のカララウ展望台の標高1200mの展望台からカウアイ島の優雅な山並みと太平洋のハーモニーを堪能した後、コケエ州立公園のコケエ博物館の周辺の芝生でコケエコッコと放し飼いにされているニワトリを追い回しながらゆったりとした時を過ごしていた。

島の西部のワイメア州立公園を思う存分堪能させていただいた後、今度は一転して東部に位置するワイルア州立公園まで移動することにした。島の東海岸に注ぐワイルア川周辺は、太平洋を渡ってきた人々が最初に住みついた場所でハワイ先住民のふるさとと言える。「王者の道」と呼ばれる580号線を上るとオパエカア滝という約20mの高さから流れ落ちる滝の眺望も目にすることが出来る。

5月29日(土)

シェラトンカウアイリゾートをチェックアウトするとポイプビーチの西のはずれにある潮吹き穴に向かった。ここは溶岩のトンネルに波が流れ込んで、岩場の穴から潮水を吹き上げると同時に、別の穴から空気を押し上げ、「シュー」という豪快な音をたてて観光客を喜ばすスポットである。

その後ポンティアック車は海岸線東回りの56号線でノースショアを目指した。島の最北部のハエナというところから車は通行できなくなってしまったので、適当に車を止めてあたりの散策に乗り出すことにした。そこはマサに隠れ家的な美しい白浜のビーチになっているはずが、駐車しきれないほどの車と海水浴客で賑わっていた。白浜から山を見上げると断崖絶壁の岩山沿いに北部の奥地に存在する数々の秘密のビーチにアクセス出来るトレイルが延びていたので1時間ほど歩いてみることにした。眼下に展開されるエメラルドグリーンの海はマサに未開発のオーシャンであり、ボ~っ波の音を聞きながら海を眺めているだけでも蓄積された疲労が癒されていくのが実感されるのだ。

カララウ展望台という南国のエデンの園のようなタロ芋畑を見下ろすことが出来るスポットからただただ美しい眺望を見物した後、プリンスビルというリッチなリゾート地域に紛れ込むことにした。ここにはアメリカの雑誌「ゴルフマガジン」でハワイ州No.1のコースと評されたプリンスコースがあり、総大理石作りのレセプションホールもまぶしいプリンスビルホテルには世界各国から金持ちのリゾート野郎が集まって散財していく人間模様を目の当たりにすることが出来る場所となっている。

キラウエアポイント国立野生動物保護区($3)というキラウエア灯台を中心とした崖っぷちに広がる海鳥たちの営巣地およびイルカや鯨等の海洋動物を双眼鏡で見学出来るファシリティから渡辺真知子系の口びるの大きい♪かもめがとんだ♪瞬間を見上げていると誰かがイルカを発見したらしいので早速双眼鏡を借りて眺めていたのだが、当然のことながら背中に城みちるは乗っていなかった。

ということで、アロハ航空の最終便にてハワイでもっとも景観の美しいカウアイ島を後にし、夜8時半頃ホノルル空港に着陸し、そこからThe Bus($2)にてワイキキ方面に向かった。ワイキキの入り口のDoubleTree Hotelに到着するとちょうど小腹が空いたのでワイキキビーチの近くで営業している「めちゃんこ亭」というラーメン屋でとんこつラーメンを発注したのだが、なんとここでは「笑点」にてさんざんまずいと宣伝されている喜久蔵ラーメンがOEM供給されていることが確認された。

5月30日(日)

早朝よりワイキキビーチの散歩と洒落込み、朝日に照らされるダイヤモンドヘッドと波に飲まれている朝練サーファーを見物した後、The Busにてホノルル空港に帰っていった。ANAのカウンターにてチェックインを試みると何と単にたくさん乗っていただいているという理由でまたもアップグレードされてしまったので軽く「ありがとう」と言いながらも心の中では♪ノース! イースト! サウス! ウエスト♪とNEWSの歌のリズムが軽快に刻まれていた!

天国に近い島カウアイ島

*ニワトリ天国カウアイ島

カウアイ島ではいたるところでニワトリが放し飼いにされており、人間がえさを与えるそぶりを見せると何と数10m先から羽を広げて飛んでくる光景も珍しくない。マサにニワトリ天国と呼ぶにふさわしい島なのだが、実際に車に轢かれて天国に直行しているニワトリも後をたたないのである。

*ヤシの木天国カウアイ島

カウアイ島では4階より高い建物の建立が禁止されている。それは成長したヤシの木の高さがビルの4階と同じくらいの高さになるからだ。

*リゾート天国カウアイ島

STARWOODのWEBサイトで予約したシェラトンカウアイリゾートであったが、チェックアウト時のBillの中に1泊につき$23ほどのリゾートチャージなるものがおどっていたので今後は心してリゾートに励もうと誓った次第であった。

*映画撮影天国カウアイ島

カウアイ島北部は数々の美しい風景を持っているため、絶好の映画撮影のロケーションとなっている。これまでにも「ジュラシックパーク」や「ジュラシックパーク2」等の幅広いジャンルの映画のロケ地となった実績を持っているのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 \62,300

総宿泊費 $612.77

総レンタカー代 $114.37

総ガソリン代 $31.25

総走行距離 402マイル

総The Bus代 $4

協力 ANA、アロハ航空、ハーツレンタカー

筆者プロフィール(総統の部屋)

好きな食べ物: たこ焼き、ソフトクリーム

好きな歌手: 桜田淳子(統一教会に入る前)

好きなスポーツイベント: バレーボール国際大会(ジャニーズ事務所の新人の前説付き)

好きな官公庁: 財務省

FTBJ坂本竜馬in薩摩ツアー

マサよ、君は日本で最初に新婚旅行を成し遂げた翔んだカップルを知っているか!?

5月22日(土)

ということで、早朝7:10発ANA619便、鹿児島行きは強い向かい風の影響を受けて定刻よりやや遅れて午前9:00頃に鹿児島空港に到着した。空港から林田バス(¥650)にてあらかじめ予約しておいた霧島いわさきホテルに到着したのは10時前でチェックインには程遠い時間であったため、10:15発の霧島・えびの高原周遊バスに乗り込み、昭和9年に日本で最初に国立公園に制定された霧島連山の散策に乗り出すことにした。

南九州一帯を取り仕切る林田バスが運行する霧島・えびの高原周遊バス左まわりは霧島いわさきホテルを出ると硫黄の煙がもうもうと上がっている硫黄谷や豪快に水しぶきをあげる丸尾滝、霧島神宮、高千穂牧場等、当地の観光スポットを順繰りに回り、樹帯トンネルという赤松をはじめとした雑木林の原生林を抜けると高千穂河原という場所に到着したのでここでバスを降りることにした。

日本有数のアルピニストである私は高千穂河原ビジターセンターで近隣の山々の登山、トレッキング情報をすばやく入手した後、早速神々が舞い降りると言う高千穂峰(1574m)の頂上を目指すことにした。5月~6月が見ごろであるミヤマキリシマが咲き乱れる林を抜けると段々と傾斜が急になり、足元には火山特有の石がごろごろして登山者の体力を否応なしに奪っていく。45度の傾斜をしばらく登ると火山ガスを噴出している御鉢という火口に到着し、見上げると高千穂峰はさらに高いところに位置していたので最後の力を振り絞って合計1時間半ほどの時間をかけてとうとう高千穂峰の頂上に到着した。天孫降臨の山として知られる高千穂峰の頂上に天逆鉾という剣が突き刺さっており、絶好の記念写真ポイント兼礼拝スポットとなっているのだが、「竜馬がゆく」に言わせると新婚旅行でここを訪れた坂本竜馬はなんとこの霊験あらたかな天逆鉾を抜いて喜んでいたと言うではないか!また、頂上では「イチ足すイチは・・・」 「ニー」という掛け声で恥ずかしげもなく記念写真を撮っている強者団体ハイカーまで存在していやがった。

登山者の約40%が滑って転んでいる状況を目の当たりにしながら急な斜面を一気に駆け下りて高千穂河原まで戻ると再び林田バスに乗り、えびの高原に向かった。標高1200mのえびの高原はキャンプ場やビジターセンター、ドライブイン等で賑わっており、霧島連山の最高峰の韓国岳(1700m)の登山口にもなっているのだが、その辺を散歩しているニホンジカには決してえさをあたえてはならぬよう釘をさされているのだった。

いわさきコーポレーションが総力を上げて買収した林田旅館は現在霧島いわさきホテルhttp://kirishima.iwasakihotels.com/に成り代わっているのだが、5時過ぎにチェックインすると早速霧島で1,2位を争う林田温泉、御山の湯に入湯させていただくことにした。林の中に忽然と存在する露天風呂はあつい溶岩風呂とぬるい湯、うたせ湯、サウナ、水風呂等バラエティ豊かである上、サンデッキからは遠く鹿児島空港、桜島、開聞岳の眺望を堪能することが出来る作りになっている。また、風呂の底にたまっている沈殿物は湯の花なので気にすることなくボケ~と殿様気分に浸れるのだ。

霧島いわさきホテルの地下にある林田温泉の入り口に林田熊一の銅像が奉られているのだが、彼こそ林田温泉を開発し、霧島を日本有数の観光地に成り上がらせた立役者だとの説明が誇らしげに彫られてあった。

5月23日(日)

霧島いわさきホテル新館の最上階である9階のテラスから差し込んでくる朝日で早朝6時ごろ目を覚ますと早速御山の湯で覚醒し、さらに朝飯で腹ごしらえを済ませると林田バスで霧島神宮を目指した。今からさかのぼること10年前、私が株式会社京セラ、ファインセラミック事業本部 海外営業部 産機課 産機係で活躍していたころ外人接待で夜中に霧島神宮を訪れた時は日もとっぷり暮れた時間帯であったため、実質今回初めて霧島神宮の全貌が明かされることとなった。平成元年5月19日に国の重要文化財に指定された霧島神宮はもともとは高千穂峰、高千穂河原に君臨していたのだが、霧島山の2度の火山噴火により消失してしまったため、1484年に現在の場所に建てられたそうだ。ここには絢爛たる朱塗の本殿、拝殿、登廊下、勅使殿等、その配置の妙を得て宏大で壮麗な美しさを醸し出している。

林田バス丸尾バス停で下車すると霧島を代表する幅25m、高さ20mの丸尾滝に遭遇する。さすがに温泉地帯に存在する滝だけあって滝壺は温泉色に彩られており、あたりはほのかに硫黄泉の香りがただよっていた。

1867年(慶応3年)に伏見寺田屋にて急襲され、深手を負った坂本竜馬はマブダチの西郷隆盛の勧めで新妻おりょうとともに薩摩を旅行したことが新婚旅行の走りといわれているのは日本人では知らない人はいないであろう。その際、湯治のために訪れた塩浸温泉(¥250)鶴の湯http://www.asahi-net.or.jp/~ck4t-hri/kydo/kydo/shiohitari.htmがいまだにしなびた温泉のいでたちでひっそりと存在していたので空港に帰る道すがらひと風呂浴びてみることにした。日本最強クラスの温泉街である霧島温泉の蒼々たる露天風呂群とは異なり、施設もエンターテイメントも交通の便も悪い塩浸温泉ではあるが、坂本竜馬がたどった旅情にどっぷりと浸ることが出来る最高の場所ではないかと思われたのだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,600

総宿泊費 ¥20,153(2食付)

総バス代 ¥3,090

協力 ANA、林田バス、いわさきホテルズ

FTB第6次MLB、リトル、ゴジ打てなくても許しテキーラツアー

去る3月30日と31日にニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズを東京ドームに迎えてMLB開幕戦が挙行され、ゴジラ松井が大活躍したのは記憶に新しいところである。日本有数のMLB評論家として名高い私は巧みなYahooオークションさばきで入手したチケットを手に当然のことながら2試合とも観戦することに成功した。ところで今年フィラデルフィアとサンディエゴに新しい野球場がオープンしてしまったので、先週挙行された裏の仕事の海外出張を利用してフィラデルフィアのCitizens Bank Ball Parkを訪問し、さらにリトル松井率いるニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムにて早くもリトル松井の活躍ぶりを確認するに至ったのだが、サンディエゴまでは足を伸ばすことは出来なかったので今回のFTBツアーにてカバーしなければならなくなってしまったのだ!

2004年4月30日(金)

GW2日目とはいえ、平日とあって成田空港第二ターミナルは予想したほどの混雑状況は呈していなかった。ANA006便ロサンゼルス行きは定刻どおりの午後5時10分に出発し、当日午前11時前にはロサンゼルス国際空港に到着した。ハーツで真紅のGM小型車をレンタルすると早速I-405San Diego Highwayを南下して一路サン・ディエゴを目指した。風光明媚な港町として有名なサンディエゴの湾岸沿いの小さな半島にカブリヨ・ナショナル・モニュメント($5)という米国National Park Serviceが管理している国定公園が存在しているので早速訪問してみることにした。このポイントはコロンブスが新世界に上陸してから50年後にホアン・ロドリゲス・カブリヨというおっさんがスペイン王およびメキシコ副王の名の下に、この地を占領するに至った歴史を記念して制定された公園である。ここからは太平洋の雄大なパノラマとサンディエゴ港の全景を見渡すことが出来る。

HiltonHHnorsのポイントが余っていたのでマサであれば$150くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来るHampton Inn Del Marにチェックインした後、Interstate Highway 5 (I-5)を南下してサン・ディエゴのDowntownにあるPETCO Parkを目指した。今年からサン・ディエゴ・パドレスの本拠地としてグランドオープンされたPETCOParkはDowntownはずれのConvention Centerの向かいに位置しており、Trollyと呼ばれる路面電車の停車駅から徒歩で簡単にアクセス出来るため、今後毎試合多くの観客を集客出来ることは間違いないと思われた。

リトル松井率いるニューヨーク・メッツとの対戦となったこの試合は午後7時過ぎにプレーボールとなり、先攻のメッツはリードオフマンのリトル松井を打席に送り込んだ。松井はパドレスのエースピッチャーのローレンスからいきなり三遊間を破るヒットを放ち、1回表に5点を奪ったメッツの猛攻の足がかりを作り、サンディエゴ市民の度肝を抜いたのであった。試合はその後、パドレスが徐々に追い上げていく格好で4回裏には2死満塁から松井の今季5個目の痛恨のエラーにより、その後パドレスに逆転を許す結果となってしまった。松井のその後の打席は2三振を喫するなどパッとしない内容で結果的には5打数1安打に終わってしまった。

マサよ、君はサンディエゴ・パドレスに所属する日本人投手の存在を知っているか!?

私の隣の席で観戦していた小太りのおやじはシーズンチケットを友人とシェアする形で持っており、パドレスの試合を数多く見ているのだが、彼の一番の推薦は今年セットアッパーとしてパドレスに入団した大塚である。この日のパドレスは連投のクローザー、トレバー・ホフマンを休養させるために1点リードで迎えた9回の表のメッツの攻撃に対して新人の大塚をマウンドに送り込んだ。心臓に毛が生えていると思われる大塚はメッツの誇るクリーンアップの攻撃を3人で退け、見事に今季初セーブを飾り、地元パドレスファンを歓喜の渦に巻きこんだのであった。

5月1日(土)

1998年の夏場に初めてサンディエゴを訪れた時に、ハイウエイに「CAUTION」という親子3人連れの夜逃げバージョンの看板を数多く見かけた。ハイウエイの路肩に違法駐車してマサとともに看板を背景に大蔵省(当時)の省内報に載せるための写真撮影を行ったのが、昨日のことのように思える今日この頃であるが、なんとこの看板がハイウエイで激減しているという非情な現実を突きつけられてしまった。何とかI-5上のメキシコとの国境の近くで看板のデジタル撮影に成功したので、その後安心してLA空港まで戻り、満を持してメキシコの心臓部であるメキシコシティを目指すことにした。

UA1003便は定刻通り午前11時30分に出発し、2時間の時差を越えて午後5時過ぎにメキシコ・シティのベニト・ファレス国際空港に到着した。入国審査と税関を経て自動扉が開くとそこには異様な光景が広がっていた。いきなりオリコンチャート1位に登場したNew CD「強い絆」を引っさげて衝撃的な芸能界復帰を果たした鈴木亜美系のおびただしい数のアミーゴ達がサインを求めるようないでたちで彼らの友人であるはずのホセやサンチアゴ等を迎える様はこれぞマサにラテンの雰囲気そのものであったのだ!

メキシコ・シティ滞在中の宿泊先として空港の国際線カウンターの4階に内蔵されているヒルトンホテルを3日間宿泊すれば日曜はただというスペシャルプランで予約しておいたので早速チェックインし、その足で空港内と空港周辺の散策に乗り出すことにした。まずは空港内でUS$をメキシコペソ(N$)に両替し、故障したコカコーラの自動販売機にN$10を飲み込まれてしまった後、空港の外に出るとそこには緑色の旧式ビートル型フォルクスワーゲンのタクシーが2ドアーにもかかわらず、アグレッシブに客待ちしている状況が散見されたのであった。

5月2日(日)

早朝目を覚ますと言いようもない眠気とけだるさに包まれ、何度も生あくびを繰り返してしまった。それそのはず、ここは標高2,240mの高地で空気が薄いのと昨日からの時差ぼけがいい具合にブレンドされて私の強靭な肉体から一晩にして生気を奪い去ってしまっていたのだった。

何とか気を取り直して空港から徒歩でメキシコ・シティの中心部を目指すことにした。メキシコではほとんど英語が通じず、皆スペイン語を話しているため、ありがたいときには「グラシャス」、むちゃくちゃありがたいときには「むっちゃ、グラシャス」の2語を引っさげて意気揚々とダウンタウンに乗り込んだ。人口2,000万人を誇る、世界最大の都市であるメキシコ・シティの中心はソカロという広場(世界遺産)である。ここは1,500年代まで栄えていたアステカ帝国の中心地をスペイン占領軍が支配し、アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立てて完成した町である。ソカロ横の巨大な教会はメトロポリタン・カテドラルといい、メキシコにあるすべての教会を統括する大教会で、ラテン・アメリカ最大級の教会建築物である。今日はたまたま日曜日だったので中では荘厳なミサが執り行われており、賛美歌と神父が降り掛けて回っている聖水であふれかえっていた。

カテドラルのすぐ隣にテンプロ・マヨール(N$38)というアステカ遺跡の寺院が古びたいでたちで観光客を集めていた。1450~1500年ごろのものと推定されるこの遺跡は1913年にビルの工事中に偶然に発見されたもので1984年の発掘終了後、一般公開されるようになったという。遺跡横にはテンプロ・マヨール博物館があり、発掘された貴重な遺品が数多く展示されている。カテドラルとテンプロ・マヨールの間のちょっとした広場におびただしい数の食い物屋や土産物屋、日用雑貨屋の露天が店を広げており、観光客と原住民で大変な賑わいをみせている。食い物は衛生状態に難がありそうな5枚でN$10のタコスや3個でN$10のホットドッグやわけのわからん乾き物系の巨大せんべいがメインであった。

メキシコ・シティは東京メトロや都営線と同等の地下鉄網を誇っており、一回改札をくぐってしまえばいくら遠くへ行っても乗り換えても一律N$2で済んでしまうため、地下鉄車内では日本では考えられないような人間模様が繰り広げられている。車内では非公認と思われるポマード売りや電池、CD等を携えた現地人が独特の口上で無視を決め込む乗客に何とか物品を売りつけようと歩き回っている。また、ギターと民族楽器を抱えた素人系ミュージシャンの下手な歌を無理やり聴かされ、なおかつ小銭を巻き上げられそうになるリスクにも対応しなければならないのだ。

というわけで地下鉄に乗って向かった先は国立人類博物館(N$38)というここにこなければメキシコ・シティに来た意味がないと言われている世界でも有数の規模と内容を誇る大博物館である。この博物館ではこの地に栄えたテオティワカン、マヤ、アステカなどの各遺跡から、永遠に保存すべき重要物を選りすぐったものが展示されており、日本から来た団体観光客も来たるべきマヤ遺跡訪問前の事前レビューのために真剣にガイドの話に耳を傾けていたのであった。

5月3日(月)

地下鉄でメキシコ・シティ北方面バスターミナルに行き、そこからバス(N$25)に乗り込みメキシコ最大の都市遺跡であるテオティワカン(N$38、世界遺産)に向かった。独自に高度な文明を生み出していたテオティワカンは、メキシコ盆地を中心として350年から650年の間に繁栄の頂点に達しており、20万人以上の人口を擁していたと推定される大都市である。ここには高さ65m、底辺の1辺が225mの世界で3番目の大きさを誇る太陽のピラミッドと高さ42m、底辺150m x 130mで多少小さめではあるが、宗教儀礼上もっとも重要である月のピラミッドがそびえている。メキシコ・シティで最も有名な観光地だけに中に入るとたくさんのストリート土産物売りたちが観光客を待ち構えていた。ある者は布から取り出した置物をこれ見よがしに提示し、ある者は「コンドルは飛んでいく」系の笛の音色を響かせていたり、またある者はきらびやかな敷物を広げて観光客を待ち伏せしたりしているのだが、中には日本語を操る上級者も存在し、奴は「タッタのヒャクエン!」と言って日本人をおびき寄せ、そっけない素振りを見せると「ビンボー!?」という捨て台詞を吐きやがったので思わずその辺に生えているサボテンを引っこ抜いてぶん殴ってやろうかという衝動に駆られてしまったのだ。また、中には「ホトンド、タダ」という私の心の琴線に触れるようなセリフを吐く売り子もいたのだが、観光地でほとんど土産を買うことがないと恐れられている私の財布の紐はついに開くことはなかった。

ちなみにテオティワカンの2つのピラミッドは観光客が自由に登頂可能になっており、遺跡の中央を貫く死者の道のエンドに位置している月のピラミッドからはテオティワカンの伽藍配置が一望出来るすばらしい景色を眺めることが出来るのだ。ここ数日ろくな物を食っていなかったので久々に日本食でも食おうと思い、私にふさわしい名前を持つJapaneseレストランである「ミカド」でミカド定食(N$195)を発注すると刺身、てんぷら、とんかつ等が次々に運ばれて来て存分にみかど気分を味わうことが出来た。

5月4日(火)

メキシコ・シティ最終日の今日はまず地下鉄で北部にあるグアルターべ寺院に向かった。グアルターべはメキシコ人の母なる寺院と言われているのだが、熱心な信者が膝行参拝といって、石畳の境内をずっと堂内の祭壇まで膝立ちで進み特別な願をかける様子を常に垣間見ることが出来る場所である。ここには1709年に建立され、今は地盤沈下のために傾いてしまっている旧聖堂と1976年に建設され、現代的な機能美を持っている円形の新聖堂が軒を並べている。2万人の信者を収容出来る新聖堂は、メキシコ・カトリックの象徴的主座であり、ローマ法王もここを訪れミサを行った実績も持っているそうだ。

電車でゴーの練習が足りない未熟な運転手が操る地下鉄で再びソカロ地区に帰り、アステカ時代にモクテスマ2世が居城としていた国立宮殿にパスポートを提示することにより侵入に成功した。この宮殿の最大の見所はメキシコを代表する壁画氏であるディエゴ・リベラの会心作であり、最大の壁画である「メキシコの歴史」である。広大な宮殿の2階の約半分はリベラの壁画で埋め尽くされており、アステカ時代から現代メキシコまでを巨大なパノラマで鳥瞰する雄大な抒情詩をこの場で十分満喫することが出来るようになっている。

ソカロから西に5分ほど歩いたところにメキシコ・シティのランドマークとなっている44階建てのラテンアメリカタワー(N$40)がそびえているので展望台まで昇り、そこからメキシコ・シティがソカロ中心に発展した町であることを確信した後、ドアを閉めるときに平気で人を挟んでしまう地下鉄でソナ・ロッサという地区に向かった。この地区は首都の繁華街であり、ブランド物屋やブティック、高級レストラン等が軒を連ねている。この地区で幅を利かせているJapaneseレストランである「ミカド」で中華やきそば(やわらかいやつ)を食った後、プラットホームの正しい停止位置に停止するために何度も切り返しを行う地下鉄に乗り、空港まで帰っていった。

5月5日(水)

昨夜UA1008便でメキシコ・シティからLAに戻ると早速レンタカーをピックアップして111マイルほど北のBakersfieldという町のMotel6で夜を明かした。観光地のメキシコで土産を買わなかったので原住民からセコいと思われているのをよいことに今日はセコイア&キングスキャ二オン国立公園($10/car)を目指すことにした。アラスカを除く北米大陸で最も高いシエラネバダ山脈の山中に隣接するこの2つの国立公園には樹齢2,000年を超える巨木の森が存在しているので、メキシコ・シティでの人いきれにうんざりした私の心と体を癒すのにはもってこいの環境が整っているのだった。

マサよ、君は現存する地球最大の生物を知っているか!?

高さ83.8m、根元の直径11m、根元の周囲31.3m、幹の体積にして約1,487㎥を誇るシャーマン将軍の木の樹齢は推定2,300年~2,700年と言われているのだが、この木は1879年にJ・ウォルバートンが発見し、彼が南北戦争中に中尉として仕えた将軍に敬意を表して命名したものである。このようなジャイアントセコイアの巨木がニョキニョキと生えているのがセコイア国立公園のジャイアントフォレストである。ジャイアント・フォレストの奥にクレセント・ミドウという美しい草原があり、そこへ行く道すがらに数多くの見所となる木がある。オート・ログは倒木の上を車が乗れるようにしてあるファシリティであり、倒木をくり抜いてトンネルを作り、車が通過出来るようになっているトンネル・ログやモロ・ロックといってこの一枚岩の頂上から美しいシエラネバダの大パノラマを一望出来る展望台もある。

クレセント・ミドウの周りを一周するトレイルを軽快に歩いていると、とある外国人カップルからトレイル沿いに熊を発見したので警戒して歩くように警告が発令された。あたりをぐるぐる見回しながら慎重に進んでいると花咲きそうな森の道で案の定熊さんに出会ったしまったのだ!気がつくと冬眠から覚めて若芽をあさっている茶色の毛に覆われたブラックベアの射程距離内に入ってしまっていたため、死んだふりをしてやり過ごすか、それとも勇敢に戦うかの選択を迫られるような状況になってしまったと感じたのだが、私の全身から発散される格闘家系の気迫に気圧されて熊が顔をそむけてしまったので今回は見逃してやることにしたのだった。

ということで戦わずして熊に判定勝ちした後、山道を縫うようにして車を北に走らせるとキングスキャニオン国立公園のグラントグローブに到着した。ここには1926年にアメリカのクリスマスツリーとして認定された高さ81mのグラント将軍の木をはじめ、倒れて中を人が通れるようになった木や火災で焼けかけた木を見物出来るトレイルが張り巡らされているのだが、ところどころに点在する茶色の切り株がどうしても熊に見えてしまうというトラウマを最後まで振り払うことが出来なかったのだ!

5月6日(木)

FresnoのMotel6からCalifornia41号線、Yosemite Highwayに乗り1時間ほど車を走らせるとヨセミテ国立公園($20/car、世界遺産)の南ゲートに到着した。昨日のセコイアの大木の幻影に引きずられるようにマリポサグローブというヨセミテ国立公園内のセコイア原生林にふらふらと迷い込んでしまった。ここでもGrizzly Giantという園内最大のセコイアの木と遭遇し、忘れかけていた熊の幻影が昨日のことのように思い出されてしまったのだった。

ヨセミテ最南部のマリポサグローブから約1時間ほどのドライブでヨセミテの中心であるヨセミテバレーに1998年10月以来、約5年半振りに登場することと相成った。5月上旬とは言え、ここはまだやっと冬が終わったような状況で残念ながらヨセミテ一の眺望を提供するグレイシャーポイントへのドライブ道は封鎖されてしまっていたのでバレーの底からヨセミテのシンボルであるハーフドームやエルキャピタンを見上げるしかなかったのだ。

かつてある女性が、ベテランレンジャーに「ヨセミテで費やせる時間が1日だけあったら何をするか?」と問いかけたところ、レンジャーは「マーセド川の川辺に腰掛けて泣きますよ」と答えたというほど1日、2日ではとても見て回ることが出来ないほどすばらい景観とアクティビティを提供するヨセミテであるが、いつまでもメソメソしているわけには行かない私はヨセミテの散策を午後2時前には切り上げてオークランドへ急ぐことにした。

FTBのホームグラウンドであるオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムの駐車場代は前回来たときの$8から$13に値上げされていた。ゴジラ松井率いるニューヨーク・ヤンキースを迎え撃つオークランド・アスレチックスはここ数年アメリカン・リーグ西地区で優勝するほどの強豪チームに成り上がってしまったことがインフレ傾向に拍車をかけていたのだ。午後7時5分にプレーボールとなった試合は2回表にいきなり4点を専攻したヤンキースの有利な展開で進むものと思われた。しかしながら、ヤンキースの先発ピッチャーであるバスケスがガス欠を起こした6回の表にはアスレチックスに7対4と逆転を許し、そのままゴジラの逆襲を見るまでもなく試合は終了してしまった。MLBで最も柄の悪い38,000人余りの観客のそれでも半分近くはヤンキースファンであったのだが、試合終盤間際には「レッツゴー・オークランド!」という大歓声で埋め尽くされていた。

5月7日(金)

San Joseよりやや北のFremontのMotel6で夜を明かし、早朝5時半から車を飛ばして午前11時前にはロサンジェルス国際空港に到着した。ANA005便でラストサムライをはじめ4本の映画を見ながら、渡辺謙もこの程度の演技ではハリウッドで通用しないなと思いながら帰路につく。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥136,060 + $400.44

総レンタカー代 $176.40

総ガソリン代 $105.81

総走行距離  1,445マイル

総宿泊費 N$3,687.08 (N$1 = ¥12程度) + $104.09

協力 ANA, HiltonHHnors, ハーツレンタカー, Motel6(http://www.motel6.com/

FTBSEA逆ジャパ行きツアー in マニラ

昨年のワット驚くアンコールワットより恒例となった年度末の東南アジアツアーの目的地として総統選挙でそ~と~盛り上がった台湾よりさらに南のフィリピンの首都マニラが晴れて選出された。アルカイダによるテロに脅える日本よりもさらに治安が悪化しているフィリピンの都市部をあえて選んだのは実はまだ行ったことがなかったからに他ならない!

3月26日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば10万くらいかかるところを私はただで入手していたマニラ行きの往復航空券を手に颯爽と成田空港第二ターミナルのJALのカウンターでチェックインを行うと、私が通常搭乗するANAの便では見たこともないような大きな数の座席番号を手にしてしまった。午後6時頃にJL745便、B747-SR機に搭乗すると機内はルビー・モレノを彷彿とさせるジャパ行き風の出稼ぎ里帰り系フィリピーナが英語、タガログ語、カタカナ日本語等でお互いの意思の疎通を図っていた。

南国フィリピンの首都であるマニラのニノイ・アキノ国際空港に登場したのは午後10時を回った時間であった。入国審査を経て空港の外に出ると月はどっちに出ている(http://www.inagawamotoko.com/tarebox/tare-01/rubi.html)かを確認する暇もなく、クーポンタクシーの客引きのおやじに捕まってしまった。深夜便の到着で空港からマニラのダウンタウンに向かう途中で強盗に遭うケースが増えているので気をつけやがれという外務省の通達をしっかり守るために割高のクーポンタクシー(450ペソ)であらかじめ予約しておいた高級ホテルであるマンダリンオリエンタルに引き払うと今日はホテル内のフィリピンバーに繰り出すすべもなく、とっととフテ寝を決め込むことにした。

3月27日(土)

マニラというと貧困と混沌、退廃と危険というイメージが強いのかも知れないが、今回私が宿泊しているマカティはメトロ・マニラの経済と商業の中心であり、数多くの高層ビルと超高級ホテルが林立している比較的安全な地区である。年間平均気温が25℃を楽に越え、なおかつ毎日のようにヒートアイランド現象を起こしてしまいそうなマカティを歩いていると目が回って来たので間違いなく冷房が効いているフィリピン最大のショッピング・センターであるランドマークやグロリエッタ等で涼を取ることにした。数多くのブランド品が軒を連ねるショッピングセンターであるが、さすがに貧しい国だけあって日本の2分の1から3分の1で物品の購入や飲み食いが出来ることが確認出来た。

グロリエッタからインターコンチネンタルホテルを超えるとMRTのアヤラ駅がある。自動販売機が発達していないので窓口でチケットを買い、自動改札機を抜けてキンキンに冷房が効いているMRTの車両でケソンへ向かった。第二次世界大戦後しばらくケソンはフィリピンの首都として君臨していたのだが、その後周辺の17の市や町が統合され、メトロ・マニラが誕生してしまったので現在ケソンはその一部分と成り下がっているのだ。

ケソン・アベニュー駅で下車してアベニュー沿いに2km程進むと市民の憩いの場所となっているケソン・メモリアル・サークルに行き当たる。その中央に初代大統領のマニュエル・ケソンを記念して建てられたケソン・メモリアル・モニュメントがそびえている。公園内では間違いなく30℃を越す暑さの中で元気に遊びまわっている親子連れや日射病、熱中症状態でベンチや芝生に横たわっている虚弱現地人等をウォッチング出来るようになっている。

ケソン・メモリアル・サークルに隣接する形でニノイ・アキノ公園(8ペソ)が存在していたので入ってみることにした。園内に入るといきなり歯を見せて笑っているベニグノ(ニノイ)・アキノの銅像に遭遇するシステムになったいるのだが、ここでは判官びいきのフィリピン国民が不正蓄財にいそしんだマルコスよりも暗殺されて英雄になったアキノ氏を溺愛している様子を嫌がおうにも実感させられてしまうのだ。尚、園内には野生動物救助センターも併設されており、ここは鳥類や哺乳類や大蛇やワニを救済するどころか狭い檻に閉じ込めて虐待しているのではないかと思われるほど普通の動物園状態であった。

3月28日(日)

高架鉄道のMRTとLRTを乗り継いでメトロ・マニラの中心であるマニラ地区に向かう車窓から飛び込んでくる景色は都会的な高層ビルと疲弊したバラックの集合住宅等であった。マニラ地区で最強の観光地となっている場所は16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根城とした城塞都市であるイントラムロスである。周囲を城壁で囲まれているイントラムロスの中央にカトリック教徒の多いフィリピンで最も重要な教会とされているマニラ大聖堂がそびえていたので侵入してみると中で結婚式が行われていたので成り行きで新郎新婦を見守り、且つ小銭の寄付までさせられてしまった。

イントラムロスの最北部にパッシグ川というマニラ湾に注ぐドブ川系の汚染された川が流れており、そこに面した形でサンチャゴ要塞(40ペソ)が位置していた。サンチャゴ要塞はかつてのこの城塞都市の中で、戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうで第二次世界大戦中に日本軍が占領している間に多くのフィリピン人が命を失った所でもある。この中にフィリピンの国民的英雄であるホセ・リサールの記念館があるので見学させていただくことにした。リサールは医者、詩人、小説家等、私と同様に多彩な才能を誇っており、剣よりも強いとされているペンの力でスペイン支配の偽善性をついた小説を執筆したものの結局迫害に会い、ここサンチャゴで銃殺されてしまったという。ただし、彼の処刑は民衆による反政府運動に火をつけ、それはフィリピン全土に広がっていったそうで、英雄としての彼の業績を讃えるためにこの地にリサール像と記念館が残されているのである。

ユネスコ世界遺産にも指定されている16世紀に建立されたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会であるサン・オウガスチン教会に入ってみると、なんとここでも結婚式が催されていたので何とか寄付を免れるべく、適当に壁画や祭壇を鑑賞してとっとと撤収することにした。

3月29日(月)

熱帯性気候が醸し出す暑さと湿気に耐えられず午後2時20分発のJL744便にてジャパ行きの人となる。

マニア垂涎のマニラ情報

*フィリピン最強の路線を持ち、かつ最もコストパフォーマンスの高い公共交通機関としてジプニーが君臨している。ジプニーは米軍の使っていたジープを15人ほど乗れる乗り合いバスに改造したもので乗り降りに関してはかなりフレキシブルであるが、止めるときはある程度命をかけなければならないだろう。尚、3月29日(月)付けまにら新聞ではジプニー運賃値上げをめぐって、業界団体の「全国運転手運行者組合」がストを実施する構え  であることが報じられていた。

*現在マニラでもっともホットな犯罪は睡眠薬強盗である。これは薬局から睡眠薬を盗む強盗ではなく、観光客をたぶらかして食事に誘い、飲み物や食い物の中に睡眠薬を混入させてバク睡状態に陥ったころを見計らって金品を盗むという財務省系の先行投資型接待式の高等犯罪だと言えよう。

*若王子元三井物産支店長誘拐事件(http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200301/26/20030127k0000m040079000c.html)に代表されるようにマニラでは治安がよくないので注意しなければならないのだが、街中のここかしこで武装した警官が張り込んでおり、ホテルやショッピングセンターの建物や空港に入るときには金属探知つき手荷物検査が厳しく実施されるのでスカスカ警備の日本よりも却って安全であるのかも知れない。

*毎朝食卓で”フィリピン”が読める日刊まにら新聞が私が宿泊しているホテルの部屋に届けられていた。この新聞にはフィリピンの情報だけではなく、日本の記事も載っており、また、飲み食い屋やフィリピンパブの情報も豊富なので便利な情報源となっているのだ。

*まにら新聞によるとフィリピンのルバング島で発見された元日本兵である小野田寛郎が帰還して30年になるというではないか!日本では英雄扱いされた小野田氏も現地では原住民を襲った悪者として復讐さえも考えているフィリピン人が多いことを決して忘れてはいけないのだ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760(税金のみ)

総空港使用料 P550(1ペソ=約¥2)

総宿泊費 P17,439.56

総タクシー代 P1,000

総MRT代 P53.-

総LRT代 P30.-

FTBJ中居正広推薦 砂のウッ!ツアー

マサよ、君は天然砂むし温泉で遠赤外線攻撃を食らってふらふらになったことがあるか!?

私は・・・何とか持ちこたえることが出来たぜ!!

ということで、3月に入って一段と寒さが厳しくなった今日この頃であるが、2月の最終週に地元のサンフランシスコに出張に行って土日も休まずに裏の仕事に精を出し、疲労が蓄積してしまったため、かねてより体験しなければならないと考えていた砂むし温泉でいい具合に蒸しあがるため、わざわざ鹿児島くんだりまで足を伸ばすことになったのだ。

3月6日(土)

早朝7時10分発のANA619便にて午前10時半ごろ鹿児島空港に到着すると空港バス(¥2,100)で一路指宿に向かった。九州南部をえぐるように入り組んだ錦江湾に沿って走る高速道路と国道を南下すると薩摩半島最南端に位置する指宿に正午前に到着することが出来た。

鹿児島の雄として名高い南国交通グループ、有村産業をしのぐ勢いで暴利を貪っている鹿児島で最大級の財閥である岩崎グループが展開するいわさきホテルズで最も伝統と格式のある指宿いわさきホテルはチェックインの時間が2時からということだったので適当に指宿市内で時間をつぶすことにした。駅の近くに適当なラーメン屋があり、田舎のラーメン屋のくせに¥700も取っているのはけしからんと思ったが、煮込みラーメン風の鍋で登場した薩摩ラーメンを目の当たりにして度肝を抜かれてしまった。錦江湾に面する沿岸部に砂むし会館「砂楽」というファシリティが多くの観光客を集めており、建物から出てきた浴衣姿の老若男女を目で追っていると屋根で覆われた砂むし場に消えていってしまった。

待望の午後2時近くになって指宿いわさきホテルにチェックインすると念願の砂むしを体験することに相成った。いわさきホテルが経営する砂むし温泉はホテルの宿泊客でさえ、定価の¥1,050を支払わなければならないほどの格調高さを誇っており、地下4階の受付でトロピカルな文様をあしらった浴衣を受け取る際に簡単なオリエンテーションが施される仕組みになっている。ここでは主に途中で着替えなければならない浴衣のローテーシンや50℃という高温のため、低温やけどを起こす可能性のある砂の中での身のこなし方、とくにかかとやケツのさばき方を懇切丁寧に解説していただけるのだ。

砂むし場は対岸の大隈半島や晴れた日には種子島、屋久島を見渡せる浜辺に位置しており、冬季のため、巨大テントが張られた一角が中居正弘も推薦する巨大な砂の器と化しており、もうもうと煙る湯気の中で砂に埋もれている観光客や早く砂に埋まりたい順番待ちの老若男女の熱気で満ち溢れていた。そしてついに私の順番が回って来てしまった。数多くの人々が埋まった実績があり、人型に掘られた砂の器に身を横たえるといきなり摂氏50℃の熱気が私の肉体のB面から突きあがって来て思わず砂のウッ!ツアーと叫びそうになるのをぐっとこらえているとバイト風の砂かけ要因が少しずつスコップで黒砂を体にまぶしてきた。となりにいた子泣きじじいとその隣の砂かけられババア等が厚さに耐え切れずに早々と退散するのを尻目に私は推奨時間の10分~15分以上も砂の中でもがき苦しむことになったのだった。ちなみにこのファシリティにはどっきりカメラを彷彿とさせる野呂圭介のような専任カメラマンがうろついており、ハンディタイプの砂むし温泉の看板を枕元に突き刺してに写真を取られチェックアウト時にその写真を高値で引き取るシステムになっていた。

いい具合に蒸しあがった観光客はテントのとなりにある露天風呂に浴衣のまま浸かり、砂を落とすと男女別々のシャワールームでさらに汚れを落とし、湯上り用の浴衣に着替えた後、オプションとして地上4階の空中温泉で錦江湾を眺めながら優雅な時間を過ごすことが出来るのだ。

ところで莫大な財力を誇る指宿いわさきホテルの全容であるが、おおまかに和室館と洋室館に分かれており、館内には巨大な滝が流れ、地下は巨大ショッピングセンターと化しており、また、暇人のためにゲーセンやパチンコ屋、カラオケボックス等が配備され、私のような芸術家肌の人間のためには岩崎美術館も隣接されており、レストランはフレンチ、中華、和洋食等何でもそろっており、当然オーシャンビューの客室にはバルコニーが設えてあるのであった。http://ibusuki.iwasakihotels.com/index.html

3月7日(日)

早朝より、露天風呂で錦江湾の風景を楽しんだ後、駅前のトヨタレンタカーに転がっていたヴィッツをレンタルすると薩摩半島南部の散策に乗り出すことにした。薩摩半島の本当の最南端に長崎鼻という尖った場所があり、その近くに世界にひとつだけの花を標榜するスマップ系のファシリティであるフラワーパークかごしまが開業しており、通常であれば¥600の入場料を徴収するところをフラワーフェスティバル開催期間中の特典として無料で開放されていたので入って見ることにした。ここは非常に有名なパークらしくロシアのエリツェン元大統領夫妻も訪問した実績が記念写真により誇らしげに展示されていた。ご多分にもれず園内には色とりどりの花が咲き乱れており、薬物中毒から見事に再生を果たした槇原敬之 であっても安心して創作活動に打ち込める環境が提供されていた。

日本百名山の一つに数えられ、標高922mながら富士山よりもすばらしい裾野の形状を誇る開聞岳の周りをぐるっと一周して枕崎を経由して知覧町に突入することにした。

マサよ、君は若き神風特攻隊員の悲哀を目の当たりにして絶句したことがあるか!?

ということで、知覧町は知る人ぞ知る太平洋戦争末期の沖縄決戦に人類史上類のない自爆テロの原点となった神風特攻隊が飛び立って行った飛行場のあった場所である。若き日本戦士の御霊を弔うために特攻平和観音像が祭られており、そのとなりに知覧特攻平和会館(¥500)が開業していたので日本の歴史に目をそむけることのないように見学を試みることにした。http://www.town.chiran.kagoshima.jp/touristinfo/heiwakaikan/

館内は観光バスで乗りつけたと思われるツアー客で賑わっており、中年のご婦人たちは特攻隊員の家族に宛てた遺書や絶筆等を見てむせび泣いていた。主な展示品は特攻隊員のメンバー表や遺留品、本物の神風の鉢巻やゼロ戦で名高い零式戦闘機等、中島飛行機や三菱重工、富士重工が製造した日本が誇る戦闘機の数々が所狭しと並んでいた。尚、神風特攻隊に参加した若者の年齢は最小17歳から28歳くらいまでで今時の高校生や大学生は必ずここに来てお参りしなければならないと思われた。

知覧町を後にして、ネス湖のネッシー、屈斜路湖のクッシー、琵琶湖のビッシー(まだ誰も見たことがないが・・・)に匹敵する未確認水生生物であるイッシーで有名な池田湖で世界最大のうなぎを垣間見た後、昨晩からの雪が残る指宿スカイラインを抜けて鹿児島空港に帰る途中に桜島の御岳が雪に覆われている斜面を横目に見ながらマサをはじめとする財務官僚の器の小ささを再認識しつつ帰路についたのであったが、鹿児島空港のANAのラウンジで悪役商会を取り仕切る八名信夫に遭遇していきなり、ウッ!つあ者がいると一瞬ひるんでしまったのは実は私の方であった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,600

総空港バス代 ¥2,100

総レンタカー代 ¥6,300

総ガソリン代 ¥1,227

総高速代 ¥1,360

総宿泊費 ¥16,800(朝食つき)

FTBSEAそ~と~すごい南の島ツアー

マサよ、君は中国語を話す沖縄県に足を踏み入れたことがあるか!?

私は・・・踏み入れてしまった!!ということで、沖縄県与那国島の西わずか111kmに位置する台湾は1894年の日清戦争の勝利から1945年の太平洋戦争終了後まで日本の領土として君臨していた。今回のFTBSEAは台湾の首都台北に上陸し、その実態を解明すると同時にそ~と~すごい現実に直面することと相成ったのである。

2月13日(金)

ユナイテッド航空が提供する格安WEBチケットで購入したE-Ticketにもかかわらず、スターアライアンスゴールド会員の私の実力が反映されて首尾よくビジネスクラスへのアップグレードが実現され、午後7時発のUA853便にて1時間の時差を超えて台北の中正国際空港に到着したのは午後10時を回った時間であった。空港バス(NT$110)にて1時間ほどの時間をかけて台北駅に着くとそこから徒歩であらかじめ予約しておいた現地の一流ホテルの一つであるアンバサダーホテルに向かう道すがら、おびただしい数のセブンイレブンとファミリーマートを横目に歩行者の脇をすり抜けて行く原チャリ攻撃をかわしながら歩いているとここは日本国の一部ではないかという感覚を否応なしに覚えてしまうのであった。

2月14日(土)

これといって観光スポットのない台北市内であるが、世界四大博物館の一つに数えられている故宮博物院(NT$100)は見ないと一生後悔すると言われているのでそれはまずいと思い見物させていただくことにした。故宮博物院は中国歴代皇帝が収蔵したコレクションをもとに、約62万点もの収蔵品を誇る中華文化の殿堂であるのだが、なぜその施設が中国本土ではなく、台北にあるかというと毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の紛争のどさくさに紛れてお宝を引き継いだ中華民国政府が台湾に運んでトンズラしてしまったからである。

故宮博物院の展示品は中国4,000年の歴史の深さを感じさせるような古代の青銅器から、ウエッジウッドに引き継がれたボーンチャイナ系の陶器類、難しい漢字がたくさん書かれた古い紙や水彩画、玉器彫刻・多宝格等多岐に渡っているのだが,もっとも私の目を引いたのはハクション大魔王が出てきそうな形状をした「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン」系の壺であったのは間違いない。

再び台北の市街地の中心に戻ると私にゆかりのありそうな名前を持つ総統府に向かった。かつて日本がそ~と~すごかった1919年に完成したこの建物はかつての日本統治時代の台湾総督府ビルで国民党政権が中国大陸から移って来た後に蒋介石の肝いりで戦争により全焼した内部を改装して総統府としてよみがえったのであった。さすがにデスラーやヒットラーや私と同じ役職を持つビルだけに頑強そうな台湾兵により強固な警備体制が敷かれていた。

マサよ、君は台湾名物夜市というものを知っているか!?

市民の夜遊び好きが嵩じて不夜城とよばれる台北にあって夜市は日本の祭りの夜店のような催しが毎晩行われているという世にも恐ろしいところである。日もとっぷり暮れた後に台北二大夜市のひとつである土林夜市を訪れた。週末の夜ともなるとおびただしいほどの老若男女で溢れ返ってしまう通りを歩いていると数多くの食い物屋の屋台や手作り式パチンコ系マシンや風船鉄砲割りぬいぐるみゲット等のゲームに興じている台湾人の狂想ぶりを目の当たりにすることになってしまうのだった。

2月15日(日)

ホテルの近くにMRTという非常に便利な地下鉄系の乗り物の駅があったのでそこからMRTで新店市にある碧潭(ピータン)という腐った卵系の観光地に向かった。ここは新店市の目玉的観光スポットで碧色に輝く川が切り裂く峡谷をまたいでいる赤い吊り橋はこの地のランドマークになっている。

MRTで台北市中心部に戻ると台北市内観光の目玉になっている中正紀念堂に侵入した。中山と言えば近代中国建国の祖である孫文の別名であるが、中正とは台湾ではそ~と~すごい人物として名高い蒋介石総統の別名となっている。この紀念堂は89歳でなくなった総統を記念して建てられた箱物であり、紀念堂へ登る階段は89歳までしか生きられなかった総統の年齢と同じ89段になっているのだ。建物の中には随時衛兵に守られた総統の銅像がデンと構えており、1階部には総統のオフィスのレプリカや総統が乗り回していた高級キャデラック等も展示されている。

紀念堂の程近くに二二八和平公園という日本統治時代の1899年に造られた洋風公園があり、その中にある国立博物館の脇に台湾鉄道に使用された騰雲号というSLが展示されているのだが、実はその汽車ポッポの正体は1872年に新橋~横浜間を走っていた日本の蒸気機関車だったのである。

再びMRTで今度は市の東部にある國父紀念館という孫文の生誕100年を記念して1972年に建立された記念館を見物した後、その近くにある台北世界貿易中心近辺をさまようことにした。この地域はビジネス街と繁華街やアミューズメント地区が合体したような場所であり,竣工間近の超高層タワーや映画関連施設のワーナービレッジや新光三越という大手のデパート等が林立し、台北のファッショナブルな若者達で終日賑わっているのであった。

西門町という地区に台北の三大観光名所のひとつである龍山寺という台北で最も古い仏教寺院があるのでひやかしに行ってきた。寺院の内部はおびただしい数の参拝客であふれており、極彩色で彩られた本殿の美しさに圧倒されそうな雰囲気であるが、これはすべて庶民から寄付金をボッタくって建てられたものだそうだ。

龍山寺の西を南北に走る華西街に観光夜市がたっているのだが,ここはいかにも台湾という若干怪しげな雰囲気を漂わせている場所である。アーケードには数多くのフットマッサージ屋やリポビタンDの数倍もの滋養強壮力を持っていそうなへび料理屋やスッポン屋が並んでいるのだが,それらの店の軒先にはこれ見よがしにニシキヘビ系の太蛇や毒蛇がうようよと蠢いているのであった。

2月16日(月)

午前10時30分発UA852便成田経由サンフランシスコ行き便にて帰国

*台北SARS警戒情報

 台北市内の人が集まりそうな場所(故宮博物院、中正紀殿堂等)では建物に入る前に必ず係りの人に体温計をおでこに当てられ発熱チェックの状態が繰り広げられているのであった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥44,090

総宿泊費  NT$14,520

総空港バス代  NT$210

協力:ユナイテッド航空

FTBJ北の国から2004たんちょう

♪ア~ア~アアアアア~♪

ほたる、じゃなかった、マサよ~

東京という大都会で生活しているとだんだんと生活がたんちょうになってくるわけで、何か生活に変化を求めて通常であれば「ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし)」の第3回が自然発生するこの時期でありますが、このたびは釧路に特別天然記念物のタンチョウ鶴を見物に来る事になったわけで・・・

1月24日(土)

日本列島を今年最大の寒波が襲ったのはほんの先週の出来事だったわけで、ANA741便にて午前中に到着した釧路も寒波の余波で氷点下5℃と冷え込んでいたわけで、早速ニッポンレンタカーで雪国仕様のカローラを借りて釧路湿原を目指すことになったわけで・・・

ラムサ-ル条約、正式名称を「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」によって保護されている釧路湿原国立公園は日本でも有数のタンチョウの生息地兼繁殖地になっているわけで、特に給仕を行っている冬の時期は給仕場で数百羽の鶴がダンスを行っている姿は自然写真家に絶好のシャッターチャンスを供給するわけで、とりわけ、紅白歌合戦をリストラされた日本野鳥の会員はこの時期には必ずここを訪れなければならないわけで・・・

空港から30kmほど北に走った鶴居村の鶴見台という場所はタンチョウが集まる撮影ポイントとして有名なわけで、毎日ホームページでタンチョウの情報を更新しているタンチョウマニア達が、厳しい寒さにもめげずに望遠鏡でタンチョウの数をカウントしてノートに記録するという短調な作業が淡々と進められているわけで、途中で観光バスに乗ってやってきた中国人観光客たちも真っ白な氷原上で繰り広げられている優雅な鶴のダンスに感動しているような中国語をしゃべっているわけで・・・

あいにく、鶴居村唯一の温泉宿である(財)日本野鳥の会協定旅館であるグリーンパークつるいは満室のため宿泊出来なかったわけで、仕方なく、温泉宿を求めて内陸に向かい、凍てついた摩周湖を見ながら凍った体に活力を取り戻すためにソフトクリームを食べることになったわけで、その後訪問した硫黄山と屈斜路湖の砂湯へ向かうコースはありきたりの観光コースだったわけで、いつも私の後を中国人観光客が追いかけてくるというパターンに悩まされたわけで、それでもなんとか屈斜路湖岸の白鳥の面倒を見ることが出来たわけで、結局いつも泊まっている川湯温泉の国民宿舎に逃げ込み中国人の集団を巻くことに成功し、今日一日を無事に過ごすことが出来たわけで・・・

1月25日(日)

川湯温泉を発って、弟子屈を抜け、国道243号線を東に向かい、カローラのカーナビが繰り出す「そろそろ2時間です。休憩しませんか?」という声を無視して根室方面に走っていると段々と「北方領土を返せ!」、「島は奪われた!」という物騒な看板が増えてくるわけで、日本最東端の岬である納沙布岬にお昼前に到着したわけで・・・

納沙布岬は日本で一番最初に朝日が見られる場所として有名なわけで、またここから目と鼻の先には北方領土があり、そこにはロシア人が暮らしているのかと思うと何故か不思議な気分になってくるわけで、北朝鮮問題ばかりでなく、鈴木宗雄亡き後、誰か北方領土問題も真剣に考えてくれる議員が必要だと思われるわけで・・・

根室市の南部に落石という町があり、かけおちするには最適な物悲しい雰囲気を醸し出している所だと思ったわけで、その辺で新巻鮭でも買って、適当に歩いている女子に向かって田中邦衛調で「ほたるゥ、いつでも富良野に帰ってくんだぞぉ~!」と叫ぼうかと思ったのですが、あいにく鮭が売ってなかったので断念せざるを得なかったわけで・・・http://www.kitanokunikara.net/ (北の国から名セリフ集/95秘密、下から2番目)

根室から落石を抜けて海岸線に沿って走る道路は美しい断崖風景が楽しめる観光道路なわけで、厚岸という町の道の駅で名物のカキの柳川風どんぶりとソフトクリームで腹ごしらえをして釧路への帰路を急いだわけで、午後4時を過ぎると真っ赤な夕陽が沈んでいく風景が美しいわけで、そのまま5時30分発のANA744便に搭乗する前に空港で夕張メロンソフトクリームを衝動食いしてしまったわけで、何となく次の日の月曜日はお腹の調子が悪くなったと感じてしまったわけである。

総飛行機代 \2,600

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 \3,562

総走行距離 508km

総宿泊費 \6,500(2食付き)

次回予定:鋭意検討中なわけで・・・

三波春夫推薦FTBSEAバンコク博覧会

♪こんにちわァ~、こんにちわァ~世界のマサから~♪

ということで、SARS渦により恐怖のどん底に叩き込まれている広州ツアーの余韻も冷めやらぬうちに南部でイスラム過激派のテロが盛んになっているにもかかわらず、世界の国からおびただしい数の観光客を集めているアジアで最もアジアらしいと思われているバンコクから最新情報とともに「お客様は神様です!」スピリットをお届けすることにする。

1月9日(金)

搭乗と出国手続きをつつがなく終わらせ、ANAのSignetラウンジでボケェ~としながらくつろいでいるとラウンジのコンシュルジェと名乗る職種に対して年相応の女性が3年連続3回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員の座を防衛することが約束されている私のところにわざわざ新年の挨拶に来やがった。「昨年はたくさんご搭乗いただきありがとうございました。今年もよろしくお願いします。」とありきたりの言葉でジャブを打ってきたものの、一瞬「いつも安いチケットとANAご利用券でただ同然で搭乗させていただいて申し訳ありません。」と、ついカウンターの本音が出そうになるところをグッと抑えながらも何とか持ちこたえることができた。

ANA915便バンコク行きは定刻どおり午後5時25分に出発し、バンコクのドン・ムアン空港に夜の10時30分頃到着した。空港からエアポートバス(100バーツ)に乗り今回のツアーの宿泊先となっているウエスティンホテルがそびえているスクンビット通りで適当に下車した。この通りは外国人社用族のための高級住宅街として発展したエリアで高級ホテルや外国人向けのショップやレストランが軒を並べており、多くの白人で夜遅くまで賑わいを見せており、またおびただしいほどの露天の土産物屋や食い物屋がしのぎを削っているのである。

1月10日(土)

バンコクで一番見所が固まっているのが、王宮周辺であるという情報を入手していたのでホテルから5km以上の道のりを街歩きも兼ねてそのエリアへ足を運ぶことにした。タイで最も格式の高い王室寺院としてワット・プラケオ(200バーツ)が君臨している。バンコクに来た旅行者でここを訪問したことがない輩はいないであろうワット・プラケオは本堂に祀られている仏像の色から別名エメラルド寺院と呼ばれている。仏教国タイの数ある寺院の中でもワット・プラケオのドレス・コードが一番厳しく、サンダルやノースリーブでは決して中に入れてもらえないため、観光客は入り口でダサい服を借りて入場しなければならない場合も多いという。タイの仏教寺院は日本のものとは違い、いたるところに金メッキが施されて非常に華やかなので特に西洋からの毛頭的観光客には受けるのではないと思われた。同じ敷地内に歴代王の住まいであったきらびやかな王宮が1789年の建造以来、何度も応急処置を繰り返されながらもなんとか生き延びていた。

王宮の周辺には万国博覧会のパビリオンのごとくいくつかの有名な寺院が存在している。ワット・ポー(20バーツ)という芸術を爆発させた岡本太郎作の太陽の塔を横に倒したくらい巨大な寝仏陀を祀ってある寺院はタイ式マッサージの総本山としても有名なのできっと仏陀が寝て暮らしても善良な観光客からマッサージでブッタくっているので勝手に金が舞い込んでくるという図式を提供しているように思われた。

チャオプラヤ川の渡し舟(2バーツ)で対岸に渡ると目の前に三島由紀夫の小説の題材ともなったワット・アルン(20バーツ)の塔がそびえていた。この仏塔の表面には無数の陶器の破片が埋め込まれ、陽光を受けてキラキラと輝いていた。再び渡し船で元の船着場に戻るとそこから徒歩で北へ向かったはずがなぜか途中であらぬ方向に進んでしまったため、思いがけずワット・スタットという赤い鳥居状の建造物がそびえる王室寺院に到着して本堂の中の高さ8mの巨大な黄金大仏のふもとでお参りをしている原住民のそばで休息を取らせていただいた。

ウエスティンホテルの近くにタイ式マッサージ屋が開業していたので1時間の足裏マッサージを250バーツで受けた後、ものの弾みで全身フルマッサージ1時間半まで受けることになってしまい、体中くまなくもみほぐされてしまった。

1月11日(日)

バンコクから北へ約80km、チャオプラヤ川とその支流に囲まれた中州にアユタヤ遺跡(世界遺産)という有名な遺跡があり、日帰りで訪問出来るということだったので汽車に乗るべくホアランポーン駅へ向かう道すがら、自ら警察官と名乗り、私服のためIDを提示して私を悪の道に引きずりこもうとする詐欺師の攻撃をかわしながらも汽車(15バーツ)で1時間半かけてアユタヤ駅に到着することに成功した。

タイのトラディショナルなタクシーであるトクトクという3輪の乗り物がある。駅の周辺をうろうろしているとトクトクの運転手兼客引きが私の後をトコトコと付いてきて、しきりにトクトクがおトクだと言うことをアピールしていたのだが、軽くいなして駅のレンタサイクルで1日30バーツの子供用のように小さいマウンテンバイク系のチャリを借りて観光に乗り出すことにした。

炎天下の中、まず到着したのはワット・プラ・ラーム(30バーツ)という1369年に建立されたクメール様式の寺院である。その後ワット・プラ・シー・サンペット(30バーツ)という3人の王が眠る王室の守護寺院であり、アユタヤのシンボルとなっている寺院を訪れた。ここには3基のセイロン様式のチェディという塔が建っており、その中のひとつは侵入可能となっているのだが、こうもりの鳴き声と強烈なアンモニア臭により、一般観光客は足を踏み入れるのをためらってしまう仕組みになっていた。

ヴィハーン・プラ・モンコン・ボビットで高さ17mの青銅仏を拝み、ワット・ラーチャ・ブラナでプラーン(クメール式仏塔)の内部の小さな空間でアユタヤ様式の壁画を見た後、ワット・プラ・マハタート(30バーツ)に到着した。ビルマ軍によって壊滅され、あらゆる仏像は頭部を落とされており、廃墟のようなこの寺院で一番観光客の注目を集めているものは木の根に取り込まれてしまった仏像の頭部であり、観光客が並んで写真を撮る際にはしゃがんでこの仏像よりも頭の位置を低くしなければならないという管理人付きの厳しい制限が敷かれていた。

アユタヤ遺跡から発掘された宝物が展示されているチャオ・サン・プラヤー国立博物館(30バーツ)で古美術品を堪能し、観光用のアジア象を操っているエレファントキャンプから数多くの象が象使いと観光客を乗せ、糞の後始末用の係りを従えて隊列を組んで歩いている様を見物し、ケツの痛みをこらえながらもなんとか自転車で駅に帰還し、夕方の急行列車(20バーツ)でバンコクに帰っていった。

ホアランポーン駅からバンコク一の歓楽街の中にあるハッポン通りを歩いていると壮大な草むらの中で緑色の虫が飛び跳ねているような感覚を覚えてしまうのだが、ここには土産物屋の露天が所狭しと並んでおり、明らかにバッタ物であることをアピールするようなエセブランド品が並び、ゴーゴーバーからは轟音が響き渡っていた。タニヤ通りという日本の場末の繁華街のような通りには日本語の看板を掲げたカラオケバーやクラブが林立しており、毎夜日本人の駐在員や観光客が乱痴気騒ぎを起し、ひんしゅくをかっている場所であることが確認された。

1月12日(月)

マサよ、君はタイが世界有数の毒蛇大国であることを知っているか!?

ということで、タイ赤十字協会の敷地内にあり、ブラジルに次いで世界2位の規模があるといわれているスネーク・ファーム(70バーツ)を訪問した。ここは毒蛇の血清などを研究する機関であり、多くの毒蛇やニシキヘビ等を飼育している。午前10時半からのスライド上映の後、11時より研究員兼蛇使いのデモンストレーションが始まった。まず、蛇使いのおっさんが持参したのは体長3mはあろうかと思われるキング・コブラである。ここでのお楽しみはおっさんと目が合ってしまった観光客がコブラにキスをさせられたり、ニシキヘビを首に巻かれたり、実際の蛇毒採取を生で見られることである。

チャオプラヤ川のほとりのごちゃごちゃしたチャイナタウンで人ごみを掻き分けながら北上し、渡し舟で対岸に渡り、バンコクの大手の病院であるシリラート病院に到着した。この病院内にはタイ薬学博物館、解剖学博物館、法医学博物館というものが無料で公開されており、とくに解剖学博物館ではホルマリン漬けにされた人体のパーツや死体の標本やべトちゃん、ドクちゃんのようなシャム双生児や異常胎児の標本がところ狭しと並んでいる。また、法医学博物館では拳銃で打ち抜かれた頭蓋骨や切断された腕、死刑に処された凶悪犯の樹脂で固められた死体等を生で見ることが出来るので暑いバンコクの中で唯一涼しい思いが出来るファシリティであろうと思われた。また、とある病院棟の受付らしき所には身元不明の惨殺死体の写真が並んでおり、日本のチャチなホラー映画も真っ青になるくらいの状況が病院内の日常で展開されていることが確認出来た。

夕暮れ時にワット・ベンチャマボビットで大理石寺院の美しさを見物しているときに雨が降ってきて、その後豪雨となったので撤収し、そのまま深夜12時過ぎのANA916便にて帰国することと相成った。

世界最強レベルの観光地トクトクバンコク情報

*タイはマーガリン系の名前を持つラーマ国王が統治する国で街のいたるところで国王の写真を見ることが出来る

*タイの鉄道の線路の周辺はスラム街的居住地域になっており、列車の脇では子供が遊び、犬が歩き、誰かが屋台で飯を食っている状況を車窓から垣間見ることが出来る

*バンコクには排気ガスで汚れたおびただしい数のやせ犬が年中夏バテ状態で道端で寝転んでいる

*悪名高いバンコクの渋滞のために街中に排気ガスがあふれており、また、信号は車優先で歩行者用信号は機能していないので歩行者は危険を冒して横断歩道を横断しなければならない

*街歩きで腹が減ると適当に麺類(20バーツ)を食ったり、のどが渇けば切り売りフルーツ(10バーツ)やみかん生絞りジュース(10~20バーツ)等で手軽にのどを潤すことが出来る

FTBサマリー

総飛行機代 ¥69,740

総宿泊費 13,182.9バーツ(1バーツ=¥3.2)

総エアポートバス代 100バーツ

総汽車代 35バーツ

総タクシー代 300バーツ

総ドン・ムアン空港使用料 500バーツ

次回予定:「FTBJ北の国から2004たんちょう」