FTBSEA逆ジャパ行きツアー in マニラ

昨年のワット驚くアンコールワットより恒例となった年度末の東南アジアツアーの目的地として総統選挙でそ~と~盛り上がった台湾よりさらに南のフィリピンの首都マニラが晴れて選出された。アルカイダによるテロに脅える日本よりもさらに治安が悪化しているフィリピンの都市部をあえて選んだのは実はまだ行ったことがなかったからに他ならない!

3月26日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば10万くらいかかるところを私はただで入手していたマニラ行きの往復航空券を手に颯爽と成田空港第二ターミナルのJALのカウンターでチェックインを行うと、私が通常搭乗するANAの便では見たこともないような大きな数の座席番号を手にしてしまった。午後6時頃にJL745便、B747-SR機に搭乗すると機内はルビー・モレノを彷彿とさせるジャパ行き風の出稼ぎ里帰り系フィリピーナが英語、タガログ語、カタカナ日本語等でお互いの意思の疎通を図っていた。

南国フィリピンの首都であるマニラのニノイ・アキノ国際空港に登場したのは午後10時を回った時間であった。入国審査を経て空港の外に出ると月はどっちに出ている(http://www.inagawamotoko.com/tarebox/tare-01/rubi.html)かを確認する暇もなく、クーポンタクシーの客引きのおやじに捕まってしまった。深夜便の到着で空港からマニラのダウンタウンに向かう途中で強盗に遭うケースが増えているので気をつけやがれという外務省の通達をしっかり守るために割高のクーポンタクシー(450ペソ)であらかじめ予約しておいた高級ホテルであるマンダリンオリエンタルに引き払うと今日はホテル内のフィリピンバーに繰り出すすべもなく、とっととフテ寝を決め込むことにした。

3月27日(土)

マニラというと貧困と混沌、退廃と危険というイメージが強いのかも知れないが、今回私が宿泊しているマカティはメトロ・マニラの経済と商業の中心であり、数多くの高層ビルと超高級ホテルが林立している比較的安全な地区である。年間平均気温が25℃を楽に越え、なおかつ毎日のようにヒートアイランド現象を起こしてしまいそうなマカティを歩いていると目が回って来たので間違いなく冷房が効いているフィリピン最大のショッピング・センターであるランドマークやグロリエッタ等で涼を取ることにした。数多くのブランド品が軒を連ねるショッピングセンターであるが、さすがに貧しい国だけあって日本の2分の1から3分の1で物品の購入や飲み食いが出来ることが確認出来た。

グロリエッタからインターコンチネンタルホテルを超えるとMRTのアヤラ駅がある。自動販売機が発達していないので窓口でチケットを買い、自動改札機を抜けてキンキンに冷房が効いているMRTの車両でケソンへ向かった。第二次世界大戦後しばらくケソンはフィリピンの首都として君臨していたのだが、その後周辺の17の市や町が統合され、メトロ・マニラが誕生してしまったので現在ケソンはその一部分と成り下がっているのだ。

ケソン・アベニュー駅で下車してアベニュー沿いに2km程進むと市民の憩いの場所となっているケソン・メモリアル・サークルに行き当たる。その中央に初代大統領のマニュエル・ケソンを記念して建てられたケソン・メモリアル・モニュメントがそびえている。公園内では間違いなく30℃を越す暑さの中で元気に遊びまわっている親子連れや日射病、熱中症状態でベンチや芝生に横たわっている虚弱現地人等をウォッチング出来るようになっている。

ケソン・メモリアル・サークルに隣接する形でニノイ・アキノ公園(8ペソ)が存在していたので入ってみることにした。園内に入るといきなり歯を見せて笑っているベニグノ(ニノイ)・アキノの銅像に遭遇するシステムになったいるのだが、ここでは判官びいきのフィリピン国民が不正蓄財にいそしんだマルコスよりも暗殺されて英雄になったアキノ氏を溺愛している様子を嫌がおうにも実感させられてしまうのだ。尚、園内には野生動物救助センターも併設されており、ここは鳥類や哺乳類や大蛇やワニを救済するどころか狭い檻に閉じ込めて虐待しているのではないかと思われるほど普通の動物園状態であった。

3月28日(日)

高架鉄道のMRTとLRTを乗り継いでメトロ・マニラの中心であるマニラ地区に向かう車窓から飛び込んでくる景色は都会的な高層ビルと疲弊したバラックの集合住宅等であった。マニラ地区で最強の観光地となっている場所は16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根城とした城塞都市であるイントラムロスである。周囲を城壁で囲まれているイントラムロスの中央にカトリック教徒の多いフィリピンで最も重要な教会とされているマニラ大聖堂がそびえていたので侵入してみると中で結婚式が行われていたので成り行きで新郎新婦を見守り、且つ小銭の寄付までさせられてしまった。

イントラムロスの最北部にパッシグ川というマニラ湾に注ぐドブ川系の汚染された川が流れており、そこに面した形でサンチャゴ要塞(40ペソ)が位置していた。サンチャゴ要塞はかつてのこの城塞都市の中で、戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうで第二次世界大戦中に日本軍が占領している間に多くのフィリピン人が命を失った所でもある。この中にフィリピンの国民的英雄であるホセ・リサールの記念館があるので見学させていただくことにした。リサールは医者、詩人、小説家等、私と同様に多彩な才能を誇っており、剣よりも強いとされているペンの力でスペイン支配の偽善性をついた小説を執筆したものの結局迫害に会い、ここサンチャゴで銃殺されてしまったという。ただし、彼の処刑は民衆による反政府運動に火をつけ、それはフィリピン全土に広がっていったそうで、英雄としての彼の業績を讃えるためにこの地にリサール像と記念館が残されているのである。

ユネスコ世界遺産にも指定されている16世紀に建立されたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会であるサン・オウガスチン教会に入ってみると、なんとここでも結婚式が催されていたので何とか寄付を免れるべく、適当に壁画や祭壇を鑑賞してとっとと撤収することにした。

3月29日(月)

熱帯性気候が醸し出す暑さと湿気に耐えられず午後2時20分発のJL744便にてジャパ行きの人となる。

マニア垂涎のマニラ情報

*フィリピン最強の路線を持ち、かつ最もコストパフォーマンスの高い公共交通機関としてジプニーが君臨している。ジプニーは米軍の使っていたジープを15人ほど乗れる乗り合いバスに改造したもので乗り降りに関してはかなりフレキシブルであるが、止めるときはある程度命をかけなければならないだろう。尚、3月29日(月)付けまにら新聞ではジプニー運賃値上げをめぐって、業界団体の「全国運転手運行者組合」がストを実施する構え  であることが報じられていた。

*現在マニラでもっともホットな犯罪は睡眠薬強盗である。これは薬局から睡眠薬を盗む強盗ではなく、観光客をたぶらかして食事に誘い、飲み物や食い物の中に睡眠薬を混入させてバク睡状態に陥ったころを見計らって金品を盗むという財務省系の先行投資型接待式の高等犯罪だと言えよう。

*若王子元三井物産支店長誘拐事件(http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200301/26/20030127k0000m040079000c.html)に代表されるようにマニラでは治安がよくないので注意しなければならないのだが、街中のここかしこで武装した警官が張り込んでおり、ホテルやショッピングセンターの建物や空港に入るときには金属探知つき手荷物検査が厳しく実施されるのでスカスカ警備の日本よりも却って安全であるのかも知れない。

*毎朝食卓で”フィリピン”が読める日刊まにら新聞が私が宿泊しているホテルの部屋に届けられていた。この新聞にはフィリピンの情報だけではなく、日本の記事も載っており、また、飲み食い屋やフィリピンパブの情報も豊富なので便利な情報源となっているのだ。

*まにら新聞によるとフィリピンのルバング島で発見された元日本兵である小野田寛郎が帰還して30年になるというではないか!日本では英雄扱いされた小野田氏も現地では原住民を襲った悪者として復讐さえも考えているフィリピン人が多いことを決して忘れてはいけないのだ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760(税金のみ)

総空港使用料 P550(1ペソ=約¥2)

総宿泊費 P17,439.56

総タクシー代 P1,000

総MRT代 P53.-

総LRT代 P30.-

三波春夫推薦FTBSEAバンコク博覧会

♪こんにちわァ~、こんにちわァ~世界のマサから~♪

ということで、SARS渦により恐怖のどん底に叩き込まれている広州ツアーの余韻も冷めやらぬうちに南部でイスラム過激派のテロが盛んになっているにもかかわらず、世界の国からおびただしい数の観光客を集めているアジアで最もアジアらしいと思われているバンコクから最新情報とともに「お客様は神様です!」スピリットをお届けすることにする。

1月9日(金)

搭乗と出国手続きをつつがなく終わらせ、ANAのSignetラウンジでボケェ~としながらくつろいでいるとラウンジのコンシュルジェと名乗る職種に対して年相応の女性が3年連続3回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員の座を防衛することが約束されている私のところにわざわざ新年の挨拶に来やがった。「昨年はたくさんご搭乗いただきありがとうございました。今年もよろしくお願いします。」とありきたりの言葉でジャブを打ってきたものの、一瞬「いつも安いチケットとANAご利用券でただ同然で搭乗させていただいて申し訳ありません。」と、ついカウンターの本音が出そうになるところをグッと抑えながらも何とか持ちこたえることができた。

ANA915便バンコク行きは定刻どおり午後5時25分に出発し、バンコクのドン・ムアン空港に夜の10時30分頃到着した。空港からエアポートバス(100バーツ)に乗り今回のツアーの宿泊先となっているウエスティンホテルがそびえているスクンビット通りで適当に下車した。この通りは外国人社用族のための高級住宅街として発展したエリアで高級ホテルや外国人向けのショップやレストランが軒を並べており、多くの白人で夜遅くまで賑わいを見せており、またおびただしいほどの露天の土産物屋や食い物屋がしのぎを削っているのである。

1月10日(土)

バンコクで一番見所が固まっているのが、王宮周辺であるという情報を入手していたのでホテルから5km以上の道のりを街歩きも兼ねてそのエリアへ足を運ぶことにした。タイで最も格式の高い王室寺院としてワット・プラケオ(200バーツ)が君臨している。バンコクに来た旅行者でここを訪問したことがない輩はいないであろうワット・プラケオは本堂に祀られている仏像の色から別名エメラルド寺院と呼ばれている。仏教国タイの数ある寺院の中でもワット・プラケオのドレス・コードが一番厳しく、サンダルやノースリーブでは決して中に入れてもらえないため、観光客は入り口でダサい服を借りて入場しなければならない場合も多いという。タイの仏教寺院は日本のものとは違い、いたるところに金メッキが施されて非常に華やかなので特に西洋からの毛頭的観光客には受けるのではないと思われた。同じ敷地内に歴代王の住まいであったきらびやかな王宮が1789年の建造以来、何度も応急処置を繰り返されながらもなんとか生き延びていた。

王宮の周辺には万国博覧会のパビリオンのごとくいくつかの有名な寺院が存在している。ワット・ポー(20バーツ)という芸術を爆発させた岡本太郎作の太陽の塔を横に倒したくらい巨大な寝仏陀を祀ってある寺院はタイ式マッサージの総本山としても有名なのできっと仏陀が寝て暮らしても善良な観光客からマッサージでブッタくっているので勝手に金が舞い込んでくるという図式を提供しているように思われた。

チャオプラヤ川の渡し舟(2バーツ)で対岸に渡ると目の前に三島由紀夫の小説の題材ともなったワット・アルン(20バーツ)の塔がそびえていた。この仏塔の表面には無数の陶器の破片が埋め込まれ、陽光を受けてキラキラと輝いていた。再び渡し船で元の船着場に戻るとそこから徒歩で北へ向かったはずがなぜか途中であらぬ方向に進んでしまったため、思いがけずワット・スタットという赤い鳥居状の建造物がそびえる王室寺院に到着して本堂の中の高さ8mの巨大な黄金大仏のふもとでお参りをしている原住民のそばで休息を取らせていただいた。

ウエスティンホテルの近くにタイ式マッサージ屋が開業していたので1時間の足裏マッサージを250バーツで受けた後、ものの弾みで全身フルマッサージ1時間半まで受けることになってしまい、体中くまなくもみほぐされてしまった。

1月11日(日)

バンコクから北へ約80km、チャオプラヤ川とその支流に囲まれた中州にアユタヤ遺跡(世界遺産)という有名な遺跡があり、日帰りで訪問出来るということだったので汽車に乗るべくホアランポーン駅へ向かう道すがら、自ら警察官と名乗り、私服のためIDを提示して私を悪の道に引きずりこもうとする詐欺師の攻撃をかわしながらも汽車(15バーツ)で1時間半かけてアユタヤ駅に到着することに成功した。

タイのトラディショナルなタクシーであるトクトクという3輪の乗り物がある。駅の周辺をうろうろしているとトクトクの運転手兼客引きが私の後をトコトコと付いてきて、しきりにトクトクがおトクだと言うことをアピールしていたのだが、軽くいなして駅のレンタサイクルで1日30バーツの子供用のように小さいマウンテンバイク系のチャリを借りて観光に乗り出すことにした。

炎天下の中、まず到着したのはワット・プラ・ラーム(30バーツ)という1369年に建立されたクメール様式の寺院である。その後ワット・プラ・シー・サンペット(30バーツ)という3人の王が眠る王室の守護寺院であり、アユタヤのシンボルとなっている寺院を訪れた。ここには3基のセイロン様式のチェディという塔が建っており、その中のひとつは侵入可能となっているのだが、こうもりの鳴き声と強烈なアンモニア臭により、一般観光客は足を踏み入れるのをためらってしまう仕組みになっていた。

ヴィハーン・プラ・モンコン・ボビットで高さ17mの青銅仏を拝み、ワット・ラーチャ・ブラナでプラーン(クメール式仏塔)の内部の小さな空間でアユタヤ様式の壁画を見た後、ワット・プラ・マハタート(30バーツ)に到着した。ビルマ軍によって壊滅され、あらゆる仏像は頭部を落とされており、廃墟のようなこの寺院で一番観光客の注目を集めているものは木の根に取り込まれてしまった仏像の頭部であり、観光客が並んで写真を撮る際にはしゃがんでこの仏像よりも頭の位置を低くしなければならないという管理人付きの厳しい制限が敷かれていた。

アユタヤ遺跡から発掘された宝物が展示されているチャオ・サン・プラヤー国立博物館(30バーツ)で古美術品を堪能し、観光用のアジア象を操っているエレファントキャンプから数多くの象が象使いと観光客を乗せ、糞の後始末用の係りを従えて隊列を組んで歩いている様を見物し、ケツの痛みをこらえながらもなんとか自転車で駅に帰還し、夕方の急行列車(20バーツ)でバンコクに帰っていった。

ホアランポーン駅からバンコク一の歓楽街の中にあるハッポン通りを歩いていると壮大な草むらの中で緑色の虫が飛び跳ねているような感覚を覚えてしまうのだが、ここには土産物屋の露天が所狭しと並んでおり、明らかにバッタ物であることをアピールするようなエセブランド品が並び、ゴーゴーバーからは轟音が響き渡っていた。タニヤ通りという日本の場末の繁華街のような通りには日本語の看板を掲げたカラオケバーやクラブが林立しており、毎夜日本人の駐在員や観光客が乱痴気騒ぎを起し、ひんしゅくをかっている場所であることが確認された。

1月12日(月)

マサよ、君はタイが世界有数の毒蛇大国であることを知っているか!?

ということで、タイ赤十字協会の敷地内にあり、ブラジルに次いで世界2位の規模があるといわれているスネーク・ファーム(70バーツ)を訪問した。ここは毒蛇の血清などを研究する機関であり、多くの毒蛇やニシキヘビ等を飼育している。午前10時半からのスライド上映の後、11時より研究員兼蛇使いのデモンストレーションが始まった。まず、蛇使いのおっさんが持参したのは体長3mはあろうかと思われるキング・コブラである。ここでのお楽しみはおっさんと目が合ってしまった観光客がコブラにキスをさせられたり、ニシキヘビを首に巻かれたり、実際の蛇毒採取を生で見られることである。

チャオプラヤ川のほとりのごちゃごちゃしたチャイナタウンで人ごみを掻き分けながら北上し、渡し舟で対岸に渡り、バンコクの大手の病院であるシリラート病院に到着した。この病院内にはタイ薬学博物館、解剖学博物館、法医学博物館というものが無料で公開されており、とくに解剖学博物館ではホルマリン漬けにされた人体のパーツや死体の標本やべトちゃん、ドクちゃんのようなシャム双生児や異常胎児の標本がところ狭しと並んでいる。また、法医学博物館では拳銃で打ち抜かれた頭蓋骨や切断された腕、死刑に処された凶悪犯の樹脂で固められた死体等を生で見ることが出来るので暑いバンコクの中で唯一涼しい思いが出来るファシリティであろうと思われた。また、とある病院棟の受付らしき所には身元不明の惨殺死体の写真が並んでおり、日本のチャチなホラー映画も真っ青になるくらいの状況が病院内の日常で展開されていることが確認出来た。

夕暮れ時にワット・ベンチャマボビットで大理石寺院の美しさを見物しているときに雨が降ってきて、その後豪雨となったので撤収し、そのまま深夜12時過ぎのANA916便にて帰国することと相成った。

世界最強レベルの観光地トクトクバンコク情報

*タイはマーガリン系の名前を持つラーマ国王が統治する国で街のいたるところで国王の写真を見ることが出来る

*タイの鉄道の線路の周辺はスラム街的居住地域になっており、列車の脇では子供が遊び、犬が歩き、誰かが屋台で飯を食っている状況を車窓から垣間見ることが出来る

*バンコクには排気ガスで汚れたおびただしい数のやせ犬が年中夏バテ状態で道端で寝転んでいる

*悪名高いバンコクの渋滞のために街中に排気ガスがあふれており、また、信号は車優先で歩行者用信号は機能していないので歩行者は危険を冒して横断歩道を横断しなければならない

*街歩きで腹が減ると適当に麺類(20バーツ)を食ったり、のどが渇けば切り売りフルーツ(10バーツ)やみかん生絞りジュース(10~20バーツ)等で手軽にのどを潤すことが出来る

FTBサマリー

総飛行機代 ¥69,740

総宿泊費 13,182.9バーツ(1バーツ=¥3.2)

総エアポートバス代 100バーツ

総汽車代 35バーツ

総タクシー代 300バーツ

総ドン・ムアン空港使用料 500バーツ

次回予定:「FTBJ北の国から2004たんちょう」

FTBSEAアンコールにおこたえしなくてもワット驚くアンコールツアー in カンボジア

ついに戦争が始まってしまった。戦争で悲劇を被るのはいつも善良な一般市民である。今回の戦争により、イラクでは新たな難民を生み出すことになり、これは大きな国際問題となって我々の前に立ちふさがる。今回FTBが厳選した目的地は難民問題解決途上でありながら、観光都市として復興を遂げようとしているカンボジアのアンコールワットを中心とした遺跡群であり、ここから貧しいながらも賢明に生きる力を学び取ることが目的であった。

2003年3月20日(木)

米・英連合軍がイラクへの攻撃を開始した当日とは思えないほど、成田空港第二ターミナルでは平然とした雰囲気で日常業務が遂行されていた。ANA915便バンコク行きB747-400は何事も無く、定刻17時25分に出発した。今年の4月より2年連続2回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員として活躍することが約束されている私に与えられた席は通常のエコノミークラスよりグレードの高いプレミアムエコノミーという席でいっちょまえにフットレストと電源プラグが据え付けられていた。

いつものように客室乗務員の責任者が私のところに挨拶に来たら適当に相手をしてやならければならないと思っていたが、今回はキムタクドラマのGood LuckでANAのスチュワーデスを演じている黒木瞳を彷彿とさせる女優系のレィディが来るかも知れないと期待に胸を膨らませていた。もし彼女が「御用があれば何なりとおっしゃって下さい」と社交辞令を投げかけてきたら、「こちらこそ、私に出来ることがあれば何なりとおっしゃってやって下さい。何だったら、財務省に私の舎弟のマサという者がおり、そいつをどやしつけて財務省の出張をすべてANA便に切り替えさせてあげましょう」と言うところであったが、挨拶に来やがったのは通常のスチュワーデス顔のチーフパーサーだったので座席TVで上映される「ハリー・ポッター秘密の部屋」に集中しているふりをしてかわしておいた。

タイのバンコク国際空港に夜の10時半ごろ到着するといきなり気温31℃の猛暑に見舞われた。今日は着いた時間が遅かったのでおとなしくComfort Inn Airport($39.-)にチェックインし、そのまま寝苦しい夜を過ごすことと成った。

3月21日(金)

タイ-カンボジア路線を中心に運航しているバンコクエアウエイズのPG930便、B717-200機は午前8時にバンコク国際空港を出発し、50分程度のフライトでアンコールワットへのゲートウエイシティになっているシェムリアップ国際空港に到着した。入国審査を済ませ、空港の外へ出るとおびただしい数の客引き系の人種が目を血走らせながら金持ちの客を物色していた。その中で何も頼んでいないのにTAKEO FUKUDAという栄光の私の名前のボードを掲げている若者が居座っていた。そ~か、カンボジアではすでに私は有名人なのかと一瞬勘違いさせられそうになったが、よく考えて見るとAngkor HotelをWEBで予約していたのでホテルの関係者がわざわざ出迎えに上がっている様子であった。

多少英語を話すペーンと名乗る若者が転がすトヨタカムリに同乗すると早速シェムリアップ市内のホテルを目指して走り始めた。車窓から眺めるシェムリアップの町並みは典型的な開発途上国の様相を呈していたもののアンコールワットの人気にあやかり、たくさんのホテルが建設中であった。車中でペーンが簡単に町並みの紹介をしてくれていたのだが、同時に彼の車を1日あたり$25でチャーター出来るので是非観光に使ってくれとしつこく営業をしかけてきたので最後には根負けして承諾させられてしまった。

朝の9時ごろシェムリアップでは高級ホテルの部類に属しているAngkor Hotelにチェックインすると色黒のおね~ちゃんからホテルのロゴ入りのクロマーというカンボジア式スカーフを首に掛けられてしまった。1時間後にペーンを待たせてあるロビーに戻り、早速アンコール遺跡群の調査を開始することにした。まず最初に訪れたのはアンコール遺跡で2番目に人気のあるバイヨンという寺院である。バイヨンは王と神の都市と言われているアンコール・トムの中心に位置しており、ピラミッド形式に積み上げられた石の表面に刻まれたデバダーという女神が印象的な寺院である。また、周囲を取り巻く回廊に施されているレリーフが美しく、レリーフ近辺には決して触らないようにとの注意書きの立て看板が立っていた。私もレリーフを触ってバイヨン寺院の仏像の鼻がもげたりしたらヤバイヨンと思ったので注意して見物することにした。また、寺院内には観光客の身を守ってくれる警察官が見回りをしていたのだが、アンコール・トムとはいっても小柳トムのような警察官の制服を着ているわけではなく、かといってバブルガムブラザーズのブラザートムのようにファンキーでもなかったのだ。

午後から待望のアンコールワットを訪問することになった。ユネスコの世界遺産として君臨しているアンコールワットはクメール建築の最終形と位置付けられ、12世紀前半に建立された宮殿である。幾重にも重なっている門をくぐって最終的にたどり着いた中央祠堂に登るためには人々を寄せ付けないような急な階段を登る必要があり、登っている最中にワッと驚かせば観光客は落ちてくるのではないかと思われた。

アンコールワットの敷地内のとある一角に多数の売店が出店しており、冷たいジュース等を$1で売りつけようと営業に励んでいる原住民にあっという間に取り囲まれてしまうような環境の中で私の目にとまったものは水生昆虫である巨大なタガメの姿煮であった。原産地は目の前の聖池であると思われ、腹部を噛むといかにもプシューと液が出てきそうな雰囲気を漂わせていやがった。

3月22日(土)

昨日ひょんなことからチャーターするはめになってしまったトヨタカムリを操るペーンの粘りにより、今日も彼を雇うことになり、午前9時に観光を開始することになった。シェムリアップの北部40kmの地点にバンテアイ・スレイという非常に美しい彫刻が施された遺跡があるということだったので車を飛ばして見に行くことにした。「女の砦」の意味を持つこの寺院には東洋のモナリザと称される優美なレリーフが名声を博している。ここでは建築物や彫刻の美しさよりも地雷を踏んだと思われ、片足の無い人が物乞いをしている姿が脳裏に焼き付いてしまった。

午後から炎天下の中、東メボン、ニャック・ポアンという遺跡を立て続けに見学することになった。東メボンは今では干上がってしまった貯水池の中心部に952年に建立され、四隅の象の石像を配したピラミッド式の寺院である。ニャック・ポアンは「からみあう蛇(ナーガ)」という意味を持つ治水に対する信仰と技術を象徴する寺院である。

マサよ、君はカンボジアのジャングルの中にギリシャ建築の名残を見たことがあるか!?

私は・・・見た。

というわけで、ニャック・ポアンと同時期に造営されたプリア・カンという遺跡は「聖なる剣」の意味を持ち、創建者のシャバルマン七世がチャンバ軍との戦いに勝ったことを記念して立てた寺院である。プリア・カンの中央祠堂周辺は迷路のように回廊が巡らされており、その北東に立つ建造物はまるでギリシャ建築を思わせるような石柱二層構造になっている。

アンコールワットを中心とする遺跡群の中でサンセットスポットとして人気ナンバー1に輝いているプノン・バケンは高さ60mの丘陵の上に祠堂を配しており、そこから南東の方向に樹海の中に浮かび上がるようにそびえているアンコールワットを見下ろすことが出来る。プノン・バケンに登るには急な斜面を徒歩で登るか、なだらかな坂を象に乗ってゆっくり歩く(上り$15.-、下り$20.-)かを選択することが出来るようになっている。

私がプノン・バケンに到着したのは3時半頃で日はまだ高く、なおかつ敷き詰められている石畳が熱せられた状態で石焼ビビンバの具のような気持ちでサンセットを待っていた。しかしこの日は残念ながら、西の空に雲がかかった状態だったのでクメールの大地に沈む燃えるような夕日を拝むことが出来なかったので仕方なくサンセットを待たずに撤収を決め込んだ。ちなみに象に乗って来た人は100%の確率で象と記念写真を撮っており、それを見てゾ~とした寒気を感じたので何とか石畳の暑さに対処することが出来たのではないかと思われた。

3月23日(日)

昨日の観光でペーンに$40もの大金を払い、彼もいい気になっていたので今日は彼を首にして別の観光手段を検討することにした。まず、朝一にシェムリアップのダウンタウンの中心にあるオールド・マーケットを散策することにした。このマーケットは原住民の生活と非常に密着した市場で生鮮食料品や干物等がところ狭しとならんでおり、エスニックな雰囲気と異臭を漂わせていた。

カンボジアの主要交通手段としてバイクタクシーという乗り物がある。この国ではバイクを転がすのに特に免許は必要なく、バイクタクシーの営業もホンダの原チャリ等を下取りしたオンボロバイクさえ持っていれば誰でも出来るのである。とあるコミュニケーションが苦手そうな少年がしきりに私に対して乗って行かないかと営業をしかけてきた。それじゃ~ここから10kmくらい離れたタ・プロ-ムまで$1でどうだと交渉したが、彼は$2と言いやがったので他をあたろうとした。お金に困ってそうなその少年はしきりに私の後を追いかけてきて結局$1でいいと妥協したので彼の後ろに乗っかることにした。

タ・プロ-ムはアンコールワット、バイヨンに続いて日本人に人気のある遺跡でスポアンという木の根が蛇のように石にからみつき、いやがおうでも自然の驚異を感じさせられる寺院である。この遺跡の状態はわび・さびを美徳とする日本人の心を打つようで今でも仙人が住んでいるような魅力を持っているのだ。

遺跡の調査を終えてタ・プロ-ムから出てくると私を上客だと判断した少年が待っていやがった。別に彼をチャーターする気もなかったのだが、そのけなげな態度を見てさらに$1払って近場のタ・ケウという遺跡まで案内させてやった。「クリスタルの古老」という意味を持つタ・ケウ寺院は、アンコールワット造営の試金石とされている。寺院建築の依頼主であるシャバルマン五世の突然の死により、石材を積み上げた状態で未完成のまま放置されているこの建物からはピラミッド式寺院という新しい造形への挑戦が見て取れるのだ!

少年のバイクのケツにまたがってバイヨンに再び向かいながら、もしここで転んで怪我でもしたら保険効かないからヤバイヨンと思っていた。バイヨンでは相変わらず地元の少年少女などが無邪気に観光客に対して愛想を振り撒いていたが彼らは一応人畜無害であった。別にアンコールにお答えするわけでもないが、最後はやはりアンコールワットで締めたいと思っていたので再びアンコールワットを見物することにした。アンコールワットの敷地内に寺院があり、橙色の袈裟を着た僧侶が行き来しており、彼らは出家した身にもかかわらずタバコを吸ったりするなまぐさ坊主である。また、その寺院は孤児院も兼ねているらしく、小さな少年少女が愛想よく挨拶を交わしてくれるシステムになっていた。

私が宿泊しているHotel Angkorの対面にバイヨンマッサージというマッサージ屋が開業していたので旅の疲れを取るために受けてみることにした($9.-/1.5H)。シェムリアップのマッサージ屋は目の不自由な人の自立をサポートするための仕事となっているので非常に料金が安く設定されているのだ。

3月24日(月)

定刻通り、朝7時10分頃帰国。途中で自宅により、風呂でカンボジアの汗を流して会社に出社。

カンボジア情報はナンボジァ(強引か・・・)特集!

*アンコール遺跡へ入場するためのチケットは高めに設定されており、それで遺跡の修復等を行なっている。料金は1日券=$20.-、3日券=$40.-、7日券=$60.-という設定で長くいるほどお徳だぜ。

*シェムリアップにゲストハウス「タケオ」という宿があり、私の許可も得ずにソ~ト~安い宿泊料で日本人に人気を博しているそうだ。マサよ、財務省から圧力をかけて必ずマージンを取ってくれ!

*主要な遺跡スポットには必ず飲み物屋とお土産屋が出店している。そこで私が耳にした言葉はツノもないのに「オニさん、オニさん」という原住民の営業文句である。詳しく説明すると「オニ(お兄)さん、オニ(お兄)さん、ツ・メ・タ・イ・オ・ノ・ミ・モ・ノ・ハ・イ・カ・ガ・デ・ス」と言っているのだが、おばちゃんもつぶらな瞳の子供も同じトーンで同じ言葉を喋っており、まったく応用の効かない奴らだと思われた。

*カンボジアの主要通貨はアメリカドルであり、補助通貨として現地のリエルが使われている。さらにカンボジア人は日本語でドルのことをダロだと言うものと思っており、日本人は皆心の中でそれは勘違いダロと思っているのだ。

FTBSEAスペシャルドキュメント「悲しきカンボジア少年物語」

これはわたしがバイヨン寺院に隣接するバプーオンという遺跡を見物していたときに起こった実話である。遺跡をゆっくりと歩きながら見ているとふいに少年が近づいてくる気配を感じた。みすぼらしい身なりの中にアグレッシブな雰囲気をたたえたその少年は頼んでもいないのにいきなり観光ガイドよろしく遺跡の説明を始めてしまった。特に話を聞く気のないふりをしながら歩いていたスキのない私に対して完全にロックオンをしてしまった少年はあくまでもマイペースで解説を続けていた。その間私の心の中ではどうやってこの少年を振り切るかもしくはいくらの支払いでケリをつけるべきかといった壮絶な心理戦が展開されていた。

巧みな英語を操る少年が言うことには彼は午前7時から10時まで学校に通っており、週$40の学費を稼ぐために自主的に観光ガイドをしている。また、彼の父親は地雷を踏んで死んでしまったので生活に苦労しているという話を巧みに織り交ぜてきた。日本有数の家なき子である安達裕美が取り入れたと言われている伝家の宝刀「同情するなら金をくれ!」作戦を少年が展開する前に何とか彼を振り切らなければならないと考えていた私に突然チャンスが訪れた。とある崩壊した遺跡を前にして少年が始めた解説はこの遺跡はカンボジアのある過激派組織が破壊したものだと言った瞬間に松田聖子よろしくブリッ子調で♪ピュアピュアリップス♪と歌い上げ、「それはロックンルージュや!君の言いたいのはクメール・ルージュやろ!」と関西伝統の一人ボケつっこみをかまして少年が動揺している隙に走り去る作戦を実行しようと思った矢先に少年の口からクメール・ルージュの言葉が出てしまったのでこの作戦は失敗に終わってしまった。

少年を振り切ることが出来ないまま、いくばくかの時間が過ぎてしまい、ついには少年の口からこの奥に僕の仲間がいるから一緒に来ないかい?との誘い文句まで出てしまった。しかし、驚いたことに少年がその文句を言い終えるか終えないかの瞬間に彼がいきなり林の中に走り去るのと同時にいくつかの人影が鋭く四方八方に分散する気配を感じた。何事かと後ろを振り向くとそこには現地の警察官の姿があった。警察登場のおかげで安心して遺跡見物が継続出来るようになり、非常に感謝していたのだが、結局警察の目を眩ませて先回りしていた少年に再度捕まってしまった。少年はここぞとばかりに学費を払うために$5ほどカンパしてくれよ!と言い寄って来た。私もその頃には少年の粘り強さに心を打たれていたので$5程度だったらと思い、めぐんでやることにした。ここで気をよくした少年はさらに$10を要求してきやがった。冷たく断ると「お兄~さんはバンコクから来たんだったら、タイバーツが余ってるだろ、それをくれよ!」とさらに食い下がって来たので、さすがに私も黒柳徹子のような度量の広さを示すことが出来なくなり、とっとと撤収することにした。

しかし、警察の出現なしに少年の案内する場所に連れて行かれてたら今ごろの私はどうなっていたのだろうかと思うと非常に不思議な気持ちである。(総)

FTBサマリー

総飛行機代 \77,820.-, THB11,700.- (THB 1 = \3.27)

総宿泊費 $203.8

総車チャーター代 $65.-

総バイクタクシー代 $7.-

総遺跡チケット代 $40.-

総カンボジアビザ取得費用 \3,000.-

総バンコク国際空港使用料 THB500.-

総シェムリアップ空港使用料 $15.-

今後の活動予定: 慶良間諸島、徳之島、ゴジラ等盛りだくさんです。

協力 ANA, Bankok Airways

発進FTBSEA !

祝!FTBSEA(South East Asia)開店記念

ということで念願のFTBSEAのスタートを切ることが出来たわけであるがこれもひとえに総統である私の努力の賜物であるといえる。一回目の今回は灼熱のシンガポールツアーを企画し、見事成功させた。

ユナイテッド航空の電話予約でチケットを予約した際に、いいチケットを郵便で送ってくれると言われていたので楽しみにして待っていたのだが、eチケットというよくない席のチケットが送られてきやがった。何はともあれ10月6日(金)の午後5時半のUA853便で一路シンガポールへと向かった。世界のベストエアポートとして名高いチャンギ国際空港に到着したのは夜11時半を回った時間だったため、その日はタクシーでホテルに向かった。

10月7日(金)

朝からシンガポールの観光の名所であるマーライオンを見に行った。マーライオンとは顔がライオンで下半身が魚である8mほどの白色のオブジェでシンガポールのシンボルとして君臨しているものである。ま~ライオンと言えばライオンに見えなくもないが、何か人寄せのために無理やり作られたようなわざとらしさがあった。

その後チャイナタウン等を一通り見物したあと、アプライドマテリアルズシンガポールの優秀な営業マンであるコダマちゃんと昼飯を食う約束をしていたのでLei Gardenという高級中華レストランで落ち合った。コダマチャンは妻と2歳になる娘を連れて時価600万円というサニーに乗って颯爽と登場した。彼らは今までにマレーシア、タイ、ベトナム、インドネシア等アジア各国を歴訪した実績を持っているとのことであったので密かに私がFTBSEAの責任者に任命しておいたのを彼はまだ気づいていないようであった。

コダマちゃんからシンガポールに来て足の裏マッサージを受けなければシンガポールに来た意味がないと言われたので早速KENKOというマッサージ屋に向かった。ぷっスマにおける「なぎすけ」コンビの天敵であるドクターフットみたいな陰険なマッサージ師が登場したらどうしようと恐怖におののいていたが、人のいいおばちゃんだったので痛みをこらえながらも安心してマッサージを受けることが出来た。

マッサージで黄金の足を取り戻した後、その足でナイトサファリに向かった。シンガポールに来てナイトサファリに行かないとシンガポールに来た意味が無いと言われているので話の種に行って見ることにした。入場料を支払ってトラムに乗り込みサファリツアーがスタートした。たくさんの草食動物やライオン、豹などが暗闇の熱帯雨林のジャングルの中で蠢いている様子はマサに世界のベストオブサファリにふさわしいと思われた。そのなかで特に目を引いたのはやはりマレーシアタイガーであったのだが、サーベルを持たせると獰猛なジェットシンに変身するのではないかと思われるほどの迫力を漂わせていやがった。

10月8日(土)

シンガポールは国土が淡路島ほどの広さしかなくその上はすぐマレーシアの国境が迫っている。ジョホール水道を越えて「岡ちゃん感激!野人岡野推薦ジョホールバルVゴールツアー」を決行すべく朝9時のバスに乗り込み, 税関を超えると計40分ほどでジョホールバルに到着した。マレーシアに入国するとすかさず現地の通貨リンギットを入手し、セブンイレブンでジュースとアイスクリームを買って食った。ここではサルタン王宮を見学したが、くそ熱くて、延長戦を戦った後にPK戦で敗れたくらいの疲労感を感じたので2時間ほど滞在してとっととシンガポールへ帰って行った。

午後から、バスに乗ってジュロンというところにあるレプタイルパークに向かった。ここは爬虫類専門の動物園という感じでおびただしい数のクロコダイルや独身のキングコブラ、ニシキヘビ等が飼育されている。見ものは何といっても放し飼いにしているイグアナであり、観光客は自由にイグアナを舐めたり、記念写真を撮ったりすることが出来る。

シンガポールは世界に冠たる中継貿易港であり、ハーバークルーズに参加しなければシンガポールに来た意味がないと船乗りの間でうわさになっているので参加することにした。FTBSEAが参加したのはトラディショナルジャンククルーズというディナークルーズである(s$32)。午後6時にクリフォード桟橋を出発し、高層ビルを尻目に船は沖の方へと向かっていった。海上には大小あわせて沢山の船が停泊しており、貿易立国シンガポールの実情を如実に物語っているようだった。

シンガポール耳寄り情報

1. シンガポールの市場を歩いていると異臭を感じることがあるが、それは果物の王様であるドリアンが放つものである。「叫ぶ詩人の会」を仕切っているのはドリアン助川であるが、ドリアンはここではわずか3~5S$で売られている。

2. マサよ、君はERPというものを知っているか?シンガポールは渋滞が無いことで有名であるが、それはこのERPという自動課金システムがダウンタウンに入ってくる車から自動で金を巻き上げているせいである。

3. シンガポールは熱帯雨林に属するにもかかわらず市内にはほとんど蚊がいない。それは毎週害虫駆除のための殺虫剤を撒いて害虫を皆殺しにしているからだ。

4. ラッフルズについて

  近代シンガポールの祖として有名なラッフルズの名前を冠したファシリティがここにはたくさんある。シンガポール一の高級ホテルはラッフルズホテルであり、最大のビジネスタウンはラッフルズプレースといった具合だ。

次回は祝マサ結婚記念!まぐれか?第4回ラスベガス征伐を現地からライブでお送ります。

Presented by FTB Co. LTD

代表 Masa

取締役運転手 Masa, acting

インターン Kazu

調達実施本部長 Masa, acting

総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)

スポンサー 大蔵省