アグネス・チャン杯争奪香港飲茶ツアー

おっかのうえ、ひぃなげぇしぃのはぁなでぇ~~♪♪

というわけでAAのマイレージが余っていたのでマサであれば6~7万くらいかかるところを私はただで香港まで行って来た。

マサよ、君は日本国内で日帰り海外旅行をしなければならない憂き目に遭いそうになったことがあるか?

私は・・・・・ある!!

12月22日(土)

クリスマスシーズンの成田空港第2ターミナルは連休を海外で過ごそうとしているおびただしい数の観光客でごった返していた。午前10時30分発JL733便に搭乗すべく私も9時ごろに空港に到着したのだが、チェックインカウンターには黒山の人だかりが出来ており、カウンター最前列に着いた時間は10時直前になってしまっていた。JALのカウンターのおね~ちゃんは「この時間では今からチェックイン出来るかどうかわからないので確認しなければならない」と捨て台詞を残して私の前から姿を消していった。数分後別のカウンターに案内され、そのカウンターのおね~ちゃんは「今から急いでゲートまで行って、10時25分までに搭乗出来なければ乗り遅れます!!」と言いやがった。手荷物検査場は数百メートルの長蛇の列が出来ており、前に並んでいた人と交渉をして首尾よく横入りし、出国を切り抜け、何とか時間内に搭乗することが出来たのであった。しかし、機内ではあと20名ほどの搭乗客を待たなければならないので出発の時間が遅れるというアナウンスがなされていた。結局最後の2名が脱落し、1時間遅れの出発となってしまった。

香港国際空港に着いたのは午後3時を過ぎた頃であった。ビルの谷間を縫うようにして着陸する啓特空港から業務を引き継いだ香港国際空港は世界有数のインテリジェントな空港として君臨していた。空港から列車に乗ると30分程度で九龍駅に到着し、そこから地下鉄に乗り換え、Tsim Sha Tsui駅に到着したころには夕闇が迫っていた。香港でもっとも香港らしいと言えるTsim Sha Tsuiはケバケバしいほどの看板と人だかりで容易に前進することが出来ないほどであった。

しばし、Tsim Sha Tsui地区をさまよい、頭の中に繁華街の地図を形成した後、今回の宿泊地である日航酒店(ニッコーホテル)に到着した。私の日頃の行いが良かったせいかJCBトラベルが手配したHK$988のスペシャルプライスにもかかわらずハーバービューの部屋を用意して待っていやがった。チェックインを済ますと早速夕飯を食いに夜の街に繰り出すことにした。繁華街のとある中華料理屋に飛び込みで入るとそこには当用漢字リストでは決して見ることは出来ないような漢字で書かれたメニューがテーブルに据え付けられていた。何が書いてあるのかわからないので英語の出来そうなマスタ-にとりあえず、ビールとワンタンスープと適当なおすすめのお惣菜を発注した。Eachワンタンに付きエビが1個梱包されているワンタンスープは絶品であった!!適当に頼んだ羊の肉を小鍋にぶち込んで野菜と一緒に煮込んだ料理もそれなりにおいしかったので非常にコストパフォーマンスの高いディナーを楽しむことが出来たのであった。

12月23日(日)

朝から有名そうな中華料理屋でワンタンスープとピータンとチキンが入った粥を食った後、腹ごなしに九龍公園に立ち寄った。ここで繰り広げられていた光景はおのおのラジカセを持参した老若男女が手足をクネクネさせながら太極拳にふけり健康を維持しているところだった。

大英帝国のテクノロジーを引き継いだ2階建てバスに乗らないと香港に来た意味がないと言われていたので実車することにした。おびただしい数のバスルートからとりあえず一番運賃の安そうなやつを捕まえて2階の一番前の席に乗車して窓ガラスに頭をぶち当てながらも景色を楽しむことに成功した。

スターフェリーでビクトリア湾を横断し、香港島に侵入するといきなりフィリピンに来たような感覚を覚えさせられた。聞くところによると金持ちの家でメイドをやっているフィリピン人の女性が週末の休日を利用してピクニックを行なっているということであった。

スターフェリー乗り場から摩天楼を抜け、ピークトラムの乗り場に着いた。ここはケーブルカーの発着場所であり、終点のビクトリアピークから百万ドルの夜景を目にすることが出来るということで香港に来た観光客は必ず訪れる場所である。1888年に創業を開始し、120年以上の歴史を誇るピークトラムは最大傾斜角27度の坂を登りきることが出来るハイテクマシンである。

頂上のビクトリアピークに午後3時くらいに到着し、周辺のエリアを徘徊しつつ昼間の景色を堪能しながら夜更けを待つことにした。5時20分を過ぎた時間帯からあたりは暗くなり始め、徐々にビルの明かりが灯り始めた。6時を過ぎるとそこには世界三大夜景に数えられる幻想的な景色が出現していた。しかしながら、百万ドルの夜景と形容されるこの景色も休日でオフィスビルの明かりが不足していたため30万ドル程度の迫力しかなかったのが非常に残念であった。ところでマサよ、ここでいう百万ドルとはUS$(= \129)のことかHK$(=\17)のことか君は知っているか??

ビクトリアピークのビルの中にはたくさんのアトラクションや土産物屋、レストラン等が出展している。その中でも最も目を引くのがデーモン小暮率いる聖飢魔IIも推薦する蝋人形の館であろう。マサよ!「おまえも蝋人形にしてやる!♪♪」

12月24日(月)

香港国際空港のJALの出発ゲートの近くにマッサージ屋が出展していた。昨日ニッコーホテルで足つぼマッサージを受けようとしたが予約でいっぱいだったため、断念していたので代わりに今受けることにした。この足つぼマッサージは昨今アジア各国で流行っており、わざわざ高い金を払って悶絶する苦しみを味わうことが出来る大変お得なマッサージである。

次回は「おしえておじいさん!!スイスアルプスツアー♪」をおおくりする予定です。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾in宮古島

種子島、屋久島、伊豆大島、沖縄本島等数々の離島を制してきたFTBであるが、今回は真珠湾攻撃60周年を記念して沖縄県に帰ってくることにした。

12月8日(土)

せんだみつお推薦「ナハ!」空港に到着するといきなり沖縄民謡のリズムに出迎えられた。沖縄は今、同時多発テロの影響で失った観光客を取り戻すのに必死となっており、「だいじょうぶさぁ~沖縄」キャンペーンを大々的に展開しており、ここ「ナハ!」空港内でも沖縄民謡や伝統芸能のイベントが取り行なわれていた。マサよ、君のところの財務省もカラ出張等の経費を駆使して沖縄観光に貢献するべきではないだろうか?

「ナハ!」空港ではいたるところにお土産物屋が出展しており、酒のコーナーでは丸々と太ったハブりのよさげなハブが赤ら顔で酒の瓶に浸かっているのが印象的だった。

さて、「ナハ!」よりさらに35分程度のフライトを経て宮古島空港に到着したのは2時を回った頃だった。早速地場のレンタカー屋で安いレンタカーを借りて宮古島観光に乗り出すことにした。宮古島は1周わずか120kmほどの小さな島であるが、その美しさは日本では最上級のものとされている。宮古島で有名なのは毎年4月に開催される全日本トライアスロン選手権であろう。ルー・ゲーリック、衣笠祥男、カル・リプケン・ジュニア等鉄人という異名を持つ人間は数々いるが、やはり宮古島トライアスロン選手権を制する者こそ真の鉄人と言えるのであろう。

砂山ビーチという美しい砂浜を持つビーチがひっそりとたたずんでいるので見物に行って来た。エメラルドブルーの透明度の高い海水に侵食されたこのビーチの砂浜の木目は細かく、海のブルーと砂の白がマッチした非常に質の高いビーチであった。

さらに北上して西平安名崎という景勝地に立ち寄った。宮古島は風が強いことで有名であり、ここには沖縄電力が誇る4基の風力発電用巨大風車が海風を受けて誇らしげに回転していた。

宮古島はオリックス・ブルーウェーブのキャンプ地としてイチローの振子打法を完成させた地として有名である。オリックスのキャンプ地は島の東海岸に位置しており、温暖な気候はマサに若手を成長させるのに最適な土地である。しかし、イチローはすでにアメリカに亡命し、仰木監督は勇退し、田口も大リーグに挑戦するということで石毛新監督も非常に頭を痛めている。ということで石毛監督の苦肉の策としてチーム名をオリックス・レンテックスに変更し、選手のレンタル事業に乗り出すのではないかと島中の噂になっている。

12月9日(日)

昨日の間に島を一周してしまっていたので今日は細かいところをみることにした。早朝より来間島、前浜ビーチと観光地を巡った後、日本百景にも数えられている東平安名崎を訪れた。南東に突き出た岬から海を見下ろすとそこには大小の岩の造形美とエメラルドグリーン、コバルトブルーが調和したみごとな景色を垣間見ることが出来る。また、このあたりは風が非常に強く、安物のカツラを身につけている人はヅラを飛ばされた後はヅラなしで観光を続けなければならないほど厳しい環境であった。

レンタカー屋のオッサンから、沖縄そばのうまい場所を聞いていたので昼飯時に立ち寄ることにした。まるや食堂という大衆食堂風の小さなそば屋であるが、長時間煮込んだ豚のあばら肉を使ったソーキそば(¥600)は絶品であった。ここの食堂には藤井フミヤ、オール阪神巨人の阪神君、トミーズ・マサよ等の芸能人も訪れており、みんな作り笑顔を浮かべておばちゃんと記念写真に収まっていやがった。

腹ごしらえも終わったところで吉野海岸、新城海岸を見物した後、池間大橋を渡って池間島に到着した。池間島海底観光(¥2000)という船底に貼ったガラスから美しいさんご礁を観察出来るボートツアーがあることを発見したので早速参加することにした。ここのおやじは定年退職後にこの仕事をはじめたとのことでまだ2年くらいしかこの仕事に携わってないのであるが、実は丸秘のサンゴ礁観察スポットを発見しているらしく、口コミでその美しさが日本中に伝わっていると自慢していた。とにかく私も生のサンゴ礁を見たことがなかったのでそれがどういうものなのか話の種に参加してみることにした。

10人乗りのチャチなモータボートに乗ると船の底には大きな透明なアクリル製と思われる板がはめこまれていた。池間漁港のエメラルドグリーンの海水を切り裂いて船は沖の方へ向かっていく。オッサンに言わせるとこの美しいエメラルドグリーンの海は実は死んだ海だということであった。何故かというとさんご礁の死骸が白い砂となり、透明度の高い海水を反射させているだけであるとのことであった。そうこうするうちに船はさらに沖に進むと明らかに海の色が変わってきた。船底を見るとそこには花びらをひろげたようなサンゴ、バラの花びらのようなサンゴ、岩のようなサンゴ、青、赤、緑、黄色等色とりどりのサンゴ礁とエンジェルフィッシュ等のカラフルな熱帯魚のライブが繰り広げられていた。このあたりは幻のサンゴ礁群で世界的に有名な八重干瀬といい、干潮時には色とりどりのサンゴ礁の島が形成されると言われている。また、運がよければ海亀がサンゴ礁の上で昼寝をしている姿が見られるとオッサンは自慢していた。

これまで山陰海岸、オホーツク海、瀬戸内海、ギャルベストン、キーウエスト、サンタモニカ、シンガポール、ハワイと私も数々の海を目の当たりにしてきたが、ここ宮古島の海はその中で一番美しいものであり、この地の生きたさんご礁を見るだけでも十分飛行機代を払ってやって来る価値のある場所である。

まる得宮古島情報

*宮古島は地図上で見ると台湾にも近く僻地に見えてしまうが、生活はほとんど内地と変わらないので安心して生活することが出来る。

*ここの主要産業はサトウキビ作りであり、いたる所で生の絞りたてサトウキビジュース(¥200)が販売されている。味は普通の砂糖水よりこくがあり、カブトムシやクワガタも安心して飲むことが出来るであろうと思われた。

次回FTBは「アグネス・チャン杯争奪香港飲茶ツアー」をお送りする予定です

FTBゼミナール:有効な3連休の過ごし方in Hawaii

アロハ、マサよ! ハワイ湯!!

ということでJALのマイルが余っていたので、マサであれば6~7万くらいかかるところを私はただでハワイへの往復旅行を挙行することにした。

2001年11月22日(木)

日本航空が総力を結集してたちあげたリゾート計画であるリゾッチャと名乗るホノルル行きJL072便に夜10時15分に搭乗するとそこにはアロハシャツを着たおびただしい数の年配のスチュワーデスがバカンス客を待ち受けていた。テロの影響で観光客の激減が心配されたが、実際B747-400は満席状態であり、どいつもこいつも脳みそが狂牛病状態ではないかと思われた。

わずか6時間弱のフライトで飛行機はホノルル空港に到着した。空港では牧信二やウクレレエイジのウクレレ演奏をバックにアグネス・ラム系のおね~ちゃんが一礼をした私にレイをかけてくれるのではないかと期待していたが、そこで待っていたのは入国審査と税関による厳しい取り締まりであった。税関をパスすると念願のFTB史上アメリカ48州目のハワイに侵入することが出来た。ホノルル空港からワイキキまでさまざまな交通手段があるが、私が選んだのは世界有数の定冠詞を冠したThe Bus($1.5)という市バスであった。

The Busは市内を走り抜けると20分程度でワイキキ近辺に到着した。ワイキキビーチで期待していた光景は電気ギターの♪♪テケテケテケテケテケ♪♪というリズムも高らかビーチボーイが波に立ち向かっているサーフィンの光景であったが、ここの近辺のビーチの波はおとなしくサーファーはほとんど見られなかった。そこで仕方なくトゥナイト2のレポーターとしてヘッドハンティングがかかっているほどのレポート力を持つ私がワイキキビーチから恒例の水着チェックをおとどけすることにした。ビーチにはスレンダー系、ボヨヨン系、ボンレス系、トド系のGALがところ狭しと肢体を横たえており、足の踏み場も無い状態であった。

今日は到着日ということもあり、炎天下の中をあるくうちに頭が自然とフラダンス状態になってしまったので宿泊先のオマハホブロンワイキキ($109)に引き払って休むことにした。

11月23日(金)

昨日はThe Busを使って行動していたが、今日はヒルトンハワイアンビレッジのHertzのカウンターでカローラをレンタルして行動範囲の拡張を図ることにした。

マサよ、リメンバー パールハーバー!!

ということで、マサの住居に奇襲攻撃をかけるためのノウハウを得るために、真珠湾に向かった。1941年12月7日の真珠湾攻撃に成功した日本軍は「トラトラトラ」という暗号で奇襲が成功したことを伝えたといわれているが、私も「マサマサマサ」とうモールス信号で歴史に名を残したいと考えていたからだ。

アリゾナメモリアルというファシリティが真珠湾にあり、多くのアメリカ本土からの観光客で賑わっているという情報を聞きつけた私は10時過ぎに早速そこに到着した。すると既におびただしい数の観光客が列をなしていた。30分ほど並ぶと番号の書いたチケットを渡されて1時20分からのツアーに参加出来るということだった。

ところでアリゾナメモリアルにはビジターセンターがあり、そこにはツアーの受付と各種展示物、土産物屋がある。受付近辺でボケッと座っていると係りの日本人のおばちゃんが親切にも1時間も早いツアーのチケットを裏技で入手してくれ、12時20分のツアーにもぐりこむことが出来た。ツアーはトータルで75分程度であり、最初に真珠湾攻撃の映画を見せられ、それが終わるとボートでメモリアルに向かう段取りとなっている。メモリアルは沈没した戦艦アリゾナをまたぐように建てられており、その上からアリゾナの亡骸を見ることが出来るのだ。また、このメモリアルはアリゾナで犠牲になった約1100人の共同墓地という位置付けになっており、60年経った今も艦内から油が流出している様はいやがおうにも攻撃のすさまじさを思い起こさせる代物である。

マサよ、君は「この木なんの木」が木になって寝不足になった経験はないか?

ということで、真珠湾を後にして向かった先は日立の木が生えているモアナルア・ガーデンパークである。モアナルアガーデンパークに到着すると驚いたことに日立の木と思われる巨大な木が何本も生えており、どれが日立の木なのか見分けがつかない状態であった。これらの木はモンキーポッドという名称で樹齢は120年を越えているといわれている。木の下ではゴスペラーズをゲストに呼んだ日立の社員一同がアカペラで♪♪この木なんの木、気になる木、ウ~~~~木ですから、ア~~ア~~ア~~木になるでしょう♪♪と24時間体制で歌っているのではないかと心配されていたが、木の下にいるのは少数の善意の観光客のみであった。ちなみにこの木には見たことも無い花が咲いていたのが印象的であった。

North Shoreはワイキキよりも波が高く、ビッグウエンズデーで有名なサーフィンのメッカになっているという話を聞いたのでカローラを飛ばして島の北部に向かった。世界中のサーファーのあこがれの地であるサンセットビーチに到着するとそこではマサに♪テケテケテケテケテケ♪の光景が繰り広げられていた。波の高さは長身のサーファーをいとも簡単に飲み込んでしまうほど高く、パドリングで波を越えたり、波をくぐりつつビーチから1kmほどの沖合いまで出て多くのサーファーが技術を磨いていた。また、ここのビーチは島中で一番きれいなサンセットが見れることで有名であり、この日も天国のような夕日を鑑賞することが出来たのだ。

ハワイで一番大きなショッピングセンターとして有名なアラモアナショッピングセンターがホテルの近くにあったので立ち寄ることにした。ここは3階建ての巨大なモール状のショッピングセンターであり、多くのブランド物屋が軒を連ねて、買い物客の財布のひもを緩めさせるため日夜努力をしている場所である。

11月24日(土)

早朝よりオアフ島のシンボルであるダイヤモンドヘッドに登頂した。ダイヤモンドヘッドの頂上へのトレイルは片道1.1kmで標高差は焼く170mある。途中急勾配の階段や長く真っ暗なトンネルを越えなければならないが、頂上からの眺望は想像を絶するほどすばらしいものであった。

午前11時15分発JL071便は往路と同様満席状態であった。機内のアトラクションとしてリゾッチャビンゴというゲームに乗客は無理やり参加させられ、ビンゴになった奴らはリゾッチャグッズをもらっていい気になっていた。

FTBサマリー

総飛行機代:ただ

総宿泊費:$225.83

総レンタカー代:$56.71

次回FTB予定は南の島ツアー第2弾、宮古島からお届けする予定です。

FTB強行軍

私の地元のアメリカで史上最大のテロが起こり、JTB、近ツリ等のメジャー旅行会社は米国行きのツアーをすべてキャンセルしてしまったそうであるが、最新のテクノロジーと情報収集力を誇るFTBは米国行きのフライトが再開された9月15日にツアーを強行することにした。これもひとえに私の努力の賜物だと言えるだろう。

9月15日(土)

本日米国行きのフライトが再開されたとはいえ、厳戒態勢が敷かれた成田空港第二ターミナルは異様な静けさをたたえていた。警備員はここかしこに配置され、手荷物検査場は緊張感に溢れ係員のおね~ちゃんたちに至っては一人残らずケツの穴の奥の方まで検査してやるぜ!という気迫で業務に励んでいた。検査場を抜け、次の出国審査のところでは通常の2.8倍くらいの時間をかけて慎重に審査を行っていた。

ANA008便サンフランシスコ行きに乗り込み、アップグレード券を使ってビジネスクラスに陣取っていた私であったが、やはり回りに怪しい輩がいないか非常に気になったため、近くのスキンヘッドの大男の挙動が怪しくないことを確認した後、酒を飲んでぐっすり眠ってしまった。

サンフランシスコ国際空港は当然のごとく、成田以上に厳戒態勢が敷かれており、いかにもテロリスト面した無精ひげを生やしていたころのマサやヤスであれば入国を拒否されていただろうと思われた。また、税関を抜けて国内線に乗り換える際に荷物の再チェックがあり、そこで2時間も並ばされた上、結局乗り継ぎのフライトが4時間遅いものになってしまった。

結局デンバー国際空港に到着したのは夜の9時を過ぎた時間帯であったため、その日はコロラド州北部のMotel6に引き払って英気を養うことにした。

9月16日(日)

大阪近鉄バッファローズの球団編成から生きのいい野生のバッファローをラチして何とか日本シリーズまでに間に合わせて欲しいとの依頼を受けていたのだが、西武、ダイエーと熾烈な優勝争いをしている梨田監督には悪いと思ったが、その話はナシだ!と断ってしまっていた。

コロラド州を北上すると程なくしてワイオミング州に入ってしまった。アメリカ北中部のワイオミング、サウスダコタ、ノースダコタ等は野生のバッファローが生き残っている土地として有名である。ほんの数百年前まではアメリカ大陸の多くの土地はバッファローの王国として数百万頭のバッファローが走り回っていたそうだが、インディアンや白人に乱獲された結果、今ではその数は数百等にまで減っているそうだ。

Wind Caveナショナルパークという小さな国立公園がある。世界には様々な洞窟が存在するが、ここにある鍾乳洞は世界で6番目の長さを誇っているということであった。ここでのアクティビティはやはり有料洞窟ツアーである。ツアーは探検の時間や難易度で価格帯は別れているが、今日は一番ベーシックな$8のツアーに参加した。トムという若手のレンジャーに先導されて洞窟のツアーが始まったわけであるが、注意事項として洞窟の壁面には指一本たりとも触れるんじゃ~ね~ぞ!とトムから注意された。もし指などが触れ人間の油が壁についてしまうと太古の昔から続いている侵食のペースが変わってしまったり、岩が変色してしまったりするそうだ。

Wind Caveナショナルパークの見所は実は地中だけでなく、地上にも多くの見所がある。

マサよ、君はプレイリー・ドッグという生き物を知っているか?

プレイリー・ドッグはイタチ+モグラ+ネズミ÷3のような小動物であるが、彼らは大平原の地中にシカゴのマフィアと同様の地下組織を形成しており、地上と地下の2重生活を送っている。外敵が近づくとおびただしい大声で奇声を発するのが特長であるが、何となく憎めない奴らである。

世界最大のウシ科動物であり、キムタクのようなロン毛をなびかせているバッファローが30頭くらいの群れを形成しているのを私のキャノンEOS-5の85mmレンズが撮らえたはずである!?学名をアメリカバイソンというこの巨大なウシは900kgに達するものもいるが本気で走ればカール・ルイスよりも早いという話である。

マサよ、君はアメリカ最強の観光地はどこか知っているか??史上最大アメリカ横断ウルトラクイズでもしばしばチェックポイントとして放送された実績があるあの4人の偉大な大統領の顔を岩に刻みつけた場所はサウスダコタ州のマウントラシュモア($8.-)という場所であり、ここに来なければアメリカに来たことにはならないと言われている聖地である。

ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルトの顔面は高さ200mあまりの山の岩面に1927年~1941年にかけて当時の最先端のテクノロジーと彫刻師の技を駆使して掘り込まれたものである。ここのファシリティはマサに一大観光拠点としての様相を呈しており、大駐車場完備、ビデオが見られるビジターセンター、レストラン、ギフトショップなどを備えている。また、ビジターセンターの外には野外コンサートも出来そうな会場があり、その日は夜8時からニューヨークテロの犠牲者の冥福を祈ると共に、このおとしまえは必ずつけてやるぜ!といったような催し物がしめやかにとりおこなわれていた。ちなみに大統領の顔は夜8時半~9時半の1時間に渡りライトアップされ、サウスダコタの夜を彩っている。

9月17日(月)

今日は朝から濃い霧がI-90ハイウエイを覆っていた。Badlandsナショナルパーク($10.-)に到着したのは午前8時過ぎであったが、濃霧のため、まわりの景色はほとんど見えない状態であった。10時を過ぎた頃からやっと霧が晴れはじめ、原始時代を彷彿とさせるような光景が姿を現し始めた。ここの地形はユタやアリゾナのような赤土ではなく、多少岩肌の色が薄いものの、起伏は何たらキャニオンのように激しく、また大平原が果てしなく広がっている様子を見ることが出来る。ここの生態系は昨日訪問したWind Caveと同じくおびただしい数のプレイリー・ドッグと200頭あまりのバッファローを生息させている。

マサよ、君は「宇宙にいるのはわれわれだけではない!」ということを知っているか?スティーブン・スピルバーグの出世作となった「未知との遭遇」の舞台であるDevils Tower($8.-)がワイオミング州にそびえているので見物に行って来た。砂の嵐に隠されているのはバビル2世の居住地であるバビルの塔であるが、Devils Towerは遡ること6000万年前の火山活動によりマグマが地中で固まり、硬い柱状の花崗岩を形成し、まわりの土地が侵食された後に硬い地層のそこだけが残ってタワー上のオブジェを形成した代物である。高さ260mあまりのタワーに毎日何人ものロッククライマーが登っており、今日も何人かが壁面に張り付いている様子が観察された。柱状の岩肌のため、縦に巨大な線が入っているように見えるが、古いインディアンの伝説によればそれは巨大な熊がタワーに登ろうとして爪で引っ掻いた後だということである。

9月18日(火)

さらに北上し、はるばるノースダコタ州にやって来た。州の南にセオドア・ルーズベルトナショナルパークというマイナーな国立公園があったのでとりあえず見に行ってきた。政治家で、自然主義者で冒険家であった第26代大統領のセオドア・ルーズベルトを記念して制定されたこのナショナルパークはPainted Canyonと呼ばれる多種多様な色彩と自然動物の宝庫として保護されている。広大な敷地には野生のバッファローや鹿、うっとおしいほどの数のプレイリー・ドッグ等が生息している。

ノースダコタ州からI-94を西に走ると程なくしてFTB史上46州めのモンタナ州に入ってしまった。モンタナ州やダコタ系の北部の州は見渡す限りの大平原であり、地平線の彼方に夕日が沈んでいく様子を観察でき、だれでもノスタルジックな気分を堪能することが出来るのだ。

祝!FTB大リーグ30球団全球場見学達成記念

                          Takeo FUKUDA    Hideo NOMO    マサ(一般人のリファレンス)

*シアトル・マリナーズ

 ‐セーフィコフィールド                ○            ○                    ×

 ‐ザ・キングドーム(爆破解体済)         ○             ×                    ×

*オークランド・アスレチックス

 ‐ネットワークアソシエイツコロシアム       ○            ○                    ○

*アナハイム・エンジェルス

 ‐エディソンフィールド                ○            ○                     ○

*テキサス・レンジャーズ

 ‐ボールパークインアーリントン          ○            ○                     ×

*ミネソタ・ツインズ

 ‐ヒューバート・H・ハンフリーメトロドーム     ○           ○                      ×

*シカゴ・ホワイトソックス

 ‐コミスキーパーク                  ○           ○                      ×

*デトロイト・タイガース

 ‐コメリカパーク                    ○            ○                      ×

 ‐タイガースタジアム(老朽化)           ○            ×                     ×

*クリーブランド・インディアンス

 ‐ジェイコブスフィールド               ○            ○                     ×

*カンザスシティ・ロイヤルズ

 ‐カウフマンスタジアム                ○           ○                     ×

*トロント・ブルージェイズ

 ‐ザ・スカイドーム                    ○           ○                      ×

*ボストンレッドソックス

 ‐フェンウエイパーク                 ○           ○                       ×

*ニューヨーク・ヤンキ‐ス

 ‐ヤンキースタジアム                 ○          ○                       ×

*ボルチモア・オリオールズ

 ‐オリオールパークアットカムデンヤード      ○         ○                        ×

*タンパベイ・デビルレイズ

 ‐トロピカーナフィールド                ○         ○                         ×

*サンフランシスコ・ジャイアンツ

 ‐パシフィックベルボールパーク           ○         ×                         ×

 ‐スリーコムパーク(老朽化)            ○         ○                          ○

*ロサンジェルス・ドジャース

 ‐ドジャースタジアム                 ○         ○                          ×

*サンディエゴ・パドレス

 ‐クアルコムスタジアム               ○         ○                           ×

*アリゾナ・ダイアモンドバックス

 ‐バンクワンボールパーク             ○         ○                             ×

*コロラド・ロッキーズ

 ‐クアーズフィールド                 ○         ○                            ×

 ‐マイルハイスタジアム(アメフト専用化)    ×          ○                            ×

*シンシナチ・レッズ

 ‐シナジーフィールド                ○          ○                            ×

*シカゴ・カブス

 ‐リグレーフィールド                ○          ○                             ×

*ピッツバーグ・パイレーツ

 ‐PNCパーク                    ○          ×                             ×

 ‐スリーリバーズスタジアム(解体済)      ○           ○                             ×

*セントルイス・カージナルス

 ‐ブッシュスタジアム                ○           ○                             ×

*ヒューストン・アストロズ

 ‐エンロンフィールド                 ○           ○                             ×

 ‐ジ・アストロドーム(老朽化)           ○            ○                            ×

*ミルウォーキー・ブリュワーズ

 ‐ミラーパーク                   ○             ×                             ×

 ‐カウンティスタジアム(解体)          ○             ○                            ×

*モントリオール・エキスポズ

 ‐オリンピックスタジアム             ○            ○                            ×

*ニューヨーク・メッツ

 ‐シェイスタジアム                 ○             ○                            ×

*フィラデルフィア・フィリーズ

 ‐ベテランズスタジアム              ○             ○                            ×

*アトランタ・ブレーブス

 ‐ターナーフィールド               ○             ○                            ×

 ‐フルトンカウンティスタジアム(解体済)   ×              ○                             ×

*フロリダ・マーリンズ

 ‐プロプレイヤースタジアム           ○              ○                            ×

9月19日(水)

I-25を一気に南下して1年ぶりにデンバーのダウンタウンに戻ってきた。ここでふとアメリカの国歌を聴きたいという衝動に駆られたため、クアーズフィールドに立ち寄った。テロの影響で一時中断されていた大リーグは今週月曜日から復活し、選手はユニフォームに星条旗を縫い付けてグラウンドに登場していた。試合前のセレモニーでは黙祷の後、選手と関係者全員がベンチ前に整列し、神妙な顔つきで国歌を斉唱し、アメリカの復活を誓っていた。

ミネアポリス行きの飛行機に乗るために試合終了を待たずにクアーズフィールドを後にし、デンバー空港へ到着した。ところが不幸にも夜8時50分のフライトはキャンセルされてしまったとの冷たい通告をチェックインカウンターで受けてしまった。マサであればここぞとばかりに大クレームの場外乱闘に持ち込みデンバーでの無料宿泊券等をせしめていたであろうが、心の優しい私は、ハイジャックで痛手を被っているU.A.をこれ以上いじめるのはかわいそうだと思ったので甘んじてスケジュール変更を受けることにした。

9月20日(木)

FTB史上47州めのミネソタ州に到着したのは午前11時前だった。ミネアポリス・セントポール国際空港は両市のダウンタウンからほど近く交通の便のいいところに立地されていた。ミネソタ・ツインズの本拠地はヒュ‐バート・H・ハンフリー メトロドームというドーム球場である。この球場の建築様式は後に東京ドームを建築した竹中工務店にも引き継がれたエアードームである。しかし、ここは東京ドームほど内部と外部の気圧差は感じさせず、回転ドアで出入りしても突風が吹いてくるようなことはなかった。ところで球場の入り口でニューヨークのテロに対する寄付金を募っており、寄付をした人にはもれなく星条旗がもらえるので大金$1をはたいてミニチュアの国旗を入手して入場した。また、財務省のマサの名前でも$10,000寄付しておいたのでボーナス時にかならず利息付で私に返済するように・・・(領収書なし)

今日は平日のデーゲームで試合も早く終わったので市街地の観光をすることにした。ミネアポリスとセントポールはそれぞれミシシッピ川をはさんだ対岸に位置しており、双子の都市として有名である。純粋なビジネス街であるミネアポリスのダウンタウンに対し、セントポールはその名前からもわかる通り、カトリック系のファシリティが数多く存在している。また、ここはミネソタ州の州都でもあり、州議事堂を中心とした街づくりがされている。

9月21日(金)

ミネアポリス・セントポール空港からシカゴ経由でダラス・フォートワース空港に2時過ぎに到着した。早速フォートワースのダウンタウンを抜け3年ぶりにストックヤードに戻って来た。ストックヤードはヒストリックなテキサスカウボーイの風情を残した観光地であり、家畜の取引所やロデオスタジアムや土産物屋のモール、カウボーイの殿堂等多くの見所がある。テキサスロングホーンというおびただしく長い角を持った地元の牛がこの地ではたくさん飼育されており、たまたまカウボーイやカウガールによる牛追いの現場を目撃することが出来た。「おら、おら、しっかり歩かんかい!もたもたしてるとその場でビーフジャーキーにしちまうぞ!!」というような罵声を発し鞭をなびかせながらテキサスロングホーンを誘導している様はマサに圧巻であった。

ストックヤードの目抜き通りにトラディショナルなステーキハウスがあったので味見をしてみることにした。$21のサーロインステーキを発注し、こころなしか裏手の方で「モ~~~、助けてくれ!!」という悲鳴を聞いたような錯覚にとらわれた数分後、おばちゃんが笑顔でステーキを持ってきた。重さ12オンスのステーキは厚さ1インチ(2.5cm)にカットされており、非常に食べ応えがあった。

テキサス・レンジャーズの本拠地はダラスとフォートワースの中間に位置したアーリントンという都市にあるボールパークインアーリントンという球場である。シアトル・マリナーズに大差をつけられ早くも優勝戦線から脱落しているにもかかわらず、今日も37,000人以上の客が入っていた。アレックス・ロドリゲスというMLBで一番の高給取りのスーパースターの47号本塁打等でレンジャーズがエンジェルスを下し、場内は興奮のルツボと化していた。試合後、球場で大花火大会があり、センターバックスクリーン上から打ち上げられる花火を見ながら、どこからともなく「U!S!A!」という大コールが沸き起こっていた。

9月22日(土)

I-45を南下して3年ぶりにヒューストンに帰ってきたと思ったらそのまま突き抜けてギャルベストンまで来てしまった。テキサス州南のリゾート地であり、メキシコ湾に面しているギャルベストンの海は相変わらずウーロン茶色をしていたのが印象的であった。

ヒューストン・アストロズの本拠地は1965年に建立された最古の屋根付き球場であるジ・アストロドームであった。しかし、老朽化と時代遅れのため、ア軍は新球場であるエンロン・フィールドを2000年にオープンさせていた。ここの球場の特長は開閉式屋根付き蒸気機関車付き天然芝のスタジアムであるということであるが、ア軍の選手がホームランを打ったりすると球場の左中間に備え付けの機関車が汽笛を上げて疾走する仕掛けになっている。

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というわけで今回の強行軍により、FTBはMLBの30球団のすべての球場を制覇することに成功したことに相成りました(冒頭の表を参照)。これは民間人ではHideo Nomoに次ぐ快挙と予想されるので間違いなくマサより賞金100万円と金一封が授与されることになります。

FTBサマリー

総飛行機代:\208,440(内\110,000分はANAご利用券使用+アップグレード、マサであれば\60万くらいかかるであろう)

総宿泊費:$370.89

総ガソリン代 : $127.54

総レンタカー代:$572.27

総走行距離:2,861マイル

総轢き殺しそうになった鹿の総数:1頭

今後のFTB活動予定

*地球環境問題をカンガルーと一緒にカンガエルー、オーストラリアツアー

FTB第3次MLBツアー

日本で有数のメジャーリーグベースボールの評論家として名高い私の元にベースボールマガジン社やプロ野球ニュースから毎日のようにヘッドハンティングの電話がかかってきているのは皆様もご存知の事だと思います。このような状況を鑑みて、この度GWの連休を利用してFTB主催のMLBツアーを敢行することにいたしました。尚、類似のツアーがJTBほか大手旅行代理店から発売されておりますが、FTBのツアーとは一切無関係です。

4月28日(土)

GWの初日ということで成田空港第二ターミナルは大変な賑わいを見せていた。何とかチェックイン、出国を済ませた後、ANA012便、B777機に乗り込み、イチロ、シカゴを目指した。気が付けばシカゴオヘア空港に登場するのは今年早くも4回目を数えるベテランになってしまっていた。

早朝の8時半頃シカゴに到着し、早速空港でレンタカーを借りてハイウエイを北上し、ウィンスコンシン州のミルウォーキーに向かった。1年半ぶりに訪れたミルウォーキーで窓を全開にして運転しているとどこからともなくホップの香りが漂ってくる。そう、ここはアメリカの3大ビールメーカーの1つであるミラーの城下町である。

マサよ、君は1日に3人の日本人大リーガーを見たことがあるか?

ということで第3次MLBツアーの第一弾はここミルウォーキーから始まった。ミルウォーキー・ブリュワーズの本拠地は昨年まで歴史と伝統のあるカウンティスタジアムであったが、老朽化のため、今年から、天然芝、開閉式ドーム球場であるミラーパークをオープンさせた。一昨年あの野茂も在籍していたミルウォーキーはモントリオール・エキスポズを迎え1時5分にプレーボールとなった。試合はミルウォーキーの3番ジェフ・ジェンキンズの3打席連続ホームランなどで大量リードを奪い4万あまりの観客を興奮のルツボに陥れていた。敗色濃厚のモントリオールは7回から吉井を投入した。吉井は味方のまずい守備で招いた1死満塁のピンチで4打席目のジェンキンズを迎え、この時球場はこの日一番の盛り上がりを見せていた。しかし、吉井も浪速のど根性で投げた渾身のフォークボールでジェンキンズを三振に打ち取り、続く4番のリッチ-・セクソンも凡打に打ち取り何とかピンチを0点で切り抜けることが出来た。

吉井の活躍を確認して、ミラーパークを後にし、イチロ、シカゴへの帰路を急いだ。シカゴ・ホワイトソックス対シアトル・マリナーズの第2戦は午後6時5分からコミスキーパークでプレーボールの予定なので急がなければならなかった。

シカゴホワイトソックスの本拠地コミスキーパークに到着したのは試合開始前30分くらいだった。早速ボールパークパーキングに車を止めてチケットカウンターへ向かった。前売り券を買ってなかったのでコミスキーパークのチケット売り場のおね~ちゃんに混ミスギ~!と言われて入場を拒否されたらシカゴくんだりまで来た意味が無くなってしまうと心配していたが、何とかライト側のボックスシートを入手することが出来た。

球場内のライトスタンド近辺はジャパンタウンと化し、シカゴ中のすべての日本人がイチローの登場を今か今かと待ち構えていた。振り子打法を卒業し、大リーグ仕様の打法に切り替えたイチローの登場で幕を開けた試合であったが、開始直後、ミズノプロ、イチローモデルの黒バットが一閃すると打球は鋭くセンター前に抜けていき場内は歓声とブーイングの嵐に包まれていた。

マサよ、君はシアトル・マリナーズの勝利の方程式を生で見たことがあるか?

私は・・・・・見た!!!

というわけでその日のイチローは芸術的なバットコントロールで6打数3安打の好成績を残し、守ってはグラブ作りの天才、坪田名人特製のグラブを華麗にさばき、またレーザービームアームと称されるその強肩を存分に披露し、シカゴ市民の度肝を抜いていた。試合は8対5でシアトルが3点リードした9回裏大魔神がシカゴの攻撃を3人で退け、今期早くも13セーブ目をあげたのであった。

4月29日(日)

この日、日曜日はデーゲームであった。昨日のナイターの熱戦にもかかわらずイチローはマリナーズ選手の中で一番早くグランドに姿を現し、入念にウォーミングアップを行っていた。試合は結局延長14回を戦い、シアトルはサヨナラ負けを喫してしまった。今日のイチローは6打数1安打2三振と当たってなかったものの盗塁を1つ決め、相手バッテリーを恐怖のどん底に突き落としていた。

結局まる2試合イチローの一挙手一投足を観察することが出来たわけであるが、まず感じたことは、イチローはすでにメジャーで10年くらい飯を食っているような雰囲気と実力を兼ね備え、味方からは尊敬され、相手からは恐れられている存在であるということだ。しかし、今後数多くの刺客がイチローを倒そうと牙を研いでいるのでまだまだ予断を許さない状況であることは確かである。

4月30日(月)

4月も今日で終わりということで一足先に夏のリゾート気分を満喫するために、シカゴからマイアミまで足を伸ばすことにした。寒さの残るシカゴから2時間55分のフライトで蒸し暑いマイアミ国際空港に到着したのは12時を回ったころだった。早速レンタカーをピックアップして向かった先はマイアミから160km先のアメリカ合衆国最南端のキーウエストというところである。キーウエストは東西約5.5km、南北約2.5kmという小さい島でマイアミよりもキューバの首都ハバナに近いという地理的条件を持っている。

ここで必ず訪ずれなければならないのはなんと言ってもサザンモストポイントである。ここにはキューバまで90マイル、米国最南端の地と書かれたオブジェがあり、観光客にとって絶好の記念写真ポイントである。ところでキーウエストと言えば、文豪アーネスト・ヘミングウエイが1931年から8年間過ごした地として有名である。へミングウエイに言わせるとここには老人と海だけしかないということになってしまうが実際にはバケーションを楽しんでいる若者で大変な賑わいを見せている町である。ヘミングウエイが住んでいた家が博物館として保存されているので見に行こうと思っていたが、5時で閉館だったため、中に入ることが出来なかった。私も将来「老人とマサ」を執筆して芥川賞を狙うためのノウハウをぜひとも身に付けたいと思っていたので大変無念であった。

夕暮時に釣場でのんきに釣糸をたらしている若者がいた。彼の表情には今日の釣果が芳しくなく焦燥の色が浮かんでいた。しかし、私が来てほどなくすると彼のロッドがいきなり大きくしなり始めた。これは大物だ!!と誰しもが期待の表情を浮かべた。リールを巻いては引き、巻いては引きの激闘を繰り返した結果、若者が吊り上げたものは体調30cmはあろうかと思われる巨大な?シュモクザメであり、観客もいっせいに興ザメしてしまった。心の優しい若者はシュモクザメが食いついて離さない釣り針をペンチを使って強引に取り去り、記念撮影に応じた後、血だらけになったあわれなシュモクザメをエメラルドグリーンの海にリリースしやがった。

5月1日(火)

マイアミからキーウエストの道のりには点在する島を結んだChannelというたくさんの橋がかかっている。中でも一番有名な橋はあたかも海の上に浮かんでいるような錯覚を覚えるセブンマイルズブリッジという約7マイルにも渡る長い橋である。もちろんこの橋の両サイドはサンゴ礁輝くエメラルドグリーンの海である。

さて、キーウエストでリゾート気分を十分満喫し、脳みそも溶けそうな状態になっていたので気を取り直してフロリダ半島最南端にある国立公園であるエバーグレースナショナルパークへ向かった。高温多湿のフロリダ半島南部には広大な湿地帯が広がっており、多くの熱帯植物や野生動物の宝庫となっている。公園のシャークバレーのビジターセンター($8.)に入場し、早速園内の探検に向かうことにした。この場所のアトラクションはトラムツアー($10.)かレンタルバイク($4.75/hr)で湿原内のはるかかなたの展望台がある場所まで進むことが出来ることである。

エバーグレースはアリゲーターやクロコダイル、スッポン等の亀類や各種鳥類の宝庫として有名であるが、ここシャークバレーの川沿いの道筋を進めば野生のアリゲーター等の姿を間近で見ることが出来るのだ。私も早速レンタルバイクを借りようと思い、バイク屋のカウンターに向かった。そこにいたワニを寝技に持ち込んでもフォール勝ちしそうな頑強なおね~ちゃんがレンタルする際に次のような注意事項を教えてくれました。ここのバイクはハンドルにブレーキが付いてなく、ペダルを後ろに回すとブレーキがかかるようになっている。また、ワーニングと書かれた自己責任の覚書のような書類にサインまでさせられ、バイクで転んで怪我をしてもワニに食われても責任を取ってやれないので心して行動するようにと言われた。ちなみに、今まで川に落ちてスッポンに服を剥ぎ取られてスッポンポンになった観光客がいたのかどうかは定かではなかった。

ジャニーズ事務所所属のV6のヒット曲「ワニなって踊ろう」を歌いながら、早速バイクに跨り、湿地帯に向かった。数メートルほど進むとそこらじゅうでアリゲーターが昼寝をしており、マサにハンドバッグメーカーの材料のバイヤーにとってよだれの出そうな状況であった。トラムおよびバイクのトレイルは異常に長く、中野浩一と同等の脚力を持つ私であっても最深部の展望台まで到達するのに1時間を要してしまった。展望台から見渡すと眼下にはアリゲーターと亀の住む沼、遠くには広大な湿地帯が大きく広がっていた。

展望台の近くの乾いた場所で巨大なスッポンを発見した。私も疲労がたまっていたので思わずスッポンの首にストローを突き刺して生血でもすすってやろうかと考えたが、このスッポンは産卵のための穴掘りで忙しく、かまってもらえなかったので見逃してやることにした。

フロリダ・マーリンズという新鋭の球団がマイアミ北部に本拠地を構えているのでプロプレイヤースタジアムまで見物に行ってきた。今日の相手は強豪セントルイス・カーディナルスであったが、主砲マーク・マグワイヤを右ひざの故障で欠くカーディナルスの打線は迫力に欠けるものがあった。このスタジアムはNFLのマイアミ・ドルフィンズとの共同使用になっており、45,000人ほどの収容人員を誇るが、リゾート地まで来てスポーツを見に来る輩は非常に少なく、今日の観客は千葉ロッテマリーンズと同等レベルであった。しかし、ラテン系の血を引き継いだ観客の熱狂ぶりはすさまじく試合に勝ったマーリンズに歓喜の声援を送っていた。

ところでマサよ、アリゲーターを見て思い出したのだが、以前ワニブックスからFTB写真集を自費出版するために君の以前の職場であった500円玉製作所から500円玉の横領を頼んでおいたが、未だに「お~了解した!!」という返事をもらってなく、うやむやになってしまっているのはどういうことだ!!

5月2日(水)

朝6時半のUA便でマイアミからアトランタまではるばるやって来た。ここアトランタはジョージア州の州都というよりはアメリカ南部の首都といえるほど巨大な都市である。そろそろスターバックスを飲み飽きた頃でもあり、本場ジョージア州で「明日があるさ♪♪」を歌いながらジョージアコーヒーを飲んでほっ!としたいと考えていたのだが、そんなものは売っているはずもありゃしなかった。

空港からレンタカーで市内のハイウエイに繰り出すと車線が7車線もあり、しかも7車線とも混んでいるという恐ろしい状況を見てしまった。ともかくこの渋滞を抜けてI-75を北上し、イチロ、シンシナチへの道を急いだ。テネシー州とカーネルサンダースの故郷であるケンタッキー州を抜け、8時間程度走るとシンシナチに到着した。シンシナチ・レッズの本拠地シナジーフィールドはオハイオ川の川辺に位置しており、川を越えると隣はすぐケンタッキー州である。シンシナチ・レッズにはケン・グリフィーJr.というスーパースターがいるが、残念ながら彼は現在故障中で試合に出ることは出来ない。対ロサンゼルス・ドジャーズとの試合は7時5分にプレーボールとなった。今日の見所はMLBでもトップ5に入る投手であるLAのケヴィン・ブラウンのピッチングである。彼は最速99マイルのファストボールと96マイルの微妙に変化するムービングファストボールを巧みに操り、レッズの打線を封じ込め、LAに勝利をもたらせた。

5月3日(木)

今回のMLBツアーでは残念ながら、マーク・マグワイヤ、ケン・グリフィーJr.といったスーパースターを見ることが出来なったが、MLB最強のスーパースターであるバリー・ボンズがピッツバーグにやって来るということでさらに5時間北東に移動して見に行ってきた。ペンシルバニア州に入り、What a feeling ?の感覚が強くなり始めたころ、「フラッシュダンス」を生み出したピッツバーグの地に入ったことを実感させられた。

ピッツバーグ・パイレーツの本拠地PNCパークは今年オープンした新球場であり、外野側に高層ビルの景観を取り入れた都市型スタジアムである。ここはパイレーツの本拠地であるため、ナイスバディの球審も前かがみでひざに手をおいたポーズでストライク・ボールの判定を行っており、心なしか球審のコールも「ストライクだっちゅ~の!」、「ボールだっちゅ~の!」と響いていたような気がした。

今日パイレーツと対戦するサンフランシスコ・ジャイアンツにバリー・ボンズという最強のスーパースターがいる。彼は先日500号本塁打を放ち、盗塁もあと20数個で500盗塁を数えるほどの走攻守にバランスの取れたプレイヤーである。ボンズは1回の表に回ってきた1打席目にいきなりライト場外に13号本塁打を放ち、1個$9のボールを川に沈めてしまった。彼はその後、2打席目、4打席目もヒットを放ち、そのスーパースターぶりを如何なく発揮していた。

さて、試合の方は9回の表に最大の盛り上がりを見せていた。ジャイアンツの攻撃は2アウトながらランナー1,2塁でバリー・ボンズを迎え、1打逆転のチャンスであった。ところで、ふとブルペンに目をやるとジャイアンツの投球練習場で背番号31番、長身から独特の2段モーションで投げ下ろす大男が投球練習を始めていた。「あれはジャイアンツの守護神ロブ・ネンだ!!」ロブ・ネンは現在のMLBで102マイルという最高速の速球を投げる絶対的な抑えの切り札である。結局ボンズは四球を選び、打順は昨年のナショナルリーグMVP男、4番のジェフ・ケントに回った。ロブ・ネンの投球練習にさらに力が込もったころ無常にもケントのバットが空を切り試合終了となった。

この光景を目にしたロブ・ネンは「満塁のチャンスに4番やのになんで三振すんネン!、わいのいままでの投球練習は何だったちゅうネン!!」とでも言いたげな無ネンの表情を浮かべて勝利のハイタッチを繰り返すパイレーツナインを横目にグランドを去って行った。

5月4日(金)

早朝5時に常宿のMotel6を抜け出し、イチロ、アトランタへの帰路を急いだ。FTB伝統のペンシルバニア、ウエストバージニア、バージニア、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ、ジョージアの5州ぶっちぎりで走法でアトランタにわずか12時間で帰ってくることが出来た。

1996年に開かれた夏季オリンピックを記念して聖火台を奉ってあるFulton Countyの近くにターナーフィールドがある。ここは当時のオリンピックのメイン会場であり、その後改装されて現在はアトランタ・ブレ-ブスの本拠地球場に生まれ変わっている。

マサよ、君はトマホークチョップをやったことがあるか??

アトランタ・ブレ-ブスの象徴はトマホークという石斧であり、ブレ-ブスがチャンスを迎えるとトマホークチョップと言ってスポンジ製のトマホークを上下に振らなければならない。しかもこれをやらないとアトランタで市民権を得られないほど重要な作業であるので私も早速トマホークを購入($6.-)した。セントルイス・カーディナルスと対戦したブレ-ブスは打線に当たりがなく苦戦を強いられていた。結局この日トマホークチョップが炸裂したのはたった3度だけで、試合の方も残念ながらブレ-ブスが惜敗してしまった。

トピックス

*ウイルソングローブデイ

 運道具メーカーのウイルソンが主催するウイルソングローブデイがミルウォーキーのミラーパークとシカゴのコミスキーパークで行われていた。これは少年少女の入場者にグローブをただで配るというたいへんお得なイベントである。高年のためグローブを受取る資格のないマサであれば純粋な野球少年を脅してでも手に入れていたであろうと思われた。

*最新レンタカー情報

 今回3つの空港でレンタカーを借りた。ハーツゴールドクラブという高級会員の私に対して、2つの空港で新車を貸し与えられたわけだが、その新車のカーステはカセットがなく、MD/CDのデジタル仕様であったため、日本から持参したELTが聞けないという屈辱を味わってしまった。従って、今後ミュージックソフトを持参するときはアナログとデジタル両方を準備しなければならない。

FTBサマリー

総飛行機代   \260,180(そのうち\90,000分はANA御利用券を使用)

総宿泊費    $342.28

総レンタカー代 $525.30

総ガソリン代  $129.80

総走行距離   2,437マイル

総スピード違反反則金 $0.00

今回訪問した州 イリノイ、ウィスコンシン、フロリダ、ジョージア、テネシー、ケンタッキー、オハイオ、ペンシルバニア、

                         ウエストバージニア、バージニア、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ(以上12州)

今後のFTBの予定は夏休み特別企画!MLBツアー完結編「4ヵ月後のイチローの成長の軌跡を追え!、新庄はまだ生き残っているか!?」をお送りするかも知れません。

FTBJ道東ツアー

マサよ、君は日本の狭い国土の中で地平線を拝んだことがあるか?

私は・・・ある!!!

ということで日々の雑務に追われ、疲れた心身を癒すために広い道でもドライブしようと思ったのでとりあえず、ANA741便に飛び乗って道東の釧路に向かうことにした。

4月14日(土)の午前中に晴れ渡った釧路空港に着陸し、早速ニッポンレンタカーで小型車を借りて釧路を代表する釧路湿原国立公園に向かった。ここは昭和62年7月31日に指定された日本で28番目の国立公園であり、ここに来なければ北海道に来た意味がないといわれているほどすばらしい場所である。空港から15分ほど離れたところに釧路市湿原展望台(¥360)という場所があり、ここから釧路湿原の全景を見渡すことが出来る。ここでの最大の見所は何も見所がないところである。以上!

釧路方面から北上して弟子屈を抜け、昼過ぎに摩周湖に到着した。摩周湖はたくさんの神々が住む神秘の湖としておそれられており、また霧が濃く滅多にその全景をあらわすことはない。しかし、私の日ごろの行いの良さも手伝ってか、この日の空は青く晴れ渡り、凍てついた湖の全景を見渡すことが出来た。

摩周湖を後にし、さらに北上を続け、道東の観光名所の1つである硫黄山に到着した。ここはわずか標高500Mほどの低い山であるが、山の各所から水蒸気を伴ったイオウが噴出しており、一種イヨウな雰囲気を醸し出していた。ここで卵売りの老夫婦と出会った。かれらは火山の地熱を利用して蒸し卵を大量生産しており、5個入り400円の高値で観光客に売りつけていた。卵が腐った臭いのする空気の中で食う出来たての蒸し卵はここでしか味わえない格別な味がした。

マサよ、君はクッシ-という怪獣を知っているか?

ネッシーはネス湖、イッシーは池田湖、メッシ-やアッシーは六本木等で見かけることが出来るが、このクッシ-は屈斜路湖で数々の目撃談が報告されている巨大な水生生物である。屈斜路湖は火山の噴火により陥没して出来た日本最大のカルデラ湖であり、この時期はシベリアから飛来してきた白鳥が湖岸近くの氷上にたたずんでおり、大変な賑わいを見せていた。また、ここの湖畔は砂湯と呼ばれ、砂を掘るとお湯が湧き出すという世にも恐ろしい光景を目にすることが出来る。

屈斜路湖からクッシ-街道を抜け、数10キロの山道を登ると美幌峠という風光明媚な峠に到着した。ここから屈斜路湖の全景を見下ろすことが出来、最初にクッシ-が目撃されたのもこの峠であると記録されているそうだ。

この日は道東で最大級の温泉郷である川湯温泉の国民宿舎、川湯パークホテルで強酸性の温泉に浸かり日頃の垢を根こそぎ削ぎ落とすことに成功した。

4月15日(日)の早朝に宿舎を後にし、その足で阿寒湖に向かった。残念ながら阿寒湖ビジターセンターは改装中のため、入ったらアカンと言われてしまったが、雪で埋まった湖岸の散歩道を歩いていると火山性地形が生み出すボッケといわれる泥がボコボコと噴出す光景や名物のマリモを育む湖が分厚い氷で覆われた光景を見ることが出来た。

阿寒湖から釧路への帰り道に阿寒国際ツルセンター(\400)というファシリティを発見したので立ち寄ることにした。日本には3種類の鶴(ナベヅル、マナヅル、タンチョウ)が生息しており、いずれも絶滅の危機に瀕しているそうだ。3種類のうち1年中日本にいて子育てをするのはタンチョウだけであり、このタンチョウは日本の特別天然記念物として保護されており、財務省で不遇な生活を送っているマサよりも手厚く扱われているとパンフレットにうたってあった。ここでの見所は冬場の餌の少ないときに給餌を行うため、多くの野生のタンチョウが飛来し、その優雅な姿を拝むことが出来ることである。しかし、今の時期は給餌をやっていなかったために野生のタンチョウを見ることは出来なかったので養殖もののツガイで我慢せざるを得なかった。

空港に帰る途中に史跡北斗遺跡という看板が目についたのでどんなところか見物に行ってきた。ここは旧石器時代から縄文・続縄時代を経て擦文時代に至る重複遺跡である。釧路湿原を望む台地上に、縄文・続文時代の浅い円形・楕円形竪穴102軒、擦文時代の四角形竪穴232軒がくぼんだ状態で残されている。「最近ヒグマが目撃されたので注意しやがれ!」という看板を横目に見学コースの山道を進むと復元され、葦で屋根が葺かれた竪穴式住居のモデルハウスを目にすることが出来、東京に帰ってセキスイハウスや三井のリハウスに対して自慢話が出来ると思った今日この頃である。

次回のFTBは予備校生と行く第3次MLBツアー、イチローまでは許してね!をお送りする予定です。

キャピタルFTBツアー&Mission Possible

マサよ、君は空港閉鎖のため、空港のラウンジで2時間以上も待ちぼうけを食わされたことがあるか?

私は・・・・・・ある!!

ということで21世紀初の本場アメリカからのFTBレポートを首都ワシントン、および燃える闘魂サン・アントニオからお届けすることが出来、非常に嬉しく思っている今日この頃です。

3月4日(日)雨上がりの成田空港に便出発時刻の2時間前きっかりに到着し、順調にチェックイン、両替、出国検査等の雑務をこなし、UAのラウンジであるレッドカーペットクラブでインターネットの接続トラブルを解決するために格闘していた私に非常なアナウンスが鳴り響いた。それは折からの雷雨により、成田空港が1時閉鎖され、成田着陸便がすべて羽田に変更になったため、機体を羽田から成田に移動しなければならない。したがってどの便もこの便も2時間から3時間出発が遅れやがるという容赦のない仕打ちであった。しかしながら、この貴重な2時間の遅れが、AOL Netへの接続成功という好結果をもたらし、なんとか文明開化した状態でUA882便,B747-400機に搭乗することが出来た。

シカゴオヘア空港の税関はおびただしい数の旅客でごった返していた。ここオヘア空港ではマサのような怪しい輩が税関を通過しようとすると容赦なく別のオヘヤに隔離されてアル・カポネやロバート・デニーロのようなこわもての係員に厳しく尋問されることで有名であるが、アメリカ各地の訪問歴が豊富でケヴィン・コスナー同様アンタッチャブルの称号を得ている私は顔パスで通過することが出来た。シカゴを6時半ごろ発ち、ワシントンダレス空港に到着したのは夜10時を過ぎた時間だったのでその日はとっとと空港の近くのホテルに引き払ってふて寝を決め込んだ。

翌3月5日(月)、目がさめて窓の外を見るとあたり一面銀世界で猛吹雪が吹き荒れていた。7ヶ月ぶり3回目のワシントン訪問の実績を持つ私にとってはマサに最高のコンディションとなり、先日の北の国ツアーで会得した寒さ対策が早くも功を奏した形となった。

ところで今回のワシントン訪問目的であるが、本来であればワシントンの象徴キャピタルこと国会議事堂に乱入し、ブッシュ大統領をプッシュして日本にはびこる官僚制度を撤廃させるための外圧をかけさせることであったろうが、今回は残念ながら重要な会社の仕事を遂行するために特別に派遣されたため、官僚など相手にしている暇はなかった。

その日の午前中は会社のオフィスをはしごして仕事をこなした後、夕方に某社団法人のお客さん並びに5月に実施される某視察ツアーのマネージメントをしている旅行代理店の人と会う約束をしていたので6時に宿泊先のヒルトンホテルで落ち合って寿司太郎というワシントンを代表する寿司屋に向かった。北島三郎に言わせるとちらしずしならすし太郎ということになるのであるが、やはり、アメリカの寿司屋では限界があり、味の方もすし太郎プラス永谷園のお吸い物をしのぐことは出来ない様子であった。

3月6日(火)は在ワシントン日本大使館の訪問や日本商工会議所の会長に挨拶をしに行ったりして多忙な時間を過ごすかたわら、一行は隙を見てジョージタウンを見学した。アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの名を冠したこの町は世界中のジョージの憧れの的であり、山本譲二、所ジョージ、柳ジョージとレイニーウッド、マイケル・ダグラス(危険な情事!)等がこぞって訪れたがるほど有名な地域である。ここでは1792年に設立された伝統あるジョージ・タウン大学を訪問した。この大学はアメリカでも有数の由緒あるクリスチャンの大学である。都心部に位置しているため、キャンパスは狭いものの石とレンガで建造された校舎や教会等があり、また南北戦争で使用された大砲などが正門の前で鈍い光を放ちながらさる然と輝いていた。

3月7日(水)はワシントンのダウンタウンとダレス空港近辺のシマンテックのRestonオフィスを往復しながら複数のミーティングをこなさなければならなかった。ところで、アメリカの都市作りの特長は政治と経済がきれいに切り離されていることであり、もちろん政治の中心はここワシントンDCである。しかし、近年IT産業が東海岸を中心に成長していることもあり、Restonのようなワシントン近郊もハイク都市として生まれ変わろうとしている様子がはっきりと見て取れた。

3月8日(木)に帰国予定の客をホテルで見送ったあと、再びヴァージニア州にあるRestonオフィスに行った。打ち合わせ終了後DCを超えてメリーランド州Rockvilleのオフィスに行く用事があり、その間の時間を利用してダウンタウンの視察を行った。ダウンタウンを車で流しているとホワイトハウスの見学待ちの列が短いことを発見したのですかさず車を止めて列に加わることにした。ホワイトハウスのツアーは観光シーズンには入場規制があり、整理券を入手するために朝5時から並ばなければならないほど価値の高いツアーであるが、今週は寒気団の影響からか観光客が非常に少なかったため、10分程度の待ち時間で中に入ることが出来、FTBの2年越しの念願を成就することが出来た。今後マサが奇跡的な出世を遂げ、ホワイトハウスに招待されたときに緊張のあまりトイレが近くなった時のことを考えてホワイトハウス内部のレイアウトを頭にたたきこんでおこうと思っていたが、ツアーのコースでは建物の一部しか案内してもらえなかった。また、建物の内部に土産物屋があり、3月14日も近いということでホワイトハウスのアーキテクチャを型どったホワイトチョコレートを大量に買い付け、「白い変人」というパッケージでグリコや森永に高値で売りつけ、怪人21面相事件で被ったダメージの回復に少しでも寄与出来ないかと考えたが、きつね目の男の陰謀のせいか、まだ商品化にはいたっていないということであった。しかしながら、見学コースのいたるところで歴代大統領の肖像画を見ることが出来、また白を基調とした内装のすばらしさを十分堪能することが出来たのでそれなりのツアー的価値はあったのではないかと思われた。

その後DCのランドマークタワーであるワシントンモニュメントのふもとからナショナルモールと呼ばれている広場に移動した。ここは東京ドームが数個入るほど広い広場で左右をワシントンモニュメントと国会議事堂、前後をスミソニアン博物館群に囲まれた市民と観光客の憩いの場であり、たくさんの餓鬼どもが歓声をあげて走り回っている様子が目に出来るところである。

その日の夕方から夜にかけてワシントンからシカゴを経由してサン・アントニオに大移動しなければならなかった。5時37分発のシカゴ行きの飛行機は乗客の搭乗も順調に終了し、定刻通りに出発するかに見えたが、何と直前になっていきなり1時間半ほど遅らせるという衝撃的なアナウンスが機内をかけめぐった。その結果シカゴでの乗り継ぎ時間が無くなり、出発直前の飛行機のドアを無理やり開けさせて何とかサン・アントニオ行きの便に搭乗することが出来たのであった。

離陸して約2時間後に機内オーディオから流れる音楽がボンバイエのリズムを刻み始めた頃。燃える闘魂の地に入ったことを実感させられた。夜中の11時前に空港のBaggage Claimのところで荷物が出てくるのを待ち構えていたが、案の定、私の荷物は出てこなかったので「これはいったいどういうことなのか?」と係員のおね~ちゃんに問い合わせたところシカゴ空港からの連絡で荷物の到着は明日の昼過ぎになるとの冷たい返事であった。一瞬ロープに飛ばしてコブラツイストから卍がための連続技に持ち込んでやろうかと思ったが、残念ながらそこまでの体力は残されていなかった。

空港近くのヒルトンホテルにチェックイン出来たのは12時を回った時間であった。荷物が無く着替えもなかったのでホテルに備え付けの「闘魂」という刺繍をあしらった風呂上りに着るガウン等がないか探しまわったが無常にも発見することは出来なかった。

3月9日(金)、サン・アントニオオフィスでのミーティングの前に多少時間的余裕があったのでテキサスを代表する遺跡であるThe Alamoを見物した。今回は2年4ヶ月ぶり3回目のサン・アントニオの訪問であったものの今までキリスト教の伝道所であるミッションへの訪問を果たしていなかったため、この機会を利用して何とか見に行ってやろうと考えていた。サン・アントニオ デ ヴァレロ、アラモは元来伝道者やインディアンからの改宗者のよりどころとして君臨していたが、1835年にはテキサス革命の重要な拠点となり、翌1836年には多くの兵士達が犠牲となった血塗られた歴史的過去を持つ聖地である。この日のThe AlamoはCultural visitをしていると見受けられるたくさんの小中学生たちで大変な賑わいをみせていた。彼らは引率の先生のオリエンテーションの後、思い思いの場所で嬌声を発し、メモを取ったりしながらテキサスの歴史を学習していた。この機会を利用して日本のプロレスエンターテイメントが誇る勝利の雄叫び「いち、に、さん、ダー!!」を教えてやろうかとも思ったが、もったいないのでやめておいた。

午後の打ち合わせが終わり、夕方には多少時間が取れたのでSan Antonio Mission Visitor CenterとMission San Joseに何とか滑り込むことが出来た。歴史的なMissionの建築様式を色濃く残しているMission San Joseはまだ現役の教会として使用されているらしく改装された内部には張り付けにされたイエス・キリストの像が奉られている懺悔室と化していた。但し、懺悔の後の判定で×が出された時に水をかけられるかどうかはまでは確認出来なかった。

3月10日(土)

3たびシカゴオヘア空港を経由して帰国し、流れ解散・・・

トピックス

*ワシントンDC都市づくりの特長

 DCの象徴キャピタルの住居表示には番地がない。なぜならDCはキャピタルを中心に街づくりがされているからだ。また、景観規制によりキャピタルより高いビルを建てることを禁止されているため、町は広々としており、ゆったりとした気分で観光が楽しめるのである。

*ハブ空港

 ハブと言えば噛まれたら2時間以内に死ぬような猛毒を持つ沖縄ヘビを想像するかも知れないが、ここアメリカでは自転車のタイヤのホイールを構成するハブ&スポークに例えられ、どの航空会社もハブ空港を中心として地方都市に飛行機を飛ばしている。UAのハブ空港はデンバー、シカゴであり、アメリカンはダラス・フォートワース、デルタはソルトレイクシティと言った具合である。この構成の特長は地方都市から地方都市に飛ぶ場合、例え遠回りであっても一旦ハブ空港を経由して乗り継ぎをこなさなければならないということであり、おかげで今回の出張で来たくも無いシカゴに3回も寄らされた屈辱を味わった。

今後のFTB予定

*第3回MLBツアーin シンシナチ&アトランタ

*イエローストーン国立公園バッファロー捕獲ツアーfor梨田監督(大阪近鉄)

FTBJやくしまるひろ子推薦やくしまルンルンツアー

都会は秒刻みのあわただしさで、恋もコンクリートのかごの中の生活に少し疲れたので怒涛の2週連続FTBJを南国鹿児島県屋久島からお伝えすることにします。

2月10日(土)6:30発ANA241便、B767-300機に乗り込み、一路福岡空港を目指した。博多から西鉄高速バスに乗り換え鹿児島市内に到着したのはお昼を過ぎた頃だった。FTBの社訓第1条FTBのFはFlexibilityをあらわすことは先週説明したが、第2条FTBのTはTairyoku(体力)をあらわすため、鹿児島直行便ではなく、わざわざ福岡に飛んで厳しい高速バス(\5,300)を使った次第である。今回ANAのご利用券が大量に残っていたため、マサであれば¥66,000くらいかかっているところをわずか¥3,000で東京-福岡の往復航空チケットをゲットすることが出来た。ちなみにFTBのBはBinbou(貧乏)をあらわすとはまだ誰からも言われたことはない。

鹿児島港からトッピ-(\7,000)というジェットフォイルで屋久島を目指した。トッピ-とは大分空港から大分市内を往復しているホーバークラフトに匹敵する、海上を高速で航行することが出来る乗り物で翼走速度45ノット(83km)で滑走する鹿児島商船が誇る最強の乗り物である。トビウオのように海を飛ぶことからトッピ-と名付けられているこの船はウオータージェット推進システムという技術を使い、前後の水中翼で船体を海上から1.5~1.8m浮上させて走るため、全く揺れを感じることがないのである。

鹿児島埠頭でもくもくと噴煙を上げる桜島を見上げながら、飛行機のキャビンを彷彿とさせるトッピ-に乗り込むと途中種子島を経由して2時間半ほどで屋久島の安房港に到着した。今日は着いた時間が遅かったのでバスで屋久島温泉まで移動してしなびた国民宿舎の温泉宿に引き払った。

翌日曜日、バスに乗り、玉置浩二の「田園」を思わせるような光景を見ながら再び安房まで戻り、ニッポンレンタカーでカローラを借り、荒川地区の屋久島自然休養林を目指した。30分くらい山を登ると屋久島を代表する杉の1つである紀元杉に到着した。この杉は推定樹齢3,000年、胸高周囲8.1m、樹高19.5mを誇る観光客が手軽に見られる屋久杉としては最大、最長寿の物であり、訪れる人を太古の世界に誘ってくれる。観光客がきげんよく紀元杉と記念写真を撮っているのを見物した後、来た道を6kmくらい戻り、ヤクスギランド(\300)に入ることにした。ここは標高1300mの高さに位置し,樹齢数千年の屋久杉を含む原生林を容易に鑑賞出来る地域であり、風の強い日には杉花粉が沢山飛び交う花粉症の人には最適の自然公園である。ここには観光客の体力に応じて30分から150分のトレイルが設けられている。マサであれば鼻水ダラダラ涙ボロボロの状態で屋久島の環境を害していたであろうが、アレルギーをエネルギーに変換する体質改善に成功している私は難なく150分コースを短時間で制覇することに成功した。

ここヤクスギランドには母子杉、仏陀杉、三根杉等さまざまな名物杉があり、観光客の目を楽しませてくれる。しかし、傷ついてすきま風が吹いている良太郎(杉)のような演歌系の杉が中年のおばちゃんに囲まれてないか流し目で探し回ったが、とうとう見つけることは出来なかった。また、ここは日本でも杉の殿堂として名高く、月に向かって本塁打を量産した元ヤクルトの大杉(故人)や要らなくなったオメガトライブをカルロス・トシキに押し付けてさっさとソロ活動を始めやがった杉山清貴等名前に杉のつく有名人がたくさん訪れているそうである。

ヤクスギランドで森林の成分を吸収したあと、縄文杉登山の入り口である荒川ダムに向かった。1993年にユネスコの世界遺産に登録されている屋久島を代表する杉が世界最長の樹齢7,200年を誇る縄文杉である。しかし縄文杉が生えている場所までの道りは往復21kmの本格的登山になり、一般の観光客が目にするにはそれなりの準備と腹積もりが必要である。今回は冬季登山になるために縄文杉を見ることを断念せざるを得なかったが、伐採した材木を運搬するトロッコ列車の線路づたいの登山道を小杉谷小、中学校跡地まで約5kmの道のりを登った。登山道には欄干のない幅数10cmの橋が随所にあり、1歩間違うと数10m下の岩の多い川に転落してしまいそうなほど危険な道のりであった。

荒川ダムから車で下山する途中に屋久猿を見つけたのでその挙動を観察するために車を止めているとそいつはいきなり車のボンネットからフロントガラスによじ登りやがった。その後、ぞろぞろと猿の集団が姿を現し,レンタカーのカローラに対して乱暴、狼藉を繰り返し、みごとに「野生の証明」を果たしたのであった。

林野庁・大自然 緑の会が仕切っている白谷雲水峡(\300)という標高800mに位置する原生林がある。ここの見所は昨年秋に訪問した同じく世界遺産に指定されているシアトル近郊のオリンピック国立公園のホー・レインフォレストに匹敵する、思わず「うっそ~」と叫びたくなるほどのうっそうと茂ったコケである。一般ピーポーより15%重心が低いと言われ、クロスカントリーの帝王という異名を持つほどアップダウンに強い私の行く手に容赦なく苔で覆われた獣道が立ちはだかったが、マサであれば3時間くらいかかるであろうトレイルをわずか1時間程度で制覇することが出来た。ちなみにここでも樹齢3,000年の弥生杉を始めとしてさまざまな名前を持つ杉を観察することが出来る。

2月12日(月)安房港にてスーツケースいっぱいにつめこんだ希望という名の重い荷物を軽々と持ち上げて笑顔を見せている観光客を横目に朝一のトッピ-でトピ,トピと鹿児島港への帰路についた。上陸後西郷隆盛像を見学し、その足で甲突川の川べりにある西郷隆盛の生家と維新ふるさと館(\300)を見物した。ここでの見所は最先端のロボットテクノロジーで西郷隆盛、大久保利通、坂本竜馬、勝海舟を自在に操り、日本の夜明けを告げた獅子たちのドラマをリアルに再現している維新体感ホールである。ここでは幕末から明治維新を演出した薩摩隼人たちの情熱や知性を目の当たりにすることが出来、ここに来なければ鹿児島に来た意味がないと言われるほどすばらしいところであった。

南国屋久島の特産物特集

*鹿児島県はポンカン、ブンタン等柑橘系果物の宝庫であるが、ここ屋久島にも固有の果物がある。ダンカンはたけし軍団に所属しているがタンカンというみかん系の果物は屋久島でしか取れない代物である。

今後のFTBJ活動予定

*網走発ガリンコ号で行くガチンコ流氷流れ旅(やらせなし!)

*打倒森首相の失言、釧路湿原ツアー

FTBJ北の国珍道中

は~るばる来たぜ!はぁこだぁてぇ♪♪

あ~なたと食べたい さぁけちゃづけぇ~♪♪

・・・・中略・・・・

とぉ~てもぐゎまんが~ぁ出来なかぁあたよ~♪♪

song by S.Kitajima

ということで上機嫌で鼻歌を歌いながら出てきたのは函館空港ではなく、札幌新千歳空港のトイレからだった。21世紀初のFTBJはANAが他社に先駆け、最先端統計手法と損益計算テクノロジーを利用して開発した「超割」を利用してマサであれば¥53,000かかるところをわずか¥20,000で函館への往復ツアーを決行することになった。

2月3日(土)羽田空港の16番ゲートでテレビを見ているとNHKニュースでJAL機のニアミス事件のことを大々的に取り上げていた。今回私が搭乗する飛行機も空中衝突緊急回避装置であるTCASが搭載されているかどうか心配になったので責任者から納得のいく回答をもらえるまで搭乗しないとイチャモンをつけようかと思ったが、機体がボーイング社が誇る1機$200Mもする最新鋭のB777-300だったので渋々搭乗してやることにした。

6:50定刻に羽田を離陸したANA851便は順調に函館空港を目指していた。ところが函館上空にさしかかったところで機長からアナウンスがあり、函館空港上空は天候不良のため視界が悪く、天候が回復するまで函館上空を巡回するということであった。結局1時間弱巡回したものの天候の回復が期待出来ないということで札幌新千歳空港に着陸する羽目になった。乗客から軽いブーイングが起こったもののFTBの社訓第1条にあるとおり、FTBのFはFlexibilityをあらわすためこの変更を冷静に受け止めた私は函館上空で巡回した分のマイルはマイレージに加算されるのだろうかという疑問を抱きながらも新千歳空港に降り立った。

北海道ではこのような着陸地変更は頻繁にあるらしく、地上係員の対応もすばやく、搭乗券の半券と引き換えにJR函館駅行き特急券の引換券を乗客に渡していた。しかし、このまま素直に函館に行くのも能がないのでとりあえずエアポート快速で札幌まで出てみることにした。北島三郎よろしく期待に鼻の穴を膨らませて札幌駅を出た私にいきなり-8℃の寒気が直撃し鼻毛を凍らせたため、膨らんでいた鼻も一気にしぼんでしまった。

朝飯を抜いていたため、まずはとりあえず札幌ラーメンでも食おうと思い、味の時計台というラーメン屋に入り、一番人気のホタテバターラーメン(¥1,500)を発注した。ここのラーメン屋はかなりの名門らしく、店内には眉毛も凛々しい村山富一元首相の写真や羽田孜の色紙等有名政治家の遺品がたくさん展示されていやがった。また、チューヤンが某テレビ番組の旅行企画でここでアルバイトをしていた実績があり、記念写真が店先に飾られていた。納入されたラーメンの方はホタテのロックンロールで「ょうきん族」を席巻したこともある安岡力也もびっくりするほどの大粒のホタテが3個も入っており、非常にお値打ちなものだった。

腹も膨らんだところで、札幌大通りで翌週から始まる札幌雪祭りの準備が佳境に入っているという情報を聞きつけ何か手伝えることはないかと思い、様子を見に行った。例年雪不足で困っているというニュースをよく聞くものの今年は雪が豊作で彫刻家たちも長島監督の胴上げをかたどったものやミッキーマウスの雪像等の彫刻を急ピッチ仕上げていた。

マサよ、君は札幌時計台の建物の中に入ったことがあるか???

私は・・・ある!!!

ということで過去2回の札幌歴訪にもかかわらず修復中のために観光客を寄せ付けなかった時計台(¥200)にとうとう入ることが出来た。札幌市時計台は数々の少年に大志を抱かせることに成功したクラーク博士が教頭をしていた札幌農学校(現北海道大学)の演武場として明治11年に建てられたもので現在重要文化財になっている。ちなみにクラーク博士の教え子の1人は大使を抱きすぎてマグマ大使になって地球を守ったとも伝えられていない。時計台の時計はボストンにあるハワード社より輸入され、仕組みは鳩時計と同じ振り子時計でイチローの右足のように動く振り子の動力にはおもりが利用されている。今回はたまたま12時前に来ることが出来たので1日で一番数の多い鐘の音を間近で耳にすることが出来た。しかし、ただひとつ残念に思えたのはライトアップのファシリティがなくクラ~くなったあとの演出をどうするかということが課題であると思えた。

12時27分のスーパー北斗12号で札幌を後にし、一路函館へと向かった。列車の窓から外を見るとあたりは一面雪景色で田中邦衛が雪下ろしをしている姿が似合いそうなほどほのぼのとした光景を見ることが出来た。30分の遅れが発生したものの4時前に函館駅に到着することが出来た。今日の函館は松任谷由美も声が出なくなるほどのブリザードの影響で屋根の下にある駅のホームにも数センチの雪が積もっていた。

函館は晴れ渡った札幌よりも寒く寒暖計は-9℃をさしていた。とりあえず函館山に登頂して夜景でも見るかと思い、2km先のロープウエイ乗り場に徒歩で向かった。ロープウエイ(↑↓¥1,160)で展望台に上ると冬場にもかかわらず、老人写真同好会を思わせるじいさん、ばあさんの集団が三脚を設置し、老いた体に鞭打ってシャッターチャンスを狙っていた。また、旗をもったツアーのおね~ちゃんたちに先導された気弱そうな観光客もたくさん見受けられた。5時くらいから暗くなり始めた函館市内は徐々に輝きを増し始め、素人の観光客たちは一様にきれい!とかすごい!とか賞賛の声をあげていた。しかし、実際は売店で売られている夜景の写真よりも40%くらいネオンの数が少なく北海道電力も雪のために電力の出し惜しみをしているのではないかと思われた。

下山して麓の電停から市電に乗り、湯の川温泉を目指した。湯の川は北海道を代表する温泉街で1653年に松前藩主氏広の長男千勝丸が難病を湯治したことから始まったと伝えられている。7時前にホテル万惣という温泉旅館に乗り込むと8時ごろ食事が出てきた。内容はイカ、ホタテ、シャケ、じゃがいも等北海道の特産品をふんだんに使った非常にボリュームのあるものだった。しかし、飯を食いすぎて9時54分ころ気分が悪くなった私はニュースステーションのオープニングソングが「オエ、オ~エオ、オ~エ~!」と聞こえでもしたら大変なことになっていたと思われたが、幸い土曜日だったので何とか持ちこたえて温泉に向かうことが出来た。温泉の泉質はスタンダードな含炭酸食塩泉で得意のリューマチとか神経病に効果があるという能書きが書かれていた。強酸性で肌を根元からツルツルピカピカにする草津温泉や卵が腐った臭いのする別府のような強烈な個性はなかったものの十分この温泉でくつろぐことが出来た。

翌日曜日は朝から温泉に浸かり、宿をチェックアウトして函館朝市へと向かった。朝市は豪雪の影響で客が少なく、どの店も激しい客の奪い合いをくり広げていた。私も高級タラバガニを大量に買い込んでマサに高値で売りつけようと思っていたが、やめにして食堂街へ向かった。イクラ丼はイクラ払えば食えるのか非常に興味があったのだが、今回はとある食堂でウニ、カニ、エビ丼(\2,500)を食ってしまった。

その後朝市を通り抜け、ベイエリアの赤レンガ倉庫郡へと向かった。おびただしい数のレトロチックな赤レンガの建物は現在では地ビールのビヤガーデンや海鮮市場やみやげ物屋へと変貌を遂げていた。あるみやげ物屋はオルゴールとクリスタルガラスの専門店になっており、オルゴールの曲は函館が生んだスーパーロックグループのGLAYのものが非常に多かった。

倉庫郡を後にして,市電に乗り、五稜郭公園へと向かった。幕末と明治初期の歴史を研究している私はペリーが来航した翌年の1854年に日米和親条約により下田と箱館を開港した当初の状況を調査するために五稜郭タワー(\650)に登った。五稜郭は上から見ると星状の形をしており、典型的な日本の城郭とは一線を画しており、ヨーロッパの城を真似て作られている。箱館戦争が起こった1868~1869年に榎本武楊や土方歳三は五稜郭を基点に最後まで官軍に対抗したが、とうとう力尽きてしまったということである。

函館空港の近くに湯宝(UFO)という温泉があるので帰りに立ち寄ることにした。自動販売機で入湯チケット(¥360)を買い、ちょうど地球の男に飽きた頃のミーちゃん、ケイちゃんに似た受付のおね~ちゃんに券を渡すとロッカーの鍵と交換してくれる仕組みになっている。温泉の泉質は含食塩硝鉄泉というあたりさわりのないものだが、ここで旅の垢を落として東京への帰途についた。

次回FTBJはやくしまるひろ子推薦やくしまルンルンツアーを屋久島からお届けする予定です。

マサよ、必ず来いよ!もし来なかったら君の新婚家庭に頼んでもないコギャルセット、セーラー服と機関銃が送られてくるかも知れないよ!!

FTB21 オードリーもこお~どり~するローマの休日ツアー

つん つくつくつくつん ♪♪ つん つくつくつくつん ♪♪

ひや~~ ひや~~ ひや~~ ひ~~ ♪♪ 

ベンベラ ベンベラ ベンベラ ベンベラ ベン ベン ベン ベン ベラン♪♪

というわけでめでたく新世紀を迎えた今日この頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 私こと、今回めでたくFTBEUを立ち上げ、新規開拓にいそしんでおります。

1月4日(水)

NH205便,B747-400に乗り込むとほどなくしてパーサーと名乗るうら若いおね~ちゃんが新年の挨拶にやって来たので今年もいろいろとANAの面倒を見てやることにした。

高さ11,000mの上空からシベリアの凍った不毛地帯と地平線すれすれにしか上らない太陽を見ながら、12時間ほどの飛行を経てフランスのシャルル・ドゴール空港に到着した。ここで入国の手続きをした後、乗り換えまで2時間弱の時間があったので空港の見学と洒落込んだ。パリの空港だけあってさすがに多くのブランド屋の出展が見られたくさんのムッシュ、マダムやマドモアゼルがわがもの顔で物品を物色していた。

アリタリア航空に搭乗して2時間くらいでローマの国際空港に到着した。ところで、アメリカを代表する色男はレオナルド・ディカプリオ、日本を代表する芸人はレオナルド熊であるが、ここローマの空港はイタリア一の天才の名を冠し、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港という正式名を持っている。しかし、空港の名前とは裏腹にここに到着すると入国審査も何も無く黙って国内に侵入することが出来た。なんとまぁ適当な国だと思った今日この頃である。

ローマに着いた時間が午後8時過ぎだったので空港から国鉄に乗り換えてローマの玄関口であるテルミニ駅に到着後、三ツ星ホテルであるホテルプラネットに引き払って休ませていただいた。

1月5日(金)

朝8時くらいにホテルを出発し、テルミニ駅から地下鉄B線に乗ってコロッセオという駅で降りた。コロッセオ(L1万)は紀元80年に出来た円形闘技場で当時は収容人員50,000人以上を誇り、猛獣対剣闘士または剣闘士同士の殺し合いといった催しものが実施されていた場所だ。事情通のローマっ子によると当時暴君として権力をふるっていたネロ帝が夜更かししてると早くネロ!と注意されたためにあいつは気に食わないから殺ッセオ!と言って作られたのが起源として言い伝えられているそうだ。

コロッセオに隣接する形でローマ最大の凱旋門であるコンスタンティヌスの凱旋門がそびえており、その西にフォロロマーノという古代ローマの民主政治の中心であった遺跡が広がっていた。そこでローマ帝国の繁栄と衰退の歴史をしばし研究したあと、ローマの中心地ヴェネツィア広場を抜け、南下してカラカラ浴場に向かった。カラカラ浴場(L8千)は217年に完成したカラカラ帝の浴場であり、当時は日本が誇る健康ランドも太刀打ち出来ないほどの世界最大の規模を誇っていたが、今は廃墟と化し、カラカラに乾燥しているのが残念だった。喉がからからに渇いてカラカラ浴場を命カラガラの思いで脱出した後,古代の戦車競技場であったチルコマッシモを抜けて、真実の口広場へ向かった。

故淀川長治に匹敵するほどの映画評論家のマサであれば当然知っていると思うが真実の口は「ローマの休日」の舞台になった場所として有名である。真実の口があるのはサンタ・マリア・イン・コスメディン教会の入り口左手であり、河の神の顔をかたどった大きな石の円盤がそれである。うそをつく人間がこの口に手を入れると抜けないという伝説を持っており、多くの不誠実そうな観光客が口に手を入れて記念写真を撮っていたが、ホラ吹きの口を持つ私には到底そんな勇気は無かった。

マサよ、君はオードリーがこお~どり~して喜んだスペイン階段を知っているか? 

ということで, ローマの一大観光名所としてあまりにも有名でローマの休日の舞台となったスペイン広場に到着した。ローマの町並みを見下ろすようにそびえているトリニタ・ディ・モンティ教会の下に続くスペイン階段はおびただしい数の観光客でごった返していた。ここで名物の焼き栗(L1万)を買って階段に座って食っていたら、警官からここで飲食をすると逮捕するぜ!と注意されてしまった。

スペイン広場から5分ほど南下するとトレヴィの泉に到着した。肩越しに泉に向かってコインを放ると再びローマを訪れることが出来るというエピソードにより多くの観光客が散財していた。泉の背後に宮殿があり、その彫刻としてトリトンと海神ネプチューン(原田泰造、名倉淳、堀内健か??)が躍動しているのが印象的だった。

1月6日(土)

朝8時35分のナポリ行き急行(L19,600)に乗り込むと2時間半ほどでナポリ中央駅に到着した。そこから地下鉄に乗り換えてアメデオ駅で下車してサンタルチア港へ向かった。今にもカンツォーネが聞こえてきそうな町並みを抜けるとこの世のものとは思えないほどの絶景が広がった。しばし潮風を吸い込んだ後、海の中に突き出して建てられている12世紀の古城である卵城へ上った。卵城の展望台からサンタルチア湾の全景やポンペイ最後の日を演出したことで有名なヴェスヴィオ火山を拝むことが出来た。

サンタルチア地区からヌオーヴォ城、プレビシート広場を抜け、しばしナポリの路地をさまよい、おびただしい数の洗濯物とスクーターの間をすり抜けているうちにケーブルカー乗り場を発見したので早速乗り込むことにした。終着駅からさらに20分くらい登るとヴォメロの丘に到着した。この高台からはナポリの全景やヴェスヴィオ火山、カプリ島などが見渡せる絶好のビューポイントである。この丘の上にサン・マルティーノ国立博物館(L11,000)があり、ここでナポリの歴史や暮らしを学習することが出来、また、展望台からナポリのサンセットと夜景を堪能することが出来た。

1月7日(日)

朝も早よから地下鉄A線に乗ってヴァティカン市国にあるサン・ピエトロ広場を抜けてサン・ピエトロ寺院に向かった。オウム真理教の総本山は上九一色村であるが、ここヴァティカンはカトリックの総本山である。今日はローマ法王ヨハネ・パウロII世にアポなしで謁見し、混迷する日本経済に活路を見出すための方策を話し合おうと思っていたが、日曜のミサで取り込んでいる様子で謁見は却下されてしまった。サン・ピエトロ寺院はネロ帝の迫害にあい、殉職したサン・ピエトロの墓の上に、後年、キリスト教を国教と認めたコンスタンティヌス帝によって建立された聖堂である。内部は多くの絵画や彫刻等の装飾で荘厳な雰囲気を醸し出していた。今日は日曜ということもあり、たくさんの信者でごった返していた。また、聖歌隊は曇っているのにしきりに「ハレルヤ」と声をそろえて歌っていた。田中康夫長野県知事は「なんとなくクリスタル」で直木賞を受賞したが、ここに来る日本人はすべてなんとなくクリスチャンになってしまうほど影響力のある場所であった。

ヴァティカンを後にし、テヴェレ川を越えてパンテオンに向かった。パンテオンは完全なるローマ建築を今に残す万神殿でローマ時代のオリジナルの姿を最もよく残している建造物である。その後、たくさんの出店や観光客でごった返すナヴォーナ広場を抜け、ローマ国立博物館アンテンプス宮(L1万)に侵入した。ここは古代芸術の館であり、多くの彫刻が所狭しと展示されていた。その中には古代人の肉体美を現した作品が多数あり、見学者の男たちは彫刻の股間についているものを凝視しておのおの勝ち負けを判断しているように思われた。

ローマ国立博物館で目の保養をした後に訪れたのはポポロ広場である。鉄道のなかった時代のローマはポポロ門をくぐってローマに入ることになっており、広場の双子教会と併せてこの広場は勇壮な雰囲気を醸し出していた。

再びテヴェレ川を越えてサンタンジェロ城(L1万)に到着した。この城は起源135年に建造され、ローマ歴代の皇帝の墓や要塞、法皇の住居、牢獄など様様な用途で用いられていたそうだ。現在は博物館として公開されており、屋上から見渡すローマ市外の眺望はマサに絶品と言えるしろものであった。

1月8日(月)

朝9時にホテルをチェックアウトし、その足でサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を見学した。その後セリエAのASローマのオフィシャルショップで物品を物色した後、テルミニ駅から列車に乗り、レオナルド・ダ・ヴィンチ空港に帰っていった。空港の免税品店で靴でも買おうと思い、一目でイタリア製であることがわかるように「伊太利屋」という文字をあしらったクラリーノ皮のええやつを物色したが見つからなかったので断念した。

ローマから英国航空BA549便に搭乗し、一路ロンドンヒースロー空港へ飛んだ。ブリティッシュエアーが運行するB757機のシートは総革張りになっており、クルーは品のいい英国紳士、淑女が搭乗しており、大英帝国の実力をまざまざと思い知らされた。

ヒースロー空港のターミナル3はおびただしい数の免税品店が出店しており、一大ショッピングセンターを思わせるほどの活気に満ち溢れていた。ロンドンからNH202便に乗り込みシベリア上空を飛行しているといきなり機内アナウンスがあり、左手方向にオーロラが見えるということであった。幸運にも左手翼のかかる窓際に陣取っていた私はかろうじてオーロラを目にすることが出来たのであった。

知って得するイタリア情報

*イタリア自動車事情

 イタリアはスーパーカーのメッカであり、池沢さとしが25年前に少年ジャンプに連載した「サーキットの狼」に出てくるような水平対向12気筒ミッドシップエンジンの爆音高 らかにフェラーリやランボルギーニ、マセラティが所狭しと走り回っている図を予想していたのだが、実際にはフィアット、アルファロメオ等の小型車ばかりだった。特にsmartという名の2人乗りのシティカーが小回りを利かせていた。「ロータスの狼」という異名を持ちノーツに関してはどんなにシビアなトラブルもたちどころに解決し、そのたびに管理用端末のボディに☆印を追加しているヤスであればこの状況には満足出来ないだろうと思われた。

*イタリア「スリ」情報

 ローマやナポリのような観光地ではたくさんのスリが観光客から金品を盗んで生計を立てているそうなので注意しなければならない。彼らの技法は伝統的なスリスリと寄って来てポケットに手を入れたり、トルシエ日本代表サッカーチームのディフェンス陣が誇るフラットスリーのように高度なフォーメーションを使うものなど様様である。大蔵官僚という甘い汁に浸かり、身も心もすきだらけのマサであれば身ぐるみはがされるところであろうが、もみあげの無いゴルゴ13と言われ寸分のすきも見せない私からはルパンIII世や山田康夫でも盗めないと恐れられている。

*麺ロードの起点

 2000年1月に森田と蓮沼で組むタイムトラベラーが麺ロードをスタートさせた地点はヴィットリアーノと言ってローマのランドマーク的建造物の前である。イタリアのスパゲッティはポモドーロにしてもボンゴレにしても具が少なく非常にシンプルなものが多いが、麺のこしと味はレストランによってまちまちである。

*イタリアの日本人のベストセラー

 ローマでもナポリでも周りを見れば日本人だらけであったが、彼らの98%くらいは「地球の歩き方を」見ながら町歩きをしていた。イタリアの町並みは規則性がなくストリートが複雑に入り組んでいるのでガイドブックで確認しても道に迷ってしまうのだ。

FTBサマリー

*総飛行機代:¥113,000

*総宿泊費:L640,000 (L100=約\6)

*総国鉄代:L73,200

*今回歴訪した国:フランス、イタリア、ヴァティカン市国、イギリス

今後予想されるFTBEUツアー

*ユダヤ人の逆襲ハイルヒットラー!をひっとらえよツアー

*太川陽介推薦フランス「るい!るい!」ツアー

*おしえておじいさん!スイスアルプスツアー