FTBラストエンペラー in 北京

ニイハオ マサよ!!

ということで、今年の春先から世界中を震撼させたSARS禍により、渡航制限が敷かれていた中国へのフライトが7月中旬より通常運行に戻された。ANAマイレージクラブダイヤモンド会員として活躍し、義理人情に厚く、責任感の強い私は中国旅行が安全であることを証明するためにANAが展開する高速中国路線にいち早く搭乗し、北京を目指すことにした。

7月18日(金)

常に余っているANAのマイレージを利用してマサであれば¥16万くらいかかるところを私はただで入手していた成田-北京間のE-Ticketを使って成田空港第2ターミナルのANAファーストクラスチェックインデスクでチェックインを試みると係りの女性に復航した中国便にご搭乗いただき誠にありがとうございますと深々と感謝されてしまった。17時25分発のNH955便、B767-300ER機はわずか40~50名程度の乗客を乗せ、3時間20分程度のフライトで1時間の時差を越えて北京首都空港に午後7時50分頃到着した。ところで飛行機の座席前ポケットに高級マスクが入ってないか確認したが、すでに撤去されている様子であった。

北京首都空港では入国審査の前に電子体温自動測定ゲートをくぐらされることになっており、入国者が発熱していないか瞬時に判別出来るような体制が取られていた。空港内の銀行で円を元に両替すると早速バス(16元)で市内に向かうことにした。今回の宿泊地はヒルトン北京を予約しておいたので、ホテルの近くらしいところで適当にバスを降りて2時間くらいあたりをさまよい、こんな遅い時間まで通りでぶらぶらしている人民の様子を観察しながら、10時半過ぎにやっとの思いでチェックインに成功した。あれだけ世の中を騒がせたSARSの影響がまるで何事もなかったかのように北京の人民はすべてマスクを脱ぎ捨てており、岩手県会議員に当選しても決してマスクを脱ごうとしないみちのくプロレスのサスケとはえらい違いであることを思い知らされた。

7月19日(土)

ヒルトンホテルは北京中心部のはずれに位置しているため、早朝より徒歩で1時間以上かけて北京の心臓部に進出することにした。通る道すがらの先々で道路はほじくり返され、建設中のビルには巨大なクレーンが設置されており、2008年のオリンピックに向けて急ピッチで開発が進んでいる様子が見て取れた。NHKのニュース等で見る北京の代表的風景と言えばやはり毛沢東の肖像画がかかげられた天安門である。天安門を目の当たりにして異常なまでの高揚感を味わいながらも天安門を素通りして世界遺産に認定されている故宮に向かった。紫禁城とも呼ばれる故宮は故宮博物院(60元)として一般公開されており、ここに来なければ中国に来た意味がないと言われるほどの観光拠点になっている。映画界の裏事情に詳しいであろうマサであれば知っていると思うが、ラストエンペラーに扮したジョン・ローンはハリウッドに抱えている住宅ローンを返済するために出演を了承し、また、エキストラとして活躍した坂本龍一はYMOが儲からないので別居中の矢野顕子との手切れ金を稼ぐために悪役を買って出たと言われている。いずれにしてもここに立っている建造物や調度品を目の当たりにするといやがおうでも観光客は皇帝溥儀の気分を満喫させられることになるのだ。

故宮の北側に景山公園(2元)が控えており、高さ43mの万春亭からは故宮や周辺の景色が一望出来るようになっている。とある全く言葉の通じない中華料理屋で野菜がたくさん入っているかけご飯系の飯を食い過ぎた後、炎天下の中を再び天安門に戻ってきた。天安門は今では一般公開されており、15元でチケットを買うと毛沢東をはじめ中国の歴代の主席が人民に対して演説を行ったステージまで上がることが出来るのだ。ここから道路を挟んで東京ドームの10倍くらいの収容人員50万人を誇る天安門広場を一望出来るのだが、この広場は1989年の天安門事件等数回に渡る血塗られた事件を経験している場所であり、毛沢東も事件が起こるたびに「も~たくさん!」と弱音を吐いていたことが容易に予想出来るのだ。

7月20日(日)

中国に入国し、円を元に両替していたので通常であれば福沢諭吉で賑わっている私の財布が毛沢東の集団に占拠されてしまっていた。この状況を打破するためにあえて金のかかるタクシーをヒルトンホテルでチャーターして北京郊外の観光に乗り出すことにした。中国観光のハイライトと言えば宇宙からもその存在が確認できる地球最大の建造物である万里の長城(世界遺産)である。長城は全長6,350kmにもおよんでいるのだが、北京から最も簡単にアクセス出来る八達嶺長城(45元)に向かうことにした。ここは燕山山脈の都軍山に築かれた明代の長城で、北京周辺では最も早く修復された観光用の長城として君臨している。さすがに中国を代表する観光地であるだけに日本人観光客抜きの状態でもツアー用の黄色い帽子を被った田舎者の中国人観光客で大変な賑わいを見せていた。

居庸関(35元)という難攻不落の関所が長城のいでたちで険しい山脈の中に佇んでいるので見物に行って来た。果てしなく続く急な階段を何段も登り、ゴールが見えない頂上目指して多くの観光客が苦痛の色を浮かべながらも観光に精を出していた。1時間半ほどかけてやっと頂上にたどり着いた観光客は大声を出してこだまの反響の状況を確認した後、だまって降りていくのが関の山であった。

明王朝歴代皇帝の陵墓として明十三陵(世界遺産)が観光地として賑わいを見せている。日本に例えて言うと徳川十五代の歴代の将軍の墓が観光地になっているようなものであろう。十三陵の中では定陵、長陵、昭陵が一般公開されているのだが、今回は長陵博物館(30元)と定陵博物館(40元)を訪問することにした。明十三陵の中でも最も多くの集客力を誇るのが定陵である。ここでは1959年に地下宮殿が発掘され、発掘現場には毛沢東も訪問した実績を持っているのだ。宮殿は深さ27mのところにあり、前殿、中殿、後殿と左右にある横殿という5つの殿で構成されており、中には発掘された当時の棺と皇帝、皇后の大理石の宝座が展示されている。

7月21日(月)

帰りの飛行機が午後2時45分発だったので午前中の時間を観光に充てるべく路線バス(2元)で北京中心部に向かった。中心部やや南側に皇帝が五穀豊穣を祈願して建立した天壇(30元、世界遺産)が君臨している。ここは現存する中国最大の祭祀建造物で1421年に造られた物である。祈年堂という天壇の中で最も荘厳で美しい建物は三層構造の屋根を持っているのだが、これらは全部で28本の柱だけで支えられており、ほかには梁も釘も一切使用されていないそうだ。

ということで中国に旅行しても何も問題ないことが確認出来たので、マサよ、財務省の慰安旅行では幹事として必ずここを訪問してくれよ!!

世界遺産の宝庫北京市情報

*人類学者にはたまらない周口店猿人遺址(世界遺産)が北京市中心部から約50km西南部にある。ここはかの有名な北京原人ぺキネシスが掘り起こされた場所である。

*その他有名観光地として頤和宴(世界遺産)や日中戦争の勃発地点である蘆溝橋も見逃せないポイントであろう。

*北京市内にはマクドナルド、ケンタッキー、ピザハット、スターバックス等おなじみのファーストフードやカフェがある。中でもスターバックスは故宮内部にも進出してやがった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,820(税金のみ)

総中国ビザ代 ¥4,500

総バス代 18元

総タクシー代 826元

総地下鉄代 6元

総北京空港使用料 

協力 ANA、GYC旅行社、HiltonHHonors

次回はFTBロッキー4ゴジラの逆襲をお送りします

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 伊良部島/下地島

マサよ、君はANAやJALのパイロットがどこで飛行訓練を受けているか知っているか!?

ということで、将来キムタクのような生意気なANAの副操縦士になることを目標としている私にとってどうしても見物しておかなければならないファシリティが南の海に浮かんでいるという情報を入手したので早速飛行機を飛ばしてその施設を訪れることにした。

7月5日(土)

すっかり常連となってしまった沖縄那覇空港を経由してANK171便にて約1年半振りに宮古島に着陸した。地場のレンタカー屋である「おきなわレンタカー」でスズキのアルトをレンタルすると丁度昼飯時に差し掛かっていた時間帯でもあったため、有名な丸吉食堂でソーキそば(¥600)を食いながらここを訪れた実績のある藤井ふみややオール阪神巨人の阪神君やトミーズ・マサ!等の記念写真を見物していた。数ある写真の中でなぜかCCガールズだけは「CCガールズ」という説明がマジックで施されてあったのは一目見ただけではCCガールズと判別出来ないためであると思われた。

にわか阪神ファンにとって夏場に必ず訪れる必要のある伊良部島は宮古島の平良港からフェリーでわずか25分の場所に位置しているので大枚¥2,000(往復)を支払って早速カーフェリーゆうむつにスズキアルトごと乗り込むことにした。伊良部島の東海岸の佐良浜港で下船するとパワーの出ないアルトのアクセルを目一杯踏み込んでイチロ下地島を目指した。伊良部島と下地島は独立した別々の島々であるが、島の境界を仕切るわずか数メートルの入り江の上に数本の橋が掛かっており、島民はあたかも単一の島での生活をエンジョイしている様相を呈していた。

下地島の西側に下地島空港が開けており、ここは日本で唯一のジェット機のパイロット訓練場として無数の機長や副操縦士を生産しているのだ!今日の宿泊地は下地島空港施設株式会社が運営しているオーシャンハウスinさしばを予約しておいたので早速チェックインすることにした(¥3,675)。ところで「さしば」というと抜けた歯を補うために人口の歯を差すことを連想する輩が多いと思うが、実はサシバとは10月頃に日本からフィリピンを目指す途中にこの地で羽休めをする渡り鳥のことで毎年数万羽のサシバによってこの島は埋め尽くされると言われている。

ところで宿泊ファシリティの方であるが、この地は航空会社の宿泊施設や地元の従業員のアパートや一般旅行者の旅館を兼ねている一大居住地帯であるため、部屋はすべてワンルームマンション形式になっており、大型冷蔵庫や全自動洗濯機等が据え付けられており長期滞在に耐えうる構造となっていた。また、受け付け事務所のある棟には食堂があり、旅行者はそこで現金を払って飯(社食みたいなメニュー)を食うことが出来るのだが、予約をすれば伊勢海老やヒレステーキ等の高級ディナーも楽しむことも出来、舌の肥えたパイロットの機嫌を損ねないような配慮もされているのだ。

7月6日(日)

昨日はオーシャンハウスinさしば「(http://www.cosmos.ne.jp/~safco/)←音付きサイト」にてパイロットの研修気分を満喫することに成功したので今日は早朝より島の散策に向かうことにした。伊良部島/下地島を代表する景勝地として帯岩と通り池がある。帯岩とは明治8年の大津波により運ばれてきた高さ12.5m、周囲59.9mを誇る巨大岩である。現在は町指定の史跡に登録されているため、鳥居付きの島のご本尊として君臨している。また、通り池とは一つの池だが天然の橋によって二つに分かれて見え、底で海とつながっているため、神秘的なダイビングスポットとして人気のある沖縄県指定の天然記念物である。

今回のツアーのハイライトである下地島空港は下地島の西端に位置している。周囲をエメラルドグリーンの海に囲まれ、飛行機の着陸用の誘導灯のようなものが海に突き出しており、高感度レーダーも完備している。今回は土日の訪問になったため、残念ながら訓練機が離発着する様子をライブで見ることが出来なかったが、マサであれば財務省の財力を結集してでもデモンストレーション用の飛行機と若いパイロットをチャーターして掘ちえみをしごいた風間杜夫扮する教官気分を満喫していたであろうと思われた。尚、訓練のメニューの中には今ではJRの改札口でおなじみになったタッチアンドゴーも含まれていると言われている。

訓練が見れなかったゆううつな気分を引きずりながらフェリーゆうむつにて宮古島に帰ってくると平良港から車を飛ばして池間島に向かった。池間島は宮古島の北部に位置し、全長1,425mの池間大橋にて宮古島とつながっている。

マサよ、君は東洋のグレートバリアリーフが宮古島近海に存在していることを知っているか??

世界的に有名な八重干瀬と言われる幻の大サンゴ礁群が池間島の近辺に存在し、数多くのダイビングやシュノーケルツアーで賑わいを見せているのだが、私は池間島海底観光が運行するグラスボート(¥2,000/50分)に乗り込むことにした。前回このボートに乗ったときは12月だったのでサンゴ礁が生息する海に入ることが出来なかったが、今回は真夏ということもあり、進水体制を整えてボートに乗ることにした。ここの海の特徴は巨大なテーブルサンゴや枝サンゴ、人間の脳を連想させる直径15m以上の巨大なサンゴ等、種類が豊富なことであり、また色彩も緑、赤、黄色、青等非常にカラフルなので乗船客は船の揺れにによる吐き気を我慢しながらも船底のガラス越しに見えるサンゴに見入っていた。

とある足が付きそうなポイントで船を止めると早速サンゴの海に侵入したのだが、水中メガネ越しに見るサンゴと熱帯魚のハーモニーにより観光客はみな龍宮城気分を安価で満喫することが出来るように取り図られているのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥24,400

総宿泊費 ¥3,675

総レンタカー代 ¥9,575

総ガソリン代 ¥1,811

総カーフェリー代 ¥2,000

総グラスボート代 ¥2,000

次回はSARSによる渡航制限が解除された地域にFTBがいち早くツアーを敢行し、ラストエンペラーの

実態を解明する予定です。

協力 ANA.ANK,おきなわレンタカー、下地島空港施設、池間島海底観光

FTB第5次(ゴジ)MLBツアー

皆様ご承知の通り、FTBの主要業務の一つとしてMLBツアーの開催がある。もうすでにMLB30球団の球場をすべて制覇してしまっているので今さらやることはないだろうと思われるかも知れない。ところが今年ゴジラ松井が鳴り物入りでニューヨークヤンキースに入団してしまった。日本では先輩チームメートからゴジという愛称で恐れられていたのだが、長きに渡って開催されたFTBのMLBツアーも回を重ねて5次ということになるので今回は何としてもアメリカに進出したゴジの動向を追跡すべく立ち上がる必要があったのだ。

5月3日(土)

ゴールデンウイーク後半戦3連休の初日にもかかわらず、成田空港第2ターミナルは閑散とした様相を呈していた。しかも依然として下火にならないSARSの影響か、数多くの旅行客はマスクをして飛散したウイルスが体内に入り込まないように無駄な努力をしているようだった。

日本最強レベルの観光大使に成り上がっているゴジラのおかげなのかANA010便ニューヨーク行き、B747-400テクノジャンボはほぼ満席状態で出発し、定刻どおり午前10時半前にはニューヨークJFK空港に着陸した。ここから流れるような作業で入国審査、カスタム、ハーツレンタカーでの日産車の入手を行い、正午前には約1年ぶりとなるヤンキースタジアムに到着することが出来た。あらかじめwww.ticketmaster.comでオンラインでチケットを購入していたため、Willcallという窓口でスムーズにチケットを受け取るとゴジのホームランが飛んで来るであろう右中間スタンドで試合開始を今か今かと待ちかまえていた。

松井率いるニューヨーク・ヤンキース対オークランド・アスレチックスは午後1時10分にプレーボールとなった。2回の裏に先頭打者として回って来た松井は好投手ティム・ハドソンからいきなりライト前にヒットを放った。しかし、打席での今日のゴジラの見せ場はこれだけで結局4打数1安打に終わってしまった。試合の方も9回裏にジェイソン・ジオンビが同点2ランを放ち一瞬ニューヨーカーを興奮のルツボに陥れたものの、結局延長10回を戦い5対3で敗れてしまった。

試合終了後、ヤンキースタジアムから5th Avenueをマンハッタンに向かって南下することにした。車を走らせているとここ10数年来ニューヨーク市内の治安が著しく改善されている様子を実感することが出来る。ジュリアーニ前ニューヨーク市長が実施したブロークン・ウインドウ効果(割れた窓ガラスを放置しておくとそこから犯罪の輪が広がってしまう現象)の低減により、街中の落書き等は消されており、柄の悪いブロンクスやアッパーマンハッタンのハーレムであっても安心して車を転がすことが出来るのである。しかしながら、セントラルパーク以南の繁華街では相変わらずおびただしい数のイエローキャブが幅を利かせており、巨乳系タレントを数多く抱える芸能事務所であるイエロー・キャブのギャルに取り囲まれるのと同等の緊張感で運転することを余儀なくされるのだ。

今日の宿泊地はニューアーク空港近くのDaysinnを予約していたので午後7時ごろ早めにチェックインして休むことにした。今回は首尾よく会社をサボることに成功し、ニューヨークで羽を伸ばすことが出来るため、フッフッという含み笑いを浮かべて風呂に入りながら八神純子のヒット曲を♪パープルタウン、パープルタウン、つばさ広げて、フッ、フッ、フッ、ワッ!ニュ~ヨ~ク(入浴)♪と上機嫌で歌っていたのだが、何となく違和感を感じていたのは♪なんでだろ~♪と思った瞬間にテツアンドトモが購入した新しいジャージのことが頭をよぎり、ここはニュージャージー州であることに気づかされたのだった!

5月4日(日)

今回はMLBツアーということであるが、今日は午前中の時間を持て余すことになっていたのでついでに観光もしておくことにした。ハドソン川を挟んでニューヨークの対岸に位置する場所にLiberty State Park New Jerseyという公園がある。ここからCircle Lineというフェリーが1時間おきに出ており、エリス島と自由の女神の遊覧船($10)として営業しているので乗船を試みることにした。

埠頭から川越しに見るロウアーマンハッタンはマサに八神純子が歌ったように♪むらさきに煙る夜明け♪の様相を呈しているのだが、以前その地に君臨していたワールドトレードセンターの勇士はなくなっていた。フェリーは出航後わずか10分ほどでエリス島に到着した。エリス島は昔U.S.移民局があったところであるが、今回は時間の関係上この島への上陸はスキップすることにし、次の目的地であるLiberty Islandに向かった。フェリーは自由の女神の正面に回りこむ感じで航行し、わずか10分程度で船着場に到着した。Liberty Islandのビジターセンターで自由の女神にまつわるフィルムが上映されていた。その中で化学者の私の心に残った内容は銅像である自由の女神は建立された当時の色はブロンズだったそうだが、徐々に酸化が進み、ついには現在のような緑青を身にまとった姿になったということであった。

ニュージャージーからニューヨークに車で侵入するためにはホーランドトンネルかリンカーントンネル、またはワシントンブリッジを通過しなければならないのだが、いずれも$6をぼったくられてしまうのだ。何はともあれ今日も昨日と同じデーゲームなので正午前にはヤンキースタジアムに帰って来た。今日の試合はオーストラリアの首相がわざわざ観戦に来ていたのでアメリカ国歌を斉唱する前にオーストラリアの国歌が高らかに演奏されていた。

ところで試合の方であるが、ヤンキースの先発は通算300勝まであと3勝に迫った豪腕投手であるロジャー・クレメンスを立て、一方アスレチックスは昨年のサイヤング賞(投手のMVP)投手である左腕のバリー・ジトという豪華な先発陣で始まった。初回クレメンスはいきなりホームランを食らいながらも7回まで何とか2失点でしのいでいたのだが、ジトの方は何度かむかえたピンチもジット我慢して8回まで豪打のヤンキース打線を0点に抑えて9回を抑え投手に託すことになった。今日のゴジラは5回の裏の1死2,3塁の絶好機に強いあたりのピッチャーゴロに倒れ、ヤンキースファンのブーイングを浴びていた。しかし3打席目には三遊間をしぶとく抜けるヒットを放ち連続試合安打を6試合に伸ばしていた。

9回裏の攻撃は4番のバーニー・ウイリアムズが死球で1塁に歩き、ここで5番の松井を迎えることになった。アウトコースの速球で2ストライクと追い込こまれた松井はチェンジアップ系のボール球を2球見逃した後、5球目の甘い速球を強振したのだが、無常にも平凡なライトフライに終わってしまった。後続も凡打に倒れ、結局ヤンキースはアスレチックスに対して2連敗を喫し、ヤンキースタジアムにはおなじみの♪ニューヨーク、ニューヨーク♪が無常に響き渡っていた。

あくまでも現場主義を貫くFTBの取材により、テレビ画面では判断することの出来ないニューヨークにおけるゴジラの状況を垣間見ることが出来た。まずゴジラはヤンキースというチームに完全に同化しており、心配されていたチームメートとのコミュニケーションの問題も全くないように見受けられた。ただ、まだまだ相手投手のボールとのコミュニケーションが不足しており、なかなかバットがボールにコンタクトしない状態であるが、これを解決するのも時間の問題と思われ、今年は50本以上のホームランは約束されたも同然である。また、広報的な要素ではビニール製のゴジラ人形が出回っており、餓鬼どもが人形欲しさにダダをこねている状況をあちこちのみやげ物スタンドで見ることが出来るのだ。

5月5日(月)

昨夜の内にニューヨークを抜け出し、メリーランド州のElktonのMotel6に宿泊していた。そこを拠点にして今日はボルチモアとワシントンDCの探索を行うことにした。ボルチモアのウォーターフロント地区にFort McHenryという昔戦争で使用していた砦が歴史的景勝地として君臨しているので見物に行ってきた。ここは1814年のイギリスとの戦争の際や1861年の南北戦争のときに重要な役割を果たした要塞である。砦の形状は函館の五稜郭を彷彿とさせる星型の5角を持ち、中には弾薬庫やタコ部屋のような兵隊の宿泊所も完備されており、海に面した方角には多くの大砲も据え付けられていた。どんよりとした悪天候にもかかわらずここは「ご老体むち打ちツアー」というキャッチフレーズが似合いそうな老人の団体客でごった返していた。彼らは棺おけに片足を突っ込んでいるにもかかわらず、冥土の土産にと言わんばかりにパークレンジャーが行っている説明に熱心に耳を傾けていた。

FTBがワシントンDCに帰って来たのは約2年ぶり、同時多発テロ後ははじめての訪問となった。今回わざわざここにやってきた目的はほかでもなく、戦争を起こした国のお膝元で反戦運動を展開することであり、プロレス界におけるハンセン運動の第一人者であるスタン・ハンセン直伝のウエスタンラリアートをブッシュ大統領の首筋にお見舞いしてその証を立てることであった。

ジョージ・ブッシュ大統領の居所を探るためにDC観光の拠点となるホワイトハウスビジターセンターで情報収集を試みたのだが、単なるビジターセンターにもかかわらず警備体制が強化され、エックス線と金属探知の検査をされてしまった。結局ここではDCの観光地図を入手しただけで何も成果をあげることが出来なかった。ジョージつながりということで繁華街のジョージタウンにも繰り出してみたのだが、小雨の月曜日の昼間ということもあり、山本譲二の歌が似合いそうなみちのくの雰囲気を醸し出していたに過ぎなかった。しかたがなかったので今日のところはFords Theater National Historic Siteで演劇と劇場の学習をしてお茶を濁しておいた。

5月6日(火)

ベンジャミン伊東と言えば電線音頭を立ち上げた伊東四郎のことであるが、ベンジャミン・フランクリンとはアメリカの独立に多大なる貢献をもたらせた偉人であり、その功績は彼が$100札の肖像画になっていることからも明らかである。一昨日ヤンキースタジアムで$20札を拾ってそのお金でIchiro v.s.MatsuiのTシャツを買うことが出来たので今日そのお礼にわざわざフィラデルフィアまでやってきた。

フィラデルフィアで必ず見物しなければならないスポットは他でもないIndependence Mallという1776年前後の独立宣言に関連したファシリティが集中しているエリアである。ここはアメリカの国立公園の管理化におかれているのだが、3年前に訪問した当時よりもかなり様子が変わっていた。まず、当時は建設中だった最新鋭のVisitor Centerが完成しており、こういった歴史地区には必ず団体で姿を現すガキどもやジジ、ババ等が気軽にモニターやコンピュータでアメリカ建国史を学習出来る仕組みが整備されていた。また、テロリストの攻撃を警戒してLiberty BellやIndependence Hallといった人気ファシリティは厳重なアクセス制限がしかれ、おなじみの金属探知機とX線による検査が施されるようになっている。

というわけでアメリカの建国はここから始まったのであるが、アメリカンドリームもフィラデルフィアから始まったという紛れもない事実がある。Philadelphia Museum of Art(フィラデルフィア美術館、)が町の中心部にそびえており、3年前の訪問の際には階段を駆け上がってガッツポーズをしながら「エイドリア~~ン」と叫ぶことしか出来なかったのだが、今日は入場料($10.‐)を払って中に入ることが出来た。ここにはアメリカの美術品だけでなく、中世ヨーロッパや東南アジア、中国、韓国、日本等の貴重な美術品がところ狭しと展示されている。また、絵画のコーナーに入ると一瞬スターバックスのような新種のカフェに押されぎみの東京都内に点在するクラシックな喫茶店に入り込んだような感覚を覚えるのだが、やはりここには多くのルノアールの力作が展示されていた。またゴッホのひまわりのようなオークションにかければ数千万から数億で落札されること間違いなしの貴重な絵画の宝庫にもなっている。ということでシルベスター・スタローン原作のロッキー発祥の地であるこの美術館はロッキーシリーズの興業収入でも買収出来ないほどの価値ある秀作の宝庫となっていることが確認された。

マサよ!君はニューヨークで暮らしているもう一人の日本人大リーガーがマスコミからも見放され、不遇な生活を送っている事実を知っているか!?

ヤンキースの松井を巨人に例えるとすると、新庄のいるニューヨーク・メッツは例年の阪神のような状況で今年就任した名将ハウ監督の采配にもかかわらずナショナル・リーグ東地区最下位と地をハウような成績に低迷している。メッツは今日からロサンゼルス・ドジャーズを本拠地シェイ・スタジアムに迎えて3連戦を行うことになっているので新庄の見舞いがてら見物することにした。スタジアムに到着してメッツのスターティングメンバーを見ると驚いたことに新庄が7番センターでラインアップに名を連ねていた。試合は午後7時10分に開始され、新庄は2回の裏に回ってきた1打席目でいきなりライト線に2ベースを放ち、次打者の3塁打で先制のホームを踏んだ。

1対1のタイスコアで迎えた4回裏のメッツの攻撃は大学時代にバスケットをやっていた2mの長身を誇る5番のトニー・クラークから始まった。ナイターに強いと噂されるクラークはまだ明るさの残っている1打席目は凡退したものの、日もとっぷり暮れてくら~くなったこの打席でセンターオーバーのホームランを放ち、その勢いを買って次打者の連続ホームランも誘発し、続く7番の新庄を向かえた。目立ちたがり屋の新庄は豪快なスイングで3打者連続ホームランを狙ったものの、結局2ストライクと追い込まれた後にセンター前にヒットを放った。この日の新庄は3打席目も鋭いライナーのセンター前ヒットを放ち4打数3安打で打率を2割5分に上げてメッツの勝利に貢献したのであった。

5月7日(水)

ニューヨークのラガーディア空港からシカゴを経由して約2年ぶりにオハイオ州シンシナチくんだりまでやってきた。Cincinnati Northern KY Int’l Airportはフライドチキンの殿堂ケンタッキー州の最北部に位置し、オハイオ川を挟んで北側にはオハイオ州シンシナチという大都市が控えている。シンシナチは石炭産業の町として有名であり、また世界初の紙おむつパンパースを生んだP&Gの本社もここにあるので赤ちゃんを持つ親も安心して子育てに専念出来るのである。

シンシナチの東約80マイルの所にHopewell Culture National Histric Parkという古代Native Americanが暮らしていた遺跡が保存されているので見学に行ってきた。ここでは白人が入植するはるか以前のアメリカインディアンの暮らしぶりを出土された道具やパネル、ビデオ等で学習することが出来る。

MLB最古のチームであるシンシナチ・レッズの本拠地は昨年までダウンタウンを背景にしたオハイオ川のリバーフロント地区に位置するシナジー・フィールドであった。しかしながらシナジー・フィールドはすでに解体され、その隣に今年からレッズの本拠地としてオープンしたグレートアメリカンボールパークが君臨している。MLB30球団のすべての球場を制覇したことを誇りとする私に許可なく勝手に新しい野球場が開業されてしまったのでわざわざ飛行機を飛ばしてこの地にやってくることに相成ったわけである。

グレートアメリカンボールパークはレッズの本拠地にふさわしくスタンドの座席はすべて赤一色に染められている。外野席の後ろにはオハイオ川が雄大に流れており、遊覧船がサンセットクルーズしている様子をネット裏の高台の座席から見晴らすことも出来るのだ。セントルイス・カージナルスを本拠地に迎えたレッズはアーロン・ブーンのホームラン等で終始リードを保ち、4対2で勝利をものにした。この球場ではレッズの選手がホームランを打つと右中間スタンド後方に設置してある船の煙突をかたどったオブジェから花火が打ち上げられる仕組みになっている。

5月8日(木)

早朝Cincinnati Northern KY Int’l空港を出発し、再びシカゴ空港を経由して3時間の時差を超えてはるばる西海岸のシアトルに午前10時半頃到着した。シアトル・タコマ空港から車を飛ばしてワシントン州の北部にあるノースカスケード国立公園にやってきた。ここでは何万年も降り積もった雪から形成される氷河によって削られた山々がおりなす景観と深い森から自然の生気を吸収することに成功した。

自然界で魂の洗濯を行った後、イチロシアトルのセーフィコ・フィールドを目指して来た道を引き返した。イチローv.s.ゴジラの頂上決戦2ラウンドのマリナーズ対ヤンキース戦は午後7時5分プレーボールとなった。イチローの見せ場は1回の裏にいきなりやってきた。ヤンキースのエースであるデイビッド・ウエルズの速球を捕らえたイチローの打球は平凡な一塁ゴロとなってニック・ジョンソン一塁手の前に転がっていった。ニック・ジョンソンが一瞬自分でベースに入るべきかカバーに入ろうとしている投手にトスするべきか迷ったそのわずかな隙をぬって猛然と加速してきたイチローの動きに動揺し、ベースタッチが一瞬遅れイチローと同時になってしまった。判定としてはアウトになってもセーフになってもおかしくないタイミングであったが、一塁塁審もイチローのスピードに押され、思わず両手を広げてしまった。マリナーズファンの歓喜も覚めやらぬうちに4番のエドガー・マルチネスの2ランホーマーによりマリナーズが2点を先行した。イチローは2打席目も1,2塁間にゴロを転がし、アルフォンゾ・ソリアーノ2塁手の悪送球による内野安打でヤンキース内野陣を恐怖のどん底に陥れていた。

しかしながら結局イチローが活躍したのはこの2打席だけで大差をつけられた7回には早々と控え選手と交代してしまった。一方ゴジラの方は満塁で回ってきた3回表の2打席目にセンター前に同点タイムリーヒットを放ち、昨日のホームランと合わせて見事にゴジラの逆襲を果たすことに成功していた。また、5打席目にも右中間に2塁打を放ち16点目のホームを踏んだ。9回の表には腰痛から復活を期している大魔人佐々木が調整登板し、88マイルしかスピードが出なかったもののすでに打ち疲れていたヤンキースの攻撃を3人で締めていた。結局試合の方は16対5でヤンキースが勝利するという大味な展開になり、超満員の46,000人が陣取っていた観客席も試合後半には空席が目立つようになっていた。

5月9日(金)

午前8時発の飛行機で地元のサンフランシスコに戻ってきた。ゴールデンゲートブリッジを超え、US101からカリフォルニア1号線に入り、1時間ほど車を転がすとPoint Reyes National Seashoreという太平洋にに突き出した風光明媚な海岸地区に到着した。ここはホエールウォッチングが出来る美しい海と鹿、狸、狐、ウサギ等が生息している深い森と1869年からおびただしい数の牛を放牧しているHistoricな牧場からなっている。レンタカーのレンタル規約により、本当は運転することの出来なかったマサに無理やり車を運転させて実施したFTBツアーの起源であると言われているマウント・タマルパスをはじめこの辺の地域は山や谷による複雑な地形と深い森やきれいな海により米国有数のレクリエーションエリアを提供しているのだ。

今回の第5次MLBツアーの最終戦となるオークランド・アスレチックス対ニューヨーク・ヤンキースの試合は全米一ガラの悪いオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムで午後7時5分より開始となる。この球場へは1年ぶりくらいに足を運ぶことになったわけであるが、何と駐車場代が$15に値上げされていた。ちなみに私が本拠地にしていた1998年当時はわずか$5だったのだ。当時のアスレチックスは弱小球団であり、観客も毎試合1万人そこそこしか入らなかったのであるが、ここ数年はマリナーズと首位を争うほどの強豪球団に変貌を遂げ、今日はヤンキース戦ということでガラの悪い輩が4万人以上詰め掛け、ここかしこで「Yankees Suck!」コールがこだましていた。また、1998年8月3日にマサとヤスを従えてNHK衛星第一放送に出演した実績のあるライトの外野席は今日も激戦区の様相を呈しており、不幸なヤンキースファンがオークランドファンの執拗ないじめにあい、早々と球場を後にする姿も目撃された。

ニューヨーク・ヤンキースにジェイソン・ジオンビーという2年前はオークランドのスーパースターでありながら金に目がくらんでニューヨークに移籍してしまった強打者がいる。当然のようにジオンビーが打席に立つたびに球場内はわれんばかりのブーイングで盛り上がっていた。ジオンビーはこのブーイングを自分に対する応援だと勘違いしたのか4回の表にレフトスタンドに同点2ランを叩き込みやがった。今日の松井は昨日イチローが放った2本の内野安打を手本として三遊間とサード前に2本の内野安打を放ち連続試合安打を10試合と伸ばしたものの豪快な1発を見ることは出来なかった。試合の方は7対2でアスレチックスが勝利を収めたのでオークランド紛争は何とか収拾の方向に向かっているようだった。

5月10日(土)

Hilton HHornorsのポイントが余っていたのでマサであれば$200くらいかかるところを私はただで泊まっていたHampton Inn Oakland Airportをチェックアウトすると帰りの飛行機が出発するまでの時間を利用してサンフランシスコベイエリア一帯を車で流すことにした。オークランドからI‐880を北に進路をとりバークレイ、リッチモンドを抜けて橋を渡りUS101を南下してゴールデンゲートブリッジで通行料金を払おうとすると驚いたことにToll Chargeが$5に値上げされていた。

サンフランシスコ国際空港は長年のうっとぉしい工事が終了し、空港エリア一帯を循環するモノレールが完成し、世界でも有数のインテリジェントな空港として生まれ変わっていた。

ANA007便にてサンフランシスコより帰国・・・

FTBサマリー

総飛行機代  \152,200

総宿泊費  $305.37

総レンタカー代  $537.11

総ガソリン代  $77.86

総走行距離  1567マイル

総Toll代  $39.8

総目撃したゴジラのヒット数  6

総20マイル制限のスクール区間を35マイルで走って警察からあやうくチケットを切られそうになった回数  1

今回訪問した州、および地域 ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニア、デラウエア、

              メリーランド、ワシントンDC、イリノイ、、ケンタッキー、オハイオ、

              ワシントン、カリフォルニア

今後の活動予定 鋭意検討中!

協力 ANA、Hilton HHonors、Days Inn、Motel6

FTBJ瀬戸内、坊ちゃん、世界文化遺産の旅

ホーチミンを旅行した坊ちゃん育ちのマサよ、君はマサかSARSに感染していながら、さぁ~?とすっとぼけて暮らしていないだろうな!?

ということで戦争とSARSの恐怖、はたまた飛び石連休による効率の悪さのため、例年より出足の悪くなっているゴールデンウイークであるが、皆様は有意義にお過ごしだろうか? 私はこの逆境にもめげずひたすら新規開拓にいそしんでいる今日この頃である。

4月26日(土)

ボーイング社が誇るB747SR(スーパージャンボ)を就航させるほど大きな空港を持つ松山を目指してANA583便は定刻7時25分よりやや遅れて出発した。飛行機が段々と高度を下げるに従って小柳ルミ子にも歌われた瀬戸内の島々の段々畑の景色が目の前に迫ってきた。午前9時過ぎには夏目漱石の秀作「坊ちゃん」の舞台となった愛媛松山空港に到着すると早速空港バスでJR松山駅に向かった。

今夜は♪長い夜♪になりそうだと思いつつ、春の陽光の中を♪め~ぐ~るぅ、めぐる季節のなぁかでぇ~、あ~な~た~は~何を見つけるだろお~♪と鼻歌を歌いながら、松山城に向かって歩いていると偶然にも松山市民会館で6月19日に行われる予定の「風光る」松山千春コンサートの看板を見つけてしまうという非常に出来過ぎた事態に遭遇してしまった。北海道足寄町出身で今では鈴木宗雄の舎弟になりさがっている松山千春であったが、松山つながりでこんなところにも勢力を伸ばしているのかと思うとスキンヘッド(単なるハゲか?)も伊達じゃないと思われた。

松山城は姫路城、和歌山城とともに日本三大連立式平山城に数えられる名城で1627年に竣工したものだ。海抜132mにそびえているこの城までにはロープウエイとリフトが運行されており、入城料と合わせてわずか¥1,000で発売されているのだ。天守閣をはじめとする城内からは四国最大の都市である松山の姿が一望出来るようになっている。

マサよ、君は「のぼさん」を知っているか!?

日本を代表する俳人である正(マサ!)岡子規は幼名を「のぼる」と言い、のぼさんという愛称で親しまれていたそうだ。松山市立子規記念博物館(¥300)にはのぼ~とした風貌の「のぼさん」に関する数多くの資料が展示されている。子規は結核性脊椎カリエスのため、わずか35歳で生涯を閉じてしまったのだが、明治期のベースボールの普及に多大なる貢献を果たしていたため、2001年には晴れて野球殿堂入りし、東京ドーム横の野球博物館にレリーフが展示されているほどたいした奴なのである。また、松山中学の英語教師として1年間松山で教鞭を取ったことのある夏目漱石とも親交が深く、漱石が作った数多くの俳句の添削も行っていたのだ。その関係で博物館の中では漱石の資料もいくつか展示されており、数多く映画化された坊ちゃんの中でも中村雅(マサ!)俊が主演したフィルムの名場面が上映されていた。

松山に来て道後温泉に来ないと松山に来た意味がないということは世界の人々の常識になっているので6年振りくらいに入湯することにした。3000年の歴史を誇る日本最古の道後温泉にはそのシンボルとして明治27年に建立された三層楼の建物である道後温泉本館が君臨している。この本館のシステムはリッチな霊の湯と庶民的な神の湯からなっている。また、神の湯には二階席(¥620)と階下(¥300)に分かれており、二階では浴衣とお茶と煎餅でくつろげる特典が付いているのだが、階下は普通の銭湯になっているのだ。

4月27日(日)

ANAのご利用券が¥5,000分余っていたので安く宿泊することに成功した松山全日空ホテルを早朝チェックアウトするとバスで松山観光港に向かった。ここからは九州や本州各地に数多くのフェリーが出航しているので今日は9時40分発の広島行きのフェリー(¥2,500)に乗船することにした。船は瀬戸内海の島を縫うようにして航海し、戦艦大和を造営した呉港を経由して12時40分頃に広島港に入港した。

広島港は路面電車である広電のターミナルになっているため、そこを拠点に市内の様様なスポットに繰り出すことが出来る。今回厳選した目的地は日本三景にも選ばれている宮島になっていたので広電で1時間以上かけてはるばる宮島口までやってきた。宮島口からはJR連絡船と松大観光船(往復¥340)が宮島まで10分で観光客を運んでいる。http://www.amanohashidate.net/

厳島神社で有名な宮島は国宝より実力が高いとされる世界文化遺産に認定されている非常に風光明媚な観光地である。船が宮島桟橋に到着すると早速厳島神社を目指した。この神社の特徴は満潮時には巨大な鳥居と神殿が海水に浸ってしまい幻想的な光景を醸し出すところであるが、私が着いた時間は干潮だったため、多くの観光客が潮干狩りに興じているのどかな風景しか目にすることが出来なかった。

厳島神社宝物館(¥300)にヤフーオークションでも決して落札される事のない宝物が展示されているということだったのでどんなものか見物することにした。そこには美しい絵巻物や難しい漢字で書かれた古文書や切れ味鋭そうな刀、厳島大明神と書かれた看板が展示されていた。

宮島の奥地は深い原始林に包まれた山があり、サルや鹿等の野生動物の宝庫となっているのだが、鹿はその辺にごろごろしており、鹿せんべいを購入した観光客の動きを虎視眈々とマークしているのだ。島内には商店街があり、おびただしい数の土産物屋が出店しているのだが、名物のしゃもじとB&Bの洋七も推薦するもみじ饅頭はどの店も取り扱っている。また、世界一の大しゃもじという決してご飯をよそうことの出来ない無用の長物が誇らしげに展示されたりもしているのだ。

ということで世界遺産の島である宮島の下見を完了したFTBJはJRで広島駅に戻り、そこから空港バスで広島空港に向かい、ANA684便で羽田空港に帰って行ったのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 \3,400

総宿泊費  \4,702

総フェリー代  \2,500

次回はFTB第5次(ゴジ!)MLBツアーをお送りします。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 徳之島

沖縄本島以西の離島はほとんど制覇してしまったFTBJであるが、鹿児島と沖縄の間には奄美群島という数多くの離島が浮かんでおり、ここは手付かずの状態で残されてしまっている。今年は奄美群島日本復帰50周年ということでこの機会に何とか奄美群島を制覇しなければならないと考えていた。今回はその第一弾としてスポーティアイランドとして名高い徳之島を訪問することにした。

4月12日(土)

早朝6時50分発のANA619便にて鹿児島空港に9時前に到着すると、10時35分発のJAS977便に乗り継ぐために空港内で待機していた。ところが空港アナウンスに注意して耳を傾けると天候不良のため、徳之島行きは出発を見合わせる可能性があるかも知れず、10時20分ごろにそのディシジョンが下されるとの非常なメッセージが流されていた。もしフライトがキャンセルになったら、ノースウエストのマイレージが余っていたのでマサであれば\40,000くらいかかるところを私はただで入手していたチケットが無駄になってしまうのではないかと気が気ではなかった。

徳之島空港に着陸出来ない場合は鹿児島空港に引き返すという条件付で何とか離陸したJAS便はハーレクイーンエアーのクルーによる運行で15分遅れながらも何とか午後1時前には徳之島に着陸することに成功した。トヨタレンタカー空港営業所でダイハツミラをレンタルすると早速島の探索に繰り出すことにした。島をぐるっと回る感じで空港から31kmほど離れた島内で最も栄えている亀津という町でラーメンと餃子を食った後、海沿いに島の最南部を回ってから北上するようにミラを転がしていた。

徳之島は長寿の島として有名であり、世界一のじじいである泉重千代もこの島で120歳と237日の生涯を閉じたことで有名である。その栄光が称えられ、泉重千代像が島の南西部に誇らしげに建立されているのでとりあえず見といてやることにした。また、現役の世界一の長寿者として君臨しているばばあであるあの2日起きて2日寝るという「かまとばばあ」もここ徳之島で77歳まで生活していたということで何と「かまとおばあ茶ん」という便乗商法系のお茶まで販売されていやがった。

島内の景勝地として島の西部に犬田布岬があり、そこに戦艦大和の慰霊塔がそびえている。慰霊塔は巨大な大和の艦橋と同サイズで東シナ海を見下ろすように立てられているのだが、大和の復活は西暦2190年に波動エンジンを搭載し、古代進や森雪等を擁してイスカンダルに向かうまで待たなくてはならず、あと180数年はかかる見込みである。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/inutabumisaki.htm

♪さらばぁ地球よぉ♪と佐々木いさお系の渋い声で歌いながらさらに4kmほど北上すると犬の門蓋に到着した。ここは人畜に危害を及ぼす犬を海中に投じた実績により名づけられた景勝地でメガネ岩という侵食された断崖、絶壁が壮大な眺めを醸し出しているスポットだ。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/innnojyobuta.htm

マサよ、君はキューちゃんを知っているか!?

キューちゃんとは九官鳥でもオバケの・・・でもなく、女子マラソンオリンピック金メダリストの高橋尚子のことだ!キューちゃんがシドニーオリンピックや世界記録を樹立したベルリンマラソンの前にここ徳之島でキャンプを張っていたのはあまりにも有名な話である。その栄光をたたえて高橋選手が練習した全長31.2kmのコースは尚子ロードと命名されており、キャンプを張ったリゾートコテージ近くのスタート地点には尚子ロードの記念碑が建立されているのだ。そのおかげでこのコースは日本一のマラソン練習コースとしての地位を確立し、私も将来SB食品に転職して瀬古利彦監督のもとでアテネを目指そうと考えていたのでこのコースを走って見ることにした。しかし今日は非常に蒸し暑かったので小出義男監督と同様に乗り物で走ることにした。http://www.d1.dion.ne.jp/~hikkoshi/photo/amagi/naoko/naoko.html

島で唯一の健康ランドが天城町の東シナ海を見下ろす高台で営業しているので今日はそこに宿泊することにしたのだが、設備が非常に古く、漢方薬の湯も沸かしてなかったので思わず不健康になるのではないかと懸念された次第であった。

4月13日(日)

夜中に雷雨が島を遅い、窓の外では雷が鳴り響いていたのだが、健康を害した気分になった健康ランドを出る午前9時ごろには何とか天候は持ち直してくれた。

島を再びぐるっと1周した後、高橋尚子が感じたであろう針のむしろに座らされているような重圧を感じるためにムシロ瀬という景勝地を訪問した。しかし、ここではプレッシャーというよりもむしろ奄美十景に数えられている景色を堪能して十分リラックスすることが出来た。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/mushiroze.htm

島の北部に金見ソテツトンネルというソテツの巨木が数百メートルにもわたり群生し、トンネルを形成している景観を見ることが出来るスポットがある。そのトンネルを通り抜けた先には東シナ海と太平洋が眼下に広がっているのだ。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/kanami-sotetsu.htm

午後12時10分のフライトで徳之島を後にしなければならなかったので11時過ぎには空港に帰ってきた。空港の観光案内所にはキューちゃん、監督コンビの色紙や写真の他に磯野貴理子、羽田恵理香、ロンドンブーツの亮君、佐藤B作といったB級バラエティタレントのサインが誇らしげに飾られていた。

FTBサマリー

総飛行機代 \600

総宿泊費 \4,500

総レンタカー代 ¥4,750

総ガソリン代 \1,400

今後の活動予定:GWスペシャル「ゴジ」が出るか??

お詫び:1ヶ月前に購入した最新鋭デジタルカメラであるNikon CoolPix2100が故障してしまい、今回は篠山紀信と同等の技術を持つ私の写真の掲載が出来ませんでしたのでヘタクソなWEBの写真を添付させていただきました。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 渡嘉敷島

マサよ、君は渡嘉敷勝男という元世界チャンピオンを知っているか?http://www.tokashikigym.com/

ボクシング引退後トカちゃんというニックネームで芸能界を席巻した実績のある渡嘉敷勝男は石垣島出身の具志堅用高と同じく協栄ジムに所属し、沖縄県出身のボクサーとして5度世界タイトルを防衛した実績がある。今回は特にトカちゃんに敬意を表するわけでもないのだが、栄光の渡嘉敷の名前を持つ離島が那覇からわずか30分程度のところにあったので減量とトレーニングを兼ねて訪問することにした。

4月4日(金)

いつものように定時終業時間に仕事をほっぽり出すとその足で羽田空港に向い、夜8時発の那覇行き最終便に飛び乗り、夜11時過ぎにFTBJ指定宿になっている沖縄ホテルにチェックインした。

4月5日(土)

朝10時に泊港を出発するフェリーけらまに乗船するつもりで「とまりん」というポートタウンに歩いて向かっていたのだが、今日は何故か油断していたため、道に迷い、何とフェリーに乗り遅れてしまったのだ。不屈の精神力を持つ私はここで気持ちを切り替えて国際通りのはずれにある那覇市第一牧志公設市場で生鮮食品の見学をすることにした。この市場はテレビの沖縄特集では必ず取り上げられるほど有名でキャイ~ンや優香も訪れた実績がある。鮮魚コーナーでは本土では決して見ることが出来ないようなカラフルな熱帯魚系の魚がところ狭しと並んでおり、ここで購入した魚介類は2階の食堂で調理してもらって食うことも出来るのだ(調理料別)。

公設市場で身についてしまった生臭さを消すために、那覇港の近くにある那覇湯遊ランドアメリカ湯(¥2,000)に入場することにした。ここは24時間営業の健康ランド系のファシリティで台風等で飛行機が飛ばなくなった時には仮眠室で夜を明かすことも可能なのだ。また、ここにはマッサージ、塩もみ、アカスリ等のオプションメニューも充実しており、私もボクサーのように減量が必要だったので生まれてはじめてアカスリ(¥2,500/20分)というものを受けることにした。

ヘチマの繊維系のパッドが付いた手袋をはめたおばちゃんにうつぶせになるように指示されて手ごめにされているとおびただしいほどの角質層が垢となって私の体から排出されていった。続いて仰向けになり、おばちゃんの手が私の腹部にかかった瞬間に沖縄弁で「これは何ですか?」と質問されてしまった。「これは一般的には腹筋というやつですよ」とすかさず回答するとしきりに感心したおばちゃんは「何か運動でもやっているのか?」と聞いてきていつものスポーツ談義に話がすりかわり、擦る手にいっそう力が込められた感覚を覚えた。

1日に2便運航している高速船マリンライナーとかしきが出航する午後4時半前に「とまりん」に戻ってくると高速フェリーで波を越えて35分程度の航海で渡嘉敷港に到着した。今日は宿泊先を決めていなかったので渡嘉敷村にある適当なホテルにアプローチした。そのホテルの若者はあいにくここでは宿泊出来ないので姉妹店を紹介してくれるということで島の反対方向のビーチ沿いにある「とかしくマリンビレッジ」というリゾート系のホテルに宿泊することに相成った。

ホテルに向かう道すがら若者が島の景色の説明をしてくれた。若者曰く、島には野生のヤギが生息しており、そいつらを拉致してきてその辺の原っぱにつないでおき、太ったころを見計らって食ってしまうということであった。また、山にはガラガラヘビより恐ろしいハブが潜んでおり、あいつらはグルメじゃないので何でもぺロリと言ってしまうので注意しなければならないそうだ。

「とかしくマリンビレッジ」は島では有数の高級ホテルの様相を呈しおり、目の前に広がる白砂の渡嘉志久ビーチから幻想的なサンセットを堪能して優雅なひとときを過ごすことが出来た。

4月6日(日)

今回の減量メニューの第2弾として早朝より波打ち際でのランニングを行なっていると巨大なカニが波にもまれて砂浜に上陸する姿を目撃した。カニはかなり弱っている様子で自力で歩くのもままならない状態であったのだが、不適にも両手のピースサインは決してくずそうとはしなかった。

朝10時近くになったのでチェックアウトしなければと思いフロントに向かったのだが、私の帰りのフェリーが夕方なのを知っているホテルの責任者により、夕方まで部屋を使ってよいという粋な計らいを受けてしまったので安心して部屋のテレビでヤンキ-ス戦を観戦することが出来た。

窓を全開にして潮風を浴びながらTVで松井の活躍を確認した後、渡嘉敷島最大のリゾートスポットである阿浪連ビーチに向かった。阿浪連ビーチ近辺にはおびただしい数の民宿やダイビングショップが林立しており、おばあちゃんに呼び止められた食堂でゴーヤチャーハン(¥600)を食った後、ビーチに降りてみることにした。白砂のビーチのはずれには風光明媚なトンネル岩が不気味な口をあけており、展望台からは日本有数の透明度を持つといわれるケラマ諸島の美しいビーチの景色を目に焼き付けることが出来た。この島はこれといった名所やリゾートの設備はないのだが、この世のものとは思えないほど海がきれいなので海を見ているだけで十分疲れた心身を癒すことが出来るのだ。

夕方高速フェリーで泊港に戻り、フライトまでの時間を利用して再び公設市場に行って夕飯を食うことにした。道頓堀という看板で営業している食堂のメニューの中でかに汁(¥1,500)が目に付いたので試しに毒見することにした。大量生産していると思われ、ものの数分で私の目の前に姿を現した丼の中には分解されて煮込まれたかにが無造作に放り込まれており、かにあしの関節を折るたびにみそ味のしぶきが目にまぶしかったりした。また、定食にはグルクンという地元の魚のから揚げが付属しており、個別にグルクンの食べ方の指導を行っているおばちゃんによると頭からがぶりといかなければならないのだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥600

総宿泊費 ¥6,300 + ¥6,300(2食付き)

総高速フェリー代 ¥4,200

次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 徳之島をお送りします。

FTBSEAアンコールにおこたえしなくてもワット驚くアンコールツアー in カンボジア

ついに戦争が始まってしまった。戦争で悲劇を被るのはいつも善良な一般市民である。今回の戦争により、イラクでは新たな難民を生み出すことになり、これは大きな国際問題となって我々の前に立ちふさがる。今回FTBが厳選した目的地は難民問題解決途上でありながら、観光都市として復興を遂げようとしているカンボジアのアンコールワットを中心とした遺跡群であり、ここから貧しいながらも賢明に生きる力を学び取ることが目的であった。

2003年3月20日(木)

米・英連合軍がイラクへの攻撃を開始した当日とは思えないほど、成田空港第二ターミナルでは平然とした雰囲気で日常業務が遂行されていた。ANA915便バンコク行きB747-400は何事も無く、定刻17時25分に出発した。今年の4月より2年連続2回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員として活躍することが約束されている私に与えられた席は通常のエコノミークラスよりグレードの高いプレミアムエコノミーという席でいっちょまえにフットレストと電源プラグが据え付けられていた。

いつものように客室乗務員の責任者が私のところに挨拶に来たら適当に相手をしてやならければならないと思っていたが、今回はキムタクドラマのGood LuckでANAのスチュワーデスを演じている黒木瞳を彷彿とさせる女優系のレィディが来るかも知れないと期待に胸を膨らませていた。もし彼女が「御用があれば何なりとおっしゃって下さい」と社交辞令を投げかけてきたら、「こちらこそ、私に出来ることがあれば何なりとおっしゃってやって下さい。何だったら、財務省に私の舎弟のマサという者がおり、そいつをどやしつけて財務省の出張をすべてANA便に切り替えさせてあげましょう」と言うところであったが、挨拶に来やがったのは通常のスチュワーデス顔のチーフパーサーだったので座席TVで上映される「ハリー・ポッター秘密の部屋」に集中しているふりをしてかわしておいた。

タイのバンコク国際空港に夜の10時半ごろ到着するといきなり気温31℃の猛暑に見舞われた。今日は着いた時間が遅かったのでおとなしくComfort Inn Airport($39.-)にチェックインし、そのまま寝苦しい夜を過ごすことと成った。

3月21日(金)

タイ-カンボジア路線を中心に運航しているバンコクエアウエイズのPG930便、B717-200機は午前8時にバンコク国際空港を出発し、50分程度のフライトでアンコールワットへのゲートウエイシティになっているシェムリアップ国際空港に到着した。入国審査を済ませ、空港の外へ出るとおびただしい数の客引き系の人種が目を血走らせながら金持ちの客を物色していた。その中で何も頼んでいないのにTAKEO FUKUDAという栄光の私の名前のボードを掲げている若者が居座っていた。そ~か、カンボジアではすでに私は有名人なのかと一瞬勘違いさせられそうになったが、よく考えて見るとAngkor HotelをWEBで予約していたのでホテルの関係者がわざわざ出迎えに上がっている様子であった。

多少英語を話すペーンと名乗る若者が転がすトヨタカムリに同乗すると早速シェムリアップ市内のホテルを目指して走り始めた。車窓から眺めるシェムリアップの町並みは典型的な開発途上国の様相を呈していたもののアンコールワットの人気にあやかり、たくさんのホテルが建設中であった。車中でペーンが簡単に町並みの紹介をしてくれていたのだが、同時に彼の車を1日あたり$25でチャーター出来るので是非観光に使ってくれとしつこく営業をしかけてきたので最後には根負けして承諾させられてしまった。

朝の9時ごろシェムリアップでは高級ホテルの部類に属しているAngkor Hotelにチェックインすると色黒のおね~ちゃんからホテルのロゴ入りのクロマーというカンボジア式スカーフを首に掛けられてしまった。1時間後にペーンを待たせてあるロビーに戻り、早速アンコール遺跡群の調査を開始することにした。まず最初に訪れたのはアンコール遺跡で2番目に人気のあるバイヨンという寺院である。バイヨンは王と神の都市と言われているアンコール・トムの中心に位置しており、ピラミッド形式に積み上げられた石の表面に刻まれたデバダーという女神が印象的な寺院である。また、周囲を取り巻く回廊に施されているレリーフが美しく、レリーフ近辺には決して触らないようにとの注意書きの立て看板が立っていた。私もレリーフを触ってバイヨン寺院の仏像の鼻がもげたりしたらヤバイヨンと思ったので注意して見物することにした。また、寺院内には観光客の身を守ってくれる警察官が見回りをしていたのだが、アンコール・トムとはいっても小柳トムのような警察官の制服を着ているわけではなく、かといってバブルガムブラザーズのブラザートムのようにファンキーでもなかったのだ。

午後から待望のアンコールワットを訪問することになった。ユネスコの世界遺産として君臨しているアンコールワットはクメール建築の最終形と位置付けられ、12世紀前半に建立された宮殿である。幾重にも重なっている門をくぐって最終的にたどり着いた中央祠堂に登るためには人々を寄せ付けないような急な階段を登る必要があり、登っている最中にワッと驚かせば観光客は落ちてくるのではないかと思われた。

アンコールワットの敷地内のとある一角に多数の売店が出店しており、冷たいジュース等を$1で売りつけようと営業に励んでいる原住民にあっという間に取り囲まれてしまうような環境の中で私の目にとまったものは水生昆虫である巨大なタガメの姿煮であった。原産地は目の前の聖池であると思われ、腹部を噛むといかにもプシューと液が出てきそうな雰囲気を漂わせていやがった。

3月22日(土)

昨日ひょんなことからチャーターするはめになってしまったトヨタカムリを操るペーンの粘りにより、今日も彼を雇うことになり、午前9時に観光を開始することになった。シェムリアップの北部40kmの地点にバンテアイ・スレイという非常に美しい彫刻が施された遺跡があるということだったので車を飛ばして見に行くことにした。「女の砦」の意味を持つこの寺院には東洋のモナリザと称される優美なレリーフが名声を博している。ここでは建築物や彫刻の美しさよりも地雷を踏んだと思われ、片足の無い人が物乞いをしている姿が脳裏に焼き付いてしまった。

午後から炎天下の中、東メボン、ニャック・ポアンという遺跡を立て続けに見学することになった。東メボンは今では干上がってしまった貯水池の中心部に952年に建立され、四隅の象の石像を配したピラミッド式の寺院である。ニャック・ポアンは「からみあう蛇(ナーガ)」という意味を持つ治水に対する信仰と技術を象徴する寺院である。

マサよ、君はカンボジアのジャングルの中にギリシャ建築の名残を見たことがあるか!?

私は・・・見た。

というわけで、ニャック・ポアンと同時期に造営されたプリア・カンという遺跡は「聖なる剣」の意味を持ち、創建者のシャバルマン七世がチャンバ軍との戦いに勝ったことを記念して立てた寺院である。プリア・カンの中央祠堂周辺は迷路のように回廊が巡らされており、その北東に立つ建造物はまるでギリシャ建築を思わせるような石柱二層構造になっている。

アンコールワットを中心とする遺跡群の中でサンセットスポットとして人気ナンバー1に輝いているプノン・バケンは高さ60mの丘陵の上に祠堂を配しており、そこから南東の方向に樹海の中に浮かび上がるようにそびえているアンコールワットを見下ろすことが出来る。プノン・バケンに登るには急な斜面を徒歩で登るか、なだらかな坂を象に乗ってゆっくり歩く(上り$15.-、下り$20.-)かを選択することが出来るようになっている。

私がプノン・バケンに到着したのは3時半頃で日はまだ高く、なおかつ敷き詰められている石畳が熱せられた状態で石焼ビビンバの具のような気持ちでサンセットを待っていた。しかしこの日は残念ながら、西の空に雲がかかった状態だったのでクメールの大地に沈む燃えるような夕日を拝むことが出来なかったので仕方なくサンセットを待たずに撤収を決め込んだ。ちなみに象に乗って来た人は100%の確率で象と記念写真を撮っており、それを見てゾ~とした寒気を感じたので何とか石畳の暑さに対処することが出来たのではないかと思われた。

3月23日(日)

昨日の観光でペーンに$40もの大金を払い、彼もいい気になっていたので今日は彼を首にして別の観光手段を検討することにした。まず、朝一にシェムリアップのダウンタウンの中心にあるオールド・マーケットを散策することにした。このマーケットは原住民の生活と非常に密着した市場で生鮮食料品や干物等がところ狭しとならんでおり、エスニックな雰囲気と異臭を漂わせていた。

カンボジアの主要交通手段としてバイクタクシーという乗り物がある。この国ではバイクを転がすのに特に免許は必要なく、バイクタクシーの営業もホンダの原チャリ等を下取りしたオンボロバイクさえ持っていれば誰でも出来るのである。とあるコミュニケーションが苦手そうな少年がしきりに私に対して乗って行かないかと営業をしかけてきた。それじゃ~ここから10kmくらい離れたタ・プロ-ムまで$1でどうだと交渉したが、彼は$2と言いやがったので他をあたろうとした。お金に困ってそうなその少年はしきりに私の後を追いかけてきて結局$1でいいと妥協したので彼の後ろに乗っかることにした。

タ・プロ-ムはアンコールワット、バイヨンに続いて日本人に人気のある遺跡でスポアンという木の根が蛇のように石にからみつき、いやがおうでも自然の驚異を感じさせられる寺院である。この遺跡の状態はわび・さびを美徳とする日本人の心を打つようで今でも仙人が住んでいるような魅力を持っているのだ。

遺跡の調査を終えてタ・プロ-ムから出てくると私を上客だと判断した少年が待っていやがった。別に彼をチャーターする気もなかったのだが、そのけなげな態度を見てさらに$1払って近場のタ・ケウという遺跡まで案内させてやった。「クリスタルの古老」という意味を持つタ・ケウ寺院は、アンコールワット造営の試金石とされている。寺院建築の依頼主であるシャバルマン五世の突然の死により、石材を積み上げた状態で未完成のまま放置されているこの建物からはピラミッド式寺院という新しい造形への挑戦が見て取れるのだ!

少年のバイクのケツにまたがってバイヨンに再び向かいながら、もしここで転んで怪我でもしたら保険効かないからヤバイヨンと思っていた。バイヨンでは相変わらず地元の少年少女などが無邪気に観光客に対して愛想を振り撒いていたが彼らは一応人畜無害であった。別にアンコールにお答えするわけでもないが、最後はやはりアンコールワットで締めたいと思っていたので再びアンコールワットを見物することにした。アンコールワットの敷地内に寺院があり、橙色の袈裟を着た僧侶が行き来しており、彼らは出家した身にもかかわらずタバコを吸ったりするなまぐさ坊主である。また、その寺院は孤児院も兼ねているらしく、小さな少年少女が愛想よく挨拶を交わしてくれるシステムになっていた。

私が宿泊しているHotel Angkorの対面にバイヨンマッサージというマッサージ屋が開業していたので旅の疲れを取るために受けてみることにした($9.-/1.5H)。シェムリアップのマッサージ屋は目の不自由な人の自立をサポートするための仕事となっているので非常に料金が安く設定されているのだ。

3月24日(月)

定刻通り、朝7時10分頃帰国。途中で自宅により、風呂でカンボジアの汗を流して会社に出社。

カンボジア情報はナンボジァ(強引か・・・)特集!

*アンコール遺跡へ入場するためのチケットは高めに設定されており、それで遺跡の修復等を行なっている。料金は1日券=$20.-、3日券=$40.-、7日券=$60.-という設定で長くいるほどお徳だぜ。

*シェムリアップにゲストハウス「タケオ」という宿があり、私の許可も得ずにソ~ト~安い宿泊料で日本人に人気を博しているそうだ。マサよ、財務省から圧力をかけて必ずマージンを取ってくれ!

*主要な遺跡スポットには必ず飲み物屋とお土産屋が出店している。そこで私が耳にした言葉はツノもないのに「オニさん、オニさん」という原住民の営業文句である。詳しく説明すると「オニ(お兄)さん、オニ(お兄)さん、ツ・メ・タ・イ・オ・ノ・ミ・モ・ノ・ハ・イ・カ・ガ・デ・ス」と言っているのだが、おばちゃんもつぶらな瞳の子供も同じトーンで同じ言葉を喋っており、まったく応用の効かない奴らだと思われた。

*カンボジアの主要通貨はアメリカドルであり、補助通貨として現地のリエルが使われている。さらにカンボジア人は日本語でドルのことをダロだと言うものと思っており、日本人は皆心の中でそれは勘違いダロと思っているのだ。

FTBSEAスペシャルドキュメント「悲しきカンボジア少年物語」

これはわたしがバイヨン寺院に隣接するバプーオンという遺跡を見物していたときに起こった実話である。遺跡をゆっくりと歩きながら見ているとふいに少年が近づいてくる気配を感じた。みすぼらしい身なりの中にアグレッシブな雰囲気をたたえたその少年は頼んでもいないのにいきなり観光ガイドよろしく遺跡の説明を始めてしまった。特に話を聞く気のないふりをしながら歩いていたスキのない私に対して完全にロックオンをしてしまった少年はあくまでもマイペースで解説を続けていた。その間私の心の中ではどうやってこの少年を振り切るかもしくはいくらの支払いでケリをつけるべきかといった壮絶な心理戦が展開されていた。

巧みな英語を操る少年が言うことには彼は午前7時から10時まで学校に通っており、週$40の学費を稼ぐために自主的に観光ガイドをしている。また、彼の父親は地雷を踏んで死んでしまったので生活に苦労しているという話を巧みに織り交ぜてきた。日本有数の家なき子である安達裕美が取り入れたと言われている伝家の宝刀「同情するなら金をくれ!」作戦を少年が展開する前に何とか彼を振り切らなければならないと考えていた私に突然チャンスが訪れた。とある崩壊した遺跡を前にして少年が始めた解説はこの遺跡はカンボジアのある過激派組織が破壊したものだと言った瞬間に松田聖子よろしくブリッ子調で♪ピュアピュアリップス♪と歌い上げ、「それはロックンルージュや!君の言いたいのはクメール・ルージュやろ!」と関西伝統の一人ボケつっこみをかまして少年が動揺している隙に走り去る作戦を実行しようと思った矢先に少年の口からクメール・ルージュの言葉が出てしまったのでこの作戦は失敗に終わってしまった。

少年を振り切ることが出来ないまま、いくばくかの時間が過ぎてしまい、ついには少年の口からこの奥に僕の仲間がいるから一緒に来ないかい?との誘い文句まで出てしまった。しかし、驚いたことに少年がその文句を言い終えるか終えないかの瞬間に彼がいきなり林の中に走り去るのと同時にいくつかの人影が鋭く四方八方に分散する気配を感じた。何事かと後ろを振り向くとそこには現地の警察官の姿があった。警察登場のおかげで安心して遺跡見物が継続出来るようになり、非常に感謝していたのだが、結局警察の目を眩ませて先回りしていた少年に再度捕まってしまった。少年はここぞとばかりに学費を払うために$5ほどカンパしてくれよ!と言い寄って来た。私もその頃には少年の粘り強さに心を打たれていたので$5程度だったらと思い、めぐんでやることにした。ここで気をよくした少年はさらに$10を要求してきやがった。冷たく断ると「お兄~さんはバンコクから来たんだったら、タイバーツが余ってるだろ、それをくれよ!」とさらに食い下がって来たので、さすがに私も黒柳徹子のような度量の広さを示すことが出来なくなり、とっとと撤収することにした。

しかし、警察の出現なしに少年の案内する場所に連れて行かれてたら今ごろの私はどうなっていたのだろうかと思うと非常に不思議な気持ちである。(総)

FTBサマリー

総飛行機代 \77,820.-, THB11,700.- (THB 1 = \3.27)

総宿泊費 $203.8

総車チャーター代 $65.-

総バイクタクシー代 $7.-

総遺跡チケット代 $40.-

総カンボジアビザ取得費用 \3,000.-

総バンコク国際空港使用料 THB500.-

総シェムリアップ空港使用料 $15.-

今後の活動予定: 慶良間諸島、徳之島、ゴジラ等盛りだくさんです。

協力 ANA, Bankok Airways

第二回ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし!リベンジ編)

前回までのあらすじ

西暦2002年3月2日(土)構想5年の歳月をかけて実行に移されたFTB念願の流氷ながれ旅であったが、網走では強風のため、オーロラ号が欠航になり、翌日の紋別でのガリンコ号においては船は出航したものの航路上に流氷が無いため、単なる寒い海のクルーズに甘んじてしまったというこれ以上ない屈辱を味わってしまった。その日を境にFTBはリベンジの炎と化し、FTBの総力を結集して1年後に必ず雪辱を果たすべく、オホーツク流氷科学センターや北海道大学流氷施設とタイアップして物理的/化学的な観点から流氷のながれの綿密な調査を実施し、今回記念すべき瞬間を迎えるに至ったのである。

3月15日(土)

ノースウエストのマイレージが余っていたので、マサであれば¥6万くらいかかるところを私はただで日本エアシステムが運航する羽田-女満別の往復航空券を入手していた。JAS183便、エアバスA600-B2機にて午後1時過ぎに女満別空港に到着するとニッポンレンタカーでレンタルしたホンダのフィットが妙に体にフィットした感覚を覚えながら一目散に網走の海に向かって車を走らせていた。流氷レーダーで日々の流氷の動きをつぶさに観察していたものの去年の悪夢がトラウマになっていたため、実際に海の状況をこの目で見ないと不安で仕方がなかったのだ!

高鳴る鼓動と不安を胸に車が沿岸部に近づいて来ると思わず「何か知らね~けど、海がやけに白くね~か?」と叫んでしまった。そう、網走沿岸部は白くて分厚い氷で一面覆われていやがったのだ!とりあえず、海の状況を見て安心したのか、急に昼飯を食っていないことに気が付き、網走のとあるラーメン屋でガチンコラーメン道の佐野さんを彷彿とさせる親父が作っているみそチャーシュー・ワンタン麺(\950)を食って腹ごなしをした。

最大旅客定員450名を誇る流氷観光砕氷船オーロラ号が網走で営業しており、この船に乗らなければ網走に来たことにはならないと言われているのであらかじめ1ヶ月前から予約をしておいた。オーロラ号の砕氷の仕組みは傾斜角30度を持った船首の下に流氷を誘導し、船底方面で流氷を叩き潰すような技術を用いており、最大で80cm厚の流氷に対応出来るとパンフレットに誇らしげにうたってあった。しかしながら、今日、オーロラ号の受付カウンターで流氷が厚くて沖合いに出られないのでクルーズ時間を1時間から30分に短縮し、港内をちまちま航行するという事実に直面して愕然とさせられてしまった。その代わりに通常¥3,000の乗船料を¥1,500に値引きして観光客の機嫌を損ねないように営業努力している姿勢を買ってクルーズに参加してやることにした。

船が岸から離れるとあたりは一面氷に覆われた白い世界に囲まれてしまった。時おり巨大な流氷にぶちあたると491トンのオーロラ号であっても船は傾き、デッキは観光客の歓喜と恐怖と怒号に包まれていた。上空には渡辺真知子が放し飼いにしていると噂されるカモメが飛びかい、観光客がデッキから投げているかっぱえびせんの奪い合いが展開されていた。

ということで、今日は流氷クルージングの練習が十分に出来たので、夕方オホーツク沿岸を100km程度北上し、ガリンコ号が待つオホーツク紋別へと向かった。途中、サロマ湖の近辺で日が沈んできたのでかの有名なサロマ湖の夕日を見物しようと思ったが、残念ながらシャッターチャンスを提供出来るスポットに駐車することが出来なかったので断念せざるを得なかった。

3月16日(日)

FTBの常宿に認定された天然温泉付き、紋別プリンスホテルをチェックアウトすると予約していた9:30の便に乗船するためにガリンコ号ステーションに向かった。1987年に就航開始した初代ガリンコ号をさらにパワーアップして1997年から営業開始したガリンコ号IIは網走のオーロラ号よりも船体は小さいもののオーロラ号には装備されていない流氷を粉砕するためのドリルが船首についており、どんなに強力な流氷にもガチンコ勝負を挑むことが出来るものと信じていた。

ところがやはりここでも分厚い流氷の集団が行く手を阻んでいるため、船はあまり奥へは進めないと受付のおね~ちゃんにドリルの代わりに釘を刺されてしまった。しかもガリンコ号のプライドにより、一切のチケットのディスカウントは提供されなかったのだ!何はともあれ出航の時間になり、船は港を離れていった。デッキから流氷で覆われた海面を見下ろすと天然記念物であるオジロワシが流氷の上で羽休めをしながら観光客の挙動を観察している光景が目に飛び込んでくる。また、船上でアクセス出来る最前部からガリンコ号IIが誇る2基のドリルが流氷をガリガリする光景に多くの観光客の目は釘付けになっていた。尚、このドリルはガリガリするだけでなく、回転する方向や速度を変えることによって船の舵取りが出来る仕組みになっていた。

ガリンコ号IIは乗船場に戻ってくる前にオホーツクタワーに寄港し、ガリンコ号とオホーツクタワー見学のセットチケット(別々に買えば¥4、200だが、セットでは¥3,600)を購入している乗客はここで下船することになっている。オホーツク流氷科学研究所の拠点となっているオホーツクタワーは地上にある観測展示室や展望室に加え、海底階には海底自然観測室が設置されており、流氷の下でさまざまな生命を育むオホーツク海の知られざる状況を垣間見ることが出来るようになっている。また、ここでは生きたクリオネが水槽の中で飼育されており、オホーツクの天使といわれるその美しい姿を目を凝らしながら観察することが可能になっているのだ!

オホーツクタワー内の掲示板に紋別市内の流氷岬に数年ぶりに流氷山脈が出現したので見に行かないと損するぜ!といった内容が掲げられていたので見に行って来た。流氷山脈とは流氷移動の圧力により、波打ち際に打ち上げられた形になっている流氷群が山のように重なり合っている代物で立ち入り禁止区域に指定されているにもかかわらず、多くの命知らずの親子連れ等が流氷登山をエンジョイしていた。

ということで今年は例年になく、流氷の当たり年のようで昨シーズンにガリンコ号が公式発表した流氷体験率60数%を大きく上回る実績を残すものと思われる。尚、流氷クルージングは4月6日までが運航期間となっているので早く行くことをお勧めいたします。

FTBサマリー

総飛行機代 ただ

総宿泊費 ¥5,460

総レンタカー代 ¥8,400

総ガソリン代 ¥1,577

総流氷観光砕氷船代 ¥4,500

協力 ノースウエスト航空、日本エアシステム、ニッポンレンタカー、オホーツク流氷科学センター

   北海道大学流氷施設

http://www.ohotuku26.or.jp/organization/center/bunpu/radar.htm
http://www.hokudai.ac.jp/lowtemp/sirl/shome.html

次回はFTBSEAアンコールにおこたえしなくてもワット驚くアンコールツアー in カンボジアをおおくり

します。マサよ、放浪中のベトナムから国境を越えて私のところへ必ず挨拶に来いよ!

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 久米島(出来るだけニュースです!)

ザ・ベストテンから久米宏を引き抜き、1985年10月7日に鳴り物入りでスタートしたニュースステーションも18年目を迎え、そろそろ方向転換を余儀なくされていることと予想される。マンネリ化を打開するために「世界の車窓から」にFTBネタを取り入れた特集を毎週月曜日にお送りするプランをテレビ朝日に売り込むために久米宏にゆかりのあると思われる久米島を訪問することにした。

2003年3月8日(土)

6:55発ANA991便那覇行きに搭乗すべくいつものように朝4:00過ぎに起床し、電車を乗り継いで羽田空港に向かった。10時前に那覇に到着し、乗り継ぎまで2時間半程度の時間を持て余していたので「いこうよ、おいでよ沖縄」キャンペーンが主催し、空港のみやげ物売り場近くの広場でとり行なわれている琉球伝統芸能を見物させていただいた。数ある演目の1つに獅子舞の乱舞があり、2人がかりで獅子舞をあやつり、一糸乱れぬ呼吸でかぶりつきで見物していたギャルの前に転がり込み、渡辺真理系のギャルを恐怖のどん底に落とし入れている様子にしばらくの間見入っていた。

JALの子会社であるJTAが運航するNU211便に乗り込み、久米島に到着したのは午後1時を過ぎた時間だった。空港バスで久米島を代表するイーフビーチに移動し、全日空ホテルズが誇るリゾートホテルである久米島イーフビーチホテルにチェックインした。このホテルは社会人野球チームや大学野球のスプリングキャンプによく使用されるホテルらしく、この日も中央学院大学硬式野球部に歓迎の意を表した垂れ幕が誇らしげに垂れ下がっていた。また、ホテルの敷地内にはANAのロゴが入ったエアードームが設置され、雨の日でも厳しい練習が出来るように配慮されていた。

ホテルの部屋はすべてビーチに面しており、松田聖子も推薦する渚のバルコニーが各部屋に設置されていた。バルコニーからは♪ラベンダーの夜明けの海♪は見えないものの、七色に変化する美しい遠浅の海を目にすることが出来る。海を眺めつつこのまま昼寝の体制に入りたいと一瞬思ったのだが、今回は久米宏以上に出来るだけニュースをお伝えする使命を負わされていたので仕方なく取材に繰り出すことにした。

潮風にさらされて醜く錆びてしまっているママチャリをレンタル(¥1,000/2h)すると早速、奥武島海岸に向かった。マサよ、君は畳石という奇岩を目にしたことがあるか!? 畳石とは県指定天然記念物に指定されている奇岩群で火山の奇跡により、5角形や6角形の石、約1,000個がたたみかけるように白い砂浜に敷き詰められている世界的にめずらしい岩石群である。

ウミガメをサカナにして海洋汚染に対する警告を発している久米島ウミガメ館(\300)が畳石の近くでひっそりと開業していたので入館することにした。正面玄関の自動ドアが開くといきなり館長の大役を仰せつかっている浦島太郎ロボットが九州弁で「裏閉まっとったろう?」と言う代わりにここでの見所を簡単に紹介してくれる仕掛けになっていた。太郎曰く世界の海には8種類のウミガメが生息しており、そのうちの6種類が日本に上陸して産卵をしているそうなので決していじめたりしないでくれと申していた。ここではアオウミガメやアカウミガメやタイマイの小亀や親亀が水槽の中で飼育されており、中でもタイマイは甲羅の美しさからベッコウに加工され、大枚はたいて売りさばかれてきたという忌まわしい歴史を持っているそうだ。

3月9日(日)

お天気です。昨日は一日曇り空で気温は17度までしか上がりませんでしたが、今日も雲が多く、時折晴れ間が覗く程度ですっきりしない天気でしょう。

続いてスポーツです。数多くの陸上短距離オリンピック選手を輩出した東海大学陸上部は裏腿のハムストリング筋を鍛えるために砂浜での裸足のダッシュを推奨しておりますが、今日は朝からそのトレーニングをイーフビーチの白砂浜上で実践いたしました。イーフビーチは日本の渚百選にも選ばれている砂浜で波打ち際にはサンゴのかけらや貝殻も多く含まれているものの波の届かない場所では木目の細かい砂の上を走り回ることが出来ました。

出来るだけニュースです。

*今日午後12時頃、久米島で最も恐ろしい観光スポットであるおばけ坂を訪問しました。おばけ坂は一見登りのように見える坂が実は空き缶やタイヤのホイールを置いていると自分が意図する方向とは逆方向に転がってしまうということであたりにはおびただしい数の空き缶が散在しており、また、実験用と思われる車のホイールが無造作に転がっていました。尚、「桜坂」で多額の印税を手にした福山雅(マサ!)治が新曲「おばけ坂」で2匹目のどじょうを狙っているのではないかと地元の人は戦々恐々としている模様です。

*子宝に恵まれない女性が拝むとご利益がある女性の神様であるミーフガーが島北部に君臨しています。久米島ではこのミーフガーに相対するガラサー山という男性のシンボルの形を持った小島もあり、そんじょそこらの大人のおもちゃ屋では太刀打ち出来ない自然の造形美を醸しだしています。

*国指定重要文化財に指定されている五枝の松は高さ4mの琉球松でありますが、3本の枝が地を這うように伸びている様はマサに自然が造り出した盆栽と言えるでしょう。

*ヤジャ・ガマという久米島唯一の鍾乳洞(¥800)に入ろうとすると入り口近くで壺に入った人骨をライブで見ることが出来、恐怖で背中が凍りつく感覚を覚えます。これは風葬の名残だそうで決して未解決の殺人事件ではありません。

*イーフビーチの次ぎに有名なアーラ浜は干潮になるとアーラ不思議!さんご礁が海面から出現し、七色の浜を形成します。

次週の特集は第2回ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし!リベンジ編)を網走、

紋別からお送りする予定です。

最後に為替と株価をご覧いただきながらお別れします。日本経済は財務省の失政のために立ち直れない状態なのでマサを生贄として供える必要が出てくるでしょう。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥11,000

総ホテル代 ¥ただ(ANAご利用券利用)

総バス代 ¥540

総レンタカー代 ¥9,760(ガソリン代込み)

総レンタサイクル代 ¥1,000

協力 ANA、JAL/JTA、全日空ホテルズ

FTBJこいのからさわぎ in 山陰

マサよ、君は長州力を筆頭にした新日本プロレス維新軍団であるラッシャー木村、キラーカーン、アニマル浜口、マサ!斉藤を知っているか?

ということで昭和50年代後半に新日本の主流派であったアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳らに対して革命を起こそうと蜂起した軍団が存在し、リング上でからさわぎしながらワールドプロレスリングの主役となっていった。今回のFTBJはからさわぎと維新の精神を辿るためにわざわざ冬の山陰地方をさまようことになったのである。

2003年2月22日(土)

ANK575便、B737-500機にて昼過ぎに島根県石見空港に到着すると早速ニッポンレンタカーでマツダのデミオをレンタルした。小雨がそぼ降る中、国道9号線を1時間ほど西南西に走ると1時間ほどで津和野という観光地に到着した。津和野は周囲を山に囲まれ、白壁と赤瓦のコントラストが美しい城下町であり、掘割という側溝におびただしい数の鯉がからさわぎをしながら悠然と泳いでいる様子をライブで見ることが出来ることで有名である。

しかしながら、20数年ぶりに訪れた津和野は鯉の数がかなり減少している様で、地元の郷土料理屋でも鯉こくや鯉の洗いなどの鯉料理をふるまうところもかなり少なくなっているようだった。昼飯時にとある茶屋で津和野定食(¥1,500)を発注したところ盆の上にはこんにゃくの刺身と川魚の煮付けや普通の魚の刺身等が並んでいた。この光景を見たマサであれば、土曜の夜11時でもないのに強引に「こいのからさわぎ」を発注しようとして店員に「うちではさんまはあつかってまへん!」と断られ、説教部屋に連れていかれてピコピコハンマーでぼこぼこにされていたことであったろう。

あがん祭という地元の食い物を誇らしげに展示する催場が無料で開放されていたのでそこに侵入してにごり酒等の地酒や源氏巻というお菓子やがん茶を賞味することに成功した。ちなみに「あがんさい」とは地元の言葉で「あがりなさい」つまり「召しあがりなさい」という意味だそうだ。

2月23日(日)

昨日から降り続いていた雨もなんとかあがり曇り空の中を早朝より太鼓谷稲成神社を参拝して遅めの初詣を実施した。この神社は日本5大稲荷神社の1つに数えられるほどの大手であり、270段の階段を登って到達する山間の神殿から津和野の景色を一望することが出来る。

国内旅行のツアーパッケージでは津和野と必ずセットになっているのが山口県の萩である。ということでからさわぎの喧騒もさめやらぬ津和野を後にすると50kmの道のりを西北西に向かい、一路萩を目指した。1時間ほど車を走らせると心なしか長州力の入場テーマが聞こえると同時にさそり固めをかけられた時のような激痛が腰部を襲ったような感覚に見舞われた時に長州の藩府であった萩に入ったことを実感させられた。

萩の市街地に毛利家ゆかりの萩城跡(¥210)が君臨していたので早速入城することにした。関が原の戦い4周年記念の1604年に着工し、1608年に竣工した萩城は1863年に第13代藩主毛利敬親が藩府を山口に移転するまでの260年間政治の中心であったそうだが、明治7年には天守閣、居館が解体されて今に至っているのだ。

萩城の隣の萩資料館(¥500)に入館し、数多くの幕末の志士達を生み出した長州の歴史を学習し、多くの若者が日本の夜明けを目指して散っていった様子を垣間見て首筋にリキラリアートを食らったような衝撃を味わった。そのままロープに飛ばされるような勢いで向かった先は吉田松陰を奉ってある松陰神社であった。境内に吉田松陰歴史館(¥650)というファシリティがあったので早速入場し、蝋人形を駆使した松陰の生涯のダイジェスト版を胸に刻み付けることに成功した。また、長州藩の藩校である明倫館に入ることが出来なかった子弟を教育した松下村塾が当時の面影そのままで残されている光景が大変印象的であった。

北長門国定公園内の笠山で萩つばき祭りが行なわれていたので立ち寄り、そのまま石見空港への帰路を走っていると「全国道の駅発祥の駅阿武町」という看板を目撃してしまった。現在日本には無数の道の駅が君臨しているが、なんとその元祖はここにあったことを思い知らされた。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥800

総宿泊費 ¥6,825

総レンタカー代 ¥9,975

総ガソリン代 ¥1,521

次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 久米島(出来るだけニュースを・・・)をお送りします。