FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in マウイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!!

ということで昨年末にハワイ島を制覇し、カメハメハ大王にもその実力を認められつつあるFTBであるが、今年はさらに近隣諸島を制覇すべく活動を開始した今日この頃である。ところで丸井の立地条件は駅のそばというのが定番であるが、マウイはハワイ島のそばに位置している。ところがマウイ島はマルイ島ではなく、火山活動により2つの島がくっついて形成されたひょっこりひょうたん島なのである。

2003年2月7日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば6~7万かかるところを私はただで成田-ホノルルの往復航空チケットを手に入れていた。トロピカルなリゾッチャ紋様を機体にあしらったB747-SR/LR機、JL074便は定刻21時45分に離陸すると6時間程度のフライトで午前9時半頃にホノルル空港に到着した。約2時間後にアロハ航空マウイ島カフルイ空港行きの島内便に乗り換えると正午過ぎには念願のマウイ島に上陸することが出来た。

JCBトラベルに次いでFTBの子会社として認定されつつあるパシフィックリゾートに日本で予約させておいたハーツレンタカーを空港でピックアップすると早速島の内陸部に向かって闇雲に車を走らせることにした。気が付くとSouth Mauiと呼ばれる沿岸部を走っており、マウイ島の新しいリゾート地帯であるワイレアから再び北上してビーチやゴルフ場、ホテル、コンドミニアムが連なるキヘイに到着した。

今回の宿泊地であるパシフィックリゾートに予約させておいたキヘイの入り口近くにあるMaui LUというリゾートホテルにチェックインし、2,3時間意識を失った後にWest Maui方面へのドライブに出発した。West Mauiの沿岸部には古き良き時代をしのばせるラハイナという町や史上最強のリゾート地であると言われているカアナパリ等のビーチリゾートが連なるように続いている。ところがリゾート地帯を抜けるとあたりは一変して土砂崩れの起こりそうな崖と海沿いの狭いクネクネ道が待っていた。しかし、熱帯雨林と青い海、青い空のハーモニーは絶景であり、これぞマウイ島の大自然の醍醐味であると思い知らされたのだ。

2月8日(土)

税金を使ってサンフランシスコに在住していた当時、ヨセミテを5回ほど見物したことがあるマサよ、君は太平洋にもヨセミテに匹敵する渓谷が存在することを知っているか!?ということで、文豪マーク・トウェインにして太平洋のヨセミテと言わしめたイオア渓谷州立公園に朝も早よから足を運ぶことにした。West Mauiの内陸部には古代からの火山活動と雨や風による浸食により、深く入り組んだ渓谷が形成されている。特にイオア渓谷の中でもイオア・ニードルと命名されている針のような尖峰は熱帯雨林の深い緑と青い空にマッチしており、神秘的な雰囲気を醸しだし、観光客を惹き付けてやまないオブジェとして君臨しているのだ。

お昼時にラハイナに立ち寄り、ノスタルジックなオールドタウンを散策することにした。ラハイナはカメハメハ大王の時代にはハワイの都だった町でその後は捕鯨基地として賑わい、捕鯨ブームが去った後はサトウキビのプランテーションで栄えた町であり、今では国立歴史保護地区の指定を受けて手厚い保護を受けているそうだ。

マウイ島観光のハイライトとしてハレアカラ・クレーターが君臨しているので午後から、ハレアカラ国立公園($10.-/car)に向かうことにした。ハレアカラとはハワイ語で太陽の家という意味で、標高3,030m、周囲約34kmのクレーターを持つ世界最大の休火山である。頂上まではレンタカーでもアクセス出来るので多くの観光客が寒さをこらえながら神秘的な色合いのクレーターとマウイ島全景の眺望を楽しんでいた。頂上からは80マイル南に位置するBig Island(ハワイ島)のツインピークスであるマウナケアとマウナロアが雲の上に突き出ている様子も垣間見ることが出来る。

また、頂上には天体観測のファシリティもあり、数多くの巨大天体望遠鏡が設置されていた。さすがに太陽の家にふさわしく頂上からのサンセットは神々しいおももちであり、天体観測とセットになった現地ツアーの参加者が皆同じ色の防寒具を着て涙(鼻水?)ながらにオレンジ色に輝く水平線の光景を目に焼き付けていた。

2月9日(日)

昨夕のハレアカラのサンセットの光景が目に焼き付いて離れないので今日は朝5時半に起床して再びハレアカラの頂上を目指すことにした。ハレアカラへの道は距離にしてわずか40マイル弱であるが、378号線あたりから勾配がきつくなり、急カーブの連続となるわけであるが、昨日のドライブの実績により、推定到着時刻を分刻みで計算していた私はサンライズの1分前にはクレーターの展望所に到着する予定になっていたのだ。しかしながら時差ぼけで体内時計が狂っていたせいか、私が到着した時間はなんとサンライズ後1分ほどの時間帯であり、丁度観光客が太陽光線からクルッと背を向けたタイミングであったのだ。しかしながら、朝日に照らされたクレーターを見るとここが「2001年宇宙の旅」のロケ地であったことも十分に納得させられた気がしたわけである。

なかば失意の内に下山を余儀なくされたわけであるが、日頃の行いが良いFTBには救いの神が待っていたのである。マウイ島は沿岸部のリゾート開発により数多くの観光客で日夜賑わっている島であるのだが、険しい地形ゆえ開発を阻まれた天国のようなビレッジが東海岸に存在している。

Heavenly Hana(天国のようなハナ)とはよく言ったものでここはカフルイ空港からわずか50マイルほどの目とハナの先の距離であるのだが、ここに到達するまでの道のりは617ものカーブと車が一台しか通れない56の橋を豊かな熱帯雨林と崖下に広がる太平洋を眼下にしながら長い時間をかけてドライブしなければならないのだ。アイルトン・タケオと言われるほどのドライビングテクニックを持ち、峠やシケインを猛スピードで通過することが出来る私であっても今回は3時間かけてはるばるハナまでやって来た。

ハナ湾の黒砂のビーチで地元の子供達が海水浴に興じている様子を見物した後、ハセガワ・ジェネラルストアという有名なよろず屋に立ち寄り、ハナ肇を銅像として着色することが出来る緑のペンキを買おうと思っていたのだが、すでに他界してかくし芸大会にも出れなくなっていたのでしょうがなく、ヤシの実で作ったお椀を購入してお茶を濁すことにした。

午後から再び3時間程度の時間をかけてハナからの道を引き返すことにした。途中島北部のカハナといううビーチパークで透き通るような海の上で強風を受けながらウインドサーフィンに興じている海の男(女)を見物することが出来た。ここはサーファーの聖地であるオアフ島のノースビーチに匹敵するほどのウインドサーファーにとっては重要なポイントだと言われている。

夕暮れ時に「究極のリゾート」「奇跡のリゾート」と言われている世界的に有名なカアナパリに到着した。カアナパリの中心地であるホエラーズ・ビレッジに車を止めると早速ビーチに乗り出すことにした。ここのビーチは砂は普通の砂場色の砂であるが、波は強く打ち寄せるため、波打ち際には25℃程の急角度が形成されていた。ここは芋を洗うほどの込み具合を見せているホノルルビーチよりも広く、人も少ないため、人々は余裕を持ってマリンスポーツにいそしんでいた。

カアナパリからラナイ島の後方に沈む幻想的な夕日を堪能した後、ホエラーズ・ビレッジ・ショッピングセンターを散策することにした。さすがに世界有数のリゾート地だけあり、多くのブランド物屋が軒を連ね、多くの金持ちそうな輩が買う気も無いくせにウインドショッピングに興じている様子だった。センターの3階はホエラーズ・ビレッジのミュージアムになっている。番場蛮の父親である土佐の漁師は自ら鯨の腹に入って腹破りをして鯨を捕獲していたのだが、ここではハワイ式の伝統的な鯨漁の手法を無償で学習することが出来るようになっている。

また、ビレッジには数件のレストランが出店しており、ハワイアンを聞きながら食事を楽しむことも出来る。尚、レストランの受付で予約を担当している女性は皆ハワイ出身の早見優を彷彿とさせる夏色のナンシー系のギャルであった。http://www.hayamiyu.com/J-bio.html

2月10日(月)

早朝6時55分の飛行機でマウイ島からホノルルに移動し、JAL075便にて帰国。リゾッチャビンゴの通算成績は0勝3敗と依然低迷状態である。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥19,330

総宿泊費 ¥45,916

総レンタカー代 ¥18,105 + $31.68

総ガソリン代 $34.12

総走行距離 571マイル

次回はFTBJ「こいのからさわぎ」をお送りする予定です。マサよ必ず来いよ!もし来なかったら説教部屋!!

FTB炎の離島デスマッチ in グアム

新年が明けてプロ野球も自主トレの季節に入ってきた。今年も数々の過酷なツアーをこなしていかなければならないFTBも長い1年を乗り切るための体力作りをしておかなければならないということでグアム島でミニキャンプを張ることになった。ちなみにグアム島とキャンプの関係は新人の原辰徳を用し、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチのトロイカ体制を敷いたジャイアンツが1980年にはじめてこの地でスプリングキャンプを行い、その年は見事に日本一になったという実績を持っているのだ。

2003年1月10日(金)

12月8日にグアム島を襲ったスーパー台風ポングソナの影響で観光客が激減しているため、午後10時発のANA923便の機内はガラガラではないかと思っていたのだが、少なくとも半分以上の席は埋まっている様子だった。

1月11日(土)

1時間の時差を越えてグアム国際空港に到着したのは午前2時半頃であった。ところで私がひいきにしてやっているハーツレンタカーは台風の影響で1月中は営業を停止しているということで予約を拒否されてしまっていたので今回は飛び込みで空港のエイビスレンタカーのカウンターを訪れることになった。何とかコンパクトカーの空きを見つけることが出来たので、今夜は車中泊を決め込み、車でグアムの繁華街方面に向かった。

とあるホテルの駐車場で夜を明かした後、午前9時頃から早速島内観光を開始することにした。アサンの海岸沿いに面したところに太平洋戦争国立歴史公園アサンビーチという公園があり、そこで太平洋戦争の歴史を学習していたときのことであった。体格が良く、ケツのでかい数人の若人が上半身裸、下は短パンのいでたちで芝生の上でランニングを始めていた。若人が持ってきたと思われるバッグが車の近くに無造作に置かれており、そこにはTigers 27という刺繍が入っていたので彼らは阪神の山田捕手を中心とする若虎たちであり、暖かいグアムの地に自主トレをしに来ていることが確認出来た。星野監督の目が届かないとはいえ、随分とタラタラとした練習ぶりだったので今年もBクラスは間違いないものと思われた。「仙一参上!」と書いたポストイットをバッグにでも貼っといてやろうかと思ったが、今回は見逃してやることにした。

マサよ、君は日本を代表するサバイバーである横井庄一を知っているか?

島の南東部タロフォフォという地域のタロフォフォフォールズリゾートパーク($20.-)の内部に横井ケーブという洞窟がある。これは元日本兵の横井庄一が28年間に渡って潜伏生活をおくっていた洞窟のレプリカであり、日本人としてここに来なければグアムに来た意味がないと言われている重要な歴史を証言するスポットである。1972年2月に原住民によって発見されるまで横井庄一は魚やエビを取ったりしながらこの穴でサバイバル生活を送っていたとのことで園内には当時の状況をしのぶ博物館や穴の断面図等が展示されており、ここに来ればジャングルでのサバイバル生活のノウハウを身に付けることが出来るのだ。

当時大蔵官僚であった独身時代のマサが居住していたのは京阪京橋駅徒歩5分のホテルオークラ館寮であったのだが、グアム島のホテルオークラは今は全日空ホテルズによって経営されている。ANAマイレ-ジクラブダイヤモンド会員の私は全日空ホテルズの無料宿泊券を2枚持っていたので今日と明日はホテルオークラに無料で宿泊することになっていたのだ。ホテルの部屋は当然のことながら海に面しており、広さは45平米と非常にゆったりしており,伊達に税金を浪費して造ったものではないことが確認出来た。

マサよ~、君はいつの間に指圧の免許を取得していたのか!?

ホテルオークラの部屋に設置されている机の上にとあるマッサージ屋のチラシが据え付けられていた。そこで私が目にしたものは何と「マサ指圧院」という文字であり、これはマサにマサが天下りする時の就職先として確保されていたものだと確信した次第であった。

夕暮れ時にジャイアンツがキャンプを張った実績のあるパセオ球場を見に行ったのだが、ここにも台風の被害が顕著に見られており、2基の照明塔が無残にも倒壊していたのだ。

1月12日(日)

グアムで最も有名な観光スポットとして恋人岬($3.-)が君臨しているので話の種に見に行って来ることにした。一般人はタモンビーチのホテル街から車やシャトルバスでアクセスするのだが、私はトレーニングがてらに歩いて向かっていた。すると4WDトラックに乗っているおっさんがいきなり私の前で車を止めて逆ヒッチハイクされてしまったのでその車に乗り込みいろいろと話をしたところ、やはり台風ポングソナは原住民のおっさんが今まで経験した中でも最大の台風だったと恐怖の色を浮かべながら語っていた。

恋人岬の伝説は無理やりスペイン人兵士との結婚を決められていた娘が原住民の恋人と駆け落ちしようとしたところ追っ手に見つかり海に身を投げて心中したという呪われた伝説のはずなのになぜかハッピーなカップルが目白押しのスポットなのである。おまけに隣に挙式が可能な教会まであり、ここで式を挙げたカップルはモニュメントらしき壁にネームプレートが貼られるのだ!ちなみに岬からの眺めは聞きしにまさる美しさで100m以上の高さからタモンビーチの全貌を見下ろすことが出来るのだ。

グアムは熱帯に属しており、日中は日本の7倍ほどの紫外線を浴びてしまうので夕方の涼しい時間帯にタモンビーチの海に入り海中トレーニング行なうことにした。ABCストアで購入したコーラルリーフの上を歩ける靴($16.9)をはいて遠浅の海に入り、エメラルドグリーンの海水に身を任せながら、岩礁に接近するとカラフルな熱帯魚がゆらゆらと揺れるすね毛に対して攻撃を加えてきた。遠浅の海の向こうには世界最深のマリアナ海溝が控えているのでうっかりすると5年くらい浮かび上がって来れなくなる危険性もはらんでいるのだ。

アンダーウォーターワールドというグアムを代表する水族館($20.-)が夜10時迄営業しているので話の種に見物することにした。長さ100mのトンネル状の水槽のなかには数種類のサメやいかりや長介系の下唇を持った魚や、西川きよし系の目玉を持った魚や六輔系のエイ等が元気に泳ぎ回っている姿を自然環境に近い形で観察することが出来るように設計されているのだ。

1月13日(月)

ホテルオークラのチェックアウトの時間が12時だったので午前中は海中トレーニングに専念することが出来た。午後からパシフィックリゾートという会社に日本で予約させておいたホリディプラザというホテルに移動すると夕方は再び海でのトレーニングに明け暮れることにした。

夜は買い物タイムということでDFSで必要な物品を調達してとっとと引き上げることにした。

1月14日(火)

午前5時25分のANA便にて帰国。日本に着いたのが午前8時だったため、不本意ながら午後から会社に来てしまったのだ。

コストパフォーマンスの高いリゾート地グアム島情報

*グアムの平均気温は27~28℃であり、日本の猛暑のように30℃を越える日が少ないので日本の夏よりも過ごし易いといえよう。

*タモンビーチの形状はハワイのワイキキを模しているようでオンザビーチの高級ホテルが数多く建ち並び、高台にある恋人岬はあたかもダイヤモンドヘッドのようにそびえているのだ。

*通称ホテルロードといわれるタモンの繁華街にはおびただしいほどの実弾射撃場と足裏マッサージ、ストリップ等が出展しており、前を通ると原住民のバイト野郎がチラシを配布しているのだが、彼ら決して強引な客引きはしない紳士である。

*フジタタモンビーチホテルのフジタとは日本の球団として始めてキャンプを行なった藤田監督から拝借した名前であるのは日本全国の巨人ファンで知らない奴はいないであろう。

*グアムはフリーポートなので税金が全くかからないマサに買い物天国である。

*大型台風の影響でいまだに電力の復旧率は50%程度であり、信号機はほとんど停止していたので軍人が交通整理を行なっていた。また、昼間はWESTINだったはずの高級ホテルが夜はVEST Nホテルに見事に変貌を遂げていた。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥58,640

総宿泊費  ¥7,835

総レンタカー代 $102.57

総ガソリン代 $7.-

協力 全日空ホテルズ、パシフィックリゾート

今後の活動予定:マウイ島

尾形大作推薦FTB無錫旅情

♪上海、蘇州と汽ィ車ァに乗ォり~ 太湖(たいこ)のほとりィ 無錫(むしゃく)の街へ~♪

Happy New マサよ!

ということで21世紀はアジアの世紀と呼ばれているが、その中心的な存在が中華人民共和国である。今回FTBが厳選した訪問先は中国の起点となる上海とその周辺であるが、この選定理由は決して他の地域への航空券が取れなかったためではないことをあらかじめ申し上げておかなければならないだろう。

ところで、演歌通のマサであれば知っていると思うが、1986年~1987年にかけて尾形大作という若手演歌歌手が「無錫旅情」という曲をヒットさせ、紅白歌合戦にも白組の貴重な戦力として出場している。当時はバブル時代を謳歌している中年オヤジのカラオケの定番ソングとなっており、そのカラオケビデオには尾形大作自身も出演してプロモーションに一役買っていた。そのカラオケビデオを一目見た瞬間、私も必ず無錫旅情を実現しなければならないと思っていたのだが、苦節15年目にしてこの野望をかなえることに成功した。

2003年1月1日(水)

ボーイング社が誇る最新鋭ジェット旅客機B777-200を就航させているANA919便にて上海が誇る最新鋭のインテリジェント空港である浦東国際空港に12時過ぎに到着すると入国審査を済ませ、そそくさと空港の銀行で円を元に両替して、バスで上海駅に向かうことにした。バスの窓越しに景色を見渡すと開発が進んでいる浦東地区を抜け、高層ビルが立ち並ぶ上海の市内を一望することが出来た。

今日は汽車で南京まで移動しなければならないので切符を入手するために上海駅周辺をうろうろしていると今まで経験したこともないような人間模様に遭遇してしまった。道行く人民は信号機があるにもかかわらず信号を無視して道を横断し、車は絶え間なくクラクションを鳴らしながら走行し、たまに人民や自転車やバイクに接触したりもしていたのだ。また、人民の中には道端で手鼻をかむ者もおり、器用に鼻水を道路に撒き散らしていた。駅周辺の店先ではおばちゃんが道行く人民に中華まんを売りつけようと盛んに手招きをしていた。

集票所と呼ばれるチケット売り場でスキがあれば横入りをしたり押しのけようとしたりする人民と格闘した末、何とか南京行きの片道切符を入手すると駅の待合室にたどり着くことが出来た。ところで中国の汽車の切符の種類であるが、硬座とよばれる普通席と軟座というグリーン席系のものと硬臥という2等寝台、軟臥という1等寝台、さらには席が無い者のために無座という切符が存在しているのだ。

上海から南京までは快特という一番早い列車でも3時間はかかり、今日は観光が出来ないため、FTB世界の車窓からをお送りすることにしよう。硬座の指定席に座り、発車の時間を待っていると次々に人民が車両に乗り込んできた。人民の中には巨大なズタ袋を抱えた者や重そうなダンボールを2人がかりで運んでいる者等がおり、さまざまないでたちをした輩が車内を我が物顔で闊歩していた。汽車は上海駅を出ると車窓から住宅地帯を抜け、田園地帯を走る様子を見ているうちに日が暮れてきた。その間に車内では様々な出来事が起こっていた。汽車が発車するとまもなく新聞売りのおばちゃんがぎゃ~ぎゃ~言いながら歩み寄ってきた。おばちゃんの攻撃をさけると次はワゴンの物売りが無座客を押しのけながらワゴン車を転がしていく。汽車が蘇州に停車すると巨大な布製かばんを背負ったおっさんとダンボール2人がかり運搬野郎がいきなりケンカをおっぱじめて、乗客が罵声を浴びせながらも止めに入っていた。

南京駅に到着したのは夜の7時過ぎになっていた。駅を出るとおびただしい数のホテルか何かの客引きと思われる連中が私にとっては意味をなさない勧誘トークを投げかけていた。今日は南京のヒルトンホテルを予約しておいたので路線バスに乗ってホテル方面に向かうことにした。

日中外交史に詳しいと思われるマサであれば知っていると思うが、南京では日本人は非常に嫌われていると言われている。私もホテルに到着すると南京たますだれで仕切られた、南京虫のいる狭い部屋に軟禁していただけるのではないかと期待していたのだが、以外にもヒルトンは部屋とサービスをアップグレードするなど私に対して最高レベルのホスピタリティを提供してくれたのだった。

1月2日(木)

南京の主要観光スポットとして中山陵(25元)が君臨しているので早朝より散策に向かった。ここには革命の父と言われ三民主義を唱えた孫文の陵墓が設置されている。孫文の遺体は中山陵の一番上の祭堂の中の大理石で作られた棺桶の中に安置されていた。また、中山陵の敷地内の中山記念館(10元)には孫文の銅像と孫文直筆の書が数多く展示されていた。

中山陵の隣に明孝陵(15元)という明王朝を築いた朱元璋の陵墓があったのでついでに見学しておいたのだが、敷地内に紫霞湖という池程度の大きさの湖があり、そこには「禁止遊泳」という看板が掲げられていた。湖の周辺ではおっさんから初老にかけての年代の人民がしきりに何かの準備運動をしていたかと思うとおもむろに服を脱ぎ捨ていきなり寒中水泳をおっぱじめやがった。しかも泳法はなぜか皆バタフライであった。

その後、南京博物院(10元)で見知らぬ中国人の山水画の個展らしきものを見物した後、南京訪問の最大の目的である侵華日軍南京大虐殺遭難同胞紀念館(10元)を訪れた。1937年12月、日本軍は南京に侵攻し、南京城を占領した。そのときに人民に対して無差別大虐殺を行なったというのが中国側の定説で、日本軍の残虐行為を後世に伝えるために造られたのがこの紀念館である。紀念館は残虐行為のオブジェ等が展示されてある庭園風のオープンスペースと生存者の証言や写真、旧日本軍の武器などが展示されてある建物から成っている。敷地内では尺八系の不気味な音楽が絶え間なく流れており、見物人は否が応でも憂鬱な気分を満喫することが出来るのだ。万人抗という1998年に発掘された遺跡が館内にあり、そこにはおびただしい数の虐殺された人民の人骨が横たわっていた。人骨は幼年者から老人にまでいたり、剣で刺された跡や弾丸の跡など非常に生々しい殺戮現場の様子を伝えていた。この紀念館発表の数字によると南京大虐殺で殺された人民の数は30万人に達しており、当時は揚子江は死体の山で埋め尽くされていたとのことであった。この紀念館を訪れた日本の要人は村山富一や土井たか子など社会党系の政治家が多いのであるが、税金を使って行く財務省の慰安旅行や教科書問題の対応を誤っている文部科学賞の官僚の研修地としてこの場所を推薦したいと思った今日この頃である。

南京一の繁華街であると思われる夫子廟は、明清時代の風格ある建物が並んでいるところであり、多くの観光客で賑わっていた。ここで少しは気分を紛らわそうと思っていたのだが、どうしてもムシャクシャした気分が晴れなかったのでそのまま汽車に乗って無錫に向かうことにした。無錫ではJHC Co.LTDという旅行会社に日本で予約させておいたHoliday Inn系のホテルに宿泊することになっていたので今日はそのまま撤収することにした。

1月3日(金)

早朝より市内中央部の錫恵公園内を散歩することにした。園内では老若男女が太極拳等の中国古武術の型をしきりに繰り返していた。私も大阪在住のマサをリモートで倒すために気功の奥義を聞こうと思っていたのだが、まだ中国語は餃子の王将で習った「コーテル イーガ(訳:焼餃子1個)」しかマスターしていなかったので断念せざるを得なかった。錫恵公園は錫山と恵山で構成される公園で園内では動物園や池、橋、回廊が見事に調和している名園等を見学出来る。ちなみに無錫という地名の由来であるが、昔この地では錫(すず)が大量に取れたのだが、漢の時代に取り尽くされてしまったため、無錫と呼ばれるようになったという。

午後から「無錫旅情」のハイライトであり、尾形大作も強く推薦する鼈頭渚(げんとうしょ)公園にタクシーで向かうことにした。入り口で観光用のパッケージになっているような入場券(60元)を購入すると早速尾形大作に成りすまして無錫旅情を実践することにした。中国で4番目に大きくまた、琵琶湖の3倍の広さを持つ太湖(たいこ)のほとりに位置する鼈頭渚公園は太湖から突き出ている半島がスッポンの頭に似ていることが名前の由来になっているそうだ。ここでのハイライトは遊覧船に乗って♪は~るか小島は三山(さんざん)か~♪と歌われている太湖仙島(三山島)に上陸することである。三山は遠目に見ると独立した3つの島のように見えるのだが、実際はそれぞれが陸続きになっているのだ。ここでの最大の見所は大覚湾石窟といわれる数多くの石仏群と巨大な孟子像等の宗教的遺物である。

三山から船で元の船着場に戻りさらに園内を散策していると湖岸に「無錫旅情の碑」が建てられているのを発見してしまった。碑には無錫旅情の1番の歌詞である

♪君の知らない異~国の街でェ

 君を想~えば泣~けてくるゥ

 俺などォ忘れてェ幸せつかめとォ~

 チャ~イナの旅路を行ゥく俺さァ~

 上海ィ蘇州とォ汽ィ車ァに乗ォりィ~

 太湖のほとりィ無錫の街へ~♪

という意味であるはずのことばが見事な漢文で彫られており、あらためて尾形大作の無錫名誉市民という実力を思い知らされた気がした。

今日は大陸からの寒気の影響で気温が氷点下を切るという厳しい環境の中で観光に励んでいたのだが、最後は気力を振り絞って園内の最高地点である鹿頂山(92m)に登ることにした。ここの頂上にじょ天閣という三層の塔があり、そこに登って持参しているはずのカラオケセットで♪鹿頂山(ろくちょうざん)から~太湖を望めばァ~ 心の中ァまでェ広くなるゥ~♪と歌い上げて恍惚感に浸ろうと思っていたのだが、銭湯に空桶を忘れてきてしまっていることに気づき、私の無錫旅情はあえなく終了となったのであった。

1月4日(土)

昨夜のうちに汽車で上海に戻り、ローソンで購入したビールを片手にヒルトン上海の29階から凍った窓越しに夜景を堪能するなどの優雅な夜を明かした後、今日は再び蘇州に向かうことにした。

♪上海ィ(フッフ~!)、蘇州とォ~(フッフ~!)、汽ィ車ァに乗ォり~♪ 「注:この(フッフ~!)は私が大学時代に野球を引退してからバイトをしていた六本木の飲み屋のママやフロアレディがおっさん達が歌っているときに挿入していた合いの手で歌詞とは無関係」というリズムを繰り返しながら、汽車が蘇州の駅に到着したのは午前11時くらいであった。

水の都と呼ばれる蘇州は太湖や揚子江に囲まれた水郷の街でいたるところに水路が形成され、マルコ・ポーロにして東洋のベニスと言わしめた中国有数の観光地である。蘇州を世界的観光地たらしめているものは世界遺産に認定されている美しい庭園群であるのでそれらは観光コースからはずすことは出来なのだ。今回は蘇州四大名園である浪漫亭、獅子林、拙政園、留園とさらに総師園、虎丘を訪問した。尚、虎丘、拙政園、留園、獅子林、総師園の入園券はパッケージ販売(70元)されており、個別訪問するよりも多少お徳になっているのだ。これらの庭園群には例外なく太湖でしか取れない太湖石(穴がいっぱい空いていていろいろな形状の物がある)を配置しており、松尾芭蕉も仰天するほどのわび、さびの世界を醸し出し、日本が誇る兼六園、偕楽園、後楽園(今は東京ドームか?)等が束になってかかってきても敵わないほどその美しさは群を抜いている。

蘇州市内から北西へ5kmほど行ったところにある虎丘の上には高さ47m、8角7層の斜塔がある。これは蘇州で最も古い塔で400年前から地盤沈下により傾きはじめ、今では15度傾いている様子が遠目からでもはっきり確認することが出来た。

今日は蘇州観光に没頭したため、上海に戻ってきたのは夜になってからだった。気が付けば今回は上海に来た筈なのに全く上海の観光をしていなかったのでとりあえず上海で最も有名なバンドという地域に足を向けることにした。上海は1840年のアヘン戦争後に欧米列強と日本の租開地になっていた歴史的背景を持っており、このバンドには数多くの洋風のビルが立ち並んでいる。また、河をはさんだ向こう岸は開発が進んでいる浦東地区であり、数々の高層ビルによってライトアップされている。ここは上海で最もおしゃれなエリアであると聞いていたのでチャイナドレスに身を包んだジュディ・オングやマダム・ヤン系の美女が♪Wind is blowing from the Egeo(訳:エーゲ海から風が吹いてくるよ)おんなは海ィ~♪と孔雀の羽を広げながら歌っている光景を期待していたのだが、たむろしているのは一般の観光客と彼らを餌食にする写真屋ばかりであった。

1月5日(日)

午前10時過ぎの東京行きの便に搭乗すべく、ANAのチェックインカウンターで並んでいたところ、中国人どうしがすごい剣幕でケンカしている様子を目撃してしまった。中国人はいつでもどこでもケンカをしているのでケンカがひとつの文化となっているようだった。

ところでマサよ、財務省の新年会では必ず「無錫旅情」を熱唱しろよ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥120,060

総宿泊費 2,742元(1元=約¥15)、¥6、000

総交通費 274元(汽車 115元、バス 59元、タクシー 95元、地下鉄 5元)

総中国ビザ取得費用 ¥4,500

総空港使用料 90元

協力 ANA、尾形大作、ポニーキャニオンレコード、Hilton Hotels

次回はFTB炎の離島デスマッチ第?弾 in グアム島をお送りします。