FTB特別企画どん底からの炎の生還 in キャニオン

マサよ、君はどん底から見事に生還を果たすという離れ業をやってのけたことがあるか!?

私は・・・・・・這い上がって来たぜ!!!

ということで、高級財務官僚という定温のぬるま湯にどっぷりと浸かっているマサが忘れかけているであろう自ら試練に立ち向かうという姿勢を実践するためにかねてから達成しなければならないと考えていたどん底の様子を垣間見て、そこから這い上がってくるという計画をとうとう実行に移す機会がやってきた。

2月4日(金)

機材到着の遅れにより、1時間程の出発の遅延を余儀なくされたANA006便ロサンゼルス行きB747-400機は、米国での乗り継ぎ便に間に合わないとスチュワーデスにいちゃもんをつけている1人の乗客の意向に関係なく午前10時半ごろに着陸した。ロサンゼルスからUA6522便に乗り換えると1時間程度のフライトでフェニックス、スカイ・ハーバー空港に3時半に到着することに成功した。

早速ハーツで洗車の行き届いていないシボレー・キャバリエをレンタルするとI-17を北に進路をとり、本日の宿泊先であり、グランド・キャニオンのゲートシティとなっているフラッグスタッフを目指した。バックミラー越しに見るアリゾナの大地に沈む夕日のダイナミズムを感じながら、軽く150マイル程度のドライブで午後7時ごろ予約しておいたHampton Innに到着した。今日は時間も時間なので近隣のデニーズで軽くステーキと小エビのフライを肴に飯を食い、来るべく試練に対応すべく体力を温存するためにとっとと寝ることにした。

2月5日(土)

数多くの大リーグ球団のスプリングキャンプ地にもなっており、サボテンで有名なアリゾナ州というと温暖な気候がイメージされるが、アリゾナ北部は標高が高いために降雪もある。明け方には氷点下に冷え込むため、朝起きるとお約束どおり車はカチンコチンに凍っていたのであった。何とか電子レンジを使うことなくキャバリエを解凍出来たので、フロントガラスの運転席側の氷が溶けるとFTB史上5度目となるグランド・キャニオンを目指すことにした。

US89号線の道路が凍結してしまっているかも知れないので用心しながら北に向かって車を走らせ、AZ-64号線を西に向かうとグランド・キャニオン国立公園($20.-/car)サウスリムの東口ゲートに到着した。そこからさらに30マイルくらい進むとついにグランド・キャニオンビレッジに侵入することが出来た。ブライトエンジェルロッジという宿泊施設にツアーのカウンターがあり、そこで谷底の宿泊施設の電話による予約再確認を怠ったにもかかわらず、キャンセルにならずに泊めていただける交渉に成功するとビレッジ内のMartに食料品や物品の買出しに向かった。

チョコレートパックや2L入りのゲーターレードや軍手、さらには靴に装着するClamponとうスパイク($11.97)を購入すると園内のシャトルバスを乗り継いでSouth Kaibab Trailに向かった。マイルドな時差ぼけ気分を引きずりながら、標高差1,433m、距離にして11.1kmのトレイルを下りはじめたのは午前11時過ぎの時間であったろう。ハイカーに踏みしめられた雪は危険なアイスバーンに変化を遂げており、氷にClamponの刃を突き立てながら慎重にスタートしたのだが、いつしか外れやすいClamponは役に立たないと気が付き始めたころ、雪はすっかり消えてなくなっていた。

トレイルを写真を撮りながらもどんどん下っていくと今まで遠巻きにしか見ることの出来なかったかすみのかかったあの赤茶けた岩肌群がはっきりと目の前に現れて来て、マサにグランド・キャニオンに来て峡谷内に入らないとグランド・キャニオンに来た意味がないと言われている所以が明らかになってくるのであった。標高が下がるに連れて気温が上がり、峡谷内には緑が多くなると同時に地層の違いによる岩肌の色の変化により鮮やかな色彩が目立ってきた。時には10数億年前に出来たであろう石につまづきながらも歩を進めていくとついにこの広大なキャニオンの彫刻家として名高いコロラド川のせせらぎが聞こえ、そのウーロン茶ミルクコーヒー色の濁流が姿を現した。一見すると普通の多摩川程度にしか見えない川であるのだが、この川が何十億年の歳月をかけて大地を削り取っていったのかと思うと体中の身の毛がよだたずにはいられなかった。

トレイルのクライマックスであるコロラド川にかかる鉄橋を渡り、キャニオンの北壁側の川沿いをしばし歩くとついに本日の目的地であるPhantom Ranchに2時半頃到着することに成功した。オフィスでPhantom Ranch                                                   (http://www.phantomranch.com/index.html)での私のActivityである男子寮($28.76)への宿泊、ステーキディナー($31.24)と翌朝の朝飯($17.47)を食うことを確認すると12番寮に荷物を置きに行った。上階の安定性が乏しい2階建てのベッドが5つある10人部屋はすでに先客群が取り仕切っていたので仕方なく2階のベッドを支配することにしたのだが、そこはキャニオンの崖から落ちるよりも落下のリスクが高いのではないかと思われるほど狭かったのだ。

気を取り直して念願であったグランド・キャニオンの谷底の散策を開始することにした。どん底ということで賽の河原のような暗い雰囲気を漂わせているのかと思っていたが、谷底は意外にも春の陽気であった。マサを平手打ちするのに最適なサボテンと緑の草木や花が生い茂るコロラド河岸はキャニオンの巨大な岩山に囲まれており、はるか上空の崖の上から多くの観光客に見下ろされている実感も特になかった。

5時から夕食の時間が始まった。夕食はステーキ組とシチュー組に分かれており、先攻のステーキ組がまず食堂の前に召集された。食堂に入る前に飯係りのYoung Manが何か面白い話はないかと聞いたところ、誰かが、コロラド川に流れ込む小川の3~4マイル上流でビーバーがエアコンではなくダムを作っていやがったと言った。するとYoung Manはそいつは13年まえから冬になるとそこにやってくる常連ビーバーなので見逃してやってくれとのたまった。半セルフサービス式ステーキディナーは人里離れた谷底で供される割には非常に美味であり、皆大満足の様相で語り合っていた。尚、谷底には他の日本人は誰もいなかったので久しぶりに日本人を見ずに平和なひと時を過ごすことが出来た。

夜になると深い谷底に静寂が訪れる・・・はずであった。

これ以上落ちることのない谷底から上を見ると澄んだ冬空には満天の希望の星が輝いていた。夜になるとすることが何もなくなり、しかも皆疲れているはずなのでとっとと寝るものと思われたのだが、眠れない見知らぬ男女が寮の外で夜通し私語に耽っていたので、うるさくてほとんど眠ることなく朝を迎えてしまい、マサにこれが人生のドン底と思い知らされた。

2月6日(日)

夜明け前の早朝5時に飯係りのYoung Manが5時半に朝飯を食わなければならない輩のためにわざわざ起こしにやって来た。眠れなかったおかげで2階のベッドから転げ落ちずに済んだのだが、毛布は半分ずり落ちていた。山登りの貴重なエネルギー源となるはずのアメリカンブレックファストを詰め込んだ後、懐中電灯を持ってこなかったので星の明かりを頼りにトレイルをゆっくりと歩き始めたのは6時10分頃であった。

帰りは距離は長いが、傾斜の緩やかなBright Angel Trailを登ることにした。コロラド川の鉄橋を手探りで越えてしばらく川沿いの下りの道を進み、幾多の雪解け水の小川を越えているうちに夜が明けてきた。道はいつしか登りのみとなったものの順調なペースで進むことが出来、8時過ぎには中腹のインディアン・ガーデンというレンジャー詰め所兼キャンプ場付きファシリティに到着した。思えば丁度5年前の冬にインディアン・ガーデンまでの往復ハイキングを敢行し、その過酷さのためにマサに命からがらで戻ってきたことが思い起こされるのであるが、それから毎日会社に行く前に5kmの3%の登り坂ランニングマシン等で肉体を鍛え直し、リベンジに備えていたのだが、その成果を発揮して目的を達成する瞬間が数時間後に迫っているのであった。

なかなか減らない2L入りゲーターレードを少し飲んで体にイオンを行き渡らせると再び歩き始めることにした。このあたりから復路の恐怖を知らない日帰りハイカーとの遭遇が増えてくると同時に登り坂の傾斜がきつくなってきた。ミュールツアーの忘れ形見であるラバの緑色のウンコは相変わらずその辺に転がっているので下を見ながら注意して慎重に歩を進めた。標高が上がるにつれて道は凍りつき、ついには再びClamponを取り出さなければならないほど雪に覆われてきた。しかし、寝不足、時差ぼけにもかかわらず、意外にも体力の消耗は少なく一般人であれば6~10時間かかる道のりを私はわずか4時間半程度で登り切ってしまい、老淑女ハイカーの賞賛さえも浴びることが出来たのであった。こうして標高差1,311m、15.1kmにもおよぶBright Angel Trailを制覇した満足感に包まれてYavapai Pointの展望台からはるか眼下の豆粒のようなPhantom Ranchを見下ろすとどのようなどん底からであっても自力で這い上がってくることが出来る自信を得たような気がしたのであった。

午後7時のフライトに間に合わせるためにグランドキャニオンを後にしてフェニックスに向かっていた。フェニックス近郊にて車内で破裂音が聞こえ、一瞬動揺してしまった。助手席を見ると2時間前に無理やり空にして蓋をした2L入りゲーターレードのペットボトルが圧力差で凹んでおり、無事に平地に戻って来れたのだと実感させられた。

2月7日(月)

ANA005便にてロサンゼルス発、翌日午後成田着。3泊5日という強行日程でグランドキャニオンの底に沈んで這い上がってくるという新たな金字塔がFTBに加えられることと相成った。

FTBサマリー

総飛行機代  \8,160(ご利用件\60,000分使用したのでただ同然)+ $172.41

総宿泊費 $210.97

総レンタカー代  $124.43

総ガソリン代  $33.11

総走行距離 552マイル

協力 ANA、ハーツレンタカー、HiltonHHonors

FTB炎の離島デスマッチ第?弾バリ

♪見つめあ~うと すな~おに おしゃ~べり できな~い♪ (Song by S. All stars)

ということで、昨年末のスマトラ島沖大地震によるTsunamiの被害によりインドネシアをはじめとする東南アジアの各国は莫大な経済的損失を被ってしまった。金銭的や人的な援助もさることながらいち早くリゾート地として観光客を取り戻して欲しいと考えたFTBはみずからバリ島まで足を運び観光大使としてインドネシアの復興支援に尽力することを決意して日本を後にしたのであった。

1月28日(金)

日本航空の誇りとする憧れのハワイ航路に使用される機体としてお馴染のリゾッチャ紋様をあしらったB747-SR機はデンパサール行きJL729便にもお目見えした様子で現役ギャルや元ギャルが圧倒的に多い乗客は皆リゾート気分を満喫する気満々で定刻午後4時の離陸を今か今かと待っている様子であった。しかし、無常にも機内を流れるアナウンスは1人の乗客をお待ちするために出発が遅れるというものであった。この発表により機内は騒然となるかと思われたのだが、以外にも皆「スクールウォーズ」が推薦するOne for All, Allfor Oneの精神で乗り遅れたマヌケ野郎を咎める者は誰一人としていなかったのだ。

そのマヌケ野郎のおかげでバリ島、デンパサールのグラライ空港に着いたのは定刻より多少遅れた夜11時過ぎの時間帯であった。空港でインドネシア入国ビザをUS$25で売りつけられた後すんなり入国を果たすと早速日本円を現地通貨であるインドネシアルピアに両替するためにいちばん手招きの振り幅の大きい両替所に向かい、軽く\10,000を提出すると大枚860,000ルピアになって返ってきた。

料金前払いの明朗会計空港タクシー(60,000ルピア)で今回のツアーの宿泊先であるヒルトングループが誇る最高級ホテルであるConrad Hotel & Spaに到着したのは深夜12時半くらいであったのでチェックイン後、Tsunamiも届きそうもない最上階の4階の部屋に引きこもり,リゾート気分を引きずったまま休ませていただくことにした。

1月29日(土)

朝起きて総大理石張り床の部屋からテラスに置いてあるデッキチェアで南国気分を味わい、Hilton HHonorsのゴールドメンバーのみが招待されているクラブラウンジで朝飯を食らった後、ビーチに出てみることにした。インド洋の青い海が広がる白砂のビーチにはデッキチェアとヤシの実の繊維で作られた屋根を持つ巨大な日よけ傘がたくさん据え付けられており、ひときわ大きな屋根つきのファシリティでリッチに読書をしながら午前中の時間を過ごすことにした。

バリ島は東京都の2.6倍の面積を誇る巨大な島でリゾートエリアは特に南部に集中している。今回FTBが宿泊地として選定した地区はブノアという昔漁村であったが今は新興高級リゾート地区として君臨している現世の喧騒とはかけ離れたような静けさを持った場所である。ビーチには当然高級リゾートホテルが林立しているのでそれらを物色するために軽く散歩に出ることにした。長さ5kmほどの小さなブノア半島を先端部の北に向かって歩いていると数多くのレストランやHotel & Spaが姿を現した。グランド・ミラージュ・バリというホテルに併設されているSpaでタラソ・バリというバリ島で最も人気のあるエステがある。ここでは日本のB級タレントが日夜取材に訪れ、緑色の海草系のペーストを全身になすりつけられて悶絶している様子が視聴率の悪い時間帯に放映されるための段取りが組まれているものと思われた。

ブノア半島の最北端はいまだに漁村の雰囲気を残しており、漁の終わった原住民がだらけた午後のひと時を過ごしていた。今度はビーチ沿いを南下してみると次第にマリンスポーツの種目が増えてきて観光客はジェットスキーやパラセイリングやバナナボート等の遊興に耽っていたのであった。ブノアに隣接するリゾート地として名高いヌサ・ドゥアという地区まで足を伸ばすとそこではひとつの町のように巨大なグランドハイアットのファシリティ群やバリ・ヒルトン・インターナショナル等の老舗リゾートがシーズンオフの観光客の少なさのために有り余る設備を持て余している様子が稼働率の低い客室とともに確認されたのだった。

1月30日(日)

バリのリゾート開発の先駆けとなったビーチとしてクタという地区が君臨しているとのことだったのでトレーニングも兼ねて軽くブノアから徒歩でやって来ることにした。南緯8度の熱帯性気候が醸し出す炎天下の中を10kmほど歩くと目の前を飛行機が着陸していく様子が確認出来たので空港をスルーしてさらに2~3km北に向かって歩を進めると何とかクタに到着することが出来たのだが、そのころにはマサにクタクタの状態になっていた。クタのビーチにはインド洋の豪快な波を求めてやって来やがったサーファーで溢れかえっており、その辺の砂地にはおびただしいほどのサーフボードが突き刺さっていた。

ところでこのあたりにはジゴロというギャルを食い物にして金を巻き上げて生計を立てている職業の方が数多くいらっしゃり、日本の負け犬ギャルたちも彼らの上客となっているという話を聞いていた。勝ち馬として欲望の食物連鎖の頂点に君臨するためにこの地にマーケティング活動にやって来たFTBは♪ひろしです♪って言うじゃな~い、ど~こ見てんのよ~、残念!!等の現代日本ナンパ用語の基礎知識を彼らに講義して負け犬から巻き上げた金を日本に還元するビジネスモデルの検討を始めたのであった。

日も暮れかけたのでクタでクタびれた肉体に鞭打って再び徒歩で12~3kmの道のりをConrad Hotelを目指して帰っていった。タクシーで20分もかかるところを私はわずか2時間で帰ってこれたので部屋で軽く汗を流した後、近所のエスニック食い物屋に繰り出すことにした。ホテルの目の前にLoco Cafe(http://www.lococafe.com/)というレストランがあり、付属のダンサーが決して自分の業務ではないはずの客引きをしているけなげな姿に打たれて思わず入ってみることにした。チャウダー系のシーフードスープとエビ・カニ・ロブスターが大皿を飾るシーフードスペシャル(180,000ルピア)を貪り食っていると運転手つきの4WD車で登場したこの店のオーナーがジョインしてきたので相手をしてやることにした。日本で修行?した経験も長いBudiというオーナーはシーズンオフの客の少ない時期に来てくれたということでバリの酒やフルーツやアイスクリームを無償で提供してくれた気前のいい実業家であったのだ。

1月31日(月)

マサに夢の世界を提供してくれたConrad Hotelをあとにするとタクシーでクタまで移動し、そこから本数は少ないが、外人観光客の貴重な交通手段となっているプラマ社のシャトルバスでバリ島中部にある芸能・芸術の中心地ウブドに向かった。

クタから大都会デンパサールを抜け、サヌールというリゾート地を経由してバスはバリ島中心部を目指して走っていたのだが、道幅が段々心細くなってきてついには中央の車線のない田舎道に入ってしまった。決して観光客が安心してレンタカーで走ることの出来ないような迷路を1時間程走るとバスはいつのまにかウブドのバスターミナルに到着していた。バリ・ヒンドゥー教が醸し出すバリ島本来の雰囲気を色濃く残しているウブドの町並みであるが、いたるところにJALパックとJTBのシャトルバスのバス停が設置されており、ここでも日本人観光客に侵略されている様子がありありと窺がえた。

バリ絵画の美術館であるプリ・ルキサン美術館(20,000ルピア)を訪問させていただいた。ウブドのメインストリートから橋を渡るとそこには緑の庭園に囲まれた芸術の世界が存在していた。ここにはバリ芸術の粋を集めた絵画や彫刻が展示されており、その歴史的重要性は計り知れないものであると言われているのである。

ウブドの中心の一角にモンキーフォレスト(10,000ルピア)という野生の猿が群生するこじんまりとした森があったのでひやかしに行くことにした。チケット売り場の脇で観光客に猿の餌として供給されるべきバナナを売りつけようとする原住民を軽くいなし、森の内部深くに分け入るとそこにはニホンザルより多少小柄の猿がその運動能力をいかんなく発揮しながら元気に暮らしていた。折からの小雨が強くなってきたので屋根のある休憩所で人類に興味のありそうな猿達を従えて♪おも~いでは いつも日も~あめ!♪と歌っていると乗り乗りになってきた小猿が次々と私の背中や頭に乗って来やがり、多少えらい目にあってしまったのだ。

午後7時過ぎにクタに帰って来て繁華街を歩いているとハロー、タクシー!?といういかにも有名人である私の名前がタクシーであるかのような声援が次々にあびせられた。中には”マヤク?、オンナ?”という修行をしていない若者であれば80%はひっかかるような甘言も飛び交っており、クタの風紀の乱れとアンダーグラウンドマーケットの大きさを実感させられた訳であるが、これではマサにテロリストの格好の餌食なっても仕方がないと思われた。

というわけで、今回はバリ島の下見を行ったわけであるが、ここでは各人の好みにより様々なスタイルのエンターテイメントが提供されている。但し公共交通機関は無いに等しく、レンタカーを転ばす場合には道が狭くてわかりにくいのでタクシーをチャーターしたりする必要があろう。ところでバリ島の北部の山岳火山地帯でキンタマーニという景勝地があるという情報を聞きつけ、思わず股間にボールが当ったような衝撃を受けてしまったので次は必ず乗り込まねばならないと思われた。

FTBサマリー

総飛行機代 \62,720

総宿泊費 3,481,806ルピア

総タクシー代 93,600ルピア

総バス代 40,000ルピア

総インドネシアビザ代 $25

総グラライ空港使用料 100,000ルピア

次回はどん底からの生還の予定

協力 日本航空、プラマ社、HiltonHHonors

FTBボンバイエ祭り 祝!地球の裏側進出ツアー

マサの愛人へナータと大鶴義丹をギタンギタンにしたマルシアをはじめとするブラジル人ギャルは何故かアドリアーナ、カロリーナ、パトリシア、マリナ、リアナ、ルシアナ等、末尾にア行の文字がつく奴が圧倒的に多いのだが、これはいったいどういうことなのか!?

ということで悶々とした疑問をいただきながら、いつかはブラジルツアーに参戦しなければならないと考えていたFTBであるが、このたびついに地球の裏側に足を踏み入れる機会が訪れることと相成った。ところでブラジルというと中森明菜も推薦する♪ミ・アモーレ♪の都リオデジャネイロや最近ドットコム系で本の売れ行きも好調なアマゾンが思い浮かぶのだが、アマゾンへ行くと瀬戸内海を見て「日本にも大きな河があるじゃないか!」という突っ込みを入れてくるエセ親日家に必ず遭遇することを恐れたため、今回FTBが厳選した訪問先はアルゼンチン、パラグアイと国境を接する世界最大級の滝イグアスとなったのであった。

1月11日(火)

ブラジルとの戦いは飛行機に乗る前から始まっている。ブラジルに入国するためにはビザの取得が必要であり、JTB等の大手旅行会社であっても通常10営業日くらいかかるところを実力派ツーリストのFTBはわずか4営業日で取得出来る交渉に成功していた。今日朝一でブラジル総領事館に乗り込んで査証つきパスポートを受取ることになっていたのだが、何と外交官のサインが間に合わず午後2時に再訪するように指示されてしまったものの何とか短期間でのブラジルビザの取得に成功したFTBであった。

1月12日(水)

ANA010便ニューヨーク行きは定刻午前11時に出発し、同日午前9時過ぎには厚い冬雲に覆われたJFK空港に到着した。空港からAirTrain($5)と地下鉄($2)を乗り継いでマンハッタンに進出し、工事が進んでいるグランド・ゼロをちらっと見た後、バッテリーパークからCircle Ferry($10)に乗りこんだ。ブラジル行きの飛行機が出るのは夕方の時間帯だったのでとりあえずつかの間の自由を満喫出来る現状に感謝を込めて自由の女神にお礼参りと洒落こむことにしたのであった。9.11テロの傷も癒えたと見えて前回来た時には公開されていなかった自由の女神内部のファシリティに入ることが出来たのだが、相変わらずセキュリティのチェックは厳しく荷物をぶち込むためのロッカーの鍵は指紋認証というハイテクノロジーが使用されていた。

自由の女神が送り主であるフランスに向かってにらみを利かせるLiberty islandを出航したCircle Ferryは次の寄港地であるエリス島に着岸した。アメリカの移民局がそのまま博物館に成り上がったメインビルディングの内部には1800年代の後半にヨーロッパから大挙して押しかけてきた移民の持ち物や写真等がところ狭しと並んでおり、否が応でも開拓者魂をかきたてさせられる場所であることが確認されたのであった。

1月13日(木)

昨夕6時45分に出発したヴァリグブラジル航空RG8865便、MD11型機は定刻午前7時過ぎに3時間の時差を越えてサンパウロのグアルーリョス国際空港に到着した。長い行列の出来た入国審査を何とかクリアして念願のブラジルに入国を果たすと早速空港の両替所でUS$をブラジルの現地通過であるレアル(R$)に恐らく良くないレートで両替していただいた。今回のツアーの最終目的地であるフォス・ド・イグアス行きのRG2251便の出発は午後12時50分となっているため、適当に時間潰しをしなければならなかったのであるが、無常にもサンパウロの空港内は特に見るべきものはなかったのだった。

30分ほど遅れて出発したRG2251便に搭乗して1時間半ほどすると眼下に思わず「うっそ~」と叫んでしまうほどのうっそうとしたジャングルが広がっていた。飛行機の機長のアナウンスが左手にイグアスの滝(世界遺産)の存在を告げるとまもなく緑色の森林を切り裂くように落ち込んでいる大量の水の流れが目に飛び込んできたのであった。飛行機はまるで遊覧飛行をしているように滝の周辺をゆっくりと旋回した後、ついにフォス・ド・イグアス空港に着陸した。

空港からタクシー(R$12)で予約しておいたリゾートホテルであるHotel San Martinに入り、今日は30時間以上にもおよび移動の疲労を軽減するために部屋でゆっくり休ませていただくことにした。

1月14日(金)

宿泊していたホテルがイグアス国立公園のゲートのすぐ近くだったので徒歩10分程で公園のターミナルに到着することが出来た。チケット売り場で入園料(R$19.35)を支払うと園内で観光客を運ぶバスに乗り込み、ついに念願のイグアスの滝ツアーがスタートした。

国立公園内にある唯一の高級リゾートホテルであるトロピカル・ダス・カタラタス前に遊歩道口があるのでそこでバスを下車すると全長1.2kmにわたる遊歩道の散策を開始したのだが、ほどなくすると眼前にこの世のものとは思えない一連の水のカーテンが広がっていた。イグアス川べりの高台に沿って造られている遊歩道からは全長4kmにわたり大小約300の滝が段を成して連なっているイグアスの滝の大部分が観察出来るのであるが、これらの滝のいたるところに虹がかかっており、インドの山奥で修行をしなくても誰でもレインボーマン(http://www.urban.ne.jp/home/ak1go/tvhero10.html)になれる環境が提供されていることが確認された。

終始下り気味の道が続く遊歩道のハイライトは最奥の滝の中段にせり出した桟橋で「悪魔ののどぶえ」といわれるイグアス最大の瀑布の絶景が目の前に迫っている展望台であり、ここで絶え間ない水しぶきの洗礼を受けることになる。また、落差約80mを流れ落ちる莫大な水量が醸し出す轟音は郷ひろみ少年が♪きみたち女の子♪と言っても♪ぼくたち男の子♪と言ってもゴ~ゴ~という返事しか返すことが出来ないでいるのである。

桟橋を戻ると土産物屋の近くにエレベーターがあり、レストハウスまで上がれることが出来た。イグアスの滝を取り囲むジャングルには豹柄の毛皮を身にまとったジャガー系の猛獣等の野生動物の宝庫となっているのだが、人馴れしているアナグマは人間が食っている食い物を求めてアナアナグマグマと集団で進出してくる。園内のそこらじゅうに野生動物に餌をやるなとの看板が出ているのだが、アナグマの連中は字が読めないのでおかまいなく観光客の食い物を奪っていたのだ。

結局園内には朝の9時頃から夕方まで滞在していたのだが、その間おびただしいほどの観光バスと色とりどりのサッカー系のユニフォームを着た多数のラテン系青少年少女の観光客と遭遇してしまった。いずれにしても、クリントン元大統領をはじめとするアメリカ人にして「Poor ナイアガラ!」といわしめるほどの迫力を誇るイグアスの滝には日本の滝百選の要素もすべて含まれるほどの多様性にも満ちていることを思い知らされてしまい、石川さゆりも♪じょうれんのたぁきぃ♪とのん気に歌っている場合ではないと思われたのだ。

1月15日(土)

早朝より、国立公園前のバス停から市バス(R$1.65)に乗りこみ、フォス・ド・イグアスのダウンタウンに向かうと30分程度で中心部の近距離バスターミナルに到着した。そこからさらにバスを乗り換えてフォス・ド・イグアスの町から20km離れたブラジルとパラグアイの国境に位置するイタイプー・ダムを目指した。

マサよ、君は世界最大の出力を誇る水力発電所がこんな南半球の僻地に存在していることを知っていたか!?

私は・・・今日知ってしまった!!!

ということで、Ticket窓口で首尾よく9時半からスタートするツアーの無償チケットを入手すると指定された番号の大型観光バスに乗り込み、イタイプー・ダムへのツアーがスタートした。ブラジルとパラグアイの国境を流れるパラナ川に建造されたイタイプー発電所は両国の共同事業として1975年に着工し、1984年に送電を開始している。パラナ川を堰き止めた貯水池面積は琵琶湖の2倍にものぼり、水の毎秒排出量はイグアスの滝の30倍にも及んでいるそうだ。最初に訪れた見学場所はすさまじい量の水が流れている様子が確認出来るファシリティであったが、フーバーダムや黒部ダムのようなアーチ式ではないので迫り来る壁のような迫力は感じられなかったものの、バスがダムの上に作られている道路を走りながら景色を眺めていると総計8kmにもおよぶ長さのダムのスケールの大きさをいやがおうでも感じさせられてしまうだ。

その後、博物館に戻り、Auditoriumにて記録映画を鑑賞させていただいたのだが、そこには石原プロモーションが総力をあげて製作した「黒部の太陽」http://www.ishihara-pro.co.jp/ac/ishihara/i_movie/mo_83.htmに匹敵するダム建設に命をかけた男たちのドラマが繰り広げられていたのであった。

1月16日(日)

ブラジルとアルゼンチンの国境を流れるイグアス川を越えてアルゼンチンに渡るためにはまずフォス・ド・イグアスのダウンタウンに出てそこからアルゼンチン側の観光拠点であるプエルト・イグアス行きのバス(R$3)に乗らなければならないので多くの観光客で混雑したメルセデスベンツのエンブレムを冠してあるものの高級そうには見えないバスに乗り込むことにした。ブラジルの国境をスルーしてアルゼンチン側の国境で入国スタンプをもらうと黄金の左足を持つ薬漬けのマラドーナが仕切っている水色の国アルゼンチンへの入国を果たした。

町全体が土色をしているプエルト・イグアスのバスターミナルのKIOSCOで安いコーラの購入と引き換えに首尾よくブラジルレアルをアルゼンチンペソに両替していただくと早速イグアスの滝国立公園行きのバス(P$2.8)に乗り込んだ。森林畑系地帯を疾走するバスは30分程度で公園ゲートに到着し、P$30の入園料を支払うと公園内を移動する交通手段となっている鉄道を走る電気機関車に乗り込んだ。

最初の駅で下車して向かった先はまずイグアスの滝を上から見下ろすことが出来る展望トレイルである。イグアスの滝の大部分はアルゼンチン側から流れ落ちているのでアルゼンチンサイドでは一本道トレイルのブラジルよりもより多様な滝の側面を間近で観察することが出来る。また、イグアス川に下っていく遊歩道もあり、川岸から川の真中に浮かぶSan Martin島行きの無料の渡し舟に乗ると数分で砂のきれいなビーチに到着することが出来た。そこから登り階段のトレイルが続いているのだが、島の頂上に到着すると目の前に自然の織り成すこの上なくすばらしい水の芸術作品を目の当たりにすることになり、思わず感動で打ち震えてしまうのであった。尚、ブラジル側にもアルゼンチン側にも滝に接近するボートツアーが高値で営業されているのだが、そのような商業的エンターテイメントに頼らなくても十分に滝のすばらしさは満喫出来るのである。

イグアスの最大の見所といわれている「悪魔ののどぶえ」は、鉄道の終点で降り、そこから1.2kmある脆弱そうな橋を渡って到着するのだが、途中洪水で破壊された橋の残骸を見ながら進むことになる。やがてかつての郷ひろみ追っかけギャルの掛け声のようにゴ~ゴ~という轟音とともに「悪魔ののどぶえ」が姿を現すのだが、目の前を落下する滝のすさまじさは思わず観光客を引き込んでしまいそうな迫力があり、横溝正史原作「悪魔が来たりて笛を吹く」と同等の不気味ささえも醸し出していた。

つつがなくブラジル行きのバスに乗り、フォス・ド・イグアスまで帰ってくることに成功すると腹が減っていることに気づいたので適当に飯屋を探すことにした。丁度Hokkai Sushiという日本食屋があったのでそこでたこポンと牛丼を発注すると吉野家でいうところの牛焼肉丼のような牛丼が出てきやがり、しかも味は悪くなかったのだった。

1月17日(月)

イグアス国立公園ゲートの手前にバードパーク(R$25)があり、入り口近くで飼われているダチョウに誘われるように思わず入園してしまった。ここにはブラジルで見られる鳥を中心に世界中から珍しい鳥が集められており、天然の亜熱帯林の中の全長1kmにも渡る散策道を歩きながらバードウォッチングが出来る環境が提供されている。最近玉の輿に乗って毒が消えかかっている杉田かおるの「鳥の詩」をサンバ調で歌いながら歩いているとペリカン系のくちばしを持った鳥達が「チーボー!」というような鳴き声とともに観光客に近づいてくるのであった。

午後一の便でフォス・ド・イグアスを後にすると3時ごろにサン・パウロ空港に到着し、深夜までニューヨーク行きのフライト待ちをしなければならなかったので市バス(R$3)でサン・パウロの中心に乗り込むことにした。赤字国債を乱発して日本に財政破綻を招きかけている財務省と同じくらいいいかげんな外務省より「十分注意」の危険情報が発出されている大サン・パウロ圏のとあるTatuapeというバスターミナルで下車すると地下鉄(R$2.1)で市の中心部であるセントロのセー広場に向かった。カテドラル・メトロポリターナという大聖堂が君臨するこの広場の周辺には道行く一般市民と共にたくさんのホームレスが暮らしており、多少怪しい雰囲気を醸し出していたのでそこから歩いて5分ほどの東洋人街にエスケープすることにした。地球の裏側に存在する日本のどこかの駅前商店街の様相を呈しているこの町は赤い鳥居と多数のノボリやYakisoba屋台等を有しており、これぞマサに大阪との姉妹都市サン・パウロを代表する光景ではないかと思われた。

日中合作ホテルの雰囲気を漂わせた万里ホテルで和中折衷のレストランが客を集めていたのでそこでお得そうなFestival de Sushi(R$23)というセットメニューを発注した。するといきなり、ネギトロの手巻きが出現し、引き続きサーモン、マグロ、カツオ系の魚の刺身と寿司が山盛りされた舟盛り器が登場した。舟盛りを何とか撃沈して一息ついたところに揚げ餃子や野菜の天ぷらが出され、しかも寿司のお代わりの希望を聞くという暴挙にあったため、マサにサン・パウロは「十分注意」に値する地域であることを思い知らされた気がした。

1月18日(火)

昨夜の23時59分発のフライトで早朝6時過ぎにニューヨークに到着した。そそくさと米国入国、ANA便のチェックインを済ますとラウンジに駆け込んで静かな時間を過ごさせていただこうと思っていた。窓から飛行機を眺めているとふいに延髄を斬られるような衝撃を覚えたのでふとラウンジの入り口方面に目を向けると何とそこにはブラジルで少年時代を過ごしたアントニオ猪木が豪快にリンゴをかじっている姿があったのだった。

格闘技人気という追い風にもかかわらずK1やプライドに押されて大晦日に「猪木祭り」を開催出来なかった猪木はワインを注ぎにいったもののボンバイエ http://www.inokiism.com/(注:ボンバイエの音楽が流れるので家で聞けよ!)のリズムに乗りきれずにワインをこぼしてけなげにテーブルや椅子を拭いていたのであったがファンの皆様としては係りの女子を呼びつけて「なんだこの野郎!」といちゃもんをつけている姿が見たかったであろう。その後猪木は腹いせに免税店で大量の物品を買いこんだ後、”闘魂”という刺繍のないジャケットを身にまとってとっととファーストクラスに逃げ込んでいったのだった。

1月19日(水)

午後3時ごろ成田着、無事にツアーが終了したので猪木とともに「いち・に・さん・ダァー」で決めようと思ったが、ファーストクラスの上客は逃げ足が速いのでそのまま流解散となった。今回のツアーの目的は20~30時間の移動が人体にどのような影響をおよぼすのか評価することであったが以外に楽であることが実証された。

FTBサマリー

総飛行機代 \200,110

総宿泊費  R$525.28(朝食付き)、(US$1 = R$2.65)

総Air Train代  US$10

総ニューヨーク地下鉄代  US$4

総アルゼンチンバス代  P$8.6 (P$1 = R$0.9くらいか?)

総ブラジルバス代

総ブラジルメトロ代 R$4.2

総ブラジルビザ代 ¥3,000

今回歴訪した国 アメリカ合衆国、ブラジル、アルゼンチ

次回もバリバリ行くぜ!

協力 ANA、ヴァリグブラジル航空、猪木事務所