FTBJみちのくひとり旅、つわものどもが夢の跡ツアー

♪たとぇ~ どんなにぃ うらんでい~ても~♪

というわけで、飼い犬の陣内に手を噛まれた格好で離婚を余儀なくされてしまった藤原紀香であるが、たとえどんなにうらんでいても陣内の悪口を言わない紀香魂に敬意を表するために奥州藤原氏の歴史探訪に繰り出し、「つわものどもが夢のあと」で有名な栄枯盛衰を実感させていただくことになったのだ。

4月24日(金)

午前8時50分発ANA873便に搭乗すると約1時間で秋田空港に到着し、空港でスズキのワゴンRをレンタルすると早速しだれ桜の名所角館に繰り出すことにした。さすがに全国有数の桜の名所であるため、角館に近づくにつれて車の渋滞がひどくなり、周辺には1台当たり¥500にてにおびただしい数のにわか駐車場が展開されていた。

角館の中心部を流れる桧木内川の堤に約2kmにわたって400本あまりのソメイヨシノが桜のトンネルを形成し、しかも満開になっているので観光バスで訪れた老若男女に混じって花見と洒落込むことにした。桜の背後にはまだ雪を被った山脈が広がっており、テキヤの屋台から上る比内地鶏焼き鳥の煙と相まって秋田県独特の花見の雰囲気を醸し出しているようだった。

武家屋敷で有名な角館には青柳家や岩橋家等の名家の庭に枝垂桜がしだれているのだが、だいぶ葉桜になりかけていた。とりあえず、角館に現存する最も古い武家屋敷である石黒家(¥300)にお邪魔させていただくことにした。茅葺の母屋や黒板塀等、十分その格調の高さを感じさせてくれる石黒家であるが、出来ちゃった婚によりモーニング娘を脱退に追い込まれた石黒彩のような放蕩娘はその家計図には決して載せることは出来ないのだと思い知らされたことも事実であった。

角館で格調高い桜の美を堪能した後、ワゴンRを転がして田沢湖を過ぎ、さらに奥地の八幡平温泉郷の有名な湯治場である玉川温泉に向かった。末期ガンのような難病でもここに来れば治るということで全国からその効能を求めて大変な賑わいを見せている玉川温泉旅館部に午後4時前に到着すると、現在はやっているかのように警戒されているノロウイルス対策の消毒を無視してにそのままチェックインさせていただくことにした。ここの旅館は湯治がメインということでアメニティらしきものはなく、4畳半の部屋にはテレビさえ完備されていなかった。

国指定天然記念物である北投石から放出される自然の放射線を浴びるために地面からもくもくと煙を出す硫黄による異様な臭いが充満した天然岩盤浴場には老人達がゴザを敷いてその弱った体を横たえていた。その周囲は遊歩道になっており、98℃の源泉が毎分8400㍑湧き出す大噴や硫黄の煙突等、焼山の自然の驚異を十分に感じさせる賽の河原系のものがなしさをたたえた光景が広がっているのだった。

ところで、肝心の玉川温泉の泉質であるが、林やペー・パー子も腰を抜かす脅威のpH1.2の強酸泉であり、塩酸をたっぷり含んだ源泉100%のストレートや源泉50%のお湯割り、39℃のぬる湯、44℃のあつ湯、蒸気風呂、箱蒸し等のバラエティを入浴者の好みや体調に合わせて選んで入ることが出来るのだが、飲泉だけは源泉50%をさらに6~8倍に希釈して紙コップ一杯のみに限定し、しかも飲泉のあとは歯が溶けないように水道水で口をゆすがなければならないという自主規制がしかれているのだ。

4月25日(土)

玉川温泉で体からほとばしる力を取り戻すことに成功したので、八幡平エリアをさらに北上し、初春の雪の壁が立ちはだかるアスピーテラインを走りぬけることにした。除雪により道路の脇に高さ数mの雪の壁が建造されたアスピーテラインの頂上は標高1700mを超える八幡平の登山口である。レストエリアの建物内で午前10時より八幡平の山開きの儀式が厳かに行われていたのでその行く末を見守ることにした。どこぞの神社の宮司の礼拝により、近隣の市町村の長が入れ替わり立ち替わりうやうやしく二拍一礼を繰り返していた。私も山を開くのを手伝ってやろうかと思ったのだが、戦隊系のレンジャーが登山口でポーズを決めていたので、とりあえずそいつにまかせることにしておいたのだ。

アスピーテラインの頂上は秋田と岩手の県境になっており、岩手に入ると山を下り、渋民という田舎に石川啄木の軌跡を辿ることにした。

マサよ、君は国語のテストで石川啄木と書くべきところを豚木と書き間違えて「豚もおだてりゃ~木にも登るぜ!」と開き直ったことがあるか!?

ということで、啄木の故郷である渋民公園にて啄木の歌碑を拝んだ後、石川啄木記念館(¥450)に乗り込むことにした。わずか26歳2ヶ月の短い生涯にもかかわらず、その鋭い感性により数々の秀作を世に出した啄木の代表作である「はたらけど はたらけど・・・」というくだりがあるのだが、現代はサブプライムローンをうまく処理出来なかった財務省の失政により、働きたくても働くことの出来ない輩が増えてしまっているのである。尚、この記念館の隣の敷地に啄木の母校であり、代用教員として教壇にも立ったこともある渋民尋常小学校が移設されており、明治時代の学校の雰囲気を擬似体験出来るようになっているのだ。

岩手県を代表するもう一人の偉人である宮沢賢治記念館(¥350)がその出身地である花巻の高台にて活況を呈していたので降りしきる雨ニモマケズ、行ってみることにした。宮沢賢治は岩手県をイーハトーブといってそこにまつわる様々な芸術や文学作品を残しており、わずか37歳のその人生を宮沢りえのような美人妻をもらうことなく一気に駆け抜けていった様子が確認出来た。尚、槇原敬之を盗作のかどで訴えている松本零士も宮沢賢治にしてみれば銀河鉄道自体をパクった同じ穴のムジナであると見下して波動砲で砲撃したい気分であったろう。

古き良き温泉街の情緒漂う花巻温泉郷に鉛温泉という伝承六百年、白猿伝説を持つ名湯が湧いているのでその湯治部に宿泊させていただくことにした。藤三旅館の3種類の100%源泉掛け流しの湯のうち白猿の湯は、その湯船の深さが125cmと深く、立って入る珍しい温泉として有名である。また、桂の湯の露天風呂は川のせせらぎを間近にする野趣あふれた風呂であり、ここでは普通の温泉旅館では味わうことの出来ないバラエティに富んだ温泉ライフを満喫することが出来るのだ。

4月26日(日)

夏草や つわものどもが 夢のマサ

というわけで、今回のツアーのハイライトであり、世界遺産になるという野望を今も抱き続けている平泉を満を持して訪問することとなった。平泉は言わずと知れた奥州藤原氏が平安時代に築いた黄金文化の遺跡や景観が、現在まで守り伝えられている景勝地である。まず最初に特別史跡・特別名勝である毛越寺(¥500)の見学をかますことにした。堂塔伽藍こそ焼失したが、当時の土塁・堂宇・回廊の基壇、礎石などを残し、平安時代の伽藍様式を知る上で、最も貴重な遺構として保存されている毛越寺の起源は白鹿伝説につづられており、850年に慈覚大師が東北巡遊のおり、窮地に陥ったところを白鹿に救われてこの地に堂宇を建立して霊場にしやがったと伝えられているのだ。

延暦20(801)年に征夷大将軍坂上田村麻呂公により創建されたと伝えられている達谷窟毘沙門堂(¥300)にお参りすることにした。覆い被さってくる岩を下から支えるように建立されている毘沙門堂にお参りすると悪鬼を降し、福を招いたり、何でも願いがかなうと伝えられているので、とりあえず定額給付金の見返りとして消費税を上げるのだけは勘弁してほしいと祈っておいた。毘沙門堂の背景となっている岩に岩面大仏が睨みを利かせているのだが、これは弓の名手であるはずの源義家が何本もの弓を射って彫り付けたと伝えられており、その完成度の低さの言い訳になっているのではないかと思われた。

奥州平泉にはかなく散った若き英雄、源義経公最期の地と伝えられている高館義経堂(¥200)に入山し、源頼朝の圧迫に耐えかねた藤原泰衡の急襲にあい、この地で妻子とともに♪ここでいっしょに 死ねたら いいと♪自害したその無念を共有することにした。高館は北上川に面した丘陵で判官館とも呼ばれており、中には義経公の木造が安置されている。また、元禄2年(1689年)にこの地を訪れた松尾芭蕉が詠んだ「夏草や 兵共が 夢の跡」と掘り込まれた句碑も眼下に広がる北上川を無念そうに見下ろしながら君臨しているのだ。さらにここは義経が平泉を脱出して生き延びたという「北上伝説」の起点にもなっており、この話は♪生きてぇ~ いたなら いつかは会える~♪と信じた判官びいきがでっちあげたのではないかと思われた。

嘉祥3(850)年、慈覚大師によって開山された中尊寺についに足を踏み入れる機会を得ることとなった。12世紀のはじめには奥州藤原氏の初代清衡公が多宝塔や二階大堂など多くの堂塔を造営しているのだが、何といっても中尊寺をメジャー寺院に押し上げたのは天治元年(1124年)に完成し、創建当初の唯一の遺構となっている金色堂(国宝)である。金色堂を参拝するためにはまずチケット売り場で¥800を支払い、讃衡蔵に安置されている奥州藤原氏の遺宝、国宝、重要文化財3,000点を見て敬意を表し、金色堂の解体修復をビデオで学習した後、満を持して鉄筋コンクリート造の覆堂(おおいどう)で過保護されている写真撮影禁止の金色に輝く建造物に対面することが出来るのだ!

何重もの漆塗りの上に眩いばかりの金箔を施された金色堂の内部の中央の須弥壇の中に初代清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右に三代秀衡公の御遺体と泰衡公の首級が納められており、それらはご本尊の阿弥陀如来や多くの菩薩に守られて安眠しているのである。尚、覆堂のオリジナルは元々木造であり、長年金色堂を風雨から守ってきたという功績にもかかわらず、今では無造作にカバーをかけられてその内部は参拝客の好奇の目にさらされているのだった。

ところでマサよ、義経と言えばその従者である弁慶を語らなければ片手落ちになるということは弁解の余地のないところであろう。中尊寺の境内には当然のことながら、弁慶堂も建立されており、市川海老蔵も参考にしたはずの弁慶の木像も義経とペアで安置されている実態が確認出来た。また、中尊寺の入り口には武蔵坊弁慶の墓が立ち往生したおももちで参拝者の注目を集めていた。

ということで、♪うしろ髪ひく かなしい声を 背なで断ち切る♪ようにして平泉を後にし、秋田空港に戻り、ANA878便にて松尾芭蕉の数万倍の速さで江戸に帰って行った。

FTBサマリー

総飛行機代 ただ

総レンタカー代 \14,430

総高速代 \1,000

総ガソリン代 \3,632

総宿泊費 \20,630(2食付)

協力 ANA、ニッポンレンタカー、楽天トラベル

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 奄美大島

いも~れ マサよ!

(奄美の方言:いらっしゃい)

ということで、WBCを制したサムライジャパンが寒いジャパンにならずに帰国出来、原監督のハラキリも何とか回避されたのでWBC期間は休業中であったFTBを再開し、早速奄美大島に流れることと相成ったのだ。

4月3日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば¥46,000くらいかかるところを私はただで搭乗出来るJAL1953便奄美大島行き8:30発MD81機に乗り込むと2時間25分のフライトで午前11時頃に奄美大島空港に到着した。早速空港バスに乗り込み、1時間程の時間をかけて奄美大島の中心都市である名瀬に到着した。大島紬と民謡で有名な奄美大島は、とあるディレクターが元ちとせを見出したことで名を馳せており、町行く人々は離島名物の老人だけでなく、わだつみの木の下で遊んでいるちとせ飴が似合いそうな七五三系の子供の姿も数多く見られたのでこの島の将来は安泰だと思われた。

名瀬市街地の東を流れる新川は離島ならではのきれいな水を湛えており、川沿いの静かな散歩道を歩いていると色とりどりの巨大な錦鯉が放し飼いにされている様子が垣間見られ、この島のスケール感のある自然に圧倒されることになるのだ。

名瀬港のほとりを歩いていると船が数多く出入りする港にも拘わらず、その海の青さに驚かされ、数多くの魚が群れを為して泳いでいる姿に思わず目が釘付けになってしまった。今日の宿泊地は名瀬港を見下ろすトロピカルステーションホテルであったので早速チェックインを済ますと名瀬近郊の散策に乗り出すことにした。

マサよ、君はハブ対マングースの息詰まる熱戦を見て手に汗握ったことがあるか!?

というわけで、奄美観光ハブセンター(¥750)を午後2時過ぎに訪問させていただいたのだが、ハブとマングースのショーが午後2時から開催だったものの前半はハブの知識を吸収するためのビデオ鑑賞だったため、何とかその時間のショーに潜り込むことに成功した。

島のハブ名人として名高いハブセンター代表の中本英一氏が試合前のセレモニーのごとくハブに関する講釈をたれてくれたのでハブの牙が毒蛇の中で最も長いことやハブの生態に関する日常生活では役立つことのない知識が得られ、また実物のハブを取り出し、観光客に触らせて変温動物である蛇の体温は今日の気温と同じ20℃であることを体感させていただいた。

プロ野球セパ同時開幕に先立って、いよいよハブ対マングースの伝統の一戦がプレーボールとなった。ネット裏の特等席に陣取ったFTBご一行様の目の前で繰り広げられた死闘はマングースの足を使った機動力と足を使えないハブの鞭のようにしなる瞬発力による攻防となった。マングースは絶妙の距離感を保ちながらハブのアタックを交わし、鞭が伸びきった瞬間を見計らってハブの急所である頭部に食らい付き、勝負の行く末が見えたところで中本レフリーによりマングースのTKO勝ちが宣告された。尚、中本氏によれば頭を噛み付かれたハブは一時間以内にあの世行きになるだろうとのことで、ハブの死体は解体され革製品に加工されたり、肉は蛇料理に供されなければならないのでハブが傷物になる前に意図的に勝負を止めさせたのではないかと思われた。

ハブセンターの地階はハブ飼育展示場となっており、おびただしい数の生きたハブや子猫や蛙を丸呑みした状態等のおぞましいハブのホルマリン漬けが観光客に恐怖を植え付けるのに一役買っていた。また、ここには有名人の来場も見られる様子で長渕剛が♪ろくなもんじゃね~♪という及び腰でハブを満足気に握り締めている写真も展示されているのだった。

4月4日(土)

昨晩地元の島料理居酒屋「みれい」で黒糖焼酎「里の曙」、「れんと」を牛飲したにもかかわらず、二日酔いの症状が出なかったので、早朝トロピカルステーションホテルをチェックアウトし、名瀬漁港近郊にそびえる大島紬資料館への入館を試みると休館日だったため、若き日の宮崎緑が大島紬大使よろしく着物を着飾ったポスターの見物しか実行出来なかった。尚、昨日のハブ名人中本氏によると大島紬の柄は元々ハブの皮の色模様からはじまったとのことであった。

名瀬新港の北側に奄美の歴史を紐解くのに最適なファシリティである奄美博物館(黒潮館、¥300)が開館していたので見学させていただくことにした。博物館は3階建てのフロアから構成されており、特に3階の第3展示室には奄美の珍しい動植物がジオラマで再現されており、特別天然記念物のアマミノクロウサギがハブやマングースの襲撃におびえながら森で密やかに暮らしている様子を垣間見ることが出来た。

午後1時前にニッポンレンタカーでホンダのライフをレンタルすると島の北東に位置する西郷南洲謫居地(¥200)に向かった。生涯で奄美大島、沖永良部島、徳之島に流された実績のある流され名人の西郷隆盛は1858年に菊池源吾という偽名を使って奄美大島に砂糖積船福徳丸に乗ってやってきた。西郷は妻帯者であるにも拘わらず、島妻である愛加那との間に菊次郎と菊子の二児をもうけやがり、島津の殿様の呼び戻しによって薩摩藩に戻るともう二度と愛加那には会えなかったという悲しい物語がこの家の当主によって長々と語られることとなったのだ。尚、築150年のこの家には西郷隆盛を敬愛する稲盛和夫が仕切っている京セラの社是となっている「敬天愛人」と刻まれた看板が燦然と輝いていたのだ。

西郷が上陸した地である西郷松でその見事な枝ぶりに感心した後、さらに北東に進み、ライフでエンジョイしているとふと申し訳ない気持ちに苛まれてしまった。気がつくと、風光明媚な岬に立っており、看板には「あやまる岬」という文字が躍っていた。仕方がなかったので過去の財務省の悪行を走馬灯のように頭に思い巡らせてマサの代わりに透明な海に向かってあやまっておいた。

「あやまる岬」での懺悔によりみそぎをすますと奄美で一番美しいと言われる土盛海岸に向かった。太陽の光によって変化するエメラルドグリーンの海は南国の雰囲気そのものでここは沖縄の海にも引けをとらない透明度を誇っていたのだった。

島の北東部よりはるか沖縄本島から続いている国道58号線に入り、名瀬を経由して奄美の南部を目指した。途中マングローブ原生林という緑の悪魔を彷彿とさせるジャングルを見下ろし、なるほどこの景色が東洋のガラパゴスである所以であると感心しているうちに瀬戸内町に到着した。すでに夕方の5時を回っていたので今日の宿泊地であるネプス ダイブリゾートに潜り込み、¥300の発泡酒を注文するとただで付いてくる黒糖焼酎「里の曙」と痛飲しながら意識を無くすことに躍起になっていた。

4月5日(日)

早朝奄美名産黒砂糖を土産にネプス ダイブリゾートから浮上すると奄美大島南部のリゾート地であるヤドリ浜に向かった。夏場にはダイビングやウインドサーフィン、ジェットスキー等のマリンレジャーで繁盛するヤドリ浜であるが、シーズンオフのこの日はエメラルドグリーンの海は静かな水面を湛えているだけであり、雨が降っても雨ヤドリが出来ない場所であることが確認された。ホノホシ海岸という訪れる人を一瞬立ち止まらせる光景が広がる海岸に到着した。太平洋の激しい荒波に洗われ、珍しい丸みを帯びたおびただしい数の石が転がるホノホシ海岸は波が押し寄せるたびにそれらの石が「カラコロ」と音を立て、幻想的な狂想曲を奏でていた。

大島海峡全体を西から東まで一望出来る高知山展望台にらせん階段を駆け上って登頂した。展望台からは海峡を隔て近隣の加計呂麻島、与路島、請島まで見渡すことが出来、眼下には古仁屋市街地もひっそりとした佇まいを見せている様子が確認された。

古仁屋港からは加計呂麻島までの主要交通手段となっているフェリー「かけろま」が航行されており、その隣には半潜水船 マリンビュワー「せと」が大島海峡の水中散策に誘ってくれるというので¥2,500を支払って乗船することにした。半潜水船というだけあって船倉部には海中の景色が楽しめるように窓が作りこまれており、そこから大島海峡に生息する珊瑚や熱帯魚の姿が垣間見られたのだが、沖縄や八重山諸島の海に比べると華やかな彩りに欠けるのはいたしかたがないと思われたのも事実である。

半潜水船を下船するころには天気予報通りに雨となってしまったので名瀬まで引き返し、市内で車を返却するとそのまま空港バスに乗り込み奄美大島空港への帰路についた。JALのマイレージが余っていたのでマサであれば\23,000.-くらいかかるところを私はただで搭乗することが出来るJAL3732便鹿児島行きに乗り込むと後方客席部より数10cmしか離れていないMD81機のジェットエンジン音を気にしながらも午後4時前には鹿児島空港に到着した。鹿児島空港におやっとさぁ(おつかれさま)天然足湯温泉が沸かされていたのでかろうじて温泉気分を味わった後、ANA630便にて東京に帰って行った。

FTBサマリー

総飛行機代 JAL = ただ、ANA = \17,100

総宿泊費 ¥12,275

総レンタカー代 ¥6,825

総ガソリン代 ¥1,608

総バス代 ¥2,200

総走行距離 240km

協力 ANA、JAL、楽天トラベル、ニッポンレンタカー

FTBキャンプイン桜前線始動 in 沖縄

ところでマサよ、君はフジテレビのスポーツニュース番組「すぽると!」が始まる随分前、はるか昔に「プロ野球ニュース」という神聖な番組が幅を利かせ、キャンプ情報を見ると12球団すべてが優勝するかのような報道をされていたという贔屓の引き倒しが存在していた事実を知っているか!?

ということで、プロ野球のキャンプインに歩調を合わせるようにFTBも1年分の過酷なツアースケジュールに耐えられる体力を蓄えるために今ではキャンプ銀座と化し、プロ野球ニュース初代キャスターの佐々木信也も取材で行き損ねたであろう沖縄まで飛行機を飛ばして乗り込むと同時に日本で一番早いセリーグの順位予測をすることにした。

1位 巨人 - 二岡という重荷をかついで前半低迷した昨年と違い、二岡がモ~ナくなった今年は間違いなくぶっちぎりの優勝であろう。          

2位 広島 - 新球場オープンのご祝儀の勢いと前田智徳、緒方孝市らベテラン勢の引退間際のひと花により優勝戦線に食い込んでくるであろう。

3位 ヤクルト - 昨年の開幕シリーズで巨人に3連勝したジャパネット高田監督のテレビショッピング采配がお茶の間の指示を得てAクラス入り。

4位 阪神 - 「ショートでマユミ!?なんぼや??」とかつて西川のりお師匠にこきおろされた実績のある真弓新監督の半身浴不倫デートスキャンダルにより低迷。

5位 横浜 - 大矢監督の白羽の矢があたった若手の台頭と浜の番長に入れられたヤキが回ってかろうじて最下位を免れる。

6位 中日 - タイロンウッズ、中村紀が抜け、川上憲伸の献身的なピッチングももはや見られず、落合監督も落ち目になるであろう。

1月31日(土)

午前6時35分発ANA993便に搭乗すると3時間弱の意識朦朧フライトで9時半頃沖縄空港に到着し、早速ニッポンレンタカーでSUZUKIのSWIFTをすばやくレンタルすると南部エリアに向かって車を転がした。奥武島にもずくを沖縄そばに練りこんだもずくそばで生計を立てている食堂に入ってもずくのおかわりが自由である中味もずくそばを食った後、新原(みーばる)ビーチに向かった。ビーチの近くに受水走水(うきんじゅ はいんじゅ)という沖縄の稲作発祥の地で米米クラブのメロディを口ずさみ、その勢いで新原ビーチの眺望を中国人観光客と一緒に堪能させていただいた。

沖縄南部のドライブスポットとして人気の高いニライカナイ橋で人工的な造形とマリンブルーのコントラストに感動し、その流れで斎場御嶽(せいふぁーうたき)¥200 <世界遺産>に突入した。御嶽とは、南西諸島に広く分布している「聖地」の総称で、斎場御嶽は琉球開びゃく伝説にもあらわれる、琉球最高の聖地であるので観光客といえども神妙な面持ちでお参りしなければならないのだ。

1853年に来島したペリー提督もその石造建築のすばらしさを賞賛した中城城跡(なかぐすくじょうあと)\300<世界遺産>で南海の古城に息づくいにしえのロマンを感じると同時に野面積み、布積み、あいかた積みという三種類の石積みを学習した後、約280年前の代表的な沖縄の農家である中村家(\500)にお邪魔させていただいた。

国指定重要文化財に指定されている中村家住宅は先祖代々の中村さんが住んできた家だと思われ、士族屋敷の形式に農家の形式である高倉、納屋、畜舎等が付随して沖縄の住居建築の特色をすべて備え持っている豪邸である。

マサよ、君は教訓茶碗から教訓を受け、人間の強欲に対して釘を刺されたことがあるか!?

というわけで、中村家のモデルルームの内見が終了するとチケット売り場兼土産物屋にてお茶と黒糖菓子が振舞われることになっているのだが、管理人風情のおばちゃんがお茶請けに教訓茶碗のデモをかましてくれるので観光客一同で見入ることにした。教訓茶碗とはお茶を八分目まで注いで飲む分には普通の茶碗として機能するのだが、八分目を超えるとお茶がすべて茶碗の下から流れ出てしまうというからくりを実装した財務官僚の物欲を抑制するのに最適な、一家にひとつは備えておきたい代物であることを思い知らされた。

中村家で昼行灯の婿殿こと中村主水が実は必殺仕事人であるという事実に相当する教訓を得ることに成功したので、宜野湾にある沖縄コンベンションセンターに隣接している海浜公園に向かった。IHG ANA共同ブランドホテルおよびANAホテル無料宿泊券が余っていたのでマサであれば2~3万くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るラグナガーデンホテルにチェックインした。12階の眺望の良い部屋に荷物を置き、宿泊者にもかかわらず¥500の支払いを強制される地下の大浴場で汗を流していると女性が見ると欲情しそうながたいの良い若者達が洗い場で肉体をこすっていた。ラグナガーデンホテルは横浜ベイスターズ1軍の宜野湾キャンプの定宿になっており、セリーグ最下位に甘んじている選手達はサインを求められることも少ないので一般宿泊客に混じって思う存分南国ホテルライフを満喫出来る現状が確認されたのだった。

2月1日(日)

プロ野球では元旦に例えられるキャンプインの初日を海に面したホテルのベランダから高みの見物と洒落込んだ。今年こそは最下位を脱出しなければならないベイスターズは午前9時より宴会場に参集しミーティングを行った後、グランドでの長い挨拶を経て10時から練習が開始された。その光景を目にして闘志に火が着き、体の火照りを感じたのでホテルをチェックアウトして観光を続行することにした。

読谷村に座喜味城跡<世界遺産>が西海岸を見渡せる標高125mの丘の上で廃墟の様相を呈しているので美しい曲線を有する城壁沿いでウォーミングアップした後、残波岬で巨大シーサーと沖縄一高い灯台を見上げて首のストレッチを行った。

万座ビーチホテルが大改装中だったので近くの景勝地である万座毛でまんざらでもない景色を堪能し、そのまま58号線を北上して名護方面に向かった。北海道日本ハムの名護キャンプで移籍してきた二岡がハムを食ってスキャンダル痩せを克服出来たかどうかを確認するまでもなく球場脇をスルーして八重岳を目指した。

マサよ、君は日本一早い桜祭りで一足先に満開気分を満喫したことがあるか!?

ということで、本部町にそびえる標高453mの八重岳は寒緋桜(かんひざくら)の名所になっており、開花に合わせて毎年桜祭りが盛大に開催されている。山頂への道沿いには満開となった寒緋桜がその枝で車の往来を困難にしており、本土のソメイヨシノの気の抜けた白い花びらとは風情の異なる花見を堪能することが出来るのだ。沖縄の桜の色合いが本土の物より鮮やかであるとはいえ、遠山の金さんよろしく桜吹雪を散らすようなタイプではないので♪もろ肌ぬいで べらんめぇ~♪という上野公園のような花見の狂騒はここでは見ることが出来ないと思われた。

今回のキャンプの締めとして世界遺産と桜のコラボレーションが体験出来る第2回今帰仁(なきじん)グスク桜まつりに乱入することにした。今帰仁城跡(\400)は琉球三山時代、北山の拠点として栄えた沖縄屈指の名城と知られており、沖縄本島有数の桜の名所としても有名である。祭期間中の土日には琉球古典や舞踊、民謡等の催し物が目白押しで夜間には城と桜がライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸しだすことが約束されている。

というわけで、今年も順調なスタートを切ったFTBであるが、沖縄には♪ババンバ バン バン バン♪ ジンベエザメ でか!と思わず叫んでしまう美ら海水族館や「さくら」の歌唱で有名な森山良太郎の母親が歌う♪ざわわ♪サトウキビ畑等解明していかなければならないスポットがまだまだ残されているので予断を許すことが出来ない日々をこれからも過ごさなければならないのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥14,000

総宿泊費 ただ

総レンタカー代 \9,500

総ガソリン代 \1,880

総高速代 \1,000

協力 ANA、IHG ANA共同ブランドホテル