中学校の社会の授業で川崎先生から四国の徳島に大歩危・小歩危(おおぼけ・こぼけ)という景勝地があることを習った。それを知った同級生のワルが成績の芳しくない女生徒2人にそれぞれ大ボケ、小ボケと命名し、授業中の珍回答を揶揄していた。さらに大歩危・小歩危の背後に祖谷渓という日本三大秘境と言われる渓谷が小便をちびりそうになるような断崖の切れ込み方で観光客を集めているという。
季節は紅葉を迎え、景勝地のボケぶりもたけなわになった頃を見計らって秘境に足を踏み入れるツアーが開催されることとなったのだ。
2012年10月31日(水)
7:25発ANA651便B787-8ドリームライナーに乗り込むと約1時間20分のフライトで岡山空港に到着した。空港バスで岡山駅に移動し、マリンライナーという快速列車で瀬戸大橋を渡り、坂出駅でローカル列車に乗り換えてお昼前にしなびた港町の多度津駅に到着した。さらにワンマンのローカル列車で1時間以上の時間をかけて午後2時過ぎに阿波池田駅に到着した。駅を出てすぐの観光案内所の隣の広場ではおばちゃんが三味線ライブを行っており、数人の聴衆の前で見事であるはずのベンベラベンを披露していたのだ。
阿波池田駅で駅レンタカーを予約していたのでスズキのワゴンRに乗り込むと国道32号線を高知方面にひた走った。国道沿いにはJR土讃線の線路とともにエメラルドグリーンの水を湛えた吉野川が流れ、河岸には砂岩が変成してできた砂質片岩の分厚い地層がダイナミックに露出していた。
これといった見所のない小歩危峡を過ぎ、サンリバー大歩危と名乗る温泉施設を通り過ぎてラフティングショップやコンビニを融合したドライブイン的なファシリティで小休憩することにした。近くに三名含礫片岩に刻まれた後藤新平句碑があったので歩危の秋が堪能出来るように祈っておいた。尚、歩危(ほけ)とは、ほき、ほっけから転じた地名で崖地険しい所をいう。歩危の上に大や小などの文字が付くと「ぼけ」と濁って読むという。
大歩危峡での代表的なアクティビティは遊覧船に乗ってしばしボケ~と時間をやり過ごすことなので「大歩危遊覧船レストラン大歩危峡まんなか」で¥1,050の乗船料を支払って30分の船旅を楽しむことにした。救命胴衣を身につけて船に乗ると程なくしてボケクルーズの開始となった。乗客は船頭が説明の中でボケをかましたらすかさずツッコミを入れようと虎視眈々と狙っていたようであったが、まっとうな説明しかなかったので舌先で待機させていた「何でやねん!?」「お前何考えと~ねん!?」といった王道文句を飲み込まざるを得なかったのだ。
ボケとツッコミの掛け合いはともかくとして遊覧船から眺める渓谷美と両岸の奇岩怪石は非常に特徴的であった。遊覧船は1年中営業しているので四季折々の季節を楽しむことが出来るのだが、やはり数週間後に訪れるはずの紅葉の時期が最も素晴らしいのではないかと思われた。
遊覧船乗り場のすぐ先にラピス大歩危と名乗る道の駅大歩危が妖怪屋敷の看板を誇らしげに掲げていたので入ってみることにした。ここには通常の道の駅のファシリティだけでなく妖怪屋敷/石の博物館が開業しており、チケット売り場のおね~さんが挨拶の際に「何かよ~かい?」と小ボケをかましてきたら\500の入場料を支払って入ってみるつもりだったのだが、妖怪のような機転が利かなかったので貴重な入場料収入を逃してしまったのだ。
このあたりの地域は妖怪銀座になっているようで、今日宿泊するホテルである大歩危峡まんなかの近くには妖怪めぐりマップも掲げられているほどの念の入れようであった。ちなみにホテルは温泉ホテルで露天風呂から峡谷を見渡すことも出来、地元の食材を使った懐石料理は高級料亭なみの豪華なものだったのだ。
11月1日(木)
ホテルまんなかをチェックアウトすると日本三大秘境の一つに数えられる祖谷(いや)の奥地に足を踏み入れることにした。西祖谷地区の県道を過ぎて国道439号線に差し掛かると祖谷の中でも最強の秘境である東祖谷地区に入ってしまったことに気づかされた。ここから車が一台通れる程の奥の細道が延々と続くのだが、ここかしこで工事が行われているためダンプカーの通行が多く、弱小レンタカーは祖谷の細道でいやいやながらバックして道を譲らなければならないのだ。
大歩危・小歩危や祖谷を含めた一帯は剣山国定公園となっているのだが、奥祖谷の最深部、徳島と高知の県境に日本百名山の剣山がそびえているのでこの機を捉えて登頂しなければならなかった。剣山の登山拠点である見ノ越に到着するとリフト乗り場の駐車場は閑散としている様子であったが、それでも1台の観光バスが止まっていた。四国とはいえ、標高の高いこの地域はすでに冬支度を始めており、標高別拠点の気温を表示する掲示板には摂氏一桁が踊っていた。
通常の登山者はリフトで山の中腹まで輸送されるのだが、所要時間15分の足ブラブラリフトに往復\1,800を支払うのは忍びなかったので頂上への道のり4,000mを徒歩で制覇してやることにした。登山道に入るといきなり「クマに注意」の看板が現れ、思わずリフト乗り場に引き返そうと思ったのだが、四国にどんなクマがいるのか興味があったので気持ちを強く持って山道を進むことにした。
登山リフトの終点の西島駅には40分程で到着し、ここでクマの襲来を警戒した冷や汗が引くのを待って頂上を目指すことにした。剣山頂上への道のりはいくつかのルートがあるのだが、最短ルートを通ればわずか30分程で到達出来るので、クマさえ現れなければこの山へはハイキング程度の体力で登頂することが可能である。念の為に途中の大剣神社で登山の成功を祈願すると程なくして冬の装いになっている標高1,955mの剣山山頂に到着することに成功した。
山頂周辺には熊笹等の自然の植生を守るために遊歩道が設けられており、晴れていれば小豆島や瀬戸大橋、大鳴門大橋等の眺望が楽しめるのだが、視界が良くなかったために周辺の山々の頂の景色のみ頂いておいた。
吹き付ける風が容赦なく体温を奪いそうだったので剣山頂上のやどである頂上ヒュッテに陳列されている土産物等をチラ見してそそくさと下山することにしたのだった。
剣山を後にして国道439号線を東祖谷方面に引き返すことにした。奥祖谷に二重かずら橋という代表的な観光地があるので\500を支払って見学することにした。祖谷は平家の落人が住み着いた場所でかずら橋は平家一族が、平家の馬場に通うために設けたと言われる橋である。二重の名のとおり、男橋と女橋の2本があり、「夫婦橋」とも呼ばれている。
女橋のすぐ横にはロープをたぐりながら渓谷を渡る「野猿(やえん)」があり、美しい紅葉と透き通るような清流を見ながら優雅な神輿的空中散歩を楽しむことが出来るようになっている。
二重かずら橋を過ぎると遠目から見ると人間の寄り合いに見える人形の集団が農作業をしていたりバス停でバスを待っているふりをしている光景が目に飛び込んでくる。ここは天空の村・かかしの里という場所で、かかし工房ではかかしの生産のみならず置物や焼物等の無人販売も行われており、気に入った物があればかかしに金を支払って持ち帰ることが出来るシステムとなっている。
かかしを使って人間の数を水増ししようとしているのは一見卑怯とも思えたのだが、これが秘境の実態だと自分に言い聞かせて楽天トラベルに予約させておいた「いやしの温泉郷ホテル三峯」にチェックインして秘境温泉を堪能しながら静かな夜を過ごさせていただいた。
11月2日(金)
いやしの温泉郷の敷地内から奥祖谷観光周遊モノレール(¥1,500)が発着しているので話のタネに乗車してみることにした。カブトムシを車両のデザインに取り入れたこのモノレールは世界最長の4,600mの行程を誇り、590mの高低差も世界一となっている。最大傾斜角は40°で最高標高は1,380mとなっているのでこの時期には十分な防寒対策をして乗車しなければならない。
モノレール駅で待機している多くの2人乗りの車両の1つに乗り込むとシートベルトを締めて1時間ちょっとの自動運転によるのどかな森林浴がスタートした。車両は上りや下りを自動検知している様子でシートのリクライニングが傾斜角によって自動調節される仕組みになっているので後ろに倒れすぎたり前のめりになったりする心配もなく体力のない老人であっても快適に山間の遊覧を楽しむことが出来るのだ。
モノレールの線路のほとんどは林の中を通っているので単調な感じも否めないではないが、時々野生の鹿が現れて乗客の目を楽しませてくれる。標高が上がり、眺望が開けると周囲の山々が色づいていく様子を遠目に眺められるのだ。
秘境モノレールを堪能させていただいた「いやしの温泉郷」を出ると落合集落を一望出来る展望台にたどり着いた。国指定重要伝統的建造物保存地区に指定されている落合集落は江戸中期から昭和初期に建てられた民家や石垣と畑が急斜面に広がり、なつかしい山村の風景を今なお残しているのだ。
東祖谷地区の見どころを一通りおさえることが出来たので比較的秘境度がマイルドな西祖谷地区に戻ってきた。西祖谷地区の最大の見所は日本三奇橋のひとつとして君臨し、国・県指定重要有形民族文化財に指定されている祖谷のかずら橋である。かずら橋は平家一族が追っ手から逃れるために、いつでも切り離せるようにと、シラクチカズラという植物で造ったと言われている。今では3年に一度、安全のために架け替えられているが、渡る時には絶妙な揺れと橋げたの隙間から見える10数メートル下の渓流の景色により何とも言えないスリルを味わうことが出来るのだ。
尚、この一方通行のかずら橋を渡るためには¥500の入場料を支払う必要があり、私は既に奥祖谷の二重かずら橋でその醍醐味を味わっていたので同額の¥500で名物祖谷そばを食って腹の足しにすることにしたのだった。
かずら橋の出口の近くに平家の落人たちが琵琶を奏でてなぐさめあったと伝えられる高さ50mの琵琶の滝が流れていたのでここでマイナスイオンを吸収して祖谷渓に向かった。途中のホテルかずら橋の前に古いバスが停車していたのだが、このボンネット定期観光バスにより西祖谷の主な見所は網羅されている。
マサよ、君は日本一の渓谷で度胸の善し悪しが立ち小便の勢いによって試されていたという驚愕の事実を知って思わずちびりそうになったことがあるか!?
私は・・・・・ない!!
というわけで、西祖谷の観光地を抜け、遠く眼下に流れる祖谷川を見ながら細い山道を駆け上がるといつしか数百mの断崖絶壁の続くV字型の深い谷である祖谷渓谷に入っていた。祖谷渓の中腹に日本秘湯を守る会の会員にもなっている祖谷温泉が一軒宿の看板を掲げていた。この旅館の温泉はケーブルカーに乗って渓谷を下って到着することが売り物らしいのだが、気軽に入れそうもなかったのでスルーしておいた。
祖谷温泉を少し通り過ぎたところでいきなり交通安全を祈願しているはずの小便小僧の看板が目に飛び込んできた。看板のすぐ先には美しい背骨のアーチを描いたブロンズ児童がイチモツの先に見える遠く崖下に流れる川に狙いを定めていた。この小便小僧の立つ岩は、谷底から200mの断崖に突き出しており、明治時代に周辺に道路をつくった際も崩落せずに残った岩で、度胸試しに立ち小便をする人が跡を絶たず、いつの間にか「小便岩」と呼ばれるようになったという。マイルドな尿意を抑えていた私も連れションの恩恵に預かろうと思ったのだが、小僧のチンチンが恐怖で縮こまっているように見えたので遠慮しておくことにした。
小便小僧が早く大人になることを祈りながら祖谷渓を後にすると再び大歩危・小歩危の景勝地帯を抜けて大歩危駅のありさまを見学しに行くことにした。普通の田舎駅の外観を持つ大歩危駅でありながら、駅長はこなきじじいが勤めているようで彼の仲間の妖怪がそれぞれのコインロッカーの管理を担当しているようだった。
大歩危峡を出るにあたり、この地方の実力者であるはずのこなきじじいへの挨拶は欠かせないと思ったので遊覧船乗り場からさほど離れていない藤川谷に鎮座する児啼爺像に参拝しておいた。尚、近くには小生意気なスタイルのエセこなきじじいも存在していたのだが、賽銭収入があるのは児啼爺像だけのようであった。
小歩危峡の近くで「ぼけ除け大地蔵」という非科学的な観点からアルツハイマーと果敢に戦おうとしている寺の看板を発見したのであわよくばその効能に与ろうと急坂を上ってお参りに行くことにした。残念ながら住職に会えなかったので「日本に何万人といるアルツハイマー患者を救うためにもっと認知度を上げるべきではないか」との助言を与えるにはいたらなかった。
夕暮れ時に阿波池田駅でレンタカーを返却し、駅周辺をぶらぶらしていたのだが、この町はかつての野球強豪校池田高校の城下町なのでここかしこで下校時の女子高生に遭遇した。高台にある高校まで足を運んでみるとグランドでは野球部やほかのクラブがひしめき合って練習に励んでおり、普通の公立高校の日常の放課後が展開されていた。甲子園を制覇したやまびこ打線というキャッチフレーズの名のとおり、高校は山に囲まれており、ここから阿波の金太郎という名選手が生まれたのも納得出来る気がした。金太郎はドラフト1位で巨人に入団し、寮生活をしていたのだが、おとなしい生活には飽き足らず夜な夜な非常階段を通って門限破りを繰り返し、酒池肉林を満喫していたとの報告を受けている。これに怒った寮長は非常階段に有刺鉄線を張り巡らせて門限破りを阻止しようと試みたのだが、火事が起こったときに焼け死にたくなかったはずの金太郎は後日消防署に通報して非常階段の機能を復活させ、見事肉林への扉を再開したのであった。
消防法に詳しい金太郎の頭脳的悪行を露にしたところで丁度帰りのワンマン電車が来たので電車を数本乗り継いで岡山駅に帰っていった。
11月3日(土)
ANA「ダイヤモンドサービス」ホテル宿泊・お食事クーポンを使ってただで泊まることが出来た岡山全日空ホテルをチェックアウトするとバスで岡山空港に移動し、9:35発ANA654便で「金太郎は剣山にいるはずのクマに勝てるだろうか」と考えながら東京への帰路に着いた。
FTBサマリー
総飛行機代 ただ
総宿泊費 ¥26,000
総空港バス代 ¥1,480
総JR代 ¥3,700
総レンタカー代 ¥11,950
総ガソリン代 ¥1,450
協力 ANA、楽天トラベル、駅レンタカー、ANAホテルズグループジャパン、徳島県立池田高等学校