FTB緊急企画ゴジラ救済ツアー

♪まァたすこ~しだけ きみのォこと~ むだんでェ 好きになったけど~♪ song by Hitoto Yo

http://kashi.kyun.jp/cgi-bin/sng.cgi?sid=v70693

マサよ、君は家では「スローにん」か!?

ということで、ニューヨーク・ヤンキースを率いる松井秀喜が左手首を骨折したというニュースが日本いや世界を揺るがしたのは記憶に新しいところである。何とか早い回復を願って今回は松井の故郷である石川県まで急遽足を伸ばし、一日も早い「スローにん」からの脱却の一助となることにした。

5月20日(土)

先週の週末に開催されたひの新撰組まつりで有名な土方歳三を輩出した日野市の自宅からニュースタイルオデッセイを駆って関越道、上信越道、北陸道を経由して500km以上の道のりを5時間以上も車を転がしてゴジラを輩出した石川県の小松インターで高速を降りた。近辺にある小松政夫グループが経営しているであろう小松空港からのしらけ鳥が南の空に飛んでいくかのように飛行機が離陸している光景を横目にインターから5分程度のドライブで目的地に到着した。http://homepage2.nifty.com/nepper/gyagu125to130.html

小松グループの若頭であるはずのマサよ、君は石川県最強の観光地がどこにあるか知っているか!?

というわけで、2005年の暮れに満を持してオープンした松井秀喜ベースボールミュージアムの3ヵ所ある駐車場のうちのP1に車を滑り込ませ、ミュージアムの玄関前に構えている松井秀喜少年の「僕には夢がある」像に一礼した後、¥300の支払いで館内におじゃまさせていただくことと相成った。入口で等身大ヤンキースユニフォーム姿の松井蝋人形に一瞥をくれると館内奥深くに侵入することにした。http://www.hideki.co.jp/

貴重な展示物としてゴジラ生誕時から少年時代、星陵高校から巨人入団、ヤンキースへの移籍から現在の活躍にいたるまでの軌跡がパネルやゴジラ愛用の野球グッズとともにところ狭しと飾られており、団体観光客は等身大スーツ姿松井蝋人形や巨大スパイクを見て皆「でかい!」と驚嘆の声を上げてひれ伏していた。

ひっきりなしに訪れる観光客は皆ゴジラの作り方のノウハウを吸収しようと血眼になって展示物を凝視していた。館内から外に出て見るとベースボールミュージアムの前身である「松井秀喜野球の館」が廃館になった様相を呈しているもののその隣には松井の実家が豪邸の風貌で観光客の絶好の記念写真スポットになっていた。

富山県高岡市、富山湾の海岸線の奥地の山間部に太田の湯という潰瘍、皮膚病、結石に効く奇跡の温泉が湧き出ているのでしなびた風情の湯治宿に¥500の支払いで入湯させていただくことにした。シャンプー、石鹸の使用が禁じられている強引な狭い入浴場ではなるほど人目見ただけで皮膚病だとわかる若者がしきりにお湯を体中に浴びせていた。

太田の湯で体中のナチュラルキラー細胞を増やすことに成功したので予約しておいた富山全日空ホテルに引き篭もり、ホテルでの「スローにん」生活を満喫しながら夜を過ごしていた。

5月21日(日)

昨日の雨模様、霧模様の天候とは打って代わって今日は朝から晴れ上がっていたので妙高高原の景色もまぶしい妙高サービスエリアで高原バニラソフトを食いながら雪を被った山並みを眺めていた。

北八ヶ岳への登山者でにぎわう山の宿として有名な稲子湯に胃腸病によく効く天然サイダー温泉が湧き出ているという情報を入手していたので長野県奥地の標高1520mの高地の稲子湯(¥600)までわざわざ入湯しにやって来た。単純二酸化炭素、硫黄冷鉱泉、pH4.9の泉温7.6℃を沸かした温泉にゆっくり浸かった後、信州八ヶ岳松原湖高原の景色を眺めながら、松井がニューヨークで入浴出来ないであろう温泉三昧を実施して松井の一日も早い「スローにん」からの脱却を祈願して帰りの中央道の渋滞を楽しみながら帰路に着いたのだった。

総ガソリン代 ¥13,703

総高速代 ¥20,050

総宿泊費 ¥500

協力 ANAホテルズ、松井秀喜ベースボールミュージアム

カリビアンを虜にするプエルトリコツアー

アメリカ合衆国50州を制覇してすでに4年の歳月が流れてしまった今日この頃であるが、世の中にはアメリカ合衆国領!というFTB未開拓の地が残っていると言われている。マサ率いる財務省が暗躍する日本も言ってみればアメリカの植民地に分類されるのであろうが、今回は日米野球界に数多くのカリブの怪人を輩出し、スカウトを虜にしているプエルトリコの実情の調査に向かうことにした。

2006年4月29日(土)

テロ、SARS禍、中国での反日デモといった例年のマイナス要因もなく、今年のゴールデンウイークは過去最大の高飛び野郎を輩出するというニュースに偽りなく、成田空港第二ターミナルは立錐の余地がないほどの人手でごった返していた。つい一週間前に裏の仕事のデンバー出張から帰って来たばかりの肉体に鞭打って午前11時10分発のNH2便ワシントンDC行きB777-200機(http://www.ana.co.jp/int/inflight/seatmap/b777_200/index.html)の33C席に陣取ると11時間ちょっとのフライトでワシントンダラス空港に到着した。そこからさらにUA8023便に乗り換えると午後2時過ぎにセントルイス・ランバート国際空港へ上陸することと相成った。

空港のハーツで名も知れぬ白いGM箱型車をレンタルすると早速ハイウエイに飛び乗ったのだが、驚いたことにそのハイウエイは赤ひげのホームラン王Marc McGwireの名前が冠されていたのであった!McGwireと言えば1998年に年間70本のホームランを放ち全米を興奮のルツボに陥れたことは記憶に新しいのだが、なるほどセントルイスを横断するI-70高速道路はマサにBig MACの名前にふさわしい太い道路であった。

ミズーリ州のI-70、通称Marc McGwire Highwayから州境のミシシッピー川を超えイリノイ州のI-55に乗り継ぎそのまま北に向かって70マイルほど走るとLincoln Home National Histric Siteという自然公園系のファシリティに到着した。着いた時間が遅かったためビジターセンターが閉まっていたので仕方なく周囲の散策を軽くこなした後セントルイスへの帰路に着いた。今日は初日ということで、Hilton HHonorsのポイントが余っていたのでマサであれば$90くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るHampton Inn Florissantに引きこもり、巨人の星を見上げながら床に着くことにした。

4月30日(日)

セントルイスの郊外にアメリカの古い大統領であるUlysses Grantの住居がNational Histric Siteとして保存されているので見物に行ってきた。とりあえず数人の野次馬アメリカ人とパークレンジャーが案内するサイトツアーに参加したのだが、歴代の大統領を重んじるアメリカらしく古い屋敷を取り繕って観光客をおびき寄せている実態を垣間見た気がした。

セントルイスのシンボルと言えばミシシッピー河岸に仁王立ちし、その圧倒的な存在感で観光客の首をななめ上方45度に固定してしまうGateway Archである。この近辺はJefferson National Expansion Memorialとして国立公園に制定されており、西部開拓はこの地から始まったということを記念してGateway Archの地下のミュージアムにはインディアンや開拓者に扮した等身大しゃべる蝋人形君達が解説する開拓物語が観光客の注目を集めていた。

マサよ、君は田口壮という日本人プレイヤーがセントルイスくんだりでいぶし銀的輝きを放っている事実をしっているか!?

ということで、1999年8月以来(http://www.geocities.jp/takeofukuda/1999mlb.html)、約7年ぶりに野球の殿堂セントルイスのブッシュ・スタジアムを訪ずれなければならなかった。何故なら世界中の酔っ払いにバドワイザーを売りつけて暴利を貪っているアンハイザー・ブッシュがその財力を結集して新しいブッシュ・スタジアムをオープンさせやがったからだ。旧ブッシュ・スタジアムは円形闘技場を髣髴とさせるコロシアム風情の建築様式であったのだが、その廃墟の隣に築城された新ブッシュ・スタジアムはカージナルレッドを基調にした色使いは変わらないもののセンター後方にセントルイスのシンボルであるGateway Archの眺望を配した景観型スタジアムへと生まれ変わっていた。

カージナルスと言えばかつて星飛雄馬のライバルとして星一徹コーチの下で消える魔球に立ち向かったアームストロング・オズマを野球ロボットに仕立て上げた球団としてオールドファンの心の琴線を揺さぶった実績を持っている。しかし今やカージナルスの最大の目玉はオズマではなく、4月の月間本塁打記録を塗り替え、Big Macやバリー・ボンズを超える勢いの強打者であるアルベルト・プーホルズである。今日対戦したワシントン・ナショナルズの投手陣はいずれもプーホルズの強打に恐れをなし、敬遠を含む4四球でそのままホワイトハウスにお引取りを願いたいくらいなブーイングを浴びていた。

そ~そ~、田口壮の活躍も無視出来ないものであろう。今日はスタメンを外れていた田口は6回の裏3対2とカージナルスリードの2死2,3塁の場面で代打で登場し、見事センター前にクリーンヒットを放ち、2走者を迎え入れた。さらに次の打席でもライトに犠牲フライを打ち上げ、3打点を荒稼ぎし、見事にカージナルズの勝利に貢献したのであった。

オズマの聖地での日本人野手の活躍により溜飲を下げることが出来たので、その勢いでStarwoodのポイントが余っていたのでマサであれば$120くらいかかるところを私はただで泊まることが出来るFour Points by Sheraton St. Louis Westに引きこもり、野球ロボットと野球人形のどちらになるべきかを考えながら感慨深い夜を過ごしていた。http://www.whv.jp/title/kyojin/about/story/index2.html

5月1日(月)

♪いますぐ~Kiss me, wow wow ゴ アゥェ~ I wish you、だ~い好きだ~よと笑ァ~てよ~♪

マサよ、君は日本を代表するロック・グループがリンドバーグにちなんでおり、Lindberghがセントルイスを根城にしていたことを知っているか!?(http://www.flight-lindberg.com/

ということで、セントルイス・ランバード空港のとあるゲートで目にした旧式飛行機のレプリカはかつてリンドバーグが大西洋無着陸単独飛行に成功した「Sprit of St. Louis」であることを確認し、♪ド~キィ、ド~キィすること、や~め~ら~れッ な~いィ~、オ~イェ~♪と操縦桿をマイク代わりに歌いながら大西洋上空を飛んでいたであろうリンドバーグを思い浮かべながらワシントンDCへの帰路に着いた。

午後を回ったころダラス国際空港に帰還出来たのでそのままシボレーキャバリエに飛び乗り、ワシントンのジョージタウンを散策した後、キャバ嬢を同伴した勢いでボルチモアまでひとっ走りした。私の推奨によりマサも行ったことがあるはずのオリオールパークアットカムデンヤードに午後6時半頃到着するとトロント・ブルージェイズに叩きのめされているオリオールズファンの断末魔の叫びを手土産にメリーランド州最西部のFrostburgのHampton Innに深夜チェックインし、メリージェーンを歌う暇もなく、ダウンさせられてしまった。

5月2日(火)

昨夜12時半過ぎのチェックインにもかかわらず、朝5時過ぎにHampton Innを引き払い、一路ワシントンダラス空港へと急いでいた。気が付くとボルチモアよりはるか140数マイル西方の山奥に引き篭もらされていたため、朝8時26分のフライトに間に合うかどうか微妙なタイミングであったのだ。案の定ワシントンに近づくにつれてラッシュアワーを迎えた高速道路は渋滞の様相を呈してきており、ダラス空港のUAのチェックインカウンターに到着したのは8時20分を回った時間であり、E-Ticketの自動チェックイン機の画面には無常にも飛行機は飛んじゃったよ~というアナウンスが表示されていた。仕方ないのでワシントンからプエルトリコへの直行フライトはあきらめて、UAの有人カウンターで他の便を探させることにした。結局午後2時50分発のシカゴ経由プエルトリコ行きのフライトを変更手数料$100の支払いで確保することが出来たのでラウンジで時間つぶしをしながらダラス空港でナマでダラダラ過ごすことと相成った。

ワシントンDCから元々行く気のなかったシカゴオヘア空港まで1時間45分、シカゴからプエルトリコの首都であるSan Juan(サンファン)まで4時間ちょっとのフライトでサンファンに到着したのは夜の11時前になっており、雨もしとしと降っていたのでとりあえずタクシーで予約しておいたハンプトン・イン&スイーツ・サンファンに引き上げ、Tシャツとパンツの洗濯をこなして寝ることにした。

5月3日(水)

プエルトリコは東西約180km、南北約60kmの島で北は大西洋に南はカリブ海に面している。つい100年前までは現代におけるヤンキースのように圧倒的な強さを誇っていたスペインの植民地だったため、アメリカの自治領にもかかわらず人々はスペイン語を話し、町の看板やサインもスペイン語が溢れているのだ。首都サンファンのメトロポリタン地区はアメリカのリゾート地らしく、近代的リゾートホテルが軒を連ね、高値で観光客をおびき寄せているのだが、オールドサンファンという地域に入るとアールデコ調のスペイン様式の建物が多く、16世紀に舞い戻ったような感覚を覚えさせられるのだ。

早朝ホテルをチェックアウトするとイスラベルデというメトロポリタン地区からバス($0.75)に乗り、オールドサンファンを目指した。サンファン市自体はプエルトリコ北部の大西洋に面した半島の一部に過ぎないのだが、オールドサンファンはさらにその先端の海に突き出した部分に過ぎずないにもかかわらず、この地は昔から海上防衛の要衝として君臨している。

サン・クリストバル要塞($3)という10万m2の敷地に建つ堅牢な砦が存在しているので見物させていただくことにした。ここは後述するエル・モロ要塞を強化するために1771年に建てられたもので観光客系のラテンギャルが林立する大砲群にまたがりながら記念写真用のポーズを決めている光景が印象的だった。

オールドサンファン観光の目玉として世界的にも貴重な遺跡でユネスコ世界遺産にも指定されているエル・モロ要塞($3)が半島の突端で尖っていたので訪問することにした。この要塞の建築が始まったのは1539年で、完成したのはなんと244年後の1783年である。カリブ海の要衝としてのプエルトリコは1493年にコロンブスが2回目の航海で到達して以来、カリブの海賊や他国軍の脅威にさらされていたため、この要塞は非常に重要な防衛拠点になっていたのだ。要塞内部は広大で古い石積みの跡や衣装、武器などが展示されている博物館やビデオの上映、さらに海上43mの高さから大西洋を見渡すことも出来るのだ。

エル・モロ要塞で海上防衛のもろもろのノウハウを習得することに成功したのでシェラトンオールドサンファンのハーツで車を調達することにした。時間にルーズなラテン系ギャルが運営しているハーツのカウンターで右頬の吹き出物から出ている血をティッシュでぬぐいながらも丁寧に道を教えてくれたギャルに感謝しながら、ぺ・ヨンジュ系の車であるヒュンダイ普通車のソナタをレンタルすると一路南部のカリブ海方面を目指した。

島中央に君臨する1000m級の山岳地帯をぶち抜く高速を抜け、2時間くらい走るとプエルトリコ第二の都市ポンセに到着した。スペインから総督として派遣され、本格的な植民を実施したポンセの子孫が建設した町のはずれにヒルトン・ポンセ・ゴルフ&カジノがポンセ最大のリゾートとして君臨しており、すでに大金をはたいて予約しておいたのでカリブ海ビーチのリクライニングチェアで潮風に吹かれながらギャルの吹き出物が早く直るように祈っておいた。

5月4日(木)

タイガーウッズの父の死を悼む必要があったので今回はあえてゴルフをせずにヒルトン・ポンセ・ゴルフ&カジノをチェックアウトするとポンセのダウンタウンの中を車で徘徊することにした。ダウンタウンにも多少スペイン風建造物の見所があると言われていたのだが、街中がかなりごちゃごちゃしており、道路の両サイドの駐車車両も多かったため、観光を断念し、コアモという温泉を持つ小さな町まで車を走らせることにした。しかし、ここでも複雑な街づくりかつ道路のでこぼこでヒュンダイ車のソナタがチェ・ジウのような涙を浮かべてしまうことを恐れて退散することにした。

ポンセとサンファンを結ぶ52号線の真中あたりにカグアスという何の変哲もない町があり、特に見所もなかったので予約しておいたFour Points by Sheraton Caguasに引きこもることにした。カジノ併設のために拡張工事を行っている騒々しいホテルの敷地内に潅木や芝生があり、何かの注意事項の看板が掲げられていた。そこに書かれていた内容はなんと「煙草の吸殻を地面に捨てるな!ヘビースモーカーのイグアナがのこのこやってきて一服しはじめると追っ払うのがやっかいなんや!」ということだった!!

5月5日(金)

結局ひと晩待ってもイグアナに出会うことが出来なかった傷心を引きずってホテルをチェックアウトすると島の東部のファハルドという港町に向かった。プエルトリコ東岸から約30km沖にアメリカのトラベル・チャンネルで世界のベストビーチに選ばれたクレブラ島があり、ファハルドから出航しているフェリーで到達出来るということだったのでフェリーに乗らずに乗船待ちのリゾート野朗どもの見物のみを行った。サンファン方面に戻り、大西洋沖の美しいビーチを遠巻きに眺めた後、ルイス・ムニョス・マリン国際空港でヨン様風の笑顔を浮かべてソナタに別れを告げ、UA1688便にてワシントンDCに帰っていった。

5月6日(土)~ 5月7日(日)

午後12時20分発NH1便B777-300機17K席(http://www.ana.co.jp/int/inflight/seatmap/b777_300er/index.html)に陣取り映画4本を立て続けに見ながら13時間のフライトを過ごし、翌日午後3時前に成田着、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥167,900 + $632.10

総フライト変更手数料 $100.-

総宿泊費  $653.64

総レンタカー代 $209.01

総ガソリン代  $97.94

総タクシー代 $13.-

総バス代 $0.75

協力 ANA、ユナイテッド航空、HiltonHHonors、SPG、ハーツレンタカー

FTBGW大西洋スペシャル ゴジラv.s.アマデウス

ということで、今回のFTBGWスペシャルはこの時季恒例となったゴジラの近況調査に加えてはるか大西洋をまたぎ、音楽の都ウィーンとビールの都ミュンヘンまで足を伸ばし、最近生活コスト削減のために発泡酒より安いビールもどき雑酒飲料である大豆ペプチド発酵飲料を痛飲している現状のうさを晴らしに行くことにした。

2005年4月27日(水)

ANA002便ワシントンDC行きB777-200機は定刻出発、定刻到着を果たし予定通りこの日の午前中にアメリカの首都ワシントンDCに進出することに成功した。早速空港バス($8)で最寄のMetro Stationまで移動し、そこから地下鉄でスミソニアン地区に向かい、さわやかな快晴の空を天に向かってのびているワシントンモニュメントを横目に今回はメモリアルシリーズを挙行することにした。

まず、ポトマック川沿いにたたずんでいるThomas Jefferson MemorialとFranklin Delano Roosevelt Memorialの見学を立て続けにかました後、白亜のギリシャ建築の柱の奥に鎮座するリンカーンに会いにLincoln Memorialを訪れ、FTBのFTBによるFTBのためのツアーの成功を祈願させていただいた。そこからさらにツアー業界ではベテランとなったFTBはKorean War Veterans MemorialとVietnam Veterans Memorialまで足を伸ばしベテランを敬うことの重要さを肝に銘じることにした。

かつて大リーグ随一の集客能力の低さを誇るモントリオール・エキスポズという球団が存在した。モントリオール人のあまりの野球に対する無関心さに頭を痛めていたMLB機構はワシントンDCへの移転を画策し、今年34年ぶりにワシントンにMLB球団が戻ってくる運びとなったのだ。ワシントン・ナショナルズの本拠地であるRFKスタジアムはDCの中心から地下鉄でアクセス出来る便利な立地条件のために平日の4時35分からの試合開始にもかかわらず数多くの集客に成功していた。フィラデルフィア・フィリーズを迎え撃つナショナルズの打線はこの日は沈黙し、3対0でフィリーズリードの9回裏フィリーズの守護神である左の豪腕投手ビリー・ワーグナーが登場した。交響曲の作曲家を彷彿とさせるワーグナーは得意の100マイルの速球は出さなかったものの見事なタクトさばきでナショナルズ打線を簡単に封じ込めてしまったのであった。

本日の宿泊先であるDAYSINNにチェックインしようとしたところ脆弱なコンピューター予約システムが不具合を起こしてオーバーブッキングが多発したため、グレードの高いマリオットホテルにDAYSINNのコスト負担で移動させられ、ひょんなことから高級ホテルでの一夜を過ごさせていただくこととなってしまった。

4月28日(木)

米国内を網目のように張り巡らせているグレイハウンドのバス路線を使ってニューヨークに向かうためにユニオン駅の北にあるグレイハウンドバスディーポに向かった。あらかじめワシントン-ニューヨーク間($29)をウエブで予約しておいたのでWill Call用の券売機でチケットを引き出すと早速グレイハウンドの関連会社であるピーターパンが運行する午前9時発のバスに乗り込んだ。

ヤンキースの帽子を被った黒人肥満おやじの運転するバスは予定通り、午後1時20分頃に42nd Streetにある巨大なポートオーソリティバスターミナルにすべりこんだ。そこから徒歩でタイムズスクエアからブロードウエイを抜けてLowerManhattanに到着し、地下鉄でBrooklinまで抜け、今日の宿泊先であるDAYSINNにチェックインを果たすと再び地下鉄でBronxを目指した。

開幕からの低迷にもかかわらず51,000以上の観客で膨れ上がったヤンキースタジアムのネット裏の上段席に腰を落ち着けると不振にもかかわらず今日も4番に座っているゴジラの打球が右翼席に吸い込まれていく光景をイメージしながら試合開始時間を待ちわびていた。ロサンゼルス・エンジェルスのラッキー投手と相対したゴジラは1打席目にあわやホームランという大飛球を打ち上げたものの2打席目もチャンスに痛烈なファーストライナーで凡退してしまった。3打席目で待望のタイムリーツーベースを放ったものの結局この日もヤンキースは試合に敗れてしまったのだった。

4月29日(金)

マサよ、君はテディベアの正体とは何だったのか知っているか!?

ということで、今日も朝から地下鉄に乗りニューヨーク巡りに繰り出すことにした。Upper ManhattanにHamilton Grangeというニューヨークにゆかりのあるハミルトンという偉いアメリカ人の住居を見物した後、ハドソン川沿いに建つグラント将軍の墓兼記念碑を訪問した。ちなみにグラント将軍は南北戦争で名声を博した輩でアメリカではジョージ・ワシントンやアブラハム・リンカーンと並び賞されるほどの人気者となっており、わざわざニューヨークのど真ん中に巨大な墓が建造されるほどの英雄なのである。

パークアベニューの南にTheodore Rooseveltの生家($3)が摩天楼に囲まれながらも今でもRooseveltファンを集めているので見物に行ってきた。National ParkServiceが管理するこのファシリティはレンジャーによるツアーで家の内部が案内されることになる。ツアーの最後にかのレンジャーが展示されてある古いテディベアのルーツについて説明をかましてくれた。テディとはTheodoreのニックネームであり、テディベアはテディに敬意を表して日本で作られたという歴史的背景があるとのことだった。また、テディはポーツマス条約という形で日露戦争の仲介も果たした実績も持っており、日本の偉い人から毛筆で書かれた読めもしない感謝状さえも送られていたのだった。

テディべアの正体の解明に成功したのでかつてパンナムビルとしてアメリカ横断ウルトラクイズの決勝が行われていたMetLifeビルを眺めながらManhattanを北上し、ロックフェラーセンターで高いマンゴー生ジュースを飲んだ後、セントラルパークに向かう道すがら吉田兄弟のように3本の弦で全米を熱狂させるような野望を持った若者たちの集いを横目に再び地下鉄でJFK空港に向かいニューヨークを後にすることにした。

4月30日(土)

昨夜6時50分発のUA956便にて今朝7時前にロンドンヒースロー空港に到着していた。午前9時半発ルフトハンザLH4751便に乗り換えるとお昼過ぎにはミュンヘン国際空港に到着した。空港からミュンヘン中央駅に出るべく汽車の切符を買おうとしたが、買い方がわからなかったのでルフトハンザが運営する簡単な空港バス(EURO9.5)で駅に向かうことにした。

ミュンヘン中央駅でいかにしてオーストリアへの侵入を果たすべきか現地調査をした結果、結局正攻法であるドイツ国鉄が民営化されているドイチェ・バーンの鉄道を使って一路ウィーンを目指す事にした。午後2時半頃中央駅を出発した列車は新緑がまぶしい田園地帯を疾走し、気がつくといつのまにかオーストリアへの侵入を果たしており、約1時間半後にザルツブルグに到着した。ここで列車を乗り換えてさらに約3時間半の汽車の旅でついに音楽の都ウィーンへの到着を知らせる列車のドアがウィ~~ンと開いたのであった。

列車はウィーン西駅に到着していたのでそこから地下鉄(EURO1.5)に乗り換えて国立オペラ座が鎮座する町の中心部へ向かった。今回ウィーンではANAマイレージクラブダイヤモンド会員に提供されている全日空ホテルズの無料宿泊券を利用してマサであればEURO290/泊くらいかかるところを私はただで泊ることが出来るグランドホテルウィーンに乗り込むことになっていたので、古き良き時代の豪華さを残しているロビーでチェックインをさせていただくことにした。

夜8時を過ぎてもまだ明るさが残っていたのでウィーンの繁華街を軽く練り歩くことにした。さすがに音楽の都の土曜日だけあって街のいたるところに音楽用の簡易ステージが設置されており、おびただしいほどの人々がミュージックに酔いしれていた。世界遺産にも指定されているウィーンの旧市街をさまよっているといやがおうでもヨーロッパの伝統と格式を叩き込まれてしまっている自分に気付かされるのだった。

5月1日(日)

マサよ、君は天使の歌声を生で聴いて舞い上がったことがあるか!?

というわけで、早朝よりホテルを抜け出すとブルグ庭園にあるモーツアルト像を見上げ、頭の中でアイネ・クライネ・ナハトムジークのメロディーを奏でた後、ゴシック建築の荘厳な建造物である王宮に向かった。王宮の礼拝堂で日曜日のミサが行われることになっているのだが、そのミサにウィーン少年合唱団がレギュラー出演しているとの情報を入手していたので早速チケットの入手を試みることにした。チケット売り場と思われるところは多少の行列が出来ていたので周辺の様子をうかがっているとオーストリアレッドのジャケットを身にまとったツアーコンダクター系のおばちゃんが公認ダフ屋よろしく買い占めたチケットを道行く観光客に売りつけていた。入場券にはEURO14と記載されていたが、おばちゃんのコミッション込みの合計EURO19を支払ってチケットを入手することに成功した。

ミサ見物の座席は指定席になっており、係りの者に2階のレフト観覧席に案内された。ミサは定刻の9時15分からスタートし、神父のおことばとともに中年賛美歌隊の合唱が音響の良い礼拝堂に広がるとその後を追うように3階センターバックスクリーンの上部にミニオーケストラと中年コーラス隊を従えたウィーン少年合唱団の天使の歌声が参拝者を包み込み、神父と中年と少年の見事なコラボレーションが生み出されていた。約1時間のミサの終了間際に少年合唱団は1階の祭壇前にお目見えし、礼拝堂の中央に陣取っているミサのレギュラー参加者である地元クリスチャン達と2階と3階の観覧席に閉じ込められているひやかし観光客に向かって挨拶をすると大きなスタンディングオベーションが沸き起こったのであった。

天使の歌声により背中に翼が生えた感覚を覚えたのでその勢いでウィーン中心部をうろついているとふと運命的な出会いを感じた。するとそこには「エリーゼのために」や♪キッスは目にして♪http://homepage3.nifty.com/poptrip/single/ippatu/venus.htmlの作曲家として有名なベートーヴェンの銅像が睨みを利かせていた。その近くの緑多き市立公園にはシューベルト像やあの「トムとジェリー」にも採用されたことで有名なワルツの帝王ヨハン・シュトラウス像が黄金のヴィオラを弾きながらドナウ川へ誘ってくれたのでそのままドナウ運河に向かうことにした。かつて美しき青きドナウと呼ばれたドナウ川であるが、ウィーン市内を流れている運河の部分は屋形船が浮かんでいる♪春のうららの隅田川♪と何ら違いがなかったように思われた。

世界遺産であるウィーン市街はリンク(環状道路)の内部が主な観光エリアとなっているのだが、その中心にシュテファン寺院が高さ137mの尖塔をそびえたたたせている。13世紀の後半から300年の歳月をかけて建立されたこの寺院はオーストリア最大のゴシック教会である。寺院の塔では世界3位の高さを誇っている尖塔の73mの地点までEURO3の支払いで登れることになっていたので343段の狭い螺旋階段を駆け上がり73mの高みからウィーンの市街地を見下ろすことに成功した。

ウィーンを都とし、ヨーロッパに君臨、栄華を極めたハプスブルグ家ゆかりのシェ-ンブルン宮殿に地下鉄に乗ってやってきた。EURO8.9の支払いでインペリアルツアーに参加するとオーディオセットからドイツ語なまりの日本語が聞こえてきたのでおばちゃんの話に耳を傾けているとここは昔マリア・テレジアという田中真紀子の数百倍の権力を持つ女帝が仕切っており、かの有名なベル薔薇マリー・アントワネットは彼女の16番目の子供兼末娘で政略結婚のだしにされていたということであった。また、ここは6歳の鼻たれ小僧時のモーツアルトがマリア・テレジアやマリー・アントワネットの前で演奏し、拍手喝采を浴びた部屋を見物出来ることがひとつの目玉となっている。

ベートーヴェン、シューベルト、モーツアルトといったクラシックの巨匠が埋葬されている中央墓地がウィーン市のはずれで墓参り観光客を待ちわびているのでトラムという路面電車に揺られてやってきた。墓地は広大なため、ビジターセンターで巨匠の墓を確認しようと思っていたのだが、閉まっていたので墓地のレイアウトの把握が出来ず、仕方なく墓地のサイト内ではあるがリモートで巨匠達の墓参りを済ませておいた。

5月2日(月)

2日間無料宿泊させていただいたグランドホテルウィーンを後にするとウィーン西駅から列車に乗りザルツブルグを目指した。約3時間の汽車の旅で午前10時前にザルツブルグ中央駅に到着すると一目散に街の中心部を目指した。

アルプスの麓であり、音楽祭で有名なザルツブルグは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として世界各国から数多くのミュージカルファンを集めている。私もふいにボイストレーニングをしなければならない衝動にかられたのでミラベル庭園で踊りながら♪ド~はド~ナツぅのド~♪から始まるドレミの歌のフルコーラスを熱唱し、その勢いでモーツアルトの住居(EURO6)に向かった。

17歳~24歳にかけての8年間を過ごした住居は第二次世界大戦で破壊され、その後日本企業の寄付により96年1月に再公開となっていた。おなじみのオーディオでの解説を聞きながらモーツアルト自筆の楽譜や書簡や貴重なお宝である楽器を見ているとさらにモーツアルト出生の秘密を解明する必要性にかられてしまったので川を越えて世界遺産に指定されている旧市街に突入し、モーツアルトがおぎゃ~と生まれた生家(EURO6)になだれこんだ。1756年1月27日にこの地を支配する大司教の宮廷音楽家レオポルト・モーツアルトの子として生まれたヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトはその類まれなる才能から神童と呼ばれていたことはあまりにも有名であるが、ここに来るとその神童ぶりがひしひしと感じられるのだった。

岩山に囲まれたザルツブルグ旧市街はモーツアルトの生家の他にも音楽祭の会場や教会、墓地、大聖堂など見るべきものがたくさんあるのだが、岩山の上にホーエンザルツブルグ城塞(EURO8.4)が下界を見下ろすいでたちで構えているので急な坂道を這い登って入城を果たすことにした。1077年に大司教ゲーブハルトによって建立された中世の城塞建築からはザルツブルグの市街が一望出来るほか、遠く雪を抱いたアルプスまで見渡すことが出来るのだ。

城塞を下ったところで「サウンド・オブ・ミュージック」ゆかりのノンベルク修道院を発見したのでジュリー・アンドリュース系のシスターをストーキングして私の最大の悩みである民営化後の郵政と郵貯に代わる財政投融資の財源についての物語を語り尽くそうと思ったのだが、修道院は男子禁制なので♪エーデルワイス♪を歌いながら引き下がり、そのまま列車に乗ってミュンヘンまでエスケープと相成ったのだ。http://cinemakun.com/soundmusic/

5月3日(火)

マサよ、君はディズニーのシンデレラ城が手本としたドイツの古城を目の当たりにしたことがあるか!?

ということで、ミュンヘンからまたまた列車に乗ってロマンティック街道の最南端であるフュッセンまで2時間もかけてやってきた。ドイツは数多くの古城を観光の目玉としているのだが、ここにはその頂点に君臨するすばらしい城郭が存在しているのだ。

フュッセン駅からバス(EURO1.55)で数分走ると古城のチケット売り場に到着した。ここではホーエンシュウヴァンガウ城とノイシュヴァンシュタイン城を見物出来るのでEURO17を支払ってコンボチケットを購入した。城内はお得意のオーディオガイド付きツアーで回ることになるので城には決められた時間に行かなければならない。まず最初に見物したホーエンシュウヴァンガウ城はライオンの噴水に守られた一見すると普通のライオンズマンションのような外観であるが、一歩中に足を踏み入れると手抜き工事の得意な日本の大手ディベローッパーでは施工することが出来ないような豪華な内装が施され、また日本のホームセンターでは決して購入する事が出来ない高価な家具・調度品が絶妙のバランスで配置されていた。

ノイシュヴァンシュタイン城は道を挟んだ反対のさらに高い場所に位置しており、足腰の弱い観光客は金の力に物を言わせて2馬力の乗り合い馬車で坂を登るのだが,私は恒例の徒歩で城を目指した。かつてのバイエルン国王ルートヴィッヒ2世が1869年から17年の歳月と巨額の費用をかけて建立したこの城はディズニーランドのシンデレラ城や「恋のから騒ぎ」城http://www.ntv.co.jp/koikara/のモデルになったと言われており、ヨーロッパの中世の古城の典型的な建築スタイルに祭り上げられているのだ。ただし、この城のすばらしいところはアルプスの麓に位置する風光明媚なロケーションであると思われ、都会の真中に存在してしまうと普通のラブホテルに成り下がってしまうのではないかと懸念された。

耽美的芸術を愛してやまなかったルートヴィッヒ2世はワーグナーに心酔し、ワーグナーを招待するためにこの城を建立したとも言われているのだが,薄情なワーグナーは一度もこの城を訪れることはなかったそうだ。ちなみにこの城の美しい全景を写真撮影出来るスポットとしてマリエン橋というつり橋が掛けられており、その上で数多くのGW日本人観光客のミーハーな嬌声がこだましていたのだ。ドイツ観光の目玉となっているロマンティック街道ははるかヴュルツブルグから始まっており、日本人観光客は長年の缶コーヒーの飲みすぎで太ってしまったCCBを見て♪む~ねが、む~ねが、くるしくなるゥ♪とさもロマンティックが止まらない勢いで南下してくるのだが、皮肉にもロマンティック街道はこの地で終焉を迎えるという事実に直面してしまうのだ。http://music.yahoo.co.jp/shop?d=c&cf=10&id=upch5297

列車の車窓から牧草地の緑とたんぽぽイエローの牧歌的な風景に酔いしれながら夕暮れ時にミュンヘンに帰ってきた。ミュンヘン中央駅から街の中心であるマリエン広場へと向かう道すがらバーの軒先で会社帰りの労働者が楽しそうにビールを飲んでいる光景を見ながら、これぞマサに念願であったどいつもこいつもドイツ人という好環境に身を置いていることを実感させられた。また、ミュンヘンではストリートライブもオーケストラ風のクラシックを演じており、道行く人はヨハン・シュトラウスのワルツに酔いしれながらビールで悪酔いしていくのであった。

5月4日(水)

午前11時55分の飛行機に乗るために午前中にミュンヘン中央駅に向かった。日本では高嶺の花となっているベンツがドイツやオーストリアではクリーム色のタクシーとして庶民の足となっており、BMWはパトカーとして犯罪者の送り迎えをしてくれるような駅前のロータリーからバスに乗りミュンヘン空港への帰路を急いだ。

ミュンヘンからUA903便、B777-200機でワシントンDCにひとっ飛びし、DCからJFKに到着した時間は午後7時近くになっていたので今日は空港近くのBestWesternに引き払って明日の長時間フライトに備えることにした。

5月5日(木)

午後12時15分発ANA009便に搭乗すべく、JFKのファーストクラスラウンジにて今回のツアーでは私がそ~と~自信を持って使えるドイツ語である「ハイル・ヒットラー!!」を使う機会がなかったことを深く反省し、ナチス党のマークに思いを馳せていると何故か日本のお寺のシンボルである卍が私の脳内を駆け巡る衝動を感じ、ふとラウンジのソファーの方向に目をやると卍固めをかけられたように体が硬直してしまった。そこにはまるで闘魂が燃え尽きてしまったかのような猪木が巨体をソファーに沈み込ませていたのだった。

5月6日(金)

飛行機は定刻どおり成田空港に到着し,そそくさと入国審査の方に歩を進めた。私の列の隣の列に並んでいた猪木の直前で入国審査を受けていた外国人は間違って日本人用の列に紛れ込んでしまったと見えて何かの書類を書かされていた。このもたつきに剛を煮やした猪木が後ろから怒りの延髄斬りをお見舞いする光景を期待していたのだが、闘魂の燃え尽きている猪木には「元気ですかぁ~!」と叫ぶ気力も残されていないようであった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥88,190(ANA) + $614.81(UA)

総宿泊費 $215.2  + Euro156

総ワシントンDCバス代 $8

総ワシントンDC地下鉄代 $8.2

総GREYHOUNDバス代 $29

総ニューヨーク地下鉄代 $10

総AirTrain代 $5

総ルフトハンザ空港バス代 EURO19

総ドイツ・オーストリア鉄道代 EURO184.7

総オーストリア地下鉄・トラム・バス代 EURO7.55

協力 ANA、ユナイテッド航空、ルフトハンザ航空、DAYSINN、全日空ホテルズ、STARWOODS HOTELS、BestWestern、

        ドイチェ・バーン、オーストリア連邦鉄道、猪木事務所http://www.inokiism.com/

FTB2週間世界一周

裏の仕事の都合でアメリカとアイルランドの出張に赴くことになってしまったのだが、この機会を的確に捉えてFTBは短期間での世界一周を計画し、実行に移すことにした。

6月4日(金)

ANA006便にてロサンジェルスに到着し、そこからUA便に乗り換えて午後3時過ぎにフェニックスに到着した。空港から外に出るといきなり40℃以上の熱波に襲われてしまったのですかさずタクシーを捕まえて今日の宿泊先であるヒルトンフェニックスエアポートに向かった。ホテルでしばしくつろいだ後、路線バス($1.25)で適当に市内を彷徨い、ついにアリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地であるバンクワン・ボールパークに到着した。

午後7時過ぎにプレーボールになっているはずのアリゾナ・ダイヤモンドバックス v.s. ロサンジェルス・ドジャースの試合に到着したのは2回の表にドジャーズが逆転をした時間帯であったのだが、2回以降の石井のピッチングをしかとこの目に焼き付けることに成功した。相変わらず制球の定まらない石井であったものの勝ち投手の権利を取得する5回までを3点に抑えることに成功し、そのまま打撃好調のドジャーズの追加点により期せずして石井は今季7勝目を手にすることが出来た。

6月5日(土)

マサよ、君は世界最大のサボテンを見たことがあるか!?

ということで全米第6位の都市かつアリゾナ州の州都であるフェニックスを後にしたFTBはアリゾナ州の旧都であるツーソンにある砂漠博物館($9)に向かった。アリゾナ州からメキシコ北部に広がるソノラ砂漠の特徴やしくみを学習することが出来る砂漠博物館はおびただしいほどのサボテンと砂漠に居住する動植物を拉致して見世物にして暴利をむさぼっているファシリティである。ここでは高温乾燥地で元気に生活している毒蜘蛛、毒さそり、毒ガラガラヘビや毒のないマウンテンライオン、プレイリードッグ、ブラックベア等が夏バテして動けなくなっている状況を垣間見ることが出来る。

アリゾナというと即サボテンというイメージを思い起こさせてしまうのだが、実際にはアリゾナ州北部は高地なのでサボテンが密集している地域はアリゾナ州南部になる。ツーソン近郊にサワロ国立公園という世界最大の巨大サボテンがにょきにょき生えている地域がある。最大4~5mの高さにも達するサワロは生後70年になると腕が生え、いかにもガッツポーズをしているようないでたちでサワロに触ろうとする観光客を威嚇しているように公園のあちこちに群生している。また、1回の雨で一年分の水分を蓄えることが出来るサワロはキツツキ系の鳥に穴をこじ開けられ、その穴は最終的にはフクロウの快適な居住空間になったりしているのだ。

アリゾナ州中部にCasa Grande Ruins($5)という昔昔アメリカ原住民が暮らしていた遺跡があるので立ち寄って見ることにした。砂漠の中に忽然と出現する土を固めて建設された建物を中心にした遺跡は数百年もの間、アリゾナの過酷な気候に耐えてきた威厳を漂わせており、冷房の効いたビジターセンターの中では当時のアメリカ原住民の暮らしぶりが詳細に解説されているのだ。

6月6日(日)

フラッグスタッフというグランドキャニオンのゲートシティになっている都市のMotel6をチェックアウトすると2000年1月以来、約4年ぶりにグランドキャニオン国立公園($20.-/car)に立ち向かうことにした。

マサよ、君は数あるグランドキャニオンの展望ポイントの中で一番すばらしいポイントはどこか知っているか!?

ということで、南ゲートから侵入してしばらく山道を走るとマーサーポイントという誰もが初めてグランドキャニオンの圧倒される景色に遭遇し、人生観を変えられてしまうポイントに到着した。人々からよくグランドキャニオンで一番すばらしい景色はいつどこで見れるのかという質問を耳にするが、それは初めてグランドキャニオンを見た瞬間に他ならないのである。マーサーポイントの近くに4年前には存在しなかったインテリジェントなビジターセンターとブックショップが開業されており、ここでグランドキャニオンのすべての情報を一手に入手することが出来るようになっている。

グランドキャニオンビレッジに車を停めて園内のシャトルバスで公園の西側のビューポイントを巡りながら、終点のハーミッツ・レストに向かった。このルートにあるビューポイントからはコロラド川の眺望が堪能出来るのだが、前回見たウーロン茶色ではなく、今回は蛇行して流れる深いブルーのコロラド川をいろいろな角度から眺めることが出来た。グランドキャニオンサウスリムの東側の終点にデザートビューが君臨している。古いインディアンの壁画をあしらったウォッチタワーから東側に目を向けるとマサに砂漠のかなたの山々とキャニオンの起点を思わせるコロラド川の源流を見ることが出来るのだ。

夕暮れ時にマサとは比べ物にならないマーサーポイントに戻りサンセットを待っていた。西日がどんどん傾いていくに従ってキャニオンのグラデーションが深くなり、段々と鮮やかに赤みを増していく様子はこの世のものとは思えないほどすばらしい眺望であったため、世界中から参集した観光客たちはみんなため息まじりにシャッターを切りまくっていたのだった。

6月7日(月)

昨夜グランドキャニオンでサンセットを堪能した後、そそくさと車を飛ばして一路灼熱のラスベガスに到着したのは深夜になってしまっていたため、おとなしくMotel6に引き払い、今日はラスベガスからシカゴ経由ボストン行きの機中の人として一日を過ごすこととなった。

6月8日(火)~6月10日(木)

ボストン近郊のオフィスにて裏の仕事に精を出す毎日を送っていた。

6月11日(金)

マサよ、君はJFKの生家にお邪魔したことがあるか!?

ということで、地元のハーバード大学を優秀な成績で卒業した実績を持つJFKの生家($3)がNational Park Serviceの管理下でボストン近郊のBrooklineに一般家庭的ないでたちで保護されていたので見物に行ってきた。地上2階、地下1階建ての住宅はパークレンジャーのツアーでのみ案内されることになっており、この家で行われたJFKに対する英才教育の様子が垣間見れるようなダイニングルームや書斎、ベッドルーム、客室を巡りながら、観光客はJFKの生い立ちの秘密を暴くことが出来るようになっている。

ボストンダウンタウンのノースエンドからチャールズ川対岸のNavy Yardにかけての地域はBoston National HistricParkに指定されている歴史的地区でありBoston’s Freedom Trailという京都の哲学の道に匹敵する散歩道が展開されているのでぶらぶらしてみることにした。ここでの見所としてボストンの歴史を知る上での重要な資料が展示されているOld State House($5)や日本におけるキリンビールの祖として有名な樹木希林!?に匹敵するサミュエル・アダムス像が見守るQuincy Market等がある。

ボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウエイパークに野茂、石井率いるロサンジェルス・ドジャースがやって来たので$70の大枚をはたいていい席を確保することにした。午後7時過ぎに始まったゲームは投手戦の様相を呈し、淡々としたペースで進み、ボストンリードの1対0で迎えた9回の表のドジャーズの攻撃も2アウトランナー2塁と追い込まれていた。次打者の打球は高いレフトフライで試合終了かと思われた瞬間、マニー・ラミレス左翼手の落球により試合は1対1のタイスコアになってしまった。この落球のおかげで9回裏を迎えたボストンの執拗な攻撃により、レッドソックスは見事サヨナラ勝ちを収め、球場は歓喜の渦に包まれていた。

6月12日(土)

午前中にボストンからニューヨークに飛び、ラガーディア空港で真紅のマスタングをレンタルすると早速ロウアーマンハッタンに向かった。自由の女神行きのフェリーが就航しているバッテリーパークの中にキャッスル・クリントンという砦があるので軽く見学し、ウォールストリートを歩いて金儲けを誓った後、恒例のヤンキー・スタジアムに向かうことにした。午後4時という中途半端な時間にプレーボールとなったヤンキースとサンディエゴ・パドレス戦はゴジラの強打が爆発することもない平凡な試合で結局3対2でヤンキースがパドレスを下してしまったのだった。

昨日訪問したはずのJFKの生家から今日は気がつくとJFK空港でロンドン行きの飛行機を待っていた。JFK空港はいつのまにかモノレールシステムが発達しており、各ターミナル間を無人のモノレールが我が物顔で走り回っていた。午後9時35分発ロンドン行きのUA便は定刻どおりに出発し、一週間で横断してしまった北アメリカ大陸を後にしてついにヨーロッパに乗り出すこととなったのであった。

6月13日(日)

日付が変わって日曜日の午前中にロンドンヒースロー空港に到着した。ここからターミナル間を移動してブリティッシュミッドランド航空に乗り換えてアイルランドの首都ダブリンに向かった。午後2時半ごろダブリンに到着するとそのままタクシーで市の中心部であるCity Centerで最も格調高いウエスティンホテルにチェックインし、この日はダブリンの中心部であるテンプルバーを散策したりしてのんびりとしたひと時を過ごしていた。

6月16日(水)

月曜、火曜と適当に裏の仕事をこなした後、今日は午前中の内にダブリンを後にしてロンドンに向かった。ヒースロー空港から地下鉄でBritish Railwayのウォータールー駅を経由してグリニッジに向かった。

マサよ、君は世界標準時を刻む時計の目の前で西半球と東半球を跨いだことがあるか!?

ということでロンドンダウンタウン西わずか10kmほどのテムズ川沿岸のグリニッジパーク(世界遺産)はロンドンを代表する観光地の様相を呈しており、ここにはウイスキー系の船であるカティ・サークが陸揚げ状態で展示されていたり、National Maritime Musiumには7つの海を制覇した大英帝国の栄華をダイジェストで学習出来る数多くの展示品やネルソン提督にまつわるコーナーや♪ようこそここへ♪というようないでたちのキャプテン・クックのコーナー等が充実しているのだ。

ミュージアムからきれいに整備された芝生で覆われた公園の坂道を駆け上がるとRoyal Observatory Greenwichに到達する。そ~、ここがいわずと知れた世界標準時のお膝元であるグリニッジ展望台である。ここには東半球と西半球を分ける子午線がきっちりと引かれており、観光客はそのモニュメントの前で記念写真を撮りながら皆悦に入ることとなる。また、現在は使用されていない展望台は博物館になっており、正確に時を刻んでくれそうな数多くの振り子時計や各種測定器、高級望遠鏡等が所狭しと展示されている。

ANA202便にてロンドンより帰国

協力 Star Alliance, Motel6, ハーツレンタカー、Symantec Corporation

FTB第6次MLB、リトル、ゴジ打てなくても許しテキーラツアー

去る3月30日と31日にニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズを東京ドームに迎えてMLB開幕戦が挙行され、ゴジラ松井が大活躍したのは記憶に新しいところである。日本有数のMLB評論家として名高い私は巧みなYahooオークションさばきで入手したチケットを手に当然のことながら2試合とも観戦することに成功した。ところで今年フィラデルフィアとサンディエゴに新しい野球場がオープンしてしまったので、先週挙行された裏の仕事の海外出張を利用してフィラデルフィアのCitizens Bank Ball Parkを訪問し、さらにリトル松井率いるニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムにて早くもリトル松井の活躍ぶりを確認するに至ったのだが、サンディエゴまでは足を伸ばすことは出来なかったので今回のFTBツアーにてカバーしなければならなくなってしまったのだ!

2004年4月30日(金)

GW2日目とはいえ、平日とあって成田空港第二ターミナルは予想したほどの混雑状況は呈していなかった。ANA006便ロサンゼルス行きは定刻どおりの午後5時10分に出発し、当日午前11時前にはロサンゼルス国際空港に到着した。ハーツで真紅のGM小型車をレンタルすると早速I-405San Diego Highwayを南下して一路サン・ディエゴを目指した。風光明媚な港町として有名なサンディエゴの湾岸沿いの小さな半島にカブリヨ・ナショナル・モニュメント($5)という米国National Park Serviceが管理している国定公園が存在しているので早速訪問してみることにした。このポイントはコロンブスが新世界に上陸してから50年後にホアン・ロドリゲス・カブリヨというおっさんがスペイン王およびメキシコ副王の名の下に、この地を占領するに至った歴史を記念して制定された公園である。ここからは太平洋の雄大なパノラマとサンディエゴ港の全景を見渡すことが出来る。

HiltonHHnorsのポイントが余っていたのでマサであれば$150くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来るHampton Inn Del Marにチェックインした後、Interstate Highway 5 (I-5)を南下してサン・ディエゴのDowntownにあるPETCO Parkを目指した。今年からサン・ディエゴ・パドレスの本拠地としてグランドオープンされたPETCOParkはDowntownはずれのConvention Centerの向かいに位置しており、Trollyと呼ばれる路面電車の停車駅から徒歩で簡単にアクセス出来るため、今後毎試合多くの観客を集客出来ることは間違いないと思われた。

リトル松井率いるニューヨーク・メッツとの対戦となったこの試合は午後7時過ぎにプレーボールとなり、先攻のメッツはリードオフマンのリトル松井を打席に送り込んだ。松井はパドレスのエースピッチャーのローレンスからいきなり三遊間を破るヒットを放ち、1回表に5点を奪ったメッツの猛攻の足がかりを作り、サンディエゴ市民の度肝を抜いたのであった。試合はその後、パドレスが徐々に追い上げていく格好で4回裏には2死満塁から松井の今季5個目の痛恨のエラーにより、その後パドレスに逆転を許す結果となってしまった。松井のその後の打席は2三振を喫するなどパッとしない内容で結果的には5打数1安打に終わってしまった。

マサよ、君はサンディエゴ・パドレスに所属する日本人投手の存在を知っているか!?

私の隣の席で観戦していた小太りのおやじはシーズンチケットを友人とシェアする形で持っており、パドレスの試合を数多く見ているのだが、彼の一番の推薦は今年セットアッパーとしてパドレスに入団した大塚である。この日のパドレスは連投のクローザー、トレバー・ホフマンを休養させるために1点リードで迎えた9回の表のメッツの攻撃に対して新人の大塚をマウンドに送り込んだ。心臓に毛が生えていると思われる大塚はメッツの誇るクリーンアップの攻撃を3人で退け、見事に今季初セーブを飾り、地元パドレスファンを歓喜の渦に巻きこんだのであった。

5月1日(土)

1998年の夏場に初めてサンディエゴを訪れた時に、ハイウエイに「CAUTION」という親子3人連れの夜逃げバージョンの看板を数多く見かけた。ハイウエイの路肩に違法駐車してマサとともに看板を背景に大蔵省(当時)の省内報に載せるための写真撮影を行ったのが、昨日のことのように思える今日この頃であるが、なんとこの看板がハイウエイで激減しているという非情な現実を突きつけられてしまった。何とかI-5上のメキシコとの国境の近くで看板のデジタル撮影に成功したので、その後安心してLA空港まで戻り、満を持してメキシコの心臓部であるメキシコシティを目指すことにした。

UA1003便は定刻通り午前11時30分に出発し、2時間の時差を越えて午後5時過ぎにメキシコ・シティのベニト・ファレス国際空港に到着した。入国審査と税関を経て自動扉が開くとそこには異様な光景が広がっていた。いきなりオリコンチャート1位に登場したNew CD「強い絆」を引っさげて衝撃的な芸能界復帰を果たした鈴木亜美系のおびただしい数のアミーゴ達がサインを求めるようないでたちで彼らの友人であるはずのホセやサンチアゴ等を迎える様はこれぞマサにラテンの雰囲気そのものであったのだ!

メキシコ・シティ滞在中の宿泊先として空港の国際線カウンターの4階に内蔵されているヒルトンホテルを3日間宿泊すれば日曜はただというスペシャルプランで予約しておいたので早速チェックインし、その足で空港内と空港周辺の散策に乗り出すことにした。まずは空港内でUS$をメキシコペソ(N$)に両替し、故障したコカコーラの自動販売機にN$10を飲み込まれてしまった後、空港の外に出るとそこには緑色の旧式ビートル型フォルクスワーゲンのタクシーが2ドアーにもかかわらず、アグレッシブに客待ちしている状況が散見されたのであった。

5月2日(日)

早朝目を覚ますと言いようもない眠気とけだるさに包まれ、何度も生あくびを繰り返してしまった。それそのはず、ここは標高2,240mの高地で空気が薄いのと昨日からの時差ぼけがいい具合にブレンドされて私の強靭な肉体から一晩にして生気を奪い去ってしまっていたのだった。

何とか気を取り直して空港から徒歩でメキシコ・シティの中心部を目指すことにした。メキシコではほとんど英語が通じず、皆スペイン語を話しているため、ありがたいときには「グラシャス」、むちゃくちゃありがたいときには「むっちゃ、グラシャス」の2語を引っさげて意気揚々とダウンタウンに乗り込んだ。人口2,000万人を誇る、世界最大の都市であるメキシコ・シティの中心はソカロという広場(世界遺産)である。ここは1,500年代まで栄えていたアステカ帝国の中心地をスペイン占領軍が支配し、アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立てて完成した町である。ソカロ横の巨大な教会はメトロポリタン・カテドラルといい、メキシコにあるすべての教会を統括する大教会で、ラテン・アメリカ最大級の教会建築物である。今日はたまたま日曜日だったので中では荘厳なミサが執り行われており、賛美歌と神父が降り掛けて回っている聖水であふれかえっていた。

カテドラルのすぐ隣にテンプロ・マヨール(N$38)というアステカ遺跡の寺院が古びたいでたちで観光客を集めていた。1450~1500年ごろのものと推定されるこの遺跡は1913年にビルの工事中に偶然に発見されたもので1984年の発掘終了後、一般公開されるようになったという。遺跡横にはテンプロ・マヨール博物館があり、発掘された貴重な遺品が数多く展示されている。カテドラルとテンプロ・マヨールの間のちょっとした広場におびただしい数の食い物屋や土産物屋、日用雑貨屋の露天が店を広げており、観光客と原住民で大変な賑わいをみせている。食い物は衛生状態に難がありそうな5枚でN$10のタコスや3個でN$10のホットドッグやわけのわからん乾き物系の巨大せんべいがメインであった。

メキシコ・シティは東京メトロや都営線と同等の地下鉄網を誇っており、一回改札をくぐってしまえばいくら遠くへ行っても乗り換えても一律N$2で済んでしまうため、地下鉄車内では日本では考えられないような人間模様が繰り広げられている。車内では非公認と思われるポマード売りや電池、CD等を携えた現地人が独特の口上で無視を決め込む乗客に何とか物品を売りつけようと歩き回っている。また、ギターと民族楽器を抱えた素人系ミュージシャンの下手な歌を無理やり聴かされ、なおかつ小銭を巻き上げられそうになるリスクにも対応しなければならないのだ。

というわけで地下鉄に乗って向かった先は国立人類博物館(N$38)というここにこなければメキシコ・シティに来た意味がないと言われている世界でも有数の規模と内容を誇る大博物館である。この博物館ではこの地に栄えたテオティワカン、マヤ、アステカなどの各遺跡から、永遠に保存すべき重要物を選りすぐったものが展示されており、日本から来た団体観光客も来たるべきマヤ遺跡訪問前の事前レビューのために真剣にガイドの話に耳を傾けていたのであった。

5月3日(月)

地下鉄でメキシコ・シティ北方面バスターミナルに行き、そこからバス(N$25)に乗り込みメキシコ最大の都市遺跡であるテオティワカン(N$38、世界遺産)に向かった。独自に高度な文明を生み出していたテオティワカンは、メキシコ盆地を中心として350年から650年の間に繁栄の頂点に達しており、20万人以上の人口を擁していたと推定される大都市である。ここには高さ65m、底辺の1辺が225mの世界で3番目の大きさを誇る太陽のピラミッドと高さ42m、底辺150m x 130mで多少小さめではあるが、宗教儀礼上もっとも重要である月のピラミッドがそびえている。メキシコ・シティで最も有名な観光地だけに中に入るとたくさんのストリート土産物売りたちが観光客を待ち構えていた。ある者は布から取り出した置物をこれ見よがしに提示し、ある者は「コンドルは飛んでいく」系の笛の音色を響かせていたり、またある者はきらびやかな敷物を広げて観光客を待ち伏せしたりしているのだが、中には日本語を操る上級者も存在し、奴は「タッタのヒャクエン!」と言って日本人をおびき寄せ、そっけない素振りを見せると「ビンボー!?」という捨て台詞を吐きやがったので思わずその辺に生えているサボテンを引っこ抜いてぶん殴ってやろうかという衝動に駆られてしまったのだ。また、中には「ホトンド、タダ」という私の心の琴線に触れるようなセリフを吐く売り子もいたのだが、観光地でほとんど土産を買うことがないと恐れられている私の財布の紐はついに開くことはなかった。

ちなみにテオティワカンの2つのピラミッドは観光客が自由に登頂可能になっており、遺跡の中央を貫く死者の道のエンドに位置している月のピラミッドからはテオティワカンの伽藍配置が一望出来るすばらしい景色を眺めることが出来るのだ。ここ数日ろくな物を食っていなかったので久々に日本食でも食おうと思い、私にふさわしい名前を持つJapaneseレストランである「ミカド」でミカド定食(N$195)を発注すると刺身、てんぷら、とんかつ等が次々に運ばれて来て存分にみかど気分を味わうことが出来た。

5月4日(火)

メキシコ・シティ最終日の今日はまず地下鉄で北部にあるグアルターべ寺院に向かった。グアルターべはメキシコ人の母なる寺院と言われているのだが、熱心な信者が膝行参拝といって、石畳の境内をずっと堂内の祭壇まで膝立ちで進み特別な願をかける様子を常に垣間見ることが出来る場所である。ここには1709年に建立され、今は地盤沈下のために傾いてしまっている旧聖堂と1976年に建設され、現代的な機能美を持っている円形の新聖堂が軒を並べている。2万人の信者を収容出来る新聖堂は、メキシコ・カトリックの象徴的主座であり、ローマ法王もここを訪れミサを行った実績も持っているそうだ。

電車でゴーの練習が足りない未熟な運転手が操る地下鉄で再びソカロ地区に帰り、アステカ時代にモクテスマ2世が居城としていた国立宮殿にパスポートを提示することにより侵入に成功した。この宮殿の最大の見所はメキシコを代表する壁画氏であるディエゴ・リベラの会心作であり、最大の壁画である「メキシコの歴史」である。広大な宮殿の2階の約半分はリベラの壁画で埋め尽くされており、アステカ時代から現代メキシコまでを巨大なパノラマで鳥瞰する雄大な抒情詩をこの場で十分満喫することが出来るようになっている。

ソカロから西に5分ほど歩いたところにメキシコ・シティのランドマークとなっている44階建てのラテンアメリカタワー(N$40)がそびえているので展望台まで昇り、そこからメキシコ・シティがソカロ中心に発展した町であることを確信した後、ドアを閉めるときに平気で人を挟んでしまう地下鉄でソナ・ロッサという地区に向かった。この地区は首都の繁華街であり、ブランド物屋やブティック、高級レストラン等が軒を連ねている。この地区で幅を利かせているJapaneseレストランである「ミカド」で中華やきそば(やわらかいやつ)を食った後、プラットホームの正しい停止位置に停止するために何度も切り返しを行う地下鉄に乗り、空港まで帰っていった。

5月5日(水)

昨夜UA1008便でメキシコ・シティからLAに戻ると早速レンタカーをピックアップして111マイルほど北のBakersfieldという町のMotel6で夜を明かした。観光地のメキシコで土産を買わなかったので原住民からセコいと思われているのをよいことに今日はセコイア&キングスキャ二オン国立公園($10/car)を目指すことにした。アラスカを除く北米大陸で最も高いシエラネバダ山脈の山中に隣接するこの2つの国立公園には樹齢2,000年を超える巨木の森が存在しているので、メキシコ・シティでの人いきれにうんざりした私の心と体を癒すのにはもってこいの環境が整っているのだった。

マサよ、君は現存する地球最大の生物を知っているか!?

高さ83.8m、根元の直径11m、根元の周囲31.3m、幹の体積にして約1,487㎥を誇るシャーマン将軍の木の樹齢は推定2,300年~2,700年と言われているのだが、この木は1879年にJ・ウォルバートンが発見し、彼が南北戦争中に中尉として仕えた将軍に敬意を表して命名したものである。このようなジャイアントセコイアの巨木がニョキニョキと生えているのがセコイア国立公園のジャイアントフォレストである。ジャイアント・フォレストの奥にクレセント・ミドウという美しい草原があり、そこへ行く道すがらに数多くの見所となる木がある。オート・ログは倒木の上を車が乗れるようにしてあるファシリティであり、倒木をくり抜いてトンネルを作り、車が通過出来るようになっているトンネル・ログやモロ・ロックといってこの一枚岩の頂上から美しいシエラネバダの大パノラマを一望出来る展望台もある。

クレセント・ミドウの周りを一周するトレイルを軽快に歩いていると、とある外国人カップルからトレイル沿いに熊を発見したので警戒して歩くように警告が発令された。あたりをぐるぐる見回しながら慎重に進んでいると花咲きそうな森の道で案の定熊さんに出会ったしまったのだ!気がつくと冬眠から覚めて若芽をあさっている茶色の毛に覆われたブラックベアの射程距離内に入ってしまっていたため、死んだふりをしてやり過ごすか、それとも勇敢に戦うかの選択を迫られるような状況になってしまったと感じたのだが、私の全身から発散される格闘家系の気迫に気圧されて熊が顔をそむけてしまったので今回は見逃してやることにしたのだった。

ということで戦わずして熊に判定勝ちした後、山道を縫うようにして車を北に走らせるとキングスキャニオン国立公園のグラントグローブに到着した。ここには1926年にアメリカのクリスマスツリーとして認定された高さ81mのグラント将軍の木をはじめ、倒れて中を人が通れるようになった木や火災で焼けかけた木を見物出来るトレイルが張り巡らされているのだが、ところどころに点在する茶色の切り株がどうしても熊に見えてしまうというトラウマを最後まで振り払うことが出来なかったのだ!

5月6日(木)

FresnoのMotel6からCalifornia41号線、Yosemite Highwayに乗り1時間ほど車を走らせるとヨセミテ国立公園($20/car、世界遺産)の南ゲートに到着した。昨日のセコイアの大木の幻影に引きずられるようにマリポサグローブというヨセミテ国立公園内のセコイア原生林にふらふらと迷い込んでしまった。ここでもGrizzly Giantという園内最大のセコイアの木と遭遇し、忘れかけていた熊の幻影が昨日のことのように思い出されてしまったのだった。

ヨセミテ最南部のマリポサグローブから約1時間ほどのドライブでヨセミテの中心であるヨセミテバレーに1998年10月以来、約5年半振りに登場することと相成った。5月上旬とは言え、ここはまだやっと冬が終わったような状況で残念ながらヨセミテ一の眺望を提供するグレイシャーポイントへのドライブ道は封鎖されてしまっていたのでバレーの底からヨセミテのシンボルであるハーフドームやエルキャピタンを見上げるしかなかったのだ。

かつてある女性が、ベテランレンジャーに「ヨセミテで費やせる時間が1日だけあったら何をするか?」と問いかけたところ、レンジャーは「マーセド川の川辺に腰掛けて泣きますよ」と答えたというほど1日、2日ではとても見て回ることが出来ないほどすばらい景観とアクティビティを提供するヨセミテであるが、いつまでもメソメソしているわけには行かない私はヨセミテの散策を午後2時前には切り上げてオークランドへ急ぐことにした。

FTBのホームグラウンドであるオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムの駐車場代は前回来たときの$8から$13に値上げされていた。ゴジラ松井率いるニューヨーク・ヤンキースを迎え撃つオークランド・アスレチックスはここ数年アメリカン・リーグ西地区で優勝するほどの強豪チームに成り上がってしまったことがインフレ傾向に拍車をかけていたのだ。午後7時5分にプレーボールとなった試合は2回表にいきなり4点を専攻したヤンキースの有利な展開で進むものと思われた。しかしながら、ヤンキースの先発ピッチャーであるバスケスがガス欠を起こした6回の表にはアスレチックスに7対4と逆転を許し、そのままゴジラの逆襲を見るまでもなく試合は終了してしまった。MLBで最も柄の悪い38,000人余りの観客のそれでも半分近くはヤンキースファンであったのだが、試合終盤間際には「レッツゴー・オークランド!」という大歓声で埋め尽くされていた。

5月7日(金)

San Joseよりやや北のFremontのMotel6で夜を明かし、早朝5時半から車を飛ばして午前11時前にはロサンジェルス国際空港に到着した。ANA005便でラストサムライをはじめ4本の映画を見ながら、渡辺謙もこの程度の演技ではハリウッドで通用しないなと思いながら帰路につく。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥136,060 + $400.44

総レンタカー代 $176.40

総ガソリン代 $105.81

総走行距離  1,445マイル

総宿泊費 N$3,687.08 (N$1 = ¥12程度) + $104.09

協力 ANA, HiltonHHnors, ハーツレンタカー, Motel6(http://www.motel6.com/

FTBロッキー4ゴジラの逆襲

ロッキー 2000年4月フィラデルフィア美術館の階段を登りエィドリア~~ンと叫びながらガッツポーズを達成

ロッキー2 2000年10月コロラド州デンバーからロッキー山脈国立公園を制覇

ロッキー3 2003年5月フィラデルフィア美術館内部に侵入し、美術品を鑑賞しながらアメリカンドリームを実感

ロッキー4 2003年8月??????

例年より13日も遅い梅雨明けを迎え、日本列島に猛暑の季節が訪れる。ところで今まで公にはしてこなかったが、FTBは水面下でロッキープロジェクトを進行させており、今回その総決算と避暑を兼ねてロッキーの総本山と言われるカナディアンロッキーで山ごもりと修行を行い、調子の上がってこないゴジラが逆襲するように願をかけるという壮大なプロジェクトを遂行されることになったのだ!

8月2日(土)

NH006便、B777-300機は十分な追い風を受けることが出来ず通常よりも長い10時間もの時間をかけてロサンゼルス国際空港に午前11時25分に到着した。エアーカナダが運行するAC744便は午後2時45分に出発し、2時間50分程度のフライトで午後7時前にカナダのカルガリー空港に到着した。空港でフォードのトーラスをレンタルすると通常であればカーステレオから畑中葉子と平尾マサ!晃の歌が♪ラブレタ~フロ~ム、カナァ~ダ~♪と「後ろから前から」聞こえて来るはずであったが、この歌はカナダのどの場所かが特定されていない大雑把でいい加減な歌なので地元では相手にされていない様子であった。http://www.ne.jp/asahi/sgmori/mitarashiya/hirahata.htm

今日は到着した時間が遅かったのでHiltonHhonorsのポイントを使ってただで宿泊することの出来るHampton Inns & Suitesに引き払い、近くのベトナム料理屋で生春巻きと麺類を食って時差調整を行うべくテレビを見ながら夜更かしすることにした。

8月3日(日)

ユネスコの世界自然遺産に指定されているロッキー山脈国立公園を形成する公園群はバンフ、ジャスパー、クートネイ、ヨーホーの4つの国立公園とマウント・ロブソンやアシニボイン山などを加えた山岳エリアから成っており、これらを総称してカナディアン・ロッキーとして世界中からおびただしい数の観光客をおびき寄せている。

カルガリーの西128kmにバンフという町があり、ここがカナディアンロッキーの表玄関になっており、今回のFTBはここを拠点にして活動することになっている。カナダ国道1号線を西に走っていると道の両端からゴツゴツした岩山が迫ってくる。この岩山がマサにロッキーと言われるゆえんであり、その後しばらく道なりに進むとバンフ国立公園のゲートに差し掛かるのでここでCA$7/人を支払うと念願のカナディアン・ロッキーに晴れて侵入することになる。

ロッキーには氷河の溶水によって形成された無数の湖があるが、その中でも誰もが代表としてあげるのがレイク・ルイ-ズである。ビクトリア女王の娘ルイ-ズ王女にちなんで名付けられたこの湖はバンフの北西約55kmの場所に位置しているのだが、さすがにカナディアン・ロッキー観光のハイライトとして君臨しているため、駐車場には止めきれないほどの車があふれ返っていた。何とかイリーガルなポジションに車を押し込むことに成功し、生い茂っている針葉樹の林を抜けるとそこにはこの世のものとは思えないほどの幻想的な風景が目の前に広がっていた。氷河によって削られた細かい泥により、エメラルドグリーンに色付けされた湖の背後に標高3,464mのビクトリア山が立ちふさがり、その山肌には真っ白なビクトリア氷河が覆い被さっている。運が良ければ光と水面の微妙なあんばいにより、湖面に氷河が写りこむ様子を垣間見ることも出来るのだが、今日は残念ながらそのような光景を見ることが出来なかった。しかし、ここを訪れる観光客のすべてがこの景色に感嘆と驚愕の声を上げていた。

レイク・ルイ-ズの近くにモレイン・レイクという風光明媚な湖があり、ここの景色はカナダの20ドル紙幣の図案として採用されているという話を聞きつけたのでついでに見物に行って来た。テン・ピークスと呼ばれる山々に囲まれたこの場所は青空と白い雪と湖の緑のコントラストが非常に美しく、多くの観光客がカヌー遊びに興じていた。

夕暮れ時にバンフに戻り、予約しておいた★★★★ホテルのバンフパークロッジにチェックインすると近辺の探索に乗り出すことにした。バンフのダウンタウンから南に2kmほど外れた位置にバンフ名物のひとつであるバンフスプリングスホテルが中世の古城のいでたちで君臨しているので予約もしてないのに見物させていただくことにした。フェアモントホテルグループが総力を結集して建設したこのホテルはロッキーから切り出したと思われる石垣のようなレンガをふんだんに使用しており、内部にはアンティークな家具が絶妙に配置され、数多くの高級ショップが軒を連ねていた。

マサよ、君はバンフの目抜き通りであるBanff Avenueに君臨しているOKギフトショップの経営者を知っているか??

11PM、クイズダービー、世界まるごとHow Much、こんなものいらない等のテレビ番組を仕切り倒し、暴利をむさぼった大橋巨泉が業界をセミリタイアしてからすでに何年も経っているのだが、儲けた金で土産物屋を開業し、さらなる暴利を貪りつづけている。しかもOKとは大橋巨泉のイニシャルであるが、実はテレビに出ていたころおびただしい数のNGを出していたため、その腹いせにOKにしたのではないかと言われている。ところで財務省のマサが天下りをせずにセミリタイアを試みてもセミのように早死にするのは確実視されていることは火を見るより明らかであろう。

8月4日(月)

マサよ、君は太陽にほえろの殉職シーンのロケで誰が一番金を使っていたか知っているか!?

神奈川県警のような通常の日本の警察であれば犯人を追って海外に出ることはまずないが、石原プロがバックについている七曲署であればロッキー刑事を殉職させるためだけの目的でロッキー山中でロケを行った実績を持っているのだ。繁華街のため、ロッキー刑事にしっかりと守られたバンフをカナディアン・ロッキーの表玄関とするとジャスパーという町が裏玄関になる。バンフ~ジャスパーを結ぶ300kmのハイウエイのうち、レイク・ルイ-ズからジャスパーまでの93号線230kmは通称アイスフィールド・パークウエイと呼ばれており、このルート沿いにはロッキーを代表する山々と氷河、湖が次々と姿を現すのだ。

今回のツアーは日程的に余裕があるのでじゃ~スパっとジャスパーまで行って帰って来ようと思ったので車を飛ばしてロッキー最北部を目指すことにした。アイスフィールド・パークウエイのすばらしい景観に包まれながら3時間ちょっとのドライブで午後12時過ぎにジャスパーに到着した。ジャスパーのダウンタウンはバンフと比べて小じんまりとまとまっているもののその分静かな佇まいで自然環境と町並みが一体となっている様子であった。

ジャスパーのダウンタウンの南西7kmの地点に標高2,464mのウイスラー山が控えている。この山の頂上近くにある展望台へは30人乗りのロープウエイ(CA$20)を使って約7分でアクセス出来るので早速登頂してみることにした。地上の乗り場の標高は1,304mで標高差973mをロープウエイで登りきると2,277mの地点に達するのだが、気温も8℃ほど下がるので観光客は上着を羽織らないとこの場所では凍えてしまうのだ。展望台から頂上へはなだらかなトレイルが形成されており、老いも若きも澄み切った空気の中で元気にトレッキングに興じていた。ここからはジャスパーのダウンタウンが一望出来るのはもちろんのことカナディアン・ロッキーの最高峰であるロブソン山(3,954m)のピラミッド状の独立峰も目にすることが出来る。

バンフに帰る途中でアイスフィールド・パークウエイの名前の由来となっているコロンビア大氷原のビジターセンターに立ち寄り、数日後に行われるであろう本格的な探索を前にした下見と情報収集を実施し、その後夕暮れで観光客の数も少なくなっているレイク・ルイ-ズを一目見て撤収することにした。

8月5日(火)

バンフから国道一号線を西に向かって進むとアルバータ州からブリティッシュ・コロンビア州の州境に差し掛かる。ヨーホー国立公園はそのBC州側に位置する小じんまりとした国立公園である。ナチュラル・ブリッジという長年に渡って川床のライムストーンを削り続けたキッキング・ホース川が作り上げた自然のアーチがある。また、そのさらに奥の方へ車を走らせるとエメラルド・レイクというその名の通りのエメラルドを彷彿とさせる美しい湖がある。エメラルド・レイクの周辺にはトレイルが形成されており、1時間半ほどかけて一周して見たのだが、湖のエメラルド色の美しさはもちろんのこと、湖面に映し出された周囲の山々の風景により、湖はクリスタル状に輝いている感じがした。

ヨーホー川を源流とするタカカウ滝が400m近い落差で豪快に落ちているので武者修行にと思ったが、あまりにも水量が多く、水しぶきがかかってしまうトレイルまでの接近にとどめておいたのだが、マサを筆頭とする財務官僚は税金を使い込みたいという煩悩を排除するために是非ここで滝に打たれるべきだと思われた。

ヨーホー国立公園からバンフに帰る際に高速からバイパスに入り、自然の景色に見入っていると巨大な鹿であるエルクが道端で草を食っており、時おり顔を上げてこちらの様子をうかがっていた。さらに進むと薄汚い羊のビッグホーンが若芽をあさっている光景を目撃した。さすがに夏場のロッキーだけあり、動物たちも活発に活動している様子であった。

バンフの町外れのサルファー山の麓にアッパー・ホットスプリングスという温泉(CA$7.5)が開業しているのでバンフで是非ババンバ・バン・バン・バン・アビバ・ノンノンをやりたかったので入湯することにした。しかしながら、ここはサルファー山原産の硫黄を含んだ温泉であったもののそれ以上に塩素を添加しており、しかもここでは入湯者は水着着用、監視員付きの39℃の温水プールに成り下がっていたので「たまにはババンと」と思って大金を払ってここまでやって来た日本人観光客の満足のいくものとは思えなかった。

地球の北部に位置するカナダだけあり、さすがに夜9時半頃まで明るいので観光客はバンフの繁華街でぶらぶらしながらコーヒーやアイスを買い食いしていた。しかも標高1,380mに位置しているため、気温は涼しく景色や町並みが美しいので歩いているだけで楽しいのだ。とあるボウ川沿いの公園では正装した若者がソフトウエアの欠陥のような名前の楽器であるバグパイプを吹きながら小金を稼ぎ、バンフの夕べを彩っていた。

8月6日(水)

ここ3日間のロッキー山中での滞在により、ほぼカナディアン・ロッキーの全容が解明されつつあるので今日はツアーのハイライトに乗り出すべく再びアイスフィールド・パークウエイを北上することにした。空が真っ青に晴れ上がっているせいもあったのかも知れないが、2日前にジャスパーまで行ったときの状況とは打って変わってこの日のアイスフィールド・パークウエイから見上げる山々や氷河は光り輝いていた。とはいうもののツアーの資金が底をついてきたのでそろそろどこかで金を仕入れなければならない。ロッキーには無数の湖があるのだが、ほのぼのレイクといった消費者金融は存在しないので金はバンフの銀行のATMでおろしておく必要があるのだ。

高利貸しはしてくれない代わりに旅行者に深い印象を刻み付ける美しい湖が存在しているので立ち寄ることにした。巨大な鳥の足のような氷河であるクロウフット氷河の解けた水が流れ込んで出来た湖であるボウ・レイクは午前中の静かな時間帯であれば湖面が氷河や山々や青い空、雲を映し出し、人々をボウ然とさせるほどの異様を誇っており、金には換算出来ないほどの景色を提供してくれるのだ。

今回のツアーのハイライトであるコロンビア大氷原へのツアーの拠点となっているアイスフィールド・センターに昼過ぎに到着した。日本でコロンビアというと売れないレコード会社やお笑い芸人が参議院議員に転進した走りであるコロンビア・トップといった冴えない印象をぬぐい切れないが、北米大陸では発見者のコロンブスに敬意を表してコロンビアという敬称はアメリカの首都やスペースシャトルや雄大な自然にしか使われていないのである。

1892年からカナディアン・ロッキーのツアーを事実上支配しているブリュ-スター社が催行するコロンビア・アイスフィールド・スノーコーチツアー(CA$29.95)に参加させていただいた。アイスフィールド・センターのターミナルから大型バスに乗り込むと小太りのデイビッドの運転兼ガイドでスノーコーチと呼ばれる雪上車が停泊しているポイントまで連れて行かれ、そこからのガイドは中年女性のスノーコーチのドライバーであるタニヤに引き継がれた。タニヤに言わせるとブリュ-スター社は世界中にあるスノーコーチ23台のうち22台を保有しており、彼女は行く手にいきなり立ちふさがった32%の下り坂をスーパーローギアを使って安定した走行で巨大なスノーコーチを自在に操っていた。

コロンビア大氷原は325k㎡に及ぶ、北極圏以外では北半球最大の氷原であり、ここから流れ出す川は北極海、太平洋、大西洋に注ぐ、マサに大陸大分水嶺である。ブリュ-スター社のツアーで接近出来るのは大氷原から流れ出すいくつもの氷河の一つである、全長6kmのアサバスカ氷河の標高2210m地点である。ツアーの参加者はスノーコーチから降りて20分ほど氷河の上で過ごすことが出来、タニヤはマイペットボトルの水を携帯しており、いきなり氷河から流れ出している水を汲んで飲んでいやがった。ちなみに8月いっぱいであればツアーの参加者は無料でタニヤのサインがもらえるとのたまっていた。

コロンビア大氷原を十分に堪能した後、アイスフィールド・パークウエイを南下してボウ峠に到着した。アイスフィールド・パークウエイの最高地点(2,070m)であるボウ峠からはペイト・レイクを見下ろすことが出来、展望台では多くの中国人団体旅行客と一般白人旅行客が記念撮影のベストポジションをめぐって仁義なき戦いを繰り広げていた。

午前中に遭遇したボウ湖の美しさが忘れなれなかったので夕方再び立ち寄って見たのだが、湖面に立っているさざ波と光の影響のために景色の反写が見られず、全く異なる湖と化していた。

今日はバンフでのラストナイトとなるため、11PMでお世話になった若者(私はトゥナイト派だったのだが・・・)を代表して大橋に義理立てするためにOKギフトショップでメープルシロップとメープルシロップで作った砂糖を買ってやることにした。しかも合計金額はトゥナイトが始まる時間と同じ11.25ドルもしやがった。

8月7日(木)

ビクトリア氷河を映し出すレイク・ルイ-ズの姿を見ないとロッキーに来てもラッキーではないと言われているので早朝より、三たびレイク・ルイ-ズへと向かった。早朝の冷気を残している湖面は予想通り波立つこともなく静かな雰囲気をたたえており、そこにはくっきりとビクトリア氷河の姿が写し出されていた。尚、ボート乗り場が開業してしまう午前10時にはこの景色は消されてしまうのでボ~としているとロッキーのハイライトを見逃すことになるので時間選定には最新の注意を払うべきであろう。

バンフの近郊にも数多くの見所があり、今日は城のような形の山であるキャッスル・マウンテンやジョンストン川が大地を削り取って形成したジョンストン渓谷や冬季には人気スキー場と化すマウント・ノーケイからバンフの町を一望したりもした。さらに侵食によって形造られた不思議な土柱フードゥーやボウ滝、サプライズポイントから見下ろすバンフ・スプリングス・ホテルが森林と一体化している姿も堪能することが出来た。

バンフの市街にいくつかの博物館があり、数多くの化石等を展示している自然史博物館で未確認生物であるビッグ・フットに遭遇し、カナダ最古の木造建築で1903年に建立されたバンフ公園博物館(CA$4.-)ではグリズリ-等野生動物の剥製を目の当たりにすることが出来た。

ということで、将来マサの退職金を横領する私がセミリタイアして避暑地として生活することになるであろうカナディアン・ロッキーの下見が無事終了したのでカルガリーに帰る道すがら、1988年に冬季オリンピックが開かれたカナダ・オリンピック・パークをチラッと見てなぜスピードスケートの清水宏保がワールドカップの500mで世界新を出すことが出来たのかを解明するまでもなくカナダを後にすることになったのだ。

8月8日(金)

マサよ、君はゴジラの逆襲を生で見たことがあるか?

私は・・・見た!!しかもぎりぎりのところだった!!!

朝8時15分のUA便でカルガリーを後にしてシカゴ経由、合計5時間以上のフライトではるばるニューヨークのラガーディア空港に午後5時半頃到着してすぐにレンタカーをピックアップし、ヤンキースタジアムを目指した。

今日は知っての通り、日本人の日本人による日本人のための頂上決戦の第3ラウンドがここニューヨークを舞台にして繰り広げられるので急がなければならなかったのだが空港からスタジアムまでのルート選択を誤ったため、渋滞にはまっていたヤンキースタジアムを目の前にして無常にもラジオからプレーボールの声が聞こえてしまった。しかも1回の表にヤンキースが最大のピンチを迎えるイチローとの対決も初球を打ってあえなく凡退してしまった様子であった。

あらかじめ予約していたライトスタンドの後方にたどり着いたのは2回の表の攻撃でマリナーズが1点を先行したところであった。2回の裏ヤンキースの攻撃は5番ゴジラからの打順であった。初対決となるフランクリン投手の初球ストレートを叩いたゴジラの打球はラインドライブの低い弾道でライトポール際に向かって一直線に飛んでいった。あまりの打球の速さに俊足のイチローでも追いつくことが出来ず、打球はそのままライトスタンド最前列のぎりぎりのところに飛び込む第14号のホームランとなったのだ。しかし、昼飯を食ってないせいでスタジアム周辺のホットドッグ売り場で立ち止まり、あと数分スタジアム入りするのが遅れていたらこの逆襲の場面を見落とすことになり、今回のツアーの意味がなくなってしまうところであったのだった。

ところで試合の方はゴジラの逆襲ホームランで同点に追いついたヤンキースが6回にニック・ジョンソンの満塁ホームラン等で大量5点を奪い、接戦にもつれながらも9回に守護神のマリアーノ・リベラがマリナーズの反撃を退け9対7でヤンキースに貴重な勝利をもたらしたのであった。今日の客の入りはチケットは完売状態だと思われるが、ダフ屋の営業努力が足りなかったためかところどころに空席が目立ち、入場者数は5万2千人程度であった。

試合終了後駐車場から車を出すために1時間ほど待たされた後、夜11時過ぎにヤンキースタジアムのあるガラの悪いブロンクスからマンハッタンを抜けてニュージャージー州ラガーディア空港のヒルトンホテルを目指して車を走らせていた。ヤンキースタジアムでは観客席のブルーが目に焼き付いていたのだが、ブロンクスからアッパーマンハッタンは黒の世界だった。時おり車のヘッドライトさえも映し出すことが出来ない黒い人影が、車の前や脇をすばやくすり抜けていく気配を感じるのだが、彼らはインラインスケートを履いた黒人青少年たちであった。さらにマンハッタンを南下するときらびやかなネオンが目に飛び込み、人と車で渋滞状況に陥ってしまう場所がある。ここはいわずと知れたブロードウエイのタイムズスクエア近辺である。このあたりから回りを走っている車はすべてイエローキャブになり、割り込みや急な車線変更に対応出来なければ生きていけない世界に迷い込むことになる。さらにこのまま朝を迎えてしまうと町は八神純子の歌うパープルタウンと化していくのであろうと思われた。

8月9日(土)

アメリカの国立公園管理局の配下にあるエジソンのラボラトリーがニュージャージーにあるので見物に行って来たのだが、長期メンテナンスの最中で残念ながら発明のノウハウを取得することが出来なかった。出来れば東京特許許可局に発明内容を登録してロイヤリティーで収入を確保してセミリタイアを実現したいと思っていたのだが・・・

今日の頂上決戦第2戦は午後1時25分にプレーボールとなった。試合が始まる直前に赤いヤンキースの帽子にJTBのマークを付けたツアーコンダクターの男女に引率された松井・イチロー対決見物ツアーの一団が大挙してFTBである私の周辺を取り囲み、あたりは東京ドームのライトスタンドかと見まがえるような状態に陥ってしまったので彼らのペースに巻き込まれないように細心の注意を払って試合を見なければならなかった。

ところで試合開始前にゴジラのバッティング練習を目撃することが出来た。5月に見たときと打って変わって明らかにオーバーフェンスの数が増えていた。3球に1球くらいの割合でスタンドインする打球はたまにアッパーデッキまで達していたのだが、同じ組で打っているジェイソン・ジオンビーの打球はほとんどがアッパーデッキを直撃していた。これもひとえに食い物の差ということだろうか?

日本人のために行われた今日の試合の主役はイチローであった。ヤンキースはマリナーズの若手スターターのギル・メッシュに完璧に押さえ込まれ、ニック・ジョンソンのホームランによる1点しか取れず、ゴジラもチームヒット数3本のうちの1本を打ったにとどまっていた。一方のイチローはヤンキースの左腕アンディ・ペティットに苦戦して1,2打席とも凡打に終わっていたのだが、3打席目に待望のライト線ツーベースを放ち、次打者のバントとブレット・ブーンの犠牲フライにより、勝ち越しのホームを踏んだ。4打席目のイチローはゴジラの守るレフト前にしぶとく落とすポテンヒットで打率を稼いだのだが、レフトスタンドのヤンキースファンは「Matsui, you are a bad man!」とイチローの打球を取れなかったゴジラを痛烈に批判おり、ニューヨークのファンの厳しさを目の当たりにしてしまったのだ。

大魔人佐々木の負傷によりマリナーズの守護神として君臨している長谷川滋利が1点差を守るべく、9回のマウンドに立った。5万4千人の大観衆が発する「Let’s go Yankees!チャ、チャ、チャチャチャ」に動揺してヒットを1本打たれたものの落ち着いたマウンドさばきで後続を討ち取り、今日はマリナーズが見事に雪辱を晴らしたのであった。

8月10日(日)

ニューアーク空港から早朝便でワシントンDCに飛び、飛行機の予約の都合でDCからANA001便で成田に帰国し、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 \230,220

総レンタカー代 CA$534.23 + US$195.44

総ガソリン代 CA$117.05 + US$12.00

総宿泊費 CA$116.48 + US$160.46 +

総国立公園入場料 CA$21.00

(CA$1 = \94.71)

FTBレンタカートラブル情報その2

1998年8月にマサ等を率いてヨセミテツアーを敢行した際にフォードトーラスのタイヤがパンクしてしまったのをトラブルその1とする。当時代表であった私の冷静な判断により、JAFの救助員顔負けの修理能力でタイヤ交換を行い、無事サンフランシスコに帰還することに成功した。今回はカルガリーでレンタルしたフォードトーラスでアイスフィールド・パークウエイを疾走していた時に対向車が跳ね上げた小石がフロントガラスを直撃し、クラックが入ってしまった。これは人並みはずれた動体視力と反射神経をあわせ持つ私であっても避けられない出来事であった。正直者の私は返却の際にハーツの従業員にこのトラブルを報告したのだが、彼は状況を見るなり、「Who cares ?」と言って見逃してくれたのだが、後で請求書が回ってきたりしないだろうか??

今後の予定:秋は旅行のシーズンということで「なるほど・ザ・FTB秋の祭典」が再開されるかも知れません。

FTB第5次(ゴジ)MLBツアー

皆様ご承知の通り、FTBの主要業務の一つとしてMLBツアーの開催がある。もうすでにMLB30球団の球場をすべて制覇してしまっているので今さらやることはないだろうと思われるかも知れない。ところが今年ゴジラ松井が鳴り物入りでニューヨークヤンキースに入団してしまった。日本では先輩チームメートからゴジという愛称で恐れられていたのだが、長きに渡って開催されたFTBのMLBツアーも回を重ねて5次ということになるので今回は何としてもアメリカに進出したゴジの動向を追跡すべく立ち上がる必要があったのだ。

5月3日(土)

ゴールデンウイーク後半戦3連休の初日にもかかわらず、成田空港第2ターミナルは閑散とした様相を呈していた。しかも依然として下火にならないSARSの影響か、数多くの旅行客はマスクをして飛散したウイルスが体内に入り込まないように無駄な努力をしているようだった。

日本最強レベルの観光大使に成り上がっているゴジラのおかげなのかANA010便ニューヨーク行き、B747-400テクノジャンボはほぼ満席状態で出発し、定刻どおり午前10時半前にはニューヨークJFK空港に着陸した。ここから流れるような作業で入国審査、カスタム、ハーツレンタカーでの日産車の入手を行い、正午前には約1年ぶりとなるヤンキースタジアムに到着することが出来た。あらかじめwww.ticketmaster.comでオンラインでチケットを購入していたため、Willcallという窓口でスムーズにチケットを受け取るとゴジのホームランが飛んで来るであろう右中間スタンドで試合開始を今か今かと待ちかまえていた。

松井率いるニューヨーク・ヤンキース対オークランド・アスレチックスは午後1時10分にプレーボールとなった。2回の裏に先頭打者として回って来た松井は好投手ティム・ハドソンからいきなりライト前にヒットを放った。しかし、打席での今日のゴジラの見せ場はこれだけで結局4打数1安打に終わってしまった。試合の方も9回裏にジェイソン・ジオンビが同点2ランを放ち一瞬ニューヨーカーを興奮のルツボに陥れたものの、結局延長10回を戦い5対3で敗れてしまった。

試合終了後、ヤンキースタジアムから5th Avenueをマンハッタンに向かって南下することにした。車を走らせているとここ10数年来ニューヨーク市内の治安が著しく改善されている様子を実感することが出来る。ジュリアーニ前ニューヨーク市長が実施したブロークン・ウインドウ効果(割れた窓ガラスを放置しておくとそこから犯罪の輪が広がってしまう現象)の低減により、街中の落書き等は消されており、柄の悪いブロンクスやアッパーマンハッタンのハーレムであっても安心して車を転がすことが出来るのである。しかしながら、セントラルパーク以南の繁華街では相変わらずおびただしい数のイエローキャブが幅を利かせており、巨乳系タレントを数多く抱える芸能事務所であるイエロー・キャブのギャルに取り囲まれるのと同等の緊張感で運転することを余儀なくされるのだ。

今日の宿泊地はニューアーク空港近くのDaysinnを予約していたので午後7時ごろ早めにチェックインして休むことにした。今回は首尾よく会社をサボることに成功し、ニューヨークで羽を伸ばすことが出来るため、フッフッという含み笑いを浮かべて風呂に入りながら八神純子のヒット曲を♪パープルタウン、パープルタウン、つばさ広げて、フッ、フッ、フッ、ワッ!ニュ~ヨ~ク(入浴)♪と上機嫌で歌っていたのだが、何となく違和感を感じていたのは♪なんでだろ~♪と思った瞬間にテツアンドトモが購入した新しいジャージのことが頭をよぎり、ここはニュージャージー州であることに気づかされたのだった!

5月4日(日)

今回はMLBツアーということであるが、今日は午前中の時間を持て余すことになっていたのでついでに観光もしておくことにした。ハドソン川を挟んでニューヨークの対岸に位置する場所にLiberty State Park New Jerseyという公園がある。ここからCircle Lineというフェリーが1時間おきに出ており、エリス島と自由の女神の遊覧船($10)として営業しているので乗船を試みることにした。

埠頭から川越しに見るロウアーマンハッタンはマサに八神純子が歌ったように♪むらさきに煙る夜明け♪の様相を呈しているのだが、以前その地に君臨していたワールドトレードセンターの勇士はなくなっていた。フェリーは出航後わずか10分ほどでエリス島に到着した。エリス島は昔U.S.移民局があったところであるが、今回は時間の関係上この島への上陸はスキップすることにし、次の目的地であるLiberty Islandに向かった。フェリーは自由の女神の正面に回りこむ感じで航行し、わずか10分程度で船着場に到着した。Liberty Islandのビジターセンターで自由の女神にまつわるフィルムが上映されていた。その中で化学者の私の心に残った内容は銅像である自由の女神は建立された当時の色はブロンズだったそうだが、徐々に酸化が進み、ついには現在のような緑青を身にまとった姿になったということであった。

ニュージャージーからニューヨークに車で侵入するためにはホーランドトンネルかリンカーントンネル、またはワシントンブリッジを通過しなければならないのだが、いずれも$6をぼったくられてしまうのだ。何はともあれ今日も昨日と同じデーゲームなので正午前にはヤンキースタジアムに帰って来た。今日の試合はオーストラリアの首相がわざわざ観戦に来ていたのでアメリカ国歌を斉唱する前にオーストラリアの国歌が高らかに演奏されていた。

ところで試合の方であるが、ヤンキースの先発は通算300勝まであと3勝に迫った豪腕投手であるロジャー・クレメンスを立て、一方アスレチックスは昨年のサイヤング賞(投手のMVP)投手である左腕のバリー・ジトという豪華な先発陣で始まった。初回クレメンスはいきなりホームランを食らいながらも7回まで何とか2失点でしのいでいたのだが、ジトの方は何度かむかえたピンチもジット我慢して8回まで豪打のヤンキース打線を0点に抑えて9回を抑え投手に託すことになった。今日のゴジラは5回の裏の1死2,3塁の絶好機に強いあたりのピッチャーゴロに倒れ、ヤンキースファンのブーイングを浴びていた。しかし3打席目には三遊間をしぶとく抜けるヒットを放ち連続試合安打を6試合に伸ばしていた。

9回裏の攻撃は4番のバーニー・ウイリアムズが死球で1塁に歩き、ここで5番の松井を迎えることになった。アウトコースの速球で2ストライクと追い込こまれた松井はチェンジアップ系のボール球を2球見逃した後、5球目の甘い速球を強振したのだが、無常にも平凡なライトフライに終わってしまった。後続も凡打に倒れ、結局ヤンキースはアスレチックスに対して2連敗を喫し、ヤンキースタジアムにはおなじみの♪ニューヨーク、ニューヨーク♪が無常に響き渡っていた。

あくまでも現場主義を貫くFTBの取材により、テレビ画面では判断することの出来ないニューヨークにおけるゴジラの状況を垣間見ることが出来た。まずゴジラはヤンキースというチームに完全に同化しており、心配されていたチームメートとのコミュニケーションの問題も全くないように見受けられた。ただ、まだまだ相手投手のボールとのコミュニケーションが不足しており、なかなかバットがボールにコンタクトしない状態であるが、これを解決するのも時間の問題と思われ、今年は50本以上のホームランは約束されたも同然である。また、広報的な要素ではビニール製のゴジラ人形が出回っており、餓鬼どもが人形欲しさにダダをこねている状況をあちこちのみやげ物スタンドで見ることが出来るのだ。

5月5日(月)

昨夜の内にニューヨークを抜け出し、メリーランド州のElktonのMotel6に宿泊していた。そこを拠点にして今日はボルチモアとワシントンDCの探索を行うことにした。ボルチモアのウォーターフロント地区にFort McHenryという昔戦争で使用していた砦が歴史的景勝地として君臨しているので見物に行ってきた。ここは1814年のイギリスとの戦争の際や1861年の南北戦争のときに重要な役割を果たした要塞である。砦の形状は函館の五稜郭を彷彿とさせる星型の5角を持ち、中には弾薬庫やタコ部屋のような兵隊の宿泊所も完備されており、海に面した方角には多くの大砲も据え付けられていた。どんよりとした悪天候にもかかわらずここは「ご老体むち打ちツアー」というキャッチフレーズが似合いそうな老人の団体客でごった返していた。彼らは棺おけに片足を突っ込んでいるにもかかわらず、冥土の土産にと言わんばかりにパークレンジャーが行っている説明に熱心に耳を傾けていた。

FTBがワシントンDCに帰って来たのは約2年ぶり、同時多発テロ後ははじめての訪問となった。今回わざわざここにやってきた目的はほかでもなく、戦争を起こした国のお膝元で反戦運動を展開することであり、プロレス界におけるハンセン運動の第一人者であるスタン・ハンセン直伝のウエスタンラリアートをブッシュ大統領の首筋にお見舞いしてその証を立てることであった。

ジョージ・ブッシュ大統領の居所を探るためにDC観光の拠点となるホワイトハウスビジターセンターで情報収集を試みたのだが、単なるビジターセンターにもかかわらず警備体制が強化され、エックス線と金属探知の検査をされてしまった。結局ここではDCの観光地図を入手しただけで何も成果をあげることが出来なかった。ジョージつながりということで繁華街のジョージタウンにも繰り出してみたのだが、小雨の月曜日の昼間ということもあり、山本譲二の歌が似合いそうなみちのくの雰囲気を醸し出していたに過ぎなかった。しかたがなかったので今日のところはFords Theater National Historic Siteで演劇と劇場の学習をしてお茶を濁しておいた。

5月6日(火)

ベンジャミン伊東と言えば電線音頭を立ち上げた伊東四郎のことであるが、ベンジャミン・フランクリンとはアメリカの独立に多大なる貢献をもたらせた偉人であり、その功績は彼が$100札の肖像画になっていることからも明らかである。一昨日ヤンキースタジアムで$20札を拾ってそのお金でIchiro v.s.MatsuiのTシャツを買うことが出来たので今日そのお礼にわざわざフィラデルフィアまでやってきた。

フィラデルフィアで必ず見物しなければならないスポットは他でもないIndependence Mallという1776年前後の独立宣言に関連したファシリティが集中しているエリアである。ここはアメリカの国立公園の管理化におかれているのだが、3年前に訪問した当時よりもかなり様子が変わっていた。まず、当時は建設中だった最新鋭のVisitor Centerが完成しており、こういった歴史地区には必ず団体で姿を現すガキどもやジジ、ババ等が気軽にモニターやコンピュータでアメリカ建国史を学習出来る仕組みが整備されていた。また、テロリストの攻撃を警戒してLiberty BellやIndependence Hallといった人気ファシリティは厳重なアクセス制限がしかれ、おなじみの金属探知機とX線による検査が施されるようになっている。

というわけでアメリカの建国はここから始まったのであるが、アメリカンドリームもフィラデルフィアから始まったという紛れもない事実がある。Philadelphia Museum of Art(フィラデルフィア美術館、)が町の中心部にそびえており、3年前の訪問の際には階段を駆け上がってガッツポーズをしながら「エイドリア~~ン」と叫ぶことしか出来なかったのだが、今日は入場料($10.‐)を払って中に入ることが出来た。ここにはアメリカの美術品だけでなく、中世ヨーロッパや東南アジア、中国、韓国、日本等の貴重な美術品がところ狭しと展示されている。また、絵画のコーナーに入ると一瞬スターバックスのような新種のカフェに押されぎみの東京都内に点在するクラシックな喫茶店に入り込んだような感覚を覚えるのだが、やはりここには多くのルノアールの力作が展示されていた。またゴッホのひまわりのようなオークションにかければ数千万から数億で落札されること間違いなしの貴重な絵画の宝庫にもなっている。ということでシルベスター・スタローン原作のロッキー発祥の地であるこの美術館はロッキーシリーズの興業収入でも買収出来ないほどの価値ある秀作の宝庫となっていることが確認された。

マサよ!君はニューヨークで暮らしているもう一人の日本人大リーガーがマスコミからも見放され、不遇な生活を送っている事実を知っているか!?

ヤンキースの松井を巨人に例えるとすると、新庄のいるニューヨーク・メッツは例年の阪神のような状況で今年就任した名将ハウ監督の采配にもかかわらずナショナル・リーグ東地区最下位と地をハウような成績に低迷している。メッツは今日からロサンゼルス・ドジャーズを本拠地シェイ・スタジアムに迎えて3連戦を行うことになっているので新庄の見舞いがてら見物することにした。スタジアムに到着してメッツのスターティングメンバーを見ると驚いたことに新庄が7番センターでラインアップに名を連ねていた。試合は午後7時10分に開始され、新庄は2回の裏に回ってきた1打席目でいきなりライト線に2ベースを放ち、次打者の3塁打で先制のホームを踏んだ。

1対1のタイスコアで迎えた4回裏のメッツの攻撃は大学時代にバスケットをやっていた2mの長身を誇る5番のトニー・クラークから始まった。ナイターに強いと噂されるクラークはまだ明るさの残っている1打席目は凡退したものの、日もとっぷり暮れてくら~くなったこの打席でセンターオーバーのホームランを放ち、その勢いを買って次打者の連続ホームランも誘発し、続く7番の新庄を向かえた。目立ちたがり屋の新庄は豪快なスイングで3打者連続ホームランを狙ったものの、結局2ストライクと追い込まれた後にセンター前にヒットを放った。この日の新庄は3打席目も鋭いライナーのセンター前ヒットを放ち4打数3安打で打率を2割5分に上げてメッツの勝利に貢献したのであった。

5月7日(水)

ニューヨークのラガーディア空港からシカゴを経由して約2年ぶりにオハイオ州シンシナチくんだりまでやってきた。Cincinnati Northern KY Int’l Airportはフライドチキンの殿堂ケンタッキー州の最北部に位置し、オハイオ川を挟んで北側にはオハイオ州シンシナチという大都市が控えている。シンシナチは石炭産業の町として有名であり、また世界初の紙おむつパンパースを生んだP&Gの本社もここにあるので赤ちゃんを持つ親も安心して子育てに専念出来るのである。

シンシナチの東約80マイルの所にHopewell Culture National Histric Parkという古代Native Americanが暮らしていた遺跡が保存されているので見学に行ってきた。ここでは白人が入植するはるか以前のアメリカインディアンの暮らしぶりを出土された道具やパネル、ビデオ等で学習することが出来る。

MLB最古のチームであるシンシナチ・レッズの本拠地は昨年までダウンタウンを背景にしたオハイオ川のリバーフロント地区に位置するシナジー・フィールドであった。しかしながらシナジー・フィールドはすでに解体され、その隣に今年からレッズの本拠地としてオープンしたグレートアメリカンボールパークが君臨している。MLB30球団のすべての球場を制覇したことを誇りとする私に許可なく勝手に新しい野球場が開業されてしまったのでわざわざ飛行機を飛ばしてこの地にやってくることに相成ったわけである。

グレートアメリカンボールパークはレッズの本拠地にふさわしくスタンドの座席はすべて赤一色に染められている。外野席の後ろにはオハイオ川が雄大に流れており、遊覧船がサンセットクルーズしている様子をネット裏の高台の座席から見晴らすことも出来るのだ。セントルイス・カージナルスを本拠地に迎えたレッズはアーロン・ブーンのホームラン等で終始リードを保ち、4対2で勝利をものにした。この球場ではレッズの選手がホームランを打つと右中間スタンド後方に設置してある船の煙突をかたどったオブジェから花火が打ち上げられる仕組みになっている。

5月8日(木)

早朝Cincinnati Northern KY Int’l空港を出発し、再びシカゴ空港を経由して3時間の時差を超えてはるばる西海岸のシアトルに午前10時半頃到着した。シアトル・タコマ空港から車を飛ばしてワシントン州の北部にあるノースカスケード国立公園にやってきた。ここでは何万年も降り積もった雪から形成される氷河によって削られた山々がおりなす景観と深い森から自然の生気を吸収することに成功した。

自然界で魂の洗濯を行った後、イチロシアトルのセーフィコ・フィールドを目指して来た道を引き返した。イチローv.s.ゴジラの頂上決戦2ラウンドのマリナーズ対ヤンキース戦は午後7時5分プレーボールとなった。イチローの見せ場は1回の裏にいきなりやってきた。ヤンキースのエースであるデイビッド・ウエルズの速球を捕らえたイチローの打球は平凡な一塁ゴロとなってニック・ジョンソン一塁手の前に転がっていった。ニック・ジョンソンが一瞬自分でベースに入るべきかカバーに入ろうとしている投手にトスするべきか迷ったそのわずかな隙をぬって猛然と加速してきたイチローの動きに動揺し、ベースタッチが一瞬遅れイチローと同時になってしまった。判定としてはアウトになってもセーフになってもおかしくないタイミングであったが、一塁塁審もイチローのスピードに押され、思わず両手を広げてしまった。マリナーズファンの歓喜も覚めやらぬうちに4番のエドガー・マルチネスの2ランホーマーによりマリナーズが2点を先行した。イチローは2打席目も1,2塁間にゴロを転がし、アルフォンゾ・ソリアーノ2塁手の悪送球による内野安打でヤンキース内野陣を恐怖のどん底に陥れていた。

しかしながら結局イチローが活躍したのはこの2打席だけで大差をつけられた7回には早々と控え選手と交代してしまった。一方ゴジラの方は満塁で回ってきた3回表の2打席目にセンター前に同点タイムリーヒットを放ち、昨日のホームランと合わせて見事にゴジラの逆襲を果たすことに成功していた。また、5打席目にも右中間に2塁打を放ち16点目のホームを踏んだ。9回の表には腰痛から復活を期している大魔人佐々木が調整登板し、88マイルしかスピードが出なかったもののすでに打ち疲れていたヤンキースの攻撃を3人で締めていた。結局試合の方は16対5でヤンキースが勝利するという大味な展開になり、超満員の46,000人が陣取っていた観客席も試合後半には空席が目立つようになっていた。

5月9日(金)

午前8時発の飛行機で地元のサンフランシスコに戻ってきた。ゴールデンゲートブリッジを超え、US101からカリフォルニア1号線に入り、1時間ほど車を転がすとPoint Reyes National Seashoreという太平洋にに突き出した風光明媚な海岸地区に到着した。ここはホエールウォッチングが出来る美しい海と鹿、狸、狐、ウサギ等が生息している深い森と1869年からおびただしい数の牛を放牧しているHistoricな牧場からなっている。レンタカーのレンタル規約により、本当は運転することの出来なかったマサに無理やり車を運転させて実施したFTBツアーの起源であると言われているマウント・タマルパスをはじめこの辺の地域は山や谷による複雑な地形と深い森やきれいな海により米国有数のレクリエーションエリアを提供しているのだ。

今回の第5次MLBツアーの最終戦となるオークランド・アスレチックス対ニューヨーク・ヤンキースの試合は全米一ガラの悪いオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムで午後7時5分より開始となる。この球場へは1年ぶりくらいに足を運ぶことになったわけであるが、何と駐車場代が$15に値上げされていた。ちなみに私が本拠地にしていた1998年当時はわずか$5だったのだ。当時のアスレチックスは弱小球団であり、観客も毎試合1万人そこそこしか入らなかったのであるが、ここ数年はマリナーズと首位を争うほどの強豪球団に変貌を遂げ、今日はヤンキース戦ということでガラの悪い輩が4万人以上詰め掛け、ここかしこで「Yankees Suck!」コールがこだましていた。また、1998年8月3日にマサとヤスを従えてNHK衛星第一放送に出演した実績のあるライトの外野席は今日も激戦区の様相を呈しており、不幸なヤンキースファンがオークランドファンの執拗ないじめにあい、早々と球場を後にする姿も目撃された。

ニューヨーク・ヤンキースにジェイソン・ジオンビーという2年前はオークランドのスーパースターでありながら金に目がくらんでニューヨークに移籍してしまった強打者がいる。当然のようにジオンビーが打席に立つたびに球場内はわれんばかりのブーイングで盛り上がっていた。ジオンビーはこのブーイングを自分に対する応援だと勘違いしたのか4回の表にレフトスタンドに同点2ランを叩き込みやがった。今日の松井は昨日イチローが放った2本の内野安打を手本として三遊間とサード前に2本の内野安打を放ち連続試合安打を10試合と伸ばしたものの豪快な1発を見ることは出来なかった。試合の方は7対2でアスレチックスが勝利を収めたのでオークランド紛争は何とか収拾の方向に向かっているようだった。

5月10日(土)

Hilton HHornorsのポイントが余っていたのでマサであれば$200くらいかかるところを私はただで泊まっていたHampton Inn Oakland Airportをチェックアウトすると帰りの飛行機が出発するまでの時間を利用してサンフランシスコベイエリア一帯を車で流すことにした。オークランドからI‐880を北に進路をとりバークレイ、リッチモンドを抜けて橋を渡りUS101を南下してゴールデンゲートブリッジで通行料金を払おうとすると驚いたことにToll Chargeが$5に値上げされていた。

サンフランシスコ国際空港は長年のうっとぉしい工事が終了し、空港エリア一帯を循環するモノレールが完成し、世界でも有数のインテリジェントな空港として生まれ変わっていた。

ANA007便にてサンフランシスコより帰国・・・

FTBサマリー

総飛行機代  \152,200

総宿泊費  $305.37

総レンタカー代  $537.11

総ガソリン代  $77.86

総走行距離  1567マイル

総Toll代  $39.8

総目撃したゴジラのヒット数  6

総20マイル制限のスクール区間を35マイルで走って警察からあやうくチケットを切られそうになった回数  1

今回訪問した州、および地域 ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニア、デラウエア、

              メリーランド、ワシントンDC、イリノイ、、ケンタッキー、オハイオ、

              ワシントン、カリフォルニア

今後の活動予定 鋭意検討中!

協力 ANA、Hilton HHonors、Days Inn、Motel6

アメリカ横断ウルトラFTB番外編

「おしえておじいさん!スイスアルプスツアー」を終えてわずか中1日でアメリカドサ回り出張に駆り出されてしまった。これも仕事の出来る奴には仕事が回ってくるということであろうか?

ちなみに今回の出張はロブスターとのジャンケン対決のためにボストンへ、道行く人に無差別延髄ギリをくらわすために燃える闘魂サンアントニオへ、冬季オリンピックのトトカルチョのオッズを決めるためにソルトレークシティへ、統一教会に入る前の桜田淳子が「来て!来て!」と呼ぶサンタモニカへ、誰も友人のいないユージーンへといった具合に短期間で長距離を渡り歩かなければならない過酷なものであり、マサであれば孫の代まで過労死するほど大変なものであった。

ちなみに各地の気候状況は以下のとおりであった。

ボストン(寒)

サンアントニオ(暖)

ソルトレークシティ(寒)

サンタモニカ(暖)

ユージーン(涼)

昨年の同時多発テロの影響を色濃く残している各地の空港ではさらに厳しいセキュリティチェックが実施されていた。特にテロリストの殿堂とよばれ、多くのテロリストを輩出したボストンローガン空港ではあらゆるテクノロジーを駆使した所持品検査を行なっていた。ボディチェック時の握力は通常の10%増しで、しかも靴は脱がされ金属探知機をあてられしかも不自然な角度にねじまげられて入念にチェックがなされていた。また、国境に近い燃える闘魂サンアントニオの空港では迷彩服に身を包んだタイガージェットシンをほうふつとさせる兵士達がサーベルの代わりにカラシニコフ風の機関銃を携えて睨みをきかせていた。

ちなみに今回渡り歩いた空港は以下のとおりであった。

サンフランシスコ国際空港

ボストンローガン国際空港

シカゴオヘア空港

サンアントニオ国際空港

デンバー国際空港

ロスアンジェルス国際空港

ポートランド国際空港

ユージーン空港

まばたきをするほどの暇も無いほど過密なスケジュールの合間を縫って挙行されたFTBは以下のとおりである。

2002年1月12日(土)

メジャーリーグ30球団をすべて制覇しているFTBにはもう一箇所どうしても訪れなければならない聖地が残されていた。それは野球発祥の地と言われNational Baseball Hall of Fame、いわゆる殿堂があるクーパーズタウンである。クーパーズタウンはニューヨーク州の中間に位置し、ボストンから車で4時間くらいかかる非常に交通のアクセスの悪い田舎町である。Hall of Fame($9.5)はいわゆる殿堂(殿堂入りした野球関係者の銅のレリーフが飾ってある場所)と博物館の2箇所から構成されている。殿堂のホールにはベーブ・ルースをはじめ、業界では伝説になっている野球人のレリーフが所狭しとかざられており、そのなかでもVIP扱いであると思われるベーブ・ルースとテッド・ウイリアムスは等身大の人形まで展示されていた。

博物館の方では、MLBをはじめ野球の歴史の資料が展示されており、多くの親子連れで賑わっていた。父親は子供に代々引き継がれた名選手の話を聞かせながら伝統を維持しているようであった。日本人関係の展示品は昨年イチローと長谷川により初めて実現された日本人同士の対決の時に使用されたボールが長谷川のサイン入りで展示されていた。また、野茂のノーヒットノーランのサインボール、古いものでは連続試合出場で実績を残した衣笠のユニフォーム、世界で初めて1000盗塁を達成した福本のスパイク、世界の王のファーストミット等がさる然と輝いていた。

1月13日(日)

朝から降っていた雨がいつの間にか雪に変わり、道路では除雪用のシャベルを前面にくくりつけた4WD車が雪を路肩に飛ばしながらあちこちで活躍していた。ボストン近郊にアダムス大統領とJFKの生家があり、今ではNational Historic Siteとして管理運営しているらしいので見に行ってみることにした。しかし、残念ながら、両家とも冬季は休業中という看板が出ており、Bostonの冬の寒さを思い知らされた気がした。

次回はFTB炎の離島シリーズ第?弾石垣島よりお送りする予定です。

FTB強行軍

私の地元のアメリカで史上最大のテロが起こり、JTB、近ツリ等のメジャー旅行会社は米国行きのツアーをすべてキャンセルしてしまったそうであるが、最新のテクノロジーと情報収集力を誇るFTBは米国行きのフライトが再開された9月15日にツアーを強行することにした。これもひとえに私の努力の賜物だと言えるだろう。

2001年9月15日(土)

本日米国行きのフライトが再開されたとはいえ、厳戒態勢が敷かれた成田空港第二ターミナルは異様な静けさをたたえていた。警備員はここかしこに配置され、手荷物検査場は緊張感に溢れ係員のおね~ちゃんたちに至っては一人残らずケツの穴の奥の方まで検査してやるぜ!という気迫で業務に励んでいた。検査場を抜け、次の出国審査のところでは通常の2.8倍くらいの時間をかけて慎重に審査を行っていた。

ANA008便サンフランシスコ行きに乗り込み、アップグレード券を使ってビジネスクラスに陣取っていた私であったが、やはり回りに怪しい輩がいないか非常に気になったため、近くのスキンヘッドの大男の挙動が怪しくないことを確認した後、酒を飲んでぐっすり眠ってしまった。

サンフランシスコ国際空港は当然のごとく、成田以上に厳戒態勢が敷かれており、いかにもテロリスト面した無精ひげを生やしていたころのマサやヤスであれば入国を拒否されていただろうと思われた。また、税関を抜けて国内線に乗り換える際に荷物の再チェックがあり、そこで2時間も並ばされた上、結局乗り継ぎのフライトが4時間遅いものになってしまった。

結局デンバー国際空港に到着したのは夜の9時を過ぎた時間帯であったため、その日はコロラド州北部のMotel6に引き払って英気を養うことにした。

9月16日(日)

大阪近鉄バッファローズの球団編成から生きのいい野生のバッファローをラチして何とか日本シリーズまでに間に合わせて欲しいとの依頼を受けていたのだが、西武、ダイエーと熾烈な優勝争いをしている梨田監督には悪いと思ったが、その話はナシだ!と断ってしまっていた。

コロラド州を北上すると程なくしてワイオミング州に入ってしまった。アメリカ北中部のワイオミング、サウスダコタ、ノースダコタ等は野生のバッファローが生き残っている土地として有名である。ほんの数百年前まではアメリカ大陸の多くの土地はバッファローの王国として数百万頭のバッファローが走り回っていたそうだが、インディアンや白人に乱獲された結果、今ではその数は数百等にまで減っているそうだ。

Wind Caveナショナルパークという小さな国立公園がある。世界には様々な洞窟が存在するが、ここにある鍾乳洞は世界で6番目の長さを誇っているということであった。ここでのアクティビティはやはり有料洞窟ツアーである。ツアーは探検の時間や難易度で価格帯は別れているが、今日は一番ベーシックな$8のツアーに参加した。トムという若手のレンジャーに先導されて洞窟のツアーが始まったわけであるが、注意事項として洞窟の壁面には指一本たりとも触れるんじゃ~ね~ぞ!とトムから注意された。もし指などが触れ人間の油が壁についてしまうと太古の昔から続いている侵食のペースが変わってしまったり、岩が変色してしまったりするそうだ。

Wind Caveナショナルパークの見所は実は地中だけでなく、地上にも多くの見所がある。

マサよ、君はプレイリー・ドッグという生き物を知っているか?

プレイリー・ドッグはイタチ+モグラ+ネズミ÷3のような小動物であるが、彼らは大平原の地中にシカゴのマフィアと同様の地下組織を形成しており、地上と地下の2重生活を送っている。外敵が近づくとおびただしい大声で奇声を発するのが特長であるが、何となく憎めない奴らである。

世界最大のウシ科動物であり、キムタクのようなロン毛をなびかせているバッファローが30頭くらいの群れを形成しているのを私のキャノンEOS-5の85mmレンズが撮らえたはずである!?学名をアメリカバイソンというこの巨大なウシは900kgに達するものもいるが本気で走ればカール・ルイスよりも早いという話である。

マサよ、君はアメリカ最強の観光地はどこか知っているか??史上最大アメリカ横断ウルトラクイズでもしばしばチェックポイントとして放送された実績があるあの4人の偉大な大統領の顔を岩に刻みつけた場所はサウスダコタ州のマウントラシュモア($8.-)という場所であり、ここに来なければアメリカに来たことにはならないと言われている聖地である。

ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルトの顔面は高さ200mあまりの山の岩面に1927年~1941年にかけて当時の最先端のテクノロジーと彫刻師の技を駆使して掘り込まれたものである。ここのファシリティはマサに一大観光拠点としての様相を呈しており、大駐車場完備、ビデオが見られるビジターセンター、レストラン、ギフトショップなどを備えている。また、ビジターセンターの外には野外コンサートも出来そうな会場があり、その日は夜8時からニューヨークテロの犠牲者の冥福を祈ると共に、このおとしまえは必ずつけてやるぜ!といったような催し物がしめやかにとりおこなわれていた。ちなみに大統領の顔は夜8時半~9時半の1時間に渡りライトアップされ、サウスダコタの夜を彩っている。

9月17日(月)

今日は朝から濃い霧がI-90ハイウエイを覆っていた。Badlandsナショナルパーク($10.-)に到着したのは午前8時過ぎであったが、濃霧のため、まわりの景色はほとんど見えない状態であった。10時を過ぎた頃からやっと霧が晴れはじめ、原始時代を彷彿とさせるような光景が姿を現し始めた。ここの地形はユタやアリゾナのような赤土ではなく、多少岩肌の色が薄いものの、起伏は何たらキャニオンのように激しく、また大平原が果てしなく広がっている様子を見ることが出来る。ここの生態系は昨日訪問したWind Caveと同じくおびただしい数のプレイリー・ドッグと200頭あまりのバッファローを生息させている。

マサよ、君は「宇宙にいるのはわれわれだけではない!」ということを知っているか?スティーブン・スピルバーグの出世作となった「未知との遭遇」の舞台であるDevils Tower($8.-)がワイオミング州にそびえているので見物に行って来た。砂の嵐に隠されているのはバビル2世の居住地であるバビルの塔であるが、Devils Towerは遡ること6000万年前の火山活動によりマグマが地中で固まり、硬い柱状の花崗岩を形成し、まわりの土地が侵食された後に硬い地層のそこだけが残ってタワー上のオブジェを形成した代物である。高さ260mあまりのタワーに毎日何人ものロッククライマーが登っており、今日も何人かが壁面に張り付いている様子が観察された。柱状の岩肌のため、縦に巨大な線が入っているように見えるが、古いインディアンの伝説によればそれは巨大な熊がタワーに登ろうとして爪で引っ掻いた後だということである。

9月18日(火)

さらに北上し、はるばるノースダコタ州にやって来た。州の南にセオドア・ルーズベルトナショナルパークというマイナーな国立公園があったのでとりあえず見に行ってきた。政治家で、自然主義者で冒険家であった第26代大統領のセオドア・ルーズベルトを記念して制定されたこのナショナルパークはPainted Canyonと呼ばれる多種多様な色彩と自然動物の宝庫として保護されている。広大な敷地には野生のバッファローや鹿、うっとおしいほどの数のプレイリー・ドッグ等が生息している。

ノースダコタ州からI-94を西に走ると程なくしてFTB史上46州めのモンタナ州に入ってしまった。モンタナ州やダコタ系の北部の州は見渡す限りの大平原であり、地平線の彼方に夕日が沈んでいく様子を観察でき、だれでもノスタルジックな気分を堪能することが出来るのだ。

祝!FTB大リーグ30球団全球場見学達成記念

                          Takeo FUKUDA    Hideo NOMO    マサ(一般人のリファレンス)

*シアトル・マリナーズ

 ‐セーフィコフィールド                ○            ○                    ×

 ‐ザ・キングドーム(爆破解体済)         ○             ×                    ×

*オークランド・アスレチックス

 ‐ネットワークアソシエイツコロシアム       ○            ○                    ○

*アナハイム・エンジェルス

 ‐エディソンフィールド                ○            ○                     ○

*テキサス・レンジャーズ

 ‐ボールパークインアーリントン          ○            ○                     ×

*ミネソタ・ツインズ

 ‐ヒューバート・H・ハンフリーメトロドーム     ○           ○                      ×

*シカゴ・ホワイトソックス

 ‐コミスキーパーク                  ○           ○                      ×

*デトロイト・タイガース

 ‐コメリカパーク                    ○            ○                      ×

 ‐タイガースタジアム(老朽化)           ○            ×                     ×

*クリーブランド・インディアンス

 ‐ジェイコブスフィールド               ○            ○                     ×

*カンザスシティ・ロイヤルズ

 ‐カウフマンスタジアム                ○           ○                     ×

*トロント・ブルージェイズ

 ‐ザ・スカイドーム                    ○           ○                      ×

*ボストンレッドソックス

 ‐フェンウエイパーク                 ○           ○                       ×

*ニューヨーク・ヤンキ‐ス

 ‐ヤンキースタジアム                 ○          ○                       ×

*ボルチモア・オリオールズ

 ‐オリオールパークアットカムデンヤード      ○         ○                        ×

*タンパベイ・デビルレイズ

 ‐トロピカーナフィールド                ○         ○                         ×

*サンフランシスコ・ジャイアンツ

 ‐パシフィックベルボールパーク           ○         ×                         ×

 ‐スリーコムパーク(老朽化)            ○         ○                          ○

*ロサンジェルス・ドジャース

 ‐ドジャースタジアム                 ○         ○                          ×

*サンディエゴ・パドレス

 ‐クアルコムスタジアム               ○         ○                           ×

*アリゾナ・ダイアモンドバックス

 ‐バンクワンボールパーク             ○         ○                             ×

*コロラド・ロッキーズ

 ‐クアーズフィールド                 ○         ○                            ×

 ‐マイルハイスタジアム(アメフト専用化)    ×          ○                            ×

*シンシナチ・レッズ

 ‐シナジーフィールド                ○          ○                            ×

*シカゴ・カブス

 ‐リグレーフィールド                ○          ○                             ×

*ピッツバーグ・パイレーツ

 ‐PNCパーク                    ○          ×                             ×

 ‐スリーリバーズスタジアム(解体済)      ○           ○                             ×

*セントルイス・カージナルス

 ‐ブッシュスタジアム                ○           ○                             ×

*ヒューストン・アストロズ

 ‐エンロンフィールド                 ○           ○                             ×

 ‐ジ・アストロドーム(老朽化)           ○            ○                            ×

*ミルウォーキー・ブリュワーズ

 ‐ミラーパーク                   ○             ×                             ×

 ‐カウンティスタジアム(解体)          ○             ○                            ×

*モントリオール・エキスポズ

 ‐オリンピックスタジアム             ○            ○                            ×

*ニューヨーク・メッツ

 ‐シェイスタジアム                 ○             ○                            ×

*フィラデルフィア・フィリーズ

 ‐ベテランズスタジアム              ○             ○                            ×

*アトランタ・ブレーブス

 ‐ターナーフィールド               ○             ○                            ×

 ‐フルトンカウンティスタジアム(解体済)   ×              ○                             ×

*フロリダ・マーリンズ

 ‐プロプレイヤースタジアム           ○              ○                            ×

9月19日(水)

I-25を一気に南下して1年ぶりにデンバーのダウンタウンに戻ってきた。ここでふとアメリカの国歌を聴きたいという衝動に駆られたため、クアーズフィールドに立ち寄った。テロの影響で一時中断されていた大リーグは今週月曜日から復活し、選手はユニフォームに星条旗を縫い付けてグラウンドに登場していた。試合前のセレモニーでは黙祷の後、選手と関係者全員がベンチ前に整列し、神妙な顔つきで国歌を斉唱し、アメリカの復活を誓っていた。

ミネアポリス行きの飛行機に乗るために試合終了を待たずにクアーズフィールドを後にし、デンバー空港へ到着した。ところが不幸にも夜8時50分のフライトはキャンセルされてしまったとの冷たい通告をチェックインカウンターで受けてしまった。マサであればここぞとばかりに大クレームの場外乱闘に持ち込みデンバーでの無料宿泊券等をせしめていたであろうが、心の優しい私は、ハイジャックで痛手を被っているU.A.をこれ以上いじめるのはかわいそうだと思ったので甘んじてスケジュール変更を受けることにした。

9月20日(木)

FTB史上47州めのミネソタ州に到着したのは午前11時前だった。ミネアポリス・セントポール国際空港は両市のダウンタウンからほど近く交通の便のいいところに立地されていた。ミネソタ・ツインズの本拠地はヒュ‐バート・H・ハンフリー メトロドームというドーム球場である。この球場の建築様式は後に東京ドームを建築した竹中工務店にも引き継がれたエアードームである。しかし、ここは東京ドームほど内部と外部の気圧差は感じさせず、回転ドアで出入りしても突風が吹いてくるようなことはなかった。ところで球場の入り口でニューヨークのテロに対する寄付金を募っており、寄付をした人にはもれなく星条旗がもらえるので大金$1をはたいてミニチュアの国旗を入手して入場した。また、財務省のマサの名前でも$10,000寄付しておいたのでボーナス時にかならず利息付で私に返済するように・・・(領収書なし)

今日は平日のデーゲームで試合も早く終わったので市街地の観光をすることにした。ミネアポリスとセントポールはそれぞれミシシッピ川をはさんだ対岸に位置しており、双子の都市として有名である。純粋なビジネス街であるミネアポリスのダウンタウンに対し、セントポールはその名前からもわかる通り、カトリック系のファシリティが数多く存在している。また、ここはミネソタ州の州都でもあり、州議事堂を中心とした街づくりがされている。

9月21日(金)

ミネアポリス・セントポール空港からシカゴ経由でダラス・フォートワース空港に2時過ぎに到着した。早速フォートワースのダウンタウンを抜け3年ぶりにストックヤードに戻って来た。ストックヤードはヒストリックなテキサスカウボーイの風情を残した観光地であり、家畜の取引所やロデオスタジアムや土産物屋のモール、カウボーイの殿堂等多くの見所がある。テキサスロングホーンというおびただしく長い角を持った地元の牛がこの地ではたくさん飼育されており、たまたまカウボーイやカウガールによる牛追いの現場を目撃することが出来た。「おら、おら、しっかり歩かんかい!もたもたしてるとその場でビーフジャーキーにしちまうぞ!!」というような罵声を発し鞭をなびかせながらテキサスロングホーンを誘導している様はマサに圧巻であった。

ストックヤードの目抜き通りにトラディショナルなステーキハウスがあったので味見をしてみることにした。$21のサーロインステーキを発注し、こころなしか裏手の方で「モ~~~、助けてくれ!!」という悲鳴を聞いたような錯覚にとらわれた数分後、おばちゃんが笑顔でステーキを持ってきた。重さ12オンスのステーキは厚さ1インチ(2.5cm)にカットされており、非常に食べ応えがあった。

テキサス・レンジャーズの本拠地はダラスとフォートワースの中間に位置したアーリントンという都市にあるボールパークインアーリントンという球場である。シアトル・マリナーズに大差をつけられ早くも優勝戦線から脱落しているにもかかわらず、今日も37,000人以上の客が入っていた。アレックス・ロドリゲスというMLBで一番の高給取りのスーパースターの47号本塁打等でレンジャーズがエンジェルスを下し、場内は興奮のルツボと化していた。試合後、球場で大花火大会があり、センターバックスクリーン上から打ち上げられる花火を見ながら、どこからともなく「U!S!A!」という大コールが沸き起こっていた。

9月22日(土)

I-45を南下して3年ぶりにヒューストンに帰ってきたと思ったらそのまま突き抜けてギャルベストンまで来てしまった。テキサス州南のリゾート地であり、メキシコ湾に面しているギャルベストンの海は相変わらずウーロン茶色をしていたのが印象的であった。

ヒューストン・アストロズの本拠地は1965年に建立された最古の屋根付き球場であるジ・アストロドームであった。しかし、老朽化と時代遅れのため、ア軍は新球場であるエンロン・フィールドを2000年にオープンさせていた。ここの球場の特長は開閉式屋根付き蒸気機関車付き天然芝のスタジアムであるということであるが、ア軍の選手がホームランを打ったりすると球場の左中間に備え付けの機関車が汽笛を上げて疾走する仕掛けになっている。

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というわけで今回の強行軍により、FTBはMLBの30球団のすべての球場を制覇することに成功したことに相成りました(冒頭の表を参照)。これは民間人ではHideo Nomoに次ぐ快挙と予想されるので間違いなくマサより賞金100万円と金一封が授与されることになります。

FTBサマリー

総飛行機代:¥208,440(内\110,000分はANAご利用券使用+アップグレード、マサであれば¥60万くらいかかるであろう)

総宿泊費:$370.89

総ガソリン代 : $127.54

総レンタカー代:$572.27

総走行距離:2,861マイル

総轢き殺しそうになった鹿の総数:1頭

今後のFTB活動予定

*地球環境問題をカンガルーと一緒にカンガエルー、オーストラリアツアー

FTB第3次MLBツアー

日本で有数のメジャーリーグベースボールの評論家として名高い私の元にベースボールマガジン社やプロ野球ニュースから毎日のようにヘッドハンティングの電話がかかってきているのは皆様もご存知の事だと思います。このような状況を鑑みて、この度GWの連休を利用してFTB主催のMLBツアーを敢行することにいたしました。尚、類似のツアーがJTBほか大手旅行代理店から発売されておりますが、FTBのツアーとは一切無関係です。

2001年4月28日(土)

GWの初日ということで成田空港第二ターミナルは大変な賑わいを見せていた。何とかチェックイン、出国を済ませた後、ANA012便、B777機に乗り込み、イチロ、シカゴを目指した。気が付けばシカゴオヘア空港に登場するのは今年早くも4回目を数えるベテランになってしまっていた。

早朝の8時半頃シカゴに到着し、早速空港でレンタカーを借りてハイウエイを北上し、ウィンスコンシン州のミルウォーキーに向かった。1年半ぶりに訪れたミルウォーキーで窓を全開にして運転しているとどこからともなくホップの香りが漂ってくる。そう、ここはアメリカの3大ビールメーカーの1つであるミラーの城下町である。

マサよ、君は1日に3人の日本人大リーガーを見たことがあるか?

ということで第3次MLBツアーの第一弾はここミルウォーキーから始まった。ミルウォーキー・ブリュワーズの本拠地は昨年まで歴史と伝統のあるカウンティスタジアムであったが、老朽化のため、今年から、天然芝、開閉式ドーム球場であるミラーパークをオープンさせた。一昨年あの野茂も在籍していたミルウォーキーはモントリオール・エキスポズを迎え1時5分にプレーボールとなった。試合はミルウォーキーの3番ジェフ・ジェンキンズの3打席連続ホームランなどで大量リードを奪い4万あまりの観客を興奮のルツボに陥れていた。敗色濃厚のモントリオールは7回から吉井を投入した。吉井は味方のまずい守備で招いた1死満塁のピンチで4打席目のジェンキンズを迎え、この時球場はこの日一番の盛り上がりを見せていた。しかし、吉井も浪速のど根性で投げた渾身のフォークボールでジェンキンズを三振に打ち取り、続く4番のリッチ-・セクソンも凡打に打ち取り何とかピンチを0点で切り抜けることが出来た。

吉井の活躍を確認して、ミラーパークを後にし、イチロ、シカゴへの帰路を急いだ。シカゴ・ホワイトソックス対シアトル・マリナーズの第2戦は午後6時5分からコミスキーパークでプレーボールの予定なので急がなければならなかった。

シカゴホワイトソックスの本拠地コミスキーパークに到着したのは試合開始前30分くらいだった。早速ボールパークパーキングに車を止めてチケットカウンターへ向かった。前売り券を買ってなかったのでコミスキーパークのチケット売り場のおね~ちゃんに混ミスギ~!と言われて入場を拒否されたらシカゴくんだりまで来た意味が無くなってしまうと心配していたが、何とかライト側のボックスシートを入手することが出来た。

球場内のライトスタンド近辺はジャパンタウンと化し、シカゴ中のすべての日本人がイチローの登場を今か今かと待ち構えていた。振り子打法を卒業し、大リーグ仕様の打法に切り替えたイチローの登場で幕を開けた試合であったが、開始直後、ミズノプロ、イチローモデルの黒バットが一閃すると打球は鋭くセンター前に抜けていき場内は歓声とブーイングの嵐に包まれていた。

マサよ、君はシアトル・マリナーズの勝利の方程式を生で見たことがあるか?

私は・・・・・見た!!!

というわけでその日のイチローは芸術的なバットコントロールで6打数3安打の好成績を残し、守ってはグラブ作りの天才、坪田名人特製のグラブを華麗にさばき、またレーザービームアームと称されるその強肩を存分に披露し、シカゴ市民の度肝を抜いていた。試合は8対5でシアトルが3点リードした9回裏大魔神がシカゴの攻撃を3人で退け、今期早くも13セーブ目をあげたのであった。

4月29日(日)

この日、日曜日はデーゲームであった。昨日のナイターの熱戦にもかかわらずイチローはマリナーズ選手の中で一番早くグランドに姿を現し、入念にウォーミングアップを行っていた。試合は結局延長14回を戦い、シアトルはサヨナラ負けを喫してしまった。今日のイチローは6打数1安打2三振と当たってなかったものの盗塁を1つ決め、相手バッテリーを恐怖のどん底に突き落としていた。

結局まる2試合イチローの一挙手一投足を観察することが出来たわけであるが、まず感じたことは、イチローはすでにメジャーで10年くらい飯を食っているような雰囲気と実力を兼ね備え、味方からは尊敬され、相手からは恐れられている存在であるということだ。しかし、今後数多くの刺客がイチローを倒そうと牙を研いでいるのでまだまだ予断を許さない状況であることは確かである。

4月30日(月)

4月も今日で終わりということで一足先に夏のリゾート気分を満喫するために、シカゴからマイアミまで足を伸ばすことにした。寒さの残るシカゴから2時間55分のフライトで蒸し暑いマイアミ国際空港に到着したのは12時を回ったころだった。早速レンタカーをピックアップして向かった先はマイアミから160km先のアメリカ合衆国最南端のキーウエストというところである。キーウエストは東西約5.5km、南北約2.5kmという小さい島でマイアミよりもキューバの首都ハバナに近いという地理的条件を持っている。

ここで必ず訪ずれなければならないのはなんと言ってもサザンモストポイントである。ここにはキューバまで90マイル、米国最南端の地と書かれたオブジェがあり、観光客にとって絶好の記念写真ポイントである。ところでキーウエストと言えば、文豪アーネスト・ヘミングウエイが1931年から8年間過ごした地として有名である。へミングウエイに言わせるとここには老人と海だけしかないということになってしまうが実際にはバケーションを楽しんでいる若者で大変な賑わいを見せている町である。ヘミングウエイが住んでいた家が博物館として保存されているので見に行こうと思っていたが、5時で閉館だったため、中に入ることが出来なかった。私も将来「老人とマサ」を執筆して芥川賞を狙うためのノウハウをぜひとも身に付けたいと思っていたので大変無念であった。

夕暮時に釣場でのんきに釣糸をたらしている若者がいた。彼の表情には今日の釣果が芳しくなく焦燥の色が浮かんでいた。しかし、私が来てほどなくすると彼のロッドがいきなり大きくしなり始めた。これは大物だ!!と誰しもが期待の表情を浮かべた。リールを巻いては引き、巻いては引きの激闘を繰り返した結果、若者が吊り上げたものは体調30cmはあろうかと思われる巨大な?シュモクザメであり、観客もいっせいに興ザメしてしまった。心の優しい若者はシュモクザメが食いついて離さない釣り針をペンチを使って強引に取り去り、記念撮影に応じた後、血だらけになったあわれなシュモクザメをエメラルドグリーンの海にリリースしやがった。

5月1日(火)

マイアミからキーウエストの道のりには点在する島を結んだChannelというたくさんの橋がかかっている。中でも一番有名な橋はあたかも海の上に浮かんでいるような錯覚を覚えるセブンマイルズブリッジという約7マイルにも渡る長い橋である。もちろんこの橋の両サイドはサンゴ礁輝くエメラルドグリーンの海である。

さて、キーウエストでリゾート気分を十分満喫し、脳みそも溶けそうな状態になっていたので気を取り直してフロリダ半島最南端にある国立公園であるエバーグレースナショナルパークへ向かった。高温多湿のフロリダ半島南部には広大な湿地帯が広がっており、多くの熱帯植物や野生動物の宝庫となっている。公園のシャークバレーのビジターセンター($8.)に入場し、早速園内の探検に向かうことにした。この場所のアトラクションはトラムツアー($10.)かレンタルバイク($4.75/hr)で湿原内のはるかかなたの展望台がある場所まで進むことが出来ることである。

エバーグレースはアリゲーターやクロコダイル、スッポン等の亀類や各種鳥類の宝庫として有名であるが、ここシャークバレーの川沿いの道筋を進めば野生のアリゲーター等の姿を間近で見ることが出来るのだ。私も早速レンタルバイクを借りようと思い、バイク屋のカウンターに向かった。そこにいたワニを寝技に持ち込んでもフォール勝ちしそうな頑強なおね~ちゃんがレンタルする際に次のような注意事項を教えてくれました。ここのバイクはハンドルにブレーキが付いてなく、ペダルを後ろに回すとブレーキがかかるようになっている。また、ワーニングと書かれた自己責任の覚書のような書類にサインまでさせられ、バイクで転んで怪我をしてもワニに食われても責任を取ってやれないので心して行動するようにと言われた。ちなみに、今まで川に落ちてスッポンに服を剥ぎ取られてスッポンポンになった観光客がいたのかどうかは定かではなかった。

ジャニーズ事務所所属のV6のヒット曲「ワニなって踊ろう」を歌いながら、早速バイクに跨り、湿地帯に向かった。数メートルほど進むとそこらじゅうでアリゲーターが昼寝をしており、マサにハンドバッグメーカーの材料のバイヤーにとってよだれの出そうな状況であった。トラムおよびバイクのトレイルは異常に長く、中野浩一と同等の脚力を持つ私であっても最深部の展望台まで到達するのに1時間を要してしまった。展望台から見渡すと眼下にはアリゲーターと亀の住む沼、遠くには広大な湿地帯が大きく広がっていた。

展望台の近くの乾いた場所で巨大なスッポンを発見した。私も疲労がたまっていたので思わずスッポンの首にストローを突き刺して生血でもすすってやろうかと考えたが、このスッポンは産卵のための穴掘りで忙しく、かまってもらえなかったので見逃してやることにした。

フロリダ・マーリンズという新鋭の球団がマイアミ北部に本拠地を構えているのでプロプレイヤースタジアムまで見物に行ってきた。今日の相手は強豪セントルイス・カーディナルスであったが、主砲マーク・マグワイヤを右ひざの故障で欠くカーディナルスの打線は迫力に欠けるものがあった。このスタジアムはNFLのマイアミ・ドルフィンズとの共同使用になっており、45,000人ほどの収容人員を誇るが、リゾート地まで来てスポーツを見に来る輩は非常に少なく、今日の観客は千葉ロッテマリーンズと同等レベルであった。しかし、ラテン系の血を引き継いだ観客の熱狂ぶりはすさまじく試合に勝ったマーリンズに歓喜の声援を送っていた。

ところでマサよ、アリゲーターを見て思い出したのだが、以前ワニブックスからFTB写真集を自費出版するために君の以前の職場であった500円玉製作所から500円玉の横領を頼んでおいたが、未だに「お~了解した!!」という返事をもらってなく、うやむやになってしまっているのはどういうことだ!!

5月2日(水)

朝6時半のUA便でマイアミからアトランタまではるばるやって来た。ここアトランタはジョージア州の州都というよりはアメリカ南部の首都といえるほど巨大な都市である。そろそろスターバックスを飲み飽きた頃でもあり、本場ジョージア州で「明日があるさ♪♪」を歌いながらジョージアコーヒーを飲んでほっ!としたいと考えていたのだが、そんなものは売っているはずもありゃしなかった。

空港からレンタカーで市内のハイウエイに繰り出すと車線が7車線もあり、しかも7車線とも混んでいるという恐ろしい状況を見てしまった。ともかくこの渋滞を抜けてI-75を北上し、イチロ、シンシナチへの道を急いだ。テネシー州とカーネルサンダースの故郷であるケンタッキー州を抜け、8時間程度走るとシンシナチに到着した。シンシナチ・レッズの本拠地シナジーフィールドはオハイオ川の川辺に位置しており、川を越えると隣はすぐケンタッキー州である。シンシナチ・レッズにはケン・グリフィーJr.というスーパースターがいるが、残念ながら彼は現在故障中で試合に出ることは出来ない。対ロサンゼルス・ドジャーズとの試合は7時5分にプレーボールとなった。今日の見所はMLBでもトップ5に入る投手であるLAのケヴィン・ブラウンのピッチングである。彼は最速99マイルのファストボールと96マイルの微妙に変化するムービングファストボールを巧みに操り、レッズの打線を封じ込め、LAに勝利をもたらせた。

5月3日(木)

今回のMLBツアーでは残念ながら、マーク・マグワイヤ、ケン・グリフィーJr.といったスーパースターを見ることが出来なったが、MLB最強のスーパースターであるバリー・ボンズがピッツバーグにやって来るということでさらに5時間北東に移動して見に行ってきた。ペンシルバニア州に入り、What a feeling ?の感覚が強くなり始めたころ、「フラッシュダンス」を生み出したピッツバーグの地に入ったことを実感させられた。

ピッツバーグ・パイレーツの本拠地PNCパークは今年オープンした新球場であり、外野側に高層ビルの景観を取り入れた都市型スタジアムである。ここはパイレーツの本拠地であるため、ナイスバディの球審も前かがみでひざに手をおいたポーズでストライク・ボールの判定を行っており、心なしか球審のコールも「ストライクだっちゅ~の!」、「ボールだっちゅ~の!」と響いていたような気がした。

今日パイレーツと対戦するサンフランシスコ・ジャイアンツにバリー・ボンズという最強のスーパースターがいる。彼は先日500号本塁打を放ち、盗塁もあと20数個で500盗塁を数えるほどの走攻守にバランスの取れたプレイヤーである。ボンズは1回の表に回ってきた1打席目にいきなりライト場外に13号本塁打を放ち、1個$9のボールを川に沈めてしまった。彼はその後、2打席目、4打席目もヒットを放ち、そのスーパースターぶりを如何なく発揮していた。

さて、試合の方は9回の表に最大の盛り上がりを見せていた。ジャイアンツの攻撃は2アウトながらランナー1,2塁でバリー・ボンズを迎え、1打逆転のチャンスであった。ところで、ふとブルペンに目をやるとジャイアンツの投球練習場で背番号31番、長身から独特の2段モーションで投げ下ろす大男が投球練習を始めていた。「あれはジャイアンツの守護神ロブ・ネンだ!!」ロブ・ネンは現在のMLBで102マイルという最高速の速球を投げる絶対的な抑えの切り札である。結局ボンズは四球を選び、打順は昨年のナショナルリーグMVP男、4番のジェフ・ケントに回った。ロブ・ネンの投球練習にさらに力が込もったころ無常にもケントのバットが空を切り試合終了となった。

この光景を目にしたロブ・ネンは「満塁のチャンスに4番やのになんで三振すんネン!、わいのいままでの投球練習は何だったちゅうネン!!」とでも言いたげな無ネンの表情を浮かべて勝利のハイタッチを繰り返すパイレーツナインを横目にグランドを去って行った。

5月4日(金)

早朝5時に常宿のMotel6を抜け出し、イチロ、アトランタへの帰路を急いだ。FTB伝統のペンシルバニア、ウエストバージニア、バージニア、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ、ジョージアの5州ぶっちぎりで走法でアトランタにわずか12時間で帰ってくることが出来た。

1996年に開かれた夏季オリンピックを記念して聖火台を奉ってあるFulton Countyの近くにターナーフィールドがある。ここは当時のオリンピックのメイン会場であり、その後改装されて現在はアトランタ・ブレ-ブスの本拠地球場に生まれ変わっている。

マサよ、君はトマホークチョップをやったことがあるか??

アトランタ・ブレ-ブスの象徴はトマホークという石斧であり、ブレ-ブスがチャンスを迎えるとトマホークチョップと言ってスポンジ製のトマホークを上下に振らなければならない。しかもこれをやらないとアトランタで市民権を得られないほど重要な作業であるので私も早速トマホークを購入($6.-)した。セントルイス・カーディナルスと対戦したブレ-ブスは打線に当たりがなく苦戦を強いられていた。結局この日トマホークチョップが炸裂したのはたった3度だけで、試合の方も残念ながらブレ-ブスが惜敗してしまった。

トピックス

*ウイルソングローブデイ

 運道具メーカーのウイルソンが主催するウイルソングローブデイがミルウォーキーのミラーパークとシカゴのコミスキーパークで行われていた。これは少年少女の入場者にグローブをただで配るというたいへんお得なイベントである。高年のためグローブを受取る資格のないマサであれば純粋な野球少年を脅してでも手に入れていたであろうと思われた。

*最新レンタカー情報

 今回3つの空港でレンタカーを借りた。ハーツゴールドクラブという高級会員の私に対して、2つの空港で新車を貸し与えられたわけだが、その新車のカーステはカセットがなく、MD/CDのデジタル仕様であったため、日本から持参したELTが聞けないという屈辱を味わってしまった。従って、今後ミュージックソフトを持参するときはアナログとデジタル両方を準備しなければならない。

FTBサマリー

総飛行機代   ¥260,180(そのうち¥90,000分はANA御利用券を使用)

総宿泊費    $342.28

総レンタカー代 $525.30

総ガソリン代  $129.80

総走行距離   2,437マイル

総スピード違反反則金 $0.00

今回訪問した州 イリノイ、ウィスコンシン、フロリダ、ジョージア、テネシー、ケンタッキー、オハイオ、ペンシルバニア、

                         ウエストバージニア、バージニア、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ(以上12州)

今後のFTBの予定は夏休み特別企画!MLBツアー完結編「4ヵ月後のイチローの成長の軌跡を追え!、新庄はまだ生き残っているか!?」をお送りするかも知れません。