FTBJ讃岐シュラシュシュッツアー

♪こんぴらふねふね おいてに帆かけて シュラシュシュシュ♪

ということで、晩飯時にキンピラを食っているとふとこんぴらに行かなければならないという衝動に駆られたため、シュラシュシュシュと飛行機を飛ばしてうどんの聖地に繰り出すことになってしまった。

5月18日(土)

午前8時10分発ANA531便に乗り込むと9時半過ぎには高松空港に到着した。そこから空港バスを捕まえて香川県最強の観光地である琴平を目指しているとバスはうどん街道を抜けて11時過ぎには現地に到着した。昼飯時にはまだ早かったのだが、うどん屋の看板に引き寄せられるように入店し、ついついかき揚げうどんを発注してしまった。うどんの聖地香川県は手打ちうどんやさぬきうどんで有名であるが、大阪在住のマサであればそれらを融合した手ぬきうどんしか食ったことがないのではないかとの心配をよそに一気にうどんをすすりあげた。

こんぴらさんへの参道を歩いているとうどん屋たちが昼飯時の壮絶な客引き合戦を展開している光景を目にした。しかしながら、小西真奈美のような小動物系ギャルの手招きならまだしもどの店も菅井きん系による客引きだったので参拝客もどん引きしているのではないかと懸念された。ちなみに真奈美はユースケ・サンタマリアと一緒に邦画UDON(http://www.udon.vc/movie/)のポスターに収まっているだけだった。 

こんぴらさんは1,368段の石段からなっており、参拝客は通常土産物屋で杖をレンタルして上っていくのだが、讃岐うどんと同等の腰の強さを持つ私には当然杖は必要なく、そのかわりに上りきった後に達成感を表現するためにロッキーよろしく「エィドリア~~ン」と絶叫しようと考えていたのだが、意外に苦にならなかったので苦痛の表情を浮かべている一般客を尻目にシュラシュシュシュとすかしておいた。

御本宮では、本日はお日柄も良いせいか、かしこみかしこみ系の婚姻の儀が厳かに執り行なわれていた。また、金比羅宮は海の守護神として親しまれているので絵馬殿には数多くの航海の安全を祈願する各種船舶の写真やソーラーパワーで太平洋を横断する暴挙を達成しやがった堀江謙一のヨットが奉納されていた。こんぴらさんを十分堪能した後、階段を下りながら土産物屋に目を向けているとこの雰囲気に似つかわしくないアニメのフィギュアを扱っているショップに遭遇した。その店では階段の昇降に精力を使い果たした参拝客を象徴するかのように真っ白な灰になったあしたのジョーが静かにうなだれていたのだった。

こんぴら温泉郷に位置するこんぴら温泉湯元八千代に宿を取っていたのでチェックインしたのち、7階屋上の展望露天風呂を鳩の鳴き声をバックミュージックに堪能しながら、下半身に溜まっているであろう疲れをほぐすことにした。夕食には当然のことながら讃岐うどん海鮮が供されたのでそのままずるずると過ごすことになった。

5月19日(日)

マサよ、君は弘法大師の誕生した地として知られる真言宗最初の根本道場で弘法大師が空海になったことを後悔してないか確認してみたいと思ったことはないか!?

というわけで、JR琴平駅の次の駅の善通寺駅で下車するとそのまま10分ほど歩いて善通寺に到着した。境内には神木として奉られている巨大な楠木が生えており、お遍路ルックに身をまとったにわかお遍路達が我が物顔で闊歩しており、あまりにも人数が多いため、空海が飯でも食うかいと誘っても賽銭の予算内では収まり切れないのではないかと懸念された。

再び琴平駅に戻り、そこから「ことでん」の名で親しまれている琴平電鉄に乗り、四国平野の何の変哲もない景色を見ながら高松方面に向かった。栗林公園駅で下車すると特別名勝として名高い栗林公園(¥400)に侵入し、江戸時代初期の回遊式大名庭園のすぐれた地割り、石組み、木石の雅趣を堪能させていただくことにした。ここの景色は日本三大庭園として君臨している後楽園、兼六園、偕楽園に勝るとも劣らない趣と四季折々の草木の美しさで彩られていることが確認された。

高松駅に近接するサンポート高松というフェリー乗り場の待合室で瀬戸大橋開通のためにその役割を終えることになった宇高連絡船に関する展示コーナーを見学しながら、科学技術の進歩により古い伝統が廃れていく世の無常を軽く感じた後、玉藻公園(¥200)という史跡高松城跡を見物することにした。ここでのアクティビティは日本の三大水城の特性を生かし、外堀、中堀、内堀に海水を引き込んでいるため、その中で半ば飼い殺し状態にされている鯛に餌をやることである。さすがに城跡というだけのことはあり、天守閣は跡形も残ってなく、石垣だけが無常に取り残されている様子を見て観光客は我慢せざるを得ないのだ。

総飛行機代 ¥1,100

総宿泊費 ¥13,150(2食付)

総空港バス代 ¥2,240

協力 ANA、JTBトラベル、琴平電鉄

FTB GWスペシャル ゴジラ v.s. Havana Express

マサよ、君は表彰盾とともに自分の栄光の名前が掘り込まれた高級ボールペンを航空会社から受け取ったことがあるか!?

ということで、ANAマイレージクラブダイヤモンド会員を5年間防衛している私にその栄誉を讃えるため、記念の盾と贈答品が送られてきやがった。これもひとえに私の努力の賜物であるので遠慮せずに納めさせていただくことにするとともにGWの喧騒を引き裂くようにニューヨークに旅立つことにした。

2007年4月28日(土)

ANAのファーストラウンジにてヤンキースの強力打線に立ちふさがる松坂の勇姿を見物しながら時間をつぶし、午前11時発のANA10便に乗り込むと11時間程度のフライト時間で同日午前9時過ぎにニューヨークに到着した。早速エアートレインと地下鉄を乗り継いでマンハッタンに侵入し、その勢いで2年ぶりのヤンキーススタジアムに乗り込んだ。

MLB最大の伝統の一戦ヤンキースV.S.レッドソックスは午後3時55分にプレーボールとなった。ヤンキースの先発投手のカーステンスが投じた1球目を振り抜いた先頭打者フリオ・ルーゴの打球は弾丸ライナーで投手の膝下を直撃し、カーステンスはスッテンテンになったかのように転倒してしまった。何とか立ち上がって2番打者に立ち向かったもののヒットを打たれそのまま降板し、先発からリリーフに格下げになっていた井川が急遽マウンドに向かうこととなった。マサに胃が悪くなるほどの状況でマウンドに上がった井川であったが、次打者のレッドソックス最強打者であるデイビッド・オルティスを併殺に打ち取り、次のマニー・ラミレス四球後、J.D.ドリューも三振に斬って取り、見事にピンチを切り抜けるとそのまま6回0/3を無失点に押さえ、降板時には念願のスタンディングオベーション浴びることとなったのであった。

一方、ゴジラ松井であるが、2回に回ってきた第一打席で見事中前安打を放ち、電光掲示板に「HIT-DEKI」の文字を躍らせていた。試合の方は4回に四球で出塁した松井を1塁に置いて打席に立ったホルへ・ポサダがライトアッパーデッキに特大ホームランを打ち込み、打球を取ろうとしたファンのビールがアッパーデッキからロウアーデッキにしぶきとなって流れ落ちる状況の中で2点を先行したヤンキースが終始試合をリードし、3対1で逃げ切って連敗を7で止め、井川が見事に今季2勝目を手にしたのであった。

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4月29日(日)

マディソンスクエアガーデンの近くに位置するエレベーターの反応が遅いHampton Innをチェックアウトすると再びヤンキースタジアムの喧騒に身を委ねることにした。怪我から復帰したエース王建民を先発に立てたヤンキースであったが、初回いきなりレッドソックスの主砲ディビッド・オルティスに先制の2ランホームランを打ち込まれ、ヤンキースのミンケイビッチのつかの間の逆転3ランの後にレッドソックスの伏兵アレックス・コーラのスカッとさわやかな逆転ホームランでマサにシーソーゲームの様相を呈していた。

多くの日本人に見守られたこの試合の最大の見せ場は6回の裏のヤンキースのチャンスにリリーフに立ったレッドソックスの岡島v.s.松井という巨人の紅白戦を彷彿とさせるような対戦であった。すでに左打者二人を三振に切って取り、2アウト1,2塁という場面で松井と相対した岡島は速球と変化球を駆使し、見事松井を投ゴロに打ち取ったのであった。続く7回の裏も三者凡退でヤンキースの攻撃を退けた岡島の勢いを買ってレッドソックスはこの試合を7対4で物にし、アリーグ東地区首位の座を不動のものとしたのであった。

4月30日(月)

Newark Liberty空港からAirCanadaの便でトロントに飛び、そこからキューバまで足を伸ばすことになっていたのだが、これはあくまでも急場しのぎの予定ではない。なぜなら、キューバに入国するためにはキューバ大使館で事前にツーリストカードを入手しておく必要があったからだ。

ANAのマイレージが余っていたのでマサであればCA$1,100.-くらいかかるところを私は税金のみの支払いで搭乗することが出来るAC964便に乗り込むと午後1時過ぎにはキューバの首都ハバナに到着した。ここハバナは私の最も敬愛するサングラス俳優である寺尾聡が歌唱するHAVANA EXPRESS(http://www.youtube.com/watch?v=cPli_1AaLSs)を耳にして以来必ず来なければならないと思っていたのだった。

ハバナ空港にてUS$を現地通貨であるキューバペソに両替し、客待ちしているOKタクシー(CUC25.-)に乗り込むと30分程度で首都ハバナの旧市街であるラ・アバーナ・ピエハ地区に位置するあらかじめ予約しておいたホテルイングラテーラに到着した。このホテルは1896年に建てられた由緒あるスパニッシュコロニアル様式を誇っているが、客室は建築年数相当のしなびかたをしていた。とりあえず3時間程度ホテルでダウンさせていただいて、夕暮れ時にユネスコの世界遺産にも指定されているラ・アバーナ・ピエハ地区こと旧市街の散策に繰り出すことにした。

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旧市街には19世紀後半のキューバ黄金時代に財力をつぎこんで建てられた見事な建造物が多く残され、町中が見所になっており、コロニアルな街並みのなかを1950年~60年代の米式クラシックカーが我が物顔で疾走している。社会主義国であるキューバは一般的に治安のよい国として知られているのであるが、私にとっては150kmの速球を投げる人材がごろごろしているので決して侮れない国だと思われた。その証拠に町中のあらゆる広場や道路上で子供が草野球に興じており、ここでは王・長嶋全盛時代の古き良き日本の原風景を垣間見ることが出来るのだ。早速私も松坂直伝のジャイロボールを伝授してやろうとストレッチを始めたのだったが、肘が痛いのでやめておくことにした。

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ハバナ港へ通じる運河を守るために造られたプンタ要塞近辺におびただしい数の観光客と夕涼み系の原住民がたむろしているので私もその仲間に加わることにした。プンタ要塞からは対岸のモロ要塞がモロ見えになっており、港から流出する油により汚染された海では原住民が釣り糸だけを垂らすという一糸釣り状態で小魚を釣り上げていくうちに日も暮れていったのだった。

5月1日(火)

私の宿泊地であるホテルイングラテーラの隣はガルシア・ロルカ劇場という1838年に建立されたキューバ・クラシックバレエの本部であり、その隣はカピトリオという旧国会議事堂で1929年に建築されたアメリカのホワイトハウスがモデルになっている旧市街のランドマークである。今日はメーデーのために中に入れなったため、近隣の華人街の門を見上げたりしながら、旧市街を散策することにした。

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昔ながらの面影を残すオビスポ通りには昔ながらのレストランやかつてアーネスト・へミングウエイの常宿となっていたピンク色がまぶしいホテル・アンボス・ムンドスが君臨している。「老人と海」の著作で有名なへミングウエイはこのホテルの511号室に引きこもって執筆活動を行っていたそうだが、確かにこの雰囲気は私にとって財務省に巣食う怪老人とそれに取り入ろうとするマサとの友情を描いた「老人とマサ」を執筆するためのノウハウを身に着けるにはもってこいの土地柄だと思われた。

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キューバの特産物としてハバナ・シガーという葉巻とともにハバナ・クラブというラム酒が有名であるのだが、その製造工程を学習出来るハバナ・クラブ博物館(CUC5.-)に酔ってもない勢いで立ち寄って見ることにした。とりあえず気つけのためのラム酒カクテルを飲んだ後、英語のツアーに参加し、サトウキビから作られるラム酒の製造過程を見学させていただいた。このファシリティには1930年のラム工場を再現したミニチュアがあり、沖縄からも輸入したというサトウキビを運ぶ蒸気機関車も走っているのだ。ツアーの最後はお決まりのバーでのラムのテイスティングとなっており、酔った勢いで物品を買わせるためのショップも待ち構えているのだ。

マサよ、君はキューバに最初に上陸した日本人の像が仙台育英学園の寄贈により、ハバナにおっ建てられている事実を知っているか!?

ということで、独眼竜政(マサ!)宗の命により1613年に欧州へのパシリ出張に駆り出された支倉常長はメキシコよりキューバに立ち寄ったという縁で今では銅像になるほどの有名人になっているのだが、そのいでたちは羽織、袴に扇子を持っているというおよそキューバ人のセンスとはかけ離れたものだと思われた。それにひきかえ、1704年に建立されたキューバ風バロックスタイルのカテドラルはその風貌、趣により、最大の信仰を集めるにふさわしい重厚な雰囲気で観光客を圧倒していたのだった。

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運河を挟んで旧市街の対岸に二つの重要な要塞が君臨しているのでタクシーで海底トンネルをくぐって見物に行くことにした。ハバナ旧市街を見下ろすようにたっているモロ要塞はそのモロさによりかつてはイギリスに襲撃され、占領されてしまったのだが、フロリダとの引き換えにより再びスペイン領となった後、牢獄等その他モロモロの役割を経て今では灯台の役目まで果たしている。

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モロ要塞と並ぶように建てられている規模の大きなカバーニャ要塞(CUC6.-)に侵入を果たした。ここでの見所のひとつとしてキューバのカストロ議長と並び称される革命の英雄であるチェ・ゲバラの博物館があるのだが、メーデーのため休館となっており、「チェ!」という捨て台詞を吐いて撤退するしかなかったのである。カバーニャ要塞の人気は、毎晩21:00から150年間続けられている大砲の儀式である。日もとっぷり暮れた20時45分ごろからスペイン時代の制服を着た軍人たちが太鼓をたたきながら出現し、一連の能書き的な儀式の後で大砲に発火しやがった!一瞬鼓膜に突き刺さるような重低振動音をを発した大砲は暗闇を引き裂くような光を放ちながら空中に消え、意識を取り戻した観光客の喝采を浴びていたのであった。

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5月2日(水)

キューバ最大のビーチリゾートであるバラデロに移動するために新市街のバスターミナルに徒歩で移動し、スペイン語が分からない輩にはなってないと感じさせる運営により、乗るべきバスを探すのに苦労したのだが、何とか12時発のバラデロ行きのバスに乗り込み、途中休憩を挟み3時間くらいでハバナから140km離れた目的地に到着した。バラデロのバスターミナルにてホテルへの道筋を検討していたところ、原住民が白タクを買って出たので相場よりも高いはずのCUC10を支払って予約しているスーバー・クラブス・プンタレーナにたどり着いた。

マサよ、君はオールインクルーシブというリゾートにおける制度を熟知しているか!?

オールインクルーシブとは宿泊料金に食事、バー、マリンアクティビティ等すべての料金が含まれている体系のことで、チェックインの際にリストバンドを巻かれてホテルの宿泊客であるという認識のもとでサービスが提供されるシステムなのだ。早速マリンブルーが眩しいカリブ海のビーチに繰り出すことにした。通常の砂場色の砂が永遠に広がるビーチは結構波が高いものの遊泳には持って来いであったが海中には魚の姿を目にすることは出来なかった。その後プールサイドを散策してビールを飲みながらラテン系の貢物がもらえる催し物を見物した。尚、当然のことであるが、キューバくんだりまで来てスキューバダイビングを手がける輩のためにダイビングセンターも併設されているのである。

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5月3日(木)

バラデロからバスでハバナの旧市街に戻るとかつて大統領官邸として使われていた革命博物館(CUC5.-)に立ち寄ることにした。スペイン・コロニアル様式の博物館内には革命に関する資料や武器がところ狭しと展示されているのだが、最も人気のあるコーナーはベレー帽のカリスマ、チェ・ゲバラに関連する展示である。美人女優のチェ・ジウに匹敵する程の美男子であるチェ・ゲバラの生涯はゼンソク持ちにもかかわらず全速力で革命に明け暮れ、アルゼンチン人にもかかわらずカストロに次ぐキューバ革命政権の重鎮となり、キューバでは圧倒的な人気を誇っているのである。

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急場しのぎのツアーにもかかわらず社会主義とラテンイズムを堪能することに成功したキューバを後にすると夕刻には肌寒いトロントにいた。HiltonHhonorsのポイントが余っていたのでマサであればCA$200くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来るヒルトントロントにチェックインすると窓越しに世界一の高さを誇るCNタワーを眺めながらとろんとした夜を過ごすこととなった。

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5月4日(金)

トロントからニューアーク空港に飛び、鉄道にてマンハッタンに帰ってきた。グランドゼロの状況が気になっていたので見に行くとワールドトレードセンターの跡地は相変わらず工事車両が行き来しながら新しいビルの基礎固めが入念に行われていた。

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ロウアーマンハッタンからブロードウエイを歩いていると溝を切った平べったい円筒形の物体に糸を巻きつけて中指からスナップを効かせて下に向かって投げたり、上に上がってくるような感覚を覚えたんで・す・YO♪ そしたら~、あ、そ~♪ ヒップホップ系の若者黒人たちが「ヨー、YO !」と言いながら闊歩していたぞ~!とりあえず、ぶつかりそうになったので「あ~い、とぅいまてぇ~~ん!!」http://www.youtube.com/watch?v=FEWI8WkqlQ8と言っておいた。

今回のツアーにてニューヨーク最後の夜を飾るにふさわしい一戦がヤンキースタジアムで繰り広げられるので地下鉄を転がして三たびヤンキースタジアムに出撃することにした。球場ではすでに試合前の打撃練習が行われていたのだが、外野守備に付いているシアトル・マリナーズのイチローは相変わらず背面キャッチ等のアクロバティックな動きを披露してヤンキースファンの喝采を浴びていた。また、球場の大スクリーンではヤンキースの栄光を語るビデオが毎試合繰り返されているのだが、ゴジラ松井も歯の浮くような台詞で栄光の賞賛に一役買っているのだ。

前回の好投により先発ローテーションの座を取り戻した井川の前に最初に立ちふさがったイチローであったが、簡単にレフトフライに斬って取られた。初回を0点に抑えた井川の勢いをかって1回の裏のヤンキースは一挙大量5点をもぎ取った。しかし、今日の井川は変化球のコントロールがなく、2回には城島との初対決で松井の頭上を超える本塁打を喫し、3回には一塁ゴロを放ったイチローとのベースカバー競争に負け、内野安打とした後、次打者ベルトレーに本塁打を打たれた。

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マサよ、君はゴジラのホームランにより、ヤンキースタジアムにゴジラの雄叫びがこだました瞬間を体験したことがあるか!?

ということで、5対3と追い上げられた3回の裏の先頭打者として登場したゴジラは右中間スタンドにライナーで叩き込み、1,999本目の日米通産安打は見事な井川への援護射撃となったのであった。しかし、今日の井川はそれでも調子が上がらず、4回の表にもタイムリー2塁打と本塁打でとうとう同点に追いつかれてしまった。4回の裏に再びリードしてもらった井川であったが、5回の表に2本のシングルヒットを浴びた後、胃が悪くなったヤンキースファンの雰囲気を感じ取ったトーレ監督は井川を諦め、ビーンにスイッチした。このミスター・ビーンもコメディのようにストライクが入らず、四球を連発するわ、城島にはタイムリーを打たれるわの火に油を注いだ状態でヤンキースファンの最大限のブーイングを浴びて早々とマウンドを後にした。結局15対11の乱戦を制したのはマリナーズでイチローと城島の健在振りを印象付けられた一戦であった。

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5月5日(土)

42nd Streetに位置するポートオーソリティバスターミナルから空港バス($15)に乗り、JFK国際空港からANA9便に搭乗すると待ち構えていたのはANAのパンフレットに登場しそうなほどの美人スチュワーデスであった。おかげで窓側に閉じ込められていた窮屈感も何とか我慢することが出来たのではないかと思われた。

5月6日(日)

機内でロッキー・ザ・ファイナルをはじめとする映画6本を鑑賞し、午後3時半頃に成田に到着、そのまんま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代  ANA ¥189,010, Air Canada CA$375.26 + ¥12,520(税金のみ)

総宿泊費  $563.19, EU143.-

総ニューヨーク地下鉄代  $20.-

総ニューヨークバス、鉄道代  $42.-

総キューバタクシー代 CUC63.-

総キューババス代 CUC20.-

総トロント空港バス代 CA$33.90

総ハバナ空港出国料 CUC25

総キューバツーリストカード取得料 ¥2,100

協力 ANA, Air Canada, HiltonHHonors, Starwoods、キューバ大使館

FTBJおいでませ山口・関門ツアー

マサよ、君は山口県の僻地島に沖縄のちゅら海に匹敵するコバルトブルービーチが実在する事実を知っているか!?

ということで、これまで数々の美しい海を目の当たりにしてきたFTBであるが、それらに負けず劣らずの美しさを誇るビーチが本州の端くれに存在しているとはマサに驚ろ木、桃の木、山椒の木であり、しかも安倍晋三の選挙区に程近いという驚愕のおまけ付きなのである。

3月17日(土)

早朝6時50分発ANA691便のスーパーシートでふて寝を決め込んでいると1時間半程で山口宇部空港に到着した。ニッポンレンタカーでホンダのフィットをレンタルしたもののアクセルとブレーキの感覚が私の右足にフィットしない違和感を感じながらも約1時間半のドライブで下関市豊北町に差し掛かった。

マサよ、君は「四日間の奇蹟」http://4kiseki.biglobe.ne.jp/という邦画を見てこの島の存在自体がマサに奇跡であると思い知ったことがあるか!?

というわけで、映画の冒頭で初めて角島を訪れるバツイチ吉岡秀隆が、「すごいなぁ」とうなる絶景を提供する全長1,780mの角島大橋を渡り、思わず左右に広がるエメラルドグリーンの海に見入ってしまった。島の最西端に高さ29.6mを誇る美しい御影石造りの円形灯台である角島灯台が異様なまでの存在感を示していたので灯台もと暗しの海産物売店で干しイカの丸焼き等を食いながら日本海から吹きすさぶ寒風に打ち震えていた。

つのしま自然館(入館協力金¥200)にて角島の地形や歴史を学習した後、映画のためにおっ建てられた礼拝堂の外面を模した海水浴場のトイレを見物させていただいた。さすがにメインのロケ地だけあり、その眼前に広がる海は石田ゆり子を髣髴とさせるほどの神秘的な美しさを誇っていた。また、しおかぜコバルトブルービーチなる場所では寒空の下、数多くのサーファーが波乗りに興じていたのだった。

角島から海岸沿いを東に向かい、50分程走ると千畳敷なる標高333mの高台に広がる草原で眼下に広がる日本海の絶景にしばし打ち震えた後、本日の宿泊地となる俵山温泉を目指すべく、内陸部に向かった。懐かしい昭和の温泉風情を今なお色濃く残す俵山温泉の亀屋旅館にチェックインを果たすと何とこの温泉街には40軒ほどの旅館があるのだが、この中で内湯があるのはわずか3、4軒ほどしかないという驚愕の事実に直面した。しかしながら、3軒ある公共浴場のうち、町の湯(¥360)と白猿の湯(¥500)を堪能させていただくとマサにここは4300湯から選び抜かれた新・日本百名湯の名に恥じない効能を私の肉体にもたらせてくれたと思われたのだった。尚、下関周辺は安倍晋三の城下町ということもあり、そこかしこの土産物屋で誰が買うのか?安倍晋三饅頭なるものが高値で売られており、売上のほとんどは政治資金に供されているのではないかと勘ぐりたくもなるのであった。

3月18日(日)

下関市のはずれに功山寺という国宝寺院がある。たまたま訪れたこの寺院の山門にて下関観光協会が主催する「Musical 維新 奇兵隊」という催し物が取り行われていたので暇つぶしに見物することにした。15分程のショートミュージカルは長州力、小力が登場し、リキラリアートとパラパラのパフォーマンスを繰り広げる代わりに貧乏劇団風情の男女5人が刀を振り回しながらダンスを繰り広げ、高杉晋作の魂を見物人に注入するかのようにステップを踏んでいくのであった。

平家滅亡の地である壇ノ浦に案徳天皇を奉った赤間神宮が赤く染まっているので耳なし芳一への挨拶も兼ねて参拝し、その隣のホテルに併設されている日清講和記念館で千円札の肖像からはずされた伊藤博文の無念を噛み締めた跡、関門トンネルをくぐって九州に吸収されるように渡って行った。

日本の吊り橋の先駆け的存在である関門橋を見下ろすビューポイントとしてめかり公園が君臨している。1973年に開通した関門橋はその名のとおり、本州の下関と九州の門司をつなぐ希望の掛け橋であり、眼下の関門海峡ではおびただしい数の各国国籍の大小船舶とふぐが行き来しているのである。

マサよ、君は大正ロマンを感じさせる門司港レトロでタイムスリップしたことがあるか!?

ということで、かつては横浜、神戸とともに三大港町として栄えていた門司であるが、北九州工業地帯の斜陽化とともにその活気は失われ、一時は単なる九州の玄関口としての価値しか残されてなかったのであるが、近年の観光ブームによりそのレトロチックな魅力が見直され、門司港レトロとして北九州の一大観光地帯として甦っているのである。

最後になりましたが、マサよ、君は私の母校がPL学園であるという与太話をいまだに信じているか・・・

じゃ~

FTBサマリー

総飛行機代 ¥4,100

総宿泊費 ¥8,400(2食付)

総レンタカー代 ¥9,600

総ガソリン代 ¥2,400

協力 ANA、ニッポンレンタカー、四日間の奇蹟製作委員会

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 小浜島(ちゅらさん)

先日はふとした気まぐれによりインド洋に浮かぶリゾート群島地帯であるモルディブを訪れることに成功した。ならば、今度は日本における離島リゾートの現状がどうなっているかを確認するために八重山諸島まで足を運び比較評価の対象となるであろう小浜島に上陸し、ちゅらさんと戯れながらうつらうちゅらとゆっくりした時の流れを堪能することとなったのだ。

2月24日(土)

早朝6時30分発のANA993便にて午前9時過ぎに那覇空港に到着し、そのまま9時50分発石垣島行きANA1763便にて石垣島に到着したのは午前11時頃であった。空港バスにて港方面に移動したのだが、昨今の離島ブームにより離島行きのフェリーターミナルは完全にリニューアルされ、飛行機の発着のようにシステマチックな運行体制が施されていた。

早速最大手の八重山観光フェリーにて小浜島行きの往復チケット(¥1,960)を購入すると12時20分発の「ちゅらさん号」にてわずか20分の航海で八重山諸島の丁度中央に位置する小浜島に到着した。港にて迎えに来ていた南西楽園のバスに乗り込むと本日の宿泊地兼至福のリゾートである小浜島リゾートヴィラ ハピラパナに到着したサ~。チェックインをそそくさと済ますと青い海を見渡すヴィラのベッドでしばし意識を失った後、付近の散策を行うことにしたサ~。

このリゾートにはゴルフ場が展開されており、三流ゴルファーのOBボールに注意し、さらに「ハブに注意」という看板を見て打ち震えながらビーチの方に向かったサ~。遠く石垣島や竹富島を眺めながら、ちゅら海が果てしなく続くビーチを歩いていると小浜島のもうひとつのリゾートである「はいむるぶし」に紛れ込んでしまったサ~。ここには数々のマリンスポーツやゴルフ場、テニス場、はたまた家畜系の動物触れあいランドが展開されており、池のそばには水牛の太郎が観光客ににらみをきかせていたサ~。さらにアフラック系のアヒルもその辺をうろついており、リゾートでお金を使い過ぎる傾向にある輩のために♪よ~く かんがえよ~、おかねはだいじだよ~♪という気持ちを思い起こさせてくれる配慮がなされているかのようだったサ~。

2月25日(日)

マサよ、君は小浜島がNHKの植民地に成り下がっている事実を知っているサ~!?

ということで、ヴィラ ハピラパナをチェックアウトし、隣接するラグーンスイートヴィラ アラマンダのモルディブのリゾートを模した水辺のヴィラ群を軽く一望した後、南西楽園のバスで港に戻ってきたサ~。丁度コハマ交通の遂行する小浜島見所ツアーのバスが出発するところだったので、何とかそのツアーに潜入し、お手軽な小浜島ツアーに繰り出すことと相成った。

このツアーは、あたかもNHKとタイアップされているかのようにちゅらさん(http://www.youtube.com/watch?v=YptGZWwqb88)のロケ地が随所に名所として組み込まれているサ~。特に「こはぐら荘」という模擬民宿ではNHKがロケに来るたびに建て付けが改修され、ここの住人はNHKが来るのを心待ちにしているとガイド兼バスの運転手のおっさんが言ってやがったサ~。それでもNHKの受信料を支払っているかどうかは定かではなく、マサであれば、集金人に踏み込まれ、自宅のTV画面に映し出される甲子園の高校野球の映像を目の前にしてもNHKは見てないと言い張る暴挙に出るであろうサ~。

小浜島と西表島はわずか2kmしか離れてなく、その間のちゅら海はヨナラ水道と言われているサ~。よならと言っても肛門から排出される臭いガスのことではなく、マンタの集団がマッタなしで泳ぎ去るダイバー憧れのスポットになっているサ~。しかも、その近くの細崎漁港にはチャチなマンタのオブジェが翼を広げているかのように観光客を見下しているサ~。

ツアーの最後に大岳展望台という小浜島と周辺の島々が360度見渡せる絶景ポイントに案内されたサ~。300段以上の階段を上り周囲を見渡すと石垣島、竹富島、黒島等、周囲の島々が一望でき、マサに小浜島が八重山諸島の中心に位置することを実感することが出来たのだサ~。しかもデジカメの電池が切れて貴重な画像をお届けすることが出来なくなっていたのでそそくさと小浜島を退散することになってしまったサ~。

FTBサマリー

総飛行機代 \4,000

総宿泊費 ¥17,000(朝食付き)

総フェリー代 ¥1,960

総バス代 ¥400

総小浜島ツアー代 ¥1,500

協力 ANA、南西楽園(http://www.nanseirakuen.com/)、八重山観光フェリー、コハマ交通

FTB炎の離島デスマッチ 第?弾 in モルディブ

マサよ、君は地球温暖化現象の影響で今にも海に沈みそうな国家に上陸し、そのはかなくも美しい海洋資源に酔いしれたことがあるか!?

ということで、1998年から数度にわたるエルニーニョ現象や2004年12月の津波の被害を受けて最高海抜わずか3mの群島国家であるモルディブが危機に瀕しているという話を何度も聞かされていた。折りしも昨年日本沈没という映画が大ヒットをしそこねているわけであるが、日本列島より脆弱なモルディブが海に沈む前に何とか上陸を果たし、美しい海を目の当たりにして環境問題についての認識を新たにするために今回は多額の資金を投入することとなったのだった。

2月10日(土)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば6~7万くらいかかるところを私は税金と燃料Sur chargeの支払いだけで搭乗出来る午前10時50分発、JAL719便シンガポール行きに乗り込むと7時間40分のフライトでお馴染みのシンガポールチャンギ空港に午後5時半頃到着した。

到着後、シンガポール航空のラウンジでくつろいでいるとここの無線LANが有料であるという驚愕の事実に直面してしまったため、ThinkPad X40に内蔵されているIntel Centrino Mobileにただ乗り出来る無線LANを探させたところとなりのラウンジであると思われるマレーシア航空の電波を拾っていただいたので首尾よく無料でインターネットに接続し、昨晩までのビジネスマン仕様の名残である残務をこなすことに成功したのだった。

午後8時35分発SQ452便、B777-200機マーレ行きに搭乗すると3時間(日本からは4時間)の時差を超えて午後10時過ぎに念願のモルディブに到着した。イミグレーションをそそくさと抜け、建物から出ると目の前におびただしい数のリゾートのカウンターが軒を連ねていたので、今回宿泊する予定のKurumbaHotel等を要するUniversal Resortの担当者に名前を告げるとSQ452便で来やがった他の10人のリゾート野郎を待たなければならないのでその辺のカフェで待っててくれと言われた。

午後11時くらいに何とか全員集合となり、迎えのスピードボートに乗り込むとほんの10分程度のクルーズでモルディブ最古のリゾートとして名高いKurumba Maldives(http://www.kurumba.com/accommodations.html)に到着した。早速ウエルカム系のトロピカルドリンクを飲みながら、チェックインの手続きが施され、電動カートで部屋まで案内していただき、花で飾られたベッドとアウトドア吹き抜けのバスルームを目の当たりにしていやがおうでもリゾート気分が盛り上がってきたのだった。

2月11日(日)

早朝、窓から差し込むさわやかな光で目をさまし、50平米以上の広さを誇るスーぺりアルームから外に出てみるとそこに広がっている光景は色とりどりの花々とヤシの木を駆け上がる爬虫類、白い砂浜、どこまでも透き通る青い海といったマサに南国の楽園であったのだ!

早速ビーチに沿って狭い島を一周してみると30分もかからずに出発地点に戻ってきてしまった。また、ビーチに据え付けられているリクライニング式デッキチェアには各部屋の番号が示されており、容易に他のリゾート野郎の縄張りへの侵入が許されないのではないかと感じられもした。島の内陸部にはリゾートには欠かせないテニスコートやリゾートくんだりまで来てなおも運動を怠ることが出来ない自己管理者のためのマシンジムやリゾートの代名詞となっているスパが軒を連ねていた。

レストランでビュッフェ形式の朝食を食った後、念願であったモルディブの青い海に繰り出すことにした。専用のデッキチェアに手回り品を置いた後、白砂を踏みしめて透明の海に足を踏み入れたのだが、数歩進むと足の裏に鋭利な刺激を覚えてしまった。何と白砂に隠れたサンゴの死骸がそこかしこにシャープエッジを出しており、二足歩行を続けるのが困難になったので仰向け四つん這い状態で進まざるを得ない状態になってしまった。尚、島の周りには自然石を積み上げた堤防が形成されており、遊泳エリアは波もおだやかで深さも腰くらいまでしかなく、その分直射日光にさらされてしまうため、木陰に据え付けられているマイルームデッキチェアに戻ると寝転がって本を読むという欧米風のリゾート体制を長時間満喫することとなった。

午後3時くらいに再び青い海の誘惑に駆られて浅瀬をシュノーケリングすることにした。尚、FTB式のシュノーケリングはSPEEDの競泳用ゴーグルのみでヒレも呼吸用管もない単に肺にたまった空気に依存するシンプルなものであるが、それでも枝サンゴの密集地帯ではそこを住みかにしている熱帯魚たちと十分戯れることに成功した。海から上がるとビーチが夕焼けに染まっており、楽園地帯は幻想的な雰囲気につつまれていた。

2月12日(月)

♪あ~~わたしの恋は~みぃなみぃのぉ~風にのって はしぃるわ~~♪

というわけで、ここKurumbaは「青い珊瑚礁」系のキャピキャピカップルは少なくヨーロピアン系のしっとりしたリゾーターが多いため、島内が大人の雰囲気に包まれている。チェックアウトの12時迄の時間を使ってマイビーチで海面を浮遊しながら魚の生態の観察にうつつを抜かしていた。尚、浅瀬のハウスビーチといえどもサンゴは豊富でそこに居住しているシーフード候補は非常に多いわけで、時間の経つのも忘れて体の表面を赤く染めてしまったのだ。

正午前にチェックアウトし、フライトに合わせてチャーターされるフェリーの時間が午後8時45分なので向こう8時間ばかりの時間潰しをしなければならない。ホテルのReception周辺にはスーツ姿が似つかわしくない色黒の原住民系の男女が列をなしていた。彼らはリゾートにくつろぎにくるスリランカの大統領夫妻の取巻きであると思われた。

とりあえずチェックアウト直前まで自分の所有物であったビーチの木陰のRoom#235のデッキチェアに寝そべって読書をしたり、海に張り出したレストランであるオーシャングリルで遅いランチをエンジョイし、さらにプールサイドで読書をしながら優雅な時を過ごしていた。午後8時45分になり、送迎の高速ボートに乗り込むと10分で空港のあるフルレ島に到着し、モルディブの首都マーレからま~れ右をしてモルディブを後にした。

2月13日(火)

昨夜23時15分発のSQ415便に乗り、午前7時前にはシンガポールに到着していた。さらに8時15分発JL712便に搭乗し、午後4時に成田着、その後モルディブの海面を浮遊するように流れ解散となる。

モルディブ情報

*モルディブ共和国は1190の島からなる群島国家でそのうちの300はリゾート島である。基本的に一島一リゾート主義が貫かれており、狭い島内でリゾートが競合していることはないのである。

*一島一リゾートのため、一旦ひとつのリゾートに入ってしまうと他のリゾートへ移ることは出来ず、そこでの生活を満喫せざるを得なくなるのである。

*モルディブは海洋資源以外はすべて輸入に頼っているため一般的に物価が高く、リゾートホテルのレートも高めに設定されている。また、ガソリン代も高いため、ホテルの送迎ボート代も高めになっているのである。

*モルディブはその地理的ロケーションからヨーロッパのリゾート野郎が多く、いくつかのリゾートではヨーロッパ客の独占体制が敷かれているところもあるという。

FTBサマリー

総飛行機代  JAL \22,090(税金のみ)、シンガポール航空 S$1,127.00

総宿泊費 $748(朝食付き)

総送迎高速フェリー代 $50

協力 JAL、シンガポール航空、JTBトラベル、UNIVERSAL RESORTS(http://www.universalresorts.com/)

FTBJ炎の離島デスマッチ 第?弾 in 種子島

マサよ、君は日本国内で宇宙に一番近い島に上陸し、発射系の遺跡やファシリティで快感に耽ったことがあるか!?

ということで、紀元前FTBに一度訪れた実績のある種子島に今回満を持して再上陸を果たした目的は他でもない。地球上をすべて制覇したしまった後のFTBツアーのターゲットとしてすでに宇宙への旅の検討をしなければならない時期に差し掛かってきているからである。

1月27日(土)

午前6時50分発ANA630便にて鹿児島まで移動し、さらに10時20分発JAC3765便に搭乗し、約30分のフライトで新種子島空港に到着したのは午前11時くらいであった。空港のバス停に丁度本日の宿泊先であるいわさきホテル行きのバスが佇んでいたのでそれに乗り込み1時間ほどかけて島の南東部に位置するコスモリゾート種子島いわさきホテルにしけこんだ。

種子島唯一にして最大のリゾートであるこのホテルの目の前にはサーファーを魅了する波の高いビーチが広がっており、岩陰にひっそりと荷物を隠している裏サーファーが一人、シーズンオフの波に揉まれながら精神修養をしている様子が見て取れた。ということで、今日はひがな一日マリンブルーと荒波に削られた岩の景観を見ながら島でのスローライフを十分に堪能させていただいたのだ。

1月28日(日)

ホテルからバスで空港に戻り、近くのトヨタレンタカーでヴィッツを仕入れると再び南種子方面に車を転がした。種子島観光のハイライトは当然のことながら種子島宇宙センターであり、ここに来なければ種子島に来たことにはならないので小雨そぼ降る中、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の看板もまぶしいセンターの敷地内に侵入することにした。

宇宙科学技術館(無料)で各種ロケットのパーツを見学したり、宇宙に関する知識を吸収した後、一日3便催行されている施設案内ツアー(無料)の2便 13:30発に参加させていただくことと相成った。定員50名のツアーは観光バスに乗り込み、日本人初の女性宇宙飛行士である向井と同じ名を名乗るうら若い美女ともう一人の女性ツアーガイドの案内でスタートを切った。ツアーの最初の目的地として通常であれば大型ロケット発射場でエクスタシーを感じることになるのであるが、今回は発射準備のため、接近できないということでロケットの丘展望台から発射場を遠めに眺めるだけにとどまってしまった。

大崎第一事務所の巨大な倉庫にH-IIロケット7号機の実機が眠っているので見物させていただいた。尚、この7号機は先にローンチした8号機が不具合のため、発射に失敗したためにお蔵入りとなり、不具合解析の目的と同時にツアー客のさらし者にするためにここに置かれているとのことであった。ちなみにロケットは三菱重工の愛知工場で製造され、船で種子島に着岸し、大型トレーラーによる深夜の時速3kmのドライブにより、組立工場に輸送されやがるという事実が確認された。

ツアーの最後の目的地は総合指令棟というNASAのヒューストンスペースセンター内ミッションルームと比較して各段に見劣りする指令室であった。ここではロケット打ち上げに関する情報がすべて集約され、打ち上げが成功すると軽く三本締め等の儀式が執り行われた後、ロケットの追尾をして切り離されたパーツがよからぬ場所に落下して人類に影響を及ぼさないように管理をしたりするのであろう。

ということで、ロケット打ち上げに関するノウハウを会得したFTBは、マサの埼玉県立浦和高校の先輩である若田光一宇宙飛行士をヘッドハントして宇宙に乗り出す日も近いことが確信された。ところでマサよ、当然若田氏からは「若っ田!」という快諾とともにメーテル級の添乗員の取り揃えは完了しているのだろうな!?

ところで、宇宙とは趣を異にする発射系の旧跡として鉄砲伝来紀功碑が島最南部の門倉岬におっ建てられているので見物に行って来た。1543年にたまたま流れ着いたポルトガル人にイ(1)ゴ(5)ヨ(4)サン(3)で作りますと啖呵を切って鉄砲製作の技術を入手した当時の様子を想像しながら、近くにいた黒猫の案内で碑や展望台からの景色を堪能させていただいた。

島の東岸、宇宙センターから数キロ北上した浜田海岸に千座の岩屋という干潮時に姿を現す海蝕洞窟が中に千人座れる広さを提供していたので洞窟探訪に繰り出した。洞窟内部は広さもさることながら、複雑な構造になっており、種子島の荒波に削られた景観が独特の宇宙観を醸し出しているように感じられたのであった!!

総飛行機代 ANA \1,200、JAC \16,400

総宿泊費 ¥19,500(2食付き)

総バス代 ¥2,540

総レンタカー代 ¥6,300

総ガソリン代 ¥697

協力 ANA、日本エアーコミューター、トヨタレンタカー、いわさきホテルグループ

新春スペシャル FTB野生の王国 in 南アフリカ

ハッピー ニュー マサよ!!

ということで、チーターから逃げ切れるだけの脚力をキープするために日々のトレーニングを怠ることが出来ない今日この頃であるが、実はチーターは一日一歩、三日で三歩しか進まず、しかも三歩進んで二歩下がるという行動体系が確認されていた。何はともあれ、もはや紅白歌合戦でも見ることが出来なくなったチーターはともかく、本物の野生とはどういうものかを認識するために年明けより地球の裏側まで飛行機を飛ばすことにしたのであった。

2007年1月1日(月)

元旦一日だけで年間売り上げの半分以上を稼ぎ出すという京成電鉄に乗り成田駅で下車し、初詣客で立錐の余地のない成田山新勝寺の参道を歩いていると境内は入場規制がかけられており、容易にお参りも出来ない様子が確認されたのでそのまま引き返し、成田空港へ向かった。ANAのラウンジにて成田山新勝寺のウエブサイト(http://www.naritasan.or.jp/index2.html)にアクセスし、リモートで2007年のマサの財務省での活躍を祈願しておいたわけであるが、神様も一日何百万件もの願い事はさばき切れるわけもなく、オンサイトでもリモートでもご利益には大差はないと思われたのだ。

日本最大級の初詣ファシリティの成田山新勝寺のご利益のおかげでANAから無償アップグレードを提供され、颯爽とB767-300ER機の1B席に腰をおろすと快適なフライトで翌2日の午前0時過ぎにはシンガポールに到着した。

1月2日(火)

SQ478便、B777-200機は満席の乗客を乗せて定刻午前2時15分にはシンガポールを出発し、約11時間のフライトで午前7時前には南アフリカ最大のヨハネスバーグ国際空港に到着した。世界最強の犯罪都市であるヨハネスバーグへの侵入は断念し、今回はそのまま南アフリカ航空SA317便、B737-800機に搭乗し、ケープタウンを目指すことにしていた。

ケープタウンに到着したのは午前11時過ぎだったので日本を出て約24時間で目的地に着いたことになる。空港のバゲージクレイムのそばに市内へのシャトルを取り扱っているカウンターがあったのでそこでR110を支払って予約し、午後12時過ぎにシャトルのミニバンに乗り込み、一路ケープタウンのダウンタウンを目指した。バンは空港の敷地を出て広い道をシティに向かっていたのだが、道路を仕切る柵の向こうには無数のトタン系のバラックによるコロニーが形成されている様子が垣間見れた。

あらかじめケープタウンロッジという☆☆☆☆ホテルを予約していたので客室最上階の8階の部屋が無意味に広いことに驚きながらチェックインした後、早速新年の喧騒で賑わっているであろうウォーターフロント地区に足を運ぶことにした。背中に迫り来るケープタウンのシンボルであるテーブル・マウンテンの迫力を感じながらウォーターフロントのシンボルである時計塔があるワーフまでたどり着いた。

観光案内所の近くにロベン島へのツアー窓口兼ビジターセンターがあったので入って見ることにした。ロベン島とはテーブル湾沖合い14km程のところに浮かんでいる島であり、アパルトヘイト時代に政治犯が収容されていた黒人専用の刑務所島で、ネルソン・マンデラ氏も収容されていたこともあり、今では世界遺産となっているのだ。尚、ロベン島へのツアーは非常に人気があるようで1月13日まですでに予約で埋まっているとの無常な張り紙があったため、ビジターセンター内に展示されているいくつかの写真の中で釈放されたマンデラ氏がマンザラではないという表情を浮かべている様子を見て我慢するしかなかったのだ。

テーブル湾の中でも入り組んだ波止場の地域はオットセイの格好のプレイステーションになっている様子で数多くのオットセイ野郎が階段の上で日向ぼっこをしたり、遊泳をしたりして観光客を喜ばせていた。さらにウォーターフロント一帯は一大ショッピングセンターとレストラン街で形成されており、道行く人の75%くらいは白人で、思わずここは「欧米か!?」を突っ込んでしまいそうな洗練された雰囲気を醸しだしていたのだ。

1月3日(水)

ケープタウンは公共の交通機関が発達してなく、主要観光スポットへはツアーを利用するのが一番便利だということなのでホテルにおいてあったパンフレットを参照してTable Mountain, Peninsula & CapePointのFull Day Tour (R570)に参加することにした。午前8時過ぎにフォルクスワーゲンのバンを駆る黒人運転手兼ツアーガイドが迎えにきたので車に乗り込むと何と他に参加者のない独占ツアーであることが確認されたのであった。

マサよ、君は黒人も日焼け対策を施している事実を目の当たりにしたことがあるか!?

ということで、まず最初に訪れたのはケープタウンの象徴的存在であるテーブル・マウンテンであるのだが、この名前の由来は岩盤でできた海抜1087mの山頂がナイフで横に切ったように平らなためであるという。頂上までたどり着くには徒歩かロープウエイを選択することになるのだが、ツアーの時間規制のためロープウエイ(R120/往復)を選択することにした。チケットを購入する列に並んでいると私の直前の黒人女性の顔に白いクリーム状のものが塗りつけられているのを発見したのだが、それは明らかにサンスクリーンであるものと思われた。

満員の観客で膨れ上がったロープウエイは内部が回転する構造で、上りながらすべての方向を眺望出来るような仕組みが取られており、5分程の短時間で頂上に到着するに至った。丁度ロープウエイに乗る直前にテーブル・クロスと呼ばれるテーブル・マウンテンを覆う白い雲がかかり始めていたので頂上ではいい具合に流れる雲の隙間からケープタウンの町並みや大西洋が見え隠れしていたのであった。

頂上にて30分程の美しい眺望を楽しんだ後、ロープウエイで下山し、ワーゲンバンに乗り込むとハウト湾という港町に向かった。ここでのアクティビティはオットセイのコロニーとなっているドイカー島行きのフェリーに乗り、そのまま引き返して帰ってくることである。早速チケット売り場で10時15分発のフェリーのチケットを買おうとしたのだが、売り切れになっていたため、近くの売店で巨大オットセイを回しているルンペン風のおやじに小銭を寄付した後、11時に出航する他の船(R55)に何とか乗り込むことと相成った。さわやかな海風と吐き気を催す揺れを感じながら15分程航行すると岩で出来た小島に多数のオットセイがへばりついている姿が浮かんできた。船の舳先でタイタニックのポーズを決めながらオットセイの生態を十分確認することが出来たので港に戻るとファンキーに着飾った原住民が下船する乗客にダンスを決めていたのでここでも低額のチップをはずまざるを得ない状況であった。

チャップマンズ・ピーク・ドライブ(R35)という高さ600mの岩山を通る全長10kmのドライブウエイでケープ半島一の眺望を楽しみ、さらに白砂のビーチを眺めて眩しくなった後、バンは喜望峰自然保護区(R55)のゲートをくぐることとなった。まずはケープポイントというケープ半島の先端にあるルック・アウト・ポイントまでケーブルカー(R25/片道)で登り、そこからあのヴァスコ・ダ・ガマも見た喜望峰を見下ろし、インド洋と大西洋の狭間に立ちながらインド洋からの風が大西洋の風よりも5℃高いことを実感していた。その後、喜望峰までバンで移動し、その看板の前で初詣が出来なかった腹いせとして代わりにマサの悲願である天下り先が速やかに斡旋されるように希望の願いをこめておいた。

ツアーのクライマックスとしてケープ・ペンギンが生息するボルダーズ・ビーチ(R25)を訪問した。観光客はペンギンの私生活をおびやかさないようにビーチへの侵入を禁止されているため、遊歩道を歩くことになっているのだが、目的地に近づくにつれてロッテ・クールミントガムを噛んだ時の爽やかさの代わりに獣の生臭さを強く感じることになるのである。尚、ここに住んでいるペンギンどもは人見知りをするどころかむやみに近づくと人類に対してもアグレッシブな攻撃を仕掛けてくる生態さえ確認出来たのであった。

ツアーも無事終了し、ホテルのレストランで南アフリカ産の赤ワインを飲みながら肉を食った後、深夜部屋でまどろんでいるとけたたましい喧騒により夢からうつつに引き戻されてしまった。何とホテルの目の前で年明けのわけのわからないフェスティバル&カーニバル系の黒人行進が笛やトランペットや歌声とともに私が気を失う午前2時くらいまで永遠に続いていたのであった。

1月4日(木)

早朝ホテルをチェックアウトする前に軽くケープタウンのダウンタウンを散策し、この都市がヨーロッパの各都市と比べても引けをとらないことを再認識した後、ホテルの送迎車(R250)でケープタウン空港へ向かった。南アフリカ航空のラウンジで出発前のひと時を過ごし、インターネットで浮世の情報を確認した後、午前11時50分発SA8800便、ERJ機に搭乗すると午後2時過ぎにはネルスプリット空港、別名Kruger Mpumalanga International空港に到着した。

空港のハーツでカローラ系と思われる5速マニュアル、パワステ、パワーウインドウなしの小型車をレンタルすると炎天下の中、ネルスプリットのダウンタウンに向かい、予約しておいたTown Lodgeにチェックインした。今日は着いた時間が中途半端だったため、山あいのパノラマルートという風光明媚なドライブルートで峠を攻めた後、明日からの野生の王国への侵入に備えて体力を蓄えておくことにした。

1月5日(金)

マサよ、君は本物の弱肉強食が日々展開されている舞台に足を踏み入れたことがあるか!?

私は・・・・・ついにその一歩を踏み出してしまった!!!

ということで、早朝ネルスプリットのホテルを後にすると、アクセル全開で南ア観光最大のハイライトと言われているクルーガー国立公園を目指した。この公園は南北350km、東西60km、総面積は日本の四国に相当する世界最大級の自然動物公園である。まずは公園最南部のマレネラゲートで入園料R120を支払って入場するといきなりバッファローの群れに行く手を遮られて度肝を抜かれてしまった。園内には総延長2,000kmの舗装道路が張り巡らされ、速度は50kmに規制されており、また、舗装されていない道は40kmで車を転がすことが出来るわけで、もちろんサバンナRX-7のようなスポーツカーを乗り入れることも可能なのだが、決してそのポテンシャルを発揮させてはもらえないのである。

バッファローズにいてまわれた後、しばらく単なるさわやかな草原ドライブが続いていた。ただっ広い園内では常に動物に遭遇出来るとは限らなく、しかもお会いできる動物の80%は鹿系のインパラであった。ふと、前を行く車がストップし、木陰がガサガサ動いている気配とゾ~とする感覚を覚えて見上げるとそこにはアフリカ象がその巨体を揺すりながら立ちふさがっていた。

園内には8ヶ所の入口と19ヶ所の設備の整ったキャンプ設備があるのだが、その中で最大のスクサーザ・キャンプに侵入した。ここにはコテージ、バンガロー、ガソリンスタンド、銀行、レストランと通常の街中にあるようなファシリティがすべて揃っており、おびただしい数の欧米人観光客で大変な賑わいを見せているのである。

マサよ、君はゲーム・ドライブを楽しんだことがあるか!?

というわけで、PS3やゲームボーイをプレイしながらハンドルは握れないので、ゲーム・ドライブとは動物を探しながら園内をゆっくりドライブすることでクルーガーへやってきた目的はこれに尽きるのだ。スクサーザを出て園内を東に向かい、さらに南下していると広大なサバンナを見下ろすビューポイントがあり、そこでは身の危険を冒すのを承知で車から降りてもよいという看板が立っていたので車外に出て体を伸ばすことにした。さらに川沿いを運転していると木の上の葉を食っているキリンに遭遇し、象に行く手を遮られもした。また、ロウアー・サビー・キャンプからサビー川を見下ろすとカバが遊泳したり、陸地を悠然と歩いている姿を遠めに眺めることに成功した。

とりあえず、午後4時過ぎにはゲーム・オーバーとさせていただき、この公園を設立した大統領の名前を冠したポール・クルーガー・ゲートから園外に出ることにした。ゲートでは入場の際にもらったレジストレーションの紙のチェックと動物を不正に拉致してないかを確認するために車のトランクを開ける等のセキュリティ体制が敷かれていた。

クルーガーのサバンナでのゲーム・ドライブで火照った体を冷やすために高地で涼を取る必要があったのでピルグリムズ・レストという高原地帯まで車を飛ばし、そこにある小奇麗なロイヤル・ホテルにチェック・インし、パラパラのリズムの中でインパラの数を数えながら深い眠りへと落ちていった。

1月6日(土)

現在訪問しているムプマランガ州のもうひとつの観光のハイライトとしてブライデ・リバー・キャニオンというブライデ川と1000mもの高さの峡谷が織り成す壮大な景色が見られるパノラマ・ルートが存在しているので大陸ならではのダイナミックな景観を堪能することにした。Pinnacleというキャニオンの中にニョキッと存在する岩の塔や窓枠から壮大な景色を提供するような神の窓の眺望に驚異し、さらにベルリン滝ではマサに川が流れ落ちる瞬間を間近に眺めることが出来るのだ。

ブルックス・ラック・ポットホール(R22)というブライデ川とトゥルー川が交わるところは有料の景観地として観光客を集めており、設置された橋の上から見る滝壷や川の流れにより削られたマーブル模様の岩肌が非常に印象的である。数々のビューポイントを提供するパノラマルートを完走し、そのまま乾燥した道を再びクルーガー国立公園を目指した。今回は公園の南北中央部あたりに位置するオルペンゲートに向かって時速120kmくらいで車を転がしていたところ、遠めに3本の高い木が動きながらこちらに向かっている光景が見えたため、徐々にスピードを落としてそれらの物体に接近することにした。近づくにつれ明らかになった物体の正体はキリンのトリオであることが判明し、車を路肩に止めてその挙動を観察していたのだが、私が接近しても彼らは危機キリン状態になることもなく悠然と公道の上で行動していたのだった。

何とか午後1時前に入園し、サタラというキャンプに向かっているとふと白黒はっきりしないようなあいまいな感覚に見舞われた。そこはシマウマのワンダーランドになっており、鹿類やヌー一族等の草食動物がのんびりと草を食んでいる光景が観光客の目を楽しませていたのだった。

ということで一日半かけてサファリを探索させていただいたのであるが、遭遇した動物はすべてベジタリアンであり、ライオンハートを持つ私に恐れをなしたであろうライオンは決して私の前には姿を現さなかった。また、獲物が獲れないチーターが♪汗かきべそかき歩♪いている姿も目撃することが出来なかったのでリベンジに来なければならないのではないかとも思いながら、クルーガーを後にしたのであった。

1月7日(日)

宿泊していたネルスプリットのTown Lodgeを後にすると近辺にあるローフェルト国立ボタニカルガーデン(R12)を訪問することにした。園内にはこの州の水瓶兼自然動物の宝庫となっているクロコダイル川が流れており、カバも時々姿を現すという。また、植物園だけあり、当然のことながらアフリカ中の珍しい木々も生えているのである。

空港の近くに私設のサファリ系のファシリティがあり、そこに2頭のシロサイを発見した。クルーガーでは遠巻きにしか見ることが出来なかったサイをここではじっくり観察することが出来たのであるが、サイは凶暴な動物なので一旦怒らすとごめんなサイとあやまってもうるサイと言って許してくれないそうでマサにサイ難な状況になるそうである。

というわけで、すべてのアクティビティを無事終了したFTBは午後1時発SA1264便、ERJ機でヨハネスバーグまで戻り、そこからシンガポール航空で「海猿」をはじめとする邦画3本を見ながらシンガポールに飛んでいた。

1月8日(月)

早朝シンガポールに到着し、そのままNH112便に乗り換え、ゲート直前でビジネスクラスへの無償アップグレードを獲得し、快適なフライトで成田に帰着、流れ解散となる。

南アフリカ、サファリ情報

・南アフリカの通貨ランド(R1 = ¥17)の紙幣には動物のスケッチが印刷されているのだが、それらはビッグファイブと呼ばれるライオン、ヒョウ、ゾウ、サイ、バッファローである。

・クルーガーの各キャンプ地のビジターセンターには布製の園内図に各色のピンを刺して動物目撃情報を提供し、観光客のガイドに一役買っているのである。

・遭遇した主な動物・・・インパラ、バッファロー、キリン、サイ、カバ、シマウマ、アフリカゾウ、ヌー、バブーン、ベルベット・モンキー、ヒョウ(木の上にいる気配のみ)、イノシシ等

FTBサマリー

総飛行機代 ¥72,250(ANA)、S$1,906(シンガポール航空)、R4,670(南アフリカ航空)

総宿泊費  R3,158.6 

総ケープタウン空港シャトル代 R110

総ホテルからケープタウン空港への送迎代 R250

総レンタカー代 R802.82

総ガソリン代 R495

総走行距離 1,400km

総高速代 R33

協力 ANA、シンガポール航空、南アフリカ航空、JTBトラベル、CTI Tours & Travel

FTB炎の離島デスマッチ 第?弾 in セブ島、マクタン島

♪おっかのうえ、ひぃなげぇしぃの♪マサよ!

ということで、とりたてて「アグネス・チャン杯争奪 香港飲茶ツアー」を開催する意向もないまま、香港まで足を運ばなければならないのは世界有数の海の美しさを誇るフィリピンセブ島の移動拠点として香港国際空港が単に交通の便がいいからに他ならないのだが、年末のあわただしい中何とかセブ島までたどり着くべく長い足をさらに伸ばすことにしたのだ。

12月27日(水)

年末恒例の空港の混雑をものともせず、さらにビジネスクラスへの無条件アップグレードを勝ち得た私は颯爽とNH909便B747-400機に乗り込み、機内映画のUDONを見ながらワインを飲んで伸びてしまったものの午後2時過ぎには香港国際空港に到着した。空港からバスで九龍に向かい、何故か東海観光の株主優待券を利用して半額で宿泊することの出来るドーセットシービューホテルにチェックインした後、香港一のメインストリートであるネイサンロードを南下してハーバーの方へ向かった。

たそがれ時の香港ハーバーは徐々に明かりが灯り始め、町中がいまだにクリスマスの余韻のイルミネーションに満たされている光景が浮かび上がってきた。対岸の香港島の高層ビルが醸し出す100万香港ドルの夜景を目の前にしてハーバーウォークを満喫しているとふとドラゴンへの道が切り開かれた感覚を覚えてしまった。すると目の前に香港最強のムービースターであるブルース・リーが「アチョー!」のポーズを決めている銅像が死亡遊戯を楽しむがごとく、道行く観光客の行く手を阻んでいたのであった!

12月28日(木)

世界有数の優良エアーラインであるキャセイパシフィクが誇るB777-300機、セブ行きは定刻より30分程遅れたものの、午前9時半には離陸し、正午過ぎにマクタン・セブ国際空港に到着した。入国後すぐに今回の宿泊地であるHilton Cebu Resort & Spaの看板を掲げた若者をとっ捕まえると車を手配させて早速ホテルに向かった。

12月中旬に予定されていたASEAN SUMMITが台風という口実で中止になり、その余韻の横断幕がむなしくあちこちに掲げられていたのだが、本当はテロの脅威が迫っていたため、ホテルの入り口では警察犬を駆使した慎重な安全管理がなされていた。ヒルトンホテルはマクタン島東海岸のリゾートホテルの中で最も新しく、3つのタワーがビーチを見下ろすようにそびえている。レセプションで提供されるグアバジュースを一気に飲み干すと11階の部屋にチェックインし、そのままビーチに向かった。

岩礁地帯に白砂を移植したであろう人工っぽいビーチの遊泳地帯はブイで仕切られており、餌付けされている熱帯魚がゆらゆらスイミングしている姿を間近で見ることが出来、また波がおだやかなのでシュノーケルにもってこいのコンディションであることが確認された。ホテルを出て半島の最端を目指して歩いているとそこはもはやリゾート地ではなく、単なる田舎の明るい漁村の様相を呈しており、屈託のない笑顔をたたえた原住民青少年少女が容赦なく、「アンニョンハセヨ!」と声をかけてくれるのであった。

12月29日(金)

早朝より、ビーチでシュノーケリングをしながら熱帯魚と戯れた後、徒歩で町に繰り出すことにした。

マサよ、君はセブ島へのツアー客の多くがマクタン島にとどまりセブ島に上陸しないまま去っていく事実を把握しているか!?

ということで、マクタン島北東に突き出た半島の付け根にマゼラン記念碑とラプラプ像が君臨している。世界的探検家であるマゼランは1521年にセブに上陸して以来、キリスト教の布教に精力を傾けていたのだが、マクタン島の酋長であるラプラプだけはこの侵略に戦いを挑んでいたそうだ。その結果マゼランはラプラプとはラブラブにならないまま殺害されてしまい、彼の野望は海の藻屑と消え、ラプラプは英雄としてその名を残しているのである。

マクタン島とセブ島は2本の橋で繋がっており、セブ本島に上陸しないとセブ島に来たことにはならないのでまずは第2マンダウエ・マクタン大橋を徒歩で渡りきることにした。橋の最高部にはこの橋が日本のODAにより建設された看板が誇らしげに掲げられており、また橋の上からはセブ本島とマクタン島の間の海峡を一望することが出来、そこにはリゾートエリアとは正反対のバラック系の居住地や廃船家屋がならんでおり、セブエリア原住民の本来の生活様式を垣間見ることが出来るのだった。

炎天下の中すでに10km以上も歩いて何とかセブ本島に上陸することに成功した訳だが、さすがにフィリピン第3の都市であるセブシティを持つ本島だけあり、広い道路と大きな船が行き来する港湾ファシリティが印象的であった。脱水症状を免れるために第1マンダウエ・マクタン大橋を渡り、マクタン島へと撤収する道すがら、橋の欄干が非常に低くマリンブルーの海に転落する恐怖を覚えながら何とかマクタン島へとたどり着いたのであった。マクタン島のとあるインターネットカフェ(P25/hr)でアンチウイルスソフトがインストールされていないPCでサーフィンの練習をした後、そそくさとホテルへの帰路を急いだ。

再び10数kmの道を歩きホテルに戻ったころには身も心もボロボロになっていたのでヒルトンリゾートの売りのひとつであるスパで人間性を取り戻すことにした。数多くのメニューの中から、スタンダードなマクタン・マッサージ(P2,400)を選択すると待合室にてジンジャーティーで一息入れた後、セラピストの案内で施術室へと案内された。まずはトイレ兼更衣室でスッポンポンになり、ガウンをまとったのはいいのだが、ベッドですぐにガウンを脱がされてうつ伏せにされ、フィリピンマダムからアロマ系のオイルを全身になすりつけられながら1時間もの恍惚の時を過ごすことになったのであった。

12月30日(土)

昨夜のスパでスパッと英気を取り戻すことに成功したので朝から海でひと暴れをと考えていたのだが、あいにくの嵐まがいの荒天だったため、11階の部屋からビーチとプールを恨めしげに眺めてこの島の上客はもはや日本人ではなく韓国人であることを思い知った後、ホテルをチェックアウトし、タクシーの運ちゃんに高額チップをたくして日本人の実力を思い知らせながら空港へ到着した。

CX920便にて晴天の香港に到着したのは午後4時近くになっていたため、そのまま空港バスに乗り込み香港島に向かった。楽天トラベルに予約させておいた港島太平洋ホテルは空港で入手した都市地図の圏外に位置していたため、場所を特定するのに街中を3時間程歩き回ったものの疲れを感じなかったのはスパのスバらしさであることを認識しながら香港での夜を過ごしていた。

12月31日(日)

NH912便、B767-300機にて午後2時半頃には帰国、その後引き続き次回FTBのアクティビティのために奔走。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥46,980(ANA)、HK$3,834.- (キャセイパシフィック)

総宿泊費 HK$1,548.1(HKD1 = \15.3)、P19,504.94(P1 = \2.4)

総香港バス代 HK$117.2

総香港トラム代 HK$2.0

総マクタン島車代 P770

総マクタン・セブ空港使用料 P550

協力 ANA、キャセイパシフィック航空、HiltonHHonors、東海観光、楽天トラベル

FTBSEAインド洋の真珠スリランカツアー

マサよ、君は外務省の海外安全情報(http://www.pubanzen.mofa.go.jp/)でスリランカに「十分注意して下さい」という警告が出されているにもかかわらずスリルを味わうために強行渡航し、刑事コロンボの活躍により、思いがけず現地が安全であることに気づかされた経験をしたことがあるか!?

2006年11月23日(木)

午前10時45分発ANA111便シンガポール行きB767-300ER機は定刻通り成田空港を離陸すると午後5時過ぎにはシンガポールチャンギ国際空港に到着した。空港からMRTに乗り込み、ハーバーフロント駅で下車するとシャトルバスにてセントーサ島を目指した。シンガポール最強のリゾートアイランドであるセントーサ島にS$2の入場料の支払いで侵入すると島内巡回バスに乗り、マーライオンタワー前で下車した。日もとっぷり暮れた闇の中で不気味な目を光らせているマーライオンタワーは本家のチャチなマーライオンよりもワイルドな作りとなっているのだが、それでも安っぽい印象をぬぐいさることは出来なかった。

チャンギ空港へと戻り、午後10時45分発SQ468便、シンガポール航空が誇るB777-200機に乗り込むと2時間半の時差を超えて深夜12時前にコロンボのバンダーラナーヤカ国際空港に到着した。空港のArrivalを出るとHilton Colomboの看板を掲げたおっさんが客待ち兼客引きのアクティビティを行っていたのでシャトルバスはないか聞いたところ、勝手に車を手配しやがったのでRs2000の支払いで午前1時過ぎには安全にホテルに到着することに成功した。

11月24日(金)

HiltonHHonorsゴールド会員の身分制度により17階のExecutive floorにアップグレードされていたので起き抜けに窓から外を見渡すとスリランカ随一の大都会であるコロンボの喧騒と目の前に広がるインド洋の洋々たる景色が広がっていた。ホテルはフォートという昔は島を防衛する砦があったのだが、今は行政と経済の中心になっている要衝地区に位置しているので街中では至るところに軍隊と刑事コロンボによる厳戒な警備体制が敷かれていた。

インドの喧騒を彷彿とさせるぺター地区では至るところがバザールでござ~るになっており、人ごみをかきわけて何とかセントラルバスターミナルにたどり着いた。排ガス規制のなされていない赤色の国営バスに乗り込み、エアコンなし窓全開状態で112kmの距離を3時間半もの時間をかけ、顔中すすだらけ状態になりながら古都キャンディに到着した。

世界遺産に認定されているキャンディはシンハラ王朝最後の都であり、遷都を繰り返したシンハラ王朝が16世紀末にたどり着いたのがこの地であり、それからイギリスの植民地となる1815年まで300年間の間、首都として繁栄したそうだ。キャンディの中心に19世紀初めに造られたキャンディ湖が佇んでいたのでまずは湖岸を一周してみることにした。

マサよ、君は陸の王者もびっくりするインドリクオオトカゲが水陸両用である事実に直面したことがあるか!?

ということで、キャンディ湖周辺を歩いていると♪そばかすなんて気にしない♪ほど色黒の少女に数多く遭遇することは想定の範囲内であったのだが、体調1mを超える巨大な爬虫類が水辺をノシノシ歩いたり、湖水浴をしている光景を目撃したことはマサに予想外であり、熱帯野生の王国スリランカの実力をマザマザと見せつけられた気がした。

キャンディ湖畔に佇んでいるスリランカを代表する仏教寺院として仏歯寺が君臨しており、ここに来なければスリランカに来たことにはならないと言われているので参拝させていただくことにした。土足厳禁の宗教ファシリティのため、靴を物じちにとられる必要があるのだが、靴を預けていると誠実そうに見える青年が仏歯寺の方ではなく、別のヒンドゥー寺院の方へ行けという合図をしたので黙って従うと彼が後からついてきやがった。観光地区恒例の頼んでもいないのにガイドを始めるという古典的観光商売の手法に乗せられていると気づきながらも心の優しい私は邪険には出来ないと思ったので奴のガイドに乗ってやることにした。

さすがに昔セイロンと言われていた島だけあり、彼の説明はすべて正論だと思われたので、とある寺院で日本人旅行者がRs2,000の寄付をしたというわざとらしいノートを見せつけられてそれがサクラ系だとうすうす感づいていたものの私もつられてRs1,000のお布施をしてしまった。その後シンハラ王朝の王宮系のファシリティ等を見学した後、ついに仏歯寺の境内(Rs500、写真撮影Rs150)に侵入することと相成った。

仏歯寺は肌色の壁に茶色の屋根で、シンハラ建築様式の八角形の堂が美しいバランスを保って建っており、お堂の中にはタイ、インド、日本等、世界各国の仏教国から拉致された仏像が奉納されているのだ。尚、仏歯の由来であるが、紀元前543年にインドでブッダを火葬した際、その中からやっとの思いで入手したブッダの歯を歯科技工士の加工を施すことなく奉納されているからであるが、この歯はセイロンで都が転々とするたびに一緒に運ばれてきたそうだ。

また、仏歯寺の見所のひとつとして故プレマダサ大統領に愛された象の剥製があり、そいつはキャンディを賑わす夏の風物詩であるペラヘラ祭では仏歯を背に街中を練り歩くという大役を長年務めてきたそうだ。今にも動き出しそうな巨象の剥製を見てゾ~としたせいかお布施を要求する象番の攻撃を自動的にかわすことに成功し、そのまま仏歯寺の境内に突入することと相成った。境内は至るところが鮮やかな装飾で彩られているのだが、最も印象的なのはブッダの一生が描かれている10数枚の仏教パネルであった。ところで仏歯寺観光を終える段階で押しかけガイドにUS$20もの大金をくれてやったので、お布施とあわせて間違いなく徳を積むことに成功したのは疑いようのない事実であったろう。

マサよ、君は日本でお払い箱になった払い下げバスがどこで余生を送っているか知っているか!?

ということで、キャンディからコロンボへの帰路にはインターシティという民営のバスを使ったのだが、エアコン完備のそのバスは昔日本で活躍していた仕様、外観そのものであった。尚、スリランカにはXXXXスイミングスクール、XXXX自動車学校、XXXX工務店という装飾が施されたマイクロバス等がそこかしこで活躍しているのだが、スリランカ人の日本語理解には一役も買ってないのではないかと懸念しながら冷房の微調整が効かない寒い車内でコロンボへ帰っていった。

11月25日(土)

早朝Hilton Colomboをチェックアウトするとインターシティバスターミナルでゴール(GALLE)行き(Rs150)日本製マイクロバスに乗り込み、インド洋沿岸南下ドライブと洒落込むことにした。バスに揺られて3時間程度経過した頃、オフサイドなしに相手チームのネットを揺さぶった時の快感を味わった感覚を覚えるとゴールに到着したことに気づかされた

世界遺産に登録されているゴール旧市街と要塞はもともとはアラブ商人たちの中継貿易港として栄えていた港町であったのだが、16世紀末にポルトガル人が入植し砦が築かれ、17世紀になると今度はオランダ人がその砦を拡張し、砦の中に町を造り、それが要塞都市ゴールの原型となっている。ゴールの町は半島を囲む砦の中の旧市街と、その北側の新市街に分けられるのだが、見所は旧市街に固まっているので赤茶色の石造りの時計塔をたよりに歩を進めることにした。ゴールには特にキーパーの姿も見あたらないので勝手に侵入することが可能であったので、まずは砦の上に沿って一周してみることにした。

土曜日の昼下がりということもあり、透明なインド洋に面する石砦にはゴールイン直前だと思われるカップルやアベックが溜まっており、フリーキックで壁を越えてネットを揺さぶりそうな熱気を充満させていた。一方、ビーチでは家族連れがのんきに海水浴やマリンスポーツを楽しんでおり、マサに沿岸部のワールドカップ状態と化していた。

ゴールには雨でのロスタイムも含めて90分ほど滞在し、決着が付かなかったが、延長戦を戦う気力も残されていなかったのでバスでコロンボに帰ってきた。Hilton Colomboで晩飯を食った後、ホテルに手配させた車に乗り込み、刑事コロンボの治安維持に感謝しつつ、そのままコロンボ空港まで引き上げることとなった。

11月26日(日)

午前1時10分発のSQ469便に搭乗し、深夜の機内食に目もくれることなく意識を失うと早朝シンガポール空港に到着し、午前8時45分発のANA112便にて帰国し、日本では刑事コロンボが着用しているトレンチコートが必要なほど冷え込んでいる現実に直面し、そのまま流れ解散となった。

FTBサマリー

総飛行機代 ANA = ¥9,220, シンガポール航空 = S$951.-

総シンガポールMRT代 S$3.8

総スリランカタクシー代 Rs4,000(Rs1=約¥1.1)

総スリランカバス代 Rs546

総宿泊費 Rs20,488

総仏歯寺ガイド料 US$20

総仏歯寺お布施 Rs1,300

協力 ANA、シンガポール航空、HiltonHHonors

FTB炎の離島デスマッチ 第?弾 in ビンタン島

マサよ、君はシンガポールの沖合いにお手軽リゾートが軽く浮かんでいることを知っているか!?

ということで、これまで飛行機の乗り継ぎ地点としてしか見なしていなかった中継貿易都市シンガポールであったが、高速フェリーを漕いでわずか45分程度で到着する夢の楽園の存在が確認されたため、急遽飛行機を飛ばしてその島の実態を確認するミッションが発生してしまったのだ。

11月2日(木)

高速フェリーをしのぐ早さで仕事をこなすことが出来る私は、軽く午前中で仕事を強制終了させるとその足で成田空港に向かい、午後5時25分発のANA901便シンガポール行きB767-300ER機に搭乗した。深夜12時過ぎにシンガポールチャンギ国際空港に到着するとここでの常宿に指定されたTransit Hotelが午前2時過ぎに予約していない不貞の輩に対する空き部屋を提供するのを待って、何とかひと部屋に潜り込むことに成功し、そのまま朝を迎えることとなった。

11月3日(金)

約6年ぶりのシンガポールへの入国を果たすと早速MRTでタラメラ駅まで移動し、そこから冷房なしバスに乗り換えてタラメラフェリーターミナルを目指した。インドネシアのビンタン島やバタム島へのフェリーを運航させているタラメラフェリーターミナルのチケットカウンターにて早速手の平と甲で連続して頬を打たれる感覚で往復ビンタンチケットを入手すると午前11時発のビンタンリゾートフェリーに乗り込みわずか45分の航海でインドネシアのビンタン島への到着を果たした。

フェリーターミナルのイミグレーションでつつがなくインドネシアへの入国を果たすと予約していたビンタンラグーンリゾートのシャトルバスが待っていたのでそそくさと乗り込むと10分程度で目的地に到着した。ホテルの正面玄関にバスが停車するのを待ちかねていたかのように数人の踊り子がウエルカム南国ダンスをかましているその間隙を縫ってロビーに到着し、チェックインを果たしたものの午後2時まで部屋の準備が出来ないということだったのでロビーで脳みそを溶かしながらボケ~と過ごしていた。無事部屋への侵入を許されるとそこで待っていたものは多湿地帯特有のほんのりとカビの香りを含んだオーシャンビューサンデッキテラス付きのラグジャリーリゾートルームであったのだ!

海パン、Tシャツ、ビーサンから構成される基本的リゾートの身なりを整えると巨大プールサイド地帯を抜け、海辺のマッサージギャルや野郎を横目に透明ビーチに繰り出すことにした。思ったより波が高いビーチは遊泳には不向きであるが、バナナボートやジェットスキー等のマリンリゾートには適しているようで打ち寄せる波に対して延髄切り等をかましていると丁度良い具合のトレーニングになることが実感されたのだった。

日もとっぷり暮れるとリゾートディナータイムを告げるかのようにシーサイドに灯火が灯り始めた。NELAYAN GRILLというシーフードレストランがビーチにテーブルを展開して指名料なしに新鮮な魚介を指名出来るので300gの現役ロブスターを発注し、波の音を聞きながら待っていると火傷したロブスターに変貌を遂げて私の前に現れた。ビンタンリゾートでの飲食代は通常のアジアンリゾートの相場を上回っているのだが、この優雅な雰囲気を少しでも味わえばすぐに元が取れ、しかもお得感が上回ることはすぐに実感出来るのであった。

11月4日(土)

早朝よりビーチのデッキチェアにごろ寝して波の音を聞いたり、プールにドボンしたりして時間をやり過ごし、各国バイキング料理の朝食で腹を満たした後、カビ臭いビンタンリゾートの部屋には備長炭で対策すべきだと考えながら午後1時過ぎにシャトルバスにてリゾートを後にした。ところでビンタン島のリゾート地区は北部の狭いエリアに限定されており、そこではシンガポールドルでの取引が行われているのだが、一歩島の奥に足を踏み入れると普通のインドネシアの田舎町が出現し、現地通貨であるインドネシアルピアでの安価な商売がなされているそうだ。

満席の午後2時発のフェリーにキャンセル待ちで潜り込むと1時間の時差を超えて4時くらいにシンガポールに戻ってきた。その足でバスとMRTを乗り継いでラッフルズブルバード近くにそびえる最高級レベルのホテルであるConrad Cetennial Singaporeにしけこんだ。高層階の部屋の窓からはメトロポリス特有の夜景がきらきらと展開され、図らずも優雅な夜を満喫することと相成った。

11月5日(日)

午前8時45分発NH112便にてシンガポールを後にすると着陸時に往復ビンタを打たれたような衝撃を受けながらも午後4時過ぎには成田空港に到着し、そのまま流れ解散となる。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥62,230

総宿泊費 S$518.85

総フェリー代 S$52.20

総MRT代 S$4.5

総バス代 S$1.6

協力 ANA、HiltonHHonors、ビンタンラグーンリゾート(http://web.bintanlagoon.com/