FTBSEAべトコンツアー in ホーチミン

マサよ、君は20世紀以降、世界で初めて戦争でアメリカに黒星をつけた国を知っているか!?

2004年9月23日(木)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば14~15万くらいかかるところを私はただで入手していた成田-ホーチミン間の往復チケットを手に混雑する成田空港第二ターミナルから颯爽と午前10時発のJL5133便に乗り込むとベトナム航空が運行するコードシェア便のB777-200機内で真紅のアオザイを身にまとったエスニック系スチュワーデスに迎えられた。

5時間40分程度のフライトで2時間の時差を超えてホーチミンのタンソンニャット国際空港に午後2時ごろ到着した。空港で円をベトナムドンに両替する必要があったので両替所で¥5,000を提出すると何と670,000ドンもの大金がド~ンと渡されて一瞬の内に大金持ちになってしまった。空港の出口に売店があり、8,000ドンのコーラを50,000ドン札で買うと42,000ドンであるはずの釣りが32,000ドンしか返ってこなかったのも私の中では折込済みだったので黙って見逃してやることにした。

空港バス(2,000ドン)で市内に向かうまでの道のりは数え切れない程のクラクションとバスを取り巻く無数の原チャリ系バイクとの格闘の時間であったが、40分程我慢すると市中心のベンタインパスターミナルにつつがなく到着することが出来た。バスを降りるころには折から降り始めていた雨が激しくなり、ついには厚い積雲を切り裂く雷鳴がとどろきはじめたため、仕方なくバスターミナルで雨宿りをしながらベトナム人観測を行うことにした。町ゆく人はほとんど原チャリ系のバイクにまたがっており、降りしきる雨もなんのその、いつのまにか取り出していた合羽を羽織って落雷の轟音の中を爆音を轟かせて走っており、マサにホンダ丸儲けの図式が提供されている町並みであった。

雨が小降りになってきたのでベンタインバスターミナルからベンタイン市場を抜けて今回の宿泊先である☆☆☆☆☆ホテルのエクアトリアルに徒歩で向かうことにした。ホテルへ向かう道は大通りであっても信号が整備されていないところが多く、絶妙のボディバランスと身のこなしを駆使してひっきりなしに向かってくるバイクの波を避けながら何とかホテルに到着することが出来たのであった。

9月24日(金)

午前中から30℃を超える猛暑の中、早速ホーチミン市内の観光に乗り出すことにした。南ベトナム政権時代に独立宮殿と呼ばれた旧大統領官邸である統一会堂(10,000ドン)が市の中心部に君臨しているので見学させていただくことにした。ここは1975年4月30日に解放軍の戦車がこの宮廷の鉄柵を突破して無血入場を果たし、事実上ベトナム戦争を終結させたことから後に統一会堂と呼ばれるようになったのだ。建物の中は大統領や副大統領の応接室や内閣会議室、宴会場、映画館等があり、最上階は展望台となっており、ここからかつて解放軍の戦車がやってきたレユアン通りを見通すことが出来る。また、建物の地下には秘密の軍事施設が設置されており、大統領の司令室や暗号解読室、アメリカと連絡を取り合った放送局などが残されているのだ。

ホーチミン市博物館(10,000ドン)がフレンチコロニアル風の威風堂々とした建物づらで観光客を集めているので覗いて見ることにした。ここでは古代からのホーチミン周辺の暮らしぶりや動物の剥製、各種民族グッズ等が展示されている。

米粉で作ったベトナム名物の麺であるフォーを24時間煮込んだスープで提供する店であるフォー24でスペシャルフォー(29,000ドン)を食った後、ベトナム歴史博物館(10,000ドン)を見物することにした。ここには原始時代からの遺功としてメコンデルタの古代石器やチャンバ芸術の仏像等が数多く展示されているのだが、余興として中庭でベトナム名物の水上人形劇($1)を見物することも出来るようになっており、人形のコミカルな動きを見ながらほっと胸をなでおろすことが出来るように取り図られているのだ。

夕飯時になったので食文化の発達したベトナムでも地元の人にも人気のあるクアンアン・ゴンというレストランでベトナム式パリパリ皮の中に海老とかが入った食い物を前菜にカニの丸揚げをにんにく、塩コショウで炒めた贅沢な一品と格闘しながらホーチミンの夜をパクチーとともに更かし、英気を養ったのであった。

9月25日(土)

マサよ、君はべトコンのゲリラ戦の真髄を見たことがあるか!?

ということで、ホーチミン市の中心部から北西へ約70kmの位置に南ベトナム解放民族戦線(通称べトコン)の拠点となっていた地下トンネルが200km以上にわたって難攻不落の要塞状に掘られていたという情報を聞きつけたので早速現状確認に向かうことにした。ベンタインバースターミナルからサイゴンバス(2,000ドン)で1時間ほどかけてクチバスターミナルに到着するとそこからライトバン状のミニバス(10,000ドン)に乗り換えてクチトンネルの観光施設があるベンユオックに向かった。原住民乗客ですし詰め状態になったミニバスは水牛やスタンダードな牛が開墾を行なっているのどかな田園風景を走り抜けると途中で原住民を降ろしながら1時間ほどでベンユオックに到着した。

サイゴン川近くに位置するベンユオックは戦争当時枯葉剤が大量に撒かれたゴムの木の熱帯雨林だったため、異常に蒸し暑く、立っているだけでも汗がにじんでくるほどであった。クチトンネル(65,000ドン)はベトナム戦争が終わって30年経った今でもクチ果てることなく、革命歴史遺跡として数多くの観光客を集めている。まずはチケット売り場で入場券を買うと迷彩服を着た謎の係員に林の中を案内され、ベトナム戦争のビデオとクチトンネルの構造やサイゴンとの位置関係を説明したパネル等が設置されたファシリティに案内された。ビデオが終わるころには観光客も適度に集まっていたのでいよいよクチトンネルへのツアーがスタートした。

最初に見せられたのは巧妙にカモフラージュされたトンネルへの入り口でそれはスリムなベトナム人の体系に合わせた非常に狭いもので米兵のブタ野郎が容易に侵入出来ない微妙な大きさに掘られていたのだった。さらにゴムの木林のいたるところに大きな陥没が見られるのは米軍戦闘機B52が爆撃した跡なのだそうだ。また、要所要所にトンネル内に空気を供給する換気用の穴が蟻塚風にこじ開けられているのが印象的でもある。ガイドを先頭にいよいよトンネル内への侵入となった。観光用のトンネルは毛頭のブタ野郎も何とか侵入可能なように多少広げられていたのでガイドに続いて入っていった米国人もツアーのプログラムに参加することが出来たのであった。蒸し暑い熱帯雨林のさらに地下に存在するトンネル内部は天然のサウナのようでみるみる体中が汗と壁面に接触したときの泥にまみれていったのであった。

トンネル内部には作戦会議室や病院、司令官室等、数多くの部屋があり、マサに闇の中に地下都市が形成されていた。観光用に広げられているとはいえ、トンネル内部を移動するときは腰をかがめたり座ったまま進むような体勢を取らされるのでツアーはかなり過酷なものとなった。最後に地下の台所と食堂に出るとそこでお茶と当時べトコンが食料としていたタロイモの一種が試食出来るように取り図られていたのであった。また、このクチトンネル一帯のファシリティには数多くのべトコン土産物売り場や当時数々の米兵のブタ野郎を落とし入れたであろうさまざまな落とし穴の展示やおまけに体重130kと書かれたビルマニシキヘビまで飼われていた。さらに林から広場に出ると射撃場で射撃も楽しむことが出来、地雷を踏んで大破した戦車や装甲車も周辺に数多く転がされているのであった。

ということで、ここで得た教訓はマサ率いる悪徳財務省のような圧倒的勢力に対抗すべく、ゲリラ戦を展開するためにはとりあえず穴を掘って「王様の耳はロバのみみぃ~」と叫ぶことであったろう。

9月26日(日)

ベトナム戦争が終結するまでホーチミンはサイゴンとよばれていたのだが、私もさいごんの力を振り絞って最終日の観光に精を出すことにした。ホーチミンくんだりまで来てここに来なければべトコンを語る資格がないとまで言われているであろう戦争証跡博物館(10,000ドン)を訪問した。ここではベトナム戦争の歴史をビデオや実際に使用された戦車や大砲、爆弾などの戦争遺物、写真などで綴った博物館である。ここで多くの観光客の目を釘付けにする代物は従軍写真家が撮影した悲惨なベトナム戦争の写真や枯葉剤がこの国にもたらせた悲惨な状況証拠の展示である。また、屋外には拷問の島と呼ばれたコンソン島の牢獄「トラの檻」を復元したファシリティもあり、ギロチン台の実物やべトコンに課された様々な拷問の数々をリアルに学習することが出来るようになっていた。

その後、19世紀に建てられた赤レンガ造りのサイゴン大教会と19世紀末のフランス統治時代に建てられた中央郵便局を軽く見た後、サイゴン川にかかる橋を渡ってホーおじさん記念館(10,000ドン)を訪問することにした。ここにはホーチミン主席の革命活動の写真や記念品が展示されているのだが、一方でホーおじさんは若い頃からFTBと同様に世界各国を歴訪した実績を持っていることが確認出来た。

ホーチミン市の目抜き通りとしてドンコイ通りが君臨しており、おびただしい数のレストランやブティック、土産物屋が軒を連ねており、日本人をはじめ多くの観光客を集めていた。すべてのブティックにはお約束のアオザイがディスプレイされており、日本人ギャルも血眼になって物品の物色をしているのだが、大阪生活も板についてきたマサであればアオザイ物色ギャルに対して「いつ着んねん!?」と激しいつっこみをかましていたのではないかと思われた。

深夜11時50分発のJAL750便にて帰国の途に着き、翌朝7時半ごろ成田空港にて流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760

総宿泊費  VND 4,249,547 (¥1 = 約160ドン)

総バス代  VND 26,000

総空港までの帰りのタクシー代  $10

総空港使用料  $12

第2回カンガルーといっしょに地球環境問題をカンガェルーツアー in オーストラリア

アテネオリンピックで金メダル確実と言われた長嶋ジャパンがオーストラリアに連敗し、銅メダルに甘んじてしまった!球界再編に揺れる日本プロ野球はこの事実を最大の教訓とし、今後の野球界発展のための糧としていかなければならない今日この頃であるが、それに先んじてFTBがまずオーストラリアの軍門に下り、地球環境問題をカンガェルーと同時にオーストラリアのスポーツ躍進の秘密を解明すべく赤道を越えることにした。

9月5日(日)

9月3日(金)発の飛行機に搭乗するつもりであったのだが、何とFTB史上初となるチケットの買い間違いにより日曜日発を余儀なくされたJAL5143便はカンタス航空とのコードシェア便だったため、真紅の垂直尾翼に白抜きのカンガルーのシルエットをあしらったカンタス航空機についに搭乗することに成功した。B767-338機メルボルン行きは定刻20時15分に離陸すると適度に空いている機内で快適な空の旅の旅が提供されることとなったのだ。

9月6日(月)

メルボルン空港が霧に覆われていたため定刻よりやや遅れたものの午前8時前には到着し、スムーズに入国手続きを済ませると空港バス(A$13)で早速今日の宿泊場所であるHilton on the Park Melbourneに向かった。ホテルに荷物を預けると早速目の前に広がるオリンピックパークを散策することにした。1956年に南半球で最初に開催されたオリンピックの会場は今ではすっかり緑多き公園へと生まれ変わっており、10万人を収容するメインスタジアムは野球の祖先と言われているクリケット場へと変貌を遂げていた。また、周囲にはラグビー場やテニスの全豪オープンが開かれるロッド・ラバー・アリーナ・アット・メルボルン・パークが異様な存在感を示しており、アテネオリンピックで惨敗した杉山愛選手もこの雰囲気に飲まれないだろうかを心配になるほどであった。

オリンピックパークからやや北上すると「公園の都」メルボルンを代表するフィッツロイ・ガーデンに迷い込んだ。芝生グリーンの眩しいこの公園にキャプテンクックの小屋(A$4.0)なるものが建っていたので侵入してみることにした。メルボルン市100周年を記念し、1934年に買われ、イギリスのヨークシャーから運ばれ、この地に復元されたこの小屋の前には家主のキャプテンクックの銅像がお約束の♪ようこそここへクッククック♪といういでたちで望遠鏡片手に観光客を迎えているのだった。

フィッツロイ・ガーデンの西に堂々たるゴシック建築のセント・パトリックス大聖堂が105.8mの尖塔を天に突き刺すようにそびえさせており、そのさらに西側にオーストラリア2番目の大都会であるメルボルンのダウンタウンが広がっている。英国風の街づくりが白豪主義でならしているオーストラリアの人々が闊歩する光景にマッチしており、非常に優雅な雰囲気を醸し出しているのだが、一方では街のいたるところに公衆便所が設置されており、尿意や便意の近い人であっても安心して買い食いしながら街歩きが出来る優しい都会であることが確認出来た。

9月7日(火)

ダウンタウンのハーツでニッサンパルサー5速マニュアル車をレンタルするとメルボルンの南東137kmに位置するフィリップ島を目指すことにした。自然の宝庫といわれるフィリップ島では数多くの野生動物を目にすることが出来るのだが、それらをより確実に目にするためにまずコアラ保護センター(A$8)を訪問した。センター内はおおよそ3つのエリアに区切られており、最初に入ったエリアは遊歩道に沿って生えているユーカリの巨木の手が届きそうな場所にふんだんに葉っぱのついたユーカリの枝が移植されており、観光客が間近にコアラを見物出来る配慮がなされていた。そこには4頭ほどのコアラが住んでおり、通常動物園で見るような動かないぬいぐるみ状ではなく、アクティブに枝から枝へとジャンプしたり、ユーカリの葉っぱを貪り食うコアラの姿を見ることが出来る。3番めに侵入したエリアはマサにユーカリの自然林になっており、数10mの高さのユーカリの木のてっぺんにコアラがひっしとしがみついている姿を遠巻きに眺められるようになっていた。

コアラセンターのすぐ近くにワイルドライフ・パーク(A$11)が開園されており、カンガルーに引き寄せられるようについつい入園してしまった。入場料を支払うと同時に動物用の餌が入った小袋を渡されると早速園内を巡回してみることにした。まず最初に目についたのはディンゴという古代犬の群れであった。今から8,000年ほど前にアボリジニがオーストラリアに渡ってくるときに連れてきた犬が野生化したものだそうなのだが、どう見てもその辺を散歩している普通の犬にしか見えなかった。園内にはウォンバッドやワラビー、タスマニアン・デビル、コアラ、各種鳥類が飼育されており、中でも放し飼いにされているカンガルーは餌を見せるとピョンピョンと飛び跳ねながらやって来て隙あらば観光客の餌を奪うことに余念がない様子であった。ちなみにカンガルーという名の由来だが、白人入植者がアボリジニに初めてカンガルーを見たときに「あの動物は何?」と訪ね、アボリジニはそいつの言っていることが理解出来ずに「カンガルー(何言ってるんかわからん!)」と言ってしまい、白人入植者のカンガェルー暇もなくその名前になってしまったという間抜けな話が残っているそうだ。

マサよ、君はペンギンパレードに参加したことがあるか!?

ということでフィリップ島、いやメルボルン観光のハイライトとなっているペンギンパレードが夜な夜な開催されるサマーランド・ビーチにやって来た。コアラ保護センターのおっさんに売りつけられたペンギンプラス(A$25)といういい席でペンギンが見られるチケットを片手にまずビジターセンターでペンギンの生態を学習した後、日没近くの午後6時ころにペンギンが漁を終えて上がってくるであろうビーチで待機することにした。しとしとと降りしきる雨の中を防寒対策を万全に施した観光客たちは辛抱強く暗い海を眺めながら今か今かとペンギンパレードが始まるのを待ちわびていた。ビーチにカモメの群れが集まりだした6時40分ころについに1羽目のペンギンが姿を現した。その後、次から次に海から姿をあらわしたペンギンは5~6羽ほどの隊列を組みながら、観光客の見守るスタンドの前をいそいそと行進していった。この場所でコロニーを形成しているペンギンはフェアリー・ペンギンといって体調30cmほどの世界で最も小さいコビトペンギンとも言われる種類のものであるのだが、海から内陸の潅木地帯まで1km近くの道のりを時間をかけて行進していく様は、ディズニーランドのパレードよりも何百倍も見る価値があることは間違いないであろう。尚、巣の近くまで戻ったペンギンは何故か異様な泣き声を放っていた。

9月8日(水)

フィリップ島のBest Western Motelでペンギンを数えながら眠りに落ちた後、今日は早朝からメルボルン市内まで戻り、さらにビクトリア州西部のグレート・オーシャン・ロードを目指すことにした。オーストラリアが誇るベストドライビングルートであるグレート・オーシャン・ロードはサーフィンの町トーケーを基点とする。さらに海岸に沿って走るとローンという借金をしている人々には聞き苦しい名前のリゾートタウンを通過する。この町の山岳部にレインフォレストが開けており、アースキン・フォールという滝で軽くマイナスイオンを浴びた後、さらに沿岸部をひた走りアポロ・ベイという町のパン屋で店員のおね~ちゃんがおすすめだというカレー風味のポテトビーフパイで昼食を取ることにした。

ここまでの沿岸部の道のりは普通のオホーツク街道と大差ない通常の海沿い道のように思われた。しかしながら、グレート・オーシャン・ロードが佳境を迎えるポート・キャンベル国立公園に差し掛かったあたりから状況が一変してしまった。

マサよ、君は「12人の使徒」という神様がこの世に使わせた奇跡に近い絶景を見たことがあるか!?財務省が使い込んでいるであろう「12億の使途不明金」とはマサにレベルの違う代物なのだ!!!

というわけで、ビクトリア政観のポスターでもお馴染みの「12人の使途」を何故かさらっとスルーしてその先のロック・アード・ゴージに向かった。このあたりの海岸線は波と風の浸食により複雑に入り組んだ絶壁が形成されており、そのせいで昔ロック・アード号というロンドンからメルボルンへ向かっていた移民船がこのあたりで難破してしまったそうだ。ここにはその船で亡くなった人たちのメモリアルがあると同時に数多くの自然が作る湾岸芸術作品を間近に見物することが出来るようにトレイルが作られてある。さらに10数キロほど進むとロンドン・ブリッジという波の侵食によって形成されたかつてのダブルアーチが君臨していたのだが、10年ほど前にさらなる侵食により橋の真ん中が落ちてしまったという洒落にならなくもない奇岩が多くの観光客の興味を引いていた。

薄曇の中サンセットの時間を迎えることになった。気がつくと再び「12人の使途」を見渡せる展望台で強い海風に打たれながらたたずんでいた。このあたりには絶壁沿いに遊歩道が形成されており、「12人の使途」の色々な側面が見られるようになっていた。夕日を浴びて浮かび上がるひとつひとつの奇岩は垂直に切り立った数10mの高さの絶壁と絶妙のコントラストを奏でており、数多くの観光客が太陽が完全に沈んでしまうまでその場を離れられないでいたのであった。

ということで、オーストラリアを代表する景観を提供するグレート・オーシャン・ロードを心ゆくまで堪能した後、杉山清隆よろしく♪さよならオーシャン♪を口ずさみながらメルボルンへの長く、暗い帰路についたのであった。

FTBスペシャルレポート 怪鳥エミューとの仁義なき戦い

フィリップ島を代表する自然公園であるワイルドライフ・パークには数多くの動物が放し飼いにされている。持っていた餌のせいでカンガルーから絶大な人気を誇っていた私の前に巨大な影が長い首を前後上下にゆっくりと振りながらひたひたと忍び寄ってきた。バビル2世のしもべである怪鳥ロプロスの3分の1はあろうかと思われるその巨体の持ち主はケンタッキーフライドチキンを1店舗分ほどまかなうことが出来るほどの肉量を誇る怪鳥エミューであった。私が手にしていた餌に目をつけた怪鳥は全体像をカメラに収めることが出来ないほどの至近距離を保ちながらもカメラ目線で近づいてくるように思われた瞬間、防御が手薄になっていた左手の餌袋がくちばしの一撃によってたたき落とされてしまった!あわれな餌袋は怪鳥のなすがままに食い荒らされるのを余儀なくされると思ったそのとき、FTBが開発した地球に最も優しい武器である「肩掛け背中に回したカバン前屈み重力爆弾(右回り)」の安全装置が解除された。怪鳥の動揺を見て取った私はすばやく餌袋をガードし、カンガルー達の喝采のジャンプを背中に感じながら何とか餌を守り通すことに成功したのであった。

バビル2世の住居であるバビルの塔は♪コンピューターに守られた♪と歌われているが、私のカバンが、常に携帯されているThinkPad X31で守られていたとしたら、エミューもひとたまりもなかったであろうと思われた。

9月9日(木)

オーストラリア南東部、北半球で言うと北海道に相当する緯度にあるタスマニア島は面積は北海道より一回り小さいものの自然環境という点ではオーストラリア大陸とは一線を画す多様性を提供しているのでその実態の解明のためにわざわざメルボルンからカンタス機を飛ばしてタスマニア州の州都であるホバートに着陸することにした。午前10時頃、ホバート空港のハーツで後に坂道を登るパワーの無さに苦労することになるヒュンダイ小型5速マニュアル車をレンタルすると早速200kmほど北に位置するタスマニアのもうひとつの主要都市であるロンセストンに向かった。

タマー川が入り組んでいるロンセストンから海岸部に向かう地域はタマー・バレーと言われているエリアで数多くの種類のフルーツやタスマニア・ワインの産地として名高い場所である。タマー川の入り口にあたるジョージタウンからさらに海側に向かうとロウ・ヘッド・ペンギン観測所というフェアリー・ペンギンがビーチから上がってくる浜があるのだが、ここでもA$14を観光客からふんだくって毎夜ペンギンツアーが行われている実態が確認出来た。昼間の時間帯だったため、浜に下りることが出来たのだが、砂地には無数のペンギンの足跡が残されていた。

ロンセストン観光のハイライトとして名高いカタラクト渓谷がダウンタウンからほんの徒歩10数分のところに開けている。タマー川の侵食によって形成された切立った岩や崖の周囲にはメイン・ウォークと対岸のジグ・ザグ・トラックという遊歩道により地元のジョギングランナーや観光客ハイカーのための絶好のロケーションとなっている。渓谷の奥には美しい公園が開けており、数羽の孔雀がジュディ・オングよろしく羽を広げながら観光客を魅了している様子も楽しむ事が出来る癒し系のファシリティであった。

タスマニアくんだりまできてタスマニア・ビーフを食わなければ狂牛病について語る資格がないと言われているので宿泊先モーテルでいただいた10%割引券を握り締めてJailhouse Grillというステーキハウスでディナーを楽しむことにした。さすがに流刑地の島の食い物屋だけあり、Jailhouseの名に違わず、手錠や鎖、かんぬき等の数多くの牢屋グッズに囲まれながら味わったステーキは配合飼料を一切使用せず、牧草のみで育った健康な牛の風味を漂わせていた。

9月10日(金)

タスマニア北海岸に少し出っぱった半島があり、そこにスタンレイという港町がゴールド・ラッシュ時の伝統的な面影を残しているので訪問してみることにした。スタンレイのシンボルとしてザ・ナットという海から突き出ている台形の山のような大地が君臨しているのだが、この岩山は”Tasmania’s Answer to Ayers Rock”と言われている代物である。ザ・ナットの頂上までは徒歩20分、リフトで10分かかるのだが、タスマニア北岸のきれいな海を見ながら徒歩で頂上まで登り、ザ・ナットの周囲に沿って一周してみたのだが、決してスパナやモンキーレンチで締め付けることが出来るような6角形をしていないことだけは確認出来た。

ザ・ナットの景観にナットくして北海岸を後にするとヒュンダイ車は島内部の山岳部に向かった。タスマニア西部はクレイドル山を中心に自然の宝庫となっており、1800年代の後半に絶滅したと言われているタスマニア・タイガーが今にも襲って来そうな林を抜けてクレイドル山/セント・クレア湖国立公園に入って行った。ここは数あるタスマニアの国立公園の中でも随一の景勝を誇っており、また野生動物が最も多い地域でもある。小雨がぱらついていたため、ブッシュ・ウォーキングは出来なかったが、神秘的なセント・クレア湖がぼんやりと霧の中に浮かび上がっている姿を何とか眺めることが出来た。ちなみにウォンバッドはそこかしこでマイペースで歩いており、人が近づいても関心なしといった達観した雰囲気を漂わせていたと同時にこのあたりの動物注意の黄色の看板のモデルにもなっており、実際に車に轢かれて成仏している個体もかなり多いのは確かであった。

9月11日(土)

島北部の町ロンセストンから一気に南下してホバート近郊のポート・アーサーに向かった。そもそもオーストラリアは流刑地としての歴史を持っているのだが、タスマニア島は流刑地オーストラリアでさらに罪を犯した札付きの罪人が送られてくる獄門島という負の歴史を持った島で横溝正史も小説に書ききれず、金田一耕助も決して解決出来ないような難事件を犯した罪人たちが余生を過ごした場所なのである。

ポートアーサー流刑場跡がちょっとしたテーマパークのいでたちで観光客を集めているので将来収賄罪で臭い飯を食う可能性があるマサに先んじて罪人気分を味わうために入って見ることにした。A$24で観光パッケージになったチケットを購入すると12時半から始まるウォーキングツアーに参加することと相成った。この場所は1830年から1877年まで「監獄のなかの監獄」として恐れられており、中年女性説明員によると特にセキュリティシステムが優れているとのことでカンガルーに変装して脱走を図った囚人も警備員にまんまと見破られ銃を突きつけられて御用となったというエピソードを披露して観光客の失笑を買っていた。また、日もとっぷりと暮れた夜の時間帯にはゴースト・ツアーも開催されるそうで暗く冷たい監獄の雰囲気とあいまって観光客を恐怖のどん底に突き落としてくれるのだそうだ。

尚、A$24のチケットにはフェリーによるお得なクルーズも含まれており、時間のある人は湾内近郊のDead Islandという墓場の小島を散策出来るように取り図られているのだ。

午後5時30分発のカンタス機でメルボルン航空に戻り、マサであればA$250かかるところをHiltonHHnorsの特典により私はただで宿泊することの出来る空港内のヒルトンホテルにチェックインしたところ、Gold VIP会員の私に用意されていた部屋は角部屋の非常に広い部屋でゴジラとイチローが同時に素振りをしてもかろうじて互いのバットが干渉しないほどの無駄な面積を誇っていた。また、無償のフルーツセットがテーブルの上に置いてあったのでそれを貪り食いながら空港からの夜景を楽しんでメルボルン最後の夜を満喫することとなった。

9月12日(日)

早朝の飛行機でメルボルンを発ち、シドニーを経由して午後7時半に成田着、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 \94,980 + A$207.34 (A$1=\80)

総宿泊費  A$575

総レンタカー代  A$364.8

総ガソリン代  A$161.94

総バス代  A$13

総エンスト回数 1回(5速からいきなりオートマ車の要領でクラッチを踏まずに停止してしまったため)

協力 日本航空、カンタス航空、ハーツレンタカー、HiltonHHnors

次回はマサが訪問したにもかかわらず私が行ったことがないホーチミンでべトコン三昧が予定されております。

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in モロカイ島

アロハ マサよ ハワイ湯!?

ということで、裏の仕事の出張の移動の隙間を利用してFTBはハワイの島々の中でも「根っからのハワイ」と言われているモロカイ島の探索に乗り出す機会を得ることになったのだ。

2004年8月6日(金)

♪Love is the mistery わたしをよ~ぶの~、愛はミステリー~、不思議なち~から~で~~~~~♪と中森明菜よろしく成田空港第一ターミナルの北ウイングから午後7時55分発UA866便に搭乗すると7時間20分程度のフライトでホノルル国際空港に到着した。順調に入国を果たすと空港内の離れのビルに位置しているアイランドエアーのターミナルに移動し、午前10時10分発のモロカイ島行きの便への搭乗に備えていた。アグネス・ラム系の地元添乗員が笑顔で迎えるDHC-8型プロペラ機に乗り込むと30分程度のフライトでモロカイ空港に到着することに成功した。

アロハスピリッツに溢れたホスピタリティで対応するダラーレンタカーの空港窓口でクライスラーのネオンをレンタルすると早速島内の散策に乗り出すことにした。ハワイの原風景と言われている開発がなされていない原野を抜け、島の東部にフラダンス発祥の地と言われているモロカイランチという牧場系ロッジファシリティがある地域を軽く車で流し、その後今回の宿泊地に指定された島の南部のリゾート地であるMarc Molokai Shoresにチェックインを果たすことにした。3階建てのリゾートコンドミニアムの様相を呈したMolokai Shoresの3階最上階に入室すると設備は自炊系のファシリティの他に部屋の中の階段を上がると2つのベッドが設えられている屋根裏部屋もあり、楽に4人が宿泊出来るような体制が取られていた。さらにオーシャンビューのベランダからはラナイ島の姿もクッキリと目にすることが出来るのだ。

夕暮れ時に島の北部にあるカラウパパ展望台から隣の秘境カラウパパ半島を眺め、さらに軽く林状のトレイルを歩くとファリック・ロックという高さ2mほどの男根系奇岩が出現した。子供に恵まれない女性が触れると希望通り子宝を授かるという伝説を持つこの石はマサに少子化社会には朗報となる代物であろう。

モロカイ島唯一の町であるカウナカカイにあるフレンドリー・マーケットというスーパーで食料品を買い込み、部屋の電子レンジで夕飯の支度をするとなぜかハワイで放映されている巨人・阪神戦とキカイダー・ゼロワンを見ながら暑い夜を更かしていったのであった。

8月7日(土)

冷房がないため、扇風機をぶん回しながら暑い夜を明かした後、テラスから美しい海とラナイ島の景色を眺め、ながら早朝の優雅なひと時を過ごしていた。室内のソファーでまどろんでいるとどこかしら水が流れる音が聞こえてきた。この宿泊地のファシリティでは決まった時間にスプリンクラーが作動するので多分どこかで放水しているのだろうと別に気にもとめずに1時間ほどうとうとしていたのだが、その水の音はやけに近くに聞こえ、なかなか止まらないのでおかしいと思い、音源に近づいてみるとなんと水洗トイレのタンクの下部にクラックが入りそこから止めどもなく水が流れており、フロアが水浸しになってしまっていたのであった!早速フロントに殴りこみ、メンテナンスの業者を来させるということになったのだが、浮世よりもゆっくりと時間が流れるラナイ島では業者が来るのに2時間を要してしまったのであった!!

タンクが取り替えられて、水漏れの恐怖を克服すると気を取り直して島の西部の秘境ハワラ渓谷までドライブすることにした。Molokai Shoresからハワラ渓谷への道はすばらしいドライブコースが展開されており、きれいな海を眺めながら進んでいるうちに道はいつしか車が一台しか通れないほど狭くなっていた。さらにいくつかの急カーブを通過すると不意に美しい湾やビーチの絶景が広がってきた。ハワラ湾に下り立つとそこは原住民がサーフィンやボディボードと戯れており、その後ろにそそり立つ崖は北海岸に沿って続き、モロカイ島のダイナミックな景観を造り上げ、マサに秘境と呼ぶにふさわしい眺めを提供していたのだ。

島の東北部の沿岸にカルアコイ・リゾートというマリン・リゾートやゴルフ場が展開されているリゾート地が君臨していたので後学のために見物に行って来た。土曜日の午後ということもあってか、ビーチ沿いのピクニックエリアでは原住民がのんびりと海水浴や日光浴、飲食を楽しんでいた。

8月8日(日)

午前9時15分のフライトでモロカイ島からホノルルに帰ってくると早速ダラーで先ほど返したばかりのネオンをレンタルし、ハワイで最も優秀な学生が集まると言われているハワイ大学に行ってみることにした。夏休みのため、キャンパス内は人気も少なく、見るべきものがなかったため、適当にハワイ大学をスルーしてダイヤモンドヘッド州自然記念公園($1)に向かうことにした。ダイヤモンドヘッド山頂に到着するためには山道入り口から山頂までの距離にして1.1kmの過酷な岩山と暗いトンネル、急な階段を猛暑の中徒歩で進まなければならない。しかし、その過酷な山道を制覇した先にあるものはこの世のものとは思えないほどすばらしいワイキキビーチの遠景とダイヤモンドヘッドクレーターの全貌等の景色であったので足腰の弱い日本人観光客も息を切らし、汗だくになりながらも何とか頂上にたどり着こうと必死にもがいていた。

ダイヤモンドヘッドを下山し、車の中で水からお湯に変貌を遂げている液体を飲み干すと島の東海岸沿いのすばらしい景色を眺めながらドライブと洒落こむことにした。ブルーハワイの象徴と言われている島東部のハナウマ湾は駐車場の交通規制のために入ることが出来なかったため、その先のView Pointに車を停めて東海岸を見渡して見るとやはりこのあたりがハワイで一番海が美しいところであると再確認させられた。

さらに車を転がし、サーフィンのメッカであるノースショアからサンセットビーチに向かったもののシーズンは9月半ばから始まり、それまでは高い波も来ないため、北部沿岸は普通の静かな海水浴場に成り下がっているだけであった。その後島の南部に下り、今日の宿泊先である空港近くのベストウエスタンホテルにチェックインすると夕暮れ時のワイキキに繰り出すことにした。夏休みのワイキキはおびただしいほどの日本人観光客で多少湘南海岸化現象を起こしているもののマリオットホテルの前では華やかなフラショーが繰り広げられており、やはりここは世界最高レベルのリゾート地であることを否が応でも思い知らされたのであった。

8月9日(月)

午前7時発UA58便にてサンフランシスコへ向かい、不本意ながらここから裏の仕事モードへ・・・・

FTBサマリー

総飛行機  ¥19,760

総宿泊費  $359.85

総レンタカー代  $223.02

総ガソリン代  $13.21

次回は待望の第2回カンガルーといっしょに地球環境問題をカンガェルーツアー in オーストラリアをお届けする予定です。

協力 ユナイテッド航空、ダラーレンタカー, Symantec Corp.

マルコポーロ推薦世界で一番美しい杭州の旅

ニイハオ、マサよ!

ということで、脳梗塞で病床に臥している父長嶋茂雄の代打としてANA高速中国のCMを受け継いだ長嶋一茂が推薦する癒し系の古都杭州は北京、南京、西安、洛陽、開封とともに中国六大古都のひとつに数えられている。13世紀末には90万人の人口を数えるほどの大都市となった杭州は世間知らずのマルコ・ポーロにして世界で最も美しく華やかな街と言わしめたほどすばらしい場所なのである。

7月16日(金)

ANAのマイレージが余っていたのでマサであれば¥14万くらいかかるところを私はただで入手していた成田-杭州の往復航空券を引っ提げて速やかにチェックインをすますと、日本で一番わけのわからん祭日である海の日連休を利用した海外旅行客でごった返す手荷物検査と出国審査を抜けて午前10時05分発のANA929便にてヒーリング都市杭州に向かった。12時過ぎに杭州空港に到着すると空港からバス(15元)で市内の中心部を目指した。杭州駅前で下車すると中国人民の人間模様を見るのに最適なファシリティである杭州駅を訪問して見ることにした。最近改装なった杭州駅は外見は非常にインテリジェントな建物のように見えるのだが、一歩その中に足を踏み入れてみると36℃の猛暑の中を夏バテ気味の様相を呈したおびただしい数の人民がいたるところに座ったり、転がったりして汽車を待っている様子はマサにここは人口13億人を誇る中国であることを否が応でも思い知らされてしまうのだ。

杭州駅から猛暑の中、3kmもの道のりを歩いて今回のツアーの宿泊先となっている☆☆☆☆☆ホテルの友好飯店に向かった。15F角部屋のレイクビューの部屋は数百メートル先の西湖を見下ろすような場所に位置しており、ここからクーラーの効いた環境で幻想的なサンセットも堪能することが出来るので今日は残りの一日を部屋でダラダラしながら過ごすことにした。

7月17日(土)

東西3.3km、南北2.8km、周囲15kmの西湖の北岸に高さ200mの小山がある。山を覆う岩石に光る石が混ざっていて、陽光を受けるとキラキラ輝くので宝石山と呼ばれている山に早朝より登ることにした。宝石山の頂上に保しゅく塔という高さ45mの塔が建っており、その塔は西湖のどの位置からも確認することが出来るランドマークとなっている。宝石山の山頂からは当然のことながら西湖の全景を一望することが出来る。

午後から猛暑の中、西湖周辺の散策に乗り出すことにした。西湖の名所は「西湖十景」に代表されるのでこれらが西湖観光のポイントとなっている。周辺の遊歩道にはANAハローツアー等の看板を装った電式のトラムが走り回っており、それに乗っていけば体力を消耗せずに効率的に西湖観光が出来るシステムになっているのだが、一般的ツアーとは一線を画しているFTBはあくまでも汗を流しながら歩き回る道を選んだ。西湖のいたるところに遊覧船や手漕ぎボート乗り場があり、夏バテ気味の船頭たちが客引きに精を出していた。西湖西側には緑の木々で覆われた公園が多く、適度な日陰を提供してくれるので適当に休みながらワビ・サビの境地を提供してくれる西湖の風景に見入っていた。

ホテルに帰ってしばし涼を取って体力の回復を図った後、たそがれ時の西湖に向かうとおびただしい数の夕涼み観光客がぶらぶら歩きまわっていた。午後6時半ごろには西日が宝石山の陰に隠れるように沈み始め、幻想的なサンセットの景色と真っ赤な夕焼けを十分堪能することが出来た。

7月18日(日)

銭塘江という杭州湾に注ぐ川があり、その北岸に六和塔(20元)という高さ60m、7層8角の塔がそびえているのでバスに乗って見物に繰り出すことにした。銭塘江の氾濫を鎮めるために、呉越王の命により、970年に創建された六和塔は創建当初は9層の仏塔だったが、北宋末期に破壊され、現存するものは1163年に再建されたものである。追加で10元を支払うと塔の上まで登ることが出来、そこから銭塘江と江南の田園風景を一望することが出来る。また、寺院の山側には中国や世界各地に現存する数多くの仏塔のレプリカも建てられており、それぞれの建築様式の比較も出来るように取り図られているのだ。

バスで再び西湖周辺に戻り、西湖北側の白堤という白蛇伝で有名な橋を渡り、孤山という西湖にある島の中で唯一自然に出来た島に向かった。古来より風光明媚な場所として詩人たちに愛されてきた孤山は自然豊かな公園となっており、湖岸近くは一面蓮の葉と夏に咲き乱れる蓮の花で覆われており、非常に美しい眺望が提供されている。また、蓮の葉や花をバックにここから見る夕日も絶景であった。

7月19日(月)

杭州は緑茶の産地として有名で西湖三大名泉の水で入れたお茶は非常においしいと言われている。虎跳泉(15元)という西湖三大名泉のひとつを訪問してみることにした。ここの水は表面張力がすごく、アルミ硬貨が浮かんでしまうほどであるのだが、それを実験するためのお椀と水とアルミ硬貨セットがセッティングされている場所もあり、実験好きそうな人民が慎重にアルミ硬貨を浮かべようと四苦八苦していた。また、ここには数多くのペットボトルや巨大な水筒等の入れ物を持参した人民が侵入し、くそ暑い中、水を汲んで重たいボトルを抱えてバスに乗ってまでうまい茶を飲みたいと思うこだわり派が数多く見受けられるのだ。

午後2時ごろ発ANA930便にて帰国。

編集後記

これまで数々の過酷なツアーを繰り返してきたFTBであるが、今回はじめて数々の忘れ物をしてしまうという事態に陥ってしまった。家を出て500mくらい歩いたところでパスポート忘れが発覚し、慌てて家に取りに戻り、ことなきを得たと思っていたら、空港でデジカメ忘れが発覚し、さらに友好飯店で着替えのパンツが入っていないことに気づかされ、1枚15元で現地調達することと相成った。また、昼食は麦当労(マクドナルド)等のファストフードを使ったのであるが、数がイー、アル、サン、スーしか覚えられなかったため、大きな数字のメニューが発注出来ないという屈辱も味わうことになった。

ということで、写真がないのでこれでも見てお茶を濁しておいてくれよ!http://www.xitong.net/hztour/index.html

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760(税金のみ)

総宿泊費 ¥26,100

総バス代 37元(1元=¥15)

総空港使用料 90元

プロジェクトFTB マタギの森をまたげ!

♪風の中のマサよ~♪砂の上のマサよ~♪

ということで、日本列島にはユネスコ世界自然遺産に登録されている場所が2箇所ある。ひとつはすでにFTBJが縄文杉の解明に成功している屋久島であり、もうひとつは青森県と秋田県の県境に位置する秘境白神山地である。いずれもNHKエンタープライズが製作したドキュメント番組であるプロジェクトXに取り上げられた実績を持っているのだが、今回あらためてFTBの手によって白神山地のすばらしさが深く掘り下げられることとなった次第である。

6月19日(土)

早朝7時25分発ANA787便にて通称あきた北空港と呼ばれている大館能代空港に1時間ほどのフライトで到着したのだが、東北地方には前線が居座っており、降りしきる雨の中をニッポンレンタカーでレンタルしたミラを駆って早速現地調査に乗り出すことに相成った。空港から30分ほど走ると白神山地世界遺産センターというファシリティに行き着いたのでそこで軽く白神山地について学習した後、まだ舗装されていない山道をさらに奥地に進み、1時間ほど走って到着した場所は青森県西目屋村の暗門の滝という白神山地を代表するトレッキングスポットであった。ちょうど昼飯時に差し掛かっていたのでビジターセンターで名物マタギそばを食った後、早速暗門の滝の散策に繰り出すことにした。黄緑色がまぶしい広大なブナの原生林を分け入るようにして開かれている散策路を進むとふいに体に冷気を感じるポイントに差し掛かってしまい、何事かと山側を見上げると氷河の装いをした雪の塊のトンネルの中を吹き抜けていく風が冷却されて観光客に襲い掛かっているのだった。

暗門の滝は3段からなる滝であるが、今日は天候の関係で一番下に位置する第三の滝の見学にとどめておいたのだが、ブナや松などの大木が生い茂る急峻な岸壁から流れ落ちる滝はマサに世界遺産にふさわしい神秘的な雰囲気を醸し出していたのであった。

悪天候のため、今日は早々と予約しておいたブナの里白神館に引き払い、温泉リゾート気分と山菜を中心とした郷土料理に舌鼓を打ちながらいかにしてこの世界遺産を後世に伝えていくべきかを真剣に考えながら夜を更かすことにした。http://www.jomon.ne.jp/~misago/s_proX.html

6月20日(日)

早朝4時から野茂が松井にホームランを打たれる光景をテレビで見るなどしてくつろいだ後、ブナの里白神館が誇るしらかみの湯で殿様気分を味わい10時前には白神館を後にして雨の中を再び白神山地に乗り出すことにした。秋田と青森の県境に位置する白神山地世界遺産登録地をぐるっと囲むような山道はまだ舗装されていない砂利道が主流であるのだが、道路を取り囲む神秘の山々の緑がまぶしいほど車窓をすり抜けていく様は圧巻である。

気がつくと車は日本海側の国道101号線を走っており、とある地点で十二湖という観光地らしき看板を発見したので寄ってみることにした。十二湖は白神山地近辺の12もの単なる池状の湖が密集する総合癒し系自然観光ファシリティであるのだが、この地域の深い森の緑は非常に美しく、とある湖岸の宴会場系レストランでは拉致されたツキノワグマ2頭が不貞寝状態で飼育されていた。この近辺に日本キャニオンという日本を代表する峡谷が大きな口をあけて待っているという情報を入手したので散策してみることにした。広葉樹林の中に忽然と存在する日本キャニオンはグランドキャニオンをまだ見たことがない人にとっては最高のキャニオンではないかと思われた。

豊かな自然を満喫しながら白神のブナ林を実体験出来る森林科学館「八森ぶなっこランド」に軽く寄らせていただくことにした。ここで学ぶことに成功した最高の収穫は今回のテーマにもなっているマタギとは何かということである。マタギとはブナの森で熊や鹿などを捕らえる伝統的な狩猟民のことなのだが、「巻き狩り」という8~10人のマタギが熊を包囲し、指示するもの(ムカイマッテ)、追い出すもの(セコ)、射手(ブッパ)など、それぞれが役割を果たして仕留める狩猟法を駆使していたとされており、現在ではほとんど見られなくなっているそうである。

ということで番組も終了時間を迎えることになってしまったわけであるが、次回は天候を考慮して世界遺産の核心地域に侵入することを誓わざるを得ないほどすばらしい地域であることは間違いない!

♪ヘッドライト♪テールライト♪(Song by M. Nakajima)

FTBサマリー

総飛行機代 ¥600

総宿泊費 ¥7,500

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 ¥1,814

FTB2週間世界一周

裏の仕事の都合でアメリカとアイルランドの出張に赴くことになってしまったのだが、この機会を的確に捉えてFTBは短期間での世界一周を計画し、実行に移すことにした。

6月4日(金)

ANA006便にてロサンジェルスに到着し、そこからUA便に乗り換えて午後3時過ぎにフェニックスに到着した。空港から外に出るといきなり40℃以上の熱波に襲われてしまったのですかさずタクシーを捕まえて今日の宿泊先であるヒルトンフェニックスエアポートに向かった。ホテルでしばしくつろいだ後、路線バス($1.25)で適当に市内を彷徨い、ついにアリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地であるバンクワン・ボールパークに到着した。

午後7時過ぎにプレーボールになっているはずのアリゾナ・ダイヤモンドバックス v.s. ロサンジェルス・ドジャースの試合に到着したのは2回の表にドジャーズが逆転をした時間帯であったのだが、2回以降の石井のピッチングをしかとこの目に焼き付けることに成功した。相変わらず制球の定まらない石井であったものの勝ち投手の権利を取得する5回までを3点に抑えることに成功し、そのまま打撃好調のドジャーズの追加点により期せずして石井は今季7勝目を手にすることが出来た。

6月5日(土)

マサよ、君は世界最大のサボテンを見たことがあるか!?

ということで全米第6位の都市かつアリゾナ州の州都であるフェニックスを後にしたFTBはアリゾナ州の旧都であるツーソンにある砂漠博物館($9)に向かった。アリゾナ州からメキシコ北部に広がるソノラ砂漠の特徴やしくみを学習することが出来る砂漠博物館はおびただしいほどのサボテンと砂漠に居住する動植物を拉致して見世物にして暴利をむさぼっているファシリティである。ここでは高温乾燥地で元気に生活している毒蜘蛛、毒さそり、毒ガラガラヘビや毒のないマウンテンライオン、プレイリードッグ、ブラックベア等が夏バテして動けなくなっている状況を垣間見ることが出来る。

アリゾナというと即サボテンというイメージを思い起こさせてしまうのだが、実際にはアリゾナ州北部は高地なのでサボテンが密集している地域はアリゾナ州南部になる。ツーソン近郊にサワロ国立公園という世界最大の巨大サボテンがにょきにょき生えている地域がある。最大4~5mの高さにも達するサワロは生後70年になると腕が生え、いかにもガッツポーズをしているようないでたちでサワロに触ろうとする観光客を威嚇しているように公園のあちこちに群生している。また、1回の雨で一年分の水分を蓄えることが出来るサワロはキツツキ系の鳥に穴をこじ開けられ、その穴は最終的にはフクロウの快適な居住空間になったりしているのだ。

アリゾナ州中部にCasa Grande Ruins($5)という昔昔アメリカ原住民が暮らしていた遺跡があるので立ち寄って見ることにした。砂漠の中に忽然と出現する土を固めて建設された建物を中心にした遺跡は数百年もの間、アリゾナの過酷な気候に耐えてきた威厳を漂わせており、冷房の効いたビジターセンターの中では当時のアメリカ原住民の暮らしぶりが詳細に解説されているのだ。

6月6日(日)

フラッグスタッフというグランドキャニオンのゲートシティになっている都市のMotel6をチェックアウトすると2000年1月以来、約4年ぶりにグランドキャニオン国立公園($20.-/car)に立ち向かうことにした。

マサよ、君は数あるグランドキャニオンの展望ポイントの中で一番すばらしいポイントはどこか知っているか!?

ということで、南ゲートから侵入してしばらく山道を走るとマーサーポイントという誰もが初めてグランドキャニオンの圧倒される景色に遭遇し、人生観を変えられてしまうポイントに到着した。人々からよくグランドキャニオンで一番すばらしい景色はいつどこで見れるのかという質問を耳にするが、それは初めてグランドキャニオンを見た瞬間に他ならないのである。マーサーポイントの近くに4年前には存在しなかったインテリジェントなビジターセンターとブックショップが開業されており、ここでグランドキャニオンのすべての情報を一手に入手することが出来るようになっている。

グランドキャニオンビレッジに車を停めて園内のシャトルバスで公園の西側のビューポイントを巡りながら、終点のハーミッツ・レストに向かった。このルートにあるビューポイントからはコロラド川の眺望が堪能出来るのだが、前回見たウーロン茶色ではなく、今回は蛇行して流れる深いブルーのコロラド川をいろいろな角度から眺めることが出来た。グランドキャニオンサウスリムの東側の終点にデザートビューが君臨している。古いインディアンの壁画をあしらったウォッチタワーから東側に目を向けるとマサに砂漠のかなたの山々とキャニオンの起点を思わせるコロラド川の源流を見ることが出来るのだ。

夕暮れ時にマサとは比べ物にならないマーサーポイントに戻りサンセットを待っていた。西日がどんどん傾いていくに従ってキャニオンのグラデーションが深くなり、段々と鮮やかに赤みを増していく様子はこの世のものとは思えないほどすばらしい眺望であったため、世界中から参集した観光客たちはみんなため息まじりにシャッターを切りまくっていたのだった。

6月7日(月)

昨夜グランドキャニオンでサンセットを堪能した後、そそくさと車を飛ばして一路灼熱のラスベガスに到着したのは深夜になってしまっていたため、おとなしくMotel6に引き払い、今日はラスベガスからシカゴ経由ボストン行きの機中の人として一日を過ごすこととなった。

6月8日(火)~6月10日(木)

ボストン近郊のオフィスにて裏の仕事に精を出す毎日を送っていた。

6月11日(金)

マサよ、君はJFKの生家にお邪魔したことがあるか!?

ということで、地元のハーバード大学を優秀な成績で卒業した実績を持つJFKの生家($3)がNational Park Serviceの管理下でボストン近郊のBrooklineに一般家庭的ないでたちで保護されていたので見物に行ってきた。地上2階、地下1階建ての住宅はパークレンジャーのツアーでのみ案内されることになっており、この家で行われたJFKに対する英才教育の様子が垣間見れるようなダイニングルームや書斎、ベッドルーム、客室を巡りながら、観光客はJFKの生い立ちの秘密を暴くことが出来るようになっている。

ボストンダウンタウンのノースエンドからチャールズ川対岸のNavy Yardにかけての地域はBoston National HistricParkに指定されている歴史的地区でありBoston’s Freedom Trailという京都の哲学の道に匹敵する散歩道が展開されているのでぶらぶらしてみることにした。ここでの見所としてボストンの歴史を知る上での重要な資料が展示されているOld State House($5)や日本におけるキリンビールの祖として有名な樹木希林!?に匹敵するサミュエル・アダムス像が見守るQuincy Market等がある。

ボストン・レッドソックスの本拠地であるフェンウエイパークに野茂、石井率いるロサンジェルス・ドジャースがやって来たので$70の大枚をはたいていい席を確保することにした。午後7時過ぎに始まったゲームは投手戦の様相を呈し、淡々としたペースで進み、ボストンリードの1対0で迎えた9回の表のドジャーズの攻撃も2アウトランナー2塁と追い込まれていた。次打者の打球は高いレフトフライで試合終了かと思われた瞬間、マニー・ラミレス左翼手の落球により試合は1対1のタイスコアになってしまった。この落球のおかげで9回裏を迎えたボストンの執拗な攻撃により、レッドソックスは見事サヨナラ勝ちを収め、球場は歓喜の渦に包まれていた。

6月12日(土)

午前中にボストンからニューヨークに飛び、ラガーディア空港で真紅のマスタングをレンタルすると早速ロウアーマンハッタンに向かった。自由の女神行きのフェリーが就航しているバッテリーパークの中にキャッスル・クリントンという砦があるので軽く見学し、ウォールストリートを歩いて金儲けを誓った後、恒例のヤンキー・スタジアムに向かうことにした。午後4時という中途半端な時間にプレーボールとなったヤンキースとサンディエゴ・パドレス戦はゴジラの強打が爆発することもない平凡な試合で結局3対2でヤンキースがパドレスを下してしまったのだった。

昨日訪問したはずのJFKの生家から今日は気がつくとJFK空港でロンドン行きの飛行機を待っていた。JFK空港はいつのまにかモノレールシステムが発達しており、各ターミナル間を無人のモノレールが我が物顔で走り回っていた。午後9時35分発ロンドン行きのUA便は定刻どおりに出発し、一週間で横断してしまった北アメリカ大陸を後にしてついにヨーロッパに乗り出すこととなったのであった。

6月13日(日)

日付が変わって日曜日の午前中にロンドンヒースロー空港に到着した。ここからターミナル間を移動してブリティッシュミッドランド航空に乗り換えてアイルランドの首都ダブリンに向かった。午後2時半ごろダブリンに到着するとそのままタクシーで市の中心部であるCity Centerで最も格調高いウエスティンホテルにチェックインし、この日はダブリンの中心部であるテンプルバーを散策したりしてのんびりとしたひと時を過ごしていた。

6月16日(水)

月曜、火曜と適当に裏の仕事をこなした後、今日は午前中の内にダブリンを後にしてロンドンに向かった。ヒースロー空港から地下鉄でBritish Railwayのウォータールー駅を経由してグリニッジに向かった。

マサよ、君は世界標準時を刻む時計の目の前で西半球と東半球を跨いだことがあるか!?

ということでロンドンダウンタウン西わずか10kmほどのテムズ川沿岸のグリニッジパーク(世界遺産)はロンドンを代表する観光地の様相を呈しており、ここにはウイスキー系の船であるカティ・サークが陸揚げ状態で展示されていたり、National Maritime Musiumには7つの海を制覇した大英帝国の栄華をダイジェストで学習出来る数多くの展示品やネルソン提督にまつわるコーナーや♪ようこそここへ♪というようないでたちのキャプテン・クックのコーナー等が充実しているのだ。

ミュージアムからきれいに整備された芝生で覆われた公園の坂道を駆け上がるとRoyal Observatory Greenwichに到達する。そ~、ここがいわずと知れた世界標準時のお膝元であるグリニッジ展望台である。ここには東半球と西半球を分ける子午線がきっちりと引かれており、観光客はそのモニュメントの前で記念写真を撮りながら皆悦に入ることとなる。また、現在は使用されていない展望台は博物館になっており、正確に時を刻んでくれそうな数多くの振り子時計や各種測定器、高級望遠鏡等が所狭しと展示されている。

ANA202便にてロンドンより帰国

協力 Star Alliance, Motel6, ハーツレンタカー、Symantec Corporation

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in カウアイ島

アロハ マサよ! ハワイ湯!?

ということで、すっかりおなじみとなったフレーズで始まるFTBハワイシリーズも今回で早くも4回目を迎え、オアフ島、ハワイ島、マウイ島に続き、今回はカウアイ島に上陸する運びとなった。

2004年5月27日(木)

午後8時45分発ANA1052便に搭乗すべくチェックインカウンターに到着すると受付のおね~ちゃんに無条件アップグレードを告げられ、平然と「あ~そうですか?」と答えていたのだが、心の中ではガッツポーズとともに日本バレーボールナショナルチームを応援するジャーニーズ事務所のNEWSの歌とともに「ニッポン、チャ、チャ、チャ」コールが渦巻いていたのを誰も知る由はなかったであろう。

7時間少々のフライトでホノルル空港に到着するとInter Islandのアロハ航空のカウンターにすばやく移動して午前11時発カウアイ島リフエ空港行きのB737機に乗り込み、25分程度のフライトを経て晴れてカウアイ島に上陸することに成功した。空港で真紅のポンティアック2ドア小型車をレンタルすると早速リフエ市内にあるカウアイ博物館($7)に向かい、まず最初にロマンあふれるカウアイ島の研究を行うことにした。カウアイ島はハワイ8島のうち、最初の火山活動で出来た島であり、数多くの歴史と伝統が残されているのだが、この博物館には6000年前から19世紀までの島の歴史がわかる科学的な資料が展示されているのだ。

カウアイ博物館で島の歴史と全貌をインプットした後、ポンティアック車は島の西部に向けて進路を取った。島のほぼ中央にそびえる標高1569mのワイアレアレ山を中心として起伏の激しい地形が織り成す山々の峰を眺めながら快適にドライブしていると車は西海岸のどんつきにあたってしまったのでそこから引き返して今回の宿泊先であるシェラトンカウアイリゾートに向かうことにした。カウアイを代表するリゾートコストであるポイプ海岸は島の南部に位置しており、気候も安定しているので数多くのリゾートホテルが軒を連ねている。1992年にカウアイ島を襲ったハリケーン・イ二キによる壊滅的なダメージから長らく営業を中止し、97年12月にリニューアルオープンしたシェラトンカウアイリゾートはポイプ海岸のほぼ中心地をプライベートビーチとしておさえており、朝日も夕日も鑑賞出来る絶好のロケーションで観光客はビーチリゾートを満喫出来るような構造になっている。また、毎日夕方5時~6時にかけてサンセット・マイタイ・パンチ・アワーと称してハワイアンソングとフラダンスのライブを見ながらハワイのトロピカルカクテルであるマイタイが無償で振舞われ、リゾート客は夢のようなひと時を過ごさせていただくことが出来るのだ。また、後半の時間はリクエスト可能になっており、財務官僚OBが民間人より高い年金をもらっている事実を一般人から攻められているはずのマサであれば日本が誇るウクレレシンガーである牧信二の♪あ~あ、あ、やんなっちゃたぁ、あ~あん、あ、おどろいた♪をリクエストしていたはずであったろう。

5月28日(金)

マサよ、君は太平洋にグランドキャニオンが存在することを知っているか!?

島の西海岸にあるワイメアはキャプテン・クックがハワイを発見し、最初に上陸した地として有名である。恐る恐る上陸したクック一行は以外にも桜田淳子の歌のように♪よ~こそここへクック、クック♪と大歓迎を受けたそうだが、その理由は何本もマストのある船が原住民の予言書に出てくる「高い木のある動く島」に似ていたためだったそうだ。

ワイメア町から550号線の山道を7~8kmほど上るとワイメア渓谷展望台に到着した。マーク・トウェインが「太平洋のグランドキャニオン」と名づけたこの光景は風雨や流水で削られたさまざまな色や形の山肌が織り成す大地の彫刻と呼ぶにふさわしい代物であった。ワイメア渓谷展望台からさらに上り、550号線の終点のカララウ展望台の標高1200mの展望台からカウアイ島の優雅な山並みと太平洋のハーモニーを堪能した後、コケエ州立公園のコケエ博物館の周辺の芝生でコケエコッコと放し飼いにされているニワトリを追い回しながらゆったりとした時を過ごしていた。

島の西部のワイメア州立公園を思う存分堪能させていただいた後、今度は一転して東部に位置するワイルア州立公園まで移動することにした。島の東海岸に注ぐワイルア川周辺は、太平洋を渡ってきた人々が最初に住みついた場所でハワイ先住民のふるさとと言える。「王者の道」と呼ばれる580号線を上るとオパエカア滝という約20mの高さから流れ落ちる滝の眺望も目にすることが出来る。

5月29日(土)

シェラトンカウアイリゾートをチェックアウトするとポイプビーチの西のはずれにある潮吹き穴に向かった。ここは溶岩のトンネルに波が流れ込んで、岩場の穴から潮水を吹き上げると同時に、別の穴から空気を押し上げ、「シュー」という豪快な音をたてて観光客を喜ばすスポットである。

その後ポンティアック車は海岸線東回りの56号線でノースショアを目指した。島の最北部のハエナというところから車は通行できなくなってしまったので、適当に車を止めてあたりの散策に乗り出すことにした。そこはマサに隠れ家的な美しい白浜のビーチになっているはずが、駐車しきれないほどの車と海水浴客で賑わっていた。白浜から山を見上げると断崖絶壁の岩山沿いに北部の奥地に存在する数々の秘密のビーチにアクセス出来るトレイルが延びていたので1時間ほど歩いてみることにした。眼下に展開されるエメラルドグリーンの海はマサに未開発のオーシャンであり、ボ~っ波の音を聞きながら海を眺めているだけでも蓄積された疲労が癒されていくのが実感されるのだ。

カララウ展望台という南国のエデンの園のようなタロ芋畑を見下ろすことが出来るスポットからただただ美しい眺望を見物した後、プリンスビルというリッチなリゾート地域に紛れ込むことにした。ここにはアメリカの雑誌「ゴルフマガジン」でハワイ州No.1のコースと評されたプリンスコースがあり、総大理石作りのレセプションホールもまぶしいプリンスビルホテルには世界各国から金持ちのリゾート野郎が集まって散財していく人間模様を目の当たりにすることが出来る場所となっている。

キラウエアポイント国立野生動物保護区($3)というキラウエア灯台を中心とした崖っぷちに広がる海鳥たちの営巣地およびイルカや鯨等の海洋動物を双眼鏡で見学出来るファシリティから渡辺真知子系の口びるの大きい♪かもめがとんだ♪瞬間を見上げていると誰かがイルカを発見したらしいので早速双眼鏡を借りて眺めていたのだが、当然のことながら背中に城みちるは乗っていなかった。

ということで、アロハ航空の最終便にてハワイでもっとも景観の美しいカウアイ島を後にし、夜8時半頃ホノルル空港に着陸し、そこからThe Bus($2)にてワイキキ方面に向かった。ワイキキの入り口のDoubleTree Hotelに到着するとちょうど小腹が空いたのでワイキキビーチの近くで営業している「めちゃんこ亭」というラーメン屋でとんこつラーメンを発注したのだが、なんとここでは「笑点」にてさんざんまずいと宣伝されている喜久蔵ラーメンがOEM供給されていることが確認された。

5月30日(日)

早朝よりワイキキビーチの散歩と洒落込み、朝日に照らされるダイヤモンドヘッドと波に飲まれている朝練サーファーを見物した後、The Busにてホノルル空港に帰っていった。ANAのカウンターにてチェックインを試みると何と単にたくさん乗っていただいているという理由でまたもアップグレードされてしまったので軽く「ありがとう」と言いながらも心の中では♪ノース! イースト! サウス! ウエスト♪とNEWSの歌のリズムが軽快に刻まれていた!

天国に近い島カウアイ島

*ニワトリ天国カウアイ島

カウアイ島ではいたるところでニワトリが放し飼いにされており、人間がえさを与えるそぶりを見せると何と数10m先から羽を広げて飛んでくる光景も珍しくない。マサにニワトリ天国と呼ぶにふさわしい島なのだが、実際に車に轢かれて天国に直行しているニワトリも後をたたないのである。

*ヤシの木天国カウアイ島

カウアイ島では4階より高い建物の建立が禁止されている。それは成長したヤシの木の高さがビルの4階と同じくらいの高さになるからだ。

*リゾート天国カウアイ島

STARWOODのWEBサイトで予約したシェラトンカウアイリゾートであったが、チェックアウト時のBillの中に1泊につき$23ほどのリゾートチャージなるものがおどっていたので今後は心してリゾートに励もうと誓った次第であった。

*映画撮影天国カウアイ島

カウアイ島北部は数々の美しい風景を持っているため、絶好の映画撮影のロケーションとなっている。これまでにも「ジュラシックパーク」や「ジュラシックパーク2」等の幅広いジャンルの映画のロケ地となった実績を持っているのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 \62,300

総宿泊費 $612.77

総レンタカー代 $114.37

総ガソリン代 $31.25

総走行距離 402マイル

総The Bus代 $4

協力 ANA、アロハ航空、ハーツレンタカー

筆者プロフィール(総統の部屋)

好きな食べ物: たこ焼き、ソフトクリーム

好きな歌手: 桜田淳子(統一教会に入る前)

好きなスポーツイベント: バレーボール国際大会(ジャニーズ事務所の新人の前説付き)

好きな官公庁: 財務省

FTBJ坂本竜馬in薩摩ツアー

マサよ、君は日本で最初に新婚旅行を成し遂げた翔んだカップルを知っているか!?

5月22日(土)

ということで、早朝7:10発ANA619便、鹿児島行きは強い向かい風の影響を受けて定刻よりやや遅れて午前9:00頃に鹿児島空港に到着した。空港から林田バス(¥650)にてあらかじめ予約しておいた霧島いわさきホテルに到着したのは10時前でチェックインには程遠い時間であったため、10:15発の霧島・えびの高原周遊バスに乗り込み、昭和9年に日本で最初に国立公園に制定された霧島連山の散策に乗り出すことにした。

南九州一帯を取り仕切る林田バスが運行する霧島・えびの高原周遊バス左まわりは霧島いわさきホテルを出ると硫黄の煙がもうもうと上がっている硫黄谷や豪快に水しぶきをあげる丸尾滝、霧島神宮、高千穂牧場等、当地の観光スポットを順繰りに回り、樹帯トンネルという赤松をはじめとした雑木林の原生林を抜けると高千穂河原という場所に到着したのでここでバスを降りることにした。

日本有数のアルピニストである私は高千穂河原ビジターセンターで近隣の山々の登山、トレッキング情報をすばやく入手した後、早速神々が舞い降りると言う高千穂峰(1574m)の頂上を目指すことにした。5月~6月が見ごろであるミヤマキリシマが咲き乱れる林を抜けると段々と傾斜が急になり、足元には火山特有の石がごろごろして登山者の体力を否応なしに奪っていく。45度の傾斜をしばらく登ると火山ガスを噴出している御鉢という火口に到着し、見上げると高千穂峰はさらに高いところに位置していたので最後の力を振り絞って合計1時間半ほどの時間をかけてとうとう高千穂峰の頂上に到着した。天孫降臨の山として知られる高千穂峰の頂上に天逆鉾という剣が突き刺さっており、絶好の記念写真ポイント兼礼拝スポットとなっているのだが、「竜馬がゆく」に言わせると新婚旅行でここを訪れた坂本竜馬はなんとこの霊験あらたかな天逆鉾を抜いて喜んでいたと言うではないか!また、頂上では「イチ足すイチは・・・」 「ニー」という掛け声で恥ずかしげもなく記念写真を撮っている強者団体ハイカーまで存在していやがった。

登山者の約40%が滑って転んでいる状況を目の当たりにしながら急な斜面を一気に駆け下りて高千穂河原まで戻ると再び林田バスに乗り、えびの高原に向かった。標高1200mのえびの高原はキャンプ場やビジターセンター、ドライブイン等で賑わっており、霧島連山の最高峰の韓国岳(1700m)の登山口にもなっているのだが、その辺を散歩しているニホンジカには決してえさをあたえてはならぬよう釘をさされているのだった。

いわさきコーポレーションが総力を上げて買収した林田旅館は現在霧島いわさきホテルhttp://kirishima.iwasakihotels.com/に成り代わっているのだが、5時過ぎにチェックインすると早速霧島で1,2位を争う林田温泉、御山の湯に入湯させていただくことにした。林の中に忽然と存在する露天風呂はあつい溶岩風呂とぬるい湯、うたせ湯、サウナ、水風呂等バラエティ豊かである上、サンデッキからは遠く鹿児島空港、桜島、開聞岳の眺望を堪能することが出来る作りになっている。また、風呂の底にたまっている沈殿物は湯の花なので気にすることなくボケ~と殿様気分に浸れるのだ。

霧島いわさきホテルの地下にある林田温泉の入り口に林田熊一の銅像が奉られているのだが、彼こそ林田温泉を開発し、霧島を日本有数の観光地に成り上がらせた立役者だとの説明が誇らしげに彫られてあった。

5月23日(日)

霧島いわさきホテル新館の最上階である9階のテラスから差し込んでくる朝日で早朝6時ごろ目を覚ますと早速御山の湯で覚醒し、さらに朝飯で腹ごしらえを済ませると林田バスで霧島神宮を目指した。今からさかのぼること10年前、私が株式会社京セラ、ファインセラミック事業本部 海外営業部 産機課 産機係で活躍していたころ外人接待で夜中に霧島神宮を訪れた時は日もとっぷり暮れた時間帯であったため、実質今回初めて霧島神宮の全貌が明かされることとなった。平成元年5月19日に国の重要文化財に指定された霧島神宮はもともとは高千穂峰、高千穂河原に君臨していたのだが、霧島山の2度の火山噴火により消失してしまったため、1484年に現在の場所に建てられたそうだ。ここには絢爛たる朱塗の本殿、拝殿、登廊下、勅使殿等、その配置の妙を得て宏大で壮麗な美しさを醸し出している。

林田バス丸尾バス停で下車すると霧島を代表する幅25m、高さ20mの丸尾滝に遭遇する。さすがに温泉地帯に存在する滝だけあって滝壺は温泉色に彩られており、あたりはほのかに硫黄泉の香りがただよっていた。

1867年(慶応3年)に伏見寺田屋にて急襲され、深手を負った坂本竜馬はマブダチの西郷隆盛の勧めで新妻おりょうとともに薩摩を旅行したことが新婚旅行の走りといわれているのは日本人では知らない人はいないであろう。その際、湯治のために訪れた塩浸温泉(¥250)鶴の湯http://www.asahi-net.or.jp/~ck4t-hri/kydo/kydo/shiohitari.htmがいまだにしなびた温泉のいでたちでひっそりと存在していたので空港に帰る道すがらひと風呂浴びてみることにした。日本最強クラスの温泉街である霧島温泉の蒼々たる露天風呂群とは異なり、施設もエンターテイメントも交通の便も悪い塩浸温泉ではあるが、坂本竜馬がたどった旅情にどっぷりと浸ることが出来る最高の場所ではないかと思われたのだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,600

総宿泊費 ¥20,153(2食付)

総バス代 ¥3,090

協力 ANA、林田バス、いわさきホテルズ

FTB第6次MLB、リトル、ゴジ打てなくても許しテキーラツアー

去る3月30日と31日にニューヨーク・ヤンキースとタンパベイ・デビルレイズを東京ドームに迎えてMLB開幕戦が挙行され、ゴジラ松井が大活躍したのは記憶に新しいところである。日本有数のMLB評論家として名高い私は巧みなYahooオークションさばきで入手したチケットを手に当然のことながら2試合とも観戦することに成功した。ところで今年フィラデルフィアとサンディエゴに新しい野球場がオープンしてしまったので、先週挙行された裏の仕事の海外出張を利用してフィラデルフィアのCitizens Bank Ball Parkを訪問し、さらにリトル松井率いるニューヨーク・メッツの本拠地であるシェイ・スタジアムにて早くもリトル松井の活躍ぶりを確認するに至ったのだが、サンディエゴまでは足を伸ばすことは出来なかったので今回のFTBツアーにてカバーしなければならなくなってしまったのだ!

2004年4月30日(金)

GW2日目とはいえ、平日とあって成田空港第二ターミナルは予想したほどの混雑状況は呈していなかった。ANA006便ロサンゼルス行きは定刻どおりの午後5時10分に出発し、当日午前11時前にはロサンゼルス国際空港に到着した。ハーツで真紅のGM小型車をレンタルすると早速I-405San Diego Highwayを南下して一路サン・ディエゴを目指した。風光明媚な港町として有名なサンディエゴの湾岸沿いの小さな半島にカブリヨ・ナショナル・モニュメント($5)という米国National Park Serviceが管理している国定公園が存在しているので早速訪問してみることにした。このポイントはコロンブスが新世界に上陸してから50年後にホアン・ロドリゲス・カブリヨというおっさんがスペイン王およびメキシコ副王の名の下に、この地を占領するに至った歴史を記念して制定された公園である。ここからは太平洋の雄大なパノラマとサンディエゴ港の全景を見渡すことが出来る。

HiltonHHnorsのポイントが余っていたのでマサであれば$150くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来るHampton Inn Del Marにチェックインした後、Interstate Highway 5 (I-5)を南下してサン・ディエゴのDowntownにあるPETCO Parkを目指した。今年からサン・ディエゴ・パドレスの本拠地としてグランドオープンされたPETCOParkはDowntownはずれのConvention Centerの向かいに位置しており、Trollyと呼ばれる路面電車の停車駅から徒歩で簡単にアクセス出来るため、今後毎試合多くの観客を集客出来ることは間違いないと思われた。

リトル松井率いるニューヨーク・メッツとの対戦となったこの試合は午後7時過ぎにプレーボールとなり、先攻のメッツはリードオフマンのリトル松井を打席に送り込んだ。松井はパドレスのエースピッチャーのローレンスからいきなり三遊間を破るヒットを放ち、1回表に5点を奪ったメッツの猛攻の足がかりを作り、サンディエゴ市民の度肝を抜いたのであった。試合はその後、パドレスが徐々に追い上げていく格好で4回裏には2死満塁から松井の今季5個目の痛恨のエラーにより、その後パドレスに逆転を許す結果となってしまった。松井のその後の打席は2三振を喫するなどパッとしない内容で結果的には5打数1安打に終わってしまった。

マサよ、君はサンディエゴ・パドレスに所属する日本人投手の存在を知っているか!?

私の隣の席で観戦していた小太りのおやじはシーズンチケットを友人とシェアする形で持っており、パドレスの試合を数多く見ているのだが、彼の一番の推薦は今年セットアッパーとしてパドレスに入団した大塚である。この日のパドレスは連投のクローザー、トレバー・ホフマンを休養させるために1点リードで迎えた9回の表のメッツの攻撃に対して新人の大塚をマウンドに送り込んだ。心臓に毛が生えていると思われる大塚はメッツの誇るクリーンアップの攻撃を3人で退け、見事に今季初セーブを飾り、地元パドレスファンを歓喜の渦に巻きこんだのであった。

5月1日(土)

1998年の夏場に初めてサンディエゴを訪れた時に、ハイウエイに「CAUTION」という親子3人連れの夜逃げバージョンの看板を数多く見かけた。ハイウエイの路肩に違法駐車してマサとともに看板を背景に大蔵省(当時)の省内報に載せるための写真撮影を行ったのが、昨日のことのように思える今日この頃であるが、なんとこの看板がハイウエイで激減しているという非情な現実を突きつけられてしまった。何とかI-5上のメキシコとの国境の近くで看板のデジタル撮影に成功したので、その後安心してLA空港まで戻り、満を持してメキシコの心臓部であるメキシコシティを目指すことにした。

UA1003便は定刻通り午前11時30分に出発し、2時間の時差を越えて午後5時過ぎにメキシコ・シティのベニト・ファレス国際空港に到着した。入国審査と税関を経て自動扉が開くとそこには異様な光景が広がっていた。いきなりオリコンチャート1位に登場したNew CD「強い絆」を引っさげて衝撃的な芸能界復帰を果たした鈴木亜美系のおびただしい数のアミーゴ達がサインを求めるようないでたちで彼らの友人であるはずのホセやサンチアゴ等を迎える様はこれぞマサにラテンの雰囲気そのものであったのだ!

メキシコ・シティ滞在中の宿泊先として空港の国際線カウンターの4階に内蔵されているヒルトンホテルを3日間宿泊すれば日曜はただというスペシャルプランで予約しておいたので早速チェックインし、その足で空港内と空港周辺の散策に乗り出すことにした。まずは空港内でUS$をメキシコペソ(N$)に両替し、故障したコカコーラの自動販売機にN$10を飲み込まれてしまった後、空港の外に出るとそこには緑色の旧式ビートル型フォルクスワーゲンのタクシーが2ドアーにもかかわらず、アグレッシブに客待ちしている状況が散見されたのであった。

5月2日(日)

早朝目を覚ますと言いようもない眠気とけだるさに包まれ、何度も生あくびを繰り返してしまった。それそのはず、ここは標高2,240mの高地で空気が薄いのと昨日からの時差ぼけがいい具合にブレンドされて私の強靭な肉体から一晩にして生気を奪い去ってしまっていたのだった。

何とか気を取り直して空港から徒歩でメキシコ・シティの中心部を目指すことにした。メキシコではほとんど英語が通じず、皆スペイン語を話しているため、ありがたいときには「グラシャス」、むちゃくちゃありがたいときには「むっちゃ、グラシャス」の2語を引っさげて意気揚々とダウンタウンに乗り込んだ。人口2,000万人を誇る、世界最大の都市であるメキシコ・シティの中心はソカロという広場(世界遺産)である。ここは1,500年代まで栄えていたアステカ帝国の中心地をスペイン占領軍が支配し、アステカ帝国の神殿や宮殿を壊し、その石材でスペイン風の市街地を築き、湖を埋め立てて完成した町である。ソカロ横の巨大な教会はメトロポリタン・カテドラルといい、メキシコにあるすべての教会を統括する大教会で、ラテン・アメリカ最大級の教会建築物である。今日はたまたま日曜日だったので中では荘厳なミサが執り行われており、賛美歌と神父が降り掛けて回っている聖水であふれかえっていた。

カテドラルのすぐ隣にテンプロ・マヨール(N$38)というアステカ遺跡の寺院が古びたいでたちで観光客を集めていた。1450~1500年ごろのものと推定されるこの遺跡は1913年にビルの工事中に偶然に発見されたもので1984年の発掘終了後、一般公開されるようになったという。遺跡横にはテンプロ・マヨール博物館があり、発掘された貴重な遺品が数多く展示されている。カテドラルとテンプロ・マヨールの間のちょっとした広場におびただしい数の食い物屋や土産物屋、日用雑貨屋の露天が店を広げており、観光客と原住民で大変な賑わいをみせている。食い物は衛生状態に難がありそうな5枚でN$10のタコスや3個でN$10のホットドッグやわけのわからん乾き物系の巨大せんべいがメインであった。

メキシコ・シティは東京メトロや都営線と同等の地下鉄網を誇っており、一回改札をくぐってしまえばいくら遠くへ行っても乗り換えても一律N$2で済んでしまうため、地下鉄車内では日本では考えられないような人間模様が繰り広げられている。車内では非公認と思われるポマード売りや電池、CD等を携えた現地人が独特の口上で無視を決め込む乗客に何とか物品を売りつけようと歩き回っている。また、ギターと民族楽器を抱えた素人系ミュージシャンの下手な歌を無理やり聴かされ、なおかつ小銭を巻き上げられそうになるリスクにも対応しなければならないのだ。

というわけで地下鉄に乗って向かった先は国立人類博物館(N$38)というここにこなければメキシコ・シティに来た意味がないと言われている世界でも有数の規模と内容を誇る大博物館である。この博物館ではこの地に栄えたテオティワカン、マヤ、アステカなどの各遺跡から、永遠に保存すべき重要物を選りすぐったものが展示されており、日本から来た団体観光客も来たるべきマヤ遺跡訪問前の事前レビューのために真剣にガイドの話に耳を傾けていたのであった。

5月3日(月)

地下鉄でメキシコ・シティ北方面バスターミナルに行き、そこからバス(N$25)に乗り込みメキシコ最大の都市遺跡であるテオティワカン(N$38、世界遺産)に向かった。独自に高度な文明を生み出していたテオティワカンは、メキシコ盆地を中心として350年から650年の間に繁栄の頂点に達しており、20万人以上の人口を擁していたと推定される大都市である。ここには高さ65m、底辺の1辺が225mの世界で3番目の大きさを誇る太陽のピラミッドと高さ42m、底辺150m x 130mで多少小さめではあるが、宗教儀礼上もっとも重要である月のピラミッドがそびえている。メキシコ・シティで最も有名な観光地だけに中に入るとたくさんのストリート土産物売りたちが観光客を待ち構えていた。ある者は布から取り出した置物をこれ見よがしに提示し、ある者は「コンドルは飛んでいく」系の笛の音色を響かせていたり、またある者はきらびやかな敷物を広げて観光客を待ち伏せしたりしているのだが、中には日本語を操る上級者も存在し、奴は「タッタのヒャクエン!」と言って日本人をおびき寄せ、そっけない素振りを見せると「ビンボー!?」という捨て台詞を吐きやがったので思わずその辺に生えているサボテンを引っこ抜いてぶん殴ってやろうかという衝動に駆られてしまったのだ。また、中には「ホトンド、タダ」という私の心の琴線に触れるようなセリフを吐く売り子もいたのだが、観光地でほとんど土産を買うことがないと恐れられている私の財布の紐はついに開くことはなかった。

ちなみにテオティワカンの2つのピラミッドは観光客が自由に登頂可能になっており、遺跡の中央を貫く死者の道のエンドに位置している月のピラミッドからはテオティワカンの伽藍配置が一望出来るすばらしい景色を眺めることが出来るのだ。ここ数日ろくな物を食っていなかったので久々に日本食でも食おうと思い、私にふさわしい名前を持つJapaneseレストランである「ミカド」でミカド定食(N$195)を発注すると刺身、てんぷら、とんかつ等が次々に運ばれて来て存分にみかど気分を味わうことが出来た。

5月4日(火)

メキシコ・シティ最終日の今日はまず地下鉄で北部にあるグアルターべ寺院に向かった。グアルターべはメキシコ人の母なる寺院と言われているのだが、熱心な信者が膝行参拝といって、石畳の境内をずっと堂内の祭壇まで膝立ちで進み特別な願をかける様子を常に垣間見ることが出来る場所である。ここには1709年に建立され、今は地盤沈下のために傾いてしまっている旧聖堂と1976年に建設され、現代的な機能美を持っている円形の新聖堂が軒を並べている。2万人の信者を収容出来る新聖堂は、メキシコ・カトリックの象徴的主座であり、ローマ法王もここを訪れミサを行った実績も持っているそうだ。

電車でゴーの練習が足りない未熟な運転手が操る地下鉄で再びソカロ地区に帰り、アステカ時代にモクテスマ2世が居城としていた国立宮殿にパスポートを提示することにより侵入に成功した。この宮殿の最大の見所はメキシコを代表する壁画氏であるディエゴ・リベラの会心作であり、最大の壁画である「メキシコの歴史」である。広大な宮殿の2階の約半分はリベラの壁画で埋め尽くされており、アステカ時代から現代メキシコまでを巨大なパノラマで鳥瞰する雄大な抒情詩をこの場で十分満喫することが出来るようになっている。

ソカロから西に5分ほど歩いたところにメキシコ・シティのランドマークとなっている44階建てのラテンアメリカタワー(N$40)がそびえているので展望台まで昇り、そこからメキシコ・シティがソカロ中心に発展した町であることを確信した後、ドアを閉めるときに平気で人を挟んでしまう地下鉄でソナ・ロッサという地区に向かった。この地区は首都の繁華街であり、ブランド物屋やブティック、高級レストラン等が軒を連ねている。この地区で幅を利かせているJapaneseレストランである「ミカド」で中華やきそば(やわらかいやつ)を食った後、プラットホームの正しい停止位置に停止するために何度も切り返しを行う地下鉄に乗り、空港まで帰っていった。

5月5日(水)

昨夜UA1008便でメキシコ・シティからLAに戻ると早速レンタカーをピックアップして111マイルほど北のBakersfieldという町のMotel6で夜を明かした。観光地のメキシコで土産を買わなかったので原住民からセコいと思われているのをよいことに今日はセコイア&キングスキャ二オン国立公園($10/car)を目指すことにした。アラスカを除く北米大陸で最も高いシエラネバダ山脈の山中に隣接するこの2つの国立公園には樹齢2,000年を超える巨木の森が存在しているので、メキシコ・シティでの人いきれにうんざりした私の心と体を癒すのにはもってこいの環境が整っているのだった。

マサよ、君は現存する地球最大の生物を知っているか!?

高さ83.8m、根元の直径11m、根元の周囲31.3m、幹の体積にして約1,487㎥を誇るシャーマン将軍の木の樹齢は推定2,300年~2,700年と言われているのだが、この木は1879年にJ・ウォルバートンが発見し、彼が南北戦争中に中尉として仕えた将軍に敬意を表して命名したものである。このようなジャイアントセコイアの巨木がニョキニョキと生えているのがセコイア国立公園のジャイアントフォレストである。ジャイアント・フォレストの奥にクレセント・ミドウという美しい草原があり、そこへ行く道すがらに数多くの見所となる木がある。オート・ログは倒木の上を車が乗れるようにしてあるファシリティであり、倒木をくり抜いてトンネルを作り、車が通過出来るようになっているトンネル・ログやモロ・ロックといってこの一枚岩の頂上から美しいシエラネバダの大パノラマを一望出来る展望台もある。

クレセント・ミドウの周りを一周するトレイルを軽快に歩いていると、とある外国人カップルからトレイル沿いに熊を発見したので警戒して歩くように警告が発令された。あたりをぐるぐる見回しながら慎重に進んでいると花咲きそうな森の道で案の定熊さんに出会ったしまったのだ!気がつくと冬眠から覚めて若芽をあさっている茶色の毛に覆われたブラックベアの射程距離内に入ってしまっていたため、死んだふりをしてやり過ごすか、それとも勇敢に戦うかの選択を迫られるような状況になってしまったと感じたのだが、私の全身から発散される格闘家系の気迫に気圧されて熊が顔をそむけてしまったので今回は見逃してやることにしたのだった。

ということで戦わずして熊に判定勝ちした後、山道を縫うようにして車を北に走らせるとキングスキャニオン国立公園のグラントグローブに到着した。ここには1926年にアメリカのクリスマスツリーとして認定された高さ81mのグラント将軍の木をはじめ、倒れて中を人が通れるようになった木や火災で焼けかけた木を見物出来るトレイルが張り巡らされているのだが、ところどころに点在する茶色の切り株がどうしても熊に見えてしまうというトラウマを最後まで振り払うことが出来なかったのだ!

5月6日(木)

FresnoのMotel6からCalifornia41号線、Yosemite Highwayに乗り1時間ほど車を走らせるとヨセミテ国立公園($20/car、世界遺産)の南ゲートに到着した。昨日のセコイアの大木の幻影に引きずられるようにマリポサグローブというヨセミテ国立公園内のセコイア原生林にふらふらと迷い込んでしまった。ここでもGrizzly Giantという園内最大のセコイアの木と遭遇し、忘れかけていた熊の幻影が昨日のことのように思い出されてしまったのだった。

ヨセミテ最南部のマリポサグローブから約1時間ほどのドライブでヨセミテの中心であるヨセミテバレーに1998年10月以来、約5年半振りに登場することと相成った。5月上旬とは言え、ここはまだやっと冬が終わったような状況で残念ながらヨセミテ一の眺望を提供するグレイシャーポイントへのドライブ道は封鎖されてしまっていたのでバレーの底からヨセミテのシンボルであるハーフドームやエルキャピタンを見上げるしかなかったのだ。

かつてある女性が、ベテランレンジャーに「ヨセミテで費やせる時間が1日だけあったら何をするか?」と問いかけたところ、レンジャーは「マーセド川の川辺に腰掛けて泣きますよ」と答えたというほど1日、2日ではとても見て回ることが出来ないほどすばらい景観とアクティビティを提供するヨセミテであるが、いつまでもメソメソしているわけには行かない私はヨセミテの散策を午後2時前には切り上げてオークランドへ急ぐことにした。

FTBのホームグラウンドであるオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムの駐車場代は前回来たときの$8から$13に値上げされていた。ゴジラ松井率いるニューヨーク・ヤンキースを迎え撃つオークランド・アスレチックスはここ数年アメリカン・リーグ西地区で優勝するほどの強豪チームに成り上がってしまったことがインフレ傾向に拍車をかけていたのだ。午後7時5分にプレーボールとなった試合は2回表にいきなり4点を専攻したヤンキースの有利な展開で進むものと思われた。しかしながら、ヤンキースの先発ピッチャーであるバスケスがガス欠を起こした6回の表にはアスレチックスに7対4と逆転を許し、そのままゴジラの逆襲を見るまでもなく試合は終了してしまった。MLBで最も柄の悪い38,000人余りの観客のそれでも半分近くはヤンキースファンであったのだが、試合終盤間際には「レッツゴー・オークランド!」という大歓声で埋め尽くされていた。

5月7日(金)

San Joseよりやや北のFremontのMotel6で夜を明かし、早朝5時半から車を飛ばして午前11時前にはロサンジェルス国際空港に到着した。ANA005便でラストサムライをはじめ4本の映画を見ながら、渡辺謙もこの程度の演技ではハリウッドで通用しないなと思いながら帰路につく。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥136,060 + $400.44

総レンタカー代 $176.40

総ガソリン代 $105.81

総走行距離  1,445マイル

総宿泊費 N$3,687.08 (N$1 = ¥12程度) + $104.09

協力 ANA, HiltonHHnors, ハーツレンタカー, Motel6(http://www.motel6.com/

FTBSEA逆ジャパ行きツアー in マニラ

昨年のワット驚くアンコールワットより恒例となった年度末の東南アジアツアーの目的地として総統選挙でそ~と~盛り上がった台湾よりさらに南のフィリピンの首都マニラが晴れて選出された。アルカイダによるテロに脅える日本よりもさらに治安が悪化しているフィリピンの都市部をあえて選んだのは実はまだ行ったことがなかったからに他ならない!

3月26日(金)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば10万くらいかかるところを私はただで入手していたマニラ行きの往復航空券を手に颯爽と成田空港第二ターミナルのJALのカウンターでチェックインを行うと、私が通常搭乗するANAの便では見たこともないような大きな数の座席番号を手にしてしまった。午後6時頃にJL745便、B747-SR機に搭乗すると機内はルビー・モレノを彷彿とさせるジャパ行き風の出稼ぎ里帰り系フィリピーナが英語、タガログ語、カタカナ日本語等でお互いの意思の疎通を図っていた。

南国フィリピンの首都であるマニラのニノイ・アキノ国際空港に登場したのは午後10時を回った時間であった。入国審査を経て空港の外に出ると月はどっちに出ている(http://www.inagawamotoko.com/tarebox/tare-01/rubi.html)かを確認する暇もなく、クーポンタクシーの客引きのおやじに捕まってしまった。深夜便の到着で空港からマニラのダウンタウンに向かう途中で強盗に遭うケースが増えているので気をつけやがれという外務省の通達をしっかり守るために割高のクーポンタクシー(450ペソ)であらかじめ予約しておいた高級ホテルであるマンダリンオリエンタルに引き払うと今日はホテル内のフィリピンバーに繰り出すすべもなく、とっととフテ寝を決め込むことにした。

3月27日(土)

マニラというと貧困と混沌、退廃と危険というイメージが強いのかも知れないが、今回私が宿泊しているマカティはメトロ・マニラの経済と商業の中心であり、数多くの高層ビルと超高級ホテルが林立している比較的安全な地区である。年間平均気温が25℃を楽に越え、なおかつ毎日のようにヒートアイランド現象を起こしてしまいそうなマカティを歩いていると目が回って来たので間違いなく冷房が効いているフィリピン最大のショッピング・センターであるランドマークやグロリエッタ等で涼を取ることにした。数多くのブランド品が軒を連ねるショッピングセンターであるが、さすがに貧しい国だけあって日本の2分の1から3分の1で物品の購入や飲み食いが出来ることが確認出来た。

グロリエッタからインターコンチネンタルホテルを超えるとMRTのアヤラ駅がある。自動販売機が発達していないので窓口でチケットを買い、自動改札機を抜けてキンキンに冷房が効いているMRTの車両でケソンへ向かった。第二次世界大戦後しばらくケソンはフィリピンの首都として君臨していたのだが、その後周辺の17の市や町が統合され、メトロ・マニラが誕生してしまったので現在ケソンはその一部分と成り下がっているのだ。

ケソン・アベニュー駅で下車してアベニュー沿いに2km程進むと市民の憩いの場所となっているケソン・メモリアル・サークルに行き当たる。その中央に初代大統領のマニュエル・ケソンを記念して建てられたケソン・メモリアル・モニュメントがそびえている。公園内では間違いなく30℃を越す暑さの中で元気に遊びまわっている親子連れや日射病、熱中症状態でベンチや芝生に横たわっている虚弱現地人等をウォッチング出来るようになっている。

ケソン・メモリアル・サークルに隣接する形でニノイ・アキノ公園(8ペソ)が存在していたので入ってみることにした。園内に入るといきなり歯を見せて笑っているベニグノ(ニノイ)・アキノの銅像に遭遇するシステムになったいるのだが、ここでは判官びいきのフィリピン国民が不正蓄財にいそしんだマルコスよりも暗殺されて英雄になったアキノ氏を溺愛している様子を嫌がおうにも実感させられてしまうのだ。尚、園内には野生動物救助センターも併設されており、ここは鳥類や哺乳類や大蛇やワニを救済するどころか狭い檻に閉じ込めて虐待しているのではないかと思われるほど普通の動物園状態であった。

3月28日(日)

高架鉄道のMRTとLRTを乗り継いでメトロ・マニラの中心であるマニラ地区に向かう車窓から飛び込んでくる景色は都会的な高層ビルと疲弊したバラックの集合住宅等であった。マニラ地区で最強の観光地となっている場所は16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根城とした城塞都市であるイントラムロスである。周囲を城壁で囲まれているイントラムロスの中央にカトリック教徒の多いフィリピンで最も重要な教会とされているマニラ大聖堂がそびえていたので侵入してみると中で結婚式が行われていたので成り行きで新郎新婦を見守り、且つ小銭の寄付までさせられてしまった。

イントラムロスの最北部にパッシグ川というマニラ湾に注ぐドブ川系の汚染された川が流れており、そこに面した形でサンチャゴ要塞(40ペソ)が位置していた。サンチャゴ要塞はかつてのこの城塞都市の中で、戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうで第二次世界大戦中に日本軍が占領している間に多くのフィリピン人が命を失った所でもある。この中にフィリピンの国民的英雄であるホセ・リサールの記念館があるので見学させていただくことにした。リサールは医者、詩人、小説家等、私と同様に多彩な才能を誇っており、剣よりも強いとされているペンの力でスペイン支配の偽善性をついた小説を執筆したものの結局迫害に会い、ここサンチャゴで銃殺されてしまったという。ただし、彼の処刑は民衆による反政府運動に火をつけ、それはフィリピン全土に広がっていったそうで、英雄としての彼の業績を讃えるためにこの地にリサール像と記念館が残されているのである。

ユネスコ世界遺産にも指定されている16世紀に建立されたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会であるサン・オウガスチン教会に入ってみると、なんとここでも結婚式が催されていたので何とか寄付を免れるべく、適当に壁画や祭壇を鑑賞してとっとと撤収することにした。

3月29日(月)

熱帯性気候が醸し出す暑さと湿気に耐えられず午後2時20分発のJL744便にてジャパ行きの人となる。

マニア垂涎のマニラ情報

*フィリピン最強の路線を持ち、かつ最もコストパフォーマンスの高い公共交通機関としてジプニーが君臨している。ジプニーは米軍の使っていたジープを15人ほど乗れる乗り合いバスに改造したもので乗り降りに関してはかなりフレキシブルであるが、止めるときはある程度命をかけなければならないだろう。尚、3月29日(月)付けまにら新聞ではジプニー運賃値上げをめぐって、業界団体の「全国運転手運行者組合」がストを実施する構え  であることが報じられていた。

*現在マニラでもっともホットな犯罪は睡眠薬強盗である。これは薬局から睡眠薬を盗む強盗ではなく、観光客をたぶらかして食事に誘い、飲み物や食い物の中に睡眠薬を混入させてバク睡状態に陥ったころを見計らって金品を盗むという財務省系の先行投資型接待式の高等犯罪だと言えよう。

*若王子元三井物産支店長誘拐事件(http://www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200301/26/20030127k0000m040079000c.html)に代表されるようにマニラでは治安がよくないので注意しなければならないのだが、街中のここかしこで武装した警官が張り込んでおり、ホテルやショッピングセンターの建物や空港に入るときには金属探知つき手荷物検査が厳しく実施されるのでスカスカ警備の日本よりも却って安全であるのかも知れない。

*毎朝食卓で”フィリピン”が読める日刊まにら新聞が私が宿泊しているホテルの部屋に届けられていた。この新聞にはフィリピンの情報だけではなく、日本の記事も載っており、また、飲み食い屋やフィリピンパブの情報も豊富なので便利な情報源となっているのだ。

*まにら新聞によるとフィリピンのルバング島で発見された元日本兵である小野田寛郎が帰還して30年になるというではないか!日本では英雄扱いされた小野田氏も現地では原住民を襲った悪者として復讐さえも考えているフィリピン人が多いことを決して忘れてはいけないのだ!

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760(税金のみ)

総空港使用料 P550(1ペソ=約¥2)

総宿泊費 P17,439.56

総タクシー代 P1,000

総MRT代 P53.-

総LRT代 P30.-