FTBJ中居正広推薦 砂のウッ!ツアー

マサよ、君は天然砂むし温泉で遠赤外線攻撃を食らってふらふらになったことがあるか!?

私は・・・何とか持ちこたえることが出来たぜ!!

ということで、3月に入って一段と寒さが厳しくなった今日この頃であるが、2月の最終週に地元のサンフランシスコに出張に行って土日も休まずに裏の仕事に精を出し、疲労が蓄積してしまったため、かねてより体験しなければならないと考えていた砂むし温泉でいい具合に蒸しあがるため、わざわざ鹿児島くんだりまで足を伸ばすことになったのだ。

3月6日(土)

早朝7時10分発のANA619便にて午前10時半ごろ鹿児島空港に到着すると空港バス(¥2,100)で一路指宿に向かった。九州南部をえぐるように入り組んだ錦江湾に沿って走る高速道路と国道を南下すると薩摩半島最南端に位置する指宿に正午前に到着することが出来た。

鹿児島の雄として名高い南国交通グループ、有村産業をしのぐ勢いで暴利を貪っている鹿児島で最大級の財閥である岩崎グループが展開するいわさきホテルズで最も伝統と格式のある指宿いわさきホテルはチェックインの時間が2時からということだったので適当に指宿市内で時間をつぶすことにした。駅の近くに適当なラーメン屋があり、田舎のラーメン屋のくせに¥700も取っているのはけしからんと思ったが、煮込みラーメン風の鍋で登場した薩摩ラーメンを目の当たりにして度肝を抜かれてしまった。錦江湾に面する沿岸部に砂むし会館「砂楽」というファシリティが多くの観光客を集めており、建物から出てきた浴衣姿の老若男女を目で追っていると屋根で覆われた砂むし場に消えていってしまった。

待望の午後2時近くになって指宿いわさきホテルにチェックインすると念願の砂むしを体験することに相成った。いわさきホテルが経営する砂むし温泉はホテルの宿泊客でさえ、定価の¥1,050を支払わなければならないほどの格調高さを誇っており、地下4階の受付でトロピカルな文様をあしらった浴衣を受け取る際に簡単なオリエンテーションが施される仕組みになっている。ここでは主に途中で着替えなければならない浴衣のローテーシンや50℃という高温のため、低温やけどを起こす可能性のある砂の中での身のこなし方、とくにかかとやケツのさばき方を懇切丁寧に解説していただけるのだ。

砂むし場は対岸の大隈半島や晴れた日には種子島、屋久島を見渡せる浜辺に位置しており、冬季のため、巨大テントが張られた一角が中居正弘も推薦する巨大な砂の器と化しており、もうもうと煙る湯気の中で砂に埋もれている観光客や早く砂に埋まりたい順番待ちの老若男女の熱気で満ち溢れていた。そしてついに私の順番が回って来てしまった。数多くの人々が埋まった実績があり、人型に掘られた砂の器に身を横たえるといきなり摂氏50℃の熱気が私の肉体のB面から突きあがって来て思わず砂のウッ!ツアーと叫びそうになるのをぐっとこらえているとバイト風の砂かけ要因が少しずつスコップで黒砂を体にまぶしてきた。となりにいた子泣きじじいとその隣の砂かけられババア等が厚さに耐え切れずに早々と退散するのを尻目に私は推奨時間の10分~15分以上も砂の中でもがき苦しむことになったのだった。ちなみにこのファシリティにはどっきりカメラを彷彿とさせる野呂圭介のような専任カメラマンがうろついており、ハンディタイプの砂むし温泉の看板を枕元に突き刺してに写真を取られチェックアウト時にその写真を高値で引き取るシステムになっていた。

いい具合に蒸しあがった観光客はテントのとなりにある露天風呂に浴衣のまま浸かり、砂を落とすと男女別々のシャワールームでさらに汚れを落とし、湯上り用の浴衣に着替えた後、オプションとして地上4階の空中温泉で錦江湾を眺めながら優雅な時間を過ごすことが出来るのだ。

ところで莫大な財力を誇る指宿いわさきホテルの全容であるが、おおまかに和室館と洋室館に分かれており、館内には巨大な滝が流れ、地下は巨大ショッピングセンターと化しており、また、暇人のためにゲーセンやパチンコ屋、カラオケボックス等が配備され、私のような芸術家肌の人間のためには岩崎美術館も隣接されており、レストランはフレンチ、中華、和洋食等何でもそろっており、当然オーシャンビューの客室にはバルコニーが設えてあるのであった。http://ibusuki.iwasakihotels.com/index.html

3月7日(日)

早朝より、露天風呂で錦江湾の風景を楽しんだ後、駅前のトヨタレンタカーに転がっていたヴィッツをレンタルすると薩摩半島南部の散策に乗り出すことにした。薩摩半島の本当の最南端に長崎鼻という尖った場所があり、その近くに世界にひとつだけの花を標榜するスマップ系のファシリティであるフラワーパークかごしまが開業しており、通常であれば¥600の入場料を徴収するところをフラワーフェスティバル開催期間中の特典として無料で開放されていたので入って見ることにした。ここは非常に有名なパークらしくロシアのエリツェン元大統領夫妻も訪問した実績が記念写真により誇らしげに展示されていた。ご多分にもれず園内には色とりどりの花が咲き乱れており、薬物中毒から見事に再生を果たした槇原敬之 であっても安心して創作活動に打ち込める環境が提供されていた。

日本百名山の一つに数えられ、標高922mながら富士山よりもすばらしい裾野の形状を誇る開聞岳の周りをぐるっと一周して枕崎を経由して知覧町に突入することにした。

マサよ、君は若き神風特攻隊員の悲哀を目の当たりにして絶句したことがあるか!?

ということで、知覧町は知る人ぞ知る太平洋戦争末期の沖縄決戦に人類史上類のない自爆テロの原点となった神風特攻隊が飛び立って行った飛行場のあった場所である。若き日本戦士の御霊を弔うために特攻平和観音像が祭られており、そのとなりに知覧特攻平和会館(¥500)が開業していたので日本の歴史に目をそむけることのないように見学を試みることにした。http://www.town.chiran.kagoshima.jp/touristinfo/heiwakaikan/

館内は観光バスで乗りつけたと思われるツアー客で賑わっており、中年のご婦人たちは特攻隊員の家族に宛てた遺書や絶筆等を見てむせび泣いていた。主な展示品は特攻隊員のメンバー表や遺留品、本物の神風の鉢巻やゼロ戦で名高い零式戦闘機等、中島飛行機や三菱重工、富士重工が製造した日本が誇る戦闘機の数々が所狭しと並んでいた。尚、神風特攻隊に参加した若者の年齢は最小17歳から28歳くらいまでで今時の高校生や大学生は必ずここに来てお参りしなければならないと思われた。

知覧町を後にして、ネス湖のネッシー、屈斜路湖のクッシー、琵琶湖のビッシー(まだ誰も見たことがないが・・・)に匹敵する未確認水生生物であるイッシーで有名な池田湖で世界最大のうなぎを垣間見た後、昨晩からの雪が残る指宿スカイラインを抜けて鹿児島空港に帰る途中に桜島の御岳が雪に覆われている斜面を横目に見ながらマサをはじめとする財務官僚の器の小ささを再認識しつつ帰路についたのであったが、鹿児島空港のANAのラウンジで悪役商会を取り仕切る八名信夫に遭遇していきなり、ウッ!つあ者がいると一瞬ひるんでしまったのは実は私の方であった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,600

総空港バス代 ¥2,100

総レンタカー代 ¥6,300

総ガソリン代 ¥1,227

総高速代 ¥1,360

総宿泊費 ¥16,800(朝食つき)

FTBSEAそ~と~すごい南の島ツアー

マサよ、君は中国語を話す沖縄県に足を踏み入れたことがあるか!?

私は・・・踏み入れてしまった!!ということで、沖縄県与那国島の西わずか111kmに位置する台湾は1894年の日清戦争の勝利から1945年の太平洋戦争終了後まで日本の領土として君臨していた。今回のFTBSEAは台湾の首都台北に上陸し、その実態を解明すると同時にそ~と~すごい現実に直面することと相成ったのである。

2月13日(金)

ユナイテッド航空が提供する格安WEBチケットで購入したE-Ticketにもかかわらず、スターアライアンスゴールド会員の私の実力が反映されて首尾よくビジネスクラスへのアップグレードが実現され、午後7時発のUA853便にて1時間の時差を超えて台北の中正国際空港に到着したのは午後10時を回った時間であった。空港バス(NT$110)にて1時間ほどの時間をかけて台北駅に着くとそこから徒歩であらかじめ予約しておいた現地の一流ホテルの一つであるアンバサダーホテルに向かう道すがら、おびただしい数のセブンイレブンとファミリーマートを横目に歩行者の脇をすり抜けて行く原チャリ攻撃をかわしながら歩いているとここは日本国の一部ではないかという感覚を否応なしに覚えてしまうのであった。

2月14日(土)

これといって観光スポットのない台北市内であるが、世界四大博物館の一つに数えられている故宮博物院(NT$100)は見ないと一生後悔すると言われているのでそれはまずいと思い見物させていただくことにした。故宮博物院は中国歴代皇帝が収蔵したコレクションをもとに、約62万点もの収蔵品を誇る中華文化の殿堂であるのだが、なぜその施設が中国本土ではなく、台北にあるかというと毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党の紛争のどさくさに紛れてお宝を引き継いだ中華民国政府が台湾に運んでトンズラしてしまったからである。

故宮博物院の展示品は中国4,000年の歴史の深さを感じさせるような古代の青銅器から、ウエッジウッドに引き継がれたボーンチャイナ系の陶器類、難しい漢字がたくさん書かれた古い紙や水彩画、玉器彫刻・多宝格等多岐に渡っているのだが,もっとも私の目を引いたのはハクション大魔王が出てきそうな形状をした「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ~ン」系の壺であったのは間違いない。

再び台北の市街地の中心に戻ると私にゆかりのありそうな名前を持つ総統府に向かった。かつて日本がそ~と~すごかった1919年に完成したこの建物はかつての日本統治時代の台湾総督府ビルで国民党政権が中国大陸から移って来た後に蒋介石の肝いりで戦争により全焼した内部を改装して総統府としてよみがえったのであった。さすがにデスラーやヒットラーや私と同じ役職を持つビルだけに頑強そうな台湾兵により強固な警備体制が敷かれていた。

マサよ、君は台湾名物夜市というものを知っているか!?

市民の夜遊び好きが嵩じて不夜城とよばれる台北にあって夜市は日本の祭りの夜店のような催しが毎晩行われているという世にも恐ろしいところである。日もとっぷり暮れた後に台北二大夜市のひとつである土林夜市を訪れた。週末の夜ともなるとおびただしいほどの老若男女で溢れ返ってしまう通りを歩いていると数多くの食い物屋の屋台や手作り式パチンコ系マシンや風船鉄砲割りぬいぐるみゲット等のゲームに興じている台湾人の狂想ぶりを目の当たりにすることになってしまうのだった。

2月15日(日)

ホテルの近くにMRTという非常に便利な地下鉄系の乗り物の駅があったのでそこからMRTで新店市にある碧潭(ピータン)という腐った卵系の観光地に向かった。ここは新店市の目玉的観光スポットで碧色に輝く川が切り裂く峡谷をまたいでいる赤い吊り橋はこの地のランドマークになっている。

MRTで台北市中心部に戻ると台北市内観光の目玉になっている中正紀念堂に侵入した。中山と言えば近代中国建国の祖である孫文の別名であるが、中正とは台湾ではそ~と~すごい人物として名高い蒋介石総統の別名となっている。この紀念堂は89歳でなくなった総統を記念して建てられた箱物であり、紀念堂へ登る階段は89歳までしか生きられなかった総統の年齢と同じ89段になっているのだ。建物の中には随時衛兵に守られた総統の銅像がデンと構えており、1階部には総統のオフィスのレプリカや総統が乗り回していた高級キャデラック等も展示されている。

紀念堂の程近くに二二八和平公園という日本統治時代の1899年に造られた洋風公園があり、その中にある国立博物館の脇に台湾鉄道に使用された騰雲号というSLが展示されているのだが、実はその汽車ポッポの正体は1872年に新橋~横浜間を走っていた日本の蒸気機関車だったのである。

再びMRTで今度は市の東部にある國父紀念館という孫文の生誕100年を記念して1972年に建立された記念館を見物した後、その近くにある台北世界貿易中心近辺をさまようことにした。この地域はビジネス街と繁華街やアミューズメント地区が合体したような場所であり,竣工間近の超高層タワーや映画関連施設のワーナービレッジや新光三越という大手のデパート等が林立し、台北のファッショナブルな若者達で終日賑わっているのであった。

西門町という地区に台北の三大観光名所のひとつである龍山寺という台北で最も古い仏教寺院があるのでひやかしに行ってきた。寺院の内部はおびただしい数の参拝客であふれており、極彩色で彩られた本殿の美しさに圧倒されそうな雰囲気であるが、これはすべて庶民から寄付金をボッタくって建てられたものだそうだ。

龍山寺の西を南北に走る華西街に観光夜市がたっているのだが,ここはいかにも台湾という若干怪しげな雰囲気を漂わせている場所である。アーケードには数多くのフットマッサージ屋やリポビタンDの数倍もの滋養強壮力を持っていそうなへび料理屋やスッポン屋が並んでいるのだが,それらの店の軒先にはこれ見よがしにニシキヘビ系の太蛇や毒蛇がうようよと蠢いているのであった。

2月16日(月)

午前10時30分発UA852便成田経由サンフランシスコ行き便にて帰国

*台北SARS警戒情報

 台北市内の人が集まりそうな場所(故宮博物院、中正紀殿堂等)では建物に入る前に必ず係りの人に体温計をおでこに当てられ発熱チェックの状態が繰り広げられているのであった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥44,090

総宿泊費  NT$14,520

総空港バス代  NT$210

協力:ユナイテッド航空

FTBJ北の国から2004たんちょう

♪ア~ア~アアアアア~♪

ほたる、じゃなかった、マサよ~

東京という大都会で生活しているとだんだんと生活がたんちょうになってくるわけで、何か生活に変化を求めて通常であれば「ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし)」の第3回が自然発生するこの時期でありますが、このたびは釧路に特別天然記念物のタンチョウ鶴を見物に来る事になったわけで・・・

1月24日(土)

日本列島を今年最大の寒波が襲ったのはほんの先週の出来事だったわけで、ANA741便にて午前中に到着した釧路も寒波の余波で氷点下5℃と冷え込んでいたわけで、早速ニッポンレンタカーで雪国仕様のカローラを借りて釧路湿原を目指すことになったわけで・・・

ラムサ-ル条約、正式名称を「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」によって保護されている釧路湿原国立公園は日本でも有数のタンチョウの生息地兼繁殖地になっているわけで、特に給仕を行っている冬の時期は給仕場で数百羽の鶴がダンスを行っている姿は自然写真家に絶好のシャッターチャンスを供給するわけで、とりわけ、紅白歌合戦をリストラされた日本野鳥の会員はこの時期には必ずここを訪れなければならないわけで・・・

空港から30kmほど北に走った鶴居村の鶴見台という場所はタンチョウが集まる撮影ポイントとして有名なわけで、毎日ホームページでタンチョウの情報を更新しているタンチョウマニア達が、厳しい寒さにもめげずに望遠鏡でタンチョウの数をカウントしてノートに記録するという短調な作業が淡々と進められているわけで、途中で観光バスに乗ってやってきた中国人観光客たちも真っ白な氷原上で繰り広げられている優雅な鶴のダンスに感動しているような中国語をしゃべっているわけで・・・

あいにく、鶴居村唯一の温泉宿である(財)日本野鳥の会協定旅館であるグリーンパークつるいは満室のため宿泊出来なかったわけで、仕方なく、温泉宿を求めて内陸に向かい、凍てついた摩周湖を見ながら凍った体に活力を取り戻すためにソフトクリームを食べることになったわけで、その後訪問した硫黄山と屈斜路湖の砂湯へ向かうコースはありきたりの観光コースだったわけで、いつも私の後を中国人観光客が追いかけてくるというパターンに悩まされたわけで、それでもなんとか屈斜路湖岸の白鳥の面倒を見ることが出来たわけで、結局いつも泊まっている川湯温泉の国民宿舎に逃げ込み中国人の集団を巻くことに成功し、今日一日を無事に過ごすことが出来たわけで・・・

1月25日(日)

川湯温泉を発って、弟子屈を抜け、国道243号線を東に向かい、カローラのカーナビが繰り出す「そろそろ2時間です。休憩しませんか?」という声を無視して根室方面に走っていると段々と「北方領土を返せ!」、「島は奪われた!」という物騒な看板が増えてくるわけで、日本最東端の岬である納沙布岬にお昼前に到着したわけで・・・

納沙布岬は日本で一番最初に朝日が見られる場所として有名なわけで、またここから目と鼻の先には北方領土があり、そこにはロシア人が暮らしているのかと思うと何故か不思議な気分になってくるわけで、北朝鮮問題ばかりでなく、鈴木宗雄亡き後、誰か北方領土問題も真剣に考えてくれる議員が必要だと思われるわけで・・・

根室市の南部に落石という町があり、かけおちするには最適な物悲しい雰囲気を醸し出している所だと思ったわけで、その辺で新巻鮭でも買って、適当に歩いている女子に向かって田中邦衛調で「ほたるゥ、いつでも富良野に帰ってくんだぞぉ~!」と叫ぼうかと思ったのですが、あいにく鮭が売ってなかったので断念せざるを得なかったわけで・・・http://www.kitanokunikara.net/ (北の国から名セリフ集/95秘密、下から2番目)

根室から落石を抜けて海岸線に沿って走る道路は美しい断崖風景が楽しめる観光道路なわけで、厚岸という町の道の駅で名物のカキの柳川風どんぶりとソフトクリームで腹ごしらえをして釧路への帰路を急いだわけで、午後4時を過ぎると真っ赤な夕陽が沈んでいく風景が美しいわけで、そのまま5時30分発のANA744便に搭乗する前に空港で夕張メロンソフトクリームを衝動食いしてしまったわけで、何となく次の日の月曜日はお腹の調子が悪くなったと感じてしまったわけである。

総飛行機代 \2,600

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 \3,562

総走行距離 508km

総宿泊費 \6,500(2食付き)

次回予定:鋭意検討中なわけで・・・

三波春夫推薦FTBSEAバンコク博覧会

♪こんにちわァ~、こんにちわァ~世界のマサから~♪

ということで、SARS渦により恐怖のどん底に叩き込まれている広州ツアーの余韻も冷めやらぬうちに南部でイスラム過激派のテロが盛んになっているにもかかわらず、世界の国からおびただしい数の観光客を集めているアジアで最もアジアらしいと思われているバンコクから最新情報とともに「お客様は神様です!」スピリットをお届けすることにする。

1月9日(金)

搭乗と出国手続きをつつがなく終わらせ、ANAのSignetラウンジでボケェ~としながらくつろいでいるとラウンジのコンシュルジェと名乗る職種に対して年相応の女性が3年連続3回目のANAマイレージクラブダイヤモンド会員の座を防衛することが約束されている私のところにわざわざ新年の挨拶に来やがった。「昨年はたくさんご搭乗いただきありがとうございました。今年もよろしくお願いします。」とありきたりの言葉でジャブを打ってきたものの、一瞬「いつも安いチケットとANAご利用券でただ同然で搭乗させていただいて申し訳ありません。」と、ついカウンターの本音が出そうになるところをグッと抑えながらも何とか持ちこたえることができた。

ANA915便バンコク行きは定刻どおり午後5時25分に出発し、バンコクのドン・ムアン空港に夜の10時30分頃到着した。空港からエアポートバス(100バーツ)に乗り今回のツアーの宿泊先となっているウエスティンホテルがそびえているスクンビット通りで適当に下車した。この通りは外国人社用族のための高級住宅街として発展したエリアで高級ホテルや外国人向けのショップやレストランが軒を並べており、多くの白人で夜遅くまで賑わいを見せており、またおびただしいほどの露天の土産物屋や食い物屋がしのぎを削っているのである。

1月10日(土)

バンコクで一番見所が固まっているのが、王宮周辺であるという情報を入手していたのでホテルから5km以上の道のりを街歩きも兼ねてそのエリアへ足を運ぶことにした。タイで最も格式の高い王室寺院としてワット・プラケオ(200バーツ)が君臨している。バンコクに来た旅行者でここを訪問したことがない輩はいないであろうワット・プラケオは本堂に祀られている仏像の色から別名エメラルド寺院と呼ばれている。仏教国タイの数ある寺院の中でもワット・プラケオのドレス・コードが一番厳しく、サンダルやノースリーブでは決して中に入れてもらえないため、観光客は入り口でダサい服を借りて入場しなければならない場合も多いという。タイの仏教寺院は日本のものとは違い、いたるところに金メッキが施されて非常に華やかなので特に西洋からの毛頭的観光客には受けるのではないと思われた。同じ敷地内に歴代王の住まいであったきらびやかな王宮が1789年の建造以来、何度も応急処置を繰り返されながらもなんとか生き延びていた。

王宮の周辺には万国博覧会のパビリオンのごとくいくつかの有名な寺院が存在している。ワット・ポー(20バーツ)という芸術を爆発させた岡本太郎作の太陽の塔を横に倒したくらい巨大な寝仏陀を祀ってある寺院はタイ式マッサージの総本山としても有名なのできっと仏陀が寝て暮らしても善良な観光客からマッサージでブッタくっているので勝手に金が舞い込んでくるという図式を提供しているように思われた。

チャオプラヤ川の渡し舟(2バーツ)で対岸に渡ると目の前に三島由紀夫の小説の題材ともなったワット・アルン(20バーツ)の塔がそびえていた。この仏塔の表面には無数の陶器の破片が埋め込まれ、陽光を受けてキラキラと輝いていた。再び渡し船で元の船着場に戻るとそこから徒歩で北へ向かったはずがなぜか途中であらぬ方向に進んでしまったため、思いがけずワット・スタットという赤い鳥居状の建造物がそびえる王室寺院に到着して本堂の中の高さ8mの巨大な黄金大仏のふもとでお参りをしている原住民のそばで休息を取らせていただいた。

ウエスティンホテルの近くにタイ式マッサージ屋が開業していたので1時間の足裏マッサージを250バーツで受けた後、ものの弾みで全身フルマッサージ1時間半まで受けることになってしまい、体中くまなくもみほぐされてしまった。

1月11日(日)

バンコクから北へ約80km、チャオプラヤ川とその支流に囲まれた中州にアユタヤ遺跡(世界遺産)という有名な遺跡があり、日帰りで訪問出来るということだったので汽車に乗るべくホアランポーン駅へ向かう道すがら、自ら警察官と名乗り、私服のためIDを提示して私を悪の道に引きずりこもうとする詐欺師の攻撃をかわしながらも汽車(15バーツ)で1時間半かけてアユタヤ駅に到着することに成功した。

タイのトラディショナルなタクシーであるトクトクという3輪の乗り物がある。駅の周辺をうろうろしているとトクトクの運転手兼客引きが私の後をトコトコと付いてきて、しきりにトクトクがおトクだと言うことをアピールしていたのだが、軽くいなして駅のレンタサイクルで1日30バーツの子供用のように小さいマウンテンバイク系のチャリを借りて観光に乗り出すことにした。

炎天下の中、まず到着したのはワット・プラ・ラーム(30バーツ)という1369年に建立されたクメール様式の寺院である。その後ワット・プラ・シー・サンペット(30バーツ)という3人の王が眠る王室の守護寺院であり、アユタヤのシンボルとなっている寺院を訪れた。ここには3基のセイロン様式のチェディという塔が建っており、その中のひとつは侵入可能となっているのだが、こうもりの鳴き声と強烈なアンモニア臭により、一般観光客は足を踏み入れるのをためらってしまう仕組みになっていた。

ヴィハーン・プラ・モンコン・ボビットで高さ17mの青銅仏を拝み、ワット・ラーチャ・ブラナでプラーン(クメール式仏塔)の内部の小さな空間でアユタヤ様式の壁画を見た後、ワット・プラ・マハタート(30バーツ)に到着した。ビルマ軍によって壊滅され、あらゆる仏像は頭部を落とされており、廃墟のようなこの寺院で一番観光客の注目を集めているものは木の根に取り込まれてしまった仏像の頭部であり、観光客が並んで写真を撮る際にはしゃがんでこの仏像よりも頭の位置を低くしなければならないという管理人付きの厳しい制限が敷かれていた。

アユタヤ遺跡から発掘された宝物が展示されているチャオ・サン・プラヤー国立博物館(30バーツ)で古美術品を堪能し、観光用のアジア象を操っているエレファントキャンプから数多くの象が象使いと観光客を乗せ、糞の後始末用の係りを従えて隊列を組んで歩いている様を見物し、ケツの痛みをこらえながらもなんとか自転車で駅に帰還し、夕方の急行列車(20バーツ)でバンコクに帰っていった。

ホアランポーン駅からバンコク一の歓楽街の中にあるハッポン通りを歩いていると壮大な草むらの中で緑色の虫が飛び跳ねているような感覚を覚えてしまうのだが、ここには土産物屋の露天が所狭しと並んでおり、明らかにバッタ物であることをアピールするようなエセブランド品が並び、ゴーゴーバーからは轟音が響き渡っていた。タニヤ通りという日本の場末の繁華街のような通りには日本語の看板を掲げたカラオケバーやクラブが林立しており、毎夜日本人の駐在員や観光客が乱痴気騒ぎを起し、ひんしゅくをかっている場所であることが確認された。

1月12日(月)

マサよ、君はタイが世界有数の毒蛇大国であることを知っているか!?

ということで、タイ赤十字協会の敷地内にあり、ブラジルに次いで世界2位の規模があるといわれているスネーク・ファーム(70バーツ)を訪問した。ここは毒蛇の血清などを研究する機関であり、多くの毒蛇やニシキヘビ等を飼育している。午前10時半からのスライド上映の後、11時より研究員兼蛇使いのデモンストレーションが始まった。まず、蛇使いのおっさんが持参したのは体長3mはあろうかと思われるキング・コブラである。ここでのお楽しみはおっさんと目が合ってしまった観光客がコブラにキスをさせられたり、ニシキヘビを首に巻かれたり、実際の蛇毒採取を生で見られることである。

チャオプラヤ川のほとりのごちゃごちゃしたチャイナタウンで人ごみを掻き分けながら北上し、渡し舟で対岸に渡り、バンコクの大手の病院であるシリラート病院に到着した。この病院内にはタイ薬学博物館、解剖学博物館、法医学博物館というものが無料で公開されており、とくに解剖学博物館ではホルマリン漬けにされた人体のパーツや死体の標本やべトちゃん、ドクちゃんのようなシャム双生児や異常胎児の標本がところ狭しと並んでいる。また、法医学博物館では拳銃で打ち抜かれた頭蓋骨や切断された腕、死刑に処された凶悪犯の樹脂で固められた死体等を生で見ることが出来るので暑いバンコクの中で唯一涼しい思いが出来るファシリティであろうと思われた。また、とある病院棟の受付らしき所には身元不明の惨殺死体の写真が並んでおり、日本のチャチなホラー映画も真っ青になるくらいの状況が病院内の日常で展開されていることが確認出来た。

夕暮れ時にワット・ベンチャマボビットで大理石寺院の美しさを見物しているときに雨が降ってきて、その後豪雨となったので撤収し、そのまま深夜12時過ぎのANA916便にて帰国することと相成った。

世界最強レベルの観光地トクトクバンコク情報

*タイはマーガリン系の名前を持つラーマ国王が統治する国で街のいたるところで国王の写真を見ることが出来る

*タイの鉄道の線路の周辺はスラム街的居住地域になっており、列車の脇では子供が遊び、犬が歩き、誰かが屋台で飯を食っている状況を車窓から垣間見ることが出来る

*バンコクには排気ガスで汚れたおびただしい数のやせ犬が年中夏バテ状態で道端で寝転んでいる

*悪名高いバンコクの渋滞のために街中に排気ガスがあふれており、また、信号は車優先で歩行者用信号は機能していないので歩行者は危険を冒して横断歩道を横断しなければならない

*街歩きで腹が減ると適当に麺類(20バーツ)を食ったり、のどが渇けば切り売りフルーツ(10バーツ)やみかん生絞りジュース(10~20バーツ)等で手軽にのどを潤すことが出来る

FTBサマリー

総飛行機代 ¥69,740

総宿泊費 13,182.9バーツ(1バーツ=¥3.2)

総エアポートバス代 100バーツ

総汽車代 35バーツ

総タクシー代 300バーツ

総ドン・ムアン空港使用料 500バーツ

次回予定:「FTBJ北の国から2004たんちょう」

第2回アグネス・チャン(Ph.D)杯争奪香港飲茶ツアー+α

♪おっかのうえ、ひぃなげぇしぃの♪マサよ!

君は中国大陸南部珠江デルタに黄金のトライアングルが存在することを知っているか!?

12月28日(日)

ということで、ANA909便香港行きB777-200機は定刻通り午前9時50分に出発すると4時間程度のフライトで世界有数のインテリジェントな空港である香港チェクラップコップ空港に到着した。空港から高速鉄道(HK$90)でわずか18分で九龍に到着するとおもちゃ箱をひっくり返したような香港の繁華街を抜け、中城港にあるマカオ行き国際フェリー乗り場に向かった。新渡輪澳門(FIRST FERRY MACAU)が経営する高速フェリー(HK$141)の4:30発の便に空きがあったのでそそくさと出国手続きを終わらせて搭乗させていただくことにした。珠海を挟んで64kmの距離を1時間程度の航海でマカオに到着したころには夕闇が迫っていた。フェリーターミナルで入国手続きをすませた後、今日の宿泊先である☆☆☆☆☆ホテルの京澳酒店に向かった。チェックイン後、早速マカオの繁華街を練り歩くべく街に繰り出すとにした。

1999年に中国に返還されるまでポルトガルの行政下にあったマカオは東洋と西洋が融合した街並みを色濃く残しているものの香港のような妙なケバケバしさは無く、どことなく落ち着いた雰囲気を醸し出していた。マカオの繁華街の中心であるセナド広場はクリスマス風のデコレーションをいまだに残しており、多くの観光客がクリスマスツリーを背景にして記念写真を撮っていた。ところでマカオと言えば東洋一のギャンブル地帯として有名であるが、その中でも最高位に位置するホテルリスボアのカジノがおびただしいほどの観光客を集めていた。しかしながら、日本有数の勝負師である私に一人勝ちされるのを警戒してかどの賭場も立錐の余地の無いほどのさくら的ギャンブラーでブロックしていやがった。

12月29日(月)

マカオ南部の埋立地に2001年に建立された高さ338mのマカオタワー(HK$70)がそびえていたので登頂して見ることにした。一般観光客がアクセスする展望台は58階にある216mの室内展望台と61階にある233mの室外展望台になるのだが、冒険好きの輩用に空中漫歩や空中漫歩X版というアトラクションが用意されている。X版のほうは233mの高さのタワー外部の外周部のワッカの部分を命綱をつけて顔を引きつらせながら記念写真を撮り、一周するというものである。また、百歩登天というタワーの最高部である338m地点によじ登るツアーも存在するのだ。ちなみにこのタワーからはマカオだけでなく、中国本土や香港まで見渡すことが出来る。

マカオの歴史を学習するために海事博物館(HK$10)を訪問した。ここでは大航海時代からのポルトガルとマカオの関係の歴史や中国の航海史に関する展示の他、古いマカオの立体模型や数々の船の模型、はたまた1543年にポルトガルから種子島に伝わった火縄銃も展示されており、さらに地元の魚が泳いでいる水族館まで併設されているのだ。

海事博物館の向かいに媽閣廟という道教寺院が多くの参拝客を集めていたので覗いて見ることにした。ここはマカオの地名の発祥の地と言われ、ポルトガル人が最初に上陸した時「地名は?」と聞いたら阿媽閣(アマカオ)と寺の名前を言ってしまい、以来マカオと呼ばれるようになったという間抜けな言い伝えが残っているのだ。

フランシスコ・ザビエルが仕切っていたイエズス会の教会であるペンニャ教会がマカオ半島南部の高台にそびえている。この教会はもともと1622年にカトリック布教の中心として建立されたものであるが、現在のロココ調の石造りの建物は1935年に再建された何の変哲もないビルディングである。丘を降りて市の中心に向かう道すがら、おびただしい数の洗濯物がはためいている古いアパート群や商店街を通っているとやはりここは中国大陸のはずれに他ならないことを実感させられる。

17世紀初頭にイエズス会が建てた聖ポール天主堂が今は建物正面の壁面だけを残し、マカオのシンボルとして君臨しているのでお参りに伺ってきた。オードリーをこお~どり~させたローマのスペイン階段を彷彿とさせるような階段では多くの観光客が2B弾のようなパチパチ系の弾薬をしきりに足元に投げつけて快音を楽しんでいたのだが、その最上部には東洋一の壮大な美しさを持っていた面影を残す天主堂跡が仁王立ちするように立ちふさがっていた。1835年に起こった隣の学校からの火事の飛火により正面だけを残して焼け落ちてしまった天主堂であるが、壁面にはキリスト少年像、聖母マリア像、ザビエル像等の美しい彫刻を残しており、当時の威厳そのままに保たれた形で存在しているのだった。

天主堂の隣にとある高台があり、そこに22門の大砲が残されている。モンテの砦と言われる大砲台は1622年に攻めてきたオランダ軍を撃退したという戦果を誇っており、なぜか天主堂と秘密の地下道で結ばれていたと言われている。

カジノだけでなく、多くの観光地が存在しているマカオの見所をすべて見ることが出来なかったので後ろ髪を引かれるような思いで午後6時に香港行きのJet Foil(HK$161)に搭乗し、香港島の皇悦酒店の最上階に引きこもり英気を養うことにした。

12月30日(火)

マサよ、君は「食は広州にあり」ということわざを知っているか!?香港では飲茶の代わりにマックと吉野家くらいでしか飯を食えなかったので、アグネス・チャン(Ph.D)には悪いと思ったが、飲茶発祥の地であり、広東料理のメッカである中国広東省の広州まで足を伸ばすことにした。今年の9月から観光目的で30日以内の場合は中国へ入国するためのビザが必要なくなったため、比較的簡単に中国に入国できる利点を利用して九龍にあるホンハム駅から汽車(HK$190)に乗って広州東駅を目指すことにした。乗車、下車各駅で入出国の審査を行い、2時間弱の汽車の旅を経て華南最大の都市である広州に到着した。大都市広州には従来から君臨している広州駅と最近出来た広州東駅が存在するのだが、最近では発着列車が徐々に広州東駅にシフトしている。広州東駅からホテル近辺を目指すべく地下鉄に搭乗させていただいたのだが、出来たばかりの広州の地下鉄はICを組み込んでいると思われるプラスチックの円形のチップが切符となっており、それを改札口の特定の場所に接触させるだけでゲートが開くようになっている。また下車時にはチップは回収されるので再利用されているものと思われた。

広州五大酒店と言われる一流ホテルのなかでも最も近代的な設備を誇るマリオットホテルグループが展開する☆☆☆☆☆ホテルである中国大酒店に到着するとそこの1階は一大ブランド物ショッピングセンターと化していた。怪しい中国でのブランド物ということでシャネルがチャンネルになっていないか、ルイ・ヴィトンがルイ・ボタンになっていないか、はたまたグッチが祐三になっていないか確認して見たが、一見するとバッタ物ではないように思われた。

ホテルの近くに大きな越秀公園(5元)があり、その中の広州博物館(6元)に侵入することにした。まず、この博物館の建物である鎮海楼は1380年に建立された著名な古代建築であり、その西側には碑廊と大砲の台座が据え付けられている。館内は5階に分かれており、1階の漢代~元代をはじめとして清代から現代までの広州の歴史風俗をダイジェストで学習することが出来るようになっている。

越秀公園から北に進路を取り、広州駅を目指すことにした。広州ホンダの城下町としてモータリゼーションが進んでおり、北京、上海に匹敵するほどの大都市広州の道路は広く、近代的な街の風景が広がっているものの広州駅前の広場の光景はマサに中国という感じのズタ袋を抱えた旅人達の溜まり場となっていた。広州東駅でなく、ここ広州駅で列車に乗らなければならない場合は間違いなく仁義亡き戦いに巻き込まれることは必至であると思われた。

広州駅から地下鉄に乗って大河である珠江のほとりの沙面に向かった。珠江河岸にはおびただしいほどの水産会社が軒をつらねており、その辺の水族館よりも多くの魚や甲殻類を間近で見たり安価で購入することが出来るのだ。沙面から多少北に進むと上下九路という広州の昔からの繁華街に行きついた。午後7時を過ぎたこの辺の通りは歩行者天国となっており、そこいらで串焼き等の食い物が売られ、大変な賑わいを見せていた。またこの通りには広州三大酒家のひとつである広州酒家が「食在広州」のネオン看板もまぶしく営業していたので入ろうかと思ったのだが、なぜかスルーして同じ建物に入っている唐人街という中華食堂で唐人街炒飯と魚の唐揚を食ってお茶を濁しておいた。

12月31日(水)

中国大酒店には数多くのレストランがあるが、1階に食街という大衆的な中華があったのでここで朝から飲茶を堪能した後、観光に繰り出すことにした。広州駅前の大通りを東に1kmほど行ったところに環市東路という広州で最先端をゆく通りがある。ここは日本で言えば銀座のような場所で数多くの一流ホテルや企業や高級ブランドショップが軒を連ねている。

辛亥革命で有名な孫文(中山)を祈念して建立された講堂である中山祈念堂(5元)をチラッと見た後、陳氏書院(10元)を訪問することにした。ここは1890~1894年に当時の広州72県の陳姓の人々がお金を出し合って建立した族祠と書院であるが、「料理の鉄人」にて中華の鉄人とうそぶき、日本でボッタくりレストランを経営して暴利を貪っている陳健一が名を連ねているかどうかは定かではなかった。院は典型的な中国南方建築様式を採用しており、透かし彫りという高等技術を用いたレリーフが随所に見られる非常に美しい建築物である。

昨日訪問した広州博物館とは別に広東省立の広東省博物館(15元)なるものが市の中心に君臨しているので見物させていただくことにした。近代的な設備を誇るこの博物館には中国4000年の歴史を彩る青銅器をはじめとする数多くの歴史的に貴重な遺品の数々や中国南部に住む動物の剥製や陶器、水墨画等を目のあたりにすることが出来る。また、館内には旧中山大学の鐘楼を改造した魯迅博物館も併設されており、広州時代の魯迅の足跡を垣間見ることも可能になっているのだ。

広州一と言われる繁華街である北京路で広州市民の挙動を観察しながらぶらぶら歩いた後、広州の寺院巡りと洒落込むことにした。広州で語り継がれている伝説の5人の仙人を祀った祠である五仙観(5元)をのぞき、広州で最も古い九層の仏塔がある六榕寺(10元)で1400年以上の歴史の深さを垣間見、メインの大雄宝殿を大改装していたものの数多くの参拝客でごった返していた広州で最も規模が大きな仏教寺院である光孝禅寺(3元)をはしごした時に感じたのだが、人民の参拝の仕方が半端でないことだった。まずは日本寺院が使うちまちました線香とはレベルが違う巨大な線香の束を3元くらいで購入し、それを胸の前に携えて仏の前で何度も何度もおでこが膝に付くくらいの深さでお辞儀をし、さらには土下座をして額を地面にこすりつけんばかりにする輩もたくさんいる。ちなみに仏の前には必ず土下座用のクッションが設置されており、人民の膝に負担がかからないような配慮がなされていた。

今日は大晦日ということで早めに観光を切り上げ、ホテルの衛星放送で紅白歌合戦を視聴することにした。時差が1時間あるため、午後6時半にはじまった歌合戦はNHKの総力を上げて開発した海外向けの衛星放送プログラムであったため、映像よりも多少音声が遅れるという脆弱性を持っていた。従って、4時間あまり天然のいっこく堂ネタを食らってしまうはめになってしまったのだが、女子十二楽坊の演奏だけは何とか普通の状態で持ちこたえられたのではないかと思われた。

1月1日(木)

通常であれば新年明けましておめでたいところであるが、中国では春節(旧正月)を祝うため、元旦とはいうものの通常どおりの日常生活が繰り広げられていることが確認された。

早朝より昨日参拝した光孝禅寺と六榕寺の様子を見に行って昨日と同じ状態であることを確認した後、広州最強の見所であると思われる西漢南越王墓(15元)を見物することにした。秦の始皇帝が紀元前214年に現在の広東省一帯を占領して統治した。秦の崩壊後、秦の将軍であった趙佗が自ら王を名乗り、ここに南越国を建国し、現在の広州を都とした。1983年に前漢時代の南越国第二代王文帝の石室墓が発見された。この墓は2200年前のもので中から1000点以上もの埋葬品が出土した。この墓自体と出土品を展示しているのがこの博物館であるのだが、出土品の中で最も目を引くものは絲ろう玉衣と言われる埋葬された王の衣装であろう。また、発掘された墓自体はいくつかの部屋に分かれており、観光客のアクセスも可能となっているのであった。

中国大酒店からはマカオ行きと香港行きのバスが発着しているのだが、午前10時50分発の香港行きバス(105元)に乗ると一路香港への帰路を急いだ。香港との国境である深せんでは中国出国と香港入境のために2回もバスを降ろされて審査をされることになったのだが、3時間程度の快適なドライブを経てアグネス・チャン(Ph.D)の故郷である香港へ何とか帰ってくることが出来た。

尖沙咀にある皇悦酒店九龍にチェックインするとスターフェリー(HK$1.7)で香港島に渡り、香港唯一の観光地であるビクトリアピークに向かった。ピークトラム(往復HK$30)で頂上まで登るとお約束の夜景の時間と相成ったわけであるが、霞がかかり、しかも正月でビルの光が少なかったため、100万HK$の夜景も大幅ディスカウントされ10万HK$くらいの値打ちしかないように感じられた。

仕方なく、再度フェリーで九龍に戻ることにした。奇跡の1マイルと言われる尖沙咀の目抜き通りであるネイサンロード(Nathen Road)はその名の通りおね~系のギャルであふれていたものの「カオルーンで会いましょう」とばかりに長谷川京子を彷彿とさせるジャスミン系のギャル(通称シュガーレィディby河村隆一)はほんの0.5%くらいではないかと思われた。

1月2日(金)

午前中とあるローカルな土産物屋で電式自動腕振り黄金招き猫(HK$28)を購入した後、香港島からバス(HK$40)に乗り、香港国際空港を経由してANA911便にて帰国、そのまま流れ解散と相成った。

*香港最大の英雄アグネス・チャン(Ph.D)の情報は以下をご参照下さい。

 尚、奴はマサでも持っていないスタンフォード大の博士号を持っているのだ!!http://www.agneschan.gr.jp/

次回はバンコクから万国共通の情報が届けられるかも知れまへん。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥65,340

総宿泊費 US$98.-、HK$1,582、1,100.04元

総高速フェリー代 HK$303

総九龍至広州東汽車代 HK$190(1HK$ = 約\15)

総広州至香港バス代 105元(1元 = 約\15)

クリスマス特別企画!ダイエー帝国の繁栄と衰退の歴史を探るツアー in ロンドン

2003年日本プロ野球を制覇し、栄華を極めたダイエーが小久保の無償トレードとともに身売りされる危機にさらされている。かつて大航海時代といわれた時代に7つの海を制覇した大英帝国も今では日本と同様にアメリカの植民地に成り下がっている。しかし、大英帝国が残した栄光はアメリカ東海岸をはじめ、香港、中国、オーストラリア、ニュージーランド等FTBが制覇して来た数多くの土地に刻まれていることが確認されている。新しい大陸や土地の発見に大きな貢献をもたらした人物は英国の探検家キャプテンクックであるが、彼が率いる探検隊もどこへ行っても桜田淳子のように♪ようこそここへクック、クック♪と歓迎を受けたわけではなく、当然命の危険を伴ったものであったろう。

というわけで、世界中の数多くの地域で大英帝国が残した文化の遺構に触れてきたわけであるが、今回念願のロンドン入りすることによって帝国の繁栄と衰退の歴史が晴れて解明されることになったのだ。

12月19日(金)

午前11時35分発、ANA201便、B747-400機テクノジャンボが誇る航空業界ナンバー1と評価されたANAスーパースタイル機内エンターテイメントで映画を2本ほど見ていると12時間のフライトはあっという間に過ぎ、飛行機は午後3時過ぎにロンドンヒースロー空港に着陸した。空港からロンドン中心部には地下鉄(£3.7)で1時間ほどで到着した。今日はFTBの子会社であるJCBトラベルに予約させておいた巨大☆☆☆ホテルであるロイヤルナショナルに引き払ってとっとと寝ることにした。

12月20日(土)

北緯50度を超えるロンドンの12月は朝8時の段階でもまだ夜が明けず、しかも外は雨が降っているにもかかわらず人々は傘もささずに歩いており、いきなり雨の都ロンドンの実力を思い知らされたような気がした。ホテルを出て適当にさまよっているとセント・ジェームズパークからバッキンガム宮殿を抜け、ハイド・パークに到着した。ここでも雨の中スキンヘッドのサンプラザ中野系のランナーがジョギングをしたり、ダッシュをしたりする姿を見ることが出来た。

バッキンガム宮殿を取り巻く広場では年端もいかない日本人の餓鬼を中心としたおびただしいほどの観光客が降りしきる雨の中を衛兵交替式が始まるのを今か今かと待ち構えていた。ところが、係りのおっさんが突然出てきやがって今日は天候不良のため、衛兵交替式は中止すると言いやがったので撤収を余儀なくされてしまったのだ。

ビクトリア駅の3階にあるケンタッキーでフライドチキンをを食った後、ダイアナ元妃の葬儀が行われたことで有名なウエストミンスター寺院(£6)を見学した。イギリスのゴシック建築の中でも最も壮麗と言われるこの教会は歴代国王の戴冠式場であり、また墓地としても機能している。エドワード、ヘンリー、ビクトリア、エリザベスI等のおなじみの王や女王がここに埋葬されており、ここに来れば大英帝国統治の歴史をダイジェストで学習することが出来る非常に有効な場所である。

ウエストミンスター寺院に近く、テムズ河の河岸に重厚なネオゴシック建築の国会議事堂が君臨している。正式名称はウエストミンスター宮殿と言われ、時計台を持つビッグベンという塔はロンドンのシンボルになっている。その後テムズ河沿いを歩き、高さ135mの世界最大の観覧車であるロンドン・アイをスルーしてセントポール大聖堂(£7)に到着した。チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の結婚式も行われたここセントポール大聖堂は現在改装中ながらもドーム内部のらせん階段を上りきるとロンドン市内が一望出来る展望台に達することが出来るのだ。

午後4時を過ぎるとあたりが暗くなってしまったので明るいネオンを求めてロンドン一の繁華街であるソーホーに向かった。ニューヨークのブロードウエイのようなソーホーにはたくさんのミュージカルの劇場があり、チャイナタウンにも隣接しているため、はなやかさと土臭さが同居した独特の雰囲気を醸しだしていた。

マサよ、君はピエロも空中ブランコもないサーカスを知っているか!?

ということでロンドンのヘソと言われているピカデリー・サーカス一帯はウエストエンドと呼ばれ数多くの夜遊び好きの輩で賑わっている場所であるのだが、決して♪ミスターサマータイム♪のようなスローな音楽は流れてなく、ユーロビート、パンク、フーリガンに似つかわしい環境が提供されている。また、少し南にあるトラファルガー広場では素人クリスマスソング合唱会らしきものが行われており、サンタクロース帽子を被ったおばちゃんたちがストリートミュージシャンを寄せ付けないような迫力で寒風の中おたけびをあげていたのであった。

12月21日(日)

デーモン小暮率いる聖飢魔IIの出世作である「蝋人形の館」のモデルになっていると思われるマダム・タッソー蝋人形館(£19.99)を見物することにした。ここに展示されている物体は♪生きたままの蝋人形のごとくぅ~♪化粧の濃い観光客が並んで写真を取っているとどちらが蝋人形だかわからないほど精巧に出来ていた。館内は今をときめく俳優や女優のコーナーから始まり、シルベスター・スタローンやスティーブン・スピルバーグ等の映画人から歴史上の人物さらにはロンドンタクシーをあしらった乗り物に乗り込みロンドンスピリットを体感するコーナーから最後にはプラネタリウムと非常に幅広いエンターテイメントが提供されているのだが、ここには何一つとして日本人の蝋人形は存在することはなかったのだ。

現在日本では年金崩壊と財務官僚の関与という問題を抱えているが、この難事件を解決するために名探偵シャーロック・ホームズ博物館(£6)を訪問し、解決の糸口を探ることにした。ホームズの友人であるワトソン博士にはパソコンがおかしな挙動を起したときにお目にかかることが出来るのだが、ホームズゆかりの品々を生で見るためには221b Baker Street Londonにあるこの博物館に来なければならない。一見すると普通のアパート風のこの建物は入り口を入るとかわいいメイド姿のシャルロッテが迎えてくれ、1階はみやげ物コーナーになっている。2階はホームズの仕事場になっており、ホームズゆかりの小道具が所狭しと並べられているのだ。3階はワトソン博士の部屋もあり、また、3階、4階にはホームズが解決した数々の難事件を蝋人形等で再現したストーリー仕立てになっている。

シャーロックホームズ博物館から一気に南下してサウス・ケンジントンという繁華街の中で一見すると大聖堂のような出で立ちで君臨している自然史博物館(無料)にやってきた。ここには世界中から集められた4億点もの動植物の標本などが展示されており、児童が自然科学を学習するのに最適なファシリティになっている。数あるコーナーの中で特に恐竜物が非常に充実しているのと哺乳類のコーナーでは地球最大の哺乳類であるシロナガスクジラの模型が全長30mに渡って幅を利かせているが印象的である。また、ヒューマンバイオロジーのコーナーでは生命誕生の神秘や人間の体の動きを特命リサーチ200Xよりも詳細に体感することが出来るようになっており、エージェントの伊達君も一目置くのではないかと思われた。

12月22日(月)

今日は月曜日ということで早朝から颯爽と闊歩するビジネスマンの後を追って歩いていると段々とお金の匂いが強くなってきた。かつて大手証券会社のトップセールスマンとしてならしていた私はいつのまにか世界の金融市場であるシティに紛れ込んでいることを実感させられた。ロンドン発祥の地であるシティはロンドン証券取引所を始めロイズ保険会社の本社や数多くの金融機関であふれているが、一方ではローマ時代の城壁が残されており、新旧入り混じった独特の雰囲気を醸し出している。

今日は気温が非常に低いものの早朝から晴れ渡っていたのでバッキンガム宮殿にて衛兵交替式が間違いなく実施されるだろうと思ったのでわざわざリベンジにやって来た。11時30分開始にもかかわらず、1時間前からすでに人だかりが出来ており、宮殿の門の前では騎馬婦人警官たちが観衆の整理にいそしんでいた。おそらく0℃近くに冷え込んでいるであろう気候の中でじっと立っていると体の芯から凍えてくるのを感じずにはいられなくなってくるのであるが、フランス語らしきものをしゃべる外人たちはバッキンバッキンガムを噛みながらも寒さをこらえていた。ついに衛兵交替式が始まった11時半ころにはディズニーランドのパレードの3倍くらいの人が集まり、ロンドンで最もロンドンらしい儀式が厳かに行われるのを人だかりのわずかな隙間から眺めつつ、雰囲気だけでも味わっていたのであった。

マサよ、君はロンドンが世界有数の心霊スポットであることを知っているか!?

ということでここから世界有数のロンドン心霊スポット特集をお届けすることになるのだが、その第一弾であるロンドン塔(£13.50)へ入城することにした。ロンドン塔はそもそも中世時代にウイリアム征服王がロンドンを守る要塞として作った城であるのだが、その後血なまぐさい歴史の舞台となる牢獄として機能するようになるのだ。城内には数々のタワーがあり、それぞれがラチ、監禁、暗殺等の歴史を持っているため夜な夜な幽霊が現れるにもかかわらず多くの霊感の弱い観光客で賑わっていた。また、ジュエル・ハウスという宝物館には歴代王、女王の冠をはじめ、目もくらむような財宝も展示されており、多くの女性観光客がため息をついていた。

地下鉄駅ロンドン・ブリッジの高架線の下のじめじめしたスペースを利用してロンドン・ダンジョン(£12.95)というホラー系のファシリティが営業していたので軽く入場して見ることにした。ここではロンドンの血なまぐさい歴史的事件の数々が人形を使って再現されているのだが、ホラー系のメイクを施したストーリーテラーのおにいさん、おねえさんもいきなり観光客をわっと驚かせて楽しませてくれたりもするのだ。また、天井は配管剥き出しで狭いと思われた館内は以外にも広く、しかもボート系の乗り物まであり、ホラー系カリブの海賊プラスジェットコースターのような気分も味わうことが出来るように取り計られている。基本的には見ず知らずの観光客同士のグループ行動が原則とされているのだが、観光客は皆、いけにえにならないようにストーリーテラーの係りとは決して目を合わせようとはしないであった。アトラクションの最後はかの有名な切り裂きジャックのストーリーテリングになっており、おおとりは絞首刑にされた犯人が上から降ってくるというおまけまでついていやがった。

12月23日(火)

ギャラリーフェイクといわれ、過去ルーブル、メトロポリタン、上野等数々の美術博物館を制覇してきたFTBであるが、今日は念願の大英博物館(無料)を訪問する日となったのだが、今回のツアーの目的はこのためだけにあると言っても決して過言でないのである。ダイエーの王監督も訪問したことがあるであろう大英博物館はミレニアム記念事業のひとつとして2000年末にオープンしたグレート・コートを中心に世界各国から略奪された貴重な代物が各コーナーでこれ見よがしに展示されているのだ。世界的に評価の高い展示物の中でも必見物はロゼッタストーンとアテネのパルテノン神殿の彫刻群である。また、古代エジプト関係のコレクションは群を抜いており、数多くのファラオの棺やミイラや保存状態のいい古代エジプト人の死体等かなりのきわものまで展示されていた。また、ここではパネルでミイラの製造工程も学習することが出来るのだ。

大英博物館内を長い間さまよっていると脳みそがだんだんとミイラ化してくるような感覚を覚えてきたので昼飯時にコヴェント・ガーデンという小洒落たモールで露天市の小物を見ながら脳みそに水分補給することにした。コヴェントガーデンからさらにトラファルガー広場に抜けると55mの塔から市民を見下ろしているネルソン提督像が目に入ってきた。1805年のスペイン・トラファルガー沖の海戦で、ナポレオン率いるフランス軍を破ったイギリスの英雄ネルソンは不夜城ロンドンでは寝ると損するぜ!とでも言いたげな憂いのある表情を浮かべながら塔の上で寒さに耐えているのではないかと思われた。

ウエストエンドはクリスマスを控えたファッショナブルなMichiko London風の買い物ギャルで賑わっており、流行の最先端であるロンドンの実力を否が応でも思い知らされるのだが、玉塚新社長が立ち上げたユニクロロンドン店も数多く出店しており、そのすきまを埋めるようにGAPも細々と営業しているのだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥117,290

総宿泊費 ¥48,000

次回は第二回アグネス・チャン杯争奪香港飲茶ツアー+αをお送りします。

協力 ANA、JCBトラベル

FTB炎の離島デスマッチ第?弾 in 福江島

11月末を持って「なるほどザFTB2003秋の祭典」を終了したものの、息つくまもなく次の企画の立案に東奔西走している今日この頃であるが、ふと、いにしえの旅人にさそわれるように九州の西の果て、長崎県沖の五島列島最大の島である福江島を訪れ、はるか東シナ海のかなたの中国大陸に思いをはせることにした。

12月13日(土)

羽田から福岡空港を経由してANK785便にて午後4時前に五島福江空港に到着した。空港からバスで福江市の繁華街までわずか10分程度で到着すると適当なところに五島バスターミナルホテルというバスターミナルとビジネスホテルを兼ねたファシリティがあったので軽くチェックインすると福江市街地をぶらぶらすることにした。ホテルから歩いて2分くらいのところに福江港があり、ここから博多行きのフェリーや長崎行きのジェットフォイルが出ているのが確認された。

さらにうろついていると街中に福江城(石田城)跡が君臨しているのを発見した。福江城は三方が海に望む我が国唯一の海城であり、外国船(黒船)の襲来に備えて国防のために江戸時代最後に築城されたものであるが、現在は石垣や城壁程度しか残っておらず、今ではその中にひっそりとたたずむ長崎県立五島高校の健児たちを不良観光客から守っている様子だった。

福江市の繁華街は通常の長崎の繁華街の様相を呈しているものの、驚いたことにマックやロッテリア、ケンタッキー等のファーストフードやセブンイレブン等のメジャー系コンビニは一切存在しないことが確認された。

12月14日(日)

福江市の市街地には1634年に五島藩士170余家を福江に定住させ、城下町を形成していた名残である武家屋敷が数多く、そのまま武家屋敷通りとして残されている。その中心となるファシリティは福江武家屋敷通りふるさと館であり、ここには地元のバラモン凧、草木染と織の実演が体験出来るコーナーがあるのだが、午前9時過ぎの段階では地元の猫数匹以外観光客は誰もいなく、すさんだ猫屋敷と化していた。

福江城の城壁の中に五島観光歴史資料館(¥220)が営業していたので入って見ることにした。ここでは大小140の島々から成る五島列島の歴史や自然、民族行事等を学習することが出来るのだが、最大の見所は福江島を最後の寄港地として中国大陸に向かう遣唐使が健闘している様子をビデオや再現された遣唐使船や歴史年表等でわかりやすく理解出来る点であろう。

地元のレンタカーでホンダのライフをレンタルすると福江島一周ドライブに乗り出すことにした。五島列島最大の島とはいえ、福江島は東西45km、南北30kmの小さい島なので半日もあれば一周出来てしまうのだ。島の最西端のそのまたはずれに大瀬崎断崖という東シナ海に突出した入り組んだ海岸線を持つ断崖がある。この地の突端にある白亜の灯台は200万カンデラという日本一の明るさで日本の西の海の航海安全を守っている。尚、ここでは日本最後の夕陽を拝むことが出来るのだ。

高浜ビーチという天然の海水浴場としては日本一の美しさを誇る白砂のビーチがある。日本の渚百選にも選定されている高浜ビーチは季節柄、ウエットスーツに身を包んだ一人のヘタクソなサーファー以外は誰もいなかったので沖縄のどのビーチよりも美しい景色を十分に堪能することが出来た。

日本の奈良時代から平安時代にかけて文化的に世界で最も進んでいた国は唐である。当時は唐から学ぶべきものが非常に多かったため、遣唐使を派遣して貢物と引き換えに唐の進んだ文化を吸収していたのだが、福江島は日本における遣唐使の最後の寄港地として重要な役割を果たしていたのでここには遣唐使にまつわるものが数多く残されている。私も平安の世に生きていれば、894年に遣唐使を廃止した菅原道真と喧嘩してでも遣唐使になることを検討していたはずであったろう。

というわけで島の西北端の柏崎というところから遣唐使を乗せた4つの船が出港していた当時のおもかげをしのばせる碑が万葉集に詠まれた遣唐使に関する短歌として数多く残されているのだが、その中で一番観光客の注目を集めているものは真言密教の教祖である空海記念碑である。高野山に金剛峰寺を開いた空海は天台宗の比叡山延暦寺の開祖である最澄とともに遣唐使として長安に入り、帰国後現代のオーム真理教に匹敵する密教を広めたことはあまりにも有名であろう。

長崎県というとキリスト教伝来、キリシタン大名、かくれキリシタン等で名高い場所であるが、かくし事の好きな私はかくれキリシタンが禁教令を解かれ正々堂々と信仰出来るようになった最初のファシリティである堂崎天主堂を訪れることにした。明治41年に建てられた五島最古の洋風建築物である堂崎天主堂はヨーロッパの典型的な教会スタイルを採用しており、庭には聖母マリア像だけでなく、十字架にはり付けにされたフンドシ野郎の銅像等で彩られていた。

マサよ、君は西海国立公園の代表地であり、且つ五島のシンボル的存在でさらに市民の憩いの場になっている場所を知っているか!?

福江空港の近くに鬼岳温泉を核としたリゾート地であるコンカナ王国が君臨しており、そこに入国すると標高315mの全山芝生に覆われた美しい臼状の火山である鬼岳へのルートが開かれている。尚、鬼岳周辺にはゴルフ場や口径60cmのニュートン式反射望遠鏡を持つ鬼岳天文台等のレジャー施設が充実しているのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,200

総宿泊費 ¥5,250

総レンタカー代 ¥5,250

総ガソリン代 ¥1,520

次回はダイエー帝国の繁栄と衰退の歴史を探るツアーをお送りする予定です。

協力 ANA,ANK

なるほどザFTB2003秋の祭典完結編ついに来た!超南の島

私がひいきにしてやっている江戸川区にある東京健康ランドでゆったり、たっぷり、のんびり過ごしながら常々考えていたのだが、これまでディズニーランド、アイルランド、アイスランド、グリーンランド等様様なランドを制覇してきたFTBであるが、それらは所詮北半球に存在するランドに他ならない。ところで地球上で一番南にあるランドはどこかと調べて見たところ、それは羊大国ニュージーランドであることが判明した。さらなる調査を重ねた結果、ニュージーランド航空が私がゴールド会員になっているスターアライアンスに加盟していることをつきとめたので何とか「なるほどザFTB秋の祭典」のオーラスを飾るべく、ツアーを強行することが決定した。

11月23日(日)

ANA率いるスターアライアンスに加盟しながら、JALとのコードシェアを行っているという複雑なお家事情を持つニュージーランド航空のチェックインはJALのカウンターで行われていた。JALのロゴをあしらったボーディングパスを受け取るとJAL系のヤマトラウンジでしばしくつろいだあと、午後6時30分発のNZ090便、B747-400機に搭乗した。ニュージーランド航空ではエコノミークラスをパシフィッククラスという名称に変えてお茶を濁しているものの座っているシートも食事も所詮はエコノミークラスと同等であった。しかも航路上で赤道を越えるという一大イベントがあるのもかかわらず、乗客が寝ているのをよいことに何のアナウンスもなされることはなかったのだ。

11月24日(月)

飛行機は定刻どおり、午前9時過ぎにニュージーランド最大の都市であるオークランド空港に到着した。ニュージーランドは北島と南島から構成されており、今回のツアーは超南の島が目的地であったため、北島にあるオークランド空港からとっとと飛行機を乗り換えて南島最大の都市のクライストチャーチを目指すことになっていた。

南半球に位置するニュージーランドは当然日本とは季節が逆で春のこの時期は時差の関係で日本より4時間早く時を刻んでいる。午後1時前にクライストチャーチ国際空港に到着するとハーツでフォードのマニュアルのエコノミーカーをレンタルすると早速市街へと乗り出すことになったのだが、日本と同じ左側通行なので車も右ハンドルであるにもかかわらずウインカーとワイパーの仕様は左ハンドル車仕様となっていたので交差点を曲がる際にいきなりワイパーを動かすという屈辱を味わってしまった。南緯45度という高緯度に位置し、春とはいえ日本の晩秋のような季節を引き継いだようなクライストチャーチの気候は肌寒く市民や観光客はまだジャケットを羽織っていた。

クライストチャーチのランドマークとしてCity Centerの中心にクライストチャーチ大聖堂が君臨しているので早速見物に行って来た。1864年に着工し、1904年に竣工したこの箱物は高さ63mの尖塔を持つゴシック様式の美しい教会であり、中には一般市民が懺悔出来るファシリティが備えられているのだが、マサのような悪徳高級官僚が懺悔をしていると×点を出したイエスキリストの指令で必ず上から水をかけられるのではないかと思われた。

マサよ、君は南極点到達第一号を目指してノルウェーの探検家アムンゼンとしのぎを削り、結局アムンゼンに先を越され失意のうちに南極点からの帰還途上で凍死してしまったイギリスの探検家キャプテン・スコットを知っているか!?

クライストチャーチの外港のリトルトンを出航して南極点を目指したスコットの像がCity Centerのエイボン川のほとりに建てられているので今後南極点を目指すことになるFTBとしても探検家スピリットを伝授していただくべくスコット像にお参りに行かなければならなかったのだ。

市の中心を流れるエイボン川には38の橋が架かっているのだが、そのなかでひときわ美しく有名なのが追憶の橋である。大きなアーチ型の門を持った追憶の橋は第一次世界大戦で命を落とした兵士を追悼するために建立されたものである。

大聖堂を中心に市の中心部を歩き回っているとふいに参議院議員を辞職したいような無責任な衝動にかられてしまった。ふと我に返ると目の前に大橋巨泉が経営するOKギフトショップが日本人観光客から暴利をむさぼるようないでたちで君臨していやがった。

空港の近くに国際南極センター(NZ$30)という南極好きにはたまらないファシリティが開業していたので見物してみることにした。ニュージーランドと南極とは距離的にも近く、クライストチャーチ国際空港が南極への輸送・通信基地として使われるなど深いつながりをもっている。ここでのアクティビティとして南極で実際に使用される雪上車に乗ってファシリティ周辺の悪路を暴走するというオプションがある。2002年12月にここに来た皇太子と雅子妃も実車した雪上車はキャタピラドリフト走行も滑らかに45度の傾斜もらくらくと上り下りし、雪上車が半分ほど沈んでしまう大きな水溜りも楽々とクリアして観光客も思わずこれがあれば南極旅行も快適になるのではないかと錯覚してしまうほどエキサイティングな経験をさせられてしまうのだ。また、ビジターセンターの中には-5℃くらいの冷凍庫に防寒具を付けて閉じ込められ、松任谷由美でも凍ってしまいそうなブリザード攻撃を体感出来るアトラクションもある。

11月25日(火)

ニュージーランド南島の東海岸ほぼ中央に位置するクライストチャーチからアルプス街道を通り、クイーンズタウンを目指すことにした。スイスの山岳風景を彷彿とさせ、南半球のアルプスということでサザンアルプスとよばれる山並みを開拓し、雄大な牧草地帯となっている丘陵地にはおびただしいほどの羊達がのんきに草を食っている様子を永遠と車窓から眺めていると突然美しい湖に遭遇した。サザンアルプスの氷河から絶え間なく供給される水により、南島にはおびただしい数の氷河湖が形成されているのだが、突然目の前に姿を現したテカポ湖の姿には誰しもが感嘆の声をあげるほど美しいものであった。

テカポ湖から約45kmほど車を走らせるとこれまた美しいプカキ湖が出現した。晴れ渡った青空の下、プカキ湖のはるかかなたにはニュージーランドの最高峰であるマウントクックの勇姿を拝むことが出来た。ミルキーブルーと形容される独特の湖の色と白い氷河を抱いたマウントクックのコントラストを見ると桜田淳子でなくても自然と♪ようこそここへクッククック♪と口ずさんでしまうのではないかと思われた。

500km弱の道のりを6時間以上かけてついにニュージーランド最大の商業的観光地であるクイーンズタウンに到着した。冬場にはスキー場として賑わうコロネットピークから町を見下ろした後、早速ダウンタウンに侵入することにした。ワカティプ湖畔に広がるクイーンズタウンはマサにクイーンビクトリアにふさわしい風光明媚な町である。湖畔にアンダーウォーター・ワールド(NZ$5)というボート乗り場の地下から湖の中の魚を見物出来るファシリティがあり、ニジマス等の淡水魚が餌につられて目の前にやってくる姿を眺めつつクイーンズタウンでの優雅なひとときを過ごすことに相成ったのだ。

11月26日(水)

ニュージーランド最強の商業的観光地であるクイーンズタウンは無数のアクティビティで溢れている。その中でもジェットボートに乗って360度スピンを決められて気分が悪くならないとニュージーランドに来た意味がないと言われているのでワカティプ湖畔で営業しているTwin Rivers Jet (NZ$75)(http://www.twinriversjet.co.nz/)が提供する1時間のジェットボートに乗ってみることにした。ジェット噴射式のボートは湖面を時速80kmで疾走し、湖畔の風光明媚な風景が風のように流れていく。途中から川に入ると川岸に生えている木々すれすれをドリフト航法で間一髪でかわし、乗客の度肝を抜きながら、パイロットが手を上に上げてぐるっと回すとそれは360度スピンのサインとなり、救命道具を身にまとった観光客であっても一瞬ボートから放り出されるような重力がかかり、恐怖とスリルのどん底にたたき落とされることになる。

ジェットボートから降りて内臓の動きを鎮めた後に向かった先はキーウィ&バードライフ・パーク(NZ$15.50)である。ニュージーランドの国鳥として君臨しているキーウィは個体数が減っているため、国中のいたるところで保護されているのだが、羽を持たず、夜行性のため、内部を暗くされた部屋でうごめいている様子を観察することになる。中原めい子よろしく軽快に♪きみたちキーウィ・パパイア・マンゴだね♪と歌いながらキーウィのシルエットにくりぬかれた入り口を抜け、入場料を払って内部に侵入することにした。ここではキーウィ小屋のほかにニュージーランドの原生林を彷彿とさせる環境で珍しい鳥をライブで観察することが出来るシステムになっている。

クイーンズタウンから北東へ21kmほど走るとアロータウンというHistoricな町に到着した。この町を流れるアロー川で1862年に金が発見され、急速に発展したらしいが、今ではゴールドラッシュの古き良き時代を思い起こさせるようなレトリック調の町づくりにより多くの観光客を集めている。

マサよ! 君は商業バンジ-ジャンプの発祥の地がどこにあるか知っているか!?

ということで世界最初のバンジ-サイトとして有名なカワウラ川を見下ろす高さ43mの橋から人々がダイビングする様子を見物に行ってきた。今後気合の入ってないマサをいつでもどこでもバンジ-ジャンプさせるためのノウハウとバンジ-後の処理方法を身につけるのが目的であったのだが、通常であれば私自身が伸身2回転半宙返りwithフィッシュキャッチという荒業を披露して観光客の拍手喝采を浴びているところであったのだが、時間がなく断念せざるを得なかった。

マサよ~ 時間がなかったのだ~

ということで命からがらクイーンズタウンを後にしてワナカという静かな湖畔のリゾートタウンに逃げこむことにした。ワナカ湖を背景にしたこじんまりとした静かな町はそれでも湖を中心としたボートや水上スキー等の数多くのアクティビティのパンフレットで溢れ返っていたのであった。

11月27日(木)

統一教会にだまされる前の純粋な桜田淳子の歌声がどうしても忘れられなかったのでマウントクックを望む山岳リゾートであるアオラキを訪問することにした。大航海時代のイギリスの探検家キャプテン・クックの名を冠したマウントクックは原住民であるマオリ族の名前ではアオラキとよばれ、それがそのまま町の名前になっているのだ。

あいにくの悪天候のため、見通しが悪くサザンアルプスの明峰を拝むことが出来なかったものの、マウントクックビレッジに向かう途中のテカポ湖が醸し出す幻想的なミルキーブルーに染まった風景を眺めながら車を転がすことが出来た。ビレッジでのアクティビティは主に山歩きとなるので約1時間のウォーキングコースであるキーアポイントを目指すことにした。ところでキーアとはニュージーランド南島の山岳地帯に住むオウム科の鳥である。体長50cmほどで全体が緑褐色のこの怪鳥は飛びながら”キィアァ~”となめた鳴き声を発するのでマオリ族にキーアと名付けられたそうだ。この鳥は人をあまり恐れないため、油断しているマサ等の持ち物を奪おうとするので注意しなければならない。この怪鳥が飛び交っているポイントがキーアポイントであり、ここからマウントクックの勇姿が見えるはずであったのだが、分厚い雲に妨げられてしまい、またここでは♪私の青い鳥♪として君臨するキーアの登場もなかったのだ。

11月28日(金)

昨日のうちにクライストチャーチに戻っていたので今日は朝から再びクライストチャーチの見所の解明に乗り出すことにした。クライストチャーチ大聖堂スクエアの一角にサザン・エンカウンター水族館(NZ$10)という1997年にオープンしたニュージーランド各地の淡水魚をコレクションした小じんまりした水族館が営業していたので見物することにした。ここでは大型のうなぎやマスや現地でクレイフィッシュと呼ばれる高級伊勢エビが動作している様子を思う存分堪能することが出来た。

大聖堂から西側に5分ほど歩くとアートセンターというゴシック調の建物群が見えてくる。アート好きの輩はここで演劇や工芸に親しむことが出来るのだが、私はここをスルーして突き当たりのカンタベリー博物館(寄附NZ$5)を訪問することにした。ニュージーランド南島の大都市クライストチャーチを擁するカンタベリー州は古くは原住民のマオリ族が狩りや釣りをして平和に暮らしていたのだが、1800年代からイギリスより移民が流入するようになり、欧州の近代文化と酪農産業が発達する歴史を学習することが出来た。ここでの最大の見所はニュージーランドにかつて生息していた巨鳥モアの卵と骨格の標本であるのだが、それ以外にもアムンゼン、スコットを中心とした南極探検家の装備や雪上車等も十分南極通をうならせるほど迫力のある体制で展示されている。

カンタベリー博物館にて英国移民の歴史を学習することが出来たので、実際にイギリス人が入植してきた港であるリトルトンを訪問することにした。リトルトンの町は天然の良港以外はこぢんまりとした町で隔日しか営業していない博物館以外はたいした見所はなかったのでフィッシュアンドチップスを食ってとっとと撤収することにした。坂の多いリトルトンから山道気味の道路が開けていたので車を転がしていると上に行けば行くほどこれぞニュージーランドという光景が目の前に開けてきた。

とある羊の放牧場で羊野郎がのんきに草を食っていやがったのでとりあえず羊達にアンソニー・ホプキンスをどう思うか聞いてみることにした。ところが羊達は「メェ~そうもない」という表情を浮かべながら沈黙して逃げてしまったのだ。

高台からリトルトン港の入り江の美しいブルーやクライストチャーチの町並み、はるか遠くに広がるサザンアルプス等の山並みを眺めながら走っているとクライストチャーチゴンドラに到着した。通常の観光客はふもとからゴンドラ(NZ$16)に乗って標高400mの頂上までやってくるのだが、上級トラベラーの私は車を高台に止めて徒歩で頂上に到着することが出来た。頂上には展望レストランと土産物屋、クライストチャーチの発展の歴史をダイジェストで学習することが出来るタイムトラベルというちょっとした博物館があるのがうれしかった。

今日はクライストチャーチで過ごす最後の夜となるため、巨泉に義理立てするためにOKギフトショップで蜂蜜を原料にした高価な健康食品であるプロポリスや巨泉キャラクター付きボールペン等を購入して彼の営業成績に貢献してやることにした。

11月29日(土)

早朝の便にて空路クライストチャーチからオークランド空港まで戻ってきた。NZ099便成田行きの搭乗ゲートはおびただしい数の日本人観光客でごった返していた。カウンターのアナウンスで不意に私の名前が呼ばれたので行ってみると頼みもしないのに私の席がビジネスクラスにアップグレードされてしまったのでこいつらもやっとスターアライアンスのゴールド会員である私の実力を理解したのだと思い、彼らの施しを受けることにした。

意味もなくただっ広い前から2番目の席でウエルカムシャンペンを飲みながらくつろいでいると通路を挟んだ私の隣の席に明らかにマサの太ももより太い腕を持ったいかつい野獣が搭乗して来た。野獣はK1の正道会館の師範代である角田信朗http://www.so-net.ne.jp/feg/k-1/fighters/kakuda_nobuaki.htmであったのでとりあえず、「正道会館の石井館長だけでなく、あなたも脱税しているではないか!?」と聞こうと思ったのだが、今日はヘッドギアとプロテクターを持参していなかったので断念せざるを得なかった。尚、師範代は飲み物はニュージーランド産白ワインのシャルドネを何杯も飲み、持参しているDVDプレイヤーを見ているふりをして寝るという上級技を披露していた。

ニュージーランド情報

*農業と酪農立国であるニュージーランドの植物検疫は武器の持ち込みよりも厳しくおこなわれている尚、黙って(気づかずに)食物を持ち込んだことが発覚するとその場でNZ$200の罰金を取られてしまうのだ。

*ニュージーランド国内の主要宿泊施設としてモーテルが君臨しているのだが、どのモーテルも小奇麗に整備されている。また、チェックイン時のホスピタリティとしてミルクを恵んでくれ、しかもスタンダードかローファットかの指定も出来るという酪農大国ならではの独自の実力を示している。

*バンジ-ジャンプ!?とともにニュージーランドの国技になっているラグビーのナショナルチームはニュージーランド航空とも提携しているかの有名なオールブラックスである。オールブラックスは試合の前に相手チームの目の前で「カマテ、カマテ」と叫びながらハカという儀式を行うことで試合への闘志を高めているのだが、このハカの起源は原住民であるマオリ族の戦いの前に行う踊りである。

*全日空の機内映画でも上映され、あまりの面白くなさに10分で断念してしまったロードオブザリングのロケ地はクイーンズタウンの近くにあり、ロードオブザリングツアーというものまで出現してしまっている始末である。また、ニュージーランド航空ではロードオブザリングのキャストを機体にあしらったジャンボまで就航させているという気合の入れようである。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥165,040

総宿泊費 NZ$513 (NZ$1 = \77.-)

総レンタカー代 NZ$555

総ガソリン代 NZ$91.18

総走行距離 1,429km

総空港使用料 NZ$25

なるほどザFTB2003秋の祭典第5弾アカシアの街大連

日露戦争と帝政日本の植民地支配の歴史を研究している私にとって中国東北部の遼東半島の最南端に位置する大連は決して避けて通れない目的地である。大連は「北方の香港」として現在も発展を続ける北方最大の港湾都市であり、日本をはじめ多くの国の企業が投資を行っている。また、大連外国語学院が供給する良質な外国語スピーカーにより、数多くの日本企業のコールセンターを抱えている街でもあるのだ。

11月15日(土)

JALのマイレージが余っていたのでマサであれば¥15万くらいかかるところを私はただで大連行きの往復航空券を入手していたので、早速午前9時30分発のJL797便に乗り込み、空路大連を目指した。約3時間のフライトで飛行機は大連周水子国際空港に到着した。空港で円を元に両替して足早にタクシー乗り場に向かい、今回のツアーの宿泊先となっているHilton大連へと車を走らせた。HiltonHHonorsのポイントが余っていたのでマサであればUS$180くらいかかるところを私はただで宿泊することが出来る☆☆☆☆☆ホテルのHiton大連にチェックインし、そのまま大連市街地の散策に繰り出すことにした。

ホテルから400m離れた街の中心である中山広場に向かう道すがらおびただしい数の工事現場に遭遇し、大連市街が急ピッチで近代化されている様子を垣間見ることが出来た。中山広場からは放射状に道路が延びており、中国第2位の港である大連港へは人民路を歩いて20分程で到着した。土曜の昼過ぎの大連港は人影もまばらで日本における晴海ふ頭のようなコンテナが醸し出す物悲しさに耐え切れなくなり、足早に撤収を決め込むことにした。

大連港からホテルへ戻る道すがら「博多」や「中洲」といった数件のさびれた日本名の飲み屋が並んでいる通りを発見した。また、回春系の薬を販売している店の看板には性が「セッワス」と訳されていたのはご愛嬌だったのか?

勝利橋(旧日本橋)を渡ってロシア街方面に足を運んで見た。大連は日露戦争以前はロシア語でダーリニーと呼ばれており今もロシア街にはロシア風建築様式の遺構が残されている。その隣の上海路では寒風吹きすさぶ中、路上散発屋で髪を切ったり、髭を剃ったりする光景をライブで見ることが出来る。

ホテルに帰ってテレビのリモコンを操作していると中国の放送でワールドカップバレーの中国対日本の熱戦が繰り広げられていた。無類のバレーボール好きである私は当然テレビの前に釘付けになってしまった。フジテレビから提供される映像は日本選手のアップばかりを追っかけているのだが、音声は中国語という非常にアンバランスな状況で「帰って来たオリンピック戦士吉原」や「日本の元気印高橋」等の奮闘を目の前に回りの中国人に気づかれないように小さな声で「ニッポンチャチャチャ」を繰り返しながら大連の夜は更けていった。

11月16日(日)

早朝より中山広場を経由して2kmほど南西に位置する人民広場まで歩いて行った。人民広場は広大な芝生の敷地となっており、数多くの暇人たちがゲイラカイト系の凧あげにいそしんでいた。広場の周辺では満州帝国の建築物である大連市人民政府(旧関東州庁)等の歴史ある箱物を見物することが出来る。

大連森林動物園(60元)が市の南、緑が鬱蒼と生い茂る白雲山風景区内に君臨しているので中国人には相手にされなくても動物からは愛されている私にとっては格好の訪問地であると思われたため、見物に立ち寄ることにした。ここでの見所の一つとして大熊猫(ジャイアントパンダ)があげれれる。ぬいぐるみ状の大熊猫はまばゆい青空の中のんきに昼寝をこいており、いくら観光客が歓声を上げても決して身じろぎだにしない頑固な性格を持っている様子であった。

大連森林動物園は大きく2つのパートに分かれている。ひとつは上野動物園状の普通の施設であるが、園内に設置されているゴンドラで山を越えるといきなり自然動物園が出現してしまうのだ。虎の縞文様をあしらったバスに乗り込むと恐らく北限に位置するであろうと思われる壮大なサファリパークへの旅がスタートするのである。パークにはヒグマをはじめ、アフリカ系の動物であるシマウマやライオン、スプレーで塗られたような見事なホワイトタイガーや通常の黄色い東北虎などの猛獣を真近に体感することが出来るようなシステムになっていた。

上野駅の建築様式を模倣して作られたと言われている大連駅がホテルから1kmほどのところに位置しているので出稼ぎに来たたくさんのおのぼりさんを見ることが出来るのではないかと期待して見物に行ってきたのだが、普通の大連駅であった。

Hiltonホテルの対面に百姓屋という居酒屋風の飲み食い屋があったので入って見ることにした。惣菜等はすべて中華になっており、また、所狭しと並んでいる魚や蟹を指名すると勝手に料理してくれるらしいので28元の白身系の魚と88元の蟹を指名させていただき、豪勢な中華ディナーを堪能することが出来た。

11月17日(月)

朝飯用の食料を調達する道すがら、中山広場の朝の光景を見物に行って来た。広場では裕福そうなマダム達を中心とした軽快なリズムのエアロ系ラジオ体操が繰り広げられており、皆蝶のように手をひらひらとさせて自己満足に浸っている様子であった。

尚、中山広場を取り巻く建物のほとんどは日本統治時代から引き継がれており、旧大和ホテルは現在大連寶館というホテルに生まれ変わっており、旧横浜正金銀行大連支店は今では中国銀行としてなおも人民の財布を牛耳っているのであった。

午後1時発JL798便にて帰国

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,760(税金のみ)

総宿泊費 ただ

総タクシー代 83.7元(1元=約\15)

総空港使用料 90元

次回はなるほどザFTB2003秋の祭典完結編を超南の島からお送りする予定です。

協力 日本航空システム、HiltonHHonors

なるほどザFTB2003秋の祭典第4弾南の国から

かねてより買収の噂が絶えず、閉店間際の底力により日本一を勝ち取った王ダイエー・ホークスの有終の美で幕を閉じた日本プロ野球であったが、各球団は来年の雪辱を期してすでに秋季キャンプをスタートさせている。キャンプというと通常は南国宮崎や鹿児島、高知が主流であったのだが、ここ数年の傾向としてもっと南の国の沖縄でキャンプを張る球団が増加の一途をたどっている。今回は私の大先輩である山下大輔監督率いる横浜ベイスターズと落合新監督が指揮する中日ドラゴンズがすでに沖縄で秋季キャンプをスタートさせているという情報を入手したので、将来マサの天下り資金を横領して球団経営に乗り出すことを目論んでいる私にとって経営のノウハウを入手するには最適な機会だと思い、キャンプレポートを行うことになったのだ。

11月8日(土)

午前8:05発のANA121便にて11時前に那覇空港に到着すると早速トラベルレンタカーで三菱のミニカをレンタルすると国道58号線を北上した。那覇市よりわずか12km北の宜野湾市はかねてより横浜ベイスタ-ズのキャンプ地として地元民に根付いており、ベイスターズに歓迎の意を表する垂れ幕をここかしこで見ることが出来る。全日空のラグナガーデンホテルと沖縄コンベンションセンターに隣接する宜野湾市営運動公園はベイスターズタウンの様相を呈しており、サブグラウンドでは浜の番長ことエースの三浦大輔と正捕手の中村武が内野の個人ノックを受けて死にそうになっていた。しかしながら、どんなに苦しい状態であっても浜の番長のリーゼントは一糸乱れることはなかったのだ。

メイングラウンドでは若手を中心としたバッティング練習が繰り広げられていた。今年は最下位という屈辱を味わったものの、若手の中にきらりと光る素材がいないかどうか目を凝らして見て回ったのだが、皮肉なことに一番輝いていたのは山下監督の頭であったのだ!

宜野湾市から数キロ北上すると北谷(ちゃたん)という町に到着した。落合新監督という目玉を擁する中日キャンプは横浜と異なり、数多くのテレビクルーと報道陣でごった返していた。ここでもメイングラウンドでは珍プレーの元祖と言われる宇野勝バッティングコーチが陣頭指揮するフリー打撃が行われていたのだが、そこには落合新監督の姿は見られなかった。メイングラウンドのスタンドからふとサブグラウンドに目をやるとそこでは一塁手の捕球を中心とした内野守備の練習が行われており、多くのマスコミ陣がそこに集中していたので私もその場に向かうことにした。意外なことに落合新監督は打撃よりも昔取った杵柄である一塁守備の指導をオレ流に熱心に行っていたのであった。

ということで、セリーグの下位球団のキャンプ運営ノウハウを入手したFTBは、早速日本のプロ野球に見切りをつけ、余った時間を観光にあてることにした。世界遺産に認定されている琉球王朝のグスクおよび関連遺産群として沖縄本島西海岸に勝連城跡が君臨しているので見物に行って来た。勝連城の詳細についてはこれでも見といてくれ!http://www.churashima.net/shima/okinawa/isan/20010418/index.html

マサよ、君は沖縄本島最強のリゾートホテルに泊まったことがあるか?

ということで2000年の沖縄サミットの際にクリントン大統領御一行様も御宿泊された実績がある全日空ホテルズが展開するリゾートホテルの頂点に位置する万座ビーチホテルにチェックインすることにした。ANAマイレージクラブダイヤモンド会員にのみ提供されるANAホテルズの無料宿泊券が余っていたのでマサであれば¥30,000くらいかかるところを私はただで最上階の下の階の高級ルームを手配していただいていたのだが、この部屋は万座ビーチを一望出来るロケーションで万座ビーチに沈む夕日をテラスから鑑賞することが出来るのだ。

11月9日(日)

沖縄の海の美しさを一般市民に体感させるために2002年に鳴り物入りでオープンした沖縄美ら海水族館(¥1,800)が一周年を迎えていたので水族館フリークの私としてはどうしても見逃すことが出来ないと考え、降りしきる雨の中わざわざ名護市の奥に位置する海洋博公園まで車を転がすことにした。

これまで大阪の天保山にある海遊館やオーストラリアのシドニー水族館等各地のすばらしい水族館を体感したことがあるのだが、ここは海遊館とシドニー水族館の双方のすばらしいところを取り入れた形で運営されていた。美ら海水族館の目玉は何と言っても巨大なジンベイザメ2匹と複数のマンタ(オニイトマキエイ)が厚さ603mm(海遊館は300mm)のアクリルガラスで守られた水槽の中で悠然と泳いでいる様を真近に見ることが出来ることである。また、シドニー水族館のグレートバリアリーフのコーナーを彷彿とさせる生きたサンゴ礁さえも見物可能となっていた。

28年に渡って海洋博公園を代表するアトラクションとして君臨しているオキちゃん劇場というイルカショーを3年ぶりに見学したあと、さらに沖縄本島を北上し、JALのプライベートリゾートオクマを見学して私がひいきにしているANAの万座ビーチよりも面白くなさそうなことを確認して安心した後、やんばる野生動物保護センターを見学させていただいた。ここでは手に負えなくなったペットの猫をやんばるの森に放流してやんばるくいなが野猫のえさになっている悲惨な実態が科学的なデータで解明されていた。

次回は中国北部大連に進出する予定です。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥4,600

総レンタカー代 ¥9,690

総ガソリン代 ¥1,953

総宿泊費 ただ

協力 ANA、全日空ホテルズ、トラベルレンタカー