なるほどザFTB2003秋の祭典第3弾もっと北の国から

裏の仕事の忙しさにかまけて本職であるFTBのミッションをなかなか遂行出来ないでいたが、地元サンフランシスコから飛行機を飛ばして帰国したその翌日に晴れてFTBを再開することになった。ところで昨年の10月の紅葉シーズンには田中邦衛主演の人気フィクションドラマ「北の国から」の舞台となった富良野から北海道の美しい景色をお届けすることに成功したが、今回は田中邦衛でさえも足を踏み入れることを躊躇するであろうもっと北の国の稚内に約8年ぶりに足を踏み入れることになった。

10月25日(土)

午前9時55分発のANA571便、エアバスA321機は定刻どおりに羽田空港を離陸し、日本列島を北に向かって進路を取った。東北の山間部、室蘭、札幌の景色を眼下に見ながら、飛行機は定刻どおり昼前に稚内空港に着陸した。空港のニッポンレンタカーでいすゞジェミニ系の小型車をレンタルすると早速日本最北の地である宗谷岬を目指していた。

マサよ、君は間宮林蔵という日本を代表する探検家を知っているか?

林蔵を知らないやつは稚内へ足を踏み入れることを許されずそのまま樺太へ島流しにされるという特典付きツアーが存在するのかどうかは確認出来なかったが、江戸時代に樺太を発見した英雄である林蔵が間宮海峡に向かって船を漕ぎ出した地点には彼の偉業をたたえる記念碑が誇らしげに建立されていた。

林蔵が醸し出すノスタルジーを感じながらさらに東に車を転がすとついに日本最北端の地という看板が誇らしげに掲げられた北緯45度31分に位置する宗谷岬に到着した。宗谷岬を見下ろす高台は公園になっており、そこには祈りの塔や世界平和の鐘や子育て平和の鐘等のオブジェが建てられている。中でも祈りの塔は1983年にサハリン北西沖で起きたソ連ミグ機による大韓航空機撃墜事件の遭難者の霊を慰め、二度とこの悲劇を繰り返さないようにと世界の恒久平和を願い宗谷岬公園に建造されたものである。

宗谷岬からオホーツクの海岸線に沿って南に車を転がすとクッチャロ湖という風光明媚な湖に到着した。この湖はオオハクチョウやコハクチョウの飛来地として有名であり、時代が時代であったなら、スキー合宿に来ていたであろうチャイコフスキーも絶賛するほどのすばらしい白鳥の湖である。

由美かおるも所属していた西野バレエ団の練習風景のようなおびただしい白鳥の舞を満喫した後、道北を西に向かって横断し、サロベツ原野に到着した。ここは日本有数の湿地帯で原生植物が保護されており、宮ノ台展望台からは遠く地平線も見渡すことが出来るのだ。

道北のオホーツク海に面した道路はオホーツク夢街道と言われているのだが、日本海側は日本海オロロンラインと呼ばれ、初心者マークをつけたドライバーがオロオロしながら走るには最適な直線コースが提供されている。サロベツ原野からオロロンラインを通って稚内市内に入り、稚内市が誇る最高級ホテルである稚内全日空ホテルにチェックインして早速茶でもしばこうかと思っていたのだが、お湯がなかなか沸っかないのでいらいらしたので再び車を駈って日本最北端の温泉である稚内温泉童夢(¥600)に向かった。この温泉は地元客は割引料金で入湯することが出来、お湯がなかなか沸っかない稚内市内でも安心して入浴を楽しめる現実を確認して気持ちが安らぐ思いがした。

10月26日(日)

稚内の観光では決して欠かすことの出来ない稚内公園の中に開基百年記念塔(¥400)という稚内百周年を記念して建立されたファシリティが強風の中北の海を見下ろすように立っていたので立ち寄ることにした。この建物の1階、2階の部分は北方記念館という博物館になっており、北国の暮らしや日・ロ友好の歴史などを学習出来るように取り図られている。海抜240mの塔の頂上からは利尻・礼文島や宗谷岬、稚内港、遠くサハリンまで見晴らすことが出来た。

日本で2番目に高い稚内灯台を持つノシャップ岬が夕日景勝の地として人気を博しているのだが、この日は寒風がすさまじかったので地元の食堂でウニラーメン(¥1,500)を食ってとっとと撤収することにした。

感動稚内「九人の乙女」物語

日露戦争に勝利した日本は樺太の北緯50度以南を領土とし、その支配は太平洋戦争の終結まで続くことになった。樺太で郵便局の交換手の任務に就いていた九人の乙女がおり、彼女らは昭和20年8月20日、旧ソ連軍の侵攻を受けた樺太の地で最後まで任務を果たしたという。もう逃げられないと判断した最後には「皆さん、これが最後です、さよなら さよなら」という言葉を残して自らの命を断ってしまったそうだ。九人の乙女の慰霊碑は稚内公園に建てられており、観光客はこれを見て皆涙を流すと言われている。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,600

総レンタカー代 ¥9,870

総ガソリン代 ¥1,814

総走行距離 304km

総宿泊費 ¥6,000

今後のなるほどザFTB2003秋の祭典は沖縄、大連、羊の国等が控えております。

協力 ANA、全日空ホテルズ、ニッポンレンタカー

なるほどザFTB2003秋の祭典第2弾 in アモイ

日本有数のトラベラー / 紀(奇)行家兼優秀なサラリーマン兼投資家として活躍している私が今注目しているのは中国市場である。先週中国地方に行ったばかりであるとはいってもそこは所詮日本国内であったので今週は満を持して本場中国まで足を伸ばすことにした。今回の訪問先は中国南部福建省を代表する港湾都市であるアモイである。何故この忙しい時にアモイくんだりまで行かなければならないのか!?

それはまだ行ったことがなかったからだ!!

9月13日(土)

遅れて来た夏を満喫するわけでもあるまいが、3連休を海外で過ごそうとする素人トラベラーの異常大発生により成田空港第2ターミナルは異常なまでの賑わいを見せていた。私も人の波を押しのけながらANAのプレミアムカウンターに到着するとマサであれば15~6万くらいかかるところを私はマイレージを使ってただで入手していた成田-アモイ行きの便のチェックインを行った。

午前10時発のANA935便、B767-300ER機は約30分遅れで離陸し、4時間のフライトで1時間の時差を越えて午後1時15分頃アモイ国際空港に到着した。香港や台湾に近く、中国南部に位置する福建省のアモイは経済特区に指定され、数多くの外資系企業が進出している。空港からバス(6元)でアモイ駅に行く道すがらDELLやPanasonic等多くの外国企業の看板を目にしてここが豊富な労働力の提供により世界の工場として発展している姿をいやがおうでも目の当たりにさせられてしまった。

アモイ駅からダウンタウンの沿岸部まで距離にして数キロの道のりを酷暑の中歩くことにした。観光都市というよりも商業都市の色合いが強いアモイのダウンタウンにはほとんど見るべきものがなく、ミーハーな観光地しか興味のないマサであれば「ア、モ~イ~」という捨て台詞を吐いてとっとと日本に帰っていったことであろうが、この国に対する投資価値を厳しい目で判断しなければならない私はこの地の環境をつぶさに見て歩かねばならなかった。

福建省というと中国茶が有名であるが、やはりここかしこに茶葉や茶器を売っている店が多く、また、食い物屋の軒先においてもミニチュアのような茶器セットで午後のウーロン茶が楽しめるようになっていた。今日の宿泊地はJCBトラベルに予約させておいたキャンペーン価格のベストウエスタンホテルであったのだが、アモイではベストウエスタンはコンシュルジェもいる高級ホテルとして君臨しているのだ。ホテルの向かいに「吉永」という日本食屋が開業していたので試しに入って見ることにした。「吉永」ではバックグラウンドミュージックとしてチャゲアス、徳永英明、中森明菜、松田聖子等をランダムに流して日本人の望郷の念をあおっていた。

9月14日(日)

キャンペーン価格であるにもかかわらず朝食無料サービスの恩恵にあずかっていたのでホテル1階のレストランで中華、洋食、日本食混在の自助(セルフ)朝飯を食った後、アモイで中国を代表する観光地として君臨しているコロンス島を訪問することにした。アモイダウンタウン沿岸部にある渡し船乗り場から船に乗るとわずか10分程度でコロンス島の船着場に到着した。

コロンス島は面積わずか1.78km2の楕円形の小島で独特の景観を持つことから「海上明珠」「海上花園」と呼ばれている。1902年に公共租開地に定められ、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダなどの国が次々に島内に領事館、商社、病院、学校、教会などを設立し、一方で華僑が住宅や別荘を建て、電気や水道のインフラも整備されて発展したそうだ。そのような歴史的背景のためか島内にはおびただしい数の洋館が建てられており、今では島内住民2万3,000人あまりの住居となっているのだ。

日光岩(60元)というコロンス島の最高峰(92.68m)が島最大の観光スポットとして多くの観光客で賑わっているので訪問することにした。日光岩の元々の名前は晃岩といったそうであるが、ここから眺める景色が日本の日光山に勝るとも劣らないことから無理やり晃を分割して日光と拝命したそうだ。日光岩の最高峰からはコロンス島の様子が一望出来、また、対岸のアモイ島の港やビル群のすばらしい景色も堪能することが出来る。

というわけで、「ア、モ~イ~」という捨て台詞を吐いてすでに撤収してしまっているマサであれば、帰国後にコロンス島のすばらしさを知り地団駄を踏んで悔しがることになるのである。

夕暮れ時にアモイの繁華街である中山路をさまよっているといつしか巨大な市場の通りに紛れ込んでしまった。狭い道沿いにはおびただしい種類や数の魚やカニ、ラチされてつながれているアヒルや鶏、鳩、食用カエル、すでに毛がむしられてしまっている元アヒル等が所狭しと並べられていた。中国ではこのような市場の賑わいを見なければ中国に来たことにはならないということは常識だと言われている。

9月15日(月)

昨日、一昨日とTシャツに塩の縞模様が入るほど蒸し暑い中を歩き回ってしまったので今日はチェックアウト時間ぎりぎりの12時までホテルにしけこむことにした。その後ホテルのシャトルバスで通り沿いのおびただしい数の電子部品企業の看板を見ながら空港まで帰っていった。

午後2時45分のANA936便にて帰国

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,820(税金のみ)

総ホテル代 1,132元(1元=約¥15)

総バス代 6元

総タクシー 23元

総空港使用料 90元

総中国ビザ代 ¥0(9月1日より30日以内の観光であればビザは要らないことになったのだ!)

協力 JCBトラベル、ベストウエスタンホテルグループ

なるほどザFTB2003秋の祭典第1弾日本三景天橋立

今年は夏の猛暑を経験することなく秋を迎えてしまった今日この頃であるが、秋はトラベルの季節ということもあり、1998年にテキサス州オースティンで実行して以来の「なるほどザFTB秋の祭典」を復活させ、物足りなかった夏に向けるべきであったエネルギーと鬱憤を晴らすべき、楠田枝里子も納得するような過酷なツアースケジュールが組まれることになった。その第1弾として選ばれた訪問先は古代から文人、歌人、天皇らを引きつけてやまない京都の天橋立である。

実は1990年~1994年にかけて京都市民として京セラという会社の京都本社を仕切っていた私であったが、何故か天橋立を見物に訪れた実績を持っていなかったのだ。京都府は広く、北部は遠く日本海にまでおよんでいるせいもあり、また北部は北朝鮮の工作船の活動も活発な様子だったので避けて通らざるを得ない目的地でもあったのだ。

9月6日(土)

早朝7時10分のANA293便で目指した先は何故か山陰の鳥取空港であった。定刻8時20分に空港に到着し、草なぎ剛の推奨するトヨタレンカーでカーナビ付きヴィッツをレンタルすると日本海沿岸部を東に進路を取り、一路丹後半島を目指した。兵庫県豊岡市を抜け、京都府峰山町に差し掛かるといきなり阪神の快進撃に対する強い妬みの感情に襲われてしまった。実は税金対策で定評のあるサッチ-の旦那として有名な野村克也氏(現社会人野球シダックス監督)は京都の峰山高校の出身でテスト生として南海ホークスに入団を果たして身を成した話は阪神ファンであれば誰でも知っていると思うが、この地域では野村を退けて阪神監督に就任した星野に対する妬みと怨念が渦巻いているのである。

ノムさんのぼやきのようなエンジン音が何とかおさまると丹後半島の東の付け根に位置する天橋立にお昼頃到着することが出来た。ドライブインで地元の寿司定食を食ったあと、早速現地の調査に乗り出すことにした。日本三景天ノ橋立西国二十八番という肩書きを持つ成相山成相寺が天橋立を見下ろすようにそびえているので¥500の大金をはたいて参拝に行って来た。成相(ナリアイ)寺のキャッチフレーズは願い事必ず成り合う寺というものだが、実は身の毛もよだつような由来と歴史を持っているのだ。

成相寺を代表するファシリティとして「撞かずの鐘」が君臨しているのだが、これは1609年に地元のえらいおっさんが古い鐘に代わる新しい鐘を鋳造するために地元民に寄付を募っていた。しかしながら一回、二回と鋳造に失敗し、三回目の寄進を募った時、裕福そうな家の女房が「子供は沢山居るがお寺へ寄附する金はない」と険しい目の色で言いやがったそうだ。やがて鐘鋳造の日に大勢の人の中に例の女房も乳呑児を抱えて見物していたのだが、銅湯となったルツボの中に誤って乳呑児を落してしまった。このような悲劇を秘めて出来上がった鐘を撞くと山々に美しい音色がこだましていた。しかし、耳を澄ますと子供の泣き声、母親を呼ぶ悲しい声が聞こえ、聞いている人々はあまりの哀れさに子供の成仏を願って一切この鐘を撞くことをやめ、撞かずの鐘となったそうだ。ど~だ!身の毛がよだったろう!?

ということで成相寺の歴史とそこにまつわる民話を十分に堪能した後、展望台から天橋立を見下ろし、その後ホテルにチェックインし、天橋立温泉で疲れを取り、だらだらとした夜を過ごすことになった。

9月7日(日)

丹後半島の付け根から宮津湾(与謝の海)と阿蘇海をくっきり分けて砂洲が流れるように細長くのびる天橋立は長さ3.6kmにもおよぶ松並木に囲まれた絶好の散歩道を提供しているので早朝より散策をすることにした。知恩寺という由緒ある寺を起点に延旋橋という観光船を通す時に回転して進路を提供する橋を渡り、海水浴場や行き交う船やモーターボートを横目に見ながら40分ほど歩くと対岸に位置する傘松公園行きのケーブルカーターミナルに到着した。黄金の足腰を持つ私はケーブルカーで4分、リフトで6分かかる急坂を迂回路の階段を汗だくになりつつ登ると傘松公園の展望台に到着することが出来た。

マサよ、君は天橋立くんだりまで来て「股のぞき」をしないと天橋立に来たことにはならないことを知っているか!?

ということで、「股のぞき」で有名な傘松公園から逆さにのぞく景色は、マサに天に架ける橋の趣を呈しているのだが、御多分にもれずいかにも足腰の悪そうなじじいやばばあもおっぴろげた股の間に頭を突っ込んで「股のぞき」を満喫していやがった。また、ご丁寧にも展望台には「股のぞき」用の足型が示されており、スタンスまで決められているので世界の王が開発するであろう一本足股のぞきのような応用に走ってはいけないことになっているのだ。

傘松公園を下り、再度天橋立の松並木を引き返し、傘松公園の対岸のビューポイントである天橋立ビューランド(飛龍観展望所)行きのリフト(¥800)に乗り込んだ。このビューランドは展望所の他にチャチな遊園地という形式になっているのだが、この角度から見る天橋立はマサに龍が天に昇るようなダイナミズムを覚えさせるものである。

天橋立の全貌を満喫し、和泉式部顔負けの歌人になることに成功して満足したので丹後半島をぐるッと一周して北朝鮮の工作船が容易にカモフラージュ出来る入り組んだ海岸線と青い海を右手に見ながら、鳥取への帰路を急いだ。

マサよ、君は山陰地方にサハラ砂漠を髣髴とさせる乾いた大地があることを知っているか!?

というわけで、サンセットが迫ってきた時間帯に約10年ぶりの鳥取砂丘に到着した。山陰海岸国立公園が誇る鳥取砂丘は東西16km、南北2kmにおよぶ日本最大の砂丘である。この砂丘の砂のふるさとは中国山地であり、そこには広く花崗岩質の岩石が分布しており、これらが風化して真砂(マサ!)土と呼ばれるもろい岩の地層になった。この地層が侵食され、千代川によって砕かれつつ運ばれて鳥取平野に堆積し、日本海に流出した。日本海に出た砂は沿岸流に乗って海岸に打ち上げられ、強い北西風によって内陸に運ばれ、鳥取砂丘が出来上がったのだ。

尚、今回訪れた鳥取砂丘は長雨の影響が祟ってかそこかしこに草が生えており、十分に乾いた気分を満喫することが出来なかったのだが、初めてここに来たシロウトは一様に驚嘆の声をあげていた。また、砂丘ではラクダライディングが可能であり、ラクダと一緒に写真をとるだけでも金を取られてしまうのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥600

総レンタカー代 ¥10,500

総ガソリン代 ¥2,264

総宿泊費 ¥5,750

次回は第2弾高速中国編をお送りします。

FTBロッキー4ゴジラの逆襲

ロッキー 2000年4月フィラデルフィア美術館の階段を登りエィドリア~~ンと叫びながらガッツポーズを達成

ロッキー2 2000年10月コロラド州デンバーからロッキー山脈国立公園を制覇

ロッキー3 2003年5月フィラデルフィア美術館内部に侵入し、美術品を鑑賞しながらアメリカンドリームを実感

ロッキー4 2003年8月??????

例年より13日も遅い梅雨明けを迎え、日本列島に猛暑の季節が訪れる。ところで今まで公にはしてこなかったが、FTBは水面下でロッキープロジェクトを進行させており、今回その総決算と避暑を兼ねてロッキーの総本山と言われるカナディアンロッキーで山ごもりと修行を行い、調子の上がってこないゴジラが逆襲するように願をかけるという壮大なプロジェクトを遂行されることになったのだ!

8月2日(土)

NH006便、B777-300機は十分な追い風を受けることが出来ず通常よりも長い10時間もの時間をかけてロサンゼルス国際空港に午前11時25分に到着した。エアーカナダが運行するAC744便は午後2時45分に出発し、2時間50分程度のフライトで午後7時前にカナダのカルガリー空港に到着した。空港でフォードのトーラスをレンタルすると通常であればカーステレオから畑中葉子と平尾マサ!晃の歌が♪ラブレタ~フロ~ム、カナァ~ダ~♪と「後ろから前から」聞こえて来るはずであったが、この歌はカナダのどの場所かが特定されていない大雑把でいい加減な歌なので地元では相手にされていない様子であった。http://www.ne.jp/asahi/sgmori/mitarashiya/hirahata.htm

今日は到着した時間が遅かったのでHiltonHhonorsのポイントを使ってただで宿泊することの出来るHampton Inns & Suitesに引き払い、近くのベトナム料理屋で生春巻きと麺類を食って時差調整を行うべくテレビを見ながら夜更かしすることにした。

8月3日(日)

ユネスコの世界自然遺産に指定されているロッキー山脈国立公園を形成する公園群はバンフ、ジャスパー、クートネイ、ヨーホーの4つの国立公園とマウント・ロブソンやアシニボイン山などを加えた山岳エリアから成っており、これらを総称してカナディアン・ロッキーとして世界中からおびただしい数の観光客をおびき寄せている。

カルガリーの西128kmにバンフという町があり、ここがカナディアンロッキーの表玄関になっており、今回のFTBはここを拠点にして活動することになっている。カナダ国道1号線を西に走っていると道の両端からゴツゴツした岩山が迫ってくる。この岩山がマサにロッキーと言われるゆえんであり、その後しばらく道なりに進むとバンフ国立公園のゲートに差し掛かるのでここでCA$7/人を支払うと念願のカナディアン・ロッキーに晴れて侵入することになる。

ロッキーには氷河の溶水によって形成された無数の湖があるが、その中でも誰もが代表としてあげるのがレイク・ルイ-ズである。ビクトリア女王の娘ルイ-ズ王女にちなんで名付けられたこの湖はバンフの北西約55kmの場所に位置しているのだが、さすがにカナディアン・ロッキー観光のハイライトとして君臨しているため、駐車場には止めきれないほどの車があふれ返っていた。何とかイリーガルなポジションに車を押し込むことに成功し、生い茂っている針葉樹の林を抜けるとそこにはこの世のものとは思えないほどの幻想的な風景が目の前に広がっていた。氷河によって削られた細かい泥により、エメラルドグリーンに色付けされた湖の背後に標高3,464mのビクトリア山が立ちふさがり、その山肌には真っ白なビクトリア氷河が覆い被さっている。運が良ければ光と水面の微妙なあんばいにより、湖面に氷河が写りこむ様子を垣間見ることも出来るのだが、今日は残念ながらそのような光景を見ることが出来なかった。しかし、ここを訪れる観光客のすべてがこの景色に感嘆と驚愕の声を上げていた。

レイク・ルイ-ズの近くにモレイン・レイクという風光明媚な湖があり、ここの景色はカナダの20ドル紙幣の図案として採用されているという話を聞きつけたのでついでに見物に行って来た。テン・ピークスと呼ばれる山々に囲まれたこの場所は青空と白い雪と湖の緑のコントラストが非常に美しく、多くの観光客がカヌー遊びに興じていた。

夕暮れ時にバンフに戻り、予約しておいた★★★★ホテルのバンフパークロッジにチェックインすると近辺の探索に乗り出すことにした。バンフのダウンタウンから南に2kmほど外れた位置にバンフ名物のひとつであるバンフスプリングスホテルが中世の古城のいでたちで君臨しているので予約もしてないのに見物させていただくことにした。フェアモントホテルグループが総力を結集して建設したこのホテルはロッキーから切り出したと思われる石垣のようなレンガをふんだんに使用しており、内部にはアンティークな家具が絶妙に配置され、数多くの高級ショップが軒を連ねていた。

マサよ、君はバンフの目抜き通りであるBanff Avenueに君臨しているOKギフトショップの経営者を知っているか??

11PM、クイズダービー、世界まるごとHow Much、こんなものいらない等のテレビ番組を仕切り倒し、暴利をむさぼった大橋巨泉が業界をセミリタイアしてからすでに何年も経っているのだが、儲けた金で土産物屋を開業し、さらなる暴利を貪りつづけている。しかもOKとは大橋巨泉のイニシャルであるが、実はテレビに出ていたころおびただしい数のNGを出していたため、その腹いせにOKにしたのではないかと言われている。ところで財務省のマサが天下りをせずにセミリタイアを試みてもセミのように早死にするのは確実視されていることは火を見るより明らかであろう。

8月4日(月)

マサよ、君は太陽にほえろの殉職シーンのロケで誰が一番金を使っていたか知っているか!?

神奈川県警のような通常の日本の警察であれば犯人を追って海外に出ることはまずないが、石原プロがバックについている七曲署であればロッキー刑事を殉職させるためだけの目的でロッキー山中でロケを行った実績を持っているのだ。繁華街のため、ロッキー刑事にしっかりと守られたバンフをカナディアン・ロッキーの表玄関とするとジャスパーという町が裏玄関になる。バンフ~ジャスパーを結ぶ300kmのハイウエイのうち、レイク・ルイ-ズからジャスパーまでの93号線230kmは通称アイスフィールド・パークウエイと呼ばれており、このルート沿いにはロッキーを代表する山々と氷河、湖が次々と姿を現すのだ。

今回のツアーは日程的に余裕があるのでじゃ~スパっとジャスパーまで行って帰って来ようと思ったので車を飛ばしてロッキー最北部を目指すことにした。アイスフィールド・パークウエイのすばらしい景観に包まれながら3時間ちょっとのドライブで午後12時過ぎにジャスパーに到着した。ジャスパーのダウンタウンはバンフと比べて小じんまりとまとまっているもののその分静かな佇まいで自然環境と町並みが一体となっている様子であった。

ジャスパーのダウンタウンの南西7kmの地点に標高2,464mのウイスラー山が控えている。この山の頂上近くにある展望台へは30人乗りのロープウエイ(CA$20)を使って約7分でアクセス出来るので早速登頂してみることにした。地上の乗り場の標高は1,304mで標高差973mをロープウエイで登りきると2,277mの地点に達するのだが、気温も8℃ほど下がるので観光客は上着を羽織らないとこの場所では凍えてしまうのだ。展望台から頂上へはなだらかなトレイルが形成されており、老いも若きも澄み切った空気の中で元気にトレッキングに興じていた。ここからはジャスパーのダウンタウンが一望出来るのはもちろんのことカナディアン・ロッキーの最高峰であるロブソン山(3,954m)のピラミッド状の独立峰も目にすることが出来る。

バンフに帰る途中でアイスフィールド・パークウエイの名前の由来となっているコロンビア大氷原のビジターセンターに立ち寄り、数日後に行われるであろう本格的な探索を前にした下見と情報収集を実施し、その後夕暮れで観光客の数も少なくなっているレイク・ルイ-ズを一目見て撤収することにした。

8月5日(火)

バンフから国道一号線を西に向かって進むとアルバータ州からブリティッシュ・コロンビア州の州境に差し掛かる。ヨーホー国立公園はそのBC州側に位置する小じんまりとした国立公園である。ナチュラル・ブリッジという長年に渡って川床のライムストーンを削り続けたキッキング・ホース川が作り上げた自然のアーチがある。また、そのさらに奥の方へ車を走らせるとエメラルド・レイクというその名の通りのエメラルドを彷彿とさせる美しい湖がある。エメラルド・レイクの周辺にはトレイルが形成されており、1時間半ほどかけて一周して見たのだが、湖のエメラルド色の美しさはもちろんのこと、湖面に映し出された周囲の山々の風景により、湖はクリスタル状に輝いている感じがした。

ヨーホー川を源流とするタカカウ滝が400m近い落差で豪快に落ちているので武者修行にと思ったが、あまりにも水量が多く、水しぶきがかかってしまうトレイルまでの接近にとどめておいたのだが、マサを筆頭とする財務官僚は税金を使い込みたいという煩悩を排除するために是非ここで滝に打たれるべきだと思われた。

ヨーホー国立公園からバンフに帰る際に高速からバイパスに入り、自然の景色に見入っていると巨大な鹿であるエルクが道端で草を食っており、時おり顔を上げてこちらの様子をうかがっていた。さらに進むと薄汚い羊のビッグホーンが若芽をあさっている光景を目撃した。さすがに夏場のロッキーだけあり、動物たちも活発に活動している様子であった。

バンフの町外れのサルファー山の麓にアッパー・ホットスプリングスという温泉(CA$7.5)が開業しているのでバンフで是非ババンバ・バン・バン・バン・アビバ・ノンノンをやりたかったので入湯することにした。しかしながら、ここはサルファー山原産の硫黄を含んだ温泉であったもののそれ以上に塩素を添加しており、しかもここでは入湯者は水着着用、監視員付きの39℃の温水プールに成り下がっていたので「たまにはババンと」と思って大金を払ってここまでやって来た日本人観光客の満足のいくものとは思えなかった。

地球の北部に位置するカナダだけあり、さすがに夜9時半頃まで明るいので観光客はバンフの繁華街でぶらぶらしながらコーヒーやアイスを買い食いしていた。しかも標高1,380mに位置しているため、気温は涼しく景色や町並みが美しいので歩いているだけで楽しいのだ。とあるボウ川沿いの公園では正装した若者がソフトウエアの欠陥のような名前の楽器であるバグパイプを吹きながら小金を稼ぎ、バンフの夕べを彩っていた。

8月6日(水)

ここ3日間のロッキー山中での滞在により、ほぼカナディアン・ロッキーの全容が解明されつつあるので今日はツアーのハイライトに乗り出すべく再びアイスフィールド・パークウエイを北上することにした。空が真っ青に晴れ上がっているせいもあったのかも知れないが、2日前にジャスパーまで行ったときの状況とは打って変わってこの日のアイスフィールド・パークウエイから見上げる山々や氷河は光り輝いていた。とはいうもののツアーの資金が底をついてきたのでそろそろどこかで金を仕入れなければならない。ロッキーには無数の湖があるのだが、ほのぼのレイクといった消費者金融は存在しないので金はバンフの銀行のATMでおろしておく必要があるのだ。

高利貸しはしてくれない代わりに旅行者に深い印象を刻み付ける美しい湖が存在しているので立ち寄ることにした。巨大な鳥の足のような氷河であるクロウフット氷河の解けた水が流れ込んで出来た湖であるボウ・レイクは午前中の静かな時間帯であれば湖面が氷河や山々や青い空、雲を映し出し、人々をボウ然とさせるほどの異様を誇っており、金には換算出来ないほどの景色を提供してくれるのだ。

今回のツアーのハイライトであるコロンビア大氷原へのツアーの拠点となっているアイスフィールド・センターに昼過ぎに到着した。日本でコロンビアというと売れないレコード会社やお笑い芸人が参議院議員に転進した走りであるコロンビア・トップといった冴えない印象をぬぐい切れないが、北米大陸では発見者のコロンブスに敬意を表してコロンビアという敬称はアメリカの首都やスペースシャトルや雄大な自然にしか使われていないのである。

1892年からカナディアン・ロッキーのツアーを事実上支配しているブリュ-スター社が催行するコロンビア・アイスフィールド・スノーコーチツアー(CA$29.95)に参加させていただいた。アイスフィールド・センターのターミナルから大型バスに乗り込むと小太りのデイビッドの運転兼ガイドでスノーコーチと呼ばれる雪上車が停泊しているポイントまで連れて行かれ、そこからのガイドは中年女性のスノーコーチのドライバーであるタニヤに引き継がれた。タニヤに言わせるとブリュ-スター社は世界中にあるスノーコーチ23台のうち22台を保有しており、彼女は行く手にいきなり立ちふさがった32%の下り坂をスーパーローギアを使って安定した走行で巨大なスノーコーチを自在に操っていた。

コロンビア大氷原は325k㎡に及ぶ、北極圏以外では北半球最大の氷原であり、ここから流れ出す川は北極海、太平洋、大西洋に注ぐ、マサに大陸大分水嶺である。ブリュ-スター社のツアーで接近出来るのは大氷原から流れ出すいくつもの氷河の一つである、全長6kmのアサバスカ氷河の標高2210m地点である。ツアーの参加者はスノーコーチから降りて20分ほど氷河の上で過ごすことが出来、タニヤはマイペットボトルの水を携帯しており、いきなり氷河から流れ出している水を汲んで飲んでいやがった。ちなみに8月いっぱいであればツアーの参加者は無料でタニヤのサインがもらえるとのたまっていた。

コロンビア大氷原を十分に堪能した後、アイスフィールド・パークウエイを南下してボウ峠に到着した。アイスフィールド・パークウエイの最高地点(2,070m)であるボウ峠からはペイト・レイクを見下ろすことが出来、展望台では多くの中国人団体旅行客と一般白人旅行客が記念撮影のベストポジションをめぐって仁義なき戦いを繰り広げていた。

午前中に遭遇したボウ湖の美しさが忘れなれなかったので夕方再び立ち寄って見たのだが、湖面に立っているさざ波と光の影響のために景色の反写が見られず、全く異なる湖と化していた。

今日はバンフでのラストナイトとなるため、11PMでお世話になった若者(私はトゥナイト派だったのだが・・・)を代表して大橋に義理立てするためにOKギフトショップでメープルシロップとメープルシロップで作った砂糖を買ってやることにした。しかも合計金額はトゥナイトが始まる時間と同じ11.25ドルもしやがった。

8月7日(木)

ビクトリア氷河を映し出すレイク・ルイ-ズの姿を見ないとロッキーに来てもラッキーではないと言われているので早朝より、三たびレイク・ルイ-ズへと向かった。早朝の冷気を残している湖面は予想通り波立つこともなく静かな雰囲気をたたえており、そこにはくっきりとビクトリア氷河の姿が写し出されていた。尚、ボート乗り場が開業してしまう午前10時にはこの景色は消されてしまうのでボ~としているとロッキーのハイライトを見逃すことになるので時間選定には最新の注意を払うべきであろう。

バンフの近郊にも数多くの見所があり、今日は城のような形の山であるキャッスル・マウンテンやジョンストン川が大地を削り取って形成したジョンストン渓谷や冬季には人気スキー場と化すマウント・ノーケイからバンフの町を一望したりもした。さらに侵食によって形造られた不思議な土柱フードゥーやボウ滝、サプライズポイントから見下ろすバンフ・スプリングス・ホテルが森林と一体化している姿も堪能することが出来た。

バンフの市街にいくつかの博物館があり、数多くの化石等を展示している自然史博物館で未確認生物であるビッグ・フットに遭遇し、カナダ最古の木造建築で1903年に建立されたバンフ公園博物館(CA$4.-)ではグリズリ-等野生動物の剥製を目の当たりにすることが出来た。

ということで、将来マサの退職金を横領する私がセミリタイアして避暑地として生活することになるであろうカナディアン・ロッキーの下見が無事終了したのでカルガリーに帰る道すがら、1988年に冬季オリンピックが開かれたカナダ・オリンピック・パークをチラッと見てなぜスピードスケートの清水宏保がワールドカップの500mで世界新を出すことが出来たのかを解明するまでもなくカナダを後にすることになったのだ。

8月8日(金)

マサよ、君はゴジラの逆襲を生で見たことがあるか?

私は・・・見た!!しかもぎりぎりのところだった!!!

朝8時15分のUA便でカルガリーを後にしてシカゴ経由、合計5時間以上のフライトではるばるニューヨークのラガーディア空港に午後5時半頃到着してすぐにレンタカーをピックアップし、ヤンキースタジアムを目指した。

今日は知っての通り、日本人の日本人による日本人のための頂上決戦の第3ラウンドがここニューヨークを舞台にして繰り広げられるので急がなければならなかったのだが空港からスタジアムまでのルート選択を誤ったため、渋滞にはまっていたヤンキースタジアムを目の前にして無常にもラジオからプレーボールの声が聞こえてしまった。しかも1回の表にヤンキースが最大のピンチを迎えるイチローとの対決も初球を打ってあえなく凡退してしまった様子であった。

あらかじめ予約していたライトスタンドの後方にたどり着いたのは2回の表の攻撃でマリナーズが1点を先行したところであった。2回の裏ヤンキースの攻撃は5番ゴジラからの打順であった。初対決となるフランクリン投手の初球ストレートを叩いたゴジラの打球はラインドライブの低い弾道でライトポール際に向かって一直線に飛んでいった。あまりの打球の速さに俊足のイチローでも追いつくことが出来ず、打球はそのままライトスタンド最前列のぎりぎりのところに飛び込む第14号のホームランとなったのだ。しかし、昼飯を食ってないせいでスタジアム周辺のホットドッグ売り場で立ち止まり、あと数分スタジアム入りするのが遅れていたらこの逆襲の場面を見落とすことになり、今回のツアーの意味がなくなってしまうところであったのだった。

ところで試合の方はゴジラの逆襲ホームランで同点に追いついたヤンキースが6回にニック・ジョンソンの満塁ホームラン等で大量5点を奪い、接戦にもつれながらも9回に守護神のマリアーノ・リベラがマリナーズの反撃を退け9対7でヤンキースに貴重な勝利をもたらしたのであった。今日の客の入りはチケットは完売状態だと思われるが、ダフ屋の営業努力が足りなかったためかところどころに空席が目立ち、入場者数は5万2千人程度であった。

試合終了後駐車場から車を出すために1時間ほど待たされた後、夜11時過ぎにヤンキースタジアムのあるガラの悪いブロンクスからマンハッタンを抜けてニュージャージー州ラガーディア空港のヒルトンホテルを目指して車を走らせていた。ヤンキースタジアムでは観客席のブルーが目に焼き付いていたのだが、ブロンクスからアッパーマンハッタンは黒の世界だった。時おり車のヘッドライトさえも映し出すことが出来ない黒い人影が、車の前や脇をすばやくすり抜けていく気配を感じるのだが、彼らはインラインスケートを履いた黒人青少年たちであった。さらにマンハッタンを南下するときらびやかなネオンが目に飛び込み、人と車で渋滞状況に陥ってしまう場所がある。ここはいわずと知れたブロードウエイのタイムズスクエア近辺である。このあたりから回りを走っている車はすべてイエローキャブになり、割り込みや急な車線変更に対応出来なければ生きていけない世界に迷い込むことになる。さらにこのまま朝を迎えてしまうと町は八神純子の歌うパープルタウンと化していくのであろうと思われた。

8月9日(土)

アメリカの国立公園管理局の配下にあるエジソンのラボラトリーがニュージャージーにあるので見物に行って来たのだが、長期メンテナンスの最中で残念ながら発明のノウハウを取得することが出来なかった。出来れば東京特許許可局に発明内容を登録してロイヤリティーで収入を確保してセミリタイアを実現したいと思っていたのだが・・・

今日の頂上決戦第2戦は午後1時25分にプレーボールとなった。試合が始まる直前に赤いヤンキースの帽子にJTBのマークを付けたツアーコンダクターの男女に引率された松井・イチロー対決見物ツアーの一団が大挙してFTBである私の周辺を取り囲み、あたりは東京ドームのライトスタンドかと見まがえるような状態に陥ってしまったので彼らのペースに巻き込まれないように細心の注意を払って試合を見なければならなかった。

ところで試合開始前にゴジラのバッティング練習を目撃することが出来た。5月に見たときと打って変わって明らかにオーバーフェンスの数が増えていた。3球に1球くらいの割合でスタンドインする打球はたまにアッパーデッキまで達していたのだが、同じ組で打っているジェイソン・ジオンビーの打球はほとんどがアッパーデッキを直撃していた。これもひとえに食い物の差ということだろうか?

日本人のために行われた今日の試合の主役はイチローであった。ヤンキースはマリナーズの若手スターターのギル・メッシュに完璧に押さえ込まれ、ニック・ジョンソンのホームランによる1点しか取れず、ゴジラもチームヒット数3本のうちの1本を打ったにとどまっていた。一方のイチローはヤンキースの左腕アンディ・ペティットに苦戦して1,2打席とも凡打に終わっていたのだが、3打席目に待望のライト線ツーベースを放ち、次打者のバントとブレット・ブーンの犠牲フライにより、勝ち越しのホームを踏んだ。4打席目のイチローはゴジラの守るレフト前にしぶとく落とすポテンヒットで打率を稼いだのだが、レフトスタンドのヤンキースファンは「Matsui, you are a bad man!」とイチローの打球を取れなかったゴジラを痛烈に批判おり、ニューヨークのファンの厳しさを目の当たりにしてしまったのだ。

大魔人佐々木の負傷によりマリナーズの守護神として君臨している長谷川滋利が1点差を守るべく、9回のマウンドに立った。5万4千人の大観衆が発する「Let’s go Yankees!チャ、チャ、チャチャチャ」に動揺してヒットを1本打たれたものの落ち着いたマウンドさばきで後続を討ち取り、今日はマリナーズが見事に雪辱を晴らしたのであった。

8月10日(日)

ニューアーク空港から早朝便でワシントンDCに飛び、飛行機の予約の都合でDCからANA001便で成田に帰国し、そのまま流れ解散。

FTBサマリー

総飛行機代 \230,220

総レンタカー代 CA$534.23 + US$195.44

総ガソリン代 CA$117.05 + US$12.00

総宿泊費 CA$116.48 + US$160.46 +

総国立公園入場料 CA$21.00

(CA$1 = \94.71)

FTBレンタカートラブル情報その2

1998年8月にマサ等を率いてヨセミテツアーを敢行した際にフォードトーラスのタイヤがパンクしてしまったのをトラブルその1とする。当時代表であった私の冷静な判断により、JAFの救助員顔負けの修理能力でタイヤ交換を行い、無事サンフランシスコに帰還することに成功した。今回はカルガリーでレンタルしたフォードトーラスでアイスフィールド・パークウエイを疾走していた時に対向車が跳ね上げた小石がフロントガラスを直撃し、クラックが入ってしまった。これは人並みはずれた動体視力と反射神経をあわせ持つ私であっても避けられない出来事であった。正直者の私は返却の際にハーツの従業員にこのトラブルを報告したのだが、彼は状況を見るなり、「Who cares ?」と言って見逃してくれたのだが、後で請求書が回ってきたりしないだろうか??

今後の予定:秋は旅行のシーズンということで「なるほど・ザ・FTB秋の祭典」が再開されるかも知れません。

FTBラストエンペラー in 北京

ニイハオ マサよ!!

ということで、今年の春先から世界中を震撼させたSARS禍により、渡航制限が敷かれていた中国へのフライトが7月中旬より通常運行に戻された。ANAマイレージクラブダイヤモンド会員として活躍し、義理人情に厚く、責任感の強い私は中国旅行が安全であることを証明するためにANAが展開する高速中国路線にいち早く搭乗し、北京を目指すことにした。

7月18日(金)

常に余っているANAのマイレージを利用してマサであれば¥16万くらいかかるところを私はただで入手していた成田-北京間のE-Ticketを使って成田空港第2ターミナルのANAファーストクラスチェックインデスクでチェックインを試みると係りの女性に復航した中国便にご搭乗いただき誠にありがとうございますと深々と感謝されてしまった。17時25分発のNH955便、B767-300ER機はわずか40~50名程度の乗客を乗せ、3時間20分程度のフライトで1時間の時差を越えて北京首都空港に午後7時50分頃到着した。ところで飛行機の座席前ポケットに高級マスクが入ってないか確認したが、すでに撤去されている様子であった。

北京首都空港では入国審査の前に電子体温自動測定ゲートをくぐらされることになっており、入国者が発熱していないか瞬時に判別出来るような体制が取られていた。空港内の銀行で円を元に両替すると早速バス(16元)で市内に向かうことにした。今回の宿泊地はヒルトン北京を予約しておいたので、ホテルの近くらしいところで適当にバスを降りて2時間くらいあたりをさまよい、こんな遅い時間まで通りでぶらぶらしている人民の様子を観察しながら、10時半過ぎにやっとの思いでチェックインに成功した。あれだけ世の中を騒がせたSARSの影響がまるで何事もなかったかのように北京の人民はすべてマスクを脱ぎ捨てており、岩手県会議員に当選しても決してマスクを脱ごうとしないみちのくプロレスのサスケとはえらい違いであることを思い知らされた。

7月19日(土)

ヒルトンホテルは北京中心部のはずれに位置しているため、早朝より徒歩で1時間以上かけて北京の心臓部に進出することにした。通る道すがらの先々で道路はほじくり返され、建設中のビルには巨大なクレーンが設置されており、2008年のオリンピックに向けて急ピッチで開発が進んでいる様子が見て取れた。NHKのニュース等で見る北京の代表的風景と言えばやはり毛沢東の肖像画がかかげられた天安門である。天安門を目の当たりにして異常なまでの高揚感を味わいながらも天安門を素通りして世界遺産に認定されている故宮に向かった。紫禁城とも呼ばれる故宮は故宮博物院(60元)として一般公開されており、ここに来なければ中国に来た意味がないと言われるほどの観光拠点になっている。映画界の裏事情に詳しいであろうマサであれば知っていると思うが、ラストエンペラーに扮したジョン・ローンはハリウッドに抱えている住宅ローンを返済するために出演を了承し、また、エキストラとして活躍した坂本龍一はYMOが儲からないので別居中の矢野顕子との手切れ金を稼ぐために悪役を買って出たと言われている。いずれにしてもここに立っている建造物や調度品を目の当たりにするといやがおうでも観光客は皇帝溥儀の気分を満喫させられることになるのだ。

故宮の北側に景山公園(2元)が控えており、高さ43mの万春亭からは故宮や周辺の景色が一望出来るようになっている。とある全く言葉の通じない中華料理屋で野菜がたくさん入っているかけご飯系の飯を食い過ぎた後、炎天下の中を再び天安門に戻ってきた。天安門は今では一般公開されており、15元でチケットを買うと毛沢東をはじめ中国の歴代の主席が人民に対して演説を行ったステージまで上がることが出来るのだ。ここから道路を挟んで東京ドームの10倍くらいの収容人員50万人を誇る天安門広場を一望出来るのだが、この広場は1989年の天安門事件等数回に渡る血塗られた事件を経験している場所であり、毛沢東も事件が起こるたびに「も~たくさん!」と弱音を吐いていたことが容易に予想出来るのだ。

7月20日(日)

中国に入国し、円を元に両替していたので通常であれば福沢諭吉で賑わっている私の財布が毛沢東の集団に占拠されてしまっていた。この状況を打破するためにあえて金のかかるタクシーをヒルトンホテルでチャーターして北京郊外の観光に乗り出すことにした。中国観光のハイライトと言えば宇宙からもその存在が確認できる地球最大の建造物である万里の長城(世界遺産)である。長城は全長6,350kmにもおよんでいるのだが、北京から最も簡単にアクセス出来る八達嶺長城(45元)に向かうことにした。ここは燕山山脈の都軍山に築かれた明代の長城で、北京周辺では最も早く修復された観光用の長城として君臨している。さすがに中国を代表する観光地であるだけに日本人観光客抜きの状態でもツアー用の黄色い帽子を被った田舎者の中国人観光客で大変な賑わいを見せていた。

居庸関(35元)という難攻不落の関所が長城のいでたちで険しい山脈の中に佇んでいるので見物に行って来た。果てしなく続く急な階段を何段も登り、ゴールが見えない頂上目指して多くの観光客が苦痛の色を浮かべながらも観光に精を出していた。1時間半ほどかけてやっと頂上にたどり着いた観光客は大声を出してこだまの反響の状況を確認した後、だまって降りていくのが関の山であった。

明王朝歴代皇帝の陵墓として明十三陵(世界遺産)が観光地として賑わいを見せている。日本に例えて言うと徳川十五代の歴代の将軍の墓が観光地になっているようなものであろう。十三陵の中では定陵、長陵、昭陵が一般公開されているのだが、今回は長陵博物館(30元)と定陵博物館(40元)を訪問することにした。明十三陵の中でも最も多くの集客力を誇るのが定陵である。ここでは1959年に地下宮殿が発掘され、発掘現場には毛沢東も訪問した実績を持っているのだ。宮殿は深さ27mのところにあり、前殿、中殿、後殿と左右にある横殿という5つの殿で構成されており、中には発掘された当時の棺と皇帝、皇后の大理石の宝座が展示されている。

7月21日(月)

帰りの飛行機が午後2時45分発だったので午前中の時間を観光に充てるべく路線バス(2元)で北京中心部に向かった。中心部やや南側に皇帝が五穀豊穣を祈願して建立した天壇(30元、世界遺産)が君臨している。ここは現存する中国最大の祭祀建造物で1421年に造られた物である。祈年堂という天壇の中で最も荘厳で美しい建物は三層構造の屋根を持っているのだが、これらは全部で28本の柱だけで支えられており、ほかには梁も釘も一切使用されていないそうだ。

ということで中国に旅行しても何も問題ないことが確認出来たので、マサよ、財務省の慰安旅行では幹事として必ずここを訪問してくれよ!!

世界遺産の宝庫北京市情報

*人類学者にはたまらない周口店猿人遺址(世界遺産)が北京市中心部から約50km西南部にある。ここはかの有名な北京原人ぺキネシスが掘り起こされた場所である。

*その他有名観光地として頤和宴(世界遺産)や日中戦争の勃発地点である蘆溝橋も見逃せないポイントであろう。

*北京市内にはマクドナルド、ケンタッキー、ピザハット、スターバックス等おなじみのファーストフードやカフェがある。中でもスターバックスは故宮内部にも進出してやがった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥2,820(税金のみ)

総中国ビザ代 ¥4,500

総バス代 18元

総タクシー代 826元

総地下鉄代 6元

総北京空港使用料 

協力 ANA、GYC旅行社、HiltonHHonors

次回はFTBロッキー4ゴジラの逆襲をお送りします

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 伊良部島/下地島

マサよ、君はANAやJALのパイロットがどこで飛行訓練を受けているか知っているか!?

ということで、将来キムタクのような生意気なANAの副操縦士になることを目標としている私にとってどうしても見物しておかなければならないファシリティが南の海に浮かんでいるという情報を入手したので早速飛行機を飛ばしてその施設を訪れることにした。

7月5日(土)

すっかり常連となってしまった沖縄那覇空港を経由してANK171便にて約1年半振りに宮古島に着陸した。地場のレンタカー屋である「おきなわレンタカー」でスズキのアルトをレンタルすると丁度昼飯時に差し掛かっていた時間帯でもあったため、有名な丸吉食堂でソーキそば(¥600)を食いながらここを訪れた実績のある藤井ふみややオール阪神巨人の阪神君やトミーズ・マサ!等の記念写真を見物していた。数ある写真の中でなぜかCCガールズだけは「CCガールズ」という説明がマジックで施されてあったのは一目見ただけではCCガールズと判別出来ないためであると思われた。

にわか阪神ファンにとって夏場に必ず訪れる必要のある伊良部島は宮古島の平良港からフェリーでわずか25分の場所に位置しているので大枚¥2,000(往復)を支払って早速カーフェリーゆうむつにスズキアルトごと乗り込むことにした。伊良部島の東海岸の佐良浜港で下船するとパワーの出ないアルトのアクセルを目一杯踏み込んでイチロ下地島を目指した。伊良部島と下地島は独立した別々の島々であるが、島の境界を仕切るわずか数メートルの入り江の上に数本の橋が掛かっており、島民はあたかも単一の島での生活をエンジョイしている様相を呈していた。

下地島の西側に下地島空港が開けており、ここは日本で唯一のジェット機のパイロット訓練場として無数の機長や副操縦士を生産しているのだ!今日の宿泊地は下地島空港施設株式会社が運営しているオーシャンハウスinさしばを予約しておいたので早速チェックインすることにした(¥3,675)。ところで「さしば」というと抜けた歯を補うために人口の歯を差すことを連想する輩が多いと思うが、実はサシバとは10月頃に日本からフィリピンを目指す途中にこの地で羽休めをする渡り鳥のことで毎年数万羽のサシバによってこの島は埋め尽くされると言われている。

ところで宿泊ファシリティの方であるが、この地は航空会社の宿泊施設や地元の従業員のアパートや一般旅行者の旅館を兼ねている一大居住地帯であるため、部屋はすべてワンルームマンション形式になっており、大型冷蔵庫や全自動洗濯機等が据え付けられており長期滞在に耐えうる構造となっていた。また、受け付け事務所のある棟には食堂があり、旅行者はそこで現金を払って飯(社食みたいなメニュー)を食うことが出来るのだが、予約をすれば伊勢海老やヒレステーキ等の高級ディナーも楽しむことも出来、舌の肥えたパイロットの機嫌を損ねないような配慮もされているのだ。

7月6日(日)

昨日はオーシャンハウスinさしば「(http://www.cosmos.ne.jp/~safco/)←音付きサイト」にてパイロットの研修気分を満喫することに成功したので今日は早朝より島の散策に向かうことにした。伊良部島/下地島を代表する景勝地として帯岩と通り池がある。帯岩とは明治8年の大津波により運ばれてきた高さ12.5m、周囲59.9mを誇る巨大岩である。現在は町指定の史跡に登録されているため、鳥居付きの島のご本尊として君臨している。また、通り池とは一つの池だが天然の橋によって二つに分かれて見え、底で海とつながっているため、神秘的なダイビングスポットとして人気のある沖縄県指定の天然記念物である。

今回のツアーのハイライトである下地島空港は下地島の西端に位置している。周囲をエメラルドグリーンの海に囲まれ、飛行機の着陸用の誘導灯のようなものが海に突き出しており、高感度レーダーも完備している。今回は土日の訪問になったため、残念ながら訓練機が離発着する様子をライブで見ることが出来なかったが、マサであれば財務省の財力を結集してでもデモンストレーション用の飛行機と若いパイロットをチャーターして掘ちえみをしごいた風間杜夫扮する教官気分を満喫していたであろうと思われた。尚、訓練のメニューの中には今ではJRの改札口でおなじみになったタッチアンドゴーも含まれていると言われている。

訓練が見れなかったゆううつな気分を引きずりながらフェリーゆうむつにて宮古島に帰ってくると平良港から車を飛ばして池間島に向かった。池間島は宮古島の北部に位置し、全長1,425mの池間大橋にて宮古島とつながっている。

マサよ、君は東洋のグレートバリアリーフが宮古島近海に存在していることを知っているか??

世界的に有名な八重干瀬と言われる幻の大サンゴ礁群が池間島の近辺に存在し、数多くのダイビングやシュノーケルツアーで賑わいを見せているのだが、私は池間島海底観光が運行するグラスボート(¥2,000/50分)に乗り込むことにした。前回このボートに乗ったときは12月だったのでサンゴ礁が生息する海に入ることが出来なかったが、今回は真夏ということもあり、進水体制を整えてボートに乗ることにした。ここの海の特徴は巨大なテーブルサンゴや枝サンゴ、人間の脳を連想させる直径15m以上の巨大なサンゴ等、種類が豊富なことであり、また色彩も緑、赤、黄色、青等非常にカラフルなので乗船客は船の揺れにによる吐き気を我慢しながらも船底のガラス越しに見えるサンゴに見入っていた。

とある足が付きそうなポイントで船を止めると早速サンゴの海に侵入したのだが、水中メガネ越しに見るサンゴと熱帯魚のハーモニーにより観光客はみな龍宮城気分を安価で満喫することが出来るように取り図られているのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥24,400

総宿泊費 ¥3,675

総レンタカー代 ¥9,575

総ガソリン代 ¥1,811

総カーフェリー代 ¥2,000

総グラスボート代 ¥2,000

次回はSARSによる渡航制限が解除された地域にFTBがいち早くツアーを敢行し、ラストエンペラーの

実態を解明する予定です。

協力 ANA.ANK,おきなわレンタカー、下地島空港施設、池間島海底観光

FTB第5次(ゴジ)MLBツアー

皆様ご承知の通り、FTBの主要業務の一つとしてMLBツアーの開催がある。もうすでにMLB30球団の球場をすべて制覇してしまっているので今さらやることはないだろうと思われるかも知れない。ところが今年ゴジラ松井が鳴り物入りでニューヨークヤンキースに入団してしまった。日本では先輩チームメートからゴジという愛称で恐れられていたのだが、長きに渡って開催されたFTBのMLBツアーも回を重ねて5次ということになるので今回は何としてもアメリカに進出したゴジの動向を追跡すべく立ち上がる必要があったのだ。

5月3日(土)

ゴールデンウイーク後半戦3連休の初日にもかかわらず、成田空港第2ターミナルは閑散とした様相を呈していた。しかも依然として下火にならないSARSの影響か、数多くの旅行客はマスクをして飛散したウイルスが体内に入り込まないように無駄な努力をしているようだった。

日本最強レベルの観光大使に成り上がっているゴジラのおかげなのかANA010便ニューヨーク行き、B747-400テクノジャンボはほぼ満席状態で出発し、定刻どおり午前10時半前にはニューヨークJFK空港に着陸した。ここから流れるような作業で入国審査、カスタム、ハーツレンタカーでの日産車の入手を行い、正午前には約1年ぶりとなるヤンキースタジアムに到着することが出来た。あらかじめwww.ticketmaster.comでオンラインでチケットを購入していたため、Willcallという窓口でスムーズにチケットを受け取るとゴジのホームランが飛んで来るであろう右中間スタンドで試合開始を今か今かと待ちかまえていた。

松井率いるニューヨーク・ヤンキース対オークランド・アスレチックスは午後1時10分にプレーボールとなった。2回の裏に先頭打者として回って来た松井は好投手ティム・ハドソンからいきなりライト前にヒットを放った。しかし、打席での今日のゴジラの見せ場はこれだけで結局4打数1安打に終わってしまった。試合の方も9回裏にジェイソン・ジオンビが同点2ランを放ち一瞬ニューヨーカーを興奮のルツボに陥れたものの、結局延長10回を戦い5対3で敗れてしまった。

試合終了後、ヤンキースタジアムから5th Avenueをマンハッタンに向かって南下することにした。車を走らせているとここ10数年来ニューヨーク市内の治安が著しく改善されている様子を実感することが出来る。ジュリアーニ前ニューヨーク市長が実施したブロークン・ウインドウ効果(割れた窓ガラスを放置しておくとそこから犯罪の輪が広がってしまう現象)の低減により、街中の落書き等は消されており、柄の悪いブロンクスやアッパーマンハッタンのハーレムであっても安心して車を転がすことが出来るのである。しかしながら、セントラルパーク以南の繁華街では相変わらずおびただしい数のイエローキャブが幅を利かせており、巨乳系タレントを数多く抱える芸能事務所であるイエロー・キャブのギャルに取り囲まれるのと同等の緊張感で運転することを余儀なくされるのだ。

今日の宿泊地はニューアーク空港近くのDaysinnを予約していたので午後7時ごろ早めにチェックインして休むことにした。今回は首尾よく会社をサボることに成功し、ニューヨークで羽を伸ばすことが出来るため、フッフッという含み笑いを浮かべて風呂に入りながら八神純子のヒット曲を♪パープルタウン、パープルタウン、つばさ広げて、フッ、フッ、フッ、ワッ!ニュ~ヨ~ク(入浴)♪と上機嫌で歌っていたのだが、何となく違和感を感じていたのは♪なんでだろ~♪と思った瞬間にテツアンドトモが購入した新しいジャージのことが頭をよぎり、ここはニュージャージー州であることに気づかされたのだった!

5月4日(日)

今回はMLBツアーということであるが、今日は午前中の時間を持て余すことになっていたのでついでに観光もしておくことにした。ハドソン川を挟んでニューヨークの対岸に位置する場所にLiberty State Park New Jerseyという公園がある。ここからCircle Lineというフェリーが1時間おきに出ており、エリス島と自由の女神の遊覧船($10)として営業しているので乗船を試みることにした。

埠頭から川越しに見るロウアーマンハッタンはマサに八神純子が歌ったように♪むらさきに煙る夜明け♪の様相を呈しているのだが、以前その地に君臨していたワールドトレードセンターの勇士はなくなっていた。フェリーは出航後わずか10分ほどでエリス島に到着した。エリス島は昔U.S.移民局があったところであるが、今回は時間の関係上この島への上陸はスキップすることにし、次の目的地であるLiberty Islandに向かった。フェリーは自由の女神の正面に回りこむ感じで航行し、わずか10分程度で船着場に到着した。Liberty Islandのビジターセンターで自由の女神にまつわるフィルムが上映されていた。その中で化学者の私の心に残った内容は銅像である自由の女神は建立された当時の色はブロンズだったそうだが、徐々に酸化が進み、ついには現在のような緑青を身にまとった姿になったということであった。

ニュージャージーからニューヨークに車で侵入するためにはホーランドトンネルかリンカーントンネル、またはワシントンブリッジを通過しなければならないのだが、いずれも$6をぼったくられてしまうのだ。何はともあれ今日も昨日と同じデーゲームなので正午前にはヤンキースタジアムに帰って来た。今日の試合はオーストラリアの首相がわざわざ観戦に来ていたのでアメリカ国歌を斉唱する前にオーストラリアの国歌が高らかに演奏されていた。

ところで試合の方であるが、ヤンキースの先発は通算300勝まであと3勝に迫った豪腕投手であるロジャー・クレメンスを立て、一方アスレチックスは昨年のサイヤング賞(投手のMVP)投手である左腕のバリー・ジトという豪華な先発陣で始まった。初回クレメンスはいきなりホームランを食らいながらも7回まで何とか2失点でしのいでいたのだが、ジトの方は何度かむかえたピンチもジット我慢して8回まで豪打のヤンキース打線を0点に抑えて9回を抑え投手に託すことになった。今日のゴジラは5回の裏の1死2,3塁の絶好機に強いあたりのピッチャーゴロに倒れ、ヤンキースファンのブーイングを浴びていた。しかし3打席目には三遊間をしぶとく抜けるヒットを放ち連続試合安打を6試合に伸ばしていた。

9回裏の攻撃は4番のバーニー・ウイリアムズが死球で1塁に歩き、ここで5番の松井を迎えることになった。アウトコースの速球で2ストライクと追い込こまれた松井はチェンジアップ系のボール球を2球見逃した後、5球目の甘い速球を強振したのだが、無常にも平凡なライトフライに終わってしまった。後続も凡打に倒れ、結局ヤンキースはアスレチックスに対して2連敗を喫し、ヤンキースタジアムにはおなじみの♪ニューヨーク、ニューヨーク♪が無常に響き渡っていた。

あくまでも現場主義を貫くFTBの取材により、テレビ画面では判断することの出来ないニューヨークにおけるゴジラの状況を垣間見ることが出来た。まずゴジラはヤンキースというチームに完全に同化しており、心配されていたチームメートとのコミュニケーションの問題も全くないように見受けられた。ただ、まだまだ相手投手のボールとのコミュニケーションが不足しており、なかなかバットがボールにコンタクトしない状態であるが、これを解決するのも時間の問題と思われ、今年は50本以上のホームランは約束されたも同然である。また、広報的な要素ではビニール製のゴジラ人形が出回っており、餓鬼どもが人形欲しさにダダをこねている状況をあちこちのみやげ物スタンドで見ることが出来るのだ。

5月5日(月)

昨夜の内にニューヨークを抜け出し、メリーランド州のElktonのMotel6に宿泊していた。そこを拠点にして今日はボルチモアとワシントンDCの探索を行うことにした。ボルチモアのウォーターフロント地区にFort McHenryという昔戦争で使用していた砦が歴史的景勝地として君臨しているので見物に行ってきた。ここは1814年のイギリスとの戦争の際や1861年の南北戦争のときに重要な役割を果たした要塞である。砦の形状は函館の五稜郭を彷彿とさせる星型の5角を持ち、中には弾薬庫やタコ部屋のような兵隊の宿泊所も完備されており、海に面した方角には多くの大砲も据え付けられていた。どんよりとした悪天候にもかかわらずここは「ご老体むち打ちツアー」というキャッチフレーズが似合いそうな老人の団体客でごった返していた。彼らは棺おけに片足を突っ込んでいるにもかかわらず、冥土の土産にと言わんばかりにパークレンジャーが行っている説明に熱心に耳を傾けていた。

FTBがワシントンDCに帰って来たのは約2年ぶり、同時多発テロ後ははじめての訪問となった。今回わざわざここにやってきた目的はほかでもなく、戦争を起こした国のお膝元で反戦運動を展開することであり、プロレス界におけるハンセン運動の第一人者であるスタン・ハンセン直伝のウエスタンラリアートをブッシュ大統領の首筋にお見舞いしてその証を立てることであった。

ジョージ・ブッシュ大統領の居所を探るためにDC観光の拠点となるホワイトハウスビジターセンターで情報収集を試みたのだが、単なるビジターセンターにもかかわらず警備体制が強化され、エックス線と金属探知の検査をされてしまった。結局ここではDCの観光地図を入手しただけで何も成果をあげることが出来なかった。ジョージつながりということで繁華街のジョージタウンにも繰り出してみたのだが、小雨の月曜日の昼間ということもあり、山本譲二の歌が似合いそうなみちのくの雰囲気を醸し出していたに過ぎなかった。しかたがなかったので今日のところはFords Theater National Historic Siteで演劇と劇場の学習をしてお茶を濁しておいた。

5月6日(火)

ベンジャミン伊東と言えば電線音頭を立ち上げた伊東四郎のことであるが、ベンジャミン・フランクリンとはアメリカの独立に多大なる貢献をもたらせた偉人であり、その功績は彼が$100札の肖像画になっていることからも明らかである。一昨日ヤンキースタジアムで$20札を拾ってそのお金でIchiro v.s.MatsuiのTシャツを買うことが出来たので今日そのお礼にわざわざフィラデルフィアまでやってきた。

フィラデルフィアで必ず見物しなければならないスポットは他でもないIndependence Mallという1776年前後の独立宣言に関連したファシリティが集中しているエリアである。ここはアメリカの国立公園の管理化におかれているのだが、3年前に訪問した当時よりもかなり様子が変わっていた。まず、当時は建設中だった最新鋭のVisitor Centerが完成しており、こういった歴史地区には必ず団体で姿を現すガキどもやジジ、ババ等が気軽にモニターやコンピュータでアメリカ建国史を学習出来る仕組みが整備されていた。また、テロリストの攻撃を警戒してLiberty BellやIndependence Hallといった人気ファシリティは厳重なアクセス制限がしかれ、おなじみの金属探知機とX線による検査が施されるようになっている。

というわけでアメリカの建国はここから始まったのであるが、アメリカンドリームもフィラデルフィアから始まったという紛れもない事実がある。Philadelphia Museum of Art(フィラデルフィア美術館、)が町の中心部にそびえており、3年前の訪問の際には階段を駆け上がってガッツポーズをしながら「エイドリア~~ン」と叫ぶことしか出来なかったのだが、今日は入場料($10.‐)を払って中に入ることが出来た。ここにはアメリカの美術品だけでなく、中世ヨーロッパや東南アジア、中国、韓国、日本等の貴重な美術品がところ狭しと展示されている。また、絵画のコーナーに入ると一瞬スターバックスのような新種のカフェに押されぎみの東京都内に点在するクラシックな喫茶店に入り込んだような感覚を覚えるのだが、やはりここには多くのルノアールの力作が展示されていた。またゴッホのひまわりのようなオークションにかければ数千万から数億で落札されること間違いなしの貴重な絵画の宝庫にもなっている。ということでシルベスター・スタローン原作のロッキー発祥の地であるこの美術館はロッキーシリーズの興業収入でも買収出来ないほどの価値ある秀作の宝庫となっていることが確認された。

マサよ!君はニューヨークで暮らしているもう一人の日本人大リーガーがマスコミからも見放され、不遇な生活を送っている事実を知っているか!?

ヤンキースの松井を巨人に例えるとすると、新庄のいるニューヨーク・メッツは例年の阪神のような状況で今年就任した名将ハウ監督の采配にもかかわらずナショナル・リーグ東地区最下位と地をハウような成績に低迷している。メッツは今日からロサンゼルス・ドジャーズを本拠地シェイ・スタジアムに迎えて3連戦を行うことになっているので新庄の見舞いがてら見物することにした。スタジアムに到着してメッツのスターティングメンバーを見ると驚いたことに新庄が7番センターでラインアップに名を連ねていた。試合は午後7時10分に開始され、新庄は2回の裏に回ってきた1打席目でいきなりライト線に2ベースを放ち、次打者の3塁打で先制のホームを踏んだ。

1対1のタイスコアで迎えた4回裏のメッツの攻撃は大学時代にバスケットをやっていた2mの長身を誇る5番のトニー・クラークから始まった。ナイターに強いと噂されるクラークはまだ明るさの残っている1打席目は凡退したものの、日もとっぷり暮れてくら~くなったこの打席でセンターオーバーのホームランを放ち、その勢いを買って次打者の連続ホームランも誘発し、続く7番の新庄を向かえた。目立ちたがり屋の新庄は豪快なスイングで3打者連続ホームランを狙ったものの、結局2ストライクと追い込まれた後にセンター前にヒットを放った。この日の新庄は3打席目も鋭いライナーのセンター前ヒットを放ち4打数3安打で打率を2割5分に上げてメッツの勝利に貢献したのであった。

5月7日(水)

ニューヨークのラガーディア空港からシカゴを経由して約2年ぶりにオハイオ州シンシナチくんだりまでやってきた。Cincinnati Northern KY Int’l Airportはフライドチキンの殿堂ケンタッキー州の最北部に位置し、オハイオ川を挟んで北側にはオハイオ州シンシナチという大都市が控えている。シンシナチは石炭産業の町として有名であり、また世界初の紙おむつパンパースを生んだP&Gの本社もここにあるので赤ちゃんを持つ親も安心して子育てに専念出来るのである。

シンシナチの東約80マイルの所にHopewell Culture National Histric Parkという古代Native Americanが暮らしていた遺跡が保存されているので見学に行ってきた。ここでは白人が入植するはるか以前のアメリカインディアンの暮らしぶりを出土された道具やパネル、ビデオ等で学習することが出来る。

MLB最古のチームであるシンシナチ・レッズの本拠地は昨年までダウンタウンを背景にしたオハイオ川のリバーフロント地区に位置するシナジー・フィールドであった。しかしながらシナジー・フィールドはすでに解体され、その隣に今年からレッズの本拠地としてオープンしたグレートアメリカンボールパークが君臨している。MLB30球団のすべての球場を制覇したことを誇りとする私に許可なく勝手に新しい野球場が開業されてしまったのでわざわざ飛行機を飛ばしてこの地にやってくることに相成ったわけである。

グレートアメリカンボールパークはレッズの本拠地にふさわしくスタンドの座席はすべて赤一色に染められている。外野席の後ろにはオハイオ川が雄大に流れており、遊覧船がサンセットクルーズしている様子をネット裏の高台の座席から見晴らすことも出来るのだ。セントルイス・カージナルスを本拠地に迎えたレッズはアーロン・ブーンのホームラン等で終始リードを保ち、4対2で勝利をものにした。この球場ではレッズの選手がホームランを打つと右中間スタンド後方に設置してある船の煙突をかたどったオブジェから花火が打ち上げられる仕組みになっている。

5月8日(木)

早朝Cincinnati Northern KY Int’l空港を出発し、再びシカゴ空港を経由して3時間の時差を超えてはるばる西海岸のシアトルに午前10時半頃到着した。シアトル・タコマ空港から車を飛ばしてワシントン州の北部にあるノースカスケード国立公園にやってきた。ここでは何万年も降り積もった雪から形成される氷河によって削られた山々がおりなす景観と深い森から自然の生気を吸収することに成功した。

自然界で魂の洗濯を行った後、イチロシアトルのセーフィコ・フィールドを目指して来た道を引き返した。イチローv.s.ゴジラの頂上決戦2ラウンドのマリナーズ対ヤンキース戦は午後7時5分プレーボールとなった。イチローの見せ場は1回の裏にいきなりやってきた。ヤンキースのエースであるデイビッド・ウエルズの速球を捕らえたイチローの打球は平凡な一塁ゴロとなってニック・ジョンソン一塁手の前に転がっていった。ニック・ジョンソンが一瞬自分でベースに入るべきかカバーに入ろうとしている投手にトスするべきか迷ったそのわずかな隙をぬって猛然と加速してきたイチローの動きに動揺し、ベースタッチが一瞬遅れイチローと同時になってしまった。判定としてはアウトになってもセーフになってもおかしくないタイミングであったが、一塁塁審もイチローのスピードに押され、思わず両手を広げてしまった。マリナーズファンの歓喜も覚めやらぬうちに4番のエドガー・マルチネスの2ランホーマーによりマリナーズが2点を先行した。イチローは2打席目も1,2塁間にゴロを転がし、アルフォンゾ・ソリアーノ2塁手の悪送球による内野安打でヤンキース内野陣を恐怖のどん底に陥れていた。

しかしながら結局イチローが活躍したのはこの2打席だけで大差をつけられた7回には早々と控え選手と交代してしまった。一方ゴジラの方は満塁で回ってきた3回表の2打席目にセンター前に同点タイムリーヒットを放ち、昨日のホームランと合わせて見事にゴジラの逆襲を果たすことに成功していた。また、5打席目にも右中間に2塁打を放ち16点目のホームを踏んだ。9回の表には腰痛から復活を期している大魔人佐々木が調整登板し、88マイルしかスピードが出なかったもののすでに打ち疲れていたヤンキースの攻撃を3人で締めていた。結局試合の方は16対5でヤンキースが勝利するという大味な展開になり、超満員の46,000人が陣取っていた観客席も試合後半には空席が目立つようになっていた。

5月9日(金)

午前8時発の飛行機で地元のサンフランシスコに戻ってきた。ゴールデンゲートブリッジを超え、US101からカリフォルニア1号線に入り、1時間ほど車を転がすとPoint Reyes National Seashoreという太平洋にに突き出した風光明媚な海岸地区に到着した。ここはホエールウォッチングが出来る美しい海と鹿、狸、狐、ウサギ等が生息している深い森と1869年からおびただしい数の牛を放牧しているHistoricな牧場からなっている。レンタカーのレンタル規約により、本当は運転することの出来なかったマサに無理やり車を運転させて実施したFTBツアーの起源であると言われているマウント・タマルパスをはじめこの辺の地域は山や谷による複雑な地形と深い森やきれいな海により米国有数のレクリエーションエリアを提供しているのだ。

今回の第5次MLBツアーの最終戦となるオークランド・アスレチックス対ニューヨーク・ヤンキースの試合は全米一ガラの悪いオークランドのネットワークアソシエイツコロシアムで午後7時5分より開始となる。この球場へは1年ぶりくらいに足を運ぶことになったわけであるが、何と駐車場代が$15に値上げされていた。ちなみに私が本拠地にしていた1998年当時はわずか$5だったのだ。当時のアスレチックスは弱小球団であり、観客も毎試合1万人そこそこしか入らなかったのであるが、ここ数年はマリナーズと首位を争うほどの強豪球団に変貌を遂げ、今日はヤンキース戦ということでガラの悪い輩が4万人以上詰め掛け、ここかしこで「Yankees Suck!」コールがこだましていた。また、1998年8月3日にマサとヤスを従えてNHK衛星第一放送に出演した実績のあるライトの外野席は今日も激戦区の様相を呈しており、不幸なヤンキースファンがオークランドファンの執拗ないじめにあい、早々と球場を後にする姿も目撃された。

ニューヨーク・ヤンキースにジェイソン・ジオンビーという2年前はオークランドのスーパースターでありながら金に目がくらんでニューヨークに移籍してしまった強打者がいる。当然のようにジオンビーが打席に立つたびに球場内はわれんばかりのブーイングで盛り上がっていた。ジオンビーはこのブーイングを自分に対する応援だと勘違いしたのか4回の表にレフトスタンドに同点2ランを叩き込みやがった。今日の松井は昨日イチローが放った2本の内野安打を手本として三遊間とサード前に2本の内野安打を放ち連続試合安打を10試合と伸ばしたものの豪快な1発を見ることは出来なかった。試合の方は7対2でアスレチックスが勝利を収めたのでオークランド紛争は何とか収拾の方向に向かっているようだった。

5月10日(土)

Hilton HHornorsのポイントが余っていたのでマサであれば$200くらいかかるところを私はただで泊まっていたHampton Inn Oakland Airportをチェックアウトすると帰りの飛行機が出発するまでの時間を利用してサンフランシスコベイエリア一帯を車で流すことにした。オークランドからI‐880を北に進路をとりバークレイ、リッチモンドを抜けて橋を渡りUS101を南下してゴールデンゲートブリッジで通行料金を払おうとすると驚いたことにToll Chargeが$5に値上げされていた。

サンフランシスコ国際空港は長年のうっとぉしい工事が終了し、空港エリア一帯を循環するモノレールが完成し、世界でも有数のインテリジェントな空港として生まれ変わっていた。

ANA007便にてサンフランシスコより帰国・・・

FTBサマリー

総飛行機代  \152,200

総宿泊費  $305.37

総レンタカー代  $537.11

総ガソリン代  $77.86

総走行距離  1567マイル

総Toll代  $39.8

総目撃したゴジラのヒット数  6

総20マイル制限のスクール区間を35マイルで走って警察からあやうくチケットを切られそうになった回数  1

今回訪問した州、および地域 ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニア、デラウエア、

              メリーランド、ワシントンDC、イリノイ、、ケンタッキー、オハイオ、

              ワシントン、カリフォルニア

今後の活動予定 鋭意検討中!

協力 ANA、Hilton HHonors、Days Inn、Motel6

FTBJ瀬戸内、坊ちゃん、世界文化遺産の旅

ホーチミンを旅行した坊ちゃん育ちのマサよ、君はマサかSARSに感染していながら、さぁ~?とすっとぼけて暮らしていないだろうな!?

ということで戦争とSARSの恐怖、はたまた飛び石連休による効率の悪さのため、例年より出足の悪くなっているゴールデンウイークであるが、皆様は有意義にお過ごしだろうか? 私はこの逆境にもめげずひたすら新規開拓にいそしんでいる今日この頃である。

4月26日(土)

ボーイング社が誇るB747SR(スーパージャンボ)を就航させるほど大きな空港を持つ松山を目指してANA583便は定刻7時25分よりやや遅れて出発した。飛行機が段々と高度を下げるに従って小柳ルミ子にも歌われた瀬戸内の島々の段々畑の景色が目の前に迫ってきた。午前9時過ぎには夏目漱石の秀作「坊ちゃん」の舞台となった愛媛松山空港に到着すると早速空港バスでJR松山駅に向かった。

今夜は♪長い夜♪になりそうだと思いつつ、春の陽光の中を♪め~ぐ~るぅ、めぐる季節のなぁかでぇ~、あ~な~た~は~何を見つけるだろお~♪と鼻歌を歌いながら、松山城に向かって歩いていると偶然にも松山市民会館で6月19日に行われる予定の「風光る」松山千春コンサートの看板を見つけてしまうという非常に出来過ぎた事態に遭遇してしまった。北海道足寄町出身で今では鈴木宗雄の舎弟になりさがっている松山千春であったが、松山つながりでこんなところにも勢力を伸ばしているのかと思うとスキンヘッド(単なるハゲか?)も伊達じゃないと思われた。

松山城は姫路城、和歌山城とともに日本三大連立式平山城に数えられる名城で1627年に竣工したものだ。海抜132mにそびえているこの城までにはロープウエイとリフトが運行されており、入城料と合わせてわずか¥1,000で発売されているのだ。天守閣をはじめとする城内からは四国最大の都市である松山の姿が一望出来るようになっている。

マサよ、君は「のぼさん」を知っているか!?

日本を代表する俳人である正(マサ!)岡子規は幼名を「のぼる」と言い、のぼさんという愛称で親しまれていたそうだ。松山市立子規記念博物館(¥300)にはのぼ~とした風貌の「のぼさん」に関する数多くの資料が展示されている。子規は結核性脊椎カリエスのため、わずか35歳で生涯を閉じてしまったのだが、明治期のベースボールの普及に多大なる貢献を果たしていたため、2001年には晴れて野球殿堂入りし、東京ドーム横の野球博物館にレリーフが展示されているほどたいした奴なのである。また、松山中学の英語教師として1年間松山で教鞭を取ったことのある夏目漱石とも親交が深く、漱石が作った数多くの俳句の添削も行っていたのだ。その関係で博物館の中では漱石の資料もいくつか展示されており、数多く映画化された坊ちゃんの中でも中村雅(マサ!)俊が主演したフィルムの名場面が上映されていた。

松山に来て道後温泉に来ないと松山に来た意味がないということは世界の人々の常識になっているので6年振りくらいに入湯することにした。3000年の歴史を誇る日本最古の道後温泉にはそのシンボルとして明治27年に建立された三層楼の建物である道後温泉本館が君臨している。この本館のシステムはリッチな霊の湯と庶民的な神の湯からなっている。また、神の湯には二階席(¥620)と階下(¥300)に分かれており、二階では浴衣とお茶と煎餅でくつろげる特典が付いているのだが、階下は普通の銭湯になっているのだ。

4月27日(日)

ANAのご利用券が¥5,000分余っていたので安く宿泊することに成功した松山全日空ホテルを早朝チェックアウトするとバスで松山観光港に向かった。ここからは九州や本州各地に数多くのフェリーが出航しているので今日は9時40分発の広島行きのフェリー(¥2,500)に乗船することにした。船は瀬戸内海の島を縫うようにして航海し、戦艦大和を造営した呉港を経由して12時40分頃に広島港に入港した。

広島港は路面電車である広電のターミナルになっているため、そこを拠点に市内の様様なスポットに繰り出すことが出来る。今回厳選した目的地は日本三景にも選ばれている宮島になっていたので広電で1時間以上かけてはるばる宮島口までやってきた。宮島口からはJR連絡船と松大観光船(往復¥340)が宮島まで10分で観光客を運んでいる。http://www.amanohashidate.net/

厳島神社で有名な宮島は国宝より実力が高いとされる世界文化遺産に認定されている非常に風光明媚な観光地である。船が宮島桟橋に到着すると早速厳島神社を目指した。この神社の特徴は満潮時には巨大な鳥居と神殿が海水に浸ってしまい幻想的な光景を醸し出すところであるが、私が着いた時間は干潮だったため、多くの観光客が潮干狩りに興じているのどかな風景しか目にすることが出来なかった。

厳島神社宝物館(¥300)にヤフーオークションでも決して落札される事のない宝物が展示されているということだったのでどんなものか見物することにした。そこには美しい絵巻物や難しい漢字で書かれた古文書や切れ味鋭そうな刀、厳島大明神と書かれた看板が展示されていた。

宮島の奥地は深い原始林に包まれた山があり、サルや鹿等の野生動物の宝庫となっているのだが、鹿はその辺にごろごろしており、鹿せんべいを購入した観光客の動きを虎視眈々とマークしているのだ。島内には商店街があり、おびただしい数の土産物屋が出店しているのだが、名物のしゃもじとB&Bの洋七も推薦するもみじ饅頭はどの店も取り扱っている。また、世界一の大しゃもじという決してご飯をよそうことの出来ない無用の長物が誇らしげに展示されたりもしているのだ。

ということで世界遺産の島である宮島の下見を完了したFTBJはJRで広島駅に戻り、そこから空港バスで広島空港に向かい、ANA684便で羽田空港に帰って行ったのだ。

FTBサマリー

総飛行機代 \3,400

総宿泊費  \4,702

総フェリー代  \2,500

次回はFTB第5次(ゴジ!)MLBツアーをお送りします。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 徳之島

沖縄本島以西の離島はほとんど制覇してしまったFTBJであるが、鹿児島と沖縄の間には奄美群島という数多くの離島が浮かんでおり、ここは手付かずの状態で残されてしまっている。今年は奄美群島日本復帰50周年ということでこの機会に何とか奄美群島を制覇しなければならないと考えていた。今回はその第一弾としてスポーティアイランドとして名高い徳之島を訪問することにした。

4月12日(土)

早朝6時50分発のANA619便にて鹿児島空港に9時前に到着すると、10時35分発のJAS977便に乗り継ぐために空港内で待機していた。ところが空港アナウンスに注意して耳を傾けると天候不良のため、徳之島行きは出発を見合わせる可能性があるかも知れず、10時20分ごろにそのディシジョンが下されるとの非常なメッセージが流されていた。もしフライトがキャンセルになったら、ノースウエストのマイレージが余っていたのでマサであれば\40,000くらいかかるところを私はただで入手していたチケットが無駄になってしまうのではないかと気が気ではなかった。

徳之島空港に着陸出来ない場合は鹿児島空港に引き返すという条件付で何とか離陸したJAS便はハーレクイーンエアーのクルーによる運行で15分遅れながらも何とか午後1時前には徳之島に着陸することに成功した。トヨタレンタカー空港営業所でダイハツミラをレンタルすると早速島の探索に繰り出すことにした。島をぐるっと回る感じで空港から31kmほど離れた島内で最も栄えている亀津という町でラーメンと餃子を食った後、海沿いに島の最南部を回ってから北上するようにミラを転がしていた。

徳之島は長寿の島として有名であり、世界一のじじいである泉重千代もこの島で120歳と237日の生涯を閉じたことで有名である。その栄光が称えられ、泉重千代像が島の南西部に誇らしげに建立されているのでとりあえず見といてやることにした。また、現役の世界一の長寿者として君臨しているばばあであるあの2日起きて2日寝るという「かまとばばあ」もここ徳之島で77歳まで生活していたということで何と「かまとおばあ茶ん」という便乗商法系のお茶まで販売されていやがった。

島内の景勝地として島の西部に犬田布岬があり、そこに戦艦大和の慰霊塔がそびえている。慰霊塔は巨大な大和の艦橋と同サイズで東シナ海を見下ろすように立てられているのだが、大和の復活は西暦2190年に波動エンジンを搭載し、古代進や森雪等を擁してイスカンダルに向かうまで待たなくてはならず、あと180数年はかかる見込みである。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/inutabumisaki.htm

♪さらばぁ地球よぉ♪と佐々木いさお系の渋い声で歌いながらさらに4kmほど北上すると犬の門蓋に到着した。ここは人畜に危害を及ぼす犬を海中に投じた実績により名づけられた景勝地でメガネ岩という侵食された断崖、絶壁が壮大な眺めを醸し出しているスポットだ。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/innnojyobuta.htm

マサよ、君はキューちゃんを知っているか!?

キューちゃんとは九官鳥でもオバケの・・・でもなく、女子マラソンオリンピック金メダリストの高橋尚子のことだ!キューちゃんがシドニーオリンピックや世界記録を樹立したベルリンマラソンの前にここ徳之島でキャンプを張っていたのはあまりにも有名な話である。その栄光をたたえて高橋選手が練習した全長31.2kmのコースは尚子ロードと命名されており、キャンプを張ったリゾートコテージ近くのスタート地点には尚子ロードの記念碑が建立されているのだ。そのおかげでこのコースは日本一のマラソン練習コースとしての地位を確立し、私も将来SB食品に転職して瀬古利彦監督のもとでアテネを目指そうと考えていたのでこのコースを走って見ることにした。しかし今日は非常に蒸し暑かったので小出義男監督と同様に乗り物で走ることにした。http://www.d1.dion.ne.jp/~hikkoshi/photo/amagi/naoko/naoko.html

島で唯一の健康ランドが天城町の東シナ海を見下ろす高台で営業しているので今日はそこに宿泊することにしたのだが、設備が非常に古く、漢方薬の湯も沸かしてなかったので思わず不健康になるのではないかと懸念された次第であった。

4月13日(日)

夜中に雷雨が島を遅い、窓の外では雷が鳴り響いていたのだが、健康を害した気分になった健康ランドを出る午前9時ごろには何とか天候は持ち直してくれた。

島を再びぐるっと1周した後、高橋尚子が感じたであろう針のむしろに座らされているような重圧を感じるためにムシロ瀬という景勝地を訪問した。しかし、ここではプレッシャーというよりもむしろ奄美十景に数えられている景色を堪能して十分リラックスすることが出来た。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/mushiroze.htm

島の北部に金見ソテツトンネルというソテツの巨木が数百メートルにもわたり群生し、トンネルを形成している景観を見ることが出来るスポットがある。そのトンネルを通り抜けた先には東シナ海と太平洋が眼下に広がっているのだ。http://www1.ocn.ne.jp/%7Ekyokai/kanami-sotetsu.htm

午後12時10分のフライトで徳之島を後にしなければならなかったので11時過ぎには空港に帰ってきた。空港の観光案内所にはキューちゃん、監督コンビの色紙や写真の他に磯野貴理子、羽田恵理香、ロンドンブーツの亮君、佐藤B作といったB級バラエティタレントのサインが誇らしげに飾られていた。

FTBサマリー

総飛行機代 \600

総宿泊費 \4,500

総レンタカー代 ¥4,750

総ガソリン代 \1,400

今後の活動予定:GWスペシャル「ゴジ」が出るか??

お詫び:1ヶ月前に購入した最新鋭デジタルカメラであるNikon CoolPix2100が故障してしまい、今回は篠山紀信と同等の技術を持つ私の写真の掲載が出来ませんでしたのでヘタクソなWEBの写真を添付させていただきました。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 渡嘉敷島

マサよ、君は渡嘉敷勝男という元世界チャンピオンを知っているか?http://www.tokashikigym.com/

ボクシング引退後トカちゃんというニックネームで芸能界を席巻した実績のある渡嘉敷勝男は石垣島出身の具志堅用高と同じく協栄ジムに所属し、沖縄県出身のボクサーとして5度世界タイトルを防衛した実績がある。今回は特にトカちゃんに敬意を表するわけでもないのだが、栄光の渡嘉敷の名前を持つ離島が那覇からわずか30分程度のところにあったので減量とトレーニングを兼ねて訪問することにした。

4月4日(金)

いつものように定時終業時間に仕事をほっぽり出すとその足で羽田空港に向い、夜8時発の那覇行き最終便に飛び乗り、夜11時過ぎにFTBJ指定宿になっている沖縄ホテルにチェックインした。

4月5日(土)

朝10時に泊港を出発するフェリーけらまに乗船するつもりで「とまりん」というポートタウンに歩いて向かっていたのだが、今日は何故か油断していたため、道に迷い、何とフェリーに乗り遅れてしまったのだ。不屈の精神力を持つ私はここで気持ちを切り替えて国際通りのはずれにある那覇市第一牧志公設市場で生鮮食品の見学をすることにした。この市場はテレビの沖縄特集では必ず取り上げられるほど有名でキャイ~ンや優香も訪れた実績がある。鮮魚コーナーでは本土では決して見ることが出来ないようなカラフルな熱帯魚系の魚がところ狭しと並んでおり、ここで購入した魚介類は2階の食堂で調理してもらって食うことも出来るのだ(調理料別)。

公設市場で身についてしまった生臭さを消すために、那覇港の近くにある那覇湯遊ランドアメリカ湯(¥2,000)に入場することにした。ここは24時間営業の健康ランド系のファシリティで台風等で飛行機が飛ばなくなった時には仮眠室で夜を明かすことも可能なのだ。また、ここにはマッサージ、塩もみ、アカスリ等のオプションメニューも充実しており、私もボクサーのように減量が必要だったので生まれてはじめてアカスリ(¥2,500/20分)というものを受けることにした。

ヘチマの繊維系のパッドが付いた手袋をはめたおばちゃんにうつぶせになるように指示されて手ごめにされているとおびただしいほどの角質層が垢となって私の体から排出されていった。続いて仰向けになり、おばちゃんの手が私の腹部にかかった瞬間に沖縄弁で「これは何ですか?」と質問されてしまった。「これは一般的には腹筋というやつですよ」とすかさず回答するとしきりに感心したおばちゃんは「何か運動でもやっているのか?」と聞いてきていつものスポーツ談義に話がすりかわり、擦る手にいっそう力が込められた感覚を覚えた。

1日に2便運航している高速船マリンライナーとかしきが出航する午後4時半前に「とまりん」に戻ってくると高速フェリーで波を越えて35分程度の航海で渡嘉敷港に到着した。今日は宿泊先を決めていなかったので渡嘉敷村にある適当なホテルにアプローチした。そのホテルの若者はあいにくここでは宿泊出来ないので姉妹店を紹介してくれるということで島の反対方向のビーチ沿いにある「とかしくマリンビレッジ」というリゾート系のホテルに宿泊することに相成った。

ホテルに向かう道すがら若者が島の景色の説明をしてくれた。若者曰く、島には野生のヤギが生息しており、そいつらを拉致してきてその辺の原っぱにつないでおき、太ったころを見計らって食ってしまうということであった。また、山にはガラガラヘビより恐ろしいハブが潜んでおり、あいつらはグルメじゃないので何でもぺロリと言ってしまうので注意しなければならないそうだ。

「とかしくマリンビレッジ」は島では有数の高級ホテルの様相を呈しおり、目の前に広がる白砂の渡嘉志久ビーチから幻想的なサンセットを堪能して優雅なひとときを過ごすことが出来た。

4月6日(日)

今回の減量メニューの第2弾として早朝より波打ち際でのランニングを行なっていると巨大なカニが波にもまれて砂浜に上陸する姿を目撃した。カニはかなり弱っている様子で自力で歩くのもままならない状態であったのだが、不適にも両手のピースサインは決してくずそうとはしなかった。

朝10時近くになったのでチェックアウトしなければと思いフロントに向かったのだが、私の帰りのフェリーが夕方なのを知っているホテルの責任者により、夕方まで部屋を使ってよいという粋な計らいを受けてしまったので安心して部屋のテレビでヤンキ-ス戦を観戦することが出来た。

窓を全開にして潮風を浴びながらTVで松井の活躍を確認した後、渡嘉敷島最大のリゾートスポットである阿浪連ビーチに向かった。阿浪連ビーチ近辺にはおびただしい数の民宿やダイビングショップが林立しており、おばあちゃんに呼び止められた食堂でゴーヤチャーハン(¥600)を食った後、ビーチに降りてみることにした。白砂のビーチのはずれには風光明媚なトンネル岩が不気味な口をあけており、展望台からは日本有数の透明度を持つといわれるケラマ諸島の美しいビーチの景色を目に焼き付けることが出来た。この島はこれといった名所やリゾートの設備はないのだが、この世のものとは思えないほど海がきれいなので海を見ているだけで十分疲れた心身を癒すことが出来るのだ。

夕方高速フェリーで泊港に戻り、フライトまでの時間を利用して再び公設市場に行って夕飯を食うことにした。道頓堀という看板で営業している食堂のメニューの中でかに汁(¥1,500)が目に付いたので試しに毒見することにした。大量生産していると思われ、ものの数分で私の目の前に姿を現した丼の中には分解されて煮込まれたかにが無造作に放り込まれており、かにあしの関節を折るたびにみそ味のしぶきが目にまぶしかったりした。また、定食にはグルクンという地元の魚のから揚げが付属しており、個別にグルクンの食べ方の指導を行っているおばちゃんによると頭からがぶりといかなければならないのだった。

FTBサマリー

総飛行機代 ¥600

総宿泊費 ¥6,300 + ¥6,300(2食付き)

総高速フェリー代 ¥4,200

次回はFTBJ炎の離島デスマッチ第?弾 in 徳之島をお送りします。