GW特別企画FTBアメリカ合衆国総決算ツアー(苦節5年)

1998年8月、大蔵省から特命を受けて送り込まれていたマサをサンフランシスコレジデンスクラブで拉致して、FTBを立ち上げてから早くも5年近くの歳月が流れてしまった。当時の裏の仕事であったアプライドマテリアルズジャパンから貸し与えられていたAvisレンタカーを馬車馬のように乗りこなし、史上最大アメリカ横断ウルトラFTBの達成はならなかったものの、西海岸の縦断は達成することが出来たこともはるか昔の出来事のように思える今日この頃である。その後何度か裏の仕事も変わりながらも私の本業であるFTBの実績は着々と積みあがっていき、今回とうとうこの時を迎えたのであった。

2002年4月27日(土)

ゴールデンウイークの初日であるにもかかわらず、成田空港第二ターミナルは予想外の人出の少なさだった。思いのほか短時間でチェックイン、出国を済ませるとANA008便で一路サンフランシスコを目指した。離陸後ほどなくするとANAマイレージクラブプラチナ会員から最高級のダイヤモンド会員へと成り上がっている私のところにパーサーが早速挨拶に来たので仕方なく相手をしてやった。

9時間ほどのフライトでサンフランシスコ国際空港へ到着したのだが、驚いたことにここでも入国審査とコネクションフライトはがら空きであった。飛行機を乗り継いでソルトレークシティ空港に3時半頃到着し、早速レンタカーをピックアップすると、I‐15をアイダホ州目指して北上した。1時間程度のドライブでFTB史上49州目のアイダホ州に突入したのだが、さすがにポテトの城下町だけあって、あたり一面、地平線の彼方まで大農法で耕されている畑が続いていた。この日は到着した時間が遅いこともあって、Idaho FallsにあるMotel6に引き払ってとっとと休むことにした。

4月28日(日)

Idaho Fallsから100マイル程度北東に走るとWest Yellowstoneという町に到着した。ここはご存知イエローストーン国立公園のゲートシティであり、イエローストーンを目指す観光客のための1大拠点になっている。West Entranceで入場料($20.‐)を支払った後、FTBの念願であったイエローストーン国立公園への1歩を踏み出すことに成功した。

園内に入ってしばらく走っていると心なしか大阪ドームや藤井寺球場に入り込んだような錯覚に見舞われた。気を取り直してあたりを見渡すとそこには大小さまざまなバッファローが我が物顔で闊歩しており、梨田監督も選手起用に困ってしまうほどの強力なラインアップを誇っていた。しかもどれもメジャー級の面構えをしており、車道の上も堂々と群れをなして歩いていやがった。

右を見ても左を見てもバッファローで大阪近鉄の球団編成もどれをドラフトで指名すればよいのか簡単には結論が出ないのではないかと思われた。また、大型の鹿のエルクも”いてまえ”打線が爆発する前にとっとと草を食って退散せざるを得ない状況に追い込まれていた。

マサよ、君は ♪ある日(ある日)森の中(森の中)クマさんに(クマさんに)出会った(出会った)♪

ことがあるか?? 私は・・・出会ってしまった!!

というわけで、園内を北に向かってさらに突き進んでいるといきなり黒山の人だかりに遭遇してしまった。とりあえず、私も車から降りて何が起こっているのか確認することにした。するとそこには銃を携えたレンジャーの後ろでカメラを構えていた観光客の視線の先に巨大なグリズリ-の母子連れ3頭がたむろしている姿が目に飛び込んできた。グリズリ-母子は次第に観光客との距離を縮めていき、牛の死体を発見した川辺まで来るとその距離はわずか50mほどになっていた。グリズリ-の瞬発力はすばらしく50mをわずか3秒足らずで走るといわれており、本気で追いかけられるとカール・ルイスであっても逃げきれることは出来ないのだ。この距離でグリズリーと目があってしまうとクマさんこと篠原勝之であれば恐怖のあまり、髪の毛が一本残らず抜け落ちてしまうのではないかと思われた。

持参したCanon EOS 5 85mmレンズで何とかグリズリ-の近距離撮影に成功した後、さらに北上し、Mammoth Hot Springsという地域に到着した。近くにビジターセンターがあったので公園紹介のスライドと園内の動物の剥製を見物した。動物の中でも私の視線を釘付けにしたのはマウンテンライオン(通称ピュ-マ)であった。なぜならこの動物が大リーグボールを身に付けると星ピュ-マとしてバッファローズに立ち向かうのではないかと思われたからだ。。

Mommmoth Hot Springsはまるで賽の河原のような物悲しい雰囲気をたたえていた。ここには地底深くから吹き上げられた温泉に含まれる石灰分が蓄積され、幾重にも重なって巨大なデコレーション・ケーキ状の温泉階段が形成されている。これはテラスマウンテンと言われており、頂上からは温泉が止めどなく流れており、日本人観光客であれば思わず、♪ババンバ・バンバンバン、アビバノンノン♪と叫んでしまうほどの代物である。

今日の最後はノリス・ガイザー・ベイズンという熱水現象が3km四方に渡って広がっている地域を散策し、1時間待ちでEthinus Geyserから間欠泉が吹き上げるのを郷ひろみのナツメロ♪熱っチチ、熱チ♪を歌いながら締めることにした。

4月29日(月)

昨夜はイエローストーンの北口ゲートに隣接しているGardinerという町に滞在していたので今日は早朝より園内の散策に向かうことが出来た。イエローストーンは四国の半分ほどの大きさで園内はマンモス・カントリー、ルーズベルト・カントリー、キャニオン・カントリー、レイク・カントリー、ガイザー・カントリーという5つのカントリーに分かれている。その中でも最大の見所はガイザー・カントリーにあるアッパー・ガイザー・ベイスンという間欠泉が集中している場所である。

アッパー・ガイザー・ベイスンの観光の拠点はオールド・フェイスフルというビジターセンターである。その目の前にオールド・フェイスフル・ガイザーというイエローストーンのシンボルになっている間欠泉がある。この間欠泉は約65分おきに高さ40~60mの熱水を吹き上げ、1872年の開園当時からほとんど一定の噴出時間、間隔、高さを保っている。噴出予定時間がビジターセンターに掲示されているので観光客は噴出のチャンスを見逃すことなく観光に励むことが出来るのだ。

また、その周辺の遊歩道を歩くとたくさんの間欠泉や温泉を見ることが出来る。イエローストーンはかつてひとつの巨大な火山の一部であり、今でも公園の中には火口の後が残っている。地下のマグマはわずか4800mという浅いところまで迫っているため、1万にもおよぶ温泉、間欠泉、泥泉の宝庫となっており、箱根、草津、別府地獄めぐりが束になってかかってきても敵わないほど豊富な湯湧量を誇っているのだ。

イエローストーンにグランドキャニオンが出現しているという情報を入手したので早速見物に行って来た。キャニオン・カントリーの中心のビレッジから数マイルほど車を走らせるとイエローストーン川によって浸食された果てしなく続く黄色い絶壁を目の当たりにして一瞬言葉を失ってしまった。この峡谷は熱水の影響を受けて脆くなった流紋岩が、川の力で約15万年かけて削られたものだそうだ。上流には高さ94mのロウア-滝があり、GO!GO!と大量の水を流していた。

4月30日(火)

昨夜に引き続き、Gardinerから北口ゲート経由で園内に入った。2日前にグリズリーを発見したポイントは彼らのテリトリーらしく、今日も物々しい警備体制の中、観光客はベア-ウォッチングに精を出していた。バッファローの群れに数回行く手を遮られながら、今日もアッパー・ガイザー・ベイスンに戻って来た。昨日の晴天とはうって変わって今日はどんよりとした曇り空でオールド・フェイスフル・ガイザーを見下ろすことが出来るObservation Pointで間欠泉がファイヤー!するのを待っていると大粒の雨が降りだしたので撤収を余儀なくされてしまった。

2日半に渡るイエローストーンの調査を終え、ソルトレークシティへの帰路についたのはお昼前の時間帯だった。イエローストーンの観光シーズンが本格的に始まるのは5月の中旬からであるので今回の調査では公園内の全貌を解明するには至らなかった。やはりこの地方の冬は長く、未だに雪道に閉ざされて通行止めになっている道路がたくさんあるためだ。

デルタ航空のマイレージが余っていたので、マサであれば数100ドルかかるところを私はただでアンカレジまでの往復航空券を手にしていた。5時間あまりのフライトで2時間の時差を越えてアンカレッジ国際空港に到着したのは午後10時前であった。飛行機を降りて手荷物受取所横の航空会社のカウンターのそばでいきなりPolar Bearという看板もまぶしい巨大な白熊の剥製に出迎えられた。さすがに「パムでパムエアコン」のお膝元のしろくまくんの地にふさわしく空港を出ると涼しい突風が吹き荒れていた。

空港のハーツレンタカーでマーキュリー・クーガ-を受取った後、早速ホテル探しに向かった。適当な場所にHampton Innがあったので早速交渉することにしたのだが、あいにくオフシーズンプライスの$165のスイートしか空いてないということであったが、夜も遅かったのでここに泊まることにした。ホテルのロビーの正面に明らかにアンドレ・ザ・ジャイアントよりも背が高い、ブラウンベアの剥製が誇らしげにファイティングポーズをとりながら牙を剥き出していた。3階のホテルの部屋は一見スタンダード風かと思われたが、何とベッドのすぐ隣に室内用のジャグジーが据え付けられており、アメリカ有数の観光地アラスカの実力を見せつけられたような気がした。

5月1日(水)

今日からアメリカ合衆国最後の聖地、FTB史上50州目のアラスカの探索に本格的に乗り出すことになった。5月になったとはいえ、アラスカの地はまだ、冬から春になりかけの季節であり、北の方はいまだに厳寒の雪と氷に閉ざされているらしいので、まずはアンカレジからほど近い西南アラスカに位置するキーナイ半島を訪問することにした。

ミッドタウンよりスワードハイウエイを南に下ると道はいつのまにかアラスカ州道路1号線に変わっていた。クック入り江の海沿いを走っていると対岸には雪と氷河をたたえた山を背景にした険しい海岸線がどこまでも続いている。4時間ほど走るとホーマーという美しい港町に到着した。ホーマーはカチェマック湾に面した緑豊かな港町でアラスカの理想郷と言われるほど温暖な気候を誇っている。ホーマー・スピットという海に向かって伸びる8kmほどの砂州の地帯があり、そこはクルージングや釣のメッカになっているののだが、やはりシーズンオフのため人影はまばらであった。ホーマースピットの終点にはLANDSEND(地の果て)というホテル&レストランがリゾート地のいでたちで誇らしげに建っているのが印象的だった。

ホーマーから来た道を引き返し、途中で東に進路を変えて有名なキーナイ半島屈指の港町であるスワードに着いた時間は午後8時前になっていたので適当なモーテルをみつくろって宿をとることにした。ちなみに北緯60度を越えているアラスカは南部とはいえ、夜の11時ごろまで昼なのである。

5月2日(木)

マサよ、君はフィヨルドという地形を知っているか?? 小学校のよい子の社会科や高校の地理Bで学んだと思うが、フィヨルドは氷河によって削られた複雑に入り組んだノコギリ状の海岸線である。キーナイ・フィヨルド国立公園で本物のフィヨルドがライブで見れるということだったので早速スワードにあるビジターセンターで情報収集を行なった。この国立公園へのアクセスは通常現地のツアー会社が遂行しているクルーズに参加して、海側から氷河や海岸線の地形を見ることになっている。なるほど、ビジターセンターの近くにはおびただしい数のツアー会社が軒を連ねていた。ところが、実際に本格的なクルーズのシーズンは5月4日くらいから始まるとのことで今回は国立公園の内部に迫るクルーズへの参加を断念せざるを得なかった。

いろいろとツアー会社に問い合わせをして最大手のKENAI FJORDS TOURSがホエールウォッチングのツアー($69.‐、昼飯付)を実施しているという情報を入手したので早速参加することにした。船に乗り込むとみな同じジャンパーを着たユタ州の大学生と名乗る集団に取り囲まれてしまった。中にはハワイから留学しており、昔、常磐ハワイアンセンターでダンサーをやっていたという若者までいやがった。

船は港を出航すると湾の中を海岸線に沿って南に向かって進路を取った。海岸線は木の生えた急峻な崖になっており、時折、白いボディもまぶしいマウンテンゴートを発見する事が出来た。山岳地帯に住むこのヤギは外敵から身を守るためにガケの斜面で生活しており、マサに草を食うのも命ガケの状態で暮らしているのだ。

さらに船は進み、フィヨルドがどのように形成されるのか手にとるようにわかる氷河等を横目にとある小さな岩山付近を通過した。そこにはおびただしい数のアザラシが日光浴をしながらギャ-ギャ-わめいていやがった。

マサよ、君は野生のオルカを見たことがあるか? アラスカくんだりまで来てオルカをみないとオロカものになってしまうことを君は知っているか? というわけで、このクルーズのハイライトであるオルカの集団をついに目にする事が出来た!オルカは普通集団行動を取っているらしくこの日も数頭連れで北の海を悠然と泳いでいた。ときおり見せる尾ひれや白い腹部を見ると鴨川シーワールド等で芸人として使われているシャチとは一味違った野生の風格を実感することが出来るのだ。その他、今回のツアーではアシカやラッコ等の姿も目撃することが出来、アラスカの海の生態系の一端を垣間見た思いがした。

5月3日(金)

北米大陸最高峰のマッキンリー山(6,194m)がアラスカ中部にそびえているのでアンカレジから北へ382kmの道のりをはるばるデナリ国立公園までやって来た。ここはアラスカで最も人気のある景勝地でデナリとは地元の言葉で”偉大なもの”を意味すると言われており、マサに今回のFTBの実績にふさわしい目的地となった。

アラスカにはアンカレジとオーロラ観測で有名なフェアバンクスという代表的な都市があり、その間を大動脈といえる国道が通っている。デナリ国立公園はその中間ややフェアバンクスよりに位置しており、雄大なアラスカの大地に包まれながら、片側1車線対面通行の道路をV6エンジンの排気音も軽やかにマーキュリー・クーガ-を転がすことが出来た。道路は除雪されているもののあたりは一面銀世界であり、この地方の春の訪れの遅いことを実感させられる。ビジターセンターに到着したのはお昼前であったが、やはりシーズンオフということもあってすべての園内でのアクティビィティは稼動していない状況であった。

夏季の園内は非常に混雑すると言われており、動物達も短い夏を謳歌するために積極的に動きまわるそうであるが、今回は残念ながら、岩場に張り付いたヤギ2匹と足元にまとわりつくリスしか発見出来なかった。通常であればムース(ヘラジカ)をラチしてヘッドロックで一泡吹かせて整髪料として資生堂に高値で売りつけていたり、カリブー(トナカイ)をクリスマス用に捕獲していたところであったろう。

園内は山岳地帯であるものの、その中でもやはりマッキンリーの存在感は群を抜いていた。帰りはバックミラーに写るマッキンリーの姿を見ながら車を走らせていたのだが、アンカレジから67マイルの地点までその勇姿は消える事はなかった。天気の良い日にはアンカレジのダウンタウンからもその姿を見ることが出来るそうである。

5月4日(土)

アンカレジのダウンタウンにレゾリュ-ション・パークという公園がある。園内には1778年にこの地に錨をおろした英国人キャプテン・クックの銅像が彼の名を冠したクック入り江を眺めるようにして立っている。桜田淳子が♪ようこそここへクック・クック♪と歌う200年も前の出来事だったそうだ!

8時45分発のデルタ機でソルトレークシティに午後3時前に戻ってきた。早速車を飛ばして向かった先はアメリカンフォークのTimpanogos Cave National Monumentである。ここはAmerican Fork Canyon and the Alpine Loop Scenic Backway($3.-)という緑濃き山岳ドライブ道の中核観光地であり、山の頂上付近の鍾乳洞を見物することが出来る僻地である。

5月5日(日)

ANA007便にてサンフランシスコより帰国

北海道よりすごいアラスカ情報

*アラスカの物価は高い!日本の軽井沢を上回るアメリカ最強の避暑地であるアラスカのオンシーズンのホテル代は西川きよしほど目の飛び出るほど高いので貧乏人はオフシーズンに来なければならない。

*アラスカはアメリカ50州のなかでも治安がいい州である。それはあまりにも寒すぎて悪さをする気ににさえならないからだと思われる。

*アンカレジのダウンタウンは海と山脈に囲まれており、すぐ近くでサケの遡上とそれを追ってきたベル-ガ(白いイルカのような鯨)を見ることが出来るのだ。

FTBサマリー

*総飛行機代 ¥199,100

*総宿泊費  $585.65

*総レンタカー代  $554.02

*総ガソリン代  $127.66

*総走行距離  2,571マイル

*今回訪問した州 カリフォルニア、ユタ、アイダホ、モンタナ、ワイオミング、アラスカ

次回FTBは裏の仕事のついでにアイルランド王国の首都ダブリンから何らかの情報提供が行なわれる見込みです。

鈴木宗男議員自民党離島記念FTBJ炎の離島ツアー第?弾 in 西表島

今年の2月に石垣島を開拓したFTBJであったが、その際に西表島への上陸方法のノウハウを身に付けていた。今回はそのノウハウを実践すべく改めて八重山方面へと足を伸ばすことになった。

2002年4月12日(金)

土日の休みを有効に使うために金曜の夜に移動を開始した。仕事をサクッとほっぽり出すと午後8時の飛行機に飛び乗り、午後10時半には沖縄に到着することが出来た。

4月13日(土)

朝8時の石垣行きANK便に搭乗すると50分程度で石垣島へ到着し、すかさず石垣港までバスで移動すると10時30分発の西表島行きのフェリーに首尾よく乗船することに成功した。石垣島からは近隣の離島に対して数多くのフェリーが出航している。その中でも西表島行きのフェリーの便数は多く、たくさんのツアー会社が日帰りツアーのメニューを持っているのだ。

石垣港を出港すると西表島の東部に位置する大原港にわずか35分で到着した。ところで西表島というと東洋のガラパゴス、日本のアマゾン、はたまた日本最後の秘境といわれているのであるが、船を下りると襲いかかるヤマネコ、観光客をだまそうとするひきょう者等の襲撃を食らうのではないかと恐怖におののいていたのだが、そこには平凡な田舎の風景と人のよさそうな田舎者しかいなかった。

今日の宿泊予定地である民宿南風荘にて原チャリをレンタルすると早速島の探索に向かった。ところで西表島の90%は温帯雨林と熱帯雨林であり、島の周辺を走る道路も島の半分くらいしかカバー出来ていないのだ。

西表島に来て必ず参加しなければならない催しものは水牛車にゆられて行く由布島への旅(\1,300)である。西表島の東部わずか400mに位置する由布島は干潮時には潮位がわずか20cmほどになるので徒歩でも水牛車でも渡ることが出来るのだ。ところでこの地方で飼われている水牛の総数は33頭であり、そのうち20頭はメスだということであった。私を乗せた車番20番の水牛車は三郎と名乗る16歳(人間年齢48歳)のオスが担当しており、水牛使いのおっさんによるとこの島で一番力が強い奴であるということであった。ベテランの三郎は観光客が全て乗車し、「OK!」という声を耳にすると鞭をいれられてもいないのに勝手に歩き出しやがった。また、水のほとんど引いてしまった海を渡りきり、対岸の島に到着すると「止まれ!」の声とともに車を止めて観光客をしきりに感心させていた。

水牛車が由布島に近づくと水牛使いのおっさんがおもむろに蛇味線を取り出した。観光客はてっきり「ドナ、ドナ、ド~ナ、ドォナァ~ ♪」とでも歌いだすのかと思ったが、おっさんは観光客の盛り上げを強制し、地元の民謡を謡いはじめ、観光客の拍手喝采をあびていた。

由布島の内部は亜熱帯植動物園が形成されており、たいしてめずらしくもない動植物を見物することが出来るようになっている。また、島内には水牛の休憩場所が設けられており、水牛はタバコを吸う代わりに池の中で水に浸かって英気を養っていた。水牛の水牛たる所以は水がないと生きていけないひ弱な牛でであるので、水に入ったり、水浴びをすることは水牛にとっては餌を食うことより大事なことだと水牛を虐待しているおっさんたちが得意げに語っていた。また、池の近くの水牛待合所にはオペレーションボードなる白板が設置されており、小汚い格好をしたヤングギャルが水牛車のローテーションを星野監督と同等の采配ぶりで管理していた。

夕暮れ時に港の近くの林の側溝でガサガサと蠢く音を耳にした。西表島に生息するサキシマハブの登場か!?と心躍る気持ちであったが、よく見ると体長20cmほどのカメが枯葉を掻き分けてほふく前進をしている姿を目撃した。このカメは国指定天然記念物のセマルハコガメという種で非常に珍しい動物である。動物に優しい私はすかさずセマルハコガメをラチすると鈴木宗男よろしく「丸紅や伊藤忠じゃ~あるまいし、誰が疑惑の総合商社やねん!」と恫喝をかました。このときにセマルハコガメが取った行動は危険がセマルと首と手足を引っ込めて箱男のように篭城してしまうことだった。

西表島にはそれなりの数の旅館や民宿があるのだが、今日私が宿泊した南風荘(¥5,500)は宿泊施設はわびしいものであったが、飯は最高であった。地元で取れた魚の刺身等を前菜にメインは茹でた伊勢エビが出てきて宿泊客の度肝を抜いていた。ちなみにおばさんは翌日のメニューはイノシシ鍋だとこともなげに言い放っていた。

4月14日(日)

お世話になった南風荘を引き払うついでに今日も原チャリをレンタルし、再び島の探索に向かうことにした。島の北部に子午線モニュメントというファシリティがある。西表島には世界でここしかないという123°45’6,789″という緯度を持つ場所があり、マサにここが子午線モニュメントというわけである。

西表島で一番の長さを誇る浦内川からジャングルクルーズというボートツアー(\1,500)が出ているので参加することにした。ボートはジャングルの中を流れる川を8Kmほどさかのぼり、途中でマングローブの群落等を目にすることが出来る。ところでマングローブといってもそれでキャッチボールが出来るわけではないので野球好きのマサであっても注意しなければならない。マングローブとは、熱帯・亜熱帯地方の、潮の干潮によって影響を受ける泥地に生育する植物群のことで決してミズノやゼットやローリングスのお店では買えないのだ。

軍艦岩という船着場で下船し、ジャングルをかき分けて進むと日本の滝百選にも選ばれているマリユドゥの滝やカンピレーの滝を見に行くことが出来るので西表島の自然を間近で感じることが出来る大変おとくなツアーである。

マサよ! 君は星の形をした砂をその目で見たことがあるか? ということで阪神の快進撃を支えているのは他ならぬ星野監督の選手掌握術であるが、ここ西表島の北部に星砂の浜という星の形をした砂を大量生産しているビーチがある。このビーチはカラフルな熱帯魚も生息する典型的な南の島の砂浜であるが、砂粒を手にとってよく観察するとシャープエッジもまぶしい星型をした砂をたくさん発見することが出来るのだ!

西表島に来てイリオモテヤマネコを見なければ西表島に来た意味がないと言われているのだが、実はイリオモテヤマネコはクロネコヤマトと違って非常に珍しい野生の猫であるのでめったに発見することは出来ないらしい。その代わりに西表野生生物保護センターというところでヤマネコのビデオと剥製を見ることが出来るので訪問することにした。イリオモテヤマネコは原始的な猫であり、サイズは家猫と変わらないが、特徴的な斑点と太い尻尾を持っている。島の道路にはヤマネコをモチーフにした交通安全の看板がたくさん出ており、車やバイクはヤマネコのお願いを聞いてゆっくり走らなければならないといわれている。

日本最南端の温泉である西表島温泉(¥1,200)が暴利を貪りながら開業しているので話の種に入湯を試みることにした。温泉のファシリティは建設中のホテルとフリチンで入ることが出来る内風呂と露天風呂のほかにやまねこの湯と命名されている水着着用の外風呂、それからプールからなっている。泉質は単純アルカリ泉であるが、外風呂のやまねこの湯には明らかに塩素が混入されている臭いを漂わせていた。

日本最後の秘境西表島情報

*人口はわずか1,700人程度のチンケな島であるが、一応普通に生活出来るのだ

*ドコモのアンテナは設置されているので携帯は一応使える

*コンビニがあるほど文明開化はされていないが、山に入ればイノシシ等を捕まえてとりあえず自給自足では食っていけそうである。

*民宿のおっさんが大量のもずくを取ってきていきなり夕食の食卓にならべやがった

FTBサマリー

総飛行機代 ¥6,500(残額はANA御利用券利用)

総レンタバイク代 ¥6,000

総高速フェリー代 ¥2,930

総宿泊費 ¥8,800

次回はGW特別企画「苦節??年念願の祝???!」をお送りする予定です。

カンガルーと一緒に地球環境問題をカンガェルーツアー in オーストラリア

グッダイ、マサよ!!

ということで3月の飛び石連休を有効に活用してFTB史上初となる南半球ツアーを敢行することに成功した。今回はその第一弾ということでシドニーからの情報をお届けします。

2002年3月20日(水)

私が面倒を見てやっているANAがオセアニア線を就航していないため、仕方なく午後9時発のJAL771便に搭乗することにした。マサよ、君の上司の塩爺から国土交通省に圧力をかけてANAにオセアニア便を就航させることが出来ないものかどうか年度末の決算期の忙しい時間を割いて是非検討しといてくれ!

3月21日(木)

赤道上空を飛行機の中で過ごし、定刻午前8時30分より15分程遅れて飛行機はシドニー国際空港に到着した。空港から2階建ての地下鉄に乗換えシドニーの中心であるセントラルステーションで下車した。シドニーのビジネス街を見ながら北に向かって30分程歩くと有名な観光地であるThe Rocksに到着した。シドニー港を見渡すここThe Rocksは最もシドニーを満喫出来る場所であると言われている。

The Rocksにあるシドニービジターセンターで情報収集をした後、一気に丘を上り、シドニー天文台に到着した。ここの丘からは世界3大美港といわれているシドニーハーバーの全景を見渡すことが出来る。さて、天文台であるが、建物の中にはおびただしい数の歴史的な望遠鏡が展示されており、最上階には北側と南側の両方に観測用のドームが設けられており、今回は係りの人に実際に望遠鏡による観測のデモをしていただいた。望遠鏡で見る映像はコンピュータと連動しており、星座のライブ中継を即座にデータとして取り込むことが出来るようになっているのだ。

FTBの子会社であるJCBトラベルに予約させたミレニアムホテルにチェックインを済ますと再び町に繰り出すことにした。ダーリングハーバーという近代的な港町の一角に世界的に有名なシドニー水族館(AU$22.-)がオープンしていたので早速見物することにした。まずは港に面したコーナーにオットセイだかアシカだかよくわからない生物が楽しそうに泳いでいる光景を目にした。プールの中央にステージがあり、そこに登ってきた1頭がなんだか叫んでいるようだった。よく聞くと観光客に食べ物を落ットセイと言っているのではなく、アシカらずと言って水中に戻っていったのでこいつらはアシカである事が確認出来た。

ここの水族館では他の地域では決して見ることが出来ない生物がうようよいるのでその1部を紹介してあげよう。カモノハシという鳥のようなくちばしをもった謎の水生生物が水槽の中をわがもの顔で泳ぎ、その周りを餌がくるのを首を長くして待っているおびただしく長い首を持った亀が取り巻いていた。水族館の地下にはサメのコーナーが設けられており、体長2m級の巨大なサメが悠然と泳ぎまわっている姿はマサに圧巻である。また、グレートバリアリーフというコーナーでは実際に生きたサンゴ礁を目にすることが出来、また、巨大な海中トンネルでは数多くの熱帯魚の隊列や巨大なエイ等を自然環境に近い形で観察することが出来る。ここの水族館のすごさはなんと言っても水槽の中に海底の地形が再現されていることである。中の岩にはサンゴ礁やヒトデや貝類、藻類が付着しており、いやがおうにも南の海の雰囲気を醸し出してくれるのだ。

3月22日(金)

昨日の雨とはうって変わり、今日は夏の快晴に恵まれたので朝一でオーストラリアで最も有名なボンダイビーチまで足を伸ばした。ボンダイビーチにはオーストラリアのビーチカルチャーが凝縮されていると言われており、魚の遺伝子を持つと言われるイアン・ソープを目指している若いスイマーやサーファー達が日夜技術の向上とナンパに励んでいる場所である。

ボンダイビーチのバス停からバスに乗り、シドニー港の中心地であるサーキュラー・キーへやって来た。水上交通が発達しているシドニーにはたくさんのフェリー乗り場があるが、サーキュラー・キーは5つのWharfを持つ最大の船着場である。ここからフェリーに乗り、Sydney Harbor National Parkの代表的な地域であるWatosons Bayへ15分かけてはるばるやって来た。Watsons Bayはここが同じシドニー湾内であるとは思えないほど海水が澄んでおり、砂の城をのんきに作成しているにわか彫刻家やトップレスで海水浴をしているヤングギャルを目の当たりにすることが出来た。

Watsons Bayからサーキュラー・キーに戻り、再び別のフェリーで10分かけてタロンガ動物園(AU$22.-)までやって来た。この動物園は山の斜面に自然環境に近い形で作られており、まずロープウエイで頂上まで登らなければならないのだ。ここの見所はやはり放し飼いにされているカンガルーや時間指定で記念写真も取れるコアラのコーナーであろう。しかし時間外にコアラに触ろうとすると強面の飼育係に「コォァラ!」と恫喝される危険性があるので注意しなければならない。

タロンガ動物園から再び市の中心地に戻り、市内の名所を探索することにした。まず、ハーバーブリッジはは歩いて渡ることも出来るので橋の上から見下ろすことが出来るオペラハウスの写真撮影を行なった。ハーバーブリッジは長さ502m、高さ134mあり、気合の入っていないマサをバンジ-ジャンプさせるにはマサに最適なファシリティだと実感させられた。

その後オペラハウスの内部にも侵入することが出来た。外見は20世紀を代表する建築物であるが中は普通の渋谷公会堂と同レベルであると思われた。

3月23日(土)

今日は朝7時半にハーツでレンタカーを借り、近郊へのドライブに繰り出すことにした。シドニーから日帰り出来るところで最も人気のあるスポットはブルーマウンテンズナショナルパークと言う場所である。ブルーマウンテンズナショナルパークの中心地はカトゥンバと呼ばれる場所であり、近郊のEcho Pointからこのナショナルパークのシンボルであるスリーシスターズを眺めることが出来る。ところでこのスリーシスターズの由来であるが、アボリジニの伝説によると昔、この地に美しい3姉妹と祈祷師の父が平和に暮らしていた。ところがある日マサのような魔物が娘たちを襲いにやってきたので父親は娘たちを岩にして隠したと言う。しかし、まぬけな父親は娘たちを元の姿に戻すことが出来なくなったというプリンセス天功も真っ青のイリュージョンの失敗によって形成された岩なのだ!!

Senic Worldというファシリティに観光客用のRailwayとRopewayが開通していたので話の種に搭乗することにした。Railwayの方は距離はほんの数百メートルであろうが最大傾斜52度の岩の間の坂を一気に下るスプラッシュマウンテンも太刀打ちできないほどの自然環境を利用した乗り物である。帰りはRopewayに乗ってみたが、ここからはスリーシスターズをはじめ、ユーカリの原生林に覆われた美しく深い熱帯雨林を見下ろすことが出来る。

3月24日(日)

JL772便にて後ろ髪を引かれる思いで帰国

FTB史上最強のリゾート地オーストラリア情報

*シーフードが豊富なオーストラリアの食文化は恵まれており、アメリカのような歩くコレステロール状の人種はなかなか見ることは出来ない。

*オーストラリアの女性の98%くらいは美形であり、町やビーチを歩くと目移りして仕方がないのだ!

*シドニーは治安もよく、24時間眠らない町といわれており、いたるところにバーやカフェが出店している。

*オーストラリアは地球環境の保護に熱心な様子で町のごみ箱もリサイクル用と他のごみとの分別がされているのだ。

*南十字星を見たのだ!!

FTBサマリー

*総飛行機代 : ¥136,870

*総ホテル代 : ¥25,800

*総レンタカー代 : AU$120.43

*総ガソリン代 : AU$22.75

オーストラリアのすばらしさに目覚めたFTBによる今後予想されるオセアニアツアー

*E Yazawa推薦:時間よ止まれ!エアーズロックでロックンロールツアー

マサよ、必ず来いよ! もし来なかったら頼んでもないコアラのマーチ1年分が料金着払いのカンガルー便で送られてくるかも知れないよ!?

次回は宗男議員自民党離党記念FTBJ炎の離島ツアー第?弾in西表島をお送りする予定です。

やんばるの森でやんばるくいなを食いながらノグチゲラを見てゲラゲラ笑おうツアー

マサよ、日本列島は長い!!

ということで先週の極寒の地網走、紋別ではマイナス10℃の中を活動していたのだが、今週はうって変わって気温20℃を越える陽気の中でFTBツアーを敢行することが出来た。

2002年3月9日(土)

財団法人沖縄観光コンベンションビューローが主催している「だいじょうぶさぁ~沖縄」いこうよ!おいでよ!沖縄キャンペーンの著しい成果が現れはじめ、沖縄の観光地は活気を取り戻しつつある様子がはっきりと見て取れる。これもひとえにキャンペーン期間中に3回も沖縄方面を訪れている私の努力の賜物だと言えるだろう。

沖縄を語る上で欠かすことの出来ない出来事はやはり太平洋戦争末期に多くの犠牲者を出した沖縄戦である。ということで今回のツアーは当時激戦区となった沖縄本島南部の平和祈念公園からはじめることにした。この公園には平和の礎という戦没者の名前を掘り込んだおびただしい数の墓石のようなものが祭られている。沖縄戦での戦没者は日本各県から派遣された兵士、米軍、北朝鮮、韓国、中国等の人民など多岐にわたっているが、やはり沖縄県人が20万人中、12万人と群を抜いていた。その他の記念碑としては各県や団体から寄贈された平和への願いを込めた塔が目立っていた。例えば鹿児島の塔、近江の塔等である。これらは東シナ海を見下ろす高台に設置されており、公園の一大景観を形成している貴重なファシリティである。塔の寄贈者も非常に多岐にわたっているため、本郷たけしと一文字隼人が寄贈したと思われる「ライダ~変身!トォー!」が仮面ライダーベルトとともに奉納されていないか探し回って見たが、ショッカーの改造人間により撤去されてしまっているようだった。

公園内に沖縄県平和祈念資料館(¥300)という建物があったので見物することにした。ここでは沖縄戦の貴重な資料が展示されており、高校生の修学旅行の一団に紛れて戦争の悲惨さを学習することが出来た。

玉泉洞王国村(¥600)という沖縄県屈指のローカルなテーマパークがあるので立ち寄ることにした。ここでの最大の見所はやはり東洋一の鍾乳洞と言われる玉泉洞(¥600)である。全長5kmを誇る玉泉洞はそのうちの1km程度が一般公開されており、立派な観光道が設置されている。私も過去秋芳洞、平尾台の千仏鍾乳洞、石垣島のサビチ洞等、数々の鍾乳洞を制覇してきたが、自然が作った造形美という観点からは玉泉洞が最高のものだと断言出来る。天井からぶら下がった鍾乳石はきめが細かく、また、ヒトシ君人形状に成長した鍾乳石は野々村真がいくら没収トを食らってもスーパーヒトシ君として復活してしまいそうなほどおびただしい数を誇っていた。

その他、王国村には那覇から移設してきた伝統ある琉球屋敷の中で織物や伝統芸能の展示や販売が行われている。また、亜熱帯植物園のとなりに亜熱帯果物とジュースを販売しているコーナーがあったので長嶋終身名誉監督が推薦するいわゆるひとつのグァバジュース(¥450)をグァバグァバと飲み干すことにした。

3月10日(日)

沖縄本島中部の名護市内の古びたホテルをチェックアウトした後、北上し、沖縄本島最北端の辺戸岬に到着した。ここは高さ20mの隆起サンゴ礁の断崖からはるか与論島を見渡すことが出来る沖縄県有数の景勝地である。

緑の山々が続く沖縄本島北部一帯は、「山原(やんばる)」と呼ばれ、手付かずの自然が残されており、沖縄本島にしか生息しない自然動植物の宝庫となっている。そのなかでももっとも有名な動物はやんばるくいなという飛ぶことの出来ない鳥の一種であろう。辺戸岬から車で数分走ったところにやんばるくいな展望台というやんばるくいなをかたどった巨大な展望台が海を見下ろす高台にそびえていることからこの地におけるやんばるくいなの重要性を垣間見ることが出来るのだ。

マサよ、君は野口英世も一目置くノグチゲラというキツツキ科の鳥の鳴き声を聞いたことがあるか??

ボケっ~としてるとゲラゲラ笑われても知らないぜ!!

やんばるの森の周辺の県道には「スピード落とせ!やんばるくいなのお通りだ!」「カメ横断注意」等の看板を目にすることが出来る。実際に国指定天然記念物に指定されている琉球亀が車に轢かれて亀の子せんべい状態になっている状況がよく目撃されているとのことであった。また、日本最大の甲虫である琉球テナガコガネは決して捕まえてはいけないということを肝に銘じておかなければならない!

タナガ-グムイという安波集落の中を流れる安波川の上流にある小さな2段の滝が落ち込むよどみを見に行って来た。この地域は温度が低く、湿度が高いため、この地域でしか見ることが出来ない植物がたくさんある。

知って得する沖縄ハブ情報

*日本最強の毒蛇といえば沖縄本島や八重山諸島に生息するハブであるが、沖縄本島ではハブに関する様々なグッズを販売している。今回はその1部を紹介してあげよう。

*ハブ系滋養強壮ドリンク

 -蛇精(ハブ)琉球ドリンク → ハブ抽出エキス1000mg

 -ハブファイト → 沖縄産ハブ抽出エキス1000mg

 -ハブアタック → 琉球ハブエキス配合

 マサよ、君ならどれを選ぶ?? いずれにしてもこれらのドリンクはリポビタンD、ユンケル黄帝液、新グロモント等が束になってもかなわないくらい強烈な鼻血ブードリンクである!!!

*水島新司原作の長期連載野球漫画「あぶさん」も沖縄では「はぶさん」として有名になっているほど沖縄県人はハブに対して思い入れが強いのだ!

*ところでマサよ、ハブ酒を飲み終えた後、ビンに残されてしまったハブの後始末はどうすればよいのか君は知っているか??

次回はカンガルーと一緒に地球環境問題をカンガエルーツアー in オーストラリアをお届けする予定です。

ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし!)

苦節5年ついにこの時がやって来た。FTBJの設立当時から流氷を見に来なければFTBJを運営する意味が無いと思い,5年間の構想期間を経てやっと厳寒のオホーツクにたどり着くことが出来た。

2002年3月2日(土)

春を思わせるような陽気が続いた東京を離れはるばるやって来た道東は飛行機の上から見渡すとまだ一面銀世界であった。根室中標津空港に10時30分頃到着し、ニッポンレンタカーでホンダのライフをレンタルし、スタッドレスタイヤの足回りも軽やかに一路網走を目指して北東方面の道路をひた走った。途中とある峠で吹雪になり、視界不十分の状態を何とか乗り越えて昼前には網走に到着した。

網走といえば高倉健の番外地だが、網走刑務所の近辺の居酒屋やラーメン屋はやはり番外地を名乗っていやがった。網走の観光名所といえばやはり博物館網走監獄が名門中の名門ということになるであろう。心の優しい私は財務省の高級官僚であるマサが将来収賄罪で捕まり、網走監獄に投獄されることを想定してわざわざ監獄の下見をしといてやろうと思ったが、入場料がもったいないのでやめておいた。しかし、概観だけを見ると7年前に見物した当時とほとんど変わっていないように思われた。

今日のメインディッシュは網走港から出航する砕氷船オーロラ号に乗り、寒風吹きすさぶオホーツク海を海氷をかき分けてクルーズすることであったが、何と強風のため、船は全便欠航という憂き目に遭い、結構なことだと思ったのであった。ここ網走は鈴木宗男議員の地元であるため、大声で恫喝すれば船は出るのではないかと考えたが,田中真紀子の怨念がマサったためか船はどうしても出せない様子だった。

ということで網走くんだりまで来た意味を無くしてしまったため、さらに107km北上してオホーツク紋別まで足を伸ばすことにした。紋別に着いた頃には日もとっぷりと暮れてしまっていたため、紋別プリンスホテルに早々と引き払うことにした。紋別プリンスホテルの露天風呂付き大浴場で疲れを取ったあと、ホテルのレストランで夕飯を食うことにした。水槽の目の前の席に座らされたため、これから釜茹でにされる運命のタラバガニや不細工な顔をした魚と目を合わせながらカニを食うことになってしまった。

3月3日(日)

昨日の悪天候が災いして今日の朝8:00に予約しておいたガリンコ号IIが出航出来るのか心配であったが、何とか出航出来るとのことであった。ガリンコ号IIは紋別が誇る2代目の砕氷船でソ連から技術供与を受けた三井造船の最新のテクノロジーを使って作られている。

チケット売り場でチケットを買う段になって実は航路に流氷が無いという事実が発覚してしまった。マサであれば、流氷の町を名乗る紋別にこの次期に流氷が無いのは何事だ!と怒り狂い、財務省の予算を総動員し、日本中の氷屋から氷をかき集めてオホーツク海にばらまいてでも流氷見物をしたであろうと思われたが,それではマサにやらせになってしまうので私はただの寒い海のクルーズで我慢しとくことにした。

ガリンコ号は船の全部に搭載されたドリルで氷を砕きながら前進するのが特長であるが、今回は残念ながらその威力を垣間見ることが出来なかった。今日の航路は港近辺の凍った海を進んでお茶を濁した後、外海に出て数10分航海して港に帰ってきた。流氷がなかったということで下船際に観光客にガリンコ号の紙製のコースターを無償で配って機嫌を損ねないように配慮していた。

ガリンコ号の港の近くにオホーツクタワーというファシリティがある。このタワーは陸地より1000mほどの海の中に立てられており、海中からオホーツクの海の状況を調査することが出来るようになっている。また、流氷に関するビデオや資料、オホーツクの水生動物の飼育もしているのでここに来れば厳寒のオホーツク海の全貌を数時間で解明することが出来るのだ!

結局流氷が見られないという屈辱を味わい、落胆して網走への道を南下した。途中サロマ湖に立ち寄り、凍った湖の上でスノーモービルをしているリゾート野郎を見物した後、オホーツク海を左手に見ながら車を走らせていると網走のとあるさびれた漁港に流氷が着岸しているのを発見したので接近して写真に収めておいた。

その後、空港への帰り道すがら屈斜路湖の砂湯に立寄り、シベリアから越冬しにきている白鳥とたわむれている観光客の挙動を観察していた。屈斜路湖には日本くっしの未確認水生動物であるクッシ-が住んでおり,この地域のシンボルになっていることで有名である。その後さらに硫黄山で蒸し卵を食った後、そのままシュ~と摩周湖に向かい、根室中標津空港へ帰っていった。

厳寒北海道ツアー情報

*マイナス10℃の寒さにもかかわらず大手旅行会社が遂行しているツアーは繁盛している様子でどの観光地へいっても鼻水をこらえて顔を引きつらせて記念撮影を行なっているツアー団体を見ることが出来る

*オホーツクの流氷は気まぐれであり,風向き、潮の流れによって現れたり、消えたりするものだと思い知らされた。この時期にオホーツクに来る観光客はマサに運を天にまかせるしかないのである。

*スタッドレスタイヤを履いていればどんな雪道でも凍った道でも高速で走ることが出来る。

*北海道のカニは高い

ということで来年またリベンジに来なければならなくなってしまった!!

次回は沖縄より「やんばるの森でやんばるくいなを食いながらノグチゲラを見てゲラゲラ笑おうツアーをお送りする予定です。

FTBJ炎の離島ツアー第?弾in世界遺産の島、屋久島

マサよ、これからアレルギー体質の人にはたまらない季節がやって来ることを君は知っているか?ということで今回は1年ぶりに屋久島を訪問し、花粉症の人々を恐怖のどん底にたたきおとしている日本一のスギ花粉製造工場の全貌を解明することにした。

2002年2月15日(金)

ウイークデ-であるにもかかわらず首尾よく会社をさぼることに成功した私は鹿児島空港からバスで鹿児島市内に入り、鹿児島埠頭から鹿児島商船が誇る最新鋭のジェットフォイルであるトッピ-に乗ってトピトピと屋久島宮之浦港を目指した。宮之浦から安房港までバスで移動し、地元のまつばんだレンタカーでダイハツミラをレンタルするとこの日の宿泊先である尾の間温泉の国民宿舎に引き払った。

2月16日(土)

朝6時半に起床し、温泉で英気を養った後、縄文杉登山の出発点である荒川ダムに向かった。昨年の今ごろもFTBJとして屋久島に来ていたのだが、残念ながら屋久島のシンボルである縄文杉を見物することが出来ず、屋久島に来た意味をなくしていたため、今回リベンジをすることになっていたのだ!

荒川ダムに午前8時40分頃到着すると早速縄文杉を目指し、往復21kmの過酷なツアーがスタートした。登山道は昔木材を運んでいたトロッコ列車のレール道をひたすら歩き、途中欄干のない橋を何本も渡らなければならない。橋のはるか下には激流の川が流れており、足をすべらせてバランスを崩すと即座に欽ちゃん走りの状態に陥り、坂上ニ郎さんのように「飛びます、飛びます」が出来ない登山者は「何でこ~なるの!?」と断末魔の叫びをあげながらまっさかさまに落ちていくしかないのである。

登山道ではたくさんの野生動物達を見ることが出来る。数頭の鹿が森の中を散歩していたので近づいて観察しようとしたところ奇声を発して逃げられてしまった。とっ捕まえて食ってやろうと一瞬思ったが、ここの鹿はヤクシカという地元の鹿で料理方法としては焼くシカないと思われた。

登山道も8Kmを過ぎクライマックスに差し掛かったところでウイルソン株という切り株を発見した。この切り株は1914年にアメリカの植物学者ウイルソンが発見したもので直径は3m以上あり、切り株としては屋久島最大のものである。しかし、もしこの切り株がマサというものに発見されていた場合を想像するとマサ株という世にも恐ろしい名前になっていたことを考えると夜も眠れなくなり、ウイルソン博士に感謝する今日この頃である。

ウイルソン株を過ぎると道は本格的な登山道へと変貌し、傾斜も急激に厳しくなる。しかしながらここの登山道の整備はかなり行き届いており、至る所に登山用の階段が設置されている。黄金の足を持つ私はもう既に先行する登山者をすべてごぼう抜きにしてしまっているのだが、標高も1000mを越えるとあたりは雪景色に変わり、ペースダウンを余儀なくされてしまった。すると突然私の目の前に巨大な階段があらわれた。階段は溶けて氷と化した雪に覆われ非常に滑り易くなっていたのだが、何とかその階段を上り切ると目の前にこの世のものとは思えない巨大な植物を目の当たりにした。

FTBとしてこれまでカリフォルニア州のジャイアントセコイア、チャイナレッドウッドトゥリー、オアフ島のこの木なんの木等さまざまな巨木を観察してきたのだが、今目の前にある木は長年の風説に耐えてきた威厳をたたえた森の神様のような代物だと思われた。そう、これがかの有名な推定樹齢7200年と言われている縄文杉である。縄文杉のサイズは高さはわずか25.2mだが、胸高周囲18.2m、直径5.1mを誇り、他の屋久杉とはあきらかに風情が異なっていた。

しかしながら、推定樹齢7200年というが、去年屋久島を訪問した時の縄文杉の樹齢も7200年であり、今年は7201年になっていないことから考えるとマサ率いる財務省の接待費の計算のようにいいかげんな勘定をしているのではないかと少し心配になってきた。

縄文杉から生命のパワーをもらうと一気に登山道を下って荒川ダムに帰ってきた。往復21kmの長旅であり、一般ピープルであれば8時間かかるところを5時間程度で制覇した私であったが、不思議に疲れは感じなかった。過去、グランドキャニオンのブライトエンジェルトレイル、ザイオンナショナルパークのエンジェルスランディング等数々の過酷なトレイルを制してきた私にとってこの縄文杉登山道は初心者レベルのものであったのだ。

荒川ダムからダイハツミラに飛び乗り、山道を下って海沿いの道を走っているとタンカンの直売所を発見したので購入することにした(¥200)。愛媛にイヨカン、たけし軍団にダンカンというものがあるが、このタンカンとは屋久島で2月~3月にかけて収穫出来る柑橘系の果物である。

タンカンで手のひらを黄色に染めた後、千尋の滝を見物し、さらに轟音を立てて太平洋に流れ込むわずか6mの落差だが迫力のあるトローキの滝を見物した後、平内海中温泉(¥100)に向かった。この温泉は満潮時は海の中に埋没するが、干潮時に温泉として忽然と姿を現す屋久町が誇る公衆浴場である。

この日も地元のおっさんたちや婆~さんが温泉に浸かってのんびりしていたので私も登山の疲れを癒すためにこの温泉に入ることにした。当然のことながらあたりに脱衣所はなく、衣服はそのへんの岩の上に脱ぎ捨てなければならない。また、ここは水着禁止となっており、水着を着て入るような往生際の悪いやつらはこの温泉に入る資格がないのである。当然温泉のすぐ先は海になっており、突然何を血迷ったか一人のおっさんが、そのままフリチンで海水浴をおっぱじめやがった。おっさん曰く、この辺の海は冬でも水温が20度近くあるので泳いでもまったく寒くないということだった。

この温泉は単純硫黄泉で岩の間から湧き出している。岩で作られた浴槽は3つあり、底に敷いてある岩は海草でぬるぬるしており、お湯にはわかめやのり等の海草も浮かんでいる。ここに入るとお吸い物の具になったような気分に浸れるので永谷園の社員は研修で必ず訪問しなければならない所であろうと思われた。

平内海中温泉を後にし、日没まで多少時間があったので日本の滝百選に選ばれている大川の滝の見物に行って来た。落差88mの大川の滝は滝壷の近くに展望所があり、岩場を乗り越えれば滝壷に入って滝に打たれることも可能である。

2月17日(日)

昨日の快晴とはうって変わって今日は朝から雨が降っていた。悪天候ではあったもののまだ屋久島を一周したことがなかったので話の種に一周することにした。島の西側に西部林道という車一台がやっと通れる広さの林道が開通していた。あたりは鬱そうと茂るジャングルであり、ドライバーも思わずうっそ~!と叫びながらハンドルを握っていた。途中ウミガメの産卵地のビーチがいくつもあり、この島はウミガメの楽園であることを思い知らされた。

帰り際に白谷雲水峡(¥300)に寄ってこの島の森に別れを告げることにした。この峡谷の奥の森は宮崎駿監督のもののけ姫のモデルになった深い森であり、米良美一の歌声も1オクターブ上がるほどのすばらしい景色を堪能することが出来る。

次回は構想5年念願の「ガリンコ号で行くガチンコ流氷ながれ旅ツアー(やらせなし!)」をお送りします。

FTBJ炎の離島デスマッチ第?弾in石垣

ちょっちゅね~ マサよ!!

ということで昨年の宮古島の制覇には飽き足らず今回は日本が世界に誇るカンムリワシ具志堅用高を生んだ石垣島まで足を伸ばしてきた。

2002年2月2日(土)

沖縄から飛行機を乗り継いで石垣空港に到着したのは午後2時近くだった。観光客は那覇空港では「めんそ~れ!」で迎えられるが、ここ石垣ではアフロヘアーに鼻ひげをはやしたジュニアフライ級の小男たちがファイティングポーズで「ちょっちゅね~」と言って出迎えてくれるのかと期待していたのだが意外にもみんな標準語をしゃべっていやがった。

早速レンタカーを借りて市街地を走っているとやはり具志堅用高記念館(¥400)というものに遭遇してしまったので見物することにした。以下具志堅の詳細。

昭和30年6月26日、沖縄県石垣市生まれ。興南高時代インターハイモスキート級優勝。昭和49年プロデビュー。2年後にはJ・フライ級王座につく。4年半の王座君臨の間、13度防衛や6連続KOなどの記録を樹立。現在では「具志堅用高ボクシングジム」を経営。又、TBSの専属解説者としても活躍中。

というわけで具志堅とはとんでもね~野郎である。記念館には具志堅のニックネームであり、八重山地方にしか生息しないカンムリワシの木彫りの彫刻がどかんと置かれていた。また当然のことながら具志堅が戦った世界戦の時の賞状や盾、チャンピオンベルトのレプリカ、ボクシンググローブ、金カップ、Mライン入りのミズノのシューズ等が所狭しと展示されていた。また、館内ではビデオも上映され、ここでは現役時代の強い具志堅が再現されており、郡司さんの採点では5対3でいつも具志堅がリードしていた。

具志堅記念館を見物し、石垣での任務も完了かと思われたのでそのまま東京に引き返そうかと考えたが、やはりついでに観光もすることにした。石垣島の観光スポットは島の周囲の海沿いに点在しているのでぐるっと島を回ることにした。悲劇に遭った中国人労働者の墓である唐人墓をちらっと見た後に向かった先は黒蝶真珠の養殖で知られる石垣随一の景勝地である川平湾である。40万個に1個の割合でしか出来なかった黒真珠の養殖に世界で始めて成功した川平湾は青い空と海、白い砂浜、緑の島のコントラストがすばらしい全国で8箇所しかない国指定名勝地である。

夕暮れ時になってしまったのでこの日の宿である石垣全日空ホテル&リゾートに引き払うことにした。このホテルは全日空ホテルズのテクノロジーを結集した最高レベルのリゾートホテルであるが、ここで私はとんでもない仕打ちにあってしまった。ホテルの玄関には「JTB○○様御一行」等たくさんの歓迎札がかかっていたのだが、なんと全日空をひいきにしてやっているFTBに対する歓迎の意が示されていなかったのである。

何はともあれチェックインをすますと早速ホテルのファシリティのチェックに向かった。ホテルにはテニスコートが5面、室内、屋外プール、スパ、リラクゼーション、マッサージ、各種レストラン、土産物屋、ツアーデスク、パターゴルフ等の設備があり、リゾートに必要なものはすべてそろっている。ところでここのプライベートビーチであるが、岩のパリケードで仕切られ、周囲のサンゴ礁の岩礁とは異なり、不自然なまでに砂で整地された人工ビーチであった。しかし、トビウオの跳ねる海はきれいでシュノーケル、ダイビング、ウインドサーフィン等のレンタルも充実している。

夜、大浴場から部屋に戻る途中に大きなカエルを発見した。おそらくこのカエルも棲家にかえる途中であったのだろうが、普通冬眠しているはずのこの時期にカエルが出てくるほどこの地方は温暖なのである。

2月3日(日)

島の最北端に平久保崎という岬があるので見に行って来た。ここからは牧場、灯台、青い海が見事に調和した美しい景色を見ることが出来る。

川端康成に言わせると「トンネルを抜けると雪国」であるが、石垣には「洞窟を抜けると青い海」に到達する。サビチ洞(¥700)は海沿いにある鍾乳洞で、2mのうなぎを飼育している池を横目に奥に進んでいくとさまざまな形の鍾乳石を垣間見ることが出来る。さらに歩を進めると波の音とともに青く済んだ海が見えてくる。水着を着ていればそのままそこで泳ぐことも出来るのだ

天然記念物に指定されている八重山ヤシという木を見に八重山ヤシ群落を見に行った後にとんでもないものを発見してしまった。マサよ、君は大事な初詣が「貧乏神神社」になってしまったという屈辱を味わったことがあるか?貧乏神神社の極意とは「災禍転福」すなわち災い転じて福となすということである。この神社の駐車場に車を止めて見物をしようとすると頼りなさげな若者が私に歩み寄って来て、いきなりパフォーマンスをおっぱじめやがった。お参りの仕方は非常に過激で貧乏神に見立てた木の杭をこん棒で「コンチキショウ!」と怒鳴りながら3回殴りつけ、さらに杭を蹴飛ばし、さらに豆を投げつけて貧乏神を散々な目に遭わすのだ。頼りない若者曰く、500円奉納すればこれと同じことをやらせてやるということだったので、ここまで来てもう断り切れない状況になっている私もとりあえずやってみることにした。ところでこの貧乏神神社はそのユニークさからルックルックこんにちわ等のワイドショー系の番組でもとりあげられた実績を誇っており、1999年の元旦にはテレビ朝日で全国生放送もされたということだった。

貧乏神をすっきり払い落として向かった先は石垣港である。ここに海中観光船という船(¥2,500)が運行されており、サンゴ礁の海と熱帯魚をライブで見ることが出来るというというパンフレットを入手していたので早速乗船してみることにしたのだ。ピノキオ号というその観光船は観光ポイントまで15分ほど走ると観光客は船底に設置されている海中展望ルームに案内される。そこから見るサンゴの海の光景はこの世のものとは思えないほどすばらしいものであった。

今回石垣島の全貌をなんとか解明することが出来たわけであるが、この島はそれ自体の観光だけではなく近隣の島へのゲートウエイにもなっている。ヤマネコで有名な西表島には船で40分程度で行けるので次回また来なければならない!!

アメリカ横断ウルトラFTB番外編

「おしえておじいさん!スイスアルプスツアー」を終えてわずか中1日でアメリカドサ回り出張に駆り出されてしまった。これも仕事の出来る奴には仕事が回ってくるということであろうか?

ちなみに今回の出張はロブスターとのジャンケン対決のためにボストンへ、道行く人に無差別延髄ギリをくらわすために燃える闘魂サンアントニオへ、冬季オリンピックのトトカルチョのオッズを決めるためにソルトレークシティへ、統一教会に入る前の桜田淳子が「来て!来て!」と呼ぶサンタモニカへ、誰も友人のいないユージーンへといった具合に短期間で長距離を渡り歩かなければならない過酷なものであり、マサであれば孫の代まで過労死するほど大変なものであった。

ちなみに各地の気候状況は以下のとおりであった。

ボストン(寒)

サンアントニオ(暖)

ソルトレークシティ(寒)

サンタモニカ(暖)

ユージーン(涼)

昨年の同時多発テロの影響を色濃く残している各地の空港ではさらに厳しいセキュリティチェックが実施されていた。特にテロリストの殿堂とよばれ、多くのテロリストを輩出したボストンローガン空港ではあらゆるテクノロジーを駆使した所持品検査を行なっていた。ボディチェック時の握力は通常の10%増しで、しかも靴は脱がされ金属探知機をあてられしかも不自然な角度にねじまげられて入念にチェックがなされていた。また、国境に近い燃える闘魂サンアントニオの空港では迷彩服に身を包んだタイガージェットシンをほうふつとさせる兵士達がサーベルの代わりにカラシニコフ風の機関銃を携えて睨みをきかせていた。

ちなみに今回渡り歩いた空港は以下のとおりであった。

サンフランシスコ国際空港

ボストンローガン国際空港

シカゴオヘア空港

サンアントニオ国際空港

デンバー国際空港

ロスアンジェルス国際空港

ポートランド国際空港

ユージーン空港

まばたきをするほどの暇も無いほど過密なスケジュールの合間を縫って挙行されたFTBは以下のとおりである。

2002年1月12日(土)

メジャーリーグ30球団をすべて制覇しているFTBにはもう一箇所どうしても訪れなければならない聖地が残されていた。それは野球発祥の地と言われNational Baseball Hall of Fame、いわゆる殿堂があるクーパーズタウンである。クーパーズタウンはニューヨーク州の中間に位置し、ボストンから車で4時間くらいかかる非常に交通のアクセスの悪い田舎町である。Hall of Fame($9.5)はいわゆる殿堂(殿堂入りした野球関係者の銅のレリーフが飾ってある場所)と博物館の2箇所から構成されている。殿堂のホールにはベーブ・ルースをはじめ、業界では伝説になっている野球人のレリーフが所狭しとかざられており、そのなかでもVIP扱いであると思われるベーブ・ルースとテッド・ウイリアムスは等身大の人形まで展示されていた。

博物館の方では、MLBをはじめ野球の歴史の資料が展示されており、多くの親子連れで賑わっていた。父親は子供に代々引き継がれた名選手の話を聞かせながら伝統を維持しているようであった。日本人関係の展示品は昨年イチローと長谷川により初めて実現された日本人同士の対決の時に使用されたボールが長谷川のサイン入りで展示されていた。また、野茂のノーヒットノーランのサインボール、古いものでは連続試合出場で実績を残した衣笠のユニフォーム、世界で初めて1000盗塁を達成した福本のスパイク、世界の王のファーストミット等がさる然と輝いていた。

1月13日(日)

朝から降っていた雨がいつの間にか雪に変わり、道路では除雪用のシャベルを前面にくくりつけた4WD車が雪を路肩に飛ばしながらあちこちで活躍していた。ボストン近郊にアダムス大統領とJFKの生家があり、今ではNational Historic Siteとして管理運営しているらしいので見に行ってみることにした。しかし、残念ながら、両家とも冬季は休業中という看板が出ており、Bostonの冬の寒さを思い知らされた気がした。

次回はFTB炎の離島シリーズ第?弾石垣島よりお送りする予定です。

新春特別企画FTBEU「おしえておじいさん!スイスアルプスツアー」

♪くちぶえはなっぜぇ~ とぉくま~できこえ~るのォ??

中略

おしぃえて~おじぃ~さん おしぃえて~おじぃ~さん♪♪

後略

ということでオードリーをこお~どり~させてから早くも一年の月日が流れ去ってしまっていたが、その間、一日とてヨーロッパツアーのことを忘れることはなかった今日この頃である。

2002年1月2日(水)

無事に新年を迎えた新東京国際空港は思いのほか空いていた。しかし出発ターミナルで多くの報道関係者を従えながら旅支度をしている可憐な少女が私の目に飛び込んできた。まだアルプスには到着していないのにもうアルプスの少女を発見したのかと思ったが、その子は、頬は赤くない代わりに髪の毛を金髪に染めた紛れもない日本人であった。そう、彼女はソルトレークオリンピックに出場するモーグルの上村愛子であった。そういえば昨日晩飯を食ったばかりなのに私のお腹はも~グルグル鳴り始めていた。

NH207便で12時間弱を空の上で過ごした後、とうとう飛行機のドアがウィ~~ンンと開いた。その音を聞いてまだここはスイスではなくウィーン国際空港であると気づかされた。ターミナルで入国のスタンプをもらった後、いきなりウィーンフィルハーモニー交響楽団の演奏で迎えられるのかと思っていたが、待っていたのは赤い制服を着た空港の係員だけであった。

約2時間後にオーストリア航空に乗り換えると1時間半程度でジュネーブ国際空港に到着した。空港からジュネーブ駅へは国鉄でわずか5分程度であったが、今日は到着した時間が夜だったのでJCBトラベルで予約しておいた★★★★ホテルのドゥ・ベルンに引き払い英気を養うことにした。

1月3日(木)

スイスの冬の夜明けは遅い!!朝8時過ぎてもあたりはなかなか明るくならない。しかも気温は氷点下を切っているのであろうか、道はカチンコチンに凍っていた。

今日はとりあえずジュネーブ近郊の探索からはじめることにした。ジュネーブは世界有数の国際都市であり、多くの国際機関の本部を抱えている都会である。とりあえず、アフガン紛争に早く終止符を打ってもらうべく国連ヨーロッパ本部に立ち寄ったが、朝10時からしか開門しないということだったので内部への侵入を断念してその近辺を散策することにした。するとWHO(世界保健機構)の本部と国際赤十字の本部があったので今回は国際赤十字博物館(SF10.-)を見物することにした。今まで赤十字とは何か事が起こると募金と称して金をボったくるとんでもない地下組織かと思っていたが、ここへ来てはじめてその活動の重要性を垣間見ることが出来た。博物館に展示されているものはクリミア戦争で元祖白衣の天使として活躍したフローレンス・ナイチンゲールのパネルや国際紛争や災害時に国境を越えて献身的に活動している赤十字の組員の映像や資料であった。

ユニセフ大使として黒柳徹子の10倍くらいの実力を持ち、その晩年の人生をボランティア活動に捧げたオードリーがジュネーブ近郊のトロシュナ村でグッスリ眠っているという情報を入手したのでお礼参りに行くことにした。ジュネーブから国鉄で2駅目のモルジュで下車し、「Audrey Hepburn」という道しるべを頼りにこお~どり~しながら30分程歩くとオードリーを奉っているパビリオンに到着した。しかし残念なことにそのパビリオンは12月20日~1月6日まで休館ということでオードリーが主演した「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」日産自動車も後援した「マイフェアレディ」等の貴重な資料を見ることが出来なかった。

後ろ髪を引かれる思いでトロシュナ村に別れを告げ、さらに一駅東のローザンヌで下車した。世界有数の学術都市であるローザンヌでまず訪れたのはローザンヌの顔とも言うべきノートルダム大聖堂である。スイスで最も美しい教会といわれるこの大聖堂は町の高台にそびえ232段の階段を登って到達する鐘楼からは古い町並みとアルプスやレマン湖を一望することが出来る。

IOC(国際オリンピック委員会)は1917年にローザンヌに設置されており、ローザンヌはオリンピックキャピタルを名乗っている。オリンピック博物館(SF15.‐)がレマン湖岸のプロムナードにオープンしていたので将来のオリンピック選手を目指している私にとってはうってつけのファシリティだと思い、見物することにした。

マサよ、君はシドニーオリンピックで金メダルを取った高橋尚子のアシックスのシューズがどこに展示

されているか知っているか!!??

オリンピック博物館に展示されているオリンピックの歴史の数々ももちろんすばらしいのだが、やはり最大の見所は実際に使用された選手のユニフォームや道具であろう。ここには高橋選手のシューズだけでなくスピードスケートの清水宏保が金メダルを獲得したときのSサイズのユニフォームも展示されていた。

1月4日(金)

朝5時16分の列車に乗り、スイスの首都ベルン、アルプスの城下町インターラケンを抜け、アルプスの代表的な登山電車であるユングフラウ鉄道の乗り場に3時間ほどかけてはるばるやって来た。スイス人は勤勉で手先が器用なため、時計のような精密機械を作るのが得意である。時計を動かす歯車テクノロジーを応用し、線路の中央に張られたギザギザの歯の上を歯車を通すことにより、最大勾配25%という坂道を登りきることが出来るこの鉄道が完成したのは1912年のことであったそうだ。

頂上に到着するまでに電車を何本か乗り継ぐ必要があり、途中駅も数多くあるのだが、代表的な駅は明峰アイガーの北壁を見上げるクライネ・シャイデック(2061m)である。ちなみにアイガーに女の子と一緒に行くとあいが~生まれるとは地元のおじいさんでさえ知らないであろうと思われた。

その後、電車はアイガークレッチャ-駅を通過するとそこからアイガー北壁をぶち抜いて作られたトンネルに入り、アイガー(3970m)とメンヒ(4099m)の胎内をひたすら登ることになる。そしていよいよトップ・オブ・ヨーロッパと言われ鉄道駅としてはヨーロッパ最高地点のユングフラウヨッホ(3454m)に到着した。ここには氷の宮殿やユングフラウ(4158m)を見上げることが出来る展望台が数箇所設置されているが、中でもスフィンクス・テラス(3573m)といわれる全面ガラス張りのファシリティがある展望台はにわか高山病患者の宝庫としてたくさんの息苦しい人を遠ざかる意識の中で観察することが出来る場所である。

1月5日(土)

ジュネーブ駅の近くのバス乗り場にKey Tourというローカルツアーが細々と営業しており、ヨーロッパで一番高い山であるモンブラン(4807m)まで連れていってくれるということなので早速参加することにした(SF88.-)。モンブランを見上げる城下町であるシャモニ・モンブランへはジュネーブからフランスとの国境を越えてわずか1時間半ほどで到着することが出来た。

シャモニ・モンブランで必ず訪れなければならない場所はアルプス有数の展望台であるエギ-ユ・デュ・ミディ(3842m)である。ここへは2本のロープウエイ(EURO33.-)を乗り継いで到達するのだが、展望台からはモンブラン山群の大パノラマを目の当たりにすることが出来る。展望台には軽食が食える売店が出店していたので、当たりが出れば小銭がもらえるチョコレートとナッツでコーティングされたアイスクリームバーを購入しようと思っていたが、明治乳業もここまで這い上がってくる根性はなかったと見受けられ、アイスクリームは地元のネッスルのものしか置いていなかった。

氷点下の気温にもかかわらず、風も無い晴天のため肌寒さを感じなかったエギ-ユ・デュ・ミディからふもとにおりてシャモニ・モンブランの町並みを見物することにした。

「何もかも洗練されている・・・何もかも・・・・」というのが多くの人が感じるこの町に対する印象であろう。ここは四方をアルプス山群に囲まれた風光明媚な町であり、高い山から命がけでパラグライディングをしている冒険野郎を何人も見ることが出来るのだ。

また、この町はモンブランへの登山基地として発展した歴史を持っているため、山岳博物館(EURO4.-)には登山に関する多くの資料が展示されていた。

1月6日(日)

今日の午後ジュネーブを後にしなければならないため、見そびれていた博物館等を見物することにした。ジュネーブには無料で見物出来るファシリティが数多くあり、今回は時計博物館、自然史博物館、美術史博物館に侵入した。中でも最も目を引いたのは時計王国スイスを代表する豪華な時計の数々を目にすることが出来る時計博物館であった。バッティングの調子が狂ったときのイチローも微調整のために訪れると噂されているこの博物館にはおびただしいほどの振子がリズムを刻んでいた。

「怪奇!動く便座!! in ドイツ」

ジュネーブよりルフトハンザ航空でフランクフルトに入り、ルフトハンザのラウンジでくつろいでいた時のことであるが、トイレの個室で用を足し終わった後に驚くべき光景を目にしてしまった!非接触レーザー方式で水を流した後に便座が変形しながらいきなり回転をはじめたのだ!!柔軟性のある便座の挙動を細かく監視しているとそれは自動便座クリーニング装置により、清潔でおしりに優しいトイレ環境を構築するTOTOも模倣すべきテクノロジーが応用されていることが確認され、非常にうんちくを含んだ技術だと感心した次第である。

○特スイス情報

*ジュネーブでは13チャンネルでNHKが放映されており、「おはよう日本」はライブで見ることが出来る

*スイスの国鉄はスイスウォッチのように正確なダイヤで運営されているので「ダイヤをくれる(遅れる)」ことはない

*とあるレストランでシェフのおすすめのステーキを発注するとステーキの上にブルーチーズがとろけていてくどい味だったが、酪農王国の実力を思い知らされ感心した

FTBサマリー

総飛行機代  ¥133,660

総宿泊費   ¥30,000

総国鉄代   SF153

総私鉄代   SF162

総観光バス代 SF88

総ロープウエイ代 EURO33

今回歴訪した国:オーストリア、スイス、フランス、ドイツ

次回FTBは明日より、米国出張アメリカ大陸大横断の旅が始まるので何か話の種が出るであろうと予想されます。

アグネス・チャン杯争奪香港飲茶ツアー

おっかのうえ、ひぃなげぇしぃのはぁなでぇ~~♪♪

というわけでAAのマイレージが余っていたのでマサであれば6~7万くらいかかるところを私はただで香港まで行って来た。

マサよ、君は日本国内で日帰り海外旅行をしなければならない憂き目に遭いそうになったことがあるか?

私は・・・・・ある!!

2001年12月22日(土)

クリスマスシーズンの成田空港第2ターミナルは連休を海外で過ごそうとしているおびただしい数の観光客でごった返していた。午前10時30分発JL733便に搭乗すべく私も9時ごろに空港に到着したのだが、チェックインカウンターには黒山の人だかりが出来ており、カウンター最前列に着いた時間は10時直前になってしまっていた。JALのカウンターのおね~ちゃんは「この時間では今からチェックイン出来るかどうかわからないので確認しなければならない」と捨て台詞を残して私の前から姿を消していった。数分後別のカウンターに案内され、そのカウンターのおね~ちゃんは「今から急いでゲートまで行って、10時25分までに搭乗出来なければ乗り遅れます!!」と言いやがった。手荷物検査場は数百メートルの長蛇の列が出来ており、前に並んでいた人と交渉をして首尾よく横入りし、出国を切り抜け、何とか時間内に搭乗することが出来たのであった。しかし、機内ではあと20名ほどの搭乗客を待たなければならないので出発の時間が遅れるというアナウンスがなされていた。結局最後の2名が脱落し、1時間遅れの出発となってしまった。

香港国際空港に着いたのは午後3時を過ぎた頃であった。ビルの谷間を縫うようにして着陸する啓特空港から業務を引き継いだ香港国際空港は世界有数のインテリジェントな空港として君臨していた。空港から列車に乗ると30分程度で九龍駅に到着し、そこから地下鉄に乗り換え、Tsim Sha Tsui駅に到着したころには夕闇が迫っていた。香港でもっとも香港らしいと言えるTsim Sha Tsuiはケバケバしいほどの看板と人だかりで容易に前進することが出来ないほどであった。

しばし、Tsim Sha Tsui地区をさまよい、頭の中に繁華街の地図を形成した後、今回の宿泊地である日航酒店(ニッコーホテル)に到着した。私の日頃の行いが良かったせいかJCBトラベルが手配したHK$988のスペシャルプライスにもかかわらずハーバービューの部屋を用意して待っていやがった。チェックインを済ますと早速夕飯を食いに夜の街に繰り出すことにした。繁華街のとある中華料理屋に飛び込みで入るとそこには当用漢字リストでは決して見ることは出来ないような漢字で書かれたメニューがテーブルに据え付けられていた。何が書いてあるのかわからないので英語の出来そうなマスタ-にとりあえず、ビールとワンタンスープと適当なおすすめのお惣菜を発注した。Eachワンタンに付きエビが1個梱包されているワンタンスープは絶品であった!!適当に頼んだ羊の肉を小鍋にぶち込んで野菜と一緒に煮込んだ料理もそれなりにおいしかったので非常にコストパフォーマンスの高いディナーを楽しむことが出来たのであった。

12月23日(日)

朝から有名そうな中華料理屋でワンタンスープとピータンとチキンが入った粥を食った後、腹ごなしに九龍公園に立ち寄った。ここで繰り広げられていた光景はおのおのラジカセを持参した老若男女が手足をクネクネさせながら太極拳にふけり健康を維持しているところだった。

大英帝国のテクノロジーを引き継いだ2階建てバスに乗らないと香港に来た意味がないと言われていたので実車することにした。おびただしい数のバスルートからとりあえず一番運賃の安そうなやつを捕まえて2階の一番前の席に乗車して窓ガラスに頭をぶち当てながらも景色を楽しむことに成功した。

スターフェリーでビクトリア湾を横断し、香港島に侵入するといきなりフィリピンに来たような感覚を覚えさせられた。聞くところによると金持ちの家でメイドをやっているフィリピン人の女性が週末の休日を利用してピクニックを行なっているということであった。

スターフェリー乗り場から摩天楼を抜け、ピークトラムの乗り場に着いた。ここはケーブルカーの発着場所であり、終点のビクトリアピークから百万ドルの夜景を目にすることが出来るということで香港に来た観光客は必ず訪れる場所である。1888年に創業を開始し、120年以上の歴史を誇るピークトラムは最大傾斜角27度の坂を登りきることが出来るハイテクマシンである。

頂上のビクトリアピークに午後3時くらいに到着し、周辺のエリアを徘徊しつつ昼間の景色を堪能しながら夜更けを待つことにした。5時20分を過ぎた時間帯からあたりは暗くなり始め、徐々にビルの明かりが灯り始めた。6時を過ぎるとそこには世界三大夜景に数えられる幻想的な景色が出現していた。しかしながら、百万ドルの夜景と形容されるこの景色も休日でオフィスビルの明かりが不足していたため30万ドル程度の迫力しかなかったのが非常に残念であった。ところでマサよ、ここでいう百万ドルとはUS$(= ¥129)のことかHK$(=¥17)のことか君は知っているか??

ビクトリアピークのビルの中にはたくさんのアトラクションや土産物屋、レストラン等が出展している。その中でも最も目を引くのがデーモン小暮率いる聖飢魔IIも推薦する蝋人形の館であろう。マサよ!「おまえも蝋人形にしてやる!♪♪」

12月24日(月)

香港国際空港のJALの出発ゲートの近くにマッサージ屋が出展していた。昨日ニッコーホテルで足つぼマッサージを受けようとしたが予約でいっぱいだったため、断念していたので代わりに今受けることにした。この足つぼマッサージは昨今アジア各国で流行っており、わざわざ高い金を払って悶絶する苦しみを味わうことが出来る大変お得なマッサージである。

次回は「おしえておじいさん!!スイスアルプスツアー♪」をおおくりする予定です。