GW特別企画FTBアメリカ合衆国総決算ツアー(苦節5年)

1998年8月、大蔵省から特命を受けて送り込まれていたマサをサンフランシスコレジデンスクラブで拉致して、FTBを立ち上げてから早くも5年近くの歳月が流れてしまった。当時の裏の仕事であったアプライドマテリアルズジャパンから貸し与えられていたAvisレンタカーを馬車馬のように乗りこなし、史上最大アメリカ横断ウルトラFTBの達成はならなかったものの、西海岸の縦断は達成することが出来たこともはるか昔の出来事のように思える今日この頃である。その後何度か裏の仕事も変わりながらも私の本業であるFTBの実績は着々と積みあがっていき、今回とうとうこの時を迎えたのであった。

2002年4月27日(土)

ゴールデンウイークの初日であるにもかかわらず、成田空港第二ターミナルは予想外の人出の少なさだった。思いのほか短時間でチェックイン、出国を済ませるとANA008便で一路サンフランシスコを目指した。離陸後ほどなくするとANAマイレージクラブプラチナ会員から最高級のダイヤモンド会員へと成り上がっている私のところにパーサーが早速挨拶に来たので仕方なく相手をしてやった。

9時間ほどのフライトでサンフランシスコ国際空港へ到着したのだが、驚いたことにここでも入国審査とコネクションフライトはがら空きであった。飛行機を乗り継いでソルトレークシティ空港に3時半頃到着し、早速レンタカーをピックアップすると、I‐15をアイダホ州目指して北上した。1時間程度のドライブでFTB史上49州目のアイダホ州に突入したのだが、さすがにポテトの城下町だけあって、あたり一面、地平線の彼方まで大農法で耕されている畑が続いていた。この日は到着した時間が遅いこともあって、Idaho FallsにあるMotel6に引き払ってとっとと休むことにした。

4月28日(日)

Idaho Fallsから100マイル程度北東に走るとWest Yellowstoneという町に到着した。ここはご存知イエローストーン国立公園のゲートシティであり、イエローストーンを目指す観光客のための1大拠点になっている。West Entranceで入場料($20.‐)を支払った後、FTBの念願であったイエローストーン国立公園への1歩を踏み出すことに成功した。

園内に入ってしばらく走っていると心なしか大阪ドームや藤井寺球場に入り込んだような錯覚に見舞われた。気を取り直してあたりを見渡すとそこには大小さまざまなバッファローが我が物顔で闊歩しており、梨田監督も選手起用に困ってしまうほどの強力なラインアップを誇っていた。しかもどれもメジャー級の面構えをしており、車道の上も堂々と群れをなして歩いていやがった。

右を見ても左を見てもバッファローで大阪近鉄の球団編成もどれをドラフトで指名すればよいのか簡単には結論が出ないのではないかと思われた。また、大型の鹿のエルクも”いてまえ”打線が爆発する前にとっとと草を食って退散せざるを得ない状況に追い込まれていた。

マサよ、君は ♪ある日(ある日)森の中(森の中)クマさんに(クマさんに)出会った(出会った)♪

ことがあるか?? 私は・・・出会ってしまった!!

というわけで、園内を北に向かってさらに突き進んでいるといきなり黒山の人だかりに遭遇してしまった。とりあえず、私も車から降りて何が起こっているのか確認することにした。するとそこには銃を携えたレンジャーの後ろでカメラを構えていた観光客の視線の先に巨大なグリズリ-の母子連れ3頭がたむろしている姿が目に飛び込んできた。グリズリ-母子は次第に観光客との距離を縮めていき、牛の死体を発見した川辺まで来るとその距離はわずか50mほどになっていた。グリズリ-の瞬発力はすばらしく50mをわずか3秒足らずで走るといわれており、本気で追いかけられるとカール・ルイスであっても逃げきれることは出来ないのだ。この距離でグリズリーと目があってしまうとクマさんこと篠原勝之であれば恐怖のあまり、髪の毛が一本残らず抜け落ちてしまうのではないかと思われた。

持参したCanon EOS 5 85mmレンズで何とかグリズリ-の近距離撮影に成功した後、さらに北上し、Mammoth Hot Springsという地域に到着した。近くにビジターセンターがあったので公園紹介のスライドと園内の動物の剥製を見物した。動物の中でも私の視線を釘付けにしたのはマウンテンライオン(通称ピュ-マ)であった。なぜならこの動物が大リーグボールを身に付けると星ピュ-マとしてバッファローズに立ち向かうのではないかと思われたからだ。。

Mommmoth Hot Springsはまるで賽の河原のような物悲しい雰囲気をたたえていた。ここには地底深くから吹き上げられた温泉に含まれる石灰分が蓄積され、幾重にも重なって巨大なデコレーション・ケーキ状の温泉階段が形成されている。これはテラスマウンテンと言われており、頂上からは温泉が止めどなく流れており、日本人観光客であれば思わず、♪ババンバ・バンバンバン、アビバノンノン♪と叫んでしまうほどの代物である。

今日の最後はノリス・ガイザー・ベイズンという熱水現象が3km四方に渡って広がっている地域を散策し、1時間待ちでEthinus Geyserから間欠泉が吹き上げるのを郷ひろみのナツメロ♪熱っチチ、熱チ♪を歌いながら締めることにした。

4月29日(月)

昨夜はイエローストーンの北口ゲートに隣接しているGardinerという町に滞在していたので今日は早朝より園内の散策に向かうことが出来た。イエローストーンは四国の半分ほどの大きさで園内はマンモス・カントリー、ルーズベルト・カントリー、キャニオン・カントリー、レイク・カントリー、ガイザー・カントリーという5つのカントリーに分かれている。その中でも最大の見所はガイザー・カントリーにあるアッパー・ガイザー・ベイスンという間欠泉が集中している場所である。

アッパー・ガイザー・ベイスンの観光の拠点はオールド・フェイスフルというビジターセンターである。その目の前にオールド・フェイスフル・ガイザーというイエローストーンのシンボルになっている間欠泉がある。この間欠泉は約65分おきに高さ40~60mの熱水を吹き上げ、1872年の開園当時からほとんど一定の噴出時間、間隔、高さを保っている。噴出予定時間がビジターセンターに掲示されているので観光客は噴出のチャンスを見逃すことなく観光に励むことが出来るのだ。

また、その周辺の遊歩道を歩くとたくさんの間欠泉や温泉を見ることが出来る。イエローストーンはかつてひとつの巨大な火山の一部であり、今でも公園の中には火口の後が残っている。地下のマグマはわずか4800mという浅いところまで迫っているため、1万にもおよぶ温泉、間欠泉、泥泉の宝庫となっており、箱根、草津、別府地獄めぐりが束になってかかってきても敵わないほど豊富な湯湧量を誇っているのだ。

イエローストーンにグランドキャニオンが出現しているという情報を入手したので早速見物に行って来た。キャニオン・カントリーの中心のビレッジから数マイルほど車を走らせるとイエローストーン川によって浸食された果てしなく続く黄色い絶壁を目の当たりにして一瞬言葉を失ってしまった。この峡谷は熱水の影響を受けて脆くなった流紋岩が、川の力で約15万年かけて削られたものだそうだ。上流には高さ94mのロウア-滝があり、GO!GO!と大量の水を流していた。

4月30日(火)

昨夜に引き続き、Gardinerから北口ゲート経由で園内に入った。2日前にグリズリーを発見したポイントは彼らのテリトリーらしく、今日も物々しい警備体制の中、観光客はベア-ウォッチングに精を出していた。バッファローの群れに数回行く手を遮られながら、今日もアッパー・ガイザー・ベイスンに戻って来た。昨日の晴天とはうって変わって今日はどんよりとした曇り空でオールド・フェイスフル・ガイザーを見下ろすことが出来るObservation Pointで間欠泉がファイヤー!するのを待っていると大粒の雨が降りだしたので撤収を余儀なくされてしまった。

2日半に渡るイエローストーンの調査を終え、ソルトレークシティへの帰路についたのはお昼前の時間帯だった。イエローストーンの観光シーズンが本格的に始まるのは5月の中旬からであるので今回の調査では公園内の全貌を解明するには至らなかった。やはりこの地方の冬は長く、未だに雪道に閉ざされて通行止めになっている道路がたくさんあるためだ。

デルタ航空のマイレージが余っていたので、マサであれば数100ドルかかるところを私はただでアンカレジまでの往復航空券を手にしていた。5時間あまりのフライトで2時間の時差を越えてアンカレッジ国際空港に到着したのは午後10時前であった。飛行機を降りて手荷物受取所横の航空会社のカウンターのそばでいきなりPolar Bearという看板もまぶしい巨大な白熊の剥製に出迎えられた。さすがに「パムでパムエアコン」のお膝元のしろくまくんの地にふさわしく空港を出ると涼しい突風が吹き荒れていた。

空港のハーツレンタカーでマーキュリー・クーガ-を受取った後、早速ホテル探しに向かった。適当な場所にHampton Innがあったので早速交渉することにしたのだが、あいにくオフシーズンプライスの$165のスイートしか空いてないということであったが、夜も遅かったのでここに泊まることにした。ホテルのロビーの正面に明らかにアンドレ・ザ・ジャイアントよりも背が高い、ブラウンベアの剥製が誇らしげにファイティングポーズをとりながら牙を剥き出していた。3階のホテルの部屋は一見スタンダード風かと思われたが、何とベッドのすぐ隣に室内用のジャグジーが据え付けられており、アメリカ有数の観光地アラスカの実力を見せつけられたような気がした。

5月1日(水)

今日からアメリカ合衆国最後の聖地、FTB史上50州目のアラスカの探索に本格的に乗り出すことになった。5月になったとはいえ、アラスカの地はまだ、冬から春になりかけの季節であり、北の方はいまだに厳寒の雪と氷に閉ざされているらしいので、まずはアンカレジからほど近い西南アラスカに位置するキーナイ半島を訪問することにした。

ミッドタウンよりスワードハイウエイを南に下ると道はいつのまにかアラスカ州道路1号線に変わっていた。クック入り江の海沿いを走っていると対岸には雪と氷河をたたえた山を背景にした険しい海岸線がどこまでも続いている。4時間ほど走るとホーマーという美しい港町に到着した。ホーマーはカチェマック湾に面した緑豊かな港町でアラスカの理想郷と言われるほど温暖な気候を誇っている。ホーマー・スピットという海に向かって伸びる8kmほどの砂州の地帯があり、そこはクルージングや釣のメッカになっているののだが、やはりシーズンオフのため人影はまばらであった。ホーマースピットの終点にはLANDSEND(地の果て)というホテル&レストランがリゾート地のいでたちで誇らしげに建っているのが印象的だった。

ホーマーから来た道を引き返し、途中で東に進路を変えて有名なキーナイ半島屈指の港町であるスワードに着いた時間は午後8時前になっていたので適当なモーテルをみつくろって宿をとることにした。ちなみに北緯60度を越えているアラスカは南部とはいえ、夜の11時ごろまで昼なのである。

5月2日(木)

マサよ、君はフィヨルドという地形を知っているか?? 小学校のよい子の社会科や高校の地理Bで学んだと思うが、フィヨルドは氷河によって削られた複雑に入り組んだノコギリ状の海岸線である。キーナイ・フィヨルド国立公園で本物のフィヨルドがライブで見れるということだったので早速スワードにあるビジターセンターで情報収集を行なった。この国立公園へのアクセスは通常現地のツアー会社が遂行しているクルーズに参加して、海側から氷河や海岸線の地形を見ることになっている。なるほど、ビジターセンターの近くにはおびただしい数のツアー会社が軒を連ねていた。ところが、実際に本格的なクルーズのシーズンは5月4日くらいから始まるとのことで今回は国立公園の内部に迫るクルーズへの参加を断念せざるを得なかった。

いろいろとツアー会社に問い合わせをして最大手のKENAI FJORDS TOURSがホエールウォッチングのツアー($69.‐、昼飯付)を実施しているという情報を入手したので早速参加することにした。船に乗り込むとみな同じジャンパーを着たユタ州の大学生と名乗る集団に取り囲まれてしまった。中にはハワイから留学しており、昔、常磐ハワイアンセンターでダンサーをやっていたという若者までいやがった。

船は港を出航すると湾の中を海岸線に沿って南に向かって進路を取った。海岸線は木の生えた急峻な崖になっており、時折、白いボディもまぶしいマウンテンゴートを発見する事が出来た。山岳地帯に住むこのヤギは外敵から身を守るためにガケの斜面で生活しており、マサに草を食うのも命ガケの状態で暮らしているのだ。

さらに船は進み、フィヨルドがどのように形成されるのか手にとるようにわかる氷河等を横目にとある小さな岩山付近を通過した。そこにはおびただしい数のアザラシが日光浴をしながらギャ-ギャ-わめいていやがった。

マサよ、君は野生のオルカを見たことがあるか? アラスカくんだりまで来てオルカをみないとオロカものになってしまうことを君は知っているか? というわけで、このクルーズのハイライトであるオルカの集団をついに目にする事が出来た!オルカは普通集団行動を取っているらしくこの日も数頭連れで北の海を悠然と泳いでいた。ときおり見せる尾ひれや白い腹部を見ると鴨川シーワールド等で芸人として使われているシャチとは一味違った野生の風格を実感することが出来るのだ。その他、今回のツアーではアシカやラッコ等の姿も目撃することが出来、アラスカの海の生態系の一端を垣間見た思いがした。

5月3日(金)

北米大陸最高峰のマッキンリー山(6,194m)がアラスカ中部にそびえているのでアンカレジから北へ382kmの道のりをはるばるデナリ国立公園までやって来た。ここはアラスカで最も人気のある景勝地でデナリとは地元の言葉で”偉大なもの”を意味すると言われており、マサに今回のFTBの実績にふさわしい目的地となった。

アラスカにはアンカレジとオーロラ観測で有名なフェアバンクスという代表的な都市があり、その間を大動脈といえる国道が通っている。デナリ国立公園はその中間ややフェアバンクスよりに位置しており、雄大なアラスカの大地に包まれながら、片側1車線対面通行の道路をV6エンジンの排気音も軽やかにマーキュリー・クーガ-を転がすことが出来た。道路は除雪されているもののあたりは一面銀世界であり、この地方の春の訪れの遅いことを実感させられる。ビジターセンターに到着したのはお昼前であったが、やはりシーズンオフということもあってすべての園内でのアクティビィティは稼動していない状況であった。

夏季の園内は非常に混雑すると言われており、動物達も短い夏を謳歌するために積極的に動きまわるそうであるが、今回は残念ながら、岩場に張り付いたヤギ2匹と足元にまとわりつくリスしか発見出来なかった。通常であればムース(ヘラジカ)をラチしてヘッドロックで一泡吹かせて整髪料として資生堂に高値で売りつけていたり、カリブー(トナカイ)をクリスマス用に捕獲していたところであったろう。

園内は山岳地帯であるものの、その中でもやはりマッキンリーの存在感は群を抜いていた。帰りはバックミラーに写るマッキンリーの姿を見ながら車を走らせていたのだが、アンカレジから67マイルの地点までその勇姿は消える事はなかった。天気の良い日にはアンカレジのダウンタウンからもその姿を見ることが出来るそうである。

5月4日(土)

アンカレジのダウンタウンにレゾリュ-ション・パークという公園がある。園内には1778年にこの地に錨をおろした英国人キャプテン・クックの銅像が彼の名を冠したクック入り江を眺めるようにして立っている。桜田淳子が♪ようこそここへクック・クック♪と歌う200年も前の出来事だったそうだ!

8時45分発のデルタ機でソルトレークシティに午後3時前に戻ってきた。早速車を飛ばして向かった先はアメリカンフォークのTimpanogos Cave National Monumentである。ここはAmerican Fork Canyon and the Alpine Loop Scenic Backway($3.-)という緑濃き山岳ドライブ道の中核観光地であり、山の頂上付近の鍾乳洞を見物することが出来る僻地である。

5月5日(日)

ANA007便にてサンフランシスコより帰国

北海道よりすごいアラスカ情報

*アラスカの物価は高い!日本の軽井沢を上回るアメリカ最強の避暑地であるアラスカのオンシーズンのホテル代は西川きよしほど目の飛び出るほど高いので貧乏人はオフシーズンに来なければならない。

*アラスカはアメリカ50州のなかでも治安がいい州である。それはあまりにも寒すぎて悪さをする気ににさえならないからだと思われる。

*アンカレジのダウンタウンは海と山脈に囲まれており、すぐ近くでサケの遡上とそれを追ってきたベル-ガ(白いイルカのような鯨)を見ることが出来るのだ。

FTBサマリー

*総飛行機代 ¥199,100

*総宿泊費  $585.65

*総レンタカー代  $554.02

*総ガソリン代  $127.66

*総走行距離  2,571マイル

*今回訪問した州 カリフォルニア、ユタ、アイダホ、モンタナ、ワイオミング、アラスカ

次回FTBは裏の仕事のついでにアイルランド王国の首都ダブリンから何らかの情報提供が行なわれる見込みです。

アメリカ横断ウルトラFTB番外編

「おしえておじいさん!スイスアルプスツアー」を終えてわずか中1日でアメリカドサ回り出張に駆り出されてしまった。これも仕事の出来る奴には仕事が回ってくるということであろうか?

ちなみに今回の出張はロブスターとのジャンケン対決のためにボストンへ、道行く人に無差別延髄ギリをくらわすために燃える闘魂サンアントニオへ、冬季オリンピックのトトカルチョのオッズを決めるためにソルトレークシティへ、統一教会に入る前の桜田淳子が「来て!来て!」と呼ぶサンタモニカへ、誰も友人のいないユージーンへといった具合に短期間で長距離を渡り歩かなければならない過酷なものであり、マサであれば孫の代まで過労死するほど大変なものであった。

ちなみに各地の気候状況は以下のとおりであった。

ボストン(寒)

サンアントニオ(暖)

ソルトレークシティ(寒)

サンタモニカ(暖)

ユージーン(涼)

昨年の同時多発テロの影響を色濃く残している各地の空港ではさらに厳しいセキュリティチェックが実施されていた。特にテロリストの殿堂とよばれ、多くのテロリストを輩出したボストンローガン空港ではあらゆるテクノロジーを駆使した所持品検査を行なっていた。ボディチェック時の握力は通常の10%増しで、しかも靴は脱がされ金属探知機をあてられしかも不自然な角度にねじまげられて入念にチェックがなされていた。また、国境に近い燃える闘魂サンアントニオの空港では迷彩服に身を包んだタイガージェットシンをほうふつとさせる兵士達がサーベルの代わりにカラシニコフ風の機関銃を携えて睨みをきかせていた。

ちなみに今回渡り歩いた空港は以下のとおりであった。

サンフランシスコ国際空港

ボストンローガン国際空港

シカゴオヘア空港

サンアントニオ国際空港

デンバー国際空港

ロスアンジェルス国際空港

ポートランド国際空港

ユージーン空港

まばたきをするほどの暇も無いほど過密なスケジュールの合間を縫って挙行されたFTBは以下のとおりである。

2002年1月12日(土)

メジャーリーグ30球団をすべて制覇しているFTBにはもう一箇所どうしても訪れなければならない聖地が残されていた。それは野球発祥の地と言われNational Baseball Hall of Fame、いわゆる殿堂があるクーパーズタウンである。クーパーズタウンはニューヨーク州の中間に位置し、ボストンから車で4時間くらいかかる非常に交通のアクセスの悪い田舎町である。Hall of Fame($9.5)はいわゆる殿堂(殿堂入りした野球関係者の銅のレリーフが飾ってある場所)と博物館の2箇所から構成されている。殿堂のホールにはベーブ・ルースをはじめ、業界では伝説になっている野球人のレリーフが所狭しとかざられており、そのなかでもVIP扱いであると思われるベーブ・ルースとテッド・ウイリアムスは等身大の人形まで展示されていた。

博物館の方では、MLBをはじめ野球の歴史の資料が展示されており、多くの親子連れで賑わっていた。父親は子供に代々引き継がれた名選手の話を聞かせながら伝統を維持しているようであった。日本人関係の展示品は昨年イチローと長谷川により初めて実現された日本人同士の対決の時に使用されたボールが長谷川のサイン入りで展示されていた。また、野茂のノーヒットノーランのサインボール、古いものでは連続試合出場で実績を残した衣笠のユニフォーム、世界で初めて1000盗塁を達成した福本のスパイク、世界の王のファーストミット等がさる然と輝いていた。

1月13日(日)

朝から降っていた雨がいつの間にか雪に変わり、道路では除雪用のシャベルを前面にくくりつけた4WD車が雪を路肩に飛ばしながらあちこちで活躍していた。ボストン近郊にアダムス大統領とJFKの生家があり、今ではNational Historic Siteとして管理運営しているらしいので見に行ってみることにした。しかし、残念ながら、両家とも冬季は休業中という看板が出ており、Bostonの冬の寒さを思い知らされた気がした。

次回はFTB炎の離島シリーズ第?弾石垣島よりお送りする予定です。

FTB強行軍

私の地元のアメリカで史上最大のテロが起こり、JTB、近ツリ等のメジャー旅行会社は米国行きのツアーをすべてキャンセルしてしまったそうであるが、最新のテクノロジーと情報収集力を誇るFTBは米国行きのフライトが再開された9月15日にツアーを強行することにした。これもひとえに私の努力の賜物だと言えるだろう。

2001年9月15日(土)

本日米国行きのフライトが再開されたとはいえ、厳戒態勢が敷かれた成田空港第二ターミナルは異様な静けさをたたえていた。警備員はここかしこに配置され、手荷物検査場は緊張感に溢れ係員のおね~ちゃんたちに至っては一人残らずケツの穴の奥の方まで検査してやるぜ!という気迫で業務に励んでいた。検査場を抜け、次の出国審査のところでは通常の2.8倍くらいの時間をかけて慎重に審査を行っていた。

ANA008便サンフランシスコ行きに乗り込み、アップグレード券を使ってビジネスクラスに陣取っていた私であったが、やはり回りに怪しい輩がいないか非常に気になったため、近くのスキンヘッドの大男の挙動が怪しくないことを確認した後、酒を飲んでぐっすり眠ってしまった。

サンフランシスコ国際空港は当然のごとく、成田以上に厳戒態勢が敷かれており、いかにもテロリスト面した無精ひげを生やしていたころのマサやヤスであれば入国を拒否されていただろうと思われた。また、税関を抜けて国内線に乗り換える際に荷物の再チェックがあり、そこで2時間も並ばされた上、結局乗り継ぎのフライトが4時間遅いものになってしまった。

結局デンバー国際空港に到着したのは夜の9時を過ぎた時間帯であったため、その日はコロラド州北部のMotel6に引き払って英気を養うことにした。

9月16日(日)

大阪近鉄バッファローズの球団編成から生きのいい野生のバッファローをラチして何とか日本シリーズまでに間に合わせて欲しいとの依頼を受けていたのだが、西武、ダイエーと熾烈な優勝争いをしている梨田監督には悪いと思ったが、その話はナシだ!と断ってしまっていた。

コロラド州を北上すると程なくしてワイオミング州に入ってしまった。アメリカ北中部のワイオミング、サウスダコタ、ノースダコタ等は野生のバッファローが生き残っている土地として有名である。ほんの数百年前まではアメリカ大陸の多くの土地はバッファローの王国として数百万頭のバッファローが走り回っていたそうだが、インディアンや白人に乱獲された結果、今ではその数は数百等にまで減っているそうだ。

Wind Caveナショナルパークという小さな国立公園がある。世界には様々な洞窟が存在するが、ここにある鍾乳洞は世界で6番目の長さを誇っているということであった。ここでのアクティビティはやはり有料洞窟ツアーである。ツアーは探検の時間や難易度で価格帯は別れているが、今日は一番ベーシックな$8のツアーに参加した。トムという若手のレンジャーに先導されて洞窟のツアーが始まったわけであるが、注意事項として洞窟の壁面には指一本たりとも触れるんじゃ~ね~ぞ!とトムから注意された。もし指などが触れ人間の油が壁についてしまうと太古の昔から続いている侵食のペースが変わってしまったり、岩が変色してしまったりするそうだ。

Wind Caveナショナルパークの見所は実は地中だけでなく、地上にも多くの見所がある。

マサよ、君はプレイリー・ドッグという生き物を知っているか?

プレイリー・ドッグはイタチ+モグラ+ネズミ÷3のような小動物であるが、彼らは大平原の地中にシカゴのマフィアと同様の地下組織を形成しており、地上と地下の2重生活を送っている。外敵が近づくとおびただしい大声で奇声を発するのが特長であるが、何となく憎めない奴らである。

世界最大のウシ科動物であり、キムタクのようなロン毛をなびかせているバッファローが30頭くらいの群れを形成しているのを私のキャノンEOS-5の85mmレンズが撮らえたはずである!?学名をアメリカバイソンというこの巨大なウシは900kgに達するものもいるが本気で走ればカール・ルイスよりも早いという話である。

マサよ、君はアメリカ最強の観光地はどこか知っているか??史上最大アメリカ横断ウルトラクイズでもしばしばチェックポイントとして放送された実績があるあの4人の偉大な大統領の顔を岩に刻みつけた場所はサウスダコタ州のマウントラシュモア($8.-)という場所であり、ここに来なければアメリカに来たことにはならないと言われている聖地である。

ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルトの顔面は高さ200mあまりの山の岩面に1927年~1941年にかけて当時の最先端のテクノロジーと彫刻師の技を駆使して掘り込まれたものである。ここのファシリティはマサに一大観光拠点としての様相を呈しており、大駐車場完備、ビデオが見られるビジターセンター、レストラン、ギフトショップなどを備えている。また、ビジターセンターの外には野外コンサートも出来そうな会場があり、その日は夜8時からニューヨークテロの犠牲者の冥福を祈ると共に、このおとしまえは必ずつけてやるぜ!といったような催し物がしめやかにとりおこなわれていた。ちなみに大統領の顔は夜8時半~9時半の1時間に渡りライトアップされ、サウスダコタの夜を彩っている。

9月17日(月)

今日は朝から濃い霧がI-90ハイウエイを覆っていた。Badlandsナショナルパーク($10.-)に到着したのは午前8時過ぎであったが、濃霧のため、まわりの景色はほとんど見えない状態であった。10時を過ぎた頃からやっと霧が晴れはじめ、原始時代を彷彿とさせるような光景が姿を現し始めた。ここの地形はユタやアリゾナのような赤土ではなく、多少岩肌の色が薄いものの、起伏は何たらキャニオンのように激しく、また大平原が果てしなく広がっている様子を見ることが出来る。ここの生態系は昨日訪問したWind Caveと同じくおびただしい数のプレイリー・ドッグと200頭あまりのバッファローを生息させている。

マサよ、君は「宇宙にいるのはわれわれだけではない!」ということを知っているか?スティーブン・スピルバーグの出世作となった「未知との遭遇」の舞台であるDevils Tower($8.-)がワイオミング州にそびえているので見物に行って来た。砂の嵐に隠されているのはバビル2世の居住地であるバビルの塔であるが、Devils Towerは遡ること6000万年前の火山活動によりマグマが地中で固まり、硬い柱状の花崗岩を形成し、まわりの土地が侵食された後に硬い地層のそこだけが残ってタワー上のオブジェを形成した代物である。高さ260mあまりのタワーに毎日何人ものロッククライマーが登っており、今日も何人かが壁面に張り付いている様子が観察された。柱状の岩肌のため、縦に巨大な線が入っているように見えるが、古いインディアンの伝説によればそれは巨大な熊がタワーに登ろうとして爪で引っ掻いた後だということである。

9月18日(火)

さらに北上し、はるばるノースダコタ州にやって来た。州の南にセオドア・ルーズベルトナショナルパークというマイナーな国立公園があったのでとりあえず見に行ってきた。政治家で、自然主義者で冒険家であった第26代大統領のセオドア・ルーズベルトを記念して制定されたこのナショナルパークはPainted Canyonと呼ばれる多種多様な色彩と自然動物の宝庫として保護されている。広大な敷地には野生のバッファローや鹿、うっとおしいほどの数のプレイリー・ドッグ等が生息している。

ノースダコタ州からI-94を西に走ると程なくしてFTB史上46州めのモンタナ州に入ってしまった。モンタナ州やダコタ系の北部の州は見渡す限りの大平原であり、地平線の彼方に夕日が沈んでいく様子を観察でき、だれでもノスタルジックな気分を堪能することが出来るのだ。

祝!FTB大リーグ30球団全球場見学達成記念

                          Takeo FUKUDA    Hideo NOMO    マサ(一般人のリファレンス)

*シアトル・マリナーズ

 ‐セーフィコフィールド                ○            ○                    ×

 ‐ザ・キングドーム(爆破解体済)         ○             ×                    ×

*オークランド・アスレチックス

 ‐ネットワークアソシエイツコロシアム       ○            ○                    ○

*アナハイム・エンジェルス

 ‐エディソンフィールド                ○            ○                     ○

*テキサス・レンジャーズ

 ‐ボールパークインアーリントン          ○            ○                     ×

*ミネソタ・ツインズ

 ‐ヒューバート・H・ハンフリーメトロドーム     ○           ○                      ×

*シカゴ・ホワイトソックス

 ‐コミスキーパーク                  ○           ○                      ×

*デトロイト・タイガース

 ‐コメリカパーク                    ○            ○                      ×

 ‐タイガースタジアム(老朽化)           ○            ×                     ×

*クリーブランド・インディアンス

 ‐ジェイコブスフィールド               ○            ○                     ×

*カンザスシティ・ロイヤルズ

 ‐カウフマンスタジアム                ○           ○                     ×

*トロント・ブルージェイズ

 ‐ザ・スカイドーム                    ○           ○                      ×

*ボストンレッドソックス

 ‐フェンウエイパーク                 ○           ○                       ×

*ニューヨーク・ヤンキ‐ス

 ‐ヤンキースタジアム                 ○          ○                       ×

*ボルチモア・オリオールズ

 ‐オリオールパークアットカムデンヤード      ○         ○                        ×

*タンパベイ・デビルレイズ

 ‐トロピカーナフィールド                ○         ○                         ×

*サンフランシスコ・ジャイアンツ

 ‐パシフィックベルボールパーク           ○         ×                         ×

 ‐スリーコムパーク(老朽化)            ○         ○                          ○

*ロサンジェルス・ドジャース

 ‐ドジャースタジアム                 ○         ○                          ×

*サンディエゴ・パドレス

 ‐クアルコムスタジアム               ○         ○                           ×

*アリゾナ・ダイアモンドバックス

 ‐バンクワンボールパーク             ○         ○                             ×

*コロラド・ロッキーズ

 ‐クアーズフィールド                 ○         ○                            ×

 ‐マイルハイスタジアム(アメフト専用化)    ×          ○                            ×

*シンシナチ・レッズ

 ‐シナジーフィールド                ○          ○                            ×

*シカゴ・カブス

 ‐リグレーフィールド                ○          ○                             ×

*ピッツバーグ・パイレーツ

 ‐PNCパーク                    ○          ×                             ×

 ‐スリーリバーズスタジアム(解体済)      ○           ○                             ×

*セントルイス・カージナルス

 ‐ブッシュスタジアム                ○           ○                             ×

*ヒューストン・アストロズ

 ‐エンロンフィールド                 ○           ○                             ×

 ‐ジ・アストロドーム(老朽化)           ○            ○                            ×

*ミルウォーキー・ブリュワーズ

 ‐ミラーパーク                   ○             ×                             ×

 ‐カウンティスタジアム(解体)          ○             ○                            ×

*モントリオール・エキスポズ

 ‐オリンピックスタジアム             ○            ○                            ×

*ニューヨーク・メッツ

 ‐シェイスタジアム                 ○             ○                            ×

*フィラデルフィア・フィリーズ

 ‐ベテランズスタジアム              ○             ○                            ×

*アトランタ・ブレーブス

 ‐ターナーフィールド               ○             ○                            ×

 ‐フルトンカウンティスタジアム(解体済)   ×              ○                             ×

*フロリダ・マーリンズ

 ‐プロプレイヤースタジアム           ○              ○                            ×

9月19日(水)

I-25を一気に南下して1年ぶりにデンバーのダウンタウンに戻ってきた。ここでふとアメリカの国歌を聴きたいという衝動に駆られたため、クアーズフィールドに立ち寄った。テロの影響で一時中断されていた大リーグは今週月曜日から復活し、選手はユニフォームに星条旗を縫い付けてグラウンドに登場していた。試合前のセレモニーでは黙祷の後、選手と関係者全員がベンチ前に整列し、神妙な顔つきで国歌を斉唱し、アメリカの復活を誓っていた。

ミネアポリス行きの飛行機に乗るために試合終了を待たずにクアーズフィールドを後にし、デンバー空港へ到着した。ところが不幸にも夜8時50分のフライトはキャンセルされてしまったとの冷たい通告をチェックインカウンターで受けてしまった。マサであればここぞとばかりに大クレームの場外乱闘に持ち込みデンバーでの無料宿泊券等をせしめていたであろうが、心の優しい私は、ハイジャックで痛手を被っているU.A.をこれ以上いじめるのはかわいそうだと思ったので甘んじてスケジュール変更を受けることにした。

9月20日(木)

FTB史上47州めのミネソタ州に到着したのは午前11時前だった。ミネアポリス・セントポール国際空港は両市のダウンタウンからほど近く交通の便のいいところに立地されていた。ミネソタ・ツインズの本拠地はヒュ‐バート・H・ハンフリー メトロドームというドーム球場である。この球場の建築様式は後に東京ドームを建築した竹中工務店にも引き継がれたエアードームである。しかし、ここは東京ドームほど内部と外部の気圧差は感じさせず、回転ドアで出入りしても突風が吹いてくるようなことはなかった。ところで球場の入り口でニューヨークのテロに対する寄付金を募っており、寄付をした人にはもれなく星条旗がもらえるので大金$1をはたいてミニチュアの国旗を入手して入場した。また、財務省のマサの名前でも$10,000寄付しておいたのでボーナス時にかならず利息付で私に返済するように・・・(領収書なし)

今日は平日のデーゲームで試合も早く終わったので市街地の観光をすることにした。ミネアポリスとセントポールはそれぞれミシシッピ川をはさんだ対岸に位置しており、双子の都市として有名である。純粋なビジネス街であるミネアポリスのダウンタウンに対し、セントポールはその名前からもわかる通り、カトリック系のファシリティが数多く存在している。また、ここはミネソタ州の州都でもあり、州議事堂を中心とした街づくりがされている。

9月21日(金)

ミネアポリス・セントポール空港からシカゴ経由でダラス・フォートワース空港に2時過ぎに到着した。早速フォートワースのダウンタウンを抜け3年ぶりにストックヤードに戻って来た。ストックヤードはヒストリックなテキサスカウボーイの風情を残した観光地であり、家畜の取引所やロデオスタジアムや土産物屋のモール、カウボーイの殿堂等多くの見所がある。テキサスロングホーンというおびただしく長い角を持った地元の牛がこの地ではたくさん飼育されており、たまたまカウボーイやカウガールによる牛追いの現場を目撃することが出来た。「おら、おら、しっかり歩かんかい!もたもたしてるとその場でビーフジャーキーにしちまうぞ!!」というような罵声を発し鞭をなびかせながらテキサスロングホーンを誘導している様はマサに圧巻であった。

ストックヤードの目抜き通りにトラディショナルなステーキハウスがあったので味見をしてみることにした。$21のサーロインステーキを発注し、こころなしか裏手の方で「モ~~~、助けてくれ!!」という悲鳴を聞いたような錯覚にとらわれた数分後、おばちゃんが笑顔でステーキを持ってきた。重さ12オンスのステーキは厚さ1インチ(2.5cm)にカットされており、非常に食べ応えがあった。

テキサス・レンジャーズの本拠地はダラスとフォートワースの中間に位置したアーリントンという都市にあるボールパークインアーリントンという球場である。シアトル・マリナーズに大差をつけられ早くも優勝戦線から脱落しているにもかかわらず、今日も37,000人以上の客が入っていた。アレックス・ロドリゲスというMLBで一番の高給取りのスーパースターの47号本塁打等でレンジャーズがエンジェルスを下し、場内は興奮のルツボと化していた。試合後、球場で大花火大会があり、センターバックスクリーン上から打ち上げられる花火を見ながら、どこからともなく「U!S!A!」という大コールが沸き起こっていた。

9月22日(土)

I-45を南下して3年ぶりにヒューストンに帰ってきたと思ったらそのまま突き抜けてギャルベストンまで来てしまった。テキサス州南のリゾート地であり、メキシコ湾に面しているギャルベストンの海は相変わらずウーロン茶色をしていたのが印象的であった。

ヒューストン・アストロズの本拠地は1965年に建立された最古の屋根付き球場であるジ・アストロドームであった。しかし、老朽化と時代遅れのため、ア軍は新球場であるエンロン・フィールドを2000年にオープンさせていた。ここの球場の特長は開閉式屋根付き蒸気機関車付き天然芝のスタジアムであるということであるが、ア軍の選手がホームランを打ったりすると球場の左中間に備え付けの機関車が汽笛を上げて疾走する仕掛けになっている。

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というわけで今回の強行軍により、FTBはMLBの30球団のすべての球場を制覇することに成功したことに相成りました(冒頭の表を参照)。これは民間人ではHideo Nomoに次ぐ快挙と予想されるので間違いなくマサより賞金100万円と金一封が授与されることになります。

FTBサマリー

総飛行機代:¥208,440(内\110,000分はANAご利用券使用+アップグレード、マサであれば¥60万くらいかかるであろう)

総宿泊費:$370.89

総ガソリン代 : $127.54

総レンタカー代:$572.27

総走行距離:2,861マイル

総轢き殺しそうになった鹿の総数:1頭

今後のFTB活動予定

*地球環境問題をカンガルーと一緒にカンガエルー、オーストラリアツアー

FTB第3次MLBツアー

日本で有数のメジャーリーグベースボールの評論家として名高い私の元にベースボールマガジン社やプロ野球ニュースから毎日のようにヘッドハンティングの電話がかかってきているのは皆様もご存知の事だと思います。このような状況を鑑みて、この度GWの連休を利用してFTB主催のMLBツアーを敢行することにいたしました。尚、類似のツアーがJTBほか大手旅行代理店から発売されておりますが、FTBのツアーとは一切無関係です。

2001年4月28日(土)

GWの初日ということで成田空港第二ターミナルは大変な賑わいを見せていた。何とかチェックイン、出国を済ませた後、ANA012便、B777機に乗り込み、イチロ、シカゴを目指した。気が付けばシカゴオヘア空港に登場するのは今年早くも4回目を数えるベテランになってしまっていた。

早朝の8時半頃シカゴに到着し、早速空港でレンタカーを借りてハイウエイを北上し、ウィンスコンシン州のミルウォーキーに向かった。1年半ぶりに訪れたミルウォーキーで窓を全開にして運転しているとどこからともなくホップの香りが漂ってくる。そう、ここはアメリカの3大ビールメーカーの1つであるミラーの城下町である。

マサよ、君は1日に3人の日本人大リーガーを見たことがあるか?

ということで第3次MLBツアーの第一弾はここミルウォーキーから始まった。ミルウォーキー・ブリュワーズの本拠地は昨年まで歴史と伝統のあるカウンティスタジアムであったが、老朽化のため、今年から、天然芝、開閉式ドーム球場であるミラーパークをオープンさせた。一昨年あの野茂も在籍していたミルウォーキーはモントリオール・エキスポズを迎え1時5分にプレーボールとなった。試合はミルウォーキーの3番ジェフ・ジェンキンズの3打席連続ホームランなどで大量リードを奪い4万あまりの観客を興奮のルツボに陥れていた。敗色濃厚のモントリオールは7回から吉井を投入した。吉井は味方のまずい守備で招いた1死満塁のピンチで4打席目のジェンキンズを迎え、この時球場はこの日一番の盛り上がりを見せていた。しかし、吉井も浪速のど根性で投げた渾身のフォークボールでジェンキンズを三振に打ち取り、続く4番のリッチ-・セクソンも凡打に打ち取り何とかピンチを0点で切り抜けることが出来た。

吉井の活躍を確認して、ミラーパークを後にし、イチロ、シカゴへの帰路を急いだ。シカゴ・ホワイトソックス対シアトル・マリナーズの第2戦は午後6時5分からコミスキーパークでプレーボールの予定なので急がなければならなかった。

シカゴホワイトソックスの本拠地コミスキーパークに到着したのは試合開始前30分くらいだった。早速ボールパークパーキングに車を止めてチケットカウンターへ向かった。前売り券を買ってなかったのでコミスキーパークのチケット売り場のおね~ちゃんに混ミスギ~!と言われて入場を拒否されたらシカゴくんだりまで来た意味が無くなってしまうと心配していたが、何とかライト側のボックスシートを入手することが出来た。

球場内のライトスタンド近辺はジャパンタウンと化し、シカゴ中のすべての日本人がイチローの登場を今か今かと待ち構えていた。振り子打法を卒業し、大リーグ仕様の打法に切り替えたイチローの登場で幕を開けた試合であったが、開始直後、ミズノプロ、イチローモデルの黒バットが一閃すると打球は鋭くセンター前に抜けていき場内は歓声とブーイングの嵐に包まれていた。

マサよ、君はシアトル・マリナーズの勝利の方程式を生で見たことがあるか?

私は・・・・・見た!!!

というわけでその日のイチローは芸術的なバットコントロールで6打数3安打の好成績を残し、守ってはグラブ作りの天才、坪田名人特製のグラブを華麗にさばき、またレーザービームアームと称されるその強肩を存分に披露し、シカゴ市民の度肝を抜いていた。試合は8対5でシアトルが3点リードした9回裏大魔神がシカゴの攻撃を3人で退け、今期早くも13セーブ目をあげたのであった。

4月29日(日)

この日、日曜日はデーゲームであった。昨日のナイターの熱戦にもかかわらずイチローはマリナーズ選手の中で一番早くグランドに姿を現し、入念にウォーミングアップを行っていた。試合は結局延長14回を戦い、シアトルはサヨナラ負けを喫してしまった。今日のイチローは6打数1安打2三振と当たってなかったものの盗塁を1つ決め、相手バッテリーを恐怖のどん底に突き落としていた。

結局まる2試合イチローの一挙手一投足を観察することが出来たわけであるが、まず感じたことは、イチローはすでにメジャーで10年くらい飯を食っているような雰囲気と実力を兼ね備え、味方からは尊敬され、相手からは恐れられている存在であるということだ。しかし、今後数多くの刺客がイチローを倒そうと牙を研いでいるのでまだまだ予断を許さない状況であることは確かである。

4月30日(月)

4月も今日で終わりということで一足先に夏のリゾート気分を満喫するために、シカゴからマイアミまで足を伸ばすことにした。寒さの残るシカゴから2時間55分のフライトで蒸し暑いマイアミ国際空港に到着したのは12時を回ったころだった。早速レンタカーをピックアップして向かった先はマイアミから160km先のアメリカ合衆国最南端のキーウエストというところである。キーウエストは東西約5.5km、南北約2.5kmという小さい島でマイアミよりもキューバの首都ハバナに近いという地理的条件を持っている。

ここで必ず訪ずれなければならないのはなんと言ってもサザンモストポイントである。ここにはキューバまで90マイル、米国最南端の地と書かれたオブジェがあり、観光客にとって絶好の記念写真ポイントである。ところでキーウエストと言えば、文豪アーネスト・ヘミングウエイが1931年から8年間過ごした地として有名である。へミングウエイに言わせるとここには老人と海だけしかないということになってしまうが実際にはバケーションを楽しんでいる若者で大変な賑わいを見せている町である。ヘミングウエイが住んでいた家が博物館として保存されているので見に行こうと思っていたが、5時で閉館だったため、中に入ることが出来なかった。私も将来「老人とマサ」を執筆して芥川賞を狙うためのノウハウをぜひとも身に付けたいと思っていたので大変無念であった。

夕暮時に釣場でのんきに釣糸をたらしている若者がいた。彼の表情には今日の釣果が芳しくなく焦燥の色が浮かんでいた。しかし、私が来てほどなくすると彼のロッドがいきなり大きくしなり始めた。これは大物だ!!と誰しもが期待の表情を浮かべた。リールを巻いては引き、巻いては引きの激闘を繰り返した結果、若者が吊り上げたものは体調30cmはあろうかと思われる巨大な?シュモクザメであり、観客もいっせいに興ザメしてしまった。心の優しい若者はシュモクザメが食いついて離さない釣り針をペンチを使って強引に取り去り、記念撮影に応じた後、血だらけになったあわれなシュモクザメをエメラルドグリーンの海にリリースしやがった。

5月1日(火)

マイアミからキーウエストの道のりには点在する島を結んだChannelというたくさんの橋がかかっている。中でも一番有名な橋はあたかも海の上に浮かんでいるような錯覚を覚えるセブンマイルズブリッジという約7マイルにも渡る長い橋である。もちろんこの橋の両サイドはサンゴ礁輝くエメラルドグリーンの海である。

さて、キーウエストでリゾート気分を十分満喫し、脳みそも溶けそうな状態になっていたので気を取り直してフロリダ半島最南端にある国立公園であるエバーグレースナショナルパークへ向かった。高温多湿のフロリダ半島南部には広大な湿地帯が広がっており、多くの熱帯植物や野生動物の宝庫となっている。公園のシャークバレーのビジターセンター($8.)に入場し、早速園内の探検に向かうことにした。この場所のアトラクションはトラムツアー($10.)かレンタルバイク($4.75/hr)で湿原内のはるかかなたの展望台がある場所まで進むことが出来ることである。

エバーグレースはアリゲーターやクロコダイル、スッポン等の亀類や各種鳥類の宝庫として有名であるが、ここシャークバレーの川沿いの道筋を進めば野生のアリゲーター等の姿を間近で見ることが出来るのだ。私も早速レンタルバイクを借りようと思い、バイク屋のカウンターに向かった。そこにいたワニを寝技に持ち込んでもフォール勝ちしそうな頑強なおね~ちゃんがレンタルする際に次のような注意事項を教えてくれました。ここのバイクはハンドルにブレーキが付いてなく、ペダルを後ろに回すとブレーキがかかるようになっている。また、ワーニングと書かれた自己責任の覚書のような書類にサインまでさせられ、バイクで転んで怪我をしてもワニに食われても責任を取ってやれないので心して行動するようにと言われた。ちなみに、今まで川に落ちてスッポンに服を剥ぎ取られてスッポンポンになった観光客がいたのかどうかは定かではなかった。

ジャニーズ事務所所属のV6のヒット曲「ワニなって踊ろう」を歌いながら、早速バイクに跨り、湿地帯に向かった。数メートルほど進むとそこらじゅうでアリゲーターが昼寝をしており、マサにハンドバッグメーカーの材料のバイヤーにとってよだれの出そうな状況であった。トラムおよびバイクのトレイルは異常に長く、中野浩一と同等の脚力を持つ私であっても最深部の展望台まで到達するのに1時間を要してしまった。展望台から見渡すと眼下にはアリゲーターと亀の住む沼、遠くには広大な湿地帯が大きく広がっていた。

展望台の近くの乾いた場所で巨大なスッポンを発見した。私も疲労がたまっていたので思わずスッポンの首にストローを突き刺して生血でもすすってやろうかと考えたが、このスッポンは産卵のための穴掘りで忙しく、かまってもらえなかったので見逃してやることにした。

フロリダ・マーリンズという新鋭の球団がマイアミ北部に本拠地を構えているのでプロプレイヤースタジアムまで見物に行ってきた。今日の相手は強豪セントルイス・カーディナルスであったが、主砲マーク・マグワイヤを右ひざの故障で欠くカーディナルスの打線は迫力に欠けるものがあった。このスタジアムはNFLのマイアミ・ドルフィンズとの共同使用になっており、45,000人ほどの収容人員を誇るが、リゾート地まで来てスポーツを見に来る輩は非常に少なく、今日の観客は千葉ロッテマリーンズと同等レベルであった。しかし、ラテン系の血を引き継いだ観客の熱狂ぶりはすさまじく試合に勝ったマーリンズに歓喜の声援を送っていた。

ところでマサよ、アリゲーターを見て思い出したのだが、以前ワニブックスからFTB写真集を自費出版するために君の以前の職場であった500円玉製作所から500円玉の横領を頼んでおいたが、未だに「お~了解した!!」という返事をもらってなく、うやむやになってしまっているのはどういうことだ!!

5月2日(水)

朝6時半のUA便でマイアミからアトランタまではるばるやって来た。ここアトランタはジョージア州の州都というよりはアメリカ南部の首都といえるほど巨大な都市である。そろそろスターバックスを飲み飽きた頃でもあり、本場ジョージア州で「明日があるさ♪♪」を歌いながらジョージアコーヒーを飲んでほっ!としたいと考えていたのだが、そんなものは売っているはずもありゃしなかった。

空港からレンタカーで市内のハイウエイに繰り出すと車線が7車線もあり、しかも7車線とも混んでいるという恐ろしい状況を見てしまった。ともかくこの渋滞を抜けてI-75を北上し、イチロ、シンシナチへの道を急いだ。テネシー州とカーネルサンダースの故郷であるケンタッキー州を抜け、8時間程度走るとシンシナチに到着した。シンシナチ・レッズの本拠地シナジーフィールドはオハイオ川の川辺に位置しており、川を越えると隣はすぐケンタッキー州である。シンシナチ・レッズにはケン・グリフィーJr.というスーパースターがいるが、残念ながら彼は現在故障中で試合に出ることは出来ない。対ロサンゼルス・ドジャーズとの試合は7時5分にプレーボールとなった。今日の見所はMLBでもトップ5に入る投手であるLAのケヴィン・ブラウンのピッチングである。彼は最速99マイルのファストボールと96マイルの微妙に変化するムービングファストボールを巧みに操り、レッズの打線を封じ込め、LAに勝利をもたらせた。

5月3日(木)

今回のMLBツアーでは残念ながら、マーク・マグワイヤ、ケン・グリフィーJr.といったスーパースターを見ることが出来なったが、MLB最強のスーパースターであるバリー・ボンズがピッツバーグにやって来るということでさらに5時間北東に移動して見に行ってきた。ペンシルバニア州に入り、What a feeling ?の感覚が強くなり始めたころ、「フラッシュダンス」を生み出したピッツバーグの地に入ったことを実感させられた。

ピッツバーグ・パイレーツの本拠地PNCパークは今年オープンした新球場であり、外野側に高層ビルの景観を取り入れた都市型スタジアムである。ここはパイレーツの本拠地であるため、ナイスバディの球審も前かがみでひざに手をおいたポーズでストライク・ボールの判定を行っており、心なしか球審のコールも「ストライクだっちゅ~の!」、「ボールだっちゅ~の!」と響いていたような気がした。

今日パイレーツと対戦するサンフランシスコ・ジャイアンツにバリー・ボンズという最強のスーパースターがいる。彼は先日500号本塁打を放ち、盗塁もあと20数個で500盗塁を数えるほどの走攻守にバランスの取れたプレイヤーである。ボンズは1回の表に回ってきた1打席目にいきなりライト場外に13号本塁打を放ち、1個$9のボールを川に沈めてしまった。彼はその後、2打席目、4打席目もヒットを放ち、そのスーパースターぶりを如何なく発揮していた。

さて、試合の方は9回の表に最大の盛り上がりを見せていた。ジャイアンツの攻撃は2アウトながらランナー1,2塁でバリー・ボンズを迎え、1打逆転のチャンスであった。ところで、ふとブルペンに目をやるとジャイアンツの投球練習場で背番号31番、長身から独特の2段モーションで投げ下ろす大男が投球練習を始めていた。「あれはジャイアンツの守護神ロブ・ネンだ!!」ロブ・ネンは現在のMLBで102マイルという最高速の速球を投げる絶対的な抑えの切り札である。結局ボンズは四球を選び、打順は昨年のナショナルリーグMVP男、4番のジェフ・ケントに回った。ロブ・ネンの投球練習にさらに力が込もったころ無常にもケントのバットが空を切り試合終了となった。

この光景を目にしたロブ・ネンは「満塁のチャンスに4番やのになんで三振すんネン!、わいのいままでの投球練習は何だったちゅうネン!!」とでも言いたげな無ネンの表情を浮かべて勝利のハイタッチを繰り返すパイレーツナインを横目にグランドを去って行った。

5月4日(金)

早朝5時に常宿のMotel6を抜け出し、イチロ、アトランタへの帰路を急いだ。FTB伝統のペンシルバニア、ウエストバージニア、バージニア、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ、ジョージアの5州ぶっちぎりで走法でアトランタにわずか12時間で帰ってくることが出来た。

1996年に開かれた夏季オリンピックを記念して聖火台を奉ってあるFulton Countyの近くにターナーフィールドがある。ここは当時のオリンピックのメイン会場であり、その後改装されて現在はアトランタ・ブレ-ブスの本拠地球場に生まれ変わっている。

マサよ、君はトマホークチョップをやったことがあるか??

アトランタ・ブレ-ブスの象徴はトマホークという石斧であり、ブレ-ブスがチャンスを迎えるとトマホークチョップと言ってスポンジ製のトマホークを上下に振らなければならない。しかもこれをやらないとアトランタで市民権を得られないほど重要な作業であるので私も早速トマホークを購入($6.-)した。セントルイス・カーディナルスと対戦したブレ-ブスは打線に当たりがなく苦戦を強いられていた。結局この日トマホークチョップが炸裂したのはたった3度だけで、試合の方も残念ながらブレ-ブスが惜敗してしまった。

トピックス

*ウイルソングローブデイ

 運道具メーカーのウイルソンが主催するウイルソングローブデイがミルウォーキーのミラーパークとシカゴのコミスキーパークで行われていた。これは少年少女の入場者にグローブをただで配るというたいへんお得なイベントである。高年のためグローブを受取る資格のないマサであれば純粋な野球少年を脅してでも手に入れていたであろうと思われた。

*最新レンタカー情報

 今回3つの空港でレンタカーを借りた。ハーツゴールドクラブという高級会員の私に対して、2つの空港で新車を貸し与えられたわけだが、その新車のカーステはカセットがなく、MD/CDのデジタル仕様であったため、日本から持参したELTが聞けないという屈辱を味わってしまった。従って、今後ミュージックソフトを持参するときはアナログとデジタル両方を準備しなければならない。

FTBサマリー

総飛行機代   ¥260,180(そのうち¥90,000分はANA御利用券を使用)

総宿泊費    $342.28

総レンタカー代 $525.30

総ガソリン代  $129.80

総走行距離   2,437マイル

総スピード違反反則金 $0.00

今回訪問した州 イリノイ、ウィスコンシン、フロリダ、ジョージア、テネシー、ケンタッキー、オハイオ、ペンシルバニア、

                         ウエストバージニア、バージニア、ノースキャロライナ、サウスキャロライナ(以上12州)

今後のFTBの予定は夏休み特別企画!MLBツアー完結編「4ヵ月後のイチローの成長の軌跡を追え!、新庄はまだ生き残っているか!?」をお送りするかも知れません。

キャピタルFTBツアー&Mission Possible

マサよ、君は空港閉鎖のため、空港のラウンジで2時間以上も待ちぼうけを食わされたことがあるか?

私は・・・・・・ある!!

ということで21世紀初の本場アメリカからのFTBレポートを首都ワシントン、および燃える闘魂サン・アントニオからお届けすることが出来、非常に嬉しく思っている今日この頃です。

2001年3月4日(日)雨上がりの成田空港に便出発時刻の2時間前きっかりに到着し、順調にチェックイン、両替、出国検査等の雑務をこなし、UAのラウンジであるレッドカーペットクラブでインターネットの接続トラブルを解決するために格闘していた私に非常なアナウンスが鳴り響いた。それは折からの雷雨により、成田空港が1時閉鎖され、成田着陸便がすべて羽田に変更になったため、機体を羽田から成田に移動しなければならない。したがってどの便もこの便も2時間から3時間出発が遅れやがるという容赦のない仕打ちであった。しかしながら、この貴重な2時間の遅れが、AOL Netへの接続成功という好結果をもたらし、なんとか文明開化した状態でUA882便,B747-400機に搭乗することが出来た。

シカゴオヘア空港の税関はおびただしい数の旅客でごった返していた。ここオヘア空港ではマサのような怪しい輩が税関を通過しようとすると容赦なく別のオヘヤに隔離されてアル・カポネやロバート・デニーロのようなこわもての係員に厳しく尋問されることで有名であるが、アメリカ各地の訪問歴が豊富でケヴィン・コスナー同様アンタッチャブルの称号を得ている私は顔パスで通過することが出来た。シカゴを6時半ごろ発ち、ワシントンダレス空港に到着したのは夜10時を過ぎた時間だったのでその日はとっとと空港の近くのホテルに引き払ってふて寝を決め込んだ。

翌3月5日(月)、目がさめて窓の外を見るとあたり一面銀世界で猛吹雪が吹き荒れていた。7ヶ月ぶり3回目のワシントン訪問の実績を持つ私にとってはマサに最高のコンディションとなり、先日の北の国ツアーで会得した寒さ対策が早くも功を奏した形となった。

ところで今回のワシントン訪問目的であるが、本来であればワシントンの象徴キャピタルこと国会議事堂に乱入し、ブッシュ大統領をプッシュして日本にはびこる官僚制度を撤廃させるための外圧をかけさせることであったろうが、今回は残念ながら重要な会社の仕事を遂行するために特別に派遣されたため、官僚など相手にしている暇はなかった。

その日の午前中は会社のオフィスをはしごして仕事をこなした後、夕方に某社団法人のお客さん並びに5月に実施される某視察ツアーのマネージメントをしている旅行代理店の人と会う約束をしていたので6時に宿泊先のヒルトンホテルで落ち合って寿司太郎というワシントンを代表する寿司屋に向かった。北島三郎に言わせるとちらしずしならすし太郎ということになるのであるが、やはり、アメリカの寿司屋では限界があり、味の方もすし太郎プラス永谷園のお吸い物をしのぐことは出来ない様子であった。

3月6日(火)は在ワシントン日本大使館の訪問や日本商工会議所の会長に挨拶をしに行ったりして多忙な時間を過ごすかたわら、一行は隙を見てジョージタウンを見学した。アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンの名を冠したこの町は世界中のジョージの憧れの的であり、山本譲二、所ジョージ、柳ジョージとレイニーウッド、マイケル・ダグラス(危険な情事!)等がこぞって訪れたがるほど有名な地域である。ここでは1792年に設立された伝統あるジョージ・タウン大学を訪問した。この大学はアメリカでも有数の由緒あるクリスチャンの大学である。都心部に位置しているため、キャンパスは狭いものの石とレンガで建造された校舎や教会等があり、また南北戦争で使用された大砲などが正門の前で鈍い光を放ちながらさる然と輝いていた。

3月7日(水)はワシントンのダウンタウンとダレス空港近辺のシマンテックのRestonオフィスを往復しながら複数のミーティングをこなさなければならなかった。ところで、アメリカの都市作りの特長は政治と経済がきれいに切り離されていることであり、もちろん政治の中心はここワシントンDCである。しかし、近年IT産業が東海岸を中心に成長していることもあり、Restonのようなワシントン近郊もハイク都市として生まれ変わろうとしている様子がはっきりと見て取れた。

3月8日(木)に帰国予定の客をホテルで見送ったあと、再びヴァージニア州にあるRestonオフィスに行った。打ち合わせ終了後DCを超えてメリーランド州Rockvilleのオフィスに行く用事があり、その間の時間を利用してダウンタウンの視察を行った。ダウンタウンを車で流しているとホワイトハウスの見学待ちの列が短いことを発見したのですかさず車を止めて列に加わることにした。ホワイトハウスのツアーは観光シーズンには入場規制があり、整理券を入手するために朝5時から並ばなければならないほど価値の高いツアーであるが、今週は寒気団の影響からか観光客が非常に少なかったため、10分程度の待ち時間で中に入ることが出来、FTBの2年越しの念願を成就することが出来た。今後マサが奇跡的な出世を遂げ、ホワイトハウスに招待されたときに緊張のあまりトイレが近くなった時のことを考えてホワイトハウス内部のレイアウトを頭にたたきこんでおこうと思っていたが、ツアーのコースでは建物の一部しか案内してもらえなかった。また、建物の内部に土産物屋があり、3月14日も近いということでホワイトハウスのアーキテクチャを型どったホワイトチョコレートを大量に買い付け、「白い変人」というパッケージでグリコや森永に高値で売りつけ、怪人21面相事件で被ったダメージの回復に少しでも寄与出来ないかと考えたが、きつね目の男の陰謀のせいか、まだ商品化にはいたっていないということであった。しかしながら、見学コースのいたるところで歴代大統領の肖像画を見ることが出来、また白を基調とした内装のすばらしさを十分堪能することが出来たのでそれなりのツアー的価値はあったのではないかと思われた。

その後DCのランドマークタワーであるワシントンモニュメントのふもとからナショナルモールと呼ばれている広場に移動した。ここは東京ドームが数個入るほど広い広場で左右をワシントンモニュメントと国会議事堂、前後をスミソニアン博物館群に囲まれた市民と観光客の憩いの場であり、たくさんの餓鬼どもが歓声をあげて走り回っている様子が目に出来るところである。

その日の夕方から夜にかけてワシントンからシカゴを経由してサン・アントニオに大移動しなければならなかった。5時37分発のシカゴ行きの飛行機は乗客の搭乗も順調に終了し、定刻通りに出発するかに見えたが、何と直前になっていきなり1時間半ほど遅らせるという衝撃的なアナウンスが機内をかけめぐった。その結果シカゴでの乗り継ぎ時間が無くなり、出発直前の飛行機のドアを無理やり開けさせて何とかサン・アントニオ行きの便に搭乗することが出来たのであった。

離陸して約2時間後に機内オーディオから流れる音楽がボンバイエのリズムを刻み始めた頃。燃える闘魂の地に入ったことを実感させられた。夜中の11時前に空港のBaggage Claimのところで荷物が出てくるのを待ち構えていたが、案の定、私の荷物は出てこなかったので「これはいったいどういうことなのか?」と係員のおね~ちゃんに問い合わせたところシカゴ空港からの連絡で荷物の到着は明日の昼過ぎになるとの冷たい返事であった。一瞬ロープに飛ばしてコブラツイストから卍がための連続技に持ち込んでやろうかと思ったが、残念ながらそこまでの体力は残されていなかった。

空港近くのヒルトンホテルにチェックイン出来たのは12時を回った時間であった。荷物が無く着替えもなかったのでホテルに備え付けの「闘魂」という刺繍をあしらった風呂上りに着るガウン等がないか探しまわったが無常にも発見することは出来なかった。

3月9日(金)、サン・アントニオオフィスでのミーティングの前に多少時間的余裕があったのでテキサスを代表する遺跡であるThe Alamoを見物した。今回は2年4ヶ月ぶり3回目のサン・アントニオの訪問であったものの今までキリスト教の伝道所であるミッションへの訪問を果たしていなかったため、この機会を利用して何とか見に行ってやろうと考えていた。サン・アントニオ デ ヴァレロ、アラモは元来伝道者やインディアンからの改宗者のよりどころとして君臨していたが、1835年にはテキサス革命の重要な拠点となり、翌1836年には多くの兵士達が犠牲となった血塗られた歴史的過去を持つ聖地である。この日のThe AlamoはCultural visitをしていると見受けられるたくさんの小中学生たちで大変な賑わいをみせていた。彼らは引率の先生のオリエンテーションの後、思い思いの場所で嬌声を発し、メモを取ったりしながらテキサスの歴史を学習していた。この機会を利用して日本のプロレスエンターテイメントが誇る勝利の雄叫び「いち、に、さん、ダー!!」を教えてやろうかとも思ったが、もったいないのでやめておいた。

午後の打ち合わせが終わり、夕方には多少時間が取れたのでSan Antonio Mission Visitor CenterとMission San Joseに何とか滑り込むことが出来た。歴史的なMissionの建築様式を色濃く残しているMission San Joseはまだ現役の教会として使用されているらしく改装された内部には張り付けにされたイエス・キリストの像が奉られている懺悔室と化していた。但し、懺悔の後の判定で×が出された時に水をかけられるかどうかはまでは確認出来なかった。

3月10日(土)

3たびシカゴオヘア空港を経由して帰国し、流れ解散・・・

トピックス

*ワシントンDC都市づくりの特長

 DCの象徴キャピタルの住居表示には番地がない。なぜならDCはキャピタルを中心に街づくりがされているからだ。また、景観規制によりキャピタルより高いビルを建てることを禁止されているため、町は広々としており、ゆったりとした気分で観光が楽しめるのである。

*ハブ空港

 ハブと言えば噛まれたら2時間以内に死ぬような猛毒を持つ沖縄ヘビを想像するかも知れないが、ここアメリカでは自転車のタイヤのホイールを構成するハブ&スポークに例えられ、どの航空会社もハブ空港を中心として地方都市に飛行機を飛ばしている。UAのハブ空港はデンバー、シカゴであり、アメリカンはダラス・フォートワース、デルタはソルトレイクシティと言った具合である。この構成の特長は地方都市から地方都市に飛ぶ場合、例え遠回りであっても一旦ハブ空港を経由して乗り継ぎをこなさなければならないということであり、おかげで今回の出張で来たくも無いシカゴに3回も寄らされた屈辱を味わった。

今後のFTB予定

*第3回MLBツアーin シンシナチ&アトランタ

*イエローストーン国立公園バッファロー捕獲ツアーfor梨田監督(大阪近鉄)

祝!イチロー大リーグ挑戦記念FTB in シアトルツアー

というわけで、マサの結婚式の喧騒も覚めやらない今日この頃であるが、先日めでたい事にイチローとシアトルマリナーズの契約がまとまり、日本人初の野手の大リーガーが誕生する運びとなった。実は私も高校を卒業して大学に入学するまでの一年間イチローして活躍していた実績があるため、他人事のような感じがしなかった。そこでイチローがシアトルでの生活に困らないようにFTBの肝煎りで現地調査を決行する運びとなった。

11月22日(水)の夕方NH7030便にてボーイング社が誇る最新鋭のジャンボジェットであるB777‐200に乗り込んだ私はイチロニッサンではなくシアトルを目指した。同日午前中に2年ぶり3回目のシアトル到着後、早速ハーツでレンタカーを借りてイチロ、ボーイング社があるワシントン州エベレットを目指した。エベレットはシアトルのダウンタウンから30マイルほど北上した場所に位置し、ここでボーイング社が誇る最新鋭飛行機の製造工程ツアーを行っていることで有名である。日本でも有数の航空評論家である私に言わせるとここに来なければシアトルに来た意味が無い程重要な拠点である。

ツアーセンターで参加料$5(ボーイング社および航空会社の従業員はただ)を支払うと何とか午前10時のツアーにもぐりこむ事が出来た。ツアーはまず最初にシアターで一連のB747-400の製造工程の流れを見せられた後、いよいよバスで工場に向かうこととなった。ツアーの案内役は海軍かどっかからボ社に天下っている将来のマサを思わせるようなトニーというおっさんであった。トニー曰く、ここの航空機製造工場は工場建屋のボリュームでは世界一であり、ギネスにも載っているとのことで、シアトルマリナーズの本拠地セーフィコフィールドが11個分、またはディズニーランドがそっくりそのまま入ってしまうほどの大きさであるとのことであった。またこれから見学するB747-400は一機$180Mもするとのことで、もし見学者が壊しやがったら買い取ってもらうからそのつもりで見物に励んでくれと釘を刺しやがった。

工場の中に入るといきなり長さ1.5kmの長い廊下の出迎えを受け、エレベーターで上に上がるとB747-400の垂直尾翼が眼前に飛び込んできた。このジャンボはANAではテクノジャンボ、JALではスカイクルーザーという名称が与えられており、1968年に生産開始後累計1200機が製造され、現在1100機が現役で活躍しているそうだ。暗算の得意な私は「じゃ~、100機分はこの前の台北でのシンガポール航空のように墜落しておシャカになった分か?」と質問しようと思ったが、トニーのブーイングを恐れてこのことを話題にするのは控えておいた。我々の目の前ではルフトハンザ向け59号機が製造ラインに横たわっていた。製造ベイは目の前に7つあり、その裏側にさらに7機分、その奥にB767のライン、さらにその奥にB777のラインがあった。部品は世界40カ国、2500のベンダーからジャストインタイムで供給を受けており、この工場には一切部品のストックはしていないとのこと。また、ジェットエンジンはGEからの供給でB747とB767は同じエンジンを使用しており互換性があるとのことだった。

膨大な工場内を一通り見物したあと、再度バスに乗り込みエアーライン用にペイントされた飛行機が出荷を控えているサイトをグルリと案内された。再びトニーによるとこの工場はテストパイロット60名を抱えており、テスト飛行では片肺飛行(片方のエンジンをOFFにして飛行する)等の荒業も行っているとのことであった。

ツアーはこれにて終了し、私の一番興味のあったQAや耐久試験、加速試験等は見せてもらえなかったのが残念であった。しかしながら、これほどの規模を持つ工場は戦艦大和亡き今、日本では到底見物出来ないので大変貴重な体験をすることが出来た。

11月23日(木)

マウントレーニエの屈辱!!!

サンクスギビングデイ当日の今日は朝から雨だった。環太平洋火山帯の一部を形成し、標高4392mを誇るマウントレーニエの姿が今日は拝めないだろうと感じながらもマウントレーニエ国立公園に向かって車を走らせた。

ところでヤスよ!、AMJ成田の3階にあるカフェテリアの自動販売機のカフェラッテはマウントレーニエという名前であることに気づいているか??つまり、マウントレーニエは世界中のカフェラッテファンの憧れの地ということだ。また、マウントレーニエは広大な裾野を持つ休火山であることから地元の日本人の間ではタコマ富士という名称で親しまれてもいる。今日はシアトル方面の北口からマウントレーニエ国立公園にアクセスを試みたが、山道の途中で雪が深くなり、レンタカーのマツダ車では進行が不可能と判断したため不本意ながらギブアップせざるを得ない状態であった。

いったんタコマ市内に引き返した後、州都のオリンピアを経由してオリンピック半島に向かった。オリンピック半島北部のポートエンジェルスという港町に到着したのは日も暮れかかったころだったので今日はここに居座ることにした。近くにホテルレッドライオンがあったのでここのレストランで餌を食うことにした。今日は11月23日ということでサンクスギビングスペシャルディナーとしてターキーがお徳だとラブリーなウエイトレスがしきりに営業してきたのだが、丁重に断って牛を発注した。しかし、マサであればターキーを発注しておきながら納入されたターキーを見てワイルドターキー(バーボン)じゃないとボーリングで3回連続ストライクを取ったような勢いでいちゃもんをつけていたであろうと思われた。

11月24日(金)

ペナントレースを優先したためにシドニーオリンピックに出場出来なかったイチローの無念を推し量って,今日は1981年にユネスコの世界遺産に登録されているほどの実力を持つオリンピック国立公園を訪問した。オリンピック半島中央の大半を占めるこの国立公園は険しい山岳地帯、温帯雨林のジャングル、海岸地域と非常にバラエティに富んだ景観から成っており、1年のどの季節に来ても観光客を楽しませてくれるこの世の楽園である。

まずはポートエンジェルスから一気に1500mを車で駆け上ると山岳地帯のハリケーンリッジに到着した。当然のことながらあたり一面銀世界であり、そこから3000m級のオリンパス山や、デセプション山のすばらしい眺望を目にすることが出来た。その後下山してUS101沿いを西から南に抜け、レイク・クレセントという三日月型の湖の眺望を楽しんだ後,この公園のメイン観光地帯であるホーレインフォレストにやって来た。オリンピック国立公園の観光案内の写真に必ず出てくるホーレインフォレストは年間3000~4000mの降雨量を持つこの地域特有の気候に育まれた温帯雨林である。

中に入ると「ほ~!これはすごいジャングルだ!」と言わしめるほどたくさんの木が茂っていた。また、一番観光客を魅了するのは思わず「うっそ~!」と叫びたくなるほどのうっそうと茂ったコケ類である。ここからHall of Mosses(コケの殿堂)というトレイルが伸びているので早速歩いてみると数十メートルの高さを誇る木も倒れている木もみんなうす緑色のコケで覆われており、京都の西苔寺(通称こけ寺)の住職でもコケおろされるほどの迫力であった。

ホーレインフォレストでグリーンな気分を堪能したあと、太平洋側に抜けてビーチを歩いてみた。長い海岸線には太平洋の荒波に流されてきた流木がたくさん転がっており、材木店屋の店頭顔負けの様相を呈していた。また激しい波の音が観光客の旅情をいやがおうにも盛り上げているようだった。

11月25日(土)

先日マウントレーニエで屈辱を味わったので飛行機が出る前の午前中の時間を利用してリベンジに向かった。ルートを変えて南側からアクセスしたのでロングマイヤーを抜けて標高1647mのパラダイスまで到着することが出来た。あやうくシアトルくんだりまで来た意味を無くしてしまいそうだったFTBであったが、パラダイスから眺めるマウントレーニエの眺望はこの世のものとは思えないほどの神々しさを放っていた。尚ここまでのルートはきれいに除雪されており、年中通行可能であるので冬にもかかわらずたくさんの観光客が訪れており、イチローもシーズンオフを利用して山ごもりに来ることが出来るのだ。

マウントレーニエを後にして昼前にシアトル・タコマ空港に到着してゲートの近くでスターバックスのカフェラッテを召し上がった。コーヒー通のマサであれば当然知っていると思うがここシアトルはスターバックスの発祥の地であり、ここでコーヒーを飲まなければ日本のスターバックスで無邪気にバイトに励んでいる若者に対して優越感が持てないと言われている。ここで売られているコーヒーが入っているカップのデザインは日本のものより進化しており、2枚重ねになってはいないもののオプションでダンボール製の断熱材が備えられていた。

次回はFTBJ沖縄から沖縄サミットの残したものについて検証を行って来ます。また、FTBSEAに引き続き、FTBEUの立ち上げも検討中です。

FTBサマリー

総飛行機代: \8,190 

総レンタカー代: $292.15

総走行距離: 約1200マイル

総ガソリン代: $68.51

総宿泊費: $116.62

総スピード違反罰金代: $62.-

祝!マサ結婚記念!!FTB秋の祭典

このたびマサがまぐれで結婚することになり、11月12日に市谷のホテル大蔵で式を挙げる運びとなりました。

ということで何かお祝いをしなければならないことになり、急遽FTBはユタに特派員を派遣し、マサがシャブシャブ屋等で悪さをしないようにナバホの祈祷師に呪文をかけてもらいに行って来た。

11月3日(金)

UA852便でサンフラン経由ラスベガスに到着したFTBは早速マッカラン空港でおびただしい数のスロットマシンの歓迎を受けた。マサであれば持参した大量の500円玉を一気に空港のスロットマシンにつぎ込み、「大ピンチ!!」になった挙句ブラジルのジーコに電話してレイクエンジェルを呼んでもらったが、レイクの人文字の「イ」が出来ずに結局強制送還という憂き目にあっていただろうが良識のある私はそろっとスロットマシンエリアをスルーしてラスベガス市内に向かった。今日は到着した時間が遅かったので、とりあえずユタへの突入を何とか果たしCedar CityのMOTEL6($29.-)にとっとと引き払った。

11月4日(土)

朝起きて見ると車がカチンコチンに凍っていた。電子レンジを使わずに何とか解凍出来たので早速アーチズナショナルパークへの道を急いだ。ユタ州を縦断するI-15を走っているとあたりは一面銀世界であり、この地の冬の訪れのはやさを思い知らされた。

アーチズに到着したのは午前11時を少し回った時間だった。ゲートで入場料($10.-)を支払った後、ビジターセンターでスタンプを押し、最初のビューポイントであるパークアベニューへ向かった。パークアベニューと言えばニューヨークのマンハッタンの高層ビル街が連想されるが、アーチズのパークアベニューは両サイドを摩天楼のような高い岩山にはさまれたマサに自然界に君臨する高層ビル街であった。垂直の岩に何か生物が張り付いており、よく見ると若者が数人ロッククライミングでいい汗をかいていた。

マサよ、君はバランスロックという岩を知っているか?バランスロックとはひとつの巨大な岩の上にもうひとつの岩が今にも崩落しそうであるが、絶妙のバランスで乗っかっている岩のことである。しかしこの岩も大蔵省の地盤と同じく少し振動が与えられでもすれば即崩壊しそうな危うさをただよわせていた。

その後、主要ビューポイントであるNorth Window, South Window, Double Arch等を見物した後、アーチズの1500ものアーチの中でマサに真打と呼ぶにふさわしいデリケートアーチを見に行った。デリケートアーチはアーチズナショナルパークのみならず、ユタ州のシンボル的存在として君臨しており、その光景はユタ州の車のナンバープレートの図柄に採用されているほどである。

デリケートアーチに行くにはWalfe Ranchの駐車場で車を止め、片道2.4kmの山道を登らなければならなかった。道のりは砂道から途中で一枚岩の急な登りになり、岩の上にマイルストーンが置かれて道しるべとされていた。流れる汗を拭いもせず30分程歩いた後、やっとのことでデリケートアーチを拝むことが出来た。アーチは幅10m、高さ14m程で、エレガントなアーチ状の形状をしており、靖国神社に持っていけば立派に鳥居としての役割を果たしそうな荘厳さをたたえていた。私もマサが幸せな新婚生活を送れ、またその後、長銀や日債銀のようなすばらしい天下り先が見つかるようにと拍手を打っておいた。また通常私が提供している1万円の賽銭を入れようと思ったが賽銭箱が設置されていなかったので残念ながら断念した。

デリケートアーチは日没1時間前が見頃とされており、アーチ本体やその周辺を飾る岩々が夕日を浴びて時間とともに黄金色から赤色に変色して行く様はこの世のものとは思えない自然のスペクタクルであった。日没の景色を見終えると観光客は足早に帰路を急いでいた。なぜなら辺りは急激に暗くなり、帰り道がわからなくなるからだ。

11月5日(日)

今日は朝8時からアーチズの奥地のデビルスガーデンを起点としているトレイルからスタートした。片道3.2kmのトレイルにはトンネルアーチ、ナバホアーチ、パイントゥリーアーチ、ダブル・オー・アーチ等たくさんのアーチがあったのだが、やはり最大の見所は世界一長い(89m)といわれているランドスケープアーチであった。このトレイルは途中から道なき道を進むことになり、岩の上のがけっぷちに沿って登る道があったりと非常にスリル満載だった。岩の上から景色を一望するとそこはまるで原始時代のように感じられ、今にもギャートルズやドテチン、ヒネモグラ、マンモー、ガイコツ等が出て来そうな雰囲気だった。

アーチズを後にしたFTBは近隣に位置するキャニオンランズナショナルパークにも足を伸ばした。ここは一説によればグランドキャニオンを凌ぐ眺望であると言われており、実際にグランドビューポイントに行って景色を見てみたが確かに峡谷の幅は大手のグランドキャニオンよりも広かったが、谷底の深みや微妙な色合いに関してはやはりグランドキャニオンには及ばないと思った。

キャニオンランズにはモニュメントバレーを彷彿とさせるメサやビュートがたくさんあった。コロラド川に削られて出来たグランドキャニオンのような巨大な峡谷が数億年の年月をかけて侵食され、メサやビュートとしてその名残を残し、いつかは消えていくという歴史の流れをたどるのであるが、ここはマサに地球規模の歴史物語が日夜展開されている恐るべき観光地であった。

夕焼けの眩しいキャニオンランズを後にし、FTBは西に進路を取り、一路ザイオンナショナルパークへの道を目指した。結局ザイオンの園内に辿り着いたのは、夜10時を回った時間であり、道路のわき道を地元の鹿が活発に活動しているのが確認された。深夜に侵入したザイオンは一種異様な雰囲気を漂わせており、昼間見ればその大きさに圧倒されるであろう巨大な岩が不気味な程の静寂の中でどっしりと横たわっている気配を感じさせていた。

11月6日(月)

2年前にグランドキャニオンノースリムを訪れた際、その道すがらザイオン内部を通ったことがあり、その時に圧倒されるような景観を見て「ウォー!何じゃこりゃ~!」と叫んだ経験があり、ここには必ず戻って来て再度内部を探索しなければならないと考えていたが今日やっとのことで現実のものとすることが出来た。

昨夜はザイオンの隣町のスプリングスデールのモーテル($37.91)に滞在していたため、今日は朝9時前には園内に入ることが出来た。入場料が2年前の車一台あたり$10から$20に値上げされており、ここもついに大手の仲間入りをしたのかと感慨深いものがあった。しかしながら、値上げした代わりにビジターセンターは近代的に改装されており、また激増する観光客を裁くためにシャトルバスが運行されていた。

ザイオン観光でメインとなるのはビジネスセンターにほど近いザイオンキャニオンである。ここからの景観は滝はないものの総じてヨセミテバレーの谷底に非常に似かよっており、この地域からたくさんのトレイルが伸びている。本日まず最初にトライしたのはザイオンでもっとも過酷と言われているエンジェルスランディングだった。グロットというポイントで車を止めてトレイルを歩き始めたのだが、途中から坂が非常に急になり、つづら折状に登っている山道は容赦なく観光客の体力を奪っていく。しかしこの程度はまだ序の口で3.5kmまで登りきった地点からさらに先まで到着するためには岩に打ち付けてある支柱と鎖を頼りにロッククライミングばりの要領で残り800mを進行しなければならなかった。両サイドはマサに崖で落ちたら確実に命が無いことを覚悟しつつも命からがらゴールに辿り着くことが出来た。

頂上からの光景はマサに天使が舞い降りるところにふさわしい絶景であった。眼下にはザイオンキャニオンの全景を見晴らし、正面にはザイオンの顔であるグレートホワイトスローンを間近に拝むことが出来た。ところでこのグレートホワイトスローンは麓のバージン川からの高さ732mを誇る世界最大級のモノリス(一枚岩)でオーストラリアのエアーズロックの2倍、池袋のサンシャインビルの3倍の高さを誇っている。ちなみにエンジェルスランディングの麓からの標高差は450mでマサをバンジージャンプさせようにも途中でゴムが切れそうなくらいの高さであった。

頂上に30分くらい滞在して天使の気分を十分堪能した後、来た道を引き返すことにしたのだが、岩を飛び飛び下っているとひざからしたがおもしろくもないのにゲラゲラ笑い始めた。特にフラミンゴといわれた現役時代の王監督のように一本足の状態になるとガクガク状態が顕著であり、このトレイルの過酷さをあらためて思い知らされた。下から登ってくる善良な観光客も今にも死にそうな目つきながら必死に作り笑いを浮かべて挨拶をしてくるのだが、彼らはこの後本当の地獄が待っていることをこの時点では気づいていないようだった。

エンジェルスランディングを制覇した後、FTBが向かったのはザイオン観光のハイライトとして名高いナローズというところである。ナローズというとトミーズやドロンズのようにお笑い芸人を連想するかもしれないが面白さのレベルはナローズのほうが全然上だという話である。両サイドを巨大な崖にはさまれたバージン川を遡って行くと崖と崖の間の距離が次第に狭まって行き、最後には幅6m程度の広さを高さ300mの崖に挟まれてしまうという閉所恐怖症の人には最適な環境を提供する僻地だということだ。ここのトレイルは途中で行き止まりになり、その先は川の中をじゃぶじゃぶと進行しなければならない。季節柄水温が低かったので川への侵入は断念せざるを得なかったが、夏季にはたくさんの観光客が川の中を進んで行くという。しかし、川幅が狭いため、雨量が少しでも多くなると水位が極端に増し、非常に危険な状態になるとのことで2年前には2名の犠牲者を出したと言う話である。

ナローズの入り口の景色を堪能したあと、車に乗り込み、マウント・カーメル・ハイウエイを走り、ザイオンの岩肌が織り成す美しい景色を十分に堪能することが出来た。園内のアスファルトはすべて赤茶色に着色されており、周囲の景色と非常にマッチしているのが印象的だった。

11月7日(火)~11月11日(土)

11月7日~11月10日の午前中までラスベガスのフラミンゴヒルトンで私が率いているアクセント・テクノロジーズの会議が行われたのでその期間はおとなしく会議に参加しておいた。しかし、会議の終了した夕方からラスベガス歴訪4回の実績を誇る私のところにツアーの依頼が殺到したため、仕方なく人々に町を案内してやった。新宿の歌舞伎町のボッタクリのお兄さんが町の詳細を知り尽くしているのと同じくらいラスベガスの内部に詳しい私が案内した見所はBellagioの噴水ショー、ミラージュの火山活動、トレジャーアイランドの海賊船沈没ショー等のホテルの目玉のアトラクションからFremont Experienceの動くアーケードのパフォーマンス、ストラトフィアタワーの展望台と非常に多岐に渡った。また、ハードロックホテルではたくさんの有名人のギターを目の当たりにしたのだが、残念ながらジ・アルフィーの高見沢俊彦や高中正義等の日本を代表するギタリストのギターは目にすることが出来なかった。

マサよ、君はハーレーダビッドソンカフェに行ったことがあるか??

私は・・・行った。

ストリップの目抜き通りで巨大なハーレーが壁から飛び出ているのを目撃した観光客も多いと思うがそこが全米のハーレー愛好家がたむろするハーレーダビッドソンカフェである。中にはハーレーの1号機や様様なタイプのハーレーが所狭しと展示されており、またベルトコンベヤー状の鎖にぶら下ったハーレーが店内を何台も回っているさまはマサに世界一のハーレー見本市だと思われた。

会議の最終日は午前中で散会となったので午後はフーバーダムツアーと洒落込んだ。ラスベガスから30分ほど車を飛ばすとすぐにフーバーダムに着いたのだが、今回参加したフーバーダムレギュラーツアー($8)の案内のおっさんによるとフーバーダムの位置するボルダー市はネバダ州で唯一ギャンブルが禁止されているという。理由はフーバーダム建設中にこの地に出稼ぎに来ていた労働者に日銭をギャンブルで使い果たして丸裸にならないようにとのフーバー大統領の粋な計らいであったとか・・・

結局ラスベガスには4日間もの長期滞在をさせられてしまったわけだが、マサであれば毎日カジノで大金を使い果たし結婚資金も底を尽くという悲惨な結果に終わっていたであろうと思われた。

特命リサーチ200FTB第2弾

9月2日(土)

マサよ、君は国際線仕様のポケモンジェットに乗ったことがあるか?

私は・・・ある!!

というわけでポケモンキャラクターを前面にあしらったB747-400テクノジャンボに乗り込んだ私はサンフランシスコを経由して一路デンバーに向かった。今回はANAマイレージクラブプラチナ会員兼スターアライアンスゴールドメンバーの私に対するチーフパーサーの挨拶の出足が悪かったもののとりあえず「JALに負けないよう, しっかりサービスするように。また、今後マサというものが格安チケットで搭乗してきても普通運賃の乗客と変わらぬサービスをするように・・・!」としっかり釘を刺しておいた。

サンフランからデンバー乗り継ぎで2時間くらい時間があったのでスターアライアンスのラウンジでテニスのUSオープンを見た。サンプラスが格下の相手をコテンパンにやっつけていたが、サンプラスより上の3++(3プラプラ)、または4-(4マイナス)の格付を得ている私の目から見るとまだまだストロークの切れが悪いように思えた。

午後4時過ぎに世界最大級、最新鋭と言われているデンバー国際空港に到着した。平均アメリカ人の何倍も車を乗り回されたAvisの陰謀でHertzの#1Club Goldのメンバーにさせられた私はカローラをレンタルして早速デンバー市内へと向かったが到着時間が遅かったため、今日はダウンタウンを1回りして引き上げることにした。

ホテルにチェックインして荷物を開けると日本から持って来たどん兵衛きつねうどんと天そばのカップがパンパンに膨らんでいた。「これはいったいどういうことなのか」と思ったが、デンバーはマイルハイシティと呼ばれ標高1600mのところに位置しているため下界との気圧の違いであると気づかされた。

9月3日(日)

今日は朝5時に起きて、早速ロッキーマウンテン国立公園へ向かった。エステスパークという公園入り口のリゾートタウンからアクセスしたわけであるが、ゲートを通過したのが午前7時前でレンジャーがいなかったのでただで入場することが出来た。今日はとりあえず下見ということで標高3500mのアルパイン・ビジターセンターまで行ってみた。山を登るにつれて外気温が下がっていくのがカローラの温度計で確認出来、最終的には5℃になっていた。

吉井という関西人がデンバーで野球をしており、今年は負けが込んでいるということで「これはいったいどういうことなのか」というリサーチ依頼がかけられていたので様子を見に行った。吉井率いるコロラド・ロッキーズは地元クアーズ・フィールドにミルウォーキー・ブルワーズを向かえ、エース吉井の先発で午後1時5分にプレーボールとなった。1回の裏に3点のリードをもらった吉井はソロホームラン3本を打たれながらも6回1死まで1点のリードを守りマウンドを降りた。しかし、リリーフが9回の表に同点にされ、結局延長戦の末破れ、吉井の6勝目は成らなかった。

今日の吉井は真直ぐが高めに浮き、スライダー、フォークボールも制球を欠き非常に苦しいピッチングであったが、何とかバックの好守でしのいでいた。吉井は去年までニューヨークに在住し、今年からデンバーに移ったわけであるが、ニューヨークには日本人がたくさん住んでおり、ボケをかましても誰かが突込んでくれる環境であったようだが、デンバーにはほとんど日本人を見かけなかったので仕方なく一人ボケ突込みを繰り返すうちに調子を落としたものと予想される。

ロッキーズにトッド・ヘルトンという4割を目指している強打者がいる。日本でいうと最近怪我でリタイアしてしまったイチローに匹敵する実力者である。窓際にいるのはトットちゃんであるが、このトッド君は窓際ではなく打線の中心に座っており、今日はヒットを1本打ったものの、後が続かず打率を.380台に落としてしまった。マサよ、もし彼が今年4割を打ったら必ず徹子の部屋に出演するように交渉しておいてくれ!

ところで球場入りする前に少し時間があったのでダウンタウンを徘徊させてもらった。街の中心に16th streetという目抜き通りがあり、ストリート自体が歩行者天国のショッピング・モールのようになっていた。またモールの端から端まで無料のバスが通っており、多くの買物客と浮浪者で賑わっていた。

9月4日(月)

デンバーからネブラスカ州、アイオワ州を経由してミズーリ州のカンザスシティまではるばるやって来た。距離にするとわずか600数10マイルであるが、ここはデンバーとの時差が1時間ある(ちなみにANA機内誌、翼の王国によれば東京、鹿児島間は601マイルである)。

カンザスシティはアメリカの地図を4つに折るとちょうど真中に位置するため、Heart ofAmericaと呼ばれており、ここに来なければアメリカに来た意味がないと言われている。ここで一番有名なところはカントリー・クラブ・プラザというダウンタウンから南に3マイルくらい下ったところで、ここには1922年に作られたアメリカで最も古いショッピング・センターがある。カンザスシティはCity of Fountain(噴水の町)といわれているほどいたるところに噴水や彫刻があり、岡本太郎が来れば必ず爆発するほど芸術家の魂を揺さぶられる町でもある。

マック鈴木という少年が高校を中退し、単身アメリカに乗り込んでから8年が経つが、今年はローテーションの軸になって活躍しているという話を聞いてはるばるカンザスシティくんだりまでやって来た。カンザスシティ・ロイヤルズの本拠地カウフマン・スタジアムは外野スタンド一帯が噴水で構成されており、私が今まで見た中で一番景観のすばらしい野球場である。常勝軍団ニューヨーク・ヤンキースと対したマックであったが、6回2/3を投げて4点を失い結果的に負け投手になってしまった。マックのストレートは常時90マイルを超えており、今日はスライダーとフォークで三振が取れなかったため、厳しいピッチングを強いられていた。

試合の方はヤンキースの切り札マリアーノ・リベラを引きずり出し、9回2死満塁まで攻めたてたが、10年前の私に似たボクサーのような無駄の無い体をバネのように使って96マイルの快速球を投じていたリベラに最終的には押さえ込まれてしまった。

試合が終わると花火大会が始まり、事前にもらっていた3Dのメガネをかけて見るとこの世のものとは思えない光と音のスペクタクルの世界が広がり、江戸川や隅田川の花火大会より、ぜんぜんすばらしい思いをすることが出来た。

9月5日(火)

カンザスシティを発ち、一路デンバーへの帰路を急いでいる途中にTopekaというカンザス州の州都を発見したので州議事堂によって写真を採ってきた。カンザス州では前後左右を地平線に囲まれながらひたすら真直ぐな道が続いていた。水平線の彼方から現れるのはイルカに乗った城みちるであるが、地平線から出てくるのは牛にまたがった田中義剛だろうかとぼんやり考えながらひたすらカローラのアクセルを踏んでいた。牛といえばここカンザスにはダイエーとの契約牧場があり、カンザスビーフが格安の価格で日本の消費者の手元に届くことになっている。ここでのんきに草を食ってやがる牛たちも近い将来は150g、380円のステーキとして店頭に並ぶことになり、売れ残りでもしたらおつとめ品としてさらに50円から100円引かれる運命になるだろう。

マーク・マグワイヤが怪我でリタイヤしている隙にサミー・ソーサがホームランダービーのトップを独走しており、今日はデンバーまでわざわざホームランを打ちにやってくるということだったのでクアーズ・フィールドに見に行った。結局ソーサは三遊間を破るヒット1本に終わってしまったが、試合の方はトッド・ヘルトンの先制ホームランなどでロッキーズが大勝し、観客の溜飲を下げていた。

9月6日(水)

シルベスター・スタローンのように起き抜けに生卵5個をコップで一気飲みしてロッキーへのドライブに繰出そうと思ったが、卵がなかったのでコーラを飲んで出発した。ロッキーマウンテン国立公園は総面積1000km2と非常に狭い公園であるが起伏の変化が激しく、4000m級の山々から湖や湿原、森といったさまざまな自然環境を育んでいる。

ここはロッキー刑事を殉職させるために「太陽にほえろ」が初の海外ロケを行った場所として有名である。毎週金曜日の夜8時に律儀に事件を起こす「太陽にほえろ」お抱え暴力団の竜神会とロッキー刑事(木之本亮)が銃撃戦を行った時に、シマリスをかばおうとして撃たれたロッキー刑事であったが、そのシマリスは現在も軽快なフットワークで森の中をうごめいていた。

トレイルリッジロードという世界でも有数の山岳道路(舗装道路の世界最高地点3713mを通る)があり、この道路に沿っていけば公園のビューポイントは大体網羅出来る。標高3600mのところにアルパイン・ビジターセンターという所があり、そこから100mくらい登った頂上からツンドラや氷河が見学出来た。頂上から「エイドリア~ンン!!」と叫ぶとリングの下から「ロッキ~~」というこだまが返ってくるかと思ったが返事がなかったので「インフォシーク」とささやいて雪崩でも起こしてやろうかと思ったが環境破壊の観点から断念した。

ビジターセンターにギフトショップがあり、高山病でふらふらした観光客が無意識のうちに大量の土産を買っていた。酸素不足のためにストレスホルモンであるノルアドレナリンの分泌が多くなり、イライラしてるかと予想された店員は笑顔で注文に応じていた。酒を飲むと人の3倍くらい赤くなるほど赤血球の多い私であったが、ついつい$50相当の物品を買い込んでしまった。

9月7日(木)

午前6時の飛行機に乗り、デンバーからFTB発祥の地であるサンフランシスコに移動した。ハーツでフォードのエスコートをレンタルした後、早速、スタンフォードへの道のりを目指した。Stanford University NetworkでおなじみのSUN Microsystems等を生み出したシリコンバレーの頭脳を育む環境がどのようなものか調査するのが目的であり、コンピューターサイエンスのクラスを聴講してマサに頼まれてもいない1000枚くらいのレポートwithウイルス付というやつを送りつけてやろうかと思ったが残念ながら夏休みの影響で講義は行われていないようだった。

1929年の世界大恐慌の最中に土木作業員たちのケツをたたいてフーバーダムを竣工させたハーバート・フーバー大統領を記念したインスティチュートがあったので見学させてもらった。ここにはフーバー大統領がスタンフォードを優秀な成績で卒業した実績を示す遺品がたくさん展示されていた。

ところでここのキャンパスであるが、レンガ造りの建造物が多い東のハーバードと違い、ギリシャ神殿をモチーフにしたような、カールルイスが全力疾走しても途中で息切れしてしまいそうなほど長い回廊やいつでも懺悔可能な教会や多くの

図書館があり、マサに研究活動に最適なファシリティがそろっていることが確認出来た。これまでUCLA、テキサス大学、ハーバード、MIT、北九州大学等、数々のキャンパスを見物してきたFTBであるが、スタンフォードはマサにキングオブキャンパスと呼ぶにふさわしい広さと設備を誇っていた。

午後からスタンフォードとのリファレンスをとるためにベイブリッジを渡ってUCバークレイに向かった。UCBは今まで20数名のノーベル賞受賞者を輩出している公立の名門であり、マサが登校拒否を起こし、バックレーそうになった状態を克服した挙句、優秀な成績でディプロマを取得したことで有名でもある。キャンパスのランドマークとしてセイザータワーがそびえており、$2払って登ることにした。タワーの頂上からはキャンパス全体が一望でき、遠くサンフランのダウンタウンやゴールデンゲートブリッジの眺望が楽しめた。

ところで大蔵省が税金を使ってマサに貸し与えた割にはチャチなアパートをFTBバークレイ支店として乗っ取っていたが、今はその面影さえも残していなかった。いずれにしてもUCBのExtensionがキャンパスツアーとしてUCB本校よりもスタンフォードを選んでいる事実から考えてみてもキャンパスのすばらしさという点ではスタンフォードに分があるのだろう。

サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地は今まで、外野席に陣取っていたマサが目の前に飛んできたボールを取り損ねた実績のあるキャンドルスティックポイントにあったスリーコムパークであった。しかし、強風と老朽化のために評判が悪かったので、今年からチャイナベイスンという市内でも比較的暖かい場所にパシフィックベルパークをオープンさせた。ここはダウンタウンから程近く、BARTでバ~とエンバカーデロまで来てそこからMUNIのストリートカーに乗り換えてすぐのところである。

ナリーグ西地区の首位を独走するジャイアンツはサンディエゴ・パドレスを迎え撃ち、試合の方は、スーパースター、バリー・ボンズの44号先制本塁打などで大量13点を奪ったジャイアンツが圧勝した。ところでパシフィックベルパークのライトスタンドのすぐ真後ろは海であり、大きなホームランが出ると海に飛び込む設計になっており、この現象をSplash Hitsと呼んでいた。今年はすでに5個のボールが海のもくずとなっていた。それらのボールは魚の餌にでもなるのかと思っていたが、実際はボートに乗ったおっさんたちがボールが飛んで来るのを今か今かと待っている様子が球場スクリーンに映し出されていた。

9月8日(金)

マサよ、君はビッグ・サーという場所を知っているか?「さ~?何のことだかわからね~ぜ!」と答える輩が多いと思われるが、ここビッグ・サー(Big Sur)はFTBが定期購読しているナショナルジオグラフィックス8月号にも紹介され、水曜スペシャルであれば「カリフォルニア最後の秘境」という最上級の格付けを与え、川口探検隊をトッププライオリティで派遣するほどのすばらしい場所である。

サンフランから南に下ったリゾート地モントレーからハイウエー1号線を10マイルほど南に下ったところは開発を阻む厳しい環境が待ち受けている秘境であった。ビッグ・サー州立公園($7)に進入した私は早速トレイルの山岳道を登ることにした。途中マウンテンライオン注意の看板があり、そこには「マウンテンライオンはめったなことでは姿を現さないが、かといってボサッとしていてガブッとやられても誰も責任は取ってやらへんで!」といったような能書きが書かれていた。「それはいったいどういうことなのか」と思った私はエージェントの伊達君や吉川さんに負けないようにマウンテンライオンを生捕りし、サンディエゴ動物園に高値で売りつけたというリサーチ結果を出し、EDという重病を患い、ファイザー製薬にお世話になっているにもかかわらず、ファーイーストリサーチインク社のチーフという激務をこなしている佐野史朗チーフに喜んでもらえるレポートを作成するための調査に乗り出した。

山道は急な斜面であったが、ロッキーでの高地トレーニングにより著しくヘモグロビンの数を増加させていた私にはわけないものであった。夜8時45分くらいの水曜スペシャルのクライマックスのように結局マウンテンライオンを発見するにはいたらなかったが、前人未到の洞窟に川口浩隊長よりも先に入るカメラマンや照明さん、洞窟に転がっている白骨をピカピカに磨く美術さん、川口浩が素手で払いのけるために上から、さそり、毒蜘蛛、毒蛇を落とす大道具さんといった選りすぐりのスタッフを抱える水曜スペシャルでも探すのは困難であると思われた。

ところでビッグ・サー近辺の自然環境であるが、強い潮風にもかかわらずおびただしく背の高いChina Redwood Treeを繁茂させている森や、波間に漂う大きな海藻ケルプを群生させている人の手の入っていない海がある。この海は油と若者の欲望にまみれた湘南の海と違い、エメラルドグリーンとコバルトブルーが鮮明に表現された世界有数のきれいな海であり、観光客もその光景に思わず見入ってしまっていた。

ちょうど2年前にヤスとマサを従えてNHK衛星第一放送への出演を果たした地オークランドへと帰って来た。オークランド・アスレチックスの本拠地は当時はアラメダカウンティコロシアムと名乗っていたが、今ではコンピューターウイルスのワクチンを作っている会社であるネットワークアソシエイツコロシアムと名前を変えていた。2年前にこのコロシアムで10数試合観戦したときには一番安い外野席のチケットを買っているにもかかわらず、試合の後半にはバックネット裏に陣取っていた私であったが、ワクチンソフトのテクノロジーを利用して不正侵入防止装置を設置して取締りを行われては敵わんと思い、今回はまじめにボックスシートのチケットを買って観戦した。

大魔人佐々木を要するシアトル・マリナーズに続き、アリーグ西地区の2位という好位置につけているA’sはタンパベイ・デビルレイズと対戦したが、2安打の完封負けを喫してしまった。

9月9日(土)

11時50分のフライトまでの時間を利用して地元サンフランの探索を行うことにした。ツインピークスからダウンタウンの景色を一望した後、松本人志よろしく野沢直子の住居に寄ってアメリカ人を笑わす極意を教えてもらおうかと思ったが無理そうだったのでLombardとHydeの一番景色のよいところを見納めにサンフランを後にした。

アップグレード券2枚をはたいてビジネスクラスにアップグレードをしてポケモンジェットではなかったANA008便に乗り込むとほどなくアッパーデッキの責任者と名乗るオネーチャンが挨拶に来た。「話せるアコム」の保健室の先生のように「何でも相談して下さい」とのありがたい言葉をいただいた私は「ペンキとスプレーは大蔵省の経費で何とかするのでチビッコたちのためにも今からでもポケモンジェットに改造出来ないか?」と依頼したが、ボーイング社のブーイングを恐れてか、それだけは勘弁してほしいと断られた。

今回のFTBサマリー

飛行機代:\130,320(早割りGET14プラスアップグレードを利用し、マサであれば\200,000くらいかかっていたであろう)

総宿泊代:$401.40

総ガソリン代:$84.79

総レンタカー代:$510.37

総走行距離:2,463マイル

今後の活動予定(FTB秋冬コレクション)

*FTBJ未開の地沖縄でハイセオジサンと泡盛を飲みながら沖縄民謡を歌おうツアー

*アグネスチャン杯争奪香港飲茶ツアー

*カンガルーと一緒に地球環境問題をカンガえルー・ツアーインオーストラリア

*網走発ガリンコ号で行くガチンコ流氷流れ旅ツアー(やらせなし)

FTB2周年記念:ライブアメリカ横断ウルトラFTB

「マサよ必ず来いよ!」と言い続けて早くも2年が経ってしまった。

その間総統である私の身の上にもさまざまな出来事が巻き起こった。今回私が率いているアクセント・テクノロジーズ社の好意により、長年の念願であったアメリカ横断ウルトラFTBを決行することが出来、非常に喜ばしく思っている今日この頃である。

8月6日(日)成田発ポートランド行きのデルタ52便に陣取った私は不本意にも夏休みのチビッコ旅行軍団を従えて、マクダネル・ダグラス社が誇るMD11機に乗り込んだ。隣の席に中国人夫婦と神童と呼ばれた私の幼少期を彷彿とさせるかわいい赤ちゃんが乗っており、離陸後必ず泣き叫ぶだろうと予想していたが、案の定飛行時間中の3分の2は泣き叫んでいやがった。

ガキの騒ぎ声と赤ん坊の泣き声を子守唄にしながらポートランドに到着したのは午前10時を回った頃だった。2時間くらいポートランド空港の見学を行った後、午後1時にソルトレークシティ行きの飛行機に乗り込んだ。午後4時にソルトレークシティに到着し、すぐさま高級スイートHamptonInnにチェックインした後、その足でグレートソルトレークに向かった。

ソルトレークの湖畔にSaltairというしなびた建物があり、そこから湖を見渡すことが出来るのだが、そこは2年前にきた時と変わらず異臭を放っており、湖の色もウーロン茶色に淀んでいた。それでも何人かの観光客はその中で水泳をやっており、浮力の強い塩水湖でのドザエモン状態を楽しんでいた。マサであればペットボトルになみなみと注いだ塩水を藤原紀香と同様にイチ・サン・プゥァァー!と一気飲みしていたことであろう。

というわけでついに始まってしまったアメリカ横断ウルトラFTBの今後の展開が大きく期待できるわけであるが、最近婚約を発表したマサよ、もし浮気調査が必要であれば私の子分にロンドンブーツ1号、2号というならずものがいるのでいつでもガサ入れの相談に乗ってやるぜ!

 8月7日(月)、8月8日(火)はユタ州のアメリカンフォークオフィスでまじめにミーティングを行った。高嶋兄のような切れのある打ち合わせの内容で「You win ステテコ君!」と同等の賛辞を浴びた総統は、8日の午後にユタ州を後にしてすべてのマサはマサチューセッツにつながるといわれているマサチューセッツ州のウォルサムへ向かった。

ボストン行きの飛行機では私の前の席にマヨネーズがよく似合うキューピー人形に似た赤ちゃんが乗っており、離陸後必ず泣くだろうと思っていたら案の定飛行中のほとんどの時間泣き叫んでいやがった。夜遅い時間にボストンのローガン国際空港に到着した。ローガンというだけあって目の悪い老人用のメガネがたくさん置いてあるかと思ったが、残念ながら目薬さえ置いてなかった。

ボストンのダウンタウンから10マイルほど西にあるアクセント社のウォルサムオフィスで夕方までミーティングを行い、ここでも「You win ステテコ君!」級の扱いを受けた後、時間が少し早かったのでボストンのダウンタウンまで足を伸ばした。まずはボストンコモンというダウンタウンのど真ん中にある公園の地下駐車場に車を止め、アメリカ独立のために討ち死にした英雄がぐっすり眠っているグレナリー墓地や尖塔がないキングスチャペルなどを見学した。その後ベイエリアに移動し、腹が減ったのでマリオットの高級レストランでディナーと洒落込んだ。ボストンに来てシーフードを食わなければボストンに来た意味がないと言われているので、会社の経費でとりあえずクラムチャウダーとオイスターとロブスターを発注した。

Rのつかない8月のせいかオイスターはサンフランで食ったものよりも3分の1くらいやせ細った貧弱なものだった。しかしロブスターはヒューストン産のクローフィッシュが100匹かかってもかなわないほど強そうな奴が運ばれてきた。しかも色は私が酒を飲んだ時よりも赤い紛れもないレッドロブスターであった。

明日は朝の便でワシントンDCに向かい、昼からミーティングの予定です。とりあえずマサよ、私のホテル当てに魚河岸の特上寿司2人前の出前を頼んでおいてくれないか?!

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 マサよ、君は携帯電話で話しをしながらマニュアルのシビックを運転する

ブラジル人女性の助手席に座ったことがあるか?? 私は・・・ある!!

ということで、8月10(木)午前10時過ぎににボストン空港を発ち、ワシントンDCロナルドレーガン国際空港に到着したのは正午を回った頃だった。アメリカではミディアムカーとして君臨しているカローラをレンタルしたあと、早速アクセント・テクノロジーズ社の本社があるワシントン近郊の都市ロックビルに向かった。本社では日本における実力者の私が来るということで非常に厚いおもてなしを受けた。午後から軽くミーティングをこなしたあと、私といつも仕事をしているリアナというブラジル人女性マーケティングマネージャーとその旦那のショーンとこれまたサリー?というマーケティングマネージャーと飯を食いにいくことになった。サリーは魔法も使えないし、友人によっちゃんもスミレちゃんもいなくまた弟のカブも見当たらなかったのでおかしいと思ったら本当はサニーという名前だった。

その日は会社の近くのカナダ系のステーキハウスで牛を食った後、おとなしく帰り、次の日のミーティングに備えた。8月11日(金)は朝からミーティングをした後、リアナとサニーとマットという男と昼飯を食いにいくことになった。リアナのシビックでバーべキュー屋に行くことになったのだが、サニーが私にしきりに助手席に座ることを薦めるのでとりあえず座ることにした。そこで見た光景はアイルトン・セナ譲りの恐るべきドライビングテクニックであった。シビックは1600ccのマニュアル車でリアナは携帯電話をかけながらハンドルとギアの操作を同時に行い、また、急速車線変更や急速割り込み等の荒業を存分に披露し、サニーとマットの度肝を抜いていた。リアナに「今まで警察に捕まったことがあるか?ちなみに私は2度ほどアメリカで捕まっているぜ!」という質問をしたところ、2回なんてまだまだケツが青いぜという表情を浮かべながら「あるぜ!」と答えていた。

午後から社長のブレット・ジャクソンと面会する機会があり、日本のビジネスの状況を尋ねられた。とりあえず「今は非常に厳しいが、見通しは明るい。いざとなれば大蔵省で遊んでいるマサという者を拉致して無償で24時間働かせキャッチアップさせよう!」と答えておいた。

8月12日(土)朝からワシントンの観光を行った。まずは前回のワシントンツアーで訪問出来なかったペンタゴンを訪れた。残念ながらその日は土曜日でツアーをやっていなかったのですかさずホロコーストミュージアムに移動した。このミュージアムは非常に人気があるようで入り口のところではおびただしい数の観光客が列をなしていた。入場待ちの人々は意気揚揚としている様子であったが退場してくる人々は皆神妙な顔つきで出てきていやがった。ここは第二次大戦中のナチスのアウシュビッツをはじめ、さまざまな大量殺戮の歴史が展示されており、入場者の涙を誘っていた。

お盆の時期ということもあり、スミソニアンに埋葬されているアプライドのP-5000の遺品にお参りにいこうかとも思ったがアキラをはじめ数々の浮かばれないサービスマンの魂が帰ってきているかも知れないと思ったのでやめておいた。その代わりに午後からジョージタウンというところに行った。ジョージという名前からみちのくのイメージが浮かんだが、そこはワシントンエリアでもっともポピュラーな繁華街であった。タウンのど真ん中に運河があり、ビジターセンターの近辺に観光船乗り場があった。その船は1時間ほどかけて運河を往復する観光船で1800年代の出で立ちをしたうら若いおね~ちゃんたちが運河の水門の開閉と船の操縦をつかさどっていた。運河の水位は水門の開閉により調節されており水の量を減らしたりすることによって橋の下をくぐったりしていた。

その後キャピタルヒルをグルッと回ってホテルに帰ったあとリアナとショーンとクリスティンという女性とボルチモアに食事に行く約束をしていたので行くことにした。リアナの家で待ち合わせをすることにしていたため、リアナが出かける準備をしている間にショーンから家の中を案内してもらえた。そこはロックビル近郊の高級住宅街?の一角で3階建ての1階はガレージになっており、自転車が8台ぶらさがっていた。2階はキッチンとリビングでバーベキュー可能なテラスが設置されていた。尚、3階には寝室と客用の寝室があった。

リアナん家に大きな黒猫が暮らしており、リビングの写真を見ている私のところに挨拶に来たのでかまってやった。黒猫は「口数の多い奴らと同じ屋根の下で暮らしているとストレス太りで大変だぜ!」と言っているような顔つきでしきりに後足で頭を掻いていた。

今回はショーンの運転するシビックでボストンにも決してひけをとらないシックな港町のボルチモアにたどり着いた。この日は土曜日ということもあり、港で何か分けのわからない催物が開催されていたため、非常に人出が多かった。とりあえず港の近辺のレストランで飯を食い、明日は私が4時に起きなければならないということもあり早々と午前1時頃にお開きとなった。

8月13日(日)7時5分の飛行機に乗るために早起きしてワシントンダレス空港へと車を飛ばした。ワシントンを発ちアトランタに到着したのは午前9時前で1時間ちょっと時間があったのでアトランタ空港の見学を行った。さすがにコカコーラの城下町ということもあり空港内にもコカコーラのショップがあり、スカッとさわやかな雰囲気を醸し出していた。

アトランタで10時20分発の成田行きの飛行機に乗った。今回は赤ちゃんは乗っていなかったものの中央5列席のとなりに黒人のお父さんと息子のマイケル(推定3歳)が乗っており、離陸後おそらく大変なことになるだろうと予想した。また後ろの席の方はオーランドから乗り継いできたディズニーワールドのツアー客で大変な賑わいを見せていた。

ところでマイケルはというと実は私の後ろの席に彼のお母さんと兄貴が座っており、席の間をせわしく動いていたために父親から耳をつねられて泣きそうになっていた。

というわけで今回1週間で長距離移動をこなし、マサであれば孫の代まで過労死するようなハードスケジュールであったが、何とか生きて帰ってくることが出来た。

次回は9月上旬にコロラドロッキー、シアトルから「特命リサーチ200FTB」か何かをお届けします。

FTBサマリー

成田 → ポートランド 4823マイル

ポートランド → ソルトレークシティ 630マイル

ソルトレークシティ → ボストン 2105マイル

ボストン → ワシントン 500マイル

ワシントン → アトランタ 534マイル

アトランタ → 成田 6850マイル

Presented by FTB Co. LTD

代表 Masa

取締役運転手 Masa, acting

インターン Kazu

調達実施本部長 Masa, acting

 総統 Takeo(FTBJ代表兼務、ソートーすごいらしい)

スポンサー 大蔵省

協力 Hertzレンタカー、アクセント・テクノロジー株式会社

大FTB春の祭典 アメリカ東海岸編

というわけでFTB2000U.S.A第2弾として東海岸編をお送りします。

ANAマイレージクラブのプラチナ会員兼スターアライアンスのゴールドメンバーである私はGET特割ハッピーフライデーとプラチナ会員アップグレードを巧みに組み合わせてマサであれば\300,000くらいかかっているところを\74,000でニューヨークビジネスクラス往復でのFTBを挙行した。

ANAの成田→ニューヨーク便はポケモンジェットであるはずと信じていたのだが、実際は何の変哲も無いB747テクノジャンボだったため、ANAにクレームを付けようかと思ったが、まあ我慢して乗ることにして一路ニューヨークを目指した。ニューヨークへはサンフランシスコから「アメリカ横断ウルトラFTB」で陸路を使うことも考えたが、今回は費用対効果の関係で直行便を利用させてもらった。

4月21日(金)

午前10時30分にJFK空港に到着した。天気はあいにくの雨であった。早速Avisに向いレンタカーをピックアップしたのだが、今回はキャバリエではなくSuzukiのEsteemというしょぼいコンパクトカーを与えられた。その足でボストンへの道を北上したのだが、あまりにも雨がひどいのでコネチカットのモーテル6に早々と引き払った。

4月22日(土)

マサよ、君はアメリカ北東部の小さい州がごちゃごちゃ込み合っているところを渡り歩いたことがあるか? 私は…ある! というわけで朝からあいにくの雨にもかかわらず、コネチカット、ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、メイン、バーモント州を渡り歩き、FTBはカナダのケベック州に入り、モントリオールを目指した。カナダとの国境を越えたとたん距離、スピード表示はマイルからkmにかわり看板はほとんどフランス語表示になった。

モントリオールは北米のパリと呼ばれるほどフランス文化が根づいており、英語よりもフランス語を話す人が圧倒的に多い。その日は1976年にオリンピックが開催されたオリンピック公園を訪れた。公園の中心部に金メダル獲得者の名前が刻まれた銅版のモニュメントがあり、その中でひときわ輝いていたのが女子体操の各種競技で10点を出しまくったナディア・コマネチの名前であった。その記念碑の前でビートたけし直伝のコマネチのポーズを決めようかと思ったが、人通りが多かったので断念した。その後、当時のオリンピックのメインスタジアムであり、現在はメジャーリーグモントリオールエクスポズの本拠地になっているオリンピックスタジアムを訪れた。そう、今日は日本が誇るヒキガエル伊良部の登板日である。

ミルウォーキー・ブリュワーズと対した伊良部は立ち上がりからホームランを打ちこまれるなど6回を4失点でノックアウトされた。しかしながら、スタジアムの場内放送はフランス語と英語であり、球場係員も貴賓のあるマダムやマドモアゼルが多く、野球場内であっても格調高いフランス文化を十分に堪能することが出来た。

4月23日(日)

モントリオールを後にしたFTBは西へ進路を取り、一路トロントを目指した。トロントはオンタリオ湖畔に位置するカナダ最大の都市であり、トロント・ブルージェィズの本拠地でもある。今日のブルージェィズはニューヨーク・ヤンキースをスカイドームに向かえ、1時15分にプレーボールが告げられた。スカイドームは世界で初めて開閉式屋根を採用した多目的スタジアムで後の福岡ドーム等にそのテクノロジーが引き継がれている。試合はというと両チームともホームランの打ち合いで最終的には10対7でヤンキースが勝利した。

CNタワーという世界一高いタワーがスカイドームの隣にあり、これに登らなければカナダに来た意味がないと言われているので登ることにした。もともとテレビやラジオ等の電波搭として建てられ、カナダ国鉄(Canadian National Railway)の頭文字を取って名づけられたCNタワーは553.33mの高さを誇りエンパイアステートビルを登り切ったキングコングでさえ登れないのではと思われるほど高い建造物である。展望台は346mの高さにあり、CAN$17.11を支払うとガラス張りのエレベーターでたった60秒で到着した。そこからトロント一の眺望を拝見したわけであるが、実はその上に447mのスカイ・ポッドという展望デッキがあるのだが、2時間待ちだったため断念した。

4月24日(月)

前日の夜にナイアガラフォールズエリアまで移動していたFTBは当然のようにナイアガラの滝を訪れた。ここでは昨年の8月に来たときに参加出来なかった滝裏ツアー(CAN$4.5)に参加した。そのツアーはエレベーターで50mほど降りてカナダ滝を裏側から見るというごく単純なツアーであり、世界で一番水が落ちてくる量が多いところで東京電力等が見るとよだれを垂らしそうな勢いを誇っていた。

3日間におよんだカナダ遠征を終了し、再び国境を越えて米国に帰っていった。

4月25日(火)

マサよ、アメリカ建国の地フィラデルフィアに来なければアメリカを語る資格がないと言われているのを知っているか? というわけで今日はニューヨークから2時間あまり離れたフィラデルフィアに行ってきた。まず最初に訪れたのはロッキー・バルボアことシルベスター・スタローンが打倒アポロ・クリードを誓った聖地であるフィラデルフィア美術館である。マサであれば階段を一気に駆け上がりガッツポーズをして「エイドリア~ン!」と叫んでいただろうと思われるほどすばらしい外観であったが時間の都合で中には入らなかった。その代わりにインディペンデンス国立歴史公園を十分堪能することが出来た。この公園は1776年にアメリカが独立宣言したときに由来するモニュメントや建物がたくさんあり、たくさんのガキや老人達と一緒にアメリカ建国の勉強をすることが出来た。

大リーグNo1左腕のアリゾナ・ダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンが登板するというのでフィラデルフィア・フィリーズの本拠地であるベテランズ・スタジアムに足を運んだ。ランディは初回から怪腕を披露し、6回2/3を投げて11三振を奪う力投でフィラデルフィアのファンの度肝を抜きやがった。

4月26日(水)

1987年の夏以来だからほぼ13年ぶりにニューヨークの中心部に戻って来たことになる。

まずはガラと治安の悪いブロンクスに位置するヤンキースタジアムでヤンキースとツインズの試合を見物した。試合は2発のホームランと勝利の方程式の継投でヤンキースが勝利を収め、平日のデーゲームにもかかわらずつめかけていた観客を大いに満足させた。試合後はお決まりの「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が流れここが世界の中心であるニューヨークだという雰囲気をいやがおうにも醸し出していた。

試合が終わるとロウアーマンハッタンへ移動し、バッテリーパークやウォール街を見物した。ウォール街にあるトリニティチャーチの色が黒から茶色に変わっているのを見て時の流れのはかなさを感じさせられた。13年前にお徳用パックで買ったトークンが3枚ほど余っていたので地下鉄に乗ろうとしたが、今はトークンは使えず、変わりにメトロカードというものが君臨していた。仕方がないので$10.-分購入し、ミッドタウンへ向った。長い物に巻かれやすいのは大蔵官僚のマサであるが、高いところに登りたがるくせのある私はキングコングが外壁の登頂に成功したニューヨークのシンボルであるエンパイアー・ステートビルの展望台に登った。ここの展望台は$100万する夜景をスーパーディスカウント価格の$7で見ることができることで有名である。まずは吹きさらしの86階(320m)の展望台で雨に打たれた後、その後30分くらい並ばされて102階の展望台に移動し、ニューヨークの夜景を十分に堪能する事が出来た。

4月27日(木)

昨日柄の悪いブロンクスのモーテルに宿を取り、緊張した夜を過ごしたFTBであったが、朝起きたら幸運にも生きていたので今日はクイーンズ方面に向った。クイーンズにはラガーディア空港があり、近辺のハイウエイからは飛行機の着陸シーンが数メートル単位で間近に見られ、成田在住の人であっても充分その迫力は堪能出来る。

ラガーディア空港の近隣にニューヨーク・メッツの本拠地シェィ・スタジアムがあり、シンシナチ・レッズを迎えてデーゲームが行われていたので見に行った。平日のデーゲームにもかかわらずスタジアムにはたくさんのニューヨーカーがつめかけていた。シンシナチ・レッズには今年移籍して来たケン・グリフィー・ジュニアがおり、我々の前で挨拶代わりのホームランを放ちメッツファンからブーイングを浴びていた。メッツの方はといえばピアザが欠場し、打線に迫力を欠き、結局1点差で試合を落としてしまった。

4月28日(金)

今日は大蔵省を中心とした日本の官僚主義を撤廃するための外圧をかけてもらうためにアメリカの首都ワシントンDCを訪問した。まずは将来マサが奇跡的に出世してホワイトハウスに招待されたときに迷子にならないようにホワイトハウス見学ツアーに参加しようとした。しかし9時半という早い時間にビジターセンターに行ったにもかかわらず整理券はすべて配布済で中に入る事が出来ず、結局外から白い建物しか見れない状況だった。

その後、ギャラリーフェイクとも呼ばれている私は無料で見物出来るスミソニアン系のミュージアムを何件か訪れた。そのなかで目を引いたのがアメリカの歴史博物館に展示されていたアプライドのP-5000の1号機であった。それはInformation Ageというセクションの中で半導体を製造するための重要な装置や!ということでさる然とした輝きを放っていた。また、見学者の間の噂話でアプライドの社員でここにおいてある遺品の装置にお参りに来なければ出世出来ないということであった。

DCを後にしたFTBは1時間ほど北上し、メリーランド州にあるボルチモアに向った。ボルチモア・オリオールズは本拠地オリオールパークアットカムデンヤードにテキサス・レンジャーズを迎え打ち、試合は延長戦をサヨナラ勝ちで制し、場内は歓喜の渦と化していた。

4月29日(土)

小金を持ったマサがぼったくりバーに入った状況は「カモネギ」であるが、カーネギーと言えばアメリカの鉄鋼王であり、工業都市ピッツバーグを連想させられる。というわけでペンシルバニア州の西、オハイオ川、アルゲイニー川、マノンガヘイラ川の3つの河川「スリーリバース」に囲まれたピッツバーグを訪問した。

ピッツバーグ・パイレーツは本拠地スリー・リバース・スタジアムにシンシナチ・レッズを迎えて午後1時35分からの試合開始であった。ところでパイレーツといえばチケットを買うときに「だっちゅ~の」のポーズをすると割引になるという噂がまことしやかにささやかれていたが今日それが迷信であることが証明された。試合の方はシーソーゲームで観客も多いに盛り上ったが、結局6対5でパイレーツが負けたっちゅ~の!

4月30日(日)

マサよ、君は目の前で野茂が三振と取るところを見たことがあるか? 私は…ある!

しかも9回も!

というわけで今日はデトロイトまで車を飛ばし、デトロイト・タイガースの本拠地であるコメリカ・パークでシカゴ・ホワイトソックスから野茂がバッタ、バッタと三振を取るシーンを見に行った。タイガースと言えば日本では最下位の常連のお荷物球団であるが、ここメジャーでも現在ダントツの最下位を快走している状況である。そういった環境でマウンドに立ったエース野茂であるが、7回2/3を投げ2失点、9奪三振の力投で勝ち投手にはなれなかったもののタイガースの勝利に貢献し、デトロイトのファンの期待に応えるとともに度肝まで抜いていた。

5月1日(月)

「笑ってもっとベイべェ~♪♪無邪気にオン・マイ・マイン♪♪」と鼻歌を歌いながらいとしのエリー湖の近くをドライブしながらFTBが向った先は京都と姉妹都市の関係にあるボストンである。

マサよ、君はグリーン・モンスターを知っているか?

フェンウエイ・パークは1912年に建立された現存する世界最古のメジャーリーグ球場でありレフトが極端に狭い変形球場としても有名でその狭さを補うために11mの高さを誇る通称グリーン・モンスターというフェンスが設置されている。ボストン・レッドソックスは地元にデトロイト・タイガースを迎え、7時5分の試合開始より壮絶な打ち合いが開始された。今日グリーン・モンスターを越えたホームランが3本あり、またグリーン・モンスターを直撃した長短打も数本あり、充分にそのモンスターぶりを見せてくれた。

5月2日(火)

アメリカの歴史にさる然とその1ページを残している事件にボストン茶会事件がある。そのなかの船の1隻ビーバー2世号がレプリカとして復元され、博物館になっているので見に行った($8)。船の中は事件の起きた1773年当時を復元しており、また当時の衣装を着けた人が事件の話をしてくれ、彼が「Dump the tea」と言うと観客は「Into the sea」、「No Tax」言えば「On tea」と無理矢理叫ばされ、そして船の甲板まで連れて来られ、実際に観客の1人がお茶を海に投げさせられるパフォーマンスを演じていた。当時海に投げ捨てられたお茶は$33,000(現在の価値で$1.7ミリオン)相当で近隣の海は紅茶色に染まったということであった。

独眼竜正宗、清水の次郎長の子分である大政、子政、しらけ鳥の小松政夫等マサと名の付くものがあこがれる場所がマサチューセッツ州の州都であるボストンの州議事堂であり、ここに来なければ1人前のマサになれないと言われている。州議事堂の中には初代州知事のジョン・ハンコックをはじめ歴代の州知事の肖像画が飾られたりしており、歴史的な雰囲気を醸し出していた。

チャールズ川を挟んでダウンタウンの対岸に位置するケンブリッジは学園都市として有名である。まず、クリントン大統領も卒業したハーバードを訪問しようとしたが、間違って大前研一の母校であるMITことマサチューセッツ工科大学に着いてしまったのでついでに見学した。キャンパスは日本の大学とは比べものにならないほど広大でマサが優秀な成績でディプロマを取得したUCバークレーよりも全然すばらしかった。その後ハーバードが見つかったので何か適当な授業を聴講し、マサに1000ページ相当のレポートを送りつけていやがらせをしてやろうかと思ったが、夕方だったため授業は終わっていたので代わりに生協でTシャツを買っておいた。ハーバードの建物はすべてレンガ造りであり、1636年創立のアメリカ最古の大学の重みを充分に感じさせてくれた。

5月3日(水)

ANA009便で帰国

FTBサマリー

総走行距離       約4300マイル(成田~シアトル間は4776マイル)

総ガソリン代     US$171.53, CAN$40.-

総宿泊代         US$735.02, CAN$55.-

訪問した州の数   US 13州(ニューヨーク、コネチカット、ロードアイランド、マサ     チューセッツ、メイン、ニューハンプシャー、リッチモンド、ペンシルバニア、ニュージャージー、メリーランド、デラウエア、オハイオ、ミシガン、CAN 2州(ケベック、オンタリオ)